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こんばんは / ルー
最近、何にも問題ないですね。
ちょっと気になるといえば、「何かに対して怒る」とかいう時に、なぜ「怒る」ということだけを取り出して、「何があったとしても怒るということは間違っているのだ」とか言うのだろうか〜ということです。
それも、まぁ、どうしても知りたいとかいうわけでもありません。
以前のように、「知らなくてはならない」という勢いで知りたいことでもないって感じです。
また、怒るというのは、もともと怒りたいのであって怒る理由を作っているとか、やつあたりだとか言うのを聞いたことがありますが、それなら、喜びというものに対しても、もともと喜びたいのであって、喜ぶ理由を作っているのでしょうか。やっぱり、それは、おかしなことであって、私には事実ではないですね。
だって、喜びたいのに、怒るような出来事があって怒るということがあるのですから。

No.1925 - 2009/09/03(Thu) 18:55:34

Re: こんばんは / ubik0101
なんとなく・・・たとえば。素直・・・真摯で正確な人は。そうだと自覚しないでも、素直、真摯で正確です。

つまり・・・そうだと自覚しなければ、そうでないというわけではなく・・・不真面目で、不正確な人ではありません。

あまりに、当たり前なんですが、ふつうに・・・なにか遊んだり、話してたり、ほかのことを考えてたりても・・・素直なら、素直なんです。

それで、素直・・・真摯で正確な人は。そのようである自分がそのようであると、いう思考、判断、認識。をしても、素直です ・・・やはり思考と、その人とは、無関係に関係する。とか思ったりしています。

この頃、ノンノンが、小さな皿ではなく、洗い桶で水浴びするようになってしまいました。

No.1926 - 2009/09/03(Thu) 22:10:25

Re: こんばんは / ルー
ノンノンは大胆なお嬢様ですね〜!
ん? ♂だったっけ?

「怒る」ということについてですが、自分が怒りを覚えるということと、怒った態度をとるということは別に考えねばならないと思いました。
自分が怒りを覚えるという時点のことは、素直であるかどうかが関係していると思います。

No.1929 - 2009/09/04(Fri) 07:21:28

Re: こんばんは / ubik0101
うーん。hatoさんは、お嬢さん、と思ってるんですが。自分は、卵が産まれてみるまでは?です。

なんか、言ったことがあるように思いますが、怒りを覚えて自制したことが、ないです。これも、くり返しですが、怒りが削除されたら、なんかの病気です。

>「怒る」ということについてですが、自分が怒りを覚えるということと、怒った態度をとるということは別に考えねばならないと思いました。

まあ。多少の不満だったら、それを表明すれば、さらに騒ぎが広がり、面倒になるので、見逃す、はあります。そんなことでしょうか。

No.1930 - 2009/09/04(Fri) 11:34:18

Re: こんばんは / ルー
> >「怒る」ということについてですが、自分が怒りを覚えるということと、怒った態度をとるということは別に考えねばならないと思いました。
>
> まあ。多少の不満だったら、それを表明すれば、さらに騒ぎが広がり、面倒になるので、見逃す、はあります。そんなことでしょうか。


そうですね。。。
何というか。。。
怒りに鈍くなる場合があると思いました。
「怒りを表明することから起きる騒ぎを利用して、自分の思いを押し通そうとしている」というふうに怒りを理解すると、相手の怒りにも鈍くなるし、自分の怒りにも鈍くなる、と思いました。
なので、怒りを感じているということと、怒りを表明するということを一緒くたにして捉えると、鈍くなると思いました。それは、変な理屈を作り出してしまう、ということです。
怒りに敏感になる必要はないのですが、そのちょっとした違和感を理屈でやっつけるのはよくないと思いました。

No.1931 - 2009/09/04(Fri) 12:53:03

Re: こんばんは / peer
>、「何があったとしても怒るということは間違っているのだ」

こんなことを某所で書きました。
・・・間違っている、かどうか、わかりませんが。
怒りがあるとき、愛がない。ということを書きたかったような気がします。

愛があるから、怒りがある。
愛が強ければ、怒りも強烈だ。
そういう場合もある・・・と主張することもできますが。
なんとなく、やはり、違和感があります。
まっ。わたくし個人の思うところです。
他の人に「そうだよね」と強要するものでもありません。

No.1932 - 2009/09/04(Fri) 13:19:06

Re: こんばんは / ルー
> 愛があるから、怒りがある。
> 愛が強ければ、怒りも強烈だ。


変な理屈ですね。

>怒りがあるとき、愛がない。

これも、変な理屈。

No.1933 - 2009/09/04(Fri) 13:34:52

Re: こんばんは / ubik0101
>「怒りを表明することから起きる騒ぎを利用して、自分の思いを押し通そうとしている」というふうに怒りを理解すると、相手の怒りにも鈍くなるし、自分の怒りにも鈍くなる、と思いました。

ほかの怒ってる人が、なぜ怒ってるのか、それを自分の勝手な空想で解釈すると、鈍くなる。投影や、誤解。ということでしょうか。それならば、怒り、というよりも、なんであれ、勝手な空想で解釈する、ということに問題がありそうです。

まったく関係ないかもしれませんが。ずっと前に書いた、メモが出てきました。『なにか、ほかの人から言われたとします。それで怒った。それは怒る前にも、その怒りは自分に潜在してた。それが現れただけです。そこで、怒りが問題、というより、それが隠れてるということが問題です』。

これから出かけます。

No.1934 - 2009/09/04(Fri) 17:50:33

Re: こんばんは / ルー
> まったく関係ないかもしれませんが。ずっと前に書いた、メモが出てきました。『なにか、ほかの人から言われたとします。それで怒った。それは怒る前にも、その怒りは自分に潜在してた。それが現れただけです。そこで、怒りが問題、というより、それが隠れてるということが問題です』。

おもしろい話ですね。
怒りが隠れているということが問題。。。
どのようなことでしょうか。

No.1935 - 2009/09/04(Fri) 18:30:20

Re: こんばんは / peer
>> 愛があるから、怒りがある。
>> 愛が強ければ、怒りも強烈だ。


>変な理屈ですね。

愛があったら、怒れません。

>>怒りがあるとき、愛がない。

>これも、変な理屈。

理屈じゃないです。ただの事実です。
・・・うーん。「愛」とは何であるか。でしょうね。
まっ。ともかくそんな感じです。

No.1936 - 2009/09/05(Sat) 01:20:43

Re: こんばんは / ubik0101
> おもしろい話ですね。
> 怒りが隠れているということが問題。。。
> どのようなことでしょうか。


それは。怒りを感じたら、躊躇せずに、表現してしまおう。ぐずぐず奥で燻らないようにしよう。では、ないです。怒りを、感じたら、感じただけ・・・それで、お終いになる、に近いのですが・・・日常・・・潜在して怒りがあるとして、どこにあるか知りませんが、奥では燻ってない、という感じです。

また。まったく関係ない話です。電車に乗ってると。なんか乱れた服装で、酒を飲んで、美しくない態度で酔っぱらってる人がいました・・・守るものがないから、恐いものがない・・・という言葉を思い出しました。自我を捨てた、という意味なんでしょうけど、いろいろあるな・・・と感じました。

No.1938 - 2009/09/05(Sat) 09:31:36

Re: こんばんは / ルー
> > おもしろい話ですね。
> > 怒りが隠れているということが問題。。。
> > どのようなことでしょうか。
>
> それは。怒りを感じたら、躊躇せずに、表現してしまおう。ぐずぐず奥で燻らないようにしよう。では、ないです。怒りを、感じたら、感じただけ・・・それで、お終いになる、に近いのですが・・・日常・・・潜在して怒りがあるとして、どこにあるか知りませんが、奥では燻ってない、という感じです。


