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思考実験 / ubik0101
あなたは、あなた自身を感じるでしょうか。わたしは、自分自身を感じることが、できません。ただ、風が吹き、鳥が鳴いています。この不思議な世界は、まるで飛び出す絵本のようです。

それは、また、眼が見ようと意図して見てるのではありません。耳が聞こうと意図して聞いてるのではありません。この明るい世界は素通しです。そこで見えない暗い身体の中に注意を向けると、呼吸、あるいは、すこしの腹痛が、知覚されます。

それで、ふと、思います。そのような世界や身体など。そのような知覚されることを、知覚することによって、この知覚されない自分は、知覚されない自分として、現れずに了解されるのではないでしょうか。もし世界が、とどまることがなく変化するのでないなら、そのようなこともないでしょう。

その、知覚にとってですが、自分は、ない、です。自覚されません。ない、のですから、たとえば、なんであれ、どうやっても、その、ない、を守ることなどできません・・・と、言う前に、ない、は失うことも、できないでのす。ない、は 創ることも、壊すことも不可能です。それが、ない、です。

それは、見るにしても、聞くにしても。苦しむにしても、楽しむにしても、怒るにしても、なにかを思考するにしても、それらは常にとどまることがなく機能しています。そのことが、その、ない、を現してるのではないでしょうか。

そして、おなじように、見るにしても、聞くにしても。苦しむにしても、楽しむにしても、怒るにしても、なにかを思考するにしても、つまり、この知覚できる、世界の裏側も、ない、です。

たぶん、続きます。

No.2439 - 2010/03/12(Fri) 09:25:45

Re: 思考実験 / ubik0101
ところで。繰り返しますが・・・自我の仕組みとは・・・自分があって、なにかを行動したり、思考したりするのではありません。なにかを行動したり、思考したりすることで・・・予め・・・そうしてる主体、中心、自分が自分と思う自分、つまり自我、が、まるで時間を遡って、仮に設定されるだけです。 その自我は虚構です。ない、です。

これは、こう、だということを、こう、だと見たことです。まあ。自分が、ない、という了解の体験は、様々なようですが。それでも、なにかが、ない、ということではなく・・・「ない」・・・というそのことは、どういう意味なんでしょう。それが明確でなくて、どうして、たとえば自分が、ない、などと言えるのでしょう。

たとえば時間が、恐怖が、執着が、葛藤が、思考が、ない、と言っても、その、ない、ってどういう意味なんでしょう。また、ある、と言っても、その、ある、というのは、どういう意味なんでしょう。

続きます。

No.2440 - 2010/03/14(Sun) 12:26:09

Re: 思考実験 / ubik0101
それが明確でなくて、なにかが、ある、ない、としても、なんとなく納得してるだけ、つまりは曖昧、または混乱かもしれません。そしてまた、たとえば自我が、時間が、恐怖が、執着が、葛藤が、思考が、どういうことか理解しなければ、それも曖昧、混乱かもしれません。

それで、なんとなく人は、知覚できることは、ある。知覚できないことは、ない。と暫定的に判断してるのかも知れません。と、すると、なにか対象を、あるない、と判断する自分は、ある、になるかもしれません。

ない、を確認したい、自覚しようとすることが、ある、になってしまうかもしれません。これは明らかに実感だとしても、あるない、の意味としては暫定的な、曖昧な判断ではないでしょうか。

hatoさん、おすすめの画像です。

続きます。

No.2441 - 2010/03/14(Sun) 12:58:19

Re: 思考実験 / ubik0101
ところで、なにかを行動したり、発言したり、思考したりする・・・ほかの言い方では、知覚、感情、思考する・・・その自分、を確認したい、自覚したい、その運動が、ほかの人との争い、つまり軋轢・・・自分との争い、つまり葛藤。それが自我、と呼ばれることがあります。

そのために、なんでもない平穏な日常に波乱、怒りや不満、興奮を起こして・・・それは心理的思考とか、葛藤とか呼ばれることもあるようですが・・・それを起こしてる、その、中心の、この俺、私、自分を自覚しようとすることです。これは自分が、 ない、なんて思っても、ない、ことで、どういうわけか、自分が、ある、として混乱してしまうことかもしれません。

そんな軋轢や葛藤は空想が原因で、つまりは自作自演の対立なので、世界との、自分との分離、とも説明されることもあります。また、分離がないなら、世界と自分は一体とか、ひとつ、とか説明されることもあります・・・けど。それだけのために、自我は機能するわけではありません。

