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反応パート4 / ubik0101
ふつうは、なにかが機能していて知覚されることを、ある、と呼びます。たとえば、たぬきが暮らしてる壊れかけた古屋がある、というのは、古屋が古屋として機能していて、そう知覚されてる、ということです。それは、たとえば新築の家としては、ない、です。

ところでまた、機能していて知覚されないことを、ない、と呼ぶことがあります。この見たり聞いたりは、機能しているのですが、そうしてる中心は、知覚されません。これを、ない、と呼べば呼べます。つまり、見たり聞いたりしてる自分が、ない、です。

ここで、機能していて知覚されるという意味で、ある、のは、たとえば、この庭、この呼吸、この思考・・・知覚とその対象・意識とその対象・・・一切・・・だけです。それで、たとえば、この庭が自分。という表現はできるのですが、やはり不正確です。それは知覚の範疇ではない、ある、ない、を見逃しています。

その、ある、の意味は、それ自身がそれの自身に原因なことを、ある、と呼ぶ、ことです。だからこそ、自我は、ない、と識別できるのです。ただこれは、知覚の範疇にありません。もちろん、意識、思考は、それ、ある、を感知も、関知もできません。それにとっては、ない、です。

No.3384 - 2011/05/03(Tue) 21:35:49

Re: 反応パート4 / ubik0101
ところで日常は、意識から知覚にシフトしているので、思考としての・・・時間が、自我が、自分が、自己が、世界が・・・ある、ない、を言っても、ほとんど意味を失いかけています。自我とか無我とか、どうでもいい・・・自我もなければ無我もない・・・です。

ここでは、たとえば、今があるとか、ないとかは、思考の範疇にないことは明確です。思考は、いま、を知覚しようとするかも知れませんが、そうではありません。知覚が問題なく機能してること、たとえば見る聞く思考する、そのことを、いま、と呼ぶのです。

では。何が聞いてるのか?見てるのは何か?知覚できない、それは知覚の範疇にない、というだけのことです。それで、それは、機能していて知覚される、されないという意味での、あるないの、範疇にはありません。ここで、知覚されない、ある、を見逃して、ある、のは知覚だけ・・・たとえば見るものは見られるもの・・・という表現は・・・一方は自我、一方は無我・・・両義的であり不正確です。

まあ、とにかく知覚・・・そこで思考の性質が、すこし見えてきます。思考は、それが知覚されるだけで、その思考が事実なのか、空想なのか、まったく識別しません。その思考は、また知覚も、その始まりも終わりも意に介しません。それはそうで、知覚が機能してるだけだからです。

その思考、知覚が、空想なのか?また現実そうなのか?これは判断の必要があるようです。たとえば自我の場合は、これが困難な傾向にあります。その困難の原因は、意識に依存してる、その中心が仮にですが、生じてるからのようです。

No.3385 - 2011/05/03(Tue) 21:46:49

Re: 反応パート4 / ubik0101
なんでも100円ショップで、2袋100円だった春大根の種が発芽しました。ふつう野菜の種は、たくさん蒔いて成長につれ、順次間引いていくのですが、とくに大きさを揃える必要もありません。それで、はじめから間を空けて蒔いてみました。
No.3386 - 2011/05/04(Wed) 07:08:52

Re: 反応パート4 / ubik0101
その大根の芽の畝の近く・・・たんぽぽの種、です。
No.3387 - 2011/05/04(Wed) 07:11:04

Re: 反応パート4 / ubik0101
なかなかそれらしい、廃墟のカフェ前にある、蔦の絡まる石です。
No.3388 - 2011/05/04(Wed) 07:30:47

Re: 反応パート4 / hato

そこで今日は、みどりの日。庭の木々や花をみたり、ふたりともすこし、昼寝をしました。

昨日は、パソコン教室で知り合った知人たちが、遊びにやってきてくれて、大掃除に準備にと大奔走。ubik0101さんのアクアパッツァが大変好評で、なんて嬉しい。ちょっとした庭散策が喜ばれた、春ひとときでした。

