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素直に教えてください。 / のり
ウビさんの前の投稿:
ubik0101
<また、なにかの体験は起こることで、それを理解するのは、やはり努力が必要で。そうして自分の意識に教えて体験の印象を失って、その体験で見たことが、ごく当たり前のことになるのだと思います。>

どのように努力するのでしょうか。どのように意識に教えるのでしょうか。体験で見たことが、ごく当たり前になるとは、どのような感じなのでしょうか。

目を開けたまま瞑想ができるのですね。初めて知りました。この時、確かに目は節穴ですね。でも全体に溶け込んで、気を失いそうになります。仕事中は無理かな?
 “山高ければ谷深し”で“全体が自分”から外れ、ちょっとでも片寄ると鬼のような苦が来ます。

No.1850 - 2009/07/29(Wed) 10:22:31

Re: 素直に教えてください。 / ubik0101
その体験は起こります。感覚、感情、思考の総てが・・・あることと、類似のこと、反対のこと、無関係のことが・・・総活動状態になります。それはどれか、どこか部分的なこと、たとえば怒りとか、喜びとか、平穏とか、善とか、悪とか、好きとか、嫌いとか、個別なことが活動してるわけではありません。

それゆえ、どこにも偏れない・・・あることと、ほかのこととの中間とかではなく・・・活動してる中道とも呼べる状態です。 ちょっとでも、なにかに偏ると、そこから離れる、ということも自覚できます。

そして、徐々に日常の意識に戻っていきます。それも自覚されます。それで自分が、その日常の意識だというだけで苦痛になります。仏教で、総ては苦、と言われるようですが・・・愛しい人と離れる苦、憎い人と会う苦、とか説明されていますが・・・それはもちろん偏り状態、日常意識のことで・・・このことと睨んでいます。なにかを、したりしなかったりの、日常というだけで苦痛です。

続きます。

No.1851 - 2009/07/29(Wed) 12:16:34

Re: 素直に教えてください。 / ubik0101
それは、どこかに・・・おそらく胸に・・・その体験の残り火が燃えてるからです。どうしても、それ、と日常意識との比較が起こります。それ、を対象にしてる自分は、それ、でない、ということが苦痛です。

それの解決法ですが、ひとつには。どうしようもなく湧き上がるのですが・・・ほかの人に、そのような体験をして欲しい、と言えば言い過ぎですが・・・つまりは自我ではなく、自己を知って欲しい・・・ことを、実行することです。それをしないことが、やはり苦痛の大きな原因でもあります。

それでも、できることは、人に、それが起こることだ。みな人は、それに向かうのが必然なんだ・・・諦めてはならない・・・というのも言い過ぎですが・・・ということを、知ってもらう、ということしかできないかもしれません。それだけで充分とも言えます。 知りたくない人には、ふつうに社会生活以外に、関わる必要はありません。

続きます。

No.1853 - 2009/07/29(Wed) 13:01:44

Re: 素直に教えてください。 / ubik0101
も、ひとつには、その体験を理解するということです。それは総活動状態なので、日常意識にとって、情報量に換算できるとして、莫大です。とはいえ、その人の、その体験に至る経緯が反映されています。

とりあえずは、その自分なりの理解をするだけでいいです。それを読み解くことは、実は、日常意識にしかできない、と踏んでいます。苦痛こそ、その理解の原動力です。また理解してないゆえに、残り火が、苦痛としてあります。

>どのように努力するのでしょうか。どのように意識に教えるのでしょうか。体験で見たことが、ごく当たり前になるとは、どのような感じなのでしょうか。

ほかの人の表現とか経緯は、度外視、でいいです。 まず、その体験で見たこと、自我の仕組みを、そのまま言葉で、表現しました。たとえば、自分が何かを考えるのではなく、なにかを考えることによって・・・予め・・・その自分が虚構として設定されるだけです。と。

続きます。

No.1854 - 2009/07/29(Wed) 13:59:45

Re: 素直に教えてください。 / ubik0101
そして、それが自覚できないのは、人は、自分で見ようとしてない努力をしてるからです。自分でその仕組みをつくって、自分で隠して、自分で気がつかないようにしてる。と言葉で表現しました。

さらに。立ち位置が違うと、自我とは、なんであれ世界が人にしてあげてるのに、人がそれを自分でしてると思い違うこと。などとか見えたりもします。

さまざまな立ち位置、そこに実際に行って、見える限り見ます。もし、自分の経緯だけでも、見つくすなら、それらの関係も見え、どの部分的な立ち位置にも、拘る、拠り所を持つ、必要がなくなります。

また。たとえば、意識として、自我が、ない、ことを学ぶと、それを見る中心。ここで言う、残響のような自我が発生します。 無我を張ります。執着しない、に執着します。

そうする必要があるというのは。どのように人が、思考しても、しないでも、総活動してる世界を、狭い範囲でしか機能しない、意識で確認したいから・・・そこで世界を見ます。執着しないに、執着できません。世界を見ます・・・ま、見なくてもですが・・・すると、そんなことも必要なくなります。

>目を開けたまま瞑想ができるのですね。初めて知りました。この時、確かに目は節穴ですね。でも全体に溶け込んで、気を失いそうになります。仕事中は無理かな?