続きます。

No.2442 - 2010/03/16(Tue) 09:20:19

Re: 思考実験 / ubik0101
また実際に、軋轢や葛藤など、あろうがなかろうが、まったく度外視して・・・花も嵐も踏み越えて・・・ひたすら自分を探求する・・・ubik0101は、そのようでしたが・・・それが人には可能です。つまり、現れた自我の機能が有問題、そういうことがなければ無問題というわけではないのです。

この世界は、そのようにして、ない、自我から、ある、自己を創ってるのです。無から有を創ってるのです。もし初めから人が自己であれば、生まれる必要さえない、です。

この、ない、が、ある、振りをすること・・・自我・・・それが、実際に、ある・・・自己・・・になる。そのために、ささいな葛藤や、軋轢や、平穏や、努力も・・・なにがなんでも命がけの怠惰や、どろどろの混乱、そして血と涙と汗の絶望も、機能します。この世界の総てが機能します。 この意味で、無駄なことなんか、なにもありません。

続きます。

No.2443 - 2010/03/16(Tue) 09:23:51

Re: 思考実験 / ubik0101
が・・・また。そのままでいいんだよ。初めから人は、ほんとうの自分です。そのことに気が付けばいいんだよ。それだから、すぐには気が付かなくてもいいんだよ。とかいう主張もあるようです。これは片方だけではカバーする領域が不足で・・・両方あっても、説明概念でしかありません。

そんなことより、人が、自己かどうか、それだけです。それは意識ではありません。どんな言い方をするとしても、純粋な意識とか、おおいなる意識の断片とかではありません。

ところで日常。とくに葛藤がなく、軋轢がなく・・・つまり平穏で、苦痛が無く、幸せでも、これが自我だという自我の機能が作動してなくても・・・自我なら、自我です。つまり無自覚でも、自我です。

もし、これが自我だと、自覚できるなら、自我でないことを、自我と判断してる可能性があります。軋轢や葛藤や苦痛や思考や恐怖など、自我の機能になり得ることを、自我と判断してる可能性があります。自我ならば、なにか問題があろうとなかろうと、自我です。それだけのことです。

そのくらい自我は掴み所がなく、根深い必要があります。でなくて、自我から解放されたら、どうして、それと自覚しないでも、自我でない、という了解ができるようになるでしょう。

続きます。

No.2444 - 2010/03/17(Wed) 13:06:45

Re: 思考実験 / ubik0101
また。たとえば、葛藤や軋轢は、既知のことだという主張があります。心理的思考は、過去であり、既知のことだという主張があります。違います。怒りや、苦痛、過去さえ、未知なのです。自我さえ、未知なのです。それ、が、そう、である必要など、まったくないです。自我が、自我である必要などないのに、自我なんです。 既知と未知の分離は妄想です。

また、たとえば命名が、問題。という意見もあるようです。たとえばそれは、怒りにしても、苦痛にしても、とくに幸せは、そのときには気が付かない、気が付くのは幸せと命名してるからで、それは幸せを自分の外に見てるから、という意見もあります。けど。そういう分離さえ、世界の機能です。執着さえ、依存さえ、倒錯さえ、世界の機能です。

そんな怒りにしても、苦痛にしても、幸せにしても、あろうがなかろうが構いません。厭うべきも、好むべきも、ありようがありません。

ほかの言い方では、そんなことによって、すでに自分が自分だと思う自分を、作ってもらう必要がありません・・・それは、そういうことに執着、依存、倒錯できなくなってるということです。

ならば、自我=無我。自我もなければ無我もない。自我もあれば、無我もある。執着しないことに執着しない。何とでも言えるのですが・・・それはなんであれ、くり返しますが、世界の機能であり、厭うべきも、好むべきもないのです。

ほかの言い方では、まったく自分の行動、発言、思考を正当化するのです。それで、行動、発言、思考が互いに矛盾せず、人は、悪を行わず、善を行います。

その日常が神秘です。そこでは、知ってることなど、なにもありません。それで問題なく、御飯を食べることも、思考することもできます。自我の研究は、趣味になり得ます。

続きます。

No.2445 - 2010/03/17(Wed) 13:24:18

Re: 思考実験 / ubik0101
たしかに自我は、さまざまな葛藤、軋轢、などとして現れやすいのです。どんな、もの、ことだって、そのために使われ得るでしょう。それは世界の断片を、そのために巻き込んでるだけでしょう。と、いうことは、どんな、もの、こと、だって・・・その現象・・・どの現象も・・・そのものとしての自我ではない。ということです。

