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続。ある?ない? / ubik0101
>空を飛びつづける魚はいないし、海に潜りつづける鳥もいません。
>まぁ、つまりは、頭で考え空想することはどんなことも可能です。
>しかし行為は制限があります。限界を広げ続けることはできます。
>頭と行為が、どこまで一致させることが出来るか。じゃないでしょうか。
>わたしたちの冒険は。、


ところで、「どこまで一致させることが出来るか」は、どこからでた疑問なのでしょう。もしかして、まず頭があって行為を一致させるというなら、いわゆる頭と自分との分離。また行為と自分との同一化。があるのでしょうか。そうでなくても、まずある頭と行為を一致させても、冒険とは言い難いです。

もともと対話であれ、自問自答であれ、思考することは、このようである自分を、このようであると認識することから始まるのではないでしょうか。ならば、 「どこまで一致させることが出来るか」は、起こりようがない疑問に思います。

そうでなくて。なにか自分がないとか、世界との関係とかを体験しても、なかなか意識は愚かで、その了解を知識とかに依って解釈してしまって、その思考に巻き込まれてしまうことがあります。ならば、もう、その地平、その段階にはいないということで、意識に依存しない、ということを了解する必要があるかもしれません。

これは人が、なにかの有り様ということは問題なくても、その、なにかの有り様だと思考することによって、その、なにかの有り様だけが、スポットライトで照明されたように強調作用が起きる、意見が偏る、その現象に惑わされないことが大切です。そのために、思考は知覚、ということを了解する必要があるかもしれません。たとえば、

>まぁ、つまりは、頭で考え空想することはどんなことも可能です。
>しかし行為は制限があります。限界を広げ続けることはできます。
>頭と行為が、どこまで一致させることが出来るか。じゃないでしょうか。


という、この思考はpeerさんが知覚したことです。この青空に、途切れ途切れの飛行機雲。ことさら言うまでもないのですが、それを見るのが、誰というわけでもなく、現れては消えること、です。思考は知覚であり、それに依存できないようにできているのです。 とりあえず知覚されたことを、ある、と呼んでるだけです。そして、なくなることは、なにもないです。

続きます。

No.3649 - 2011/08/30(Tue) 22:13:32

Re: 続。ある?ない? / ubik0101
また 、あくまで喩えですけど。進化論が確かな事実かどうか知りませんが・・・まず海に暮らす魚が、陸にあがり、両棲類や哺乳動物になり、それが海に帰れば、イルカや鯨にもなり・・・ また魚は爬虫類になり、 鳥になり、あるいは海に潜る鳥にもなり・・・生き物はその環境から脱したり、戻ったりします。

もちろん、ずっと魚、ずっと鳥、もいるでしょう。そして、ヤゴが羽化してトンボになると、もう水には帰れない、もあるのです。これは世界の様相です。それは、世界があるから生き物(自分)がある。でも、生き物(自分)があるから世界がある。でも、ないでしょう。

それを、環境が先にあると見なすのは、ありとあらゆる解釈の中の、とある解釈かもしれません。そうすると、世界も、そう思考する人がそう思考してることを明確にするかのように、その思考する通りに見えてしまいます。けど、思考には、その破綻があるし、それが教えてくれることもあるし、満遍なく思考することが賢明ではないでしょうか。

それをこの自分、この状態、なにもない、から始める、それしかできないと思います。そして。人は、意識がありながら意識に依存しないように、世界に生きながら世界に依存しなくあり得るのです。それは理論で追うよりも、自我の仕組みを見てから、思考に、意識に依存しない、そんな経緯が遙かに簡単だとは感じます。

くり返しますが、どうして生の真っ直中になければ、生に依存しないことが、あり得るでしょう。どうして死がなければ、生死に依存しないことが、あり得るでしょう。なぜかは知りませんが、こんな解脱の機能が世界です。ほかの使い方もいいですが、こう世界は使えます。という話です。

No.3650 - 2011/08/30(Tue) 22:14:12

Re: 続。ある?ない? / peer
話がドンドン進んじゃうので・・・

>もともと対話であれ、自問自答であれ、思考することは、
>このようである自分を、このようであると認識することから
>始まるのではないでしょうか。


そうなのですが〜
このようである自分を、このようだと認識出来ていない
場合の話なんです。私が書いているのは。
認識できていれば、一致しているのです。
だからその場合一致させようとする必要はないのです。
一致している、していないも問題なしでしょう。

>それをこの自分、この状態、なにもない、から始める、
>それしかできないと思います。


そして認識できていないから「なにもない」にも
到達できないワケでして。
「始める」以前にかなり問題がある。ということ。
認識する前に「なにもない」をやると、単なる逃避になりがち。
かな〜と。

No.3651 - 2011/08/31(Wed) 01:46:32

Re: 続。ある?ない? / ubik0101
たとえば誰かが、ほかの誰かの言った言葉「なにもない」を目標にする。つまり「なにもない」を知識として自分の対象にしてるので「一致してない」って意味でしょうか。そうなら、そういう自分があること。そして、自分で言葉を使えないで、言葉に使われながら、言葉から学ばせてもらってる状態かもしれません。

