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世界 非意味 その不思議 / ubik0101

ところでhatoさんがHPを開設していました。今日は、サバの塩焼き弁当です。

http://space.geocities.jp/hiimi0101/

No.1834 - 2009/07/15(Wed) 12:22:38

Re: 世界 非意味 その不思議 / hato

ご案内を、ありがとうございます。

3月に開設して、5月半ばやっとカウンターを付けました。もういくつかまとめて書くことがあるかも知れませんが、そのうち、日々綴り合うようなものも設置するかも知れません。
ブラウザによって、とくにMacで作業しているので、Winですと、表紙の画像や文字の位置がかなり変わりますが、あまり手の込んだ手入れはできないので、少しずつ、と思います。

本日晩のお食事は、

頂き物のお酒で料理してくれた、鯛の酒蒸し、とても優しく上品な食感の太刀魚の塩焼き、ハーブソルトで焼いたカンパチ。なかでも鯛の酒蒸しは、鯛の色がきれいで、身はふっくらしており、大変嬉しく頂きました。

No.1836 - 2009/07/15(Wed) 23:23:25
単独者 / ルー
どこにいても、自分である、ということですね。
No.1806 - 2009/07/12(Sun) 06:45:00

Re: 単独者 / ubik0101
どこにいても、というのは微妙ですが、ルーさんの表現なのでしょう。それは単独者という概念とかではなく。たとえば、なんでもありゆえの無意味。を、恐れない。なにか、あれやこれやの意味に逃げない。それは、ほかの人に紛れ込んで生きてはない。その事実。ということだと思います。
No.1809 - 2009/07/12(Sun) 12:54:22

Re: 単独者 / ルー
ほかの人に紛れ込んで生きる、というのがわかりにくいのですが。
ほかの人の状況によって、自分が影響を受けないということでしょうか?
他の人の状況によって、行う自分の行動は、そりゃあ変わってくるでしょうが、自己は影響を受けないということでしょうか。
まぁ、他の人との関わりによって、自己が磨かれるということはあるでしょうが。
いや、「紛れ込む」という話ですね。
他の人に便乗する、ということかな。
その意味で、自分は単独者であるということ。
他の人の人生に便乗するのではないあり方、ということでしょうか。

No.1811 - 2009/07/13(Mon) 08:36:42

Re: 単独者 / ルー
私は、母親なので、子供の状況からの影響を強く受けますが。その意味で、私は単独者ではないのか、とも思いました。
まぁ、子供の人生に便乗して、紛れ込んで生きる母親というのもいるのでしょう。

No.1812 - 2009/07/13(Mon) 08:40:09

Re: 単独者 / ubik0101
そうですね。ほかの人の影響を、実際に、受けるとか、受けない、ということではありません。そういうことがない、ほかの人や社会と無関係に生きる、ということは、まず、あり得ないでしょうが。孤島に住めば、浮き世を離れれば、ということでもありません。

また、ほかの人や社会の良いことに影響される、悪いことに影響される。また、その事態が、良いとか悪いとか、無関係とか、いうことではありません。

それは、ほかの人に紛れ込んで生きてる、ことでなくなって。そのフィールドを抜け出して。初めて。かつては、そうだったんだ。と、気がつくことです。

まあ、説明としては、対極のない、単極の、便乗しない、と言えば言ないことはありません。自我ではなく、自己ということです。

それで、母親だったり、妻だったり、夫だったり、隣人だったり、です。単独者という言葉。それも了解された瞬間に、痕跡を残しません。

No.1815 - 2009/07/13(Mon) 12:52:27

Re: 単独者 / ルー
「他の人に紛れ込んで生きる」ということ自体が、私にはわかりにくいのかも知れません。
「他の人に紛れ込んで生きる」に対して「単独者」という言葉があるのではないですか。
私は、「他の人に紛れ込んで生きる」というふうには生きてこなかったので、それを抜け出す、もないし、「単独者」を意識することもないです。
というか、最初から「単独者」であることが無意識の中に潜んでいる気がします。
まぁ、「それを抜け出す」を経験していないので、まだ本当に「単独者」であることの意味がわかっていないのかも知れません。
暮らしの中で、「単独者」として思い当たる人物がいます。
その人は、自分が受けた他人からの悪意について、淡々と話していました。「悪意」というものが、ただ「悪意」として見える人というのには出会ったことがありませんでしたので、カルチャーショックでした。つまり「悪口」や「悩み」ではない言い方で、自分が受けた悪意を語ったのです。

