ところで。ずっと前のsuhoさんのブログに、自分の頭の後頭部は空想、という記事がありました。まあ、自分の脳だって、知覚できないです。この意味では空想です。
と、思うと、その自分の後頭部とか脳とか、を曖昧ですけど空想できる気持になります・・・と、いうこの思考は知覚されてることです。
もし自分の後頭部が、虫に刺されて痒かったり、自分の手で触ったりすると、後頭部が、ある、と認識できます。
ここで、自分の後頭部でも、思考でも、ある、という言葉は、なにかが機能していて知覚される。という意味で使われています。それでは、ある、ということは、それだけでしょうか。
なんでもいいのですが・・・ここからは福島の原子力発電所が見えません。ここからの知覚にとっては、ない、です。思考にとっては、空想です。そして事実は、放射能を撒き散らしています。
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No.3440 - 2011/05/27(Fri) 16:59:17
| ☆ Re: 思考は正確 / ubik0101 | | | と、思考します。この思考は、機能していて知覚されることを、ある、と定義するという意味で、ある、です。けど、ここで、思考には、空想と事実との識別はできないようです。と、いうことに気がつくのではないでしょうか。
たとえば、実際に自分の後頭部を触って認識したとしても、そのような空想をしたとしても、思考は、どうやら事実と空想の識別をしてないようです。このことは、思考はそう機能せざるを得ず、それは思考が正確に機能する、ということの一端のように思われます。
ついでに・・・もちろん、自分の後頭部や脳は知覚されません。また、こう思考してる自分は知覚されません。それを、ない、と呼べるでしょうか。そう呼べるとしたら、 なにかが機能していて知覚されない、ということを、ない、と呼ぶ、という定義があるということです。
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No.3441 - 2011/05/27(Fri) 17:01:32 |
| ☆ Re: 思考は正確 / suho | | | > ところで。ずっと前のsuhoさんのブログに、自分の頭の後頭部は空想、という記事がありました。まあ、自分の脳だって、知覚できないです。この意味では空想です。
はい。そーいえばそのようなことを書いた記憶があります。 > と、思うと、その自分の後頭部とか脳とか、を曖昧ですけど空想できる気持になります・・・と、いうこの思考は知覚されてることです。
はい。思った、が知覚されている。 > もし自分の後頭部が、虫に刺されて痒かったり、自分の手で触ったりすると、後頭部が、ある、と認識できます。
その時「後頭部だ」という認識があるかどうかは別として、知覚はあるでしょうね。 誰かに、頭の後ろに虫がいるよ、と声をかけられて触る場合には「後頭部」という認識が、あると思います。 > ここで、自分の後頭部でも、思考でも、ある、という言葉は、なにかが機能していて知覚される。という意味で使われています。
何かが機能して、という意味は、例えばこうやってPCを打つという動きがあるとき、手やPCを、ある、と認識しているという意味でしょうか? すみません。ubiさんがおっしゃっている「ある」というものがどのような意味なのか把握できていないです。 たとえば、こうしてPCを打っていても、PCがある、手があるという認識自覚はありません。が、誰かに何しているの?と問われれば、PCを手で打っている(とは言わないでしょうけれど。。)とそこではじめて言語上で認識し、説明上します。 普段は「ある」「ない」という自覚なしに、ただ知覚の流れの中で活動しているのが実際と感じます。 他者、あるいは何かの言語を認識したときに、そこで何かを問われれば「ある」「ない」という認識が立ち上がる、ということなんですが、そういう意味ではなくて?
