もともと正直でなければ、嘘をつかないようでなければ、自分を探査しても、それが怪しい、困難なのです。 何かに関して正直でない、嘘をつくのは、対象があり、主体を設定する主張のひとつですか。 主張には、もちろん、正当、不当の判断があるので、前提でもあるでしょう。 正直でないというのは、たくさんある主張、前提の一つであるということになります。 それで、正直でないありよう、主張、前提が否定されています。
人が違うと、何かの発言が主張、前提であるのかないのか、よくわからないということがあるのです。そこで、勝手に決めると、正直でない、嘘をついていることの一つになりますか。
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No.3083 - 2010/12/20(Mon) 08:00:51
| ☆ Re: / ubik0101 | | | まず、自分が自分を探査するのです。ほかの人の前提、また人一般の前提を検討するのではありません。
また、ほかの誰かを検討するのだとしても、そう検討してる、その自分を、検討するのです。でなければ否定の道ではないです。自分を勘定に入れない観察は、観察とは呼べません。
もしかして自分を勘定に入れない、ということは、公平とかの意味では正直とも言えるのですが・・・ほかの人を切り離してる傍観とかの意味では正直でない、そのことかもしれません。
また。これが誰かの前提かな?と思ったとして、それが空想でも。おおくの人が同じような空想をしてるので、事実でないと思いもしない、ということもあります。
ところで。なんであれ、たとえば、「勝手に決めると、正直でない、嘘をついている」のかな?と微かにでも疑ったならば・・・・ubik0101は、事実そうだとして、受け入れました。
と、いうのは、まったくそうでないなら、そう、かもしれない、と自分で自分のことを思いもしないのです。という理解が、そこにあります。
これはまあ、ほとんど表面的な意識されることが・・・たとえば(厳密ではない言い方ですが)騒がしい思考が静まってから、現れる自問です。
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No.3086 - 2010/12/20(Mon) 10:05:27 |
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