こんばんは、霜月も終わりますね。
> ほんとうには > 「自分て何ですか?真理て何ですか?」に自分は答えら れる、はず。 > それを聞くのが「正解を知りたい」ということであるな らばどうやっても、自分では見つけられないモノ。じゃないかな、と思うのね。
うん。本当は、汝自身で、汝自身を知ることが、できます。それを第一義、といいます。
そうでなくて例えば、自身にではなくていつも、世界に向けて沢山、問いを発する人もいるかも知れません。ひとりではまったく、不安でしょう。でも、そこは二義的なことの域を出ない、つまり、それではいつまでたっても、無理です。
一義が自身で成されているとして、それ以後、思考形態や、流儀の癖によって、正確な理解が妨げられている部分は、たとえば対話とか、さまざまな方法で分かち合いがあり、気付きを得たり、調整される可能性があるでしょう。これもとても大事ですね。でも、まず自身が自身によって、それであること。
なので、何度も、何度でも、まったく阿呆のひとつ覚えのように、まず自己を知りなさい。正しく、知りなさい。それは、自分で、成されます。と言われます。馬鹿のひとつ覚えというよりは、知っていないから、そのように繰り返されるだけなのです。或いは、知りつつあっても、まだ世界の範疇に収まってるかも知れません。世界はきちんと超えなけば、きちんと認めてくれません。
世界を超える、て、考えてしまったら難しいですね。怖いでしょう。でも、人は真剣なら、ただそうなるだけです。世間の認可を受けることはとてもとても難しいかもし知れません。厳しいかも知れません。でも本来、世間のでなく、世界の認可は、ただそれです。
パソコン教室、修了です。充実した、泣き笑いこの数ヶ月。頑張りました。ナナがメダカ鉢の水を飲んでます。
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No.2937 - 2010/11/30(Tue) 00:01:07
| ☆ Re: / ubik0101 | | | >真摯で正確な表現が、どんなものか、わかりません。
こんな気持で言ったんだ、という理由や根拠があって、なにかの言葉が言われるかもしれません。では、その言葉に、その理由や根拠も表現されてるかどうか?
たとえば「この肉体を持つ私 」を、自分が書いた言葉ではなく、誰が書いたかも知らない初めて見る文章として自分が読んで、それで言いたいことが過不足なく言えてるかどうか?確認することは思考の訓練にもなるし大切だと思います。
それで言いたいことが、ぴったり言えてるとしたら、もう、ほかのどこにも隠れた、表現されてない、理由や根拠もない言葉なのですから、なににも隠れてない素直な、そのままの言葉ではないでしょうか。
そのように、 なにも隠れた理由がない、なにも隠れた根拠はない、日常、それは。まあ一冊半しか読んでいませんが・・・クリシュナムルティ風に言うなら・・・過去のない観察・・・もっと正確には、見ていながら聞いていながら思考していながら「観察しない」そのままではないでしょうか。
そこで、身体は持つ、ようなことでしょうか?その、私、は自覚できるでしょうか?なのに、たとえばバケツを持って歩いてると、バケツを持って歩いてると、そのまま、わかっています。
その道で、誰かに出会って「こんにちは」と言ったら、それが、そのまま聞こえます。たとえば《青空に風でゆがんだ飛行機雲》と思考したら、それが、そのまま知覚できます。
これほどの、驚異と言うか秘密と言うか、ほかに知りません。このまま、なにも隠すこともなく、なににも隠れることもなく、明々白々、です。嘘が言えません。
ならば、なにか言葉の表現にしても真摯で正確でしかない、それを素直と呼んでいます。自己を見て、それを忘れたところ、です。
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No.2938 - 2010/11/30(Tue) 00:02:14 |
| ☆ Re: / peer | | | >なので、何度も、何度でも、まったく阿呆のひとつ覚えのように、 >まず自己を知りなさい。正しく、知りなさい。 >それは、自分で、成されます。と言われます。馬鹿のひとつ覚えと >いうよりは、知っていないから、そのように >繰り返されるだけなのです。
う〜ん。で。 なんで自己を知らなければならないのか。 というところに、行っちゃう。 知ろうとするから「自己を知らない」という境地になる。 ような気がするんです。 知ろうとしなければ、そのままで自己ではないのか?みたいな。
パソコン教室、修了ですか。。充実した日々、楽しかったようで、よかったです。
>たとえば「この肉体を持つ私 」を、自分が書いた言葉ではなく、 >誰が書いたかも知らない初めて見る文章として自分が >読んで、それで言いたいことが過不足なく言えてるかどうか?