>それでは、ある、ということは、それだけでしょうか。
うーん。上の「ある」「ない」がまだ理解できていないので。。 > なんでもいいのですが・・・ここからは福島の原子力発電所が見えません。ここからの知覚にとっては、ない、です。
はい。実際に見えないので知覚されて、ない。はい。
>思考にとっては、空想です。そして事実は、放射能を撒き散らしています。
思考にとって、というか、そこで想起しているのは福島原発の記憶(空想)ですね。そして放射能を撒き散らしている、というのも知覚されていない、という意味で放射能拡散という情報の記憶(空想)ということになりますか。 けれど、それは、直接近くされていなくても、過去に認識した情報から、実際に物理的に起きていることだ、という認識があるから、それは事実だ、と思考していますね。
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No.3442 - 2011/05/27(Fri) 20:53:06 |
| ☆ Re: 思考は正確 / suho | | | > と、思考します。この思考は、機能していて知覚されることを、ある、と定義するという意味で、ある、です。
はい。そのように思考が機能していることが「知覚」されていれば、ある、と説明する、ということですね。
>けど、ここで、思考には、空想と事実との識別はできないようです。と、いうことに気がつくのではないでしょうか。
すみません。思考には、ということですが、僕がここで思考と表現しているのは、記憶の運動のこと、として使っています。思考は機械的な運動であり、つまり記憶という情報を引き出したり、ある条件のもとで照合したりと、つまりPCのように何かの知覚に反応して、記憶が運動する、という意味で使っています。 そういう意味で、たとえば「空想」という定義(記憶)があって、「事実」という定義(記憶)があって、その判別をしなければいけない状況にある場合は、その定義にしたがい自動的に照合する、ということではないでしょうか? そういう意味では、識別できると思います。
そうではなく、たとえばこのように思考(記憶の運動)が起きているそのこと(つまり知覚)を「事実」というのであれば、思考自体は、みずからの運動を「運動している」とは認識できないと感じます。 > たとえば、実際に自分の後頭部を触って認識したとしても、そのような空想をしたとしても、思考は、どうやら事実と空想の識別をしてないようです。このことは、思考はそう機能せざるを得ず、それは思考が正確に機能する、ということの一端のように思われます。
思考というのはインプットに対して記憶をアウトプットする、という機能ですので(おおざっぱですが)そういう意味では機械のように正確に機能すると思います。
うーん。事実と空想の識別、という意味では上に書いたとおりですね。定義にしたがって記憶を識別する、という意味では空想と事実を識別できると言えますが、思考自体は知覚という機能が無いので、今実際に起きていること、つまり事実を知覚することはないでしょう。記憶の機械的な運動なので。PCが今ここで起きていること全体を知覚していないように。 > ついでに・・・もちろん、自分の後頭部や脳は知覚されません。また、こう思考してる自分は知覚されません。それを、ない、と呼べるでしょうか。そう呼べるとしたら、 なにかが機能していて知覚されない、ということを、ない、と呼ぶ、という定義があるということです。
はい。ある、ない、というのは、思考上の定義によって決まるものであり、記憶の運動のなかでアウトプットされる判断情報ではないでしょうか?
うーん。話がかみ合っているのかどうか。。 とりあえず、自分に起きていることの記憶から、なるべく正確に記述したつもりです。。
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No.3443 - 2011/05/27(Fri) 21:20:42 |
| ☆ Re: 思考は正確 / ubik0101 | | | >何かが機能して、という意味は、例えばこうやってPCを打つという動きがあるとき、手やPCを、ある、と認識しているという意味でしょうか?