怒りが隠れているというのは、奥で燻っているものが潜在しているという感じ、ということでしょうか。
ですので、人から何かを言われた時に、表面に上がってくるということでしょうか。

> また。まったく関係ない話です。電車に乗ってると。なんか乱れた服装で、酒を飲んで、美しくない態度で酔っぱらってる人がいました・・・守るものがないから、恐いものがない・・・という言葉を思い出しました。自我を捨てた、という意味なんでしょうけど、いろいろあるな・・・と感じました。

うん。自我を捨てたという自覚もないのでしょうね。
私もたまに電車の中で、さらに酒を飲みながら酔っ払っている人を見かけます。
生きていることが、やってられない感じなのかな。。。とか
思いますが。
「こういう姿は見せられない」という意識よりも、もっと現実の辛さの方が上回っているのでしょうか。
「こういう姿は見せられない」という相手が、いなくなっているのでしょうか。
また、酔っ払うと、違うレベルに入ってしまうということも手伝っているのかも知れません。
シラフの時には、恥ずかしいと思うかも知れません。シラフの時があるとして。

No.1940 - 2009/09/05(Sat) 10:14:59

Re: こんばんは / ubik0101
> 怒りが隠れているというのは、奥で燻っているものが潜在しているという感じ、ということでしょうか。
>ですので、人から何かを言われた時に、表面に上がってくるということでしょうか。


そうです。それが、けっこう、いわゆる修行になりました。まったく・・・幸せに悪いことをしないで暮らして、も・・・悪いことをする機会がなかっただけかも知れません。

たとえば。ふつうの日常、そうだと自覚してなくても、自分は、嘘つきかもしれない、盗人かもしれない、殺人者かもしれない・・・自我、かもしれない・・・ということです。

うろ覚えですが、キルケゴール「なにかを否定する、ということは、その可能性の否定でなければならない」。です。

No.1941 - 2009/09/05(Sat) 11:43:04

Re: こんばんは / ルー
人はいつだって、嘘をつく機会も殺人の機会も盗む機会もあるのではないですか?
機会がなかっただけということはないでしょう。
動機がなかっただけ?ということですか?

No.1943 - 2009/09/05(Sat) 14:15:50

Re: こんばんは / ルー
いや、動機がなかっただけというのも、違うな。

もし、殺人を犯しても、それから逮捕されるとか刑務所に行くとか、そういうことがないとしたら、どうかということかな。
それでも殺人を犯さないか?ということかと思います。

No.1944 - 2009/09/05(Sat) 15:10:49

Re: こんばんは / ルー
> >「怒りを表明することから起きる騒ぎを利用して、自分の思いを押し通そうとしている」というふうに怒りを理解すると、相手の怒りにも鈍くなるし、自分の怒りにも鈍くなる、と思いました。
>
> ほかの怒ってる人が、なぜ怒ってるのか、それを自分の勝手な空想で解釈すると、鈍くなる。投影や、誤解。ということでしょうか。それならば、怒り、というよりも、なんであれ、勝手な空想で解釈する、ということに問題がありそうです。


「勝手な空想で解釈する」ということですね。
いくら説明をしたところで、勝手に「生理的に嫌われている」とか「生理的に合わない」とかいう解釈をするなら、会話にならないということです。
話すことがないので返事を書かなかったということを、「相手を生理的に嫌っている」とかいうふうにとられても、これまた、私は話すことがありません。

No.1959 - 2009/09/07(Mon) 07:23:27

Re: こんばんは / ubik0101
>話すことがないので返事を書かなかったということを、「相手を生理的に嫌っている」とかいうふうにとられても、これまた、私は話すことがありません。

これは、ルーさんが、そうだと、ubik0101が解釈したと言ってるのでしょうか。そんなことは自分は、しないので。新しい芽さんとか、また、ほかの誰かのことなんでしょうか。どうであれ、主語であるHNを書いても、全然、問題ないです。話は、解りやすいのがいいです。

No.1960 - 2009/09/07(Mon) 08:53:44

Re: こんばんは / ルー
この掲示板で、最近、「生理的に嫌い」というログを書かれたことについて書きました。
すぐ下にあります。
誰か、ハッキリと書いた方がいいですか。
書かなくてもわかると思ったのですが。
書いた方がいいですか。

No.1961 - 2009/09/07(Mon) 09:04:10

Re: こんばんは / ルー
「通り魔」のようなログ。。。と思います。
No.1962 - 2009/09/07(Mon) 09:13:45

Re: こんばんは / ubik0101
では、peerさんが、ルーさんについて、そう思った、とルーさんが、思った、ということなのでしょうか。そうは思いませんでした。

もしかしてヤフー掲示板での、ubik0101の態度についての指摘かな?とは思いはしましたが・・・ヤフー掲示板で話した人は、この掲示板を知ってるでしょうし、ubik0101にコメントがあれば、ここに投稿してもいいので無問題・・・それで、真摯で、正確。の説明をしました。

No.1963 - 2009/09/07(Mon) 09:29:49

Re: こんばんは / ルー
そうですか。

通り魔に説明を求めても無駄なので、真実はわかりませんね。

No.1964 - 2009/09/07(Mon) 09:47:34

Re: こんばんは / ubik0101
まあ。これは自分の姿勢で、ルーさんへの提案ではありませんが・・・なにか疑問、質問があるなら、その相手と話し合う・・・一番簡単な方法が、一番いい方法・・・と思っています。
No.1965 - 2009/09/07(Mon) 09:57:25

Re: こんばんは / ルー
1959のログは、相手にあてて書いたつもりでした。
もし、私が思ったことが当たっていれば、相手に通じるだろうと思って書きました。
相手が何のことについて書いたのかをハッキリと書いていないので、こっちに書きましたが、
うびさんと話し合うつもりはありませんでした。
ここに書けば、うびさんが返事を書かねばならないような感じになってしまいますのにね。
すみませんでした。

相手への疑問や質問はありません。

No.1966 - 2009/09/07(Mon) 10:11:29

Re: こんばんは / peer
>では、peerさんが、ルーさんについて、そう思った、とルーさんが、
>思った、ということなのでしょうか。そうは思いませんでした。


>もしかしてヤフー掲示板での、ubik0101の態度についての指摘かな?とは

話題の中心はヤフーでのことです。
また、ubik0101の態度のことでは、ありません。
「覚醒した」と言う人に対して、他の人が、とる態度のこと。
一般的に、あんなものかな〜と。
嫉妬があるでしょう。確かに覚醒か確かめたいもあるでしょう。
同等になりたい。突き落としたい。・・・と様々。

まっ。覚醒者は、相手のエゴを駆り立てる。膨張させる。
それによって、相手の成長を自然に促している。
という作用も、あるようです。

・・・
と言いながら、通り魔は、左手に去る。

No.1967 - 2009/09/07(Mon) 11:46:30

Re: こんばんは / ルー
通り魔である時、愛はない。
No.1970 - 2009/09/07(Mon) 14:51:29

Re: こんばんは / peer
愛がないから、人を通り魔だと決めつける。
No.1972 - 2009/09/08(Tue) 00:44:12

Re: こんばんは / ルー
そう来ると思いました(笑)
どこまでいっても、自分が映らない鏡。

ヤフー掲示板について「真摯で正確」を書かれた時、愛はあったのですか?

