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(No Subject) / peer
>その、いわゆる中心が、どう機能するかなどを、観察したり、
>研究することよりも。その中心が、ある、とか、ない、とか
>捜索するよりも。その中心が、どのようにして生起するのか、
>それを見れば、それで解決です。


まっ。いまのところ。
中心は、あってもいい。ような感じがしています。
中心点から、自分、世界、宇宙へと多重に拡がる輪がある。
その層が、幾重にもどこまでも広がっている。そういう図。

どんなにしても、あるのは、関係性だけのように思います。
自分があるとか、誰かがあるとか。ではなく。
瞬間瞬間にある、自分と誰かの関係、自分と仕事の関係
自分と社会の関係・・・みたいに。
そこに生命感がある。のかな、と。

「自分」だけでは、なんにもない。
みたいな。

No.1846 - 2009/07/22(Wed) 00:41:00

Re: / ubik0101
いわゆる自我は、仮に設定された中心で、それを実体と見なしてることが問題、とも言えます。

たとえば、なにかへの、執着。それは愛が、ない、こととして顕れてるのに、それを愛で、ある、と思い違うために。

たとえば自我は、自己で、ない、こととして顕れてるのに、それを自己で、ある、と思い違うために。いわゆる葛藤や軋轢が必要なのでしょう。

そういう思い違いが、愛に、自己に、出会うことで解消されたら。たしかに、中心が、あるとかないとか、ことさら意識することも、しないことも忘れてしまって。

それでも見聞きしたり、なにかとか誰かとか、関係したり、関係しなかったりする。それを、まあ性格が悪いこともあって、どちらかを重視することもなかった、と思います。

イメージするならば、ですが。そういう関係したり、関係しなかったりは、よこいと(緯)。あるいは泥沼と。人が自己であることは、それを貫く、たていと(経)。あるいは蓮華の華と。そういう図。しかし、それも忘れがちです。

>「自分」だけでは、なんにもない。
>みたいな。


この言葉を見て。この世界では、なにか関係があるから、自分を感じられるのかな?なにも関係がないと、自分を感じられないのかな?と、ふと思いました。まったくの関係、つまり完全な融合も、まったくの無関係、つまり完全な分離も、成立しないように思えます。

No.1847 - 2009/07/22(Wed) 21:41:53

Re: / peer
う〜ん、。わたしたちは、物質ではありませんから。
存在があるとしたら、この世界との関わりで、何があったか・・・何をしたか。
それだけかと、思います。
そして、何をしたいか。だけ。のようなもの。

世界と言うオモチャを与えられて、どう遊ぶか。
どれだけ遊べるか。みたいな感じ。
まっ。わたしが、そういうスタイルである。
というだけのことですが。

No.1848 - 2009/07/22(Wed) 23:59:33

Re: / ubik0101
それで、なんでもありの世界という、素材、で。なにを行動しても、しないでも、話しても、しないでも、思考しても、しないでも。たとえば、そんな、筆、に使われるとしても、使うとしても。 それぞれの、絵、が描かれます。

それは、たんなる素材の配置ではあっても、それではない。する、しない、という筆の痕跡ではあっても、それではない・・・ただの色の点の配置によって、たとえば、美、が顕れるように・・・その自分を、つくってるのではないでしょうか。

たとえば、おもちゃで遊ぶ。そんな自分を、も。そして、それが世界を、つくり変え続けています。その人の意に世界は添います。

そのためには、どのような素材も筆も、総ての意味を孕んで、無意味。たとえば、関係性も、無関係性も・・・なんでもあり・・・ゆえになにかと限定してもいいけれど。限定されない。でなくては不可能。そこで、いかに、ではないでしょうか。

No.1849 - 2009/07/23(Thu) 12:28:04

Re: / peer
>そんな、筆、に使われるとしても、使うとしても。
>それぞれの、絵、が描かれます。


ですねぇ。
なにか、与えられて遊ぶと書くと、世界と自分が別々で
自分が世界を使うように受け取れそうですが。
やっぱり、そうじゃなくて。一体になる。
という感じがします。。。
自分と世界の間に隙間がない。
隙間があることが、葛藤とか苦痛が生じることで。

