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(No Subject) / peer
>まったく嘘つきな人でも、ほかの人が、嘘つきだと解るのは、なぜなんでしょう。まったくの偽善者でも、ほかの人が、偽善者だと解るのは、なぜなんでしょう。なんて思ったりもします。


子供の頃は。
どんなに大人が言葉で小細工しても、ウソだ。と分かりました。
大人は、相手は子供だから分からないだろうと思って
上手く言いくるめる。言いくるめることができる。
と思うんでしょうが。
ウソつきで。偽善者で。いいかげんで・・・ズルくて・・
その他様々が、敏感に感じ取れました。ね。

それなのに。どうして子供には見抜けないだろうって
大人になると思うのか。。。それくらい鈍感になる。
ということでしょうかね。

No.1719 - 2009/06/13(Sat) 01:25:10

Re: / ubik0101
そいうことは、あんまり憶えてないんです。でも。確認しようがない、ということを根拠にしてる有り様から生じる行動、発言、思考もありそうです。と、ふと思いました。 たとえば、ほかの人が何かを言います。

それが、嘘でない・・・事実・・・ということは、自分は確認できない、なら、その確認できない間は、嘘、と見なせます。また、逆に。自分が嘘を言ってることを相手が、確認できない、その間は、嘘を言える。とかがあるようです。

どちらも、人は嘘を言うものだ、という前提で。そこには、ほかの人は愚かにも、嘘でも信じて、騙されるもの・・・意図的な嘘は、騙すということでしょう・・・だという前提がありそうです。それは、ほかの人が自分のことは分からない。また、自分が自分のことも分からない愚かな状態を拠り所にしているのかもしれません。

そして、 たぶん、約束を守らない。ということも似たようなことだと感じました。また、未来を予想するという意味での占いとかも、それが実現されるまでは、迷っていられる、ことのようです。

それで人は、そういう愚かさを学んで、まず、ほかの人にも自分にも嘘を言わない、騙しもしない・・・というより、もともとそういう性向のない人はいないかもしれませんが・・・そういうことを発達させるのかもしれません。

No.1720 - 2009/06/13(Sat) 13:09:49

Re: / peer
嘘というのは、言うこととしていることが食い違うときに
「ウソをついている」と言えるんじゃないですか。
言うだけでやっていない。
していることは、観えますから、言うことと違うなぁ〜
と、な〜んとなく違和感がある・・ようなぁ。と。
・・・だから。言うことより。行動の方がその人(ホンネ)を現わしている。
というような感じがします。

No.1721 - 2009/06/14(Sun) 00:04:04

Re: / ubik0101
そうですね。どうして人は、言葉より、行動・現実を重視するのだろう。どちらも取り消したり、やり直したりは出来ないといえば出来ないのに、言葉は、それが出来るように思われるのだろう。とか思ってしまいました。ところで、

>・・・だから。言うことより。行動の方がその人(ホンネ)を現わしている。
>というような感じがします。


と、いうことは、言ったこととは違う行動すること、を確認するまでは、嘘とは分からないこともある。ということでしょうか。そういえば、そんな人に嘘を言われて、行動で本音を現すんだな、と悲しくなったこともありました。でも、

その人が言った通りの行動をしたとしても・・・怒りながらでも、威張りながらでも・・・嘘でもできることもありそうです。また、言ったことと違う行動をしても、それを正当化する理由をつけたり、そうしてることにも気がつかない・・・ほとんど虚言症な・・・有り様もありそうです。それに、

なにか正当化する理由はつけても、それは後付けなのに、先にあるように思ってしまうとか。自分は嘘はついても、ほかの人の嘘は許せない、不公平に気がつかないとか、 いろいろありそうです。 そんな、

たとえ嘘を言った、その人が、自分の有り様を顧みる契機にできれば、その嘘も、つかれた甲斐がある、役に立った、とも言えそうです。

No.1722 - 2009/06/14(Sun) 12:16:09

Re: / ubik0101
hatoさんと一緒に今日の夕方、小高い森を散歩してて、赤い実のなる樹を見つけました。たぶん、木いちごでしょう。すこし摘んで、食べてみました。とても上品で、混じりけのない香りと甘みがあり、とても気に入りました。
No.1723 - 2009/06/14(Sun) 21:25:09