すこし前、ユーカリと桜の木の下に、カフェテーブルを置いてみました。廃墟のカフェとは、また違った趣です。

No.3389 - 2011/05/04(Wed) 19:55:56

Re: 反応パート4 / ubik0101
ラジオが、東北の津波の瓦礫の片づけのボランティアの話をしていました。そこで、ふと。人がボランティアするという表現もあるかもしれないけど、ボランティアすることで、そうしてる人が創られる。ということも言えそうです。と、思考しました。

たとえば、まず自分があって、それが、ほかの人のために頑張ろう、という理由で、行動するのでしょうか?という疑問です。それは計画が頓挫したり、変更したりすることで停滞するかもしれません。

そうではなくて、《作業は辛いかな?でも人のために頑張ろう》という人は《作業は辛いかな?でも人のために頑張ろう》という自分。そして実際に行動したら、その自分。行動しなかったら、その自分。を創っているのではないでしょうか。

じゃ、あなたは、ボランティアに行かないの?という人は、じゃ、あなたはボランティアに行かないの?いや、ボランティアより優れたことをする、という人は、ボランティアより優れたことをする・・・なんであれ、その行動で、発言で、思考で・・・また、見る、聞く、味わう、嗅ぐ、触るで・・・そんな自分を創ってるのではないでしょうか。

そしてこれは、誰かが、どう思考するとか、しないとか、理由の有無に、まったく関係なく、正確に、そうなのではないでしょうか。これは仏教用語に詳しくありませんが、自業自得、ということでしょうか。なにかの過去のことが結果として現れたのではなく、ただ、いま、そうなのではないでしょうか。

ここで、世界は、つまり自分は変えられることに気がつくのではないでしょうか。このことの精髄が「あらゆる悪いことをせず、あらゆる善いことをしよう」ではないでしょうか。

たとえば自我・・・心理的思考・・・葛藤・・・そのことは、苦しいのかもしれませんが、たとえば空想と事実を混同し、そういう苦しい自分を創ってるのではないでしょうか。そして、これは世界と自分との、自分と自分との分離だ。とか見なすならば。それは、そう見なす自分を創ってるのではないでしょうか。

たとえば、非難と正当化。(a)ほかの人を非難して、自分を正当化するとします。そして、正確に機能する思考は、順列組み合わせの通りに、(b)ほかの人を正当化して、自分を非難する、それぞれ単独もある、ということを等しく用意しています。

たとえば(a)だけではアンバランスなのですが、そのためには空想と事実を識別しない愚かさ、曖昧な思考、とかを要するようです。

No.3390 - 2011/05/06(Fri) 20:17:59

Re: 反応パート4 / peer
いや〜まぁ。考えますね。
ボランティアする人を作るのは、それを求めている人。
じゃないかな〜と思いますよ。
何をしたらいいか分からないけれど、この災害をジッと見ていられない。
みたいな想いが、人を動かすでしょ。
困り切っている人を観て「それは他人の事だから」と思ったら
ボランティアというモノがあることにも気付かない。
ボランティアしている人を観て「偽善だ」とさえ、言いかねない。

No.3391 - 2011/05/07(Sat) 03:02:38

Re: 反応パート4 / ubik0101
そこで、ほかの人を観て「偽善だ」とか、そういうことを言う誰かは、そういうことを言う、その自分を作ってる、または創らされてしまってる、のかもしれません。そこで、

>ボランティアしている人を観て「偽善だ」とさえ、言いかねない

そんなことを言うpeerさんは、そんなことを言うpeerさんを創ってる・・・と、思考してるubik0101は、そう思考してるubik0101を創ってる。そこで、

じゃ、どう思考しても自分のことでしかないのだ。人は人。これは空想することが問題なのかな?じゃ、事実だけを見よう・・・いや、そういう自分が創られなければ無問題?・・・でも、それはそういう自分のことでしかない・・・で、なんか閉塞感が漂います。

No.3392 - 2011/05/07(Sat) 19:08:38

Re: 反応パート4 / peer
いゃあ〜どうだか分からないんですけどね。
やってみたら、考えていたコトと違うかも知れないし。
生きると言うのは、やっぱ、何かと関わる事だと思う。
もちろん、これ、私の狭い考えですけど。
関わらないと自分の考えや想像の世界に埋没しちゃう。
・・・つまりは、自分のことしか考えていない人、になる
危険を感じる。ので。