とはいえ。世界は今日も暑いです。

No.1852 - 2009/07/29(Wed) 12:49:23

Re: / ubik0101
たとえば。世界によってつくられるのは自我なんですけど。その同じ機能が、転換されて、「悪いことをしないで、善いことをしよう」。という、その人の良い特質をつくることにもなる。とも言えます。

そのように、おなじ、もの、こと、言葉、でも、いろんな意味が見いだせる、ことがあります。それが固定されると、束縛にもなり得ます。

まあ、隙間、という、おなじ言葉でも、葛藤や苦痛の原因としてでなく、ほかの意味が見いだせる、かもしれません。自己は、世界の範疇にないことが世界から生じた、とも言えます。

そのことを、世界と自己とに隙間がある。とも、ちょっと苦しいけど、言えば言えます。また、隙間が、葛藤や苦痛の原因ではないかもしれません。

また。葛藤や苦痛がない、ということは、世界との隙間がない、ということでもなさそうです。隙間があるとしても、それを、ことさら広げたり狭めたりしたいなら、葛藤や苦痛は起きるかもしれませんが、もっと深い仕組みがあるかもしれません。

ほかの人が、つまんない空想を事実と見なして葛藤してると、なぜ、そんなことも理解できないのか?が、その人の問題のこともあります。

なにかを思考するということ。ある意味、AをBと言ったりすることは簡単ですが。A=A。そのようであることを、そのようであると表現すること。そのことが問題なくなるためには、素直であること、つまり真摯で正確なことなど、かなりの研鑽が必要に思えます。

No.1859 - 2009/07/29(Wed) 22:00:24
・・・どうも〜 / peer
>よく冷えて結露した赤いカンを渡されました。
>ところが、一息ついて、そのカンを、よく見ると、サイダーでした。


そういえば、ビールのパッケージには、かつてはブルーとか
ゴールドやシルバーなどが、ほとんどでしたが、
アサヒが赤のパッケージで売り出した時「赤では売れないよ」
という前評判を覆して、売れました。
意外性が勝ったというか・・・。
ビールが赤でもイイじゃない。なんでもアリじゃない。みたいな。
ところでしょうか。マーケティングって、面白いですよね。

>ただ街を歩いてることだって、危険とか安全とか、判断して、
>ほとんど自動的なので気がつかない、といったことだと思います。


ふつうは、そうなんですよね。危険があることに、気付かない。
社会不安障害とかは、敏感すぎて、外を歩けません。
風が皮膚にあたっても、痛いと思う。。。そんな感じでしょう。

ずっと「地震があったらどうしよう」ということが頭から
離れなくて、生活に困難が生じている。なんてことがあります。

No.1833 - 2009/07/14(Tue) 23:48:14

Re: ・・・どうも〜 / ubik0101
マーケティング。すこしは関係ある、広告の制作をしていました。とくにコピーは、経験値とかが、まったく意味ないんです。そのつど、0から始める仕事です。

まず商品特性や市場動向などは見えない前提にしてしまって、いいものを作りたいという、熱意、だけです。ボールペンのインクを3日で使い切り、一行のフレーズを亜空間から発見する、根性、という感じです。

>ふつうは、そうなんですよね。危険があることに、気付かない。

まあ、たしかに怖いもの知らず、ということがあります。とくに子供は、危険な場所に行ったりして。そういえば自分も、長崎の急な坂を自転車のブレーキを踏まずに降りて、自慢だったことがあります。自覚できないでも、慢心があるのかもしれません。

そいえば超うろ覚えですけど。キルケゴールが、怖いことを怖くないと思う、怖くないことを怖いと思うのは子供で。怖くないことを怖くないと、怖いことを怖いと知るのが、大人とか、書いてたような気がします。

>ずっと「地震があったらどうしよう」ということが頭から
>離れなくて、生活に困難が生じている。なんてことがあります。


まったく空想なんだけど、事実として、起こり得ることを、心配するのでしょう。その不安とかは、事実だし・・・その不安によって、自分が自分と思う自分をつくってる・・・その自分がまた不安を捏造する・・・ループから離れられないのでしょうか。

