気づきとは
今まで気がつかなかった事に気がつく事ではない 気づく者も気づく対象も気づく行為もないからだ
変化する対象が問題になるのは中心軸ができるからである 中心軸があるのは事象としての切り取りがあるからではないだろうか
気づく者が存在しているのに、見る事で後に何も残さない、そこで完全に終わらせるなどという者は嘘つきである 事象の切り取りの習慣に気がつかないものが自我の不在を言うのは、それも夢の続きにしかすぎないだろう
見るのと心理的思考、葛藤と言語化して世界を分割する癖が未だ残っている者にとっては
気づきは教養の一つにしかならない自我を強化するものである
観察者を残した事象の切り取りは精神分析の真似ごとにしかならないが、暇つぶしとしては有意義ではあるのだろう
今晩は息子と焼肉を食べに行った 昨晩も焼き肉だった
子供につきあいながらよく飽きないものだと感心する しかし相変わらず不健康な食生活を続けている私
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No.1674 - 2009/06/01(Mon) 08:32:26
| ☆ Re: / ルー | | | 私は、確かにエサを与えてしまったんだけど、それによって、その人が考えていることが明るみに出たでしょう。
ま、そうでも思わないと、自分がただの踏み台にされたのでは、やりきれませんから〜
そう。 この世には、やりきれない〜があるのです。 それを、「スッキリしていない」とか言って、「そうではない世界がある」とか言う人がいたということです。
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No.1676 - 2009/06/01(Mon) 08:53:52 |
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