No.3393 - 2011/05/08(Sun) 01:41:48

Re: 反応パート4 / ubik0101
ちょい単純にしてみました。たとえば庭を見ています。すると見てる自分が創られます。その自分は、なんだか訳がわかりませんが、庭を見ています。

ここで、知覚の範疇だけ大雑把に認識するなら、これは、見えてるのも見てるのも自分・・・庭は自分だ。と、すると。あまりに小さいループができて、閉塞感があります。

それはまた、とにかく庭がある、ということが暗黙の内に前提にされてるようです。庭という客観が確かに、ある、ということです。 これも、ちょっと閉塞感です。

このような、なにかによって創られる自分、というのは、自我の機能です。人は世界に自分を創ってもらってるのです。これも閉塞感です。

でも、そんなことも忘れて玄関から出て、花を植えたり、畑を作ったりして、庭を変えることができます。そこで、そのことによって作られる自分も変わります。 それで自分も庭も変化するという認識ができます。

これは世界(知覚)でも、人間関係、もしかして自分との関係(意識)でも、まあ、同じような案配のようです。

ここでまた、世界とか、ほかの人とかに関わって、創られる自分。あるいは創られる必要がない、自分。それが見えないので何だか分からない、ということもあります。

ところで、さて。たとえば朝、誰かに出会って、お早う、と言います。とくに分離とか、心理的な思考の有無とかではなく。ただ、反応、があるだけです。これが、自我と言えば、自我です。こんな状態が、ここでの課題かもしれません。

ここでは、このように観察されます・・・たとえば、人間関係・・・ほかの人の不満は、それが正当性があっても、なくても、恐怖を呼び起こすようです。それが権力欲の人の支離滅裂な対人関係。

そういう恐怖を感じなくするためには、たとえば隣家の喧噪をテレビの大音量で打ち消したつもりになれるように、不満に不満を投げ返して鈍感になる。けど、自分が発する不満も、自分にとって恐怖。そう作られてるようです。

この辺では、いざらい、という用水路の掃除があります。そのあぜ道、あざみ、が咲いていました。

No.3394 - 2011/05/08(Sun) 20:46:01

Re: 反応パート4 / hato

こちら、今年初の、デッキで発見した、エルちゃん。
どう撮ってみても、なにか不満気な風情が漂うエルちゃん1号。まだ身体が慣れないのかも知れません。いい陽気に誘われて、出てきたのでしょう。ドアのあたりにもう一匹。春ですねえ。

こんにちは。冬眠、いかがでしたか?

No.3395 - 2011/05/08(Sun) 22:33:07

Re: 反応パート4 / hato

さくらんぼが食べ頃です。赤いのをすこしだけ、採りました。なんてきれいな実。

No.3396 - 2011/05/08(Sun) 22:35:47

Re: 反応パート4 / hato

確かに、さくらんぼの味がしました。

No.3397 - 2011/05/08(Sun) 22:37:33

Re: 反応パート4 / ルー
> すこし前、ユーカリと桜の木の下に、カフェテーブルを置いてみました。廃墟のカフェとは、また違った趣です。

素敵な写真ですね!

こんなところで、やさしい風に吹かれながら読書などしてみたら貴婦人のようではないですか。

No.3401 - 2011/05/11(Wed) 16:02:41

Re: 反応パート4 / hato

> こんなところで、やさしい風に吹かれながら読書などしてみたら貴婦人のようではないですか。

ルーさん、なんてロマンチックな。
若干の問題は、遠州空っ風(からっかぜ)。凄いんです。本のページは吹っ飛び・・・目もパチパチしてしまいそうです。無風のひとときを見つけねば。

ライラック。薄紫の花の形がいいですね。素敵な香りがします。

No.3404 - 2011/05/11(Wed) 22:23:55

Re: 反応パート4 / ルー
> ライラック。薄紫の花の形がいいですね。素敵な香りがします。

ほんとう。ひとつひとつの花びら(?)の形がきれい。

蕾の時の形や色もいいですね。

花言葉を調べたら、紫のライラックは「愛の芽生え、初恋」でした。

何か、韓流ドラマをイメージしてしまう私は、もう毒されているのかしら?

