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こんばんは / peer
山椒です。
私は元気ですが、山椒は夏バテしているみたいな。
紅葉しているような・・枯れかけているような。
じつは。

ベランダに出しておいたら、少し前に、
妙な青虫さんが、おりました。
小さな葉っぱの上に、葉っぱより大きく成長した
立派な青虫でした。二匹。

これは、たぶん、立派な蛾になりそうで〜
その成長を見届けたい。思いもあり。
でも、な〜んか。山椒の葉っぱも可哀そうでしょ?
こちらを優先すれば、あちらが立たない。

いゃ〜困りました。
そんなことがあってすぐに。
町を歩いていたら、花屋の店先に
なんと売り物の山椒の鉢植えが〜
これは、シンクロニシティでしょうか。
買って下さい。とばかりに。

渡りに船で。それを買い込んで。
青虫さんには、そちらに転居してもらいました。
で、頂いた山椒さんは、室内に避難してもらってと。
とりあえず。健在なトコロをパチリ。

No.2624 - 2010/09/01(Wed) 03:13:15

Re: こんばんは / ubik0101&hato

山椒につく幼虫は、通常はガでなくて、チョウかと思います。アゲハ。昔の同僚のエヌさんがよく言ってました。

「山椒はすぐ蝶が卵を産むから、庭には植えられないのよ〜・・・」

庭のどこに植えてもすぐ見つける、とけっこう憤慨してました。環境によって蛾がつく???でも、あのアパートのベランダで問題なし。近くの林の山椒も問題なかったようなので、木陰の感じが適当なのかも知れません。

hato

山椒は、強い光に当たると、葉焼けすることがあります。よくあることで、あまり問題ではないと思いますが・・・暑い夏は、明るい日陰、くらいに置くのがいいかもしれません。

ubik0101

No.2627 - 2010/09/01(Wed) 20:27:40

Re: こんばんは / peer
蛾ではなく、蝶ですか。
アゲハが生息しそうもない場所で突然みつけたので
もともとの場所から持ってきたのかと思ってました。
・・・どこから来たのやら?
いまは室内で育てているので、葉焼けは避けられそうです。
元気に育って欲しいなぁ〜と。

No.2629 - 2010/09/04(Sat) 01:58:43

Re: こんばんは / ubik0101&hato

あと何年か掛かるでしょうが、山椒が大きくなったら、春の新芽を味わって欲しいです。ところで。先祖帰りして、あんまり可愛くないテイカカズラになってしまっていた、初雪葛。ここに来て、庭に植えたら、先端が、また初雪葛になりました(写真上部)。

ubik0101

初雪葛、とてもとても可愛いです。水やりのとき、見つけると嬉しくなります。

hato

No.2630 - 2010/09/04(Sat) 10:01:19

Re: こんばんは / peer
前から感じていたんですけど
hatoさんトコの写真に登場する植物たち
とてもイイ顔をしてますね。
拝観させていただいて、嬉しいんですよ。
うん。・・・いまさら、ですが。

No.2631 - 2010/09/07(Tue) 02:41:54

Re: こんばんは / hato

こんにちは。只今パソコン教室に通い中で、日中はちょっくら都会(???)の空気(酸素と窒素)(by ubik0101)を吸いに出る今日この頃です。これから大変みたいなんですけど、いいクラスで、学生気分を楽しんでいます。

画像、そうですか?とてもよかった。こちらこそ、いつもありがとうございます。ダーリン曰く、写真写りのよい植物たち・・・な感じでしょうか。

そういえば、ここ2日ほど、夜中に家の周囲や上部を、フクロウが徘徊しているらしくて、嬉しびっくりします。丘のある平野なんですけど、餌を追ってきてるのかも知れませんね。ホーホー・・・ギャオギャオ・・・て鳴いてます。

画像は、「こっちも健在我が家の花鳥園鳥部門」です。

No.2632 - 2010/09/07(Tue) 17:39:00
みどりの庭から / hato
夏も終盤です。

古い火鉢がいくつかあったので、睡蓮を活けるといいね、と話していました。
火鉢の中の古灰を出し、空っぽにしてから、赤玉土と水を入れ、小さな草を生けました。

No.2610 - 2010/08/28(Sat) 23:55:25

Re: みどりの庭から / hato

しばらく日をおいた睡蓮の鉢に、メダカを入れてみます。車で15分の野菜市場で、可愛いメダカを見つけました。数匹のメダカが入った袋は、水温を合わせる為に、小一時間、鉢中に浸しておきます。酸素補給のために、ホテイアオイも入れてみました。

No.2611 - 2010/08/28(Sat) 23:55:59

Re: みどりの庭から / hato

メダカには、「ヒカリ」「ブラウン」「楊貴妃」と三種があり、ubik0101さんは、「ブラウン」にひかれていたけれど、ヒカリとブラウンは、すでにわりと育ってるように見えました。この楊貴妃は、とてもとても小さいのに目が大きくて、腹のピンクと橙色も愛らしかったので、決めました。たぶん雄雌揃ってるだろうとのことです。

鉢に入れてみると、素早く泳ぎ回り、さまざま確認してる様子。

餌は市販のテトラキリミン。やりすぎは禁物、といわれてるけど、よく動いてるし・・・すぐ食べちゃうし・・・難しいところです。ボウフラやミジンコは、メダカたちが来てから、見かけなくなりました。バクテリアが頑張ってるのか、水がきれいです。

