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不可逆 / hato
不可思議。それ、とは、文字通り、それ以上でも以下でもない、それです。
世界の外や中、上や下、そのようにありません。人によって違うものでもありません。尚、とある権威に無関係。不自由に無関係。信じることにも、無関係です。
総てに浸透する、否。総てを排除しない、否。いまここ、否。それである実在、諾。

それは世界を超えている、との理解。おそらくとても、困難ではないでしょうか。なぜなら人は、世界を生きるものであるからです。

道標はことごとく否定されざるを得ないのであり、変わらないものとは、世界と思われる世界、でなく、ただ眼耳鼻舌身意、自己と世界の仕組み、機能です。

自身と世界の有無とは、どちらでもあり・・・どちらでもない・・・どうとも表現不可能、それだけです。ここで初めて、世界は偏見に満ちた否定に晒されることがなくなります。人は、仕組みを仕組み、愛は、愛。であることを見ます。

偏りを超え、その、わたくし、であることは、世界と自己の仕組みは仕組みとして、確かに不可分なく成立していることの了解です。意味は過剰にありません。ここで再び逆に戻り、それを世界に照らし合わせる堂々巡りは起こりません。不可逆。それは、それ、として成立しています。物事を追って関係付けるのは、世界の、ことさら自我の作用であることが理解されます。

人は不可知への飛躍を、人生に於いて「経験」することで第一義が通ります。それは体験です。「自己」を見ることが起きるとは、それまでの日常をまったく超越する、体験であり、経験です。そして、理解する過程があります。過程は過程として、ことさら消し去られることなく、着色せず生きるとは、人が自己で在ることの経緯です。人は、嘘をとくことができません。

幸いとは、それは人に起こるものでありながら、起こすものでもあることです。

11月の終わりに、近くの水辺に、きれいな水草をみつけました。冬はメダカ鉢のホテイ草が枯れるので、嬉しい発見です。葉上に、朝露がまるく乗っていました。

No.3023 - 2010/12/14(Tue) 12:39:20

Re: 不可逆 / hato

メダカは、親たち、メタボさんたち、数十匹の子らと、しばらくの間、鉢は3つになりました。親とメタボの鉢は、バクテリアが効いて水が澄んでいます。子メダカのほうは鉢が大きいためか、まだ濁っています。春に睡蓮を植えるのが楽しみです。

No.3026 - 2010/12/14(Tue) 19:58:22

Re: 不可逆 / hato

人に、知的理解のみでない体験的変容が起きたなら、身口意に偽りを保つことは難しいのです。第一義が通るとき、意識と世界の構成要素とは無関係の、それ、が人を生きるといえます。それを、法、とも、言うことができます。

人の変化が世界の範疇に留まるとき、如何に素晴らしい共感であっても、真善美であっても、移ろいゆく時空に於ける変化に属しており、世界の何かに作用されざるを得ません。その体験と理解は、正しい位置に入ることができないのです。

ここでは知覚が主となり、見るものは自分となり、その偏り故に、ときに不要に人を痛めるものでもあります。世界は鏡、見るものは自分、を正しく使うためには、人はそこを超えていなければなりません。変容が世界の範囲内である、たとえばなにか共感、なにか一体化、すなわち、知覚の範疇にあるとき、人は、法に至ることができません。

体験が、世界の構成要素を超えて確かであればあるほど、人は、「できないことはできない。」たとえば、感情がどんなに焦れても、状況が完全にそれを勧めているようにみえても、’それであることによって’嘘をつくことができない、’それであることによって’盗むことができません。

理由なく、そう、であること。理由なく、嘘をつけない、盗まない。変容を経て尚、これが意識には容易でありません。意識は、その感覚、感情、思考・・・世界の構成要素の総てに対応しているからです。

人は、ここを全的に超えるとき、知識による理解からではでなく、その身口意とは、意識に上るまでもなく矛盾でないのです。

法。それはまた、「いいわるいではない、善いを。」とも、
言い換えることができます。


こんなにたくさん。
まだ小さくて、とても可愛いです。
寒いけど、頑張れ。

No.3038 - 2010/12/15(Wed) 19:04:34

Re: 不可逆 / ubik0101&hato

ということで、これからちょいカラオケに行って、きます。久し振りです。

No.3041 - 2010/12/15(Wed) 19:30:25

Re: 不可逆 / peer
>世界は鏡、

わざと、意識的に試してみました。
相手に向かって、ありとあらゆる雑言・罵倒をしてみる。
・・・すると。
それが、こちらに反射して来る。ゲボッ気持ち悪い・・・です。

カラオケですか〜忘年会のにおいがする。

No.3045 - 2010/12/16(Thu) 03:09:47

Re: 不可逆 / ubik0101
と、ゆうわけで、カラオケ・・・hatoさん歌、大拍手。ひさしぶりだったので本人は、なんか下手になった、と言ってましたが。たしかに、亜麻色の髪の少女。でした。ところで、ノンノンを頭に、ルンルンを肩に乗せて、フィリップ・k・ディックのSF「ユービック」を読んでる、hatoさんです。気に入ってます。
No.3062 - 2010/12/16(Thu) 21:23:27

Re: 不可逆 / hato

えー。鳥らは可愛いけど、自分写真、近頃まったく自信なし。ちょっと、もーの感じです。


> >世界は鏡、
>
> わざと、意識的に試してみました。
> 相手に向かって、ありとあらゆる雑言・罵倒をしてみる。
> ・・・すると。
> それが、こちらに反射して来る。ゲボッ気持ち悪い・・・です。


え〜すごい〜。。。相手はホンモノ?または一人過激??
基本的に、出すこと自体がもうダメ、つらい言葉ってありますね。世界が想定されると、または身体的には反射の感じがあるでしょうか。面白いです。


> カラオケですか〜忘年会のにおいがする。

れっきとしたただのカラオケ(飲食なし)でした。笑ってくださいね。パパはああ言ってくれるけど、年のせいか驚くほど劣化していて〜。泣けました。あ〜あ。

No.3068 - 2010/12/16(Thu) 21:41:09

Re: 不可逆 / peer
>え〜すごい〜。。。相手はホンモノ?または一人過激??
>基本的に、出すこと自体がもうダメ、つらい言葉ってありますね。
>世界が想定されると、または身体的には反射の感じがあるでしょうか。
>面白いです。


