食への意識は大切な事ですね。 それ自体に美しさがありますから。
私は元来物ぐさなのと、私と子供二人の生活なのでついつい外食に頼りがちですね。
作っても子供が食べてくれない事が多いのと、余った料理を捨てる、私がそれにとられる時間(作る、食器を洗う)など
原価計算をすると、まあ外食でいいやと思考による理由付けが行われます。(笑)
食事をするだけでなく作ることに注意深くある時間に価値を見出さないという思考によって、生活の豊かさを失っているのです。
ただぼーっとすることのできる時間の価値、豊かさはなぜ意識されなくなったのでしょうね。
消費しなさいと消費されるべきものを教育される文化に原因の一つがあるのかもしれません。
精神世界もまた体験されるべき、消費されるべき世界に組み込まれてしまっている現状もあります。自分で判断できな
い、感じれない、常に他人から提供される情報を選択させられる状況にあり、生まれた時からそういう状況に慣らされています。
私は会計に携わる仕事をしていますが、会計的知識は世界の翻訳の仕方の一つにしか過ぎないのですが、便利であるがゆえにあらゆるものに適用可能と錯覚しているのかもしれませんね。
古代ユダヤ教、ギリシャ哲学、ローマ法という文化の結晶の一つである簿記会計の考え方の様式は現代社会に大きな影響を与えていると思います。
話は変わりますが、2,3年前に書いたことがあったかもしれませんが意見とそれを言う人を同一視しないのが、よりよい実りある話し合いになると思います。
最近は子供に牛乳とヨーグルト、蜂蜜を混ぜて疑似ラッシーばかり作らされています。
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No.1683 - 2009/06/04(Thu) 08:40:45
| ☆ Re: / ubik0101 | | | その、2、3年前の投稿は、憶えがあります。ところで。もともと、なにかの思考と、その人の有り様は、無関係、ではないでしょうか。
たとえば、わたしは、ない、とか。なにか思考によって、その中心が設定される、とか。自分自身を知れ、とか。なんと言っても、それを実証してない人も、実証した人も、言葉上ではですが、それを思考できます。
だからでしょうか、たとえば。新大陸を発見した人が、素敵なことを知ってる。そのように新思考を発見した人に・・・それは真実であるに違いない・・・それを学ぼう・・・という傾向の思考もあるようです。
けど。なんであれ、その思考と、その人の有り様は、無関係です。それだから、その思考と、その人の有り様は、たがいに影響を被りません。それで・・・嘘・・・虚偽の申告も可能なんですが・・・まさに、それゆえに・・・それはできなさそうに思われても・・・思考は、その人の有り様を、そうであることを、そうであると、正確に表現できるのではないでしょうか。
そのように。そうであることを、そうであると思考する。それには。素直なこと、つまり真摯で正確なことが必要です。そうでないなら、そのことは、やはり発言そのことに顕れてしまいます。嘘、虚偽の申告も、顕れてしまいます。
また、なにか体験しても、なにか思考を発見しても。それを馴染みの、既知の思考経路に従って読み替えたりしてしまう可能性もあります。そうすると、そこで躓きます。注意深いことが必要です。
また。思考は、知覚されたことであり、その見る主体が自覚されないからと言って。見るものは見られること、ではありません。しかし、見るものは見られること、とすることで、そのことが前提にしてることは、顕れたりします。
まったく嘘つきな人でも、ほかの人が、嘘つきだと解るのは、なぜなんでしょう。まったくの偽善者でも、ほかの人が、偽善者だと解るのは、なぜなんでしょう。なんて思ったりもします。
ところで。今日は風がなく、この部屋の向かいにある、クヌギの枝に、メジロや四十雀が、嘴で羽をしごいたりしながら、くつろいでいるのが見える・・・この眼は、ただの穴です。初めてそれを体験したときは、意識を外や内に移動させ、世界と自分は地続きだと、それを何度も何度も確認したのを思い出しました。
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No.1684 - 2009/06/04(Thu) 12:02:24 |
| ☆ Re: / peer | | | >まったく嘘つきな人でも、ほかの人が、嘘つきだと解るのは、なぜなんでしょう。
人には、まったく精巧な受信機が備わっていて チューニングも可能ですが。わりと、敏感に感知しますね。 思っていることを言葉にしていない。とか。 他人がいてくれる。自分の気付かないことを気づいてくれる。 この世には、そのような性質があるようです。 ただ・・・嘘だと解る・・・嘘だと名づける。これは嘘だと思うのは、やっぱり、その人の感性(受信能力)。単に視点が違う、ということもありますから、感性を磨くというのは、その意味で大切かな。。
