お久しぶりです。 遅ればせながら今年もよろしく御願いします。
え〜っと、ウビさんのヒントで始めた目開け瞑想のお陰で、なんと天の国がここにあることを発見してしまいました(驚)。何かの拍子で入ったのですが紙一重のここに、それはありました。 う〜、錯覚か?!
この数ヶ月、試して居ました。あの体験程ではありませんが、命の喜び、存在の喜びで溢れます! 御教授、ありがとうございました。 う〜、現実ってあんまり関係ないみたいですね。 まだ先がありそうです、続けてみます。
Ps, もしかして小倉太郎さんって図書館閲覧者さん?
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No.2394 - 2010/01/22(Fri) 14:36:03
| ☆ Re: / ubik0101 | | | No.2395 - 2010/01/22(Fri) 17:26:27 |
| ☆ Re: / ubik0101 | | | なんとなく静かで、とくに理由もなく楽しく嬉しい感覚・・・どうも、世界を見ながら・・・世界から見られながら・・・この見えない空白を感じてると、そのようです。これは昼の感覚。(そうでなく、料理したり、誰かと話したり、に埋没して、その見えない空白を感じてないと、普通の物語があります)。
そして、しだいに夕暮れ深くなり・・・見えない空白ではなく、まるで自分から溢れる見えない静かな闇が世界を覆って、たとえば、どこか遠くから聞こえる音が輝く光のように見えます。そう感じるまでもない幸福感があります。これは、夜の感覚。それで、昼と夜の感覚の区別を失って、さて・・・という、今日この頃です。
まあ、自分に起こったことしか言えないけれど、あの体験では、その見えない空白、まで明るくなったんです。 そんなことを思っていました。それにしても、のりさんは、凄っ。です。
ところで、小倉太郎さん?グーグル検索したら、美容師で・・・また守護霊と交信してる、小倉太郎さん、も見つかりましたが、違うと思います。
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No.2396 - 2010/01/22(Fri) 18:44:38 |
| ☆ Re: / 図書館閲覧者 | | | 一月は「往く」、二月は「逃げる」、三月は「去る」 ということで。ども。
ubikさん、のりさん、お久しぶりです。小倉太郎です。
と言っても、美容師でもないし特に守護霊とも交信してないほうの小倉太郎なんですが。 んー。いろんな太郎さんがいるんですね。
アベさんという方とやり取りしたときのGmailアドレスを「kokuratarou」にしてたもんで、その方のブログのコメント欄に書き込む時もそのままになっちゃいました。^^
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No.2397 - 2010/01/23(Sat) 10:41:24 |
| ☆ Re: / hato | | | ご無沙汰しております。
仕事も正念場の今日この頃。なのに本日、ちょっと見てみるか・・と散歩がてら、車(中古ですが)を買って、しまいました。ど、どうしましょう。大丈夫か生活??。しかし田舎で必需なのです。
まあ、なんとかなるなり。で、パブロフという可愛い犬(お気に入りぬいぐるみ、ダーリンも気に入った模様。)をシートに乗せるのが楽しみで、わくわくしています。
こちらなんというか。 相変わらず脳天気です。
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No.2398 - 2010/01/24(Sun) 22:41:46 |
| ☆ Re: / のり | | | アハハ! なるほど、見えない空白ですか!? この自分の背後から広がるその空白に天の国のようなモノを感じます。 その暖かく、うす明るい空白が無限に広がっていて、、、、目開け瞑想のお陰で空白が前方→全体に広がり全部が天の国になってしまう感じです。 現実がそれで覆われてしまいます。現実が関係ない、というか、関係なかって感じです。 そこに居ると、何でしょう、足元がグニャグニャに溶け始めて全体に融合していく感じかな? でも、アノ空間の清らかさより暖かさが強い感じです。 私も自分の感覚しか言えません。アハハ、変ですけど。
閲覧者さん:良かったです。最初、あまりに閲覧者さんのHPに似てたので盗作かな?と思ってしまいました。でも盗作も良いかな!?と思ってしまいました。アハハ! 阿部さん、覚者でしょうね。
Hatoさん 脳天気、最高です! 理想は無いのですけど、脳天気大好きです。 しっかし、本当に脳天気になりますね〜! まっ、いっか!
