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うーーむ / peer
hatoさん。

>どんなにか子は苦しいでしょう。重たいのです。疲れるのです。

〜わかりますねぇ。もう。ずっしりと重いです。
「あなたのために」なのですが
それば重々分かります。理解してます。でも重いんですよね。

この親に一生、付きまとわれて、いい年をしても
「・・・だからね」と小言を言われ続けるのか〜
それに付き合わされるのか〜と思うとゾッとしましたが。
育てられた御縁もあるし御恩もあるし・・・。
ほんとに・・・親は子の足かせ・・・。
(という面もある、ということで)

No.2152 - 2009/09/29(Tue) 01:53:45

Re: うーーむ / hato

そうですか、peerさんのお母様は、そのようだったのでしょうか。。

おそらくは、どこの家庭でも親子関係はそうなときもあり、、そうでないときもあり、、な感じでしょうが、、そのあたり過激な親というのは、お子さんは大変でしょうね。自分がなんとかしなければ子はだめになる、と信じて突き進まれるわけですから、たまらないでしょう。省みるのはまずは自分で充分なんですけど。省みても浅いんでしょう。自分を掘り起こしていなければ、当然そのようかも知れません。

子供は自己が確立されるまでは厳しいでしょうけど、、でも、世界は上手くできていますから、、学んで超えていくこともできるのではないでしょうか。

人は真摯であればなんでもいい、はずがないですね。素直でなければならない、と思うのです。

No.2154 - 2009/09/29(Tue) 22:16:02

Re: うーーむ / hato

なぜ人としての変容が必要なのでしょう。

それは明らかに、愛、正しい思いやりを得る、その、下地が整備される、ということであるように思えます。ご存じの通り、自己は愛です。その整備がされているなら、土壌が確かであるなら、生の総てに影響があるだろう、ということです。1を知れば10を知るとは、そうしたことといえるでしょう。変容。これは土壌に関わるゆえに、最終的には、ひとつひとつの局面を継ぎ接ぎしていくものではないでしょう。

変容されることは必ず、探求を凌駕します。生が証人です。自己を探求する人はまだ、その土壌を得ていない、ということです。或いは正確に理解されていない、ことも殆ど、まったくでもないが同じようです。たとえばそれは人生の場所場所において、ここらへんはまあよいけど、あのへんは殆ど不明、、な程度にあるでしょう。即ち、そういう表現ができるとして、罪を犯せる状態にある、ということでもあります。

自分の荷物を人にほどかせようとすることも、限度を超えているなら、そのようです。

自己を充分に得るなら、人は自ずからその視点、その表現、その質感が変わらざるを得ないでしょう。
なんであれ、自分がきちんと成長するほうが、人と世界のために、いいのです。

そんなことがあるようです。

No.2155 - 2009/09/29(Tue) 22:23:51

Re: うーーむ / peer
>peerさんのお母様は、そのようだったのでしょうか

ずっしりと重くのしかかってゾッとする。
これは〜今おもえば、世間を背負っていたからかな。
世間というのが、重かった・・・わけですね。

これも、子どもとして感じたことで。
大人になっての見方では、また変わりました。

子どもに憎まれても、思う事を通す。
あるいみ、自己矛盾がない。そんな母親でしたよ。
ホントに〜どれほど私の荷物を苦にせず背負ってくれたか。
どんなに愛されていたかが、大人になって分かった。
そんな感じですね。

No.2156 - 2009/09/30(Wed) 00:17:46

Re: うーーむ / peer
>自分がきちんと成長するほうが、人と世界のために、いいのです。


そのとおり・・・。
どんなに自分が世界に奉仕されているか、愛されているか。
そこに気がつかないこと、それこそが不幸なのでしょう。

No.2157 - 2009/09/30(Wed) 00:24:07

Re: うーーむ / suho
> なんであれ、自分がきちんと成長するほうが、人と世界のために、いいのです。

はい。
起きてくる事は全て自分自身ですよね。
人と世界は自身の素直な顕れとして起きています。
自分を理解し、自分に学ぶ、ということは、
起きている他者と世界が、実は自分そのものであることを、身をもって実感する、ということではないでしょうか。

例えば、他者のありようを排除したい衝動が湧いたとき、それを言葉で発散するまえに、その言葉にならない衝動とともにたたずむこともできます。そして、もしかすると、その衝動を暖かく抱きしめることさえできるかもしれません。

しんどいですけどね。。
でも、どうもそれしかない。
起きてくるあらゆるものの統合が愛と感じる今日この頃です。

ウビさん、hatoさん、お元気そうでなによりです。
しばらく、こちらに遊びにきてなかったのですが、ここ数日拝見させていただいていました。

いま、あらゆることが急速に変化していますね。
僕はこの変化を、とてもわくわくしながら楽しんで過ごしています。

No.2158 - 2009/09/30(Wed) 00:32:04

Re: うーーむ / ubik0101
suhoさん、ひさしぶりです。そういえば、愚さんから聞いた話ですが・・・たとえば自転車、たとえばテーブル。花。これが、バラバラに独立して見えて、空間がそれを隔ててる。そう感じるのが、自我の特性らしいのです。

たぶん、なにかを対象にすることで、その見てる聞いてる触ってる、その中心が設定されるので。それぞれのもの、ことに自分なりの、所有とか、守りたいとか、過去の経験とか、の意味をつける必要があるなら、それぞれの対象も、それを対象にする中心も・・・世界と。また、ほかの人と。また自分と・・・分離された個別なこととして感じる、のかもしれないと思いました。

そうでなく、自我でないなら、まず空間。そこに、たとえば自転車、テーブル、花。などが配置されてる。しかも総てが隔てがない繋がってる関係で・・・空間と物質も、調和、親和して感じられるようです。

これはそれぞれ個別の、もの、ことに、執着できない、拘る必要がないと・・・世界の総体が対象だから、それを見ることは、やはり中心が設定されるとしても、そこに個別、分離、ということが必要なく・・・そのように見えるのではないかと思いました。

ところで自分は。やはり地面の裏、ビルや山の裏のように、知覚されないところは・・・なく・・・それを空想で補わないからかもしれないと勝手に思うのですが・・・世界は、飛び出す絵本のようです。そこを歩いて見てる自分の裏も知覚されません。あっちの裏と、こっちの裏の間には切れ目がないです。

これはこれで。現実感がないというのではなく、緑の岡の道を歩くと、重力波のような力を。よく繁った林は、圧倒的な生命感が伝わってきて、そう反応してることを楽しめます・・・「荒海や佐渡によこたう天の川」・・・そして誰かの家の庭の樹に、その知覚に、我を忘れるようです。