そういえば、狂ってる人は理論的だ、とか。狂ってると分からずに狂ってるのではなく、狂ってると分かっていても自分では、狂ってることをどうしようもない、とか聞いたことがあります。たしかに風邪と分かっているだけで、風邪が治るわけではない、です。

No.1835 - 2009/07/15(Wed) 16:08:50

Re: ・・・どうも〜 / peer
え〜と。私も、ほぼubikさんと同じ業界で生活していました。
もう過去のことになりましたが。
結果が出て商品が売れて〜ナンボの仕事でしたね〜私の場合は。
だから毎日がギリギリ・・・。

>自覚できないでも、慢心があるのかもしれません。

まっ。それも愛がある状態ではないか、と思います。
自分は世界に愛されている、自分も世界を愛している
自覚があろうがなかろうが。
愛がなければ・・・怖いでしょう。
そんな愛の中にいたら、自分を守らなくてもよいワケでして。

>風邪と分かっているだけで、風邪が治るわけではない、です。

どうなんでしょうねぇ。
病気は「自分」が作ってますから・・・。
もしかして、風邪と分かっていたら、治るかも知れません♪

No.1837 - 2009/07/16(Thu) 01:12:19

Re: ・・・どうも〜 / ubik0101
まあ、その、空想の地震を見張ってる人も、かなり奇妙ですけど・・・その人に注意深くあることが実現されたら・・・不安によって自分を捏造する必要がなくなったら・・・その不安は、注意深くあることの影だった、補償作用だったと、も言えます。

たとえば執着も、それは愛の、奇妙ですけど、その影と、補償作用と、言えないことはない、です。それさえ愛、がないと起こりえないので、それを愛、とも呼べば、呼べないこともない、ということでしょうか。

ところで。もともとの病気の発生原因が分ったから治る、ということはあるでしょう。けど、あれこれ症状が分かった、から、治るということではないでしょう。

また、病気でも、自覚症状がない、ということがあって、それは、治ったわけではない、もあります。また、治ったけれど、症状は分からない、もあり得ます。どれかというわけではなく、それで困難、といえば困難とも言えます。

No.1838 - 2009/07/16(Thu) 12:54:59

Re: ・・・どうも〜 / peer
>まあ、その、空想の地震を見張ってる人も、かなり奇妙ですけど
>・・・その人に注意深くあることが実現されたら・・・


たぶん、その人は、世界が空想なのだということを
分かっているのではないかと思うのです。
しかし空想のままでは消えてしまいそうなので、
取りつくものが、必要なのかも知れません。

・・・数年前に事故にあって、それ以来、
どこそこが痛いんです。という人がいまして。
どんな治療をしても、その時は良くなるけれど
すぐに、また痛くなる。。ということでした。
で、治療をして、痛みがなくなった、その人に
事故の記憶を消してみてください。と指示する。
痛みと事故の記憶を結びつけることが、痛みが
ぶり返す原因なのだ・・・ということで。

これは、あんがい効果があるようです。
じっさい、上手く痛みと記憶を結びつけない
ようにすると、自分で自分を治してしまいます。
人間というのは、ほんとに不思議な生き物です。

No.1839 - 2009/07/17(Fri) 00:27:56

Re: ・・・どうも〜 / ubik0101
あることと、ほかのことを結びつけて、出会い頭に、理解しようとする・・・けど総ての分野・・・あることと、類似のことと、反対のことと、無関係なこと、を網羅してるわけでないので、結果的に、その思考の内容は変わっても、その形式は一定、ということもありそうです。

たとえば慈しみと憎しみ、暴力と非暴力はおなじこと。などということは、思考が馴染みの道筋を辿るというだけで、狭い分野の活動と言えます。なにか意味を見出そうとするのでしょうが、その形式の範疇に執着してる。執着させられてる。その人の有り様。ということもあります。

また逆に。突飛なことを結びつけて思考することに縛られる。もありそうです。たとえば、偶然の一致をことさら結びつけて、そこに意味があるかのように思いこみたい。シンクロニシティ、とか。結果から原因を探る因果、とか。また、なんだかの関係を度外視すること、とか。どれも、偏り、拘り、になり得ます。