そういう、もの、こと、を巻き込んで、ない、が、ある、振りをしてるだけです。暴風雨の中心は青空。台風の眼のようなことです。それが自我の機能です。ここからも、怒りや苦痛だけが問題というわけではなく、ただ、自我ということが、問題なら問題で。それは自己でないのに、その振りをしてる、ということが問題なだけです。ある、でない、ことが問題です。

ここで、思考実験、です。たとえば、死んだら、どうなるでしょう。私は、俺は、僕は、消えて無くなるだけです。こう答えるのは、自我です。そうです、自我は、ない、のですから、暴風雨がおさまると、ない、中心も無くなります。そう答えるしかありません。これが辛いのです。隣人が、友人が、そうしなくてもいいのに、消えて無くなるだけだからです。

続きます。

この季節ならではの、甘く上品な香りと味・・・木の芽として売ってるような葉っぱになったものとは、どこか違うと思います。 山椒の芽。あまり大きくならない間なら、枝から摘んでも、また同じ所から生えてきます。

No.2446 - 2010/03/18(Thu) 17:11:34

Re: 思考実験 / ubik0101
ああ、違うんだ。輪廻するんです。それは、なんか自分という、カタマリ、が生まれ変わり死に変わるわけではないのです・・・これは悟らなきゃわからないんだ・・・けれど、わたし達の営為が世界を変えてるんです。自業自得なんだ。そうだな・・・ここから倫理が生まれるんです。これは大変なことなんだ。 わたしは、地獄に墜ちるに決まってるんです。

そんなことを言うのは、もしかして、愚か者さん?その変わり続ける世界のどこかに子供が生まれて。たとえば・・・あちこちに熱帯低気圧が発生して、つまり、ない、が、ない、に、輪廻するんです。どの中心も、ない、ですから、輪廻するとかしないとかは無意味です。私が、ない、のに、どうやって地獄に堕ちれます?ま、きっと好々爺にはなるでしょう。

また。輪廻があるから、悪いことをせず、善いことをしよう、ではありません。 この、ただ消えて無くなるだけかもしれない、からっぽの、ただ生きてるだけの私、僕、俺、それでも、というか、それだからというか、つまり理由なく、根拠なく、悪いことをせず、善いことをするのです。これも天上天下唯我独尊、です。

では、ここで、自己、に聞いてみましょう。死んだら、どうなるでしょう?それは簡単です。ただ消えて無くなるだけです。えー。それだと自我と、おんなじじゃありませんか。うん。この同じだけど、違います。が、判らねばなりません。

続きます。

No.2447 - 2010/03/19(Fri) 21:16:26

Re: 思考実験 / peer
まあ。なんだか分かりませんが。
自我は、そういうシステムがあり、稼働するプログラム。
じゃないかなぁ〜という感じがしています。
そういう意味で、あるような、ないようなもの。
となりそうですが〜(^^)

そろそろ春ですねぇ。
・・・花粉症が、教えてくれています。

No.2448 - 2010/03/22(Mon) 00:37:49

Re: 思考実験 / ubik0101
ま。あるような、ないような、というのは、この世界で・・・半存在・・・そして自我の正体は、その中心が過去の、ただ、ぽっかりと空っぽ。ない。 って感じで、す。

それと、思考するなら、アフォリズムのような、真理の断片ではなく、それを総合的に繋げることができれば・・・とても正確な思考が必要ですが・・・見えてくることがあるし・・・この意味でも思考実験で、す。

そうですね。そろそろ春ですね。スミレ、の花が咲いています。

No.2449 - 2010/03/22(Mon) 09:47:05
俺は!パンクロッカー! / 武者小路きみまら
ハロー!目覚まし時計倶楽部の自称パンクロッカー!武者小路きみまらチュー者でーす!目覚まし時計倶楽部では!音楽を通じての社会改革運動をネット上で繰り広げていまーす!ホームページ&ブログではかなりパンクな記事を載せてまーす!フログでは!youtubeの忌野清志朗さんの動画や絵文字なんかで楽しく政治と経済を学べまーす!プレイボタンをクリックしてサ!音楽でもききながらパンクな俺の記事でも読んで下さい!興味のある人はサ!一度サイトに遊びに来てください!

