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(No Subject) / peer
>自分で通り魔だと認めたと思ったので、「通り魔である時、愛はない」と書きました。
>それについても、「あなたは通り魔です」という意味ではなくて、「人が通り魔である時は、愛はない」という意味で書きました。
>「怒りがあるところに、愛はない」という言葉に対応して書いたのです。


>感覚的にとらえる人は、このような説明など何の効果もありません。反って、違うように空想して解釈するので、全く逆効果です。

生理的に嫌っている。という言葉を、私がルーさんを
生理的に嫌っている、と勘繰り、通り魔のようなログと
・・・なったワケですが?
ルーさんが、そう感じた、というのが事実。
空想は、ひとつもなく、ただの事実が、そこにある。

>以前の書き込みで、peerさんは、「あのようなところは遊び感覚でいいのでしょうね」っぽいことを書いていたと思うので、あの掲示板に対して「真摯で正確」を求めているとは夢にも思いませんでした。
>あの掲示板は、楽しくじゃれて、刺激を与え合って、均衡が保たれているように思います。


あの掲示板に「真摯で正確」を求めていたのがubik0101さんで。
後に「素直」というものも出てきましたので、
それを求めても、難しいですね。。ということで話を続けた。
というのが事実です。

>peerさんの書いていることは、悪意がなくても、読んでいる人に誤解させるようなところがあると思います。
>私はスルーさせてもらいます。


はい。スルーすることは、予定に入っています。
だから、
>話すことがないので返事を書かなかったということを、
>「相手を生理的に嫌っている」とかいうふうにとられても、
>これまた、私は話すことがありません。


ルーさんから返事が、ないことに対して、
「相手を生理的に嫌っている」からと、なるはずは
もともと、なかったのですよ。
ではっ。

No.1981 - 2009/09/08(Tue) 09:56:55

Re: / ルー
> 生理的に嫌っている。という言葉を、私がルーさんを
> 生理的に嫌っている、と勘繰り、通り魔のようなログと
> ・・・なったワケですが?


違います。
peerさんの書き込みに対して私が返事を書かなかったので、そのことを「真摯で正確」という投稿のところに書かれたのかと思ったのです。
それは、勘違いでした。
すなわち、「生理的に嫌っている」というのは、「私がpeerさんのことを生理的に嫌っているので返事を書かない」というふうにpeerさんは解釈したのかな、と思ったのです。
peerさんが書いた最初の投稿(真摯で正確というタイトルの)を読んで、そう思ったのです。

それが事実です。

「生理的に嫌っているので通り魔と書いた」というのは、事実ではありません。peerさんの妄想です。

立場がなく、その時その時の人の様子を見て、好き勝手に人を切り刻んでゆくのが、通り魔のようだと思います。
スルーされることが予定に入っているのなら、なおさら、通りすがりに人を斬ってゆくということでしょう。

勘違いの上に立っている会話など、意味がなく、時間の無駄ですので、これで終わります。

No.1982 - 2009/09/08(Tue) 13:06:58
真摯で、正確 / peer
掲示板も、ほかの状況も同じで。
その人が嫌いだ。という生理的なものがありますとね。
そもそもの問題を話し合う、、、ことなんか、したくもない。

だって、ある意味ハラを割って、向き合うってことで。
真剣に問題を話し合う。というのはね。
しかし「掲示板では仲良く」があったら
それらしく、ふるまおうとしますでしょう。
邪険にするのも、大人げないな〜とかで。

この人の話しぶりが、どうもカンにさわる。
なんてことも、ありましょう。
つまりは「信頼できない」と、自分の動物本能がウズク。

真摯で、正確な会話をしたい。という根がある。
そうできない相手だと感じたら、ブンナゲ〜

まあ、しかし。
そういう紆余曲折をしながら、相手のハラを探る。
という人もいますから。なんとも言えませんが。

No.1953 - 2009/09/06(Sun) 10:20:31

Re: 真摯で、正確 / hato

人にかまって欲しい、愛されたい、理解して欲しい、というところが過剰にあるとき、人が思い通りの反応をしなければ、恨むでしょう。どこか根の奥底には、寂しい、人に頼りたい、があるかもしれません。そこから発生する恨み、或いは嫉み、たとえばそれを見ることができず、その本音を隠したまま、その自分を隠したまま、自分は真摯に、なにかや誰かに向き合ってる、というなら、欺瞞かも知れません。基本的にそうした動機がなければ、とくに人を嫌いになる必要も、ないかも知れません。過剰に頼りたい、ところ、そうした自分がしてきたところ、に直視して解決しなければならないかも知れません。

動機、本音。言葉はさまざまだけれど、自分自身を隠さず知る、自分の意識無意識が明白になる、まずは自身で満たされる、ことがなければ、難しいように思います。

No.1956 - 2009/09/06(Sun) 11:31:38

Re: 真摯で、正確 / ubik0101
くり返しになりますが・・・素直ということは・・・真摯で正確・・・隠れた根がないということです。
No.1957 - 2009/09/06(Sun) 11:32:12

Re: 真摯で、正確 / peer
>基本的にそうした動機がなければ、とくに人を
>嫌いになる必要も、ないかも知れません。


まあ。そうなんですけどね。

悟りきっている人達がアソコに集っている
ということでもないでしょうし。
ほとんど、そうじゃない人・・・でしょ?
様々な人がいて、様々な思惑があって。
それなりの主義主張があって来ているんでしょう。

No.1958 - 2009/09/06(Sun) 23:47:43

Re: 真摯で、正確 / peer
>素直ということは・・・真摯で正確・・・隠れた根がないということです。


愚さんが、言うところ。ですね。
人の言葉を使わず、自分の言葉で語り合いましょう。と。
何か尋ねられるたびに、偉人の言葉を持ち出す
あの本のココに、こう書かれていた。。。と持ち出す。
防御の壁が、ゴッツー厚い〜というようなものですね。

No.1968 - 2009/09/07(Mon) 11:55:04

追加で / peer
人の話なのに、すべてが自分の話だと聞こえる。
他者を褒めた話なのに、自分が褒められたと思ったり
他者を評価・批判しているのに、自分のことだと思ったり。

どんな話も、自分の中にある要素である
ということであり、自他は別ではない。
だから、人の喜びが自分の喜びであり
人の悲しみ・苦しみも、自分のモノとなる。
というような〜・・。どうでもいいけど。
またクダラナイことを書いてしまったような。
はぁあ〜退散。タイ産。では、またいつか。