Re: / peer
おお。おいしそう・・・。

ううーんと。好きな子を、好きと言えずに、苛めちゃう。
なんてことも、ありますね。
行動は、苛めているのですから、嫌いなのかなと思う、が。
「こっちを、見てほしい」なのでしょう。
好きと言って「アンタなんて嫌い」と言われたら落ち込む。
・・・だから言えない。

そんなふうに。。なかなか人の気持ちは・・・アレです。

No.1724 - 2009/06/14(Sun) 23:45:17

Re: / ubik0101
ちょっかいしたり、つっこみしたり・・・そのことで相手に印象づけたいのでしょう。それが愛情表現のつもりだから、自分では行動と言葉と思考が一致してないとは思ってもないので、虐めになってることに、気がつかないのかもしれません。そして、

そんなところが好き・・・また嫌い・・・なんてこともあったり、なかったり、なのでしょう。そういえば、うろ覚えですけど、聖書の創世記に。たしか父親から、農場に働きに行きなさい、と言われた息子が、行きません、と答えます。が、あとで農場に働きに行った。と、淡々と書かれています。 たしかに、

その息子は嘘をついたんですが、結果OKなら、言ったことと行動が一致しなくても良い。けど。それだけを言おうとしてるわけではない、とか、思うこともあります。

No.1726 - 2009/06/15(Mon) 12:54:17

Re: / peer
>父親から、農場に働きに行きなさい、と言われた息子が、行きません、と答えます。が、あとで農場に働きに行った。と、淡々と書かれています。

父親と息子の関係は、なかなか複雑怪奇。
年長者への批判もあるし、同性であることでの競争心もある。
それがフッとしたトコロに出てくる。ような〜
キリスト教は、父性の宗教なんですね。我を甘えさせない。

No.1727 - 2009/06/15(Mon) 13:12:48

Re: / ubik0101
そんなことがありました。ある若者が、その彼女の父親に、自分の父親を超えたいと訴えていました。なんのことかな?と聞いていたら、超えるとは、けっこう地位のある父親の社会的な立場のことでした。

また。県庁に務めてる父親の後を継ぎたい、という若者もいました。だから何なんだ?と、 驚きました。そんなことは宗教には関係なく、あるのかもしれません。キリスト教というより、イエス・キリストの言葉は、自分にとって、実在に繋がる、道、でした。、

ところで。自分の飼い犬が病気になって悲しいのです。なぜ犬を、酷い運命にあわせるのか?と神に聞きたい、という小説を思い出しました。

それで神の返事が・・・ そんな世界も、人よ、わたしが創ったのだが。あなたが、悲しいと感じる、そのことも、わたしが創ったのだよ・・・だったら、なんと言っていいのだろう。と思ってしまいました。

No.1730 - 2009/06/15(Mon) 21:34:51

Re: / peer
父親は、男の子にとって、男としての一番身近なモデリングでしょ。
男とはカクアルベキ・・・
認められたい、超えたいという存在のようです。
神と人間、父と子、原初のモデリング。

>自分の飼い犬が病気になって悲しいのです。
>なぜ犬を、酷い運命にあわせるのか?と神に聞きたい


神様がそういう運命を与えた。と思った方が楽なんでしょう。
責める対象がない場合。今度は、自分を責める。

マーク・トゥエインの小説に「不思議な少年」とか
そんなタイトルだったと思うが、、、。あります。
不思議な少年(天使)に、主人公の友達が不幸になると教えられ、
助けてあげて、と頼まれます。
助けてあげることにしたのですが。
その助けるというのは、事故にあって、そのまま帰らぬ
人になることでした。

No.1731 - 2009/06/15(Mon) 23:52:50

Re: / ubik0101
たしかに。なにかの思考は、それ自身が、成立するために、その思考の前提を、つくって・・・捏造・・・しまうようです。そして、その前提の中でしか動くことができない特性があるようです。

たとえば。どのように、その「不思議な少年」とか、の話を検討しても、その検討は打ち消され、マーク・トゥエインの話は説得力があるように思えると思えます。

けれど。たとえば不幸が忌むべきことでないなら、その中で運動する思考に、正当性は認められないのではないでしょうか。 つまり思考する都度に、なんとしても不幸を避けるべき、という隠れた前提を、捏造して、そうしてることを認めたくない。気がつかないだけではないでしょうか。