No.1975 - 2009/09/08(Tue) 07:19:39

Re: こんばんは / ルー
「通り魔は左手に去る」というふうに、自分で通り魔を認めたのかと思いました。
通り魔と決め付けたのではありません。
書き込みがまるで通り魔のようだと思ったので、最初、通り魔のようだと書きました。その時は、ヤフー掲示板について書かれたのだとは知らなかったですし。

自分で通り魔だと認めたと思ったので、「通り魔である時、愛はない」と書きました。
それについても、「あなたは通り魔です」という意味ではなくて、「人が通り魔である時は、愛はない」という意味で書きました。
「怒りがあるところに、愛はない」という言葉に対応して書いたのです。

感覚的にとらえる人は、このような説明など何の効果もありません。反って、違うように空想して解釈するので、全く逆効果です。
真摯に正確に対応することで、反って、正確に伝わらないのです。

No.1976 - 2009/09/08(Tue) 07:30:25
(No Subject) / peer
鷺草〜きれい・・・
カレンというか、なにかを断ち切るような白い色。
(さぎそう、と入力したら詐欺僧と変換されました。
さすがに、私のPC〜。へんなクセある。)

海の両方の写真。ピーカンで夏そのもの。
と見えますが、どういうワケか
暑さよりも清々しい感じがします。

>しかしその鳴き声は、自分の中から聞こえます。

鳴き声が波動として、頭蓋骨にビンビンと当たります。
夜の虫の音は、やさしく。昼のセミの鳴き声は、突き刺すように。
音を聴いているのか、重力を感じているのか曖昧に・・。

>知覚にとっては。たとえば見えた山の裏はないのでしょう。
>たとえば部屋の壁の表面しかないのでしょう。
>そして無意識に、つじつまのあうように空想、補正してる
>のではないでしょうか。


そうです。ないものを、足しています。
ないものを、足して見る。というのも、愛かも。

No.1902 - 2009/08/17(Mon) 11:41:38

Re: / ubik0101
>さぎそう、と入力したら詐欺僧と変換されました。

なんかB級の日本映画にででくるような・・・あたふた逃げてる袈裟をつけた偽坊主の後ろ姿・・・というのをイメージしてしまって、爆笑です。

>そうです。ないものを、足しています。
>ないものを、足して見る。というのも、愛かも。


うーむ。知覚できないことは、ない、こと。と判断することは・・・誤ってて、それで・・・ある立場の自分(いわゆる中心)が、設定されてしまうこともあります。そこからは世界が、歪んだ鏡のように眺望されて、それが人を魅了することもあるようです。

たとえば山の裏側にしても、思考にしても、感情にしても、知覚できないことは、ない、ことだ・・・ない、ことは、知覚できない。知覚できることは、ある、こと。というような、知覚依存症、自分に対する過剰な全知全能感、もありそうです。

また。たとえば、自我にしても、自己にしても・・・それが、そうであるゆえに、その知覚は困難。ということも関係あるかもしれません。そいう知覚と、ある、ない、の関係に切り込んで。この現実の裏側、背景を、探りたくなってしまいます。

でも現実の裏側は見えないのだから、アスファルトの下は見えないのだから。そんなことより上を向いて歩こう。悪いことをしないで、善いことをしよう、だろ?。愛、だろ?。自己、だろ?。という指向性は世界に働いているように思えます。

No.1903 - 2009/08/17(Mon) 19:36:45

Re: / hato

鷺草、いいですね。
我が家はどちらかといえば花ものより草派なので、こうして咲くととても嬉しいです。
そういえば、昨年の今頃行ってた、長崎、そしてよく行く江ノ島にも、今住んでるこの辺りでも白鷺を見ます。ほんとに白鷺のようです、鷺草。

ピーカン。なんか、かっこいいですね。そうですね、もう秋空の気配が漂っていて。爽やかです。

人が成長するために世界が用意されてる、とそこが決着すれば、進みやすいでしょうね。本当に、この日常ですね。

No.1904 - 2009/08/17(Mon) 23:25:51

Re: / hato

もう一枚、載せておきます。

No.1905 - 2009/08/18(Tue) 23:01:28

Re: / peer
花言葉は「芯の強さ」ですね。
一直線に目標に向かって羽ばたく感じがします。

No.1906 - 2009/08/19(Wed) 00:32:57

Re: / hato

朝、待ってたもひとつが咲いていて、一緒に喜びました。

そして・・・

No.1907 - 2009/08/20(Thu) 23:01:18

Re: / peer
そして・・・?

>そいう知覚と、ある、ない、の関係に切り込んで。
>この現実の裏側、背景を、探りたくなってしまいます。


>でも現実の裏側は見えないのだから、アスファルトの下は
>見えないのだから。そんなことより上を向いて歩こう。


「あの山の向こうは?」というのは、確かめられますね。
それなのに、想像するだけで、行動しない。
行動しない言い訳に「現実の裏側は見えないのだ」と
決め込んでしまう〜という気もする。

ない、と思えたら、あるんじゃないかと疑う。ある、と
思えたら、ないんじゃないかと疑う。
そんなことからしか、何も動かない・・かな〜と。

No.1908 - 2009/08/21(Fri) 12:38:51

Re: / ubik0101
あの山の向こうは、知覚されない、ということは。知覚にとっては、ない、ということです。ただ眼の機能としては、見えるところだけ世界を見てるのではないか、という意味です。たとえば山の向こうに行って見ても、同じことです。

ところで実は。ない、ことの知覚は可能です。たとえば自我は、ない、です。それを知覚するのは、自己です。ただ、自我は、自我が、ない、ことは知覚できないようです。ただ、自我は、自我がある、ことは知覚できることもあります。

つまり、それ自身が、それ自身が、ない、と知覚できる。ということは、あり得ないでしょう。できるなら、かなりの理論破綻でしょう。

そして。それ自身が、それ自身が、ない、と知覚できない。ということは。たとえば。自我は、自我を、ない、と知覚できない。ということは、言えないことはない、です。

続きます。

今日の江ノ島の裏磯は、けっこう時化ていました。

No.1909 - 2009/08/21(Fri) 21:59:34

Re: / ubik0101
などと思考することはできるし実情に適合してるでしょう・・・その場合、ある、ない、ということの意味は、暗黙にですが、自明なことと前提にされているようです。

ここが、この自明さゆえに問題でないなら、それが問題です。このあたりが、知覚〜意識の限界かもしれません。しかし。ある、とか、ない、とかは、どういう意味?なんでしょう。

ところで。この世界には、完全な、ある、と、完全な、ない、以外のことなら、総てあります。ということは、完全な、ある、ないは、知覚〜意識の範疇にありません。これは明確なんですが・・・これをなんとか意識に教えようとするのですが、この完全な、ない、ある、は知覚〜意識には識別不能、理解不能にも思えます。

アスファルト下は見えないのだから、上を向いて歩こう。ということは、世界の秩序、美のことのようです。

アイゴです。ヒレの棘に、かなりの毒があります。

No.1910 - 2009/08/21(Fri) 22:15:42

Re: / hato

人は何をしようが鍛えられていますが、世界の機能を意識する、「意識」ってなかなか難儀よね〜、、と思いますね。

人にとって常に真実は、当たり前にシンプル なのだけど、 見たくない知りたくない、、というところかも知れません。当たり前、、それではつまらない、、しかし世界としては、、そうでなければ詰まらない、ようです。

No.1911 - 2009/08/21(Fri) 23:42:01

Re: / hato

> そして・・・?

