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(No Subject) /
君は赤盆踊り集団ですか?
しつこいですね。

強姦魔の自己弁護ですかね。

お前は強姦された被害児童のガキにそういう寝言を言うんだろう!!!

謝罪しろ

「この反応の中で。
私が排除したり、嫌悪を感じたり、拒絶、怒り、非難・・
が沸いてくるもの。
それがそのまま私自身が嫌悪したり、拒絶したり、嫌がっている自分、認めたくない自分自身。だなと思います。
そういう中で、自分自身をみているところでは・」

No.2220 - 2009/10/17(Sat) 21:32:45

Re: /
精神世界の変態幼児趣味の
人が寄ってきて困ってるんですが
君が悪い波動出していないなら
俺が来ないはずですね、

俺が何をやろうが君がそういうなら排除しないはずだろう。
投稿禁止にも出来んはずだろうが!!!

盗作しながら全部自我を越えた自己だの寝言言うな!!!

精神世界のバカが!!!

「殺人恐喝魔」を排除しなけりゃやっていけないだろうが!!!!


お前はどう弁解するんだよ、
ウソこいてないなら俺の投稿を消したりしないはずだよな。
消したら余所で言ってやるぞ?

お前の波動が悪いから俺のような意見を引き付けるのだ!!!

全部お前のせいなんだから反省しろ。



俺が誰かわかっているよな?

この覚醒妄想人間が。

No.2221 - 2009/10/17(Sat) 21:36:16

Re: /
認めたくない自分じゃなくてなりたい自分を猿真似すんじゃないぞ、

俺が誰だかわかってるだろ?覚醒という言語をこえて覚醒してんだろ?精神世界の「何もやらず、SOS出してるガキが救われると念じる事が、最もガキの助けになるんです、精神世界の痴女ハンネ泥棒なりすましの荒しババは、なりたくないアナタなんです、分身よ。だからお互い、見てみぬふりしましょー」バカは

No.2222 - 2009/10/17(Sat) 21:38:38

Re: /
あんたはハンネ泥棒なりすましされた時に、なりすましされた被害者に「見たくない自分だから排除するのよ」というのか?

そんなんじゃ世の中通用しないよ。

俺そもそもお前がいくら真似してもお前と似てないと思うよ。

人間だから共通する部分はあるだろうが
形態摸倣すればそっくりになれると考えるのがサルだよな


で、君がウソ吐きじゃなきゃこの投稿を削除も排除もしないはずだよな

No.2223 - 2009/10/17(Sat) 21:40:37

Re: / ubik0101
>「この反応の中で。
>私が排除したり、嫌悪を感じたり、拒絶、怒り、非難・・
>が沸いてくるもの。
>それがそのまま私自身が嫌悪したり、拒絶したり、嫌がっている自分、認めたくない自分自>身。だなと思います。
>そういう中で、自分自身をみているところでは・」


うーと。どなたか知りませんが・・・これは、ubik0101が、どこかに投稿した文章、だと思ってるのでしょうか。だとしたら、その事実はありません。また。あなたが誰かは、まったく解りません。

No.2224 - 2009/10/17(Sat) 21:46:52

Re: / ubik0101
>「何もやらず、SOS出してるガキが救われると念じる事が、最もガキの助けになるんです、精神世界の痴女ハンネ泥棒なりすましの荒しババは、なりたくないアナタなんです、分身よ。だからお互い、見てみぬふりしましょー」

これも、ubik0101の投稿ではありません。

No.2225 - 2009/10/17(Sat) 21:50:00

Re: /
しらばくれてもあれだけアカ盆踊りやってたくせになあ。

下にあった文章だよ!!
精神世界の奴は全部「母の子殺しはコロサレタガキのせいだ、ガキがメンヘル主婦を排除するのは見たくない自分だからだ、嫌わなければそういう人は来ない=自己弁護するストーカー」じゃないか!!!
被害者のせいにすんな、ボケ!

No.2226 - 2009/10/17(Sat) 21:50:17

Re: /
君の投稿じゃないよ!!!


誰かがまるで分身のようになりすましハンネ泥棒し盗作誘拐などして愛憎摸倣するとしたら、それが見たくない欠点を持つ自分自身だからではなく、そいつが持たない長所を持つアカの他人だからだろ!

何でも「自分だの自己だの自我だの」で「妄想の中で一億平等幻想へとつないでく」んじゃねえよ。

大体個性が無いのか個性が?

腸のヒダヒダの細胞どもは皆腸の一部なのか!!!現実に誰か余所の変質者から襲われないと他人の本気の拒絶(分身では無い、自分自身といきなり同一視してはいけないという鼓と)がストーカーや傍観者どもからは分からんのか!!!


個性ないくせ個性にあこがれそいつのネタを摸倣泥棒しながらそいつ呑みこもう潰そうとしても無意味なんだよ、大体胃と心臓の違いは分かるよな。

自分の役割を忘れ、腸が勝手に心臓になりたがる、そういうのが逆に腸のエゴなんだよ。心臓のエゴだというほうがどうかしてるね。全体性ってもんを分かってないのだろ?

No.2227 - 2009/10/17(Sat) 21:52:09

Re: / ubik0101
アカ盆踊り?ハンネ泥棒?って、なんのことか知りませんが・・・あなたが、ここで指摘してるようなことは・・・意味が掴みにくいですが・・・ubik0101は言ったこともなく、思ったこともないです。
No.2228 - 2009/10/17(Sat) 22:05:10

Re: /
だから君の投稿じゃないよ!

だけど、自分のハンネや自分の仕事やらを、通りすがりの誰か他人や、又は親族の誰かに泥棒(なりすまし)された時、「全部それはワタシだからエゴを捨てなさい」と逆に説教しても、全く通用しないものだろ?

