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お知らせ / ubik0101
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そんな、 スパムを防ぐための機能が、動作?誤動作?してubik0101も、ここに投稿できない場合があります。もし投稿できなかったら、お手数ですが、再度トライしてみてください。

No.2926 - 2010/11/25(Thu) 23:08:19
みどりの庭から / hato
とある午後、遠方に足を延ばして、とある池にドライブに行きました。曇り空に、うっすらと薄い青が透けるような日でした。
No.2910 - 2010/11/20(Sat) 01:24:27

Re: みどりの庭から / hato

そこはカラリと冬も半ばで、なだらかな小山を前に、池と、池に生えた水草がとてもいいのです。

No.2911 - 2010/11/20(Sat) 01:25:08

Re: みどりの庭から / hato

風になびく音がしないのに、音が見えるのです。

No.2912 - 2010/11/20(Sat) 01:25:45

Re: みどりの庭から / hato

なんて繊細に壮観でしょう。

No.2913 - 2010/11/20(Sat) 01:26:39

Re: みどりの庭から / hato

それぞれがその世界を織り成すよう、一草一草はまるで、絹糸のように美しく見えました。

No.2914 - 2010/11/20(Sat) 01:27:51

Re: みどりの庭から / hato

コハクチョウがいました。静岡は温暖な地域ですが、ここ十数年か、少しだけ飛来してくるそうです。

No.2915 - 2010/11/20(Sat) 01:31:42

Re: みどりの庭から / hato

もう一羽いました。

No.2916 - 2010/11/20(Sat) 01:32:19

Re: みどりの庭から / hato

ほどなく一列になり、

No.2917 - 2010/11/20(Sat) 01:32:57

Re: みどりの庭から / hato

きれいに揃って泳いでいきます。

No.2918 - 2010/11/20(Sat) 01:33:28

Re: みどりの庭から / hato

水面に映る影の上を、静かに滑っていきます。

No.2919 - 2010/11/20(Sat) 01:33:58

Re: みどりの庭から / hato

景色がゆるやかに移り変わり、コウホネという水草を縫っていきます。

No.2920 - 2010/11/20(Sat) 01:34:31

Re: みどりの庭から / hato

深緑の山に、薄金色になった水草とススキが群生していました。

No.2921 - 2010/11/20(Sat) 01:35:19
私は誰2 / 夜の虎
ubik0101さん いつもありがとうございます。

> うん、そです。ならば、たとえば相手が、「こいつ殴ってやろうか」と思ったとき、夜の虎さんは、殴られますか?それほど、不公平でなく、主観的でなく、あるでしょうか。
>


なぜこのような問いがここで出てくるのかがよく分りませんので、的を外した答えになるかもしれませんが、答えて見ます。場合によれば、その時に私が殴られることの方が正当だ、あるいは、その方が良いと思えば殴られるでしょう。

> また。思うだけでなく、ほんとに相手を殴るとき、「こいつ殴ってやろうか」という思考は生じてるでしょうか? 無思考、ほかの言い方では無心で殴れるでしょうか?「こいつ殴ってやろうか」と思考するなら、殴ってない、ことでもありませんか。
>


ほとんど反射的に殴っているということが、若いころに何度かあったように思います。ただその場合のでも、やはり一瞬の間に、殴ってやろうという思考が湧いたのではないでしょうか。
現在は私は大人ですので、「こいつ殴ってやろうか」と思考する、と言うより思いが湧くことがありますが、実際に手を出すことはありません。
それが、

>「こいつ殴ってやろうか」と思考するなら、殴ってない、ことでもありませんか。

こういう意味ならばそうです。

> これは 「こいつ殴ってやろうか」という思考が生じてる、そのことは・・・実際に殴るとしても・・・すでに意図的であり、すでに素直でない、ということではないでしょうか。
>


意図的であれば素直ではないと言うことですか?

> ここで。おおくの人は現状では、自分の中心・座が・・・意識・・・にあります。それは、とりあえずですが、実際に人が、このようにある、ということと一致してないのではないでしょうか。
>


すいません よく意味が分りません

> とくに・・・なにか、そこで留まってる、躓いてる、執着してる状態があります。そこに現れる、その思考の前提を探ること、をします。それが、わたしは誰?また否定の道の、実践、です。
>
> たとえば 「こいつ殴ってやろうか」という、その思考は、なんだかの正当性があるから、その思考は成立してるのです。その思考を、成立させてるための、その前提、その根拠、その背後を探るのです。その、ありとあらゆる可能性を、微かな感覚も見逃さず、注意深く「思考して、思考して、思考しまくって」、探すのです。
>


つまり動機でしょうか?


