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未知の推測3 / suho
> どうも、この先もありそうなんですが、人の限界のようです。この、それぞれの層の緯(よこいと)系・・・それは断続して機能するようです・・・の依存関係と。それぞれの層を貫く、経(たていと)系・・・それは静まれば透明になるようです・・・の依存関係の交点が、日常、です。

現象(緯糸)って、経糸の上から眺めたら、経糸を中心に同心円状にひろがっている曼荼羅のようだったりして。
そのコントラスト(知覚差異)の変化率が時間で、いろいろな物語を生み出し、また新たなコントラストを展開しているとか。
その中心(経糸の位置)が、曼荼羅界?で自我と名付けられ、空想されている位置だったりして。。そこに同化していると見えない位置。
そんなイメージが湧きました。
曼荼羅もまんざらでないかも。。

【追記】
上のイメージは、3次元空間を前提にしているわけで。
つまり、経糸の位置を中心に同心円状に展開している現象(曼荼羅)は平面的な扱いとなりますが、現象は実際3次元空間として生起しているので、これを基準に空間イメージを再構築すると、経糸方向は位置を持たなくなります。3次元上では無となる。
イメージ的には、3次元空間ベースでは、現象(曼荼羅)は2次元に凝縮されていますが、そこには3次元的日常が全部凝縮されているので経糸上部からは全部見えている状態です。
この2次元の曼荼羅を3次元に復活させると、経糸方向はそもそも現象全てを見ている位置ですので、3次元の曼荼羅を全部みることができる位置、つまり曼荼羅それ自体に浸透している位置になります。

No.3098 - 2010/12/23(Thu) 07:54:24

Re: 未知の推測3 / ubik0101
まあ経と緯の、そのスケールは見渡す限り異ならず、互いに浸透してる・・・ここに透明感、自由感、寛ぎ感があります。それと、この世界は解きほぐれつつある実在で・・・その解きほぐれかたが、時間かな、と妄想します。そんな経緯の全体の姿は、とても掴めず、漠としています。
No.3102 - 2010/12/24(Fri) 09:19:00

Re: 未知の推測3 / suho
昨日スーパーにいって、ふとめにとまったお菓子。
カバヤの「ざっくりクッキーチョコ」
http://www.kabaya.co.jp/okitem/car_zakkuri_c.html

「なんだ。カバヤか。。」と素通りしそうになったのですが、どこか後ろ髪ひかれる感じ。
安売りしてるしまあいいかと買ってみたのですが。。

ハートを軽く射抜かれました。

大きすぎず、小さすぎないちょうどよいサイズ。
しかしあなどれないクッキーの厚み。
ひと噛み目にとどろくザクッっとした歯ざわり。
アーモンドパウダー入りのクッキーが口の中で香ばしくとろけます。チョコはさほどでもないですが、全体のバランスを乱していない。
ざくっ、ざくっ、ざくっと噛みすすめるとそこは至福しかありませんの世界。
味噌汁の最後の一滴を飲み干したときに地の底から湧き上がるようなヴぁぁ〜という喜びとはちと違いますが。。

未知からの168円のクリスマスプレゼント^^
「満足の9袋」というフレーズは間違いなかった。。
カバヤさん。見直しました。
パッケージ側面にはこんなコピーが。。
「素を生かし、素を味わう」

食べるという現象は、なんとも未知なる幸せです。

No.3108 - 2010/12/25(Sat) 08:40:32

Re: 未知の推測3 / ubik0101
そいえば。カリッと噛むと、すっと空気のように舌に溶けて、とても優しい香りを食べてるように感じる・・・たまごボーロ・・・子供の頃の大好物でした。

それを去年、神奈川のスーパーで、見つけました。たぶん2種類あって、ひとつはいまいち、だった記憶があったけど、これは大当たり、まったく同じ印象、そうそう、これこれ。なんか日本も捨てたもんじゃないって、感じでした。

というわけで「ざっくりクッキーチョコ」のパッケージの写真を携帯で撮って出掛けたけど、hatoさんと地元の野菜中心の食べ放題に満足して、ホームセンターで安売りの花の球根を見たら買ってしまい、忘れてしまいました。

この片田舎でも、売ってるでしょう。そのうち見つかったら、投稿します。ところで、ルンルン、ノンノンも、キャラメル、リンゴ、ポテトチップ、煎餅とか大好きです。どうも味覚は、動物は共通のようです。