おなじように、「神と人間、父と子、原初のモデリング」も機能してるのではないでしょうか。たしかに、そのような実際の事例も見受けられるのでしょう・・・それを理由にして空想を現実と誤認する・・・そのように、現実は、人の迷いを助長する働きがあります。

これから出かけます。

No.1732 - 2009/06/16(Tue) 09:16:36

Re: / peer
人間は、人間に育てられたら人間になるし
オオカミに育てられたらオオカミになります。
進化も環境に合わせて行われるもの。
であるならば。
神に育てられたら、神になる。かも知れません。

まぁ。どうでも。
人間は、どのようにでも育つようになっている。

いってらっしゃ〜い。

No.1733 - 2009/06/16(Tue) 10:11:44

Re: / hato

そうですね。

人は、多く過ちをするけれども、
生きていけば、そこを糺して成長する機会がありますね。
それは祝福、恩寵かも知れませんね。

なんとここでは、私たちは多く学んでいることでしょう。

本当に。
ubik0101さんという人。
妻として、
彼は最愛の仲間として、
雨の日も、風の日も、嵐の日も、晴れの日も。
一緒に、頑張って生きていくこと。

一歩、一歩。
皆さんと。

ubik0101さんがちょっと気に入ってる、画像です。

No.1734 - 2009/06/16(Tue) 13:01:24

Re: / ルー
なんてシュールな写真なのでしょう〜

ノンノンはなかなかやりおるわい

大きくなりましたね。

No.1735 - 2009/06/16(Tue) 18:29:23

Re: / hato

はい、ubik0101さんが大事に育ててくれていて、
とても優しい感じの小鳥なんですよ。
今もこのパソコン上で、それ、囓ってます。

ルーさん、

いつも、ありがとうございます。

No.1736 - 2009/06/16(Tue) 19:09:13

Re: / ルー
お礼を言われるのは違和感がありますが。。。

前を向いている人には応援したくなります。

裕美さんの、うびさんへの告白は、ジーンとくるものがありました。ちょっと涙が出ました。

道の仲間って、意識的にはよくわからないけれど、やはり、お互いに「見ている」もしかしたら「見守っている」のかなぁって思います。

No.1742 - 2009/06/18(Thu) 08:54:29

Re: / hato

> お礼を言われるのは違和感がありますが。。。

そうですよね〜、

自分でも、なんだろ?、て思ったのですが、
それがぴったりだったんですよ。

> 道の仲間って、意識的にはよくわからないけれど、やはり、お互いに「見ている」もしかしたら「見守っている」のかなぁって思います。

こういうことかな、と思います。

優しい気持ちを、
どうもありがとう。

No.1745 - 2009/06/18(Thu) 21:12:35
(No Subject) / hato


わたしは、自分の誤りを、心からお詫びしたいと思います。
こんな場所で、なんですけれど。
言わなければなりません、隠すことなく。

自分の愚かさが恥ずかしいです。
こんなに優しい人に。

いけないこと、言いました。
誰にも真似できないくらい、大切にしてくれているのに。

だだをこねたかっただけなのかも知れません、けど、とても誤っていました。
一緒にいる、こと。それが夫婦ですね。ご飯を一緒に食べて、一緒に寝て、一緒に起きて、何でも分かち合って、生活していくこと。
ただ一人の大切な夫で、皆道の仲間です。

掲示板での分かち合いは、とても大切なことが、改めて、わかりました。依存なのかと思ったりしたけれど、すべての声、皆が自分でもある、ことをとても。わかります。すこし片寄っていましたね、ごめんなさい。つらい気持ちにさせたのが悲しいのです。そこにいるだけで大切な人です。

そして皆、大切な道の仲間です。

誤りを糺して、また一緒に。
一から、頑張りたいと思います。

No.1737 - 2009/06/16(Tue) 22:10:43
自己 / ルー
>>ですから、ひとつひとつの問題にあたっていくよりも、「自己に出会う」ということが大事だということでしょうか。

>まあ、そうです。ひとつひとつの問題にあたっていくことなくして。また、心理的な問題、葛藤などを度外視してさえ、自己を探求することなくして。ありとあらゆる努力も怠惰もなくして。いわゆる「自己に出会う」ことも困難でしょう。

