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風の知覚 / hato
>え〜と。
>いまごろ感想ですが。
>一緒に伊豆に旅をした気分になりました。


>なんだか潮のかおりまで・・・。します。

>それと「すべての声、皆が自分でもある、ことをとても。>>わかります。」の言葉が。
>いまごろ、、しみじみと。しみじみと。



嬉しいですね、とても。

この小さな部屋の小さな窓辺には
旅で出会った海女さんたちが、
夜光貝で作ったという風鈴が、
風に揺られ、カラコロン・・
優しい音を奏でています。


山は山。
海は海。

風は風。

そこに誰も、いず。

人は、人に、なり。

そして、尚。

そんなふうに、思います。

No.1757 - 2009/06/29(Mon) 21:32:39

Re: 風の知覚 / ubik0101
たとえば。ある人が、ほかの人を好きでも嫌いでも無関心でも。なにか判断するとしても。その判断基準が自覚されても、されなくても。その、ある人の中の、ほかの人で、つまり現実の、ほかの人を見てると思いながらも、空想の、ほかの人で。空想の現実を生きてるって、こともありそうです。

そのように空想と現実が差があると、ほかの人との衝突が起こって・・・もちろん融和も起きるのですが・・・たとえば、現実の、ほかの人のためになるには?、とか考える機会をもたらしてくれます。そしてまた、衝突も融和も起こらないから現実に生きてる、と思いながらも、空想の現実を生きてるってこともありそうです。

まずは、ほかの人にしても世界にしても。自分の外と思っていたけど、それは実は、中でしかなかった。という経緯がありそうです。で、結局は、総てが、自分の中でもない、外でもない、のではないでしょうか。 どちらかでしかないなら、なにも起こらないかもしれません。

どっちでもないから・・・完全な分離も、完全な融和もないから・・・どっちでもあり得て・・・そこに両極端が仮定され、振幅が生じ、いろんな運動が起きるのではないでしょうか。

それで、そこのところに起こる、ほかの人との衝突や融和を、いくら研究しても、人が自己を知ることには無関係に思えます。でも、そのような無関係なこととして、変調された概念として、なにかを理解する。という形式。それならそれで、そのようだということは、その人に理解される、と思います。

No.1758 - 2009/06/29(Mon) 21:34:40

Re: 風の知覚 / peer
まあ。それにしても。
何かを言う。すると抵抗がある。
それでは、こういうのは・・・と言い直すと
そこにもまた抵抗がある。
なんなら、こういうのも・・・と表現してみる
すると、またまた抵抗がある。

なんとも、面白い。
相手がテーマを与えてくれるので、私の中から
いままで形になっていなかったモノが形を成す。
書いていながら「なるほど、そうなのか」と
自分で、出てきた、その形を見てビックリ〜とか。

そんなこんなを繰り返していました。
在庫一掃大処分〜みたいな。

No.1759 - 2009/06/29(Mon) 23:55:10

Re: 風の知覚 / ルー
> それで、そこのところに起こる、ほかの人との衝突や融和を、いくら研究しても、人が自己を知ることには無関係に思えます。でも、そのような無関係なこととして、変調された概念として、なにかを理解する。という形式。それならそれで、そのようだということは、その人に理解される、と思います。

そうですね。
「変調された概念」ね。
それを、変調された概念だとは本人は気付かないわけでしょ。
自分にとっては、事実だと言うわけでしょう。
ま、「そういう人もいるんだなぁ〜」という感じです。

No.1760 - 2009/06/30(Tue) 09:05:38

Re: 風の知覚 / peer
ある部分で、この人は変調していると感じるとき
対に居る自分は正調だという基準を持ちます。

しかし、どうでしょうね。
何かが変調している。と本当に自分は正調なのか。
逆もありうる。。。
ただ、ある動きの中に、その形と見たものがある。
形が生まれる時は、部分になりますから、全体を
観ているワケではない。「これを見た」に入らない
除かれた部分の方が、大きい。ので、
それをどう、また観るか。
大きな大きな自分の視野に入らないモノを。

