[ 掲示板に戻る ]

過去ログ閲覧モード

(No Subject) / 雄大
私・ならこう・考・え・ます。


思考があってもなかっても変わらずあるものは何か?


無我、真我、何かと1つになっていた、無距離  等々

そのようなことを経験したとしたなら、それがあった時、それ以前、そして今も変わらずあるものは何か?

そのあるものは恒常的なものなのか、そうでないのか?

私はそれではない、それそのものなら認識され得ない。
認識されるものなら観察者が存在する。

あったリ無かったりするものはそれを観察するものを含めて非恒常的なものなのだ。

純粋な思考でなく、純粋なあったり無かったりする私を見つけるのだ、そしてその私が分かる故にそれを超えたもがあることへの理解がある。

すべてに浸透するが決して捉まえる事の出来ぬものへの理解は何処にも足跡など残さないのだ。

語られたものが語られたものそのものでない以上、それらの象徴や標識に心を砕くことに何の意味があるのだろうか。


http://www.youtube.com/watch?v=jc8Qn6bsSpY

No.2812 - 2010/11/02(Tue) 20:28:57

Re: / 通りすがり
雄大さん こんばんは

> 純粋な思考でなく、純粋なあったり無かったりする私を見つけるのだ、そしてその私が分かる故にそれを超えたもがあることへの理解がある。
>


大変難解ですね。 あったりなかったりする私とは、一般に言うところの自我ですか?

> すべてに浸透するが決して捉まえる事の出来ぬものへの理解は何処にも足跡など残さないのだ。
>
> 語られたものが語られたものそのものでない以上、それらの象徴や標識に心を砕くことに何の意味があるのだろうか。


全てに浸透するものが、あるかどうかは分りませんが、どのようにして捉えるのですか?
あるいは、どのように、あるやなしやを判断するのですか?

No.2817 - 2010/11/02(Tue) 22:36:18

Re: / ubik0101
たとえば自我は、ない、自己は、ある・・・どちらも意識の範疇ではない・・・自覚不能・・・それはそれで実用的には充分です。でも・・・その、ない、ある、とは、どいうことか?

それが明確でないなら、その不明確さに乗って暮らしています。そんな愚かな意識に、なんとか教えてみよう、ubik0101なら、このように考えます。

Curved Air - It Happened Today - Live

http://www.youtube.com/watch?v=ShfSH60tGKc&feature=related

Curved Air - Vivaldi

http://www.youtube.com/watch?v=_u6OFTZCRAY&feature=related

No.2820 - 2010/11/03(Wed) 11:05:51
(No Subject) / 雄大
http://www.youtube.com/watch?v=5mPQW2-0YPs

どのように呼ばれようとそれが認識され得るものなら過去のものであり、分離しており、断片である。

思考があろうが無かろうが、感情があろうが無かろうがそれはなにも排除しないし、それなしには何も認識できない。

ただそれは直接的に認識できないのだ。
それは途切れなくあるのだが認識対象は途切れる。

認識されるものはそれ以外の認識され得ないものに支えられているのだし、認識されるもの全てがそれによって命を与えられているのだ。

だから私は何も知らない、知ることができないという理解は知識ではない。

純粋な運動なのだ。

No.2813 - 2010/11/02(Tue) 21:43:16

Re: / 通りすがり
> http://www.youtube.com/watch?v=5mPQW2-0YPs
>
> どのように呼ばれようとそれが認識され得るものなら過去のものであり、分離しており、断片である。
>


これはどうしてそうなるのでしょうか?
現在進行形のものが認識された場合も過去になるのですか?

> 思考があろうが無かろうが、感情があろうが無かろうがそれはなにも排除しないし、それなしには何も認識できない。
>


「それ」とはなんでしょうか?

> ただそれは直接的に認識できないのだ。
> それは途切れなくあるのだが認識対象は途切れる。
>


直接的に認識できないとなると、いかにしてその存在を認めるのですか?
推測でしょうか?

> 認識されるものはそれ以外の認識され得ないものに支えられているのだし、認識されるもの全てがそれによって命を与えられているのだ。
>


どういう意味でしょうか?

> だから私は何も知らない、知ることができないという理解は知識ではない。
>
> 純粋な運動なのだ。


ここもどういう意味でしょうか?

