>そのようにして、好き嫌い、良い悪い、などの心理的な判断も、なにかの理解も、その人の奥に、その人の経緯から生じたことを作っているような気がします。
とりあえず、その人がその人であらねばならない。 ということなんでしょうかねぇ。
>たしかに、感情や思考は、空想とか投影ではなく、表情を読んでなくても、伝わることがあります。でも伝わらないほうが、ほかの人に影響されないで、都合がいいので、遮断することが習慣になってるって、こともあるようです。
はい。これはもう。伝わります。感情も思考も。 こればかりは、嘘がつけません。とてもダイレクトです。 ただし、大概は遮断していますから、分からないようですね。 エゴがたまっている場所になんか居ますと。キツイです。
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No.1803 - 2009/07/11(Sat) 00:51:16
| ☆ Re: / ubik0101 | | | >とりあえず、その人がその人であらねばならない。 >ということなんでしょうかねぇ。
そうですね 。とりあえず。まあ・・・たとえば赤を見ると、眼の奥に、透明に輝く緑ができる・・・補色関係のように。たとえば偽善者には、とりあえず二項対立的に強調されてですが、ほんとうに良い人になる資質が隠れて、それを獲得すること。
たとえば権力欲の人が、ほかの人に完全を求めるのではなく、自分が注意深く、完全に行うこと。たとえば執着の強い人が、ほかの人も大切にすること、優しくなること。
また、素直さ、真摯さ、そいうことは良い特質と呼んでいますが、それは世界に生きて、そこから、世界の、つまり感覚や感情や意識の範疇でないこととして、育つのだと思います。
それで、たとえば自我(その表面だけ見ると心理的思考とか葛藤とか呼ばれるようですが)や欲望を否定してはならない、それを完成しなくてはならない、と言います。そして、愛、自己、実在の関係があります。であれば、それは一挙です。
>エゴがたまっている場所になんか居ますと。キツイです。
おそらく、自我に迷う人は、そうでない人を見たら、自分の自我を、そうでない人に投影して、自分に見えるようにする。ということもあるのでしょう。
それは、自分を助けてください、という信号でもあるかもしれません。が、どうしても、それは、そうしてる人がなんとかしなくてはならないのは、しかたないルールだと思います。
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No.1804 - 2009/07/11(Sat) 12:25:59 |
| ☆ Re: / peer | | | まぁ・・生きていて。いろいろありますが。 自分と他人を分けていると、自分のことは自分の責任で 他人のことは、他人の問題にしてしまいます。 そんなふうに、隔たりますが。 自分のことを他人を通して見る。 他人のことを自分のこととして見る。 そうでなければ、分けている意味がない。 なんてことも、思うような〜。
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No.1805 - 2009/07/11(Sat) 23:38:18 |
| ☆ Re: / ubik0101 | | | この世界の範疇では、そうです。それで、境界について。この世界、すべての意味が活動してる、ゆえの、無意味。なんでもあり、に接したら、根拠、理由を失いそうになることに気が付いて。どうも人の意識は、危機を感じ、躊躇して、なにかに意味を見いだそうとすることもありそうです。
いわゆる心理的思考を、問題と見なす、とか。分離、とか、分離がない、とか。なにかしてる中心は、ない、とか。世界は無意味、とか・・・なんだかの意味を見いだし、つまり、なんでもありではなく特定の範疇を見いだして、つまり、偏って、そこに隠れて安定を見いだしたい、ことも起こりそうです。
(なんでもあり、なのに、ある事象、感覚、感情、思考が生起する。日常。これは意識にとって不思議であり、神秘ではないでしょうか。)
この世界の範疇では、 ほかの人と、自分を、分けるとか分けないとか、中心があるとか、ないとか、なんでもありで、どれかであることの必要も不要も、総てを使えばいいです。
この、なんでも、なしあり、世界。それは、絵の具のような素材です。そこで、自己を学んだ人と、学びたくないから学ばなかった人、違う絵を描いて、当然です。
ところで、peerさんは心理学に詳しそうなので、質問です。ほんとうに、知覚からの直接行動は、事実、あり得るのでしょうか。
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No.1808 - 2009/07/12(Sun) 12:50:25 |
| ☆ Re: / peer | | | >ほんとうに、知覚からの直接行動は、事実、あり得るのでしょうか。
知覚は、情報ですからね。 それを「判断する」機構を、とっぱねて、直接行動する としたら、かなりの情報かも知れません。 命にかかわる・・・とか。 知覚していないのに、直接行動する。というのも、ありそうです。 脳の誤作動・・・のようなものですが。
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No.1810 - 2009/07/12(Sun) 23:37:10 |
| ☆ Re: / ubik0101 | | | こっちでも探ってみました。たとえば、伊藤一刀斎の夢想剣。戦場で敵を斬った、ことさえ意識に昇らなかったそうですが。戦場ということが、あまりの当然なので、そのことを忘れても、戦場という判断はあるわけで、ふつうの日常で、おなじことをしたら・・・もともと戦争もそうですが・・・狂ってるでしょう。
ただ街を歩いてることだって、危険とか安全とか、判断して、ほとんど自動的なので気がつかない、といったことだと思います。
まあ、知覚からの直接行動とは、葛藤がない行動だとして、葛藤の対極に置かれた空想、妄想、幻想・・・理想・・・かもしれません。その葛藤も、おおくは空想からの生起です。それを、当然の前提として気がつかない、のでしょうか。
が、知覚からの直接行動。そんなことを思う人が、なぜ思うのか知りませんが。それは素直でない、つまり真摯で正確でない、誤った命名であり、事実とはギャップがあり、目標、規範、負荷、になり得るでしょう。
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No.1813 - 2009/07/13(Mon) 11:37:37 |
| ☆ Re: / ubik0101 | | | それはともかく。すこし前、伊豆に行ったとき。バスの中でhatoさんから、よく冷えて結露した赤いカンを渡されました。それで、嬉しく飲んだのですが。
ああ、コーラって、こういう時は、ほんとうに美味い、と実感しました。炭酸で弾ける褐色の液体が見えるようでした。
ところが、一息ついて、そのカンを、よく見ると、サイダーでした。あれ?たしかに知覚したのに。サイダーと知って飲むと、サイダーでした。 まさか牛乳を、コーラと思ったりはしないでしょうけど。
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No.1814 - 2009/07/13(Mon) 12:02:59 |
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