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No.1685 - 2009/06/04(Thu) 12:47:54 |
| ☆ Re: / ubik0101 | | | なんであれ、それ、を見たことがないので。ほかの人の、あまりに巧妙な嘘が解らないということもあります。また、そいうことは度外視するとしても、巧妙な嘘つきが、自分が嘘つきだと、自分で解るのかどうか?まったく自分では、真実を言ってるつもりでも、実は虚偽という意味での、確信犯、ということもあります。
ところで。「見るものは、見られるもの」だとして。「意識は、その内容」だとしても。そうでないとしても。どうして、たとえば、あるときは恐怖を感じ、あるときは怒り・・・とある心理的思考の運動ができる・・・内容が変わることができるのでしょう。
どうも、たとえば、どのようにして思考が始まるのか?なにかの現象が起こるのか?知覚できるのか?これを見ようと思ってるのですが、かなり困難です。それは知りようがないし、ただ、そうなってるのだとしても。
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No.1686 - 2009/06/04(Thu) 22:48:48 |
| ☆ Re: / hato | | | > ただ・・・嘘だと解る・・・嘘だと名づける。これは嘘だと思うのは、やっぱり、その人の感性(受信能力)。単に視点が違う、ということもありますから、感性を磨くというのは、その意味で大切かな。。
それは明らかに、感性の域を超えたものと言えそうです。 結果としてそこが使われる、ということかも知れません。 人はただ分離ではない、ということ故、かも知れません。 その上で人が、名付け得ぬものと直結していることに依って、気付かれるとも、言えそうです。 けど、すべてに気付くわけでもなく、その必要もなく、それほど意味もないでしょう。
そして尚、この自体のすべてが、なぜ? かは。不可思議と言えそうです。
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No.1687 - 2009/06/04(Thu) 23:23:11 |
| ☆ Re: / peer | | | >けど、すべてに気付くわけでもなく、その必要もなく、それほど意味もないでしょう。
それは、違和感と呼べるモノかもしれませんまたは、皮膚感。 皮膚は外部環境に対してバリアーの性質がありますから。 そして、そのほとんどは、気づかれています。 気付いているけれど、検察官ではないから。流してしまう。 そんな感じかも知れません。 それが「必要もなく」ということかな。と思います。
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No.1688 - 2009/06/05(Fri) 00:47:04 |
| ☆ Re: / peer | | | >なんであれ、それ、を見たことがないので。 >ほかの人の、あまりに巧妙な嘘が解らないということもあります。
ありのままに語ってもいいのに、つい嘘をつく。 たぶん、ありのままは、つまらない話になる、と思うのでしょう。 だから物語を作ってしまう。データのやり取りのようなものでも 飾りをつけたり(自分の意見で補足したくなる)のように。 それくらい、単なる日常・・・生がつまらない。 嘘をつく人は、そういう感覚になっている。のかも知れません。
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No.1689 - 2009/06/05(Fri) 12:29:28 |
| ☆ Re: / ubik0101 | | | なんか、新明解国語辞典の、凡人、を思い出しました。まあ。ふつうの社会生活で、嘘をつかない、約束を守る、というのはかなりの修行になると思います。
そういえば。ある武士が人に会う約束をしました。でもどうしても行けなくなったそうです。それで、その武士は切腹して、幽霊になって、会いに行った。そんな 落語か、怪談話を、粗筋だけですが聞いたことがあります。
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No.1691 - 2009/06/05(Fri) 20:55:14 |
| ☆ Re: / hato | | | > それが「必要もなく」ということかな。と思います。
違和感を述べてみて、 届くかどうかは、相手が成長したいかどうか、に依るのでしょう。 嘘に拘わらず、何かを提唱してみても、個人が自分のやり方でいい、と思うなら、仕方がありませんね。 本人がこれでよし、と思うなら、周りに何ができるでしょう。
ふと、、 人が人生のどこかで、無意識と意識が繋がった、として。 ここである程度の状態を経ないなら、 その後も概ねそれ以前と同じような形態をとる、といえるのかも知れません。
