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みどりの庭から / hato

梅が咲いたよ

ひとつ、ふたつ、みっつ

No.3222 - 2011/02/12(Sat) 21:32:20

Re: みどりの庭から / hato

白い地に薄い朱が、ほんのり、柔らかい

No.3223 - 2011/02/12(Sat) 21:32:51

Re: みどりの庭から / hato

肌がツンと張る朝に

凛々しくほんのり、やわらかい

No.3224 - 2011/02/12(Sat) 21:33:16

Re: みどりの庭から / hato

梅が咲いたよ

No.3225 - 2011/02/12(Sat) 21:33:51

Re: みどりの庭から / hato

秋の収穫を楽しんだ柿の古木や梅の木の、傍らに置いた二本の畝には、大根、葱、赤玉葱、白菜、青梗菜。そして、春菊。ubik0101さんが丁寧に手入れしてくれて、わたしも大好きな春菊は、その味が待ち遠しい。

三本目の畝は未完成、こちらも春すぎのお楽しみです。

No.3226 - 2011/02/12(Sat) 21:35:48

Re: みどりの庭から / hato

玉すだれや彼岸花のように、ある日突然生え揃って群生し、暮れから賑わってくれた水仙も、終盤に差しかかっており、

No.3227 - 2011/02/12(Sat) 21:36:29

Re: みどりの庭から / hato

さくらんぼの枝にはまだかたい芽が、もう少し、冬を育ちます。

No.3228 - 2011/02/12(Sat) 21:37:01

Re: みどりの庭から / hato

この冬は、ubik0101さんお手製、美味しい味噌汁に、早咲きの菜花が味を添えてくれました。

No.3229 - 2011/02/12(Sat) 21:37:38

Re: みどりの庭から / hato

そんな苦味がふと、春を呼び覚ますかのような菜。

No.3230 - 2011/02/12(Sat) 21:38:11

Re: みどりの庭から / hato

ローズマリーの群生は、寒かったこの季節にも、小さな薄紫の花を咲かせていました。

No.3231 - 2011/02/12(Sat) 21:39:06

Re: みどりの庭から / hato

するとひょっこり、あすなろが見えます。

No.3232 - 2011/02/12(Sat) 21:40:15

Re: みどりの庭から / hato

ひっそりと佇む、今は主もない古家の脇に、昔からのいとすぎが、風を避けるように大きく並んでいます。

No.3233 - 2011/02/12(Sat) 21:41:00

Re: みどりの庭から / hato

その傍らに、大きな大きな椿の木。白い花がいくつも咲きます。

No.3234 - 2011/02/12(Sat) 21:41:34

Re: みどりの庭から / suho
> その傍らに、大きな大きな椿の木。白い花がいくつも咲きます。

はぁー。。
これはこれは美しい。。

No.3235 - 2011/02/16(Wed) 08:30:33

Re: みどりの庭から / ubik0101&hato

なんと、いつもありがとうございます。

suhoさんのブログ、すこし前から見ていました。ふたりとも、リンクしました。画像はさすがプロフェッショナルですね。

未知がまま
http://suworld.blog70.fc2.com/


ふと、我が家のモスです。

No.3236 - 2011/02/16(Wed) 22:37:08

Re: みどりの庭から / suho
> suhoさんのブログ、すこし前から見ていました。ふたりとも、リンクしました。

ありがとうございます。
僕のブログにもubiさんのHPをリンクしました。

以前紹介したカバヤの「ざっくりクッキーチョコ」
最近、スーパーで品切れが多く、なかなか買えません。。
そんなときはしょうがないからブルボンの「アルフォートミニチョコレート」で我慢します。
http://www.bourbon.co.jp/catalog/item?category=29&item=383

しかしいまさらながら、なぜ「クッキーチョコ」と名づけたのか疑問です。
正確には量配分から「チョコクッキー」ではないかと思うのですが。。
ま、うまいから、どうでもいいか。。

それでは。

No.3237 - 2011/02/16(Wed) 23:39:37

Re: みどりの庭から / ubik0101&hato

> そんなときはしょうがないからブルボンの「アルフォートミニチョコレート」で我慢します。

それ、知っています。なんでも100円ショップで、よく買います。後味が、微かに独特な感じです。

No.3238 - 2011/02/17(Thu) 08:09:14

Re: みどりの庭から / hato

> ありがとうございます。
> 僕のブログにもubiさんのHPをリンクしました。


この件、承知しました。先走ってごめんなさいね、よい気持ちがしないかも知れませんので、わたしのページからは削除しておきましょう。ubik0101さんにリンクが入っていれば通じるのでそれで。

こちらご連絡まで。

No.3239 - 2011/02/17(Thu) 15:39:06

Re: みどりの庭から / suho
> この件、承知しました。先走ってごめんなさいね、よい気持ちがしないかも知れませんので、わたしのページからは削除しておきましょう。ubik0101さんにリンクが入っていれば通じるのでそれで。

コメント気づくの遅くてすみませんでした。
リンクはぜんぜんOKですよー。
誰でもリンクフリーですから。あ、これブログに書いておけばよかったですね。
hatoさんのHPもリンクしましたー。

No.3240 - 2011/02/17(Thu) 22:21:36

Re: みどりの庭から / suho
いまhatoさんのHPを見たところ、TOPページ以下の下層ページが文字化けしているようでした。
もしかしたらウィンドウズで開くと読めないことになっているかもしれませんね。。それとも、僕のPCだけかなー。。
ぜひ拝見したいので、ご確認よろしくお願いします。