> その前提は、意識にとっては見えない闇に隠れてるかもしれません。それゆえ、たとえば 「こいつ殴ってやろうか」という思考が成り立ってるかもしれません。その隠れた前提を暴き出すと、たとえば 「こいつ殴ってやろうか」という思考は、成立できないかもしれません。 それを意識という光にさらすことで、それを失うんです。
>
> ほかの言い方では、同一化の否定、ほかの言い方では、自分が自分と思う自分を否定する・・・それで、これを否定の道、とも呼んでいます。それはどしても自分の根拠、立場を削るということであり、素直、にならざるを得ないのです。これは、どんな目標によって作られた素直ではありません。
>


仮に上で説明されたことが、動機を探ることであるならば、動機の探索と否定の道や、同一化の否定はどのように繋がるのでしょうか?

> ところで。その思考の前提は、優劣かもしれません。善悪かもしれません。世間、かもしれません。自由かもしれません。自我かもしれません。偶然かもしれません。必然かもしれません。
>
> そしたら、たとえば優劣?とは、善悪?とは、世間?とは、自由?とは、自我?とは、偶然?とは、必然?とは、定義、をするのです。また、根拠がないなら、それはどいうことか、どんな人の言うことにも依らずに定義するのです。それが、その人の経緯です。
>
> すると、人の状態としては、これまでの位置から、どんどん捨てて・・・実際に捨てた自分を生きるのです・・・より深い位置に沈みます。そこでまた、よく見ます。これで、自我はない、とか、世界と交信状態にあるとか、感覚的にですが・・・至高体験ではないですが・・・触れることはできます。
>
> そんな否定の道を行くと、そう意図するわけではないですが、より深い体験が起こる可能性があります。それに、解凍、の訓練にもなるでしょう。これを実際に生きるということは、なにがなんでも、わたしは誰?その衝動がなければ、ほとんど不可能なほど困難、と感じます。


今回のお話は、私自身、よく意味を把握できて無いように思えるのです。それゆえ、私の回答が全くかみ合っていないかもしれません。
すいませんがよろしくお願いします。

No.2890 - 2010/11/15(Mon) 17:41:37

Re: 私は誰2 / ubik0101
>なぜこのような問いがここで出てくるのかがよく分りませんので、的を外した答えになるかもしれませんが、答えて見ます。場合によれば、その時に私が殴られることの方が正当だ、あるいは、その方が良いと思えば殴られるでしょう。

とても説明なのですが・・・相手は夜の虎さんとっては他人です。相手にとっては、夜の虎さんが、他人です。お互いに自分であり、お互いに他人です。

それなのに区別するなら、なにか問題がありそうです。たとえ傷ついたとしても、相手と自分を、同等、公平に扱うという、姿勢、のことです。正当な理由があるないの話ではないです。

>ほとんど反射的に殴っているということが、若いころに何度かあったように思います。ただその場合のでも、やはり一瞬の間に、殴ってやろうという思考が湧いたのではないでしょうか。

もし、ほとんど反射的に殴ったとしても・・・相手を殴る以前に、または相手を殴らずに仲良くやってても・・・その殴る原因、動機は、自覚できなくても無意識に燻ってるかもしれません。それが、たまたま状況や相手を得て、殴ってやろうかという思考として、また殴る行動として現れたのかもしれません。

そこで。もしかして、殴るという思考や行動に・・・なにも原因がないはずはない・・・これは嫉妬が隠れてるのではないだろうか?もしかして、これは卑下の裏返しではないだろうか?自己顕示欲の現れではないだろうか?それを無意識から探し出して、意識するなら・・・これは否定の道の実践になります。

また、相手を殴るとかの思考や行動が起きたら、気持が騒いで、懸命に思考するでしょう?その場が過ぎて一人になっても、ああだこうだと相手を非難するかもしれません。自分を正当化するかもしれません。なら・・・相手と自分を、同等、公平に扱って・・・自分の方に、その批判の矛先を向けて・・・ああだこうだと探ることができるはずです。

>意図的であれば素直ではないと言うことですか?

そもそも殴るとか、殴らないとか、思わないです。

>仮に上で説明されたことが、動機を探ることであるならば、動機の探索と否定の道や、同一化の否定はどのように繋がるのでしょうか?

