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もう少し続けます / ルー
「情けや良識によって、自分をごまかさない」という意識を持つ時、「自分を見るのにそれ(情けや良識)を用いない」ということであって、自分の中にある情けや良識がなくなるというわけではない。

ところが、対話のページで「容認も批判もなしに」の場合は、「事実を見るために、容認や批判なしに見る」と言っているのだと思いますが、それにとどまらず、容認そのもの、批判そのものが、世界からなくなっているような、そんなことを言っています。

No.1631 - 2009/05/28(Thu) 10:06:25

Re: もう少し続けます / ルー
そうなのかも知れません。

私は、一人目の、新しい芽さんの理解者かもね〜

まだ、ただの誤解かも知れないので、しばらく様子を見ます。

No.1632 - 2009/05/28(Thu) 10:11:55

Re: もう少し続けます / ルー
理解者というより、介護者かも。
No.1633 - 2009/05/28(Thu) 10:18:03

Re: もう少し続けます / ルー
いや、ここは冗談にしちゃダメかも。

何か、ちょっとわかった気がするので大事にしよう。

No.1634 - 2009/05/28(Thu) 10:32:18

Re: もう少し続けます / ubik0101
うん。

ふつうの場合は、ある、とか、ない、とか言っても誤りの・・・無相の・・・自己が、ある、振りをして、自我、として現れるのですが。マイナスエネルギーの人は、自己が、ない、振りをする、自我、なのかもしれません。

やはりNo.1630に書いたような人だと思うのですが。まあ機会でもあれば、読書会などで会って、確かめるのもいいかも知れません。

No.1635 - 2009/05/28(Thu) 10:32:36

Re: もう少し続けます / hato

> やはりNo.1630に書いたような人だと思うのですが。まあ機会でもあれば、読書会などで会って、確かめるのもいいかも知れません。


まー!

自分から会いに行くのね〜!ならいっぺんに会えるわよ〜(喜)
ダーリン自分は出不精だとか言ってたけど、
性格は悪いけど素直〜な人なのよね〜。\(^0^)/

でも勉強会なんでしょ。クリシュナムルティ、詳しくないわよ〜、、、

No.1637 - 2009/05/28(Thu) 21:20:04

Re: もう少し続けます / hato

あら。と思ったら僕はもう行ったから、いいんだって。

そうよね〜、
こちら歓迎されなさそ〜〜だものね〜、

ま、いっか。(^^)

No.1639 - 2009/05/28(Thu) 21:34:38
(No Subject) / hato

>やはり答えは応えじゃないかな、と思います。
>なにかを尋ねて、なにも返ってこないのは〜
>どんなものでしょう。



そうですね、
それは本当に。
応答、でしょうね。


>相手は答えを求めているワケじゃない。
>・・・なんか、そんな感じがするんです。
>だからって、こうだと言えないけれど。



そうですね。

考えますね。人は皆、ひとりなのだけど、どこかで繋がっていたい、ということも、あるかも知れません。

或いは、その相手は、確認したい、のかも知れません。
同意を求めている、のかも、知れません。
或いは、孤独を埋めたい、とか。誰かと分かち合いながら、未知なるなにかを見つけようとしてる、とか。

人の状態、状況に、よるのでしょうね。

No.1605 - 2009/05/26(Tue) 00:23:53

Re: / peer
なにかと出会う。
むこうから来たように思うけれど。
出会ってもらった。
そんなふうに思うと、出会いを活用しないと
モッタイナイような、申し訳ないような
気がするんです。

その人が、どうなのかはこの際、横に置いて。

その人が、どうか。
じゃなくて、自分が、どうなのか。

なんとなく、なんとなくですが。
すべて出会うものは「愛」でしょう。

それなのに、これは「愛」で、
これは「奪おうとするもの」。
そんなふうに判断しちゃう〜

うん。これは、モッタイナイです。

No.1609 - 2009/05/27(Wed) 00:53:37

Re: / hato

> なんとなく、なんとなくですが。
> すべて出会うものは「愛」でしょう。



いつも優しい投稿を、ありがとう。

ううん、
愛を分けることはできません、それは大丈夫。
どうも、ありがとう。

奪おうとするもの、というわけではないでしょうね。
成長と表現の仕方、時期が違うのだと思います。
そしてただ、開いてみても、無理なんです。

自分は風知草、て感じがします。
例えば、ですけど、体力を奪われる、と一瞬感じたとしたら、それは使うことができるんです。
役に立ちます。過剰になることに警笛を鳴らすことができます。

