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アホについて / ルー
アホのままでええ。
アホのままでええねん。

アホは、周りの人がそれを受け入れる優しさや愛を持っているかどうか、ある意味、試している。






(続きません。)

No.1510 - 2009/02/28(Sat) 10:14:53
言葉 / ルー
言葉は、発した人のものであるのだなぁ、と思いました。
他人が発した言葉の意味を知りたくて対話をするのですが。
そこから何を学ぶのかは、本人に任せられているのだなぁ、と思いました。

No.1482 - 2009/02/25(Wed) 08:22:14

Re: 言葉 / hato

ルーさん、おはようございます。

ほんとうに。そう思います。
昨晩、旦那さんと、自分が話した言葉は自分の言葉だね、という話をしていたところでした。

No.1483 - 2009/02/25(Wed) 08:49:29

Re: 言葉 / ルー
自分が発した言葉は自分のものであり、相手が発した言葉は相手のものなのだとわかり、そのうえで、相手に質問する気になるのか、相手の質問に答える気になるのか、対話をする気になるのかどうか、何かがわかり自分の学びにできるのか、というあたりが気になります。

対話をした後に、「自分が話したことは自分の言葉だね」とわかるのは、結局、相手には伝わらないね、という意味ではないですか?

No.1484 - 2009/02/25(Wed) 09:59:54

Re: 言葉 / hato

> 自分が発した言葉は自分のものであり、相手が発した言葉は相手のものなのだとわかり、そのうえで、相手に質問する気になるのか、相手の質問に答える気になるのか、対話をする気になるのかどうか、何かがわかり自分の学びにできるのか、というあたりが気になります。

思うところでは、基本的には、学びにならないものはないと思います。人が柔軟に学ぶ意欲があるか、に係わるところは大きいのでしょう。一方で、話し合う人同志の意識上の位相の相違、または、歩んできた経緯自体の相性と、成長していくなかで対話をする互いの時期、タイミング、というものによって違和感が起きる場合があると思います。
対話上においては、言葉そのものより、言葉が発露されている他人の状態と、自分の状態との違いを人は感じ取り、互いの状態にどう作用するかという予感が、意識上には違和感という形で現れるのかも知れません。そのときは自然に終了するでしょうし、それでよい気がします。

> 対話をした後に、「自分が話したことは自分の言葉だね」とわかるのは、結局、相手には伝わらないね、という意味ではないですか?

そうですね、自分の表現したいことを正確に人に伝える、ことはなかなか難しいことかも知れません。
昨晩自分が話していた「自分が話した言葉は・・」の意味としては、どちらかといえば、たとえば10人が同じ言葉、表現を使ったとしても、その人の独自性(と敢えて言ってみます)故に、表現されるものはその人の果実、というところが論点だったように思います。

言葉の意味は、与えられながら与えるということが、自分、他人、の関係性の揺らぎにおいて絶妙に作用していて、受け止め方、受け止められ方には、目を見張るような面白さもあると思います。本来的には、言葉のやりとり、その相互作用が人の状態に違いを生み出すことが起きている、ことがポイントなのかな、と思います。

No.1485 - 2009/02/25(Wed) 19:33:25

Re: 言葉 / ルー
> 対話上においては、言葉そのものより、言葉が発露されている他人の状態と、自分の状態との違いを人は感じ取り、互いの状態にどう作用するかという予感が、意識上には違和感という形で現れるのかも知れません。そのときは自然に終了するでしょうし、それでよい気がします。

言葉で説明しようとはしない、わけですね。

> > 対話をした後に、「自分が話したことは自分の言葉だね」とわかるのは、結局、相手には伝わらないね、という意味ではないですか?
>
> そうですね、自分の表現したいことを正確に人に伝える、ことはなかなか難しいことかも知れません。
> 昨晩自分が話していた「自分が話した言葉は・・」の意味としては、どちらかといえば、たとえば10人が同じ言葉、表現を使ったとしても、その人の独自性(と敢えて言ってみます)故に、表現されるものはその人の果実、というところが論点だったように思います。