やはり、のりさんは、瞑想の達人かもしれません。ふつうに自分は、野鳥を聞く。世界を見ます。それは、なにかを、そう思考してないでも、自分が、あるも、ないも総ての意味を、無意味をも、孕んで無意味、です。

それは人が、そう認識しないでも、総活動しています。ただ自分がそれを見てることを除いてと言うか、含んで、ほとんど世界は、その体験状態、にあります。それは、偏っても、偏れない。 中道。ただ、そんな世界を見ます。その自分の有り様を見ます。そこから学びます。でも、たしかに料理したり誰かといる時には、そうではないです。

No.1855 - 2009/07/29(Wed) 15:38:20

Re: 素直に教えてください。 / ubik0101
そいえば。「体験で見たことが、ごく当たり前になるとは、どのような感じなのでしょうか。」そうですね。それを自覚(思考)してないでも、自覚(思考)しても、それはそのように、機能してる。という感じです。
No.1856 - 2009/07/29(Wed) 15:58:08

Re: 素直に教えてください。 / のり
> そいえば。「体験で見たことが、ごく当たり前になるとは、どのような感じなのでしょうか。」そうですね。それを自覚(思考)してないでも、自覚(思考)しても、それはそのように、機能してる。という感じです。

先ずは、
なるほど、自覚(思考)してないでも、あの体験が機能している。という事ですね。自分的には“全部が自分”の感覚が機能している、ということ。

No.1857 - 2009/07/29(Wed) 16:33:23

Re: 素直に教えてください。 / のり
ご丁寧なお返事ありがとうございます。
<苦>
> それは、どこかに・・・おそらく胸に・・・その体験の残り火が燃えてるからです。どうしても、それ、と日常意識との比較が起こります。それ、を対象にしてる自分は、それ、でない、ということが苦痛です。
 確かに日常の意識と比較しているのでしょう。自分的には“全部が自分”の感覚も結構、長続きするようになってきましたがチョッと日常意識に夢中になるだけで、
昔だったら何でも無いほんの些細な事が“おそらく胸に”突き刺さり、血の涙が出る思いをします。“それ、でない”事が苦痛です。すぐに鬼の苦痛をもたらします。

No.1858 - 2009/07/29(Wed) 17:00:43

Re: 素直に教えてください。 / ubik0101
まあ、自分の場合は、ですけど。その体験で見たことを理解するのに。とりあえず4、5年かかりました。それが超古代の日記です。それでも実は、ザルで水を掬うみたいに、なにも残ることはなかったんです。

そのままだと、ああ、そいう体験もあったけど。という感じで、その状態でない自分に罪悪感を持ちながら、なんだか物足りない人生を送って、それだけだったでしょう。

それで、どうも納得できないので、見たことを、さらに見直したんです。詩や散文で表現したりもしました。それにも何年もかかりました。怠惰ではありましたが、その点だけは、かなりの努力しました。

ああだこうだ。これは、こういう仕組みになってる。と見ることは、簡単といえば、簡単です。でも、なぜ、それがそうなってるか?それは問うたびに、知らない、ことに気がつきます。そのことが、却って、見たことを明確にしたのかもしれません。本性が愚かな意識に教えるということは、けっこう大変です。けど、素直、つまり真摯で正確であれば、大丈夫です。

そうしてるうちに、自覚してないでも、実は、それが機能してる。意識から失われても、なくなるものは、なにもない。とか。たとえば自己は意識の範疇にないことを、明確にする。それを意識で理解しようとすることも自我の機能。とかに気がついたりしたんだと思います。

ところで。とくに、その原因がなくて、胸が苦痛のこともあります。経済的、社会的に逆境であっても、まったく平穏に安らぐこともあります。そいうことの、あるなしは、絶対の基準にはならないようにも思います。

No.1860 - 2009/07/29(Wed) 23:03:25

Re: 素直に教えてください。 / hato
こんばんは。お久しぶりです。
ubik0101さんに促されて飛び入りしました。気にさわったら、ごめんなさい。

のりさんがもし、それについて書くとしたなら、思考、感覚、感情、、ではないところ、、なんとも言えない、それ、から言葉は起きてくるように思います。その作業のそこでやっと、意識は、自分が既に了解していることを、正確に学び、理解することができます。言葉にして書き出すことで、意識は学ぶことができます。