ubik0101さんは、選びませんから。
身体を痛めるのは困ります。

No.1621 - 2009/05/27(Wed) 23:58:38

Re: / hato

その点に於いては、ここ半年。

自分自身と世界をよく見て、充分学ばせて頂いた、というところなのです。言いたいことをきちんと、言うこと。
それはもう、20年も前に、仲間から注意されたことがあります。なので、ここで練習です。ごめんなさいね、少々過激なときがありますね。

まあ、彼と結婚したわけですから。
彼の直面していることは、ある意味自分の直面していることでもあります。
それは、皆さまご家族を抱えている方と同じく、覚悟しているかな、と思います。

新しい芽さんについて、自分としてはとくに関わる機会がありませんが、生を営む者として、どんな風でも、足蹴にすることはできません。
一大事なところを曖昧にされていることは、とても残念に思います。でも、終わったわけではありませんから。

きっと大丈夫、一緒に頑張りましょう。

No.1622 - 2009/05/28(Thu) 00:00:08

Re: / hato

パソコン上での分かち合いは、生活の一部であってすべてではないですね。
人はそれぞれの場所で生きていますから。
ここである時期充分関わったなら、時を得て、その人自身としてまるごと出会うこともまた、いいと思います。

とくに必要ではありません。が、それはそれでね。
身体があるから、こうして生を営んでいられる、わけですから。

人の有り様。
どうしても、してしまうこと。行。そうしたことを含めて
この世界。
なぜ、そうなのか。
ということについては、理由がないのですね、本来は。
peerさんが言われた通り、なんだかわからない。
だからこそ、理由は理由として、その折々に生きてくると言える、と思います。

peerさんには、いつかお会いできるでしょう。

とりあえず、ジョウビタキ、ホトトギス、ウグイス、ヒバリ、キジバト、メジロ、四十雀、尾長、エナガ、コゲラ、狸。もいますよ、

ルンルンとノンノンもね。

No.1623 - 2009/05/28(Thu) 00:02:06

Re: / hato

ちなみにダーリンは、「僕はグラサンすると、怪傑ハリマオに似てる〜」て喜んでますの。
知人のピンコも大絶賛よ。
(これ、本人が言ってほしいらしいので一応。。。)

No.1624 - 2009/05/28(Thu) 00:03:22

Re: / peer
>新しい芽さんについて、自分としてはとくに関わる機会が
>ありませんが、生を営む者として、どんな風でも、
>足蹴にすることはできません。


なんだか分からないから
滑稽だとか見世物小屋とか異常な生き物とか〜
なかなか思えません。
どうしたら人を評することができるんでしょう。
わかりません〜

言いたいことをきちんと言う。。
言う必要がないと、言わないけれど。
とりあえず、言ってみると、逃げられない〜
というモノもありそうです。

>その人自身としてまるごと出会うこともまた、
>いいと思います。


言語で伝えあうものは
わずかなものではありますが、なんとなく
そのエキスみたいなものは、伝わってきます。
カラーとかリズムとかニオイみたいなもの。
それがまた、一人も同じものがない。
うーん。なかなかオツなものです。

まるごと出会うと、それが統合されて〜
まっ。いいもんですよね。

No.1625 - 2009/05/28(Thu) 01:09:58
(No Subject) / 雄大
すごくヘルシーで美味しそうなお弁当ですね。
私が子供の弁当を時々作るのですが、汚いとかクレームを言われています。

私は母親が幼少の頃、亡くなったのです。それで父が弁当を作ってくれたのですが、それが日の丸弁当の様なそっけないものでした。友人たちの弁当と比較して悲しくなった事を思い出します。

それでいかに綺麗に見える弁当を作るかという事を考えて、赤青黄色と色の構成を考えて取敢えず作ったのですが子供には不評でした。
ubik0101 さんのお弁当を見て理解しましたが、おそらく私が作った弁当はやっつけ仕事的で注意力が不足しているのだなと感じました。

おそらくubik0101 さんは几帳面で整理整頓がきっちりできるタイプなんではないでしょうか。
本当においしそうなお弁当ですね。料理に注意力が行き届いている、そんな感じです。