No.3109 - 2010/12/25(Sat) 19:05:28

Re: 未知の推測3 / suho
> そいえば。カリッと噛むと、すっと空気のように舌に溶けて、とても優しい香りを食べてるように感じる・・・たまごボーロ・・・子供の頃の大好物でした。

はいはいはい。
いい味出してましたねー。
ちょっと口の中がぱさぱさしてくるので牛乳を飲みながら食べたりしてました。

> それを去年、神奈川のスーパーで、見つけました。たぶん2種類あって、ひとつはいまいち、だった記憶があったけど、これは大当たり、まったく同じ印象、そうそう、これこれ。なんか日本も捨てたもんじゃないって、感じでした。

日本も捨てたモンじゃないです。
地味だけどちゃんとまじめに商品作りしているメーカーはありますね。ミスターイトウとかギンビスとか。。
あ、別に菓子マニアではないですけど。

> というわけで「ざっくりクッキーチョコ」のパッケージの写真を携帯で撮って出掛けたけど、hatoさんと地元の野菜中心の食べ放題に満足して、ホームセンターで安売りの花の球根を見たら買ってしまい、忘れてしまいました。
>
> この片田舎でも、売ってるでしょう。そのうち見つかったら、投稿します。


機会があったら、ぜひ^^

>ところで、ルンルン、ノンノンも、キャラメル、リンゴ、ポテトチップ、煎餅とか大好きです。どうも味覚は、動物は共通のようです。

そうなんですね。
そーいえば、小さいころ手乗り文鳥を飼っていたとき、確かにお菓子やジュースなど普通に一緒に食べてたのを思い出しました。なんで文鳥はまぶたが下についているのか不思議でしたねー。手でくるんで頬擦りしながら名前を呼んであげると全身を震わせながら「ククククっ」と喜ぶんですよね。
鳥ってすごく敏感なんだなあと思いました。
毎朝、餌の殻吹きをしていたのですが、時々目に入って痛かった。ああ、中学校のころですね。

No.3113 - 2010/12/26(Sun) 06:18:03

Re: 未知の推測3 / ubik0101
あなどれないのが、ポップコーン、あの香ばしい噛みしめ感・・・黒砂糖味も、バター味も秀逸です。九州には、チェリー豆という、ウニ味のそらまめ、とかありました。さくさくで、もちもちの、オールレーズンも、なかなかです。

そいえばノンノンが雛の頃、お湯でふやかした剥き粟を小さなスプーンで食べさせたのですが、お腹一杯になると、首を横に振って、もういらない、て仕草をしてました。あれ、人と同じだ、と思いました。

No.3115 - 2010/12/26(Sun) 21:45:45
未知の運動 / suho
>この世界は解きほぐれつつある実在で・・・その解きほぐれかたが、時間かな、と妄想します。

それは確かなと。
全てが、全ての錯覚の中心を解きほぐすための精妙な運動と思います。

No.3114 - 2010/12/26(Sun) 07:50:58
不可逆 / hato
不可思議。それ、とは、文字通り、それ以上でも以下でもない、それです。
世界の外や中、上や下、そのようにありません。人によって違うものでもありません。尚、とある権威に無関係。不自由に無関係。信じることにも、無関係です。
総てに浸透する、否。総てを排除しない、否。いまここ、否。それである実在、諾。

それは世界を超えている、との理解。おそらくとても、困難ではないでしょうか。なぜなら人は、世界を生きるものであるからです。

道標はことごとく否定されざるを得ないのであり、変わらないものとは、世界と思われる世界、でなく、ただ眼耳鼻舌身意、自己と世界の仕組み、機能です。

自身と世界の有無とは、どちらでもあり・・・どちらでもない・・・どうとも表現不可能、それだけです。ここで初めて、世界は偏見に満ちた否定に晒されることがなくなります。人は、仕組みを仕組み、愛は、愛。であることを見ます。

偏りを超え、その、わたくし、であることは、世界と自己の仕組みは仕組みとして、確かに不可分なく成立していることの了解です。意味は過剰にありません。ここで再び逆に戻り、それを世界に照らし合わせる堂々巡りは起こりません。不可逆。それは、それ、として成立しています。物事を追って関係付けるのは、世界の、ことさら自我の作用であることが理解されます。