その知覚があると言うことは、完全には世界と一体でない・・・融合ではない、分離でもない・・・ことで、それが面白いのかもしれません。そういえば。この山荘のようなアパートの周囲でも、落ち葉が始まりました。

No.2159 - 2009/09/30(Wed) 11:52:25

Re: うーーむ / suho
>そういえば。この山荘のようなアパートの周囲でも、落ち葉が始まりました。

この季節、湿度の具合といい、空の青の濃さといい、風の肌触りといい、爽やかなのに郷愁が感じられたり、なんともいえず美しいですね。
特に、空の青の深み。思わず「ああ まるごと吸い込まれてぇー」の衝動にかられます。

ウビさんお元気で。

No.2160 - 2009/09/30(Wed) 14:05:57

Re: うーーむ / ubik0101
うん。では、そのうち、きっと。
No.2161 - 2009/09/30(Wed) 14:25:42

Re: うーーむ / hato

> これも、子どもとして感じたことで。
> 大人になっての見方では、また変わりました。
>
> 子どもに憎まれても、思う事を通す。
> あるいみ、自己矛盾がない。そんな母親でしたよ。
> ホントに〜どれほど私の荷物を苦にせず背負ってくれたか。
> どんなに愛されていたかが、大人になって分かった。
> そんな感じですね。


peerさんはご自身の成長によって、克服されたのではないかな、と思いますね。
わたしも両親には感謝しか、ないんです。今も健在ですし、母は会えばケンカもしますけど、いてくれることが嬉しい、だけですね。本当に出来る限り尽くして貰ったんです。

子がそれ自身によって、基盤に変化を起こさない限り、人は自分で気付かれなくても親の影響、それまでの習性を踏襲しているかも知れません。嫌でもそっくり、なんでしょう。もちろん変化したって、たとえば肉親という意味で受け継がれてるものはあるでしょう。けど、むやみに成長を妨げる因子は自然に、失われているのでは・・と思います。

>そのとおり・・・。
>どんなに自分が世界に奉仕されているか、愛されているか。
>そこに気がつかないこと、それこそが不幸なのでしょう。



ほんとうですね。

No.2162 - 2009/09/30(Wed) 21:33:13

Re: うーーむ / hato

suhoさん、こんにちは。お久しぶりですね。

そうですね、

たとえば自分にとって世界は、ただ他者と世界が自分そのものでも、、起きてくる事がただすべて自分自身、でも、、ないようです。なので学ぶ、ことがあるようです。とくに自我を張る必要もありませんが、無我を張る必要もない、、感じです。世界は、不思議・・不可知な様相に見えながら、人の成長を助ける・・との理解があるようです。


そうですね、そして、

たとえば罵倒すること、揶揄することがあったとしましょう。自分はするとして真剣に、そうするでしょう。

人が高校で3年間学び合いました。とても素晴らしい分かち合いがあり、お気に入りの教師、ケンカ仲間がいたとしましょう。もう充分、基礎を学んだとして、大学、社会でも・・次に行かずにそのまま留まったらどうでしょう。世界はなんでもどうでもありとしても、、仲間や先生は、次のステップにいくといいよ、いつでも来られるんだから、まずはやってみようよ、と言うでしょう。

こうした学びについては、最終的には、もし人が本気であればですが、未知に導いて貰うでしょう。不思議といってもいいでしょう。でもたとえば皆と話さずひとりで社会に孤独にいても、真剣でなければ、あまり意味はないでしょう。真剣真摯でなければ、それと対峙することができないでしょう。

そして尚それもまた、いいでしょう。

この小さなアパートで、二度目の秋を迎えます。ささやかに嬉しいのです。道ばたにコスモスが咲き、木々には多くの実がなっています。画像は江ノ島、鳶です。

No.2163 - 2009/09/30(Wed) 22:01:24

Re: うーーむ / suho
hatoさん

> そして尚それもまた、いいでしょう。

互いの世界が交わることが、成長かもしれないと感じました。

> この小さなアパートで、二度目の秋を迎えます。ささやかに嬉しいのです。道ばたにコスモスが咲き、木々には多くの実がなっています。

いいですねー。コスモス、好きなんですよね。
力みなくみんなでパッと開いてさらさらとゆれている感じが。

ありがとうございました。
おじゃましました。

hatoさんもお元気で

No.2164 - 2009/09/30(Wed) 22:20:33

Re: うーーむ / hato

こちらこそ、ありがとうございます。

来年は、たぶん、静岡かな・・と思っています。
ぜひ、ご家族でお越し下さい。
美味しい魚料理、及び農作業・・を交えてお待ちしております。。。

No.2165 - 2009/09/30(Wed) 22:30:27

Re: うーーむ / peer
>peerさんはご自身の成長によって、克服されたのではないかな、と思いますね。

まっ。自然にそうなったような気もします。
順調な発達が行われた・・・と・。
子供って、その時その時が100パーセントでして。
いわば、いいおっぱいと悪いおっぱいがある。と思ってしまう。
今、満足させてくれるか、くれないか。それだけ。
怒られたら鬼だと思うし、優しくされたら聖母だと思う。

究極は・・・相手を心底、信じることが出来るか。
ということじゃないかしらん。
鬼がいるわけでもない、聖母がいるわけでもない。
だから。全部が、自分なのよ、ね。

No.2166 - 2009/10/01(Thu) 01:07:38

Re: うーーむ / hato

> 究極は・・・相手を心底、信じることが出来るか。
> ということじゃないかしらん。
> 鬼がいるわけでもない、聖母がいるわけでもない。
> だから。全部が、自分なのよ、ね。



遅くなりましてこんばんは。
peerさんにというよりはここは念のために、

人はただ自我、でもなく、ただ無我、でもない、世界に無関係に関係する不可知な、、なにか、ということが大事かな、と思いますね。たとえば愛は、人の自我無我に無関係に関係する、といえるでしょう。

子供からの捉え方は置いておくとして、

全部が自分、というのは言葉通りで言うなら、少々おおざっぱな感じです。起きてること総て、世界の事象やなにやかやが、自分が感知できるのだから自分にあるものだ、として、またはそうした深い体験があったとして、たとえば人として、人生での折々に必要な位置をとれないとしたら、偏重があるでしょう。すべてはひとつ、その意味でそれは片寄りです。たとえば、愛はただ堪え忍ぶ、、ことでもないのです。

偏りなく見るなら、世界は折々に世界の事象として起きており、他人は正常に他人であり、(あるとして)鬼は鬼であり、自分は折々に自分である、だけです。自我無我、とくに問題がありません。そのとき自他の事象はむやみに混同されることもなく、かといってとくに隔てる必要もなく、正常に世界を生きるでしょう。

