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地震 / 図書館閲覧者
こんばんは。

先ほど、そちらの地域が結構揺れたようですが
大丈夫でしたか?

No.3301 - 2011/03/15(Tue) 23:00:37

Re: 地震 / ubik0101
んーと縦揺れでしたが、こちらは震度3程度で、大丈夫でした。気遣い、しみます。
No.3302 - 2011/03/16(Wed) 07:23:14

Re: 地震 / ubik0101&hato
このあたりで今後なにか起こりましたら、ここに状況を投稿します。
No.3303 - 2011/03/16(Wed) 08:09:58

Re: 地震 / 図書館閲覧者
ご無事で何よりです。

状況投稿の件、了解しました。

No.3304 - 2011/03/16(Wed) 09:29:50

Re: 地震 / さらだ
ご無事でなによりでした。
こちらも関東でけっこう揺れました。

あ。
図書館閲覧者さんだ。
ひそかにファンです。

No.3305 - 2011/03/16(Wed) 10:35:14

Re: 地震 / suho
ご無事でよかったです。
いま実家(宮城)で両親とともにサバイバルしています。
復旧が落ち着いたら東京へ帰る予定です。

No.3306 - 2011/03/16(Wed) 14:30:19

Re: 地震 / hato
suhoさん。宮城で皆様ご無事とのこと、本当に。どうぞ、なにより、ご無事でお帰りください。なにかのときは、メールください。
No.3307 - 2011/03/16(Wed) 14:55:15

Re: 地震 / suho
> suhoさん。宮城で皆様ご無事とのこと、本当に。どうぞ、なにより、ご無事でお帰りください。なにかのときは、メールください。

ありがとうございます。
サバイバルはけっこう「イケルクチ」のようですのでなんとかなりそうです。
また、落ち着いたら、書き込みます。

No.3308 - 2011/03/16(Wed) 15:12:16

平和 / hato

その平和に。

まるで、台風の最中にぽっかりあいたそらのような、その平和。いつでも、どこでも、なにかに関係するともなくふと、静かにあるそれに。

その平和に祈りが届くとき、それは実現すると思います。

No.3309 - 2011/03/17(Thu) 07:14:48

Re: 平和 / kanakana
初めまして

↑「平和」 に同意 です

No.3311 - 2011/03/18(Fri) 12:31:09

Re: 地震 / hato

こんにちは。涼しげな、可愛い響きですね、kankanaさんて。

大変な状況ですが、日常はいつも、そのときできることを、ひとつ、ひとつ、していくことがいいですね。いま、ここで、できること。ubik0101さんはそういうところ、とても自然に丁寧にします。どうぞ、kanakanaさんも大事ないように、と思います。


祈りとは、言葉になる以前の 在る こと、その様子 ということができます。本当は、その祈りのために、人は心から、自分の成長を望み、目覚めることを望みます。事実に目覚めることができなければ、そうでなければ、祈ることもままならないからです。

その平和とは確かに、とある争いの逆でもなく・・なにか喧騒、なにか悲苦の逆、でもない、そこやあそこ・・と、意識が押さえ込み捉えようとすれば、とても窮屈です。ありとあらゆる総ての様相を孕む、この世界。これがとても、意識として学ぶことが難しいところ、かも知れません。

No.3312 - 2011/03/18(Fri) 15:41:20

Re: 地震 / kanakana
hatoさん、こんばんは。

> こんにちは。涼しげな、可愛い響きですね、kankanaさんて。

ヒグラシの、幻想的な鳴き声が好きです。


> 大変な状況ですが、日常はいつも、そのときできることを、ひとつ、ひとつ、していくことがいいですね。いま、ここで、できること。ubik0101さんはそういうところ、とても自然に丁寧にします。どうぞ、kanakanaさんも大事ないように、と思います。

はい、ありがとうございます。
大事ないところにおります。
どこにいても、いつ何時、ということはいえますが・・・。

日常はいつものままですが、心が時折・・・
被災地の様子なども見ると・・・揺さぶられます。
いま、ここで、できることを、ひとつひとつ、ですね。

ubik0101さんもhatoさんも、大事ないように・・・。


> 祈りとは、言葉になる以前の 在る こと、その様子 ということができます。本当は、その祈りのために、人は心から、自分の成長を望み、目覚めることを望みます。事実に目覚めることができなければ、そうでなければ、祈ることもままならないからです。

