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(No Subject) / 雄大
http://www.youtube.com/watch?v=G3Onw0SMtuI


http://www.youtube.com/watch?v=d-lUBlbJkrQ


http://www.youtube.com/watch?v=JibHpfeR3wY

http://www.youtube.com/watch?v=9nQil1DnISQ

今日は午前中仕事をした後息子とデートしてました。

No.2743 - 2010/10/23(Sat) 23:15:43

Re: / ubik0101&hato
こちらは真夜中に懐中電灯を持って、一緒に川岸を散歩したり、です。気が向いたら、ですけど、息子さんと一緒に、遊びにでも来てください。

ubik0101

庭の手入れ具合はといえば、これからの感じですが、ふと思い立ったら、ふらり遊びに来てください。風変わりな2名+快鳥2羽に快猫1匹、メダカ数十尾。庭の空では鳶が鳴き。鷺や、ときにはジョナサンなどが飛んでいくのを見かけたりします。

hato

No.2744 - 2010/10/24(Sun) 17:00:15

Re: / 雄大
> こちらは真夜中に懐中電灯を持って、一緒に川岸を散歩したり、です。気が向いたら、ですけど、息子さんと一緒に、遊びにでも来てください。
>
> ubik0101
>
> 庭の手入れ具合はといえば、これからの感じですが、ふと思い立ったら、ふらり遊びに来てください。風変わりな2名+快鳥2羽に快猫1匹、メダカ数十尾。庭の空では鳶が鳴き。鷺や、ときにはジョナサンなどが飛んでいくのを見かけたりします。
>
> hato


ありがとうございます。何時かお会いできる日を楽しみにしています。

http://www.youtube.com/watch?v=G3Onw0SMtuI

リチャードバックはかもめのジョナサンも良いですが、イリュージョンも好きです。

No.2745 - 2010/10/24(Sun) 17:49:55
(No Subject) / 雄大
http://www.youtube.com/watch?v=J5UbSQQU9Ic

http://www.youtube.com/watch?v=fXq81-cGJr4

http://www.youtube.com/watch?v=FGhe0_BvSTs

http://www.youtube.com/watch?v=bB5qhBnEOHk

とか聞きながら昔ガールフレンドとドライヴをしたな、とか感情を伴う脈絡ない連想ゲームと、例えばもしかするとギリシャのエレア学派みたいに最大公約数を求める時に通約不能だと計算してあるいは見て理解する思考を区別してあるいは整理した思考を利用して何処を目指したのだろう。

何処まで行っても連想ゲームが続くが、存在は何も排除しない、選び、抵抗するから問題が生ずるがそれさえ問題にはならない。

それがなければ何も知覚できぬ前提があるが、それさえあったりなかったりする、その扉を誰が開けるのか、ただ畑を耕し待っている、経過させる、彼岸と此の岸を超えた捉えられないものは、捉えられないという結論でなく、其の世界の終わりを意味し、それでもこれまでと同様にあるがままを映すのだ。

http://www.youtube.com/watch?v=6QUwDBF53bc

No.2739 - 2010/10/23(Sat) 16:54:20

Re: / ubik0101
>彼岸と此の岸を超えた捉えられないものは、捉えられないという結論でなく、其の世界の終わりを意味し、それでもこれまでと同様にあるがままを映すのだ。

その表現は、ともかく、そう、です。知覚できない自我から、知覚できない自己に・・・もちろん、そのことと、その類似のことと、その反対のことと、無関係なこと・・・その機能が、世界、です。それだけなんで、あるとかないとかも、あってもなくても、いい。です。

