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(No Subject) / hato

>無になる。というのは、空になるのではあるけれど
>分離とは、違うようです。。
>自分を無にしないと未知が入ってこない。のようなもの。



そうですね、
自分にとっては、

空,という表現は、それまで捉われていた、自我の働きからの開放の状態を、指すことができます。
ひとまず、そのように捉えることができます。ここで、空,は文字通り,空、としておきましょう。仮の自己からの開放とは、その自我の密度が全面的か否かによって、様々な経緯があると言えるようです。

一方で、その 空 の深度が深まることによって、無 へと移降していくと言うことができます。
peerさんが言われた、完全に自分を無にする、の部分に相当します。
ある,ない,の,ない,とは別様の状態に入っていく、ということです。
空の閾値が高まったとき、即ち、無は、表現不可能不可知、かも。知れません。そうとは限りません、が、そのようです。ここに向かうことを、自己に入る、と表現します。
無、そして不可知、の深度は、自他、生と世界への理解に深浅、成熟度として表現されています。

ここを徹底させる為に、日常においてそれは何かと問う、或いは、禅などを通して、探求が行われると言うことができます。

形あるものとないものは,ある意味同時ながら、常に、了解 が優先されています。
人は、この身体を離れていきます。
この世界に於いて、自身を学ぶことができることは幸いです。

世界、生、この日常全体をして、了解、と表現します。
その自体を実在、とは表現しにくいのです。それでは重いのです。
自分にとってその了解は、非意味であり、この世界でそれを生きて、理解することができます。

そのように、感じています。


>常に融合し続けること。かなと。
>そう。し続けること。


分離,融合は、人が世界にあるときの状態を表現した、と言うことができるでしょう。
仕組みと、その有り様を表現しています。
何かを知覚、意識して、たとえばそこから検討に入る、というのは、双方の状態を使っています。
分離とは、働きの方向性を指す方便でもあります。

それ、は、常に全面的な稼動であり、故に全面的な停止、とも言えます。
常にまったきそれ、であるなら、
どの働きをとっても、それはそれとして、働いているでしょう。

そして尚,peerさんが融合とみること、それはpeerさん自身と言えるのではないでしょうか。
それがこの世界で可能なことと、思います。


>未知と・・・争いになりますね。

未知と争うことは、できません。
了解された地点を、平和、とも言い換えることができます。


>まぁ。そうですねぇ。
>五月・六月と、遠方より友来るで、なかなか忙しく。
>なんのかんのと言っているうちに・・・涼しい風が
>吹く季節に〜なんてことになったりしてね。



それもまた、いいですね〜、

いつでーも。
いつかpeerさんの、よいときに。

No.1574 - 2009/05/22(Fri) 22:52:01

Re: / peer
無 も 空 も
もっと単純に考えています。わたしは。

「無」は、無条件の「無」
「空」は、空間の「空」

無条件でないものは・・・会員制のようなもので
非常に窮屈なものです。
空間があるから、存在できますね。
器がカラッポだから、ものが入るワケで。
わたしらは、ただの器で空間があり、
無条件に受け入れます。出すのも自由。

なんか。そんな感じですねぇ。
ただ、そこに帰ればいいんだな〜って。

No.1575 - 2009/05/23(Sat) 09:51:21

Re: / hato
> 無 も 空 も
> もっと単純に考えています。わたしは。
> 「無」は、無条件の「無」
> 「空」は、空間の「空」



単純と、複雑。
単純は複雑であり、複雑は単純です。
どちらにも、双方が含まれている(変な言い方です)と思います。


> 無条件でないものは・・・会員制のようなもので
> 非常に窮屈なものです。
> 空間があるから、存在できますね。
> 器がカラッポだから、ものが入るワケで。
> わたしらは、ただの器で空間があり、
> 無条件に受け入れます。出すのも自由。
> なんか。そんな感じですねぇ。
> ただ、そこに帰ればいいんだな〜って。



そうだとして、

日々、この日常はただ、そこに帰ればいいんだな〜って、
感じでは、ないでしょう。
そうではありませんか?

わたし達はどういうわけか、成長するようにできている、
そうでは、ありませんか?