もうひとつの株に咲きました。パパありがとう、とても可憐で美しいです。球根ができて、そのうち鷺草がいっぱい、咲いたら素敵です。

No.1912 - 2009/08/21(Fri) 23:52:03

Re: / peer
なるほど。。増えているのだ。うん。

>ある、とか、ない、とかは、どういう意味?なんでしょう。

どういう意味の言葉か、わかりませんが。
ある、というのも、ない、というのも
思考とか意識とかがあるから、言えることかな〜と。
自己でも自我でもなんでも、イイんですけど。

どうしても、どうやっても、生きて肉体がある限り
何かの違和感は残っている。のかも知れません。
「自分の問題」が、すべてなくなった、としても。

No.1913 - 2009/08/22(Sat) 01:11:22

Re: / ubik0101
なにが問題かと言えば。この世界が、こうでなくてもいいのに、こうだ。ということです。不思議。それを、たとえば、因果、と言ってしまえば簡単です。

けど。 それでは、因果、は数学の公式のように、暗黙の自明な前提、になりそうです。また、因果を、なにかの原因があって結果があるという、もの、こと、の関係。として思考するなら、それは誤解なゆえに、そうしてる、いわゆる中心が設定されるでしょう。

なら、ことさら、その中心が、ない、という、なにか暗黙の自明な前提を要するでしょう。それは、それで構わないのですが、面倒です。

このように目の前に展開されてる世界。それだけ、で探らねばなりません。それは総活動状態なのに、ある形態で展開して、このように、見たり聞いたり触ったりされるのです。

続きます。

No.1914 - 2009/08/22(Sat) 21:53:45

Re: / ubik0101
けど。たぶん。もし、それが、ある、とか、ない、とか、因果とか。解るようにできてるなら、世界は・・・ある、とか、ない、とか、因果とかとしてさえ・・・取り替え可能な負荷としては・・・機能しないでしょう。

それで。この解らないということ、それは、そうである必要があるのでしょう。不可知、な必要があるのでしょう。では、どのようにして、解らないように、なってるのか?それが、それは、それを知覚できない。それでないことは、それを知覚できない。そんなことかもしれません(要検討ですが)。

ついでに。なにかの原因があって結果があるという、もの、こと、の関係。を因果と呼ぶなら、縁起の、理解のつもりの誤解でしょう。縁起とは、どう説明したとしても、人・世界の総活動のことです。それを、やはり意識は誤解するしかないのではないでしょうか。

No.1915 - 2009/08/22(Sat) 22:14:28

Re: / hato

それで、縁起、というより、むしろ因果の誤解を一気に表明するとしたなら、

「イカは焼いてもタコにはならない」。

なんと、悲しくも実用的なのでしょう。ダーリンが気に入ってくれたのでよしとしておきましょう。

「好雪片々別處に落ちず」。

縁起。なんと美しいのでしょう。誠に美しい、のです。美しくその秩序。美しく、真実です。

縁起を擬似的に誤解するとき、それを因果、と呼ぶことができると思います。意識はその作用として既に焦点であり、基本的に世界を水平方向に眺めて、その事態をとりまとめた内容での理解がしやすいと言えそうです。そうしたことは、人によってもし必要なら、成長を理解していく上での添え木、として見ることができるかも知れません。

このようなことは、やはり人がその意識をして、この世界、その事象のある、ない、、その心の、ある、ない、、を探求することで、見始めることができる、徹底される、と思います。

No.1916 - 2009/08/22(Sat) 23:33:31

Re: / ubik0101
あと。この世界によって作られた、人は、たとえ呼吸をするだけでも、呼吸を止めるだけでも、世界を作りかえ続けてる。これは宇宙の続く限り、続くでしょう。これを、因果、とも呼べるとは思います。
No.1917 - 2009/08/23(Sun) 00:10:58

Re: / peer
>この世界が、こうでなくてもいいのに、こうだ。
>ということです。不思議。


ひとりひとり、感じている世界は違うでしょうし。
誰かは「こうだ」と感じても、他の人は、また違う「こうだ」になる・・・ような・。
誰かにとって「嫌だ」と思うものが、他の人は「好き」。
ともかく。ひとりひとり、生きている世界が違うようです。
意識を持って、ということは、分断されてますから。ね。
意識を持って「在る」となっている限り。そんなものかな〜と。

No.1918 - 2009/08/23(Sun) 10:50:12

Re: / ubik0101
まあ。あれですよ。意識も、世界の機能です。そして、なにか同じ出来事、言葉について、いろんな勝手な立ち位置で判断ができます。そうならば、とりあえず、その件について・・・たとえば意見の違う相手の立場になるとか・・・友人の立場になるとか・・・ また、あれこれ非難・・・正当化する・・・非難正当化しない・・・

・・・ありとあらゆる立場の判断を真摯に正確に「思考して思考して思考しまくる」んです。そうすれば・・・あることと、類似なことと、反対のことと、無関係なことがあるのですから・・・その自分の立場だけではなく、あらゆる立場を見たら、大雑把な説明ですが、どの立場にも拠り所を失い・・・思考は不成立になります。

また、もっと簡単に。そんな、いろんな立場を空想だと知って、あれこれ思考しない、ということもできます・・・たとえば相手との違いがあれば、直接、相手に聞けばいいのです・・・そのようにして思考は、思考が終わるように働く、ことを学ぶ。のが役目でもあります。

No.1919 - 2009/08/23(Sun) 20:57:46

Re: / hato

さて、今日の晩ご飯はさっそく、我が家で今もっぱら話題のイカでした。イカ野菜詰めubik0101風。ちょっとお洒落に、バジルを添えてみました。

No.1920 - 2009/08/23(Sun) 21:21:17

Re: / peer
とりあえず、思考は、単なる道具・・・なわけで。
誰がその道具を使っているのか、が、ポイントかな〜と。
なんにしても自分の外に出てみないと、本当のものは
観えない。ということでしょうか。
そう。終わりにしないと。

イカ・・・美味しそうです。

No.1921 - 2009/08/24(Mon) 00:05:53
(No Subject) / peer
>ほかの人が、つまんない空想を事実と見なして葛藤してると、
>なぜ、そんなことも理解できないのか?
>が、その人の問題のこともあります。


ほとんど、その人の為の問題だろうと思います。
そして、それを見て、観る人が学べる。ということもあります。
ひとつで、二度、楽しめる構造なのでしょう。

>なにかを思考するということ。ある意味、AをBと言ったりすることは
>簡単ですが。A=A。そのようであることを、そのようであると
>表現すること。そのことが問題なくなるためには、素直であること、
>つまり真摯で正確なことなど、かなりの研鑽が必要に思えます。


AをBと思いこんでいたら、A=Aに気付かないのでは?
それでは、素直になるも真摯であるも、できない。
思い込みだと気付かないのは、素直でない、真摯でない。
ということでしょうか?

No.1885 - 2009/08/10(Mon) 23:47:28

Re: / ubik0101
ふと思い出したのですが、学生時代、級友に「みな人は、ない、ものを守ってる」。と言ったことがあります。つまり自我は、虚構。そんなことは、気分、感覚、あるいは思考としては、気がつくことができます。でも、それは、目の前に突きつけられるように了解するということとは、違います。

まあ、 気分、感覚、あるいは思考として、気がつくことは、自我が自我を見ただけかもしれません。(そのくらい自我も、なんでもありなんです)。なんであれ、自分のことしか話せませんが、自我であった日常、一度しか、自我に気がつきませんでした。なにか自分の言動を、ほかの人に披露したとき、『これは自我かな?』、と、ちらっと疑っただけです。

これを、問題にしないならば。自我であれば、その人は、自我に気がつかない。とも言えると思います。なにか黄色い光の電灯も、慣れてしまうと、とくに黄色と意識されなくなるように。AであればAであることに気がつかない。とも言えます。

続きます。

No.1886 - 2009/08/11(Tue) 13:31:50

Re: / ubik0101
そこで、自我に気がつくには、自我は、折々に現れる葛藤とか、心理的思考とか、自己顕示とか、であると見なすこと。AをBとする、思い違いが必要なのかもしれません。それには、BがなければAもない、つまり葛藤がなければ自我はない、という隠れた誤解、を前提にする必要があるかもしれません。

>AをBと思いこんでいたら、A=Aに気付かないのでは?
>それでは、素直になるも真摯であるも、できない。


それで、この、『これは自我かな?』と、ちらっと疑った。それは疑う必要もなく疑ったのですけど・・・まったくそうでなければ、まったく疑わないだろうから、事実、そうなのだろう。という、透明な水の、わずかな不純物にも注意する姿勢で疑う、ということをしていました。ここは、自分で自分の身体を解剖する医者のように、真摯で、正確なことが必要だと思います。