ここで、なぜその体験、全ては自分、に拘るのか、というところかも知れません。なんとも言えないそれ、自己、を「知ってる、想定している、何か素晴らしい状態」に依って表現しようとすることによって。または、知ってる何かとして表現しなければという誤解から、無理が生じるのかも、知れません。知ってる、ことは意識の範疇にあるように思われます。ご存じの通り、それ、は、ただ意識の範疇、にありません。

それは、なんでもない故に、たとえば、全ては自分、ということにも、ただ依ることができません。
何であれ固定させようとするなら、無理が生じるかも知れません。総てはひとつ、一体、、それは世界の機構のなかで、そのように感じる、ということかも知れません。了解されたことの、大事な表現であるかも知れませんが、なんでもないそれは、正にその境地故に、なにかどこかの素晴らしい境地、状態としてそこに固定させることができません。

また、体験としてはもうすでに自分に起きていることを、再体験させる必要がないのに、それを起こそう、定着させようとすることで、反動として苦しみが起きている、ことがあるかも知れません。それは、ただ、了解したことを、なんとか身体や意識に教えたい故に、のことかも知れません。

もう、それは、いいんだよ〜、と、世界は伝えようとしているかも、知れません。

いつだったか、とても澄み切った青い空に、可愛らしい雲がぽかんと浮かんでいて、嬉しくなりました。
幸雲と名付けました。

No.1861 - 2009/07/29(Wed) 23:20:40
(No Subject) / peer
>その、いわゆる中心が、どう機能するかなどを、観察したり、
>研究することよりも。その中心が、ある、とか、ない、とか
>捜索するよりも。その中心が、どのようにして生起するのか、
>それを見れば、それで解決です。


まっ。いまのところ。
中心は、あってもいい。ような感じがしています。
中心点から、自分、世界、宇宙へと多重に拡がる輪がある。
その層が、幾重にもどこまでも広がっている。そういう図。

どんなにしても、あるのは、関係性だけのように思います。
自分があるとか、誰かがあるとか。ではなく。
瞬間瞬間にある、自分と誰かの関係、自分と仕事の関係
自分と社会の関係・・・みたいに。
そこに生命感がある。のかな、と。

「自分」だけでは、なんにもない。
みたいな。

No.1846 - 2009/07/22(Wed) 00:41:00

Re: / ubik0101
いわゆる自我は、仮に設定された中心で、それを実体と見なしてることが問題、とも言えます。

たとえば、なにかへの、執着。それは愛が、ない、こととして顕れてるのに、それを愛で、ある、と思い違うために。

たとえば自我は、自己で、ない、こととして顕れてるのに、それを自己で、ある、と思い違うために。いわゆる葛藤や軋轢が必要なのでしょう。

そういう思い違いが、愛に、自己に、出会うことで解消されたら。たしかに、中心が、あるとかないとか、ことさら意識することも、しないことも忘れてしまって。

それでも見聞きしたり、なにかとか誰かとか、関係したり、関係しなかったりする。それを、まあ性格が悪いこともあって、どちらかを重視することもなかった、と思います。

イメージするならば、ですが。そういう関係したり、関係しなかったりは、よこいと(緯)。あるいは泥沼と。人が自己であることは、それを貫く、たていと(経)。あるいは蓮華の華と。そういう図。しかし、それも忘れがちです。

>「自分」だけでは、なんにもない。
>みたいな。


この言葉を見て。この世界では、なにか関係があるから、自分を感じられるのかな?なにも関係がないと、自分を感じられないのかな?と、ふと思いました。まったくの関係、つまり完全な融合も、まったくの無関係、つまり完全な分離も、成立しないように思えます。

No.1847 - 2009/07/22(Wed) 21:41:53

Re: / peer
う〜ん、。わたしたちは、物質ではありませんから。
存在があるとしたら、この世界との関わりで、何があったか・・・何をしたか。
それだけかと、思います。
そして、何をしたいか。だけ。のようなもの。

世界と言うオモチャを与えられて、どう遊ぶか。
どれだけ遊べるか。みたいな感じ。
まっ。わたしが、そういうスタイルである。
というだけのことですが。

No.1848 - 2009/07/22(Wed) 23:59:33

Re: / ubik0101
それで、なんでもありの世界という、素材、で。なにを行動しても、しないでも、話しても、しないでも、思考しても、しないでも。たとえば、そんな、筆、に使われるとしても、使うとしても。 それぞれの、絵、が描かれます。

それは、たんなる素材の配置ではあっても、それではない。する、しない、という筆の痕跡ではあっても、それではない・・・ただの色の点の配置によって、たとえば、美、が顕れるように・・・その自分を、つくってるのではないでしょうか。