人は不可知への飛躍を、人生に於いて「経験」することで第一義が通ります。それは体験です。「自己」を見ることが起きるとは、それまでの日常をまったく超越する、体験であり、経験です。そして、理解する過程があります。過程は過程として、ことさら消し去られることなく、着色せず生きるとは、人が自己で在ることの経緯です。人は、嘘をとくことができません。

幸いとは、それは人に起こるものでありながら、起こすものでもあることです。

11月の終わりに、近くの水辺に、きれいな水草をみつけました。冬はメダカ鉢のホテイ草が枯れるので、嬉しい発見です。葉上に、朝露がまるく乗っていました。

No.3023 - 2010/12/14(Tue) 12:39:20

Re: 不可逆 / hato

メダカは、親たち、メタボさんたち、数十匹の子らと、しばらくの間、鉢は3つになりました。親とメタボの鉢は、バクテリアが効いて水が澄んでいます。子メダカのほうは鉢が大きいためか、まだ濁っています。春に睡蓮を植えるのが楽しみです。

No.3026 - 2010/12/14(Tue) 19:58:22

Re: 不可逆 / hato

人に、知的理解のみでない体験的変容が起きたなら、身口意に偽りを保つことは難しいのです。第一義が通るとき、意識と世界の構成要素とは無関係の、それ、が人を生きるといえます。それを、法、とも、言うことができます。

人の変化が世界の範疇に留まるとき、如何に素晴らしい共感であっても、真善美であっても、移ろいゆく時空に於ける変化に属しており、世界の何かに作用されざるを得ません。その体験と理解は、正しい位置に入ることができないのです。

ここでは知覚が主となり、見るものは自分となり、その偏り故に、ときに不要に人を痛めるものでもあります。世界は鏡、見るものは自分、を正しく使うためには、人はそこを超えていなければなりません。変容が世界の範囲内である、たとえばなにか共感、なにか一体化、すなわち、知覚の範疇にあるとき、人は、法に至ることができません。

体験が、世界の構成要素を超えて確かであればあるほど、人は、「できないことはできない。」たとえば、感情がどんなに焦れても、状況が完全にそれを勧めているようにみえても、’それであることによって’嘘をつくことができない、’それであることによって’盗むことができません。

理由なく、そう、であること。理由なく、嘘をつけない、盗まない。変容を経て尚、これが意識には容易でありません。意識は、その感覚、感情、思考・・・世界の構成要素の総てに対応しているからです。

人は、ここを全的に超えるとき、知識による理解からではでなく、その身口意とは、意識に上るまでもなく矛盾でないのです。

法。それはまた、「いいわるいではない、善いを。」とも、
言い換えることができます。


こんなにたくさん。
まだ小さくて、とても可愛いです。
寒いけど、頑張れ。

No.3038 - 2010/12/15(Wed) 19:04:34

Re: 不可逆 / ubik0101&hato

ということで、これからちょいカラオケに行って、きます。久し振りです。

No.3041 - 2010/12/15(Wed) 19:30:25

Re: 不可逆 / peer
>世界は鏡、

わざと、意識的に試してみました。
相手に向かって、ありとあらゆる雑言・罵倒をしてみる。
・・・すると。
それが、こちらに反射して来る。ゲボッ気持ち悪い・・・です。

カラオケですか〜忘年会のにおいがする。

No.3045 - 2010/12/16(Thu) 03:09:47

Re: 不可逆 / ubik0101
と、ゆうわけで、カラオケ・・・hatoさん歌、大拍手。ひさしぶりだったので本人は、なんか下手になった、と言ってましたが。たしかに、亜麻色の髪の少女。でした。ところで、ノンノンを頭に、ルンルンを肩に乗せて、フィリップ・k・ディックのSF「ユービック」を読んでる、hatoさんです。気に入ってます。
No.3062 - 2010/12/16(Thu) 21:23:27

Re: 不可逆 / hato

えー。鳥らは可愛いけど、自分写真、近頃まったく自信なし。ちょっと、もーの感じです。


> >世界は鏡、
>
> わざと、意識的に試してみました。
> 相手に向かって、ありとあらゆる雑言・罵倒をしてみる。
> ・・・すると。
> それが、こちらに反射して来る。ゲボッ気持ち悪い・・・です。


え〜すごい〜。。。相手はホンモノ?または一人過激??
基本的に、出すこと自体がもうダメ、つらい言葉ってありますね。世界が想定されると、または身体的には反射の感じがあるでしょうか。面白いです。