No.3407 - 2011/05/12(Thu) 09:33:02

Re: 反応パート4 / hato

> 花言葉を調べたら、紫のライラックは「愛の芽生え、初恋」でした。

きれいですね。初恋。

> 何か、韓流ドラマをイメージしてしまう私は、もう毒されているのかしら?

初恋は、そのままよい響きですが、愛の芽生え。て、妙〜な感じですもんね。

自分は興味が持てないのですけど、韓流、嵌ると凄いらしいですね。。

こちら小さな花の雰囲気が、すこし似ているでしょうか。画像は反射してしまいましたが、カナメの花。とても可愛いんですよ。

No.3410 - 2011/05/12(Thu) 23:00:26
反応パート2 / ubik0101
ラジオが消費税の話をしていました。そこで、ふと。ほんとうは国の税収の全額が望ましいのですが、その1%でもいいので、どこかの銀行に貯金します。そして、国民の全員にカードを渡します。と考えました。

それで、国民は誰でも、《どうしても必要な時》に、望むだけの金額を引き出せるものとします。もちろん返却できるときには、返却できます。これで、ほとんどの経済に関する困難は、解決しないでしょうか。

すると、好きなように勝手に引き出す人がいるかもしれない・・・働かない人が増えるかも知れない・・・とか、いろんな可能性を考えて、反対意見が出るでしょう。

そこで。そんな、ほかの人がどうするか分からない?とかいう空想はともかく、あなた自身は、どうなんですか。あなたのことは、あなたに任されてある、その、あなた自身は、その銀行のカードを使う《どうしても必要な時》は、どんな時でしょう?

うーん、ほかの人が困ってるから、プレゼントする?というのは変です。その困ってる、その人が、カードを使ってお金を引き出せばいいのですから、それは、誰にとっても自分のためにしか使えないのです。

じゃ、借金を返す、というのはどうでしょう。うーん。でも、人に貸して損した誰か、その人が、《どうしても必要な時》にお金を引き出せるのですから、借金を返す、というのは、どうしても、とはならないでしょう。なにか夢を実現したい?それ、どうしても、でしょうか。

ところでさて。自分のために使うという、その、どうすれば、その自分のためになるんでしょう?また、その自分は何なんでしょう?それが明確でなくて、自分のためにする、ということは困難な気がします。どうすれば、そのカードを使えるのでしょう。

と、思考してしまいましたが、
うーん、とりとめなく迷走するかもしれません。
えいっ(目を閉じて投稿ボタンを押すときの気合い)です。

No.3368 - 2011/04/27(Wed) 19:43:28

Re: 反応パート2 / peer
将来、困らないように貯蓄をする。という考え方があります。

しかし、いつでも引き出せる億単位のお金がある。としたら
貯蓄なんてバカなことは、しないでしょう。
使い切れないほどのお金を稼ごうという気持ちも持たないでしょう。
どれほどの財産があるかで、人を比較することもないでしょう。

比較をさせて、死ぬほど働かせて、得をする人が、この世の
こんなシステムを作ったんでしょう。

No.3369 - 2011/04/28(Thu) 03:04:30

Re: 反応パート2 / ペトルス
「地の塩」という運動がありました。
No.3370 - 2011/04/28(Thu) 07:42:19

Re: 反応パート2 / ペトルス
電車の駅に箱を置いて、お金を入れるのです。
必要とする人がそれを使いました。
かなり長い間、その運動は続いていたと思います。
日本での話。

No.3371 - 2011/04/28(Thu) 07:48:14

Re: 反応パート2 / ubik0101
peerさん

そもそも、のどかで平等そうな風景に思える原始時代の物々交換というのが、取引、商売なのでしょう。それはやはり自分のものとか、ほかの人のものとか、分けようもないことを分ける気持、愚かな意識が思いついたのかもしれません。