No.1816 - 2009/07/13(Mon) 13:29:41

Re: 単独者 / ルー
>それで、母親だったり、妻だったり、夫だったり、隣人だったり、です。単独者という言葉。それも了解された瞬間に、痕跡を残しません。

「自己」というものに出会っていれば、特に「単独者」であるということは意識しなくてもそうなのだと思います。
そして、「すべてはひとつ」って何でしょう。

No.1817 - 2009/07/13(Mon) 13:37:59

Re: 単独者 / ubik0101
>そして、「すべてはひとつ」って何でしょう。

それは、この世界がそうだ。と思ってる人もいるようです。不可分で。分離とか、対立は幻想。あるいは、わたしは世界。それは、それで問題ないと思うのですが、あくまで表現です。ちゃっと違う、「可愛くズレてる」と思います。

なんかアホらしい、たとえ話ですが、んーと。エネルギー不変の法則があります。たとえば物質がエネルギーに変化したり、音が熱に変化したりするのですが、増えたり減ったりはしない、です。

いわゆる精神的なこと、感覚や感情や意識も、そうです。何時間働いても受け取る賃金は同じ日雇い労働者の話とか、いくら汲んでも枯れない井戸の話とか、聖書にもあります。

とある一定量というわけではなく、限りあるものでも、限りないものでもありませんが、増えたり減ったりしません。おおくの場合は、自我の完成。において、ありとあらゆること、ありとありえないことが、止滅ではなく、総活動状態になったら、了解されることです。

それを、たとえば「ひとつ」と解釈するのはいいのですが、予め知識とかがあると、ことさら真理だと、思うかもしれません。それで世界を解釈してしまうかもしれません。そういう総活動である、で充分です。

それは中道とも呼ばれ、世界は、そうあります。でも、いわゆる「ひとつ」は、たとえば絵の具のような素材だと睨んでいます。そこで人が、どう育つか、成長するか。です。

No.1818 - 2009/07/13(Mon) 18:58:57

Re: 単独者 / ルー
>いわゆる「ひとつ」は、たとえば絵の具のような素材だと睨んでいます。そこで人が、どう育つか、成長するか。です。

絵の具のたとえは、よくわかりません。
「すべてはひとつ」というのと、絵の具はどういう共通点があるのですか?

No.1819 - 2009/07/14(Tue) 07:23:36

Re: 単独者 / ルー
物質的には「世界はひとつ」であるとして、精神的(?)には、脳みその数だけ世界は存在する、というふうに私には考えられます。
物質的にも、それぞれの人は単体で動くので、あまり「すべてはひとつ」という意味は、影響を受けにくいです。
しかし、影響はあるのでしょう。
意識していないだけで、誰かが作ったシステムの中で生きている、とか。すぐそばにある圧力なら感じますが、遠いところで作られたものには気づかないとか。
自分に不利でないものには気づかないとか。

No.1820 - 2009/07/14(Tue) 09:57:59

Re: 単独者 / ubik0101
>絵の具のたとえは、よくわかりません。
>「すべてはひとつ」というのと、絵の具はどういう共通点があるのですか?


ありとあらゆる色、黒とか赤とか白とか透明とかの絵の具で一杯の、「ひとつ」箱が、あります。増えたり減ったりしない、森羅万象です。それが素材です。

それで描かれた絵は、単なる色の配置でなく、そこに醸しだされることがあります。泥沼に咲く蓮華の花とか、藍は青より出でて青より青し、とか言います。

No.1821 - 2009/07/14(Tue) 10:22:50

Re: 単独者 / ルー
増えたり減ったりしないといっても、CO2の排出量が増えることが問題になっています。
No.1822 - 2009/07/14(Tue) 10:32:48

Re: 単独者 / ubik0101
「ひとつ」ならば、ありとあらゆる脳みその集合も「ひとつ」なのでしょう。けど、「ひとつ」には、そのようにルーさんが言うこととは反対の、自分絶対、の傾向もあると思います。

ほとんど物理には詳しくありませんが、ガソリンの炭素と空気の酸素が結びついた。つまり燃焼して二酸化炭素になっただけで、その総量が変わるわけではないと思います。

No.1823 - 2009/07/14(Tue) 10:47:24

Re: 単独者 / ルー
増えたり減ったりしない、総量は変わらないということは、だから何なのですか?
No.1824 - 2009/07/14(Tue) 12:01:20

Re: 単独者 / ルー
なるほど。脳みその数だけ世界があるにしても、それ全部で「ひとつ」ということがありますね。
そして、その反対の「自分絶対」の傾向とは。。。
「全部が自分」ということで、「すべてはひとつ」ということですか。
それは恐いですね。

No.1825 - 2009/07/14(Tue) 12:05:56

Re: 単独者 / ルー
総量は変わらないといっても、命は生まれて死んでいきます。
No.1826 - 2009/07/14(Tue) 12:07:35

Re: 単独者 / ubik0101
>増えたり減ったりしない、総量は変わらないということは、だから何なのですか?

