あるとき、おそらく1000年くらいも前のことでしょうか。雪が降る空に向かって厖(ほう)居士が指を示しました。そして、「好雪片々不落別處」。世界が変わりました。それで、たとえば、この掲示板などでも、その話をしています。
もしそこで、居士が、空に指を示さなかったら、どうなんでしょう。おそらく、この、どうなんでしょう、ということさえ、起こり得ないのではないでしょうか。ここは、起こりえなかったことが起こった、あり得なかったかもしれない、世界なんでしょうか?
ふと思いついて、ビーフシチューをつくりました。と、いっても素材は(ビーフシチューのルー、大根、人参、じゃがいも、玉葱)つまり牛肉なし、です。大根カレーも、なかなかです。
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No.3186 - 2011/02/03(Thu) 12:57:07
| ☆ Re: 絶対不自由 / hato | | | そのビーフシチューを、ランチに頂きました。こってりしたシチューの地に、みずみずしい大根の、たっぷり汁が、ふしぎな風合いです。
疲れた夜には、白子と人参、葱のポン酢仕立て。酸化防止剤無添加ワインの赤が決まって、なんと美味しい。
ペコちゃんポコちゃんは、シールのなかのチョコレート。 さて絶対不自由。
・・・也か否か、お楽しみとっておきです。
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No.3187 - 2011/02/03(Thu) 23:48:30 |
| ☆ Re: 絶対不自由 / peer | | | ビーフシチューなんですね。。うむ。 和洋折衷の雰囲気〜 子供の頃は貧しかったからか、家で作ったシチューもカレーも 肉の代わりにチクワが入っていました。
>もしそこで、居士が、空に指を示さなかったら、どうなんでしょう。おそらく、この、どうなんでしょう、ということさえ、起こり得ないのではないでしょうか。ここは、起こりえなかったことが起こった、あり得なかったかもしれない、世界なんでしょうか?
起こることが決まっていた。というのは、ないですか?。 それでこそ絶対不自由。 そこで感じるのは、指をさしたのは、自己の意志ではなく。 居士がいて、雪が降っている。 その時に指をさすのは、もともと、決まっていた。 因があり結果がある。のであれば。
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No.3189 - 2011/02/04(Fri) 02:09:52 |
| ☆ Re: 絶対不自由 / ubik0101 | | | peerさん
なんだか、総ては決まってるのかもしれません。と、いうアプローチもあるのかもしれません。しかし、それでは。たとえば、ちくわカレーは、peerさんの家で宇宙開闢から、56億年で現象するように決まってた、とか。すでに時間の要素が前提にされるかもしれません。また、運命とか、偶然とか、必然とか、個別の個人の要素が前提にされてるかもしれません。総ては決まってる、ということが事実かどうか、検討も、確認も困難に思います。
たとえば、総ては決まっていた、あるいは決まってない、ということが確認できたとして、その確認することも決まってた?という疑問が生じるかもしれません。たとえば自由意志があるとしても、そう思えるだけ、また、自由意志も、そういう決まったこと、となるのでしょうか。決まってた、決まってない、どちらも堅固に思えるだけの、実は、あやふやな空想なので採用しない、その隙間が現実・・・それもまた、いいかもしれませんが・・・こう考えます。
たとえば自由意志があるとして、それを行使するとして、それは、自由意志が行使できるように、この世界が出来てるから、行使できるのではないでしょうか。つまり、なんであれ、それが出来るようにできてるから、出来るだけ・・・ほかの言い方では、選択してる、そのことは選択させられてるだけ・・・ではないでしょうか。
たとえば空に指を示すことは、空に指を示すことができるように、世界ができてるから、できるだけ、です。「好雪片々不落別處」と言えるように、世界ができてるから、出来るだけです。それは、また、空に指を示さないことも、「好雪片々不落別處」と言わないことも、そう世界ができてるから、出来るだけです。
てくてく歩いてて喫茶店に寄ることも、通り過ぎることも、歩くことも、見ることも、聞くことも・・・歩かないことも、見ないことも、聞かないことも・・・なにか出来ることも、できないことも、そのようにできてるだけです。こう思考しないことも、することも、そうできるように世界ができてるから、こう思考できるだけです。
とくに時間の要素を持ち込むまでもなく、この個別の個人の要素を持ち込むまでもなく・・・つまり、どんなことも自由、それこそが、どうしても不自由・・・です。それで、絶対不自由、と呼びます。ならば、その、無限とも言える銀河、質量、時間、空間の重さは、どうしたことなのでしょう。
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No.3190 - 2011/02/04(Fri) 08:47:52 |