なるほど・・・
その平和、は、了解のつもりでしたが・・・
hatoさんのおっしゃる「平和」と「祈り」を、反対にとらえていました。
平和が 在る ことかと・・・

祈りが 在る こと、その様子 なのですね。
説明していただけてよかったです。


> その平和とは確かに、とある争いの逆でもなく・・なにか喧騒、なにか悲苦の逆、でもない、そこやあそこ・・と、意識が押さえ込み捉えようとすれば、とても窮屈です。ありとあらゆる総ての様相を孕む、この世界。これがとても、意識として学ぶことが難しいところ、かも知れません。

そうですね、二元性を基にしてしまうと、
その現象だけに目を奪われがちになるようですね。
でもそれがないと、事実に目覚める、のが難しいでしょうし・・・。
世界という外側、ではなく、内側に向かうのが近道、でしょうか・・・。

No.3313 - 2011/03/18(Fri) 21:41:32

Re: 地震 / hato

> ヒグラシの、幻想的な鳴き声が好きです。

金属・・真鍮の感じが響く鐘の音や、ひぐらしの鳴声を思い出していました。ひぐらし、とてもすきです。

おっちょこちょいの不注意で申し訳ありません、kanakanaさん。このスレッドでお詫びをと話していました。

> ubik0101さんもhatoさんも、大事ないように・・・。

ありがとうございます。こちらは、だだひろい庭に小さな平屋で、転がるテレビもないし・・・ubik0101さんのイントラ反転真空管はあるけど・・・地震はきっと大丈夫でしょう。


> 祈りが 在る こと、その様子 なのですね。
> 説明していただけてよかったです。


人は、その祈りであるなら大変幸いと思います。そのために、またはそのためにというわけでもなく、とくにお祈りを学んだり、修行したりしますね。そんなこともあるようです。そのうちのいつか、もしかすると、とくに意識されなくてもただこの日常の生が、そのようかも知れません。

祈りは、自我だ・・・ということをすこし前、どこかで読みました。なにかに希望を持つのは、そうなってない自我だよ、未熟だよ、ということでしょう。そんなこともあるとして、それだけではちょっと寂しいですね。
人が、その人自身を含めて人を本当に思いやること。その 平和 を本当に見つけたら、嬉しいね。泣きたいほど嬉しいね。との思いは、とくに意識しても、されなくても、人その祈り、その有り様かも知れません。


> そうですね、二元性を基にしてしまうと、
> その現象だけに目を奪われがちになるようですね。
> でもそれがないと、事実に目覚める、のが難しいでしょうし・・・。
> 世界という外側、ではなく、内側に向かうのが近道、でしょうか・・・。



二元性。善悪とか、世界対自分、とか。いろいろいわれますね。世界と人の仕組みとして、たとえば、青を見たら黄色が見える補色関係があったり、対比して見る傾向があるようです。そうしてまずは様々な形式(正しいものやそうでない独自のもの)を用いて、対比強調して考えたりするのでしょう。

ことさら自分対世界として対峙していると、あらゆる人や物事に遭遇することが強調されて、やり取りだけに翻弄されてしまうかも知れません。人は、その人自身が、変わろうと発起することが、一番の近道、と思います。


画像は、水晶とビーズで作ってくれた、蛍光灯の紐です。
とても気に入ってます。

No.3314 - 2011/03/19(Sat) 00:05:55

Re: 地震 / kanakana
> おっちょこちょいの不注意で申し訳ありません、kanakanaさん。このスレッドでお詫びをと話していました。

いえいえ、そんな何もない、です。
こちらも言葉がぶっきらぼうで・・・
どうぞお気になさらずに。


> 人は、その祈りであるなら大変幸いと思います。そのために、またはそのためにというわけでもなく、とくにお祈りを学んだり、修行したりしますね。そんなこともあるようです。そのうちのいつか、もしかすると、とくに意識されなくてもただこの日常の生が、そのようかも知れません。

外に探し求めていたものが、それそのもの・・・
ということが、ありますね。


> 祈りは、自我だ・・・ということをすこし前、どこかで読みました。なにかに希望を持つのは、そうなってない自我だよ、未熟だよ、ということでしょう。そんなこともあるとして、それだけではちょっと寂しいですね。

祈り=行為、として、行為者が自我、というとらえかたなのかもしれないですね。

> 人が、その人自身を含めて人を本当に思いやること。その 平和 を本当に見つけたら、嬉しいね。泣きたいほど嬉しいね。との思いは、とくに意識しても、されなくても、人その祈り、その有り様かも知れません。