そこから労働の対価とか、権利とか、支配とか、敵と仲間とか、ありもしない空想に囚われるようになったのかもしれません。お金も、法律も、社会常識も、便利なんですが、自分たちでつくった仕組みに縛られる・・・そこで軋轢や葛藤が起こり・・・その見えることを通じて、その、そもそもの愚かさを成り立たせてる見えない中心、自我を学ぶ。そのためには、いい仕組みなのかもしれません。

でも、もうそれはいいんだ。そうでなくても、できるんだ。生きていけるんだ。人が成長しさえば、いいんだ。これに、みんなが気がついていてるけど・・・できない・・・それが不満として現れてることもあるようです。

ところで、これは去年の秋に種を蒔いて、
そのまま成長して草丈が1mちょっとある春菊、
この雨上がりに咲いています。

No.3372 - 2011/04/28(Thu) 09:53:04

Re: 反応パート2 / ubik0101
ペトルスさん

どうも愚かな意識は、バランスを考えるのかも知れません。これだけ働いたら、これだけ貰える。これは公平だ。まったく間違いはないだろ?と。

では、神を信じれば救ってくれる?でも、神は、そんな損得商売をしないかもしれません。と、訪ねてきた、なんとか教会の人に話したことを思い出しました。

No.3373 - 2011/04/28(Thu) 10:02:49

Re: 反応パート2 / ペトルス
地の塩をネット検索してみました。

http://www.vinet.or.jp/~toro/genko/syowa3.html

http://mikanharu.at.webry.info/201008/article_7.html

http://blogs.yahoo.co.jp/damedame3212/22361198.html

http://rutoru.blog2.fc2.com/blog-entry-963.html

No.3374 - 2011/04/28(Thu) 16:47:14

Re: 反応パート2 / ubik0101
ペトルスさんは、地の塩の箱を復活させたいでしょうか?ネットで検索したら、「国民の声・・・内閣府」が見つかりました。提案してみてください。たぶん箱は、宗教色のない名前で、駅でなく、図書館とか、市役所とかに設置したほうがいいように思います。こちらは、上の投稿の銀行を提案・・・文書に数日かかるでしょうが・・・します。

http://www.cao.go.jp/sasshin/kokumin_koe/index.html

No.3375 - 2011/04/28(Thu) 21:59:38

Re: 反応パート2 / peer
お金でお金を増やす方法を考えた利口モノが居たんですね。
利息をとる。というヤツね。

そういえば、貧しくて生活しにくい地区の女性に、利息を取らないで
お金を貸し出す。そのお金を元手に商品を作って、売って。
利益が出たら、そこから借りたお金を返す。そのお金は、また他の人に貸し出す。・・・みたいな。

いわば。飢えた人にサカナを与えるのではなく
サカナの取り方を教える。ような感じでしょうか。

No.3376 - 2011/04/29(Fri) 01:49:22

Re: 反応パート2 / ubik0101
たとえば、お金で、お金を売り買いするとか。株の売買とか。そのことだけに地球の全員が携わるとして・・・それは暮らしとして、社会として成立しません。

そうでなく、たとえば人類の全員が農業だけをやるとして、それなら成立しないとはいえないのです。

が、それはどうしても、人の適性とか地域の特性とかあるし快適に働くためには・・・たとえ鍬一つだって、生産とか運送とか販売とか消費とか、企画とか研究とか・・・多様な状況が必要、とするとします。

しかしその多様なことから生じた余剰を、ただ自分の快適の追求に使う極端なのは嫌だということだと思います。でも、そんなことに適性がある人もいるのでしょう。

やはり、問題は自我かもしれません。でもそれは、どうしても、その自分のことは、その自分に任されてるようです。

だって、69億何千万人の誰がどうであれ無関係に、この自分さえ解決すれば、そのことは実現できる、 そのことに世界の総てが機能しています。

それはともかく、誰でも、入金、引き出しが自由。口座の金額は0から始める・・・そいうのは主催者が国でなければ、信頼を得られないので・・・というのも「国民の声」に提案してみます。