| ☆ Re: 絶対不自由 / peer | | | >空に指を示すことは、空に指を示すことができるように、 >世界ができてるから、できるだけ、です。
そうです。だから「決まっている」こと、なのでは? そのように出来ていなければ、出来ない事ですから。 瞬間の偶然ととることも、必然ととることも、できる。 しかし出来ていなければ、自由意思は存在しない。 空を指したいと思っても(自由意思)、そう出来ていなければ・・・。
「好雪片々不落別處」と言えたのは、その瞬間、言えるタイミングがあった。 雪が降っていなかったら、言わなかった。 相手がいなければ、言えなかった。 言える時と場所と相手がいて初めて行われた。ありがたい。
>無限とも言える銀河、質量、時間、空間の重さは、どうしたことなのでしょう。
さあ。これで遊びなさい。ということかも。 わたしらは、そのようなココで生まれた小さな子供。 限定した遊び方しか、、、していない。モッタイナイ。
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No.3192 - 2011/02/04(Fri) 14:14:24 |
| ☆ Re: 絶対不自由 / ubik0101 | | | 続きです。
くり返します。もしかして、この世界は、とても儚い、あやうい、かすかな、ことなのではないでしょうか。たった、指一本で変わってしまうのですから、羽毛のように軽いのではないでしょうか。そう、感じないでしょうか。それが人の日常ではないでしょうか。この軽さは、どうしたことなのでしょう。
そうでなく、絶対不自由から始めるなら、この世界の範疇から始めるなら、どう探っても、運命も、偶然も、必然も、因も、果も、それを繋ぐとされる縁も、自由意志も、どうにも重く、その範疇にしかないのではないでしょうか。それで、どうして世界は絶対不自由なのかと、疑問を発するところ、それは、なんでしょう。
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No.3194 - 2011/02/04(Fri) 20:39:24 |
| ☆ Re: 絶対不自由 / hato | | | シールのなかの、チョコレート。
それは・・・
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No.3195 - 2011/02/04(Fri) 21:06:01 |
| ☆ Re: 絶対不自由 / peer | | | >指一本で変わってしまうのですから、羽毛のように軽い >のではないでしょうか。
これを「変わった」「軽い」と感じるのはどうして〜? たとえば私ごときが指一本、指示しても、なんともならず。 誰にも無視され、世界は微動だにせず。とても重い。 どうよ? 居士ゆえに、、、なんでしょ?。
>それで、どうして世界は絶対不自由なのかと、疑問を発するところ、 >それは、なんでしょう。
・・・あまり疑問は発しないですが。 絶対不自由にしているのは、当の人間でしょ。 肉体が自分である。と思えば、束縛されまくり〜で。
・・・でなければならない。 ・・・であるべきだ。 ・・・みんな、そう言っている。 こんな観念に縛られて、その不自由さに気づかない。のです。
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No.3196 - 2011/02/05(Sat) 02:04:45 |
| ☆ Re: 絶対不自由 / ubik0101 | | | >>これを「変わった」「軽い」と感じるのはどうして〜? >たとえば私ごときが指一本、指示しても、なんともならず。 >誰にも無視され、世界は微動だにせず。とても重い。 >どうよ? 居士ゆえに、、、なんでしょ?。
どうして〜?、の理由がない、です。どれも、とても説明になりますが。いかなる判断としての概念も観念もない日常、ということです。たとえば家から歩いて、空を見上げるだけで、犬を連れた人と挨拶するだけで、世界が変わります。
バタフライ効果を指摘する必要もなく、ことさらに世界を対象にせず、見る聞く歩く、そのこと事態が、軽いのです。たとえば、どこか掲示板に投稿する、投稿しない、なにか思考する、その呼吸そのこと事態が、すでに変化です。
ことさら世界を対象に、つまり外に見ることなく、中に見ることなく、 たとえば世界の歴史を変えたと見なされる科学者、哲学者、賢者、と自分を比較の対象にせず・・・ この個人としての自分を評価せず・・・判断としての否定にも組みせず、肯定にも組みせず、です。
これは、そのような、いかなる概念とか観念とかが削除されてる、否定されてる、横にどけてる、それは意識にない、念頭にない、という意味ではないです。
たとえば過去も未来も現在も、掴まない、掴めない・・・なにかが・・・たとえば喜び、怒り・・・思考としての、あってもいい、なくてもいい、ではなく・・・それを生きてる、です。 そのようにしか人は、あり得ないのではないでしょうか。
続きます。