そうならば「なにもない」を「なにもない」として認識する、その意識の強調作用を見るかもしれません。 なんであれ、そうしてる自分が、そうしてる自分、と認識するしかないかもしれません。ということも、知識にすると、その分、余計に困難と感じるかもしれません。

そいう問題は掃いて捨てるほどあるのですが、芋蔓式に思考が続いて定まらない、このことも大切、でしょう。でも、こういうことは、自我は虚構、の了解で、一気に決着します。

それで、それまでの紆余曲折が、その人の経緯として意味をなします。 そうでないなら、その人は、そうでないというだけで、とくに知識として対象にすることに、その責を総て負わせるわけにもいきません。その責を知識に負わせることは、そういう自分であること、からの逃避でもあり得ます。

No.3653 - 2011/08/31(Wed) 15:00:19
ある?ない? / ubik0101
たとえば自分がいなくても、世界は、ある?自分がいないと世界は、ない?という疑問は、世界と自分、その関係を前提としてなされる相対的な問題です。そうでなくて、この世界がなくても、自分は、ある、でしょうか?

たぶん迷走しながら続きます。

オクラの花です。ムクゲとか、芙蓉とかに似てると思います。

No.3626 - 2011/08/22(Mon) 09:43:39

Re: ある?ない? / ubik0101
ちょうど雨上がり、ムクゲが咲いていたので撮ってきました。
No.3627 - 2011/08/22(Mon) 09:59:09

Re: ある?ない? / peer
どれを主体にしたのか。だけのような気がする。
自分を主体にすると、世界は従属したモノになって
「自分がいないと世界はない」となり
世界を主体にすると、自分は従属するモノになって
「自分がいなくても世界はある」となる。

この世界がなくても、自分は、ある
というときの「世界」は何を指しますか?
「自分」とは、何ですか?

No.3628 - 2011/08/22(Mon) 15:02:03

Re: ある?ない? / ubik0101
ふつうの日常では、世界がどうだろうと、いい加減で適当で大雑把な言い方ですが、自分は、ない、です。これは、(a)自分を、自分で知覚・・・自覚でき、ない・・・さらに(b)自分は知覚の範疇にないので・・・ない、と呼んでおこう、という意味。(c)あるいは、ないとは思いもしなかった自分はない、という自我の了解体験、の意味です。

とりあえずは(a)・・・青空、積乱雲、蝉の声・・・見たり聞いたり思考したすること、知覚、は差の認識です。たとえば青空の知覚は、青空でないなにか自分、この認識できない何か、との差を認識しています。これは、関係、が前提です。

つまり、差を認識するそれ自身は、それ自身とは差が認識できず、関係が生じず、関係を前提にする、ない、ある、の範疇では捉えられません。これを、ふつう、自分、と呼んでいます。これは、知覚できないので、なにか個別な特定なことだと表現できないです。あるとか、ないとか言うことさえ、正確には、誤りです。

そして、この世界には、まったく関係のないことはありません。たとえば仮にそれを個別のこととして取り出すとしてですが、なにかと、ほかの何かは繋がって(どんなことであれ関係を概念として解釈すると、因果、と呼ばれ得)ます。この知覚できるなにか・・・物質、身体、知覚、感情、思考・・・を世界と呼びます。それも実際、なにがなんだか分からない、こと、です。

ところで、なにか関係があるということは、(なにかと、ほかの何かが)同じでも、違うででもない、という意味です。 どちらかでもあるなら、関係が生じ得ないということです。 この意味で、世界は、まったくの融合も、逆に、まったくの分離、個別の独立したこともありません。あれば、関係が生じません。

続きます。

ゴミ捨て場に発生して、ネーブルの木に這い登って実をつけた南瓜です。これは2週間ほど前の画像です。

No.3629 - 2011/08/22(Mon) 18:09:41

Re: ある?ない? / ubik0101
そして、それ自体がそれ自体を認識できないという(a)とは意味合いが違うのですが・・・知覚の範疇にないという意味での、ない、(b)は、この自分・・・これを自己と呼んでいます。それも比較できず、特定な個別のこととしては表現できません。

そしてまた、まったくの虚無も、まったくの実在も、同様に知覚できません。つまり世界は虚無でも実在でもない、だから関係があり得て知覚できる、ということです。そしてなぜ、そうだと、また関係があると、知覚できるのか、という疑問は、あります。

そして(c)・・・自我はない体験。これもさまざまですが、ふつうに考えても、ない、ということは、総てを見なければ、確定しません。自我が生じる仕組みを見るということは、世界の総活動・・・縁起とか中道とか呼んでいます・・・を要します。そこで、知覚の範疇を超えます。

でなければ、知覚の範疇にない、とかいうことの認識はできないでしょう。この、わけのわからない世界が、知覚の範疇にない、ない、から、知覚の範疇にない、ある。を創ろうとしてる、とも言えます。この、ある、には因果がありません。これは、ふつうの日常がそうです。