> カラオケですか〜忘年会のにおいがする。

れっきとしたただのカラオケ(飲食なし)でした。笑ってくださいね。パパはああ言ってくれるけど、年のせいか驚くほど劣化していて〜。泣けました。あ〜あ。

No.3068 - 2010/12/16(Thu) 21:41:09

Re: 不可逆 / peer
>え〜すごい〜。。。相手はホンモノ?または一人過激??
>基本的に、出すこと自体がもうダメ、つらい言葉ってありますね。
>世界が想定されると、または身体的には反射の感じがあるでしょうか。
>面白いです。


相手は本物です。真剣の必死です。
ありそうな悪口を、ありったけ・・・
いやぁ〜言うのもキツイんですが、ガンバルんです。
帰ってくる、この波動がものすごい〜
ドロドロとした底なし沼、腐敗した臭い。みたいになって。
もし、相手が私の言葉に同調すると吸収されるようで
帰ってきません。
まっ、つまり相手は鏡になって、私の言葉の意味を
吟味せずそのまま反射してもらいます。
そういう状態でいると、相手は無傷なので安心して出来ました。

>れっきとしたただのカラオケ(飲食なし)でした。
>笑ってくださいね。パパはああ言ってくれるけど、
>年のせいか驚くほど劣化していて〜。泣けました。あ〜あ。


あら、そうなのね。
でも、まぁ、楽しい事が第一で。
・・・・後ろ姿が懐かしい〜

No.3070 - 2010/12/17(Fri) 02:15:38

Re: 不可逆 / hato

> もし、相手が私の言葉に同調すると吸収されるようで
> 帰ってきません。
> まっ、つまり相手は鏡になって、私の言葉の意味を
> 吟味せずそのまま反射してもらいます。
> そういう状態でいると、相手は無傷なので安心して出来ました。


関係の有り様は、さまざま・・・あらゆる見方があるでしょうか。なんでも本気ですと、いろいろ学べますね。

自分として完全に言ったことは完結してそれだけですが、世界のなかで、さまざまなことが波及しているように見るとき、継続感があるのでしょう。それは波及して、そのようかも知れないし、まったくそうでないかも知れませんが、片寄りながら、それに近く歩みつしながら物事を見つつ、学ぶことがあるのかも、知れません。

受け取ることはなんであれ、その人の人生に於いて、或いは都合よく、でもおそらく、適宜に受け取られるでしょうね。それで、継続を見てああだこうだできたりして、関係に於いては難しいことも起こりうるけれど。なんであれ、自分が折々に完結しているなら幸い、と思いますね。

> ・・・・後ろ姿が懐かしい〜

もうひとつ、素敵な懐かしいのを。

No.3078 - 2010/12/18(Sat) 11:24:51

Re: 不可逆 / peer
>もうひとつ、素敵な懐かしいのを。

どうも、ありがとうございますっ。
ますます寒くなります、お体に気をつけて。

>関係の有り様は、さまざま・・・あらゆる見方があるでしょうか。

じつは〜試してみて欲しいという感じ。
試して誰でも実感できるから、また面白いんです。
こう見える、ああ見える。のではなく、感触のようなもの。
感触・感覚・・・プライマル・センス。
言葉自体にエネルギーがありますね。

たとえば愛をこめて伝える「バカだなぁ・ダメだなぁ」という言葉。
愛だからイイじゃない。と思う人もいますが。
あんがい、傷つけているんですね。
そういうことに気づくと、軽い言葉ひとつも慎重に使わねば
と感じました。

No.3082 - 2010/12/20(Mon) 02:29:49

Re: 不可逆 / hato

> こう見える、ああ見える。のではなく、感触のようなもの。
> 感触・感覚・・・プライマル・センス。



11月半ばだったか、お皿を洗っていると、頭が優しく優しく撫でられるのです。なめらかに心地よい感じ。なんだろ。と思って。ふわふわした、とても柔らかい絹のような風に撫でられてる感触。新手の座敷わらしかなんか?・・・。で、そのあとなにかしていて、部屋を歩いていたら、あれ。また。気持ちよい感じがあたまのあたりをふわふわしてて。ちょっと手で触ってみると、んん〜!?。

ということで、ダーリンのところに駆け寄って、「ちょっと見て、なにかいるみたい?」。ubik0101さんは、わたしを見回しながら、「あああっっっ!!ムカデ!!!!」ええーーっ!きゃーーーーーーっっ!!ひえーーーーっ!!!急いで払って貰いました。