>でも、いわゆる「自己に出会う」こと、なくして自己であれ世界であれ、それを学ぶことは困難・・・ほとんど不可能・・・でしょう。「自己に出会う」こと、それが学ぶことの終わりではなく始まりです。

自己というものが、感覚的にちょっとわかりました。

私が人に振り回されるのは、自己に対する認識を持っていなかったことと関係あるように思います。

人に対する探求をやめるわけではありませんが。

No.1725 - 2009/06/15(Mon) 09:10:32

Re: 自己 / ubik0101
まったく自己って、無自覚で、いいんです。でも、それを自覚しようとする働きが自我で。なんにも波風がない日常でも、いろいろ空想・妄想・幻想してでも、わざわざ人間関係の軋轢とかの・・・問題を起こしてでも・・・そうしてる主体を、自覚しようとします。それに巻き込まれたりします。そこで、

どうしても・・・と言いたいのですが・・・自覚しようとするのではなく、実際に、自己を自覚すれば、いいのです。まあ、なんだって人は自分のためにしてるんでしょうけど。ほんとーに、自分のために、すればいいんです。そういうことは、誰もが、どうしても自分でやんなくちゃならない、というのが世界のルールのようです。

No.1728 - 2009/06/15(Mon) 13:39:35

Re: 自己 / ルー
自己のようなものを実感する瞬間があったということを報告したかっただけです。

自分の自己を感じれば、他の人にも自己があるのだなと感じるでしょう。そういう瞬間があったのです。

それは、人に振り回されない軸となるでしょう。

No.1729 - 2009/06/15(Mon) 14:20:59
(No Subject) / 雄大
確かに人間の勘というのはバカにできないと思いますね。
私は4半世紀もの間調査の仕事に携わってきました。

既知の情報の基づいて論理的思考を駆使してあらゆる仮説を立てる。

これは調査対象をはかる目盛、基準値の様なものです。
これを利用して調査の行為の誤差を修正し、目標に向かって修正していく。

でも最後はやはり勘なのですね。
ある朝私は出勤するために駅のホームに立っていました。

すると何かが天から降って私の中に降りて来た感じがして、全てが繋がって何かがおかしい事を体感した気がしました。
それでその後それを実証するための裏付け調査をした。

人は話をしていると欠伸が移るのと同様、心が感応しますから。

だから昔に人は他人の呼吸を感じて観察していたのでしょうね。

まあ私は催眠も少しは研究していた時期があり、意図的に催眠技法を調査に活用をしていました。

これは相手を催眠に入れるのではなく、自分が催眠状態に入るのです。
実感はなかったけど、仕事の結果だけを見ていると効果はかなりありましたね。

ルドルフシュタイナーが、視覚、聴覚、臭覚、味覚等すべて触覚から発達したものだと言ってましたっけ。

No.1710 - 2009/06/07(Sun) 23:30:00

Re: / peer
部分部分を認識しているだけです。思考は。

それが、ある瞬間に全体になる。
それが直観かと思います。点が線になる。線が面になる。

No.1713 - 2009/06/08(Mon) 11:59:49

Re: / 雄大
。点が線になる。線が面になる。

この言葉は私も気に入ってよく使っています。

No.1717 - 2009/06/08(Mon) 22:03:35

Re: / peer
あら。雄大さんの好きな言葉でしたか。
わたしは〜たぶん使ったことが・・・ほとんどないかも。
雄大さんの文章を読んでいて、ふっと頭に浮かんできたまま
書いてみましたワケで。

No.1718 - 2009/06/10(Wed) 01:02:01
(No Subject) / ルー
思考と有り様は関係ないですかね。。。

有り様は思考に影響を与えないでしょうか。

No.1690 - 2009/06/05(Fri) 14:00:27

Re: / ubik0101
もっと正確に言えば・・・思考と、人の有り様は・・・無関係に、関係する。です。たとえば、

>思考と有り様は関係ないですかね。。。

>有り様は思考に影響を与えないでしょうか。

と、ルーさんでも、ほかの誰かでも、そのように思考できます。あるいは、この逆の、類似の、無関係な思考も、ルーさんでも、ほかの誰かでも、思考できます。また、思考してない、もあります。なんでもあります。