今日の南瓜です。

No.3630 - 2011/08/22(Mon) 18:22:24

Re: ある?ない? / peer
「この世界がなくても、自分は、ある」

この世界は関係によるもので、それを知覚・認識できないから「世界はなくても」ということ?
で、自分を、自分で知覚・・・自覚でき、なくて・・・さらに(b)自分は知覚の範疇にないので・・・ない、なら「自分は、ある」とならないようで・・・。うーーむ。どういうこと?
結局、あるかないか分からないと書いてあるようですが。

No.3631 - 2011/08/24(Wed) 04:56:29

Re: ある?ない? / ubik0101
それでは、まずは。ある、ない、の定義をすることから初めてみます。たとえば、冷蔵庫が、ある、という場合。それは、それが、それとして機能していて、それとして知覚できる、という意味です。 そこで、それが機能してない、知覚できないなら、ない、と言います。

たとえば冷蔵庫が壊れた、とします。すると、食品を冷やす機能としての冷蔵庫としては、ない。壊れた冷蔵庫としては、ある、です。そして。壊れた冷蔵庫を捨てたら、知覚としても、ない、です。そこで。うーん、このままでは困る。という感情や思考が、機能して知覚されてるなら、その感情や思考が、ある、です。

くり返しますが、ない、とは。それが、それとして機能してないで、知覚されない、という意味です。たとえば、新しい冷蔵庫を買うお金が、ない、ということは。お金として機能する、知覚される紙幣がない、です。冷蔵庫がある便利さ、余裕、安心が、ない、です。これは見える範疇の世界でのことです。

ところで、です。そうでない、機能してないで、知覚されないこと、もあります。たとえばpeerさんが、彫刻の技術に熟練したとします。そうだとして、映画を見ていたりして、その技術を思いだにしてないとき、その技術は、ない、とは言えないでしょう。

というのは、彫刻刀を握りしめた瞬間に、いきなり熟練した技術が、そこで発生するわけではないでしょう。そして実際に仏像とかを彫ってるとき、その技術が、あるとかないとかの、意識さえない(まったく彫刻に打ち込んで、ある、ことを、その自分が、ない、技術が、ない、と言うことも)あるかもしれません。それは、人、ならではのこと、ではないでしょうか。

続きます。

完熟ゴーヤです。

No.3632 - 2011/08/24(Wed) 21:09:19

Re: ある?ない? / ubik0101
この、この人、その、まったく人間関係でなく、個人のこと。その人が、その人であること。これこそが焦点です。この掲示板とかで言う、獲得された良い特質、たとえば素直・・・真摯で正確・・・なことは、そのようなことです。素直なら、人が自分が素直と思考しても、思考しないでも、そういう知覚に無関係に、素直なんです。素直で、ある、ないの思考に依存せず、素直にある、です。

たとえばまた「悪いことをしない、良いことをしよう」ということも、善悪の思考の、あるない、に依存しないことです。これはもう、思考の範疇にないことであり、さんざん自我において学んだことであり、変な言い方ですが、半分解脱です。これは(ほかの誰かとの)関係から学ぶことの。世界の、知覚の、範疇には収まりません。

これは、たとえば「見るものは見られるもの」、「世界は自分」。と見なしてしまっては、そのことは自分はない、に拘り偏りすぎていて、この探求は続けられないかもしれません。自分の、あるない、は関係の、知覚の、世界の範疇の、ある、ない、ではありません。 もっと深く、深く、その学ぶ自分の、その、ある、ない、の問題です。

これは、自我を、無我を、自己を、生きる。さらに理解することによって自我と無我と自己の区別を失って。この、なにが何だか知りようがない日常に埋没して、因果を失って、知覚の範疇にない、ある、は醸し出されるように確信できるという経緯を踏む必要があるかもしれません。

半分に切った完熟ゴーヤです。その熟れた種を包んでるゼラチン質は、まったく癖のない甘みがあります。

No.3633 - 2011/08/24(Wed) 21:39:29

Re: ある?ない? / peer
{たとえば、冷蔵庫が、ある、という場合。}
この冷蔵庫は、世界。という意味になりますか。
それを見る自分という視点。それが自分であり
見られているモノすべてを世界とする。のかな。
とすると、彫刻の技術というのも、世界。
獲得された良い特質、たとえば素直・・・真摯で正確
というのも世界と言えそうです。
・・・ちがうかなぁ。
獲得された良い特質、という視点でモノゴトを見る。
素直・・・真摯で正確・・・という視点で見る。
そんなこともありそうですし。
つまり、自分と言う確定したモノもない。
視点が変わるから全体を見ることができる
という機能がありそうな。

完熟した、中身・・・初めて見ました。可愛い〜

No.3634 - 2011/08/25(Thu) 12:11:45

Re: ある?ない? / ubik0101
たとえば冷蔵庫、身体、感情、思考・・・どのような、もの、ことも・・・世界の範疇にある機能してて知覚され得ることです。そして、あるいは善、あるいは素直さなどの良い特質の始まりは、そのような世界の範疇にある概念、としてあるのだとしても、獲得された結果は、ほとんど知覚の範疇には、ありません。知覚されなくても、機能してることです。