ところで。hatoさんと一緒に、この連休。めざせ自給自足、というわけで田舎を探索してきます。

No.1840 - 2009/07/17(Fri) 12:53:16

Re: ・・・どうも〜 / peer
結局・・・中心があるうちは、どうしようもない
ような気がしています。自分の都合の良いこと。
そこから離れられないのではないか・・・と。

>hatoさんと一緒に、この連休。
>めざせ自給自足、というわけで田舎を探索してきます。


おおぉーー。うまくいくと・・・いいなぁ。

No.1841 - 2009/07/18(Sat) 00:17:30

Re: ・・・どうも〜 / ubik0101
その、いわゆる中心が、どう機能するかなどを、観察したり、研究することよりも。その中心が、ある、とか、ない、とか捜索するよりも。その中心が、どのようにして生起するのか、それを見れば、それで解決です。

そうでないなら、たとえば自分の都合に、周囲を合わせたい、その仮の中心を、ほんとの中心でない、などとも思ってもない、そんな状態なのでしょう。

たとえば自分によって、都合のいいようにしたいという思考が生起してるのではなく、そんな思考によって、自分が生起してる、仮定されてる、この場合は中心は、虚構です。

いわゆる中心が、いわゆる分離とか断片を作りだしてるのではありません。まったく逆です。いわゆる分離とか断片が、予め、いわゆる中心を作りだしているのです。これだけです。

しかし、それは、概念ではなく、事実として、そうだと。ということを概念的に知っても、どうにもなりません。 誰でも、自我が問題だ、と思うのですが、その事態が、目眩ましになる、こともあります。

それは、たとえば自我が希薄なら、また消去すれば。また、極限まで強ければ、理解される。ということでも、ありません。それだけでは、解決しません。

それほど徹底して人は、自我ではなく、自己でなくては、ならない。ということです。ベースは、 自分は何か?です。 また、人が自己であり得るようになってる。そのために仮定された中心が用意されてる。これは恵みです。

>おおぉーー。うまくいくと・・・いいなぁ。

うん、実現できると嬉しいのですが。あかるい緑の平野という感じで、たくさん河もあって、畑や樹も、とてもいいです。ちょっとクルマで走ると、たくさんの堤防がある漁港もあって。メバルなどが釣れました。

No.1842 - 2009/07/21(Tue) 11:27:11

Re: ・・・どうも〜 / hato

> うん、実現できると嬉しいのですが。あかるい緑の平野という感じで、たくさん河もあって、畑や樹も、とてもいいです。ちょっとクルマで走ると、たくさんの堤防がある漁港もあって。メバルなどが釣れました。

ちょっと神経質なダーリンが、「自分も運転する〜、」なんて言ってたので、よほど気に入ったかな、の感じでした。自給自足してるおじさんの話聞いて、畑を見て、釣りに行って、蕎麦打ち体験したりして。あかるい平野の緑に憩った三日間でした。

今のアパートも、これで不思議に自然の坪庭との感じで、なかなか気に入ってますが、自給自足。いいですね。時がきたらそれもいいかな、と思います。

こちら、可愛いフグくん。いいお天気でいい海で、釣られてしまってぷーぷーおこってました。メバルと同じ、ちょっと見つめ合って、すぐ海に戻しました。

No.1843 - 2009/07/21(Tue) 21:32:12

Re: ・・・どうも〜 / hato

健気で愛らしい、緑の家のナナです。

No.1844 - 2009/07/21(Tue) 21:39:40

Re: ・・・どうも〜 / peer
おおーー。みごとなフグ。こんなところにフグですか〜
どうするのかと思ったら、海に戻したんですね。
・・・それは、よかった。

その明るい緑の平野。よさそうな感じ。

No.1845 - 2009/07/22(Wed) 00:32:02
世界 非意味 その不思議 / ubik0101

ところでhatoさんがHPを開設していました。今日は、サバの塩焼き弁当です。

http://space.geocities.jp/hiimi0101/

No.1834 - 2009/07/15(Wed) 12:22:38

Re: 世界 非意味 その不思議 / hato

ご案内を、ありがとうございます。

3月に開設して、5月半ばやっとカウンターを付けました。もういくつかまとめて書くことがあるかも知れませんが、そのうち、日々綴り合うようなものも設置するかも知れません。
ブラウザによって、とくにMacで作業しているので、Winですと、表紙の画像や文字の位置がかなり変わりますが、あまり手の込んだ手入れはできないので、少しずつ、と思います。

