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(No Subject) / 雄大
連続する体験者というフィルムが存在を通して感光されるが、存在と感光されるフィルムをも超えたものは直接知ることは出来ずかつ何も排除しない。

時間も空間も超えたそれの中で時間も空間も現れる。

何故特定の身体から世界が現れるのか?

対象の陰として現れる2番目の私はそれの入り口である1番目の私の依存しているが、実はそれらを関係として認識するのは思考が創り出した世界なのだ。

光と水蒸気と見る角度が虹を作り出すのと同様に私の身体と自我が世界の中に済む錯覚を与える。

身体にメスを入れるのは凄い事ですね。
西洋医学の暴力的な感性には疲れさせられます。

1つの部品が車を構成するような世界観で、1つの細胞が分裂し複雑化していく身体に当てはめるのは理解し難いことですね。

明日は月曜日、子供をお風呂に入れて寝かせます。

何か特別な体験を持つという人に対して私も同じ体験が欲しいと権威にひれ伏す事の意味は私とあなたと彼、彼らが世界に存在するという世界観がそのまま顕わされてしまっている。

起こることは起こる、何か特定の原因からではなく全てが原因であり結果として起こった瞬間夢のように消えていく、それが存在すると言えるものなのか推測なのか。

中心からの対象への欲望ではなく軸のない必要が世界を満たしていくのだから何も残らないのではないだろうか。

現れた瞬間消える今にしかない質は何か。
私が何かをする、それは幻想。

No.3005 - 2010/12/12(Sun) 22:24:43

Re: / 雄大
今日はある整形外科医から紹介された手専門の整形外科医で診察を受けた。

診断結果は骨間神経麻痺であった。
原因はウィルス説等2、3あるらしいが不明なのだそうだ。

で身体の別な場所から靭帯だったか何かを移植する手術をするとか言われたので丁重にお断りをした。

薬について情報公開しているように病気に対する治療法や其の治療法についての情報も一般人が自由にアクセス出来る様にすれば良いのだ。

そうすれば過度な診断や治療,投薬も無くなるのではないかな。

ま医療業界は特権的な集団だから抵抗も大きいだろうが、国家予算削減にも貢献することだと思う。

バビロニア、エジプトなどの特権階級が支配する官僚主義ではなく、ギリシャのような民主主義に近づけて欲しいものだ。

医者という権威に妄信してしまう人達を見ているとあまりに哀れだ。

多少時間がかかったとしても自然に治癒するのが一番だ。
思考のリズムではなく身体にとって必要な待ち時間がある。

手遅れと言う言葉に恐怖するが、やりすぎという言葉には注意を向けない。

全ての権威を疑うことは重要な事だ。

理解が単なる結論なら何も変わらない,生き方そのものがその人の理解を表現しているわけだ。

知っていることと実際そうであることは違う。

No.3027 - 2010/12/15(Wed) 00:11:18

Re: / ubik0101
レントゲンをみて、手術以外の手段があるかもしれない、とは思えませんでした。 ubik0101の手術には3人の医師があたりました。一人は、やってやった、と喜び。一人は、癒着とか浸潤がなく、ラッキーでした。と言い。一人は触診しながら、意外でした。と言いました。百万円くらいの費用だそうですが、高額医療制度のおかげで、数万円ですみました。

そいえば病院で。斜め向かいのベッドの人、もう2ヶ月も入院していました。そして毎回のように食事に文句を言います。手術する人は、すぐに退院して行く。皮膚筋炎で自分は2ヶ月も入院して、毎日2錠の薬を飲むだけだ。手術の人はいいなあ。とか、ぼやいていました。

ある日、胃カメラの検査から病室に帰って来て。胃ガンだった。画像を見てると、蜘蛛みたいなのが、あった。その組織の一部をピンセットみたいなので、ピッ、と取った画像を見た。医師は知ってたんだ。とか、 言います。なにか考え深そうにしていました。どうなったか知りませんが、うーん、です。

No.3034 - 2010/12/15(Wed) 16:56:59

Re: / 雄大
昔聞いた話ですが、ある人が診断のために県をまたいで3つの病院で診察を受けた。

もちろん他の病院で診察を受けていることは内緒でです。
すると驚いたことに3つの病院の診断が3つとも異なっていた。

別の例ではある人がある病院で入院していた。原因が不明なので同じ病院の別の課に移った。

別の課の先生が診断したところ何故こんなになるまで放置しておいたのかと親族に対して怒ったそうだ。

いや昨日まで隣の課で入院してましたと親族が答えたら医者は沈黙したそう。で数日後に患者は死亡した。

その患者の親族は恨み言は言ったが泣き寝入りした。

ま、こんなことは氷山の一角だろうと思います。

ものがないと言う事と、ものそれ自体としてはないということでは意味が異なる。

あるものは同じものを原因として生まれたのか、あるいは異なるものを原因として生まれたのか、あるいは同じものまたは異なるものを原因として生まれたのか、あるいは同じものでも異なるものでもないものから生まれたのか?

病院で検査しているだけで身体の調子が悪くなる様な気になります。

No.3043 - 2010/12/15(Wed) 22:20:51

Re: / ubik0101
>あるものは同じものを原因として生まれたのか、あるいは異なるものを原因として生まれたのか、あるいは同じものまたは異なるものを原因として生まれたのか、あるいは同じものでも異なるものでもないものから生まれたのか?

あるものは、その、あるものが原因ではありません。しかも、なにが、どう原因かも、不確実。しかし、あるものは、あるものとして生起します。それで、あるものにも、その仕組みにも依存できて、しかも依存できない、となってるようです。

そ、いえば集中治療室で隣のベッドの人、かなりの高齢でしたが、一晩中、わめき散らし暴れていました。CENSORED未遂でした。これも、うーん、です。

No.3053 - 2010/12/16(Thu) 13:31:25
(No Subject) / あちこち
>《困った、な》という気持を「検討しますか?」ということ・・・それは思考の不連続を話すことに繋がることです。

お互いに取り上げている、当初の素直な気持ちを検討するに際して、
非常に違うという感じが生じ、一旦、思考が止まった、思考の不連続があった。
そこで、検討は、その思考の不連続を話すことに繋がると素直に感じた。
そこで、その思考、その自分を検討しようかどうか疑問、提案が生じました。
そして、そこを学びます。

それで、お互いに取り上げている、当初の素直な気持ちはどうなったのでしょう?