No.1761 - 2009/06/30(Tue) 09:54:28

Re: 風の知覚 / ubik0101
たしかに。意識としては自覚してないけど理解している、そういうことが、とくに掲示板での対話に引っ張られて顕れることがあります。

また。たとえば怒ったり平穏だったり満足や不満を感じたりしたら、このようにある自分を、このようにあると、そのまま認める。それまで自我から、さんざん学んだことが蓄積されてて、そこで役に立ちます。

たとえば、

>ある部分で、この人は変調していると感じるとき
>対に居る自分は正調だという基準を持ちます。


として、自我の機能を意識できる、こともあります。けど。これが、それしかない、とは限りません。たとえば自我は、ほかの人が憎いとか好ましいとか、分離、対立とか、比較とか、自己を知りたい衝動とか、さまざまな様式であらわれます。

その様式が無線放送の搬送波のように働いて、それに自我が乗って顕れる・・・その様式そのものは、とくに自我の機能ではありません。たとえば、赤は、危険も意味するし、活力も意味しますが、赤は、ただ赤です。(でなくて、たとえば技術的思考が、いわゆる心理的思考になり得るでしょう)。そのようにして意識化される方法そのことを、変調、と呼んでいます。

それで前回の投稿、言いたかったのは、中道。それは、とある対立、両極端とかがあって、その中間などではなく、ありとあらゆることが自覚されても、されないでも、機能してる、ということでした。

No.1762 - 2009/06/30(Tue) 16:03:44

Re: 風の知覚 / peer
>それで前回の投稿、言いたかったのは、中道。それは、とある対立、両極端とかがあって、その中間などではなく、ありとあらゆることが自覚されても、されないでも、機能してる、ということでした。


はい。実際は、外も内もないワケで・・・
ひとつのものを分けて認識しようとしているだけ。ですから。
しかし、外と内があると思い込んでいる人たちに対して
どのように関わるか。実際は、ソコが〜難しくもあり。
とかなんとか。

No.1763 - 2009/07/01(Wed) 00:42:23

Re: 風の知覚 / ubik0101
そこで・・・変と言うか、当たり前と言うか・・・外や中があっても、分離や対立や比較があっても、それも世界の・・・神秘な・・・活動と見ます。おなじように自我も無我も、あってもなくても、なんでも無問題です。

さんざん自我から学んだことが無自覚の叡智として活動している、悲しんだり怒ったり楽しんだり静寂だったりの日常を、そのまま認める、ことで安穏(変な言い方)です。その説明ですが、どうあっても総活動してる世界。つまり中道から外れようがない、です。

でも偏りに執着したい自我は、したいことを何でもしていいのでしょうか?と問うかもしれません。ここは。なんども引用します。「心の欲するところに従って矩を越えず」。「悪いことをしてはいけない。良いことをしよう」。この匂い立つような美しさが世界に満ちています。

>とかなんとか。

それは、その人に世界との、また自分との分離があるということもあるのでしょう。けど。愛がないのに愛があると、自由がないのに自由があると、幸福がないのに幸福があると。思ってることにもあるでしょう。それなのに、その愛、自由、幸福から始めることが問題であり、倒錯、ではないでしょうか。

No.1764 - 2009/07/01(Wed) 14:18:51

Re: 風の知覚 / peer
>でも偏りに執着したい自我は、したいことを何でもしていいのでしょうか?と問うかもしれません。
>ここは。なんども引用します。「心の欲するところに従って矩を越えず」。
>「悪いことをしてはいけない。良いことをしよう」。この匂い立つような美しさが世界に満ちています。
>それなのに、その愛、自由、幸福から始めることが問題であり、倒錯、ではないでしょうか。


悪いことも良いことも分からない。愛も自由も幸福も知らない。
とすれば、良いと思って、愛と思って、自由だと思って、幸福だと思って、関わってみるしかないのかも知れません。
良いことを与えたら良いことが返ってくるし、愛にも愛が、自由にも自由が、幸福にも幸福が返る。