No.3241 - 2011/02/17(Thu) 22:34:37

Re: みどりの庭から / suho
何度もすみません。
文字化けの原因がわかりました。
僕が普段使っている「googleクローム」というブラウザが原因でした。。
ウィンドウズのIEではちゃんと見れましたので。。
大変お騒がせしました。
では、これから拝見します。

No.3242 - 2011/02/17(Thu) 23:03:00

Re: みどりの庭から / hato

あらら、ご腐心をいろいろと、ありがとうございました。では遠慮なくこちらも改めてリンクしますね。
そう、ubik0101さんのページでは、リンクページ表示が掲示板の入り口にあるので、秘かな感じがいいかも知れません。

今しがた、わたしのほうもGoogle クロームで読めるよう手入れしてくれました。とくに書いていませんが、こちらもリンクフリーです。

さて、12時をまわりましたが、本日はとても切ないことがあって、たくさんたくさん泣きました。空模様もどしゃぶりぴったり。でも、一晩眠ってお日様昇るなりです。

すこし空気が暖かな感じでしょうか。庭には、ダーリンもとても気に入ってる、こんな景色を見ています。

No.3243 - 2011/02/18(Fri) 00:10:31

Re: みどりの庭から / suho
> 今しがた、わたしのほうもGoogle クロームで読めるよう手入れしてくれました。

はい。読めました^^

>とくに書いていませんが、こちらもリンクフリーです。

了解です。ありがとうございます。

> さて、12時をまわりましたが、本日はとても切ないことがあって、たくさんたくさん泣きました。空模様もどしゃぶりぴったり。でも、一晩眠ってお日様昇るなりです。

そうでしたか。。
泣くとすっきりしますね。

> すこし空気が暖かな感じでしょうか。庭には、ダーリンもとても気に入ってる、こんな景色を見ています。

緑の芽が可愛らしいですねー。
今日はとても風が強いです。雨もたくさん降ってます。
階段でオヤジゴケしないよう、気をつけなければ。。

No.3244 - 2011/02/18(Fri) 06:36:49
(No Subject) / ubik0101
>絶望が具体的な世界のものであれ、抽象的な思索の世界の絶望であれ。
>具体的なものがあれば、関連、経緯として話せるでしょうということ。それなら、関連、経緯が、意味があります。
>抽象的なものなら、具体的には話せない、具体的な関連、経緯は話せない、ないということ。


これまで絶対不自由について話したことは。たとえば、掲示板に投稿すること、投稿しないこと、保留すること・・・また庭作業でもすること・・・どうすることも選択の自由なのです。が、それは、そうすることができるように世界ができてるから、できるということです。

つまり、ご飯を食べることも、お茶にすることも、歩くことも、呼吸することも、考えることも、そう世界ができてるから、できるということです。それは、まったく具体的な話と思います。

そして。なんでも自由としても、そのことが不自由です。に、気がつくなら、どうやっても重い閉塞感が漂うのではないでしょうか。これまでこう考えたこともありませんが、あえて雰囲気を喩えれば、どうしても解けない葛藤、また禅の公案(取り組んだことはないですが)のようなことかもしれません。

このようなことは抽象的なことだと見なすとしても、抽象的?に話せるわけです。それは具体的に話すことと、どう違うのか?抽象と具体に分けることは、理由が解りませんが、そんな経緯もあるということなのでしょうか。

>そして、私には、関連があること、つまり、経緯、いきさつ、細かい事情を経ることの必要は、必ずしもないということがあります。
>その点は、いかがですか?


これは、アバターラさんには、絶対不自由の経緯は必要ではなかった。という意味の文章なのでしょうか?そうだとして・・・ここでubik0101は、なにかの経緯が必要だと主張してるわけでもありません。また経緯が問題でないなら、 人の現状がどうなのか?ということに尽きるのではないでしょうか。

ところで否定の道は、子供の頃の死の恐怖が契機だったと思います。でも、死が恐いから、それを理由に、遊んで暮らそう。あるいは豊かに生きよう。あるいは一日を懸命に生きよう。とか様々に現れるかもしれません。つまり、契機と、衝動は、一対一に固定されてはいないかもしれません。なので契機に衝動の理由を求めるのは、不確実なところがあります。

No.3221 - 2011/02/10(Thu) 17:43:41
絶対不自由 / ubik0101
あるとき、おそらく1000年くらいも前のことでしょうか。雪が降る空に向かって厖(ほう)居士が指を示しました。そして、「好雪片々不落別處」。世界が変わりました。それで、たとえば、この掲示板などでも、その話をしています。

もしそこで、居士が、空に指を示さなかったら、どうなんでしょう。おそらく、この、どうなんでしょう、ということさえ、起こり得ないのではないでしょうか。ここは、起こりえなかったことが起こった、あり得なかったかもしれない、世界なんでしょうか?