というより、その状態の人には、そのままでは、状態自体を問題視することが難しいかも知れません。 強いていえばおそらくそれが問題です。折々に出てくるものが即ち、分け隔てなく総てであり紛れもない自分、それでいいので、流れゆくままに表現し、また流れていくかも、知れません。理解する手前ですり抜けてしまうのです。
全体としては、世界は総てが揃っているであろう、ことで済んでしまいます。 とくに問題分子として働くことも、ないかも知れません。 もしくは、場所によっては問題となるかも、知れません。
個人として成長が可能なのが、この世界たる所以かな、と思います。 世界は決して決着しない、ながらにして、必ず決着しているからです。
そんなふうに、思います。
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No.1695 - 2009/06/06(Sat) 00:37:22 |
| ☆ Re: / peer | | | >ふつうの社会生活で、嘘をつかない、約束を守る、 >というのはかなりの修行になると思います。
意識的になったら、嘘をつく、約束を守らない をしようとするのは、、、苦痛になるかも知れません。 正当化という「理由」を使えなくなりますから。
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No.1696 - 2009/06/06(Sat) 09:32:38 |
| ☆ Re: / peer | | | >届くかどうかは、相手が成長したいかどうか、に依るのでしょう。 >嘘に拘わらず、何かを提唱してみても、個人が自分のやり方で >いい、と思うなら、仕方がありませんね。 >本人がこれでよし、と思うなら、周りに何ができるでしょう。
わたしは、周りに関しては、何とも〜ですね。 人を変えようとも、思わないし。ただ見るだけ。 そういう意味の、気にならない。なのですよ。 すべては、自分がどうか。です。
周りが「こう見える」のは 自分が「こう見ている」だけですから。
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No.1697 - 2009/06/06(Sat) 09:39:18 |
| ☆ Re: / hato | | | > わたしは、周りに関しては、何とも〜ですね。 > 人を変えようとも、思わないし。ただ見るだけ。 > そういう意味の、気にならない。なのですよ。
そうです。 そして尚、関わりのなかで、 出来るだけ正確に、きちんと表明します。
> 周りが「こう見える」のは > 自分が「こう見ている」だけですから。
そうともいえるし、 それだけでもない、 のが、この世界の不思議、です。
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No.1699 - 2009/06/06(Sat) 12:04:46 |
| ☆ Re: / ubik0101 | | | > 意識的になったら、嘘をつく、約束を守らない > をしようとするのは、、、苦痛になるかも知れません。 > 正当化という「理由」を使えなくなりますから。
それで、なんの「理由」もなく、嘘をつかない。が、あります。
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No.1700 - 2009/06/06(Sat) 12:30:13 |
| ☆ Re: / ルー | | | No.1701 - 2009/06/06(Sat) 13:24:53 |
| ☆ Re: / hato | | | > 良い自分をつくるため、ではないのですか?
それは結果的に、です。その良い自分は、意識の管轄にはありません。なのに良い自分を意識の管轄にあると見なして、それをつくるという理由・目的があって、たとえば嘘をつかないなら、偽善者っぽい・・・それはそれで自分を鍛える負荷になるでしょうが・・・のではないでしょうか。
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No.1702 - 2009/06/06(Sat) 20:09:25 |
| ☆ Re: / ubik0101 | | | No.1703 - 2009/06/06(Sat) 20:24:34 |
| ☆ Re: / ルー | | | 意識の管轄にないことを「理由なく」と表現しているのかな。
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No.1706 - 2009/06/06(Sat) 21:59:44 |
| ☆ Re: / ルー | | | No.1707 - 2009/06/06(Sat) 22:00:46 |
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