相手は本物です。真剣の必死です。
ありそうな悪口を、ありったけ・・・
いやぁ〜言うのもキツイんですが、ガンバルんです。
帰ってくる、この波動がものすごい〜
ドロドロとした底なし沼、腐敗した臭い。みたいになって。
もし、相手が私の言葉に同調すると吸収されるようで
帰ってきません。
まっ、つまり相手は鏡になって、私の言葉の意味を
吟味せずそのまま反射してもらいます。
そういう状態でいると、相手は無傷なので安心して出来ました。

>れっきとしたただのカラオケ(飲食なし)でした。
>笑ってくださいね。パパはああ言ってくれるけど、
>年のせいか驚くほど劣化していて〜。泣けました。あ〜あ。


あら、そうなのね。
でも、まぁ、楽しい事が第一で。
・・・・後ろ姿が懐かしい〜

No.3070 - 2010/12/17(Fri) 02:15:38

Re: 不可逆 / hato

> もし、相手が私の言葉に同調すると吸収されるようで
> 帰ってきません。
> まっ、つまり相手は鏡になって、私の言葉の意味を
> 吟味せずそのまま反射してもらいます。
> そういう状態でいると、相手は無傷なので安心して出来ました。


関係の有り様は、さまざま・・・あらゆる見方があるでしょうか。なんでも本気ですと、いろいろ学べますね。

自分として完全に言ったことは完結してそれだけですが、世界のなかで、さまざまなことが波及しているように見るとき、継続感があるのでしょう。それは波及して、そのようかも知れないし、まったくそうでないかも知れませんが、片寄りながら、それに近く歩みつしながら物事を見つつ、学ぶことがあるのかも、知れません。

受け取ることはなんであれ、その人の人生に於いて、或いは都合よく、でもおそらく、適宜に受け取られるでしょうね。それで、継続を見てああだこうだできたりして、関係に於いては難しいことも起こりうるけれど。なんであれ、自分が折々に完結しているなら幸い、と思いますね。

> ・・・・後ろ姿が懐かしい〜

もうひとつ、素敵な懐かしいのを。

No.3078 - 2010/12/18(Sat) 11:24:51

Re: 不可逆 / peer
>もうひとつ、素敵な懐かしいのを。

どうも、ありがとうございますっ。
ますます寒くなります、お体に気をつけて。

>関係の有り様は、さまざま・・・あらゆる見方があるでしょうか。

じつは〜試してみて欲しいという感じ。
試して誰でも実感できるから、また面白いんです。
こう見える、ああ見える。のではなく、感触のようなもの。
感触・感覚・・・プライマル・センス。
言葉自体にエネルギーがありますね。

たとえば愛をこめて伝える「バカだなぁ・ダメだなぁ」という言葉。
愛だからイイじゃない。と思う人もいますが。
あんがい、傷つけているんですね。
そういうことに気づくと、軽い言葉ひとつも慎重に使わねば
と感じました。

No.3082 - 2010/12/20(Mon) 02:29:49

Re: 不可逆 / hato

> こう見える、ああ見える。のではなく、感触のようなもの。
> 感触・感覚・・・プライマル・センス。



11月半ばだったか、お皿を洗っていると、頭が優しく優しく撫でられるのです。なめらかに心地よい感じ。なんだろ。と思って。ふわふわした、とても柔らかい絹のような風に撫でられてる感触。新手の座敷わらしかなんか?・・・。で、そのあとなにかしていて、部屋を歩いていたら、あれ。また。気持ちよい感じがあたまのあたりをふわふわしてて。ちょっと手で触ってみると、んん〜!?。

ということで、ダーリンのところに駆け寄って、「ちょっと見て、なにかいるみたい?」。ubik0101さんは、わたしを見回しながら、「あああっっっ!!ムカデ!!!!」ええーーっ!きゃーーーーーーっっ!!ひえーーーーっ!!!急いで払って貰いました。

けっこう大きな子だったんですけど。「さっき、デッキでナナのハウスにアンカを入れてるとき、付いて来ちゃったんだ。」てことは、30分以上も、一緒に、くっついていたのよね。

でもね、本当にやさしい、やさしい、風のような感触なんですよ。百足、ていいますね。


> たとえば愛をこめて伝える「バカだなぁ・ダメだなぁ」という言葉。
> 愛だからイイじゃない。と思う人もいますが。
> あんがい、傷つけているんですね。
> そういうことに気づくと、軽い言葉ひとつも慎重に使わねば
> と感じました。



もし言葉に傷付いたとして、その人が、「あれ、傷付いたみたい。」な自分を探査できるとしたら、最良でしょうか。

人が、ただむやみに感情や思考のまま、傍若無人に言葉を用いるとしたら問題があるけれども、もし自分として言えることがあって、とくに相手を空想せず容赦なくきっぱりと言うことは、大事でしょうね。関係において、人がその様にあることは、なかなか難しい、ところでしょうか。

空想してしまうと、本当に無限です。世界。終わりなく彷徨うことができるかも知れませんね。感触、感覚とは、人の空想を助長することがありますよ。それは時に乗じて移り行くでしょう。それに拠ってしまうと、関係の本質を理解できないことが多くあるのです。事実は小説より奇なり、とは、事実とは、人の空想の範疇にあるわけでもない、ということです。

難しいところですね。
なぜ、それを言うのか。

世界は、人が永遠に居る場所でなく、通り抜けるものだから、かも知れません。

No.3094 - 2010/12/23(Thu) 00:32:12

Re: 不可逆 / ubik0101
そうだ、レンゲだけで花壇をつくろう。と、いうわけで、あちこち転がってる石を集めて、庭の一部を囲って、種を蒔いたのです。けど、どれがレンゲの新芽か、雑草かわからないまま・・・放置してると・・・その上に紅葉が風で散らばり落ちました。こんな状態が、なんか気に入っています。
No.3095 - 2010/12/23(Thu) 00:37:49

Re: 不可逆 / peer
↑ひゃーーー。

アートですね。意図しないところに美がある。
美に襲われる…みたいな感じ。

No.3096 - 2010/12/23(Thu) 04:02:50

Re: 不可逆 / peer
>もし言葉に傷付いたとして、その人が、「あれ、傷付いたみたい。」
>な自分を探査できるとしたら、最良でしょうか。


たぶん・・・あれは、傷つく感覚じゃなかろうか。
と思ったので。「気のカラダを傷つけている」と。
戯れの「バカだなぁ」という言葉の感触は「ヒンヤリ」でした。
奥底〜に、自分より下だ。という気分が隠れているような。
だって、戯れていても、相手に敬意をもっていたら・
もっと違う言葉になるだろうと、思うんです。
なんつーか。敬意のない愛は、ありませんでしょ?