ふと思いついて、ビーフシチューをつくりました。と、いっても素材は(ビーフシチューのルー、大根、人参、じゃがいも、玉葱)つまり牛肉なし、です。大根カレーも、なかなかです。

No.3186 - 2011/02/03(Thu) 12:57:07

Re: 絶対不自由 / hato

そのビーフシチューを、ランチに頂きました。こってりしたシチューの地に、みずみずしい大根の、たっぷり汁が、ふしぎな風合いです。

疲れた夜には、白子と人参、葱のポン酢仕立て。酸化防止剤無添加ワインの赤が決まって、なんと美味しい。

ペコちゃんポコちゃんは、シールのなかのチョコレート。
さて絶対不自由。

・・・也か否か、お楽しみとっておきです。

No.3187 - 2011/02/03(Thu) 23:48:30

Re: 絶対不自由 / peer
ビーフシチューなんですね。。うむ。
和洋折衷の雰囲気〜
子供の頃は貧しかったからか、家で作ったシチューもカレーも
肉の代わりにチクワが入っていました。

>もしそこで、居士が、空に指を示さなかったら、どうなんでしょう。おそらく、この、どうなんでしょう、ということさえ、起こり得ないのではないでしょうか。ここは、起こりえなかったことが起こった、あり得なかったかもしれない、世界なんでしょうか?

起こることが決まっていた。というのは、ないですか?。
それでこそ絶対不自由。
そこで感じるのは、指をさしたのは、自己の意志ではなく。
居士がいて、雪が降っている。
その時に指をさすのは、もともと、決まっていた。
因があり結果がある。のであれば。

No.3189 - 2011/02/04(Fri) 02:09:52

Re: 絶対不自由 / ubik0101
peerさん

なんだか、総ては決まってるのかもしれません。と、いうアプローチもあるのかもしれません。しかし、それでは。たとえば、ちくわカレーは、peerさんの家で宇宙開闢から、56億年で現象するように決まってた、とか。すでに時間の要素が前提にされるかもしれません。また、運命とか、偶然とか、必然とか、個別の個人の要素が前提にされてるかもしれません。総ては決まってる、ということが事実かどうか、検討も、確認も困難に思います。

たとえば、総ては決まっていた、あるいは決まってない、ということが確認できたとして、その確認することも決まってた?という疑問が生じるかもしれません。たとえば自由意志があるとしても、そう思えるだけ、また、自由意志も、そういう決まったこと、となるのでしょうか。決まってた、決まってない、どちらも堅固に思えるだけの、実は、あやふやな空想なので採用しない、その隙間が現実・・・それもまた、いいかもしれませんが・・・こう考えます。

たとえば自由意志があるとして、それを行使するとして、それは、自由意志が行使できるように、この世界が出来てるから、行使できるのではないでしょうか。つまり、なんであれ、それが出来るようにできてるから、出来るだけ・・・ほかの言い方では、選択してる、そのことは選択させられてるだけ・・・ではないでしょうか。

たとえば空に指を示すことは、空に指を示すことができるように、世界ができてるから、できるだけ、です。「好雪片々不落別處」と言えるように、世界ができてるから、出来るだけです。それは、また、空に指を示さないことも、「好雪片々不落別處」と言わないことも、そう世界ができてるから、出来るだけです。

てくてく歩いてて喫茶店に寄ることも、通り過ぎることも、歩くことも、見ることも、聞くことも・・・歩かないことも、見ないことも、聞かないことも・・・なにか出来ることも、できないことも、そのようにできてるだけです。こう思考しないことも、することも、そうできるように世界ができてるから、こう思考できるだけです。

とくに時間の要素を持ち込むまでもなく、この個別の個人の要素を持ち込むまでもなく・・・つまり、どんなことも自由、それこそが、どうしても不自由・・・です。それで、絶対不自由、と呼びます。ならば、その、無限とも言える銀河、質量、時間、空間の重さは、どうしたことなのでしょう。

No.3190 - 2011/02/04(Fri) 08:47:52

Re: 絶対不自由 / peer
>空に指を示すことは、空に指を示すことができるように、
>世界ができてるから、できるだけ、です。


そうです。だから「決まっている」こと、なのでは?
そのように出来ていなければ、出来ない事ですから。
瞬間の偶然ととることも、必然ととることも、できる。
しかし出来ていなければ、自由意思は存在しない。
空を指したいと思っても(自由意思)、そう出来ていなければ・・・。

「好雪片々不落別處」と言えたのは、その瞬間、言えるタイミングがあった。
雪が降っていなかったら、言わなかった。
相手がいなければ、言えなかった。
言える時と場所と相手がいて初めて行われた。ありがたい。

>無限とも言える銀河、質量、時間、空間の重さは、どうしたことなのでしょう。

さあ。これで遊びなさい。ということかも。
わたしらは、そのようなココで生まれた小さな子供。
限定した遊び方しか、、、していない。モッタイナイ。

No.3192 - 2011/02/04(Fri) 14:14:24

Re: 絶対不自由 / ubik0101
続きです。

くり返します。もしかして、この世界は、とても儚い、あやうい、かすかな、ことなのではないでしょうか。たった、指一本で変わってしまうのですから、羽毛のように軽いのではないでしょうか。そう、感じないでしょうか。それが人の日常ではないでしょうか。この軽さは、どうしたことなのでしょう。

そうでなく、絶対不自由から始めるなら、この世界の範疇から始めるなら、どう探っても、運命も、偶然も、必然も、因も、果も、それを繋ぐとされる縁も、自由意志も、どうにも重く、その範疇にしかないのではないでしょうか。それで、どうして世界は絶対不自由なのかと、疑問を発するところ、それは、なんでしょう。

No.3194 - 2011/02/04(Fri) 20:39:24

Re: 絶対不自由 / hato

シールのなかの、チョコレート。

それは・・・

No.3195 - 2011/02/04(Fri) 21:06:01

Re: 絶対不自由 / peer
>指一本で変わってしまうのですから、羽毛のように軽い
>のではないでしょうか。


これを「変わった」「軽い」と感じるのはどうして〜?
たとえば私ごときが指一本、指示しても、なんともならず。
誰にも無視され、世界は微動だにせず。とても重い。
どうよ? 居士ゆえに、、、なんでしょ?。