そうではなく、この世界で、自分、というところを使って 了解 できる。世界は触媒としてある、との意味で、総てが自己を学ぶこととしてある、、、たとえばこの不可知、というところを、人は自分で理解することができる、との意味ならば、全部が自分(で了解する)、そう表現できそうです。それは経。縦方向の意図、と言えるでしょう。本質に直結する理解となります。

関係性とは基本的に横方向に働いています。人が世界での関わりのみに意識を偏重させて、そこだけでの理解に留まると、世界はひとつ、その意味での、全部が自分、になるかも知れません。それはとても美しいけれど、それだけでは片寄りです。

それぞれの道のりを歩んでいるそれぞれ、があって構わないのですね。それが世界の有り様として了解されていればいいだけです。そこに分かち合う時がある、というので充分にいいでしょう。

No.2167 - 2009/10/02(Fri) 01:08:54

Re: うーーむ / suho
>それぞれの道のりを歩んでいるそれぞれ、があって構わないのですね。それが世界の有り様として了解されていればいいだけです。そこに分かち合う時がある、というので充分にいいでしょう。

そうそう。世界の捉え方の違いを論じることは、個々の成長にとってほとんど意味がありませんね。
大切なのは、自分がその世界を使って、どこまで自分のありようを正確に理解できるか、そして、どう生きるのか?どんな響きを奏で、どんな実(世界)を創造したいのか?
これにつきると感じます。
自覚しているかしていないかに関わらず、個々の心の本当の響きに共鳴した出来事が正確に起こってきます。善いも悪いも。
それは絶対に隠せません。
世界(現象)は休まずに、無条件に、忠実に、個々の目前で、個々の響きを正確に現象化し続けます。

No.2169 - 2009/10/02(Fri) 09:03:36

Re: うーーむ / hato

> >それぞれの道のりを歩んでいるそれぞれ、があって構わないのですね。それが世界の有り様として了解されていればいいだけです。そこに分かち合う時がある、というので充分にいいでしょう。
>
> そうそう。世界の捉え方の違いを論じることは、個々の成長にとってほとんど意味がありませんね。



なんであれ学ぶという点では、意味があるかどうかはその人の状態、指向によるでしょう。分かち合うこととは端的に、人が世界としてそれをどう見てるか、関わっているか、だけと言えます。

どうとでも取り替え可能な事象の内容についてなら、確かに、成長とその理解に至らず、あまり意味がないかも知れません。けれど物事の形式、即ち、世界の仕組みとの観点から分かち合うなら、そうでもありません。人が意識に正確に理解させる必要があるなら、明確になる場合があるでしょう。


> 大切なのは、自分がその世界を使って、どこまで自分のありようを正確に理解できるか、そして、どう生きるのか?どんな響きを奏で、どんな実(世界)を創造したいのか?
> これにつきると感じます。



そうですね、
自分にとってはまず、どうこうしたい、というものがとくにありません。ubik0101さんが話してるように、どちらかといえば世界はびっくり箱系かも知れません。もちろん、関わる世界、たとえばですが、肉体というものがあり、折々に心が発生し、あらゆる事象を味わい、自ずと発動されながらそれを見ることができます。


> 自覚しているかしていないかに関わらず、個々の心の本当の響きに共鳴した出来事が正確に起こってきます。善いも悪いも。
> それは絶対に隠せません。
> 世界(現象)は休まずに、無条件に、忠実に、個々の目前で、個々の響きを正確に現象化し続けます。



suhoさん。なにか、あったのでしょうか。

心。それも、とくに持続してある、ともいえず、ない、ともいうことができません。持続してある、にのみ依る場合には、いわゆる因果的に世界を解釈することができるでしょう。その意味での因果、的に説明することが理解に繋がる場合があると思います。

自分にとってそうしたことは、常にどちらでもあり、どうでもない、、ただ不思議、です。

No.2170 - 2009/10/02(Fri) 22:10:53

Re: うーーむ / suho
どんなところにも偏りのない「不思議」「中庸」。
という概念をエスケープゾーンにしていませんか?
そこは最強の安全地帯と感じます。

だってすべては偏りであり、答えがない、
が答えの世界ですから。

なにがあっても何を言われても
「逃げきれる世界」ですよ。

疲れが癒えたら、出たほうがいい世界と感じます。

No.2171 - 2009/10/03(Sat) 08:49:42

Re: うーーむ / hato

安全地帯、とは一体、誰にとっての、なんでしょう。

誰もがまずは、そこにいるしかないでしょう。その上で、起きてくることを生きる、ことがあるようです。そのような意味で逃げきれる世界、を自分は知りません。

こうしたことは、頭だけで理解できることではないでしょう。

No.2173 - 2009/10/03(Sat) 15:17:50

Re: うーーむ / suho
> 安全地帯、とは一体、誰にとっての、なんでしょう。

はい。hatoさんが安心していられる世界観です。
安心の後ろ盾です。

> 誰もがまずは、そこにいるしかないでしょう。その上で、起きてくることを生きる、ことがあるようです。そのような意味で逃げきれる世界、を自分は知りません。

はい。未知はまだまだあります。

> こうしたことは、頭だけで理解できることではないでしょう。

全くです。
本だけで世界を知ることができないように。
まずは沸き上がるもの「全て」に、頭なしに、反れることなしに、発散することなしに、向き合うことも必要です。

No.2175 - 2009/10/03(Sat) 17:33:14

Re: うーーむ / hato

未知はまだまだある・・ない・・そうしたことではありません。

一度でもそれに対峙したなら、未知をエスケープゾーン、と言うことはできないでしょう。安心不安、ありとあらゆるなにか総てを孕みながら・・未知。でしか、ないでしょう。

そして理解することは自ずと起きてくるだけでしょう。誠に不思議、でしょう。生が起こり、そして尚この未知の生を生きるでしょう。

そうですね、
自分として端的に言えば、仕事が忙しい、そんな感じです。

No.2176 - 2009/10/03(Sat) 20:44:30
(No Subject) / ubik0101
>「苦しみは、苦しみでなくてもいいのに苦しみである」のか、「苦しみは、苦しみでなければならないから苦しみである」のかは、わからないのじゃありませんか?
>もう少し、説明してください。
>「悲しみは、悲しみでなくてもいいのに悲しみである」ということ。例えは何でもいいですが。
>「悲しみでなくてもいいのに」と言えるのかどうか。


なんであれ、そう、でなくてもいいのに、そう、です。ということは、そう、ある特定の原因が、ない、ということです。たとえば、なにかの出来事が原因になって、喜びが生起するとしても・・・その喜びは、ただ喜びです。喜びが、喜びである必然性が、ない、ということです。

たとえば同じ出来事に、喜びではなく、怒りを感じたとしても。それならば・・・その怒りは特定の出来事が原因とは言えず・・・また、その怒りが、怒りである原因も、ほかには、ない、ということです。