>でもね、本当にやさしい、やさしい、風のような感触なんですよ。
>百足、ていいますね。


ムカデもダンゴムシも、、、わりと好きです。
なんか〜見ていて飽きないモノってあります。

No.3097 - 2010/12/23(Thu) 04:17:23

Re: 不可逆 / hato

peerさんの優しい雰囲気、素敵。と、いつも思います。

> たぶん・・・あれは、傷つく感覚じゃなかろうか。
> と思ったので。「気のカラダを傷つけている」と。
> 戯れの「バカだなぁ」という言葉の感触は「ヒンヤリ」でした。
> 奥底〜に、自分より下だ。という気分が隠れているような。


そうですね・・時と場合で、なにか言われても感じることは、違うかも知れません。傷付きやすい度合い、閾値・・・が、身体的に精神的に、季節的に、或いは対相手について、あったりなかったりするでしょう。さまざま入れ替わったりできるものでしょう。

なので、そうした精神的、身体的感触、感覚の扱いは、とても難しいところがありますね。

言葉があるとして、使われるところでは使われる可能性、だけです。本当にその相手のためを思って、言わざるを得ないのかも知れません。方便として出たものかも知れませんし、或いは、適宜でない場合は、その言葉以外に考え及ばない程度のその人、であるかも知れません。それはわかりません。よって、その辺りはどうでもいいかな〜、との感じかも知れませんね。

人は、自意識を失い過ぎても不穏。過剰でも、不穏です。また、身体的感覚、感触、感受が過剰に重要視されると、とても不穏です。ことに精神性が絡む、その辺りから判断されることは、事実にみえても殆どが空想の域を出ません。ものごとの感受には、なにかそれまでの観念が作用する場合も多いのです。作用してもいいし、空想は役立っていいのですが、それらはとりあえずそのようなもの、であることを知ること、過剰に拠らないこと、でしょうか。

> だって、戯れていても、相手に敬意をもっていたら・
> もっと違う言葉になるだろうと、思うんです。
> なんつーか。敬意のない愛は、ありませんでしょ?


バカって言われたらまあ、嫌です。それで、内容によっては、一発蹴り飛ばす。しっかり物申す。でおしまいでしょうか。。というのはまあ、幾分冗談としても・・たとえば中道とは、言葉に意味を与え過ぎないことでもあります。意味はまったくない、わけでないし、余計になにか付随しているわけでもないのです。

愛は、愛です。どうしようもなく、ただそれだけです。

> ムカデもダンゴムシも、、、わりと好きです。
> なんか〜見ていて飽きないモノってあります。


花ゆずと、プリペット、という花木をとても安く買いました。場所決めしてふたりとも大満足。見てしまいます。明日、植樹します。

No.3099 - 2010/12/24(Fri) 00:15:47
未知の推測(つづき) / suho
> それを日常意識は・・・因果とか、業とか・・・なんか物語として空想してしまうのかも知れません。まったく違うのに・・・ それを、ここでは中道とか、世界の総活動と呼んでます。

今、人間の知覚実験の本を読んでいるのですが、とても面白いのは人間は「情動」を知覚すると、それに勝手に物語りを当てはめて完結しているという点です。それも無自覚に。
例えばこんな実験。ある被験者に、渡るに怖いつり橋を歩かせて、ちょうど真ん中の一番怖いところに被験者が差しかかったとき、橋の向こうからセクシー美女が声をかける。「橋を渡り終えたら簡単な心理実験に参加してくれませんか」と。
もう一方の被験者にはつり橋を渡らせず、普通の状態で同様に美女に声をかけさせる。双方とも実験が終わった後、実験結果をあとで連絡する旨を伝え、何か問合せがあったらと美女が自分の電話番号を教える。
この結果、美女に電話をかけてきたのは(そしてラブコールをしてきたのは)、圧倒的につり橋を渡った被験者であったとのこと。恐怖のピーク時に美女から声をかけられることで、つり橋を渡っているときの緊張・興奮状態を、「美女への興奮」と無意識に錯誤するらしいです。そのほかにも似たような実験があるようなのですが、要は、激しい緊張と興奮の中にあるとき、強い刺激があると、無意識に情動の理由をそれに取り違えるようです。
洗脳というのは、この潜在意識のはたらきをねらった手法なのでしょうね。
これらのプロセスは全て無意識に進行するので、顕在意識にはどうすることもできない。
いかに人間は無意識のうちに物語を構築し、それを実際と取り違えているかの一例かなと。

> ふつう依存関係というと、原因が結果になり・・・という緯(よこいと)系なんでしょうが、次元が違うということは、もしかして、経(たていと)系の依存関係が視野にあるのかな?と思いました。それは進化の、それとも言えます。

現象と知覚の依存関係というのは、現象は変化で、それが起きている不変の場としての知覚。それが不可分な依存関係という意味で書きました。が、その解釈も日常の物理的な感覚(対象と観察者)からの空想であり、その実は1つ。対象が対象を知覚しているので、「対象」とあえて言う必要がないのが実際(意識が意識自体を意識しているとも言える)。なのに「対象」と「それを知覚している何か」(それは肉体という意味ではなく)という感覚がありありと生じる不思議。これは実は知覚上では「1つ」だけれど、実は次元の交錯から起きているのではないか、という推測です。
意識というのは「1つ」ではなく、実は多次元が交錯している場ではないかと。
現象は、3次元+時間(変化)ですが、これを超えた次元に「知覚」という機能が生じているのではないかと。なので3次元上では「1つ」「偏在」としか表現しようがないとか。。
現象上では知覚はある個体に位置してますが、その実はその次元に存在していない。
そんなイメージが湧いてきます。
おおざっぱに言えば「未知の知覚の位置」。