たとえば、おもちゃで遊ぶ。そんな自分を、も。そして、それが世界を、つくり変え続けています。その人の意に世界は添います。

そのためには、どのような素材も筆も、総ての意味を孕んで、無意味。たとえば、関係性も、無関係性も・・・なんでもあり・・・ゆえになにかと限定してもいいけれど。限定されない。でなくては不可能。そこで、いかに、ではないでしょうか。

No.1849 - 2009/07/23(Thu) 12:28:04

Re: / peer
>そんな、筆、に使われるとしても、使うとしても。
>それぞれの、絵、が描かれます。


ですねぇ。
なにか、与えられて遊ぶと書くと、世界と自分が別々で
自分が世界を使うように受け取れそうですが。
やっぱり、そうじゃなくて。一体になる。
という感じがします。。。
自分と世界の間に隙間がない。
隙間があることが、葛藤とか苦痛が生じることで。

とはいえ。世界は今日も暑いです。

No.1852 - 2009/07/29(Wed) 12:49:23

Re: / ubik0101
たとえば。世界によってつくられるのは自我なんですけど。その同じ機能が、転換されて、「悪いことをしないで、善いことをしよう」。という、その人の良い特質をつくることにもなる。とも言えます。

そのように、おなじ、もの、こと、言葉、でも、いろんな意味が見いだせる、ことがあります。それが固定されると、束縛にもなり得ます。

まあ、隙間、という、おなじ言葉でも、葛藤や苦痛の原因としてでなく、ほかの意味が見いだせる、かもしれません。自己は、世界の範疇にないことが世界から生じた、とも言えます。

そのことを、世界と自己とに隙間がある。とも、ちょっと苦しいけど、言えば言えます。また、隙間が、葛藤や苦痛の原因ではないかもしれません。

また。葛藤や苦痛がない、ということは、世界との隙間がない、ということでもなさそうです。隙間があるとしても、それを、ことさら広げたり狭めたりしたいなら、葛藤や苦痛は起きるかもしれませんが、もっと深い仕組みがあるかもしれません。

ほかの人が、つまんない空想を事実と見なして葛藤してると、なぜ、そんなことも理解できないのか?が、その人の問題のこともあります。

なにかを思考するということ。ある意味、AをBと言ったりすることは簡単ですが。A=A。そのようであることを、そのようであると表現すること。そのことが問題なくなるためには、素直であること、つまり真摯で正確なことなど、かなりの研鑽が必要に思えます。

No.1859 - 2009/07/29(Wed) 22:00:24
・・・どうも〜 / peer
>よく冷えて結露した赤いカンを渡されました。
>ところが、一息ついて、そのカンを、よく見ると、サイダーでした。


そういえば、ビールのパッケージには、かつてはブルーとか
ゴールドやシルバーなどが、ほとんどでしたが、
アサヒが赤のパッケージで売り出した時「赤では売れないよ」
という前評判を覆して、売れました。
意外性が勝ったというか・・・。
ビールが赤でもイイじゃない。なんでもアリじゃない。みたいな。
ところでしょうか。マーケティングって、面白いですよね。

>ただ街を歩いてることだって、危険とか安全とか、判断して、
>ほとんど自動的なので気がつかない、といったことだと思います。


ふつうは、そうなんですよね。危険があることに、気付かない。
社会不安障害とかは、敏感すぎて、外を歩けません。
風が皮膚にあたっても、痛いと思う。。。そんな感じでしょう。

ずっと「地震があったらどうしよう」ということが頭から
離れなくて、生活に困難が生じている。なんてことがあります。

No.1833 - 2009/07/14(Tue) 23:48:14

Re: ・・・どうも〜 / ubik0101
マーケティング。すこしは関係ある、広告の制作をしていました。とくにコピーは、経験値とかが、まったく意味ないんです。そのつど、0から始める仕事です。

まず商品特性や市場動向などは見えない前提にしてしまって、いいものを作りたいという、熱意、だけです。ボールペンのインクを3日で使い切り、一行のフレーズを亜空間から発見する、根性、という感じです。

>ふつうは、そうなんですよね。危険があることに、気付かない。

まあ、たしかに怖いもの知らず、ということがあります。とくに子供は、危険な場所に行ったりして。そういえば自分も、長崎の急な坂を自転車のブレーキを踏まずに降りて、自慢だったことがあります。自覚できないでも、慢心があるのかもしれません。

そいえば超うろ覚えですけど。キルケゴールが、怖いことを怖くないと思う、怖くないことを怖いと思うのは子供で。怖くないことを怖くないと、怖いことを怖いと知るのが、大人とか、書いてたような気がします。