ただそれだけのことかな、と思います。

今日は、海に行ってきます。

No.1576 - 2009/05/23(Sat) 10:48:59

Re: / peer
ひゃーひゃー・・・
書いて投稿して、見直して。
非常に〜チンプなことを書いているなぁ。
と、、、感じておりました。

複雑をたどっていくと、突然、全部を投げ捨てたくなります。
投げ捨てて投げ捨てて〜残ったものが、あるようなないような。
それが「単純」。なのかな〜と。

複雑というのは、思考にドップリの状態なんです。
めったに使わない脳みそがフル稼働したあげく
オーバーヒートして、沈黙が訪れる。

・・・成長できるんでしょうか。
わたしは、どんどんオバカになっていく。ような気がしてます。

No.1580 - 2009/05/24(Sun) 00:51:32

Re: / hato

> ひゃーひゃー・・・
> 書いて投稿して、見直して。
> 非常に〜チンプなことを書いているなぁ。
> と、、、感じておりました。


ううん、ちっとも。
peerさんは、取り立てて違うことを言ってるわけではないと思います。
そして、とても優しい人なんです。
人を見て、ただ抱きしめてあげたい、て思う、慈愛の人なんです。陳腐でもないし、おかしく、ありません。


> 複雑をたどっていくと、突然、全部を投げ捨てたくなります。
> 投げ捨てて投げ捨てて〜残ったものが、あるようなないような。
> それが「単純」。なのかな〜と。
> 複雑というのは、思考にドップリの状態なんです。



そうですね、お話されていること、とてもよくわかります。

そしてその上で、たとえば、理解、ということ。
それは、思考にドップリ、ではないんです。
人が理解するのを拒むとしたら、そこにいたい、からでしょうね。それでも、とくによいのですけど。

了解されたこと、が思考回路を通じて、ある意味秩序立って出てくることは、とても大事なことです。
表現は、必要なときに必要な表現としてそのまま、出てくることができます。たとえば日常でそうしたこと、とくに考えてはいません。ただそれが、それの表現の一表現として、必要なら出てくる、だけなんです。

了解していることを思考回路を通して表現する、秩序立てて表現する、ということは、とても役に立ちます。(変な言い方です)ある意味、身体的にそれを学ばせる、ということは、思考回路を整備することによって、秩序となるからとも言うことができます。
ここでそれを使うことは、固める、凝り固まる、思考に偏る、てことではまったく、ないのです。
こうした状態に入ると、皆、どちらかというと散文的になります。それもいいと思います。

けど、その隙間はなんでもよい、なら、どうにでもなる、なってしまえます。実際、どうでも、いい、との感じだからです。
未知なき道は、自分自身で造っていく、ことでもあるでしょう、故に、そこを正確に言おうとする、言い得ること、曖昧にしないことは、勇気、でもあります。

すこし飛びますが、

たとえば誰かが、答えを言ってしまうのはつまらない、と言っていました。公案とか?でしょうか。人の為にならない場合がある、からだそうです。そーれこそ、チンプ、て思うのです。それを言わせるほど、自分が人に頼ってる、まずその、自分、です。その人はまず、人に聞く癖をとる必要があるかも知れません。或いは、人の答えを聞いてだめになるなら、そんくらいのもんじゃ、て感じです。そんなの無関係。学ぼう、て思うなら、どこからでも学びますね。
そこで人のせいにしては、そこで終わってしまいます、と思います。


> めったに使わない脳みそがフル稼働したあげく
> オーバーヒートして、沈黙が訪れる。
> ・・・成長できるんでしょうか。



もちろんです。こちらこそ。
条件がある、ない、を越えた、無。それは未知、なんです。


> わたしは、どんどんオバカになっていく。ような気がしてます。


こちらも、ずーと、そうなんです。どうしましょう。

ダーリンと、日常で、野菜とか、今日の献立、とか、ノンノンの話し、とかしか、とくにしてませーん。
そいえば先日、一読者さんがメールで、石はないのさ〜、とお話でしたが、

この日常は、そんな、感じです。

No.1582 - 2009/05/24(Sun) 11:39:06

Re: / peer
>たとえば誰かが、答えを言ってしまうのはつまらない、
>と言っていました。公案とか?でしょうか。
>人の為にならない場合がある、からだそうです。


やはり答えは応えじゃないかな、と思います。
なにかを尋ねて、なにも返ってこないのは〜
どんなものでしょう。

相手は答えを求めているワケじゃない。
・・・なんか、そんな感じがするんです。
だからって、こうだと言えないけれど。

>そーれこそ、チンプ、て思うのです。それを言わせるほど、
>自分が人に頼ってる、まずその、自分、です。その人はまず、
>人に聞く癖をとる必要があるかも知れません。


うん。

>> わたしは、どんどんオバカになっていく。ような気がしてます。

> こちらも、ずーと、そうなんです。どうしましょう。

あ。。。。やっぱり、、、ね。

No.1590 - 2009/05/25(Mon) 01:26:05
(No Subject) / 雄大
私の分けの解らない落書きのような文章に、何時もubik0101さんから丁寧にコメントを頂き感謝します。

ある人にとってはubik0101 さんの文章も私のと同様?に、慣れるまで解するのに骨が折れる文章なのかもしれませんね(笑)。

私は理解より匂いある文章のほうが好みです。

自利利他
自利 空性
利他 菩提心

菩提心?
自利利他?