その、「だから」を考えると、「ひとつ」の投影的な解釈になるのだと思います。ubik0101は、それ、は意識の範疇にない、と言います。それで、アホらしい、たとえ話、と言いました。

>総量は変わらないといっても、命は生まれて死んでいきます。

その、「だから」を考えると、輪廻転生、などを考えてしまう、そんな事例があるようです。おなじですがubik0101は、それ、は意識の範疇にない、と言います。

No.1827 - 2009/07/14(Tue) 14:21:41

Re: 単独者 / ルー
増えも減りもしない、総量は変わらないということは、何から出てきた発想なのですか?ということなのですが。
No.1828 - 2009/07/14(Tue) 15:15:23

Re: 単独者 / ルー
何が、増えも減りもしないのでしたっけ?
No.1829 - 2009/07/14(Tue) 15:20:11

Re: 単独者 / ルー
あまり重要なことではないなら、もういいです。
No.1830 - 2009/07/14(Tue) 15:20:56

Re: 単独者 / ルー
「すべてはひとつ」のことについては、そんなに重要ではないので、もういいです。
No.1831 - 2009/07/14(Tue) 15:23:03

Re: 単独者 / ルー
総量は変わらないものの中で、人はいろんなものを作り出しては、喜んだり苦しんだりして生きているわけですが。

単独であるが、つながっている。

ま、そんなところ。

No.1832 - 2009/07/14(Tue) 15:27:51
(No Subject) / peer
>そのようにして、好き嫌い、良い悪い、などの心理的な判断も、なにかの理解も、その人の奥に、その人の経緯から生じたことを作っているような気がします。

とりあえず、その人がその人であらねばならない。
ということなんでしょうかねぇ。

>たしかに、感情や思考は、空想とか投影ではなく、表情を読んでなくても、伝わることがあります。でも伝わらないほうが、ほかの人に影響されないで、都合がいいので、遮断することが習慣になってるって、こともあるようです。


はい。これはもう。伝わります。感情も思考も。
こればかりは、嘘がつけません。とてもダイレクトです。
ただし、大概は遮断していますから、分からないようですね。
エゴがたまっている場所になんか居ますと。キツイです。

No.1803 - 2009/07/11(Sat) 00:51:16

Re: / ubik0101
>とりあえず、その人がその人であらねばならない。
>ということなんでしょうかねぇ。


そうですね 。とりあえず。まあ・・・たとえば赤を見ると、眼の奥に、透明に輝く緑ができる・・・補色関係のように。たとえば偽善者には、とりあえず二項対立的に強調されてですが、ほんとうに良い人になる資質が隠れて、それを獲得すること。

たとえば権力欲の人が、ほかの人に完全を求めるのではなく、自分が注意深く、完全に行うこと。たとえば執着の強い人が、ほかの人も大切にすること、優しくなること。

また、素直さ、真摯さ、そいうことは良い特質と呼んでいますが、それは世界に生きて、そこから、世界の、つまり感覚や感情や意識の範疇でないこととして、育つのだと思います。

それで、たとえば自我(その表面だけ見ると心理的思考とか葛藤とか呼ばれるようですが)や欲望を否定してはならない、それを完成しなくてはならない、と言います。そして、愛、自己、実在の関係があります。であれば、それは一挙です。

>エゴがたまっている場所になんか居ますと。キツイです。

おそらく、自我に迷う人は、そうでない人を見たら、自分の自我を、そうでない人に投影して、自分に見えるようにする。ということもあるのでしょう。

それは、自分を助けてください、という信号でもあるかもしれません。が、どうしても、それは、そうしてる人がなんとかしなくてはならないのは、しかたないルールだと思います。

No.1804 - 2009/07/11(Sat) 12:25:59

Re: / peer
まぁ・・生きていて。いろいろありますが。
自分と他人を分けていると、自分のことは自分の責任で
他人のことは、他人の問題にしてしまいます。
そんなふうに、隔たりますが。
自分のことを他人を通して見る。
他人のことを自分のこととして見る。
そうでなければ、分けている意味がない。
なんてことも、思うような〜。

No.1805 - 2009/07/11(Sat) 23:38:18

Re: / ubik0101
この世界の範疇では、そうです。それで、境界について。この世界、すべての意味が活動してる、ゆえの、無意味。なんでもあり、に接したら、根拠、理由を失いそうになることに気が付いて。どうも人の意識は、危機を感じ、躊躇して、なにかに意味を見いだそうとすることもありそうです。

いわゆる心理的思考を、問題と見なす、とか。分離、とか、分離がない、とか。なにかしてる中心は、ない、とか。世界は無意味、とか・・・なんだかの意味を見いだし、つまり、なんでもありではなく特定の範疇を見いだして、つまり、偏って、そこに隠れて安定を見いだしたい、ことも起こりそうです。