No.1969 - 2009/09/07(Mon) 12:51:00

Re: 真摯で、正確 / ルー
> 人の話なのに、すべてが自分の話だと聞こえる。
> 他者を褒めた話なのに、自分が褒められたと思ったり
> 他者を評価・批判しているのに、自分のことだと思ったり。


誰の話であるのかが明確にされている場合と、されていない場合を混同して話すのは問題があるのではありませんか。
現実にはないことを作り上げて、それについて話すことになります。
今の場合は、何について書いたのかが明確ではなかった、ということでしょう。
そして、何について書かれたのかがわかった今、もう、「何について書かれたのか?」という問題は消えています。跡形もなく。

「すべてが自分の話に聞こえる」というのは、勝手な空想による解釈でしょう。

No.1971 - 2009/09/07(Mon) 14:59:17

Re: 真摯で、正確 / peer
「すべてが自分の話に聞こえる」
というふうには、なかなか、ならないものです。
それが意識的に出来た時が「共感する」という
状態ではないかと思います。
そういう機能がありながら「他人のことだ」と
人の痛みや悲しみ・苦しみを、見て見ぬふりをする。
そういう人間が、多いですね。

誰も勘違いしないように、分かるように、わざわざと
「真摯で、正確」というタイトルをつけて、
ヤフーに関しての、アレコレです、のつもりで
ubik0101さんに宛てて書いていました。が?。
誤解が解消されたようなので、もういいですけど。
では、また。

No.1973 - 2009/09/08(Tue) 00:55:13

Re: 真摯で、正確 / ルー
hatoさんも、ヤフーに関してのことだとわかって、あの書き込みをされたのでしょうか?

以前の書き込みで、peerさんは、「あのようなところは遊び感覚でいいのでしょうね」っぽいことを書いていたと思うので、あの掲示板に対して「真摯で正確」を求めているとは夢にも思いませんでした。
あの掲示板は、楽しくじゃれて、刺激を与え合って、均衡が保たれているように思います。

No.1974 - 2009/09/08(Tue) 07:17:13

Re: 真摯で、正確 / ルー
> 人の話なのに、すべてが自分の話だと聞こえる。
> 他者を褒めた話なのに、自分が褒められたと思ったり
> 他者を評価・批判しているのに、自分のことだと思ったり。


これが、意識的にできたときに「共感」したと言える、という意味で、これを書かれたのですか?

そうですか。
私は、他の人について書かれたものを、すべて自分のことについて書かれたのだと勘違いしてしまうということを指摘されたのかと思って読みました。

他者を褒めた話なのに、自分が褒められたと思ったり、他者を評価・批判しているのに、自分のことだと思ったりするなら、病気だと思います。

No.1977 - 2009/09/08(Tue) 08:10:14

Re: 真摯で、正確 / ルー
peerさんの書いていることは、悪意がなくても、読んでいる人に誤解させるようなところがあると思います。
私はスルーさせてもらいます。

No.1978 - 2009/09/08(Tue) 08:12:19

Re: 真摯で、正確 / ルー
相手をひっかけておいて、自分の話を聞かせる、という感じ。

「他人の苦しみなら見て見ぬふりをする人間が多い」ということが、自分がもともと持っている「言いたいこと」なんでしょう。

それを言うのに、利用されたと思いました。

人をもっと大切にした方がいいと思います。

人の気持ちをもっとわかった方がいいと思います。

自分はその程度の人間だから〜なんて投げ出さずに。

No.1979 - 2009/09/08(Tue) 08:38:04

Re: 真摯で、正確 / ルー
相手の身になって考えることが大切です。
No.1980 - 2009/09/08(Tue) 08:39:01
こんばんは / ルー
最近、何にも問題ないですね。
ちょっと気になるといえば、「何かに対して怒る」とかいう時に、なぜ「怒る」ということだけを取り出して、「何があったとしても怒るということは間違っているのだ」とか言うのだろうか〜ということです。
それも、まぁ、どうしても知りたいとかいうわけでもありません。
以前のように、「知らなくてはならない」という勢いで知りたいことでもないって感じです。
また、怒るというのは、もともと怒りたいのであって怒る理由を作っているとか、やつあたりだとか言うのを聞いたことがありますが、それなら、喜びというものに対しても、もともと喜びたいのであって、喜ぶ理由を作っているのでしょうか。やっぱり、それは、おかしなことであって、私には事実ではないですね。
だって、喜びたいのに、怒るような出来事があって怒るということがあるのですから。

No.1925 - 2009/09/03(Thu) 18:55:34

Re: こんばんは / ubik0101
なんとなく・・・たとえば。素直・・・真摯で正確な人は。そうだと自覚しないでも、素直、真摯で正確です。

つまり・・・そうだと自覚しなければ、そうでないというわけではなく・・・不真面目で、不正確な人ではありません。

あまりに、当たり前なんですが、ふつうに・・・なにか遊んだり、話してたり、ほかのことを考えてたりても・・・素直なら、素直なんです。

それで、素直・・・真摯で正確な人は。そのようである自分がそのようであると、いう思考、判断、認識。をしても、素直です ・・・やはり思考と、その人とは、無関係に関係する。とか思ったりしています。

この頃、ノンノンが、小さな皿ではなく、洗い桶で水浴びするようになってしまいました。

No.1926 - 2009/09/03(Thu) 22:10:25

Re: こんばんは / ルー
ノンノンは大胆なお嬢様ですね〜!
ん? ♂だったっけ?

「怒る」ということについてですが、自分が怒りを覚えるということと、怒った態度をとるということは別に考えねばならないと思いました。
自分が怒りを覚えるという時点のことは、素直であるかどうかが関係していると思います。

No.1929 - 2009/09/04(Fri) 07:21:28

Re: こんばんは / ubik0101
うーん。hatoさんは、お嬢さん、と思ってるんですが。自分は、卵が産まれてみるまでは?です。

なんか、言ったことがあるように思いますが、怒りを覚えて自制したことが、ないです。これも、くり返しですが、怒りが削除されたら、なんかの病気です。

>「怒る」ということについてですが、自分が怒りを覚えるということと、怒った態度をとるということは別に考えねばならないと思いました。

まあ。多少の不満だったら、それを表明すれば、さらに騒ぎが広がり、面倒になるので、見逃す、はあります。そんなことでしょうか。

No.1930 - 2009/09/04(Fri) 11:34:18

Re: こんばんは / ルー
> >「怒る」ということについてですが、自分が怒りを覚えるということと、怒った態度をとるということは別に考えねばならないと思いました。
>
> まあ。多少の不満だったら、それを表明すれば、さらに騒ぎが広がり、面倒になるので、見逃す、はあります。そんなことでしょうか。