>それで、どうして世界は絶対不自由なのかと、疑問を発するところ、
>それは、なんでしょう。


・・・あまり疑問は発しないですが。
絶対不自由にしているのは、当の人間でしょ。
肉体が自分である。と思えば、束縛されまくり〜で。

・・・でなければならない。
・・・であるべきだ。
・・・みんな、そう言っている。
こんな観念に縛られて、その不自由さに気づかない。のです。

No.3196 - 2011/02/05(Sat) 02:04:45

Re: 絶対不自由 / ubik0101
>>これを「変わった」「軽い」と感じるのはどうして〜?
>たとえば私ごときが指一本、指示しても、なんともならず。
>誰にも無視され、世界は微動だにせず。とても重い。
>どうよ? 居士ゆえに、、、なんでしょ?。


どうして〜?、の理由がない、です。どれも、とても説明になりますが。いかなる判断としての概念も観念もない日常、ということです。たとえば家から歩いて、空を見上げるだけで、犬を連れた人と挨拶するだけで、世界が変わります。

バタフライ効果を指摘する必要もなく、ことさらに世界を対象にせず、見る聞く歩く、そのこと事態が、軽いのです。たとえば、どこか掲示板に投稿する、投稿しない、なにか思考する、その呼吸そのこと事態が、すでに変化です。

ことさら世界を対象に、つまり外に見ることなく、中に見ることなく、 たとえば世界の歴史を変えたと見なされる科学者、哲学者、賢者、と自分を比較の対象にせず・・・ この個人としての自分を評価せず・・・判断としての否定にも組みせず、肯定にも組みせず、です。

これは、そのような、いかなる概念とか観念とかが削除されてる、否定されてる、横にどけてる、それは意識にない、念頭にない、という意味ではないです。

たとえば過去も未来も現在も、掴まない、掴めない・・・なにかが・・・たとえば喜び、怒り・・・思考としての、あってもいい、なくてもいい、ではなく・・・それを生きてる、です。 そのようにしか人は、あり得ないのではないでしょうか。

続きます。

No.3197 - 2011/02/05(Sat) 09:10:18

Re: 絶対不自由 / ubik0101
>・・・あまり疑問は発しないですが。
>絶対不自由にしているのは、当の人間でしょ。
>肉体が自分である。と思えば、束縛されまくり〜で。
>・・・でなければならない。
>・・・であるべきだ。
>・・・みんな、そう言っている。
>こんな観念に縛られて、その不自由さに気づかない。のです。


いろんな経緯はあるでしょう。ただ自分は、まったく、自我がない、ということを気付きもしてない頃、絶対不自由に、気がつきました。なんどか言いましたが、俺は自由だ。どこでも走れる。という機関車が、ふと下を見たら、レールが敷いてあった。

どうやっても、楽しくても、悲しくても、その上しか走ってない。これは、絶望と呼べないほどの悲惨な絶望でした。それが、なにもかも、かなぐり捨てた否定の道のあげくにあった、その底にあった、ことでした。とても世界は重く、のしかかっていました。数年間、そこをさまよいました。

それで、なんの切っ掛けもなく、あの体験が起こりました。絶対不自由が逆転したのです。それは、自我があるとかないとかでは、説明できませんでした。自我がない、それと、どんなことでもない、意識の、世界の範疇にあるとは言えない、自己、その了解・・・それを失うこと・・・が必要でした。

No.3198 - 2011/02/05(Sat) 09:44:58

Re: 絶対不自由 / アバターラ
悩み自体が具体的でないので、あの体験があまり意味を持ちませんか。
No.3199 - 2011/02/06(Sun) 10:27:13

Re: 絶対不自由 / ubik0101
ここでアバターラさんが言う、「悩み」とは・・・絶対不自由を指すのでしょうか。それを関知しないで、他人事にするなら、具体的なことではないでしょう。

あるいは・・・「悩み」とは・・・いわゆる葛藤とか、軋轢、とかを指すのでしょうか。それも傍観して、他人事にするなら、そもそも具体的ではなく、「悩み」でさえないのではありませんか。

そのように、なんであれ他人事とするなら「具体的なことではないので」、とか思考できる・・・その、そのことも無意味とは言えないでしょうが・・・こともありそうです。

また「あの体験があまり意味を持ちませんか」。ですけど・・・あの体験なしに開設もあり得なかった、このhpとか掲示板とかが・・・凄く意味があるんだとか、あまり意味を持たない・・・とか感じることはないです。

なにか質問、疑問とかがありましたら、その趣旨を明確に具体的にしていただければ、話が早いと思います。

そんな能力はないと思うのですが・・・いつもナナ(猫)が昼寝してる日溜まりの草むらに『昼ご飯だよ』と、呼びに行ったら、なにかの羽(ヒヨドリ?)が散乱していました。

No.3200 - 2011/02/06(Sun) 11:57:57

Re: 絶対不自由 / ubik0101
続きです。

この世界の、なにか個別な、もの、こと、に縛られてる自我という・・・また・・・この世界の範疇にあるわけではない自己という、拠り所を失って・・・ある、のは、つまり機能してるのは・・・なんと呼んでもいいのですが、現象/事象/因果/知覚とその対象・意識とその対象(一切)、だけです。しかしこれも実は、姿勢として無我を前提にしています。無我を拠り所にしています。