たとえばパソコンとか自分の手が、ある、と思考したり。あるいは普通の文章で、この庭に池が、ない、と書く場合です。ある、とは。ふつうは、それが樹であれ花であれ思考であれ、それがそれとして機能していて知覚されることで。ないとは、それが、それとして機能してないで知覚されない、という意味ではないでしょうか?という意味です。
もちろん普通は、そんなことは思考しません。(a)・・・庭作業したりの日常は、行為(行動、発言、思考)が機能してるのですが、これは自分という無音の旋律を際だたせる、通奏低音のような感じです。
あるない、が意識されるのは、自分があるない、とか。あるいは、あるとかないとか、思考することが、どのように機能してるか、を探る場合です。(b)意識とその対象という意味での、思考をしてる場合です。 この(a)(b)は、いまどうしてるか、だけで、さほどの違いはないようです。
続きます。
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No.3446 - 2011/05/28(Sat) 12:19:37 |
| ☆ Re: 思考は正確 / ubik0101 | | | >けれど、それは、直接近くされていなくても、過去に認識した情報から、実際に物理的に起きていることだ、という認識があるから、それは事実だ、と思考していますね。
まだ総ては見切れないので、迷走しますが・・・それがもし、世界中の人が信じてるとしても、放射能が漏れてるとかは、嘘の情報かも知れません。そして、思考にそれを確かめる機能がないとしたら・・・どうでしょう。
ここは、これは事故だと、それを当然のこととして思考しない、疑わない、その上に思考が展開するのではないでしょうか。
ここで、たとえば「自分は、ない」と、思考する、とします。しかし、それは不正確な感じがします。というのは、この思考の総ての構成要素、「自分」「ある」「ない」が、なにも定義されずに判断されているかもしれません。
ここは、予め「ある」「ない」の定義があるのではなく、定義が明確ではないのに、あるないを思考してるのではないでしょうか。あるないに無知ゆえの思考が、「自分は、ある、ない」、なのではないでしょうか。
たとえば、なにかについて無知なら、そう思考してなくても、その無知が機能して。自分について無知なら、無知だと思考しても、そう思考しなくても、賢いと思考しても、その無知は機能してるかもしれません。
続きます
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No.3447 - 2011/05/28(Sat) 13:58:54 |
| ☆ Re: 思考は正確 / ubik0101 | | | 続きます。
と言って、しばらく中断して、忘れることもあるけれど、思考を続けることもできます。思考は知覚されてなくても、なにかが継続してるのかもしれません。
たとえば原子力発電所は、知覚もできないけど。知覚しても、知覚しなくても、思考しても、思考しなくても。でも、放射能の影響は、事実は事実。ということがあります。
それと、思考は、記憶からのことかもしれませんが、思考そのことは、過去とか未来を識別してないかもしれません。なので、思考は記憶から、という思考を要するのかもしれません。
まったく、その思考は、その思考だけだから、空想と事実を、過去と今と未来を識別しないから、思考の、あるない、と実際の、あるない、は無関係。また自分が、たとえば無執着と思考することと、その自分とは無関係。だから、とても正確に機能します。
それだから、なにも判断する機能がない思考に捕らわれるなら、いわゆる心理的思考、葛藤、混乱を起こす、ということも説明できそうです。
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No.3448 - 2011/05/28(Sat) 14:18:23 |
| ☆ Re: 思考は正確 / suho | | | > まだ総ては見切れないので、迷走しますが・・・それがもし、世界中の人が信じてるとしても、放射能が漏れてるとかは、嘘の情報かも知れません。そして、思考にそれを確かめる機能がないとしたら・・・どうでしょう。 > ここは、これは事故だと、それを当然のこととして思考しない、疑わない、その上に思考が展開するのではないでしょうか。
ubiさんは「思考には事実を確かめる機能が無い」ということを伝えようとされているのでしょうか?
ここで確認したいのですが、ubiさんの言われる「事実」とは何をさしているのでしょうか?