そうですね。。。
何というか。。。
怒りに鈍くなる場合があると思いました。
「怒りを表明することから起きる騒ぎを利用して、自分の思いを押し通そうとしている」というふうに怒りを理解すると、相手の怒りにも鈍くなるし、自分の怒りにも鈍くなる、と思いました。
なので、怒りを感じているということと、怒りを表明するということを一緒くたにして捉えると、鈍くなると思いました。それは、変な理屈を作り出してしまう、ということです。
怒りに敏感になる必要はないのですが、そのちょっとした違和感を理屈でやっつけるのはよくないと思いました。

No.1931 - 2009/09/04(Fri) 12:53:03

Re: こんばんは / peer
>、「何があったとしても怒るということは間違っているのだ」

こんなことを某所で書きました。
・・・間違っている、かどうか、わかりませんが。
怒りがあるとき、愛がない。ということを書きたかったような気がします。

愛があるから、怒りがある。
愛が強ければ、怒りも強烈だ。
そういう場合もある・・・と主張することもできますが。
なんとなく、やはり、違和感があります。
まっ。わたくし個人の思うところです。
他の人に「そうだよね」と強要するものでもありません。

No.1932 - 2009/09/04(Fri) 13:19:06

Re: こんばんは / ルー
> 愛があるから、怒りがある。
> 愛が強ければ、怒りも強烈だ。


変な理屈ですね。

>怒りがあるとき、愛がない。

これも、変な理屈。

No.1933 - 2009/09/04(Fri) 13:34:52

Re: こんばんは / ubik0101
>「怒りを表明することから起きる騒ぎを利用して、自分の思いを押し通そうとしている」というふうに怒りを理解すると、相手の怒りにも鈍くなるし、自分の怒りにも鈍くなる、と思いました。

ほかの怒ってる人が、なぜ怒ってるのか、それを自分の勝手な空想で解釈すると、鈍くなる。投影や、誤解。ということでしょうか。それならば、怒り、というよりも、なんであれ、勝手な空想で解釈する、ということに問題がありそうです。

まったく関係ないかもしれませんが。ずっと前に書いた、メモが出てきました。『なにか、ほかの人から言われたとします。それで怒った。それは怒る前にも、その怒りは自分に潜在してた。それが現れただけです。そこで、怒りが問題、というより、それが隠れてるということが問題です』。

これから出かけます。

No.1934 - 2009/09/04(Fri) 17:50:33

Re: こんばんは / ルー
> まったく関係ないかもしれませんが。ずっと前に書いた、メモが出てきました。『なにか、ほかの人から言われたとします。それで怒った。それは怒る前にも、その怒りは自分に潜在してた。それが現れただけです。そこで、怒りが問題、というより、それが隠れてるということが問題です』。

おもしろい話ですね。
怒りが隠れているということが問題。。。
どのようなことでしょうか。

No.1935 - 2009/09/04(Fri) 18:30:20

Re: こんばんは / peer
>> 愛があるから、怒りがある。
>> 愛が強ければ、怒りも強烈だ。


>変な理屈ですね。

愛があったら、怒れません。

>>怒りがあるとき、愛がない。

>これも、変な理屈。

理屈じゃないです。ただの事実です。
・・・うーん。「愛」とは何であるか。でしょうね。
まっ。ともかくそんな感じです。

No.1936 - 2009/09/05(Sat) 01:20:43

Re: こんばんは / ubik0101
> おもしろい話ですね。
> 怒りが隠れているということが問題。。。
> どのようなことでしょうか。


それは。怒りを感じたら、躊躇せずに、表現してしまおう。ぐずぐず奥で燻らないようにしよう。では、ないです。怒りを、感じたら、感じただけ・・・それで、お終いになる、に近いのですが・・・日常・・・潜在して怒りがあるとして、どこにあるか知りませんが、奥では燻ってない、という感じです。

また。まったく関係ない話です。電車に乗ってると。なんか乱れた服装で、酒を飲んで、美しくない態度で酔っぱらってる人がいました・・・守るものがないから、恐いものがない・・・という言葉を思い出しました。自我を捨てた、という意味なんでしょうけど、いろいろあるな・・・と感じました。

No.1938 - 2009/09/05(Sat) 09:31:36

Re: こんばんは / ルー
> > おもしろい話ですね。
> > 怒りが隠れているということが問題。。。
> > どのようなことでしょうか。
>
> それは。怒りを感じたら、躊躇せずに、表現してしまおう。ぐずぐず奥で燻らないようにしよう。では、ないです。怒りを、感じたら、感じただけ・・・それで、お終いになる、に近いのですが・・・日常・・・潜在して怒りがあるとして、どこにあるか知りませんが、奥では燻ってない、という感じです。


怒りが隠れているというのは、奥で燻っているものが潜在しているという感じ、ということでしょうか。
ですので、人から何かを言われた時に、表面に上がってくるということでしょうか。

> また。まったく関係ない話です。電車に乗ってると。なんか乱れた服装で、酒を飲んで、美しくない態度で酔っぱらってる人がいました・・・守るものがないから、恐いものがない・・・という言葉を思い出しました。自我を捨てた、という意味なんでしょうけど、いろいろあるな・・・と感じました。

うん。自我を捨てたという自覚もないのでしょうね。
私もたまに電車の中で、さらに酒を飲みながら酔っ払っている人を見かけます。
生きていることが、やってられない感じなのかな。。。とか
思いますが。
「こういう姿は見せられない」という意識よりも、もっと現実の辛さの方が上回っているのでしょうか。
「こういう姿は見せられない」という相手が、いなくなっているのでしょうか。
また、酔っ払うと、違うレベルに入ってしまうということも手伝っているのかも知れません。
シラフの時には、恥ずかしいと思うかも知れません。シラフの時があるとして。

No.1940 - 2009/09/05(Sat) 10:14:59

Re: こんばんは / ubik0101
> 怒りが隠れているというのは、奥で燻っているものが潜在しているという感じ、ということでしょうか。
>ですので、人から何かを言われた時に、表面に上がってくるということでしょうか。


そうです。それが、けっこう、いわゆる修行になりました。まったく・・・幸せに悪いことをしないで暮らして、も・・・悪いことをする機会がなかっただけかも知れません。

たとえば。ふつうの日常、そうだと自覚してなくても、自分は、嘘つきかもしれない、盗人かもしれない、殺人者かもしれない・・・自我、かもしれない・・・ということです。

うろ覚えですが、キルケゴール「なにかを否定する、ということは、その可能性の否定でなければならない」。です。

No.1941 - 2009/09/05(Sat) 11:43:04

Re: こんばんは / ルー
人はいつだって、嘘をつく機会も殺人の機会も盗む機会もあるのではないですか?
機会がなかっただけということはないでしょう。
動機がなかっただけ?ということですか?