世界を回って、気がつくと、日常にもどって来ました。
意識しても、されなくても・・・本当にそう思います。


> 二元性。善悪とか、世界対自分、とか。いろいろいわれますね。世界と人の仕組みとして、たとえば、青を見たら黄色が見える補色関係があったり、対比して見る傾向があるようです。そうしてまずは様々な形式(正しいものやそうでない独自のもの)を用いて、対比強調して考えたりするのでしょう。

> ことさら自分対世界として対峙していると、あらゆる人や物事に遭遇することが強調されて、やり取りだけに翻弄されてしまうかも知れません。

ええ・・・わたしも随分と翻弄され、知らずに偏っていました。
偏りに気がついて、こちらの過去ログで、いろいろ勉強させていただきました。

>人は、その人自身が、変わろうと発起することが、一番の近道、と思います。

なるほど、本当に・・・そうですね。


> 画像は、水晶とビーズで作ってくれた、蛍光灯の紐です。
> とても気に入ってます。


ステキですね。
サンキャッチャーにもなりそうですね。
一番下の水晶は、どうやって繋いでいるのですか?

No.3315 - 2011/03/20(Sun) 07:04:00

Re: 地震 / hato

> 世界を回って、気がつくと、日常にもどって来ました。
> 意識しても、されなくても・・・本当にそう思います。


こんばんは。
kanakanaさんは、さまざま経験され、学ばれているのでは、と思います。

世界は触媒として、十分に機能してくれていると思います。その恩寵により、人は世界で、自己と世界を学び・・・中道、その平和を経て尚、さらに学び、生きて・・・、はて、それを既に忘れてることも忘れてる、この日常では、ないでしょうか。

ひとまず意識は、感覚、感情、思考・・・折々の状態に焦点を当て、強調対比することが、基本的な機能としてあるようです。

人の変容、経験によって、意識範囲が拡大するとき、それは、世界ありとあらゆる総て の閾値に遭遇することでもあります。総て総てなるゆえにもはや、個々に特化した意味も無い、不可視の、空、中道、その平和、です。総て総て故に、人は、それまでと同様の具合に偏る、とはいえないでしょう。機能や仕組みにより偏重しやすい嗜好や癖、たとえば、事象を対比相対させてみることなどは、中道に於いて、あらためて理解されることができます。同じことが、同じことではありません。この飛躍。そして、理解すること双方によって、成長があるようです。たしかに、これは戻ることができない道です。


> ステキですね。
> サンキャッチャーにもなりそうですね。
> 一番下の水晶は、どうやって繋いでいるのですか?



感触がひんやり冷たくて、とてもすきです。
それでは、続きはubik0101さんに。

No.3316 - 2011/03/20(Sun) 20:41:10

Re: 地震 / ubik0101
ダイヤが先端についたドリルチップ(ホームセンターで約300円)を手動ドリルにセットして、ごりごり気長に廻して、水晶に深さ2mmくらいの穴を作りました。そこに針金を差し込んで、瞬間接着剤と、エポキシ接着剤で止めました(No.3314の画像)。

この方法は・・・水晶が硬いので、ドリルチップが滑って、なかなか位置が定まらず作業に根気が必要です。たぶん球形の水晶では、位置決め不可能でしょう(パワーストーンなどを売ってる店に相談すれば、電動ドリルなどで加工してくれる所がありそうな感じはします)。

それで(No.3316の画像)では。なんでも100円ショップ(キャン★ドゥー)にあった、携帯ストラップ↓を使いました。ライターの火で、ガラス玉と金具の接着部分を焼くと外れるので、その金具と水晶を瞬間接着剤で付けました。

No.3317 - 2011/03/20(Sun) 20:44:33

Re: 地震 / ubik0101
ふと「水晶 穴を開ける」で検索してみました。けっこうあるようです。

http://www.google.co.jp/search?hl=ja&source=hp&ie=Shift_JIS&q=%90%85%8F%BB%81@%8C%8A%82%F0%8AJ%82%AF%82%E9&lr=

No.3318 - 2011/03/20(Sun) 22:29:54

Re: 地震 / kanakana
hatoさん

> > 世界を回って、気がつくと、日常にもどって来ました。
> > 意識しても、されなくても・・・本当にそう思います。
>
> こんばんは。
> kanakanaさんは、さまざま経験され、学ばれているのでは、と思います。