では、
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No.2399 - 2010/01/25(Mon) 17:50:51 |
| ☆ Re: / ubik0101 | | | それは、もう現実には依存しないってこと、なのかもしれません。自分にとっては、不思議、がそれです。それはそれとして、脳天気なhatoさんと、よだれかけが可愛いパブロフと、このまま静岡で、農天気・・・に突入する勢いです。ちょっくら、家族そろって暇をみて、開墾にきてください。畝づくりで、地獄が見れる。という話です。
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No.2400 - 2010/01/25(Mon) 21:22:16 |
| ☆ Re: / のり | | | <現実には依存しない!> 凄い!さっすがウビさん。一言でバッサリ来ますね。
<パブロフ>のネーミングも最高です。 <ちょっくら、家族そろって暇をみて、開墾にきてください。畝づくりで、地獄が見れる。> アハハ!今、子供の受験地獄を見ているトコロです。その内、縁がありましたら地獄巡りにお伺いします。
しっかし、現実って何なのでしょう!?
では、
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No.2401 - 2010/01/27(Wed) 10:57:46 |
| ☆ Re: / ubik0101 | | | >しっかし、現実って何なのでしょう!?
きゃははは、大爆笑です。 ありとあらゆること、ありとありえないことは、こう、でなくてもいいのに、こう・・・そんな現実だから・・・そこから人は飛躍する・・・ そのように触媒として機能した、ようです。
金貨のチョコレートです。
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No.2402 - 2010/01/27(Wed) 19:53:10 |
| ☆ Re: / hato | | | > しっかし、現実って何なのでしょう!?
自分にとってこの日常は、それである故の、ための、運動です。現実然り。なんとも妙味あり、趣向こらされた世界の運動。これを現実と見、それが人を鍛え、練り上げてくれるようです。
> <パブロフ>のネーミングも最高です。
でしょ?
高校時代の友達のあい子が、その頃実家にあった車の座席に座ってたこれを見てそう呼んで、そのまま、名前となりました。
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No.2403 - 2010/01/27(Wed) 21:27:57 |
| ☆ Re: / hato | | | 後ろ姿も、とても可愛いんです。
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No.2404 - 2010/01/27(Wed) 21:30:57 |
| ☆ 現実 / のり | | | > >しっかし、現実って何なのでしょう!? > きゃははは、大爆笑です。 へっ!?結構、真面目なんですが。 私の意識世界では、言い方が難しいのですが、何かに触れていても、こだわらなければ何もない。見えていても、こだわらなければ誰もいない、天の国が広がっているだけ、なのです。五感も関係なかった、っていう感じです。
Hatoさん:う〜ん、可愛い。ごめんなさい。そこまでの女性感覚には未だついていけないみたいです。
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No.2405 - 2010/01/29(Fri) 11:36:35 |
| ☆ Re: / ubik0101 | | | もし、それに埋没してるなら、人は、これは何?と問うことがない、と思います。たとえば意識に拠り所を持たなくなったら、意識って何?て疑問が起きる、と思います。
たとえば現実に縛られなくなったら現実って何?もし私に縛られなくなったら、私は誰?て疑問が起きる、と思います。
また。たとえば自我に縛られなくなって・・・それが、どう運動してるかとか、観察するのではなく・・・その自我の正体って何?て疑問が起きる、と思います。
なんであれ、これ、はこれでなくてもいいのに、これ・・・それは、なぜ?それが、のりさんの投稿で表現されたので、嬉しかった、自分が自分を見るようだった、という理由です。
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No.2406 - 2010/01/29(Fri) 12:46:00 |
| ☆ Re: / hato | | | > Hatoさん:う〜ん、可愛い。ごめんなさい。そこまでの女性感覚には未だついていけないみたいです。
No problem!です、 とてもハイなのりさん。
世界の有り様・・・なかでも感覚的な趣向は、性別に係り、また係らずそれぞれかと思います。 なにより、人、その状態の閾値によって、捉え様、世界そのものの重量感、興味対象が違うでしょう。自分はパブロフもまあまあ、いけます。
運動性・・・この世界で人は鍛え鍛えられ・・・愛は気付くともなく満ちており・・・大事・・それは意識可能ななにかではなく・・・
・・・自分にとっては、そのようです。
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No.2407 - 2010/01/29(Fri) 21:46:36 |
| ☆ Re: 現実 / のり | | | そうでうね! 縛られている部分もあるし、そうでない部分もあるようです。
> なんであれ、これ、はこれでなくてもいいのに、これ・・・それは、なぜ? 何故、そのように感じ(感覚)、そのように捉えられるのでしょう? それに何か意味があるのでしょうか?