与えたものは、返ってきたもの。なのでしょう。
それは、自分で分かるんじゃないでしょうか。自分が何を与えたのかが。

人は「悪いことをしないでおこう、良いことをしよう」と思っても、そのようにいかない。
愛を自由を幸福を、と思っても、そこに至らない。。。という至らない自分を意識する、逃げない。そこから始めよう。
ということではないでしょうか。最初から、それが出来るというなら、倒錯です。

No.1765 - 2009/07/01(Wed) 23:59:23

Re: 風の知覚 / ubik0101
>与えたものは、返ってきたもの。なのでしょう。
>それは、自分で分かるんじゃないでしょうか。自分が何を与えたのかが。


それ、たとえば愛は、世界の事象の範疇を超えています。なので、そいう原因と結果ではないでしょう。というより、どんな原因と結果であれ・・・「与えたものは、返ってきたもの」という順当な結果であれ、その逆の結果であれ、とくに関係が見出されなくても・・・それ、は愛の現れようとしてること、ではないでしょうか。

たとえば意地悪が、かえって、ほかの人の役に立った。たとえば、親切が、かえって仇になった。まったく水泡に帰した・・・なんでもありです。それで、この世界は、混乱、無意味、と見えても・・・この、なんでもあり・・・ここに人が愛を得る、自己になる、働きがあるので・・・でなければ矯正、強制です・・・なんでもありでなくては、その働きは不可能で、そのように、この世界が、あまりによく出来てるので、それに魅惑されるということもあります。

>人は「悪いことをしないでおこう、良いことをしよう」と思っても、そのようにいかない。
>愛を自由を幸福を、と思っても、そこに至らない。。。という至らない自分を意識する、逃げない。そこから始めよう。
>ということではないでしょうか。最初から、それが出来るというなら、倒錯です。


たしかに。そうです。これは自己についても同様です。説明ですが、もし人が、自己を知らないことを知らないから、知らないわけではない・・・つまり知ってる・・・という暗黙の誤った了解で日常を暮らしてるなら、そのようなことです。

この暗黙の理論的には正しくも思える誤りの隙間に。傲慢とか、自我が忍び込むのでしょう。そしてそれが、素直さとか、自己の、それがないこと、として機能するので。人は、それをあらしめようと、あがく、もがく、ことができるのではないでしょうか。

そして、たとえば愛から始めよう。ということは、それを得た、それを見た、それを知った(なんであれ変な言い方)人は、たとえば心理的思考、葛藤からではなく、愛から始めよう。という意味です。

No.1766 - 2009/07/02(Thu) 10:30:01
伊豆小旅行 / hato
着いた〜、て思ったら、
ubik0101さんはお巡りさんに捕まってました。
「ちょっと話しを聞きたいんですけど。」

えーっ!!!

hatoが海で泳ぐかもしんない、更衣室みつけなっくちゃ、て海の家の周りを歩いていて、「更衣室」て書いてある扉を開け閉めしてたら、怪しい人って思われて通報されたそうです。ubik0101さんは「人を疑うのもいー加減にしてくれますっ」と言ってました。

伊豆は下田の、堂ヶ島。

海は海。
山は山。

峠を越えると、初夏の風に濃い緑が梅雨に湿って映えていて、穏やかな田舎風景でした。

天窓洞、という天井が開いている洞窟があって、
遊覧船で通りました。
そのあと、すこし試し釣り。

お昼は金目鯛の煮付け。
夕刻には、
ubik0101さんお勧めの 民芸茶房 という食事処で、
焼酎に、焼き魚を頂きました。

No.1750 - 2009/06/22(Mon) 22:19:13

Re: 伊豆小旅行 / hato

釣り景色です。

No.1751 - 2009/06/22(Mon) 22:21:00

Re: 伊豆小旅行 / ubik0101
まず踊り子号で下田に。そこから東海バスで、なんか気になる名前のバサラ(婆娑羅)峠を越えて、西伊豆に行きました。

こんもりとした緑の山々の繋がりが、このようでなくてもいいのに、このようにある、世界の有り様を感じさせてくれます。堂ヶ島の遊覧船で海に出ると、観光地らしい風景です。

