[ 掲示板に戻る ]

過去ログ閲覧モード

ナナ。 / ubik0101&hato

私たちが住むこの敷地には、ナナ、という一匹の猫が、もうずっと前から、ひとりでいました。

前の家主さんがいた古家では、寝起きを共にしたり、出入り自由でしたが、家主さんが7,8年前に亡くなってからは、親戚の人に朝晩ご飯を貰ったり、庭の手入れをしているときだけ、人と一緒にいることができました。親戚の人は、自分の家に連れて行こうかととても迷ったのですが、ナナはやはり、この家と庭がいいだろう、ということで、仕方なくそうしたそうです。

一年半前の春から、私たちは、ナナと一緒に過ごすことができるようになりました。

No.3720 - 2011/09/29(Thu) 21:23:09

Re: ナナ。 / ubik0101&hato

ナナから見たら、庭はこんな感じでしょうか。

No.3721 - 2011/09/29(Thu) 21:23:51

Re: ナナ。 / ubik0101&hato

15歳の余となり、手足は細く弱くなったので、ゆっくり、ゆっくり静かに歩いて、庭やとなりの田圃の、居心地のよい場所をみつけます。

No.3722 - 2011/09/29(Thu) 21:24:24

Re: ナナ。 / ubik0101&hato

イワダレ草がいっぱいに花をつけた、春。

あ、ナナが遠くで、こちらふたりに気がついたようです。

No.3723 - 2011/09/29(Thu) 21:24:53

Re: ナナ。 / ubik0101&hato

歩く、歩く、歩く。

ナナが一歩一歩、草を踏みしめて、やってきます。
いいよ、ゆっくり、歩いてきてね。嬉しそうな、ナナと、私たち。

心はずむ、1コマです。とても幸せなとき。

No.3724 - 2011/09/29(Thu) 21:25:42

Re: ナナ。 / ubik0101&hato

ふたりが待っているのは、ナナミの木。まだちいさいけれど、こんな素敵な花が咲きます。

そしてここは今日から、ナナの場所になりました。

No.3725 - 2011/09/29(Thu) 21:26:41

Re: ナナ。 / ubik0101&hato

すこし前の台風の日。「ナナを家に入れること」を決めました。ルンルンとノンノンがいるので、加齢とはいえ、猫と鳥を一緒にしてはいけないと、これまでデッキに小さな、ねこ家を置きました。

ナナは、よくわかっていて、部屋の窓が開いてても、自分から入ろうとしませんでした。本当はとてもとても、入りたいのです。誰もが皆、胸を痛めつつ、ナナの気丈さをたたえていました。本当に、切ないことでした。

これから一緒にいられる、と喜んだのでしたが、夏を越したものの、ナナの身体は急激に、ここ一週間で衰弱していきました。家に入って、夜も誰かと一緒にいられて、長いことひとりでいた緊張が解けて、安堵したのかも知れません。もう、身体をはって、庭を守らなくてもいい、と感じたのかも知れません。


昨日一日を耐え、遅い夕方に、ナナはふたりに見送られ、しずかに逝きました。

No.3726 - 2011/09/29(Thu) 21:32:31

Re: ナナ。 / ubik0101&hato


今朝。

ナナが毎日、毎日、てくてく歩いた道脇の、玉すだれが一斉に朝露に光ってきれい。ナナが歩くことは、もうないんだな、と思うと、寂しくて。

No.3727 - 2011/09/29(Thu) 21:33:45

Re: ナナ。 / ubik0101&hato

春の一日。

みどりの庭は、ナナの庭です。

No.3728 - 2011/09/29(Thu) 21:35:20
陽動作戦 / ubik0101
たとえば特定の、あるいは不特定の誰かとか、社会の機構とかを、非難することがあるかもしれません。そうだとして。なにかを非難するとして、その自分を正当化しないとすると、かなり困ったことになるかもしれません。

まず、その非難正当化する思考や感情そのことは、誰が誰を非難正当化してると、識別ができるでしょうか。誰であれ、同じような立場や環境であれば、同じような非難や正当化をするかもしれません。つまり、その人そのことの固有の運動ではないでしょう。