ところで。この世界は。なにか、もの、こと、を無理に拠り所にしようとすれば、掴もうとすれば・・・無理に拠り所にしよう、掴もうとするという機能が働くだけです。そして、拠り所にしないことも、拠り所にできない、ということがあります。つまりニュートラル、です。

けど。ここから、どこにもギアは繋がっています。この意味では、自我も、無我も、自己も、それは世界の機能です。なんの問題もないです。そんな世界の機能を拒むと、それを拒む、ということが状態として生じるだけです。 もし自我が、なにかを守るように、無我が、なにか、因果とか知覚とかを擁護するように機能するなら、とくに用はありません。

No.3201 - 2011/02/07(Mon) 11:38:59

Re: 絶対不自由 / ubik0101
続きです。

この世界のどこに、自我があります?どこに、無我があります?どこに、因果があります?どこに、自己があります。どこに、いまここがあります?どこに、無選択があります?どこに、知覚からの直接行動があります?どこに、意味があります?どこに、無意味があります?なにか、そんな依存できる特定の、個別のことがあるでしょうか?

その、ない、ということが理解されるということは、それが個別のこととしてではなく、意識の対象にはなってはないけど、機能してるということです。それが、理解して失う、けど、なくなることは何もない、ということです。でなければ、いつだって、なんだって拠り所になる可能性があるでしょう。

くり返します。理解して失う・・・ならば、なにかが機能してても・・・見る、聞く、話す・・・怒り、悲しみ、喜び・・・なにかの思考・・・事象/現象/因果/知覚とその対象・意識とその対象(一切)・・・自我、無我、自己・・・なにも拠り所として掴むことができないのではないでしょうか。

そんな機能が、世界、です。その世界も、世界を個別のこととして掴むことはなく・・・とても説明すれば、世界は世界を忘れてる、のです。どれが機能しても、どれも拠り所にはならない・・・それを、無常、と呼ぶのではないでしょうか。つまり、人を解脱させる機能が、世界、その活動です。

No.3202 - 2011/02/07(Mon) 11:41:28

Re: 絶対不自由 / peer
それを突破させるのが「死」じゃないかしら。
でも「死を怖れて」近づかないから、不自由を不自由に当てない。
魚は、水の中に居ます。どこにでも行きます。なんでもします。
自由にエサを食べたり自由に子孫を増やしたり、自由に。
でも、水の中に居てこその自由。
魚はたぶん水を意識していない。
水から出たら、ちょっとはねてみて、それから・・・
人も、この地球上にいれば、自由でしょう。
それこそ、自我の束縛を受けないとすれば、自由で。
肉体が自分だということなら、地球上においてのみ。
自由であるから人は地球上に居ることを意識しない。

No.3203 - 2011/02/07(Mon) 14:31:30

Re: 絶対不自由 / ubik0101
まあ、ふつうは。なぜ世界の自由が、実は不自由なんだろう?と疑問を発する、そのことは、不自由からは外れてる・・・世界から外れてる・・・でなければ疑問を感じない・・・です。

でも、こいうことは、自我を失い、無我を失い、自己を失い、まったく日常に埋没しないと・・・世界が幻のように儚いことであり、それには依存できない・・・世界が何だろうと無問題・・・ということが明確には判らない・・・変なもんです。

なにかの新芽が、朽ちかけた切り株から出ていました。

No.3204 - 2011/02/07(Mon) 22:46:14

Re: 絶対不自由 / peer
まぁ。それにしても。それは、人の頭の中だけで起きている事としての、それとどう違うのかしら?
Aという認識からBという認識へ変わったとしても、似たようなモノかもしれないと思うのですが。
この世に存在しているということは、依存しようとしなくても世界に依存している。。のでは?

No.3205 - 2011/02/08(Tue) 03:42:54

Re: 絶対不自由 / ubik0101
ま、逆に。世界は人の頭の中では不自由なのかもしれません。と、言っても・・・頭がなければ、自由。というわけでもないでしょう。そんなことなら不自由なのに、それに気がつかなければ、自由。としてるようなことでしょう。それでは解決ではないです。これも直接に辿る道はないのですが、説明を試みてみます。

なんであれ自分には見えないなら、ない、わけではないでしょう。また。ないことは見えない(その、ない、ことの確認もしてない、つまり空想なのに、それに気がつかない)で・・・見えるなら、どんなことも、ある。というわけでもないでしょう。つまり、これはあるよ。というだけの知覚。じゃ、それ以外は、ないんだね。という意識に依存することはできない、です。

また、たとえば。ご飯を食べてるのに、ご飯に依存しないとか、ありえないのでは?世界に生きてながら、世界に依存しないなんて、ありえないのでは?とか、この世界の範疇、不自由から始めたら、どうあっても、この世界の範疇、不自由、です。 そのように特定された、固い、重い、思考される世界では・・・ほかの世界を思うなら、もうアウトですが・・・自由が、不自由として現れています。

No.3206 - 2011/02/08(Tue) 09:32:44

Re: 絶対不自由 / アバターラ
絶望・・・自由、不自由に関して、自分がこうなりたい、こうしてもらいたいと、よりよい状態を期待し、その実現を願う・・・その希望を失いそうになる、なくなりそうな感じ、
絶望、それを悩みという言葉で表現した。
さて、自由、不自由に関する、その絶望が、具体的にどんなものか、なぜそれが問題になったのか、はっきりさせないと、あの体験が、あまり意味を持たないでしょう。