No.3007 - 2010/12/13(Mon) 11:07:20

Re: / ubik0101
もしかして、当初の素直な気持ちとは、これのことでしょうか。

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(No Subject) / あちこち

>あさ、布団の中で、さっと起きて何かがしたい感じがする。
>ぬくぬくと寝ていたい感じもする。


>どちらが素直な気持ちだろう。

>葛藤しているのが素直な気持ちだろうか?

>葛藤なしに、単に二つのの感じがあるというだけのことか?

No.2865 - 2010/11/10(Wed) 08:20:30
------------------------------------------------------

では、あちこちさんの言う、葛藤、の定義が必要です。自分が分裂して自分と闘ってる、ということを指すのでしょうか。そんな、自我の機能の一側面を指すのでしょうか。とりあえず、そうだとして進めます。

>葛藤しているのが素直な気持ちだろうか?

これは、葛藤してる人が、葛藤してると、自分で素直に判るだろうか?という疑問なんでしょうか。ならば。ある人が、自分は自我に縛られてると判っただけで、それから解放されることは困難でしょう。解放されてから、これまでずっと自我だった、との了解は得られるでしょう。

>葛藤なしに、単に二つのの感じがあるというだけのことか?

たとえば、ぬくぬく寝てるのに、「ぬくぬく寝ていたい」と思考するのは、寒いとか疲れてるとかで、さっさと起きて何かをしてないという状態です。それで、「さっと起きて何かがしたい」という思考がでるのでしょう。自我の機能というほどではないにしても、それを葛藤と呼べば、呼べるでしょう。

No.3010 - 2010/12/13(Mon) 14:30:42

Re: / あちこち
おや、出だしに話は戻りました。やり取りの話が違いすぎて、どこに戻るか、困ったなと思いが途絶えたということでした。では、出だしに戻って、そこを仕切り直しで見直します。素直な気持ちって何だろう?

どうしようかとぐずぐずする気持ち、葛藤がある場合と、単に二つの感じがある場合が検討されています。その場合ついて検討したいのですが、

その前に、どちらが素直な気持ちだろうという質問がありました。そこは、すっと素通りされています。ここは、こちらが素直な気持ちに決まっているでしょう、と進んで行くといったことは何もないということでしょうか。

No.3015 - 2010/12/14(Tue) 07:49:15

Re: / ubik0101
もし布団で眼が覚めて、そのままで、とくになにかないなら、「ぬくぬくと寝ていたい感じもする」も「さっと起きて何かがしたい感じがする」も、ありません。つまり、ひとつの気持もありません。

また、 さっと起きて何かをしてるなら、とくに何かないなら 「ぬくぬくと寝ていたい感じもする」も「さっと起きて何かがしたい感じがする」も、ありません。つまり、ひとつの気持もありません。

ということは、すでに返事したと思います。

それでも、どっちかとして仮定して検討できることがあるなら、どっちでもいいですが「ぬくぬくと寝ていたい感じもする」を、素直な気持ちとして、検討してください。

No.3017 - 2010/12/14(Tue) 08:11:04

Re: / あちこち
では、次に進みます。

素直な気持ちというのは、自分で素直に判る気持ちのことですか?
話が違いすぎて、どこに戻るか困った、ここを検討しようかどうしようか、という素直な気持ちが生じた、それは自分で素直に判る気持ちです、ということでしょうか。
そこを主張しておられるのですか?

起きたいのと、寝ていたいのとの気持ちの間で、ぐずぐずしている気持ちがあるとき、葛藤があるとき、
それはもちろん、ぐずぐずしている気持ちは、はっきりそんなふうに意識されるでしょうが、それを素直な気持ちとして、そこで、どう問題があるのでしょうか?

No.3018 - 2010/12/14(Tue) 08:20:35

Re: / ubik0101
なんだかの気持が生じたとします。それは自覚できます。自覚されてるのは、その気持だけです。それは水を飲んだら水を飲んだ、と自覚できることと変わりません。それは、変な言い方ですが、ことさらの観察者を要しません。

つまり、その気持と類似の気持、反対の気持ち、無関係な気持、それらがない・・・水ではなくジュース飲みたいとか、公園に行こうとかが、ある気持の裏に隠れてはいない・・・ということです。それらがあるなら、いわゆる観察者を要するかもしれません。

もちろん、いろいろあっても、問題がないのです。それはもともと、観察者がいない、からです。たとえば、布団でぬくぬくしていながら、世界って何だろう?と探ります。さっさっと起きて、畑に種を蒔きながら、あるない、の機能を探ります。

ここで言いたいのは、ある気持が自覚されると観察者がある・・・つまり葛藤がある・・・ということではなく・・・ある気持の、あるない、と観察者の、あるない、は連動してはないということです。観察者があるなら、ある。ないなら、ない。違いがあると言えば、それだけです。

もっと極端を言えば、布団でぬくぬくしていながら・・・ふつうは、そう思考するまでもなく、そうなのですが・・・ 布団でぬくぬくしてると思考しても・・・無問題・・・それは事実の認識・・・ということです。

たとえば、水を飲んだら・・・なにかの病気でなければ・・・水を飲んだと自覚できるということです。そして水を飲んだと思考しても、事実の認識だ。ということです。これは、命名、だと捉えられるかもしれませんが、そうでなくて、ここから展開できることもあります。

ところで、まずは。観察者が、あるない、これを解決しないで、葛藤があるとかないとか言っても、単なる空想かもしれません。これは主張というより、ただ事実ではないでしょうか。で、質問です。観察者の、あるない、どいうことでしょうか?