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No.3197 - 2011/02/05(Sat) 09:10:18 |
| ☆ Re: 絶対不自由 / ubik0101 | | | >・・・あまり疑問は発しないですが。 >絶対不自由にしているのは、当の人間でしょ。 >肉体が自分である。と思えば、束縛されまくり〜で。 >・・・でなければならない。 >・・・であるべきだ。 >・・・みんな、そう言っている。 >こんな観念に縛られて、その不自由さに気づかない。のです。
いろんな経緯はあるでしょう。ただ自分は、まったく、自我がない、ということを気付きもしてない頃、絶対不自由に、気がつきました。なんどか言いましたが、俺は自由だ。どこでも走れる。という機関車が、ふと下を見たら、レールが敷いてあった。
どうやっても、楽しくても、悲しくても、その上しか走ってない。これは、絶望と呼べないほどの悲惨な絶望でした。それが、なにもかも、かなぐり捨てた否定の道のあげくにあった、その底にあった、ことでした。とても世界は重く、のしかかっていました。数年間、そこをさまよいました。
それで、なんの切っ掛けもなく、あの体験が起こりました。絶対不自由が逆転したのです。それは、自我があるとかないとかでは、説明できませんでした。自我がない、それと、どんなことでもない、意識の、世界の範疇にあるとは言えない、自己、その了解・・・それを失うこと・・・が必要でした。
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No.3198 - 2011/02/05(Sat) 09:44:58 |
| ☆ Re: 絶対不自由 / アバターラ | | | 悩み自体が具体的でないので、あの体験があまり意味を持ちませんか。
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No.3199 - 2011/02/06(Sun) 10:27:13 |
| ☆ Re: 絶対不自由 / ubik0101 | | | ここでアバターラさんが言う、「悩み」とは・・・絶対不自由を指すのでしょうか。それを関知しないで、他人事にするなら、具体的なことではないでしょう。
あるいは・・・「悩み」とは・・・いわゆる葛藤とか、軋轢、とかを指すのでしょうか。それも傍観して、他人事にするなら、そもそも具体的ではなく、「悩み」でさえないのではありませんか。
そのように、なんであれ他人事とするなら「具体的なことではないので」、とか思考できる・・・その、そのことも無意味とは言えないでしょうが・・・こともありそうです。
また「あの体験があまり意味を持ちませんか」。ですけど・・・あの体験なしに開設もあり得なかった、このhpとか掲示板とかが・・・凄く意味があるんだとか、あまり意味を持たない・・・とか感じることはないです。
なにか質問、疑問とかがありましたら、その趣旨を明確に具体的にしていただければ、話が早いと思います。
そんな能力はないと思うのですが・・・いつもナナ(猫)が昼寝してる日溜まりの草むらに『昼ご飯だよ』と、呼びに行ったら、なにかの羽(ヒヨドリ?)が散乱していました。
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No.3200 - 2011/02/06(Sun) 11:57:57 |
| ☆ Re: 絶対不自由 / ubik0101 | | | 続きです。
この世界の、なにか個別な、もの、こと、に縛られてる自我という・・・また・・・この世界の範疇にあるわけではない自己という、拠り所を失って・・・ある、のは、つまり機能してるのは・・・なんと呼んでもいいのですが、現象/事象/因果/知覚とその対象・意識とその対象(一切)、だけです。しかしこれも実は、姿勢として無我を前提にしています。無我を拠り所にしています。
ところで。この世界は。なにか、もの、こと、を無理に拠り所にしようとすれば、掴もうとすれば・・・無理に拠り所にしよう、掴もうとするという機能が働くだけです。そして、拠り所にしないことも、拠り所にできない、ということがあります。つまりニュートラル、です。
けど。ここから、どこにもギアは繋がっています。この意味では、自我も、無我も、自己も、それは世界の機能です。なんの問題もないです。そんな世界の機能を拒むと、それを拒む、ということが状態として生じるだけです。 もし自我が、なにかを守るように、無我が、なにか、因果とか知覚とかを擁護するように機能するなら、とくに用はありません。
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No.3201 - 2011/02/07(Mon) 11:38:59 |
| ☆ Re: 絶対不自由 / ubik0101 | | | 続きです。
この世界のどこに、自我があります?どこに、無我があります?どこに、因果があります?どこに、自己があります。どこに、いまここがあります?どこに、無選択があります?どこに、知覚からの直接行動があります?どこに、意味があります?どこに、無意味があります?なにか、そんな依存できる特定の、個別のことがあるでしょうか?