つまり思考、また思考してない、ということからは、その人は特定できません。でも無関係だけど関係はある。だからこそ、なんだかの特定の人の状況とか環境とか有り様に関係する思考でもあり得る、ということではないでしょうか。

そこで、たとえば思考に、捕らわれる、同一視するとか。解放される、非同一視とか。が可能になるようです。もともと無関係に関係してるのでなければ、解放は困難ではないでしょうか。

ついでですが・・・クリシュナムルティだと思いますが、思考は感覚、だと言ったそうです。思考は人が知覚(感覚)することです。山に登れば、その風景が、海に行けば、その風景が見え(知覚)されるように。そして、その主体は知覚されないということを、思考は感覚、というレトリック(省略法)で表現しているのかもしれません。

No.1692 - 2009/06/05(Fri) 21:11:51

Re: / ルー
> もっと正確に言えば・・・思考と、人の有り様は・・・無関係に、関係する。です。たとえば、
>
> >思考と有り様は関係ないですかね。。。
>
> >有り様は思考に影響を与えないでしょうか。
>
> と、ルーさんでも、ほかの誰かでも、そのように思考できます。あるいは、この逆の、類似の、無関係な思考も、ルーさんでも、ほかの誰かでも、思考できます。また、思考してない、もあります。なんでもあります。


可能性としては何でもある。
しかし、他は選ばず、それを選ぶところに、その人が出るのではありませんか。
たとえば、ubik0101 は、「いくら嘘をついてもいいですよ」と人に言えますか?
言うことはできるけど、言わないんじゃないですか?
そこに、その人の有り様が表れると思うんですけど。
そんな単純なレベルのことを言ってるのじゃない、ということでしょうか。
>
> つまり思考、また思考してない、ということからは、その人は特定できません。でも無関係だけど関係はある。だからこそ、なんだかの特定の人の状況とか環境とか有り様に関係する思考でもあり得る、ということではないでしょうか。
>
> そこで、たとえば思考に、捕らわれる、同一視するとか。解放される、非同一視とか。が可能になるようです。もともと無関係に関係してるのでなければ、解放は困難ではないでしょうか。
>
> ついでですが・・・クリシュナムルティだと思いますが、思考は感覚、だと言ったそうです。思考は人が知覚(感覚)することです。山に登れば、その風景が、海に行けば、その風景が見え(知覚)されるように。そして、その主体は知覚されないということを、思考は感覚、というレトリック(省略法)で表現しているのかもしれません。

No.1693 - 2009/06/05(Fri) 22:07:14

Re: / ルー
> そこで、たとえば思考に、捕らわれる、同一視するとか。解放される、非同一視とか。が可能になるようです。もともと無関係に関係してるのでなければ、解放は困難ではないでしょうか。

そうそう。だから、解放は困難なのです。
有り様と無関係である場合、だからこそ、解放というか有り様の変化が困難である、という場合もありそうです。

> ついでですが・・・クリシュナムルティだと思いますが、思考は感覚、だと言ったそうです。思考は人が知覚(感覚)することです。山に登れば、その風景が、海に行けば、その風景が見え(知覚)されるように。そして、その主体は知覚されないということを、思考は感覚、というレトリック(省略法)で表現しているのかもしれません。

何とかしなければならない、という、計画とか実行のものは、思考と呼ばず、計画とか段取りとか算段とか言うのでしょうか。
風のように流れる思考は、音楽みたいなものでしょうか。

No.1694 - 2009/06/05(Fri) 22:14:05

Re: / ubik0101
>たとえば、ubik0101 は、「いくら嘘をついてもいいですよ」と人に言えますか?