No.3377 - 2011/04/29(Fri) 07:24:07

Re: 反応パート2 / ペトルス
> そういえば、貧しくて生活しにくい地区の女性に、利息を取らないで
> お金を貸し出す。そのお金を元手に商品を作って、売って。
> 利益が出たら、そこから借りたお金を返す。そのお金は、また他の人に貸し出す。・・・みたいな。


たしか、インドで、いま、なんとかさんの提案で実施され、うまく、成り立っているものでしょう。

No.3378 - 2011/04/29(Fri) 07:30:50

Re: 反応パート2 / ubik0101
ついさっき、上記投稿の趣旨を・・・「国民の声」・・・ 内閣府共通意見等登録システム ・・・で提案しました。
No.3379 - 2011/04/30(Sat) 09:01:44

Re: 反応パート2 / peer
> > そういえば、貧しくて生活しにくい地区の女性に、利息を取らないで
> > お金を貸し出す。そのお金を元手に商品を作って、売って。
> > 利益が出たら、そこから借りたお金を返す。そのお金は、また他の人に貸し出す。・・・みたいな。
>
> たしか、インドで、いま、なんとかさんの提案で実施され、うまく、成り立っているものでしょう。


ペトルスさん。こんにちは。
まっ。アイデアというのは、数々生じます。
しかし現実に動く確率のあるアイデアは貴重になりそうです。
こういうアイデアだと、一万円程度でも、動き出します。
1000円からでも、個人的にでも動きます。
集団を作らなくても、ですね。
そして、やってみたら、有効に活用するか、しぼむか・・・。
必要なものなら、地域に適切であったら。条件はありますが。
まず、最小に出来ることから。でしょうか。

No.3381 - 2011/05/02(Mon) 13:08:16

Re: 反応パート2 / ペトルス
これがそれではないかと思います。

http://qazx.blog.eonet.jp/docdoc/2008/08/post-8dd4.html

No.3382 - 2011/05/02(Mon) 16:44:02

Re: 反応パート2 / peer
> これがそれではないかと思います。
>
> http://qazx.blog.eonet.jp/docdoc/2008/08/post-8dd4.html


教えてくださって、ありがとうございます。
他の地域の、もっと単純で緊急な状況で同じ作業をしていたのを
知っていたのですが、その原点があったのですね。

No.3383 - 2011/05/03(Tue) 09:21:07
反応パート3 / ubik0101
それで、なんだかの思考から知覚へのシフトは、誰でも簡単です。たとえば窓から外を見ればいいのです。風に吹かれれば、鳥の鳴き声が聞こえれば・・・それ、が、それ、です。

それを対象にしてないのに世界は・・・見ようとしなくても・・・見えて・・・聞こうとしてないのに・・・聞こえてるのではないでしょうか。

その対象にしないということは・・・とても説明ですが・・・対象にしてる中心、自我、自分、自己が、ない、という事態です。これは、この、このことが、神秘。とても不思議なんです。

ここは。たとえば世界が、自分が、時間が、あってもなくても、そんな、あるないの範疇になくても・・・畑を耕し種を蒔き、疲れては休んでも・・・そのことに、なんの関係もなく、そうです。なんであれ、自分の、世界の、不思議の、探求を、始めるのは常にここからです。これしか、したことがないように思います。

ここで、すこしの疑問が生じます。たとえば、自我がない、という体験。それは明瞭なんです。これまでの、どんな状態とも違う、総てが変わってしまうほどのことです。しかし、それは、ない、ということが、どいうことか知らないのです。

もしかして、ない、ということが何かを知らないということにおいて、その自我はない、という体験、そして表現は、なされてるかもしれません。ならば、その体験とか表現とかの基本、前提が、不明ということです。それはもう疑いようがなく当然のこととして、数学の公式のように不問にすることは、好みではないです。

ない、体験によって、その、ない、ということが、 どいう意味なのか?が、やっと視野に捉えられるようになる、のではないでしょうか。そこに未知が明るく深く静かに広がってるのではないでしょうか。

こんなことを、雨の日・・・晴れの日・・・桜吹雪の季節・・・水茄子の苗の季節・・・鳥の鳴き声・・・が、話しかけています。聞きます。それが、日常、という言葉の意味です。