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No.2435 - 2010/03/06(Sat) 23:06:51

Re: 俺は!パンクロッカー! / ubik0101
うーん。たとえば、あなたの税金は・・・に使われました。という納税者個人に対しての明細を国が発行したらいいだろう、とは思ったことがあります。

たとえば。あなたの昨年度に払った税金は、チリ地震の援助に1万円、高速道路の建設に3万円、総理大臣の給料に2万円、使われました、とか。そうすれば国民としても、税金の使われ方に関心を持てるかも知れません。

No.2436 - 2010/03/07(Sun) 20:00:03

Re: 俺は!パンクロッカー! / 大阪
パンクロッカーさん、後で見に行きますよ!!




うびさんの方法、めっちゃ良いと思いますよ!!

滞納してる分も払いたくなりますよね!!

僕らは客みたいなもんですからね、もっとちゃんと扱って欲しいです!!


どうすれば、その方法が採用されるんですかね。

No.2437 - 2010/03/08(Mon) 17:20:55

Re: 俺は!パンクロッカー! / ubik0101
たしかに政治はサービス業でしょう。ニュースなどで、政権、という言葉を聞くと、変、と思います。

それにしても、もの凄い高速コンピュータがあっても、計算は不可能かな?くらいの情報処理が必要なんでしょうけど。ただ漠然とした金額としてではなく、それぞれ個人の、たとえば5歳の青森の・・・幼稚園児とか、神戸の・・・ワーキングプアの夫婦とか、90歳の福岡の・・・お爺さんから預かった税金だと知れば、役人も、無駄なことはできないのに。と思います。

でも、隠れようなく、隠しようがなく、現れたままに、自分の行動が、そのまま自分で判る。自分の発言が、そのまま自分に聞こえる。自分の思考が、そのまま自分に知覚できる。この不思議の真っ直中を生きるなら、真摯で正確。のほかはないです。

それと。ほとんどパンクは知らないけど。プログレの「カーブド・エア」のダリル・ウエィの電気バイオリンと。ソーニア・クリスティーナの扇情的な歌声・・・それでいて5月の雨上がりの森といったロマンの探求・・・とても好きだったことを思い出して、なんか切ない愛しさを感じてしまいました。

No.2438 - 2010/03/08(Mon) 20:24:10
素直。 / ubik0101
ただ自分が嘘つきであると気が付いたら、嘘つきでなくなります。などという主張があります。そんなことは、ありません。そうでなくて。自分が嘘つきでなくなった・・・そしたら・・・嘘つきでない、と思考できます。

これは、こう、だという自分を、こう、だと思考してるだけだからです。つまり嘘つきでない、事態、を嘘つきでないと、思考、することです。それは、歩いていても、御飯を食べていても、ほかの人と話していても、嘘つきでない、事態、です。

それで、自分を嘘つきでない、と思考しないでも、まったく忘れていても、嘘つきでない、です。その思考は必要がなくなるから忘れられる、そして忘れられても事態は変わらない。とも言えます。その人は、素直、という特質を獲得しているのです。これが、AはA、です。

続きます。

No.2432 - 2010/02/25(Thu) 20:17:44

Re: 素直。 / ubik0101
そのためには、ここに世界の総てが、活動しています。ここに、なにも隠すことも、隠れることもなくあります。それは、現れたままです。見たままです。それを説明すれば、人にあっては、ありとあらゆることが、プライベートなのです。

でなければ、自分は嘘つきでない、という嘘つきもいます。これは、思考、と、事態、が違っていて。AはBです。

また、自分は嘘つきだという、嘘つきもいます。 これは、自分は嘘つきだという言葉は、AはAのようで正直だとしても、事態として嘘つきで、AはBです。くり返します。ただ自分が嘘つきであると気が付いたら、嘘つきでなくなる、などということはありません。変化が必要です。

たとえば、幼子のように素直、天真爛漫。とかいうイエス・キリストの言葉があります。それは、もともと人はそうだったんだ、ありのままでいいんだ。という意味だという主張があります。では、初めからそうだったなら、どうして、人は、天真爛漫、素直でなくなることができるのでしょう。