この上に挙げたような、無意識に燻ってる原因を指すのなら、動機、という言葉でもでもいいと思います。そして、その動機を探り当てたとします。その動機そのことには・・・たとえば嫉妬、卑下、自己顕示欲には・・・正当性があるでしょうか?

もし正当性がないなら、その行動、たとえば相手を殴ってやろうという思考、行動にも正当性がないのではないでしょうか。すると、その正当性がない動機を見てなお、その動機や、その思考や行動に・・・それまでは無意識だったとしても・・・執着、躓く、留まってる・・・ことはできないです。それは捨てることであり、意図しないでも素直になります。

その、動機、を定義することは、たとえ正義感から、また相手のことを思って、殴ったとしても、その正義感、相手を思うこと、それが正しいか?それを探ることにもなります。そして、たとえばその正義感の奥には、動機には、損得が隠れてるかもしれません。それは、欲望、なのかもしれません。

でも、その動機なんですが、正しく的を射てるかどうか解らない、見当違いの動機を想定してしまったりるする恐れがある、と思ったりするかも知れません。

しかし、実践、すれば分かります。たとえば殴る思考、行動だけでも、いろんな原因が複合してるもんですし、これかな?と微かにでも思った動機は、やはり原因なしには、ありません。

これを実践するには、やはり注意深さが必要です。どうしても、わたしは誰?問う衝動が必要です。そうならば・・・どなたにも言うのですが・・・日記を書くことをお勧めします。

なにか行動と思考の関係とか・・・なにか思考が生じるなら、そのままを・・・どんな情けない、みっともない、恥ずかしいことでも正直に書いて、深く自分自身に切り込むんです。

どこまでも自分を研究するのです。読み返す必要はないです。なんにしても、ほかの人に、あれこれ聞く必要はありません。自分のことに専念して解決すれば、それが総てです。

No.2892 - 2010/11/15(Mon) 20:44:25

Re: 私は誰2 / 夜の虎
ubik0101さん お返事ありがとうございます。

> とても説明なのですが・・・相手は夜の虎さんとっては他人です。相手にとっては、夜の虎さんが、他人です。お互いに自分であり、お互いに他人です。
>
> それなのに区別するなら、なにか問題がありそうです。たとえ傷ついたとしても、相手と自分を、同等、公平に扱うという、姿勢、のことです。正当な理由があるないの話ではないです。
>


これは私と他人とを区別するなと言うことですか?
もしそうならば、それはなぜでしょうか?

> また、相手を殴るとかの思考や行動が起きたら、気持が騒いで、懸命に思考するでしょう?その場が過ぎて一人になっても、ああだこうだと相手を非難するかもしれません。自分を正当化するかもしれません。なら・・・相手と自分を、同等、公平に扱って・・・自分の方に、その批判の矛先を向けて・・・ああだこうだと探ることができるはずです。

> この上に挙げたような、無意識に燻ってる原因を指すのなら、動機、という言葉でもでもいいと思います。そして、その動機を探り当てたとします。その動機そのことには・・・たとえば嫉妬、卑下、自己顕示欲には・・・正当性があるでしょうか?
>
> もし正当性がないなら、その行動、たとえば相手を殴ってやろうという思考、行動にも正当性がないのではないでしょうか。すると、その正当性がない動機を見てなお、その動機や、その思考や行動に・・・それまでは無意識だったとしても・・・執着、躓く、留まってる・・・ことはできないです。それは捨てることであり、意図しないでも素直になります。
>
> その、動機、を定義することは、たとえ正義感から、また相手のことを思って、殴ったとしても、その正義感、相手を思うこと、それが正しいか?それを探ることにもなります。そして、たとえばその正義感の奥には、動機には、損得が隠れてるかもしれません。それは、欲望、なのかもしれません。
>
> でも、その動機なんですが、正しく的を射てるかどうか解らない、見当違いの動機を想定してしまったりるする恐れがある、と思ったりするかも知れません。
>
> しかし、実践、すれば分かります。たとえば殴る思考、行動だけでも、いろんな原因が複合してるもんですし、これかな?と微かにでも思った動機は、やはり原因なしには、ありません。
>
> これを実践するには、やはり注意深さが必要です。どうしても、わたしは誰?問う衝動が必要です。そうならば・・・どなたにも言うのですが・・・日記を書くことをお勧めします。
>
> なにか行動と思考の関係とか・・・なにか思考が生じるなら、そのままを・・・どんな情けない、みっともない、恥ずかしいことでも正直に書いて、深く自分自身に切り込むんです。
>
> どこまでも自分を研究するのです。読み返す必要はないです。なんにしても、ほかの人に、あれこれ聞く必要はありません。自分のことに専念して解決すれば、それが総てです。