ドラゴンクエスト『ラダトーム城-Chateau Ladutorm-』

http://www.youtube.com/watch?v=powiiUmj2EA&feature=related

No.2741 - 2010/10/23(Sat) 21:44:45

Re: / hato

みどりの三角屋根の“あったかハウス”をもらって、ちょっと嬉しいナナちゃんです。

ふとカレンダーを見ると、10月は神無月とありました。

No.2742 - 2010/10/23(Sat) 21:55:32
(No Subject) / 雄大
神があるというのも、神がないというのも概念である

世俗の神は何かを約束してくれる、それは組織化され集中させ投影している

創造者原理としての神は思考実験により生み出された
余暇を過ごすための高級な道具だ

中心や周辺、無境界等と描写してみても最後は線上思考を超えて行かねばならない

あるというのも無いというのも誤りなのだ
具象、抽象、認識対象で構成されるような非恒常性、断片性のどれも私ではない

No.2738 - 2010/10/23(Sat) 12:48:22

Re: / ubik0101
うーんと。神の概念が消えたら、わたしは神だ。というのも、あり、なんです。でも、わたしは神だ。ならば、その総て・・・たとえば人が神をつくった、とか。神が人を創った、とか。信仰、不信仰、半信半疑、無関心・・・もちろん、わたしは神だ。も・・・消える。それが神の概念がない、ということです。
No.2740 - 2010/10/23(Sat) 21:40:12
(No Subject) / 雄大
http://www.youtube.com/watch?v=dc7qiosq4m4

区別するものは誰か、運動に色、形はなく、感覚もない

具象と抽象を創り出す軸は何か

断続する軸を通じて直接知覚出来ないものを知る

私は何かではなく私は全てだと知る、その瞬間はない、その期間はない、その空間はない、もともと何もない、誰もしない、何も起こらない

ある観方が錯覚と夢を与える

http://www.youtube.com/watch?v=cP1LdTat5oU

No.2733 - 2010/10/21(Thu) 23:37:20

Re: / hato

そ、いえば・・・
ubik0101さん身長170センチちょい体重57キロ。hatoちゃん身長165センチ体重ちょうど、いいくらい。

畑を耕すにも、パソコンするにも・・・
誰かと話すにも、何かを思考するにも・・・

とても軽いのです・・と。

子メダカ身長5,6ミリ・・・

No.2737 - 2010/10/22(Fri) 22:37:33
世界の機能パート3 / ubik0101
ちょい深まる秋の気配、いい天気です。すこし思考実験です。ここは静岡です。そこで、富士山に登ったら、それを麓から見るようには、もう富士山を見る・・・知覚・・・することはできないでしょう。そこでは、けっこう美しい雲海、爽快感が知覚されるだけ、です。

つまり富士山に登っていながら、それ、を知覚できない・・・これを富士山が、ない、と呼びます。これは、自己、の喩えです。ない、のですから、とても日常・・・世界・・・が軽いです。この、ない、という表現は、自己は知覚の範疇にはなく、自己が自己を自覚することはないので、とりあえずは実情にあっています。

ならば、世界は繋ぎ目がない総体でも、バラバラ独立の集合でも、どうでもいい、です。と、いうのは。この、ない、それは知覚にとってであり、実際?の、ある、ない、それは知覚されない・・・その知覚・意識によらない了解があれば。たとえばですが、中心がない、観察者がない、自我がない、そこのところを擁護する必要がないのです。たとえば、葛藤があろうが、なかろうが、問題ではないです。

ここは、とても表現が困難なので
ゆっくりになるかもしれませんが、なるべく・・・続きます。

アルバート・アイラー
Albert Ayler - Spiritual Unity - 01 - Ghosts_first variation

http://www.youtube.com/watch?v=uQzJsGAHsVM&feature=related

No.2716 - 2010/10/15(Fri) 14:23:34

Re: 世界の機能パート3 / 雄大
知覚出来ないからないということではなく、ではあるのかと問われればあるといえば嘘になるし、しかし無いといっても嘘になる。あるのでも無いのでもなく、ありかつ無いのでもなく、あるまたは無いのではなく、それら全てを含み超えていると。

こういう嘘をつく事になるが嘘を通じてしか私以前にあることを伝えられない。

方便として世俗諦の真理を説き、世俗諦の道具で勝義諦を説かれたのではないか。しかし説かれた一つの身体があるわけではもちろんない。

ありがとう、アルバート・アイラー良いですね、20年ぶりに聞きました。

No.2717 - 2010/10/16(Sat) 22:02:37

Re: 世界の機能パート3 / ubik0101
たとえば渦巻く暗雲に隠れてても、おなじように富士山は見えません。これも、知覚にとって、ない、です。なので暗雲が晴れたら富士山が見える・・・しかし、この表現では、自我の喩え、としては適切ではありません。

