最近、ルーさんとかうびさん、hatoさんのやりとりをみていてやっと自我が理解できて来ました。今までの自分はずかしーって感じです。
自我は、ない、というのでなにか、引っかかっていたみたいです。 私は今まで欲は悪いものだと言う思いがあったので、自我が出るとすぐそれは悪い事だと否定して抑圧していたのです。 なのでありのままの自分に気づけず、自分の思い通りに、理想の自分になりたい自分でありのままの自分を否定していたのだと思いました、自我で自我を抑えつけていた状態と言う感じです。 私は自我は固定観念、価値観などから出来た架空のものだと思っているのですが、架空のものだ、ない、とするとそれを否定してどっかに押し込めてしまう癖があるので、認めようと思いました。
一旦、自我を認めて、ある、として、子供のように扱い、そこにある満たされない思いなどを探って、解体すると言うか、うびさんたちは、理解して失う、と言ってますか? そんな感じです。
最近、焼酎、毎晩飲んでます。 高菜の漬物にしらすの塩茹で混ぜがつまみです。 おいしいですよ。
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No.1507 - 2009/02/28(Sat) 09:21:43
| ☆ Re: 自我を認める / ubik0101 | | | >私は今まで欲は悪いものだと言う思いがあったので、自我が出るとすぐそれは悪い事だと否定して抑圧していたのです。
と、いう運動も残響のような自我の機能だと思います。ばんさんは、それを成り立たせてた「理想の自分になりたい」と、いう、隠れた前提に気がついたのでしょう。それを明確に見たら、その隠れた前提にも、偏りがあった、問題があった。ということが了解されます。
すると、そんな問題だった前提によって成り立ってる、「自我が出るとすぐそれは悪い事だと否定して抑圧していた」運動も正当性を失います。そのような運動をする理由もなくなります。それで、その運動に埋没してしていた、巻き込まれていた、状態から、解放されるのです。
といったことを、理解して欲しいために、たとえば「自我が出るとすぐそれは悪い事だと否定して抑圧していた」運動は機能していたのだと思います。理解がないなら、理解するために、そんな運動に執着させられる、巻き込まさせられる、のだと思います。
そして理解したなら、そういうことを忘れた日常でも。そんな自我の機能に、埋没させられ、振り回されることはありません。そういう自我の機能から、学んだのです。と、いったようなことを、理解して、失う。と言っています。それは無知が・・・意識・無意識に関わらない・・・叡智に転換したのです。
そういえば長崎では、麦焼酎の水割りにダイダイを搾って飲むのが好物でした。でも。このころ、hatoさんの実家に行ったら飲むだけで、この部屋では、ほとんど飲まなくなりました。
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No.1511 - 2009/02/28(Sat) 13:01:37 |
| ☆ Re: 自我を認める / peer | | | 深刻さが極まると、ユーモアになる。 そして、自分を笑える。天真爛漫に。
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No.1513 - 2009/03/08(Sun) 01:04:43 |
| ☆ Re: 自我を認める / ubik0101 | | | うーん。 あんまり深刻になったことがない、のでしょうか。自分との距離があったことがない、のでしょうか。自分を笑ったことがありません。でも。もしかして。人間関係で、ただ相手が我が儘に言動してることを、自分を否定してると受け取って。それが世界いっぱいに充満して、憂鬱になってしまったとして。
でも、それが限界に達すると、つまり憂鬱だけしかなくなると、それを感じてる自分を感じることもできなくなる。また、憂鬱を対象にしてるということは、その自分は、対象である憂鬱ではない。ということも起こるのでしょうか。
さらに憂鬱が限界に達すると、憂鬱でないこと、たとえば平穏とか、相手と自分の優劣のなさとか、が見つかってしまって。とくに相手の意向や思惑を重視することもない、自分の惨めな、憂鬱な気持ちも重視することもない。そうすると深刻だった自分の有り様を振り返って笑い飛ばせる、ということでしょうか。
でも、どうにしても、その結果、自分を笑える。天真爛漫。そんな人は、もともと、そうだった。そのことが顕れたのかもしれない。とも思いました。
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No.1514 - 2009/03/08(Sun) 22:14:46 |
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