すみません、余計なことを書きました・・・。

hatoさんの言葉、まるできれいな織物を見ているようです。
見事に隙間なく、正確に、なおかつ美しく織られていると感じます。
そしてそれだからこそ、読んでいるこちらにも、その意味が確かに伝わります。

「好雪片々不落」も楽しみにしています。


ubik0101さん

おおお〜〜〜〜と思わず言ってしまいました。
自力で穴を開けることは、考えていませんでした・・・。
詳しく教えてくださってありがとうございます。

検索も見てみます。
そうですか〜自分でも穴が開けられるのですね〜。

No.3319 - 2011/03/21(Mon) 09:57:10

Re: 地震 / hato

こちらこそ。とても、ありがとうございます。

> そうですか〜自分でも穴が開けられるのですね〜。

ほんとですね、ダーリンおそるべし。です。

今日はふたりで、金芽柘植(キンメツゲ)の苗木を買いました。庭には、楽しみにしていた、白いクロッカスの花が咲き始めてるところです。

No.3320 - 2011/03/21(Mon) 22:51:03
ビジネスと聖書 / あだち
    聖 名 讃 美

     あなたの「ビジネスマン宣教」はいかがですか。 
 この世の神である「金」に魂を売らざるを得ない人々の「不条理」は
 いかんともしがたいモノがあります。
  しかし我らは「天の神」を宣べ伝える「責務」があり、「特権」が
 与えられております。
  その理論と実際をこの「メッセージ」で明らかにして参ります。
 
       こころを強くする「メッセージ」のご案内
      http://www4.ocn.ne.jp/~kokoro/
     
        ご笑覧ください。     安達三郎

No.3310 - 2011/03/18(Fri) 10:56:07
みどりの庭から / hato
花冷えにしても、まだ風は冷たいよう。東京ではまた雪とか。こんな季節もすきだけど、身体には少々こたえます。寒さ疲れか、今日は一日寝込みました。

ubik0101さんにお願いしてジャム入りヨーグルト、菜花が3つ添えられていて、顔がほころびます。ミルク粥と熱い珈琲で、すこし元気になりました。

No.3297 - 2011/03/10(Thu) 20:41:44

Re: みどりの庭から / hato

庭は梅から、早い桜の花がみごとに。さくらんぼの実が楽しみな木です。ふと顔も、qqq・・・と、綻んでしまうのです。

No.3298 - 2011/03/10(Thu) 20:44:26

Re: みどりの庭から / さらだ
体調を壊されたのですね。
大丈夫ですか?

地震の被害も大丈夫でしたでしょうか。
なんだか日本中大騒ぎですね。

No.3299 - 2011/03/14(Mon) 20:28:26

Re: みどりの庭から / ubik0101&hato

こんばんは。お気遣いを、ありがとうございます。大変なことでしたね。つい先ほど、ブログでsuhoさんの無事を確認できて、ひとまず安堵しました。さらださんも、皆様にも、どうぞ大事ないようにと思います。ひとつひとつ、できることをしていきましょう。

ここでは震度4程度でしたが、まるで音もなく揺られて、眩暈かと思いました。庭に出て、ubik0101さんに揺れてる?と聞いて、メダカ鉢の水が大きくうねっているのでやっと確認しました。

hato

こちら静岡の西部で、地震、大丈夫でした。ラジオとネットで見て、胸が痛いです。原発が気になります。

ubik0101

No.3300 - 2011/03/14(Mon) 21:26:25
みどりの庭から / ubik0101
まだまだ寒い日没風景、走る車の中からです。
No.3292 - 2011/03/05(Sat) 16:56:10

Re: / ubik0101
風に散った椿の花です。
No.3293 - 2011/03/05(Sat) 16:57:16

Re: / ubik0101&hato

たぬき、餌を置いてみました。携帯カメラのズームです。

ubik0101

近くのおじさんによると、昼の農作業中にも近寄ってくるそうです。でも狂犬病に注意しなければならないようで、撫でたりしてあげられません。

hato

名前は、臨済。に決めました。

No.3294 - 2011/03/05(Sat) 17:04:08

Re: / ubik0101
なんか可愛い小さな春の青い花が庭に咲いてる・・・と思って検索してみると・・・これが、おおいぬのふぐり、でした。
No.3295 - 2011/03/05(Sat) 19:47:19