No.1752 - 2009/06/22(Mon) 22:48:31

Re: 伊豆小旅行 / ubik0101
コテと漆喰で描いた絵を飾ってある、長八美術館、の近くにある、足湯、に浸かりながら撮った、なまこ壁、の家です。
No.1753 - 2009/06/22(Mon) 23:11:56

Re: 伊豆小旅行 / ubik0101
ついでに、民芸茶房、です。
No.1754 - 2009/06/22(Mon) 23:13:38

Re: 伊豆小旅行 / hato

そうでなくてもよいのに、そう、
ほんとに、この世界のすべてはそんな感じです。

天窓洞です。

No.1755 - 2009/06/22(Mon) 23:38:46

Re: 伊豆小旅行 / peer
え〜と。
いまごろ感想ですが。
一緒に伊豆に旅をした気分になりました。

なんだか潮のかおりまで・・・。します。

それと「すべての声、皆が自分でもある、ことをとても。わかります。」の言葉が。
いまごろ、、しみじみと。しみじみと。

No.1756 - 2009/06/29(Mon) 00:18:22
え〜と・・・ / peer
>人は、多く過ちをするけれども、
>生きていけば、そこを糺して成長する機会がありますね。


え〜と。。わかりませんが。
「過ち」と感じる時は、誰か(自分)に責められる。責められている・・・という状況かな〜と。
責めるものがなければ、過ちなんて、ないのかも。と思う。

No.1739 - 2009/06/17(Wed) 13:09:19

Re: え〜と・・・ / hato

peerさん、こんにちは。

仕事場では、こちらをちょろっと見ることはできるんですけど、返信はできないんです。ありがとうございます。
すみません、陳謝投稿、、お恥ずかしいです。

過ちは不注意から、起きるかな、と思います。
適切にあれないこと、とも言えるでしょうか。

例えばですけど、自分を愚かにすることで、気付かないことが重なって、その愚かな状態が優先されるなら、他愛のないことであっても過ちかな、と思います。

気付かないにしても、自分に嘘をついてること、身口意、まず自己との不一致。それは、過ちと言えるかも知れません。

不注意。それは取り返しがつきません。
大事なものを失ってみて、
人は自分の愚かさに、気付かされると、よく言いますね。

でもやっぱりどこにも、行くところはありません。
愚かな子供は、それでも、帰ってきました。

ところで、ubik0101さんは今週、伊豆を探索中です。
週末、合流しますが、ubik0101さんより、なにかありましたら返信は週明けにします、とのことです。

No.1740 - 2009/06/17(Wed) 20:08:37

Re: え〜と・・・ / peer
>すみません、陳謝投稿、、お恥ずかしいです。

恥ずかしいことを、したくなることも、あります。
いや。実際は、恥ずかしくないからできるんですが。
「ありのまま」って、恥ずかしくないでしょ。

どうなんでしょうねぇ。
こんな恥ずかしいことを、私は、出来る。
という自分である。ということ。かな〜と。

愚かなことは、恥ずかしくないです。
み〜んな愚かですから。
愚かなことは恥ずかしい。と思うことが、愚かなのかも。
・・・って、わけわかりませんね。

ともかく。つねに幸せを選択しましょう。正しいよりも。

No.1741 - 2009/06/18(Thu) 01:09:18

Re: え〜と・・・ / hato

> どうなんでしょうねぇ。
> こんな恥ずかしいことを、私は、出来る。
> という自分である。ということ。かな〜と。


そうですね、
それもまた、いいですね〜

> 愚かなことは、恥ずかしくないです。
> み〜んな愚かですから。
> 愚かなことは恥ずかしい。と思うことが、愚かなのかも。
> ・・・って、わけわかりませんね。


