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(No Subject) / 雄大
非恒常的なものと恒常的なもの

私と世界

実際にはそれらは存在しないが言葉の構造と機能が生み出した夢のようなものだ

何故、どうしては1つの結論に至るかもしれないが、必要のないお出かけをしておいて早く家に戻りたいという様に
何度も結論しなければならない

実際には私も世界も存在しない

論理は線上思考であり時間の枠を超えられないし、そもそもこの前提ならばこういう結果となるというこの前提は、これ以上疑ってはならないという約束事に守られて成り立つ。

はたしてそれは物理のような純粋科学のように道具である形式論理学を通して検証可能な対象なのだろうか。

それは形式的にそれと呼ばれるだけであれ、これ、それを超え、それら全てを含むものだ。

聞くだけ無駄、書くだけ馬鹿な事なのかもしれない

No.2841 - 2010/11/06(Sat) 07:40:57

Re: / 夜の虎
現時点の私では、とてもこのような深いことは理解できそうにありません。
是非、雄大さんが、このような見解を得るに至った経緯を聞かせてください。とても興味があります。

No.2846 - 2010/11/07(Sun) 00:10:15
(No Subject) / 雄大
観察対象には観察者が常に伴う

思考は感情や、他の諸器官が写す対象となんら変わることなく非恒常的なものだ

心理的な思考であってもなかっても単なる認識対象にしか過ぎないので、取り立てて思考だけが問題になる事はない

思考が問題であるという仮説自体がボタンの掛け違いの始まり

無思考の時、あるがままであり無境界であるというのは雑感が作り出した誤った問題設定である

クリシュナムルティが心理的思考を問題にしたのは、それが葛藤となり探求のエネルギーを消耗する、鈍感になるからだ

それは思考のなかに、怒りの中に、喜びのなかに、悲しみのなかに全ての中に横たわる

思考、怒り、喜びに分割するのは誰なのか

それがあるからそれ以外は認識可能となるが、それ自体は認識できない

思考も身体も五感が写す世界も全て移り変わるのだし、ましてやそれ自体で存在しているわけではない

分ける事から錯覚としての世界が生まれている

私が確かな実感であるほど世界も実感されるのだが私と世界の境界が何処にあるのだろうか

私という実感は外側のことなのだ
では内側は何か?内側は外側なのだし、それは外側であり内側であり、外側でなく内側ではない

皮膚の境界を当然とするから世界の後に私が生まれ、世界を後にして私が去るという物語を確信してしまう

それは人間の身体機能に翻訳された断片から構成された虚構の世界だ

誰かが三角のコップに入れ水を見て、水は三角であると言っているように人間の身体機能に翻訳された世界の観方に、対象自体を問題にする習慣に気づくことだ

対象は問題ない
経験に対する渇望に気がつくことだ

認識できるものは全てあったり無かったりするものだ
あったり無かったりする世界の陰としての私はどうであろう

あったりなかったりしているのか、
そしてここからそれは文脈によって意味を変えてしまうのだ

そして今日もまた長々と私は嘘をついたのである

そしてまだ私はこのように嘘を続ける

それは心の状態ではないのだと、もちろん心が無い状態ですらない


そのように世界を切り取るから嘘から離れることはない

掴んだら滑り落ちる、掴む対象でなく、掴む手でもない、掴む動作でさえない

それらが現れるのは観察者がいるからなのだ

No.2824 - 2010/11/04(Thu) 22:00:54

Re: / ubik0101
たしかに、かすかにでも自覚できる可能性がある思考者は、思考が、つくった思考者です。これを、思考者が、ある、と人は呼びます。

けど、かすかにでも自覚できる可能性がない思考者は、思考が、つくらない思考者です。これを、思考者が、ない、と人は呼びます。 思考は、思考者をつくりません。

たとえば善と悪は、思考にしかありません。しかし世界が「悪をしてはならない、善をしよう」と呼びかけます。これは善と悪ではない、善、です。

それは思考者をつくりません。これが、世界に乗る、ということです。まったく知覚されない・・・世界の範疇にない・・・つくられる必要がない、自己、です。

No.2826 - 2010/11/05(Fri) 10:29:45

Re: / 通りすがり
>それがあるからそれ以外は認識可能となるが、それ自体は認識できない

度々お聞きしますが、なぜそういうことになるのでしょうか?
「それ自体」が認識できないのならば、「それ」があるとどうしていえるのでしょうか?
推測でしょうか?
「それ」が認識できないのであるのならば、「それがあるからそれ以外は認識可能」となぜいえるのでしょうか?
どなたか分る方教えてください。
ちなみに独り言は結構ですので。