それなので、なにか非難するとして、その非難する姿勢の射程に、そうしてる自分もはいるでしょう。そこで何かを非難する人は、正当化で守らねば・・・自己保存しなければ・・・自分を非難する、そんな悲惨なことになるかもしれません。

なので、誰かなどの行動、発言、思考に対する非難と、自分の行動、発言、思考に対する正当化は、対にならざるを得ない、と見ることもできます。

そして人が、その片方だけ、たとえば非難だけ、あるいは正当化だけ、であるのは困難ではないでしょうか。ここで非難を止めてみれば、正当化も止むでしょうか?正当化をしなければ、非難が止むでしょうか?・・・YES、だとしても、それは顕在意識の範疇、あるいはそいう規範ができてのことかもしれません。


続きます。

No.3703 - 2011/09/22(Thu) 23:20:24

Re: 陽動作戦 / ubik0101
それで学校、会社、家庭、地域・・・生活のほとんど総ての人間関係が、そのような非難、正当化の舞台になるでしょう。さてここで。そいうことを観察して、それが何になるでしょうか?たとえば、それが自分を知る(とても変な言い方)に繋がるでしょうか?

その非難と正当化は、誰彼に固有のことではない、それなら、それをいくら調べても、まったく役に立たないことはないにしても、自分を知る、ということには直接には繋がらないかもしれません。問題は、誰彼に固有でないのに、たとえば自分に固有な運動だと見なしてることにあるかもしれません。

もしかして、非難、正当化などの・・・いわゆる心理的な思考・・・を調べる、検討する、観察するということは、自我の陽動作戦。つまりトリック、おとり、自我から眼を離すための偽装、なのかもしれません。たしかにそんな観察そのことは、その種も尽きず、初めも終わりも判らない、迷いではないでしょうか。

続きます。

No.3704 - 2011/09/22(Thu) 23:22:49

Re: 陽動作戦 / hato

みどりの庭には、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)。なにかこわい様子の花です。今年も裏庭に、たくさん咲きました。

No.3705 - 2011/09/22(Thu) 23:32:18

Re: 陽動作戦 / hato

もうすこし、曼珠沙華です。

石垣の手前に、ひっそり咲いてます。

No.3706 - 2011/09/24(Sat) 22:01:09

Re: 陽動作戦 / hato

桜の木の下にも、いくつかあります。

花びらは、ベルベット地のようです。こうしてみると、なにかこわそう、ながらも、きれいです。

No.3708 - 2011/09/24(Sat) 22:19:31

Re: 陽動作戦 / ubik0101
では、どうすればいいでしょう?もし何かを非難するなら、思いっきり非難するがいいです。その相手に罵詈雑言を浴びせればいいです。また、じっと我慢するなら、どこまでも我慢すればいいです。 そして、返す刀で、その自分の有り様を、というよりも、その自分の有り様の前提を、自分で探査すればいいです。

というのは、自我は、ほかの人の指摘を聞かない、受け入れないのです。 もしも、ほかの人が、自分の自我な行動、発言、思考の急所を完全に突いたとしても、自我に止めを刺すことはできません。必ず自我は逃げます。それは、自分でやらねば、ならないのです。

たとえば、どこかの誰かの非難と正当化を検討して、そうしてる自分を勘定に入れない、つまり観察者であること、傍観者であることは・・・非難と正当化を共に対象にして、そこに巻き込まれてない・・・そうである自分の正当化です。その正当化のために観察、検討が必要とされます。

そして、もしそれを、ほかの人が指摘したとしても、それを認めることはないでしょう。そいうことは・・・まったく自分に染みついていて行動、発言、思考の基本姿勢になってて気がつかない。というそのこと、つまり無意識に、自我は隠れるのです。それは、知覚されないことは、ないことだ。あることは、知覚される。という思いこみをもたらしているかもしれません。

そんな、その思いこみ、そのことは知覚できるのです。そんな、ふつう自覚できないことの背後から現れてる思考の背後に・・・自分で、切り込まなければなりません。これは関係からではなく、たった一人で、もしかして自分はそうなのかもしれないという、微かな疑いを捕らえて、それを明確に意識して対峙せねばなりません。