続きます。

No.2433 - 2010/02/25(Thu) 20:20:25

Re: 素直。 / ubik0101
それをプロパガンダとか、教育とか、社会とか、時代とか、思考とか・・・その、人、ではなく、ほか、のせいに帰着できるでしょうか。それは自覚されないにしても、その人に、そう、なる可能性があった。だから、プロパガンダや思考とかが、そう、機能したのではないでしょうか。その・・・まさに自我は可能性であり、空想する特質がありますが・・・ここの話では、AはBに、さんざん人は学ばせてもらうようにできています。

これ、がこうであることを、こう。だと思考する、そのことは、危うい天真爛漫ではなく人が、学んだことであり、危うさを否定した素直。つまり、真摯で正確だということです。AはA、そこに全世界が、活動しているのです。つまり、それは、なにかとある個別の根拠がありません。それで、初めから、そう、だったように、そう。とは言えはしますが、事実として、初めから、というのは違います。

それで、たとえば人が、嘘をつかない、約束を破らない、そんな生活をすること、そのことだけでも学ぶことがおおくあります。

No.2434 - 2010/02/25(Thu) 20:29:41
続々・現実 / ubik0101
>→偏れない?う〜ん、でも偏ってるという錯覚が起きますね。いつも世界を感じているのかな?

たとえば嘘をつくということは、なにか盗むことは・・・それは倒錯でしょうし、偏りでしょうし、自我の機能でしょうが・・・それでも、そのことは一切れの糸のような、原因や結果がある運動(部分)として機能していて、それでもそれは・・・世界の総活動(全体)・・・からは、外れようがありません。

その、 世界の総活動にあっては、善悪はありません。善悪は概念でしかない、ということです。そんなことの影として・・・だから、なんでもしてもいい、たとえば自分は正しいつもりで、善のつもりで、誤っても、悪をしてしまう、というのは自我の機能です。とても奇妙ですが、あまりに無知で愚かで、偏れないのに偏っている、そんな不可能をしてるのです。

しかし、総活動によって、自我は完成したのです。その、自我も、勝手な概念の善悪も、未完成だから、それとして機能できるのです。たとえば嘘をつかず、盗まず・・・五戒や十戒・・・を知識として知りもしないでも、完成したら、 常に「悪いことをせず、善いことをしよう」のほかは、あり得ない、です。この身の回りのことだけでも、世界の破片だとしても、それを感じていれば、偏れません。

> う〜、結構忙しいのです。サラリーマンがこう表現する、とトンデモナイところに導かれそうです。

こう、だという自分を、こう、だと表現する。ということは、形式としては、Aという事態を、そのまま正確にAと言葉で表現する、思考する、という意味です。

そうでなく、ことさらに「これは、これだ」。とか、同義反復で、なにかを主張することは・・・なにかと(それが当然の前提だから意識されなくても)比較したりして、たとえばBでないCでないとしてのA。とか。AをBとかCとかと表現する、とか、ではないでしょうか。損得が、善悪だとか、それは、果てしない混乱です。

また、Aという事態をAと思考することは、世界の総てが適切に機能してなくては不可能のようです。その思考は、その瞬間に消滅する特質があります。それは何かを食べたら、見えなくなりますが、それは血や肉になったから、というようなことです。そいえば朝、雪でした。「銀椀に雪を盛る」という誰かの言葉を思い出しました。

No.2425 - 2010/02/18(Thu) 23:22:26

Re: 続々・現実 / ubik0101
AはAについて。追伸。

たとえば「いま、ここ」。それが、いわゆる思考、概念、観念なら・・・どうやっても人は、いま、ここ、から離れられないのに、いま、ここ、などと言うのでしょう。という疑問が起きるかもしれません。

つまり、いま、ここ、にあって・・・それ自身は、それ自身を知覚できないので・・・ことさら、いま、ここ、を思考対象にするとしたら、いま、ここ、と人は分離してるので・・・AはA・・は、かなり変。それはAを言いながら、事態、としてはB?また、事実ではなく、知識で言ってる?という印象があるかもしれません。

しかし人が、いま、ここ、それが食物が血や肉になったような有り様なら、いま、ここ、と思考しても、まったく思考しないでも、いま、ここ、です。それは、たとえば、自我は虚構、にしても、中道、にしても、そうです。なにかを思考すること、思考しないことで・・・忘れていても・・・事態、が変わることはありません。それがAはAです。

