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(No Subject) / 雄大
どの見方と一つになるか、ただ慣習的にある見方に固定している怠惰さ。

1つを受け入れれば別のものよりそう、しかし寄り添う影を切り離そうとする不毛な試みをなす

2度起こらないことを古いフィルターが継続性の幻想を与える

眠りによって中断される断片的な継続感覚を私と呼ぶ

世界の影としての私が眠りの中でさえ花開く

どれと1つになるのか誰の意思によることが出来るだろう

誰と1つに、どれと1つに、どの組み合わせで焦点を合わせるのか、侵す事さえ出来ない触れることの出来ない可能性が、唯一の真理なのだ。

それは組織化できないのだから

No.2724 - 2010/10/19(Tue) 20:32:41

Re: / hato

それは、

焦点し、されるときにただ、起きてくるようです。その意味で、予め予定された言葉・・・見方・・・固定・・・ということを知りません。

それは、ただそれとして、在るだけです。

不在の在の表現であり、一とは、一貫の一です。


霞がかった夕刻の海空に、月が白く映っており、小さな灯台の灯が点滅していました。

No.2726 - 2010/10/20(Wed) 01:10:19
(No Subject) / 雄大
2度と起こらない変化を通じて永遠を知る。

その永遠は無常の断片から生み出された反対概念ではない。
言葉を超えたものとして永遠と名付けられた。

誰かが対象を指差す名前でなく、話して不在のため息のようなものなのだ。

直接知覚されることのない運動の可能性をいったい誰のものだということに何の意味があるのだろうか。

選ぶ者が刻々に死んでいく事を生まれるという。
生まれるものと死ぬものに境界はないのだ。

No.2718 - 2010/10/16(Sat) 22:36:18

Re: / hato

どうとも不可思議、無意味の極地。というところを経て、もし。そののち人が、「人は人。」であり、「私は私。」である。と言えるとは。これが、A=A。これを正しく、とてつもないこと、といいます。ほかではありません。

自己。あるいはなにか。或いは、それ。もし人が、その経緯を正しく踏まえたからには、この世界とは、・・・・万物流転の動きだけがあり・・・・人はなにか総てであり・・・総ては一にて・・・個人では有り得ない・・・・起きたとも、起きないとも言えない・・・・等の不分明、無分別、すなわち、なんでもどうでも・・・の、どうでもよい、視点、を抜けることができるといえるでしょう。

無分別であることを知り、それに留まらないこととは、本来、責任の持てようもないそこで、「責任を持つ、」のです。本来、生きている、とも言い難いところで、尚、「私は生きる、」と言うのです。

これを正しく、自己で在る、と言います。
わたしは、それ。ということです。


今日は夕方の2時間ほど釣りに行って、ふたりで、アジやシンコを釣りました。静岡の、とある夕焼け空と、海でした。

No.2719 - 2010/10/17(Sun) 21:46:10

Re: / hato

ダーリンが、美しい!と誉めてくれたので、もう一枚。

No.2720 - 2010/10/17(Sun) 21:47:00

Re: / 雄大
>
> ダーリンが、美しい!と誉めてくれたので、もう一枚。


ほんと美しい。

No.2721 - 2010/10/17(Sun) 23:03:55

Re: / suho
> ダーリンが、美しい!と誉めてくれたので、もう一枚。

うん。美しい。
フレーミングも素晴しい。

No.2722 - 2010/10/19(Tue) 08:43:17

Re: / ubik0101&hato

空気もひんやりして、海空もなかなか、きれいな頃になりました。今日は母も一緒に、クリ拾いです。実は小さいのだけど、美味しい、とのことです。

No.2723 - 2010/10/19(Tue) 11:55:55
(No Subject) / 雄大
人は選ぶことが出来るのだろうか

選ぶことが出来ると錯覚してるから、歓迎されないものが寄り添ってくる

No.2714 - 2010/10/14(Thu) 22:12:21

Re: / hato

こんばんは。秋の夜長、ちょっと夜更かしです。

世界の、あるでもないでもない隙間に、瞬くようにしか有れない、有るといえない、世間。ここは、増えたり減ったり戯れる・・・・どうでもいいところかも知れません。

意識が交錯しているとき、人は、どうでもよくないところをどうでもよいとし、どうでもいいところを大事にすることが、できるでしょう。問題はその、意識のその、捉え方、流儀にあるものでしょう。この人生、人は時に選べるし、時に選べない・・・そうしたことを含めて、知らない・・・その不自由は、たぶん、問題ではないことでしょう。

ubik0101さんが、ちょっと測ってみたら・・・世界は、身長170センチ、体重57.5キログラム、胸に縦一文字の手術跡・・・(←これ、言いたくて仕方ないんですよ)畑を耕すにも、誰かと話すにも、何かを思考するにも、とても軽いのです。と。


シルクジャスミンです。

No.2715 - 2010/10/15(Fri) 01:12:52
(No Subject) / 雄大
静岡は知人が何人かいます。
温暖な気候のせいか人柄は温厚なタイプが多いような気がしますね。
住みやすそうな土地ですね。