No.2818 - 2010/11/02(Tue) 23:08:54
(No Subject) / 雄大
http://www.youtube.com/watch?v=9PBZy9j3H3I&feature=fvw

もしあなたが私は知っていると云い、私が私は知っていると云ったとしても、それらは重なり合うことはない。

私が愛してると云い、あなたが愛していると云う位遠いのだから。

音も、残像も、私も消えて行きます。
消えていく以前はそれらは何処から始まったのですか

その始まりと終わりを見守っているものに始まりと終わりがあるのでしょうか。

始まりと終わりがないものをどうやって認識できるのでしょうか。

http://www.youtube.com/watch?v=2bwqxyVJnJI&feature=related


http://www.youtube.com/watch?v=M_LLFfFXaUA

No.2816 - 2010/11/02(Tue) 22:35:38
(No Subject) / あすか
良い悪い、ではない、善いを。
について、

正しいやり方、正しいありようなら、うまくいくと話して済ましているとき、
自分のやり方、ありようを、良い悪いの、良いの方に入れている?し、話が他の人に実現しているものとして、通じていると錯覚している?

さて、
良い悪い、ではない、悪いを。
について、どう返答しますか?

No.2793 - 2010/11/01(Mon) 11:04:24

Re: / hato

とくに錯覚していないようです。

さて、
上記の問いについては、わたしの辞書に、無い。

と返答するでしょう。

No.2802 - 2010/11/01(Mon) 21:08:06

Re: / あすか
辞書とは、記憶、言葉、良い悪いに属するものですか?

辞書とは記憶、言葉には属するが、良い悪いではない、善いはあるが、悪いはないよと、
と言葉を変えている?

辞書にはあってもなくても、それ以外のものとして、
良い悪いではない、善い、あるいは悪いは、名付けなくても、具体的な何かとして、あるのかな、ないのかな?

No.2807 - 2010/11/02(Tue) 08:27:03

Re: / hato

あるのかな、ないのかな・・・て、十八番でしょうか。
とくに趣味ではないので、自分は遠慮しておきましょう。

本当の意味で、世界だけ。が経験されたとき、不要な思考体系への囚われもなくなるでしょう。そのとき、思考があったとしても、なにか名付けてみたとしても、とくに問題になることはないでしょう。


この夏、キチキチバッタを沢山見かけました。バッタにしてはとても大きいようです。チキチキバッタ、精霊(ショウリョウ)バッタ、ショウジョウバッタ、コメツキバッタ・・・和名がいくつもあるそうです。

No.2815 - 2010/11/02(Tue) 22:29:26
音の実験について / 通りすがり
ubik0101さん  こんにちは

先日教えてもらった音の実験について質問させてください。
今のところ、音が頭の中に聞こえると言うことはないです。
ちょっと気になることがあります。
私は心を落ち着かせると、頭の中にキーンというかシーンという音が聞こえてきます。
この音は確かに頭の中で聞こえます。
ところが、私の周りにある音は、それぞれの音源から聞こえてきます。
そして、音源が私から近いものは、近くて大きな音として知覚され、私から離れているものは、遠くて小さな音として知覚されます。
このような考えが湧いてきました。
もし全ての音が頭の中で知覚(この場合は聞く)されるのであれば、頭の中での距離はないのだから、全て同じ音量で距離感なく聞こえるはずではないかと
私は要点を外しているのでしょうか?

No.2791 - 2010/11/01(Mon) 10:46:59

Re: 音の実験について / あすか
おっしゃっているのは、物理的なものです。
心理的に排除や、容認をしていない、壁がない、
自他の区分がない、距離がない感覚でいかがですか?

No.2792 - 2010/11/01(Mon) 10:57:41

Re: 音の実験について / ubik0101
なにか音を聞いてる、その自分が、聞くことに先立ってある、それが問題なのだと思います。

眼を閉じた場合、なんとなく暖かい薄暗い空間の中で、音源の方向はわかると思います。そこで、方向に集中して ・・・その音源に意識の焦点をあわせる・・・音源をたぐる・・・をしてみてください。

それで、聞く、ことができれば、その聞いてる自分が、どうやって生起するのか・・・その聞く自分がいないとは、どいうことなのか・・・自我を見破る、というほどではないかもしれませんが、経験、できるのです。

なかなか独特な表現で難しいのですが、雄大さんの言うことも、あすかさんの言うことも、誤ってはいません。

No.2794 - 2010/11/01(Mon) 11:45:55

Re: 音の実験について / ubik0101
言い忘れました。「頭の中での距離はないのだから、全て同じ音量で距離感なく聞こえるはずではないか」というのも、空想なので、あらゆる空想をしないで、ただ聞く、実験してください。
No.2795 - 2010/11/01(Mon) 13:17:14

Re: 音の実験について / 通りすがり
ubik0101さん どうもです

> なかなか独特な表現で難しいのですが、雄大さんの言うことも、あすかさんの言うことも、誤ってはいません。

あすかさんのいわれる、

>おっしゃっているのは、物理的なものです。
心理的に排除や、容認をしていない、壁がない、
自他の区分がない、距離がない感覚でいかがですか?