続きます。

この辺りでは、村の人が総出で草刈します。そして10日ほどで草が枯れると、火を点けます。川沿いのそこここで、煙があがります。

No.3709 - 2011/09/26(Mon) 08:19:30

Re: 陽動作戦 / ubik0101
たとえば、いつも嘘ばかり言ってるので、自分が嘘つきだと気がつかない、そんな嘘つきがいます。それなら、なにか、その場その場で、急場しのぎの正当化できる理由を捏造して、そのことが、ほかの人には判らないと考えて、自分にも判らない。そんな状態なのかもしれないと。 これは関係からではなく、たった一人で、もしかして自分はそうなのかもしれないという、幽かな疑いを捉えて、明確に意識して対峙せねばなりません。

これは、おそらく人の数だけの、さまざまな有り様があるでしょう。行動、発言、思考の背後にある見えない同一化、前提、動機です。ちらりちらりと、もしかして、と思考されることなのです。すでに意識されてる、たとえば明確な非難や正当化ではなく・・・もしかして、自分は偽善者ではないだろうか?もしかして自分は権力欲に捕らわれてはないだろうか?

こんなことは正直に。そして大きく思考の翼を広げ羽ばたいて自分の闇を飛び回り探さねばなりません。くり返します。明確な、非難や正当化、それは、自我のフェイク、偽装工作、陽動作戦であり、意に介する必要はありません。それよりも、とくに意味を見いだせないほどの普通の日常。それを掘り下げるのです。

これは、止めることがない血と汗と涙の努力が必要です。どこまでも自分を顕わにしなければなりません。しかし、ほかの人からの指摘にしても、自分で自分に切り込むとしても、自我の急所を突くことは不可能でしょう。

なぜなら、自我は、ない、です。ない、には、その急所など、ありようが、ないのです。現れた、あるいは隠れた ・・・自己保存で・・・守ってるのは、ない、です。完全な解決は、自我は虚構。それが、発生する。その仕組みを知ることにしかありません。

続きます。

No.3710 - 2011/09/26(Mon) 08:33:11

Re: 陽動作戦 / hato

錦糸南天。

葉と茎が、とても繊細です。

庭の入り口あたりに、ubik0101さんが作ったかわいい盛り土が六つあって、そのひとつのてっぺんにいます。

No.3711 - 2011/09/26(Mon) 23:20:01
ガメラ3号 / 青雀
ガメラ3号始動しました。
望遠は愉しい。
またすぐに飽きるかもですが(爆

No.3693 - 2011/09/18(Sun) 17:56:56

Re: ガメラ3号 / ubik0101&hato
とても新鮮で綺麗です。見た瞬間に思いました。うん、うん。と言いながら、ブログも楽しんだのですが、さすがブラウン管モニターの超古代のMacです。(これで開けるサイトが少なくなりつつあります)。フリーズしてしまいました。

それで液晶のpcで開いたのですが、なんか印象が違います。哀愁を帯びたリアリズムに見えます。どちらが青雀さんの狙いか判らないんですが、好みは、ブラウン管です。などと言いつつ、リンクします。

ubik0101

ほんとうに美しい、葉の様子。モノの様子。鮮烈な印象。ヒカリモノすきです。

意味に非ず。非・意味。その、その、意味ですらない・・・それは、まったく、意味、が失われた、だけでありません。

こちらも、リンクさせていただきました。

hato

ガメラ1号。カンナです。

No.3694 - 2011/09/18(Sun) 23:07:20

Re: ガメラ3号 / ubik0101&hato

我が家のカエル、です。

No.3695 - 2011/09/18(Sun) 23:10:09

Re: ガメラ3号 / 青雀
コメントありがとうございます^^
リンクもありがとうです。

そうですか、ブラウン管で見ると印象が違うのですか。
うーん。それは興味深い。。

構造上、ブラウン管のほうが自然に映るのかもしれませんね。
レコードとCDの違いのような感じかなあ。
アナログのほうがデジタルよりも響きが圧倒的に豊かですからねー。
むむむ。中古のブラウン管モニターが欲しくなってきました。