No.2229 - 2009/10/17(Sat) 22:11:12

Re: /
覚醒という表現を超えて覚醒しているのであれば、意味が分からない事など無いはずだよ。全部俺が言いたい事は直感で分かるはずだ。そもそも「しらばくれ」はウソつきの精神世界の子殺し見てみぬふり集団のやる事だ。相手から「ウソは分かる」と言われた場合君らには抵抗出来ないはずだ。最初に直感という結局一人よがりの結論だけ、決めけだけ語るやり口が通用するのだからな。「覚醒という表現を超えて覚醒しているオレには分かるぞ、しらばくれやがってこのウソつきが!」といわれて反論するにはどうすればいいんだ?相手が決め付けの夢妄想を絶対の真理であるかのように信じ込んでいるなら、諦めないそいつを排除せず、互いに言語で理解しあえ、というのは難しいよな。
No.2230 - 2009/10/17(Sat) 22:19:22

Re: / hato
>だけど、自分のハンネや自分の仕事やらを、通りすがりの誰か他人や、又は親族の誰かに泥棒(なりすまし)された時、「全部それはワタシだからエゴを捨てなさい」と逆に説教しても、全く通用しないものだろ?

ここで話されてる、なにかの事実と自我を捨てる?ことには・・・よほどの例外はあるかもしれませんが・・・直接の関係は、ないです。

しかし、ここで話されてる、自我を捨てる、ということが、イヤな目にあっても、怒りを表明しない。という意味なら、できるかもしれません。

No.2231 - 2009/10/17(Sat) 22:50:06

Re: /
あまりにも主語が無いから何を言っているのか分からないよ。

ハンネドロボーがハンネ泥棒された側に怒るなというのか?
それこそエゴだろ

No.2232 - 2009/10/17(Sat) 22:52:44

Re: /
男児誘拐写真撮影殺害してるような例の犯罪板のストーカー婆に心情的に同一化してるような奴だって、怒らないふりをしながら殺されそうなガキに怒るなと言うだろ?無理して善人ぶる事で、笑いながら被害児童を侮辱する奴を野放しにし、「何もやらないほど守られているのだ」「守ろうとするから襲われるのだ」と言って怒っている被害者の正当な言い分を見たくないのだろう。
No.2234 - 2009/10/17(Sat) 22:57:41

Re: /
幼児誘拐犯やストーカーの女てのは、通りすがりとご縁があると言い張り、恰好やネタを執拗に勝手にマネすんだよ(まあ被害妄想かどうかは公で証拠を挙げて具体的に誰もが分かるように言わなければ通用しないがな)。盗作に関しても執拗に繰り返し(事前に盗作するなとこっちが注意しているのに何度も何度もキーワードやネタが符号する場合、意図的に摸倣してそれを恥とも思わない異常者という事だと思うが)俺個人の私生活の問題など、盗作魔のそいつとは全く無関係な事に入り込んでくるんだ。鬱陶しいんだよ、他人の分身と思いたいのはストーカーの側であってされた側じゃない。わかるか?

何でも「物質的に認識できること」だけが霊的な現実では無いかも知れない。だが「一人よがりの夢妄想や願望」を全て(特に通りすがりの、殆ど会話した事も無い、知りもしない他人に対する)「ありもしない直感や霊的な感覚で捉えた絶対の真実であるかのように言い張って」いきなり「群れて」正当化するような、(特にニューエイジやスピリチュアルや精神世界の)妄想狂が多いから、苦労するんだよ。

結果的に俺から見て真実だったら直感だろうが何だろうが構わないんだが、言い分は「常に全員バラバラ」で現実に特定個人の属性として考えて見た場合、理論的に見てありえないような矛盾する事を平気で言ってくるんだよ。

妄想をぶつける他人のその夢妄想の理論的矛盾を突いた場合、狂人にも理論的で優秀な人間だっている、と言えば、反論となり、通りすがりの特定個人に向けた「異常な性的関係妄想やら夢妄想を正当化」できるものか?むしろ何の"天災察知能力"も公で見せず、最初から何も示さず全能の能力者ぶって個人や集団の願望や夢妄想をいきなり特定個人に向けて(群れの力で)正当化しようとするほうが狂った異常者だろう。公で、通りすがりの他人のハンネやあだ名等を出して(またはTVなどで見る俳優等相手に)その特定個人に対する関係妄想=絆ご縁妄想を(特に大勢で、その話に直接関係していなかった人間も含め)揃って言い出したら相当異常だ。

又、犯罪者は非合法的手段でもって「都合悪い事を言う奴の板」を(妄想恐喝文などで)荒しに来たり、なりすましや執拗な盗作による無断侵入をしたり、24時間監視しているんだよ。知ってるんじゃないのか?誰もそういう問題に関わりたく無いから見てみぬふりしているんだろう。それどころか、皆ストーカーする犯罪者側に心があるのでは無いかと俺は思うのだが。

波動が良けりゃ問題がおこらないというなら、「見てみぬふり」で殺されそうなガキを変質者やストーカーの奴らから守ってやればいいじゃないか。どんな犯罪者を前にどんな危険な事をやっても、波動がよい君らは変質者から怨まれない(つまり敵対者をつくらないので犯罪には決して巻き込まれない)はずだな。なのに何故殺人鬼や誘拐犯や幼児を狙う性的異常者のような犯罪者がそこらにいた場合にも何もやらないのだ?

それどころか心情的に「幼児を自分の分身を見なして殺害する側の主婦」の味方をし、ガキを「母(のつもりの妄想持ち通り魔も含める)の分身だと認めない=黙って全体の分身として全体に呑み込まれ潰されないエゴイスト」と責めたがっている者が多いのでは無いか。特に、会った事すら無い大勢見る場所の掲示板の通りすがりの女の人なんかが勝手に母親(つまり会話している相手の分身、自分自身)やら、又は相手と現実に交際した事がある彼女のつもりになってる場合もあるが、それで最初から分かったような事をいわれたらたまらないだろう、(現実には、実際に交際した相手にもわからない事は多いはずだが)「全員あなたの分身だから、最初から全員正しい事が、直感でわかるのよ」とかな。


直感で何でも分かるなら、せめて公で非合法的手段や技術的根回しでは得られないような、情報でも事前察知ぐらいすればよいのだ(こじつけとして解釈できるようなものでは無く)。そもそも最初から「宇宙の真実と一体化」しているなら、覚醒ごっこなどせず「世紀の大発明」でもすればいいでは無いか。

No.2236 - 2009/10/17(Sat) 23:17:52

Re: /
「ワタシは」「こう思う」というワタクシ部分を常に強調できないのは逆に「自分の保身のためのエゴ」では無いか?誰がやった事か、誰がされた事かいつまでも暈し、全体としては何もなかった事にし、いつまでも犯罪に対して無責任でありたいから自他の境界をいつまでも暈すのでは無いか?