Re: / hato

オオイヌフグリ、田平子(胡瓜草)、ホトケノザ・・・梅の花々が満開の枝間に、早春の空が映えます。

No.3296 - 2011/03/05(Sat) 20:09:24
一対一? / ubik0101
たしかに子供の頃の死の恐怖が契機になって、自分が自分と思うことを否定していく、否定の道を歩き始めたと思います。でも、恐怖が理由だとしても、それを忘れて遊んで暮らそう。あるいは一日を懸命に生きよう。あるいは哲学や宗教にすがろう。とか様々に結果は現れるかもしれません。

つまり、その原因としての契機と、その結果としての人の状態は、一対一に固定されてはいません。なので契機に人の状態の理由を求めるのは、不確実なところがあります。 けど、そもそも、どうして、自分が自分を知らないことに、気がつくのでしょうか。どうして、わたしは誰?「自分自身を知れ」を意志できるのでしょうか。

もしかして。これに答えようとして、その理由を探ると・・・結果から逆に原因を探ることになり・・・ことさら思考が一対一に対応して、それだけで実情に合わなくなってしまう可能性があります。

たとえば初めから知ってるのだけど、それを忘れてるのだ。知ろうとしなければ、知ってるのだ。もともと知りようがないのだ。とか。どうしても人の現状の解釈からの原因を探ることになり、不正確な思考になるかもしれません。また、そんな思考は、自分を「知る」、ということが既に前提になってて、それを疑わない無知の上に乗って展開されてるかもしれません。

続きます。

No.3262 - 2011/02/22(Tue) 13:08:08

Re: 一対一? / ubik0101
それで、一対一に対応してないことを探るのは、理論的には説明は困難な感じもします。なんだか、またも取り留めのない話になるかもしれません。が、このことからも見えてくることがありそうです。

たとえば自我は、世界との、自分との分離、孤立化、だと説明されることがあります。そうだとするなら、自我が解決されたら・・・その逆・・・真理は、切れ目のない、ひと繋がりの世界、ということに決着しやすいでしょう。

また自我は、騒がしい心理的な思考だ、と説明されることがあります。そうだとするなら、自我が解決されたら・・・その逆・・・そんな思考がないことが、波風の起きない平穏なことが、自我からの解放だと思われやすいでしょう。

ほとんど同様なことですが、自我は、空想の過去、未来、現在に迷ってることだ、目標が設定されてることが迷いだ、と説明されることがあります。そうだとすると、自我が解決されたら・・・その逆・・・たとえば、いまここ、知覚からの直接行動、ありのまま、時間のないこと、などが真実だと思われやすいでしょう。

続きます。

No.3263 - 2011/02/22(Tue) 13:09:40

Re: 一対一? / peer
>そもそも、どうして、自分が自分を知らないことに、気がつくのでしょうか。どうして、わたしは誰?「自分自身を知れ」を意志できるのでしょうか。

どこかで欠けてしまった。からではないでしょうか。
真実を確認しなかった、誤魔化した、ウソをついた。
そんなことの数々があり、切れ切れになっている自分を
自分では、無意識に知っているワケでして。
欠けた部分があると、知らない自分がいるという感覚になる。
欠けた所が「自信のなさ」になって。
私は誰。が生涯に取りつく・・・。

No.3266 - 2011/02/24(Thu) 04:26:08

Re: 一対一? / さらだ
「ひと繋がりの世界」
「波風の起きない平穏なこと」
「いまここ、知覚からの直接行動、ありのまま、時間のないこと」

を悟りとして否定されるのかなと思って拝読していたのですが、そういう意味でもないようです。

ただ、何かを否定した結果、それらが導き出される筋道がおかしい、とご指摘されているのかと思いました。

悟りや覚醒は「体験」なんだ、というお話かもしれません。

No.3267 - 2011/02/24(Thu) 07:33:50

Re: 一対一? / ubik0101
peerさん

たとえば白い花の椿。その知覚は、ほかの要素が混じらないで、一対一に対応してるでしょう。白い花は白い花。しかし・・・白い花だけではなくて・・・たとえば赤い花もある、桜も咲く・・・とか一対一に対応してない、ここにあることから、ここにないことに外すことのできる意識。そこに生じる迷いがあるでしょう。

けど、なにかの、たとえば隣人との出来事・関係が、軋轢・苦痛だとして、出来事・関係と、軋轢・苦痛が、一対一に対応してないから、解放がある、ということもあるでしょう。そこに学ぶことが可能になってるようです。また逆に、たとえば関係は関係、軋轢は軋轢、苦痛は苦痛だけ、一対一に対応する、それもあり、です。