その、ない、ということが理解されるということは、それが個別のこととしてではなく、意識の対象にはなってはないけど、機能してるということです。それが、理解して失う、けど、なくなることは何もない、ということです。でなければ、いつだって、なんだって拠り所になる可能性があるでしょう。
くり返します。理解して失う・・・ならば、なにかが機能してても・・・見る、聞く、話す・・・怒り、悲しみ、喜び・・・なにかの思考・・・事象/現象/因果/知覚とその対象・意識とその対象(一切)・・・自我、無我、自己・・・なにも拠り所として掴むことができないのではないでしょうか。
そんな機能が、世界、です。その世界も、世界を個別のこととして掴むことはなく・・・とても説明すれば、世界は世界を忘れてる、のです。どれが機能しても、どれも拠り所にはならない・・・それを、無常、と呼ぶのではないでしょうか。つまり、人を解脱させる機能が、世界、その活動です。
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No.3202 - 2011/02/07(Mon) 11:41:28 |
| ☆ Re: 絶対不自由 / peer | | | それを突破させるのが「死」じゃないかしら。 でも「死を怖れて」近づかないから、不自由を不自由に当てない。 魚は、水の中に居ます。どこにでも行きます。なんでもします。 自由にエサを食べたり自由に子孫を増やしたり、自由に。 でも、水の中に居てこその自由。 魚はたぶん水を意識していない。 水から出たら、ちょっとはねてみて、それから・・・ 人も、この地球上にいれば、自由でしょう。 それこそ、自我の束縛を受けないとすれば、自由で。 肉体が自分だということなら、地球上においてのみ。 自由であるから人は地球上に居ることを意識しない。
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No.3203 - 2011/02/07(Mon) 14:31:30 |
| ☆ Re: 絶対不自由 / ubik0101 | | | まあ、ふつうは。なぜ世界の自由が、実は不自由なんだろう?と疑問を発する、そのことは、不自由からは外れてる・・・世界から外れてる・・・でなければ疑問を感じない・・・です。
でも、こいうことは、自我を失い、無我を失い、自己を失い、まったく日常に埋没しないと・・・世界が幻のように儚いことであり、それには依存できない・・・世界が何だろうと無問題・・・ということが明確には判らない・・・変なもんです。
なにかの新芽が、朽ちかけた切り株から出ていました。
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No.3204 - 2011/02/07(Mon) 22:46:14 |
| ☆ Re: 絶対不自由 / peer | | | まぁ。それにしても。それは、人の頭の中だけで起きている事としての、それとどう違うのかしら? Aという認識からBという認識へ変わったとしても、似たようなモノかもしれないと思うのですが。 この世に存在しているということは、依存しようとしなくても世界に依存している。。のでは?
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No.3205 - 2011/02/08(Tue) 03:42:54 |
| ☆ Re: 絶対不自由 / ubik0101 | | | ま、逆に。世界は人の頭の中では不自由なのかもしれません。と、言っても・・・頭がなければ、自由。というわけでもないでしょう。そんなことなら不自由なのに、それに気がつかなければ、自由。としてるようなことでしょう。それでは解決ではないです。これも直接に辿る道はないのですが、説明を試みてみます。
なんであれ自分には見えないなら、ない、わけではないでしょう。また。ないことは見えない(その、ない、ことの確認もしてない、つまり空想なのに、それに気がつかない)で・・・見えるなら、どんなことも、ある。というわけでもないでしょう。つまり、これはあるよ。というだけの知覚。じゃ、それ以外は、ないんだね。という意識に依存することはできない、です。
また、たとえば。ご飯を食べてるのに、ご飯に依存しないとか、ありえないのでは?世界に生きてながら、世界に依存しないなんて、ありえないのでは?とか、この世界の範疇、不自由から始めたら、どうあっても、この世界の範疇、不自由、です。 そのように特定された、固い、重い、思考される世界では・・・ほかの世界を思うなら、もうアウトですが・・・自由が、不自由として現れています。
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No.3206 - 2011/02/08(Tue) 09:32:44 |
| ☆ Re: 絶対不自由 / アバターラ | | | 絶望・・・自由、不自由に関して、自分がこうなりたい、こうしてもらいたいと、よりよい状態を期待し、その実現を願う・・・その希望を失いそうになる、なくなりそうな感じ、 絶望、それを悩みという言葉で表現した。 さて、自由、不自由に関する、その絶望が、具体的にどんなものか、なぜそれが問題になったのか、はっきりさせないと、あの体験が、あまり意味を持たないでしょう。
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No.3211 - 2011/02/09(Wed) 11:47:55 |
| ☆ Re: 絶対不自由 / peer | | | そこは、じつは、はっきりしているのでは? ubik0101さん曰く 不自由を見るためには自由の場を作らなければならない。 ってことじゃないですか? そして、その場を得たので、見えた。っと。
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No.3212 - 2011/02/09(Wed) 13:08:02 |
| ☆ Re: 絶対不自由 / ubik0101 | | | ん?すでに話しています。否定の道は、わたしは誰?です。そこで否定することが見つからなくなったところで・・・そうなろうとしてではなく・・・また、なにか哲学の課題として問題になったのではなく・・・この自分、その生活が・・・絶対不自由です。
でもなお、アバターラさんが、そう言う理由は。ubik0101には見落としがある。アバターラさんは、絶対不自由を経緯して、それをはっきりさせた。ので・・・どんなアバターラさんの、あの体験か知りませんが・・・意味があるということでしょうか。それは何でしょう?