(なんでもあり、なのに、ある事象、感覚、感情、思考が生起する。日常。これは意識にとって不思議であり、神秘ではないでしょうか。)

この世界の範疇では、 ほかの人と、自分を、分けるとか分けないとか、中心があるとか、ないとか、なんでもありで、どれかであることの必要も不要も、総てを使えばいいです。

この、なんでも、なしあり、世界。それは、絵の具のような素材です。そこで、自己を学んだ人と、学びたくないから学ばなかった人、違う絵を描いて、当然です。

ところで、peerさんは心理学に詳しそうなので、質問です。ほんとうに、知覚からの直接行動は、事実、あり得るのでしょうか。

No.1808 - 2009/07/12(Sun) 12:50:25

Re: / peer
>ほんとうに、知覚からの直接行動は、事実、あり得るのでしょうか。


知覚は、情報ですからね。
それを「判断する」機構を、とっぱねて、直接行動する
としたら、かなりの情報かも知れません。
命にかかわる・・・とか。
知覚していないのに、直接行動する。というのも、ありそうです。
脳の誤作動・・・のようなものですが。

No.1810 - 2009/07/12(Sun) 23:37:10

Re: / ubik0101
こっちでも探ってみました。たとえば、伊藤一刀斎の夢想剣。戦場で敵を斬った、ことさえ意識に昇らなかったそうですが。戦場ということが、あまりの当然なので、そのことを忘れても、戦場という判断はあるわけで、ふつうの日常で、おなじことをしたら・・・もともと戦争もそうですが・・・狂ってるでしょう。

ただ街を歩いてることだって、危険とか安全とか、判断して、ほとんど自動的なので気がつかない、といったことだと思います。

まあ、知覚からの直接行動とは、葛藤がない行動だとして、葛藤の対極に置かれた空想、妄想、幻想・・・理想・・・かもしれません。その葛藤も、おおくは空想からの生起です。それを、当然の前提として気がつかない、のでしょうか。

が、知覚からの直接行動。そんなことを思う人が、なぜ思うのか知りませんが。それは素直でない、つまり真摯で正確でない、誤った命名であり、事実とはギャップがあり、目標、規範、負荷、になり得るでしょう。

No.1813 - 2009/07/13(Mon) 11:37:37

Re: / ubik0101
それはともかく。すこし前、伊豆に行ったとき。バスの中でhatoさんから、よく冷えて結露した赤いカンを渡されました。それで、嬉しく飲んだのですが。

ああ、コーラって、こういう時は、ほんとうに美味い、と実感しました。炭酸で弾ける褐色の液体が見えるようでした。

ところが、一息ついて、そのカンを、よく見ると、サイダーでした。あれ?たしかに知覚したのに。サイダーと知って飲むと、サイダーでした。 まさか牛乳を、コーラと思ったりはしないでしょうけど。

No.1814 - 2009/07/13(Mon) 12:02:59
(No Subject) / ubik0101
>自給自足生活なんて、ちょっと憧れます。

うん。そうしたいけど。この辺では、困難。なかなか仕事も見つかりません。でも、脳天気、です。まあ、たしかに、いま、には、なにかとの比較が起こりようがありません。そして、執着しない、ことにも執着できません。も忘れています。

でも、それは、とくに、いま、だから、じゃない、です。過去や未来を思っても、だからなに、もないです。そういえば図書館閲覧者さんが言ってた。「ほんとうは、いま、もないのだ」。という誰かの言葉を思い出しました。

まあ説明ですが、自分がない、ある、に拘ってる、 いま、とか、未知、自由とかだと、いわゆる心理的思考とか、過去とか、ありたい自分の姿とかを否定し続ける必要がありそうです。

そのようにして、どうしても、あるにしてもないにしても、その自分を空想の、いま、とか未知、自由とかの範囲に、狭い範囲に閉じこめて、執着して、安心したい傾向がありそうです。

そんなことも、自意識が問題というわけでもなく、あるもないも、なんでもありだから・・・たとえば減色混合の闇ではなく、加色混合・・・透明です。それにしても、こればかりですが、なぜ、これ、は、こう、なってるのか?です。

No.1786 - 2009/07/06(Mon) 17:05:38

Re: / hato

>自給自足生活なんて、ちょっと憧れます。

自給自足。
それは人の姿、と言えるかも知れません。

なぜ、これは、こう、なっているのか、、

はい。
ルンルンもスパゲティ、頂きました。

No.1787 - 2009/07/06(Mon) 22:46:24

Re: / peer
まっ。仕事のことは、考えていなかった・・・です。
どちらにしても、なにかしたくなる。
そのタイミングで、何かがやってくる。
そんな感じもありそうです。
創造主・・・でしょ。