カンナの黄色、綺麗ですね。
ガメラ1号、こんなに発色が良かったかなぁ。。
ちとジェラシー(笑

いちばん左のカエルさんが何を妄想しているのかとても知りたいっす。

No.3696 - 2011/09/19(Mon) 01:05:02

Re: ガメラ3号 / ubik0101
では、インタビューしてみました。

この一年、ずっと埃を被りながら、トイレの窓に腰掛けて。《世界は私です。けど私は世界じゃない》と、考えています。

だ、そうです。

この庭の下草、ダイカンドラ、です。

No.3697 - 2011/09/19(Mon) 14:09:38

Re: ガメラ3号 / 青雀
>《世界は私です。けど私は世界じゃない》と、考えています。
No.3698 - 2011/09/19(Mon) 21:13:24

Re: ガメラ3号 / hato

犬は、なぜか、主従の感じがします。寂しげな目。


元気、元気。ノンノンです。

No.3699 - 2011/09/19(Mon) 22:27:53

Re: ガメラ3号 / 青雀(suho)
> 犬は、なぜか、主従の感じがします。寂しげな目。

たまたま行った先の知人の家にいた犬です。
確かにさびしそうな感じにも見えますね。
少し臆病なところはあるけれど、普通の犬のようにはしゃがないというか、泰然としている静かな犬でした。
主人がけっこう神経の細かい方なので、常にその人のそばに居て癒し光線を放ち、場のエネルギーを和らげている感じでした。
「調整役」のような感じ^^

No.3700 - 2011/09/20(Tue) 13:47:41

Re: ガメラ3号 / hato

本能、機能としてか、犬はそのようにありますね。犬といえば、ubik0101さんと神奈川にいたとき、とあるホームセンターの入り口で、青年に連れられた、とても立派なスタンダードプードルを見ました。その落ち着いた、つぶらな瞳の優しい雰囲気が気に入ってしまって、飼ってみたいな、と思いましたが、なにせルンルンノンノン、ナナちゃんです。お金もとてもかかりそうで、見送りました。犬は飼ったことがありません。


秋は、コスモスの季節ですね。
我が家では、なぜか今年は、春に咲きました。

No.3701 - 2011/09/21(Wed) 00:10:29

Re: ガメラ3号 / ubik0101&hato

いま、台風15号、通過しました。アカメガシが根元から折れて、庭の端から端まで転がってしまいました。

ubik0101

あんなに凄かったのに、もう青空も見えます。これから通過するほうの方は、どうぞ十分お気を付けください。

hato

No.3702 - 2011/09/21(Wed) 17:11:43
ごまかし / ソルト
若いころ、大事な価値観があって、うまくいかないことが起きて、苦しみます。
ところが、あるとき、大事な価値観を捨てても、自然な生があるのを見出して、楽に生きることができることがわかります。
ところが、そこで、適当な価値観を見出して、いまの立場を利用した、いい加減に生きることを覚えます。
そして、世界を認めれば、何でもありなんだよと言います。

No.3681 - 2011/09/15(Thu) 15:35:45

Re: ごまかし / ubik0101
まずは、主語がない文章なので質問します。ソルトさんの投稿は、ソルトさんの状態を説明してるのでしょうか?

そうでなく、そんな特定の、あるいは不特定の誰かがいるよ、と話してるのでしょうか?

またはソルトさんが、ubik0101は「・・・そして、世界を認めれば、何でもありなんだよと言います。」と、思ってるのでしょうか?

ところでubik0101には。若いころ、大事な価値観があって・・・苦しみ・・・価値観を捨てても、自然な生がある・・・とかの経緯はありません。それに、世界を前提にするとしても、中道です。

No.3683 - 2011/09/15(Thu) 21:06:00

Re: ごまかし / 咆哮
なんとなくです、気になさらず
ソルトさんにちなんで

波が満ちては引きます
失って得るものはなんでしょうか?