そんな良い特性は、自覚できない自分と分離できないこと、その意味での属性・・・いい加減な言い方では、身に浸みたこと・・・とも呼べます。それは、世界の範疇の善とかの思考があっても、なくても、そもそも思考として失われても、なくなることはなにもない、です。それで、なにかを見ても見なくても、それを捕まえておかなくても、無問題です。

そういえば彫刻の技術・・・そこで学ぶ、あるいは大胆にして繊細・・・そんな注意深さ・・・とかもそうかもしれません。これは不注意、大雑把の、対極にあることでない、良い特質かもしれません。これは彫刻の技術から、というより、仕事からでも、遊びからでも、ふつうの生活からでも、傲慢、謙虚の概念からでも、この世界を通じて、世界に収まらないことが醸しだされてる、のではないでしょうか。

それにしても、この世界、それは、それを対象にしなくても、見たり聞いたり触ったりされる。という不思議さに、やはり驚嘆してしまいます。

もう稲穂ができている、たんぼもあります。

No.3635 - 2011/08/25(Thu) 21:12:02

Re: ある?ない? / hato

完熟ゴーヤは、とてもまろやかな、やさしい甘みがしました。果物のようでふしぎでした。

それで、こちらはもう、すこし前から鈴虫のいい音が。
夏も終わります。

入り口の、扉の前のプリペットの葉が気に入ってるのか、トンボ。こうして休んでるのを、よく見かけます。

No.3636 - 2011/08/27(Sat) 23:12:54

Re: ある?ない? / hato

夜には、列になって眠っています。きれいに揃って。

アキアカネ・・・または、オオキトンボでしょうか・・・種類はよくわかりません。アキアカネは日本を代表するトンボで、オオキトンボは、絶滅危惧種だそうです。

この辺りでは、さまざまな種類のトンボを見かけます。

No.3637 - 2011/08/27(Sat) 23:15:15

Re: ある?ない? / peer
>たとえば冷蔵庫、身体、感情、思考・・・どのような、もの、ことも
>・・・世界の範疇にある機能してて知覚され得ることです。


知覚されても、されなくても、出来ても出来なくても
魚は水の中でしか生きられない〜もので〜
魚が最初にあって環境が合わせるのでもなく、始まりに
環境があって、それに適するように生物は変化している、のね。
おのおの、状況に合うように。

>完熟ゴーヤは、とてもまろやかな、やさしい甘みがしました。
>果物のようでふしぎでした。


おぉ。やっぱり果物のようでしたか。そうかな〜と思ったけど。
今日、お客さんに完熟ゴーヤの話をしたら
実がはじけて中から赤いタネが飛び出しているのが
「気持ち悪い」と言ってました。
それで完熟する前に切り取ってしまうのだとか。
人それぞれで色々な思いがありますね。

No.3638 - 2011/08/28(Sun) 02:53:30

Re: ある?ない? / ubik0101&hato

あくまでたとえですけど。空を飛ぶ魚も、海に潜る鳥も、いるってことです。なにか、こうだ、と定義したら、そうでないことが現れるようです。

ubik0101

>環境があって、それに適するように生物は変化している、のね。

たとえば、環境がはじめにあって・・・と順序だてて思考されるのは、世界の機能の故かも、知れません。人の脳が認識しやすい順序立てや、筋道があるでしょう。その意味での解釈とは多く、機能の範疇といえます。単なる癖、かも知れないし、知覚されざる自我、かも・・・知れません。

膨大無尽蔵の、掴みどころもない様相は、なんとか手懐けて整理しておきたいもの、なのかも、知れません。

hato

メダカの餌の容器の上に、すこし大きくなったアマガエルが、ちょこんと乗っていました。

No.3642 - 2011/08/28(Sun) 22:26:25

Re: ある?ない? / peer
空を飛びつづける魚はいないし、海に潜りつづける鳥もいません。
まぁ、つまりは、頭で考え空想することはどんなことも可能です。
しかし行為は制限があります。限界を広げ続けることはできます。
頭と行為が、どこまで一致させることが出来るか。じゃないでしょうか。
わたしたちの冒険は。、

No.3647 - 2011/08/30(Tue) 09:39:41
知覚されない機能。 / ubik0101
では、素直さ、注意深さなどの、良い特質は、どうして機能していて知覚されない、と認識できるのか?という疑問があるかもしれません。それは、自我に関係します。たとえば、自我は、ああでもない、こうでもないと争う思考、葛藤、だとします。

それは思考の動きであり、知覚されることです。そうではなくて、自我そのこと、は知覚できません。その知覚されない自我が、生活において折に触れて、人の行動、発言、思考に現れるようになって、知覚される、です。

たとえば、自我の機能である、自分は特別だという感覚も、それが自覚される場合があります。また特別感だとは、自覚されずに、現状が不満で、過去や未来に逃げて、それを作りかえること・・・として現れることがあります。それは、苦痛を伴うかもしれません。

でも、空想だとしても、神のように世界を作りかえてるという愉悦でもあり、そうだとは知覚されない特別感だということもあり得ます。それは現実と空想の区別ができない自分を作ってるかもしれません。それは、その人が、そう望んでるほかではありません。