ここはなんとなくポイントがつかめてきた気がします。
1つ確認したいのですが、ubik0101さんが内心に正直であれと言われる場合、思ったことを行動に移せと言う意味ではないのですよね?
つまり、殴ってやろうかと言う思いが湧いた場合、本当に殴れと言っているわけではなく、その思いの、ここでいえば動機を探れと言う意味ですか?
それと、動機を探ることが正しいとして、その場合の「私は誰か」という問いは、また別物なのでしょうか?
つまり、動機を探ることが「私は誰か」に当たるのか、そうではないのかと言うことです。


> >意図的であれば素直ではないと言うことですか?
>
> そもそも殴るとか、殴らないとか、思わないです。


すいません。 ここはもう少し教えていただけますか?

No.2893 - 2010/11/15(Mon) 21:16:52

Re: 私は誰2 / ubik0101
これも、説明なんですが・・・自分と他人の区別・・・それは、もともと人にはない、です。たとえば子供の頃、母親が、ubik0101と、ほかの家の子供を区別すると、とても痛かった、です。

また、ほかの家の親が、その子供と、ubik0101を区別すると、悲しかった、です。大人だって、疎外されたり、不公平に扱われたりすると、淋しいでしょう。不満かもしれません。

それは、すでに、なにかの問題が・・・無意識かもしれないけど・・・それだけに根強い問題が・・・忍び込んでるのではないでしょうか。

たとえば家柄、社会的地位、貧富、損得、善悪、年齢、性別、性格、仲間意識つまり反仲間意識、嫉妬、偽善、卑下、自己顕示欲、そんなことが、動機、になりえないのに、自分と他人の区別の、動機、になってるのかもしれません。

そんな状態ならば、自分と他人、区別するな、としても・・・その、そのことも・・・やはり、なんだかの姿勢、規制、固定観念、動機、になり得ます。

そこで、区別するな。というよりも、それを解決してないなら・・・自分が、たとえば無意識にでも他人を区別したりしてるのであり・・・それはすでに行動や思考の、その、動機、になってるので・・・その自分の行動や思考を探ることが優先です。

たとえば自分と他人を区別する、そんなことを世間の当然のこととして、鈍感になっては、区別してても・・・自分は区別してるとは思いもしないでしょうし、なにも始まりません。

ここで子供の頃の区別なし、と。区別を経過してから、それを否定した、区別なし、は似てはいても違うのではないでしょうか。子供の区別なしは、いつのまにか区別が忍び込みました。

しかし理解による、区別なしは、 たとえば家柄、社会的地位、貧富、損得、善悪、年齢、性別、性格、仲間意識つまり反仲間意識、嫉妬、偽善、卑下、自己顕示欲などを、動機、にする・・・それに依存する・・・可能性・・・も、解決するのではないでしょうか。

もし、なにかを求めてるなら、それが実現してない、ということを意味します。けど、求めてないからといって、それが実現してることではないです。なのに求めもしない・・・そいうところに安住しては、時が至り死ぬときにも、後悔さえ、できないかもしれないのです。

ここは、そんな世界でもあります。人の意に添うのです。求めるのです。その人の意に世界は添います。

なんでもいいのですが・・・たとえば「自分という実感がない」なら、それはどうしてか?命がけで、探査するのです。とても無意味に見える、この日常。その虚空から掴み取るように、動機、を掴み取るのです。

これは否定の道なんです。ここで実際に、動機、を明らかにして、捨てるんです。たとえば・・・世間に生きながら、世間を捨てるんです。これを思考でやり遂げるのは努力が必要です。

わたしは誰?の衝動が、それを可能にしてくれます。もうすでに、誰もが、そんなフィールドにはいるのです。それに漫然と使われるより、それを使うのです。誰に頼ることなく、できるのです。

そんな否定の道は、しかし、なにも約束しません。それを辿れば、なにかに行き着くというわけではありません。それでも、やる、のです。浴槽で、魚釣りをしてるのではないです。海で魚を釣ってるのです。

もうすでに、誰もが、そんなフィールドにはいるのだから、いまから、ここから、できるのです。これは自然発生なのです。ほかに、なにができるでしょう。ubik0101は、知りません。