No.3687 - 2011/09/16(Fri) 04:20:02

消えた思考 / ubik0101
ちょうど、そのテーマに移ろうとしてたところです。なにかを了解します。すると、その思考は消えていきます。その消えた思考は、どうなってるでしょう?

それは、たとえば何かを食べたら見えなくなる。それは人の血や肉になったからです。というようなことで。なにか、あれこれ思考や感情が現れては消えていくのを見ることとは、違っています。

たとえば、無我・・・その概念、その有り様、印象・・・と自分が接近して距離がなくなったら、無我が失われます。そこで、それと距離があって、無我を対象にしてた、ここでは残響のような自我とも呼んだりしますが、その自分も失われます。

それは無我の対としての、自我も一緒に失われるということです。これが、自我もなければ、無我もない、です。これは青い空、鳥の声・・・この明るい世界を見れば一目瞭然です。自我と無我の区別がないところ、です。 ほかの言い方では、自我も無我も失って、偏りなく、満遍なく、その総てを得た、とも言えます。

たとえとしては、光の三原色R(赤)、G(緑)、B(青)を重ねると透明になります。それは色が、ない、のです。けど、闇ではありません。光が満遍なく、赤や緑や青に分けられずに、ある。から特定の色としての赤や緑や青が、ない、です。

続きます。

No.3688 - 2011/09/16(Fri) 10:07:47

Re: 消えた思考 / ubik0101
けどこのことは、 もともと、自分が自分にあっては、その距離がないので、自分が自覚できない、この意味での、自分がない。という了解が奥にあります。自我が、ない。という意味での無我とは、ちょい違います。

これは、知覚できないゆえに、ある。おなじことですが、ある、ゆえに知覚できない。です。くり返しますが、自分が、ない、という無我さえ対象になり得ます。それは、距離があり、そうする自分が生じていて、自我と無我との比較があったりして、面倒なのですが意識が、それを経緯して、自分が、ある、さえ対象にする必要がなくなります。

>波が満ちては引きます
>失って得るものはなんでしょうか?


なにか知覚でき得る、もの、こと、だけを見るのなら・・・それは世界の七つの海を得るのです。でも、それよりも、それを得る、自己。それが大事です。なのに、逆は真だと見なして。では、怒りを消すには、因果を消すには、どうしたらいいでしょう。簡単です。怒りでありきれば、因果でありきればいいのです・・・としても、かなり困難なのです。

たとえば時間はありません。過去も、未来も、現在もない。その、そのことは、自分が時間、だということです。なので、概念としての時間がないのです。としても逆なので、困難なのです。もの、ことは、世界は、そうでなくてもいいのに、そう、だということです。これは、なぜ、これ、です。その見えない自分が大事です。

No.3689 - 2011/09/16(Fri) 10:12:18

Re: 消えた思考 / ubik0101
補足です。

この世界の範疇なら。総てを得ると言っても、なにも得ないと言っても、そう変わりません。どちらか片方だと見なすと、解釈になります。世界の総活動は、不増不減だからです。

それよりも、大事は自己です。それは、自分が自分であれば、距離がないので、自分が自分を知覚できない、といったことではありません。自己は、知覚の範疇にはありません。それは初めからそうだ。でも、あるとき生じる。でもありません。

No.3692 - 2011/09/18(Sun) 17:51:55
逆は真? / ubik0101
まず自我の成り立ちを振り返ってみます。たとえば歩くこと、怒ること、思考することによって、その中心が生じるのですが・・・予め・・・つまり時間を溯って・・・逆に・・・自分が歩く、自分が怒る、自分が思考する。と感じるのです。このように、機能する仕組みだけあって、その中心は実体が、ない、つまり自我は虚構です。

ここで、ない、とは思いもして、ない、ゆえの当然の誤認、自分が、ある、があります。そのことには。すでに、その自分ではない、ほかの、もの、こと・・・樹、鳥、ほかの人、なにかの思考など・・・が、対象にされ得る個別のこととして、ある、という距離(空間)が生じているのです。