本日晩のお食事は、

頂き物のお酒で料理してくれた、鯛の酒蒸し、とても優しく上品な食感の太刀魚の塩焼き、ハーブソルトで焼いたカンパチ。なかでも鯛の酒蒸しは、鯛の色がきれいで、身はふっくらしており、大変嬉しく頂きました。

No.1836 - 2009/07/15(Wed) 23:23:25
単独者 / ルー
どこにいても、自分である、ということですね。
No.1806 - 2009/07/12(Sun) 06:45:00

Re: 単独者 / ubik0101
どこにいても、というのは微妙ですが、ルーさんの表現なのでしょう。それは単独者という概念とかではなく。たとえば、なんでもありゆえの無意味。を、恐れない。なにか、あれやこれやの意味に逃げない。それは、ほかの人に紛れ込んで生きてはない。その事実。ということだと思います。
No.1809 - 2009/07/12(Sun) 12:54:22

Re: 単独者 / ルー
ほかの人に紛れ込んで生きる、というのがわかりにくいのですが。
ほかの人の状況によって、自分が影響を受けないということでしょうか?
他の人の状況によって、行う自分の行動は、そりゃあ変わってくるでしょうが、自己は影響を受けないということでしょうか。
まぁ、他の人との関わりによって、自己が磨かれるということはあるでしょうが。
いや、「紛れ込む」という話ですね。
他の人に便乗する、ということかな。
その意味で、自分は単独者であるということ。
他の人の人生に便乗するのではないあり方、ということでしょうか。

No.1811 - 2009/07/13(Mon) 08:36:42

Re: 単独者 / ルー
私は、母親なので、子供の状況からの影響を強く受けますが。その意味で、私は単独者ではないのか、とも思いました。
まぁ、子供の人生に便乗して、紛れ込んで生きる母親というのもいるのでしょう。

No.1812 - 2009/07/13(Mon) 08:40:09

Re: 単独者 / ubik0101
そうですね。ほかの人の影響を、実際に、受けるとか、受けない、ということではありません。そういうことがない、ほかの人や社会と無関係に生きる、ということは、まず、あり得ないでしょうが。孤島に住めば、浮き世を離れれば、ということでもありません。

また、ほかの人や社会の良いことに影響される、悪いことに影響される。また、その事態が、良いとか悪いとか、無関係とか、いうことではありません。

それは、ほかの人に紛れ込んで生きてる、ことでなくなって。そのフィールドを抜け出して。初めて。かつては、そうだったんだ。と、気がつくことです。

まあ、説明としては、対極のない、単極の、便乗しない、と言えば言ないことはありません。自我ではなく、自己ということです。

それで、母親だったり、妻だったり、夫だったり、隣人だったり、です。単独者という言葉。それも了解された瞬間に、痕跡を残しません。

No.1815 - 2009/07/13(Mon) 12:52:27

Re: 単独者 / ルー
「他の人に紛れ込んで生きる」ということ自体が、私にはわかりにくいのかも知れません。
「他の人に紛れ込んで生きる」に対して「単独者」という言葉があるのではないですか。
私は、「他の人に紛れ込んで生きる」というふうには生きてこなかったので、それを抜け出す、もないし、「単独者」を意識することもないです。
というか、最初から「単独者」であることが無意識の中に潜んでいる気がします。
まぁ、「それを抜け出す」を経験していないので、まだ本当に「単独者」であることの意味がわかっていないのかも知れません。
暮らしの中で、「単独者」として思い当たる人物がいます。
その人は、自分が受けた他人からの悪意について、淡々と話していました。「悪意」というものが、ただ「悪意」として見える人というのには出会ったことがありませんでしたので、カルチャーショックでした。つまり「悪口」や「悩み」ではない言い方で、自分が受けた悪意を語ったのです。