>ずっと「地震があったらどうしよう」ということが頭から
>離れなくて、生活に困難が生じている。なんてことがあります。


まったく空想なんだけど、事実として、起こり得ることを、心配するのでしょう。その不安とかは、事実だし・・・その不安によって、自分が自分と思う自分をつくってる・・・その自分がまた不安を捏造する・・・ループから離れられないのでしょうか。

そういえば、狂ってる人は理論的だ、とか。狂ってると分からずに狂ってるのではなく、狂ってると分かっていても自分では、狂ってることをどうしようもない、とか聞いたことがあります。たしかに風邪と分かっているだけで、風邪が治るわけではない、です。

No.1835 - 2009/07/15(Wed) 16:08:50

Re: ・・・どうも〜 / peer
え〜と。私も、ほぼubikさんと同じ業界で生活していました。
もう過去のことになりましたが。
結果が出て商品が売れて〜ナンボの仕事でしたね〜私の場合は。
だから毎日がギリギリ・・・。

>自覚できないでも、慢心があるのかもしれません。

まっ。それも愛がある状態ではないか、と思います。
自分は世界に愛されている、自分も世界を愛している
自覚があろうがなかろうが。
愛がなければ・・・怖いでしょう。
そんな愛の中にいたら、自分を守らなくてもよいワケでして。

>風邪と分かっているだけで、風邪が治るわけではない、です。

どうなんでしょうねぇ。
病気は「自分」が作ってますから・・・。
もしかして、風邪と分かっていたら、治るかも知れません♪

No.1837 - 2009/07/16(Thu) 01:12:19

Re: ・・・どうも〜 / ubik0101
まあ、その、空想の地震を見張ってる人も、かなり奇妙ですけど・・・その人に注意深くあることが実現されたら・・・不安によって自分を捏造する必要がなくなったら・・・その不安は、注意深くあることの影だった、補償作用だったと、も言えます。

たとえば執着も、それは愛の、奇妙ですけど、その影と、補償作用と、言えないことはない、です。それさえ愛、がないと起こりえないので、それを愛、とも呼べば、呼べないこともない、ということでしょうか。

ところで。もともとの病気の発生原因が分ったから治る、ということはあるでしょう。けど、あれこれ症状が分かった、から、治るということではないでしょう。

また、病気でも、自覚症状がない、ということがあって、それは、治ったわけではない、もあります。また、治ったけれど、症状は分からない、もあり得ます。どれかというわけではなく、それで困難、といえば困難とも言えます。

No.1838 - 2009/07/16(Thu) 12:54:59

Re: ・・・どうも〜 / peer
>まあ、その、空想の地震を見張ってる人も、かなり奇妙ですけど
>・・・その人に注意深くあることが実現されたら・・・


たぶん、その人は、世界が空想なのだということを
分かっているのではないかと思うのです。
しかし空想のままでは消えてしまいそうなので、
取りつくものが、必要なのかも知れません。

・・・数年前に事故にあって、それ以来、
どこそこが痛いんです。という人がいまして。
どんな治療をしても、その時は良くなるけれど
すぐに、また痛くなる。。ということでした。
で、治療をして、痛みがなくなった、その人に
事故の記憶を消してみてください。と指示する。
痛みと事故の記憶を結びつけることが、痛みが
ぶり返す原因なのだ・・・ということで。

これは、あんがい効果があるようです。
じっさい、上手く痛みと記憶を結びつけない
ようにすると、自分で自分を治してしまいます。
人間というのは、ほんとに不思議な生き物です。

No.1839 - 2009/07/17(Fri) 00:27:56

Re: ・・・どうも〜 / ubik0101
あることと、ほかのことを結びつけて、出会い頭に、理解しようとする・・・けど総ての分野・・・あることと、類似のことと、反対のことと、無関係なこと、を網羅してるわけでないので、結果的に、その思考の内容は変わっても、その形式は一定、ということもありそうです。

たとえば慈しみと憎しみ、暴力と非暴力はおなじこと。などということは、思考が馴染みの道筋を辿るというだけで、狭い分野の活動と言えます。なにか意味を見出そうとするのでしょうが、その形式の範疇に執着してる。執着させられてる。その人の有り様。ということもあります。

また逆に。突飛なことを結びつけて思考することに縛られる。もありそうです。たとえば、偶然の一致をことさら結びつけて、そこに意味があるかのように思いこみたい。シンクロニシティ、とか。結果から原因を探る因果、とか。また、なんだかの関係を度外視すること、とか。どれも、偏り、拘り、になり得ます。

ところで。hatoさんと一緒に、この連休。めざせ自給自足、というわけで田舎を探索してきます。

No.1840 - 2009/07/17(Fri) 12:53:16

Re: ・・・どうも〜 / peer
結局・・・中心があるうちは、どうしようもない
ような気がしています。自分の都合の良いこと。
そこから離れられないのではないか・・・と。