続きます。

No.3639 - 2011/08/28(Sun) 15:31:30

Re: 知覚されない機能。 / ubik0101
また、たとえば「思いは実現する」。あるいは「引き寄せの法則」。それは、知覚できる何かと何かを・・・たとえば思考と、物質や環境・・・など、まったく関係ないことは世界にはないのですが・・・そのさほど関係のないことを、殊更に関係づけて捉える思考です。

それは、形式として因果です。そして、因果は、世界の総活動、縁起の理解のつもりの誤解でしかありません。それは欲望に迷う自分を作ってるかもしれません。それは、その人が、そう望んでるほかではありません。

こういうことに芋蔓式に逐一気がつくことは役に立つとは思います。けど単純に、たとえば自覚でき得る葛藤を観察することも・・・自我としての思考が知覚されずに静かということも・・・それは、まさに始まりも終わりもない迷いで・・・自我の範疇で・・・それでは自我を解決することは直接的には不可能です。

くり返しますが、自我は、その殻だけが知覚にとってあるのです。その核は、ない、です。その知覚されない自我こそ、自覚される自我より、根が深い問題です。しかし、それだからこそ自我は、役に立ちます。

続きます。

No.3640 - 2011/08/28(Sun) 15:36:31

Re: 知覚されない機能。 / ubik0101
それはまず、機能として、ああでもない、こうでもないと世界中を迷い探っています。ああだ、こうだと過去に未来に不可能な時間旅行をしているのです。そのように自我は迷いながら学んでいる、そのことでしかありません。 そして、この世界にある、どんなことも、自我ではないのです。

たとえば冷蔵庫のような物質も、身体も、知覚も、感情も、思考も、自我そのこと、ではないのです。でも、それを使って、それに使われて機能してた、自我は虚構、と了解することには、世界の範疇に、ない、ことの知覚を発現させる機能があります。そこには変化があらざるを得ないのです。

それは、とりあえずは、良い特質です。日常でいえば、10年間も自転車に乗ってなくても、乗れるのです。それは、それを転びながらでも練習した人、練習しなかった人、違って当たり前です。

それは個人のことであり、ほかの誰かがどうだということには、一切、無関係です。たとえば、分離がある。にも、分離がない。にも、無関係です。そして、良い特性を属性とする、自己。それは世界の範疇の、あるない、にはない、です。

まだ小さいけれど、デッキの上の、ヤマホロシです。

No.3641 - 2011/08/28(Sun) 15:54:07

Re: 知覚されない機能。 / 咆哮
ヤマホロシ
薄紫と黄色の色合いは朝日が昇る直前と月の様で、幻想的に感じています
その植物、始めて見ました。
形状が特に好きです、斬新。

No.3643 - 2011/08/29(Mon) 08:08:01

Re: 知覚されない機能。 / ubik0101&hato

ヤマホロシは、垣根なんかに好適な常緑の蔓性植物で、花も5月ころから10月過ぎまで、次々と咲き続けます。通りかかると、なんか嬉しくなります。山を滅ぼすほどに繁るので、その名前がついてるそうです。ツルハナナス、とも呼ばれます。

ubik0101

前のアパートに住んでるときに、まわりの住宅にあるのを見つけて、ふたりともすきになりました。近くの花屋さんで買って、アパートの入り口の垣根に絡ませて、今年はそこでもきっと、花をつけてるでしょう。

hato

アパートで撮りました。地植えがよいのですが、植木鉢でも、大丈夫です。

No.3645 - 2011/08/29(Mon) 11:30:12
みどりの庭から / hato

睡蓮の花。

No.3612 - 2011/08/06(Sat) 21:44:41

Re: みどりの庭から / hato

水に映った空が揺れるなか、静かに咲きます。

No.3613 - 2011/08/06(Sat) 21:46:08

Re: みどりの庭から / hato

なんてきれいでしょう。

No.3614 - 2011/08/06(Sat) 21:46:35

Re: みどりの庭から / hato

小さな白い、薄桃色の花びらは凛として
みどりの庭から、最初の、睡蓮の花です。

No.3615 - 2011/08/06(Sat) 21:48:19

Re: みどりの庭から / hato

午前中の、わずかな時に開きます。

No.3616 - 2011/08/06(Sat) 21:50:09

Re: みどりの庭から / suho
いやいや、ほんと美しい。。・:*:・(*´∀`*)・:*:・

ちょっと他の花とは質の違う美しさですね。
まだ、蓮の花撮ったことないんですよ。

撮りたくなってきました。。

No.3619 - 2011/08/08(Mon) 20:54:54

Re: みどりの庭から / hato

> ちょっと他の花とは質の違う美しさですね。
> まだ、蓮の花撮ったことないんですよ。



すいれん科の、蓮根ができる大きな蓮とは違いますが、睡蓮、小さい花が、とてもいいですね。雨がひとしきり降ったあとで、水滴にも風情があって。ubik0101さんも嬉しそうに見てます。赤いのも植えてみようと言ってるんですよ。