No.3019 - 2010/12/14(Tue) 09:51:30

Re: / あちこち
二つの感じがある場合を、何かをしようとして、思考する場合として取り上げられています。
二つとも、あるいは一方を、思考のものとして取り上げられています。

しかし、その検討の前にちょっと質問があります。
その場合だけなのかな。生理的な感じとして、過ごしている状態として、ふわっと、いくつかのものがあるときがありませんか?
ふと目が覚めかかっていて、さっと起きて体を動かしたいあふれるエネルギー感もあれば、ぬくぬく眠っているその心地よい感じも、ふわっとある。それらの感じのまま、全体を感じていると、いつの間にか、また寝入ってしまったり、あるいは、ふと、起き上がっていたり。
そのときは、ある場面で、いくつかの感じがある、そしてその経過中で変化もあるのが、素直な気持ちなのかなと。

No.3020 - 2010/12/14(Tue) 10:12:39

Re: / ubik0101
その件については、気持でも同じですが、思考は不連続だ、と言ったはずです。そのつど、なにかの気持が立ち上がる、です。そして、去っていく、です。で、それを連続してると思うのは、ことさら自分の継続性が意識されてるということです。とも、言ったと思います。

もしかして、あちこちさんが、思考、と言うのは・・・思考と、心理的な思考は混ざっていて・・・総ての思考は心理的思考、と見なしているということでしょうか?その範疇では、自分の継続性が濃く意識されてて、思考の不連続は見えにくいでしょう。とも言ったと思います。

もしかして。自分の生きてる感じ、現実感、のことを言ってるのでしょうか?あるいは時間感覚のことでしょうか?それも、 ことさら感じるなら、ことさら自分の継続性が意識されてるということではありませんか?あるいは知覚と行動の混乱を検討したいのでしょうか?

とくに混乱がないなら、このまえ言ったと思いますが「過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得」。つまり、なんであれ、物質であれ、身体であれ、感情であれ、思考であれ、その、いわゆる対象化は消えてるのではないでしょうか。なのに、見る聞く思考する、この不思議、これも言ったと思うのですが・・・これに関心が向きます。

No.3021 - 2010/12/14(Tue) 11:23:58

Re: / あちこち
それで、最初に戻って、あれこれではなくて、素直な気持ちで進む、などと言っているとき、
素直な気持ちって、どんな気持ちのことなのですか?

No.3022 - 2010/12/14(Tue) 11:54:32

Re: / ubik0101
これまで、素直な気持ちで進む、などと言って、進んだことはないです。もしかして、この“掲示板”で言ってる、素直、ということの意味を聞いてるのでしょうか。

それなら、気持、ではなくて、特質、あるいは、属性、のことです。それは否定の道を歩くことで、つまり余計なことを削ぎ落とすことで・・・失うことで・・・発現することです。

それが日常の行動、発言、思考に現れると、真摯に、正確に、です。注意深くとか、意識的とか、明々白々とか、言っても変わりません。

なにか、とある気持が素直とかいう話ではありません。また、素直であろうとする、設定があるのではありません。

No.3025 - 2010/12/14(Tue) 17:55:23

Re: / あちこち
素直の話は、特質、属性として、正直、真摯、正確、注意深く、意識的、明々白々と言い換えられます。
その前に素直が発現するには、余計なことを削ぎ落とす・・・があります。
話は、余計なことに移りました。
では、余計なこととは?

No.3030 - 2010/12/15(Wed) 13:55:45

Re: / ubik0101
たとえば。この掲示板でubik0101が言ったことに対する疑問・質問が、真摯で正確、な言葉でなかったので、意味不明なまま進んでしまいました。

そのように、真摯で正確でない、不注意な、その姿勢が余計なことの現れです。たとえば、感覚への依存、感情への依存、思考への依存です。これは、そうだと本人が認識するしないに無関係に、そうです。

それだから、根が深いのです。ほかの誰かのことは知りませんが・・・それを解決しようとしてのことではないけれど・・・それが、わたしは誰?否定の道です。

No.3035 - 2010/12/15(Wed) 17:18:30

Re: / あちこち
この掲示板で、ある場面での、ある気持ちからの行動に関して、素直ということが取り上げられ、言われていました。
それで、素直な気持ちとは何だろうと疑問に思い、私は質問しました。
そしてその後の、やり取りが、意味不明なところがあるままに進行したということ。
このどこかに、例えば取り上げたこと、言ったこと、あるいは例えば疑問、質問に、真摯で、正確な言葉ではないところがある、という判断があります。
その、真摯で正確ではない、素直ではないということがあれば、余計なことだということ。
これでは素直でなければ余計だということなので、説明が堂々巡りですが、もう少し先を読むと、感覚、感情、思考への依存が、余計なことだということ。
ここですね。では、依存というのは、具体的にどういうことでしょう?

No.3037 - 2010/12/15(Wed) 18:48:19

Re: / ubik0101
>この掲示板で、ある場面での、ある気持ちからの行動に関して、素直ということが取り上げられ、言われていました。

なんだかの気持が素直。そのような意味で、素直、とは言いません。誤読ではないでしょうか。不注意です。

>ここですね。では、依存というのは、具体的にどういうことでしょう?

ふつうの曖昧な言い方では、たとえば感覚に、感情に、思考に、同一化、です。ところで、何のために質問していますか?

No.3039 - 2010/12/15(Wed) 19:16:23

Re: / あちこち
具体的には引用しませんが、ある気持ちからの行動に関して、素直かどうか取り上げられていましたね。
それについて、気持ちが素直と読んで、誤読、不注意にしてもいいのですが、
気持ちと行動が、素直な属性のものかどうかというふうにも理解できるのでは?
いずれにしても、その依存、同一化が問題になるのですね。
それで、次の話も含めて、いまは、その不注意、素直でないことは止んでいるのでしょう?

>ここですね。では、依存というのは、具体的にどういうことでしょう?

依存とは感覚、感情、思考との同一化のことであり、それが余計なものですか。
同一化を削ぎ落とすときに、素直が発現すると。

で、余計なものとは何か、依存、同一化とは何か聞いているのは、それが削ぎ落とされる時に素直が出現するということですが、余計なもの、依存、同一化がわからない、尋ねている、というわけですね。
何のためでもなく、ただ質問がある。

これで、問題がなければ、このサブジェクトでの話は終わりましょう。

No.3042 - 2010/12/15(Wed) 20:11:40

Re: / ubik0101

では質問です。

> 何のためでもなく、ただ質問がある。

というのは、動機なしの質問がある。という意味ですか?
それとも、あちこちさんは自分が、無我、だということですか?

No.3046 - 2010/12/16(Thu) 09:24:34
(No Subject) / peer
>なにか辛い生活をしながらも自分を、、、、
>嘘の本音を捏造することもありそうです。


対世間に対して、ですね。
対世間に対しては、どんなことだって捏造するでしょう。
でも、自分に対しては、捏造出来ないですね。
その件については、どうやっても嘘だと知ってますから。

そうなると、何が辛いって、生活そのものではなく、
ひとかどの人と思っていたいことが、辛いんじゃないでしょうか。

朝起きて、さあ、何かをするぞ。と思うのも本音だし
温かい布団のなかで、ぬくぬくしたい、も本音。も、あるかなぁ
たぶん、前者は脳みその機能。
後者は、肉体の反応。ということは、ないかしら?