本の説明は何かこじ付け的なのが多くて、よく分らないです。

No.1577 - 2009/05/23(Sat) 11:09:43

Re: / ubik0101
まあ書は、ほとんど読まないのですけど、昨日、仏陀は縁起を、どう説明したかな?と思って、阿含教典第一巻〈筑摩書房・増谷文雄訳〉を見てみました。ぱっと開いたところに・・・


受(感覚)と、それを感ずるものとは同じであるというのは、ティンパルカよ、いまそなたが〈苦楽は自作である〉と言ったことと同じであるが、わたしは、そんなことは言わない。

また、受(感覚)と、それを感じるものとは別のものであると言うのは、ティンパルカよ、いまそなたが〈苦は他作である〉と言ったことと同じであるが、わたしは、そんなことは言わない。

ティンパルカよ、わたしは、それらの2つの極端を離れて、中道によって法を説くのである。いわく、無明によって行がある。行によって識がある。・・・かくのごときが、すべての苦の集積の、よりて起きることである。

また、無明を余すことなく滅することによって行は滅する。行の滅することによって識は滅する。・・・かくのごときが、すべての苦の集積の滅するところである、と。


まあ、人の総活動状態の説明かもしれませんが・・・たとえば。見るものは、見られるもの、などと馬鹿なことを言わず・・・それ自体が、はじまりも、中間も、終わりもよく、説かれてると思いました。

これから今日は海に行きます。

No.1579 - 2009/05/23(Sat) 11:48:19

Re: / ubik0101
> 自利利他
> 自利 空性
> 利他 菩提心


> 菩提心?
> 自利利他?



うーん。お経とか、解説とかで、そういうことを読んだことはないのですけど。 また、自分のことしか解らないのですが、無謀にも、その言葉の印象だけで、話してみます。

たぶん、この空性とは、たとえば二束の葦束が互いに支えあって立つように・・・無自性・・・とかいう知的な理解のことではなく・・・縁起を見る・・・見なくてもいいのですが・・・ほどの人の総活動、歓喜状態のことかもしれません。

その人が総活動状態ならば、あれとか、これとか、世界から、また自分から分離、分裂された個別のことを対象にする仮の中心、いわゆる自我は、ある、ことができません。であれば自我の仕組みを見て、その、ない、ことを知ります。

でも。たとえば、自我に限りませんが、なにかが、ない、ということは。世界の総てを見て、はじめて言えることではないでしょうか。そうであるほどの、総活動状態。なにか個別のことだけが活動してるわけではない、それゆえ静寂。それを空性、と呼んでるのかもしれません。これが自我の目的と思います。

そうならば、ほかの人にも、そうあって欲しい、ほかの人のために働きたい気持ちが、どうしようもなく湧き上がります。それを菩提心、と呼んでるのかもしれません。それで、空性を、個人のこと、自利と見なすならば。菩提心は利他、と見なせる。ということなのかもしれません。

No.1581 - 2009/05/24(Sun) 09:03:09
(No Subject) / 雄大
枯れススキがあります。
ある人がそれを見て幽霊だと思い込んでいます。

その人にとってその時まだ幽霊は実在しています。
誰かがそれは幽霊なんかじゃない、ただのススキなんだと教えてくれます。

恐る恐るもう一回見てただのススキなのだと了解します。
ススキは以前からススキとしてあります、幽霊は存在しないそのことに気がつきます。

抵抗せず自然な状態で動機がなければ、目的がなければ、思考、感情、知覚等々を移動していくにせよ、因果の慣性運動が継続していくにせよ、ないものをあると錯覚しているのなら軸は折れない。同じくらい錯覚の中心は、信仰するものの中ではやはり現実としてある。

それ自体として存在しない世界では錯覚した中心があるだろうか。

それ自体として存在する世界の集まりは誰が作っているのだろうか。

No.1570 - 2009/05/21(Thu) 23:25:38

Re: / ubik0101
たとえば枯れススキを見る、ざわめく風を聞く、思考する・・・つまり知覚・・・それは、その対象を認めて、ある、とします。そのことによって、知覚は、自身を、ある、と見なします。

このことは・・・ある、でも、ない、でも、どちらでもある、どちらでもない、どう言っても誤りの世界の範疇で機能しています。知覚。それだけで、ある、に偏っています。

ところで。対象と、知覚と、意識の、その系は、接触、なくして機能しません。知覚が、ある、と言います。それを受けて、特質として愚かな意識は、そうか、ある、のか。と受容します。