それは絶対に言えません。たとえば嘘をつかない、盗まない、殺さない・・・五戒とか十戒とかありますが。それは、この世界で良い自分をつくるための方法であり、また、その証明です。これは、なんでもあり、ゆえに可能になっています。

>そうそう。だから、解放は困難なのです。
>有り様と無関係である場合、だからこそ、解放というか有り様の変化が困難である、という場合もありそうです。


たしかに。なにかに無関係ということに依存するなら、その人にとって、はじめからのように束縛も解放もないでしょう。よくて、どちらも潜在したままだと思います。なにかに束縛されてると気がつくことは、解放の始まりであり得ます。ただ、ひとつひとつの、それぞれ個別の問題を解決していくのでは永遠の時間があっても困難です。

>何とかしなければならない、という、計画とか実行のものは、思考と呼ばず、計画とか段取りとか算段とか言うのでしょうか。
>風のように流れる思考は、音楽みたいなものでしょうか。

なんであれ、なにかを考えるなら、思考と呼びます。そうですね。日光をプリズムを通したら見える虹、のような現象です。が、これは研究中です。

No.1698 - 2009/06/06(Sat) 11:37:08

Re: / ルー
> >たとえば、ubik0101 は、「いくら嘘をついてもいいですよ」と人に言えますか?
>
> それは絶対に言えません。たとえば嘘をつかない、盗まない、殺さない・・・五戒とか十戒とかありますが。それは、この世界で良い自分をつくるための方法であり、また、その証明です。これは、なんでもあり、ゆえに可能になっています。


良い自分をつくるためって、偽善者っぽいですか?

No.1704 - 2009/06/06(Sat) 21:54:56

Re: / ルー
良い世界をつくるため、と言う方がいいかな。
No.1705 - 2009/06/06(Sat) 21:57:48

Re: / ubik0101
そのような理解を経て、なお、行い得ることです。
No.1708 - 2009/06/07(Sun) 09:41:26

Re: / ルー
え?
有り様は思考に影響を与えるのかどうかという話なんですけど。

ubik0101 さんは、こういう有り様(嘘をつかないとかいろいろを良い世界をつくるために行っている)があるので、人に「いくら嘘をついてもいいですよ」と言わない(思いもしない)ということなんです。

人にこう言うというのは、思考ではなくて、有り様の方ですか。掲示板の場合は、思考と相手に言うことの区別がつかなくてややこしいですね。

思考は、何でもあり、かな。
何でもありなのに、このようにしか考えられない浮かばないというところに、その人が表れると思います。

No.1711 - 2009/06/08(Mon) 08:50:43

Re: / ルー
>なにかに束縛されてると気がつくことは、解放の始まりであり得ます。ただ、ひとつひとつの、それぞれ個別の問題を解決していくのでは永遠の時間があっても困難です。

ひとつでも解決すれば、状態は飛躍的に変わるでしょう。
それだけでも、その人は生きた価値があると思うのですが。
永遠の時間があっても、解放されたという状態になるのは困難であるということでしょうか。
ですから、ひとつひとつの問題にあたっていくよりも、「自己に出会う」ということが大事だということでしょうか。

No.1712 - 2009/06/08(Mon) 10:41:30

Re: / ubik0101
>思考は、何でもあり、かな。
>何でもありなのに、このようにしか考えられない浮かばないというところに、その人が表れると思います。


まあ、そうです。そして、その正確な構造、そして、それが、なぜ、そうなってるか?それを知り得ないでも・・・たとえば証明できないでも数学の公式が機能するように・・・充分に機能するのでしょうが。それはなぜ、そうなってるかが、疑問なんです。

>ですから、ひとつひとつの問題にあたっていくよりも、「自己に出会う」ということが大事だということでしょうか。

まあ、そうです。ひとつひとつの問題にあたっていくことなくして。また、心理的な問題、葛藤などを度外視してさえ、自己を探求することなくして。ありとあらゆる努力も怠惰もなくして。いわゆる「自己に出会う」ことも困難でしょう。

でも、いわゆる「自己に出会う」こと、なくして自己であれ世界であれ、それを学ぶことは困難・・・ほとんど不可能・・・でしょう。「自己に出会う」こと、それが学ぶことの終わりではなく始まりです。

No.1714 - 2009/06/08(Mon) 14:27:42

Re: / ルー
こんなふうに返事してもらうと、私はとても嬉しい気持ちになるんです。なぜなるのかは、特に疑問は持ちません。
No.1715 - 2009/06/08(Mon) 15:23:30

Re: / ルー
他の人の不幸を食べて生きているような人は、なぜそうなのか、疑問を持ってみてもいいかな〜
いや、もういいかな〜
私は、どっちを向いて生きていこうかしら〜

No.1716 - 2009/06/08(Mon) 18:35:18
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