愚かなことが恥ずかしい、ではないんですよ、、
なんというか、、まあ、、
どうもありがとう。

> ともかく。つねに幸せを選択しましょう。正しいよりも。

生きていくことは、
〜だから、ということでは、ないかな、と思いますね。
理由は、後付けできること、でしょう。

それを生きる、ということは、、

日々是れ新た、にして、脈々と流れる、、
本当によくできていますね、この世界。

No.1743 - 2009/06/18(Thu) 09:00:59

Re: え〜と・・・ / peer
>日々是れ新た、にして、脈々と流れる、、
>本当によくできていますね、この世界。


はい。そうですね。
取り返しつかない、修正できないという怖れが
さらなる落とし穴にはまりまくる〜というような。

・・・えへへへ
そんなもの、ポイしちゃえばいいんです。
だからこそ未知なんですから。つねに経過でしょ。

No.1744 - 2009/06/18(Thu) 10:48:55

Re: え〜と・・・ / hato

上の項で、「〜だから、ということでは、ないかな、と思いますね。」と書いていましたが、「ということではない、」「ということだ、」とどちらにもとれますね。
ここでは、〜だからこれ、ではない、を言いましたので念のため。理由が理由として先にあるわけではない、という意味で言っています。

> はい。そうですね。
> 取り返しつかない、修正できないという怖れが
> さらなる落とし穴にはまりまくる〜というような。
> ・・・えへへへ
> そんなもの、ポイしちゃえばいいんです。
> だからこそ未知なんですから。つねに経過でしょ。



えへへへ・・て〜、うふふ〜・・・

脈々と流れるにして、是れ新た、、
そこで、
取り返しがつかない、て、日常すべてがそうでしょう。
それでよいのですけど、

たしかに修正はできない、のが刻々に生きることでもありますね。生きたことというのは、その意味では。
終わったことは終わってますもの。
でも、超えていくことは、生きているならできますね。
そんなふうに、思います。

ポイするには、真剣でないと・・
真剣に誤り、、怒り、、笑い、、泣き、、
てことかな、と思います。
といって学びは常に、ただそのように起こる、だけのようです。

伊豆、いいですね〜
海の近くでなにかできるかな〜、探索してみよっか、と話してました。といってもケセラセラですから〜。
さっき、緑たちに水やりしていたら、ひぐらしが鳴いていて、早いので驚きました。無関係ですけど、その日暮し、、て、、我が家もオオムネそんな感じよねんと思って、ちょっと可笑しくなりました。

No.1746 - 2009/06/18(Thu) 22:27:30

Re: え〜と・・・ / peer
伊豆・・ね。伊豆に行っていて居ず。とか。

いまごろの伊豆は、どうなんでしょうねぇ
一度も行ったことがないのに、想像できる。
情報が多すぎて、行ったことがあるような気さえします。

>ポイするには、真剣でないと・・
>真剣に誤り、、怒り、、笑い、、泣き、、
>てことかな、と思います。
>といって学びは常に、ただそのように起こる、だけのようです。


そうですね。
完全にポイできるというのは「学びが終わった時」。かな。
さあ、次に行きなさい。の声が聴こえる。
もう、なんの未練も執着も、なし。になります。
真剣に格闘したがゆえに、起きる。
深刻にならず、真剣になりなさい・・・みたいな〜

No.1747 - 2009/06/19(Fri) 10:02:09

Re: え〜と・・・ / hato

> 伊豆・・ね。伊豆に行っていて居ず。とか。

伊豆にして出ず。とか。。。


> 真剣に格闘したがゆえに、起きる。
> 深刻にならず、真剣になりなさい・・・みたいな〜


ですね。


さて、支度ができました。

それでは、行って来ますね。

No.1748 - 2009/06/19(Fri) 23:39:51

Re: え〜と・・・ / peer
>伊豆にして出ず。とか。。。

はい。ザブトンを二枚〜進呈します。

いってらっしゃーーい。


はぁ・・・ワタクシは、某所の連続投稿で疲れ果て〜♪

No.1749 - 2009/06/20(Sat) 00:56:23
(No Subject) / peer
>まったく嘘つきな人でも、ほかの人が、嘘つきだと解るのは、なぜなんでしょう。まったくの偽善者でも、ほかの人が、偽善者だと解るのは、なぜなんでしょう。なんて思ったりもします。