> 仕事を変わりたいなら、たとえば「ぬくぬくしていたい」ではなく、
> 仕事を変わりたいと思考するだけです。


仕事を●●の反応かどうかは、体に聴いてみる、として。
●●へ行きたくない・・・朝起きたら風邪で頭が痛い。腰が痛いとなる。

で、腰が痛い。という人に「なにか、したくないこと、ありません?」
と聞いてみたら、心当たりがあるようで。
「そうか、アレをしたくないんだ」と気づいたとたん
腰の痛みがスーーッと抜けていた。
ということも、あるです。不思議ですが。

>どんなことも人との関係も、仕事も、隠し事がないという意味で、
>プライベートです。


隠し事がない・・・我を垂れ流しする。
というのは、ちょっと勘弁して欲しい・・・かも。
まっ。わたしの例は、覚醒した人の話ではないので、
すみません〜

No.2984 - 2010/12/10(Fri) 03:42:10

Re: / あちこち
>>あさ、布団の中で、さっと起きて何かがしたい感じがする。
>>ぬくぬくと寝ていたい感じもする。


>>どちらが素直な気持ちだろう。

>>葛藤しているのが素直な気持ちだろうか?

>>葛藤なしに、単に二つのの感じがあるというだけのことか?


>いいえ。


いいえと答えたものの、話がずれすぎていて、どこまで戻ってどこから話すか、説明しようとするところには進まないで、素直な気持ちとして、困ったなという気持ちを持ったということ。
そしてさらに少し進んで、気持ちは変化し、これを検討しようか、どうしようかと思った。
そして、気持ちは次々に起きるできごとに応じて、次々に変化します。
数日経って、新たな問いかけもあり、いま、質問を見直すと、どんな気持ちでしょう、そしてどんな行動が生じるのでしょう?

新たな問いかけがありますが、ある時点で、本音が(タテマエでもいいですが)(それ以外の何かでもいいですが)二つあるというだけなのかなあ、そしてどう変化するのだろう、と途中では聞いています。

No.2985 - 2010/12/10(Fri) 08:39:18

Re: / ubik0101
peerさん

そ、言えば。子供の頃に見たTVドラマで「自分のことは自分がよく解る」という病人の言葉を聞いて、うん、そうだ、そうだ。と思ったことがありました。でも、そんな気持で生活してみると、どうも違いました。

まあ、ほかの人の嘘が事実に思える。ほかの人の事実が嘘に思える。自分の嘘が、ほかの人には事実。自分の事実が、ほかの人には嘘。それは嘘だと解らなければ事実なので、事実、も疑う。とか・・・ころころ態度を変える人もいて、混乱があって、それで、どうも怪しい、と思ったのかもしれません。 嘘と知って嘘を言う、事実と信じて言うことが実は嘘・・・確信犯・・・ということもありそうです。

ふつうにも、誰もが嘘と自覚できないから、嘘を言ってない、とみなしてしまうこともありそうです。たとえば自分の感覚に、感情に、自分の思考に依存していながら・・・それを素直なこととして・・・なにか行動、発言、思考するなら・・・なにかの行動、発言、思考はできますが・・・それは倒錯で・・・それは嘘って、こともありそうです。

たとえば自己顕示欲が強い人が、なんだかんだ行動してるとして、自分の自己顕示欲に気がついてないことも。また、そ、勝手に空想する、誰かがいるというだけのことかもしれません。自我って、そう現れることもあるようです。どうであれ、自我は、そんな自分に自分が切り込むことことができるので、それを使わない手はないようです。

ところで。たとえば「さっさと起きてなにかしたい」と「ぬくぬくしていたい」とかの、違う気持が、まったく同時、に起こるのでしょうか?たぶん、ぬくぬくしていながら 「さっさと起きてなにかしたい」とか。さっさと起きてなにかしながら、「ぬくぬくしていたい」。あるいは、どっちつかず、ぐずぐず、なのではないでしょうか?ならば、世界の継続、に依存してるのかもしれません。

そんな嫌だなー、という気持が気分や体調に現れる・・・そ、言えば。よくジンマシンが、腕に発生する上司がいました。ある日、給湯室で、歯磨き粉を腕に塗り込みながら言いました。「これは自分で、プラシーボ(偽薬)だと解ってるんだけど、効果があるんだ」 。うーん、でした。聖痕、とかもあるようです。

ほかの人が仕事をするわけではないし、ほかの人が社会生活をするわけではないし、プライベートでしかないのではないでしょうか。そ、いえば。むかし「あなたは世間様ですか?」と聞いて、はい、と答える人はいないだろう。つまり世間様は空想、と思ったのですが、いいえ、と言いながらも空想に生きてることもありそうに思います。と、そんなことをいくら見ても、それは始めも終わりもない観察ではなく、始めも終わりもない迷いに思います。

まだ小さいですが、春菊、順調です。

No.2986 - 2010/12/10(Fri) 14:05:02

Re: / ubik0101
あちこちさん

>そしてさらに少し進んで、気持ちは変化し、これを検討しようか、どうしようかと思った。

もう言い得ることは言ってるので、さらに検討しようとは思わなかったです。。ただ、この件についての返信があれば、そこで、なにかの気持が起こるでしょう。

つまり、なにか新展開があれば、その反応として・・・なにかの気持、たとえば《困った、な》が、ほかの気持に変化するのではなく・・・なんだかの気持、たとえば《ふむふむ》が新たに生起します。

などということは、ほかの誰かのことを観察しても空想だし、ubik0101の気持を、ubik0101が検討しますか?でした。それで、なにかの気持が、ほかの気持に変化すると感じるのは。なんだかの連続性というか同一性があるということでしょう。

それは人が、ことさら求めなくても、そうでしょう。ことさら求めると、意識による対象化で・・・たとえば自分は自分だとか思うなら、自分が自分だということが・・・強調され濃くなるようなことでしょう。

それでは気持の不連続に気がつきにくいので、たとえば慈しみから憎しみに連続して変化してるように感じるのではないでしょうか。 そうでもなければ、なにかの気持も起こったとしても、ふつうは、すぐに消える、忘れてしまいます。

それは自分で奮い起こさなければ・・・それでも間歇的であり・・・それも、なんだの、ことさらに意識するまでもない連続性、同一性が機能してるのでしょうし・・・持続できないのではないでしょうか。

青梗菜の新芽です。

No.2987 - 2010/12/10(Fri) 19:30:45

Re: / あちこち
>>違います。

この違いの大きさ、どこに戻るかという問題。そして、

>>《困った、な》・・・というのが、ここでの素直な気持ちです。で、これを検討しますか?