No.2612 - 2010/08/28(Sat) 23:56:40

Re: みどりの庭から / hato

睡蓮の葉に、アマガエルがちょこん、と乗ったりして・・・きれいな葉。ちょっと楽しくなります。「メダカまーだ、見てるーっ、」と呆れられてしまいます。

No.2613 - 2010/08/28(Sat) 23:58:02

Re: みどりの庭から / hato

今日はダーリン二度目の(今度は簡単な、)手術から戻る日。このメダカたち、ubik0101さん不在の数日にも結構大きくなってるようです。

とにかくよく動く、溌剌陽気なお姫さまたちです。

No.2614 - 2010/08/29(Sun) 00:00:53

Re: みどりの庭から / peer
また・・・入院していたのですか。
んんんーと。体は、ひとつの宇宙ですから。
切り刻むのは、よくないような気がする。
・・・おだいじに〜

No.2615 - 2010/08/29(Sun) 02:11:34

Re: みどりの庭から / hato

自我がわるい、とか、分別がわるい、怒りがわるい、と聞きます。また、意識が目覚めて、そのときは素晴らしかったのに元に戻ってしまった・・・さらに、意識が目覚めると・・・仕事ができない、係れない・・・とまで考えられたりするようです。

そうでなく、それはその自分を、了解、或いは意識としてきちんと理解していない、されていないために、そのような状態、表現に置かれるのかも知れません。たとえば理解されていないとは、無闇に人生を生きにくくし、それほどまで苦痛なことでもあるでしょう。

それは単に、世界からなにかを削除して、素晴らしくなろうとしてる・・・そんな状態かも知れません。イカをタコにしようとしたり、タコをイカにしようとしたり・・・そんな感じかも、知れません。

たとえば悲しみ、怒りをわるいとして取り除く必要が、あるでしょうか。笑いを取り除く必要が、あるでしょうか。それなら、なにかおかしなことかも知れません。

大事を取り違えているのかも、知れません。

そうした個別なことは、探求の動機にはなり得るけれども、まずは人が根本として、自分を取り違えたままでいること、それらを含めて理解されていないことが苦痛でしょう。

またそれは、生きるなかで、処置することがあればするだけとして・・・そこには問題もないでしょう。

ふと、そんなことを考えました。
それでは、迎えに行ってきます。

No.2616 - 2010/08/29(Sun) 08:52:09

Re: みどりの庭から / peer
>意識が目覚めて、そのときは素晴らしかったのに
>元に戻ってしまった・・・さらに、意識が目覚めると
>・・・仕事ができない、係れない・・・
>とまで考えられたりするようです。


目覚めも、どこまでも深まるものでしょうね。
深めていくという作業をしないと、戻ります。
最終地点ではなく、入り口を「覗いた」程度のことですから。

悪いとか良いとかの前に
自我がある、分別がある、怒りがある。
と認めると、先に進めるのかなぁ〜って。
「ある」ということから「ない」が見えたり。
最初に「ない」があると、そこ止まり。
そんなふうに感じます。

答がない、それは〜
「ゆらぎ」のようなもので。それが生命活動そのもので〜

No.2617 - 2010/08/30(Mon) 04:38:36

Re: みどりの庭から / hato

こんにちは。毎日暑いですね、夏バテせぬようご自愛ください。
山椒の苗は元気ですか?


そうですね、
昨日ここで表現したかったことは、・・・

人は苦しみを除きたい、できるだけ避けたい・・・悲しんだり、痛んだり怒りたくない、嫌な感情を持ちたくない、ということ。生きているなら自然にそのようであることが探求、人生とは何、自分て、何だろう、と考える糧になりますね。または、この世界を生きやすくする技術、術が見出されたりするでしょう。

それで、なにかそうではないことがふと、起きて、あ、自分は苦しみや喜びに捕らわれてた自分じゃなかった・・・・と、それは、人が総じて世界としての閾値に相当してる状態として、けれどまた、折々の事情に沿って思考や感情が起きてくる・・・或いは、どうしようもない生活に追われてる・・・それを戻ってしまう、と表現する・・・そんなことも、あるのかも知れません。戻る、というのは、状態を理解されなかった故の、停滞を指す場合もあるようです。

人が目覚めて生きる、それは、痛みや苦しみ、喜びや怒り、諸々の状態が失われることではありません。なのでここで、正しい飛躍が必要、といいます。ここが理解されないと、世界の諸事情・・・その欲望、その執着・・が(問題として、)勝るのです。勝る、という意味は、あってはならない、ということではなく、本来、あってもとくに問題ではないものが問題となる、のです。素材が適材適所にあることができない、ということです。

けれど、たとえばその、生(と表現するとして、)を、傾向はあるとしても、なにか個別の状態でもって限定することはできません。こうなったら、こうなる。そうなったら、そうなる。ということを不用意に一般化することは、誤解を招きやすいでしょう。

大事なことは、意識としての自分が、それ、を了解、ことに理解できないと、人は根本的に、落ち着くことができない、ということです。これが苦しみです。変化を理解できない場合に、落ち着かなさは日々の生活を、ことさら生きにくいものにするでしょう。

それは、生老病死、この人生事態と機能から派生する何某、でない、人の、根源的な苦しみです。

この世界に人は本来、関わりながら、拘わりません。どんな状況であれ、怒りであれ、喜びも苦しみも・・・・なので正にそのとき、その状況にあり、状態であることができます。でも拘わらないのです。情けなくたって、身悶えしたって、怒ろうが騒ごうが静かであろうが、それでも、関わりながら、拘わることができません。