子供の頃は。
どんなに大人が言葉で小細工しても、ウソだ。と分かりました。
大人は、相手は子供だから分からないだろうと思って
上手く言いくるめる。言いくるめることができる。
と思うんでしょうが。
ウソつきで。偽善者で。いいかげんで・・・ズルくて・・
その他様々が、敏感に感じ取れました。ね。

それなのに。どうして子供には見抜けないだろうって
大人になると思うのか。。。それくらい鈍感になる。
ということでしょうかね。

No.1719 - 2009/06/13(Sat) 01:25:10

Re: / ubik0101
そいうことは、あんまり憶えてないんです。でも。確認しようがない、ということを根拠にしてる有り様から生じる行動、発言、思考もありそうです。と、ふと思いました。 たとえば、ほかの人が何かを言います。

それが、嘘でない・・・事実・・・ということは、自分は確認できない、なら、その確認できない間は、嘘、と見なせます。また、逆に。自分が嘘を言ってることを相手が、確認できない、その間は、嘘を言える。とかがあるようです。

どちらも、人は嘘を言うものだ、という前提で。そこには、ほかの人は愚かにも、嘘でも信じて、騙されるもの・・・意図的な嘘は、騙すということでしょう・・・だという前提がありそうです。それは、ほかの人が自分のことは分からない。また、自分が自分のことも分からない愚かな状態を拠り所にしているのかもしれません。

そして、 たぶん、約束を守らない。ということも似たようなことだと感じました。また、未来を予想するという意味での占いとかも、それが実現されるまでは、迷っていられる、ことのようです。

それで人は、そういう愚かさを学んで、まず、ほかの人にも自分にも嘘を言わない、騙しもしない・・・というより、もともとそういう性向のない人はいないかもしれませんが・・・そういうことを発達させるのかもしれません。

No.1720 - 2009/06/13(Sat) 13:09:49

Re: / peer
嘘というのは、言うこととしていることが食い違うときに
「ウソをついている」と言えるんじゃないですか。
言うだけでやっていない。
していることは、観えますから、言うことと違うなぁ〜
と、な〜んとなく違和感がある・・ようなぁ。と。
・・・だから。言うことより。行動の方がその人(ホンネ)を現わしている。
というような感じがします。

No.1721 - 2009/06/14(Sun) 00:04:04

Re: / ubik0101
そうですね。どうして人は、言葉より、行動・現実を重視するのだろう。どちらも取り消したり、やり直したりは出来ないといえば出来ないのに、言葉は、それが出来るように思われるのだろう。とか思ってしまいました。ところで、

>・・・だから。言うことより。行動の方がその人(ホンネ)を現わしている。
>というような感じがします。


と、いうことは、言ったこととは違う行動すること、を確認するまでは、嘘とは分からないこともある。ということでしょうか。そういえば、そんな人に嘘を言われて、行動で本音を現すんだな、と悲しくなったこともありました。でも、

その人が言った通りの行動をしたとしても・・・怒りながらでも、威張りながらでも・・・嘘でもできることもありそうです。また、言ったことと違う行動をしても、それを正当化する理由をつけたり、そうしてることにも気がつかない・・・ほとんど虚言症な・・・有り様もありそうです。それに、

なにか正当化する理由はつけても、それは後付けなのに、先にあるように思ってしまうとか。自分は嘘はついても、ほかの人の嘘は許せない、不公平に気がつかないとか、 いろいろありそうです。 そんな、

たとえ嘘を言った、その人が、自分の有り様を顧みる契機にできれば、その嘘も、つかれた甲斐がある、役に立った、とも言えそうです。

No.1722 - 2009/06/14(Sun) 12:16:09

Re: / ubik0101
hatoさんと一緒に今日の夕方、小高い森を散歩してて、赤い実のなる樹を見つけました。たぶん、木いちごでしょう。すこし摘んで、食べてみました。とても上品で、混じりけのない香りと甘みがあり、とても気に入りました。
No.1723 - 2009/06/14(Sun) 21:25:09