No.3380 - 2011/05/01(Sun) 08:08:36
おはよう / ルー
ubikさんの説明、以前より、すごくわかりやすいですよ。

わかりやすい言葉になったみたい。

No.3357 - 2011/04/23(Sat) 08:31:25

Re: おはよう / hato

いつも、ありがとうございます。なにか照れくさいubik0101さん。「まあ、無思考の隙間かな」・・・とのことです。。

今日のこちらは、優しい春雨模様。イボガエルとアマガエルが、嬉し気に合唱中。

ナナは、お気に入りのベッドで気持ちよさそう。

No.3358 - 2011/04/23(Sat) 10:21:55

Re: おはよう / ルー
ハートの枕?がかわいいですね。

春雨といえば、うちの旦那は、スープ春雨にご飯を入れて食べるのが好きみたい。

No.3359 - 2011/04/24(Sun) 09:33:15

Re: おはよう / hato

> ハートの枕?がかわいいですね。

なんでも百円ショップです。ピンクが可憐で、かわいいですよね。

> 春雨といえば、うちの旦那は、スープ春雨にご飯を入れて食べるのが好きみたい。

春雨、おいしいですよね。とてもすきです。忙しい人は、リゾットにしたり、スープものがいけますね。スープって、野菜や肉のエキスがいっぱいで。お腹にもやさしくて、いいですよね。

今日は、朝から海を覗いてきたり、それから、茶畑を見てきました。このあたりでは珍しくない何気ない風景ですが、新芽の今頃、こんもりとした茶畑は、本当に美しいです。

画像はubik0101さんから。

No.3360 - 2011/04/24(Sun) 20:46:48

Re: おはよう / hato

もうすぐ、茶摘の頃です。

No.3361 - 2011/04/24(Sun) 20:55:55

Re: おはよう / hato

茶畑のあちこちに配置されてる扇風機で、霜を吹き飛ばすそうです。

No.3362 - 2011/04/24(Sun) 20:57:13

Re: おはよう / ルー
うわっ! 新芽が芽吹いていますね!

生命力を感じます。


生きようとする力が大事ですね。

それは、どこから来るのでしょうか。

大切な人がいるから?

ま、大切な自分でもいいけど。

No.3363 - 2011/04/25(Mon) 11:34:53

Re: おはよう / ubik0101
そうだ、春雨といえば。フライパンに2〜3cmの深さになるように水を注いで、そこに(もどさないままの)緑豆春雨を投入、コンロに点火します。

ぐつぐつ煮えてきたところで、薄切り牛肉、それから焼き肉のタレ(ここは、ジャン、が最適)をかき混ぜて、ほとんど水分が飛んだころ・・・お皿に盛ります。

そこで2cmくらいに刻んだ、多めのクレソンを振りかけて供します。まあ韓国のチャプチェのような料理ですが、簡単で旨い、です。

ところで、とりあえず・・・生きてる辛さがあれば、大切な人とか、大切な自分とか、を要するのかもしれません・・・と、空想してみました。

ワイルドストロベリーの花が咲いています。たぶん赤い実がなるでしょうが、野鳥が食べるのが、人より先になるかもしれません。

No.3364 - 2011/04/26(Tue) 08:28:14

Re: おはよう / ルー
うちも、子供が学校で植えたイチゴを家に持って帰って育てているものに白い花が咲いています。

真っ白!ですね。

自然の中に、そういう真っ白い色が見られるのって幸せですね。

え〜っと、大切な人は、いるから、いるんですよ〜

No.3365 - 2011/04/26(Tue) 11:06:28

Re: おはよう / ルー
焼肉風味春雨、美味しそうですね!