No.3087 - 2010/12/20(Mon) 10:37:35

Re: 未知の推測(つづき) / ubik0101
セミは羽化すると7日間しか生きない、というのは単なる噂です。と、この夏ラジオの「子供電話相談室」で話していました。おおきな樹を網で囲ってセミを放して実験すると、一カ月くらい生きるそうです。でも、7日間だと聞くと、なんか印象があって、その印象を信じたくて、確かめてもないのに事実だと思ってしまうのかもしれません。

まあ、人生の経験でも。手品に騙されるように・・・ミスディレクション・・・を楽しむ、思い違いしてるのが面白いってこともあるかもしれません。ところで、よく、こんな疑問がでるものだと思いますが「なぜ、私は私自身を人違いしないのか」というページを見つけました。

http://www6.plala.or.jp/swansong/2/essey0009.html

suhoさんの投稿で、たぶん、交差してないと、知覚が機能しないかもしれません、と感じました。ここでは自己は、知覚の範疇にない、と言ったりします。

これは、なぜ、これなのか?という疑問は。この知覚の範疇にあることは、言ってしまえば、これ、はこれでなくてもいいのに、これ。なんでもいい、ということでもあります。 これが、人が世界に生きていながら、世界に依存できない仕組みの、ひとつの経路のように思います。

けど、探っていくと、思考とかも、それは不確定さで成立してて、そこを見ようとする、そのことがまた、世界に執着させる仕組みかな?なんて思ったりします。

No.3088 - 2010/12/21(Tue) 08:00:58

Re: 未知の推測(つづき) / suho
> セミは羽化すると7日間しか生きない、というのは単なる噂です。と、この夏ラジオの「子供電話相談室」で話していました。おおきな樹を網で囲ってセミを放して実験すると、一カ月くらい生きるそうです。でも、7日間だと聞くと、なんか印象があって、その印象を信じたくて、確かめてもないのに事実だと思ってしまうのかもしれません。
> まあ、人生の経験でも。手品に騙されるように・・・ミスディレクション・・・を楽しむ、思い違いしてるのが面白いってこともあるかもしれません。


最近は、認識している現象というのはある意味ほとんど錯覚の上に成り立っているなあという実感です。なのでますます未知探索へ駆り立てられる感じです。

>ところで、よく、こんな疑問がでるものだと思いますが「なぜ、私は私自身を人違いしないのか」というページを見つけました。
>
> http://www6.plala.or.jp/swansong/2/essey0009.html


ちょっと読んでみましたが、面白そうですね。他のエッセイもじっくり読んでみます。

> suhoさんの投稿で、たぶん、交差してないと、知覚が機能しないかもしれません、と感じました。ここでは自己は、知覚の範疇にない、と言ったりします。

ウビさんの言う「自己」というのは、僕の場合「未知の認識場」という表現になるかなと。確かにこれは知覚を超えている場・次元と思います。

> これは、なぜ、これなのか?という疑問は。この知覚の範疇にあることは、言ってしまえば、これ、はこれでなくてもいいのに、これ。なんでもいい、ということでもあります。 これが、人が世界に生きていながら、世界に依存できない仕組みの、ひとつの経路のように思います。

自己は知覚を超越している(別次元にある)ので、確かに依存できない。世界が自己に依存している、とは言えるかもしれません。。

> けど、探っていくと、思考とかも、それは不確定さで成立してて、そこを見ようとする、そのことがまた、世界に執着させる仕組みかな?なんて思ったりします。

はい。結局、世界は「不確か」なのは間違いないのですが、無謀にも、ちょっとでも、ちびっとでもいいから、そのからくりを暴きたい。。ある意味無謀な挑戦です。執着でもなんでもかまわない。
とはいうものの、どうもsuhoは科学者ほど探求エネルギーが強くはないようで、中途半端っちゃー中途半端です(笑

No.3089 - 2010/12/21(Tue) 10:00:48

Re: 未知の推測(つづき) / suho
> けど、探っていくと、思考とかも、それは不確定さで成立してて、そこを見ようとする、そのことがまた、世界に執着させる仕組みかな?なんて思ったりします。

そこなんです。その「執着力」が進化・創造・探求の推進力そのものと感じるのです。そこには差異による葛藤や対立が起きるので(もちろん起きない個人もありますが、それも新たな差異を形成する構成要素となる)、ますます執着力を維持するしくみになっているとか。。

No.3090 - 2010/12/21(Tue) 10:08:01

Re: 未知の推測(つづき) / suho
ちなみに「思考」が想起する次元というのは、3次元空間に依存してません。(景色を見ながらでも、同時に無関係のイメージも知覚できる不思議)
思考も知覚の範疇なので、当然自己(認識場)を知ることはできないですが、少なくとも身体知覚よりは自己に近い次元かなー。ちょっと自己に接近できるかなーと。。
そんなことを考えてます。
今、未知に恋してるのかもです。恋なのでいつかはかなくかさめてしまうかも。。

No.3091 - 2010/12/21(Tue) 10:26:06

Re: 未知の推測(つづき) / ubik0101
たとえば眼があるから、耳があるのではありません。そんな感覚器官があるから、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触るの、感覚があります。

そして、甘い、があるから、辛い、があるのではありません。そんな感覚があるから、好き、嫌い、楽しい、怒り、などの感情があります。

その感情は、たとえば、慈しみ、があるから、憎しみ、があるのではありません。そんな感情は、意識があるからあるのです。

そんな意識は、とある思考があるから、ほかの思考があるのではありません、それは愛があるからです。

そして、愛があるのは自己があるからです。自己があるのは、実在があるからです。実在とは、それが、それの原因。つまり神。第一原因です。

どうも、この先もありそうなんですが、人の限界のようです。この、それぞれの層の緯(よこいと)系・・・それは断続して機能するようです・・・の依存関係と。それぞれの層を貫く、経(たていと)系・・・それは静まれば透明になるようです・・・の依存関係の交点が、日常、です。

No.3092 - 2010/12/22(Wed) 08:20:27

Re: 未知の推測(つづき) / suho
> そして、愛があるのは自己があるからです。自己があるのは、実在があるからです。実在とは、それが、それの原因。つまり神。第一原因です。

そうですか。そのあたりはまだよくわかりません。
僕にとっては現象が意図することなくただ起こり続けている。それを「現象」と「認識場」に分けて解釈する空想へ同化しているときと、しないときの行きつ戻りつ。。