Re: / peer
おお。おいしそう・・・。

ううーんと。好きな子を、好きと言えずに、苛めちゃう。
なんてことも、ありますね。
行動は、苛めているのですから、嫌いなのかなと思う、が。
「こっちを、見てほしい」なのでしょう。
好きと言って「アンタなんて嫌い」と言われたら落ち込む。
・・・だから言えない。

そんなふうに。。なかなか人の気持ちは・・・アレです。

No.1724 - 2009/06/14(Sun) 23:45:17

Re: / ubik0101
ちょっかいしたり、つっこみしたり・・・そのことで相手に印象づけたいのでしょう。それが愛情表現のつもりだから、自分では行動と言葉と思考が一致してないとは思ってもないので、虐めになってることに、気がつかないのかもしれません。そして、

そんなところが好き・・・また嫌い・・・なんてこともあったり、なかったり、なのでしょう。そういえば、うろ覚えですけど、聖書の創世記に。たしか父親から、農場に働きに行きなさい、と言われた息子が、行きません、と答えます。が、あとで農場に働きに行った。と、淡々と書かれています。 たしかに、

その息子は嘘をついたんですが、結果OKなら、言ったことと行動が一致しなくても良い。けど。それだけを言おうとしてるわけではない、とか、思うこともあります。

No.1726 - 2009/06/15(Mon) 12:54:17

Re: / peer
>父親から、農場に働きに行きなさい、と言われた息子が、行きません、と答えます。が、あとで農場に働きに行った。と、淡々と書かれています。

父親と息子の関係は、なかなか複雑怪奇。
年長者への批判もあるし、同性であることでの競争心もある。
それがフッとしたトコロに出てくる。ような〜
キリスト教は、父性の宗教なんですね。我を甘えさせない。

No.1727 - 2009/06/15(Mon) 13:12:48

Re: / ubik0101
そんなことがありました。ある若者が、その彼女の父親に、自分の父親を超えたいと訴えていました。なんのことかな?と聞いていたら、超えるとは、けっこう地位のある父親の社会的な立場のことでした。

また。県庁に務めてる父親の後を継ぎたい、という若者もいました。だから何なんだ?と、 驚きました。そんなことは宗教には関係なく、あるのかもしれません。キリスト教というより、イエス・キリストの言葉は、自分にとって、実在に繋がる、道、でした。、

ところで。自分の飼い犬が病気になって悲しいのです。なぜ犬を、酷い運命にあわせるのか?と神に聞きたい、という小説を思い出しました。

それで神の返事が・・・ そんな世界も、人よ、わたしが創ったのだが。あなたが、悲しいと感じる、そのことも、わたしが創ったのだよ・・・だったら、なんと言っていいのだろう。と思ってしまいました。

No.1730 - 2009/06/15(Mon) 21:34:51

Re: / peer
父親は、男の子にとって、男としての一番身近なモデリングでしょ。
男とはカクアルベキ・・・
認められたい、超えたいという存在のようです。
神と人間、父と子、原初のモデリング。

>自分の飼い犬が病気になって悲しいのです。
>なぜ犬を、酷い運命にあわせるのか?と神に聞きたい


神様がそういう運命を与えた。と思った方が楽なんでしょう。
責める対象がない場合。今度は、自分を責める。

マーク・トゥエインの小説に「不思議な少年」とか
そんなタイトルだったと思うが、、、。あります。
不思議な少年(天使)に、主人公の友達が不幸になると教えられ、
助けてあげて、と頼まれます。
助けてあげることにしたのですが。
その助けるというのは、事故にあって、そのまま帰らぬ
人になることでした。

No.1731 - 2009/06/15(Mon) 23:52:50

Re: / ubik0101
たしかに。なにかの思考は、それ自身が、成立するために、その思考の前提を、つくって・・・捏造・・・しまうようです。そして、その前提の中でしか動くことができない特性があるようです。

たとえば。どのように、その「不思議な少年」とか、の話を検討しても、その検討は打ち消され、マーク・トゥエインの話は説得力があるように思えると思えます。

けれど。たとえば不幸が忌むべきことでないなら、その中で運動する思考に、正当性は認められないのではないでしょうか。 つまり思考する都度に、なんとしても不幸を避けるべき、という隠れた前提を、捏造して、そうしてることを認めたくない。気がつかないだけではないでしょうか。