No.3211 - 2011/02/09(Wed) 11:47:55

Re: 絶対不自由 / peer
そこは、じつは、はっきりしているのでは?
ubik0101さん曰く
不自由を見るためには自由の場を作らなければならない。
ってことじゃないですか?
そして、その場を得たので、見えた。っと。

No.3212 - 2011/02/09(Wed) 13:08:02

Re: 絶対不自由 / ubik0101
ん?すでに話しています。否定の道は、わたしは誰?です。そこで否定することが見つからなくなったところで・・・そうなろうとしてではなく・・・また、なにか哲学の課題として問題になったのではなく・・・この自分、その生活が・・・絶対不自由です。

でもなお、アバターラさんが、そう言う理由は。ubik0101には見落としがある。アバターラさんは、絶対不自由を経緯して、それをはっきりさせた。ので・・・どんなアバターラさんの、あの体験か知りませんが・・・意味があるということでしょうか。それは何でしょう?

No.3214 - 2011/02/09(Wed) 13:33:55

Re: 絶対不自由 / アバターラ
> さて、自由、不自由に関する、その絶望が、具体的にどんなものか、なぜそれが問題になったのか、はっきりさせないと、あの体験が、あまり意味を持たないでしょう。

あの体験自体の意味を聞いているのではありません。

どう希望し、絶望したのか、具体的にどんなものか、なぜ問題になったのか、そこを話さないと、二つのものの関連としては、意味がないでしょうということ。

No.3215 - 2011/02/09(Wed) 16:34:39

Re: 絶対不自由 / ubik0101
わたしは誰?の衝動は、ものごころが生じた頃に始まったのですが、希望なんですか?なにか、家とか車とか地位とか名誉とか、なにかと比較できる、とあること、また人の状態、境地とかを求めることではなかったので・・・そもそも、なにかを求めてることも否定する、否定の道なので・・・それが希望とは、思ってもいませんでした。

そして絶対不自由は、その否定の道のあげくに、自分がそうなっていた。ということです。道を歩いたら行き着いた、ということで、あれかこれかというように、希望と絶望という較べられるような「二つのものの関連」として、意味を読みとるのは困難です。

まあ、自分の中心を見たいという衝動を、あえて希望と命名しても・・・もし中心が見えてたら、絶対不自由に行き着かなかったかもしれませんが・・・自分の中心が見えない、という理由で絶望したわけではないと思います。

それでもなお、わたしは誰?を希望と命名して、絶対不自由を、絶望と命名して。あたかも葛藤、自我の機能のように比較するとして・・・その希望は絶望だった・・・とか命名しても。そこに意味があるとは思えないです。

No.3217 - 2011/02/09(Wed) 22:27:52

Re: 絶対不自由 / アバターラ
わかりました。
自由、不自由に関して、悲惨な絶望、世界が重くのしかかる、さまようとは言っても、具体的に、どういうことというのは、まったくないので、その領域内では返事がない、できないということ。
実際は、自由、不自由についての抽象的な世界での、抽象的思索だけがあったということ。
そこは答えられる。

No.3218 - 2011/02/10(Thu) 11:17:20

Re: 絶対不自由 / ubik0101
アバターラさんが、それを経緯したこともなく、抽象と考えてるのは、判りました。
No.3219 - 2011/02/10(Thu) 11:44:13

Re: 絶対不自由 / アバターラ
一部分、その場合、そうです。

>>あの体験自体の意味を聞いているのではありません。

>>どう希望し、絶望したのか、具体的にどんなものか、なぜ問題になったのか、そこを話さないと、二つのものの関連としては、意味がないでしょうということ。

絶望が具体的な世界のものであれ、抽象的な思索の世界の絶望であれ。
具体的なものがあれば、関連、経緯として話せるでしょうということ。それなら、関連、経緯が、意味があります。
抽象的なものなら、具体的には話せない、具体的な関連、経緯は話せない、ないということ。

そして、私には、関連があること、つまり、経緯、いきさつ、細かい事情を経ることの必要は、必ずしもないということがあります。
その点は、いかがですか?

No.3220 - 2011/02/10(Thu) 14:20:28
実験 / ubik0101
その1

たとえば、友人を家に招きます。そして、たとえば風呂に入ってもらいます。その間に、そっと友人の服を自分が着てしまいます。その代わりに自分の服を置いておきます。その友人は、なにも疑問を持たずに、その服を着るでしょうか?

そんな、気の置けない友人がいるといいのですが。これから実験する、と意気込んで実験しても、もしかして失敗するかもしれません。

さて、ともかく、なりゆきで自然に服を交換して、食事をしたり、飲んだり、談笑でもしてみてください。すると、自分の前にいる、その友人が自分なんです。つまり、談笑してる、相手が自分、と実感します。

その2

たぶん夜のほうがいいです。ふつうに車を誰かに運転してもらって、自分は助手席に座ります。そこで。なにか、とりとめないことを考えてる、そのときは、思考を見ていて、眼は風景を見てますが、風景に意識は注意してない、ほとんど見えてない状態です。

その状態のまま、ちょっとシフトして、意識が注意してない風景を見ます。すると、車が走ってるのではありません。向こうから流れ来る道路が自分の中に吸い込まれていきます。知覚は、そのように見てるのかもしれません。また車の横の風景も、いつもと違って見えると思います。これは、そうしようとしなくても、そうだと気がつくかもしれません。