No.1816 - 2009/07/13(Mon) 13:29:41

Re: 単独者 / ルー
>それで、母親だったり、妻だったり、夫だったり、隣人だったり、です。単独者という言葉。それも了解された瞬間に、痕跡を残しません。

「自己」というものに出会っていれば、特に「単独者」であるということは意識しなくてもそうなのだと思います。
そして、「すべてはひとつ」って何でしょう。

No.1817 - 2009/07/13(Mon) 13:37:59

Re: 単独者 / ubik0101
>そして、「すべてはひとつ」って何でしょう。

それは、この世界がそうだ。と思ってる人もいるようです。不可分で。分離とか、対立は幻想。あるいは、わたしは世界。それは、それで問題ないと思うのですが、あくまで表現です。ちゃっと違う、「可愛くズレてる」と思います。

なんかアホらしい、たとえ話ですが、んーと。エネルギー不変の法則があります。たとえば物質がエネルギーに変化したり、音が熱に変化したりするのですが、増えたり減ったりはしない、です。

いわゆる精神的なこと、感覚や感情や意識も、そうです。何時間働いても受け取る賃金は同じ日雇い労働者の話とか、いくら汲んでも枯れない井戸の話とか、聖書にもあります。

とある一定量というわけではなく、限りあるものでも、限りないものでもありませんが、増えたり減ったりしません。おおくの場合は、自我の完成。において、ありとあらゆること、ありとありえないことが、止滅ではなく、総活動状態になったら、了解されることです。

それを、たとえば「ひとつ」と解釈するのはいいのですが、予め知識とかがあると、ことさら真理だと、思うかもしれません。それで世界を解釈してしまうかもしれません。そういう総活動である、で充分です。

それは中道とも呼ばれ、世界は、そうあります。でも、いわゆる「ひとつ」は、たとえば絵の具のような素材だと睨んでいます。そこで人が、どう育つか、成長するか。です。

No.1818 - 2009/07/13(Mon) 18:58:57

Re: 単独者 / ルー
>いわゆる「ひとつ」は、たとえば絵の具のような素材だと睨んでいます。そこで人が、どう育つか、成長するか。です。

絵の具のたとえは、よくわかりません。
「すべてはひとつ」というのと、絵の具はどういう共通点があるのですか?

No.1819 - 2009/07/14(Tue) 07:23:36

Re: 単独者 / ルー
物質的には「世界はひとつ」であるとして、精神的(?)には、脳みその数だけ世界は存在する、というふうに私には考えられます。
物質的にも、それぞれの人は単体で動くので、あまり「すべてはひとつ」という意味は、影響を受けにくいです。
しかし、影響はあるのでしょう。
意識していないだけで、誰かが作ったシステムの中で生きている、とか。すぐそばにある圧力なら感じますが、遠いところで作られたものには気づかないとか。
自分に不利でないものには気づかないとか。

No.1820 - 2009/07/14(Tue) 09:57:59

Re: 単独者 / ubik0101
>絵の具のたとえは、よくわかりません。
>「すべてはひとつ」というのと、絵の具はどういう共通点があるのですか?


ありとあらゆる色、黒とか赤とか白とか透明とかの絵の具で一杯の、「ひとつ」箱が、あります。増えたり減ったりしない、森羅万象です。それが素材です。

それで描かれた絵は、単なる色の配置でなく、そこに醸しだされることがあります。泥沼に咲く蓮華の花とか、藍は青より出でて青より青し、とか言います。

No.1821 - 2009/07/14(Tue) 10:22:50

Re: 単独者 / ルー
増えたり減ったりしないといっても、CO2の排出量が増えることが問題になっています。
No.1822 - 2009/07/14(Tue) 10:32:48

Re: 単独者 / ubik0101
「ひとつ」ならば、ありとあらゆる脳みその集合も「ひとつ」なのでしょう。けど、「ひとつ」には、そのようにルーさんが言うこととは反対の、自分絶対、の傾向もあると思います。

ほとんど物理には詳しくありませんが、ガソリンの炭素と空気の酸素が結びついた。つまり燃焼して二酸化炭素になっただけで、その総量が変わるわけではないと思います。

No.1823 - 2009/07/14(Tue) 10:47:24

Re: 単独者 / ルー
増えたり減ったりしない、総量は変わらないということは、だから何なのですか?
No.1824 - 2009/07/14(Tue) 12:01:20