No.1943 - 2009/09/05(Sat) 14:15:50

Re: こんばんは / ルー
いや、動機がなかっただけというのも、違うな。

もし、殺人を犯しても、それから逮捕されるとか刑務所に行くとか、そういうことがないとしたら、どうかということかな。
それでも殺人を犯さないか?ということかと思います。

No.1944 - 2009/09/05(Sat) 15:10:49

Re: こんばんは / ルー
> >「怒りを表明することから起きる騒ぎを利用して、自分の思いを押し通そうとしている」というふうに怒りを理解すると、相手の怒りにも鈍くなるし、自分の怒りにも鈍くなる、と思いました。
>
> ほかの怒ってる人が、なぜ怒ってるのか、それを自分の勝手な空想で解釈すると、鈍くなる。投影や、誤解。ということでしょうか。それならば、怒り、というよりも、なんであれ、勝手な空想で解釈する、ということに問題がありそうです。


「勝手な空想で解釈する」ということですね。
いくら説明をしたところで、勝手に「生理的に嫌われている」とか「生理的に合わない」とかいう解釈をするなら、会話にならないということです。
話すことがないので返事を書かなかったということを、「相手を生理的に嫌っている」とかいうふうにとられても、これまた、私は話すことがありません。

No.1959 - 2009/09/07(Mon) 07:23:27

Re: こんばんは / ubik0101
>話すことがないので返事を書かなかったということを、「相手を生理的に嫌っている」とかいうふうにとられても、これまた、私は話すことがありません。

これは、ルーさんが、そうだと、ubik0101が解釈したと言ってるのでしょうか。そんなことは自分は、しないので。新しい芽さんとか、また、ほかの誰かのことなんでしょうか。どうであれ、主語であるHNを書いても、全然、問題ないです。話は、解りやすいのがいいです。

No.1960 - 2009/09/07(Mon) 08:53:44

Re: こんばんは / ルー
この掲示板で、最近、「生理的に嫌い」というログを書かれたことについて書きました。
すぐ下にあります。
誰か、ハッキリと書いた方がいいですか。
書かなくてもわかると思ったのですが。
書いた方がいいですか。

No.1961 - 2009/09/07(Mon) 09:04:10

Re: こんばんは / ルー
「通り魔」のようなログ。。。と思います。
No.1962 - 2009/09/07(Mon) 09:13:45

Re: こんばんは / ubik0101
では、peerさんが、ルーさんについて、そう思った、とルーさんが、思った、ということなのでしょうか。そうは思いませんでした。

もしかしてヤフー掲示板での、ubik0101の態度についての指摘かな?とは思いはしましたが・・・ヤフー掲示板で話した人は、この掲示板を知ってるでしょうし、ubik0101にコメントがあれば、ここに投稿してもいいので無問題・・・それで、真摯で、正確。の説明をしました。

No.1963 - 2009/09/07(Mon) 09:29:49

Re: こんばんは / ルー
そうですか。

通り魔に説明を求めても無駄なので、真実はわかりませんね。

No.1964 - 2009/09/07(Mon) 09:47:34

Re: こんばんは / ubik0101
まあ。これは自分の姿勢で、ルーさんへの提案ではありませんが・・・なにか疑問、質問があるなら、その相手と話し合う・・・一番簡単な方法が、一番いい方法・・・と思っています。
No.1965 - 2009/09/07(Mon) 09:57:25

Re: こんばんは / ルー
1959のログは、相手にあてて書いたつもりでした。
もし、私が思ったことが当たっていれば、相手に通じるだろうと思って書きました。
相手が何のことについて書いたのかをハッキリと書いていないので、こっちに書きましたが、
うびさんと話し合うつもりはありませんでした。
ここに書けば、うびさんが返事を書かねばならないような感じになってしまいますのにね。
すみませんでした。

相手への疑問や質問はありません。

No.1966 - 2009/09/07(Mon) 10:11:29

Re: こんばんは / peer
>では、peerさんが、ルーさんについて、そう思った、とルーさんが、
>思った、ということなのでしょうか。そうは思いませんでした。


>もしかしてヤフー掲示板での、ubik0101の態度についての指摘かな?とは

話題の中心はヤフーでのことです。
また、ubik0101の態度のことでは、ありません。
「覚醒した」と言う人に対して、他の人が、とる態度のこと。
一般的に、あんなものかな〜と。
嫉妬があるでしょう。確かに覚醒か確かめたいもあるでしょう。
同等になりたい。突き落としたい。・・・と様々。

まっ。覚醒者は、相手のエゴを駆り立てる。膨張させる。
それによって、相手の成長を自然に促している。
という作用も、あるようです。

・・・
と言いながら、通り魔は、左手に去る。

No.1967 - 2009/09/07(Mon) 11:46:30

Re: こんばんは / ルー
通り魔である時、愛はない。
No.1970 - 2009/09/07(Mon) 14:51:29

Re: こんばんは / peer
愛がないから、人を通り魔だと決めつける。
No.1972 - 2009/09/08(Tue) 00:44:12

Re: こんばんは / ルー
そう来ると思いました(笑)
どこまでいっても、自分が映らない鏡。

ヤフー掲示板について「真摯で正確」を書かれた時、愛はあったのですか?