>hatoさんと一緒に、この連休。
>めざせ自給自足、というわけで田舎を探索してきます。


おおぉーー。うまくいくと・・・いいなぁ。

No.1841 - 2009/07/18(Sat) 00:17:30

Re: ・・・どうも〜 / ubik0101
その、いわゆる中心が、どう機能するかなどを、観察したり、研究することよりも。その中心が、ある、とか、ない、とか捜索するよりも。その中心が、どのようにして生起するのか、それを見れば、それで解決です。

そうでないなら、たとえば自分の都合に、周囲を合わせたい、その仮の中心を、ほんとの中心でない、などとも思ってもない、そんな状態なのでしょう。

たとえば自分によって、都合のいいようにしたいという思考が生起してるのではなく、そんな思考によって、自分が生起してる、仮定されてる、この場合は中心は、虚構です。

いわゆる中心が、いわゆる分離とか断片を作りだしてるのではありません。まったく逆です。いわゆる分離とか断片が、予め、いわゆる中心を作りだしているのです。これだけです。

しかし、それは、概念ではなく、事実として、そうだと。ということを概念的に知っても、どうにもなりません。 誰でも、自我が問題だ、と思うのですが、その事態が、目眩ましになる、こともあります。

それは、たとえば自我が希薄なら、また消去すれば。また、極限まで強ければ、理解される。ということでも、ありません。それだけでは、解決しません。

それほど徹底して人は、自我ではなく、自己でなくては、ならない。ということです。ベースは、 自分は何か?です。 また、人が自己であり得るようになってる。そのために仮定された中心が用意されてる。これは恵みです。

>おおぉーー。うまくいくと・・・いいなぁ。

うん、実現できると嬉しいのですが。あかるい緑の平野という感じで、たくさん河もあって、畑や樹も、とてもいいです。ちょっとクルマで走ると、たくさんの堤防がある漁港もあって。メバルなどが釣れました。

No.1842 - 2009/07/21(Tue) 11:27:11

Re: ・・・どうも〜 / hato

> うん、実現できると嬉しいのですが。あかるい緑の平野という感じで、たくさん河もあって、畑や樹も、とてもいいです。ちょっとクルマで走ると、たくさんの堤防がある漁港もあって。メバルなどが釣れました。

ちょっと神経質なダーリンが、「自分も運転する〜、」なんて言ってたので、よほど気に入ったかな、の感じでした。自給自足してるおじさんの話聞いて、畑を見て、釣りに行って、蕎麦打ち体験したりして。あかるい平野の緑に憩った三日間でした。

今のアパートも、これで不思議に自然の坪庭との感じで、なかなか気に入ってますが、自給自足。いいですね。時がきたらそれもいいかな、と思います。

こちら、可愛いフグくん。いいお天気でいい海で、釣られてしまってぷーぷーおこってました。メバルと同じ、ちょっと見つめ合って、すぐ海に戻しました。

No.1843 - 2009/07/21(Tue) 21:32:12

Re: ・・・どうも〜 / hato

健気で愛らしい、緑の家のナナです。

No.1844 - 2009/07/21(Tue) 21:39:40

Re: ・・・どうも〜 / peer
おおーー。みごとなフグ。こんなところにフグですか〜
どうするのかと思ったら、海に戻したんですね。
・・・それは、よかった。

その明るい緑の平野。よさそうな感じ。

No.1845 - 2009/07/22(Wed) 00:32:02
世界 非意味 その不思議 / ubik0101

ところでhatoさんがHPを開設していました。今日は、サバの塩焼き弁当です。

http://space.geocities.jp/hiimi0101/

No.1834 - 2009/07/15(Wed) 12:22:38

Re: 世界 非意味 その不思議 / hato

ご案内を、ありがとうございます。

3月に開設して、5月半ばやっとカウンターを付けました。もういくつかまとめて書くことがあるかも知れませんが、そのうち、日々綴り合うようなものも設置するかも知れません。
ブラウザによって、とくにMacで作業しているので、Winですと、表紙の画像や文字の位置がかなり変わりますが、あまり手の込んだ手入れはできないので、少しずつ、と思います。

本日晩のお食事は、

頂き物のお酒で料理してくれた、鯛の酒蒸し、とても優しく上品な食感の太刀魚の塩焼き、ハーブソルトで焼いたカンパチ。なかでも鯛の酒蒸しは、鯛の色がきれいで、身はふっくらしており、大変嬉しく頂きました。

No.1836 - 2009/07/15(Wed) 23:23:25
単独者 / ルー
どこにいても、自分である、ということですね。
No.1806 - 2009/07/12(Sun) 06:45:00