そして。 なんであれ、そうでなければならないから、そう、であるとしても、その特定の原因が、ある、となんとなく思われても、それを知り得ないという意味では、それを探る人にとっては、原因が、ない、と等価ではないでしょうか。 もっと、簡単には、それを知覚する、しないに関わらず、隠れた根が、ない、ということです。

それで。なんであれ、そう、でなくてもいいのに、そう、です。ということは この世界が、こう、でなくてもいいのに、こう、です。そんな、この世界の不思議を目前にしての実感の表現です。その意味でなら・・・そう、でなくてもいいのに、そう、も。そう、でなければならないから、そう。と言っても、言い尽くしてはないのかもしれません。

そのような名前のつけられないこと、言葉で表現できないことに、言葉は、名前を付けてる、表現してるだけでもあります。 それは、ほかの表現もあり得るでしょう。そんな表現された思考を検討しつくすことは、とても役に立つのですが・・・それよりも主題は、目前の不思議を見てる、そのこと、です。

たとえば、無常と誰かが言ったら・・・その類似なこと、無常でないということ、無関係なこと、そんな事実の有無とかを検討することはできます。

けれど、要点は、それではありません。無常ということは、人が、欲望から解放された。という表明です。もし、探求するのであれば・・・無常とか、無常でないとか、いうことよりも・・・そのような人の有り様です。

それは、この自分、この自分の、あるとして、それだけの問題を解決さえすれば、いいんです。自分のことは自分でしなければならない・・・逆に言うとしてですが・・・それだけでいいのです。イエス・キリスト「わたしの十字架は軽いのです」。

八景島、シーパラダイスの、ジェットコースターです。

No.2127 - 2009/09/24(Thu) 10:26:36

Re: / ルー
私の問題として、「悲しみでなくてもいいのに、そう、である」ということは、ひっかかりではない。
ですので、そのことは考えなくてもいいということでしょうか。
そういう意味なら、わかりますよ。

「一切が無常である」ということも、私は、ひっかかりありません。当然のことです。
ですので、考えなくてもいいでしょう。

No.2128 - 2009/09/24(Thu) 12:05:25

Re: / ルー
「すべてが、不思議」というわけではないので、不思議なことが不思議として存在する、という感じです。
No.2129 - 2009/09/24(Thu) 12:08:02

Re: / ルー
うびさんの目の前には、不思議がいっぱいなのですかぁ?
No.2130 - 2009/09/24(Thu) 12:14:59

Re: / ルー
まぁ、人のことはほっとけってことかな。

夫婦の意見は一致しているようですね。

No.2131 - 2009/09/24(Thu) 12:27:47

Re: / peer
>イエス・キリスト「わたしの十字架は軽いのです」。

勘違いしそうな言葉ですね〜。
自分のできること、自分の範囲を処理するだけなら「軽い」のです。
人に十字架を背負ってもらおうとしたら、とたんに〜重くなる。
また、人の十字架を背負っていると思ったら、重い。かな〜と。

No.2132 - 2009/09/24(Thu) 14:12:02

Re: / ubik0101
>うびさんの目の前には、不思議がいっぱいなのですかぁ?

なにか、ふつうの日常があって、なにか滅多にない?不思議なことがあるのではありません。また。いっぱい、不思議があるのではありません。ときに鳴いてる蝉、秋風、木漏れ日、言葉、呼吸、自分・・・ふつうの日常・・・なぜ、これは、こう、なのか?と、それ、に問うてみてください・・・総てが、不思議で、ない、ことが、ない、です。

>まぁ、人のことはほっとけってことかな。

と、言うまでもなく。 あれこれ日常茶飯事の人間関係の軋轢とか平穏とかではなく、その自分、その自分は何?この問題を解決さえすれば・・・自我の完成・・・世界は人を、安息日の主にする役目を果たすのです。そして、歓喜状態にある、世界を、見せてくれるんです。 そんな意味です。

No.2133 - 2009/09/25(Fri) 08:55:28

Re: / ubik0101
>勘違いしそうな言葉ですね〜。
>自分のできること、自分の範囲を処理するだけなら「軽い」のです。
>人に十字架を背負ってもらおうとしたら、とたんに〜重くなる。
>また、人の十字架を背負っていると思ったら、重い。かな〜と。


そうです。言葉として、その意味内容が、まだ意識されないとしても、すでに意識されてるとしても、解ってる人には、たとえば「わたしの十字架は軽いのです」で、誤解されることなく、そのまま伝わります。

そうでない人には、どうやっても、誤解するしかできないかもしれません。これも、あれこれ日常茶飯事の人間関係の軋轢とか平穏とかではなく、その自分、その自分、の問題の意味です。

八景島、シーパラダイスの、メリーゴーラウンドです。

No.2134 - 2009/09/25(Fri) 09:13:03

Re: / ルー
> >うびさんの目の前には、不思議がいっぱいなのですかぁ?
>
> なにか、ふつうの日常があって、なにか滅多にない?不思議なことがあるのではありません。また。いっぱい、不思議があるのではありません。ときに鳴いてる蝉、秋風、木漏れ日、言葉、呼吸、自分・・・ふつうの日常・・・なぜ、これは、こう、なのか?と、それ、に問うてみてください・・・総てが、不思議で、ない、ことが、ない、です。


それが、「こうでなくてもいいのに、こうである」という不思議に行き着く、という理解でいいですか?

No.2135 - 2009/09/25(Fri) 09:21:08

Re: / ubik0101

> それが、「こうでなくてもいいのに、こうである」という不思議に行き着く、という理解でいいですか?

そうです。

No.2136 - 2009/09/25(Fri) 09:26:40

Re: / ルー
自分についても、「こうでなくてもいのに、こうであるのは何故か?」という路線で問うてみるという理解でいいですか?

もう特に問題を感じませんが。

世界が歓喜状態にあるって、それは私には奇異なことに思えます。
しかし、特に問題を感じません。

では、そういうことで。

イエスキリストの言葉は、自分なりに解釈せず、正しい解説に沿って理解した方がいいでしょう。
「私の十字架は軽い」というのは、神と共に歩むなら、荷物は軽い。今日一日分の荷物を背負うのなら軽い」という意味でしょう。自分の荷物だけでよい、という意味ではないし、他の人に背負わせようとしたら重いとかいう意味は無いでしょう。

No.2137 - 2009/09/25(Fri) 09:31:10

Re: / ubik0101
> 自分についても、「こうでなくてもいのに、こうであるのは何故か?」という路線で問うてみるという理解でいいですか?