そこで、たとえば自分の何かと自分の何か、自分と何か、何かと何かを較べるということが起こり得ます。すでに、そのことには。何かと何かとの関係という限定された距離(空間)と、限定された時間の要素が前提にされています。 それが、 いわゆる分離を、生じさせてるのでしょう。

続きます。

No.3668 - 2011/09/10(Sat) 22:18:26

Re: 逆は真? / ubik0101
ここで自我の構造に関する、ほとんど無意識的な、自分が、ない、ある、の問題よりも・・・葛藤、軋轢、苦痛などを生じる、騒がしい・・・世界と自分、自分と自分という、分離のほうが知覚されやすいのです。その観察され得る思考や感情を自我と見なしやすいのでしょう。

それは、ああでもない、こうでもない、という過去、未来、そこから見た現在、という空想の時間としての。またなん度も繰り返す思考、また比較、非難、正当化、として観察されます。

それは、自我そのことというよりは、その機能です。その形式としては、原因・・・時間・・・結果の、因果の思考です。自我という時間による虚構、その特性が、そうなので、それが生活に現れてるのでしょう。

それでは、まずは。そいう意味での因果をなくしてみては、どうでしょう。たとえば、明日なく、昨日なく、今日なく。もの、ことの根拠を過去に求めず、未来に求めず、理由なく、意味なく、無根拠に、なにとも較べずに、生きる。こうしてみてはどうでしょう。

続きます。

No.3669 - 2011/09/10(Sat) 22:19:16

Re: 逆は真? / ubik0101
あるいは、おなじようなことですが。ない、自我は、いまここに、ない、もの、ことを求める傾向があります。なので、いまある、もの、ことに、おいて何か無い物ねだりをせずに、生きてみましょう。

でも、もしこれを意図してすれば。そこには、時間なく、望みなく生きる。という思考が生じ、その思考が対象になり、それを対象にするという距離があります。つまり、その距離において自分が生じてある、かもしれません。これは、思考と、自分との軋轢を生じるかも知れません。では、それもなくしてみましょう。

つまり、この特定の個別の自分をなくしてみると、どうでしょう。それを、自分は、ある、の反対の、自分は、ない、ではなくて。主観の、反対の、客観的に見る、をしないで。この青空に、まったく見えない飛行機雲。ありのままとか、無選択とか、無比較とか、どのようにも呼ばずに生きてみましょう。

・・・で、これで充分でしょうか。なにか違うでしょうか。これは、自我が生じ得るその前提。限定された時間、空間ではない、つまり世界を問題にしてないかもしれません。世界は、あるとあらゆることが活動しあってる状態ではないでしょうか。それあって、自我は生じ得るのです。

もしかして、続きます。

No.3670 - 2011/09/10(Sat) 22:20:30

Re: 逆は真? / ubik0101&hato
それで、ふつうは、その限定され逆転した自我の構造のことを、時間、と呼ぶようです。そして、その仮の中心から見た距離、関係のことを、空間、と呼ぶようです。

たとえば嫌な、もの、こと、と距離を置く。好きなもの、こと、と接近する。それは時間が解決する。とか表現されたりするでしょう。いわゆる心理的な時空間です。それは、この仮に切り取られたと見なされて認識される、もの、こと、自我の範疇の話です。

この時間と空間、どちらも・・・あまり境は明確ではあり得ないのですが・・・どこか始まりと終わりが仮に設定された、限られた、もの、ことの背後にあると空想されて。それは、いわゆる思考の対象になり得ると思われるだけです。

できません。それを曖昧なまま、できるとして運動してるのが・・・たとえば過去はない、未来はない、あるのは、いま・・・いわゆる知覚の範疇にある自我の機能です。

その自我の機能する限られた範疇は、人知を超えた時空とも呼べない、その何かに含まれる。その部分。と空想できるだけです。それはすでに、もの、こと、がその何かから、仮に切り取ったとして思考されています。

