ただ自分が嘘つきであると気が付いたら、嘘つきでなくなります。などという主張があります。そんなことは、ありません。そうでなくて。自分が嘘つきでなくなった・・・そしたら・・・嘘つきでない、と思考できます。
これは、こう、だという自分を、こう、だと思考してるだけだからです。つまり嘘つきでない、事態、を嘘つきでないと、思考、することです。それは、歩いていても、御飯を食べていても、ほかの人と話していても、嘘つきでない、事態、です。
それで、自分を嘘つきでない、と思考しないでも、まったく忘れていても、嘘つきでない、です。その思考は必要がなくなるから忘れられる、そして忘れられても事態は変わらない。とも言えます。その人は、素直、という特質を獲得しているのです。これが、AはA、です。
続きます。
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No.2432 - 2010/02/25(Thu) 20:17:44
| ☆ Re: 素直。 / ubik0101 | | | そのためには、ここに世界の総てが、活動しています。ここに、なにも隠すことも、隠れることもなくあります。それは、現れたままです。見たままです。それを説明すれば、人にあっては、ありとあらゆることが、プライベートなのです。
でなければ、自分は嘘つきでない、という嘘つきもいます。これは、思考、と、事態、が違っていて。AはBです。
また、自分は嘘つきだという、嘘つきもいます。 これは、自分は嘘つきだという言葉は、AはAのようで正直だとしても、事態として嘘つきで、AはBです。くり返します。ただ自分が嘘つきであると気が付いたら、嘘つきでなくなる、などということはありません。変化が必要です。
たとえば、幼子のように素直、天真爛漫。とかいうイエス・キリストの言葉があります。それは、もともと人はそうだったんだ、ありのままでいいんだ。という意味だという主張があります。では、初めからそうだったなら、どうして、人は、天真爛漫、素直でなくなることができるのでしょう。
続きます。
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No.2433 - 2010/02/25(Thu) 20:20:25 |
| ☆ Re: 素直。 / ubik0101 | | | それをプロパガンダとか、教育とか、社会とか、時代とか、思考とか・・・その、人、ではなく、ほか、のせいに帰着できるでしょうか。それは自覚されないにしても、その人に、そう、なる可能性があった。だから、プロパガンダや思考とかが、そう、機能したのではないでしょうか。その・・・まさに自我は可能性であり、空想する特質がありますが・・・ここの話では、AはBに、さんざん人は学ばせてもらうようにできています。 これ、がこうであることを、こう。だと思考する、そのことは、危うい天真爛漫ではなく人が、学んだことであり、危うさを否定した素直。つまり、真摯で正確だということです。AはA、そこに全世界が、活動しているのです。つまり、それは、なにかとある個別の根拠がありません。それで、初めから、そう、だったように、そう。とは言えはしますが、事実として、初めから、というのは違います。
それで、たとえば人が、嘘をつかない、約束を破らない、そんな生活をすること、そのことだけでも学ぶことがおおくあります。
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No.2434 - 2010/02/25(Thu) 20:29:41 |
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