どちらも、たあいのないことですが、ちょっと面白いかもしれません。

No.3207 - 2011/02/08(Tue) 13:56:35

Re: 実験 / peer
なんというか〜一種独特の感性みたいな気もします。
他の方はどうか分かりませんが。

その1については、それを実感するのは難しいかな。
洋服を見ているわけではなく、その人を見ているし。
やっぱり〜ひとりひとり人間には特有の資質・個性があって。
深いところで、それは感じて関わっているような気がします。
その2についても、3D画像のようなものかな〜と、、、、。

>たとえば家から歩いて、空を見上げるだけで、犬を連れた人と
>挨拶するだけで、世界が変わります。


これ↑。どんなふうに変わるのかずっと考えてましたが
やっぱり、わからない。

No.3208 - 2011/02/09(Wed) 02:31:31

Re: 実験 / ubik0101
それは、そう、であって、そう、であることには気がつかないというケースでもあるかもしれません。そうなら、たとえば因果を、なにかの幾何学の図形の意味を解くために描かれる(もともとは図形には描かれてない)補助線のようなこととして使って、見えないことが見えてくる、ということもありそうです。

まあ因果は、世界に描いた、補助線のようなことで、あくまで概念です。それは、もともとは図形に描かれてない空白に意図して描かないと、見えません。それが見えると言うことは、世界からは、ちょっと外れてる・・・対象化・・・そうしてる自分も世界から外れる。そんな見方を要します。それで、どうやっても因果は世界との整合性がありません。

まあ、極端に言えば、そんな判断とか、解釈とか、比較とか・・・葛藤、軋轢・・・騒がしいことばかり人はやってるとも言えるのです。 それで、それが静まっていく途中にあって、たとえば固定観念、既成概念、に埋もれてた因果の概念が明確になる、という捉え方もできます。ごつごつした大理石の塊を彫ると、青年ダビデが現れる。ざわざわ自我の騒がしい話し声が静まると、どこかで美しいせせらぎが聞こえてくる。ように、です。

で、そんな因果はそれはそれで機能し、とても実用になります。 とりあえず因果を理解したら、それを外に見ずに、因果=私。となります。この場合の私も、ちょっと世界と外れてますが、いわゆる無我に偏ってますが・・・ここで見ると、せせらぎの音は私、青年ダビデは私、世界は私、思考は私、見るものは見られるもの、私がなければ世界はない、とか。いろいろ表現はあるでしょう。

続きます。

No.3209 - 2011/02/09(Wed) 09:54:21

Re: 実験 / ubik0101
このあたり、です。因果を変えるのは因果です。世界を変えるのは世界です。ということが実感として事実になります。これは、誰もがそうなんです。そうであって、それに気がつかないだけです。とくに因果という経緯でなくても、いいです。たとえば知覚からも、あるない、からも、ふつうに寝たり起きたり働いたりも、「悪いことをしてはいけない、善いことをしよう」も、おそらく、それらの組み合わせが、経緯でしょう。

それで、ともかく。初めて、空を飛ぶ鳥に指を差すだけで、呼吸をするだけでも、呼吸を止めるだけでも、世界が変わることに気がついたときは、かなり驚きました。そうなんだ。これを自覚することは、かかっていた世界の圧力を、 ひっくりかえすくらいの、感覚がありました。 これでよし、です。

この 世界に乗ってる ・・・♪♪♪運転手は僕だ、車掌は君だ・・・ それはそれで当たり前なので、ことさら感じる必要もないのですが、それを感じて、それが日常になると、因果も用がなくなります。無我も不要です。それが世界の軽さです。とても説明すれば、たとえば食物は消化されると見えなくなる。なにか意識から失われても、なくなることは、なにもないので、引きずって歩くこともない、です。

No.3210 - 2011/02/09(Wed) 09:59:15

Re: 実験 / peer
因果を変えるのは情報です。世界を変えるのは情報です。
と言えそうです。
世界には、もともと情報しかない。みたいな〜
これは、あると思えばあるし、ないと思えばない
ようなものでしょう。
情報に使われるか、情報を使うか。
使われるほうは不自由で、使う方になれば自由。っと。

No.3213 - 2011/02/09(Wed) 13:16:35

Re: 実験 / ubik0101
> 使われるほうは不自由で、使う方になれば自由。っと。

たしかに、それで倒錯、顛倒、の解決です。つまりは、方向としては、解脱、です。

ところで、ある意味、凄っ+な歌を見つけました。

イヨマンテの夜  伊藤久男.wmv

http://www.youtube.com/watch?v=8UxL8fJshnw&feature=related

No.3216 - 2011/02/09(Wed) 21:01:30
(No Subject) / peer
>あのとき、ああすればよかった。《過去》。
>そうしたら、こうでは、なかった。《現在》。
>そうだとしたら、どうなるだろう。《未来》。
>そんな・・・過去、現在、未来・・・それは空想の時間旅行です。
>そのことは、自分が自分と分離してる、
>そのことが可能にしているのではないでしょうか。


《過去》こうしたら《現在》こうではなかった・・・かどうか
分かったもんじゃないのに、そんなふうに考えるんですよね。
何か、落ち着く場所を求めてのことでしょうか。
これを「反省することで未来は変わる」と観る人もいますが。
このクセがあったら、、、変わらないと思う。
終わってしまったコトは、どうとでも言えるし思えるし。
今に不満がある。それだけのことなんですから。

コトガラには、真の意味はなくて、どう解釈するか
しか人には与えられていないのかも。
解釈によっては、様々に受けて採れてしまう。
因果も、その筋の話じゃないかな〜。