Re: 単独者 / ルー
なるほど。脳みその数だけ世界があるにしても、それ全部で「ひとつ」ということがありますね。
そして、その反対の「自分絶対」の傾向とは。。。
「全部が自分」ということで、「すべてはひとつ」ということですか。
それは恐いですね。

No.1825 - 2009/07/14(Tue) 12:05:56

Re: 単独者 / ルー
総量は変わらないといっても、命は生まれて死んでいきます。
No.1826 - 2009/07/14(Tue) 12:07:35

Re: 単独者 / ubik0101
>増えたり減ったりしない、総量は変わらないということは、だから何なのですか?

その、「だから」を考えると、「ひとつ」の投影的な解釈になるのだと思います。ubik0101は、それ、は意識の範疇にない、と言います。それで、アホらしい、たとえ話、と言いました。

>総量は変わらないといっても、命は生まれて死んでいきます。

その、「だから」を考えると、輪廻転生、などを考えてしまう、そんな事例があるようです。おなじですがubik0101は、それ、は意識の範疇にない、と言います。

No.1827 - 2009/07/14(Tue) 14:21:41

Re: 単独者 / ルー
増えも減りもしない、総量は変わらないということは、何から出てきた発想なのですか?ということなのですが。
No.1828 - 2009/07/14(Tue) 15:15:23

Re: 単独者 / ルー
何が、増えも減りもしないのでしたっけ?
No.1829 - 2009/07/14(Tue) 15:20:11

Re: 単独者 / ルー
あまり重要なことではないなら、もういいです。
No.1830 - 2009/07/14(Tue) 15:20:56

Re: 単独者 / ルー
「すべてはひとつ」のことについては、そんなに重要ではないので、もういいです。
No.1831 - 2009/07/14(Tue) 15:23:03

Re: 単独者 / ルー
総量は変わらないものの中で、人はいろんなものを作り出しては、喜んだり苦しんだりして生きているわけですが。

単独であるが、つながっている。

ま、そんなところ。

No.1832 - 2009/07/14(Tue) 15:27:51
(No Subject) / peer
>そのようにして、好き嫌い、良い悪い、などの心理的な判断も、なにかの理解も、その人の奥に、その人の経緯から生じたことを作っているような気がします。

とりあえず、その人がその人であらねばならない。
ということなんでしょうかねぇ。

>たしかに、感情や思考は、空想とか投影ではなく、表情を読んでなくても、伝わることがあります。でも伝わらないほうが、ほかの人に影響されないで、都合がいいので、遮断することが習慣になってるって、こともあるようです。


はい。これはもう。伝わります。感情も思考も。
こればかりは、嘘がつけません。とてもダイレクトです。
ただし、大概は遮断していますから、分からないようですね。
エゴがたまっている場所になんか居ますと。キツイです。

No.1803 - 2009/07/11(Sat) 00:51:16

Re: / ubik0101
>とりあえず、その人がその人であらねばならない。
>ということなんでしょうかねぇ。


そうですね 。とりあえず。まあ・・・たとえば赤を見ると、眼の奥に、透明に輝く緑ができる・・・補色関係のように。たとえば偽善者には、とりあえず二項対立的に強調されてですが、ほんとうに良い人になる資質が隠れて、それを獲得すること。

たとえば権力欲の人が、ほかの人に完全を求めるのではなく、自分が注意深く、完全に行うこと。たとえば執着の強い人が、ほかの人も大切にすること、優しくなること。

また、素直さ、真摯さ、そいうことは良い特質と呼んでいますが、それは世界に生きて、そこから、世界の、つまり感覚や感情や意識の範疇でないこととして、育つのだと思います。

それで、たとえば自我(その表面だけ見ると心理的思考とか葛藤とか呼ばれるようですが)や欲望を否定してはならない、それを完成しなくてはならない、と言います。そして、愛、自己、実在の関係があります。であれば、それは一挙です。

>エゴがたまっている場所になんか居ますと。キツイです。

おそらく、自我に迷う人は、そうでない人を見たら、自分の自我を、そうでない人に投影して、自分に見えるようにする。ということもあるのでしょう。

それは、自分を助けてください、という信号でもあるかもしれません。が、どうしても、それは、そうしてる人がなんとかしなくてはならないのは、しかたないルールだと思います。