Re: 単独者 / ubik0101
どこにいても、というのは微妙ですが、ルーさんの表現なのでしょう。それは単独者という概念とかではなく。たとえば、なんでもありゆえの無意味。を、恐れない。なにか、あれやこれやの意味に逃げない。それは、ほかの人に紛れ込んで生きてはない。その事実。ということだと思います。
No.1809 - 2009/07/12(Sun) 12:54:22

Re: 単独者 / ルー
ほかの人に紛れ込んで生きる、というのがわかりにくいのですが。
ほかの人の状況によって、自分が影響を受けないということでしょうか?
他の人の状況によって、行う自分の行動は、そりゃあ変わってくるでしょうが、自己は影響を受けないということでしょうか。
まぁ、他の人との関わりによって、自己が磨かれるということはあるでしょうが。
いや、「紛れ込む」という話ですね。
他の人に便乗する、ということかな。
その意味で、自分は単独者であるということ。
他の人の人生に便乗するのではないあり方、ということでしょうか。

No.1811 - 2009/07/13(Mon) 08:36:42

Re: 単独者 / ルー
私は、母親なので、子供の状況からの影響を強く受けますが。その意味で、私は単独者ではないのか、とも思いました。
まぁ、子供の人生に便乗して、紛れ込んで生きる母親というのもいるのでしょう。

No.1812 - 2009/07/13(Mon) 08:40:09

Re: 単独者 / ubik0101
そうですね。ほかの人の影響を、実際に、受けるとか、受けない、ということではありません。そういうことがない、ほかの人や社会と無関係に生きる、ということは、まず、あり得ないでしょうが。孤島に住めば、浮き世を離れれば、ということでもありません。

また、ほかの人や社会の良いことに影響される、悪いことに影響される。また、その事態が、良いとか悪いとか、無関係とか、いうことではありません。

それは、ほかの人に紛れ込んで生きてる、ことでなくなって。そのフィールドを抜け出して。初めて。かつては、そうだったんだ。と、気がつくことです。

まあ、説明としては、対極のない、単極の、便乗しない、と言えば言ないことはありません。自我ではなく、自己ということです。

それで、母親だったり、妻だったり、夫だったり、隣人だったり、です。単独者という言葉。それも了解された瞬間に、痕跡を残しません。

No.1815 - 2009/07/13(Mon) 12:52:27

Re: 単独者 / ルー
「他の人に紛れ込んで生きる」ということ自体が、私にはわかりにくいのかも知れません。
「他の人に紛れ込んで生きる」に対して「単独者」という言葉があるのではないですか。
私は、「他の人に紛れ込んで生きる」というふうには生きてこなかったので、それを抜け出す、もないし、「単独者」を意識することもないです。
というか、最初から「単独者」であることが無意識の中に潜んでいる気がします。
まぁ、「それを抜け出す」を経験していないので、まだ本当に「単独者」であることの意味がわかっていないのかも知れません。
暮らしの中で、「単独者」として思い当たる人物がいます。
その人は、自分が受けた他人からの悪意について、淡々と話していました。「悪意」というものが、ただ「悪意」として見える人というのには出会ったことがありませんでしたので、カルチャーショックでした。つまり「悪口」や「悩み」ではない言い方で、自分が受けた悪意を語ったのです。

No.1816 - 2009/07/13(Mon) 13:29:41

Re: 単独者 / ルー
>それで、母親だったり、妻だったり、夫だったり、隣人だったり、です。単独者という言葉。それも了解された瞬間に、痕跡を残しません。

「自己」というものに出会っていれば、特に「単独者」であるということは意識しなくてもそうなのだと思います。
そして、「すべてはひとつ」って何でしょう。

No.1817 - 2009/07/13(Mon) 13:37:59

Re: 単独者 / ubik0101
>そして、「すべてはひとつ」って何でしょう。

それは、この世界がそうだ。と思ってる人もいるようです。不可分で。分離とか、対立は幻想。あるいは、わたしは世界。それは、それで問題ないと思うのですが、あくまで表現です。ちゃっと違う、「可愛くズレてる」と思います。

なんかアホらしい、たとえ話ですが、んーと。エネルギー不変の法則があります。たとえば物質がエネルギーに変化したり、音が熱に変化したりするのですが、増えたり減ったりはしない、です。

いわゆる精神的なこと、感覚や感情や意識も、そうです。何時間働いても受け取る賃金は同じ日雇い労働者の話とか、いくら汲んでも枯れない井戸の話とか、聖書にもあります。

とある一定量というわけではなく、限りあるものでも、限りないものでもありませんが、増えたり減ったりしません。おおくの場合は、自我の完成。において、ありとあらゆること、ありとありえないことが、止滅ではなく、総活動状態になったら、了解されることです。

それを、たとえば「ひとつ」と解釈するのはいいのですが、予め知識とかがあると、ことさら真理だと、思うかもしれません。それで世界を解釈してしまうかもしれません。そういう総活動である、で充分です。

それは中道とも呼ばれ、世界は、そうあります。でも、いわゆる「ひとつ」は、たとえば絵の具のような素材だと睨んでいます。そこで人が、どう育つか、成長するか。です。

No.1818 - 2009/07/13(Mon) 18:58:57

Re: 単独者 / ルー
>いわゆる「ひとつ」は、たとえば絵の具のような素材だと睨んでいます。そこで人が、どう育つか、成長するか。です。

絵の具のたとえは、よくわかりません。
「すべてはひとつ」というのと、絵の具はどういう共通点があるのですか?