けっこう大きな子だったんですけど。「さっき、デッキでナナのハウスにアンカを入れてるとき、付いて来ちゃったんだ。」てことは、30分以上も、一緒に、くっついていたのよね。

でもね、本当にやさしい、やさしい、風のような感触なんですよ。百足、ていいますね。


> たとえば愛をこめて伝える「バカだなぁ・ダメだなぁ」という言葉。
> 愛だからイイじゃない。と思う人もいますが。
> あんがい、傷つけているんですね。
> そういうことに気づくと、軽い言葉ひとつも慎重に使わねば
> と感じました。



もし言葉に傷付いたとして、その人が、「あれ、傷付いたみたい。」な自分を探査できるとしたら、最良でしょうか。

人が、ただむやみに感情や思考のまま、傍若無人に言葉を用いるとしたら問題があるけれども、もし自分として言えることがあって、とくに相手を空想せず容赦なくきっぱりと言うことは、大事でしょうね。関係において、人がその様にあることは、なかなか難しい、ところでしょうか。

空想してしまうと、本当に無限です。世界。終わりなく彷徨うことができるかも知れませんね。感触、感覚とは、人の空想を助長することがありますよ。それは時に乗じて移り行くでしょう。それに拠ってしまうと、関係の本質を理解できないことが多くあるのです。事実は小説より奇なり、とは、事実とは、人の空想の範疇にあるわけでもない、ということです。

難しいところですね。
なぜ、それを言うのか。

世界は、人が永遠に居る場所でなく、通り抜けるものだから、かも知れません。

No.3094 - 2010/12/23(Thu) 00:32:12

Re: 不可逆 / ubik0101
そうだ、レンゲだけで花壇をつくろう。と、いうわけで、あちこち転がってる石を集めて、庭の一部を囲って、種を蒔いたのです。けど、どれがレンゲの新芽か、雑草かわからないまま・・・放置してると・・・その上に紅葉が風で散らばり落ちました。こんな状態が、なんか気に入っています。
No.3095 - 2010/12/23(Thu) 00:37:49

Re: 不可逆 / peer
↑ひゃーーー。

アートですね。意図しないところに美がある。
美に襲われる…みたいな感じ。

No.3096 - 2010/12/23(Thu) 04:02:50

Re: 不可逆 / peer
>もし言葉に傷付いたとして、その人が、「あれ、傷付いたみたい。」
>な自分を探査できるとしたら、最良でしょうか。


たぶん・・・あれは、傷つく感覚じゃなかろうか。
と思ったので。「気のカラダを傷つけている」と。
戯れの「バカだなぁ」という言葉の感触は「ヒンヤリ」でした。
奥底〜に、自分より下だ。という気分が隠れているような。
だって、戯れていても、相手に敬意をもっていたら・
もっと違う言葉になるだろうと、思うんです。
なんつーか。敬意のない愛は、ありませんでしょ?

>でもね、本当にやさしい、やさしい、風のような感触なんですよ。
>百足、ていいますね。


ムカデもダンゴムシも、、、わりと好きです。
なんか〜見ていて飽きないモノってあります。

No.3097 - 2010/12/23(Thu) 04:17:23

Re: 不可逆 / hato

peerさんの優しい雰囲気、素敵。と、いつも思います。

> たぶん・・・あれは、傷つく感覚じゃなかろうか。
> と思ったので。「気のカラダを傷つけている」と。
> 戯れの「バカだなぁ」という言葉の感触は「ヒンヤリ」でした。
> 奥底〜に、自分より下だ。という気分が隠れているような。


そうですね・・時と場合で、なにか言われても感じることは、違うかも知れません。傷付きやすい度合い、閾値・・・が、身体的に精神的に、季節的に、或いは対相手について、あったりなかったりするでしょう。さまざま入れ替わったりできるものでしょう。

なので、そうした精神的、身体的感触、感覚の扱いは、とても難しいところがありますね。

言葉があるとして、使われるところでは使われる可能性、だけです。本当にその相手のためを思って、言わざるを得ないのかも知れません。方便として出たものかも知れませんし、或いは、適宜でない場合は、その言葉以外に考え及ばない程度のその人、であるかも知れません。それはわかりません。よって、その辺りはどうでもいいかな〜、との感じかも知れませんね。

人は、自意識を失い過ぎても不穏。過剰でも、不穏です。また、身体的感覚、感触、感受が過剰に重要視されると、とても不穏です。ことに精神性が絡む、その辺りから判断されることは、事実にみえても殆どが空想の域を出ません。ものごとの感受には、なにかそれまでの観念が作用する場合も多いのです。作用してもいいし、空想は役立っていいのですが、それらはとりあえずそのようなもの、であることを知ること、過剰に拠らないこと、でしょうか。

> だって、戯れていても、相手に敬意をもっていたら・
> もっと違う言葉になるだろうと、思うんです。
> なんつーか。敬意のない愛は、ありませんでしょ?