No.1975 - 2009/09/08(Tue) 07:19:39

Re: こんばんは / ルー
「通り魔は左手に去る」というふうに、自分で通り魔を認めたのかと思いました。
通り魔と決め付けたのではありません。
書き込みがまるで通り魔のようだと思ったので、最初、通り魔のようだと書きました。その時は、ヤフー掲示板について書かれたのだとは知らなかったですし。

自分で通り魔だと認めたと思ったので、「通り魔である時、愛はない」と書きました。
それについても、「あなたは通り魔です」という意味ではなくて、「人が通り魔である時は、愛はない」という意味で書きました。
「怒りがあるところに、愛はない」という言葉に対応して書いたのです。

感覚的にとらえる人は、このような説明など何の効果もありません。反って、違うように空想して解釈するので、全く逆効果です。
真摯に正確に対応することで、反って、正確に伝わらないのです。

No.1976 - 2009/09/08(Tue) 07:30:25
(No Subject) / peer
鷺草〜きれい・・・
カレンというか、なにかを断ち切るような白い色。
(さぎそう、と入力したら詐欺僧と変換されました。
さすがに、私のPC〜。へんなクセある。)

海の両方の写真。ピーカンで夏そのもの。
と見えますが、どういうワケか
暑さよりも清々しい感じがします。

>しかしその鳴き声は、自分の中から聞こえます。

鳴き声が波動として、頭蓋骨にビンビンと当たります。
夜の虫の音は、やさしく。昼のセミの鳴き声は、突き刺すように。
音を聴いているのか、重力を感じているのか曖昧に・・。

>知覚にとっては。たとえば見えた山の裏はないのでしょう。
>たとえば部屋の壁の表面しかないのでしょう。
>そして無意識に、つじつまのあうように空想、補正してる
>のではないでしょうか。


そうです。ないものを、足しています。
ないものを、足して見る。というのも、愛かも。

No.1902 - 2009/08/17(Mon) 11:41:38

Re: / ubik0101
>さぎそう、と入力したら詐欺僧と変換されました。

なんかB級の日本映画にででくるような・・・あたふた逃げてる袈裟をつけた偽坊主の後ろ姿・・・というのをイメージしてしまって、爆笑です。

>そうです。ないものを、足しています。
>ないものを、足して見る。というのも、愛かも。


うーむ。知覚できないことは、ない、こと。と判断することは・・・誤ってて、それで・・・ある立場の自分(いわゆる中心)が、設定されてしまうこともあります。そこからは世界が、歪んだ鏡のように眺望されて、それが人を魅了することもあるようです。

たとえば山の裏側にしても、思考にしても、感情にしても、知覚できないことは、ない、ことだ・・・ない、ことは、知覚できない。知覚できることは、ある、こと。というような、知覚依存症、自分に対する過剰な全知全能感、もありそうです。

また。たとえば、自我にしても、自己にしても・・・それが、そうであるゆえに、その知覚は困難。ということも関係あるかもしれません。そいう知覚と、ある、ない、の関係に切り込んで。この現実の裏側、背景を、探りたくなってしまいます。

でも現実の裏側は見えないのだから、アスファルトの下は見えないのだから。そんなことより上を向いて歩こう。悪いことをしないで、善いことをしよう、だろ?。愛、だろ?。自己、だろ?。という指向性は世界に働いているように思えます。

No.1903 - 2009/08/17(Mon) 19:36:45

Re: / hato

鷺草、いいですね。
我が家はどちらかといえば花ものより草派なので、こうして咲くととても嬉しいです。
そういえば、昨年の今頃行ってた、長崎、そしてよく行く江ノ島にも、今住んでるこの辺りでも白鷺を見ます。ほんとに白鷺のようです、鷺草。

ピーカン。なんか、かっこいいですね。そうですね、もう秋空の気配が漂っていて。爽やかです。

人が成長するために世界が用意されてる、とそこが決着すれば、進みやすいでしょうね。本当に、この日常ですね。

No.1904 - 2009/08/17(Mon) 23:25:51

Re: / hato

もう一枚、載せておきます。

No.1905 - 2009/08/18(Tue) 23:01:28

Re: / peer
花言葉は「芯の強さ」ですね。
一直線に目標に向かって羽ばたく感じがします。

No.1906 - 2009/08/19(Wed) 00:32:57

Re: / hato

朝、待ってたもひとつが咲いていて、一緒に喜びました。

そして・・・

No.1907 - 2009/08/20(Thu) 23:01:18

Re: / peer
そして・・・?

>そいう知覚と、ある、ない、の関係に切り込んで。
>この現実の裏側、背景を、探りたくなってしまいます。


>でも現実の裏側は見えないのだから、アスファルトの下は
>見えないのだから。そんなことより上を向いて歩こう。


「あの山の向こうは?」というのは、確かめられますね。
それなのに、想像するだけで、行動しない。
行動しない言い訳に「現実の裏側は見えないのだ」と
決め込んでしまう〜という気もする。

ない、と思えたら、あるんじゃないかと疑う。ある、と
思えたら、ないんじゃないかと疑う。
そんなことからしか、何も動かない・・かな〜と。

No.1908 - 2009/08/21(Fri) 12:38:51

Re: / ubik0101
あの山の向こうは、知覚されない、ということは。知覚にとっては、ない、ということです。ただ眼の機能としては、見えるところだけ世界を見てるのではないか、という意味です。たとえば山の向こうに行って見ても、同じことです。

ところで実は。ない、ことの知覚は可能です。たとえば自我は、ない、です。それを知覚するのは、自己です。ただ、自我は、自我が、ない、ことは知覚できないようです。ただ、自我は、自我がある、ことは知覚できることもあります。

つまり、それ自身が、それ自身が、ない、と知覚できる。ということは、あり得ないでしょう。できるなら、かなりの理論破綻でしょう。

そして。それ自身が、それ自身が、ない、と知覚できない。ということは。たとえば。自我は、自我を、ない、と知覚できない。ということは、言えないことはない、です。

続きます。

今日の江ノ島の裏磯は、けっこう時化ていました。

No.1909 - 2009/08/21(Fri) 21:59:34

Re: / ubik0101
などと思考することはできるし実情に適合してるでしょう・・・その場合、ある、ない、ということの意味は、暗黙にですが、自明なことと前提にされているようです。

ここが、この自明さゆえに問題でないなら、それが問題です。このあたりが、知覚〜意識の限界かもしれません。しかし。ある、とか、ない、とかは、どういう意味?なんでしょう。

ところで。この世界には、完全な、ある、と、完全な、ない、以外のことなら、総てあります。ということは、完全な、ある、ないは、知覚〜意識の範疇にありません。これは明確なんですが・・・これをなんとか意識に教えようとするのですが、この完全な、ない、ある、は知覚〜意識には識別不能、理解不能にも思えます。

アスファルト下は見えないのだから、上を向いて歩こう。ということは、世界の秩序、美のことのようです。

アイゴです。ヒレの棘に、かなりの毒があります。

No.1910 - 2009/08/21(Fri) 22:15:42

Re: / hato

人は何をしようが鍛えられていますが、世界の機能を意識する、「意識」ってなかなか難儀よね〜、、と思いますね。

人にとって常に真実は、当たり前にシンプル なのだけど、 見たくない知りたくない、、というところかも知れません。当たり前、、それではつまらない、、しかし世界としては、、そうでなければ詰まらない、ようです。

No.1911 - 2009/08/21(Fri) 23:42:01

Re: / hato

> そして・・・?