No.2896 - 2010/11/16(Tue) 09:57:07

Re: 私は誰2 / 夜の虎
ubik0101さん いつもありがとうございます


> もうすでに、誰もが、そんなフィールドにはいるのだから、いまから、ここから、できるのです。これは自然発生なのです。ほかに、なにができるでしょう。ubik0101は、知りません。

ここからできると言うのは魅力的です。
色々教えてもらいましたが、どこまで理解できているかは怪しいです。
拙い理解力で申し訳ありません。
最低限ポイントを理解したいと思うのですが、ubik0101さんがここで言われる、否定の道とは、自分の思考や、行動の動機を探ることであり、思考と行動を一致させると言うわけではないのですよね?
この動機を探ることが、「私は誰」と理解してよいのですか?
動機を探るのは、「私は誰」の前提で、前提とは別に「私は誰」があるのでしょうか?

No.2898 - 2010/11/16(Tue) 21:54:05

Re: 私は誰2 / ubik0101
>ubik0101さんがここで言われる、否定の道とは、自分の思考や、行動の動機を探ることであり、思考と行動を一致させると言うわけではないのですよね?

とりあえず行動と発言と思考の一致は、否定の道に取り組む姿勢、気持、決意、なんですが・・・その実現は、否定の道の結果もたらされる、との理解でいいと思います。

>この動機を探ることが、「私は誰」と理解してよいのですか?
>動機を探るのは、「私は誰」の前提で、前提とは別に「私は誰」があるのでしょうか?


わたしは誰?・・・その自分の中心に向かう具体的な実践が、否定の道です。

とくに関係ある話ではありませんが・・・夜の虎さんと話してて、幼稚園の頃を思い出しました。レンゲの花が咲く畑で、いつの間にか近所の子供達が集まって、はないちもんめ、を遊んだことがありました。なんとなく6人だな、とは感じてたのですが・・・そうだ、人数を数えてみよう。と思いました。

それで、2、3回数えたんですが、5人しかいません。うーん。そうだ、自分を数えてない、このことに気がついたら・・・視野にはいない・・・その自分は、なんだか、なんでもない空間、ふうせん、のようなことでした。それで、これからは、人の数を数えるためには、1、を足せばいいんだ。と妙に納得しました。

そいえば、数年前。サイト「ゴトの読書室」の掲示板「雑感」でも、おなじような体験だったか、童話だったか、そんな投稿を、見たことがあります。

No.2901 - 2010/11/17(Wed) 09:29:17

Re: 私は誰2 / 夜の虎
ubik0101さん どうもありがとうございます。


> >ubik0101さんがここで言われる、否定の道とは、自分の思考や、行動の動機を探ることであり、思考と行動を一致させると言うわけではないのですよね?
>
> とりあえず行動と発言と思考の一致は、否定の道に取り組む姿勢、気持、決意、なんですが・・・その実現は、否定の道の結果もたらされる、との理解でいいと思います。
>


ちょっと確認と言うか、疑問に思うのですが、私がこのようなことを質問したのは、自分の思考等の動機を探ることと、思考と行為を一致させようとすることは、力のベクトルが逆に思えたからです。

例えば、以前の例だと、「こいつ殴ってやろうか」と思った時に、「なぜそう思ったのだろう?」とその動機を探る方向性と、すかさず「思考と行為を一致させなければ」と行為を一致させるために相手を殴ることは、方向性や向けるエネルギーが真逆だと思うのです

このように考えると、

>その実現は、否定の道の結果もたらされる

このように成るのはよく分りません。
私はまだ勘違いしているのかもしれません。
動機を探るとは、「こいつ殴ってやろうか」と思った時に、「なぜそう思ったのだろう?」でよろしいのでしょうか?

No.2903 - 2010/11/17(Wed) 12:31:25

Re: 私は誰2 / ubik0101
> 動機を探るとは、「こいつ殴ってやろうか」と思った時に、「なぜそう思ったのだろう?」でよろしいのでしょうか?