バカって言われたらまあ、嫌です。それで、内容によっては、一発蹴り飛ばす。しっかり物申す。でおしまいでしょうか。。というのはまあ、幾分冗談としても・・たとえば中道とは、言葉に意味を与え過ぎないことでもあります。意味はまったくない、わけでないし、余計になにか付随しているわけでもないのです。

愛は、愛です。どうしようもなく、ただそれだけです。

> ムカデもダンゴムシも、、、わりと好きです。
> なんか〜見ていて飽きないモノってあります。


花ゆずと、プリペット、という花木をとても安く買いました。場所決めしてふたりとも大満足。見てしまいます。明日、植樹します。

No.3099 - 2010/12/24(Fri) 00:15:47
未知の推測(つづき) / suho
> それを日常意識は・・・因果とか、業とか・・・なんか物語として空想してしまうのかも知れません。まったく違うのに・・・ それを、ここでは中道とか、世界の総活動と呼んでます。

今、人間の知覚実験の本を読んでいるのですが、とても面白いのは人間は「情動」を知覚すると、それに勝手に物語りを当てはめて完結しているという点です。それも無自覚に。
例えばこんな実験。ある被験者に、渡るに怖いつり橋を歩かせて、ちょうど真ん中の一番怖いところに被験者が差しかかったとき、橋の向こうからセクシー美女が声をかける。「橋を渡り終えたら簡単な心理実験に参加してくれませんか」と。
もう一方の被験者にはつり橋を渡らせず、普通の状態で同様に美女に声をかけさせる。双方とも実験が終わった後、実験結果をあとで連絡する旨を伝え、何か問合せがあったらと美女が自分の電話番号を教える。
この結果、美女に電話をかけてきたのは(そしてラブコールをしてきたのは)、圧倒的につり橋を渡った被験者であったとのこと。恐怖のピーク時に美女から声をかけられることで、つり橋を渡っているときの緊張・興奮状態を、「美女への興奮」と無意識に錯誤するらしいです。そのほかにも似たような実験があるようなのですが、要は、激しい緊張と興奮の中にあるとき、強い刺激があると、無意識に情動の理由をそれに取り違えるようです。
洗脳というのは、この潜在意識のはたらきをねらった手法なのでしょうね。
これらのプロセスは全て無意識に進行するので、顕在意識にはどうすることもできない。
いかに人間は無意識のうちに物語を構築し、それを実際と取り違えているかの一例かなと。

> ふつう依存関係というと、原因が結果になり・・・という緯(よこいと)系なんでしょうが、次元が違うということは、もしかして、経(たていと)系の依存関係が視野にあるのかな?と思いました。それは進化の、それとも言えます。

現象と知覚の依存関係というのは、現象は変化で、それが起きている不変の場としての知覚。それが不可分な依存関係という意味で書きました。が、その解釈も日常の物理的な感覚(対象と観察者)からの空想であり、その実は1つ。対象が対象を知覚しているので、「対象」とあえて言う必要がないのが実際(意識が意識自体を意識しているとも言える)。なのに「対象」と「それを知覚している何か」(それは肉体という意味ではなく)という感覚がありありと生じる不思議。これは実は知覚上では「1つ」だけれど、実は次元の交錯から起きているのではないか、という推測です。
意識というのは「1つ」ではなく、実は多次元が交錯している場ではないかと。
現象は、3次元+時間(変化)ですが、これを超えた次元に「知覚」という機能が生じているのではないかと。なので3次元上では「1つ」「偏在」としか表現しようがないとか。。
現象上では知覚はある個体に位置してますが、その実はその次元に存在していない。
そんなイメージが湧いてきます。
おおざっぱに言えば「未知の知覚の位置」。