この、接触、これは特質として欲であり、人の、欲望として働く芽を孕んでいます。そんな、ある、でも、ない、でも・・・どう言っても誤りの世界で運動をする、その中心は、ない、です。それが、ある、振りをしてるだけです。自我。それが迷いと言えば迷いと呼ばれます。

そして、それが対象にする、分離された、個別なことは、それ自身に原因を持ちません。なぜなら個別のことには因果関係があるから、です。と。そうでなく世界の範疇にない実在は、それ自身が原因です、と。一応は説明されます。

けれど、そうでしょうか。それ自身に原因を持つ実在と、持たない世界の区別を失いました。それを日常と呼んでいます。それは神秘、不思議です。それを、なにをしても、しなくても、あらゆる自分が、つくり変え続けています。

No.1572 - 2009/05/22(Fri) 11:54:50

Re: / peer
>枯れススキがあります。
>ある人がそれを見て幽霊だと思い込んでいます。


その人の中に、枯れススキを幽霊と見たいモノがある。
のでしょうから、その幽霊と見たいものを、一緒に
見てあげればいい、と思うけどね〜。

そうしないと、その人は、いつまでも、
何かを見るたびに「幽霊だ」と勘違いし続ける。
ような気がします。

No.1573 - 2009/05/22(Fri) 11:55:23
(No Subject) / peer
>理解できない状態に、人は執着させられる、といえます。
>それは苦しいにも関わらず、そうせざるを、得ないのかも知れません。


生きることは、すべてが苦でしょうから。
とりたてて、苦と感じない場合もありましょうか。
しかも、苦が「生きている実感」になっている場合も。
苦を乗り越えることが快楽となり。
快楽欲しさに、苦を作る〜
そんなこんなの世の中のような〜

No.1554 - 2009/05/18(Mon) 12:59:36

Re: / hato

> 生きることは、すべてが苦でしょうから。
> とりたてて、苦と感じない場合もありましょうか。
> しかも、苦が「生きている実感」になっている場合も。


どうでしょう。

必要なのは、何が何でも、自己を知る、自己に入る、という意気込みと、ある種の非常な敏感さ、かも知れません。
それがなければ、難しいでしょう。
いたずらに、すべてが苦、でしょう。

> 苦を乗り越えることが快楽となり。
> 快楽欲しさに、苦を作る〜
> そんなこんなの世の中のような〜


自分としては、もうそれはただ運動性として、との感じです。
どちらかといえば、
苦、とか、快楽、として、見ることは億劫です。

そんな、感じです。

No.1555 - 2009/05/18(Mon) 21:36:59

Re: / peer
>何が何でも、自己を知る、自己に入る、という意気込みと、
>ある種の非常な敏感さ、かも知れません


この自分以外に自分があると、ふつうは思わないでしょうから。
自己を知ると言っても、せいぜいが、このある自分を成熟させていく
程度のことかなと思います。
あれとこれの境目は、いったいなになのか。

>自分としては、もうそれはただ運動性として、との感じです。
>どちらかといえば、
>苦、とか、快楽、として、見ることは億劫です。


そいうのは、わかるんですけどね〜

No.1556 - 2009/05/19(Tue) 00:34:37

Re: / hato

こんばんは。
実家で、ご飯を食べてきました。


> あれとこれの境目は、いったいなになのか。


普通か、そうでないか、ではないでしょうか?

普通、とはどういうことでしょう。

それは単に、並である、とか、平凡である、ことではないと思います。普遍が通じる、ことですよ。
それを平凡、と言ってもよいのですが、普遍が通じるには、ただおしなべて並んでいても無理なのです。

> >どちらかといえば、
> >苦、とか、快楽、として、見ることは億劫です。
>
> そいうのは、わかるんですけどね〜


なら、率直にそれを語るとよいのでしょう。
自分の状態に即した言葉が、とても大切ですね。

そうでは、ありませんか?

No.1558 - 2009/05/19(Tue) 23:52:03

Re: / peer
>なら、率直にそれを語るとよいのでしょう。
>自分の状態に即した言葉が、とても大切ですね。


>そうでは、ありませんか?