それで、ともかく。あの場合は一対一に対応してる、この場合は一対一に対応してない、として思考すると言うよりも、瞬時に直感で了解する。そこでも思考停止が起こる。そこに対応してる、してないという、それまで気がつかなかった束縛からの解放が起こるようです。

No.3268 - 2011/02/24(Thu) 13:31:06

Re: 一対一? / ubik0101
さらださん

そうですね。たとえば自我も無我も自己も、なにか個別のこととして理解しては。それを掴むことに掴まれてしまい、そのことに気がつかないでいることもあります。

でも、なぜそれがそうなのか、たとえば一対一?その仕組みを自覚することで理解がより明確になる、と感じます。そのことはまた一旦は外れた体験に、この日常が接近する・・・世界の総活動、中道が目前にある、です。

6本か8本だったか、アクリルの透明な棒でできた立体パズルがあります。それぞれの棒には切り込みがあって、ほかの棒と組み合わせることができます。けど。それを、どう一対一とか、一対二とか三とか個別に組み合わせても・・・さまざま理解しても・・・パズルは完成しません。

そうでなく。あらかじめ、おおよその完成形を総てのアクリルの棒で作り、それを軽く両手に包んで、じわっと力を込めると、カチッと、音がして組み上がります。ネットで探してみたのですが、見つかりませんでしたが、そんな喩えができると思います。

No.3269 - 2011/02/24(Thu) 13:47:22

Re: 一対一? / ubik0101
続きです。

さらに自我は、人が自分で自分を自覚しようとすることだ、とも説明できます。そうだとすると、自我が解決されたら・・・その逆・・・人は、自分を自分で自覚できない、ということに落ち着きやすいでしょう。

そして自我は、世界が人にしてあげてるのに、それを人が自分でしてると思い違う、とも説明できます。たとえば「世界が自分を必要にしてる」というように現れる・・・このことは自我がない、ということの証明のようなことですが、それでもなお自我・・・とか説明できます。そうだとすると、自我が解決されたら・・・その逆・・・それは主体性の発生。あるいは受動性だ、ということに決着しやすいでしょう。

ほかにも自我については・・・ない、のに、ある、と思い違うこととか。仮の自分。無知。善悪の問題。とかがあるでしょう。そして、それぞれに対応した解釈がなされます。それは自我の解決という結果から、原因を探る思考です。(ここらあたりで、なにかを対象にして集中して思考するという自我の機能を排除するのではなく、それを使って理解しよう・・・ということを学ぶことができるかもしれません)。

No.3270 - 2011/02/24(Thu) 13:52:41

Re: 一対一? / ubik0101
続きです。

どれも、あながち誤りでもないのですが、その、どれかを個別のこととして採用するなら・・・それは一対一に固定された解釈、つまり誤解でしかないかもしれません。 どのように自我、その解放を捉えるかで、なにか世界観が生じて、それを掴むことに掴まれるかもしれません。

ならば、人の経緯としては、「思考して思考して思考しまくって」、ひとつの世界観だけに拘らないようになること。(ここらあたりでは、総ての光の色を重ねると透明になる・・・この世界は総ての意味を孕んで無意味・・・ということを学ぶことができるかもしれません)。それは、ほかの人のいう宗教や哲学に依らず、なにかを理解したら忘れて世界を見る・・・一人で正確に真摯に探求するなら、自然に推移することでもあります。

ところで、自我がない、その仕組みを見ることは重要だとしても、それはあの体験の一過程です。その世界の総活動。中道。その最中に起こる出来事です。これは思考は、なかなか届かないのですが、たとえば自我、無我、自己、を捉えることに囚われる必要がないのです。そのことは世界、つまり目前に展開されてる、です。