No.1819 - 2009/07/14(Tue) 07:23:36

Re: 単独者 / ルー
物質的には「世界はひとつ」であるとして、精神的(?)には、脳みその数だけ世界は存在する、というふうに私には考えられます。
物質的にも、それぞれの人は単体で動くので、あまり「すべてはひとつ」という意味は、影響を受けにくいです。
しかし、影響はあるのでしょう。
意識していないだけで、誰かが作ったシステムの中で生きている、とか。すぐそばにある圧力なら感じますが、遠いところで作られたものには気づかないとか。
自分に不利でないものには気づかないとか。

No.1820 - 2009/07/14(Tue) 09:57:59

Re: 単独者 / ubik0101
>絵の具のたとえは、よくわかりません。
>「すべてはひとつ」というのと、絵の具はどういう共通点があるのですか?


ありとあらゆる色、黒とか赤とか白とか透明とかの絵の具で一杯の、「ひとつ」箱が、あります。増えたり減ったりしない、森羅万象です。それが素材です。

それで描かれた絵は、単なる色の配置でなく、そこに醸しだされることがあります。泥沼に咲く蓮華の花とか、藍は青より出でて青より青し、とか言います。

No.1821 - 2009/07/14(Tue) 10:22:50

Re: 単独者 / ルー
増えたり減ったりしないといっても、CO2の排出量が増えることが問題になっています。
No.1822 - 2009/07/14(Tue) 10:32:48

Re: 単独者 / ubik0101
「ひとつ」ならば、ありとあらゆる脳みその集合も「ひとつ」なのでしょう。けど、「ひとつ」には、そのようにルーさんが言うこととは反対の、自分絶対、の傾向もあると思います。

ほとんど物理には詳しくありませんが、ガソリンの炭素と空気の酸素が結びついた。つまり燃焼して二酸化炭素になっただけで、その総量が変わるわけではないと思います。

No.1823 - 2009/07/14(Tue) 10:47:24

Re: 単独者 / ルー
増えたり減ったりしない、総量は変わらないということは、だから何なのですか?
No.1824 - 2009/07/14(Tue) 12:01:20

Re: 単独者 / ルー
なるほど。脳みその数だけ世界があるにしても、それ全部で「ひとつ」ということがありますね。
そして、その反対の「自分絶対」の傾向とは。。。
「全部が自分」ということで、「すべてはひとつ」ということですか。
それは恐いですね。

No.1825 - 2009/07/14(Tue) 12:05:56

Re: 単独者 / ルー
総量は変わらないといっても、命は生まれて死んでいきます。
No.1826 - 2009/07/14(Tue) 12:07:35

Re: 単独者 / ubik0101
>増えたり減ったりしない、総量は変わらないということは、だから何なのですか?

その、「だから」を考えると、「ひとつ」の投影的な解釈になるのだと思います。ubik0101は、それ、は意識の範疇にない、と言います。それで、アホらしい、たとえ話、と言いました。

>総量は変わらないといっても、命は生まれて死んでいきます。

その、「だから」を考えると、輪廻転生、などを考えてしまう、そんな事例があるようです。おなじですがubik0101は、それ、は意識の範疇にない、と言います。

No.1827 - 2009/07/14(Tue) 14:21:41

Re: 単独者 / ルー
増えも減りもしない、総量は変わらないということは、何から出てきた発想なのですか?ということなのですが。
No.1828 - 2009/07/14(Tue) 15:15:23

Re: 単独者 / ルー
何が、増えも減りもしないのでしたっけ?
No.1829 - 2009/07/14(Tue) 15:20:11

Re: 単独者 / ルー
あまり重要なことではないなら、もういいです。
No.1830 - 2009/07/14(Tue) 15:20:56

Re: 単独者 / ルー
「すべてはひとつ」のことについては、そんなに重要ではないので、もういいです。
No.1831 - 2009/07/14(Tue) 15:23:03

Re: 単独者 / ルー
総量は変わらないものの中で、人はいろんなものを作り出しては、喜んだり苦しんだりして生きているわけですが。

単独であるが、つながっている。

ま、そんなところ。

No.1832 - 2009/07/14(Tue) 15:27:51
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