いいです。

それでなるべく、ワープロなどで書きながら毎日毎日、その日に思ったことの動機を、探査する・・・そして、その見つけた動機を定義する・・・いろいろ考えながら、そのまま同時に書く・・・ことを、お勧めします。

というのも、書くと・・・いつでも読めるということもあって・・・忘れていても大丈夫、という感じがあって・・・どんどん考えたことを手放して、広く奥に進めるからです。

もしかして、たぶん、始めの間は、その日その日で考えることも、テーマも支離滅裂で、脈略がないかもしれませんが、それでもいいので続けましょう。

ubik0101は、書き始めて数ヶ月かかりましたが、ある日に、昨日の続きの思考ができた時には、かなり驚きました。

No.2904 - 2010/11/17(Wed) 13:13:14

Re: 私は誰2 / 夜の虎
ubik0101さん どうもありがとうございました。
また色々教えてください

No.2906 - 2010/11/18(Thu) 16:08:25

Re: 私は誰2 / ubik0101&hato
まあ、教えるとかいうことではなく、道の仲間ということで。いつでも、どうぞ。そいえば否定の道を歩いてたときのノート・・・リュック一杯ありますが・・・それを、無選択ですが、hatoさんが入力してくれたページがあります。このサイトの表紙→超古代の日記→否定の研究です。

ubik0101

そのときふと手にした日記から書き出したもので、内容はとくに意識して選んでいませんが、とても気に入ってしまった詩も載っていると思います。

hato

No.2907 - 2010/11/18(Thu) 18:08:55
(No Subject) / 雄大
あなたは何時まで信じるだろうか?

悟りが無思考の継続であるとか、

悟りは悟る者無く、悟りは状態ではない、個人の身体に帰属しない、故に悟った人は存在しない。

関係による理解は何も残さないというのはそういう意味だし、どうしたら?は何かの達成、隙間の継続への欲望、葛藤、恐怖、憎しみと名付けられたものからの逃避なのだ。

選ぶ人の継続は世界との分離を意味する。

http://www.youtube.com/watch?v=fXq81-cGJr4&feature=related

この曲を聴くたびに君と過ごした日を想い出す、
あの日に戻れたらなら、そう思うんだ。。。

という思考と無思考と呼んだり隙間と呼ばれるものは同じくらい古い抜け殻なのだ。

http://www.youtube.com/watch?v=KYiPQGmnyRI

それでもあなたは古いものの継続と、別の古いものからの逃避を試みる、、、

其の時其処と今此処に共通して在るものは何か、それが知覚の扉なのだ、近すぎて死ぬまで気付く事の無い知覚の扉だ。

寝ても醒めても眠り続ける側でこんなにもあるがままを写しているのだ。

そして私が伝えることが出来るものはあなたがいる時だけのものだから、其れは其れ其のものは伝えることが出来ないのだ。

だからそれ以外の音霊の法を霊動法をクンダリーニヨガを伝えるのだ。

そして数霊を占いの真の意味を理解させる。
気まぐれで移ろい易い消費される体験ではなく、私が伝える全てはあなたに透徹した垂直を与えるのだ。

ただ残念なことにあなたは私が目の前にいるのに気がつかないのだ。

http://www.youtube.com/watch?v=9YRTlnH8tFQ

それでもこの曲は一緒になれなかった君の事を想い出させる、私が生まれ変わる前の、、、。

No.2895 - 2010/11/15(Mon) 23:52:38

Re: / ubik0101
それが、それの原因である実在に繋がる経(たていと)・・・わたしは、ある・・・と、総ては、ひとつ・・・わたしは、ない・・・緯(よこいと)の、交点、それが日常です。

トッカータとフーガニ短調・ふつうの主婦の演奏だそうです。

http://www.youtube.com/watch?v=usXPIh5Ngac&feature=related

こんなスピーカーです。

No.2897 - 2010/11/16(Tue) 14:06:46

Re: / 夜の虎
雄大さん こんばんは

雄大さんが言われる「それ」ですが、それは知覚の扉であり、近すぎて気がつかないものということのようです。
そして、それに気がつくには、どうしたら?とかの方法論もないようです。
ここで私は、それとはいかなるものか、知覚の扉とは何なのか、なんとか理解したいと思うのですが、「どうやって?」が通用しない以上、問い方を変えねば成りません。

雄大さんのこの意見は、いかなる状況から導き出されたのでしょうか?
おそらくは何らかの経験によるものだと思われますが、その時の状況を教えてはいただけないでしょうか?

No.2899 - 2010/11/16(Tue) 22:05:23
究極 / ubik0101&hato
これは美味です。騙された、と思って、ぜひ試してください。究極のすきやき、です。

ざく切りにした白菜を、濃いめの割り下で煮て熱々を、とき卵で頂くだけです。たぶん感動ものです。ほかの具は、入れないほうが、いいです。

ubik0101

神奈川のアパートでも、もう、なんともいえず嬉しそうに出してくれました。白菜が、たっぷり煮汁を吸って、ほんと!美味しい。こちら昨晩、ふたりでいただきました。

hato

No.2894 - 2010/11/15(Mon) 22:10:14
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