> 答がない、それは〜
> 「ゆらぎ」のようなもので。それが生命活動そのもので〜



この不思議。たとえばそれは、世界は決着しない、ながらにして必ず決着してる、ことがその腑に落ちてる、ということでもあります。

No.2618 - 2010/08/30(Mon) 14:26:18

Re: みどりの庭から / hato

長くなりました。

ubik0101さん、今回は早めの退院で、少々痛むようでつらいですが、話したり、朝からご飯もちゃんと食べて、庭を見廻ったり鳥と遊んだり、メダカを見て喜んだりしています。

ナナ。暑いけど頑張ろうね。
庭作業していると、嬉しいのか、労いにきてくれるのが素敵です。

No.2619 - 2010/08/30(Mon) 14:28:22

Re: みどりの庭から / 図書館閲覧者
>ubik0101さん、今回は早めの退院で、少々痛むようで


そりゃ大変!お疲れさまです。

手の打てることは、手を打って
食べるモノは、食べて
できる用心は、できる範囲でやって

そのあとは
身体のことは身体に任せてゆくしかないですね。

お互い外仕事も多そうですし
熱中症にならないよう気を付けましょう。

No.2620 - 2010/08/31(Tue) 11:18:47

Re: みどりの庭から / ubik0101&hato

ふー。たびたび心配かけてます。でも、まあ。なんだか冷房で冷えすぎた病院のベッドで寝違えたのか、それが手術よりも、辛い状態・・・というくらいで大丈夫、です。

もうすぐ冬野菜の苗を植えるための、新しい畝を作るために。hatoさんの父が手伝いに駆けつけてくれる予定です。ぜひ大好物の芽キャベツを収穫できるといいな、と思っています。

ubik“満身創痍”0101

満身創痍 ↑ て、ずーといいたくてたまらなかったんですから、大喜びなんですよ。
今回お世話になった病院、不謹慎ですが、わたしはなんか気に入ってしまって、ubik0101さんの呆れ視線をよそに、楽しく脳天気に通ってしまいました。

あとは身体に任せて・・・ほんとですね。いつも、ありがとうございます。

hato

病院食です。エビフライもありました。

No.2621 - 2010/08/31(Tue) 14:27:38

Re: みどりの庭から / のり
 こんにちは。
ひゃあ〜いろいろありますね!
私も先日、身体の反逆に遭い、死ぬ思いをしました。
たまには身体にも感謝しなくては、と通り過ぎてから
反省です。
ウビさん、程ほどに程ほどにご自愛ですね(自?)。

> 意識が目覚めて、そのときは素晴らしかったのに元に戻ってしまった・・・さらに、意識が目覚めると・・・仕事ができない、係れない・・・とまで考えられたりするようです。
 →あっ、hatoさん、これ、私かもです。
教わりました目開け瞑想をしてから六識のこの世界から透明な変な空間?に移行します。
というより最近はその空間に居る方が多いかも?です。
ずっと居て、大丈夫でしょうか?hatoさん、ずっとここに居るのでしょうか?
結構、波動が高いみたいです(品がなくって、ごめんなさい)。

> そうでなく、それはその自分を、了解、或いは意識としてきちんと理解していない、されていないために、そのような状態、表現に置かれるのかも知れません。
→ここもう少し、聞きたいです。どのように理解・了解でしょう?できましたらお願いします。

No.2622 - 2010/08/31(Tue) 15:52:10

Re: みどりの庭から / hato

こんばんは。まだまだ、暑いですね、のりさんも体調崩されたのでしょうか。充分お大事にしてください。返信、ありがとうございます。

自分はとくに、透明な世界、を意識することはありませんが、どういうわけか、それがどういうことかについての理解を得るとの感じです。
その理解・・・宙が拓かれる凝視、或いは刹那の静止、に閃き落ちながら、思考に変換し、される作業を・・・見る
、との感じです。

もし、その透明が意識されるところ、を突き抜ける、としたら、その了解は自然に訪れるかも知れません。そうしたことを忘れるほどに、突き抜けるのです。その状態が社会生活、ことに経済的なことに関わることが難しいことが、とてもよくわかります。けれどもし、人が望むなら、そこで終わりでもないようです。

探求の際は、苦痛に突っ込んでいく、ことがある程度否めないでしょう。そして、けれどこの段に於いてはまたある程度、苦痛は警告として見ることができます。

たとえば、それまでの自我、ではないものを見た。そこで社会とのギャップが大きく感じる・・感じてよいのですが、それがなにかとても不具合、苦痛であるとき、その自分(この場合は無我、)がどこかまだ、突出している、ということであるかも知れません。無我の状態に傾倒する必要が、ないよ、てことです。

自分の突出してしまう状態を理解されると・・・すなわち、無我に秀でてる状態が失われる・・・忘れ去られる・・・まですすむと、そのとき、ubik0101さんが言うところの、無自覚の知恵、となることができるでしょう。そのあれこれを忘れても、まったく大丈夫でしょう。普通に生活しながら・・・でも、以前の苦痛なままの、無知な状態でなくして、図書館さんが言うように、できることをする、・・・・との、感じでしょうか。

ここに別段、無理がないのです。できない(自分の有り様としてできない)ことには自然と、手をつける必要もない状態と、言えるでしょうか。普通、ということ。ここに不可思議が働くことができます。

このとき、世界と自己はその不思議さ、妙味を充分に披瀝しながら、人は生き、また、切磋琢磨していける状態です。

No.2623 - 2010/08/31(Tue) 21:52:44

Re: みどりの庭から / のり
hatoさん、お返事ありがとうございます。

> のりさんも体調崩されたのでしょうか。
→アハハ!ただの“こむら返り”なんです。稽古が終わってマッサージもせずにビールを呑んで一人、うたた寝態勢に入った途端、左足がつって、それが徐々に右足へ,身体中に広がって30分間悶絶、苦闘でした。足の親指の筋を伸ばすため四つん這いになり、身体は固まって動けず冷えて行くし、脂汗はダラダラ流れるし、死ぬ思いでした。
仲間達が入ってきて大笑いしながらマッサージしてくれて解放されました。アハハ!