3連休も今日で終わりですね。
自由業だから毎日休みのようなものですが、毎日仕事のような気もします。

ずいぶん旅行も行ってないです。行く気も起こらないけど。

No.2707 - 2010/10/11(Mon) 18:22:15

Re: / ubik0101&hato
たしかに、この地区の人は、あたりが柔らかいです。なんとか、だらー、とかいう言い方をしますが、それで人なつっこさを醸しだしてる感じです。そいえば、おおくの家では犬を飼ってるようです。

こちらも畑をつくったり、庭を整えたり、仕事のような休みのような毎日です。この頃の野菜の種は、なにかコーティングしてあって、鮮やかな青とか赤とかの色だったりします。とりあえず辛み大根の種とかを蒔いてみました。

ubik0101

知人が蕎麦打ちをしていて、辛み大根よろしくね!とのことです。
メダカの成長を、日々楽しんで見ていますが、数十匹中、1匹が肥満児です。えーどうしましょ。でかい。メタボ。近いうちに、大きな睡蓮鉢に移す予定なので、運動できるかな、て思っています。親といえば、きれいな色合いで、鯉のようなメダカです。

hato

辛み大根の新芽です。蒔いてから2,3日で発芽しました。

No.2708 - 2010/10/12(Tue) 09:21:44

Re: / 雄大
そうそう、だらーとか言いますよね。

商業圏が東京に近く裕福な人が多いですしね。

ところで私は法律系の仕事をしています。
開業間もないころですが先輩から、あなたの夢とか希望、理想や目標はないのですか?と質問されました。

私ははっきりありませんと答えたら驚いていました。
まあ雑感に書き込むような人たちと違って、経済的な成功や地位名誉を獲得したい人たちの集まりですから当たり前なんですけどね。

「独立した個が思考して世界に働きかけているように見えるが、それは一つの習慣化された見方にすぎず、起こる、起こる、起こる、起こる、起こる、常ならず、起こる、起こる、、、、、誰を私と呼ぶのか、どれを私と呼ぶのか、不二を伝えるためのヒントに自我を与えてくださった存在の神秘に感謝。」

No.2709 - 2010/10/12(Tue) 23:49:04

Re: / ubik0101
そ、いえば「雑感」。かなり久し振りに開いてみましたが・・・サッパて、ままかり、のことだと聞いたことがあります・・・ヘラブナ・・・静かな時も、いいもんです。 たしか雄大さんに、意識って何?て質問したこともありました。

それはともかく、この世界、完全な分離でも、完全な融合でもなく・・・ゆえに見たり聞いたり思考したり・・・知覚、できます。そこで世界に依存する自我から始めて、世界に依存しない・・・まったく知覚の範疇にない・・・自己をつくるのが世界の戦略のようです。 いい天気、すこし畝を耕します。

ふたつのつき/potanpotanさんから貰ったガジュマルです。子桜インコに齧られてたんですが、ここに来て復活しました。

No.2711 - 2010/10/13(Wed) 10:15:29

Re: / hato

> そうそう、だらーとか言いますよね。

○○だら・・・○○ら・・・○○だに・・・という語を末尾に付けるようです。茶畑に合ってる感じがしてきますよ。


そういえば雑感とか、もう長いこと見ていませんね、、。というとよく知ってるようですが、ほとんど詳しくありません。

ガジュマル。無事に育っているみたいです。こちらに来て、大きくなってきたので植え替えして貰って、のびのびとした様子です。

No.2713 - 2010/10/13(Wed) 17:30:52
(No Subject) / 雄大
無常なる対象を通じて知る、その時知る者はいない、其の時でない時でさえ者はいない、其の時、あの時はない、この場所あの場所もない、一時の現れを物象化させる時、世界と観察者が現れる。

もともとそれ自体で独立したものなどあった事などないのだ。

世界は観察者と共に現れる、どちらもそれらを超えたもの、それらと不二の一時的な現れ。それでも何か超えたものがあるわけではない。
好みと習慣から来る観方が仮初の世界を形作る

あるといえばあるよう、ないといえばないよう、、、
言葉からこぼれ落ちるものに支えられて見落とし続ける夢から覚めたくはない。

現れの意味を問わず、選ばず。
恐怖と欲望の発明品に騙し続けられるのは、体験したいという軸を残す故に。

お腹が空いたので伊勢うどんでも食べようかと冷蔵庫を探したが何もなかった。空振りした気持ちの意味を問うことなかれ。

No.2710 - 2010/10/13(Wed) 01:16:29

Re: / ubik0101
ない・・・知覚の範疇にないことを、そう呼ぶことがあります。あくまで例え話ですが、世界が回転してるのに、その音はしない、です。その、ない、が朝で、昼で、夜で、星々で、この秋の気配で・・・風はざわめき、鳥は鳴き、人は御飯を食べ、誰かと話して、思考します。

そのように、 どこかで書きましたが、超高速回転する理想エンジンは、無音、です。知覚の範疇にないことは、あるとかないとかではないけど、この日常、自我が完成して知覚が十全に機能してることを、観察者が、ない、と呼ぶようです。

また、そうならば、自分で自分を知覚できない、ということを意味します。これは実情に合うのですが、それは、あるない、の範疇にない、ということは紛らわすことはできないです。観察者が現れるのは、自分で自分を知覚できそうな気がするだけの、機能不全。ない、自我が、ある、として機能する。ではないでしょうか。

No.2712 - 2010/10/13(Wed) 15:36:03
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