原因があって結果がある。も、それだけのこと。
種がなければ、根も葉も出ない。ワケです。から。
そのことに、意味づけして、浮いたり沈んだり。
自分がどんな種なのか、知らないから因を知りたがる。
ということかも知れない。

>世間話としても。ことさら関係ないこと(因)、たとえば
>「天変地異やら暴動」を、ことさら「変革の時」という
>(果)と関係づける、ことはないです。


これは〜因果の話とは、別のことで。
世間は無常な物で、様々に変化しております。
小さな対岸の波も、折り返して高波になることもある。
変化を、ある意味、、楽しんでいるトコロもある。

No.3178 - 2011/02/02(Wed) 02:32:58

Re: / アバターラ
降っている雪が、形は変わるが、積もる雪となる場合。
そこに同じものであるということを認めるので、
だから、その変化を説明するのに、原因、結果を求めるのでしょう。
あるいはその変化を説明するのに、相互関係を求める。

No.3179 - 2011/02/02(Wed) 11:42:09

Re: / peer
降っている雪と、積もった雪が「同じ」と
継続させようとするのが思考の仕事なのでしょう。
同じくさせる必要がどこにあるのか?
それは、どこにもないのに思考は維持したがる性格があるようです。
ただ。人が生活していくことにおいて、先回りして準備する
思考の性格が活用されます。
いつも言われることですが、それにも、囚われず。が肝心要で。
先回りして準備したことを無駄にしたくない・・・(執着)
現実を準備したコトに合わせたくなる。そこが、問題になってしまうのでしょう。

No.3180 - 2011/02/02(Wed) 12:03:36

Re: / アバターラ
継続は、変化を認めるときに、ひとりでにあるのでしょう。
ほら、ほら、食べないとご飯が冷えるよ。
そのとき、同じご飯であることは、前提になっている。

No.3181 - 2011/02/02(Wed) 12:51:16

Re: / ubik0101
たとえば・・・過去を変えることができるなら、因果は成立しないでしょう。そしてまた、未来を変えることできないなら、因果は成立しないでしょう。

このように、思考を知覚している・・・そこでは部屋の空気やテーブルや椅子は眼には見えてはいても、それを意識は見ていません・・・ふと、その思考が終わります。そこで窓の外を見ます。

その瞬間に、知覚は、風景で一杯に塗り変えられ・・・冬の青い空・・・庭・・・その思考の余韻も、速やかに消えていきます。

その風景には因果の概念は、探すまでもなく、ありません。その、ないことにおいて・・・ざわめく樹、鳥の鳴き声・・・この、とんでもない世界・・・これは何なんだろう・・・ここに理解が起きるようです。

No.3182 - 2011/02/02(Wed) 13:33:13

Re: / peer
>ほら、ほら、食べないとご飯が冷えるよ。
>そのとき、同じご飯であることは、前提になっている。


そうですね。
そして、「自分の都合」の範囲内の変化を観ています。
都合の範囲以上の変化を、人は認めたくないかも、です。
雪、と観れば雪にこだわり。
ご飯、と観ればご飯にこだわり。
ソコしか見ませんが、ソコは世界の、ほんの一部。

そこでubik0101さんの言う、
その風景には因果の概念は、探すまでもなく
・・・となります、か。

No.3183 - 2011/02/02(Wed) 13:47:56

Re: / hato

そして、そのとある森では、滝が凍っていました。

No.3184 - 2011/02/02(Wed) 19:39:34

Re: / アバターラ
> ソコしか見ませんが、ソコは世界の、ほんの一部。

ものを買うとき、ものは移動しますが、買おうとしたのと、別のものかどうかを気にし、ある意味、確認します。
賞味期限がくるとき、ある意味、同じものが変化したのであって、別のものだとはみなしていない。
そういうものの世界のことであるにすぎない。
この世界があるので、思うこともそれに合っている。

それしか見ない世界というのは、都合よく、動かそうとして、思っている世界のことなのでしょう。
その場合はその都合のいい世界と動かそうとして思うことは合っていない。
そのとき、ものの因果は合わず、消えるが、思うことにはその因果があるということ。

No.3185 - 2011/02/03(Thu) 08:40:26

Re: / peer
>それしか見ない世界というのは、都合よく、動かそうとして、
>思っている世界のことなのでしょう。


自分の見えるモノが、すべてであると思うのでしょう。
見えるモノの世界は、見えないモノの力に支えられて、
そこに存在している。ということもありますが。
見えないモノ。その一つが因果の法則とも言えます。
そこが見えないので、自分の都合でモノゴトをみてしまう
ということが、起きてくるのかも知れません。

No.3188 - 2011/02/04(Fri) 01:57:50

Re: / アバターラ
変化の中で、
変わらないものがあるのだとか、
変わらないものはないのだとか、
それにこだわるのも、
こだわらないでいいのだというのも、
この文化圏の病なのかな。

No.3191 - 2011/02/04(Fri) 10:55:18

Re: / peer
>変わらないものがあるのだとか、
>変わらないものはないのだとか、


非常に〜科学的だと思います。
物質世界の法則を忠実に科学したんじゃないかしら?
モノは誕生したとたんに崩壊へ動いて行きます。
壊れない・変化しない物質は、なにひとつない。でしょ?
変わらないモノとは、その法則のこと・・かな。
法則から逃れられるモノは、、ないと言えそうです。

No.3193 - 2011/02/04(Fri) 14:23:37
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