たとえば葛藤や軋轢も起こらなかったとしても。一生、なに不自由のない生活をして、なにも問題が起こらなかったとしても。自我の可能性が、ない、というわけではないです。たとえば困窮してないために盗みをしなかった、その可能性も、問題にするんです。

続きます。

No.1887 - 2009/08/11(Tue) 13:32:29

Re: / ubik0101
ささいなことかもしれない、自分の行動、発言、思考、それの起こり来る、それに正当性を与えてる、意識されないかもしれないけれど、勝手な理由、前提を明るみに出すんです。

ただ自分の思考などを観察するのでは、困難なのですが、なにがなんでも、その中心を見たいという強い意志があれば、そのようにしてAをBとかCとか思い込んでる。そのこと自体には気がつけます。

そのためには、いろんな常識や習慣の飛び交う社会の中で、自分で自分を解剖する、こと、にあたるために、そういう社会的なことは邪魔なので、よく見て捨てる・・・そうしながらも学んでいるのですが・・・それは絵の具を塗り重ねて絵を描くというように加えるというのではなく、彫刻のように余計なことを削り捨てることで顕れる特質であり・・・人は必然的に、素直になるしかありません。これを否定の道、自分を掘り起こす、とか呼んでいます。 これには、かなりの努力が必要です。

>思い込みだと気付かないのは、素直でない、真摯でない。
>ということでしょうか?


それでも、そいう努力は自我の完成、自己の了解なくして、意味を持ちません。しかも、自己を自覚しようとする、日常意識は、自己をAとして、それをBと知覚、認識、表現することしかできない傾向にはあります。たとえば。自己は自己だ。自我は、ない。そんなことさえ、それは、自我の機能になり得ます。

続きます。

No.1888 - 2009/08/11(Tue) 13:35:28

Re: / ubik0101
くり返しますが、自我だって、なんでもあり、なんです。でなければ、自己を学ぶことは不完全になるのでしょう。こんなことが明確ならば、 自己は無自覚。自己は、観察不能です。ということは納得できるでしょう。 これは、そうであることを、そうであると。つまりAはA。というより、ただAです。

ここの説明としてはですが、AはAと知覚、認識、表現することはできない、のですが・・・完全にそうだとは言い切れない揺らぎがあり・・・そうできない、といういうことは、知覚、認識、表現可能です。ということ、それを踏まえて、AはAと言うよりも。ただA、は表現可能です。とも言えます。

それにまた。夏。いくら暑い、暑いと、思っても、暑い。ということはあります。俺は怒ってるんだぞ、と思おうが思わなかろうが、怒りが生起したら、そのまま知覚されます。 ということはあります。とくにグラウンド、背景、前提が問題でない、現象、事象は、AはA、そのように顕れ知覚されるのでしょう。

No.1889 - 2009/08/11(Tue) 13:37:01

Re: / peer
>『これは自我かな?』と、ちらっと疑った。

これ、というのは過去のことで
疑ったモノも自我そのもの、のような気もするし?
うーん。いったい何者が疑ったのでしょう。
自我が自我を見ただけかもしれません。とありますが。

No.1890 - 2009/08/13(Thu) 13:01:31

Re: / ubik0101
そ、です。過去、その時点で。ほかの人に話した自分の言葉を自分で聞いて、『これは自我かな?』と疑った、のです。つまり自我な自分が、自我な自分を、ちらっと、自我な自分ではないか?と、疑ったのです。

なん度でも言います。自分の行動は、自分に判ります。自分の発言は、自分に聞こえます。自分の思考は、自分に知覚できます。そうでなくても、いいのに、そうです。これは不思議で、神秘です。

そこで、自我でない自分が、自我な自分だと。自我な自分が、自我でない自分だと。つまりAをBと、BをAと思考するのは、あり得るけれど。AをAと思考するより、よほど奇妙ではあります。

No.1891 - 2009/08/13(Thu) 17:48:54

Re: / ubik0101
追伸。

「みな人は、ない、ものを守ってる」。と言ったときには。もう自分には、守るものはない。と、勝手に思ってて、自分の自我には、気がついてなかったのです。

No.1892 - 2009/08/13(Thu) 22:30:28

Re: / peer
>自分の行動は、自分に判ります。自分の発言は、自分に聞こえます。
>自分の思考は、自分に知覚できます。


谷川俊太郎さんが
(言葉と言うものは、本来「わたし」以外の誰かが「わたし」の口を通して話しているのを「わたし」が聴く。
そういう屈折した経験なのです)。。
と書いています。
私は、なるほどなーと感心して、覚えていました。
詩人だけに、言葉に対して敏感だなぁーと。

自分の言いたいことがあっ、あらかじめあって、それを告知するのではない。と。
今、自分が何を話しているか、これから何を話をするかを自分は「知らない」。
だから、自分の声に耳を傾ける・・・という形で言葉に対する最初の「敬意」は生まれる。
そうやって自分自身の口から出てくる言葉の「静けさ」を聴く訓練を積む。

というようなことで。分かりにくいですが。

>「みな人は、ない、ものを守ってる」

これを「みな人は、ない、ものをもっている」と読んでいました。
「ないもの」って、なんだろうなぁ〜って・・・哲学的だ〜と。
「守っている」だったですね。。

No.1893 - 2009/08/14(Fri) 02:36:57

Re: / ubik0101
うーん。頭の中で、知らない誰かが、勝手に喋ってて、それを聞いてる「わたし」がいる。とも読めなくもないようです。なにかを考えようとしてなくても考えてる。でも考えようとしても考えられる。その「わたし」は、空白、静寂なのでしょうか。

そいえば、ずーと昔。なんかの雑誌に、名前は忘れましたが、詩人のインタビューが載っていました。詩は、ひとつの文章が短くて、たくさん空白があります。その空白がなぜあるのか、分かりません。という話でした。

それが分からないで、詩を書くのも、ある意味、意味ある、のかもしれませんが。うーん。なにかの、もの、こと、が生起するのも、なんか似たようなことにも思えます。

それに。どうもビルや山などを見ると、映画のセット(書き割り)のように、その裏側はないように見えてしまいます。この現実の裏側は、どーなってるんでしょう。るんでしょう。

No.1894 - 2009/08/14(Fri) 16:18:23

Re: / ubik0101
ついさっきです。また、カブトムシが来訪しました。こんどは部屋の中を飛び回って、ちょっと騒ぎになりましたが・・・hatoさんと撮影会のあと逃がしました。これは窓のすぐ前にある、おおきな樹に関係があるのかもしれません。この前のと、角の形が違います。
No.1895 - 2009/08/14(Fri) 22:25:10

Re: / peer

メスは戦う必要がないので、ツノがない〜。

No.1896 - 2009/08/14(Fri) 23:50:53

Re: / ubik0101
ふむふむ。そのように、もの、こと、の生起する、この世界は・・・絶対無の海に浮かんだ、木の葉のような・・・戦いの現場〜。も、ある意味、意味ある(けっこう気に入ってる言い方)、空想、妄想、幻想、かもしれません。しれません。
No.1897 - 2009/08/15(Sat) 13:25:49

Re: / peer
>そのように、もの、こと、の生起する

蚊は、なんの意味があって存在するのか・・・
私が神なら、作らなかったと思う。ホントに、いらないです〜
なんだか雨が多かったせいか、いつもより蚊の発生が著しく。

>どうもビルや山などを見ると、映画のセット(書き割り)
>のように、その裏側はないように見えてしまいます。


離人感でしょうか。極度になると離人症になりますが。
そんな症状もある意味、人の世の虚偽を見抜いている・・・
のかもしれないと思いますです。

No.1898 - 2009/08/16(Sun) 00:09:23

Re: / ubik0101
しばしば、このアパートでは、夜でも蝉の鳴き声が聞こえます。ちっち。ちいちち。それが闇に光る音のように知覚されます。

それは、どこか暗い部屋の窓の外から、どこか林の樹から、聞こえるのではありません。ちっち。ちいちち。あるいは南から、あるいは東から、その方向は明確です。しかしその鳴き声は、自分の中から聞こえます。