その、切り取られない、その何か様子を、時間がない、距離がない、と呼ばれます。始まりも終わりもない、と呼ばれたりはします。

が、それは自我の時空から見た表現です。それは、いま、そのことかどうかも、始まりもなく終わりも知覚できないというだけで、永遠かどうかも判らない、です。

もし仮に例えば、いま、それが永遠であっても、だから何でしょう。なぜ、それが、それ、なんでしょう。それは、それでなくてもいいのに、それ。というだけです。

どうなるか予想もできませんが・・・たぶん続きます。

No.3677 - 2011/09/13(Tue) 13:38:47

Re: 逆は真? / hato

今日のみどりの庭の、ナナミの木に、ナナホシテントウを見つけました。枝えだに、たくさんいました。

No.3678 - 2011/09/14(Wed) 23:54:06

Re: 逆は真? / hato

玉すだれ、ほんとうにきれいです。

No.3679 - 2011/09/14(Wed) 23:55:57

Re: 逆は真? / 青雀(suho)
ごぶさたしてます。suhoです。
青雀(アオガラ)というヨーロッパのほうに生息するかわいらしいけどきりっとした顔の小鳥がいます。
とても気に入りましたのでハンドルネームをsuhoから青雀に変えました(笑
ご参考:青雀→http://www.wildlife-photography.uk.com/blog/?p=1338

名づけや因果で構築される意味空間は、非意味空間(未知)において運動してますね。説明する場合はどうしても意味空間を通じて表現しなければならないわけですが。
精神が意味空間に閉じていることで余計な心理反応が起こるように感じますね。

全ては未知そのものとして開いているのですが、ubiさんがおっしゃるように、名づけられたもの、因果、概念が実体ではないことを日常にみないと、どうしても意味空間が「世界の前提」になってしまい精神が閉塞し、身動きがとれなくなる。がゆえに息苦しい。
これが自我の様々な反応、行為としてあらわれているように感じます。エネルギーが開こうとしてもがいている感じ。

ところで、念願の一眼レフカメラを中古で入手しつつあります。はじめての望遠レンズなのでとても楽しみです。これまでよりもいろんな画の切り取り方ができそうです^^

No.3680 - 2011/09/15(Thu) 11:19:55

Re: 逆は真? / ubik0101
なんか、半分真面目に怒ってるような、すねてるような、愛らしい表情の青雀です。嬉しくなってしまいました。

たしかに青雀さん(こう呼ぶのは変な感じ)、その通りなんですが、既知と未知の区別を失った様子を、なんとか説明したいとは思ってるのですが、なかなか困難でいます。

とりあえず、マツムシたちが虚空に銀の鈴を転がすように・・・ 聞こうとしなくても、聞こうとしても、聞くまいとしても・・・響いています。

No.3682 - 2011/09/15(Thu) 21:00:50

Re: 逆は真? / 青雀
> とりあえず、マツムシたちが虚空に銀の鈴を転がすように・・・ 聞こうとしなくても、聞こうとしても、聞くまいとしても・・・響いています。

ああ、ちょうどいまこちらも虫が鳴いてます。
(虫の名前はよく知らない。。)

虫の声や鳥の声は本当に気持ちがいいですね。

熱いコーヒーをすすりたくなってきました。。

No.3684 - 2011/09/15(Thu) 21:56:05

Re: 逆は真? / hato

青雀って、はじめて見ました。素敵な青。かわいいですね。賢そうな目。回転が早そうな感じがします。

非意味、という言葉が、あるのを知りませんでした。それ、を言葉にするなら、非意味だったのです。ずっとあとで、言葉としては、既にさまざまな場所で使われてることを知りました。

それで、hpのハンドルネームがhiimi(ひいみ)・・・。とても可愛くないです。これは、プロバイダーにネーム登録しようとしたら、hato0101・・・himi0101・・・ubik0101さんと考えてみたけれど、すでに誰かに登録されていて。hiimi0101、しかなかったのです。それしかなかったのです。

0101。時期でいえばちょうどubik0101さんがhpの下地を暖めていた頃に、母から貰ったダイヤの刻印がそれで。刻印はだいぶ後に見つけて、あらフシギ。そんな不思議。夫婦や親しい仲に、よくあるのでは、と思います。