おなじように、「神と人間、父と子、原初のモデリング」も機能してるのではないでしょうか。たしかに、そのような実際の事例も見受けられるのでしょう・・・それを理由にして空想を現実と誤認する・・・そのように、現実は、人の迷いを助長する働きがあります。

これから出かけます。

No.1732 - 2009/06/16(Tue) 09:16:36

Re: / peer
人間は、人間に育てられたら人間になるし
オオカミに育てられたらオオカミになります。
進化も環境に合わせて行われるもの。
であるならば。
神に育てられたら、神になる。かも知れません。

まぁ。どうでも。
人間は、どのようにでも育つようになっている。

いってらっしゃ〜い。

No.1733 - 2009/06/16(Tue) 10:11:44

Re: / hato

そうですね。

人は、多く過ちをするけれども、
生きていけば、そこを糺して成長する機会がありますね。
それは祝福、恩寵かも知れませんね。

なんとここでは、私たちは多く学んでいることでしょう。

本当に。
ubik0101さんという人。
妻として、
彼は最愛の仲間として、
雨の日も、風の日も、嵐の日も、晴れの日も。
一緒に、頑張って生きていくこと。

一歩、一歩。
皆さんと。

ubik0101さんがちょっと気に入ってる、画像です。

No.1734 - 2009/06/16(Tue) 13:01:24

Re: / ルー
なんてシュールな写真なのでしょう〜

ノンノンはなかなかやりおるわい

大きくなりましたね。

No.1735 - 2009/06/16(Tue) 18:29:23

Re: / hato

はい、ubik0101さんが大事に育ててくれていて、
とても優しい感じの小鳥なんですよ。
今もこのパソコン上で、それ、囓ってます。

ルーさん、

いつも、ありがとうございます。

No.1736 - 2009/06/16(Tue) 19:09:13

Re: / ルー
お礼を言われるのは違和感がありますが。。。

前を向いている人には応援したくなります。

裕美さんの、うびさんへの告白は、ジーンとくるものがありました。ちょっと涙が出ました。

道の仲間って、意識的にはよくわからないけれど、やはり、お互いに「見ている」もしかしたら「見守っている」のかなぁって思います。

No.1742 - 2009/06/18(Thu) 08:54:29

Re: / hato

> お礼を言われるのは違和感がありますが。。。

そうですよね〜、

自分でも、なんだろ?、て思ったのですが、
それがぴったりだったんですよ。

> 道の仲間って、意識的にはよくわからないけれど、やはり、お互いに「見ている」もしかしたら「見守っている」のかなぁって思います。

こういうことかな、と思います。

優しい気持ちを、
どうもありがとう。

No.1745 - 2009/06/18(Thu) 21:12:35
(No Subject) / hato


わたしは、自分の誤りを、心からお詫びしたいと思います。
こんな場所で、なんですけれど。
言わなければなりません、隠すことなく。

自分の愚かさが恥ずかしいです。
こんなに優しい人に。

いけないこと、言いました。
誰にも真似できないくらい、大切にしてくれているのに。

だだをこねたかっただけなのかも知れません、けど、とても誤っていました。
一緒にいる、こと。それが夫婦ですね。ご飯を一緒に食べて、一緒に寝て、一緒に起きて、何でも分かち合って、生活していくこと。
ただ一人の大切な夫で、皆道の仲間です。

掲示板での分かち合いは、とても大切なことが、改めて、わかりました。依存なのかと思ったりしたけれど、すべての声、皆が自分でもある、ことをとても。わかります。すこし片寄っていましたね、ごめんなさい。つらい気持ちにさせたのが悲しいのです。そこにいるだけで大切な人です。

そして皆、大切な道の仲間です。

誤りを糺して、また一緒に。
一から、頑張りたいと思います。

No.1737 - 2009/06/16(Tue) 22:10:43
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