そして朝です。いい天気。「静けさや岩にしみいる蝉の声」。なんて蝉時雨です。その作者の意図は知りませんが・・・それは自分という岩にも、実際の岩にも、つまり世界にしみこんでいます。

そいえば。ずーと昔は、ぐるっと、とてつもない質量の世界が取り囲んで、説明すればですが、その中心に、自分がいるように見えてたんだと思います。

でも。そうじゃありません。「荒海や佐渡によこたう天の川」。そうなんだ。これも、説明すればですが。そういう意味での、世界を見返してる実体としての中心が、あるでも、ないでもない。ということ、なのでしょう。

たしかに、知覚にとっては。たとえば見えた山の裏はないのでしょう。たとえば部屋の壁の表面しかないのでしょう。そして無意識に、つじつまのあうように空想、補正してるのではないでしょうか。

江ノ島の東浜です。

No.1899 - 2009/08/16(Sun) 14:04:32

Re: / hato

昨日の江ノ島は、夏らしい景色でした。

すこし泳ぎましたが、お盆過ぎのクラゲに初当選。ubik0101さんが子供の頃、一ヶ月も腫れて大変だっだぞ〜て脅かしましたが、1日で治りました。昨今の薬は凄いのかしら。釣り具合もお盆仕様でしたが、なんとも夏の磯臭さ、熱い浜には蛤をあぶってる屋台の煙のにおい、、歌謡曲が流れ、、灼熱の太陽に、海風が心地よく吹いて、ヨットの白い帆。「メカジキてカジキ鮪のメス〜?」「そんなわけないだろ」なんていいながら帰りました。

自分のサイトの言葉やデザインは、形になって出たものをとりあえず置いてみると、その後ぴったりのところに落ち着いていく感じです。調整や色合わせも楽しみです。

本当にこの自己と世界の機構は、不思議に素晴らしくできてる、と思います。

No.1900 - 2009/08/16(Sun) 15:32:19

Re: / ubik0101
カーテンを開けると、今朝、鷺草が咲いていました。
No.1901 - 2009/08/17(Mon) 09:35:26
思考の機構 / ubik0101
なにかを考えます。それを、さまざまな状況などに適応してみます。そして、その思考を、その思考自身に、適応してみます。それで、考えたことに誤りはないか、不足はないか、整合性があるか、確認することは役に立ちます。

たとえば「絶対は、ない」と考えたら、それをさまざまな立場に適応してみます。そして、その思考を、その思考自身に適応します。「絶対は、ない」は「絶対は、ない」・・・では、これは成立しない、つまり矛盾のようです。間違いかもしれません。

それで、たとえば逆を考えてみます。「どんなことも相対的だ」。これに同じことを適応します。これも、言い得てないかもしれません。

なにかから抽象した思考というのは、その思考によって思考者の姿勢を現そうと意図するのかもしれません。けど。AをAと言ってるわけではないので、どこか整合性がないことが見つかるでしょう。思考することの機構を使うと、そこから学ぶことも多々あります。

これは、その人が、そのようであることを、そのようであると。真摯に、正確に。思考する、理解する、表現する。でなくては、困難かもしれません。 ずっと前、どこかに、こんな投稿をしたと思います。

続きます。

No.1866 - 2009/07/31(Fri) 10:18:45

Re: 思考の機構 / ubik0101
あそこの樹は、自分じゃない。それを見てる眼などの身体は、自分じゃない。感覚は、感情は、自分じゃない。意識は、自分じゃない。だんだん怖い考えになってきた。自分は、自分じゃない。

では、逆に。自分は、自分だ。じゃ、意識は、自分だ。じゃ、感情は、感覚は、自分だ。だんだん怖い考えになってきた。あそこの樹は、自分だ。

どっちでもあって、どっちでもない。どこでもあって、どこでもない。 それで意味を汲み取ることができないのでしょう。と、このような思考を忘れても、鳥は鳴きます。木々は揺れます。その世界。意味を汲み取る、取らないに関係なく、世界はそう機能してる。という感じがします。

No.1867 - 2009/07/31(Fri) 10:25:05

Re: 思考の機構 / のり
なるほど、
<白の蓮華、赤の蓮華、黄の蓮華。>それでいいんですね。
 “自分じゃないモノ”と“全部が自分”がゴチャゴチャになってます。
<それ自身はそれ自身を知覚・認識できない・・・それが理解されてないと、超えるのが困難な段差>
 この段差にハマッテます。個人的に未だ了解できてない(自我の機能ですね)。
 周りは知りたくない人ばかりですし。自分で了解するしかないんですね。でも自分はごまかせないし。。。。“超古代の日記”勉強します。
<意識は、自分が既に了解していることを、正確に学び、理解することができます。>
<それは、ただ、了解したことを、なんとか身体や意識に教えたい故に、のことかも知れません。>
<なぜその体験、全ては自分、に拘るのか?>
 多分アノ体験が、先ず全部が自分になりその瞬間自分もなくなり清らかな空間になった、と見ているんだと思います。それを追いかけているのかもしれません。なんだか意識が進化して全部になりその後全部に融合するのではないか、なんて思ってます。
自覚してないでも “全部が自分”が機能している、がしっくり来てます。了解する、感覚が未だピンとこないのです。
 そういえばhatoさんのHP、いいですね。素直さ、性格の良さがでていてとてもスンナリ入ってきます。
更新、楽しみにしてます。
 私は“はぐれ雲”、大好きです。

No.1871 - 2009/07/31(Fri) 17:14:00

Re: 思考の機構 / ubik0101
>多分アノ体験が、先ず全部が自分になりその瞬間自分もなくなり清らかな空間になった、と見ているんだと思います。

それは、どうやら、ある種の禅でいう、心身が消える。あるいは道元のいう心身脱落の体験かもしれません。

そいえば、ちらっとしか見てませんが、hatoさんが持ってた、ニサルガダッタ・マハラジの書「私は在る」に、世界を消すには、どうしたらいいでしょうか?という質問があったように思います。

のりさんは、それ、であれば、それ、であることを知覚・認識できない、ということを体験したのかもしれません。これは意識では。それ、でないなら、それ、でないことは知覚・認識できない。ということと区別はできないかもしれません。

けれど。詳細に読み解けば、もしかして、完全な融合と、完全な分離。ある、と、ない、これを弁別できるのかもしれない、と思いました。

No.1872 - 2009/07/31(Fri) 23:32:40

Re: 思考の機構 / hato

>  多分アノ体験が、先ず全部が自分になりその瞬間自分もなくなり清らかな空間になった、と見ているんだと思います。それを追いかけているのかもしれません。なんだか意識が進化して全部になりその後全部に融合するのではないか、なんて思ってます。
> 自覚してないでも “全部が自分”が機能している、がしっくり来てます。了解する、感覚が未だピンとこないのです。


全部が自分、総てはひとつ、、から見ることができるのは、自己はただその自我、ではなかった、、そして不増不減。それで充分と思います。既にのりさんはここを了解されている、と思います。

それ自身は知覚・認識できない、、この理解は、やはり愛の眼差し、導きがあって進むことができますが、ここを経ることで、世界の機能、世界の有り様への理解を得ることができると思います。ubik0101さんが正確に表現されていますが、自分にとっても、世界は触媒です。
その了解を自らのなかで理解したのち、私は私で在る、A=Aをこの世界で学び始めることができるように思います。