そうです。ただ、それは、その人が、この不思議を生きてる、かどうか?ということでもあるので。まず、試してみましょう。

No.2138 - 2009/09/25(Fri) 09:35:31

Re: / ルー
そりゃあ、「このキノコはおっぱいの形をしていなくてもいいのに、何故おっぱいの形をしているのか」という不思議を生きることはあります。
しかし、子供がゲームばかりをしているのを見て、「この子はゲームばかりをしていなくてもいいのに、何故ゲームばかりをしているのか」というのは「不思議」ではなくて、原因があると思うんですよね。

No.2139 - 2009/09/25(Fri) 10:07:00

Re: / ルー
それから、世の中には飢えで死んでいく人もたくさんいるのに、また、家庭内で虐待を受け苦しんでいる命があるのに、ということを考えると、世界が歓喜しているなんて思えないんです。
No.2140 - 2009/09/25(Fri) 10:08:42

Re: / peer
>「こうでなくてもいのに、こうであるのは何故か?」

これは「こうだ」と知っていると、思い込んでいるだけで
じつは、何も知らない。。ということに、突き当たる。
それが不思議という言葉で表現されているんでしょう。
本当に知っているんでしょうか?って。
まったく。自分で自分すら知らない。
「なぜ、自分は自分なのか・・」
「なぜ、これはこうなのか」
「なぜ」と問うてみたら、この世の中。
知らないことばかり。分かっていないことばかり。

No.2141 - 2009/09/25(Fri) 10:19:06

Re: / peer
>イエスキリストの言葉は、自分なりに解釈せず、正しい解説に沿って理解した方がいいでしょう。
>「私の十字架は軽い」というのは、神と共に歩むなら、荷物は軽い。今日一日分の荷物を背負うのなら軽い」という意味でしょう。自分の荷物だけでよい、という意味ではないし、他の人に背負わせようとしたら重いとかいう意味は無いでしょう。


この解釈は、キリスト教が布教するために、都合良く
イエスの言葉を、上手く利用・解釈したものです。
神様とともに歩みましょう。そうであれば、神様が
あなたの、背負ったものを、背負ってくれる。と。

まっ。じっさい。その解釈でもイイんですけどね。
そうであれば、飢えて苦しむ人も、神が救ってくれる。
虐待されている子供も、神が背負ってくれる。
だから、あなたは、何も心配することは、ありません。
・・・ということに、なりそうですね。
「神は、その人に背負えるものしか、与えない」
というのも、ありますか。すべては神の計らい。と。

No.2142 - 2009/09/25(Fri) 10:28:05

Re: / ubik0101
>しかし、子供がゲームばかりをしているのを見て、「この子はゲームばかりをしていなくてもいいのに、何故ゲームばかりをしているのか」というのは「不思議」ではなくて、原因があると思うんですよね。

たとえばゲームは楽しいから・・・では。なぜ、楽しさは、楽しさなんでしょう。また一般的に考えるとして、とあるもの、ことの原因を、ほかのもの、ことに求めても、辿り着く、初めの原因が見つかるのでしょうか。そして、その、もの、こと、その事態そのもの、の裏に求めても、原因が見つかるのでしょうか。

もし見つかったとしても、それは、とりあえずは人の勝手な判断であり・・・それを見つけるのは、いわゆる分離した中心ということもあり得るでしょう。いや。それを見つけると、いわゆる中心が仮定されるのではないでしょうか。そして。それさえも可能で。このように世界はなくてもいいのに、このよう、ではないでしょうか。

>それから、世の中には飢えで死んでいく人もたくさんいるのに、また、家庭内で虐待を受け苦しんでいる命があるのに、ということを考えると、世界が歓喜しているなんて思えないんです。

たとえば、ですけど。昇る木馬も、降りる木馬になり、また、ほかの木馬も昇り降り・・・楽しそうに回転しながら、乗ってる人が歓声を上げます。どのようであれ、見るも聞くも触るも、喜びも悲しみも、否定も肯定も、すべてが完全に活動してる、世界の運動・・・それが歓喜、です。あんまり関係ないかもしれませんが。ここに、いる、だけで、狂ってないなら、幸せでしょう。そして、なぜか狂うことさえできる。驚嘆すべきことに思えます。

そのように。なんでもあり、にもかかわらず・・・そう、でなくてもいいのに、そう、な世界。そうだからこそ、言い方はともかく、人を成長させる、飛躍させる、変容させる、ことができるのではないでしょうか。もしなにか、こうでなくてはならない、だけの世界なら、それは不可能ではないでしょうか。

No.2143 - 2009/09/26(Sat) 10:08:57

Re: / ubik0101
>これは「こうだ」と知っていると、思い込んでいるだけで
>じつは、何も知らない。。ということに、突き当たる。
>それが不思議という言葉で表現されているんでしょう。
>本当に知っているんでしょうか?って。
>まったく。自分で自分すら知らない。
>「なぜ、自分は自分なのか・・」
>「なぜ、これはこうなのか」
>「なぜ」と問うてみたら、この世の中。
>知らないことばかり。分かっていないことばかり。


そうです。 それで。知ってるということも、なにかを知りません。知らない、ということも、なにかを知りません。です。

なにか思考とか、過去とか、いわゆる既知と呼ばれることの外に未知があるわけでなく、その既知も、まったく未知です。

そんなことも含めて、どう分類するかはともかく、物質が、身体が、感覚(知覚)が、感情が、思考が、こう、でなくていいのに、こう、です。それを不思議、と呼びます。

No.2144 - 2009/09/26(Sat) 10:19:56

Re: / ルー
> たとえばゲームは楽しいから・・・では。なぜ、楽しさは、楽しさなんでしょう。また一般的に考えるとして、とあるもの、ことの原因を、ほかのもの、ことに求めても、辿り着く、初めの原因が見つかるのでしょうか。そして、その、もの、こと、その事態そのもの、の裏に求めても、原因が見つかるのでしょうか。
>
> もし見つかったとしても、それは、とりあえずは人の勝手な判断であり・・・それを見つけるのは、いわゆる分離した中心ということもあり得るでしょう。いや。それを見つけると、いわゆる中心が仮定されるのではないでしょうか。そして。それさえも可能で。このように世界はなくてもいいのに、このよう、ではないでしょうか。


考えてもしかたのない問題と、どうにかせねばならない問題とがあるのではないでしょうか。

No.2145 - 2009/09/26(Sat) 11:33:53

Re: / ubik0101
それを決めるのも、妨げるのも、ほかの人ではなく、その本人しかいないのでは、ないでしょうか。
No.2146 - 2009/09/27(Sun) 12:00:55