自分の意志で言っている事では無く、集団の空気に動かされて決定した事(やった事)にしておきたいのでは無いか?

俺が言っているのは何となく空気や趣味で排除するという事では無く、公で盗作や形態摸倣や関心をひくための生死をかけた悪質な恐喝などを繰り返し「そのターゲットの分身ぶって(つまり前世は兄妹だの母子だのという妄想を勝手に持って)」つきまとってくるような人間は、普通の意味ではやはり似ても似つかないし、排除という語では適切では無いが、対象から隔離し逮捕されるべきだろう、という事だよ。


逮捕すべき相手犯罪者を「排除するな」「犯罪者は殺される側の分身だ」「似ているからマネされるのだ、盗作されたりハンネ泥棒されるのがいやだと言うなら、ハンネ泥棒しているのだろう」というのであれば誤りが直せない者として嫌われるだけだ(嫌われる事を何とも思わない人間ならまだ分かるが、相手の関心を惹こう好かれようと思って必死に盗作や形態摸倣やつきまとい荒しをする人間はやっている事が完全に的外れだ)。

当然の事で嫌われても又すいてくれない事(分身として認めない事)を責めるようだから凶悪犯罪レヴェルや性犯罪レヴェルの事でも反省しない(出来ない)のだ。

相手が特に単なる通常の快不快や好悪感情のみで語っているわけでは無く、「(凶悪犯罪に関わる)法的な善悪感覚で」言っているという部分を全く見たがらない人間が多い。その人間だけが耐えればいいという問題では無い。それを妙な性癖を持つ集団は全部「その個人だけの」心の問題等にしておきたいのだ。

つまり、相手がある種の善悪(生死に関わるような問題、凶悪犯罪レヴェルの善悪問題)を問うている際、そういう時にも「それは趣味では無い=嫌いと言っているのだろう、だから趣味では無い=嫌いと言い返してやる」という好悪や快不快限定の(些細な好き嫌い程度の)問題にすり替え、排除するなら相当おかしい。

しかしおかしな奴ほど、通りすがりの形態摸倣や盗作やハンネ泥棒なりすましをしながら「つきまとってくる犯罪者を嫌うな排除するなおまえも全員自分の分身として認めてくれ」と必死になって言うものでは無いか?

大雑把に言えば大多数がある種の「無個性さ」を持つがゆえに公でわざわざ犯罪者を賛美しようが、証拠を公でわざわざ望んで見せようが、「群れていつまでもその犯罪をやりつづけ、それでも自分自身(がやった)という意識が無いから無責任でいられる」のだ。

いつまでもそういう犯罪賛美を公でやりつづけ、そんな性癖は無いとしらばくれ社会悪と戦うふりをするような輩が、本質的な同類つまり雑魚犯罪者に向かっては「エゴが無い」と思いたがり、多数派から見れば「特色があり自分の意見をしっかりと持った人間」(多数派が見て見ぬふりをしてやりつづけている犯罪に対して抵抗している人間)を逆に「エゴが強い」とここでも君らは思おうとしているのでは無いか。

No.2237 - 2009/10/17(Sat) 23:37:45
(No Subject) / hato
2231の投稿はubik0101のものです。
No.2233 - 2009/10/17(Sat) 22:56:53

Re: / hato
すいませんが、出先での、パソコンの調子が悪く、続きは帰ってからにします。
No.2235 - 2009/10/17(Sat) 22:58:55
(No Subject) / ubik0101
>>〇ええーー。ubikさんはコピーライターをしていたことがあったんですか?
>ああ、でも、仕事で確かに。誰がやっても良いものは誰がやってもよくて。ちょっとした変化に(例えば出産のため仕事を休むとか)縁がなくなってしまい。結局、「Sさんの音楽がいいのよ」とか。取替えのない存在というとこで響いてゆく関係性が一番続いてゆきます。また、仕事をしていても癒されたり、潤ったり・・感謝が生じて。良い感じです。
>ただ、たぶんこれは、意図的に「取替えのない存在になろう!」といって達成できるものなのかよくわかりません。


>自分を響いているありようのままにあったら、たまたま響く人が現れて、そういう仕事をしていたら、そういう感じになってきた。という感じでしょうか。

たしかに。関係に学ぶということも、あるでしょう。でも、この自分を探求するとは・・・たとえば。ほかの人から好まれ、頼りにされて、良い関係で・・・あるいは、嫌われ、阻害されて、辛い関係で・・・まあ、そこそこ混在した関係で・・・とかを、言い方はともかく、基準にはできない、頼りにはできない、ところでのことです。 または、

なにかの人間関係を基準にしてる、その自分の有り様の基準を、その人間関係に置くのは、かなり危ういと感じます。もしかして、関係に学べるのは、その関係の範疇にあること、ではないでしょうか。まったく一人、絶海の孤島に、この果てしない宇宙にいるとしても、この自分を探求する。どんな基準を持たずに、探求する。そのようにしてきました。 また、

なにか基準、拠り所、が見つかったら、それを拒否してでも、世間を敵に回して、この人生を棒に振ってでも、中心に向かう。どんなことにも・・・恐怖だろうが、愛情だろうが・・・依存しない・・・素直にして傍若無人・・・コピーライターとしても、デザイナーとしても、そのようにやってきました。あるとして基準は、なにがなんだか掴めない、この自分でしかありません。この、

わからないが、
わからないを、
わからないまま懸命に求めずして、

それでなくて、たとえば自分は何?を解決できるとしたら、ほとんど奇跡と思います。まあ、もう一度やろうとしても、できないだろうし、とてもほかの人には推奨はできませんし、それでも、とりあえずは生きてこれました。しかも、なお、感謝もしない、この性格の悪さ・・・そんなもんです。

No.2210 - 2009/10/13(Tue) 11:46:44

Re: / peer
>なにか基準、拠り所、が見つかったら、それを拒否してでも、世間を敵に回して、この人生を棒に振ってでも、中心に向かう。どんなことにも・・・恐怖だろうが、愛情だろうが・・・依存しない・・・素直にして傍若無人・・・コピーライターとしても、デザイナーとしても、そのようにやってきました。あるとして基準は、なにがなんだか掴めない、この自分でしかありません。この、