例えば、僕の場合は、物理的にも心理的にも実際に起きていること。つまり様々な知覚。このことを言っています。
で、思考は、その様々な知覚・事実の1つの様相・機能なので、「思考には事実全体を確かめる機能がない」というのならわかります。部分が全体を確かめることはできないから。
> ここで、たとえば「自分は、ない」と、思考する、とします。しかし、それは不正確な感じがします。というのは、この思考の総ての構成要素、「自分」「ある」「ない」が、なにも定義されずに判断されているかもしれません。
うーん。僕の感じでは、思考自体が知覚の1つの様相です。その思考が「自分は、ない」と思考したとして、正確かどうか、というよりも、ただ、そのように解釈している、という以外に特になにも湧かないのですが。。
> ここは、予め「ある」「ない」の定義があるのではなく、定義が明確ではないのに、あるないを思考してるのではないでしょうか。あるないに無知ゆえの思考が、「自分は、ある、ない」、なのではないでしょうか。
思考の場合、定義は無限に設定できます。たぶん定義というのは、個々の思考によって様々なのではないでしょうか? > たとえば、なにかについて無知なら、そう思考してなくても、その無知が機能して。自分について無知なら、無知だと思考しても、そう思考しなくても、賢いと思考しても、その無知は機能してるかもしれません。
上記のとおりなので、こちらについてもその後の思考の展開ということで、特になにも感じることはありません。
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No.3449 - 2011/05/28(Sat) 14:50:30 |
| ☆ Re: 思考は正確 / suho | | | > と言って、しばらく中断して、忘れることもあるけれど、思考を続けることもできます。思考は知覚されてなくても、なにかが継続してるのかもしれません。 > > たとえば原子力発電所は、知覚もできないけど。知覚しても、知覚しなくても、思考しても、思考しなくても。でも、放射能の影響は、事実は事実。ということがあります。
ということがある、という表現は、そうじゃない場合もある、ということでしょうか? 僕にとっては、上に書かれたことは、そのとおりと感じます。 > それと、思考は、記憶からのことかもしれませんが、思考そのことは、過去とか未来を識別してないかもしれません。なので、思考は記憶から、という思考を要するのかもしれません。
例えば、こうしてPCを打っているわけですが、今実際にここで起きていることは、こうして思考しながら言葉を打っている、部屋のなかでこの肉体が。窓から日がさし、窓の向こうで樹木の葉が雨で揺れています。これだけではないですが、いろいろな知覚が生じています。 そして、今思考していることは、ここに生じていること全体ではなく、その生じている全体の一部として、経験からくる記憶をベースに書いています。 過去、未来と識別するのは、思考です。脳内に生じた断片の情報(記憶)を識別しているのです。でもその思考の運動は、今起きています。僕に起きているのは、そんな感じです。 > まったく、その思考は、その思考だけだから、空想と事実を、過去と今と未来を識別しないから、思考の、あるない、と実際の、あるない、は無関係。また自分が、たとえば無執着と思考することと、その自分とは無関係。だから、とても正確に機能します。 > それだから、なにも判断する機能がない思考に捕らわれるなら、いわゆる心理的思考、葛藤、混乱を起こす、ということも説明できそうです。
うーん。すみません。よくわかりません。 僕の場合、判断は、思考がしています。何かの定義や基準によって、情報を判別しています。
葛藤や混乱を起こす要因としては、思考に集中しすぎてしまい、今起きていることを見失い、全体の連携が取れなくなったときに起こると感じます。
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No.3450 - 2011/05/28(Sat) 15:06:12 |
| ☆ Re: 思考は正確 / ubik0101 | | | > ubiさんは「思考には事実を確かめる機能が無い」ということを伝えようとされているのでしょうか?
とりあえず。その思考は、その思考のほかのこと、たとえば、その思考の真偽を現さない、ということです。
> ここで確認したいのですが、ubiさんの言われる「事実」とは何をさしているのでしょうか?
> 例えば、僕の場合は、物理的にも心理的にも実際に起きていること。つまり様々な知覚。このことを言っています。
では、知覚されないことは、事実、ではないということでしょうか?
> で、思考は、その様々な知覚・事実の1つの様相・機能なので、「思考には事実全体を確かめる機能がない」というのならわかります。部分が全体を確かめることはできないから。
うーんと、その全体って、事実として知覚されますか?また、部分が全体を確かめられない、というのは、どのように確認できますか?
> > ここで、たとえば「自分は、ない」と、思考する、とします。しかし、それは不正確な感じがします。というのは、この思考の総ての構成要素、「自分」「ある」「ない」が、なにも定義されずに判断されているかもしれません。 > > うーん。僕の感じでは、思考自体が知覚の1つの様相です。その思考が「自分は、ない」と思考したとして、正確かどうか、というよりも、ただ、そのように解釈している、という以外に特になにも湧かないのですが。。
それは、たしかに。とくに解釈しないというのも、問題ないのです。でも、解釈でない、あるない、は?不問なのでしょうか。 > > ここは、予め「ある」「ない」の定義があるのではなく、定義が明確ではないのに、あるないを思考してるのではないでしょうか。あるないに無知ゆえの思考が、「自分は、ある、ない」、なのではないでしょうか。 > > 思考の場合、定義は無限に設定できます。たぶん定義というのは、個々の思考によって様々なのではないでしょうか?