Re: / ルー
子供の場合は、親の仕事です。
No.2147 - 2009/09/27(Sun) 13:23:12

Re: / ubik0101
>子供の場合は、親の仕事です。

それは・・・子供のことに限らず、その本人の気が付かないことに、ほかの人が気が付く・・・ということがある、という意味でもあるでしょうか。

その、ほかの人からの指摘が、正確かどうかも、その本人が確認すべきことなので。ほかの人からの指摘に、とりあえず自動的に反対意見を言ってみる、拒否する、ということも、よく起こるようです。まあ。指摘されるにしても、されないにしても、その本人が気づく、ということが決定的なことでしょう。

そうでないならば、学びあう、学ばせあう、つもりでも、迷いあう、迷わせあう、ことになりかねません。それは始まりも終わりもない、限りない迷いでしょう。

いつの間にか、意識に依存し、それに躓いてる、倒錯してる、のかもしれません。そうしていたいなら、それも、できるように世界は、できているようです。それも不可欠だとしても、それはもう充分です。

それに・・・それが、自分の奥から生じた疑問なら、ほとんどの場合が、期せずしてですが、いつかは自分で解けるんです。すくなくても、自分は、そうでした。それで過不足はなかったのです。それ以上に重い荷を負う必要はないんです。

また、この自分、この自分のことは、ほかの人が、それを解いたことを聞いて役に立つ・・・例外はありますが・・・そんな領域にない、と思います。

サーフィンのように、どこまでも一人で、自分の疑問に乗って、その果てまで、源泉まで、行くんです。 また、なにも問題がなくなったら、この自分の日常を掘り起こすのです。 疑問があって、解けないなら、それも大切です。 たとえば。なぜ、これは、こうなのか?・・・それは、そのまま世界の不思議に触れてるのです。

たぶん書店に行けば、一生かかっても読み切れないほどの書が陳列されています。しかも毎日のように新発売されているのでしょう。そんなことより、この自分、この自分を読めばいいんです。なにか秘密があるとして、このほかの秘密は、ありません。

なぜかは知りませんが・・・なんであれ、探求するということは自分のことにならざるを得ないのですが、この自分のことは 、この自分で。一番簡単な方法が、一番いい方法です。もちろん、この投稿に疑問があるとしても・・・それも、自分がするんです。

No.2148 - 2009/09/28(Mon) 22:00:48

Re: / ルー
子供の場合のことを言っただけですよ。
子供のない方には関係ありませんね。

No.2149 - 2009/09/28(Mon) 22:25:23

Re: / hato

ただ、一緒に呼吸する、深呼吸する、一緒にご飯をいただく、、

それがどういうことか、わかっていますか。わからないなら、あなたがどうかしているからです。 あなたはここでいつまでも、なにをしているのでしょう。

総てが親の責任だと思われたら、

どんなにか子は苦しいでしょう。重たいのです。疲れるのです。親が血眼になって片寄っているのです。 それでも子は親を大切に思います。親がおかしくても、子は親に尽くそうとします。そんな子がいます。親が未熟であることを、親の限界ということを、子は気付いてしまうのです。それでも親の期待に添おうとするのです。悲しいほど、努力してしまうのです。賢明に彼なりに親を愛し、愛されようとして努力しています。

強いるのは必ず、人のためだと思ってる、なにが大事かもわかっていない、未熟な親です。狭量で我が儘で、人のことを考えてると思ってるだけの、身勝手な人間です。

それでもそこで、子である彼も人です。子は、人です。彼はそれを学ぶことができ、成長することができる、人です。総てが親の責任とはならないだけの、この世界を分かち合ってる、人です。それが学ぶ、ということです。そうでなければ、学ぶことはできません。

総てを経験しなければ解らないなら、理解は困難です。これがわからないなら、出直すしかありません。

まあ、生は。
そうしても、そうしなくても、
いいのだけれど。

いつまでも血眼でそんなご託を並べてるルーさんという人を。

ああ、なんてこの人はいつまでも。
騒がしいシンバル、ドラなのだろうかと。思ってしまうのです。

No.2150 - 2009/09/28(Mon) 23:25:49

Re: / ルー
バカみたい。
子供がゲームばっかりしているから、どうにかせねばならないってだけの話なのに。

いつまでここに居るのかって?

もう来ませんよ。

No.2151 - 2009/09/29(Tue) 01:17:17

Re: / hato

> いつまでここに居るのかって?
>
> もう来ませんよ。



あーよかった。
責了です。

なりふり構わないアホにつき合うのも、限界というものがありますからね。。

No.2153 - 2009/09/29(Tue) 22:13:10
小旅行 / ubik0101& hato
ここ何日か、幾つかの海を探索していました。

熱海は、ビル群の乱立が少し残念な感じでしたが、海の景観は素晴らしい。バスの運転手さんに聞いて、錦ヶ浦いいよ、と勧められて訪れました。

ふたりでよく行く海の周辺に松を多く見かけますが、ここの松は一際美しいようです。

No.2124 - 2009/09/23(Wed) 23:23:17

Re: 小旅行 / ubik0101& hato

初島、遠くにうっすら大島が見える、穏やかでいい海でした。

No.2126 - 2009/09/23(Wed) 23:35:42
本音2 / peer
>「それを忘れるために何かにしがみつきます」というのは、
>自分も含めて、人間の姿である、という意味ですか?


そうですね。この社会での人間としての生き方。
基準とか秩序とか、単体ではいられない不安。
ということになるような、気がします。

社会を基準に「無」ということを、一言で言えば。
必要とされない。存在を認めてもらえない。
となりそうです。

必要とされたい、認められたい、自分は特別。
そのために、地位が欲しい。財産が欲しい。居場所が欲しい。
人から「それなり」と評価される存在になりたい。
それがダメなら、宗教・哲学などと一体化しようとする。
拠り所とするものを、得て、安心したい。と。
そんな弱さが、なんとなく根底にある・・かなっと。

自己実現。。。自我の確立。。。社会的安定。
これは、この世のこと。。地上の財産。
すべては、やがて、捨てていくもの。
ひとときの夢。やがては覚める夢。
夢だと、薄々感づいているから「しがみつく」のかなって。
忙しくしていないと、イライラする。と言う人もいます。

No.2095 - 2009/09/19(Sat) 02:05:38

Re: 本音2 / ルー
自分も含めて、人間の姿はそのようである、ということですか?
No.2096 - 2009/09/19(Sat) 09:24:17

Re: 本音2 / peer
はい。「無」から、少しでも遠ざかろうとしている。
No.2101 - 2009/09/19(Sat) 10:22:15

Re: 本音2 / ルー
自分がそのような姿であることも許すということですか。
No.2102 - 2009/09/19(Sat) 20:56:50

Re: 本音2 / peer
私は「無」から遠ざかろうとすることが、苦痛です。
遠ざかろうとする行為が苦を創る、と気づきましたから。

No.2105 - 2009/09/20(Sun) 00:21:17

Re: 本音2 / ルー
> 私は「無」から遠ざかろうとすることが、苦痛です。
> 遠ざかろうとする行為が苦を創る、と気づきましたから。



人が「無」から遠ざかろうとする姿を掲示板に書くのはどうしてですか?
自分が苦痛である行為を、書くのはどうしてですか?