とは、心理的に特定の音を排除したり、音に対して自他の区別をつけず、距離がない感覚を感じるようにして、実験されてはどうですか?
と言う意味なのですかね?

それとも、単に上記のような、物理的ではない感覚(心理的?)は感じませんか?
と言う意味なのでしょうか?

No.2798 - 2010/11/01(Mon) 18:50:34

Re: 音の実験について / あすか
>>心理的に排除や、容認をしていない、壁がない、
>>自他の区分がない、距離がない感覚でいかがですか?


>とは、心理的に特定の音を排除したり、音に対して自他の区別をつけず、距離がない感覚を感じるようにして、実験されてはどうですか?
>と言う意味なのですかね?


わざわざ実験しなくても、日常の中で、何かの音に、心理的に距離を作っていないのを感じませんか、という意味ですから、下記のものが合っています。
わざわざ実験すると、聞く人ができて、緊張し、意識されてしまいますが、それは違う経験です。
そのうち、忘れて、聞く人が消えているとき、意識せずに音が聞こえているでしょう。

>それとも、単に上記のような、物理的ではない感覚(心理的?)は感じませんか?
>と言う意味なのでしょうか?


そうです。
その音に対して、心理的に、距離を作っていない、容認あるいはその反対の排除もなく、壁がなく、敵も味方もないときの感覚。

No.2799 - 2010/11/01(Mon) 19:47:51

Re: 音の実験について / 通りすがり
> その音に対して、心理的に、距離を作っていない、容認あるいはその反対の排除もなく、壁がなく、敵も味方もないときの感覚。

あすかさん、アドバイスありがとうございます。
あすかさんの言われるような感覚であるならば、家でリラックスしている時に、日常的に感じると思います。
しかし、ubik0101さんのいわれるように、音が頭の中で聞こえると言うことはなく、私の外から聞こえます 

No.2800 - 2010/11/01(Mon) 20:27:51

Re: 音の実験について / あすか
> しかし、ubik0101さんのいわれるように、音が頭の中で聞こえると言うことはなく、私の外から聞こえます 

物理的にはそうですが、

心理的には、距離、区分がなく、音と一体である、自分が音であるような感じがありませんか?
人が、子供がしゃべっていることが、ただ頭の中で響いており、ただ理解されているというような。
視覚的にも、そこにいる人、子供と、心理的に区分がない、
仲間でも敵でもなく、容認も否定もない感覚。

あるいは、ただ、音楽が頭の中で響いていて、ただ感じているような。

No.2801 - 2010/11/01(Mon) 20:43:33

Re: 音の実験について / 通りすがり
あすかさん、返信ありがとうございます。


> 物理的にはそうですが、

ところで今回の話は、物理的に「音が頭の中で聞こえる」という話をしているのではなく、心理的に(心理的に頭の中で音がするというのはよく意味が分りませんが)という話をしているのですか?

>
> 心理的には、距離、区分がなく、音と一体である、自分が音であるような感じがありませんか?


このような感じはありません

> 人が、子供がしゃべっていることが、ただ頭の中で響いており、ただ理解されているというような。
> 視覚的にも、そこにいる人、子供と、心理的に区分がない、
> 仲間でも敵でもなく、容認も否定もない感覚。
>


視覚的にも区別がつかないと言った経験は全くありません


> あるいは、ただ、音楽が頭の中で響いていて、ただ感じているような。

うーん これは微妙な感じですが、あまりピンときません

No.2803 - 2010/11/01(Mon) 21:08:20

Re: 音の実験について / ubik0101
そうですね 、簡単に言えば、無我、で聞きませんか?です。しかし、それでは、とりあえずのですが、無我を経験するための実験ですから、それができれば文句はないですし・・・なんだかループに陥りそうです。

そこで、通りすがりさんは、思考を止めることができるでしょうか?たとえば・・・(A)あいつが、あんなことを言ったから、俺はこう言ったとか・・・怒って心理的に闘ってる思考。それと・・・(B)ただ頭の中を言葉が流れてるという意味での、思考。