> どうも、この先もありそうなんですが、人の限界のようです。この、それぞれの層の緯(よこいと)系・・・それは断続して機能するようです・・・の依存関係と。それぞれの層を貫く、経(たていと)系・・・それは静まれば透明になるようです・・・の依存関係の交点が、日常、です。

キリストの十字架のよう。
シンプルで美しい表現。

どうも最近は日替わりで思考が激しく運動したり、止んだりの繰り返しなので、様子をみています。

No.3093 - 2010/12/22(Wed) 09:34:19
(No Subject) / あちこち
もともと正直でなければ、嘘をつかないようでなければ、自分を探査しても、それが怪しい、困難なのです。
何かに関して正直でない、嘘をつくのは、対象があり、主体を設定する主張のひとつですか。
主張には、もちろん、正当、不当の判断があるので、前提でもあるでしょう。
正直でないというのは、たくさんある主張、前提の一つであるということになります。
それで、正直でないありよう、主張、前提が否定されています。


人が違うと、何かの発言が主張、前提であるのかないのか、よくわからないということがあるのです。そこで、勝手に決めると、正直でない、嘘をついていることの一つになりますか。

No.3083 - 2010/12/20(Mon) 08:00:51

Re: / ubik0101
まず、自分が自分を探査するのです。ほかの人の前提、また人一般の前提を検討するのではありません。

また、ほかの誰かを検討するのだとしても、そう検討してる、その自分を、検討するのです。でなければ否定の道ではないです。自分を勘定に入れない観察は、観察とは呼べません。

もしかして自分を勘定に入れない、ということは、公平とかの意味では正直とも言えるのですが・・・ほかの人を切り離してる傍観とかの意味では正直でない、そのことかもしれません。

また。これが誰かの前提かな?と思ったとして、それが空想でも。おおくの人が同じような空想をしてるので、事実でないと思いもしない、ということもあります。

ところで。なんであれ、たとえば、「勝手に決めると、正直でない、嘘をついている」のかな?と微かにでも疑ったならば・・・・ubik0101は、事実そうだとして、受け入れました。

と、いうのは、まったくそうでないなら、そう、かもしれない、と自分で自分のことを思いもしないのです。という理解が、そこにあります。

これはまあ、ほとんど表面的な意識されることが・・・たとえば(厳密ではない言い方ですが)騒がしい思考が静まってから、現れる自問です。

No.3086 - 2010/12/20(Mon) 10:05:27
(No Subject) / suho
ウビさん、こんにちは。

世界、現象、運動の特質が「葛藤」そのものと仮定すると、今の世界のありよう、日常が全て説明できそうです。。
調和感、平安感という知覚は、純粋葛藤の香りと感じますが、ウビさんはどう感じられますか?

うちの息子が、まだ3歳のころ、
『パパ知ってる?スーパーで買い物してる人は実は自分で買い物してないんだよ。うしろに良い神様と悪い神様がいて喧嘩しながらどれを買うか決めてるんだよ』
と言っていたことが今になって理解できる感じがあります。

No.3029 - 2010/12/15(Wed) 12:49:05

Re: / ubik0101
まず葛藤なんですが、自分との、世界との、分離、ということは派生的なことで。その根には、人が自分を自分で確認したいという衝動があるように思います。それが、世界、現象、運動、の意味とも捉えられるかな。と思いました。

それで自ら起こす騒動に巻き込まれることによって、その興奮で、生きてる感じ・・・そこで自分で自分を自覚できると思い違いしてるのではないでしょうか。そんな争い興奮は、分離、によって起きるとして認識されもする、のではないでしょうか。

それで、みんなひとつなんだから、仲良くやろうね。という方向、姿勢も生まれるのでしょう。でも、それは、なかなか困難に思います。とりあえずかも知れませんが、どうも無理があり、解決に導かないように思います。

そうでなく。その根。自分が自分を自覚したいという衝動の解決が、分離だろうが、ひとつだろうが、関係なしに、つまりこの、ふつうの日常で調和感、平和感をもたらせるのではないでしょうか。

それで、自分が自分を自覚する衝動の必要が解決されたら、キルケゴールの言葉ですが・・・もう元の意味は忘れましたが・・・単独者・・・です。

それは、見方によっては分離のまま、孤独のまま、ことさらではない幸せ感に満ちて。それは「純粋葛藤」とも呼べそう、とは思いました。また、たとえば怒りになりきったら・・・そうでなくても、そうなんですが・・・怒りは持続できなくなる、ということもありそうです。

また、たとえば総ての光の色を重ねると透明になるように、 総ての意味を孕んで、それゆえ世界は無意味。なにかの色つまり、なにかの意味に執着しなくなったら、無意味、透明になることにも関係するかもしれません。とも思いました。

No.3033 - 2010/12/15(Wed) 16:23:42

Re: / suho
> まず葛藤なんですが、自分との、世界との、分離、ということは派生的なことで。その根には、人が自分を自分で確認したいという衝動があるように思います。それが、世界、現象、運動、の意味とも捉えられるかな。と思いました。

はい。未知が未知を確認したいという衝動とも同じかなと感じます。

> それで、みんなひとつなんだから、仲良くやろうね。という方向、姿勢も生まれるのでしょう。でも、それは、なかなか困難に思います。とりあえずかも知れませんが、どうも無理があり、解決に導かないように思います。

はい。まさにそれは無理と思います。
今の社会のありよう、運動が、素直にそれであるように感じます。

> そうでなく。その根。自分が自分を自覚したいという衝動の解決が、分離だろうが、ひとつだろうが、関係なしに、つまりこの、ふつうの日常で調和感、平和感をもたらせるのではないでしょうか。

未知の本質は「調和」なのかもしれませんが、現象は「運動」として顕れています。
一見、調和的な様相ですが、核融合による星の誕生、消滅があり、自然界の動植物でも様々な個体どうしの争い・変質(進化)があり、天候もさまざまに変化します。当然人間の活動も。この「運動」は止むことがなく、ある意味、常に「現象の変化」を促進している力と感じます。
人間は、本能的に調和を求め、苦を避けるようにできていますが、この性質自体が葛藤をを生じさせる基本プログラムであり、変化を推進するエネルギーを生みだしているようにも感じます。簡単に言えば現象の2元性でしょうか。
未知が未知を確認する条件が2元性のように感じます。