No.2828 - 2010/11/05(Fri) 10:53:12

Re: / 通りすがり
> 皮膚の境界を当然とするから世界の後に私が生まれ、世界を後にして私が去るという物語を確信してしまう

何回か読み直して気づきましたが、大変に深い言葉だと思います。
しかし「現実の私」としては、皮膚の内側の刺激は、痛みや心地よさとして知覚できますが、外側はそうではありません。
バットを振り回し、外側のものを叩いてもなんともありませんが、バットを振り回され叩かれれば、そこに大きな痛みを現実として実感します。
この差は非常に大きいと思います。

>それは人間の身体機能に翻訳された断片から構成された虚構の世界だ

そこから考えれば、なぜこのようにいえるのでしょうか?

No.2830 - 2010/11/05(Fri) 11:14:57

Re: / ubik0101
>度々お聞きしますが、なぜそういうことになるのでしょうか?

それは、事実、なんです。それだけなんで、それを質問するのは、たとえば・・・なぜ、図書館の前に郵便局があるのですか?という質問のようです。

>「それ自体」が認識できないのならば、「それ」があるとどうしていえるのでしょうか?
>推測でしょうか?


これも事実なんです。でも日常意識では認識できないかもしれません。とても説明なのですが・・・通りすがりさんが、通りすがりさんだから、通りすがりさんだと、識別する必要がない、識別しない、ということです。

>「それ」が認識できないのであるのならば、「それがあるからそれ以外は認識可能」となぜいえるのでしょうか?

またまた、とても説明ですが・・・まったく透明なキャンバスに描かれた絵・・・そのキャンバスは認識不可能・・・その絵は認識可能、ということです。

No.2831 - 2010/11/05(Fri) 11:17:00

Re: / 通りすがり
> それは、事実、なんです。それだけなんで、それを質問するのは、たとえば・・・なぜ、図書館の前に郵便局があるのですか?という質問のようです。

図書館の前に郵便局があることは、知覚できるので確認できます。「それ」は認識できないのですよね?
なぜ事実と言えるのですか? 


> これも事実なんです。でも日常意識では認識できないかもしれません。とても説明なのですが・・・通りすがりさんが、通りすがりさんだから、通りすがりさんだと、識別する必要がない、識別しない、ということです。

非日常意識なら認識できると言うことですか?
後段の説明は、私は、私が存在することを確認する必要がないと言う意味ですか?

> またまた、とても説明ですが・・・まったく透明なキャンバスに描かれた絵・・・そのキャンバスは認識不可能・・・その絵は認識可能、ということです。

しかし、キャンパスが認識不可能ならば、透明かどうかも分らないのでは?
そこに透明だろうが、なんだろうが、キャンパスがあること自体が推測と言えませんか?

No.2837 - 2010/11/05(Fri) 21:53:58

Re: / ubik0101
>図書館の前に郵便局があることは、知覚できるので確認できます。「それ」は認識できないのですよね?
>なぜ事実と言えるのですか? 


もし知覚が完全に機能したら、知覚を超えます。それは起こすことではなく、起こること、です。そんな超意識状態、それを至高体験、覚醒体験、とか呼んでいます。

>非日常意識なら認識できると言うことですか?

そです。超意識なら、認識できます。

> 後段の説明は、私は、私が存在することを確認する必要がないと言う意味ですか?

そこに安らいでるなら、その人は、無我です。けど、これは、生まれたままで初めからというのは、まずあり得ない、です。

>しかし、キャンパスが認識不可能ならば、透明かどうかも分らないのでは?
>そこに透明だろうが、なんだろうが、キャンパスがあること自体が推測と言えませんか?


そんな推測をするのが、自我の機能、です。自己、は透明です。これは、日常、そうでしかないのです。ほかの言い方では、自分は、いない、です。また、ほかの言い方では、自我もなければ、無我もない、です。こいうことは誰に聞いても理解できません。ただ、自分で体験できます。わたしは誰?