もうひとつの株に咲きました。パパありがとう、とても可憐で美しいです。球根ができて、そのうち鷺草がいっぱい、咲いたら素敵です。

No.1912 - 2009/08/21(Fri) 23:52:03

Re: / peer
なるほど。。増えているのだ。うん。

>ある、とか、ない、とかは、どういう意味?なんでしょう。

どういう意味の言葉か、わかりませんが。
ある、というのも、ない、というのも
思考とか意識とかがあるから、言えることかな〜と。
自己でも自我でもなんでも、イイんですけど。

どうしても、どうやっても、生きて肉体がある限り
何かの違和感は残っている。のかも知れません。
「自分の問題」が、すべてなくなった、としても。

No.1913 - 2009/08/22(Sat) 01:11:22

Re: / ubik0101
なにが問題かと言えば。この世界が、こうでなくてもいいのに、こうだ。ということです。不思議。それを、たとえば、因果、と言ってしまえば簡単です。

けど。 それでは、因果、は数学の公式のように、暗黙の自明な前提、になりそうです。また、因果を、なにかの原因があって結果があるという、もの、こと、の関係。として思考するなら、それは誤解なゆえに、そうしてる、いわゆる中心が設定されるでしょう。

なら、ことさら、その中心が、ない、という、なにか暗黙の自明な前提を要するでしょう。それは、それで構わないのですが、面倒です。

このように目の前に展開されてる世界。それだけ、で探らねばなりません。それは総活動状態なのに、ある形態で展開して、このように、見たり聞いたり触ったりされるのです。

続きます。

No.1914 - 2009/08/22(Sat) 21:53:45

Re: / ubik0101
けど。たぶん。もし、それが、ある、とか、ない、とか、因果とか。解るようにできてるなら、世界は・・・ある、とか、ない、とか、因果とかとしてさえ・・・取り替え可能な負荷としては・・・機能しないでしょう。

それで。この解らないということ、それは、そうである必要があるのでしょう。不可知、な必要があるのでしょう。では、どのようにして、解らないように、なってるのか?それが、それは、それを知覚できない。それでないことは、それを知覚できない。そんなことかもしれません(要検討ですが)。

ついでに。なにかの原因があって結果があるという、もの、こと、の関係。を因果と呼ぶなら、縁起の、理解のつもりの誤解でしょう。縁起とは、どう説明したとしても、人・世界の総活動のことです。それを、やはり意識は誤解するしかないのではないでしょうか。

No.1915 - 2009/08/22(Sat) 22:14:28

Re: / hato

それで、縁起、というより、むしろ因果の誤解を一気に表明するとしたなら、

「イカは焼いてもタコにはならない」。

なんと、悲しくも実用的なのでしょう。ダーリンが気に入ってくれたのでよしとしておきましょう。

「好雪片々別處に落ちず」。

縁起。なんと美しいのでしょう。誠に美しい、のです。美しくその秩序。美しく、真実です。

縁起を擬似的に誤解するとき、それを因果、と呼ぶことができると思います。意識はその作用として既に焦点であり、基本的に世界を水平方向に眺めて、その事態をとりまとめた内容での理解がしやすいと言えそうです。そうしたことは、人によってもし必要なら、成長を理解していく上での添え木、として見ることができるかも知れません。

このようなことは、やはり人がその意識をして、この世界、その事象のある、ない、、その心の、ある、ない、、を探求することで、見始めることができる、徹底される、と思います。

No.1916 - 2009/08/22(Sat) 23:33:31

Re: / ubik0101
あと。この世界によって作られた、人は、たとえ呼吸をするだけでも、呼吸を止めるだけでも、世界を作りかえ続けてる。これは宇宙の続く限り、続くでしょう。これを、因果、とも呼べるとは思います。
No.1917 - 2009/08/23(Sun) 00:10:58

Re: / peer
>この世界が、こうでなくてもいいのに、こうだ。
>ということです。不思議。


ひとりひとり、感じている世界は違うでしょうし。
誰かは「こうだ」と感じても、他の人は、また違う「こうだ」になる・・・ような・。
誰かにとって「嫌だ」と思うものが、他の人は「好き」。
ともかく。ひとりひとり、生きている世界が違うようです。
意識を持って、ということは、分断されてますから。ね。
意識を持って「在る」となっている限り。そんなものかな〜と。

No.1918 - 2009/08/23(Sun) 10:50:12

Re: / ubik0101
まあ。あれですよ。意識も、世界の機能です。そして、なにか同じ出来事、言葉について、いろんな勝手な立ち位置で判断ができます。そうならば、とりあえず、その件について・・・たとえば意見の違う相手の立場になるとか・・・友人の立場になるとか・・・ また、あれこれ非難・・・正当化する・・・非難正当化しない・・・

・・・ありとあらゆる立場の判断を真摯に正確に「思考して思考して思考しまくる」んです。そうすれば・・・あることと、類似なことと、反対のことと、無関係なことがあるのですから・・・その自分の立場だけではなく、あらゆる立場を見たら、大雑把な説明ですが、どの立場にも拠り所を失い・・・思考は不成立になります。

また、もっと簡単に。そんな、いろんな立場を空想だと知って、あれこれ思考しない、ということもできます・・・たとえば相手との違いがあれば、直接、相手に聞けばいいのです・・・そのようにして思考は、思考が終わるように働く、ことを学ぶ。のが役目でもあります。

No.1919 - 2009/08/23(Sun) 20:57:46

Re: / hato

さて、今日の晩ご飯はさっそく、我が家で今もっぱら話題のイカでした。イカ野菜詰めubik0101風。ちょっとお洒落に、バジルを添えてみました。

No.1920 - 2009/08/23(Sun) 21:21:17

Re: / peer
とりあえず、思考は、単なる道具・・・なわけで。
誰がその道具を使っているのか、が、ポイントかな〜と。
なんにしても自分の外に出てみないと、本当のものは
観えない。ということでしょうか。
そう。終わりにしないと。

イカ・・・美味しそうです。

No.1921 - 2009/08/24(Mon) 00:05:53
(No Subject) / peer
>ほかの人が、つまんない空想を事実と見なして葛藤してると、
>なぜ、そんなことも理解できないのか?
>が、その人の問題のこともあります。


ほとんど、その人の為の問題だろうと思います。
そして、それを見て、観る人が学べる。ということもあります。
ひとつで、二度、楽しめる構造なのでしょう。

>なにかを思考するということ。ある意味、AをBと言ったりすることは
>簡単ですが。A=A。そのようであることを、そのようであると
>表現すること。そのことが問題なくなるためには、素直であること、
>つまり真摯で正確なことなど、かなりの研鑽が必要に思えます。


AをBと思いこんでいたら、A=Aに気付かないのでは?
それでは、素直になるも真摯であるも、できない。
思い込みだと気付かないのは、素直でない、真摯でない。
ということでしょうか?