>わからないが、
>わからないを、
>わからないまま懸命に求めずして、


そのまま行ったら、完全に解脱して消えてしまいそうな
感じがします・・・が、消えずに、そこに留まったのは
なにが、あったのかなぁ。
とか思ったりして。

No.2216 - 2009/10/16(Fri) 12:40:07

Re: / ubik0101
うーむ。とくに、なにもなかった、です。 perrさんから、見て。そこ、って、何だろう?消えるとか、消えないとか、思いもしてませんが・・・なにか余計なことが消え残ってるかな?です。指摘ください。

もしかして。無関係かもしれませんが・・・完全に解脱して消えるって。旧約聖書の予言者エリアのように、生きたまま昇天という意味かな?くらいしか知らないし、思いつかない、です。

No.2217 - 2009/10/16(Fri) 20:10:26

Re: / peer
そこ・・・って、なんとなく感じただけのモノで。

>それでなくて、たとえば自分は何?を解決できるとしたら、ほとんど奇跡と思います。まあ、もう一度やろうとしても、できないだろうし、とてもほかの人には推奨はできませんし、それでも、とりあえずは生きてこれました。しかも、なお、感謝もしない、この性格の悪さ・・・そんなもんです。

この言葉を聞いているうちに。
そのまま行ったら、突破したはずの、何かがありそうな。
なんなのか・・わかりませんが。
なんらかの臨界点までは、来たけれど、そこで止まった
というか〜へこんだ、ような状態が今ある。という感触。
があったので、問うてみました。
・・・うん。突き抜けていたら、このような言葉は出てこない
ような気がした、というようなことで。
私の気の所為なら〜まっ。気にしないでいいです。

No.2218 - 2009/10/17(Sat) 09:02:08

Re: / ubik0101
前回、書いたけど、投稿しなかった部分です。

それはそれとして。この世界の総活動を経験したときに・・・実在・・・それがそれ自身に原因がある・・・第一原因・・・から、自己を感知され、それを感知しました。

けど、それだけではない、幽かに微かにしか感じることしかできませんが、あーあ、まだ先がありました。

どれだけかかるかは知れない・・・第一原因の先とは空想もできないけど・・・でも、どこまでも行こう。な、感じで決心しました。

No.2219 - 2009/10/17(Sat) 21:29:17
空間があるのみ / peer
>人はただ自我、でもなく、ただ無我、でもない、世界に無関係に関係する不可知な、、なにか、ということが大事かな、と思いますね。たとえば愛は、人の自我無我に無関係に関係する、といえるでしょう。

自我にも徹することができず、無我にも成り切れず。
中途半端〜という状態ですか?
というか〜なにものも世界に無関係。というものは、ない。
んじゃないかなぁ〜。単独のものは、ひとつもないわけで。
あるいみ、関係しか、そこにはないし、世界は関係のみ。
その関係・・・つなぐもの、が愛なのでは?
と読み取りました。

No.2172 - 2009/10/03(Sat) 09:18:58

Re: 空間があるのみ / hato

>人はただ自我、でもなく、ただ無我、でもない、世界に無関係に関係する不可知な、、なにか、ということが大事かな、と思いますね。たとえば愛は、人の自我無我に無関係に関係する、といえるでしょう。

> 自我にも徹することができず、無我にも成り切れず。
> 中途半端〜という状態ですか?
> というか〜なにものも世界に無関係。というものは、ない。
> んじゃないかなぁ〜。単独のものは、ひとつもないわけで。


ここで、無関係。というのはやはりどうしても、言葉にするならそのようです。無関係にあるからこそ、正常に関係できるそれはなにか、、ということしか、できません。それは思考を超えている、としか言えないでしょう。けれども。なんとか言葉にするならそのようです。人はまずそこにいることが肝要、と言えるのではないでしょうか。

あるとして、自我無我にも成り切れないような曖昧で柔、ではない、ところ。であることは、これまでの経緯を振り返れば、peerさんはよくご存じではないでしょうか。

> あるいみ、関係しか、そこにはないし、世界は関係のみ。
> その関係・・・つなぐもの、が愛なのでは?
> と読み取りました。

No.2174 - 2009/10/03(Sat) 15:23:23

Re: 空間があるのみ / peer
hatoさんの「無関係」という言葉のニュアンスに、なにか不自然なものを感じましたので、こんな投稿をしてみたのです。
suhoさんが別のところに書いていますね。↓

>起きてくる事は全て自分自身ですよね。
>人と世界は自身の素直な顕れとして起きています。
>自分を理解し、自分に学ぶ、ということは、起きている他者と世界が、
>実は自分そのものであることを、身をもって実感する、
>ということではないでしょうか。


というところ。
ここから導き出されるものは「無関係」ということは、何もない。
ということでして。私は、それに同意してます。
まさしく、その通り〜と膝をポンと打つ。という感じ。

その後、hatoさんは、このように言います。

>全部が自分、というのは言葉通りで言うなら、少々おおざっぱな感じです。
>起きてること総て、世界の事象やなにやかやが、自分が感知できるのだから
>自分にあるものだ、として・・・


>そうではなく、この世界で、自分、というところを使って 了解 できる。
>世界は触媒としてある、との意味で、総てが自己を学ぶこととしてある、、、


となってます。が。
この「自分」は、なんなのでしょう。
どの自分を学ぶのでしょう。
自我の自分ですか?無我の自分ですか?
そこがどうも、よくわからない。

うーーん。わからないなぁ。
どの自分を使って了解するのですか?。。そして。
「この世界で、自分、というところを使って 了解 できる。世界は触媒」
↑これは、まさしく「全部が自分として」であるから、了解できる
のではないか、と思うのですが〜。
他のように見えても、それは「自分」でしょ。。ということで。

No.2177 - 2009/10/04(Sun) 00:20:38

Re: 空間があるのみ / hato

> >起きてくる事は全て自分自身ですよね。
> >人と世界は自身の素直な顕れとして起きています。
> >自分を理解し、自分に学ぶ、ということは、起きている他者と世界が、
> >実は自分そのものであることを、身をもって実感する、
> >ということではないでしょうか。


> となってます。が。
> この「自分」は、なんなのでしょう。
> どの自分を学ぶのでしょう。
> 自我の自分ですか?無我の自分ですか?
> そこがどうも、よくわからない。