No.2107 - 2009/09/20(Sun) 08:55:54

Re: 本音2 / peer
>人が「無」から遠ざかろうとする姿を掲示板に書くのはどうしてですか?

ルーさんの
>本音というのは、自分の本心というものではないですか。
>本音で話すというのは、自分の心を偽らずに話す
>ということではないですか。


>自分の本音にも気づかない人もいますね。

という話に応答しています。
「無」から遠ざかろうとすると、自分の本心・
自分の本音に、気付かない。ということが
起きてくる・・・と。

No.2108 - 2009/09/20(Sun) 10:05:22

Re: 本音2 / ルー
「無」から遠ざかろうとする行為を掲示板に書き記すことによって、その奥にある本心・本音に気づかせようとしているのですか。
また、自分の本心に気づこうとしている、ということですか。

ですから、peerさんが書かれる人間の姿の描写を読む時、「その奥にある本心に気づきましょう」という言葉を付け加えて読めばいいですか?

No.2109 - 2009/09/20(Sun) 11:23:12

Re: 本音2 / peer
>「無」から遠ざかろうとする行為を掲示板に書き記すことによって、その奥にある本心・本音に気づかせようとしているのですか。

いいえ。

>また、自分の本心に気づこうとしている、ということですか。

>ですから、peerさんが書かれる人間の姿の描写を読む時、「その奥にある本心に気づきましょう」という言葉を付け加えて読めばいいですか?


付け加えず、そのまま「情報」として読むことは、できませんか?
私たちは、掲示板で、各々の持つ情報の交換をしている。
と私は、認識しています。

この情報は、自分に必要として受け取るか、いらないとして
流していくかは、各々のセンスに関わるトコロかな〜と思います。

それだけの状況がありまして。いちいち、話しの本音はなんだろうか
と思いながら読むのは、重労働でしょう。

No.2110 - 2009/09/20(Sun) 23:45:27

Re: 本音2 / ルー
> それだけの状況がありまして。いちいち、話しの本音はなんだろうか
> と思いながら読むのは、重労働でしょう。



話しの本音を探りながら読むという意味ではありません。
peerさんが書かれる「情報」というものが、そのままでは、どういう意図で書かれているのかがわからない、ということです。
それで、peerさんが書かれた「情報」のあとに、「その奥にある本心に気づきましょう」という文章を付け足したら、私としては、書かれた意図がわかる、ということです。

ただ、情報をこの掲示板に置いているということですか。
人間の姿はこのようなものです、と。
そして、自分はそのようなこと(無から遠ざかる行為)は「苦」である、と。
自分にとっては「苦」である行為なので、他の人がしていると気になるので、掲示板に書いているということでしょうか。

No.2111 - 2009/09/21(Mon) 00:01:37

Re: 本音2 / peer
>ただ、情報をこの掲示板に置いているということですか。
>人間の姿はこのようなものです、と。


そうです。

>そして、自分はそのようなこと(無から遠ざかる行為)は「苦」である、と。
>自分にとっては「苦」である行為なので、他の人がしていると気になるので、
>掲示板に書いているということでしょうか。


そうではなくて。ルーさんが
>自分がそのような姿であることも許すということですか。

と書いたものを、
自分(peer)はそのような姿(無から遠ざかる行為をすること)であることを肯定しているのか、どうなのか。と
聞かれたと思い、その返事として
> 私は「無」から遠ざかろうとすることが、苦痛です。

と書きました。
そういう会話の流れなのです。

No.2112 - 2009/09/21(Mon) 00:44:36

Re: 本音2 / ルー
「情報」といっても、「peerさんには、こう見える」という情報ですね。
No.2113 - 2009/09/21(Mon) 06:56:06

Re: 本音2 / ルー
> と書きました。
> そういう会話の流れなのです。


どうして、人間の姿を掲示板に書くのかということが疑問なのです。
ですから、人に、何かを気づかせたいのか?と聞いています。
または、自分で何か気づきたいことがあるのか?と聞いています。
掲示板に人間の姿を記すことも、もしかしたら「無」から遠ざかろうとする行為かも知れません。

No.2114 - 2009/09/21(Mon) 07:03:45

Re: 本音2 / ルー
> 付け加えず、そのまま「情報」として読むことは、できませんか?
> 私たちは、掲示板で、各々の持つ情報の交換をしている。
> と私は、認識しています。
>
> この情報は、自分に必要として受け取るか、いらないとして
> 流していくかは、各々のセンスに関わるトコロかな〜と思います。


誰かにとって必要かも知れないので書いているということでしょうか。
情報を提供している、ということ。
いらなければ流せばいいということ。

ま、掲示板に書いて文字にすれば、自分が何をどのように見て、どう感じ、どう考えているのかが表に表われますね。
自分の見え方を疑う姿勢があれば。

でも、自分に必要か、いらないかを決めるのも自分であるので、自分の行きたい方向性によるところですね。

No.2115 - 2009/09/21(Mon) 08:02:56

Re: 本音2 / peer
>「情報」といっても、「peerさんには、こう見える」という情報ですね。

実際に見えることもあるし、持っている知識の場合もありますね。
私は心理学を学んできましたから、その方面からの情報が多い。
宗教的な人は、その方面での情報になる。そんな感じ。

>誰かにとって必要かも知れないので書いているということでしょうか。

それを意識はしていません。
でも、人が人と関わるとき、何かを見たり聞いたりして、多かれ少なかれ、何かの影響を受け変異し続けます。「いらない」と捨てたものからさえも。

さて。
何か聞かれた、ような気がしたから、情報として投稿していたのですが、、なぜ掲示板に投稿しているのか、、、どういう意味か分からない。
という話になると、書く必要がないのに、書いていた。
ことになりますね。。。わたくし。。
うーん。。これにて終了〜ですね。

No.2116 - 2009/09/21(Mon) 10:15:38

Re: 本音2 / ルー
> 何か聞かれた、ような気がしたから、情報として投稿していたのですが、、なぜ掲示板に投稿しているのか、、、どういう意味か分からない。
> という話になると、書く必要がないのに、書いていた。
> ことになりますね。。。わたくし。。
> うーん。。これにて終了〜ですね。



書く必要がないのに書いていたのか、書かずにはおれないから書いていたのか、本当のところはpeerさんの中にあるものですね。
他の人から何かを言われて変わるものではなく。

