>それで。いわゆる心理的思考、葛藤は・・・あれこれと現実にないことを空想することであり・・・それがプチ世界創造っぽいので、たとえ苦しくても愉悦があって・・・それに執着する・・・と言えば言えるのだろうか、と連想しました。
人のすることなんて、全部が逃げ。でしょう。 で、逃げて、逃げて、逃げきれないトコロに立つ。 自我が苦でなく思考も苦でない、となってしまえば、それは、今のままで、そこそこ満足しているということですね。 ちょっと苦しかったら、人を責めてみる、社会を恨んでみる、空想して誤魔化す。
変容を願う発心の真剣さの欠落・・・。 変容への渇望と、自分をどうにかしなければならない苦というもの。それがなければ、自分をどうこうする必要性はないのですね。
自分の自我への限界への完璧・徹底した嫌悪、自分の心の醜態への嫌悪、あるいは思考が邪魔であることの痛感という苦が最低限の資質。ということで。 それなくして「この世界は人を覚醒させるための触媒です」もなし。
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No.2075 - 2009/09/17(Thu) 09:29:39
| ☆ Re: アレですね / ubik0101 | | | ほかの人たちの振る舞いを・・・世間とか、社会とか、呼んで・・・それらは自己を知ろうとしてない・・・そういう空想をして・・・この自分は、自己を知ろうとしてると・・・たがいに人は人を非難しあって、たがいに自分を探求する。ことも、ありでしょう。
また。そのおなじ機構を・・・世間とか、社会とか、呼んで・・・それを都合がいいときだけは自分を正当化する拠り所にして、人生を費やす自我の温床としてだけに、使われてしまうこともあり得ます。 どのようでも、ありで、そのくらいのキャパシティが、世間とか、社会にはある、と思います。
もう、そういうことは充分にあるんで、そこで、やはり、その自分、その自分、を探求しなければ・・・なぜか、その前提を見つけることで自分が自分と思う自分を否定して、その中心を探っただけなんですが・・・ほとんど困難かもしれません。とくに外に求める必要もなく、それだけで、いいんです。ここは一番簡単な方法が、一番いい方法です。
ところで。空想が、プチ世界創造で、苦しみながらも愉悦・・・なにも、だからやろう、というわけでもないのですが・・・それなら、ほんとうに、その自分のために頑張ろう・・・という世界の、人を育てるための戦略、とも言えそうです。
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No.2078 - 2009/09/17(Thu) 13:03:12 |
| ☆ Re: アレですね / peer | | | >世界の、人を育てるための戦略
ともかく、真摯な発心・・・かなっと。 世界になんの意味もない。育てようとしてもいない。 否定、否定、否定。あらゆるものへの否定。 真剣になれないとしたら、ですけどね。 否定がないから「外に求めよう」という気にもなる。 どこかに幸せがあるとか、真実があるとか。のように。 どこかに書いていたけれど、正直・素直になるというものは大事。 ですね。
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No.2079 - 2009/09/18(Fri) 01:27:20 |
| ☆ Re: アレですね / ubik0101 | | | たとえば。なにかを否定してる、その、そのこと事態。また。なにかを否定してる、その、その自分を、否定しないなら、それは、まだ完結してない否定とも言えるでしょう。その間は否定の運動が成立するでしょう。
それは、もちろん自我の機能に振り回されてるのかもしれません。 つまり否定の完結・・・全否定は、全肯定で・・・明るく開けた・・・総活動してる世界です。
たぶん、ですが。最初から、それを求めても、また、なんの努力もせず初めから実現してると見なしても。ほとんど不可能だと思います。そうでなく、否定してる、その事態を否定するに至らない・・・なにかを否定し、否定し続けるという運動は・・・止むに止まれない衝動ですが、とても役に立ちます。
どうしても人は、なにかを対象にして、そのことで、自分を感じる機能があるので。なにかを否定することは、その自分を明るみに出すということにも繋がります。自分の奥を深く探ることになります。自我の機能を、結果論的にですが、研究することになります。そのようにして否定してる世界と自分との関係を学ぶこともなります。
もともと。なにかを理解するということは、たとえば料理を食べたら見えなくなるけど人の身体になるように、なにかを得ると言うより、失うことに似ています。けど。なくなることは、なにもありません。
なにか外にあることを得ること、知識を得ることは。プラスチックの料理サンプルを集めることに近いのかもしれません。それはすでに、嫌と言うほどあります。そういうこととのバランスも顧みず、がむしゃらに否定の道を歩く・・・そんな努力をする人が好きです。
ところで、世界の戦略とは。それが愉悦でなくてもいいのに、愉悦だということです・・・「あなたの苦痛に、わたしの苦痛に、祝福あれ」・・・ うろ覚えですが、突然ですが、BBキングさんの言ったことを思い出しました。
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No.2086 - 2009/09/18(Fri) 13:27:20 |
| ☆ Re: アレですね / peer | | | 何かを知る。というのは、やはり、それを外から「見る」。 それしかないのだろうな。と思います。 世界の戦略も、その世界の外から、それを見る。 というような視点が絶対に必要です。 中にいたら、それなりの理由を、勝手に創りますね。 「それが愉悦でなくてもいいのに、愉悦だ」ということを創る。 愉悦でなくてもいいのなら、愉悦ではない。でしょ?
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No.2089 - 2009/09/18(Fri) 13:49:46 |
| ☆ Re: アレですね / ubik0101 | | | たとえば悲しみも、悲しみでなくてもいいのに、悲しみです。物質、感覚、感情、思考、総てが、そうでなくていいのに、そうです。と、いうことは、世界の範疇にないことを見なければ、困難ではあります。
そして、たとえば「愉悦でなくてもいいなら、愉悦ではない」とは、どんなことも、なんでもいい。それは、取り替え可能な負荷なだけ、という意味で言ってるのでしょうか。
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No.2091 - 2009/09/18(Fri) 14:19:20 |
| ☆ Re: アレですね / ルー | | | 「苦しみは、苦しみでなくてもいいのに苦しみである」のか、「苦しみは、苦しみでなければならないから苦しみである」のかは、わからないのじゃありませんか? もう少し、説明してください。 「悲しみは、悲しみでなくてもいいのに悲しみである」ということ。例えは何でもいいですが。 「悲しみでなくてもいいのに」と言えるのかどうか。
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No.2092 - 2009/09/18(Fri) 20:16:00 |
| ☆ Re: アレですね / peer | | | >悲しみも、悲しみでなくてもいいのに、悲しみ
悲しみも、悲しみだという基準があるんでしょうね。 「悲しみだ」と、何か決めるものがある。 現象に、その人なりの、好みの色をつけている。 とかとか〜って。
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No.2094 - 2009/09/19(Sat) 01:02:56 |
| ☆ Re: アレですね / ルー | | | 実際にあるものは、「悲しみ」だと自分が決めているだけで、自分が決めなければ悲しみではない、という意味ですか?
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No.2097 - 2009/09/19(Sat) 09:27:01 |
| ☆ Re: アレですね / peer | | | 私は、そういう意味で書きました。 愉悦も同じ。ただ何かに確定されたモノがある。 あれは悲しみで、これは苦しみで、それは愉悦と。
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No.2100 - 2009/09/19(Sat) 10:18:39 |
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