ありがとうございます。そうですね、
ここはとても微妙なところではないかと思います。一度にお話できるかわかりませんけれども、

不自然、というのはある意味その通りなのでしょう。それが不思議、ということでもあります。

無関係に関係する、これはとても絶妙な言葉です。自己、或いは実在、以降して(と表現します)未知、というところは、世界に無関係、ということができるのです。そうでなければ、世界は正常に機能しません。言葉も同様にあります。

こうした表現が不自然な感じ、或いは少し無機質な感じがするのはやむを得ないところかも知れません。人が自然の成り行き、と見なしている範疇を超過しているからです。

自己はこれ、あれ、とただ示せないところといえるでしょう。世界にしてそうである、触媒。それが不思議の所以です。
世界の仕組みとしての有り様に近い(妙な表現です)との意味でそれをここでは、自己、と言っています。自分、という言葉で表現されるものは、世界のなかでそれを学ぶツールとしてあります。自分としてあることを使いつつ、人はその不可知である自己、或いはなにか、、を学ぶことができる、ということです。ここはとても大事なところです。不可知とはたとえば、逃避できる場所にはなり得ないのです。その不可知である自己、から諸処物事への対応が起きてくることが望ましい、それが人に起きていることを変容、ということもできます。

全部が自分、ということは、上記の意味においては不可能な表現です。そこには無理があり、押し込められたなにかがあり、それを生きようとするなら実際の生において無理が生じるでしょう。

ここでは、本来の自己として、自他の境界がない、、これ、は今まで思いこんでいた自我ではなかった、、との愛としての理解、自他に深い共感を得るということで充分かと思います。自己から見て総てが自分としても、世界のなかで折々にこの自分、として生きることを度外視されることではないのです。

そして成長が進むに従って、言葉は厳密にならざるを得ないでしょう。

No.2178 - 2009/10/04(Sun) 11:33:24

Re: 空間があるのみ / peer
何度も読み返してみたけれど、やっぱり分からないんです。

やっぱり世界は自分で、自分が世界で。
すべてが、自分。ということになってしまって〜
「自分の認識がすべてである」
という意味だったような気がします。
意識的も無意識的にも、認識されないトコロについては
理解されていない闇が、まだまだある〜ということで。
で、理解されていないことが、無明だとしたら、
未知も不思議だと思うことも、無明と同じことかな。と。
未知だ不思議だと言うならば、なんにも分かっていないんでしょ。。。
となって・・そして、
これは絶対とか、真理だ、とかも、言えなくて。
それなのに、なぜか「こうなんです」と書かれると、やっぱり不自然な気がします。

No.2212 - 2009/10/14(Wed) 00:40:03

Re: 空間があるのみ / hato

> やっぱり世界は自分で、自分が世界で。
> すべてが、自分。ということになってしまって〜
> 「自分の認識がすべてである」
> という意味だったような気がします。



peerさん、こんばんは。

それは、自分の認識として世界を見てる、のだから、他人に見えるもの、社会に見ることは自分のなかでそれを昇華しましょう、人に天使や悪魔をみる必要もないよ、とのことかも知れません。たとえば犬や猫や冷蔵庫が、それは自分が認識してるから自分、この世界は自分が認識、想像してるから創造主は自分だ、、という、いきなり極端なことでもないのでしょう。

世界に対しての責任の取り方として、こうした見方はよくわかります。そのような理解があるから、周囲に対して優しくなれる、自分である他人の有り様に愛を感じ、いたわりがあり、また、出来事で生じた痛みや苦しみを自分で昇華しようとするとき、自分を鍛えることにもなるのでしょう。

ここではただ、その見方自体がどうこうというよりは、それで終わりというわけではなさそう、としか言えないでしょう。それぞれの人生かと思います。人はどこまで理解したいのか、ということでもあるのかも知れません。

自分の認識がすべて、の、自分。その自分とはなんでしょう。まずはやはりこちらが先かも、知れません。そこが収まってくると、未知、不思議。それと、無明。それが同じ状態でないことがわかるでしょう。よく見るなら、まだ世界のなにかにのみ、ことさら依って、自分を理解しようとしていることがわかるかも知れません。


> 意識的も無意識的にも、認識されないトコロについては
> 理解されていない闇が、まだまだある〜ということで。
> で、理解されていないことが、無明だとしたら、
> 未知も不思議だと思うことも、無明と同じことかな。と。
> 未知だ不思議だと言うならば、なんにも分かっていないんでしょ。。。
> となって・・そして、
> これは絶対とか、真理だ、とかも、言えなくて。
> それなのに、なぜか「こうなんです」と書かれると、やっぱり不自然な気がします。



その理解はどうしても、通常の意味での常識、流れ、に沿ってるわけではないよ、としか、ここでは言うことができません。それが不可思議です。人の思考回路の流れに沿ってるわけではないのです。なので、思考を超えてるよ、と言います。不可知。そこに定着(妙な表現です)する必要があると言います。人がそこにいるとき、意識、無意識はとくに問題にならないでしょう。了解されている場所、から理解、表現は自然に訪れる、との感じでしょう。成長とはどうしても、飛躍であるでしょう。


ダーリンにおねだりして、秋の味覚、栗の渋皮煮を作ってもらいました。ダーリン初挑戦です。ご披露してよ、のことで夜中ですが1ショット。とても上品に出来上がっていて、さきほど、感激しながら味わいました。

ダーリン曰く、
究極の和菓子です。。。

No.2213 - 2009/10/15(Thu) 00:10:13

Re: 空間があるのみ / peer
>その理解はどうしても、通常の意味での常識、流れ、に沿ってるわけではないよ、としか、ここでは言うことができません。それが不可思議です。人の思考回路の流れに沿ってるわけではないのです。なので、思考を超えてるよ、と言います。

うん。それは分かります。
そして、私が言っているのは。
知識と自分の認識とを、一緒にしない。。。なのですね。
とりあえずは、自分の認識がベースかな〜ということね。
それがhatoさんの表現では
>不可知。そこに定着(妙な表現です)する必要があると言います。