No.1804 - 2009/07/11(Sat) 12:25:59

Re: / peer
まぁ・・生きていて。いろいろありますが。
自分と他人を分けていると、自分のことは自分の責任で
他人のことは、他人の問題にしてしまいます。
そんなふうに、隔たりますが。
自分のことを他人を通して見る。
他人のことを自分のこととして見る。
そうでなければ、分けている意味がない。
なんてことも、思うような〜。

No.1805 - 2009/07/11(Sat) 23:38:18

Re: / ubik0101
この世界の範疇では、そうです。それで、境界について。この世界、すべての意味が活動してる、ゆえの、無意味。なんでもあり、に接したら、根拠、理由を失いそうになることに気が付いて。どうも人の意識は、危機を感じ、躊躇して、なにかに意味を見いだそうとすることもありそうです。

いわゆる心理的思考を、問題と見なす、とか。分離、とか、分離がない、とか。なにかしてる中心は、ない、とか。世界は無意味、とか・・・なんだかの意味を見いだし、つまり、なんでもありではなく特定の範疇を見いだして、つまり、偏って、そこに隠れて安定を見いだしたい、ことも起こりそうです。

(なんでもあり、なのに、ある事象、感覚、感情、思考が生起する。日常。これは意識にとって不思議であり、神秘ではないでしょうか。)

この世界の範疇では、 ほかの人と、自分を、分けるとか分けないとか、中心があるとか、ないとか、なんでもありで、どれかであることの必要も不要も、総てを使えばいいです。

この、なんでも、なしあり、世界。それは、絵の具のような素材です。そこで、自己を学んだ人と、学びたくないから学ばなかった人、違う絵を描いて、当然です。

ところで、peerさんは心理学に詳しそうなので、質問です。ほんとうに、知覚からの直接行動は、事実、あり得るのでしょうか。

No.1808 - 2009/07/12(Sun) 12:50:25

Re: / peer
>ほんとうに、知覚からの直接行動は、事実、あり得るのでしょうか。


知覚は、情報ですからね。
それを「判断する」機構を、とっぱねて、直接行動する
としたら、かなりの情報かも知れません。
命にかかわる・・・とか。
知覚していないのに、直接行動する。というのも、ありそうです。
脳の誤作動・・・のようなものですが。

No.1810 - 2009/07/12(Sun) 23:37:10

Re: / ubik0101
こっちでも探ってみました。たとえば、伊藤一刀斎の夢想剣。戦場で敵を斬った、ことさえ意識に昇らなかったそうですが。戦場ということが、あまりの当然なので、そのことを忘れても、戦場という判断はあるわけで、ふつうの日常で、おなじことをしたら・・・もともと戦争もそうですが・・・狂ってるでしょう。

ただ街を歩いてることだって、危険とか安全とか、判断して、ほとんど自動的なので気がつかない、といったことだと思います。

まあ、知覚からの直接行動とは、葛藤がない行動だとして、葛藤の対極に置かれた空想、妄想、幻想・・・理想・・・かもしれません。その葛藤も、おおくは空想からの生起です。それを、当然の前提として気がつかない、のでしょうか。

が、知覚からの直接行動。そんなことを思う人が、なぜ思うのか知りませんが。それは素直でない、つまり真摯で正確でない、誤った命名であり、事実とはギャップがあり、目標、規範、負荷、になり得るでしょう。

No.1813 - 2009/07/13(Mon) 11:37:37

Re: / ubik0101
それはともかく。すこし前、伊豆に行ったとき。バスの中でhatoさんから、よく冷えて結露した赤いカンを渡されました。それで、嬉しく飲んだのですが。

ああ、コーラって、こういう時は、ほんとうに美味い、と実感しました。炭酸で弾ける褐色の液体が見えるようでした。

ところが、一息ついて、そのカンを、よく見ると、サイダーでした。あれ?たしかに知覚したのに。サイダーと知って飲むと、サイダーでした。 まさか牛乳を、コーラと思ったりはしないでしょうけど。

No.1814 - 2009/07/13(Mon) 12:02:59
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