そうでなく、そこに暗雲が渦巻いてるから、その起因となる富士山が、ある、のだろうと、空想させる・・・そのように感覚や感情や思考の機能が活動してる、です。ほかの言い方では、そのように行動、発言、思考が機能してる。です。 つまり自我は虚構であり、ある、振りをしてる、ない、ではないでしょうか。

ない、自我は、知覚できない、知覚できるのは、渦巻く暗雲だけではないでしょうか。 そこで、たとえば、そこに富士山がなくても、暗雲が渦巻いていれば、富士山を示すという・・・富士山に登って、ない、のに富士山があると・・・思い違いするのが問題かもしれません。そして、この、ない、は・・・富士山に登ってるから、それを知覚できないという意味での、ない、と同じとは言えません。

もし人が始めから、そうだということに気付くだけなら、それを知ってたら迷うはずがない、それを忘れるはずがない、と思われます。ま、始めからそうだった。自我は虚構だと見破った、そのとき与えられる。どっちでもいいのですが、どちらかひとつではないと思います。どちにしても、自我は、ない・・・自己は、ある・・・その、ない、ある、どちらも知覚できないけど、違うものは違う、という感じです。

それで、まるで始めから理由もなく、そうであった。というほど、その変化は完全になされるのではないでしょうか。自覚でき、ない、自我を通じて、自覚でき、ない、自己に。ではないでしょうか。

続きます。

No.2725 - 2010/10/19(Tue) 22:20:03

Re: 世界の機能パート3 / peer
自分の知っている「富士山」というイメージが「ない」
だけじゃないですか。
富士山に登ろうとして登っているのだから、自分は富士山に登っている感覚は・・・あるんじゃないですか?

No.2727 - 2010/10/20(Wed) 04:07:51

Re: 世界の機能パート3 / ubik0101
たとえば、自分が富士山に登ってる感覚、あったら邪魔なんです。面倒なんです。ないのが、そうだと意識してないくらい、楽、なんです。

と、いうことも世界の機能で・・・そんな日常から見える・・・ある、ない、その、そのことは、どいう意味だろう・・・という疑問です。

というのは、これは射程距離が長いと言うか、深度が深いと言うか、困難ですが、この世界は何?そんなことが問題でなくなるというところまで、意識に教えることができる感じがするからです。

No.2728 - 2010/10/20(Wed) 11:41:25

Re: 世界の機能パート3 / ubik0101
すこし振り返ります。自己が、自己であって、自己を知覚する必要がない、この日常では。おなじように自我も、知覚にとって、ない、です。まったく透明で。ここで機能してるのは・・・眼や耳と、とその対象。そして意識と、その対象だけ・・・仏陀の言う「一切(いっさい)」・・・です。

これは自我もなければ無我もなく、どいうわけか、そう意識するまでもなく・・・また意識しても、とくに変わりませんが・・・とくに理由がない楽・・・平穏・・・です。

ここで、たとえば、いわゆる心理的思考、葛藤によって波風を起こして、その騒がしさで、自分で自分を知覚しようとすることが、自我の機能、だということが理解(いわゆる分離、とは、そのとある解釈ではないでしょうか)されます。それは、ない、の騒がしい活動で、ない、が、ない、を知ろうとしてる、ということでもあります。

その、ない、自我は・・・なんであれ物質や感覚や感情や思考に関わる・・・たとえばですが・・・いまここ・・・に、ない、もの、こと、を望むのではないでしょうか。または、そこから演繹される、あると思われることは失いたくない、傾向にある、です。

なにか執着と言えば、とあることに執着すると、思われるかもしれません。でも、ない、それが、ない、もの、こと、に執着を生じさせてる。と見ることもできます。そのことは、知覚が、ない、と訴えてないこと・・・自我・・・を、もしかして、ない、のだろうかと、どこかで疑ってるのかもしれません。

こういうことを人は、執着、欲望において、そうだとは知らないまでも、さんざん経験するのだと思います。

続きます。

No.2736 - 2010/10/22(Fri) 19:24:20
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