了解。例えば、ですが、自分として出来ない、こと。環境的にすることは可能だけど、出来ない、しない、ことを考えるとき、既に自分として了解されていることが思い当たり、理解されることがあるかも知れません。ここは、それぞれの経緯から見出すことができるでしょう。

>  そういえばhatoさんのHP、いいですね。素直さ、性格の良さがでていてとてもスンナリ入ってきます。
> 更新、楽しみにしてます。
>  私は“はぐれ雲”、大好きです。


のりさん、ありがとうございます。嬉しいのです。自分としては、せざるを得なかったようです。図書館さんと一読者さんにも、大変喜んで頂き、祝福頂きました。励まして頂きました。
この世界で。学ばせて頂いてます。

あの幸雲画像をみて、のりさんのはぐれ雲の話から、ジョージ秋山の漫画かな、、とubik0101さんが空想妄想幻想してました。

アパートの周辺を散歩中に、ほおずきを見つけました。ふたつほど持ち帰ったら、ubik0101さんが嬉しそうでした。子供の頃、この時期によく母が吹いてくれたのを思い出します。

No.1873 - 2009/07/31(Fri) 23:44:15

Re: 思考の機構 / ubik0101&hato
この頃気が付いたのですが、プレビュー画面をクリックして、表示される画像の右下をドラッグすると、写真を拡大して見ることができます。(もしかして、Macだけかも知れませんが)
No.1874 - 2009/07/31(Fri) 23:50:47

Re: 思考の機構 / のり
>、自己はただその自我、ではなかった、、そして不増不減。それで充分と思います。既にのりさんはここを了解されている、と思います。
なるほど!はい、ここは了解してますね。
それで充分といえば充分。
でも、じゃあ自己とは何?は自我の機能なのでしょうね。
 ある朝、鳥の声に気づきました。その瞬間、鳥の声は気持ち良い。という意味づけが起こりました。そして、あ〜気持ちいい、と感じました。最初は無意味でした。
 世間は人が生まれた時から、その世間のあらゆる意味を人に教え、意味づけ運動を訓練し、意味づけ習慣を人に植え付けている気がします。そして人は一日中、意味づけ運動を繰り返しています。意味も意味づけ運動も世間で、その主体はない、のです。もともと全てに意味はないのでしょう。それに意味付けする事で自分の状態が反映されるのでしょう。故に、世間は人の成長の触媒、成長を促す機能しかないのでしょう。と思います。

> それ自身は知覚・認識できない、、
できない。を了解するために、了解するまで、いろいろもがいているのかもしれません。全てを試すのは無理ですね。ウビさんの言う“諦めてはいけない”を忠実にやってるのかもしれません。愛の眼差し、導きが足りません。

>
> あの幸雲画像をみて、のりさんのはぐれ雲の話から、ジョージ秋山の漫画かな、、とubik0101さんが空想妄想幻想してました。

 はい、そのはぐれ雲です。大昔、大ファンでした。

No.1875 - 2009/08/03(Mon) 14:07:19

Re: 思考の機構 / のり
> のりさん、ありがとうございます。嬉しいのです。自分としては、せざるを得なかったようです。図書館さんと一読者さんにも、大変喜んで頂き、祝福頂きました。励まして頂きました。
 誰かさんと違ってホントに性格の良さが滲み出ています。
誰かさんは将棋で言えば一手先を聞いているのに、3手先4手先を説明し、その内序盤戦に戻って話し始める癖がありますからね。岡目八目ですが。。。
 ウビさんの目開け瞑想のお陰で意識的に意味づけ運動を止める事もできそうですし、もう少しこっち側(変な言い方)も頑張ってみます。
 自己はただその自我、ではなかった。。。これから了解の感覚は掴めました。
でも、それ自身は知覚・認識できない、、は皆さんどう了解されているのでしょう。
頭の中で了解されているのでしょうか。
これが了解できていませんと、世間の機能・有様は理解できてないのでしょうか。

No.1876 - 2009/08/03(Mon) 14:52:49

Re: 思考の機構 / のり
> それ、であれば、それ、であることを知覚・認識できない、ということを体験したのかもしれません。
う〜、凄いヒントかもしれません。辿ってみます。

No.1877 - 2009/08/03(Mon) 14:54:18

Re: 思考の機構 / ubik0101
ジョージ秋山といえば、デロリンマン。リアルタイムで2、3話だけは読む機会がありましたが、「おろかものめ」と、風の吹くビルの屋上で泣きながら叫ぶ登場人物が、印象に残っています。ネットで検索してみましたが、なかなか面白い物語のようです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%B3

そいえば、大昔。やっと高校生になった頃です。なんとかという作家の小説は、青春の文学だ。という解説を見たことがあります。

そのとき、これから自分は青春と呼ばれる?時期だろう。でも青春にあって、青春、と判る?認識できる?という奇妙な感覚・・・疑問が生じました。しばらくイジイジしてて、そんなの、客観的に言ってるだけだ。でも言葉では言える。とか、なんか釈然としませんでした。

それ自身を、それ自身である。AはAという思考は、奇妙。というのは、なんか本能的な疑問のように思えるかもしれません。

続きます。

No.1878 - 2009/08/03(Mon) 22:36:53

Re: 思考の機構 / ubik0101
また、たとえば。わたしは人間だ。わたしは男性だ。と思考したりするとき、それを意識しないでも、人間だから、男だから、そう、わざわざ言うのは。違う意味を持たせるためでもあるのでしょう。AはAと言うらしい表現に、実は隠れてBを言ってるのでしょう。きっと余計なことを結びつけてるのでしょう。

でも。AはAはと言っても、全然問題ないです。それは、その人が、そうであること。その真摯で正確な。そのままの、余計なことに結びつけない、行動、言葉、思考。つまり日常。それに於いてしか正当性がないように思います。

たとえば。そう、であることを、そう、だと思考すること。天上天下唯我独尊、単独者。たとえば。そう思考しても、暑いなら暑いです。寒いなら寒いです。楽しいなら楽しいです。

それは思考してないでも、ほかのなにかをしてても、そうです。だって、なにかを思考する、思考しない、それで事態が変わる、違うのは、とても奇妙です。

(こんなことは。たとえば、なにかの理由。それは真実の理由も言えますが、嘘の理由も言えます。嘘の理由を言うのは、そうであることを、そうだという、真実を見たくないからで。そうして気がつかない日常を送る人には、金輪際、判らないかもしれません)。

続きます。

No.1879 - 2009/08/03(Mon) 22:46:19

Re: 思考の機構 / ubik0101
そして。そう、思考しないでも、そう。ということは。これまで自分が書いてきた文章は、瞬間的に忘れてしまうのが実情です。それでも、それは、忘れても、そう、です。執着しないに、執着するのではなく。執着しないに、執着しない。とか。自己は無自覚。とか。それは忘れても、そうです。

そのように。たしかに日常そのままの自分を認識したことであれば、AはAです。そして、それは、そう思考しても、思考しなくても、そうです。 そういえば東山寺の方丈は、クリシュナムルティが、観察する、と言うのに対して。観察しない。と、そのHPで言っています。

また。もしかして、禅の公案を解いて、それをアンカーボルト、目印にする、という方法も、ないことはないとは、思います。たとえば。図書館閲覧者さんのブログより。

中邑和尚が言う。

「ここに一つの家があるとする。
 その家には六つの窓があって、その中に猿が一匹居る。
 この猿を東の窓から”山、山”と呼ぶと、
 その猿は”うん、うん”と言って返事をする。
 他の窓から呼んでも同じ事で、”六窓倶に呼べば倶に応ふ”
 である。こんなものだ。」