> その理解・・・宙が拓かれる凝視、或いは刹那の静止、に閃き落ちながら、思考に変換し、される作業を・・・見る
> 、との感じです。

→ぐわぁ〜凄い表現力!センスといい迫力・気品に圧倒されてしまいます。私の文章が小学生並みなのが恥ずかしい!

>その透明が意識されるところ、を突き抜ける、としたら、その了解は自然に訪れるかも知れません。そうしたことを忘れるほどに、突き抜けるのです。
→“突き抜ける”っていいですね!やってみます!
苦痛って私にとっては最近、飛躍へのバネの感じです。これが起きないと、ボーッとして過ぎちゃう気がします。まだまだ濁りがありますね、って気づかせてくれる感じです。

>意識が目覚めて、そのときは素晴らしかったのに
>元に戻ってしまった・・・さらに、意識が目覚めると
>・・・仕事ができない、係れない・・・

→目開け瞑想を続けるうちに意識が変容して慣れるまでは時間がかかりました。その事かな?っと勝手に思ってしまいました。自分なりに理解・了解しているつもりなのですが、何も確かめる術がなく質問させて頂きました。すみません。
目開け瞑想、目医者さんでドライアイ、と診断されてしまいました〜。アハハ!
では。

No.2625 - 2010/09/01(Wed) 17:53:59

Re: みどりの庭から / hato

とんでも、ありません。こちらこそ、判りにくくなること、ごめんなさい。いつもありがとうございます。

その項での自分の投稿はどちらかといえば、意識が目覚めると、一般的に、社会生活が困難といわれることをを例として取り上げていましたが、なにより、状態を理解されることが道を拓いてくれる・・ことを表現したかったのでした。のりさん個人の現状には適切でないこともあると思います。

なにか変化があって、状態を上手く理解できず放置して、「変容すると、仕事は無理なのだ。でも周りが助けてくれるのだ。」と言うなら、変な感じです。それはまだ、自分は尋常でなく特別なのかも知れません。

素晴らしい変化、それを一旦、余すところなく、失う、ことは、とても微妙なことが多く、誰にとっても簡単ではないのでしょう。たとえば、特別、その愉悦とは、本当に危ういところがあるけれども、不思議に導くことに貢献する、大事な要素にもなり得るからでしょう。それも上手に理解されて、たとえば上記での苦痛のように、ツールとして、あることができるように思います。

生活の得手不得手に関わらず、人の変容に係る特別な状態があるとき、それは必ず、理解されて初めて、無自覚の英知に転換される、ということ。状態を突き抜けることは、理解に貢献するとの感じです。

理解し失う、突き抜ける。
尋常でない状態が理解されて・・・日常。その謎。ただの人です。

夏休みも終わりましたね。
晩から朝にかけて、すこし涼しい気配です。

No.2628 - 2010/09/02(Thu) 07:42:06
みどりの庭から / hato
毎朝、すこし草取りをします。

朝露にびっしょりと濡れた、この原っぱのそこここで、夏の虫や、カエルが跳ぶのを見ながら、草を抜きます。茎と葉と土の、濃い匂い。抜いても抜いても、どんどん生い茂る草たちもいいので、ところどころ残します。

No.2598 - 2010/08/21(Sat) 15:10:14

Re: / hato

露草の青は、この画像では表現、しきれません。別名、ほたる草。
土の状態のためか、ここは青が濃く美しく、つい見とれてしまうのです。

No.2599 - 2010/08/21(Sat) 15:11:02

Re: / hato

ありました。屁糞かずら。大きな木の木陰で、涼しげに蔦を絡ませています。まだ匂いを知りませんが、機会があったらトライしてみます。

No.2600 - 2010/08/21(Sat) 15:14:37

Re: / hato

真木(マキ)の苗木です。垣根に使われているからでしょう。庭には、独立した何本かの太い真木の木もあり、こんな小さな苗木をよく見つけます。

No.2601 - 2010/08/21(Sat) 15:15:31

Re: / hato

日本の家屋では、垣根に真木の木を使うことが多いようですが、真木は中国あたりでは貴重とされて、喜ばれるのだそうです。蜘蛛の巣がよく張っていて、払っても翌日には元に戻ります。払いは、適度にしておきます。

No.2602 - 2010/08/21(Sat) 15:18:44

Re: / hato

地面の草に張った蜘蛛の巣が、なにか上手に螺旋を巻いていました。

No.2603 - 2010/08/21(Sat) 15:20:24

Re: / hato

すこし足を延ばして、数週間そのままにしておいたあたりを見て廻ると、栗が落ちていました。

No.2604 - 2010/08/21(Sat) 15:21:51

Re: / hato

そういえば、盆を過ぎた頃から、夕暮れどきに鈴虫がひとつふたつ鳴き始め、昨晩はすでに、大勢の声音で美しく響いていました。季節の移り変わりはいつも絶妙です。

No.2605 - 2010/08/21(Sat) 15:23:13

Re: / hato

その古い栗の木のまたから、万両が生えていました。鳥か風か・・・種が運ばれてきたのでしょうか。この家にやってきた頃、ubik0101さんと一緒にみつけて、そんな不思議さを喜びました。

実(み)はまだすこし先のようですが、楽しみのひとつです。

No.2606 - 2010/08/21(Sat) 15:23:52

Re: / hato

こちら前のアパートから持ってきた、ubik0101さんがお気に入りの、大きな実のなる万両。実(み)は甘く美味しいので、こちら2名と2羽の快鳥に啄ばまれたものの、健在です。種はこの庭の土に植えてもらって、すでにいくつかの芽を吹いています。

No.2607 - 2010/08/21(Sat) 15:24:41

Re: みどりの庭から / 大阪
コチラもおばけ植物やおばけビルでいっぱいです!!