> 撮りたくなってきました。。


suhoさんは、とても繊細に美しく撮るでしょうね。こちらやはり素人です。一番上の画像は、suhoさんの素カメラですよ。メタボンのときからいじってませんが、画像の大きさ、充電後、ちょうどよくなったみたいです。もう一枚。メダカの楊貴妃も映りました。

No.3620 - 2011/08/08(Mon) 21:50:22

Re: みどりの庭から / suho
> すいれん科の、蓮根ができる大きな蓮とは違いますが、睡蓮、小さい花が、とてもいいですね。雨がひとしきり降ったあとで、水滴にも風情があって。ubik0101さんも嬉しそうに見てます。赤いのも植えてみようと言ってるんですよ。


ははー。小さい蓮なんですね。ますます興味がわきました。


> suhoさんは、とても繊細に美しく撮るでしょうね。こちらやはり素人です。


うんにゃっ。


>一番上の画像は、suhoさんの素カメラですよ。メタボンのときからいじってませんが、画像の大きさ、充電後、ちょうどよくなったみたいです。もう一枚。メダカの楊貴妃も映りました。


でしたか。使っていただいて何よりです^^
メダカと比べると花の大きさの察しがつきますね。
いろんな花があるものだな−。

No.3621 - 2011/08/08(Mon) 23:35:45

Re: みどりの庭から / potanpotan
> 睡蓮の花。

うつくしい・・というか清憐ですね〜
大きな水がめに睡蓮とメダカ・・実は憧れの1つです。

娘(6歳)が「蓮実(はすみ)」というんです。

蓮の実って2000年以上前の化石状態から発芽したりするんですよね。すごい生命力。

あのジョウロのような中にある蓮の実もおいしいんですよねー。

hato&ubik0101さん、私のブログにコメント入れていただいていたのですね!さっき久しぶりに自分のブログを見て気が付きました。

タヌキ・・かわいい。タヌキって漫画のようにまるっこおくて太ったイメージがあるので、本物をみるたびに痩せてるって感じます。呼ぶとやってくるなんて!
横浜のこのあたりもタヌキがいるんですが・・皮膚病が流行しているらしくて・・かわいそうな姿ばかりなんです。
捕まえて獣医さんに連れて行こうとしましたが・・失敗。

No.3622 - 2011/08/11(Thu) 19:15:38

Re: みどりの庭から / ubik0101&hato

> 娘(6歳)が「蓮実(はすみ)」というんです。


蓮実さんて、とてもすてきな名前ですね。そういえば、レンコンが蓮からなると知ったときはけっこう驚きました。


> タヌキ・・かわいい。タヌキって漫画のようにまるっこおくて太ったイメージがあるので、本物をみるたびに痩せてるって感じます。呼ぶとやってくるなんて!


タヌキの愛称、ubik0101さんは、タンタンもよさそうでしたが、タンタンタヌキは雄ですけど、このタヌキは雌なので・・・というわけもないのですが、ポンポンになりました。つい今さっき、懐中電灯を照らして呼んでみたら、かわいらしく出てきました。お腹がすいてるとき、嬉し気に出てきます。ミルクとご飯を食べてる間、一緒にいました。

しばらく前まではカップルでいて、子供の声も聞こえていたのですが、子供は病死か、イタチに食べられてしまったかも知れません。この辺りではタヌキは有害とされていて、畑に毒をまく家もあるようです。雄や子も、それにあたってしまったかも知れません。悲しいですが、白骨化したタヌキを庭の近くで、すこし前に、ubik0101さんと見ました。

ポンポンを見かけると、声をかけて、ご飯を食べてるちょっとの時間を、一緒に過ごします。

hato


> 横浜のこのあたりもタヌキがいるんですが・・皮膚病が流行しているらしくて・・かわいそうな姿ばかりなんです。
> 捕まえて獣医さんに連れて行こうとしましたが・・失敗。



この庭のタヌキも、冬に最初に見かけたときは、ほとんど毛がない状態でした。どうやらダニによる疥癬のようです。でも暖かくなって、栄養もよくなったのか、自然に治ってきました。

ubik0101

No.3623 - 2011/08/11(Thu) 22:15:53

Re: みどりの庭から / potanpotan
> しばらく前まではカップルでいて、子供の声も聞こえていたのですが、子供は病死か、イタチに食べられてしまったかも知れません。この辺りではタヌキは有害とされていて、畑に毒をまく家もあるようです。雄や子も、それにあたってしまったかも知れません。悲しいですが、白骨化したタヌキを庭の近くで、すこし前に、ubik0101さんと見ました。

(;△;)
なんて・・人は自己中。かなしい。


> ポンポンを見かけると、声をかけて、ご飯を食べてるちょっとの時間を、一緒に過ごします。

きっと、お二人のおうち気に入っているのですね。居心地がいいのですね。タヌキを駆除しようという人もいるのに、人との間に信頼はあるのですね。以前にも優しい人に出会ったことがあるのかな。
ポンポン、美味しそうでも毒を食べては駄目だよ。超真剣に話せばきっと伝わるとように思います。