前に言ったかもしれませんが、ウビさんの趣味が自我の研究。のように私の趣味は意識の研究なのです。意識を広げたり集中したり、レベルみたいなモノを上げたり下げたりしてます。 そうそう天の国を見つけたのは、ウビさんに導かれた目開け瞑想をしていた時です。 ちょっと汚いのですが、トイレで頑張っていた時、突然スルッと意識が現実から抜け出た感じなのです。 そうしますと現実がテレビドラマをみているようで、ドラマに入って埋没するか、天の国で幸せにいるかどちらが本当なのだろう?現実って何なのだろう? って真面目に考え始めた今日、この頃なのです。 お二人のご意見ですと、現実とは人が成長するための触媒、人を鍛えるためもの!? 機能的目的はそうなのかもしれません。私はもっと漠然と疑問を持っている感じです。
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No.2408 - 2010/02/01(Mon) 13:29:07 |
| ☆ Re: / hato | | | > > なんであれ、これ、はこれでなくてもいいのに、これ・・・それは、なぜ? > 何故、そのように感じ(感覚)、そのように捉えられるのでしょう?
> それに何か意味があるのでしょうか? > お二人のご意見ですと、現実とは人が成長するための触媒、人を鍛えるためもの!? > 機能的目的はそうなのかもしれません。私はもっと漠然と疑問を持っている感じです。
こちらまで話題に入れて頂き、ありがとうございます。
意識の閾値、との表現が適切かは判りませんが、通常捉えられてる範疇から開放されることを、たとえば人においては、自我からの開放と表現できるかと思います。それまでの自分と思うところに捕らわれた意識・・・そのままでは、範囲は限定せざるを得ず、集中させられ、捕らわれてるところでの生を意識せざるを得ないかも知れません。
けれどもここで、その限定されてる自分、というわけではなかった、と気付くことができる、ことが大切では、と思います。それが人の、経緯です。
世界の有り様、その不可知。なぜ、なのか?
その為には、世界は固定されることもなく、あるでもない、でもない不可知の有り様でなければ、人が変容、変化することは不可能だと思います。どこか固定されているとしたら、総てが稼動している、故のその了解を得ることができないのではないでしょうか。
なぜ変容なのか。不思議です。
自分が見たそれは・・・ というよりは意識不在のそれでしかないそのとき、
光輝く、でもない、かといってただ闇、ではない、あるなし・・・言い難い・・・ただ確実に、それは不明瞭、ではない。不穏、ではない。状態、と言ってよいのかわかりませんが、了解。としか表現できません。
それを意識世界で感受しようとするとき、膨大な圧縮されたそれを、そのままの精神性や身体そのままの思うところの自我、で表現することは不可能だろう、、と考えていた頃がありました。ubik0101さんがデータの解凍、との表現を使ったとき、正にその通りの言葉遣いで驚いたのです。正しく同じ感受、その言葉、で表現されていたのです。
圧縮されたそれは内容仔細に及ぶというよりは、透徹されたとの意味でボルテージが高い感じです。
そこでこの現実。
この身体も心もとても役立ってくれるのです。それは無関係、なのに、そのようにあります。
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No.2410 - 2010/02/01(Mon) 20:47:41 |
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