いゃ〜ぁ。わかりません。 自分が書いた事が、人に、ピタリと伝わる。 ということは、ないんじゃないか。と思う事あります。 自分の書きたい事がピタリ書かれているかどうかも 曖昧な状態でして、申し訳ない〜 会話するって、まったく・・・難しいです。
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No.2939 - 2010/11/30(Tue) 02:23:57 |
| ☆ Re: / hato | | | > う〜ん。で。 > なんで自己を知らなければならないのか。 > というところに、行っちゃう。 > 知ろうとするから「自己を知らない」という境地になる。 > ような気がするんです。 > 知ろうとしなければ、そのままで自己ではないのか?みたいな。
そうですね、peerさんのこの問いは、多くの人の状態でもあるのかも知れません。
無知があるから、知ろうとします。無知であれば、どうしたって、知らないだけです。これは前にどこかでお話した、無明と不可知、とは非なるものですよ、ということです。無明に於ける、知らない、と、不可知の知らない、は同じとして語ることができません。
ここで、世界のどこを見回しても、生き物は、子供から大人に成長しているでしょう。たとえば逆さまの世界だって計算上あるかも知れないとして、計算上の逆さまの世界は、あなたの世界でしょうか?ということです。
天才児もいいとして、或いは、子供の頃から目覚める、も、可能として、けれど必ず人は、その自分、その意識を、自身に拠って学ばせて、完成するのです。つまり、自己で在ります。
意識の変容について、人は自己に帰る、と表現されることも多いので、そこに戻ればいい、と言われたりしますね。一旦届いたならば、ある表現に於いて、そこに戻る、ということはできます。けれど、まだ入ってないなら、戻るとは言えません。ここに逆さまは、ありません。すなわち、人は、成長しての、それです。
汝自身を知る、が、世界を超えていないとき、知覚に過分に依存せざるを得ないでしょう。このとき、表現は適正にあることができません。適正でないということは、誤謬が多い、ということです。人を惑わすことになるかも知れません。そんなこともなんでもありとして、そこに留まるなら、その人のためになるかといえば、ならないでしょう。
この世界に生を受けるとき、人は成長しての、それです。 自己を知りたい、とは理由なき希求です。その不可知に届くまで、充分に役立ってくれるでしょう。
> パソコン教室、修了ですか。。充実した日々、楽しかったようで、よかったです。
ありがとうございます。ほんとに、幸いな教室でした。
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No.2945 - 2010/11/30(Tue) 23:33:34 |
| ☆ Re: / peer | | | >自己を知りたい、とは理由なき希求です。
自分の事では、あまり問題を感じなくて。とくに最近は。 年なのかなぁ。。ぜんぶ許せちゃう。執着する元気がない。 (周りの人が、困ったもんだ、と思っている可能性はありますが) 何かを求めるのは、かなりエネルギーが、いりますね。
思春期の頃がいちばん、カリカリしてました。 いま思うと、傷つきやすかったんですね。まったく。 なにもないくせに、自尊心ばかりが高くて。 何かをしたかった。何かになりたかった。 ホントに、なにもできないのに。 助けて貰ってばかりなのに、気づかずに。 それこそ無明の中でバタバタ。。。。
あっそうだ。バタバタ掻き回すから、濁るのよね。 静かにしていると、濁った水が、透明になる。 見通しも、多少は良くなる、、とか。
そうそう。これも、ずっと考えてました。
>そこで、身体は持つ、ようなことでしょうか?