やってみます〜

No.3366 - 2011/04/26(Tue) 11:08:00

Re: おはよう / ubik0101

> え〜っと、大切な人は、いるから、いるんですよ〜

うん。(゚▽゚)⌒☆

No.3367 - 2011/04/26(Tue) 12:17:10
反応 / ubik0101
この庭の小さな丸い花壇です。桜と桃の花が舞い散る中、ビオラが咲いています。
No.3351 - 2011/04/17(Sun) 21:18:54

Re: 反応 / ubik0101
その石の一つに。なにか小さな虫がいるようです。
No.3352 - 2011/04/17(Sun) 21:23:19

Re: 反応 / ubik0101
そっと近づいてみると・・・ナナホシテントウ虫が、お尻を左右に振って、交尾していました。

いい天気です。空には交差した飛行機雲・・・福島では原発が事故で大変・・・どこかには、なにか悩みを抱えた人も、喜びに満ちた人も、いま生まれた人も、死にゆく人もいるでしょう。

とりとめもなく
また表現困難な主題かもしれませんが、
続くと思います。

No.3353 - 2011/04/17(Sun) 21:40:18

Re: 反応 / ubik0101
それで、たぶんナナホシテントウ虫が増えるのでしょう。そして、この庭で、そのそれぞれ一匹が、どこか見る人もいない草むらで、いまはまだ発生してない、もっと小さい数千匹のアブラ虫を食べ、昼に夜に、さまざまな生死の物語が起こるのでしょう。

と、このようなことは、事実ありえるのですが、空想なんです。その空想による、草むら、テントウ虫、アブラ虫・・・などは、ひと繋がりで・・・それぞれ個別の独立したもの、こと、としては・・・識別でき得ないようです。また思考そのことも、個別のこととしては生起できないようです。

つまり思考すると言うことは繋がる、繋げる。ということだ、「総てはひとつ」ということは、そいう思考の機能かもしれないな・・・と思います。ここで、その思考は持続できず、消え去っていきます。

というのも、思考は繋がってる、繋げてる、という気持で見るならば、空想ではない実際に目に見える現実の世界が、そのように見えることは、否定できないからです。けれど、その裏の、総ては個別の独立したもの、ことだ、も思考であれ、現実であれ、成立するまでもないからです。それで、なんであれ思考の意味がなくなるのです。

かなり疑問を残しながらも・・・続けられたら、続きます。

ところで今朝、肩に乗ったノンノンと一緒に、裏庭を見てると・・・窓のすぐ下に・・・あれ・・・なんだろう。ハトより大きくて、細く長い嘴で草の根のあたりを突きながら探り歩いている鳥がいます。頭が横縞、身体が縦縞、初めて見ます。そっとhatoさんを呼びました。もしかして、ヤマシギの幼鳥かもしれません。

No.3355 - 2011/04/19(Tue) 23:35:22

Re: 反応 / ubik0101
つまり、そういうことだ。と思って見ると、そう見える。ということです。たとえば、もの、ことは、ひと繋がりだ。また、個別の独自のこと。そんな気分が、そう思考する人の回りを囲ってるだけ・・・それを感じてるだけ・・・です。それに気がついたら、もう思考は持続できません。その展開を失い、つまり消えてしまいます。

その思考が消えてる・・・カーテンを開けると今日は柔らかに雨・・・空気・・・世界がしっとりしています。そこ。ここで、すこし探ってみます。・・・たとえば「時間はない、それは、ものの運動からの抽象だ」という意見があります。

けど。それは解釈です。説明です。思考です。事実ではないです。現実には、時間があるも、ないも、ないのではないでしょうか。それは、時間があるもないも含んで、なんの思考の展開もなく、ビオラの花壇・・・楓の若葉・・・目前に見えています。ここで、いましかない、事実しかない、あるのは現実、というなら、それも思考の演繹です。

つまり、「時間はない」は説明であり、事実ではありません(どこかに、時間はある、を隠し持って比較しています)。それを事実と思っては困ります。(たぶん誰かが発見した時間はない・・・それが真実に思えても、追従してはいけません。なんだかの至高体験、神秘体験も、知識があってのそれは、その知識によって解釈される恐れがあります)。たとえば「時間がないから、いまは永遠だ」、という意見もありますが、それは思考による演繹です。

ということも失っている、ここ。思考が展開してない・・・それは意識から、知覚にシフトしたのではないでしょうか。では、なにがシフトしたのか?それは、まったく知覚できないのです。このように、なにが、こう思考してるのか?まったく知覚できないのです。雨が強くなり、どこかでカエルが鳴きはじめました。

続きます。

No.3356 - 2011/04/23(Sat) 07:38:13
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