スパゲティ。食べているのか遊んでいるのか。

No.1788 - 2009/07/06(Mon) 23:42:30

Re: / ubik0101
いえいえ。けど、ときどきは。ま〜〜かな太陽〜、燃え〜ている〜、果て〜ない南の大〜空に、とどろき〜わたる〜雄叫びは〜・・・正しい者に味方するっ、湘南の、怪傑ハリマオです。そういえば。 なぜ、これ、は、こう、なってるのか?は、リセット効果があることに気がつきました。

まあ、聞かれてもいないのですけど。人の変化ということは。絵を描く絵の具や印刷のインクのように、青、赤、黄、は混ぜると黒になっていく、ので、色づけを排して、地の紙の色を見てみよう、という自我の範疇の働きがあります。それが減色混合です。

それと、テレビやPCのモニターのように、光の赤、緑、青、は混ぜると白色・透明になる。自我を離れた働きがあります。それが加色混合です。これは、ないものは知覚されない、あるものは知覚されるといったことや、意識の範疇に限定されません。もちろん、あくまで、たとえ話です。

ルンルンもノンノンも、サラダとかは、囓って遊んでるのですが。パスタは、大好物です。ポテトチップとか、煎餅とかも人が食べてるのを見ると、すぐ飛んできて、眼を閉じて味覚に集中して食べます。そういえば煮魚の骨とかも、しゃぶります。

http://www.paostyle.tv/contents/editorial/3gensyoku.html

No.1789 - 2009/07/07(Tue) 15:41:58

Re: / hato

> まっ。仕事のことは、考えていなかった・・・です。

ハリマオね〜・・面接行くのでも、いつかここでご披露した、可愛い携帯ストラップ。意気揚々と腰に付けて行かれるのですわ。
まあ、おそらくは、なんというか〜、、

なんとかなるっちゃ〜、です。

どうでもよいがどうでもよくない、、、私は私である、と言うためには、まずは自分が自分と思う自分でもない、、さらに意味は意味に非ず、、の状態を理解し、、仕組みを理解し、、自我があろうがなかろうが、と言える、、その道すじ。経緯。そこで初めて自我の機能は、自分が正に自分である、ことを学ぶために役立つ、と言えるかも知れません。

光のスペクトラム。前の項で、ubik0101さんの多摩川の画像は、太陽光に反射して電車の色が、ちょうどそんなふうに見えていました。あずき色のロマンスカーでした。

No.1790 - 2009/07/07(Tue) 23:24:40

Re: / peer
補色の効果。というのも、すごいです。

補色を見ておいて、すぐにモノクロの写真を見ると
カラー写真に見えるんです。
現実に、そこにあるのは、モノクロなのに。
目は、勝手に、色づけします。
脳が騙される、、、というか。ない色を補う。
心理的にも、言えることのようです。

No.1791 - 2009/07/08(Wed) 11:59:36

Re: / ubik0101
そ、それは、凄っ。たとえば、赤と緑、黄と青、いろんな補色関係にある色を見て、もとのカラー写真を知ってる/知らない、モノクロ写真を見ると、どうなるのかとか、実験するのが楽しみです。

たしか前にも言ったかもしれませんが、補色を見る練習してると、たとえば白い紙に鉛筆で書いた黒い文字が、きらきらネオンのように輝いて見えます。そういえば、聞いた話ですが、モノクロネガを、カラー分解して印刷すると、微かな色合いのカラー写真に、仕上がるようです。

また、たとえば、ふつうに赤い色紙だけを見ていても、眼の奥というか脳には、それと補色関係にある透明に輝く緑が、自動的にできます。それがまた、人に、見える。どーなってるんでしょう。金とか銀にも補色があります。もしかして、世界が総て、たとえば赤ければ、色として見えるのでしょうか。

それにしても、なにかの判断をするってことは、総て誤るのだ。そして、偶然、一致するだけだ。そう思って、もうなにも判断しないぞ。と決めた超ゝ超古代の自分がいました。でもたとえば、文字を書いて、その人が眼が悪くなっても、文字が書けます。

そのようにして、好き嫌い、良い悪い、などの心理的な判断も、なにかの理解も、その人の奥に、その人の経緯から生じたことを作っているような気がします。

No.1792 - 2009/07/08(Wed) 15:56:59

Re: / hato

補色、色相はことに、世界の発生する仕組みを見ることができるように思います。

とくに無関係ですが、「教えて! watch 」の数学、物理学系、哲学などの回答者、cyototuさんを読むことがあります。わたしはとくに数学も物理学も知らないのです、が、仕事の関係上、覗いてみることがあります。自分にとって学問は、人を熟考させる、ということが要点に思われます。
科学で世界を知る、ことができるでしょうか。
そこに山がある、、として、それを山と見て、登ってみるのかも知れません。