肉体は、持つ。感覚があります。 それは、財産を持つとか、家族を持つとか、役割・居場所を持つとか。 肉体に対しては、わたしが死るまでは、わたしに所有権・責任がある。 肉体以外は断片的に、無常なものですから持ったり、持たなくなったり。
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No.2947 - 2010/12/01(Wed) 02:32:30 |
| ☆ Re: / ubik0101 | | | >肉体は、持つ。感覚があります。
うーんと、ubik0101は、身体は、持つ。という感覚はないです。対象として、それを持つ、にはなっていません。それと、微妙かも知れませんが・・・呼吸感覚、皮膚感覚、体内感覚・・・それも樹や鳥や思考のように、知覚なんだと感じます。 それで、今朝は畑を耕して、青い空に真っ直ぐな飛行機雲、です。
たとえば、この家には、テレビはありますが・・・電波が遠くて映らないので・・・見ようとも、見ないとも思いません。これを、テレビを持ってる。と思考してみると、なんだか違和感があります。やはり、持ってる。とすると、どこかで、ほかの誰かと、自分を意識してる。そんな現実にはない空想の空間が想起されるようです。それはなんか面倒なのかも、と思いました。
ところで。それは、それ自身を知ることができません。と言えるのは、自己、の体験によります。で、ないと・・・どこかで聞いた知識とか理論でなければ・・・それを、それ自身が知ることができない。ということも、できない、のではないでしょうか。
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No.2951 - 2010/12/01(Wed) 12:23:11 |
| ☆ Re: / peer | | | なるほど。持つというと、対象にしてしまう。 という感じになるんでしょうか。 バケツを手に持つ・・・とか。 テレビを持っているのと、テレビを見るというのは、また別感覚。とか? 持っているものなら、手放せるかな、と思います。 んんー。苦痛を、手放す。とか。
苦しい、苦しい、苦しい。。というのを 「持つのを、や〜めた」ということが、可能になる。 それは、それ自身では、知る事が出来ない、のだから。 で、手放してみたら、それが、どんなものかを知ることができる。 みたいな。
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No.2952 - 2010/12/01(Wed) 23:44:33 |
| ☆ Re: / hato | | | > 年なのかなぁ。。ぜんぶ許せちゃう。執着する元気がない。 > あっそうだ。バタバタ掻き回すから、濁るのよね。 > 静かにしていると、濁った水が、透明になる。 > 見通しも、多少は良くなる、、とか。
可笑しいですね。そんな感じです。
そうですね、peerさんの場合、なにかとくに求めるとの衝動を得るのは難しいでしょうね。静(せい)からその自己に入る、在ることで、部分に於いて素直にありにくくさせている知識や、考え方の流儀が調整されることができるように思います。それがよく成されてくると、少しずつ、理解が楽に起きてくるのではと思います。
そう、手放す、との感じでしょうか。自己が確立されるとは、世界をきちんと超えたときです。そのとき、知識は、理解を阻害することなく、助けるための道具として使われます。
アイコという種類のミニトマト。色はちょっと薄くてちょっと硬いけど、甘く美味しく、この時期でもまだ実がなっています。ダーリン画像です。
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No.2953 - 2010/12/02(Thu) 01:06:00 |
| ☆ Re: / ubik0101 | | | > で、手放してみたら、それが、どんなものかを知ることができる。
たしかに。それは・・・虚構・・・未完だったから機能してた・・・自我・・・だったんだ。と、なくなってから了解されました。
それで。いわゆる自我の死、というより、自我の完成、というのが実情にあってると感じます。
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No.2955 - 2010/12/02(Thu) 14:48:38 |
| ☆ Re: / peer | | | ◆hatoさん
>可笑しいですね。そんな感じです。
はい。
>そのとき、知識は、理解を阻害することなく、 >助けるための道具として使われます。
それも、わかります。知識として知っていたモノが追体験されると 知っていると思っていたけど、知っていなかったと分かる。 ような感じがします。
◆ubik0101さん
>> で、手放してみたら、それが、どんなものかを知ることができる。
>たしかに。それは・・・虚構・・・未完だったから機能してた・・・自我 >・・・だったんだ。と、なくなってから了解されました。
そうですね。 それは、すこしの隙間もなく自分の存在理由でした。 それを手放したら、自分じゃなくなる、と思い詰めるくらいな。 苦痛でさえ、持っていたい自分というわけで。
手放す、と言えるほど大げさかどうか分かりません。 自力な感じが、まったく、しない。 ただ、それの隙間「間(空間)」が突然、生じて で、それの方からポロリと落ちる。 「あっ。これは自分じゃないんだ」と気づくような感じ。かな。
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No.2962 - 2010/12/03(Fri) 03:45:53 |
| ☆ Re: / ubik0101 | | | たしかに、それは、自分が起こしたことではなく、起こったことです。それまで・・・自分が自分だと思う自分を、削れるだけ削って・・・まったく自我だとも、思ってもなかった・・・けど、その体験で。それまで意識もしなかったけど、ずーと自我、だったんだ、という了解でもありました。これは、ない、ことにも迷わなくなった、依存しなくなった、効果もあります。
いつのまに庭に、名前は知らないけど、こんな花が咲いていました。
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No.2968 - 2010/12/03(Fri) 22:03:32 |
| ☆ Re: / hato | | | >知識として知っていたモノが追体験されると >知っていると思っていたけど、知っていなかったと分かる。
そういうこともあるのかも知れません。あるいはまた、知らずに尚、新たにこの上なく、知らない、こともあるかも、知れません。
事態あらゆるその総てを、この日々十全に用い生きて、尚、知らず。
今朝、一緒に調べてみたら、これは山茶花(千代鶴)、と呼ばれているそうです。とても美しいと思います。
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No.2972 - 2010/12/04(Sat) 13:48:40 |
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