たとえば、ある、について。それが機能してて知覚されることを、ある、と呼ぶ。ほかに、なにか定義できるといいのですが?
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No.3451 - 2011/05/28(Sat) 16:09:25 |
| ☆ Re: 思考は正確 / ubik0101 | | | > > たとえば原子力発電所は、知覚もできないけど。知覚しても、知覚しなくても、思考しても、思考しなくても。でも、放射能の影響は、事実は事実。ということがあります。
> ということがある、という表現は、そうじゃない場合もある、ということでしょうか?
ここでは原子力発電所は知覚できないけど機能してることがある、ことの喩えです。
> 例えば、こうしてPCを打っているわけですが、今実際にここで起きていることは、こうして思考しながら言葉を打っている、部屋のなかでこの肉体が。窓から日がさし、窓の向こうで樹木の葉が雨で揺れています。これだけではないですが、いろいろな知覚が生じています。 > そして、今思考していることは、ここに生じていること全体ではなく、その生じている全体の一部として、経験からくる記憶をベースに書いています。 > 過去、未来と識別するのは、思考です。脳内に生じた断片の情報(記憶)を識別しているのです。でもその思考の運動は、今起きています。僕に起きているのは、そんな感じです。
おなじことですが、その全体には、知覚されないことも(含まれてある)かもしれない、ということです。
> うーん。すみません。よくわかりません。
すごく簡単です。その思考には、その思考(内容)が空想か、事実か、識別機能がないというだけです。それで、事実か空想かを、なにが識別するのかは判らないのです。すると、その思考が総合判断しても誤ることもある、ということでしょうか。
> 僕の場合、判断は、思考がしています。何かの定義や基準によって、情報を判別しています。 > > 葛藤や混乱を起こす要因としては、思考に集中しすぎてしまい、今起きていることを見失い、全体の連携が取れなくなったときに起こると感じます。
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No.3452 - 2011/05/28(Sat) 16:24:52 |
| ☆ Re: 思考は正確 / ubik0101 | | | もしかしてsuhoさんは・・・知覚がさまざま機能してる、それを全体、と呼んでるのかもしれません。なら、それは、そんな定義かもしれません。それは確かな定義ですか。ほかの定義はできますか。また、その定義を外せますか?
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No.3453 - 2011/05/28(Sat) 16:42:04 |
| ☆ Re: 思考は正確 / suho | | | > とりあえず。その思考は、その思考のほかのこと、たとえば、その思考の真偽を現さない、ということです。
思考の真偽というのはどういう意味でしょうか? 真偽を付けるのもまた思考の働きであり、何かの基準を持っていると感じます。
> > 例えば、僕の場合は、物理的にも心理的にも実際に起きていること。つまり様々な知覚。このことを言っています。 > > では、知覚されないことは、事実、ではないということでしょうか?
僕がここで知覚と表現しているのは、今ここで生じている現象全体といってもいいですし、とにかく起きていることを指しています。思考、五感、ありとあらゆる知覚です。 ですので、それ以外、というのもはないです。 例えば、リビングにいるとき、知覚の中にはトイレはありませんが、何かの拍子でトイレを思い出せば、それがある、ということは、経験の記憶から、事実のこととして確認できる、ということです。
> > で、思考は、その様々な知覚・事実の1つの様相・機能なので、「思考には事実全体を確かめる機能がない」というのならわかります。部分が全体を確かめることはできないから。 > > うーんと、その全体って、事実として知覚されますか?また、部分が全体を確かめられない、というのは、どのように確認できますか?