不確実性、それこそ、世界が人を魅惑する所以かも知れません。

No.1793 - 2009/07/08(Wed) 23:33:32

Re: / peer
実験。ということで、思い出したことが〜

禅とか瞑想とかでアルファー波になってもらいまして
傍にいる人の脳波を見てみたら、その人もアルファー波に
なっていた。ということです。
脳波というか、そういう波動は、伝わるらしく。
ひとりが良い気分になる。それが周りの人に伝わって
みんなが良い気分になる。というのは、リアルに
あることなんですね。

だから、みんな、責任ありますね。
自分の気分が、周りを落とすこともでき、盛り上げる
こともできる。という意味では。

No.1794 - 2009/07/09(Thu) 00:50:29

Re: / ubik0101
たしかに、感情や思考は、空想とか投影ではなく、表情を読んでなくても、伝わることがあります。でも伝わらないほうが、ほかの人に影響されないで、都合がいいので、遮断することが習慣になってるって、こともあるようです。

アルファー波については、そいう測定もできる、ということに思えます。それが実際なら、アルファー波を放送すれば、世界は平和になるのかな?とか思います。が、なんか、ちょっと怖い感じです。

これは林で見つけた、犬山椒です。そっくりさんですが、山椒のような香りはありません。つまらないという意味で、なぜか、犬、とつけられているようです。でも、実は、咳止め薬になるそうです。

No.1795 - 2009/07/09(Thu) 14:15:52

Re: / ルー
そういえば、「犬死」という言葉もありますね。
今では、ペットの犬は人間同様(それ以上?)に扱われていたりしますが。
実家では、犬をきらしたことはありませんでした。
子供の頃、学校から帰って家に誰もいなかった時は、犬と私の何ともいえない密着した時間を過ごしたものでした。
犬は、吸収してくれるなぁ。

No.1796 - 2009/07/10(Fri) 08:49:51

Re: / ubik0101
そいえば。ハチという名前でしたが、母親の田舎で、おおきな秋田犬を飼っていました。少年のころの自分が乗ったリアカーを引いてくれる、強く優しい犬でした。

あるとき、年長の従兄弟が、ハチに、棒きれを見せて、それを崖下にある河の中に投げ込みました。するとハチは、かなり水面までの距離があるのに、まったく躊躇せず、河に飛び込み、泳いで、その棒きれに向かいました。

すると従兄弟は、ハチのことを、馬鹿だと、嘲笑いました。そうじゃないんだ。人の言動にしても、なんとでも判断、解釈できるでしょう。

でも、たとえば、人が素直だということ、真摯だということ・・・人のためにするとして、自分の中の人ではなく、ほんとに人のためにしようとすること・・・馬鹿馬鹿しくても自己満足じゃないということ・・・その日常。そうでなくては、ならないことがあった、と思います。

No.1797 - 2009/07/10(Fri) 12:23:47

Re: / ルー
うん。犬の信頼感?は、たしかにあります。
だんだんと、そういうものがどこにもなくなってきているとしたら恐いことです。
何もかもあっさりしてきて、子どもの学校でも、人のつながり方がずいぶん変わってきたなと思います。
今は、何でも携帯メールで話すのです。
友達が家に遊びにくる約束とかも、親同士、携帯メールで全部やりとりします。連絡網も。
まちがいがなくて便利なのですが、声というものがだんだん使われなくなっているみたいです。

No.1798 - 2009/07/10(Fri) 12:43:22

Re: / ubik0101
まあ、あれですよ。その時まで、自分が人の中に隠れて生きていた、ということには気がつきませんでした。あれやこれやの世の中に反抗すると言うより、無視して、生きてきました。ほかの人を空想して、そこから自分を判断することも捨て、ほかの人を判断することも捨て。東京にいて、無人の荒野にいました。根拠なく、理由なく、生きていました。

それでも、自己を見ない間は、やはり人の中に紛れて生きてた・・・夏になり秋になり冬になっても、この辺には鶯は、いる、のですが、春のようには、ほーほけきょ、とは鳴かないから、いる、と気がつかないように・・・そのことに気がつかなかったんです。 それは(昔の)濃い関係にあっても、(今の)薄い関係にあっても、おなじではないでしょうか。

ほとんど憶えてないのですが、 キルケゴールの言葉だったかと思いますが、単独者。ひとり神の前にある者。それも濃い関係にあっても、薄い関係にあっても、おなじではないでしょうか。そうして、初めて気がつくことがあります。