となっているのかな〜と。
で、そういうことの理解なら、私にも了解できることかな。

>人がそこにいるとき、意識、無意識はとくに問題にならないでしょう。

それも、私の表現では「空間があるのみ」ということになる。


ほーー栗の渋皮煮ですか。写真では、とても上品〜な感じがします。
味も上品でしたか。〜と言うか。テーブルクロスが上品。

No.2214 - 2009/10/15(Thu) 01:07:28

Re: 空間があるのみ / hato

> となっているのかな〜と。
> で、そういうことの理解なら、私にも了解できることかな。
> >人がそこにいるとき、意識、無意識はとくに問題にならないでしょう。
> それも、私の表現では「空間があるのみ」ということになる。


そうですね、人は世界で、さまざま見聞しながら、影響し合いながら、その自分がよしとしたところを生きること、それもよいのでは、と思いますね。

とりあえずはその、ベースにしている自分の認識。というところの、自分。知覚を自分、としてる、正にそこに分け入ることもありかも。なんて思ってみたりします。
今の時点で、同じことについて互いに別の言葉で表現している、との感じではないらしいとしか言えませんが、

人はその自分にて、了解し、理解する、とあえて言います。
そしてpeerさんにいただいた表現を充分汲んだ上で、

けれどもここは厳密に、
自分の認識をベースにすること、では不可能です。

こうしたところについては、何年でも何十年でも。問いを自らのなかで熟成させて、解決する人がいる、としか言えないでしょう。


> 味も上品でしたか。〜と言うか。テーブルクロスが上品。

テーブルクロス、嬉しいですね。
これカーテン生地なんですが、ubik0101さんがとてもお気に入りなので、本日PCデスクに敷いてみたところでした。

No.2215 - 2009/10/15(Thu) 23:48:26
(No Subject) / ubik0101
>◆自分があるかどうか。自分がないかどうか。あんまりそこにこだわった経験はないのですが。
>ここに生じるものが「ある」もので。生じてるなら全部自分ということじゃないのでしょうか。


なにを行動しても発言しても思考しても、知覚にとっては、そうしてる主体は、ない、です。(ほかの言い方では、ある、のは、五感と、その対象と。意識と、その対象です)。その一方では、知覚にとっては、起こる現象だけが、ある、です。つまり、知覚にとっては、行動、発言、思考が、ある、です。おそらく、それが機能することで自分が設定されるのでもあるので・・・全部自分、と感じられるのかもしれません。

でも、知覚されるということ、そのことは、差、があるということではないでしょうか。たとえば鳥を見ます。音楽を聴きます。ほかの人と話します。なにか差を、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触る。として認識されるのではないでしょうか。それも含めて、総てが自分、世界が自分、という感覚もありますが、それなら、自分は、世界とは、まったく違う、という感覚もあります。

ところで。知覚されないからといって、それが、ない、のではありません。たとえば知覚されない自己が、ない、のではありません・・・まったくの、差、がないなら、それ自身は、それ自身を自覚できない・・・それは、まったく、ある、から知覚されない、とも言えます。また。世界が知覚されるといって、世界も知覚も、まったく、ある、のでもありません。それ自身が、それ自身に原因を持つわけではなく・・・どういうわけかは知りませんが・・・なんであれ変化は、現象です。

そして、人は、ある、ない、が機能不全なら・・・それを理解するために・・・知覚に依存する、拠り所にさせられる必要があります。それが停滞です。ある、も、ない、も過不足なく機能してるから、知覚に依存する、拠り所にする、必要がないんです。それが停滞しない、ということです。 それで・・・

>◆自我の機能と定義する。それがなんなのでしょう。
>探しているからなんなのでしょう。
>ないからなんなのでしょう。


>それでも命の生きる営みは無関係に続いて。
>今を生きていて。意識は変化し続ける。


>命の本分。命だけでなく、存在しているすべての存在の営みに敬意を感じます。

>それが。自我であろうが。使用しているであろうが。
>意識がどんな状態にあるかは、さほど問題じゃないように思います。


たしかに。人がどういう状態であれ、それだけならば。だからなんだ。です。怒りも、喜びも、驚きも、平穏も。誤りも、正しさも。真実も。嘘も。それは、世界の増えも減りもしない、その活動です。でも。もし、それだけなら、そこに、なんの意味があるのでしょう。

そしてなお。人は、呼吸をするだけでも、呼吸を止めるだけでも、世界を、つくりかえ続けています。それでも。それだけなら、いくら世界が醜くても美しくても・・・どんなことも・・・ほとんど、なんの意味があるのでしょう。この世界は、いずれ滅びるのかもしれません。

まあ、説明なんですが。それぞれの得意分野はあるのでしょうが。まず、自分が、何なのか?この基礎研究、そのことによって、学ぶことができます。それに、そうでなければ、世界との関係から、いくら、なにを学んでも、基が不明なら、学んだことも危ういかもしれません。さらに、なお。世界に依存しないことが育つのでないなら、それがなんだろう。ではないでしょうか。

No.2195 - 2009/10/10(Sat) 11:26:02

Re: / potanpotan
> たしかに。人がどういう状態であれ、それだけならば。だからなんだ。です。怒りも、喜びも、驚きも、平穏も。誤りも、正しさも。真実も。嘘も。それは、世界の増えも減りもしない、その活動です。でも。もし、それだけなら、そこに、なんの意味があるのでしょう。

◆意味があるかどうかという感覚が私にはないです。
どうして、意味があるかどうかということが重要なのですか?

> そしてなお。人は、呼吸をするだけでも、呼吸を止めるだけでも、世界を、つくりかえ続けています。それでも。それだけなら、いくら世界が醜くても美しくても・・・どんなことも・・・ほとんど、なんの意味があるのでしょう。この世界は、いずれ滅びるのかもしれません。

◆意味のある状態だと設定している世界があると、無意味という感覚が生じるのでしょうか。
世界が滅びるとか、人は死ぬとか。どうせ会社は倒産するとか・・それはそれですが。「滅びる」「壊れる」思いにとらわれて、「どうせ〜だから・・」という瞬間を積み重ねをする気持ちに私はならないです。滅びるかどうかもあまり関係ない感じです。
滅びようが滅びまいが・・今。ここに生じている命の営みがあって。そこをみつめると「生き続けている」

> まあ、説明なんですが。それぞれの得意分野はあるのでしょうが。まず、自分が、何なのか?この基礎研究、そのことによって、学ぶことができます。それに、そうでなければ、世界との関係から、いくら、なにを学んでも、基が不明なら、学んだことも危ういかもしれません。さらに、なお。世界に依存しないことが育つのでないなら、それがなんだろう。ではないでしょうか。