こんな話を聞いたことがあります。料理人が注意深く何時間も料理を世話している(例えばカレーを煮込んでいる時など)味が変わるのだそうです。料理は手間、注意深さ、気の集め方も味わいを構成するのでしょうね。

そう云えば子供は親の注意が行き届いてないとよく怪我をするそうです。

No.1603 - 2009/05/25(Mon) 19:12:58

Re: / ubik0101
たしかに。ある板前の、魚などを捌く包丁などの技術、煮る炊く焼く技術は、驚嘆すべきものでした。でも、あんまり美味しくはありませんでした。その人は、「料理は技術ではない。そんなものは、どうでもいい。人のためにつくるという熱意だ」。とかは言っていたのですが。

そんな自分の姿勢には執着していたので、結局は、人に自分を主張する、自分の有用性を披露する、ことが大切になっていたのかもしれません。そうでなく。たとえば自分の技術、自分の姿勢に、執着しないことに、執着しないで、熱意で料理することは、その人の日常の有り様に関わると思います。

そういえば、ネットを探ってて、「妄想を除かず、真を求めず」という言葉を見つけました。道元の言葉らしいです。どんな文脈で言われたか知りませんが、これは、たとえば。ありのまま。とも読めるかもしれません。

けど。妄想を除いて除きつくした、真を求めて求めつくした。ならば、その人の日常は 「妄想を除かず、真を求めず」。それで、ありのまま。ということだと思います。

これは、ありのまま、という言葉は同じですが、たとえば自我と、自己。執着と、解放。そういう区別も、あってもなくても後者には問題ではないのですが・・・たとえば怒っても悲しんでも怒らなくても悲しまなくても問題ないのです。

が・・・こういうことは明確に表現されてる、けれど、そのようでない人は理解してるつもりで、たとえば自己弁護があるとか、自分の有り様を投影して、誤解するしかありません。ゆえに秘密。かもしれないと思いました。

また。執着しないことに執着しない。それは意識の範疇にはないのですが、成長の証である、素直さ、真摯で正確なことなど、良い特質が活動してるのだと思います。

No.1606 - 2009/05/26(Tue) 11:04:47

Re: / hato

お弁当のことをすこし書きます。

> 本当においしそうなお弁当ですね。料理に注意力が行き届いている、そんな感じです。

とても優しい、味です。ゆで野菜の人参がとても好きです。お魚は必ず、入っていますね、プリプリエビと山椒の葉が、ubik0101風です。
にこにこ、しながら食べてます。
二時間かけて、作成されております。

> そう云えば子供は親の注意が行き届いてないとよく怪我をするそうです。

昔から、いるだけで、自分の周りが穏やかで、なにかすべてが行き届くような。そんな人にと、調子のよいことを考えていました。いるだけで、て無努力な感じです。実際それが成されたら、完全な努力ゆえに完全に無努力、でしょうか。

注意力、でふと思い出しました。

No.1608 - 2009/05/26(Tue) 21:27:28
人に聞くということ / ルー
答えを求めているのではなく、考えるために質問する、ということはあるでしょう。
No.1583 - 2009/05/24(Sun) 18:31:05

Re: 人に聞くということ / hato

自分にとっては、多くの方々に学ばせて頂いていますが、
自分が考える為に人に依存、人を使う必要はとくにありません。
ただ、ルーさんが問いかけを人と分かち合う方法としていて、相手の状況が許すのなら、問題ないのでしょう。

No.1586 - 2009/05/25(Mon) 00:44:27

Re: 人に聞くということ / ルー
>
> 自分にとっては、多くの方々に学ばせて頂いていますが、
> 自分が考える為に人に依存、人を使う必要はとくにありません。


hatoさんが多くの人から学んでいるのは、例えば、そのことについてもっと知ろうと思ったりはしない、ということですか。人を知る場合、その人に聞くことは依存ですか?
ほら、私はこうやって質問します。
それは、依存なのですか?
「人を知るために人に聞くことを依存と呼ぶ人がここにいる。しかし、私は、それを依存とは呼ばない。」というふうに自分で考えればよいということでしょうか。

> ただ、ルーさんが問いかけを人と分かち合う方法としていて、相手の状況が許すのなら、問題ないのでしょう。

相手の状況が許さないというのは、どういう場合ですか?