No.1799 - 2009/07/10(Fri) 14:39:09

Re: / ルー
ふむ。単独者さん。私も、単独者。
あー、あの犬。あの時はありがとうね〜!
名前は、シロとかジュリーとかでした。

No.1800 - 2009/07/10(Fri) 18:37:19

Re: / ルー
あ、コロもいました。
私は、封じ込めた記憶を、もう取り出しても平気。

No.1801 - 2009/07/10(Fri) 18:40:01

Re: / hato
皆そうです、誰だろうと。孤独でなく単独。
誰でも。単独でしかあり得ない。

世界がどのように、あろうが見えようが、人はそこに依ろうが依るまいが、そうでしかあり得ていないことに気付く。世界に働きかけても無理かも知れない、ことに気付く。それでも尚、皆そこを生きている、ことに一縷の絆を見出して、互いに励まし、慈しみ合うことができる、のかも知れません。

祖母の家には、エルという母や兄姉がとても可愛がっていた犬がいたそうです。雑種で、とてもよくわかっていて、死んだときは祖母の家の庭に埋めたそうです。

その後、犬のシロと、猫のミーコとが何代か続いて、今は誰も住んでいない祖母の家に、祖母と暮らしていたナナ、という猫がひとりいます。

No.1802 - 2009/07/10(Fri) 20:51:12
(No Subject) / peer
>それ、たとえば愛は、世界の事象の範疇を超えています。なので、そいう原因と結果ではないでしょう。というより、どんな原因と結果であれ・・・「与えたものは、返ってきたもの」という順当な結果であれ、その逆の結果であれ、とくに関係が見出されなくても・・・それ、は愛の現れようとしてること、ではないでしょうか。


たとえば、愛を感じた瞬間に、全身が愛に満たされます。
そのほかには、なにもない。
愛を相手に向けただけで「満足である」ということ。
これが「返って来たもの」でして。
対象から、なにかが返ってくるということでもないようです。
原因と結果が同時。ということかな〜と。

No.1767 - 2009/07/02(Thu) 13:20:36

Re: / ubik0101
それは・・・peerさんは優しいんだなあって意味で・・・凄っ、です。まあ、性格が悪いので、その愛の相手がいなかったら、どうするんだろ、と思ったりしますが。そうですね、キーを打ってると『わたしに、かまって』とノンノンが指に齧りついてくるので、ノンノンが指に乗ったまま一緒に、キーを打てば大丈夫とか・・・そうだ、近くの林で見つけた山椒の苗をpeerさんが望むなら、貰って貰おう、とかが得意です。

それは、それとして。どんなことでもない愛は、感情や思考のようには、それを感じれば、ある。それを感じなければ、ない・・・あるものは知覚される、ないものは知覚されない・・・ってわけではないです。知覚する、しないことに依存しないんです、とか。

また、それは特定の人を対象にしてません、とか。 総てがそうなら、そうだと感じる必要も不要です、とか。それは能動的でも、受動的なことでもなく、ただ、そうです。とか。なんですが、どれも上手な説明ではないようです。

それにしても、なにかを知覚できることの不思議。そういえば昨日、青虫をくわえてた四十雀が、今日もまた雨が降る中、なにかを探して草が刈られてしまった斜面を歩いていました。こんもりと緑に繁った樹も、これは何でしょう?これは何でしょう?と訴えかけているようです。映像は、鷺草の鉢です。

No.1768 - 2009/07/02(Thu) 15:54:05

Re: / hato
ほんとに。

peerさんに、山椒、お渡しできたらいいですね。
いつかpeerさんと話していたとき、外でみつけた山椒の画像を載せたことを思い出しました。

愛は、愛。
それはただ、愛、でしょうね。

世界は、あらゆる作用、反作用それ自体あるともないとも表現不可能の運動によって、人が、それに依らない了解そのものとして、在る、ことを学ぶ、鍛える場、とも言えるようです。

人は、無関係なことに関係性を見出しながら、それを使って成長していく、そのためには、世界はどうでもいい、なんでもどうでもあり、と言えるとも言えないとも、、根本は不可知の有り様です。でなければ、人がそこで学ぶことが出来ません。常にどこか不確実であることによって、世界は人を学ばせる、徹底させることが出来ますね。
知る、ことと、了解、は明らかに違いますね。

そこ。それは、もはや運動ではなく、、意識、とも、言い難いようです。

No.1769 - 2009/07/02(Thu) 23:40:51

Re: / peer
>性格が悪いので、その愛の相手がいなかったら、
>どうするんだろ、と思ったりしますが。


どうなんでしょうね。。じゃなくて〜
無条件だから、そこに愛がある。ような気がするし。
ともかく、有難いことに、愛の対象がいてくれます。
うん。上手に説明できないですね。

>知る、ことと、了解、は明らかに違いますね。

はい。
まぁ、いまのところ、どこまで行っても不確実で〜
だから有難いということもあるし。
そんなこんなで。
とりあえず、私もひとつ・・・画像などを。

No.1770 - 2009/07/03(Fri) 00:34:27

Re: / ubik0101
ふむふむ。 作品は、その人を現すのでしょうか。 ちょっと 照明の影響でそう見えるのでしょうか、なんか柔かな中にも秘かなイロニーが(向かって左のには)隠れてそうな印象です。