ただ自分としては、いま、ここ、の提唱を、あんまり好みません。そんな経路を辿りませんでしたし・・・それゆえ傾聴するのですが・・・じゃ、なぜ、それはそれなのか?を探るからかもしれません。

ふきのとう、です。

No.2428 - 2010/02/19(Fri) 13:53:17

Re: 続々・現実 / のり
アハハ!難し過ぎて付いていけません。
ので、過剰書きです。

○う〜ん、やっぱりウビさんの言う世界は3つあるような!?
?@ 現実・現物の世界
?A ?@を越えた世界
?B ?@と?Aを合わせた世界
別所では?Aを言葉で表現できないので、“いま、ここ”という言葉を使っているのでしょう。

○昔、筏の話しがあったような?現実は筏?自我が筏?天の国に入ったら
もう必要ない?どちらにしても食物を消化して血や肉になるようになる?

○AなのかBなのか曖昧な事はないでしょうか。AであったりBであったり
 する感じがします。元々Aなのでしょうが、Bのドラマに没頭してしまうため
Aに戻ろう、いま、ここに戻ろうととするのではないでしょうか。
了解度によって違ってくるのでしょう。Aのまんまで居るにはどうしたら良いの
でしょう。

No.2429 - 2010/02/23(Tue) 10:59:54

Re: 続々・現実 / ubik0101
>○昔、筏の話しがあったような?現実は筏?自我が筏?天の国に入ったら
>もう必要ない?どちらにしても食物を消化して血や肉になるようになる?


とても激しい大河を筏で渡ったら・・・いくら愛着があっても・・・その筏を背負って歩くだろうか。それを捨てて、歩いて行くのだ・・・仏陀の言う筏・・・とは、自我です。あの、体験です。現実です。天の国です。ありとあらゆることを捨てて行くのです。もちろん、捨てることも、捨てるのです。つまりは、このままです。も、捨てるのです。

それは意図するのではないです。なにを食べよう?と迷って・・・食べてもないのに気持は満腹で・・・食べることができなければ、消化されるはずがなくて。なにかを実際に食べたら、消化しようとしなくても消化されて血や肉になるように・・・こう、である自分を、こう、だと(AをA)と、真摯に、正確に、つまり素直に見ることによって・・・そうしようとしないでも・・・食べ物が見えなくなって、血や肉になるのです。

だから、というわけではないけれど、この世界もまた、この瞬間、この瞬間、自分を捨ててる。ではないでしょうか。いま、ここ、なんて、どこにあるでしょう。いま、ここが、いま、ここに、あるでしょうか。あるいは。自分が、いま、ここ、なら、いま、ここ、がどこにも見つからないから、いまここ、とも・・・言えます。

続きます。

No.2430 - 2010/02/23(Tue) 21:41:59

Re: 続々・現実 / ubik0101
>○AなのかBなのか曖昧な事はないでしょうか。AであったりBであったり
>する感じがします。元々Aなのでしょうが、Bのドラマに没頭してしまうため
>Aに戻ろう、いま、ここに戻ろうととするのではないでしょうか。
>了解度によって違ってくるのでしょう。Aのまんまで居るにはどうしたら良いの
>でしょう。


あるいは、書を読むようなことかもしれません。文字を眼だけが追いかけていても(A)、なんだか意識は、いろんなことを空想して(B)、つまり読んでない、ということがあります。そうでなく、書を読むことは、眼も、意識も、その文字、その文字だけを追っています。いま、ここ、だって、不要です。その書を読んでる、自己、さえ失って、AはA。それで書が読めます。

あるいは車の運転が上手なら、そのように。下手なら、そのように運転すればいいです。AはA、BはB、CはCでいいです。上手なのに下手なように、下手なのに上手なように、運転するのはAはB、その事態と思考が違い、問題かもしれません。

にもかかわらず、どんなに捨てても、失なっても、なくなることは、なにもない、です。ありとあらゆることは自我の機能として使われ、どんなことも削除されることはないです。けど、もともと自我は、ない、ので。無問題です。

No.2431 - 2010/02/23(Tue) 21:56:34
(No Subject) / 匿名
日月地神示 神人タケ
(一応、日月神示 岡本天明も)

No.2426 - 2010/02/19(Fri) 01:50:15

Re: / ubik0101
うーん。どういうことか判りませんが、話をしたい?のでしょうか。
No.2427 - 2010/02/19(Fri) 08:50:07
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