No.3087 - 2010/12/20(Mon) 10:37:35

Re: 未知の推測(つづき) / ubik0101
セミは羽化すると7日間しか生きない、というのは単なる噂です。と、この夏ラジオの「子供電話相談室」で話していました。おおきな樹を網で囲ってセミを放して実験すると、一カ月くらい生きるそうです。でも、7日間だと聞くと、なんか印象があって、その印象を信じたくて、確かめてもないのに事実だと思ってしまうのかもしれません。

まあ、人生の経験でも。手品に騙されるように・・・ミスディレクション・・・を楽しむ、思い違いしてるのが面白いってこともあるかもしれません。ところで、よく、こんな疑問がでるものだと思いますが「なぜ、私は私自身を人違いしないのか」というページを見つけました。

http://www6.plala.or.jp/swansong/2/essey0009.html

suhoさんの投稿で、たぶん、交差してないと、知覚が機能しないかもしれません、と感じました。ここでは自己は、知覚の範疇にない、と言ったりします。

これは、なぜ、これなのか?という疑問は。この知覚の範疇にあることは、言ってしまえば、これ、はこれでなくてもいいのに、これ。なんでもいい、ということでもあります。 これが、人が世界に生きていながら、世界に依存できない仕組みの、ひとつの経路のように思います。

けど、探っていくと、思考とかも、それは不確定さで成立してて、そこを見ようとする、そのことがまた、世界に執着させる仕組みかな?なんて思ったりします。

No.3088 - 2010/12/21(Tue) 08:00:58

Re: 未知の推測(つづき) / suho
> セミは羽化すると7日間しか生きない、というのは単なる噂です。と、この夏ラジオの「子供電話相談室」で話していました。おおきな樹を網で囲ってセミを放して実験すると、一カ月くらい生きるそうです。でも、7日間だと聞くと、なんか印象があって、その印象を信じたくて、確かめてもないのに事実だと思ってしまうのかもしれません。
> まあ、人生の経験でも。手品に騙されるように・・・ミスディレクション・・・を楽しむ、思い違いしてるのが面白いってこともあるかもしれません。


最近は、認識している現象というのはある意味ほとんど錯覚の上に成り立っているなあという実感です。なのでますます未知探索へ駆り立てられる感じです。

>ところで、よく、こんな疑問がでるものだと思いますが「なぜ、私は私自身を人違いしないのか」というページを見つけました。
>
> http://www6.plala.or.jp/swansong/2/essey0009.html


ちょっと読んでみましたが、面白そうですね。他のエッセイもじっくり読んでみます。

> suhoさんの投稿で、たぶん、交差してないと、知覚が機能しないかもしれません、と感じました。ここでは自己は、知覚の範疇にない、と言ったりします。

ウビさんの言う「自己」というのは、僕の場合「未知の認識場」という表現になるかなと。確かにこれは知覚を超えている場・次元と思います。

> これは、なぜ、これなのか?という疑問は。この知覚の範疇にあることは、言ってしまえば、これ、はこれでなくてもいいのに、これ。なんでもいい、ということでもあります。 これが、人が世界に生きていながら、世界に依存できない仕組みの、ひとつの経路のように思います。

自己は知覚を超越している(別次元にある)ので、確かに依存できない。世界が自己に依存している、とは言えるかもしれません。。

> けど、探っていくと、思考とかも、それは不確定さで成立してて、そこを見ようとする、そのことがまた、世界に執着させる仕組みかな?なんて思ったりします。

はい。結局、世界は「不確か」なのは間違いないのですが、無謀にも、ちょっとでも、ちびっとでもいいから、そのからくりを暴きたい。。ある意味無謀な挑戦です。執着でもなんでもかまわない。
とはいうものの、どうもsuhoは科学者ほど探求エネルギーが強くはないようで、中途半端っちゃー中途半端です(笑

No.3089 - 2010/12/21(Tue) 10:00:48

Re: 未知の推測(つづき) / suho
> けど、探っていくと、思考とかも、それは不確定さで成立してて、そこを見ようとする、そのことがまた、世界に執着させる仕組みかな?なんて思ったりします。

そこなんです。その「執着力」が進化・創造・探求の推進力そのものと感じるのです。そこには差異による葛藤や対立が起きるので(もちろん起きない個人もありますが、それも新たな差異を形成する構成要素となる)、ますます執着力を維持するしくみになっているとか。。

