すごくヘルシーで美味しそうなお弁当ですね。 私が子供の弁当を時々作るのですが、汚いとかクレームを言われています。
私は母親が幼少の頃、亡くなったのです。それで父が弁当を作ってくれたのですが、それが日の丸弁当の様なそっけないものでした。友人たちの弁当と比較して悲しくなった事を思い出します。
それでいかに綺麗に見える弁当を作るかという事を考えて、赤青黄色と色の構成を考えて取敢えず作ったのですが子供には不評でした。 ubik0101 さんのお弁当を見て理解しましたが、おそらく私が作った弁当はやっつけ仕事的で注意力が不足しているのだなと感じました。
おそらくubik0101 さんは几帳面で整理整頓がきっちりできるタイプなんではないでしょうか。 本当においしそうなお弁当ですね。料理に注意力が行き届いている、そんな感じです。
こんな話を聞いたことがあります。料理人が注意深く何時間も料理を世話している(例えばカレーを煮込んでいる時など)味が変わるのだそうです。料理は手間、注意深さ、気の集め方も味わいを構成するのでしょうね。
そう云えば子供は親の注意が行き届いてないとよく怪我をするそうです。
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No.1603 - 2009/05/25(Mon) 19:12:58
| ☆ Re: / ubik0101 | | | たしかに。ある板前の、魚などを捌く包丁などの技術、煮る炊く焼く技術は、驚嘆すべきものでした。でも、あんまり美味しくはありませんでした。その人は、「料理は技術ではない。そんなものは、どうでもいい。人のためにつくるという熱意だ」。とかは言っていたのですが。
そんな自分の姿勢には執着していたので、結局は、人に自分を主張する、自分の有用性を披露する、ことが大切になっていたのかもしれません。そうでなく。たとえば自分の技術、自分の姿勢に、執着しないことに、執着しないで、熱意で料理することは、その人の日常の有り様に関わると思います。
そういえば、ネットを探ってて、「妄想を除かず、真を求めず」という言葉を見つけました。道元の言葉らしいです。どんな文脈で言われたか知りませんが、これは、たとえば。ありのまま。とも読めるかもしれません。
けど。妄想を除いて除きつくした、真を求めて求めつくした。ならば、その人の日常は 「妄想を除かず、真を求めず」。それで、ありのまま。ということだと思います。
これは、ありのまま、という言葉は同じですが、たとえば自我と、自己。執着と、解放。そういう区別も、あってもなくても後者には問題ではないのですが・・・たとえば怒っても悲しんでも怒らなくても悲しまなくても問題ないのです。
が・・・こういうことは明確に表現されてる、けれど、そのようでない人は理解してるつもりで、たとえば自己弁護があるとか、自分の有り様を投影して、誤解するしかありません。ゆえに秘密。かもしれないと思いました。
また。執着しないことに執着しない。それは意識の範疇にはないのですが、成長の証である、素直さ、真摯で正確なことなど、良い特質が活動してるのだと思います。
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No.1606 - 2009/05/26(Tue) 11:04:47 |
| ☆ Re: / hato | | | お弁当のことをすこし書きます。
> 本当においしそうなお弁当ですね。料理に注意力が行き届いている、そんな感じです。
とても優しい、味です。ゆで野菜の人参がとても好きです。お魚は必ず、入っていますね、プリプリエビと山椒の葉が、ubik0101風です。 にこにこ、しながら食べてます。 二時間かけて、作成されております。
> そう云えば子供は親の注意が行き届いてないとよく怪我をするそうです。
昔から、いるだけで、自分の周りが穏やかで、なにかすべてが行き届くような。そんな人にと、調子のよいことを考えていました。いるだけで、て無努力な感じです。実際それが成されたら、完全な努力ゆえに完全に無努力、でしょうか。
注意力、でふと思い出しました。
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No.1608 - 2009/05/26(Tue) 21:27:28 |
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