No.1587 - 2009/05/25(Mon) 01:04:30

Re: 人に聞くということ / ルー
私は、その人を知ろうとしているのであって、自分を知ろうとしているのではないので、人に聞く必要があるわけです。
No.1588 - 2009/05/25(Mon) 01:05:45

Re: 人に聞くということ / ルー
それで、「自分を知ること」、ただそのことに尽きると思います。という人がいます。
面白いですね。
オウムのように、それを繰り返す。
多くの人から学んでいるなんて、嘘じゃないかと思います。

No.1589 - 2009/05/25(Mon) 01:12:16

Re: 人に聞くということ / hato

そうして苦しいときに、外に出ていって人のことを詮索していても、なにも解決しないのではありませんか?
してこなかったのでは、ありませんか?

自己を知ること、
ああ、表現はともかく、それを知らないならただ苦しいだけでしょう。

人を知る、といって根掘り葉掘り聞き出して、
その人を知ることが、できたのでしょうか?
何年もそうして、こうした場所で相手にも自分にも対峙せず、常にメールを見張っていて、なにか言い合うことが人を知ることだとも、思いません。

多くの人と接しても、そこで学ぶのは自己、自分です。
そうでなければ嘘でしょう。

自分が考える為に人に問う、と言いましたね。それが最初の問いです。それで充分です。
そういうことをしている、あなた自身に対峙してはどうでしょう。

自分中心で世界と人に関わるなら、世界は正確に、
それがどういうことかを学ばせてくれるでしょう。
自分の人生に現れてくるでしょう。

少なくとも、
ささやかながら、様々なことがあっても自分には平和があり、この人生を愛しいと思います。

No.1591 - 2009/05/25(Mon) 08:26:09

Re: 人に聞くということ / ルー
中島義道著の「人生に生きる価値はない」という本の中に、池田晶子追悼の文章が載っており、大変面白く読みました。

「自分が考える為に人に問う、と言いましたね。それが最初の問いです。それで充分です。」というのは、池田晶子氏のあり方とよく似ています。
中島義道氏は、「私見では、哲学には問題のありかを突き止めるセンスと厳密な言語によって世界を読み解いていく能力が必要であるように思う。池田さんは、前者は溢れるほど具えていたが、後者は欠けていた。だから、私見では哲学者でも哲学研究家でもないのだが、そんなことは彼女にとってどうでもいいことであろう。」

No.1592 - 2009/05/25(Mon) 10:00:37

Re: 人に聞くということ / ルー
と書いています。
なるほどなぁ、という感じです。

他の人の口から出る言葉は、その人の世界のありようを表しています。ですので、それを正しく知るためには、その人に聞くしかありません。自分で、その人のあり方を考えるのでは、どこまでいっても推測でしかなく、それは、自分の世界の投影です。それでも、その投影から自分を学ぶということはできるかも知れません。
しかし、それでは、相手を正しく知ることはできません。
どこまでいっても、自分しか見ていないのです。
おっしゃるとおり、自分中心です。
自分から見える景色だけで充分なら、それでいいでしょう。
しかし、それは、人にまで薦めることのできるあり方なのでしょうか。

他の人のありようを正しく知る過程で、自分との差がわかり、自分が見えるという意味で、自分を知ることはできます。
しかし、他の人のありようを知るというのが、自分を知るための動機や目的であるのは、ちょっと違う気がします。
また、自分をないものとして、自分をほったらかしにして、他の人のために生きるというのも、違う気がします。

ただ、関わっていく上で、他の人に対する興味が生まれ、質問し(自分で考えねば、質問さえ生まれません)、応えるのは相手の人であり、相手の人のあり方が伝えられるのですが、自然と自分との違いを感じ、自分も見えてくる、というのが、私のしていることです。

そのことについて、文句を言いたい人には言わせておけ、という感じです。
他の人のあり方に、文句を言えるほどの人物なのでしょう。
いや、そこは成熟しているので、文句という形ではなく、やんわりと相手を受け入れてから説教をするというやり口なのでしょう。

No.1595 - 2009/05/25(Mon) 10:17:57

Re: 人に聞くということ / hato

どうでしょう。

文句を言ってるのは、常にルーさんのようです。
掲示板上だけでは、人にはわからないでしょう。

まあ、
ルーさんやルーさんの周囲がそれでよいのなら、問題ないのでは、と言ったようですが?