hatoさんと、御前崎に釣りに行ってきました。

No.3271 - 2011/02/24(Thu) 13:57:29

Re: 一対一? / ubik0101
市場では、こんな魚を売ってました。
No.3272 - 2011/02/24(Thu) 14:04:13

Re: 一対一? / hato

早春の肌寒さが残る頃、東京では、よく雪が降りました。

好雪片々不落

よい雪は、世界の何処におちるでしょう。
それはつと、瞬きながら閃いて、いずこもなく消えていき

その雪一片は、世界のただ闇に跳躍と見えつ間に音影なく

不落別處

まるで知覚や思考やこの意識の、遥か遥か未明に飛翔するものだから

もはや、意識はその焦点を失い
ただただ膨大な非知非意味に、席巻されるものかも、知れません。


ubik0101さんと、楽しみにしていたスノードロップが、咲き始めました。

No.3273 - 2011/02/24(Thu) 21:35:54

Re: 一対一? / suho
> hatoさんと、御前崎に釣りに行ってきました。

この写真見逃してました。
いいですねー。赤と青が映えてます。

御前崎は20年くらい前に仕事で行ったことがあります。
断崖沿いの風景が異国のような雰囲気で
ほえーっとトキメイタものでした。
いいところですねー。

No.3282 - 2011/02/28(Mon) 11:15:17

Re: 一対一? / hato

> この写真見逃してました。
> いいですねー。赤と青が映えてます。


suhoさんこんばんは。いつもありがとうございます。あれなんでしょうね、赤いポストみたいで印象的でした。いま自分でちょっと気に入ってるのは、土筆の2枚目の、クローズアップです。

昨晩こちらは、suhoさんの春の花画像集を見つけて、可憐な花びら、雄蕊雌蕊の繊細な・・・そのまま空に舞ってしまいそうな軽やかさを楽しんでました。


> 御前崎は20年くらい前に仕事で行ったことがあります。
> 断崖沿いの風景が異国のような雰囲気で
> ほえーっとトキメイタものでした。
> いいところですねー。


御前崎。画像は港風景ですが、本当は御前崎灯台の辺りが有名ですね。サーファーのメッカ。確かに、あの断崖景色は壮観で・・晴れた日には富士山が見えます。

灯台元の、寂れた昔風グランドホテルに寄ってみたら、入り口の水槽に、クエ(ハタ)の大きいのが一匹いました。近くの魚市場で、キンキ?(に似た魚、上品な白身に脂が乗ってとても美味です)を買って帰りました。

No.3283 - 2011/02/28(Mon) 20:35:41

Re: 一対一? / hato

それで、御前崎近辺から見た風力発電機。大きな逆扇風機です。こちらはダーリンが、走る車中から撮影しました。圧巻です。

No.3284 - 2011/02/28(Mon) 20:41:36

Re: 一対一? / suho
> suhoさんこんばんは。いつもありがとうございます。

こんばんは。

>あれなんでしょうね、赤いポストみたいで印象的でした。いま自分でちょっと気に入ってるのは、土筆の2枚目の、クローズアップです。

たおやかな感じですね。

> 昨晩こちらは、suhoさんの春の花画像集を見つけて、可憐な花びら、雄蕊雌蕊の繊細な・・・そのまま空に舞ってしまいそうな軽やかさを楽しんでました。

わーい。ありがとうございます。

> 御前崎。画像は港風景ですが、本当は御前崎灯台の辺りが有名ですね。サーファーのメッカ。確かに、あの断崖景色は壮観で・・晴れた日には富士山が見えます。

確かに壮観でしたですね。

> 灯台元の、寂れた昔風グランドホテルに寄ってみたら、入り口の水槽に、クエ(ハタ)の大きいのが一匹いました。近くの魚市場で、キンキ?(に似た魚、上品な白身に脂が乗ってとても美味です)を買って帰りました。

ほほー。いーですなー。

ウビさんの写真もまたいいですねー。
キレの良さを感じます^^
写真て、撮る人のエッセンスが顕れるのでほんと面白いです。
自分の写真はよくわからないのですけどね。

No.3285 - 2011/02/28(Mon) 21:04:56

Re: 一対一? / ubik0101&hato

suhoさんの写真は、繊細で、質感が凄っ。とくに、青い葉の光・・・花びらの・・・画素数の違いが、現れてるだけじゃないんだろうなあ〜・・と、思いました。

No.3286 - 2011/02/28(Mon) 21:37:07

Re: 一対一? / suho
>
> suhoさんの写真は、繊細で、質感が凄っ。とくに、青い葉の光・・・花びらの・・・画素数の違いが、現れてるだけじゃないんだろうなあ〜・・と、思いました。


こそばゆいかんじです。。
うーん。まだまだ試行錯誤な感じなんです。
例えば↓な写真を拝見すると

http://www.zorg.com/pub/favod?c=iimirnonsw&fm=1

棲っ棲っ棲棲棲棲〜っっ(@_@)となって、
はぁ〜、す・て・き・・ふにゃっ
となってしまいます。。

No.3287 - 2011/02/28(Mon) 22:38:33

Re: 一対一? / ubik0101
ちょいくどい続きです。

それで、なんでもいいのですが、たとえば「心理的思考、葛藤が、自我」だとします。それは、怒りなら怒りだけ、不満なら不満だけで、それだけ、という意味で一対一なら、それは葛藤、自我でさえないです。または、それに埋没してるから気がつかない自我です。