No.1885 - 2009/08/10(Mon) 23:47:28

Re: / ubik0101
ふと思い出したのですが、学生時代、級友に「みな人は、ない、ものを守ってる」。と言ったことがあります。つまり自我は、虚構。そんなことは、気分、感覚、あるいは思考としては、気がつくことができます。でも、それは、目の前に突きつけられるように了解するということとは、違います。

まあ、 気分、感覚、あるいは思考として、気がつくことは、自我が自我を見ただけかもしれません。(そのくらい自我も、なんでもありなんです)。なんであれ、自分のことしか話せませんが、自我であった日常、一度しか、自我に気がつきませんでした。なにか自分の言動を、ほかの人に披露したとき、『これは自我かな?』、と、ちらっと疑っただけです。

これを、問題にしないならば。自我であれば、その人は、自我に気がつかない。とも言えると思います。なにか黄色い光の電灯も、慣れてしまうと、とくに黄色と意識されなくなるように。AであればAであることに気がつかない。とも言えます。

続きます。

No.1886 - 2009/08/11(Tue) 13:31:50

Re: / ubik0101
そこで、自我に気がつくには、自我は、折々に現れる葛藤とか、心理的思考とか、自己顕示とか、であると見なすこと。AをBとする、思い違いが必要なのかもしれません。それには、BがなければAもない、つまり葛藤がなければ自我はない、という隠れた誤解、を前提にする必要があるかもしれません。

>AをBと思いこんでいたら、A=Aに気付かないのでは?
>それでは、素直になるも真摯であるも、できない。


それで、この、『これは自我かな?』と、ちらっと疑った。それは疑う必要もなく疑ったのですけど・・・まったくそうでなければ、まったく疑わないだろうから、事実、そうなのだろう。という、透明な水の、わずかな不純物にも注意する姿勢で疑う、ということをしていました。ここは、自分で自分の身体を解剖する医者のように、真摯で、正確なことが必要だと思います。

たとえば葛藤や軋轢も起こらなかったとしても。一生、なに不自由のない生活をして、なにも問題が起こらなかったとしても。自我の可能性が、ない、というわけではないです。たとえば困窮してないために盗みをしなかった、その可能性も、問題にするんです。

続きます。

No.1887 - 2009/08/11(Tue) 13:32:29

Re: / ubik0101
ささいなことかもしれない、自分の行動、発言、思考、それの起こり来る、それに正当性を与えてる、意識されないかもしれないけれど、勝手な理由、前提を明るみに出すんです。

ただ自分の思考などを観察するのでは、困難なのですが、なにがなんでも、その中心を見たいという強い意志があれば、そのようにしてAをBとかCとか思い込んでる。そのこと自体には気がつけます。

そのためには、いろんな常識や習慣の飛び交う社会の中で、自分で自分を解剖する、こと、にあたるために、そういう社会的なことは邪魔なので、よく見て捨てる・・・そうしながらも学んでいるのですが・・・それは絵の具を塗り重ねて絵を描くというように加えるというのではなく、彫刻のように余計なことを削り捨てることで顕れる特質であり・・・人は必然的に、素直になるしかありません。これを否定の道、自分を掘り起こす、とか呼んでいます。 これには、かなりの努力が必要です。

>思い込みだと気付かないのは、素直でない、真摯でない。
>ということでしょうか?


それでも、そいう努力は自我の完成、自己の了解なくして、意味を持ちません。しかも、自己を自覚しようとする、日常意識は、自己をAとして、それをBと知覚、認識、表現することしかできない傾向にはあります。たとえば。自己は自己だ。自我は、ない。そんなことさえ、それは、自我の機能になり得ます。

続きます。

No.1888 - 2009/08/11(Tue) 13:35:28

Re: / ubik0101
くり返しますが、自我だって、なんでもあり、なんです。でなければ、自己を学ぶことは不完全になるのでしょう。こんなことが明確ならば、 自己は無自覚。自己は、観察不能です。ということは納得できるでしょう。 これは、そうであることを、そうであると。つまりAはA。というより、ただAです。

ここの説明としてはですが、AはAと知覚、認識、表現することはできない、のですが・・・完全にそうだとは言い切れない揺らぎがあり・・・そうできない、といういうことは、知覚、認識、表現可能です。ということ、それを踏まえて、AはAと言うよりも。ただA、は表現可能です。とも言えます。

それにまた。夏。いくら暑い、暑いと、思っても、暑い。ということはあります。俺は怒ってるんだぞ、と思おうが思わなかろうが、怒りが生起したら、そのまま知覚されます。 ということはあります。とくにグラウンド、背景、前提が問題でない、現象、事象は、AはA、そのように顕れ知覚されるのでしょう。

No.1889 - 2009/08/11(Tue) 13:37:01

Re: / peer
>『これは自我かな?』と、ちらっと疑った。

これ、というのは過去のことで
疑ったモノも自我そのもの、のような気もするし?
うーん。いったい何者が疑ったのでしょう。
自我が自我を見ただけかもしれません。とありますが。

No.1890 - 2009/08/13(Thu) 13:01:31

Re: / ubik0101
そ、です。過去、その時点で。ほかの人に話した自分の言葉を自分で聞いて、『これは自我かな?』と疑った、のです。つまり自我な自分が、自我な自分を、ちらっと、自我な自分ではないか?と、疑ったのです。

なん度でも言います。自分の行動は、自分に判ります。自分の発言は、自分に聞こえます。自分の思考は、自分に知覚できます。そうでなくても、いいのに、そうです。これは不思議で、神秘です。

そこで、自我でない自分が、自我な自分だと。自我な自分が、自我でない自分だと。つまりAをBと、BをAと思考するのは、あり得るけれど。AをAと思考するより、よほど奇妙ではあります。