そちらもそうみたいですね!!なによりです!!


おばけの大阪より

No.2608 - 2010/08/23(Mon) 15:31:08

Re: みどりの庭から / hato

こんばんは。こちらも相当な熱気ですがそちらも暑っ!でしょうね〜、お大事にどうぞ〜・・・。

庭手入れの具合、(まああ、おばけは考えすぎ〜ですけど、)広いわりに、思ったよりも早い感じです。ふたりともバネ指にはなりましたが(泣)、不思議と、ヤレ庭作業!畑作業!な感じでもなく・・・ubik0101さんもとくに計画しませんが、その日の具合でできること・・・お茶を飲みながら、なんとなく庭を見廻ってるうちに気付いた箇所を手入れして、あとは自然に任せます。ubik0101さんは全般をとても丁寧に作業してくれますが、それでも一日2,3時間。
とりあえず、秋までの目処はつきそうかな、と、安堵な感じです。

今日は一緒にカマス、コハダを何匹か釣って、先ほど、から揚げで頂きました。軽く揚がってこれも美味でした。ubik0101さんはまたもやフグ(25センチ強)を釣って、わたしもおなかを触ってみたら、なんと柔らかい。

もう膨れたあとだったようで、ちょっとしぼみ気味です。

No.2609 - 2010/08/23(Mon) 22:32:44
世界の機能パート2 / ubik0101
その体験は起こることです。そう呼ぶならばですが、日常の意識状態から、超意識状態に、ほとんど瞬間に、変化します。どういうわけかubik0101の場合は、その始まりと、変化しつつある状態と、その完成が、自覚されました。そこでは、これまで否定してきたこと、いや、世界が総活動しています。

くり返しますが、そこで最初に見たのが、自我の仕組みでした。まず、自分があって、人は、なにか見たり聞いたり思考するのではありません。なにか見たり聞いたり思考することによって・・・予め・・・つまり時間を遡って過去に、その自分という仮の中心、自我、がつくられるのです。それは虚構です。

たったこれだけのことです。それは、この自分がなければ、どうして見たり聞いたり、思考したりできるだろう。という、あまりに明白で疑いようがない暗黙の理論を背景にしているので、もし誰かに、なにかを見たり聞いたりしてる、その自分は何?と聞かれたとしても、自問しても・・・そのことによって、その自分がつくられてるという・・・思いもよらないほど単純な仕組みかもしれません。それを見たのが、そこで与えられるとも、はじめからそうだった、だけではない、自己、です。

続きます。

No.2570 - 2010/07/29(Thu) 08:09:44

Re: 世界の機能パート2 / ubik0101
そうでなくて日常、なにかを主張したり判断したりする自分。それは、その自分がしてるのではありません。それを世界がしてくれてるのに、自分がしてると勘違いしてるだけです。とも理解できます。 そのようにして主体を誤魔化して、過剰に主張したり判断して、自分で自分を自覚できると勘違いできるだけ、とも言えるでしょう。

そういう仮の中心、自我は、世界に、つくってもらってるのです 。 どんなことだって、たとえば歩くとか泣くとか威張るとか羨ましいとか手紙を書くとか、そうできるように世界ができてなければ、自我は、できないのです。この意味でも、自我は、世界から独立した、自分、ではないです。経緯はさまざまとしても、もしかして「総ては、ひとつ」は、その範疇を出ないかもしれません。

そして。自我なら、たとえば、歌っても怒っても働いても思考しても、そのことで世界に自分をつくってもらっているのですが。そこで、自己は、おなじこと・・・たとえば、歌っても怒っても働いても思考しても・・・ほかのことをしても、世界に、自分、をつくってもらう必要がなくなります。自分で自分を自覚する必要がありません。 世界から削除されることも付け加えられることも、なにもありません。

続きます。

No.2571 - 2010/07/29(Thu) 08:26:55

Re: 世界の機能パート2 / ubik0101
その体験で、自我が虚構、ない、ということが開示されます。しかし、それは、ある、と疑ってもなかった・・・ほかの言い方では、ない、と疑ってもなかった・・・自我が、ない、というだけです。

しかし、自我が、ない、ということを、無我が、ある、と。思考に依存することによって自分を自覚したい愚かな意識が見なす可能性があります。それは一応は立場が明確なので、自我を批判したり、説明したりできるでしょう。自我、を対象にして、無我、を張ったりすることもあるでしょう。そうすることで、無我、を当然の前提として確固なことにしようとすることかもしれません。それは、無我に、同一化してるとも言えます。

たとえば、 これだけを見ては意図とは異なるでしょうが・・・これだけしか読んでませんが・・・ 至道無難(しどうぶなん)。ただ揀択(けんじゃく)を嫌(きらいます)。ただ憎愛(ぞうあい)莫(なければ)洞然(とうねん)として明白(めいはく)です。という 禅の三祖の「信心銘」の冒頭の言葉があります。

これを・・・道に至るのは難しくありません(なんでもないことが道に至ることです)。ただ、選り好みは、障害になります。ただ、好き嫌いがなければ、まったく透明な覚りの日常です・・・と、まあ訳してみます。