全体とは知覚であり、上で書いたとおりです。そのときに知覚されているものです。 思考は、その時生じている知覚の一部であって、部分要素ともいえます。断片の情報が知覚の部分として運動している。 単に、部分なので、全体ではないことが事実として確認される、という意味です。
> > うーん。僕の感じでは、思考自体が知覚の1つの様相です。その思考が「自分は、ない」と思考したとして、正確かどうか、というよりも、ただ、そのように解釈している、という以外に特になにも湧かないのですが。。 > > それは、たしかに。とくに解釈しないというのも、問題ないのです。でも、解釈でない、あるない、は?不問なのでしょうか。
そこなんですよね。わからないのは。 僕の場合、ある、ない、というのは、あくまでも伝達する際の記号です。思考機能の一部なので、判断、解釈そのものです。ですので、解釈でない、あるない、というのがよくわからないのです。 > > 思考の場合、定義は無限に設定できます。たぶん定義というのは、個々の思考によって様々なのではないでしょうか? > > たとえば、ある、について。それが機能してて知覚されることを、ある、と呼ぶ。ほかに、なにか定義できるといいのですが?
あ、それは、ある、の定義ということではなく「自分が、ない」という思考の例を書かれていたので、その「自分」のことを指していました。それは思考によってどの知覚を自分と特定するか、というのはいくつでもバリエーションがあるでしょうね、という意味で。もちろん「自分」という解釈をしなくともいいわけですが。
あるない、については、上に書いたとおりです。 その定義を「それが機能してて知覚されることを、ある、と呼ぶ」でも、特に疑問はありません。 どうも、僕の中では、あるない、ということを検討することに関心が湧いていないようです。。 僕にとっては、特定の知覚について、その存在の有無を伝達する際の「記号」なので、それ以外に何かあるのかなー、という疑問がわかないみたいです。
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No.3454 - 2011/05/28(Sat) 16:54:02 |
| ☆ Re: 思考は正確 / suho | | | > おなじことですが、その全体には、知覚されないことも(含まれてある)かもしれない、ということです。
ああ、それはあるんじゃないですか。はい。
> すごく簡単です。その思考には、その思考(内容)が空想か、事実か、識別機能がないというだけです。
え−と、その事実とは? 例えば、2つの思考がありました。 1つは会ったこともないような絶世の美女を思い浮かべニヤニヤ。 もう1つは会社の同僚の無愛想な女性を思い浮かべうーん。。 この場合は、上が空想で、下が事実、という意味でいいのでしょうか?つまり実際に物理的経験として記憶しているものを事実としている?
だとして、その思考自体は、ある意味データですので、それ自体で自身を判別する機能はないのでは。モノ、無機物のような感じ。 けれど、そのデータ自体が、空想か、事実の記憶かをそのままあらわしているので、判別というプロセスは必要ない、というか、それが介入することはないのでは、と思います。
>それで、事実か空想かを、なにが識別するのかは判らないのです。すると、その思考が総合判断しても誤ることもある、ということでしょうか。
うーん。。
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No.3455 - 2011/05/28(Sat) 17:06:45 |
| ☆ Re: 思考は正確 / suho | | | > もしかしてsuhoさんは・・・知覚がさまざま機能してる、それを全体、と呼んでるのかもしれません。なら、それは、そんな定義かもしれません。
はい。伝達上の記号です。
>それは確かな定義ですか。ほかの定義はできますか。
確かという意味は?なにか絶対の伝達記号があるとは思えないのですが。。ですので、一切ですとか、現象ですとか、そんな記号も使えます。
>また、その定義を外せますか?
伝達の必要がないときは、そもそも定義自体がないですね。
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No.3456 - 2011/05/28(Sat) 17:10:09 |
| ☆ Re: 思考は正確 / ubik0101 | | | まあ、絶世の美女を前にして、絶世の美女を。無愛想な女性を前にして、無愛想な女性を、空想するってことはないでしょう。
どちらも空想しようとして空想してるので、それは、空想と明確です。おなじように何かを判断する思考なら、判断しようとする動機は意識されなくても働いてるのでしょう。それは経験の記憶とかを参照にしてるかもしれません。
>伝達の必要がないときは、そもそも定義自体がないですね。
その定義のないところから始まる思考はありませんか。そこで、その思考が空想か事実か、その思考そのことに判断できますか?いつも思考は比較とか、記憶とかによって始まるのでしょうか?