No.2842 - 2010/11/06(Sat) 08:18:27

Re: / 夜の虎
> そんな推測をするのが、自我の機能、です。自己、は透明です。これは、日常、そうでしかないのです。ほかの言い方では、自分は、いない、です。また、ほかの言い方では、自我もなければ、無我もない、です。こいうことは誰に聞いても理解できません。ただ、自分で体験できます。わたしは誰?

ubik0101さんの経験から来るアドバイス、とても参考になります。
ありがとうございました。

No.2845 - 2010/11/07(Sun) 00:06:48
音の実験 / 通りすがり
> たとえ話ではなく、実際に、頭の中で聞こえる。ということです。そのためには、思考がないほうがいいので・・・ただ聞く、という意味です。
>


なるほど了解いたしました。頭の中で聞こえれば、的を射ている訳ですね

> その音だけが知覚されてる、という意味です。すごく大雑把に言うと、音を知覚してる、その知覚者がいない、ということです。この、知覚者がいない、というのを、よく見ると面白いのですが・・・とりあえずは省いていいでしょう。
>
> または、ちょっと面倒なのですが・・・一冊半しか読んでいませんが・・・クリシュナムルティで言えば・・・「見るものは、見られるもの」です。
>


知覚者がいないですか・・・
心理的という意味だとは思いますが、難解です。

> これは世界の有り様とは違うのですが・・・見るものは見られるものでも、見るものは見られるものではない・・・その両極端ではない・・・仏陀の言うように、中道・・・が事実です。
>


見るものは見られるものではなく、見るものは見られるものだ、と言うわけでもないと言うことですか?

> が・・・「見るものは、見られるもの」としても機能します。そう機能してる、それならば、無我、です。こんなことも、とりあえずは省いていいです。

わかりました。

> なんにしても、思考を止めて、音を聞けばいいだけのことです。

お返事ありがとうございました

No.2814 - 2010/11/02(Tue) 22:27:46

Re: 音の実験 / ubik0101
> なるほど了解いたしました。頭の中で聞こえれば、的を射ている訳ですね

もちろん、頭の中で聞こう、とかも空想しないでください。

> 知覚者がいないですか・・・
> 心理的という意味だとは思いますが、難解です。


これは心理的ということではないです。知覚にとっての事実、ない、ということです。それ、は見えない、それ、は聞けない、それ、は思考できない、ということです。ふつうには知覚者は知覚者の対象にならない、という意味です。ここで、それ自身は、それ自身が、知覚できない、ということが了解されます。

> 見るものは見られるものではなく、見るものは見られるものだ、と言うわけでもないと言うことですか?

その、「見るもの」と、「見られるもの」の2項目だけのことではありません。ありとあらゆること・・・あることと、その類似のことと、その反対のことと、無関係なこと・・・つまり森羅万象・・・ありとあらゆることと、ありとありえないこと・・・その総活動が、中道、です。

ずいぶん前にTVの放送大学で見たのですが、アリストテレスだったかな?たとえば勇気とは、卑怯と蛮勇の、中庸、です。とか言ったこととは違います。中道は・・・ほどほど・・・とか、そういう意味ではないです。

あらゆることが活動してるから、どこかに偏れない、特定の意味がない、どこにも、中庸、にも依存できない・・・とても説明なのですが、たとえば光の色を総て混ぜれば透明・・・この世界は、そうなんです。

その世界の総活動に接する、なる、体験。これは、たとえば知覚、意識が完全に活動してるから、知覚、意識を超えます。でなければ・・・ubik0101は、自我は虚構、ない、を了解することはできなかったです。

それも、そいうことを知ろう、悟ろう、とかいう意志は、まったくなかったです。ただ、わたしは誰?です。そいう言葉や思考に成りきる道ではなく、自分が自分だと思う自分を、ほじくりだして否定し続けたのです。

No.2819 - 2010/11/03(Wed) 09:21:27

Re: 音の実験 / 通りすがり
> もちろん、頭の中で聞こう、とかも空想しないでください。

了解しました。ありがとうございます。

> これは心理的ということではないです。知覚にとっての事実、ない、ということです。それ、は見えない、それ、は聞けない、それ、は思考できない、ということです。ふつうには知覚者は知覚者の対象にならない、という意味です。ここで、それ自身は、それ自身が、知覚できない、ということが了解されます。

それ自身が、それ自身を知覚できないとは、どういう意味でしょうか?
それ自身は、架空なものと言う意味ですか?


> その世界の総活動に接する、なる、体験。これは、たとえば知覚、意識が完全に活動してるから、知覚、意識を超えます。でなければ・・・ubik0101は、自我は虚構、ない、を了解することはできなかったです。

なぜ「知覚、意識が完全に活動してるから、知覚、意識を超えます」このようになるのでしょうか?
何が、知覚や意識を超えるのでしょうか?
ここで、超えるとは、どういう意味なのでしょうか?