No.2572 - 2010/07/30(Fri) 09:19:11

Re: 世界の機能パート2 / ubik0101
しかし、 選り好みさえ、世界の機能であり、とくに問題にする必要はありません。選り好みの、あるない、を選り好みする必要はありません。執着しないに執着する必要はありません。自我さえ、世界の機能です。無我さえ世界の機能です。自我とは無我です。と、気がついてしまいます。

すると、ここで、ただ選り好みは障害です。と、いうより、たとえば 、ただ選り好みは障害です。と、思考をする・・・自我と無我が対立する無我としての立場・・・を失ってしまいます。無我からの非同一化が起こります。ここだけに限ったことではありませんが、思考が消滅します。ここで意識に依存するなら、なにか思考を見つけようとして、意味あることが見つからず、混乱してしまう可能性があります。

しかし、ただ選り好みが障害になります。という思考、その、あるない、と。まったく自我を解決して、透明な日常にある、こととは無関係です。なにかを思考しないでも、そう、なんです。なにかを思考する、思考しないで、その人の有り様が左右されるなら、変、なんです。

そのようにして、人は、思考しないでも、思考しても、無我を自覚する必要がなくなります。これは、意識が機能しながら自己が、意識に依存するものでは、ないからです。それはたとえば怒りとか悲しみとか、感情についても同様です。

続きます。

No.2573 - 2010/07/30(Fri) 09:42:20

Re: 世界の機能パート2 / さらだ
徹底的に、“ありのまま”。
この二元世界を、一元世界を生きる認識?感覚?において生きる、のようなことでしょうか。

No.2581 - 2010/08/06(Fri) 12:59:52

Re: 世界の機能パート2 / ubik0101
うーん。たとえば、思考と、その人の有り様は無関係、ということは。その概念もない、ただ“ありのまま”に生きること。と、言えないことはないです。

そんな思考をしたことがないだけかもしれませんが・・・とくに、ここを「二元世界」とは感じません。なので「一元世界」を生きる感覚、とかでも、ないです。

この透明な世界に生きながら、人は、この世界に依存しない・・・そんな機能が世界に働いてる・・・そんなことを表現したいというのが、この一連の投稿の狙いです。

No.2582 - 2010/08/06(Fri) 15:01:12

Re: 世界の機能パート2 / ubik0101
これを振り返ると・・・無我・・・それは自我は虚構、というだけのことなんですが、それも・・・なにか行動、発言、思考するにあたっての隠れた暗黙の前提になり得ます。それは、たとえば自我を対象にして、あれこれ思考して、その背景に前提とされる無我を守ってるなら、無我に囚われてて、迷いといえば迷いです。

これを同一化と呼びましたが、このように完全には同一化してないことを・・・たとえば無我という概念に同一化してることを・・・普通には、同一化と呼んでいるようです。それは完全に無我に同一化して、そこから見える思考を失うことを理解してないからかもしれません。そのように無我を体験しても、意識に依存するなら、できるはずもないのに、無我という概念に同一化したい、という可能性があるということです。

そうでなく。無我を、なにか、あれやこれやを行動、発言、思考することで、その背後にある暗黙の前提として、自覚しようとする、主張する、擁護する、必要がなくなると 無我も無自覚になります。ほかの言い方では、無我という、あるいは自我という、空想・・・概念・・・に依存する必要はありません。無我もなければ、自我もない、です。

そのためには、それぞれ人には経緯があるでしょうが・・・また決まった道筋はあるわけではないのですが・・・たとえば。無我の概念に同一化してる、つまり不完全な同一化、ということは、自我とか無我とかが何であるかを、知ってる。ということを隠れた、暗黙の、前提にしています。

しかし実際には、自我も無我も・・・その機能は働くとしても・・・それが何かを知らないのではないでしょうか。それが何か知らないのに、知ってるとして、その、自我とか無我とかの立場が成立しているのではないでしょうか。

たとえば、誰かが憎い、愛しい、羨ましい、として。その憎い、その愛しい、その羨ましいということ、それを実感するとして、それが、なんであるか、知ってる、でしょうか。知らないのに、知ってると、隠れた、暗黙の、前提にしてるから、それで軋轢や葛藤。また、その否定、肯定、に依存させられる・・・それを実は、知らない、という理解までは、それに留まることになる・・・のではないでしょうか。

続きます。

No.2583 - 2010/08/07(Sat) 07:56:51

Re: 世界の機能パート2 / ubik0101
まったく自我が自我である必要もないのに自我なのかもしれません。どんなことも、それが、それである必要もないのに、それなのではないでしょうか。また、自我が、ある。とか、ないとか。その、ある、ない、の意味さえ知らないのではないでしょうか。知らないのを知ってるとして成立してる、と見て、なお、その立場は成立しません。

これも、くり返しますが、知ってることが何かを知らず、知らないと言うことも何かを知りません。ならば、この日常が神秘です。ここに世界に隠れた、もの、こと、がありません。楽しいなら、ただ楽しい、悲しいなら、ただ悲しい。なにか思考するなら、ただ思考する。知覚が機能してるだけです。そこに不思議を見ます。

このように、そこに留まざるを得なくなってる理由を理解すると、実際に、たとえば意識に依存しない・・・自我と対立する必要のない立場に行き、ほかの風景を見ます。そして、それは、自己、という概念に同一化・・・それを隠れた、暗黙の、前提にしてることを見出すかもしれません。

この過程は、否定の道に似ていますが、とくに努力は不要です。それは、世界に乗ればいいだけです。料理したり、洗濯したり、歩いたり・・・青空や鳥や雲や空気を感じたりする・・・それだけで世界が教えてくれます。それだけの機能が透明な世界に働いています。世界は、あらゆる意味を孕んでいるゆえに無意味、透明です。