> この庭のタヌキも、冬に最初に見かけたときは、ほとんど毛がない状態でした。どうやらダニによる疥癬のようです。でも暖かくなって、栄養もよくなったのか、自然に治ってきました。

静岡のあたりでもやはりそうなのですね。
全国的に流行しているのかな。

No.3624 - 2011/08/12(Fri) 17:43:25

Re: みどりの庭から / ubik0101

ネットで検索したら、たぬきの疥癬の相談が、けっこうありました。レボリューションという薬は効果があるようです。が、頭の後ろに滴下するそうです。それは、仲良くならないと難しいでしょう。

それに、野生動物に餌を与えるのは問題があるようなのですが、与えないと、畑を荒らして駆除の対象になるかもしれません。それも問題です。しゃくし定規にはいかないところだと思います。

ubik0101

たぶん、わたし達より以前から、空き家の床下にいたと思います。先住民、でしょうか。

あっちの家には行ったらダメだよ、って言い聞かせているのですが、隣家で人の声がすると気になるようです。むやみに人に懐いていかれてもかえって危なくて。タヌキは狂犬病があるかも知れず、触れてもいけないそうで、野生動物は難しいですね。できることをするしかないと思いますね。

睡蓮のしまいは、真上からです。

hato

No.3625 - 2011/08/12(Fri) 22:52:33
差の認識 4 より / peer
>消えたんです。ホワイトアウトしたのです。
・・・・
>神は消えるんです。まだ距離がある間は、その神の概念を感じられるのです。

うーん。なんだろうな。。。こんな場合わたしの感覚だと
自分のほうが消える。見ている視点がない。
ような気がします。
起きているコトだけがあって、どこにも中心がない。
そんな感覚なんだけど〜

うん。後から、その概念が追い付いてくるような感じ。
何が起きたのかを考えて、理由づけるみたいな。
その時は、その瞬間は・・・分別がない・・んだろうなぁ。
自分の視点あるときは、、、それも、、また妄想のひとつか?

No.3603 - 2011/08/03(Wed) 12:15:21

Re: 差の認識 4 より / ubik0101
んーと、この日常で、自我も無我もないです。起きてることだけが自覚されて、それを自覚する中心が、どこにもない、というのも、ないです。もちろん、それは、中心が、ある、でもないのです。

それで、説明すればですけど、あるでも、ないでも、どういっても誤り、ということです。そう区別して表現するとしてですが、自我あって自我に依存できず、無我あって無我を超え、ということです。

と、いうことを概念として思考しても、その中心が、ないでも、あるでも・・・どちらの偏りも・・・ない、ということです。これが人の日常です。

>起きているコトだけがあって、どこにも中心がない。
>そんな感覚なんだけど〜


もしかして、それはsrkw仏陀さんのhpで読んだことがあって、うろ覚えですが、《人無我》かもしれません。それは《法無我》と補完しあうようです。そこで《人無我》状態で、《法無我》の意味を探索してもいいのですが、ちょっと違います。自分の有り様を真摯に正確に認識することで、です。

>うん。後から、その概念が追い付いてくるような感じ。
>何が起きたのかを考えて、理由づけるみたいな。
>その時は、その瞬間は・・・分別がない・・んだろうなぁ。
>自分の視点あるときは、、、それも、、また妄想のひとつか?


そ。自分の視点がないときは、、、それも、、また妄想のひとつか?です。まさに道は・・・この光あふれる、風、緑の木々、蝉の声・・・この日常・・・目前にありです。

No.3604 - 2011/08/03(Wed) 14:36:35

Re: 差の認識 4 より / ubik0101
と、いうことで補足です。

それで、見る聞く観察する、その中心が、あるない、と言っても、その中心、その正体は、何?あるないって、何?そもそも世界って、何?を追求することは必然でした。それが何かが明確でないで、中心がないと感じても、思考しても、これ、そのことが、何?これは微細な思考で、注意深く粘り強く探求しなければならないと思います。探求は、ほとんど不可能かもしれない、と感じる、そこ、それを、です。

それは世界とか意識、知覚とかいうブラックボックスを使うというより、それを開ける感覚です。 なんかビデオゲームのように、ずっと遠くで動かしたスイッチが、ほかのところで効いてくるといった・・・一筋縄ではいかない・・・そんな感覚を幽かに感じながら・・・思考する。その思考って、どんな機能、特性があるのか・・・ それで、思考が消える、その消えてる思考は、どうなってる?