> もう言い得ることは言ってるので、さらに検討しようとは思わなかったです。

なるほど。
このふたつの検討したい気持ち、そして検討しようと思わない気持ちは、気持ちの違いというより、意味が少し違うのですね。

>ただ、この件についての返信があれば、そこで、なにかの気持が起こるでしょう。

それで、私の問いとご自身で起きていることが合わさって、そこから、いろいろ、思いが生じ、気持ちが生じて、検討してくださっているのですね。

No.2988 - 2010/12/10(Fri) 20:48:48

Re: / ubik0101
たしかに、ほかの人との対話は、自分のことを検討するための力になります。
No.2989 - 2010/12/10(Fri) 21:22:16

Re: / peer
サルから進化した人間。
どうして進化したか。確定したモノはありませんが。
他人がなにを考えているか、感じているか。
それを、推測したり、求められる前に行動する
という人間らしさを、獲得せねばならない
という必要があって、進化した・・・のかな〜と。

だから〜力で物事を押し通そうとするのは
サルのまま。ってことになるのでしょう。。か。

No.2990 - 2010/12/11(Sat) 02:32:31

Re: / peer
>ある時点で、本音が(タテマエでもいいですが)
>(それ以外の何かでもいいですが)二つあるというだけ
>なのかなあ、そしてどう変化するのだろう、
>と途中では聞いています。


あちこちさん。こんばんは。

本当は想念は二つどころじゃないのかも、と思います。
わたしらは、生きて関わって来た人間たちを
取り込んでます。その人たちは、様々な考え・思い
が、あるんだよ。と教えてくれました。
「●●を、どうしよう」と考えた時
あの人ならどうするだろう。この人だったら。
そんなふうなことも、ありますね。
こんなこともあった。あんなこともあった・・

その最たるものは両親・兄弟。
わたしの中には、確実に、みんな、存在してるわ。
それを考えると、オリジナルなんて、あるのかな。
とも思ったり。

PS)
ubik0101さんとの検討に横入シチャイマシタガ。。。
どうぞ・・・。続けてね。

No.2991 - 2010/12/11(Sat) 02:55:56

Re: / あちこち
>>で、これを検討しますか?

これは疑問は生じている、思考はそこで止み、保留があるということですね。

>つまり、なにか新展開があれば、その反応として・・・

これは説明ですが、
具体的には、行動として生じているのは、思考が止んでいるということで、何かの観察があるだけということでしょうか。
それによって行動や気持ちは自然に生じてくるというような。


寝床の中で、行動が、すっと生じていないとき、葛藤はないけれども、何か保留があり、思考は止み、何かの観察があるだけというのと似ているのでしょうか?
ひょっとしたら、カゼの引きかけみたいな身体のだるさみたいなものが感じとして新たに生じてくるとか。

No.2992 - 2010/12/11(Sat) 07:21:34

Re: / ubik0101
peerさん

ま、捏造でしょうが 、レミングは一匹が崖から海に飛び落ちると、つられて集団CENSOREDすると言われています。

そうでなく、なにを行動するか、考えてるか、感じてるかの・・・その自分・・・主体の発生の、ための人です。

No.2994 - 2010/12/11(Sat) 13:17:03

Re: / ubik0101
あちこちさん

し、しまった。よく見たら、このまえ植えた苗は、スナップエンドウではなくて、空豆だった。ちょっと遅いけど、新しい畝をつくって、種を蒔こう。

そんな日常。たとえば、東京にいて、サラリーマンやってても、九州でビル掃除やってても、なんて空想の余地なく、そう、です。これで過不足ない、です。

で、ここでは選択とか無選択とか、葛藤とか軋轢とかには、問題は向きません。そこから、たとえば。この世界って、なんだろう。どう、ある、ない、は機能するんだろう。に向かうのです。

と、いうのも、もし、仮に、たとえば、日本のどこかで、また地球のどこかで、なにをやっていたって・・・それは無問題で・・・この日常の神秘が研究の課題になるのです。

すでに、それ、に触れた、なった、とも言えるので、どんな哲学によらず宗教によらず瞑想によらず、ただ世界を見ることによって。もっと正確には・・・自分に浸透してる、自分と繋がってる・・・これ、を見ることによって。

と、いうことで、つるなしえんどう、の種を買ってきました。青色にコーティングされています。

No.2995 - 2010/12/11(Sat) 13:18:12

Re: / ubik0101
たとえば電車に乗ってれば、野が、山が、川が知覚され、後ろに去っていきます。そして、たとえば、思考、それも知覚されるだけのことです。

なにか思考してるなら、眼、は鳥や樹を見てても、それは見てるとは意識されず、思考、を見てるだけではないでしょうか。で、眼を閉じても思考は見えるでしょう。思考は知覚です。

なぜ、その知覚、たとえば野の花や空の鳥ではなく、思考の有無が気になるのでしょう。もしかして、思考への依存、が気になるだけのことではないでしょうか。その問題の根は、思考の有無にはありません。

なにかの知覚されること、たとえば家や絵画や音楽や、思考を対象にして、それに依存して、派生する、仮の中心。それを、自分、だと思い誤ることにあります。思考に問題はありません。

ただ、たとえば家や車や、それを持ったり持たなかったりする・・・とくに・・・ない、ことも範疇にできる・・・思考・・・に依存することを背景に人は、自分が自分を感じ、たとえば力で物事を押し通そうとするだけ、なんです。

そのことは、そのことが、その人に、仮の中心がつくられてるよ。依存してるよ。倒錯してるよ。と、親密に教えてることでもあります。なぜ、それを始めから拒むのでしょう。

それから、どうして学ばないのでしょう。学ばないことも、仮の中心、自我の機能、ではないでしょうか。なぜ、その自分を学ばないのでしょう。

No.2998 - 2010/12/12(Sun) 09:10:25

Re: / あちこち
>で、これを検討しますか?