No.2117 - 2009/09/21(Mon) 11:26:35

Re: 本音2 / ルー
なぜ投稿されているのかわからないというのは、peerさんが書かれる「人間の姿」のことについてです。
たとえば、「人がすることは逃げである」とか。
聞いたことに対する返事ならば、なぜ投稿されたのかという疑問は持ちません。

No.2118 - 2009/09/21(Mon) 11:30:41

Re: 本音2 / peer
>たとえば、「人がすることは逃げである」とか。
>聞いたことに対する返事ならば、なぜ投稿されたのか
>という疑問は持ちません。


「人がすることは逃げである」と書いたのは、ウビさんが
書いていた文章に対して「こうではないか」と私が応答していたことです。

突然、単独で「人がすることは逃げである」と書き始めたワケではないですね。
全体の中の、一部。ですから。
そこだけを単独にピックアップしたら、どうして、その文章が
出てきたのか、分かりにくいと思います。

No.2119 - 2009/09/22(Tue) 01:00:04

Re: 本音2 / ルー
「人のすることは全部逃げである」というのは、心理学上、合っているのですか?

そうではなくて、会話上出現しただけの言葉であるということですか?

掲示板が「情報」を置くところだとして、それを必要であれば取り入れ、いらなければ流すだけでなく、その情報について吟味される場所でもあるのではないですか?

No.2120 - 2009/09/22(Tue) 11:13:32

Re: 本音2 / peer
>「人のすることは全部逃げである」というのは、
>心理学上、合っているのですか?


劣等感(トラウマ等)を補償するために、人は、様々な行為をする。
という見方があります。
地位がないことが劣等感であれば、地位を求めるし
地位のある人に、一体化しようとする。。。ようなこと。
あるいは、劣等感の代償として、それを補うものを得ようとする。
さらに、地位を得られない、代償もないとしたときには
地位を持つ人に「そんなものは人の価値じゃない」という価値観で対抗する。
そのように
様々な補償行為は、、、逃避である場合が多い。

>掲示板が「情報」を置くところだとして、それを必要であれば
>取り入れ、いらなければ流すだけでなく、
>その情報について吟味される場所でもあるのではないですか?


そうそう。吟味される場所です。
たとえば哲学などで、誰かが「これは、こうである」と
言います。しかし確定されえないことなんですね。
どんなに権威とされる人の理論だとしても。
絶対にアナがありますから。
そこを見ていくことで、進化・発展していきます。

私の言う「人のすることは全部逃げである」を打ち砕く
理論を展開する。ということも、アリでしょう。
だいたい〜「全部」なんて、決めつけられるか。
というアナも、ありますね。

No.2121 - 2009/09/22(Tue) 23:54:42

Re: 本音2 / ルー
> 様々な補償行為は、、、逃避である場合が多い。

それを、「人のすることは全部逃げである」と言うのはおかしいですね。

No.2122 - 2009/09/23(Wed) 01:39:30

Re: 本音2 / peer
>それを、「人のすることは全部逃げである」と言うのはおかしいですね。

そう。そうなんです・・・が。
「自分のしていることは、逃げだ」という位置に
立ってみたら、自分の姿が、あるいみ、見えてくる。
のではないか、というのが、言いたかったポイントです。

それで↓・・・こういう書き方をしてみた。のです。

人のすることなんて、全部が逃げ。でしょう。
で、逃げて、逃げて、逃げきれないトコロに立つ。
変容を願う発心の真剣さの欠落・・・。
変容への渇望と、自分をどうにかしなければならない苦というもの。それがなければ、自分をどうこうする必要性はないのですね。


誰でも、自分を肯定できますよ、正当化もできますよ。
こうである理由は、あるでしょう。
それを、一切・・・手放して
擁護せず、突き放して、断崖絶壁の絶望に立たせる。

でも、怖いですからね。ふつうは。
自分が壊れてしまう、という恐怖感。拠り所を失って。
そういうことですから。

No.2123 - 2009/09/23(Wed) 12:06:14

Re: 本音2 / ルー
逃げなければいいだけではありませんか。
No.2125 - 2009/09/23(Wed) 23:24:44
本音のレベル3 / peer
>青虫の時は青虫でしかないので、「本音」といえば青虫の本音でしかないし、サナギであるとしたら、サナギでしかないから、「本音」といえばサナギの本音でしかないし、蝶であれば蝶でしかないので、「本音」といえば蝶の本音しかないのです。
>ひとりの人間で、青虫の本音、サナギの本音、蝶の本音があるわけではありません。


そのように、変貌していく。なのです。
青虫がみる風景、青虫としての体験。蝶が見る風景、関わるモノ。違うでしょう。
青虫が必要としているものと蝶が大事だと思うものも、変わりますね。

>「青虫」「サナギ」「蝶」と判断しているのも、もしかしたら、自分の思い違いかも知れません。

理解度から見ると、青虫の本音は、青虫は理解できる。けれど、サナギの本音、蝶の本音は、理解できない。蝶は青虫の本音、サナギの本音、蝶の本音の理解を示せる。
自分が、本当にドコを実感できているかで、自分がナニモノかが、見える。となりましょうか。

たとえばキリスト教では、新しい酒(ワイン)は新しい革袋に入れなさい。と言われます。
いくら新しい酒でも、古いいままでの観念という入れ物の中に入れたら、元のもくあみ。青虫のまま蝶には成れない。と。
新しいものを、手に入れるには、両手がふさがっていたら、つかめません。今まで、つかんでいたモノを、手放して、カラになってから、つかみましょう。でしょうか。

もうひとつ、たとえると。
リストラされた人が、昔は、これこれの地位があった、と執着すると
なかなか転身できないようです。
新しい存在を受け入れた時、新しいものが入ってくる。

No.2099 - 2009/09/19(Sat) 10:14:15

Re: 本音のレベル3 / ルー
自分の本音にも気づかない人もいますね。
No.2103 - 2009/09/19(Sat) 21:26:02

Re: 本音のレベル3 / ルー
> 理解度から見ると、青虫の本音は、青虫は理解できる。けれど、サナギの本音、蝶の本音は、理解できない。蝶は青虫の本音、サナギの本音、蝶の本音の理解を示せる。
> 自分が、本当にドコを実感できているかで、自分がナニモノかが、見える。となりましょうか。


ですから、自分が「青虫」「サナギ」「蝶」と判断したものが、もしかしたら違っているということもあるでしょう。

No.2104 - 2009/09/19(Sat) 23:01:43

Re: 本音のレベル3 / peer
そうですね。。
もしかすると、自分では、判断できないものかも知れません。

No.2106 - 2009/09/20(Sun) 00:27:29
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