たとえば、知覚にとって、ない、ということが、ほんとーに厳密な意味で、ない、か?とか、手掛かりはあるので。もう、自我とか無我とか言ってられない、どんなに迷ってもいい、総て崩しても、とにかくやってみよう。そこで使えるもんだったら、自我の機能だって使おう。ふつうの日常の意識で。大雑把に言えば、こんな感じです。

人無我、で検索してみました。

http://blog.livedoor.jp/kazusa69/archives/51710411.html

No.3607 - 2011/08/05(Fri) 09:46:50

Re: 差の認識 4 より / peer
>この日常で、自我も無我もないです。起きてることだけが自覚されて、それを自覚する中心が、どこにもない、というのも、ないです。もちろん、それは、中心が、ある、でもないのです。

まぁ。なんつーか。過去の記憶というものは、自己解釈にすぎない。みたいな感じなのですが。
記憶って、完全に書き変えていたり、妄想だったり、いい加減な物じゃないかな〜と。
昨日の事、一昨日の事、一年前、三十年前。過去、記憶している事は本当にあったことなのか。
そこまで行かなくても、記憶として覚えているのは、どうしてか。
ほとんど忘れてしまう・・・でしょ?。昨日の事も、三十年前のことも。特別に記憶力の優れた人はいますが。
記憶というのは感情と一緒になると記憶しやすいものなので、感情と切れていると、忘れやすいし。
嬉しい・悲しい・恥ずかしい・楽しい。と結びつくと、記憶される。
そういう記憶は、何度も思い出すから、忘れにくいんですよね。
しかも、何度も思い出すたびに、書きかえられていたりする。今に、都合良く解釈され直され。
記憶情報(空間情報)というのは、石でも草木でも、持っているらしいです。
そこにアクセスできる人が言う事も、それも自己解釈である可能性であるような気もするし。

No.3609 - 2011/08/05(Fri) 12:24:21

Re: 差の認識 4 より / ubik0101
たとえば、シャツの洗濯、蝉の声、積乱雲・・・ここで静かに座っていても、エンジン草刈り機を使っていても・・・よーするに、見る聞く。行動、発言、思考。それは、言ってしまえば、過去もない、未来もない、そして、いまここ、もない・・・その意味としては、過去も未来も現在も、どんな解釈も不可能、ということです。それで、日常が神秘、世界の不思議に気がつきます。

なのに、この、ただこうある日常・・・一切・・・それを、なにか不満なのでしょうか。束縛と見なして、それから逃げたい・・・そんなことも自我の機能ともいえるかもしれません。それで過去に、未来に逃げて。それらを解釈することは、それらを作り変えてるのでしょう。 なら、いまここも作りかえるでしょう。

たとえば人間関係の葛藤。 それは他から被ってる、受動。 ということで、しかも苦痛ゆえに、現実のように感じるのですが、それは、そう自分で解釈してる、自作自演の結果ってこともあるでしょう。それと、記憶を作り変えてるとして、そうしてることが自覚できないなら、とても愚かさに捕らわれてるのでしょう。そうでもなければ、作りかえる理由はないかもしれません。 これも、ひとつの自我の経緯です。

それで、どんな経緯だとしても、自分を知る。たとえば、自我は虚構、と了解する。このことは、作用として解脱です。だから大事なのです。そこで、その自我という、自己、の代用、補償作用が不要になります。無理に、なにか解釈して、この不思議、神秘から逃れたいことを要することがなくなります。この、あるいは静かな、中道と呼ばれる激流に安らぐ、です。

ネットで見たのですが、人それぞれ、さまざまな経緯と体験があります。なにかの虫が自分だったり、ほかの誰かが自分だったり、自動車が自分だったり・・・それを体験することで、その完全燃焼で、反応の範疇を超える。そんな体験もあるようです。

しかし、知覚の範疇にない・・・自己。そうならば、《ひとつ》でも、意識と無意識の融合でも、光の体験でも、世界が消えようが、自分が消えようが、なんだろうが、その特定な体験が問題ではないです。その体験で一切を解釈しては、誤りです。大事は、解脱です。体験を意識化するとして、素直・・・真摯に正確・・・に、理解しなくては、解釈になります。

それで、オクラホマミキサーの話は、日常意識がそこに追いついたので、思い出したのだと感じています。それは、こういう対話がなければ、忘れられたままだったかもしれません。おおくの人に、そいうことがあるかもしれません。

No.3610 - 2011/08/05(Fri) 21:26:04

Re: 差の認識 4 より / peer
>それで、オクラホマミキサーの話は、日常意識がそこに追いついたので、思い出したのだと感じています。それは、こういう対話がなければ、忘れられたままだったかもしれません。おおくの人に、そいうことがあるかもしれません。


そう。自分にとって覚えておきたい記憶は、意識的に覚えている。
しかし、そんなふうに、何かの切っ掛けで思い出す事は。
もしかしたら、自分のため。ではない。のかもしれない。
思い出すべき記憶は、その準備が、その場に整っているかどうか。
・・・なんてことも、あるかな〜と。
その場のため、誰かのため、自分のため。の三位一体・・・。

No.3617 - 2011/08/08(Mon) 13:54:04

Re: 差の認識 4 より / ubik0101
ま。それはそれとして。自分はいなくても、世界はある、も。自分がいないと、世界はない、も。どうでもいい。そこで、 こんな疑問?が生じました。この世界がなくても、自分は、ある?

いつかゴミ捨て場に捨てたのであろう種から発芽した南瓜が、栄養がいいのか、日に日に生長して。ネーブルの木に這い上がって、花が咲いて結実(左が南瓜、右がネーブル)しました。

No.3618 - 2011/08/08(Mon) 18:35:06
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