>さらに検討しようとは思わなかったです。

これは違う二つの思いであり、そこから、自分を学ぶのだということでしょうか?

No.2999 - 2010/12/12(Sun) 10:26:47

Re: / ubik0101
(a)《困った、な》という気持を「検討しますか?」ということ・・・それは思考の不連続を話すことに繋がることです。(b)「検討しようとは思わなかった 」ということ・・・それまで話した思考の依存性と独立性は充分に言ってることです。この(a)(b)の比較ができるのでしょうか。

それが思考の不連続なら、あまりに遠いけど、まあ思考の不連続です。それは世界の継続を見せてくれます。それは世界の機能を学んでいるのです。こんなことは、仮の中心、つまり自我には、見えにくいし、見てもあんまり意味がないでしょう。それよりも、まず、自我は虚構と体験して、それを解決するのが先決ではないでしょうか。

なんであれ、仮の中心が自分として機能してるなら、それが行動、発言、思考に、あるいは軋轢として、あるいは葛藤として現れます。また現れないことがあります。それは、自覚できることであり、また、自覚できないことです。そんな暮らしは、ただ暮らしだけではなく、それを学ぶことにしかなりません。自我が自我を学ぶ、その臨界まで学ぶ、です。

とくに日常に問題も見つからないなら、虚空から掴み取るように。自分の、世界の、深い淵から、苦悶するように、問題を掴み取るの、です。それは、意識に現れない、つまり自覚できない、行動、発言、思考に現れない自我も学ぶ、ことにもなります。

No.3000 - 2010/12/12(Sun) 14:00:05
(No Subject) / 雄大
何かになることも何かであるがままにあることも興味が無い。

何かそれ自体としてないのだから、何かとか誰かとか私とか一瞬はあるようでないようなものに生命を与えるものだけがある確定的事実だ。

しかしそれさえ失われてしまう。
身体を中心にした夢を追い続ける間は神は其の扉を開けることは無い。

快楽への欲望と継続、恐怖、苦痛からの逃避
それは自然なものだ。

しかし誰に起こると想像しているのだろうか?
そんな人いないが抵抗するからそれらが生じ、目くるめく対象に焦点を合せたままなので消耗し続ける。

私にはあなたが必要だ、世界が必要だ、それ以外のものが必要だ。それら全てに浸透しそれらを超えているものはただ対象の否定により理解される、飛ぶ鳥が跡を残さない様に理解も後を引かない。

既に自分お悟りとは何かを知っている、イメージを作り上げてしまっている、それで見えない、私という古い中心を残したままで何をしようというのか。

心の状態だという思い込みと結果を焦り過ぎる事。
それで無いという否定を通じて理解されることは
木が揺れることで風を感じるのに似る。

最近外食ばかりだなーと感じつつ子供を連れて今から外食しに行こう。

そして外食ばかり続けていると何を食べても不味くなるという事。

No.2993 - 2010/12/11(Sat) 10:13:57

Re: / hato
> 心の状態だという思い込みと結果を焦り過ぎる事。
> それで無いという否定を通じて理解されることは
> 木が揺れることで風を感じるのに似る。


> 最近外食ばかりだなーと感じつつ子供を連れて今から外食しに行こう。
>
> そして外食ばかり続けていると何を食べても不味くなるという事。



外食、ubik0101さんもわたしもすきですよ。家庭の食事は、やっぱり嬉しいですけど、忙しい折は、手軽なこと有り難いですね。マクドナルドのソフトツイストはubik0101さんの大好物。わたしは思い立って、珈琲を飲みに行くのが楽しみなんです。

サラ・ボーン。20代の頃、246沿いの三軒茶屋あたり、昭和女子大での公演を聴きに行きました。大きな身体を揺らして、とてもとてもチャーミングな、可愛い人でした。

ふたりから。

バードランドの子守歌(訳詞付)/サラ・ボーン

http://www.youtube.com/watch?v=GzyRPjlniH4&feature=related

No.2996 - 2010/12/11(Sat) 21:13:01
(No Subject) / あちこち
あさ、布団の中で、さっと起きて何かがしたい感じがする。
ぬくぬくと寝ていたい感じもする。

どちらが素直な気持ちだろう。

葛藤しているのが素直な気持ちだろうか?

葛藤なしに、単に二つのの感じがあるというだけのことか?

No.2865 - 2010/11/10(Wed) 08:20:30

Re: / ubik0101
おそらく、いく種類か、思考、と呼ばれてることがあります。いわゆる心理的な思考、葛藤、自我の機能、これを命名して、思考、と呼ぶ場合があります。また。そのようでない、たとえば実用的な、物理的な、数学的な、思考、があります。それは、実は、葛藤の範疇にない、と見なされるだけで、大差なし、の場合があります。

たとえば、実用的な、物理的な、数学的な思考も、それを基にして、葛藤、自我の機能を引き起こすからです。なんでもいいのですが・・・たとえば世界は閉じてると・・・僕・・・。いや。世界は開いてると・・・俺。どっちが正しい?また、この発明・発見をしたのは、私だ。いや、僕だ。とかあり得るでしょう。これは、思考が、思考者をつくってる場合かもしれません。それでも、それが事実を明確にするための真摯で正確な、検討、ということもあります。

と、いうことを思考してるとしても・・・それが事実であれ、空想であれ・・・とくに思考者をつくらない、思考、があります。ここで思考者とは、葛藤者、自我に束縛されてる者、という意味です。まあ、なんと呼ぼうといいのですが・・・思考者が、いるとか、いないとかも、とある表現なのですが・・・思考者がいない、思考です。

このような思考・・・ならば思考は思考を見ません。これを逆に言うと、思考は思考を見る、そんな思考は、その思考には関係なく、思考者がいる、というだけです。たとえなんだかの、思考、がなくても、思考者がいるなら、思考者はいる、のです。つまり、思考が問題なのではなく、思考する人が、どのような有り様であるのか?が問題といえば問題なだけです。

それは、その人の行動によって、その発言によって、その思考によって、その人が、どんな有り様なのか・・・検討対象になるのかもしれませんが、それは・・・カエルが鳴くから、明日は雨・・・という程度の域をでません。正確な判断になり得ません。