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No.3214 - 2011/02/09(Wed) 13:33:55 |
| ☆ Re: 絶対不自由 / アバターラ | | | > さて、自由、不自由に関する、その絶望が、具体的にどんなものか、なぜそれが問題になったのか、はっきりさせないと、あの体験が、あまり意味を持たないでしょう。
あの体験自体の意味を聞いているのではありません。
どう希望し、絶望したのか、具体的にどんなものか、なぜ問題になったのか、そこを話さないと、二つのものの関連としては、意味がないでしょうということ。
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No.3215 - 2011/02/09(Wed) 16:34:39 |
| ☆ Re: 絶対不自由 / ubik0101 | | | わたしは誰?の衝動は、ものごころが生じた頃に始まったのですが、希望なんですか?なにか、家とか車とか地位とか名誉とか、なにかと比較できる、とあること、また人の状態、境地とかを求めることではなかったので・・・そもそも、なにかを求めてることも否定する、否定の道なので・・・それが希望とは、思ってもいませんでした。
そして絶対不自由は、その否定の道のあげくに、自分がそうなっていた。ということです。道を歩いたら行き着いた、ということで、あれかこれかというように、希望と絶望という較べられるような「二つのものの関連」として、意味を読みとるのは困難です。
まあ、自分の中心を見たいという衝動を、あえて希望と命名しても・・・もし中心が見えてたら、絶対不自由に行き着かなかったかもしれませんが・・・自分の中心が見えない、という理由で絶望したわけではないと思います。
それでもなお、わたしは誰?を希望と命名して、絶対不自由を、絶望と命名して。あたかも葛藤、自我の機能のように比較するとして・・・その希望は絶望だった・・・とか命名しても。そこに意味があるとは思えないです。
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No.3217 - 2011/02/09(Wed) 22:27:52 |
| ☆ Re: 絶対不自由 / アバターラ | | | わかりました。 自由、不自由に関して、悲惨な絶望、世界が重くのしかかる、さまようとは言っても、具体的に、どういうことというのは、まったくないので、その領域内では返事がない、できないということ。 実際は、自由、不自由についての抽象的な世界での、抽象的思索だけがあったということ。 そこは答えられる。
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No.3218 - 2011/02/10(Thu) 11:17:20 |
| ☆ Re: 絶対不自由 / ubik0101 | | | アバターラさんが、それを経緯したこともなく、抽象と考えてるのは、判りました。
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No.3219 - 2011/02/10(Thu) 11:44:13 |
| ☆ Re: 絶対不自由 / アバターラ | | | 一部分、その場合、そうです。
>>あの体験自体の意味を聞いているのではありません。
>>どう希望し、絶望したのか、具体的にどんなものか、なぜ問題になったのか、そこを話さないと、二つのものの関連としては、意味がないでしょうということ。
絶望が具体的な世界のものであれ、抽象的な思索の世界の絶望であれ。 具体的なものがあれば、関連、経緯として話せるでしょうということ。それなら、関連、経緯が、意味があります。 抽象的なものなら、具体的には話せない、具体的な関連、経緯は話せない、ないということ。
そして、私には、関連があること、つまり、経緯、いきさつ、細かい事情を経ることの必要は、必ずしもないということがあります。 その点は、いかがですか?
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No.3220 - 2011/02/10(Thu) 14:20:28 |
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