No.1891 - 2009/08/13(Thu) 17:48:54

Re: / ubik0101
追伸。

「みな人は、ない、ものを守ってる」。と言ったときには。もう自分には、守るものはない。と、勝手に思ってて、自分の自我には、気がついてなかったのです。

No.1892 - 2009/08/13(Thu) 22:30:28

Re: / peer
>自分の行動は、自分に判ります。自分の発言は、自分に聞こえます。
>自分の思考は、自分に知覚できます。


谷川俊太郎さんが
(言葉と言うものは、本来「わたし」以外の誰かが「わたし」の口を通して話しているのを「わたし」が聴く。
そういう屈折した経験なのです)。。
と書いています。
私は、なるほどなーと感心して、覚えていました。
詩人だけに、言葉に対して敏感だなぁーと。

自分の言いたいことがあっ、あらかじめあって、それを告知するのではない。と。
今、自分が何を話しているか、これから何を話をするかを自分は「知らない」。
だから、自分の声に耳を傾ける・・・という形で言葉に対する最初の「敬意」は生まれる。
そうやって自分自身の口から出てくる言葉の「静けさ」を聴く訓練を積む。

というようなことで。分かりにくいですが。

>「みな人は、ない、ものを守ってる」

これを「みな人は、ない、ものをもっている」と読んでいました。
「ないもの」って、なんだろうなぁ〜って・・・哲学的だ〜と。
「守っている」だったですね。。

No.1893 - 2009/08/14(Fri) 02:36:57

Re: / ubik0101
うーん。頭の中で、知らない誰かが、勝手に喋ってて、それを聞いてる「わたし」がいる。とも読めなくもないようです。なにかを考えようとしてなくても考えてる。でも考えようとしても考えられる。その「わたし」は、空白、静寂なのでしょうか。

そいえば、ずーと昔。なんかの雑誌に、名前は忘れましたが、詩人のインタビューが載っていました。詩は、ひとつの文章が短くて、たくさん空白があります。その空白がなぜあるのか、分かりません。という話でした。

それが分からないで、詩を書くのも、ある意味、意味ある、のかもしれませんが。うーん。なにかの、もの、こと、が生起するのも、なんか似たようなことにも思えます。

それに。どうもビルや山などを見ると、映画のセット(書き割り)のように、その裏側はないように見えてしまいます。この現実の裏側は、どーなってるんでしょう。るんでしょう。

No.1894 - 2009/08/14(Fri) 16:18:23

Re: / ubik0101
ついさっきです。また、カブトムシが来訪しました。こんどは部屋の中を飛び回って、ちょっと騒ぎになりましたが・・・hatoさんと撮影会のあと逃がしました。これは窓のすぐ前にある、おおきな樹に関係があるのかもしれません。この前のと、角の形が違います。
No.1895 - 2009/08/14(Fri) 22:25:10

Re: / peer

メスは戦う必要がないので、ツノがない〜。

No.1896 - 2009/08/14(Fri) 23:50:53

Re: / ubik0101
ふむふむ。そのように、もの、こと、の生起する、この世界は・・・絶対無の海に浮かんだ、木の葉のような・・・戦いの現場〜。も、ある意味、意味ある(けっこう気に入ってる言い方)、空想、妄想、幻想、かもしれません。しれません。
No.1897 - 2009/08/15(Sat) 13:25:49

Re: / peer
>そのように、もの、こと、の生起する

蚊は、なんの意味があって存在するのか・・・
私が神なら、作らなかったと思う。ホントに、いらないです〜
なんだか雨が多かったせいか、いつもより蚊の発生が著しく。

>どうもビルや山などを見ると、映画のセット(書き割り)
>のように、その裏側はないように見えてしまいます。


離人感でしょうか。極度になると離人症になりますが。
そんな症状もある意味、人の世の虚偽を見抜いている・・・
のかもしれないと思いますです。

No.1898 - 2009/08/16(Sun) 00:09:23

Re: / ubik0101
しばしば、このアパートでは、夜でも蝉の鳴き声が聞こえます。ちっち。ちいちち。それが闇に光る音のように知覚されます。

それは、どこか暗い部屋の窓の外から、どこか林の樹から、聞こえるのではありません。ちっち。ちいちち。あるいは南から、あるいは東から、その方向は明確です。しかしその鳴き声は、自分の中から聞こえます。

そして朝です。いい天気。「静けさや岩にしみいる蝉の声」。なんて蝉時雨です。その作者の意図は知りませんが・・・それは自分という岩にも、実際の岩にも、つまり世界にしみこんでいます。

そいえば。ずーと昔は、ぐるっと、とてつもない質量の世界が取り囲んで、説明すればですが、その中心に、自分がいるように見えてたんだと思います。

でも。そうじゃありません。「荒海や佐渡によこたう天の川」。そうなんだ。これも、説明すればですが。そういう意味での、世界を見返してる実体としての中心が、あるでも、ないでもない。ということ、なのでしょう。

たしかに、知覚にとっては。たとえば見えた山の裏はないのでしょう。たとえば部屋の壁の表面しかないのでしょう。そして無意識に、つじつまのあうように空想、補正してるのではないでしょうか。

江ノ島の東浜です。

No.1899 - 2009/08/16(Sun) 14:04:32

Re: / hato

昨日の江ノ島は、夏らしい景色でした。

すこし泳ぎましたが、お盆過ぎのクラゲに初当選。ubik0101さんが子供の頃、一ヶ月も腫れて大変だっだぞ〜て脅かしましたが、1日で治りました。昨今の薬は凄いのかしら。釣り具合もお盆仕様でしたが、なんとも夏の磯臭さ、熱い浜には蛤をあぶってる屋台の煙のにおい、、歌謡曲が流れ、、灼熱の太陽に、海風が心地よく吹いて、ヨットの白い帆。「メカジキてカジキ鮪のメス〜?」「そんなわけないだろ」なんていいながら帰りました。

自分のサイトの言葉やデザインは、形になって出たものをとりあえず置いてみると、その後ぴったりのところに落ち着いていく感じです。調整や色合わせも楽しみです。

本当にこの自己と世界の機構は、不思議に素晴らしくできてる、と思います。

No.1900 - 2009/08/16(Sun) 15:32:19

Re: / ubik0101
カーテンを開けると、今朝、鷺草が咲いていました。
No.1901 - 2009/08/17(Mon) 09:35:26
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