ここまでは、言葉による思考です。あと、言葉によらない思考があります。たとえば、あちこちさんの投稿を読んで・・・その瞬間・・・言葉にならない思考が知覚されます。それを解凍して言葉にしてるのが、この投稿文です。また。朝、眼が覚めてる、と思考しないでも、眼が覚めてるのは、事実、です。それは知覚でもありますが、思考とも言えない思考です。

たとえば朝、眼を覚まして、歯を磨いて、作業服に着替えて、軍手をして、スコップを持って庭の裏に作った、畑を耕します。そして青梗菜とか、人参とか、種を蒔いて、水を撒きます。それは。ふたつの感じは、ない、です。

ふたつの感じが、ある、それでも問題ない、というのは、また別の話です。

No.2867 - 2010/11/10(Wed) 11:24:11

Re: / あちこち
ふたつの感じがある場合の話。
夜の虎さんの場合にも、時には、ありうること?

No.2889 - 2010/11/15(Mon) 08:12:03

Re: / あちこち
二つの感じは、違う人がそれぞれ持つ場合もある。
さて、どう関わるか?

No.2900 - 2010/11/17(Wed) 08:20:25

Re: / ubik0101
ま。優先順位の違い・・・それだけのことでしょう。

ところで久し振りの禅問答・・・とても、うろ覚えですが・・・ある修行者が「自分て何ですか?真理て何ですか?」とかいう質問をしました。すると、馬祖という禅師が「太平洋の水を一気に飲んだら教えよう」と、答えました。

さて、なんと返事しますか?

No.2902 - 2010/11/17(Wed) 09:49:52

Re: / あちこち
優先順位は、どう働くのでしょう?
No.2923 - 2010/11/25(Thu) 10:03:36

Re: / ubik0101
それは、自己都合、でしょう。それだけで、ほかの人との関係では、軋轢や葛藤は起こり得るでしょう。でも、ある場面で・・・ほかの人との優先順位が同じ、意見が同じならば、とくに問題としては意識されないでしょう。

また、なりゆきで、相手の都合に合わせるともなく合わせれば・・・また約束とか常識とか・・・それで不満がなければ・・・問題としては意識されないでしょう。しかし、それで一生過ごせたとしても、問題が解決された、ということではないです。ほかの場面では、ほかの人と意見や優先順位が違う、ということもあり得ます。

それで問題の根っこの自己都合・・・正確には、自我都合・・・それを解決せねば、解決されないでしょう。それは・・・損得とか、偽善とか、嫉妬とか、欲望とか、善悪とか、正誤とか・・・それを太平洋を一気に飲むように、一挙に解決されるのでないなら、かなり困難です。

その言い方はともかく、自己を知る。これが最優先です。そのために軋轢や葛藤が起こるなら、いくらでも起こればいいです。それに、実際、自己を知る、そのためにしか・・・たとえば自我都合にしても・・・その、わたしは誰?であり・・・それから逃げるとしても、その、わたしは誰?であり・・・問題は起こらないと言えます。

No.2925 - 2010/11/25(Thu) 12:25:20

Re: / あちこち
話は、元に戻って、素直な気持ち?はどうなのでしょう。
No.2941 - 2010/11/30(Tue) 19:42:51

Re: / ubik0101
ふたつの感じは、ない、です。つまり、ひとつの気持も、ない、です。

もし・・・なんだかの、たとえば「さっと起きて何かがしたい」ひとつの気持があるなら・・・その裏というか奥というか影には・・・それと反対の気持ちと、それと類似の気持と、それと無関係な気持・・・つまり、あらゆる気持、があるかもしれません。たとえば「ぬくぬくと寝ていたい」「あと10分だけ寝よう」「ああでもないこうでもない」があるかもしれません。それだと、気持が気持と、せめぎ合います。でしょ?

No.2942 - 2010/11/30(Tue) 20:40:18

Re: / あちこち
> 二つの感じは、違う人がそれぞれ持つ場合もある。
> さて、どう関わるか?


ここも、お忘れなく。

No.2943 - 2010/11/30(Tue) 21:01:10

Re: / ubik0101
一人は「さっと起きて何かがしたい」なら、そうすればいいし、も一人は「ぬくぬくと寝ていたい」なら、そうすればいいです。
No.2944 - 2010/11/30(Tue) 21:36:57

Re: / あちこち
> > さて、どう関わるか?

ここがまだ検討されていませんか。二人ならできることもあるでしょうし、話しかけなどはあるのでしょうか?

No.2948 - 2010/12/01(Wed) 08:37:48

Re: / ubik0101
それぞれの人が、おなじ家にいても、おなじ時代に暮らしても、それぞれのことをする、これは無関係、ということではないです。関係だと、意識しなくても、関係なんです。とりあえずこれを、ここで便宜上、静かな関係、と呼んでおきます。

だけど、たとえば、おなじことをしたい、という思いが予め前提にあって、たとえば一人は「ぬくぬくと寝ていたい」。で、も一人は「さっと起きて何かがしたい」とかの違う行動があって、おなじことができないことに不満があるなら、それは意識できるようになった関係づけです。騒がしい関係です。検討の材料にはなるでしょう。

それは、おおくの場合は・・・公平さとか、正しさを求めてるのであり・・・そこに実は取引とか損得が隠れてるかもしれません。その不満の原因は、相手にあるか、自分にあるかなどと原因を探っても・・・相手を矯正しようとしたり、自分を矯正しようとしたりすることに、なりやりやすいでしょう。それでは不満は解消しないでしょう。

これは、なんであれ、静かな関係に、騒がしい関係を、ことさら発生させて、それに便乗して、自分が自分を自覚したい、という自我の機能です。と、いうのも自我そのことは、自覚できない・・・それが行動、発言、思考に現れた・・・その軋轢や葛藤とかによって、自覚できる気がするからです。そんな気がするだけです。

それに関係が騒げば、興奮が生じて、生きてる感じ、がするのかもしれません。そんな効果もあるのでしょう。でも、そいうことに問題があるとして、その根っこは、自我、にあります。それが、虚構、だと言うこと、これを明らかにすれば、ほとんどの問題は解決です。