> それで、自分が自分を自覚する衝動の必要が解決されたら、キルケゴールの言葉ですが・・・もう元の意味は忘れましたが・・・単独者・・・です。
> それは、見方によっては分離のまま、孤独のまま、ことさらではない幸せ感に満ちて。それは「純粋葛藤」とも呼べそう、とは思いました。また、たとえば怒りになりきったら・・・そうでなくても、そうなんですが・・・怒りは持続できなくなる、ということもありそうです。


はい。単独者へ変質する人間もいますが、一方で、その反対の、欲望、混乱等、意識が収縮(錯覚)する方向へ変質する人間もいます。拡大と収縮の運動。
どうも人類全体で覚醒に向かう感じがしない。その両極の人間のエネルギーがまた全体的な葛藤のエネルギーを高めているように感じます。(それは、両種の人間個々が意識されるものではなく、全体のエネルギー運動として)

> また、たとえば総ての光の色を重ねると透明になるように、 総ての意味を孕んで、それゆえ世界は無意味。なにかの色つまり、なにかの意味に執着しなくなったら、無意味、透明になることにも関係するかもしれません。とも思いました。

葛藤は、それ自体が変質のプロセスであり、創造のプロセスとも言えそうで、全体的な葛藤が、純粋化、ピーク化すると、今の現象・宇宙のありよう自体が根本的に新しいものに変質するのではないか、という感じです。未知が未知の新しいポテンシャルを確認するために。
そのピーク点で「透明(無)」を経過するのかもしれません。
人間個体としての感覚は苦ですが、未知は創造の喜びに溢れているかもしれない。。
という妄想が湧きましたので、つい書いてしまいました。
ちょっとウビさんと関心の先が違うような気もしてきました。

<追記>
別の記事で盛り上がっているようですので、こちらのレスは気が向いたら、あるいはノーレスで全然構いませんです。

No.3036 - 2010/12/15(Wed) 18:42:28

Re: / ubik0101
なんだか楽しく話ができそうですが・・・もしかしてsuhoさんは、世界の総活動に関心があるのかな、と思いました。
No.3040 - 2010/12/15(Wed) 19:27:34

Re: / ubik0101
なにか対象を、ことさら対象化しなくなると・・・つまり、その対象にしてる主体、自分が自分を自覚しようとする必要がないと・・・あらとあらゆる・・・ただ知覚すること知覚されることが・・・つまり一切が・・・未知と感じられるようになります。

それで知覚されること・・・世界、現象、運動・・・は、未知なので、なにかそのほかに、未知があるというわけではないようです。たとえば身体とか知覚とか怒りとか不安、思考も、未知です。

すると疑問としては、これが、どうして、これなのか?と、なるでしょう。簡単に言えば、なぜ知覚は知覚なのか?なぜ怒りは怒りなのか?なぜ喜びは喜びなのか?ということではないでしょうか。

それをなにか、とある、ものこと、として・・・たとえば怒りや喜びや、なにかの思考・・・を世界から切り取ったと仮定して探る。と、二元性、相対とか、時間を要素に勘定すると因果とかによって、それは可能になってると、思えるようです。

それはそうで、二元性とか、相対とか、因果とかいうことは、たとえば怒りや喜びや、なにかの思考・・・を世界から切り取ったとして仮定して、原因とかを探る。ということだからです。

たとえば葛藤とか、軋轢とか、苦痛とかも・・・わたしは誰?・・・も、そのように、それを世界から仮に切り取ったとして、その原因を探ろうとする運動とも言えるでしょう。

それで、なにか分裂しても、もの、ことに集中して思考すること、 自我の機能は、素直、と同様な、獲得される特質、属性になります。そして、また切り取る背後の、切り取れない、も未知と呼べます。

ところで。なぜこれはこれなのか?という、それが自発的な疑問なら・・・たとえば意識って何?・・・そのことは、意識が機能していながら、意識に依存しない・・・という、疑問の形を借りた、表明ではないでしょうか。

と、いうのは実際に、意識を知らないので、意識って何?なのです。それまでは、知らないと言うことも知らないで・・・知ったということもないくらい知ったつもりで・・・なんか思考したりしてたかもしれません。

つまり、意識って何?とは、意識が、未知、ということです。それで、知ってるとしてしか、それに依存できない、つまり意識に依存できないことの表明が、意識って何?です。

このように、ぐるぐる思考が巡って、結局。一切が、未知。ということのようです。ある、ない、もそのようなことの一環です。

それで、そいうことも忘れた日常。未知も忘れたところに、います。そこで、世界には、その世界に生きていながら、この世界に依存できない・・・仏教では、解脱、と呼ぶようですが・・・そうできる機能が働いてて、それは簡単には・・・それが解らないからそうだ、と言えるのですが・・・なお、その機能は、何か?を明確にすることに、関心があります。

No.3079 - 2010/12/19(Sun) 09:33:47

Re: / suho
> なにか対象を、ことさら対象化しなくなると・・・つまり、その対象にしてる主体、自分が自分を自覚しようとする必要がないと・・・あらとあらゆる・・・ただ知覚すること知覚されることが・・・つまり一切が・・・未知と感じられるようになります。

根源は未知であるけれど、知った風に、安心して生きていられる感覚に同化していると、根源の未知は忘れてしまう。
しかし、何か(未知)の催しで、いろいろと現象を探索し始めると、この現象のしくみそれ自体が全て心地よい謎になってきます。
確かウビさんも対象と知覚がなぜ単独なのか?という疑問を書かれていたと記憶してますが、これが確かに全く持って不思議です。つーか対象の様相がなぜこうであるのか、ということも全く持って不思議です。
だから、全部不思議ですね。

> それで知覚されること・・・世界、現象、運動・・・は、未知なので、なにかそのほかに、未知があるというわけではないようです。たとえば身体とか知覚とか怒りとか不安、思考も、未知です。

はい。

> すると疑問としては、これが、どうして、これなのか?と、なるでしょう。簡単に言えば、なぜ知覚は知覚なのか?なぜ怒りは怒りなのか?なぜ喜びは喜びなのか?ということではないでしょうか。