◆「自分が何か」 という問いが生じてきません。自分が何かということをどうしてそんなに知りたいのでしょう。
「自分なんてものはない」という結論の背景には
「絶対的な自分を期待している」があるのでしょうか。
学んでいないとか学んでいるとか。存在にたいして、優劣を感じることは私にはあまりありません。
共鳴しているとか、見ている世界を分かち合えるとか。
共鳴していないとか。みている世界の角度が違うとか。
そいう感覚はあります。

学びというのは。測れるものなのでしょうか。
私と共鳴しない人だからといって、この人は学んでいないという感覚は出てこないです。
みんなが。変化していて。
変化していること自体。「学び」。すべての人がそれぞれに学んでいるように私には感じられます。

No.2196 - 2009/10/10(Sat) 21:58:46

Re: / peer
>意味があるかどうかという感覚が私にはないです。

>共鳴しているとか、見ている世界を分かち合えるとか。
>共鳴していないとか。みている世界の角度が違うとか。
>そいう感覚はあります。


>私と共鳴しない人だからといって、この人は学んでいないという感覚は出てこないです。
>みんなが。変化していて。
>変化していること自体。「学び」。すべての人がそれぞれに学んでいるように私には感じられます。


同意〜

No.2197 - 2009/10/11(Sun) 01:22:48

Re: / hato
>◆意味があるかどうかという感覚が私にはないです。
>どうして、意味があるかどうかということが重要なのですか?


それは、potanpotanさんの、この投稿に同意。という反応です。

>◆自我の機能と定義する。それがなんなのでしょう。
>探しているからなんなのでしょう。
>ないからなんなのでしょう。
>それでも命の生きる営みは無関係に続いて。
>今を生きていて。意識は変化し続ける。
>命の本分。命だけでなく、存在しているすべての存在の営みに敬意を感じます。
>それが。自我であろうが。使用しているであろうが。
>意識がどんな状態にあるかは、さほど問題じゃないように思います。


あらかじめ、「なにかに意味があるとか、どうとか」。思ってるわけではありません・・・その思いに倒錯してなければ。その思いを排除する必要もないのですし・・・そして、なお。それだけではない、と説明してるつもりです。

>◆「自分が何か」という問いが生じてきません。自分が何かということをどうしてそんなに知りたいのでしょう。

たとえ、子供でも大人でも男でも女でも戦士でも芸術家でも・・・日常に発見があり、それぞれの技術を関係を世界を学ぶでしょう。そのことは生きてなくてはできないでしょう。きっと楽しさも苦しさも、あるでしょう。人生は、それ自身以外のことでは表現できません。しかし。それは環境、時代、資質などに関わり、なにも、この自分でなくてならないということは、必ずしも確固としたことではないかもしれません。

しかし、子供でも大人でも男でも女でも戦士でも芸術家でも・・・ただ人であればできること、それは、自分を学ぶことです。それは環境、時代、資質に関わらず、普遍的であり、しかも、この自分、この自分にしかできません。その意味では、絶対、にそうです。そこにも楽しさも苦しさも、なにも欠けることはありません。

だから、そうした。というわけではないのですが、自分は、こうだ、というだけです。「自分が何か」。ほかの人から薦められたから、できるということではありません。なんであれ、例外があるのでしょうが、自発的にしかできません。

また、よほどの決心があっても、どうしていいのか?手段が見つからないかもしれません。楽しい、苦しい、学ぶ、学ばない日常があるだけなんです。そんなことにも気がつかないほど、がむしゃらに求めること。なぜ、自分が自分なのか、生きてるのか、を問うこと・・・ もしかして、自分はすでに自分。という思いこみの前提があるなら・・・また実際に自分が自分なら、それを探求しようとすることはないかもしれません。

>「自分なんてものはない」という結論の背景には
>「絶対的な自分を期待している」があるのでしょうか。


ない、のは自我です。それを見る、自己は、絶対?という疑問でしょうか。その自己は、知覚・意識の対象にはなりません。相対も、絶対も、はいる余地?はありません。

>学んでいないとか学んでいるとか。存在にたいして、優劣を感じることは私にはあまりありません。
>共鳴しているとか、見ている世界を分かち合えるとか。
>共鳴していないとか。みている世界の角度が違うとか。
>そいう感覚はあります。


>学びというのは。測れるものなのでしょうか。
>私と共鳴しない人だからといって、この人は学んでいないという感覚は出てこないです。
>みんなが。変化していて。
>変化していること自体。「学び」。すべての人がそれぞれに学んでいるように私には感じられます。


そう感じる、そう思う、までもなく、そう、です。けど。そう思う必要があって、そう思うこともあります。それは、人が、完全には、そう、でない場合です。その欠けたところが、ありあまって世界に投影され、その人の、そう感じる、そう思う対象になります。でなくて、その人がその有り様なら、そう感じても思っても、そう感じなくても思わないでも・・・そういうことを忘れても・・・そうなんです。そして、そうだということを理解できます。

No.2198 - 2009/10/11(Sun) 11:05:26

Re: / ubik0101
この上の投稿は、どういうわけか不明ですが、hatoになっていますが・・・ubik0101の投稿です。
No.2199 - 2009/10/11(Sun) 16:42:12

Re: / potanpotan
> >◆意味があるかどうかという感覚が私にはないです。
> >どうして、意味があるかどうかということが重要なのですか?
>
> それは、potanpotanさんの、この投稿に同意。という反応です。


〇 ↑ごめんなさい。ubikiさんの書いてくださっている意味がわからなかったです。


> たとえ、子供でも大人でも男でも女でも戦士でも芸術家でも・・・日常に発見があり、それぞれの技術を関係を世界を学ぶでしょう。そのことは生きてなくてはできないでしょう。きっと楽しさも苦しさも、あるでしょう。人生は、それ自身以外のことでは表現できません。しかし。それは環境、時代、資質などに関わり、なにも、この自分でなくてならないということは、必ずしも確固としたことではないかもしれません。
> しかし、子供でも大人でも男でも女でも戦士でも芸術家でも・・・ただ人であればできること、それは、自分を学ぶことです。それは環境、時代、資質に関わらず、普遍的であり、しかも、この自分、この自分にしかできません。その意味では、絶対、にそうです。そこにも楽しさも苦しさも、なにも欠けることはありません。