続きます。

hatoさんと今朝、川辺の散歩で見つけた、ヘクソカズラ(屁糞蔓)です。

No.2584 - 2010/08/07(Sat) 07:59:58

Re: 世界の機能パート2 / ubik0101
また、 それぞれの経緯は違うとしても、事態と認識、の理解が必要かもしれません。たとえば、幸せなら、幸せと思考しないとか、無我ならば、無我と思考しないとか、思われることもあるかもしれませんが・・・無我を無我と思考しても問題ないです。というより、はっきり無我なら思考として言葉として無我、でなくてはなりません。

まあ説明ですが、幸せなら、幸せの概念は、不要です。幸せなんです。無我なら、無我の概念は不要です。無我なんです。で、幸せなら、事態として、幸せです。それを幸せと思考、言葉として言います。無我なら、事態として、無我です。それを無我、と思考、言葉として言います。そう、だという事態を、そう、だと認識するだけです。これが、AはA、です。

ここには・・・青空と積乱雲が、蝉の鳴き声が、川を渡ってくる夏の風の匂いが・・・真実が、虚偽が・・・世界の総てが、そこに働いています。ここは世界が真善美を望んでるように感じます。

ならば、知覚とは、差の認識、です。 ほかの言い方では、自己は、自己を、自覚できない、です。 これも結局、そう、ならば、そう、と認識しても、認識しなくても、そう、です。 つまり、意識が機能しながら、意識に依存し得ません。

続きます。

ときどき晴れ間を見つけて干してる、梅干です。もう3人から、つまみ食いされて・・・とても柔らかく、いい塩梅と・・・好評です。

No.2590 - 2010/08/11(Wed) 06:55:18

Re: 世界の機能パート2 / hato

こちら瓶詰めにしたものです。

塩気が落ち着くまで半年ほど熟成させるようですが、この一粒が美味しい!紀州梅を凌ぐかしらん・・・と苦労婆うちでもっぱらの噂です。

この量で半年、もつでしょうか。。

No.2591 - 2010/08/14(Sat) 12:41:43

Re: 世界の機能パート2 / suho
>
> こちら瓶詰めにしたものです。
>
> 塩気が落ち着くまで半年ほど熟成させるようですが、この一粒が美味しい!紀州梅を凌ぐかしらん・・・と苦労婆うちでもっぱらの噂です。


お久しぶりです。
ubiさん元気回復したようで何よりです。

その梅干、とってもうまそう。。
じっと見ていたら、
口の中によだれが充満。。
暑い時には最高かもです。

No.2592 - 2010/08/15(Sun) 02:57:32

Re: 世界の機能パート2 / ubik0101&hato

suhoさん、お久しぶりです。

我が家のパブロフは、まだよだれ充満させていませんが、

そういえば少し前の夜、ubik0101さんが寝ながら何度も何度も何度も、唾をのみこんでいたので、予後がわるいのか、もしくは新手の病?と思って、おそるおそる「どしたの?」と聞いたら、「えーっ、なにが?」と目をぱちくり。見たままの状態を説明すると、「いま、梅干しのこと考えてたっ」ということで大笑いしました。
「美味しい梅干し作戦」を練っていたと、思われます。

hato

んー。梅は黄色く熟したのを選んで採って、それを家の中で追熟。とても甘い香りがするようになったら、広口ビンに塩で漬け込む。これで、2日ほどで、梅酢があがりました。

そのあと、また熟した梅を見つけて、入れたのですが・・・そうなると梅の梅酢漬け?かもしれませんが・・・とくに問題ない、でした。重石もなかったので、塩水をビニール袋に入れて使いました。梅酢が上がると、圧力が掛からず、いいかもしれません。毎日、ビンを揺すってみました。

ubik0101

これから、海に行ってきます。

No.2593 - 2010/08/15(Sun) 15:15:19

Re: 世界の機能パート2 / ubik0101
その事態と、その認識は無関係です。なので認識は・・・思考、言葉は・・・事態を正確に表現できます。AはA。それは、そう、表現しても、しなくても、そう、なのです。それを、世界の総活動が、可能にしています。

ならば、たとえば、思考、言葉が、学んだ自我、学んだ無我、を失っても、なくなるものは、なにもない、です。それは無自覚のまま機能しています。なので、というわけではないかもしれませんが・・・もともと、かもしれませんが・・・執着の必要がありません。

もしAはAでないなら、意識に依存してる、かもしれません。そうならば、それは、ほかのことで、ほかのことを説明する、ということに現れるかもしれません。そんな事例として、クリシュナムルティ関係の掲示板で見かけた「思考=時間」という表現があります。その書も読んでないので意図は分かりませんが・・・これも、その表現だけを見て・・・ ほかのことで、ほかのことを説明する事例として見てみます。

そこでは、不安や恐怖を呼ぶとされる、葛藤、軋轢、そんな意識の運動のことを命名して、思考、と呼んでるのでしょう。そして、葛藤、軋轢において、ああすればよかった、こうすればいいだろう、と空想の過去や未来に迷ってる、そのことを命名して、時間、と呼んでるのでしょう。つまり両者は、自我の機能で、おなじことです。

それを前者に「思考」と、後者に「時間」と命名して「=」で繋いでるだけです。それが何であるかはともかく、思考にしてみれば、葛藤や軋轢は、思考、と命名される正当性はないと思われます。時間にしてみれば、ああすればよかった、こうすればいいだろう、という空想は、時間、と命名される正当性はないと思われます。 それぞれ、その事態とは違う命名をしてるのではないでしょうか。なら、AはAではありません。また、自我の機能は、それだけではないです。