ところで、不確実と言えば。数学関係?の仕事をしてるhatoさんが見つけてくれた、ゲーデルの不完全性定理。これは証明できないことを証明した、という意味だけではなく面白いです。

http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/fukanzen.html

>1)第1不完全性原理

>「ある矛盾の無い理論体系の中に、
>肯定も否定もできない証明不可能な命題が、必ず存在する 」


>2)第2不完全性原理

>「ある理論体系に矛盾が無いとしても、
>その理論体系は自分自身に矛盾が無いことを、
>その理論体系の中で証明できない 」


たとえば知覚とか、自我とか、前提とか、なにかを考えてて、その考えの成立してる構造を見ようとします・・・それで、どうしても構造には破綻があって、不確実で、真摯な姿勢で・・・主観的でなく不公平でない・・・思考をしなければ、それに気がつかないで、気がつくまでは、その場に縛られるようです。また、その破綻、不確実がなければ変化も生じず、思考はできないかもしれません。

それで、また、そうなってる、その構造が、なぜ、そうなってるんだ。と思うと、それは知らない、になってしまって、もう思考不能です。そこで一転。この世界を眺めて、なぜこれは、こうなんだろう?と問うと。ほんとに幽かに微かに感じることがあります。

No.1771 - 2009/07/03(Fri) 18:18:05

Re: / hato

> とりあえず、私もひとつ・・・画像などを。

うーと。

これ、左がpeerさんで右がご主人とかだったらどうしましょう。きばが上と下に、ついているのが面白いねー、とダーリンと話してますー。。。

No.1772 - 2009/07/03(Fri) 23:34:16

Re: / peer
えっーーそうですか。
両方とも、私に似ている。と言われますが。
作品って、そういうものらしいです。
キバが同じ方向だと、動物的だし、、動物じゃない意味で上下につけた。
みたいな感じです。

数学は、全然・・・ニガテです。

No.1773 - 2009/07/04(Sat) 02:00:14

Re: / ubik0101
それはそれとして、さっき、あちこちにある山椒の苗を見ながら、林を歩いてたら、一輪だけ、露草が咲いていました。そのそばで、初きのこ発見、です。
No.1774 - 2009/07/04(Sat) 09:37:37

Re: / hato

というわけで、今朝の散歩風景から何点か。

まずはubik0101さんが気に入ってる、きのこたちです。

No.1777 - 2009/07/04(Sat) 23:05:26

Re: / hato

この小さな部屋の周囲は、小さな緑地になっていて、
そこにubik0101さんと植えた山椒の種が、そこかしこに芽吹いています。
なんて可愛いのでしょう。

No.1778 - 2009/07/04(Sat) 23:08:36

Re: / hato

アパートの近くの小道を上っていくと、小さな丘があります。
そこに、大きな山椒の木があります。
春にはここでたくさんの新芽を頂きました。新芽の時期は摘んでも、またすぐ生えてきてくれます。

No.1779 - 2009/07/04(Sat) 23:14:36

Re: / hato

これは、モグラ君たちの仕事です。

No.1780 - 2009/07/04(Sat) 23:17:01

Re: / hato

露草は、この時期からすこしずつ見ることができるようです。青地に黄色がとてもよく映えて、可憐です。

ubik0101さんが蛍草とも言うよ、と教えてくれました。
わたし達がとても好きな草です。

No.1781 - 2009/07/04(Sat) 23:21:28

Re: / hato
5月頃から、この辺りではちょっとした山道に見ることができます。蛍ぶくろです。光ってしまってすこし見にくい画像ですが、、
No.1782 - 2009/07/04(Sat) 23:24:29

Re: / ubik0101
と、いうわけで夕方は、一緒に多摩川に行きました。貸しボート屋もあったのですが、ぼーと川縁で過ごして。くちぼそ、みたいな魚を釣ってる家族と話をして帰りました。
No.1783 - 2009/07/04(Sat) 23:29:46

Re: / hato

というわけで、帰ってきてたった今、
窓をカツンコツン、、する音がするので、ubik0101さんが開けてみると、カブトムシが遊びにきていました。部屋が明るいのでよってきたのでしょう。

お、おっきぃ〜!

ちょっと部屋に入れて撮影して、すぐ逃がしました。

No.1784 - 2009/07/04(Sat) 23:39:23

Re: / peer
自然の近くにお住まいのご様子で〜
環境はどこまでのものかワカリマセンが、農作物を手掛けるという
のはいかがなものかと。フッと思いつく。
自給自足生活なんて、ちょっと憧れます。

No.1785 - 2009/07/06(Mon) 00:25:32
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