この (A)は論外ですが、 (B)を止められるでしょうか?と言っても、人は、ずっと思考してるのが当たり前と思われるかもしれませんが、実は、途切れ途切れなのです。意図しても止まります。それが、たとえば・・・あれは時計の音だ・・・とかなどの空想をせずに、ただ聞く、ということです。

たとえば、すー、と息を吸います。その感覚に注意します。そのとき思考を止めようとしなくても、止まってることに気がつく、という感じです。たとえば冷たい水に触るとき、ガシガシ歯を磨いてるとき、玄関で靴を履くとき、視線を花からコップに移すとき・・・

あるいは、いまubik0101は、パソコンしながら、2羽の小桜インコと遊びながら・・・可愛いな・・・とか思考してないで、知覚で・・・可愛いのです。そんな感じです。不注意というわけではありません。ふだんは、思考が止まってるのに、思考が止まってることに、気がつかないでいるから、ずっと続いてるように感じてるだけなんです。

なんだか変かもしれませんが、思考よ止まれ、と言葉にして思っても、つまり思考しても・・・思考は止まります。もともと途切れ途切れですから、それができるのかもしれません。で、思考を止めて、あれは冷蔵庫の音だとか、空想を止めて、ただ音を聞く、です。まあ、思考があろうがなかろうが、かまわないのですが、思考が静まってれば、やりやすいと思います。

No.2805 - 2010/11/01(Mon) 21:27:04

Re: 音の実験について / あすか
>ところで今回の話は、物理的に「音が頭の中で聞こえる」という話をしているのではなく、心理的に(心理的に頭の中で音がするというのはよく意味が分りませんが)という話をしているのですか?

二つの識別の話ではなくて、何でもない日常の話です。
したがって、先に説明した、次のような場合のこと。

>>そのうち、忘れて、聞く人が消えているとき、意識せずに音が聞こえているでしょう。

距離の識別をわざわざ意識していないときの話です。

>視覚的にも区別がつかないと言った経験は全くありません

もちろん、物理的には、目の前の子どもと、区別はできるのですが、わざわざ距離を意識していないときはありませんか?
心理的に、差別、区別がなくて、距離、分離を意識していないとき、身内だとか他人だとかも意識していないとき。
ただ、見ている、ただ、注意があるだけみたいな。
全体が一つの関わりの中の動きとして、親密に見えて、かかわっているだけのような。

>> あるいは、ただ、音楽が頭の中で響いていて、ただ感じているような。

>うーん これは微妙な感じですが、あまりピンときません

このあたりが近いかな?

No.2806 - 2010/11/02(Tue) 08:09:20

Re: 音の実験について / 通りすがり
ubik0101さん こんにちは

> そうですね 、簡単に言えば、無我、で聞きませんか?です。しかし、それでは、とりあえずのですが、無我を経験するための実験ですから、それができれば文句はないですし・・・なんだかループに陥りそうです。

「無我で聞きませんか」ですか。
私は頭の中で音が聞こえる(物理的に)ということと勘違いしておりました。
ですのでポイントをまた聞きなおさなければなりません。
無我で聞くとは、どういう状態になれば、無我で聞いたことになるのでしょうか?
そして、ここで無我で音を聞く意味とはなんでしょうか?

> そこで、通りすがりさんは、思考を止めることができるでしょうか?たとえば・・・(A)あいつが、あんなことを言ったから、俺はこう言ったとか・・・怒って心理的に闘ってる思考。それと・・・(B)ただ頭の中を言葉が流れてるという意味での、思考。
>

Aの時、ですが、どれくらいのめり込んでいるかによって違います。
Bもそうですね。

> この (A)は論外ですが、 (B)を止められるでしょうか?と言っても、人は、ずっと思考してるのが当たり前と思われるかもしれませんが、実は、途切れ途切れなのです。意図しても止まります。それが、たとえば・・・あれは時計の音だ・・・とかなどの空想をせずに、ただ聞く、ということです。

ここで言われている、「空想しない」、とはようは五感による知覚にとどめて、概念化しないという意味でしょうか?
仮にそうだとして、ただ聞くことの意味はなんでしょうか?