とりあえずチャレンジしてみたのですが。
hatoさんの書いているものが、私にはわかりにくいので
自分の言葉に置き換えて、感じ取ろうとしていたワケです。
これはどうだろう。あれはどうなんだろうと。
である意味。まぁ〜こうして見ると、やはり・・・
お互いの状況が違いすぎて、会話にならない〜
のかも知れませんね。

No.1559 - 2009/05/20(Wed) 00:10:24

Re: / hato

それでは、また。

No.1560 - 2009/05/20(Wed) 00:20:07

Re: / peer
はい。

未知のものに関わるというのは、完全に自分を無
にしなければならない、と学びました。
どうも〜です。

No.1566 - 2009/05/20(Wed) 23:52:42

Re: / hato

> 未知のものに関わるというのは、完全に自分を無
> にしなければならない、と学びました。
> どうも〜です。


意識する、こと自体を、苦、というとしても、
世界にあるなら、意識せざるを得ない、ことを使うことができるのでしょうね。

空になる、0になる、そして分離する、こと自体は、
この日常、誰にも起きていることと言えます。
人は皆、分離の合間にそれを経験しているでしょう。

その空、を徹底するために、禅や、修行をしたりしますね。

こちらこそ、いつも、ありがとうございます。

そのうち、peerさんのよいときに、
よい風に吹かれながら、
美味しい、お茶でも飲みましょう。
ubik0101さんと楽しみに、しています。

No.1569 - 2009/05/21(Thu) 23:01:24

Re: / peer
無になる。というのは、空になるのではあるけれど
分離とは、違うようです。。
常に融合し続けること。かなと。
そう。し続けること。
自分を無にしないと未知が入ってこない。のようなもの。
未知と・・・争いになりますね。

まぁ。そうですねぇ。
五月・六月と、遠方より友来るで、なかなか忙しく。
なんのかんのと言っているうちに・・・涼しい風が
吹く季節に〜なんてことになったりしてね。

No.1571 - 2009/05/21(Thu) 23:59:37
(No Subject) / 雄大
意識を外側にばかり向けていた習慣を、内側に気づくという意識的努力を少しばかり試みる。

以前より思考、感情に意識的になる、内側を見る、意識する、気付くといった行為によって内側に目が慣れて、今まで感覚器官が捉える世界に差異が生ずるだろう。

しかしそれは今まで内側に無意識にいたことに依存するものだ。感覚器官が捉える知覚の順番待ちの気づきなど取るに足らないことだ。それは通過点にしかすぎないだろう。

知覚であれ、無思考であれそれを何と呼ぼうと切り取られた断片は既知のモノ化されたものに過ぎぬ。モノ化されているところには体験者が存在する。
知覚、無思考、そんなものはあてにならないから執着しないことだ。

無思考、知覚、空そんなものは再体験するものではない。
体験者は存在しないし、それは体験者に依存しない。
あったりなかったりするものは怪しげなものだ。
確認する者がいたりいなかったりする位に。

知覚が起こるのを待つため、気づきを手段化をする者の精神は摩耗し続けるだろう。知覚が思わぬ足枷となっているから。

No.1565 - 2009/05/20(Wed) 22:27:06

Re: / ubik0101
ある人をリーダーとして、みんなで農業をしながら生活して、心を磨いてる。という人と話したことがあります。それで、心、って何ですか?と質問してみました。返事はありません。まあ。なんだか解らないことを、磨くのも、いいのかもしれません。

それで。ふつうの社会で、就職したり、解雇されたり、失恋したりすること、ほかに、どんな修行が必要なのでしょう?と聞いてみました。これも返事はありません。 もし人が学ぶつもりがあるなら、この、なにもないようにも思われる日常を掘り下げるだけで、欠けることはありません。

とある男が、奴隷として売られました。大きな船を櫓で、夜も、昼も、奴隷仲間と一緒に、荒れ狂う大海を漕ぎ進めます。「海が俺に力をくれた」。そんな小説がありました。 海はなにも与えはしないし、変化もしません。それが、男にとっては、自分を鍛える触媒として機能したのではないでしょうか。

ただ。求めればいいのです。自己を、求めればいいのです。その衝動があり、分離があるなら、小間切れに分離すればいいのです。そうして学んだことは意識から失われても、なくなることは、なにもありません。その衝動があるなら、求めないということさえ、総てを教えてくれるのです。

これは、何?この世界は、何?そう問うことも、問わないことも、無関係なことも役に立ちます・・・それほどに世界は、人のために機能しています。そして。いわゆる葛藤、仮の中心、自我・・・それを既知のことと命名するにしても・・・既知のことなど、なにもありません・・・雄大さんの投稿を見て、さまざま思ってしまいます。

ところで。たしかに。体験者が存在する/存在しないといっても、それは知覚依存症だという、こともあります。そこのところを、自己は、無自覚、とか、了解、と言ったりしています。

No.1568 - 2009/05/21(Thu) 14:43:56
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