青雀さんの熱い珈琲に惹かれて、ubik0101さんに熱い珈琲をおねだりしました。マツムシ、鈴虫、クツワムシ・・・絶妙な合唱を耳に、秋の夜長の珈琲です。そういえば最近、ナナがいきなりバッタに飛びつき、バリバリ食べるのを見て、仰天しました。

No.3685 - 2011/09/15(Thu) 23:01:33

Re: 逆は真? / 青雀
> 非意味、という言葉が、あるのを知りませんでした。それ、を言葉にするなら、非意味だったのです。ずっとあとで、言葉としては、既にさまざまな場所で使われてることを知りました。

非意味という表現はしっくりきますね。
否定系の表現が正確と感じます。

> それで、hpのハンドルネームがhiimi(ひいみ)・・・。とても可愛くないです。これは、プロバイダーにネーム登録しようとしたら、hato0101・・・himi0101・・・ubik0101さんと考えてみたけれど、すでに誰かに登録されていて。hiimi0101、しかなかったのです。それしかなかったのです。
>
> 0101。時期でいえばちょうどubik0101さんがhpの下地を暖めていた頃に、母から貰ったダイヤの刻印がそれで。刻印はだいぶ後に見つけて、あらフシギ。そんな不思議。夫婦や親しい仲に、よくあるのでは、と思います。


ほんと、ご縁は不思議っす。。
不思議と思っても思わなくとも、ご縁は起こる。。

> 青雀さんの熱い珈琲に惹かれて、ubik0101さんに熱い珈琲をおねだりしました。マツムシ、鈴虫、クツワムシ・・・絶妙な合唱を耳に、秋の夜長の珈琲です。そういえば最近、ナナがいきなりバッタに飛びつき、バリバリ食べるのを見て、仰天しました。

わははは。自然は美しさと同じくらい残虐な側面がありますね。
以前、アフリカのヌーの大移動のドキュメント番組で、川をうまく泳げずにのろのろしていたヌーの子供が大きなワニに頭をかみつかれて水面下にひきこまれるシーンを視て全身凍りついてしまったことがありました。。

現象は問答無用に"全部のせ"ですね。。

No.3686 - 2011/09/16(Fri) 00:04:59

Re: 逆は真? / ubik0101&hato

> 非意味という表現はしっくりきますね。
> 否定系の表現が正確と感じます。


もちろん、経験としてそこに言葉はありませんが、それは、なにかとてつもない断絶のあと、と表現できます。

> ほんと、ご縁は不思議っす。。
> 不思議と思っても思わなくとも、ご縁は起こる。。


総て総てが起きてるのに、なぜ、その縁、なのか?それが問題です。おもしろいですね。なぜ、これは、こう、なのか?
なぜ、そう、でなくてもいいのに、そう、なのか。

> わははは。自然は美しさと同じくらい残虐な側面がありますね。

ナナがバッタを食べてるのを見たときは、こちらふたりはどちらかといえば、食われてるバッタに憐憫というよりも、ナナの、なにしろ凄い勢いで食する様相に仰天したのでした。たんぱく質が必要だったのでしょうか。

hato

ところで《素カメラ》も、改名しなければ。というわけで《アオガラカメラ》略して《ガメラ》と、しました。

ubik0101


青い露草が、庭のあちこちで満開です。

No.3690 - 2011/09/16(Fri) 23:00:14

Re: 逆は真? / 青雀
> 総て総てが起きてるのに、なぜ、その縁、なのか?それが問題です。おもしろいですね。なぜ、これは、こう、なのか?
> なぜ、そう、でなくてもいいのに、そう、なのか。


手の甲をじっと見つめていると、手の甲じゃなくなる。
なにかしわしわの得たいの知れない有機物が現れます。

> ところで《素カメラ》も、改名しなければ。というわけで《アオガラカメラ》略して《ガメラ》と、しました。

あはははっ。流石です♪
明日はいよいよガメラ3号(中古カメラ)と初顔合わせd(*^0^*)d
ドキドキ♥♥♥

No.3691 - 2011/09/17(Sat) 00:30:02
全1072件 [ ページ : << 1 ... 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 ... 215 >> ]