> それも、そいうことを知ろう、悟ろう、とかいう意志は、まったくなかったです。ただ、わたしは誰?です。そいう言葉や思考に成りきる道ではなく、自分が自分だと思う自分を、ほじくりだして否定し続けたのです。

なんかデカルトみたいですね。
そういえば、「我思うゆえに我あり」と言う言葉は、「方法序説」にある有名な言葉ですが、これは「省察」で述べられたデカルトの結論の簡略ヴァージョンみたいですね。
「方法序説」がデカルトの意志とは別に一人歩きしているようです。

No.2829 - 2010/11/05(Fri) 11:01:14

Re: 音の実験 / ubik0101
> それ自身が、それ自身を知覚できないとは、どういう意味でしょうか?
> それ自身は、架空なものと言う意味ですか?


いや、却って。あるとかないとかいう相対関係にない・・・ない、ある、は・・・ほかのことと関係できないから、知覚の範疇にない、という意味です。

> なぜ「知覚、意識が完全に活動してるから、知覚、意識を超えます」このようになるのでしょうか?
> 何が、知覚や意識を超えるのでしょうか?


それは、自己、です。

> ここで、超えるとは、どういう意味なのでしょうか?

これも喩えで話します。木の葉を集めて焚き火をします。それが湿ってるとか、酸素が不足だと、不完全燃焼・・・煙がでます。しかし完全燃焼だと、煙がでません。炎が高温になります。栗が焼けます。

> なんかデカルトみたいですね。
> そういえば、「我思うゆえに我あり」と言う言葉は、「方法序説」にある有名な言葉ですが、これは「省察」で述べられたデカルトの結論の簡略ヴァージョンみたいですね。
> 「方法序説」がデカルトの意志とは別に一人歩きしているようです。


それは読んだことはないですが、「我思うゆえに我あり」という言葉は知っています。そんなことは誰が言おうと言うまいが・・・わたしは誰・・・を実行すればいいです。

そうだ、ヒマラヤの奥に行けば、なんでも知ってる聖者がいるに違いない。探しに行こうか?いや。その、なんでも知ってる人に自分がなれば、そのほうが簡単だ。子供の頃、そう思いました。で、なにも、知らない、です。この日常の探求だけで充分なように、世界はできています。

そいえば、このサイトを開設してから、わたしは誰、という書があるのを掲示板で知りました。それで掲示板で知り合って会った人から「これがその本だよ、あげる」。と言われたのですが、どうせ読まないから要らない、と答えました。そんなもんです。

No.2832 - 2010/11/05(Fri) 11:43:38

Re: 音の実験 / 通りすがり
ubik0101さん お返事ありがとうございます。
ところで

> いや、却って。あるとかないとかいう相対関係にない・・・ない、ある、は・・・ほかのことと関係できないから、知覚の範疇にない、という意味です。

どういう意味でしょうか?

> それは、自己、です。

ubik0101さんがここで言われる「自己」とは何を指すのですか?


> これも喩えで話します。木の葉を集めて焚き火をします。それが湿ってるとか、酸素が不足だと、不完全燃焼・・・煙がでます。しかし完全燃焼だと、煙がでません。炎が高温になります。栗が焼けます。

すいません、この喩えもどういう意味かよく理解できません。
> それは読んだことはないですが、「我思うゆえに我あり」という言葉は知っています。そんなことは誰が言おうと言うまいが・・・わたしは誰・・・を実行すればいいです。
>
> そうだ、ヒマラヤの奥に行けば、なんでも知ってる聖者がいるに違いない。探しに行こうか?いや。その、なんでも知ってる人に自分がなれば、そのほうが簡単だ。子供の頃、そう思いました。で、なにも、知らない、です。この日常の探求だけで充分なように、世界はできています。


日常の探求とは、わたしは誰と言うことですか?

No.2836 - 2010/11/05(Fri) 21:48:00

Re: 音の実験 / ubik0101
>どういう意味でしょうか?

たとえば樹が見えます。鳥の鳴く声が聞こえます。なにか感情が起こります。思考します。PCのキーボードを打ってたら、その感覚が起こります。

それは、なんだかの関係があるから、知覚できることです。まったく、ほかのこととは無関係な、ただある、ただない、は知覚不能です。

また、キーボードを打ってる、自分が、自分を、自分として知覚不能、透明、という意味でもあります。

>ubik0101さんがここで言われる「自己」とは何を指すのですか?