>
> たとえば、すー、と息を吸います。その感覚に注意します。そのとき思考を止めようとしなくても、止まってることに気がつく、という感じです。たとえば冷たい水に触るとき、ガシガシ歯を磨いてるとき、玄関で靴を履くとき、視線を花からコップに移すとき・・・
>
> あるいは、いまubik0101は、パソコンしながら、2羽の小桜インコと遊びながら・・・可愛いな・・・とか思考してないで、知覚で・・・可愛いのです。そんな感じです。不注意というわけではありません。ふだんは、思考が止まってるのに、思考が止まってることに、気がつかないでいるから、ずっと続いてるように感じてるだけなんです。
>
> なんだか変かもしれませんが、思考よ止まれ、と言葉にして思っても、つまり思考しても・・・思考は止まります。もともと途切れ途切れですから、それができるのかもしれません。で、思考を止めて、あれは冷蔵庫の音だとか、空想を止めて、ただ音を聞く、です。まあ、思考があろうがなかろうが、かまわないのですが、思考が静まってれば、やりやすいと思います。


「思考よ止まれ」といって思考がとまるのですか?
それは便利ですが・・・
やってみましょう

No.2808 - 2010/11/02(Tue) 09:55:02

Re: 音の実験について / 通りすがり
あすかさん どうもです。

> 二つの識別の話ではなくて、何でもない日常の話です。
> したがって、先に説明した、次のような場合のこと。
>
> >>そのうち、忘れて、聞く人が消えているとき、意識せずに音が聞こえているでしょう。
>
> 距離の識別をわざわざ意識していないときの話です。
>


「聞く人が消えている時」と言うのがピンときませんねぇー。
「距離の識別をわざわざ意識していない」というのは、割と日常的だと思います。
現に今も色々な音が聞こえますが、距離を特に問題としていませんので。

> もちろん、物理的には、目の前の子どもと、区別はできるのですが、わざわざ距離を意識していないときはありませんか?

物を見るときに、特に距離を意識することは、あまりないように思いますが・・・

> 心理的に、差別、区別がなくて、距離、分離を意識していないとき、身内だとか他人だとかも意識していないとき。
> ただ、見ている、ただ、注意があるだけみたいな。
> 全体が一つの関わりの中の動きとして、親密に見えて、かかわっているだけのような。
>


心理的に区別がないと言うのはよく分りませんし、「全体が一つのかかわりの中で云々」と言うことは思いつきません


> >> あるいは、ただ、音楽が頭の中で響いていて、ただ感じているような。
>
> >うーん これは微妙な感じですが、あまりピンときません
>
> このあたりが近いかな?


こんな感じを色々と説明されたと言うことでしょうか?

No.2809 - 2010/11/02(Tue) 10:02:11

Re: 音の実験について / ubik0101
> 「無我で聞きませんか」ですか。
> 私は頭の中で音が聞こえる(物理的に)ということと勘違いしておりました。


たとえ話ではなく、実際に、頭の中で聞こえる。ということです。そのためには、思考がないほうがいいので・・・ただ聞く、という意味です。

> ですのでポイントをまた聞きなおさなければなりません。
> 無我で聞くとは、どういう状態になれば、無我で聞いたことになるのでしょうか?
> そして、ここで無我で音を聞く意味とはなんでしょうか?


その音だけが知覚されてる、という意味です。すごく大雑把に言うと、音を知覚してる、その知覚者がいない、ということです。この、知覚者がいない、というのを、よく見ると面白いのですが・・・とりあえずは省いていいでしょう。

または、ちょっと面倒なのですが・・・一冊半しか読んでいませんが・・・クリシュナムルティで言えば・・・「見るものは、見られるもの」です。

これは世界の有り様とは違うのですが・・・見るものは見られるものでも、見るものは見られるものではない・・・その両極端ではない・・・仏陀の言うように、中道・・・が事実です。

が・・・「見るものは、見られるもの」としても機能します。そう機能してる、それならば、無我、です。こんなことも、とりあえずは省いていいです。

> Aの時、ですが、どれくらいのめり込んでいるかによって
> ここで言われている、「空想しない」、とはようは五感による知覚にとどめて、概念化しないという意味でしょうか?


ただ、空想しない、ただ思考しない。この意味でなら、そうです。

> 仮にそうだとして、ただ聞くことの意味はなんでしょうか?

たぶん、上記で説明してると思います。無我なら、そのように聞こえる、ということです。

なんにしても、思考を止めて、音を聞けばいいだけのことです。それと実験としては、大音量で音楽を鳴らす、それで、聞いてる自意識(知覚者)から注意を外す、吹き飛ばす、というのも可能ですが・・・機会があったら、やってみてください。

> 「思考よ止まれ」といって思考がとまるのですか?
> それは便利ですが・・・
> やってみましょう

No.2811 - 2010/11/02(Tue) 11:01:33
全1072件 [ ページ : << 1 ... 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 ... 215 >> ]