No.3090 - 2010/12/21(Tue) 10:08:01

Re: 未知の推測(つづき) / suho
ちなみに「思考」が想起する次元というのは、3次元空間に依存してません。(景色を見ながらでも、同時に無関係のイメージも知覚できる不思議)
思考も知覚の範疇なので、当然自己(認識場)を知ることはできないですが、少なくとも身体知覚よりは自己に近い次元かなー。ちょっと自己に接近できるかなーと。。
そんなことを考えてます。
今、未知に恋してるのかもです。恋なのでいつかはかなくかさめてしまうかも。。

No.3091 - 2010/12/21(Tue) 10:26:06

Re: 未知の推測(つづき) / ubik0101
たとえば眼があるから、耳があるのではありません。そんな感覚器官があるから、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触るの、感覚があります。

そして、甘い、があるから、辛い、があるのではありません。そんな感覚があるから、好き、嫌い、楽しい、怒り、などの感情があります。

その感情は、たとえば、慈しみ、があるから、憎しみ、があるのではありません。そんな感情は、意識があるからあるのです。

そんな意識は、とある思考があるから、ほかの思考があるのではありません、それは愛があるからです。

そして、愛があるのは自己があるからです。自己があるのは、実在があるからです。実在とは、それが、それの原因。つまり神。第一原因です。

どうも、この先もありそうなんですが、人の限界のようです。この、それぞれの層の緯(よこいと)系・・・それは断続して機能するようです・・・の依存関係と。それぞれの層を貫く、経(たていと)系・・・それは静まれば透明になるようです・・・の依存関係の交点が、日常、です。

No.3092 - 2010/12/22(Wed) 08:20:27

Re: 未知の推測(つづき) / suho
> そして、愛があるのは自己があるからです。自己があるのは、実在があるからです。実在とは、それが、それの原因。つまり神。第一原因です。

そうですか。そのあたりはまだよくわかりません。
僕にとっては現象が意図することなくただ起こり続けている。それを「現象」と「認識場」に分けて解釈する空想へ同化しているときと、しないときの行きつ戻りつ。。

> どうも、この先もありそうなんですが、人の限界のようです。この、それぞれの層の緯(よこいと)系・・・それは断続して機能するようです・・・の依存関係と。それぞれの層を貫く、経(たていと)系・・・それは静まれば透明になるようです・・・の依存関係の交点が、日常、です。

キリストの十字架のよう。
シンプルで美しい表現。

どうも最近は日替わりで思考が激しく運動したり、止んだりの繰り返しなので、様子をみています。

No.3093 - 2010/12/22(Wed) 09:34:19
(No Subject) / あちこち
もともと正直でなければ、嘘をつかないようでなければ、自分を探査しても、それが怪しい、困難なのです。
何かに関して正直でない、嘘をつくのは、対象があり、主体を設定する主張のひとつですか。
主張には、もちろん、正当、不当の判断があるので、前提でもあるでしょう。
正直でないというのは、たくさんある主張、前提の一つであるということになります。
それで、正直でないありよう、主張、前提が否定されています。


人が違うと、何かの発言が主張、前提であるのかないのか、よくわからないということがあるのです。そこで、勝手に決めると、正直でない、嘘をついていることの一つになりますか。

No.3083 - 2010/12/20(Mon) 08:00:51

Re: / ubik0101
まず、自分が自分を探査するのです。ほかの人の前提、また人一般の前提を検討するのではありません。

また、ほかの誰かを検討するのだとしても、そう検討してる、その自分を、検討するのです。でなければ否定の道ではないです。自分を勘定に入れない観察は、観察とは呼べません。

もしかして自分を勘定に入れない、ということは、公平とかの意味では正直とも言えるのですが・・・ほかの人を切り離してる傍観とかの意味では正直でない、そのことかもしれません。

また。これが誰かの前提かな?と思ったとして、それが空想でも。おおくの人が同じような空想をしてるので、事実でないと思いもしない、ということもあります。

ところで。なんであれ、たとえば、「勝手に決めると、正直でない、嘘をついている」のかな?と微かにでも疑ったならば・・・・ubik0101は、事実そうだとして、受け入れました。

と、いうのは、まったくそうでないなら、そう、かもしれない、と自分で自分のことを思いもしないのです。という理解が、そこにあります。

これはまあ、ほとんど表面的な意識されることが・・・たとえば(厳密ではない言い方ですが)騒がしい思考が静まってから、現れる自問です。

No.3086 - 2010/12/20(Mon) 10:05:27
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