自分にとって、人との関係性については、関わり合う同士、互いによく錬磨されていると思います。
この社会生活において、人に尋ねたいことがあれば尋ねるわけで、ごく普通に生活のなかで起きています。
関係性が浅い、ともとくに思いません。それで充分です。

自分を見たって、なにもない、
そりゃ、そうでしょう。
でも、苦しそうな人がいたりします。

何を言ってみたって、そこに平和がないなら。
どんな経験があろうが、無我だろうが何だろうがどうなの?というのは表明です。

人に勧めるとか無関係です。
する人はするし、しない人はしない、それだけです。

とくによいのですが。
それぞれの人生、ということでしょう。

No.1604 - 2009/05/25(Mon) 23:30:36
その人に聞く / peer
というのは、本当に、その人を知るため、なのだろうか。

私たちは、答えを知りたがります。
それを子供の頃から、ずっとしてきました。
自分は何も知らない。。。だから、人に聞く。スタイル。

知らない場所で迷って、誰かに道を聞く。
と、知っている人は教えてくれます。
「ここをまっすぐ行って、右に曲がったら・・・」
貴方の求めている場所が、あります。と。
そういう場合は、教えてもらって有難いです。

↑これは、誰にとっても真実です。
わたしたちは、真実を知りたい。

それ以外は、、、人に聞く、というのは
規範を得ようという行為なのではなかろうか。
真実ではなく。自分にとって有利に使える規範。
なにかの場所でそれなりの人物と受け入れられる規範。
著名な人が言ったから真実となるようなもの。
そのように、あたりまえに規範は、外から与えられるモノ。

No.1596 - 2009/05/25(Mon) 11:23:55

Re: その人に聞く / ルー
本なら読んで自分で考えるしかないけど、掲示板なら相手に直接聞けるよね。
No.1597 - 2009/05/25(Mon) 12:03:55

Re: その人に聞く / ルー
逆にいうと、本は読者との話し合いによって進められるわけではないので、読者がどのようにも誤解して読めるわけだ。
なので、誤解を生まないような伝え方を訓練せねばならないのだ。
まぁ、書評というものもあるので、そこで鍛えられるだろう。

No.1598 - 2009/05/25(Mon) 12:18:16

Re: その人に聞く / peer
「知らない場所で迷って、誰かに道を聞く。」
のように、聞かれたら答えがはっきりしているモノと
答えようがないものがある。のではないでしょうか。

本を読んで、自分の理解が正しいかを聞く。
読者が誤解しているかどうか、確かめるとか。

というのも、答えられることだと思います。
ただ、その本に書かれているものが正しいのかは
誰にも聞けない〜答えがないモノ。
なのかも知れません。
誤解したけど、その方がゴモットモで誤解が正解。
著者がバカということも、ありますから。

まっほら。よくこんなクダラナイコトを書くなぁ〜
なんてことも、あるじゃない。

No.1599 - 2009/05/25(Mon) 12:40:58

Re: その人に聞く / peer
哲学の歴史を見ますと、進化というものは、
前に「正しい」とされたものを疑って打ち壊し
新たな発見がなされていくことで、成り立ちます。
誰かが言ったことを否定して、自分で考える。

まっ、ニンゲンが考えることなんて、絶対に欠陥がありますから。
ニュートンの万有引力は、アインシュタインの相対性なんたらで
否定されました、絶対ではないと・・・そんな感じで。
疑いが進化をもたらす。

No.1600 - 2009/05/25(Mon) 12:50:39

Re: その人に聞く / ルー
>まっほら。よくこんなクダラナイコトを書くなぁ〜
なんてことも、あるじゃない。

あります。(笑)

No.1601 - 2009/05/25(Mon) 12:53:02

Re: その人に聞く / ルー
>ただ、その本に書かれているものが正しいのかは
誰にも聞けない〜答えがないモノ。
なのかも知れません。

だから、自分で考えるのでしょう。
どのような文章を読んでも、読んで解釈するのは自分ですから、自分が育っていないと読めませんし、考えられません。

No.1602 - 2009/05/25(Mon) 13:00:28
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