けど、これは辿り着く道はないのです。でも、自我を解決する、その効果を期待したわけではないけれど・・・なにかを検討するとしても、その自分が、その自分を検討する・・・それは自我でなければ、ほとんど不可能・・・それは役に立った。ほとんど本能の衝動、それが、否定の道・・・わたしは誰?・・・です。

No.2950 - 2010/12/01(Wed) 11:08:38

Re: / あちこち
二人でしたいというのと、二人だとできるというのと、話をいっしょにしてはまずいのでしょう。
No.2963 - 2010/12/03(Fri) 07:57:10

Re: / ubik0101
もっと単純には。それは、できることと、できると思うこと、とか・・・できないことと、できないと思うこと、とか・・・その組み合わせの・・・愚かな混同ではないでしょうか。

これは世界に人が、たった一人で生きてるなら、事実そうであっても問題として意識されないでしょう。人と人の間において、問題になるのでしょう。

なので。そんな、ほかの人の愚かな様子は観察しやすいのです。が、そんなことを観察してる・・・その自分を度外視しては、無意味・・・と気がついて。その自分についての検討に向かったのです。

No.2966 - 2010/12/03(Fri) 21:39:15

Re: / あちこち
最初に戻って、もう一つ残っていました。

>>>葛藤なしに、単に二つのの感じがあるというだけのことか?

>>ふたつの感じが、ある、それでも問題ない、というのは、また別の話です。

そうすると、直接には、素直な気持ちは、どうなるのでしょう?

No.2970 - 2010/12/04(Sat) 07:47:33

Re: / ubik0101
なんであれ、なにかの気持があるとして。その気持に隠れた・・・どんな、ほかの気持がなく・・・その気持だけがあります。これは、それを観察する者を要しません。

(a)その気持は、関係によって起こる反応です。つまり、その気持の初源は、その気持ではないのです。

(b)けど、その気持は・・・それと類似の。反対の。無関係の。なにか別の、気持として、立ち上がった気持ではなく・・・その気持そのこと、として立ち上がったことです。

どんなことであれ、この逆説のようなあり方です。これが、この世界に生きていながら、人が、この世界に依存できない、仕組み、そのことです。

これは。ほかの言い方では。怒りだって、悲しみだって、世界の機能なんです。とか。いわゆる心理的な思考とか、過去、とか・・・既知・・・と言われてること、そのことが・・・未知・・・なんです。とか。とか言えます。

No.2971 - 2010/12/04(Sat) 08:36:55

Re: / あちこち
取り上げるのは、素直ではない気持ちの方でしたか。
素直な気持ちも、また、そうではない方に変化するかもしれませんから?

No.2976 - 2010/12/06(Mon) 17:10:17

Re: / ubik0101
いいえ。ところで、えー、あちこちさんに、これまでubik0101が話したことが聞こえてないのかな・・・《困った、な》・・・と、いうのが、ここでの素直な気持ちです。で、これを検討しますか?
No.2977 - 2010/12/06(Mon) 19:45:46

Re: / peer
ふたつの気持ちって、本音の自分とタテマエの自分がある
というのと同じような気がしますが。どうでしょう?

No.2979 - 2010/12/08(Wed) 12:54:40

Re: / ubik0101
ほかの人から見た自分とか、こうありたいという自分・・・それが建て前の自分なんでしょうか。それは、自分が、本音の自分を自分に隠すことによって生じるのかもしれません。また本音も、建て前を隠すことによって起こるのかもしれません。

そうでないなら、建て前も、本音、ということもないのです。ひとつの気持もないです。なにかひとつの気持が生起するのは、そこに・・・たとえばpeerさんの投稿を見て、こんな思考をしてるのですから・・・関係の新展開とかを要するのでしょう。

ところで、それにしても。とある気持が、ほかの気持に変わる。たとえば慈しみが・・・しだいに連続して・・・憎しみに変わる。。ということは、可能なのだろうか?と思います。

その、それぞれの気持は、それぞれ生起することで、不連続なのではないでしょうか。なのに、自分、というか、世界、が継続してるから、なにか連続してるとして感じる。ということではないでしょうか。これ、けっこう面白いかもしれません。

No.2980 - 2010/12/08(Wed) 20:11:36

Re: / peer
まっ。建前の自分も本音の自分も、どちらも、思考みたいなもの。
なんとなく「本音の自分」なんていうと、それが本物の自分だと
錯覚するかもしれません。
精神構造とでも、言いますか。
生きていく上で学んだソーシャルスキルを持った自分と、
それを否定し引きずられまいとする自分というものが、
必然的に発生する。
それを健全という場合もあります。
どちらの気持ちを採るかと悩むと葛藤になります。
一方方向だけを突き進むことは、まず、危険ですし。
ブレーキとアクセルがあって、それが両輪になってこそ、
危険を回避しながら前進する。
心はそういう構造になっているんじゃないかしら?

仕事があるのに「ぬくぬくしていたい」という方を採用すると
クビになったり減俸があったり、立場を悪くします。
しかし「ぬくぬくしていたい」気持ちも、大事なのです。
もしかしたら疲れきっているのかもしれないし、
その仕事がイヤになってるのかもしれない。
としたら、それは解決すべき問題でしょうから。

No.2981 - 2010/12/09(Thu) 02:05:49

Re: / ubik0101
>心はそういう構造になっているんじゃないかしら?

たとえば、なにか辛い生活をしながらも自分を、ひとかどの人と思っていたい・・・そんな立場が危うくならないために、本音を、ほかの人や自分にさえ隠したりすることも。また、嘘の本音を捏造することもありそうです。

そうすれば自分を検討できないから大丈夫。また、おなじような本音や、おなじように隠してる仲間がいるから大丈夫。というのも健全というよりは、愚かに生きるための空想でしょう。この意味で、心、は空想です。なくていいです。

そんな建て前も本音も、両輪だとしても、正誤とか優劣とかが隠れてて、バランスが崩れて大変かもしれません。また、隠しきれないでしょう。 仕事を変わりたいなら、たとえば「ぬくぬくしていたい」ではなく、仕事を変わりたいと思考するだけです。

ほかの誰かのことは、ともかく。どんなことも人との関係も、仕事も、隠し事がないという意味で、プライベートです。これは、どんなことも、プライベートがない、と言ってもおなじです。

ブロッコリの葉、虫食いです。

No.2983 - 2010/12/09(Thu) 15:41:22
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