はい。

> それをなにか、とある、ものこと、として・・・たとえば怒りや喜びや、なにかの思考・・・を世界から切り取ったと仮定して探る。と、二元性、相対とか、時間を要素に勘定すると因果とかによって、それは可能になってると、思えるようです。

はい。
そのようなストーリーは立てやすい。

> ところで。なぜこれはこれなのか?という、それが自発的な疑問なら・・・たとえば意識って何?・・・そのことは、意識が機能していながら、意識に依存しない・・・という、疑問の形を借りた、表明ではないでしょうか。
> と、いうのは実際に、意識を知らないので、意識って何?なのです。それまでは、知らないと言うことも知らないで・・・知ったということもないくらい知ったつもりで・・・なんか思考したりしてたかもしれません。
> つまり、意識って何?とは、意識が、未知、ということです。それで、知ってるとしてしか、それに依存できない、つまり意識に依存できないことの表明が、意識って何?です。


うーんと。まず確かに意識は未知です。
suhoは、この知覚の変化のプロセスを「意識」と呼んでますが、それがなぜこうであるのかは、全く未知です。
最近思うのは、現象と知覚は単独でありながら依存関係にないのは、実は次元が違うのでは?ということです。
2次元(平面)を2次元として認識するには3次元(立体)から認識する必要があるように、現象を現象として認識するにはもうひとつ上の次元に意識(知覚)があるように。。
つっても、それだけで、その後思考は進まないですが。。
(あれ?これ前にウビさんに言ったことあるかなぁ。。)

> このように、ぐるぐる思考が巡って、結局。一切が、未知。ということのようです。ある、ない、もそのようなことの一環です。

はい。まさにぐるぐる。

> それで、そいうことも忘れた日常。未知も忘れたところに、います。そこで、世界には、その世界に生きていながら、この世界に依存できない・・・仏教では、解脱、と呼ぶようですが・・・そうできる機能が働いてて、それは簡単には・・・それが解らないからそうだ、と言えるのです

そうですか。
僕は未知がなんであるかを、じぇんじぇん忘れられない。。

>が・・・なお、その機能は、何か?を明確にすることに、関心があります。

そうなんですよね。関心が止まない。。
未知が未知であることは承知の上で、最近は知覚・認知科学とか、量子力学とかがかなり進んでいるみたいですから、そのあたりをうろうろし始めています。。

今のところ、現象・人間がなぜこのようであるかの仮説は。。

------------------------
現象は【未知】による進化・創造システムである。
人間は【未知】による、進化・創造システムの1つの現象機能であり、思い、考え、制御し、行為する個々の主体ではない。
人間の知覚は【未知】の限定的知覚であり
人間の精神は【未知】の限定的精神であり
人間の行為は【未知】の限定的行為であり
人間個々の人生とは
現象の無限なるコントラストを構成・推進する部分プロセスである。
------------------------

まあ空想でーす。
宗教とか、精神世界では、人間全てが、悟り、覚醒する方向へ進んでいて、それぞれのレベルがあるように言われていることが多いですが、僕的にはそこにとても違和感がある。
人の精神や意識変化のありようも、身体や気質に個性があるのと同じように、現象の創造・進化を構成する個々の個性であり、コントラストであるような気がしてならない。。
今のところこのようなまなざしで現象を眺めて楽しんでいますが、飽きたら、いじったり別の空想を考えてしまうのでしょう(笑

No.3081 - 2010/12/19(Sun) 16:26:06

Re: / ubik0101
それで。このように世界は機能してる。それが真理だとしたら、真理を思考できるようになってる、この世界、とんでもない・・・と思う今日この頃です。

> そのようなストーリーは立てやすい。

それを日常意識は・・・因果とか、業とか・・・なんか物語として空想してしまうのかも知れません。まったく違うのに・・・ それを、ここでは中道とか、世界の総活動と呼んでます。

>対象と知覚がなぜ単独なのか?

これは記憶にないです。でも、対象と意識が、同じでもない、違うでもない、ということなら、それは中道、世界の総活動のことです。これに触れるから、日常が、未知、なのです。

それで、なにかを世界から切り取ったと仮定しないと、なにもかも忘れてるのです。これが、ちょっと面白いです。「催し」と日常を区別しないのです。

>最近思うのは、現象と知覚は単独でありながら依存関係にないのは、実は次元が違うのでは?ということです。

ふつう依存関係というと、原因が結果になり・・・という緯(よこいと)系なんでしょうが、次元が違うということは、もしかして、経(たていと)系の依存関係が視野にあるのかな?と思いました。それは進化の、それとも言えます。

No.3084 - 2010/12/20(Mon) 08:11:26

Re: / ubik0101
なんでも人の食べ物はトライするのですが、二羽とも味噌汁が好物になりました。
No.3085 - 2010/12/20(Mon) 08:16:33
素直パート2 / ubik0101
>無我というのは、余計なもの、依存、同一化、権利を主張する動きがない、素直という意味ですか?

そ、ではないです。無我とは、ただ単に、主体、つまり自我がない、という意味です。それなのに、見たり聞いたり話したりできる、ということです。そして、ふつうには、それが判るには、ない、ことの認識を要する、です。

>ふと生じる疑問は、元に戻って、素直が発現するには、余計なもの、依存、同一化、あるいは権利を主張する動きが、削り落とされる時だということで、いいのかな、違うのかなということです。

では、余計なものを、削り落とすことができる、ということでしょうか。けど、そんなことは不可能です。こう言ったら疑問でしょうか?なにか世界から削除されるとしたら、変、ではないでしょうか。世界から減るものも増えるものも、なにもなく、主体、自我は、ない、です。

しかし日常の社会生活があるから、否定の道が、可能になっています。実際は、とても複雑な経路なんですが、単純化して話します。

なんだかの・・・たとえば隣の家の人は気に入らないのだけど、仲良くしなければならない・・・とかの思考があるとします。それは、そう思考する、なんだかの立場、状態があります。そこで、なんだかの思考に正当性を与えてる、そこには現れてない前提を探り当てます。

それはもしかして・・・自分を誤魔化しても生活に支障をきたしたくないから意に反したこともする、演技をする、嘘をする、隠れて威張りたい・・・ということかもしれません。そしてそれは・・・自己保存・・・とかいうことかもしれません。そんなことが、世間、かもしれません。