それに、不安や恐怖、葛藤や軋轢、ああすればよかった、こうすればいいだろう、は自我の機能としても働き得るというだけです。それで辻褄合わせに、たとえば心理的思考と、技術的思考を。心理的時間と、実際の時間を、区別したりする必要もあるのでしょう。

もちろん、そういう理解の経緯もあるのでしょうが、それなら、ほかのことで、ほかのことを説明して納得してる、変調、ということを、理解しなければなりません。それは、また、思考は、事態を正確に表現できますが・・・思考は、思考を、厳密には表現できません。不確実性が機能するようです。ということもあります。

続きます。

No.2594 - 2010/08/16(Mon) 11:07:26

Re: 世界の機能パート2 / ubik0101
それは、ともかく「思考=時間」という思考を成立させるためには、そういう自我の機能ではない、見る、聞く、思考するという・・・知覚の機能・・・を前提にしているのではないでしょうか。

それは自我が解決されたら、たとえば自分という概念なしに、知覚は機能します。葛藤や軋轢、ああすればよかった、こうすればいいだろうという空想に結びつきません。そうでない自我な有り様を「思考=時間」と、表現したのではないでしょうか。

それは、自我と、自我でないを区別してる、いわゆる分離ですが、それを度外視するとしても・・・知覚は、そういう時間の概念には囚われませんが、時間がない、とは言えません。また、自分という概念なしに、ということは、自分なし、ということでもありません。 なにかを自覚できないことを、ない、と言ったりすることはあるようですが。それは疑問です。

それは、知覚されたことは、ある、と。知覚されないことを、ない、と意識は見なすだけということかもしれません。真摯で正確、つまり素直なら・・・そのような知覚されることは、ある・・・あることは知覚される・・・ない、ことは知覚されない・・・知覚されないことは、ない・・・という知覚の大雑把な特質に依存する必要はありません。自我は虚構。とは、 ない、ことの認識です。

たとえば「思考=時間」は、あくまで、とある経緯の、ほかのことを、ほかのことで説明してる、表現、です。それは、とくになんでもないところに、理由と目的をつくってなされる思考です。事実として真に受けてはならない、です。ですが・・・どなたかクリシュナムルティに詳しい人が、本人の意図を指摘してくれれば、とは思います。

続きます。

No.2595 - 2010/08/16(Mon) 11:38:09

Re: 世界の機能パート2 / peer
>「思考=時間」は、あくまで、とある経緯の、ほかのことを、ほかのことで説明してる、表現、です。それは、とくになんでもないところに、理由と目的をつくってなされる思考です。

Kの専門家ではありませんが。
同じことを言っている。と思います。
例えば経験する。ということも時間に関係があります。
知っていることを、あらためて経験するだけで、
知らないことを経験は、しません。
知らないことは認知の外のこと、でしょうから。
例えば経験という言葉は「経過する」という意味です。
何かを経過して、それを終わらせる。
それを記憶したり保持したり持ち運ぶことではない。
それ自身の投影を体験する。。。ということになります。

No.2596 - 2010/08/19(Thu) 13:53:26

Re: 世界の機能パート2 / ubik0101
なにかと、ほかのなにかが、同じとか、違うとかいう思いで見ると、それはすでに、自分で自分の状態を理解するために投影されたこと、かもしれません。それは、そういう経験と呼ぶことができると思います。そして、たしかに、知らない、は経験とは、呼ぼうとは思いません。たとえば、認知が、なぜ認知なのかも・・・知ってることも、なぜそうなのか・・・知らないのですから、総てが、掴まえようがない、です。

ところで、たとえば。その事態と認識に差があるということは、ここではなく、どこかとか、いまではなく、いつかとか彷徨い騒ぐ・・・十全に生きてなければシュミレーション(空想)が必要なのが・・・自我の特質かも知れません。それが解決されると、事態も、思考も、「記憶したり保持したり持ち運ぶことなく」ただ過ぎて(不正確な言い方)いきます。

けど、ふつう事態も、思考も、ただ現れては去る(不正確な言い方)ので、とくに自我が解決されてる、されてない、の判別にはならないようです。また、思考の始まりは、その思考自体にあるのではなく、揺れがある・・・もしかして、総ては変化する・・・面白いです。

まあ、時間があるとかないとか言いながら、実は、世界の成り立ちというか、その仕組みを探るのだ。それは実は、これは何?という質問で、世界に生きながら世界に依存してない。ということだと、とても面白いな、と思います。

No.2597 - 2010/08/19(Thu) 23:06:36
みどりの庭から・・・ / hato
釣りによく行きます。

昨日のパパの釣果はフグづくし。
持ち帰ってみたかったのですが、やはりあぶないので海に戻しました。

こんな小ちゃなのは、初めて。

No.2585 - 2010/08/09(Mon) 09:46:54

Re: みどりの庭から・・・ / hato

マフグのようです。

No.2586 - 2010/08/09(Mon) 09:47:26

Re: みどりの庭から・・・ / hato

20センチ強あったでしょうか。こんな大きいのも初めてです。

No.2587 - 2010/08/09(Mon) 09:49:57

Re: みどりの庭から・・・ / hato

捕まれると、プーッ、と膨れます。

No.2588 - 2010/08/09(Mon) 09:50:57

Re: みどりの庭から・・・ / hato

見事な歯。これで釣り糸を噛み切ります。

No.2589 - 2010/08/09(Mon) 09:51:40
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