なにか思考は、その思考が知覚されてるだけで、その思考には、それ以外の要素、たとえば思考(内容)が事実なのか、空想なのか識別機能は付属してない、それでも思考は成立する、ということです。
なにか過去の事例から判断するなら、なにか過去の事例から判断すると思考できます。と、このような思考自体を思考できます。
たとえばsuhoさんが虚偽でなく、そのあり方のままを思考します。それしか思考はできないかもしれません。それ自体に思考には判断機能がないから、なんでも思考できる。その思考そのことが、過去を参照するというのではないけど、判断といも言える。ってことでしょうか。これは、
>だとして、その思考自体は、ある意味データですので、それ自体で自身を判別する機能はないのでは。モノ、無機物のような感じ。 >けれど、そのデータ自体が、空想か、事実の記憶かをそのままあらわしているので、判別というプロセスは必要ない、というか、それが介入することはないのでは、と思います。
ということでしょうか。
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No.3457 - 2011/05/28(Sat) 18:47:35 |
| ☆ Re: 思考は正確 / suho | | | > まあ、絶世の美女を前にして、絶世の美女を。無愛想な女性を前にして、無愛想な女性を、空想するってことはないでしょう。
わはは。それは確かに。 > どちらも空想しようとして空想してるので、それは、空想と明確です。
うーん。ubiさんの言う「事実」の指しているものを確認する意味で書いたのですが。。 では再び、ubiさんの言う「事実」とはなんですか?
2つの見方があるのかなと。
1つは、空想自体生じていることが事実ですよね。 ですので、どうも空想と事実は比較できないなあ、ということです。
もう1つは、先に書いたように「物理的な経験の記憶」を「事実」である思考と呼び、「物理的な経験なしの思考」を「空想」である思考と呼ぶ場合です。
後者でなければ、ubiさんの事実とは何を指しているのか?となるのです。
> >伝達の必要がないときは、そもそも定義自体がないですね。 >
> なにか思考は、その思考が知覚されてるだけで、その思考には、それ以外の要素、たとえば思考(内容)が事実なのか、空想なのか識別機能は付属してない、それでも思考は成立する、ということです。
はい。それはわかります。単なる情報という意味で。 思考過程の要素ですね。
> なにか過去の事例から判断するなら、なにか過去の事例から判断すると思考できます。と、このような思考自体を思考できます。
はい。 > たとえばsuhoさんが虚偽でなく、そのあり方のままを思考します。それしか思考はできないかもしれません。それ自体に思考には判断機能がないから、なんでも思考できる。その思考そのことが、過去を参照するというのではないけど、判断といも言える。ってことでしょうか。これは、
事実か空想かの虚偽、という意味であれば、先のことがわからないとなんともです。 僕がここで書いている「思考」の指し示しているものとしては、情報とその判断プロセスを含めて言っています。 データとその処理プロセスですね。 もちろん、目的の自覚なく情報だけが浮かび上がってくることもありますし(雑念)、ある目的のために情報を記憶から抽出する場合もありますし、加工したり、造作して、別の情報を作り出し結論づける、というプロセスもあります。 そういう意味で、目的・動機、判断する定義があれば(これも情報ですが)とうぜん、それによって情報を判別はできるということです。
> >だとして、その思考自体は、ある意味データですので、それ自体で自身を判別する機能はないのでは。モノ、無機物のような感じ。
この場合は、上で書いたところの「情報」だけのことを言っています。
> >けれど、そのデータ自体が、空想か、事実の記憶かをそのままあらわしているので、判別というプロセスは必要ない、というか、それが介入することはないのでは、と思います。
これは、上で書いた2つの「事実の見方」の、後者の意味では、情報自体がそのものをあらわしている、ということで書きました。
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No.3458 - 2011/05/28(Sat) 19:40:59 |
| ☆ Re: 思考は正確 / ubik0101 | | | これから出掛けます。たぶん返信は明日になると思います。
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No.3459 - 2011/05/28(Sat) 19:50:35 |
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