答えを求めているのではなく、考えるために質問する、ということはあるでしょう。
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No.1583 - 2009/05/24(Sun) 18:31:05
| ☆ Re: 人に聞くということ / hato | | | 自分にとっては、多くの方々に学ばせて頂いていますが、 自分が考える為に人に依存、人を使う必要はとくにありません。 ただ、ルーさんが問いかけを人と分かち合う方法としていて、相手の状況が許すのなら、問題ないのでしょう。
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No.1586 - 2009/05/25(Mon) 00:44:27 |
| ☆ Re: 人に聞くということ / ルー | | | > > 自分にとっては、多くの方々に学ばせて頂いていますが、 > 自分が考える為に人に依存、人を使う必要はとくにありません。
hatoさんが多くの人から学んでいるのは、例えば、そのことについてもっと知ろうと思ったりはしない、ということですか。人を知る場合、その人に聞くことは依存ですか? ほら、私はこうやって質問します。 それは、依存なのですか? 「人を知るために人に聞くことを依存と呼ぶ人がここにいる。しかし、私は、それを依存とは呼ばない。」というふうに自分で考えればよいということでしょうか。
> ただ、ルーさんが問いかけを人と分かち合う方法としていて、相手の状況が許すのなら、問題ないのでしょう。
相手の状況が許さないというのは、どういう場合ですか?
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No.1587 - 2009/05/25(Mon) 01:04:30 |
| ☆ Re: 人に聞くということ / ルー | | | 私は、その人を知ろうとしているのであって、自分を知ろうとしているのではないので、人に聞く必要があるわけです。
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No.1588 - 2009/05/25(Mon) 01:05:45 |
| ☆ Re: 人に聞くということ / ルー | | | それで、「自分を知ること」、ただそのことに尽きると思います。という人がいます。 面白いですね。 オウムのように、それを繰り返す。 多くの人から学んでいるなんて、嘘じゃないかと思います。
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No.1589 - 2009/05/25(Mon) 01:12:16 |
| ☆ Re: 人に聞くということ / hato | | | そうして苦しいときに、外に出ていって人のことを詮索していても、なにも解決しないのではありませんか? してこなかったのでは、ありませんか?
自己を知ること、 ああ、表現はともかく、それを知らないならただ苦しいだけでしょう。
人を知る、といって根掘り葉掘り聞き出して、 その人を知ることが、できたのでしょうか? 何年もそうして、こうした場所で相手にも自分にも対峙せず、常にメールを見張っていて、なにか言い合うことが人を知ることだとも、思いません。
多くの人と接しても、そこで学ぶのは自己、自分です。 そうでなければ嘘でしょう。
自分が考える為に人に問う、と言いましたね。それが最初の問いです。それで充分です。 そういうことをしている、あなた自身に対峙してはどうでしょう。
自分中心で世界と人に関わるなら、世界は正確に、 それがどういうことかを学ばせてくれるでしょう。 自分の人生に現れてくるでしょう。
少なくとも、 ささやかながら、様々なことがあっても自分には平和があり、この人生を愛しいと思います。
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No.1591 - 2009/05/25(Mon) 08:26:09 |
| ☆ Re: 人に聞くということ / ルー | | | 中島義道著の「人生に生きる価値はない」という本の中に、池田晶子追悼の文章が載っており、大変面白く読みました。
「自分が考える為に人に問う、と言いましたね。それが最初の問いです。それで充分です。」というのは、池田晶子氏のあり方とよく似ています。 中島義道氏は、「私見では、哲学には問題のありかを突き止めるセンスと厳密な言語によって世界を読み解いていく能力が必要であるように思う。池田さんは、前者は溢れるほど具えていたが、後者は欠けていた。だから、私見では哲学者でも哲学研究家でもないのだが、そんなことは彼女にとってどうでもいいことであろう。」
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No.1592 - 2009/05/25(Mon) 10:00:37 |
| ☆ Re: 人に聞くということ / ルー | | | と書いています。 なるほどなぁ、という感じです。
他の人の口から出る言葉は、その人の世界のありようを表しています。ですので、それを正しく知るためには、その人に聞くしかありません。自分で、その人のあり方を考えるのでは、どこまでいっても推測でしかなく、それは、自分の世界の投影です。それでも、その投影から自分を学ぶということはできるかも知れません。 しかし、それでは、相手を正しく知ることはできません。 どこまでいっても、自分しか見ていないのです。 おっしゃるとおり、自分中心です。 自分から見える景色だけで充分なら、それでいいでしょう。 しかし、それは、人にまで薦めることのできるあり方なのでしょうか。
他の人のありようを正しく知る過程で、自分との差がわかり、自分が見えるという意味で、自分を知ることはできます。 しかし、他の人のありようを知るというのが、自分を知るための動機や目的であるのは、ちょっと違う気がします。 また、自分をないものとして、自分をほったらかしにして、他の人のために生きるというのも、違う気がします。
ただ、関わっていく上で、他の人に対する興味が生まれ、質問し(自分で考えねば、質問さえ生まれません)、応えるのは相手の人であり、相手の人のあり方が伝えられるのですが、自然と自分との違いを感じ、自分も見えてくる、というのが、私のしていることです。
そのことについて、文句を言いたい人には言わせておけ、という感じです。 他の人のあり方に、文句を言えるほどの人物なのでしょう。 いや、そこは成熟しているので、文句という形ではなく、やんわりと相手を受け入れてから説教をするというやり口なのでしょう。
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No.1595 - 2009/05/25(Mon) 10:17:57 |
| ☆ Re: 人に聞くということ / hato | | | どうでしょう。
文句を言ってるのは、常にルーさんのようです。 掲示板上だけでは、人にはわからないでしょう。
まあ、 ルーさんやルーさんの周囲がそれでよいのなら、問題ないのでは、と言ったようですが?
自分にとって、人との関係性については、関わり合う同士、互いによく錬磨されていると思います。 この社会生活において、人に尋ねたいことがあれば尋ねるわけで、ごく普通に生活のなかで起きています。 関係性が浅い、ともとくに思いません。それで充分です。
自分を見たって、なにもない、 そりゃ、そうでしょう。 でも、苦しそうな人がいたりします。
何を言ってみたって、そこに平和がないなら。 どんな経験があろうが、無我だろうが何だろうがどうなの?というのは表明です。
人に勧めるとか無関係です。 する人はするし、しない人はしない、それだけです。
とくによいのですが。 それぞれの人生、ということでしょう。
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No.1604 - 2009/05/25(Mon) 23:30:36 |
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