〇上記のご意見を読んで、ubikさんと私は違うなと思うところは、「環境、時代、資質」などによって形成されるものであっても、すべての要素が自分であると感じているところ。

取替えのきかない自分。絶対的な自分というものは、はじめから私にはなくて。この、与えられているのか。あるいは選択しているのか。わからないですが。私が生まれて、存在している中で私として意識になっているすべてのものが私であると積極的に受け入れる中で、私は統合をしてゆこうというエネルギーの中で作用して生きているというところだと思いました。

> 自分はすでに自分。という思いこみの前提があるなら・・・また実際に自分が自分なら、それを探求しようとすることはないかもしれません。

〇自分はすでに自分・・
ubikさんの中で、自分でないものってなんでしょう。


> そう感じる、そう思う、までもなく、そう、です。けど。そう思う必要があって、そう思うこともあります。それは、人が、完全には、そう、でない場合です。その欠けたところが、ありあまって世界に投影され、その人の、そう感じる、そう思う対象になります。でなくて、その人がその有り様なら、そう感じても思っても、そう感じなくても思わないでも・・・そういうことを忘れても・・・そうなんです。そして、そうだということを理解できます。


〇欠けたところを世界に投影します。そして。学んでいます。学びきれないところは、欠けたまま、また世界に投影して、学びます。
意図していることは何もないですが。そうなっているなと感じます。

No.2200 - 2009/10/12(Mon) 00:24:21

Re: / ubik0101
>取替えのきかない自分。絶対的な自分というものは、はじめから私にはなくて。この、与えられているのか。あるいは選択しているのか。わからないですが。私が生まれて、存在している中で私として意識になっているすべてのものが私であると積極的に受け入れる中で、私は統合をしてゆこうというエネルギーの中で作用して生きているというところだと思いました。

そいえば。コピーライターだった頃、ある同僚は、流して(力を入れずに)やる仕事もあるよ、と言ってました。それが信じられませんでした。いつも、できるかできないかもわからない仕事に懸命でした。それって、取り替えのきかない自分、を自覚したい、衝動だったのかもしれません。そんな機能に倒錯してるときは、

それが自我とは、気が付きませんでした。まったく、そうであっても、気が付かないこともあって。自我は、ない、が、ある、振りをしてただけ・・・ことを見ることは・・・ある、のに、ない、振りをしてると言えば言い過ぎですが・・・気がつけない自己、を見る。ことでもあったのだと思います。そんな、

この自分が、この自分自身を知る(ほとんど理論的には不可能なんでしょうが)・・・それは世界の総活動から自我を見る。そんな、とんでもない体験が起きるのが、この世界。と思います。それには・・・たとえば。なにか学びたくないなら、その学びたくない、を学んでるのです・・・そのように総てが必要なのかもしれません。ところで、

たとえば、取り替えのきかない、というのは、その体験が起きたら、了解されます。どんなことも、自分の経緯は、取り替えられることがあったら、それは起こらなかった。と。しかし、どんなことも取り替え可能。それだけではなく、

たとえば善・悪、否定・肯定、あらゆる両極端が、完全に機能すること。それが、両極端にも、その中間にも、偏れないから、両極端が、ない、ということです。これは日常がそうで、自我もなければ、無我もない、とも表現します。

>〇自分はすでに自分・・
>ubikさんの中で、自分でないものってなんでしょう。


ふつうの日常で。歩いたり、柿の樹を見たり、鳥を聞いたり、思考したり・・・知覚は作動してるだけで、この範疇が自分、あの範疇が自分でないと、区別することはできないです。そして。 すべてが自分で、ある。すべてが自分で、ない。どちらも意識には、ないです。けれど、

もしかして、知覚や意識の届かないことなら、それは自分では、ない、かもしれません・・・そいうことは、ない、ということも考えられ、ない、かもしれません・・・でも、もしかして、

ほかの人の、たとえばpotanpotanさんの日常は・・・いくら素材は変わらないとしても・・・その感覚や思考は、知覚や意識の届かないことです。その見えない、ことを意識すると・・・やはり知覚や意識の範囲はあるので・・・ここは自分。でないなら自分ではないと、感じて・・・ほかの人ではない自分、が設定されるようにも思えます。

No.2203 - 2009/10/12(Mon) 13:10:35

Re: / potanpotan
> そいえば。コピーライターだった頃、ある同僚は、流して(力を入れずに)やる仕事もあるよ、と言ってました。それが信じられませんでした。いつも、できるかできないかもわからない仕事に懸命でした。それって、取り替えのきかない自分、を自覚したい、衝動だったのかもしれません。

〇ええーー。ubikさんはコピーライターをしていたことがあったんですか?
ああ、でも、仕事で確かに。誰がやっても良いものは誰がやってもよくて。ちょっとした変化に(例えば出産のため仕事を休むとか)縁がなくなってしまい。結局、「Sさんの音楽がいいのよ」とか。取替えのない存在というとこで響いてゆく関係性が一番続いてゆきます。また、仕事をしていても癒されたり、潤ったり・・感謝が生じて。良い感じです。
ただ、たぶんこれは、意図的に「取替えのない存在になろう!」といって達成できるものなのかよくわかりません。
自分を響いているありようのままにあったら、たまたま響く人が現れて、そういう仕事をしていたら、そういう感じになってきた。という感じでしょうか。

>そんな機能に倒錯してるときは、
それが自我とは、気が付きませんでした。

〇一生懸命がんばることを否定的する感覚は生じないのですが・・恐怖を由来に頑張るのは、痛いです。「いつきられるかわからないから」とか・・消耗してゆくのがわかります。認められようとか評価されたいという感覚を由来に頑張るのは、不満と依存が増幅するのがわかります。

私の中で、気持ちよく頑張れるのは。
いいものをつくりたい。対象がなんであれ、やっていることに対する愛情から生じている頑張りは、喜びがわいてきます。また、同じような由来で頑張れる人とは、性質やバックグラウンドが異なっても、食い違いや見解の差も大切で、豊かさにつながってゆくのがわかります。

No.2207 - 2009/10/12(Mon) 20:35:17
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