あるいは、アートマン、真我、無相の自己、ほんとうの自分、とか呼ぶようです。ただubik0101には、そんな哲学や宗教の背景はありません。ただ、自己、と呼びます。

>すいません、この喩えもどういう意味かよく理解できません。

このサイトで、至高体験とか、覚醒体験、と呼んでることです。それは起これば、それとわかります。

>日常の探求とは、わたしは誰と言うことですか?

そです。それは、なにか知識を得たり、なにか目標を設定してから始めることではないです。それは加えることでなく、却って、削ることです。否定の道、とも呼んでいます。それは、この自分とは何か?ですから、いまから、ここから、なんの準備もなく知識もなく、誰でもできます。

けど。どしても自己を知りたいという、ほとんど命がけの衝動なしには、始めようとも思わないかもしれません。ubik0101は、自分て何だろう?これを、ものごころ、ついたときに感じました。それは幼い疑問ではなく、とても大切だから、はじめに与えられるのだと思います。

そ、いえば知人に、自分て何だろう?て疑問を感じる?と聞いたことがあります。すると・・・そんなのは、もう子供の時に思った・・・と嗤われました。 それは自分のことです。自分でできるように、なっています。する、しないは、その人に任されてあります。なにもしないで時が至れば死んでしまう、そんなこともできる、ここは、とんでもない世界です。

で。ここで、いろいろ質問してる、通りすがりさん、その自分は何?です。なんのために、そいうことをしてるのか、その裏、動機、前提、を自分で探ることが出来ます。そして、それは、その自分、しか出来ないことです。ここは、それができる、とんでもない世界です。

No.2843 - 2010/11/06(Sat) 08:21:15

Re: 音の実験 / 夜の虎
> で。ここで、いろいろ質問してる、通りすがりさん、その自分は何?です。なんのために、そいうことをしてるのか、その裏、動機、前提、を自分で探ることが出来ます。そして、それは、その自分、しか出来ないことです。ここは、それができる、とんでもない世界です。

ubik0101 さん、ありがとうございます。
「私は誰」の問いですが、ポイントは自分の行動の動機を探ると言う意味でしょうか?

No.2844 - 2010/11/07(Sun) 00:05:06
(No Subject) / 雄大
木が揺れていることで風があるのが分かる。

しかし風そのものを見ることができるだろうか?

子供の身体が大きくなることで成長していることが分かる。

しかし成長そのものを見ることができるだろうか?

認識対象を通じて認識しているものが分かるだろうか?

非恒常的なるものを通じて非恒常的でないものが分かるだろうか?

もし仮に世界が観察者に依存しているのなら、観察者がない世界はあるのだろうか

そしてそのように観察可能なものを通じて、それ自体は直接認識できず、それがなければ認識できないものを知る

No.2839 - 2010/11/06(Sat) 00:36:10

Re: / 通りすがり改め夜の虎
過去ログをよんでいると、通りすがりと言う別人がいたのでHNを改めます


> 非恒常的なるものを通じて非恒常的でないものが分かるだろうか?
>


これは、変化するものを認識するためには、変化しない恒常的なものがないと、認識はできないという理屈なのですかね?

No.2840 - 2010/11/06(Sat) 00:44:08
(No Subject) / 雄大
観察対象は観察者のあることを含む

そこに何故は届かないし馴染まない

何故、どうしては適切な質問ではない

それは何かに帰属するようなものではないし、時間や空間を超えたものだ

盲目の人にとって光の概念は単なる言葉、音節にしかならないように

それは既にそうあることに気づくのだ
無いものを何時か気づくのでなく今既にそうあるように気づくのだ

何故、どうしては誰が質問しているのだろう
何故、どうしてが起こる以前、起こっている時、去った後変わらずあるものは何か

其のあるはやはりあったり無かったりするものではない
あたっり無かったりするものを顕現する可能性という運動がある

其の運動は時間や空間に縛られない、皮膚の内側も外側も超えてあなたなど無関係に起こるすることの出来ない運動なのだね

No.2834 - 2010/11/05(Fri) 20:22:52

Re: / 通りすがり
何か深い意味を感じるのですが、要旨はよく理解できません。
何をどう問えばいいものなのか・・・

雄大さんは、どのようにしてこのような見解を得るにいたったのでしょう?

No.2838 - 2010/11/05(Fri) 21:55:53
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