そして、ここでは、その前提・・・演技をする、嘘をする、隠れて威張りたい・・・偽善、傲慢・・・自己保存・・・に正当性がないなら、なんだかの思考がある、立場、状態に正当性がないことが明らかになります。その前提は隠れてるからこそ、前提として機能していられるのです。

その前提を、あかるい意識の光に曝すと、その思考は、成立することができません。つまり消えます。ここの例では ・・・隣の家の人は気に入らないのだけど、仲良くしなければならない・・・を維持できません。そこにはなんか、滑稽さとか、自分の対象化、が隠れたりしてるのを見るかもしれません。

そして、これ、たとえば世間を、自己保存を、実際、捨てるんです。そして、偽善、傲慢、卑下、世間・・・とか、自己保存とか、そんなことを時計を分解してみるように「思考して思考して思考しまくって」定義します。部品に分解されると時計としては機能しなくなる、とも喩えることができます。ま、誰にも習わず哲学するのです。

そこからも、たとえば、自己保存の意味を汲み取る、学ぶことが、たくさんあります。また、なにか前提を隠し持ってる思考なんて、たくさんあるでしょう。同一化、もテーマになるでしょう。

続きます。

No.3072 - 2010/12/17(Fri) 09:39:14

Re: 素直パート2 / ubik0101
たとえば同一化、ということは、なにかの思考というよりは、そこに隠れた前提、たとえば偽善、傲慢、自己保存・・・それも思考されることですが・・・に依存することです。それは隠れて意識に見えないゆえの、混沌、に乗じてそう機能してるのです。それで、同一化を知りたいと、思っても困難があります。そして同一化は、実際は半同一化なんです。まったくの反同一化も、同一化も、よほどのことでなければ意識の対象になりません。経験できません。

それに囚われながら、それを見る。力の限り探査します。これは、その人が、その人において、できることです。これは・・・分裂したり、混乱したりしてる・・・自我だからできる。と言ってもいいと思います。たとえば永久凍土を掘っては埋め戻す作業です。これは一見、無駄なんです。でも、作業する人には、そう意図しないでも筋肉がつく、注意深さがつく、ようなことです。

その道で、偽善とか、傲慢とか・・・が否定されるなら、素直、でしかなくなります。なにかの思考とか、その隠れた前提、それがある根拠がなくなるんです。拠り所が、立場がなくなるんです。正当性がないことにしがみつくことはできないのです。もちろん、正当性、ということもテーマになります。

こんな否定の道は、否定し続けなければ成立しないです。そして、そうである、ということなども気がついたりします。というのも、否定して、否定して、自分が自分だと思う中心に向かう衝動、それが、その道を歩かせてるからです。

それでも、もともと正直でなければ、嘘をつかないようでなければ、否定の道を歩くことは、困難なのです。自分に自分で嘘をついてたら、自分を探査しても、それが怪しいことだからです。そして、捨てられたことは、意識からは失われますが、なくなることは、なにもないのです。これが凄いのです。これは知っただけでは・・・実際にやらねば・・・意味がないのです。

続きます。

No.3073 - 2010/12/17(Fri) 10:02:16

Re: 素直パート2 / ubik0101
>そこらあたりが、まず、余計なものとして、依存、同一化、権利を主張する動きがそうなのかどうか、あいまいで、うまくまだつかめていないのです。

その余計なものとは、ない主体をある、と見なしてる。ということです。そして、そう見なすためには、たとえば、世間を前提にしてれば、権利とか、言った言わないとか、嘘とか事実とか、偽善とか、傲慢とか、自己卑下とか、その混乱とか、 なんだかの主張が働く、ということです。

イメージしやすいように。すごく喩えなんですが、超強力な台風が発生したとします。その中心、主体は、真空です。ない、です。けど、ない、の周辺は、暴風雨です。主張です。

つまり、ない、ためには周囲の、渦巻く暴風雨が必要です。でなければ低気圧でも高気圧でもない、ただの標準大気圧です。そして、その中心、ない、は知覚されず、主張が知覚され、ある、として機能します。それで、ない、が、ある、として機能する、とも言います。

>事実関係が食い違うと、それは問題です。それだと、質問して、話を聞く意味がありません。権利を主張する動きは、思考のものですから、記憶されているわけです。
>それが余計なものなのでしょう?


これもそうですが、そこで騒がしい事実が食い違う関係をつくって主体は、ない、くせに、あるかのように思いこむのです。そのために、とくにそれだけでは問題ない記憶、思考のものとかが、利用されるだけです。素材、です。

それは実は、ない、自我、から、ある、自己、を作ろうとする働きです。それで、ない、があるとして、ほんとに、ある、を作ろうとしてる、とも言います。そして、ある、自己、も知覚にとっては、ない、です。

No.3074 - 2010/12/17(Fri) 10:13:21

Re: 素直パート2 / バンダナ
初めまして。素直を探していたらぶつかりました。
余計なものというのはなんだかの主張が働く主張という思い前提があることです、主体をあるとみなしていることです。正直でないなどの隠れた前提にしているものがあれば主張が働くということです。
隣の人との間に思い前提があるとき、それに何らかの正当性を与えているそこに現れていないそのまた前提の思いを探り当てましょう。そしてそのまた前提の思いに正当性がないなら、最初の思い前提にも正当性がないのが明らかになります。そのまた前提の思いは隠れていたので前提として機能できたのです。あらわになるとどちらの前提も成立できません、消えます、維持できません、実際に捨てるのです。言い換えるとそれらの前提についてさらにそのまた前提に分解して定義していくと、分解する前の前提も機能しなくなるのです。
隣の人との間に思い前提があるとき、それに正当性を与える隠れた前提に依存しています。その前提は隠れているのでそう機能できるのです。隠れていて見えないのでそこに困難があります。それにとらわれながら、それを見る。力の限り探索します。分裂したり混乱したりしている中でこそ、できることです。そしてその道で前提が否定されるなら、素直でしかなくなります。もともと正直でなければ、否定することは困難です。捨てられたものは意識からは失われますが世界からはなくなることは何もないのです。
これだけ思いが出てきてメモしましたが意識からは失われました。ではメモを投稿します、さようなら。

No.3077 - 2010/12/17(Fri) 17:28:04
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