仰山はこれを聞いて、御垂辞まことにありがとうと前置きして
次のように尋ねた。

「お示しの趣、一々了承いたしましたが、まだお尋ねしたいこ
 とがあります。
 内の猿めがくたびれて休んでいますとき、外の猿めが何とかし
 て相見したいと申しましたら、どういうことになりましょうか。」

こう問われて、中邑和尚は自分のすわっていた縄床から下りて来て、
仰山の手を取って一さし舞い出した。

そうして中邑和尚は言った。
「山、山、お前との相見はすんだ。」と。

(鈴木大拙「禅百題」より一部改変)

タナゴやカサゴも釣れたのですが、メジナ2匹を、刺身と、ニンニク香草焼きにしてみました。

No.1880 - 2009/08/03(Mon) 22:50:41

Re: 思考の機構 / hato

>  ウビさんの目開け瞑想のお陰で意識的に意味づけ運動を止める事もできそうですし、もう少しこっち側(変な言い方)も頑張ってみます。

>  自己はただその自我、ではなかった。。。これから了解の感覚は掴めました。
> でも、それ自身は知覚・認識できない、、は皆さんどう了解されているのでしょう。
> 頭の中で了解されているのでしょうか。
> これが了解できていませんと、世間の機能・有様は理解できてないのでしょうか。


既に了解されているその自体を、意識が理解することにも、それぞれの経緯がありますね。

世界は決着しない、ながらにして必ず決着している、ことが腑に落ちてる、こととも言えるかな、

そんな風に思います。

No.1881 - 2009/08/04(Tue) 01:54:16

Re: 思考の機構 / のり
 大分、お二人を占有してしまいました。恐縮です。
 禅とか道元とか良く分かりません。すみません。
またもう少し、ただどうでも良いことを真剣に行ってみます。
 御垂辞まことにありがとうでした。
 そう言えば、大昔、入谷の朝顔市や浅草のほおずき市に行きました。青い青い物語です。

No.1882 - 2009/08/04(Tue) 18:09:03

Re: 思考の機構 / ubik0101
そいえば、もひとつ思い出しました。図書館閲覧者さんのブログにも、「眼は、その眼を見れない」。という言葉があります。これは、たぶん、眼は、その眼を見れない・・・しかし鳥も、樹も、海も、世界の総てを見れる・・・という意味だと思います。

これは、自己に会った人が、日常、そう、だということを、そう、だと言ってるのではないでしょうか。愛にしても、自己にしても、自覚できないことも、大切と思います。サイトの本文にも、なんでも撮せるカメラ、けど、それ自身は撮せない、とか書いたことを思い出しました。

こちらこそ。のりさんと話すことは、とても刺激になります。いつでも、いくらでも話しかけてください。このごろ、思考しようとして思考できるのは、なぜなんだろう?とか思っていたりします。

No.1883 - 2009/08/04(Tue) 20:54:24

Re: 思考の機構 / hato

のりさんはきっと、どんなにどんなに大切に愛されてるか、気付いていないだけなんだろな〜、なんて思ってしまいます。
のりさんが話しかけてくれると、とても清々しくなって、いつだってすごい嬉しくなってしまうんです。

今日は、我が家の小桜インコです。可愛いですよ、とても美人な女の子です。
ノンノン、ていいます。

No.1884 - 2009/08/04(Tue) 23:51:53
目開け瞑想 / のり
> やはり、のりさんは、瞑想の達人かもしれません。ふつうに自分は、野鳥を聞く。世界を見ます。それは、なにかを、そう思考してないでも、自分が、あるも、ないも総ての意味を、無意味をも、孕んで無意味、です。
 ガーン、ウビさんがそういうから、そう信じてやってみました。以前は、目を閉じれば無限宇宙、で一瞬で入りました。今は目を開けても無限宇宙、です。これ、凄く面白いです。目の前の空気が変わっていきます。でも目には良くないです。コンタクトが乾きます。

 hatoさん、こんにちは。お久しぶりです。お返事ありがとうございます。今回のお二人のアドバイスは私には凄く膨大で途切れ途切れの投稿になります(いつもですが)。ゴメンナサイ。

ウビさんでも4,5年かかったのですね。私も色々な気づきメモが数百枚になりました。その中に思考、感覚、感情、全て自分でない。全ての意味も、瞬時に意味付けする習慣も意味付けする“それ”も社会や周辺環境、自分ではない!全ては無意味!それを知るために人生がある。ってのもあります。メモ同士が矛盾してたりもします。
苦がくるのは多分ベースが愛で無い時でした。何ヶ月もなんでだろうと悩んでましたが、ウビさんと話したらピンときました。

No.1862 - 2009/07/30(Thu) 09:58:58

Re: 目開け瞑想 / 大阪
のりさん、こんにちは。

>苦がくるのは多分ベースが愛で無い時でした。

きっとそうなんでしょうね。
もしかしたら、鬼のような苦、にみんな生活してるのかもしれません。

No.1863 - 2009/07/30(Thu) 13:20:04

Re: 目開け瞑想 / のり
> のりさん、こんにちは。
>
> >苦がくるのは多分ベースが愛で無い時でした。
>
> きっとそうなんでしょうね。
> もしかしたら、鬼のような苦、にみんな生活してるのかもしれません。


大阪さん、こんばんは。
はははっ、そうかもしれませんね。五感地獄の中で麻痺して生活しているのかもしれません。知らぬが花?

No.1864 - 2009/07/30(Thu) 20:31:42

Re: 目開け瞑想 / のり
ubik0101 引用
>どういうわけか・・・たとえば半眼で結跏趺坐する・・・そんな瞑想を、したことがありません。こじつけですけど、そういう瞑想なら、これから瞑想しようとして瞑想するのだろうか。それだけで、変。うーと、瞑想してないときは、瞑想してないのかな。って、感じです。
これこれ、この文章にはめられました。
でも五感の泥沼から蓮の花が咲くのでしょうか。五感地獄が即、天国。雲の上はいつも青空、五感の外もいつも青空。

No.1865 - 2009/07/31(Fri) 09:30:31

Re: 目開け瞑想 / ubik0101
まあ、ここでは 五感というより、どう分類してもいいのですが、人の構成要素、つまり物質、身体、感覚、感情、意識・・・たぶんですが、仏教では、五蘊・・・と呼ばれてることかもしれません。

それは、泥沼のように矛盾に満ちて、「暗雲」のように混乱して・・・増えも減りもしないのに、増えたり減ったりすることも孕んで・・・自我をつくる機能があります。

その自我は、たとえば、善悪が分からないのです。悪いことをしないで、善いことをしよう、としても、無理なんです。

続きます。

No.1868 - 2009/07/31(Fri) 11:24:17

Re: 目開け瞑想 / ubik0101
それは、自己、からしか規定できません。けど、自己は、自我が、ない、ということ・・・自我の完成・・・においてしか、了解できないと、思います。

それは泥沼に咲く蓮華。「雲の上はいつも青空」。けど、そういうことを意識の範疇にあると見なせば・・・いろんな言い方がありますが・・・思考対象にすれば、客観化すれば、分離すれば・・・それは自我の機能です。

続きます。

No.1869 - 2009/07/31(Fri) 11:44:12

Re: 目開け瞑想 / ubik0101
けれど、世界は、それも容認する、なんでもありです。また。この世界だけにも、世界でないところにも、自己を置く必要はないんです。というのも。その人が、そうであることを、そうだと。まったく個人的な了解として、白の蓮華、赤の蓮華、黄の蓮華。そうで、それでいいんです。

ここには、人の経緯によりますが、表現はどうであれ、それ自身はそれ自身を知覚・認識できない・・・知覚・認識できなくても、それ・・・これ自体が真理というわけではないかもしれないけど・・・とかの理解を要することがあります。それが理解されてないと、超えるのが困難な段差、があるかもしれません。

これからhatoさんと一緒に出かけます。

No.1870 - 2009/07/31(Fri) 11:53:56
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