ただ「心理的思考、葛藤が自我」、というだけでは正確ではありません。というのは、自我は知覚できない・・・ただそれは日常で人の行動、発言、思考によって知覚できるようになる・・・ということを見逃してはなりません。その知覚できるようになった活動を、自我の機能と呼んでいます。

もちろん日常、そんな知覚できる活動があっても、なくても、人が自我なら、自我です。この機能が非活動の自我・・・たとえば映画や自然を見てて何の問題もなくても自我・・・も解決しなければ自我の解決ではありません。

また、心理的な思考を自我とするならば・・・ちょっと自我の機能の欠片と、それを解決した有り様の欠片を=で繋いでるという意味で一対一と見なしています。これは、とくに無我から見た、自我の、とある機能です。これに留まるなら無我を掴むことに・・・たとえば心理的な思考がないことを「よし」、として・・・掴まれてしまうかもしれません。

これは、それだけを個別のこととして・・・分離がないとか、無知がないとか、時間のないこと、受動的なこと、善悪のないこととか掴まずに・・・が総て活動してるのでなければ、思考できないことを思考によって判断することになりやすいのです。その思考は、手放すことに躊躇う必要はありません。意識から失われても、なくなることはなにもない、です。

と、いうのは、総ては世界の機能だからです。自我も、無我も、自己も・・・怒りも、喜びも、悲しみも、思考も・・・森羅万象が、世界です。それは目前にあります。そこになんの問題もないです。この見られることも見ることも、世界の総活動です。

No.3288 - 2011/03/01(Tue) 09:00:31

Re: 一対一? / ubik0101
suhoさんの紹介してくれた写真、それを撮ってる主観を排した無機質傾向?それでも個性は隠せない、なのでしょうか。suhoさんの写真は、無機質でありながら有機質で、きっと優しい性格が滲みでてるのかな?とか思いました。

そういえばもう何十年も前に、初めて勤めた広告会社で、大きくプリントされた白川議員のヒマラヤの写真を見て《ここに神がいる》て、冷たい荘厳を感じたことがあります。

No.3289 - 2011/03/01(Tue) 09:23:13

Re: 一対一? / suho
> suhoさんの紹介してくれた写真、それを撮ってる主観を排した無機質傾向?それでも個性は隠せない、なのでしょうか。

最初から「いい写真とるぞー」と意気込み満々で撮ると、いくら構図や画質が素晴しくても、固くて息苦しい雰囲気がどうあってもにじみ出てしまう。
なんにも期待せず、素直にピンときた対象を、その場に湧いている感性にぴたりとはまるよう構図・タイミングを調整して(これはほとんど無意識ですが)撮ると、素直な写真になる感じがします。撮る人によってその場に湧く感性は様々なので、同じ被写体をとっても香りに違いが出るのでしょうね。。
写真に限らず、言葉、動作など、どうあっても個性は隠せないような感じがします。
現象はいつもあからさま。。
現象一切が曇りなき主観(個性)と言えるかもしれません。

> そういえばもう何十年も前に、初めて勤めた広告会社で、大きくプリントされた白川議員のヒマラヤの写真を見て《ここに神がいる》て、冷たい荘厳を感じたことがあります。

自然はけっして「やさしい」感じではないですよね。
人の情感には全く納まらない感じです。

>その思考は、手放すことに躊躇う必要はありません。意識から失われても、なくなることはなにもない、です。

一切をはらりと手放すのが最もシンプルですが、これは大切だから残しておいて、これはいらないから手放してとか、順番に少しずつ、とかやっているとなかなか手放せない。。
表層はほとんど手放せても中心だけはなかなか手放せないとか。。
これも個体個々の個性、センス、気質によるのかなーと感じます。

No.3290 - 2011/03/01(Tue) 10:17:01

Re: 一対一? / hato

芸術として写真を撮ることは、自分は範疇外ですね。構図・・色具合とか・・個々には殆ど考えてないですもの。携帯カメラの気楽さが調度いいのでしょう。

白川という人の画像は、ubik0101さんに出会ったごく始めの頃、こんな写真ほかに知らないよ、と教えて貰って見ました。

今日は、薄灰色の曇り空に春雨です。庭のジョウビタキが、梅の木あたりに跳びました。雪解けの春近い・・・でしょうか。

No.3291 - 2011/03/01(Tue) 13:47:43
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