ですから、説明が必要なのですね。

> 言葉の意味は、与えられながら与えるということが、自分、他人、の関係性の揺らぎにおいて絶妙に作用していて、受け止め方、受け止められ方には、目を見張るような面白さもあると思います。本来的には、言葉のやりとり、その相互作用が人の状態に違いを生み出すことが起きている、ことがポイントなのかな、と思います。

人の状態に違いを生み出すというのは、どういうことなのでしょう。

受け止め方、受け止められ方を面白がるというのは、本来のあり方とは思えません。できれば、正確に伝わってほしいと思います。そのように努力すべきだと思います。

No.1486 - 2009/02/25(Wed) 21:11:11

Re: 言葉 / hato

> 言葉で説明しようとはしない、わけですね。

表明する、ということはとても大切なことです。 言葉は方法です。
そして尚、言葉による説明が必要なとき、そうでないときがあります。

> ですから、説明が必要なのですね。

そうですね、まず何か言葉の発露があって、そこを確認しながら対話は始まるのでしょう。

> 人の状態に違いを生み出すというのは、どういうことなのでしょう。
> 受け止め方、受け止められ方を面白がるというのは、本来のあり方とは思えません。できれば、正確に伝わってほしいと思います。そのように努力すべきだと思います。


面白い、これは今適切でないかもしれません。面白い、という意味を自分流に捉えていたのでしょう。その上で敢えて、そうしたことは滑稽なほど絶妙であることも事実です。

生み出す、というのは、それで伝わらなければ、状態に変化が起きる、でよいと思います。

No.1487 - 2009/02/25(Wed) 22:25:13

Re: 言葉 / ルー
> 生み出す、というのは、それで伝わらなければ、状態に変化が起きる、でよいと思います。

「言葉のやりとり、その相互作用が人の状態に違いを生み出すことが起きている」ということですが、言葉のやりとりによって状態に変化が起きるということが起きているわけですか。もうちょっと具体的に言ってもらいたいです。
あまり抽象的な言葉でやりとりすると、意味の取り違えは起こりやすいです。それは、楽しいことではありません。疲れます。まぁ、特に、突っ込むところではないのでしたら、このままでいいです。

たとえば、AさんとBさんが会話をしており、それをCさんが見ているとして、AさんもBさんもCさんも、その学ぶ内容は、自分のものであるなぁ、というふうに、今、思っています。

No.1488 - 2009/02/25(Wed) 22:40:45

Re: 言葉 / hato

> 「言葉のやりとり、その相互作用が人の状態に違いを生み出すことが起きている」ということですが、言葉のやりとりによって状態に変化が起きるということが起きているわけですか。もうちょっと具体的に言ってもらいたいです。

具体的には自分が正にそうであるわけですから、お考え下さい。
ルーさんも、多くの方々やうちのダーリンと膨大な言葉の交流をしているとして、互いに理解していなかったことが理解された、それは正に状態の変化です。
ただここで、何かが起きることの理由など、実際は知り得ないことも事実、でもあります。

> あまり抽象的な言葉でやりとりすると、意味の取り違えは起こりやすいです。それは、楽しいことではありません。疲れます。まぁ、特に、突っ込むところではないのでしたら、このままでいいです。

はい、ルーさんは面白いです。(といったらまた激怒されそうですが、うちのダーリンも、言ってます。)
なので、面白い、は我が家ではなかなかよい言葉なわけです。

言葉を正確に伝えることについては、努力しましょう。

> たとえば、AさんとBさんが会話をしており、それをCさんが見ているとして、AさんもBさんもCさんも、その学ぶ内容は、自分のものであるなぁ、というふうに、今、思っています。

そうですね。

では
今日は、ありがとう。

No.1489 - 2009/02/25(Wed) 23:36:18

Re: 言葉 / ルー
hatoさんは、叱られるとか激怒されるとかを勝手に感じているみたいですが、それは、私からすると滑稽です。
滑稽は、私の使う意味からすると、あまり良い意味ではありません。
「面白い」は、私が使う意味からしても、良い意味です。
しかし、真剣に会話している時に、意味の取り違えを面白がるのは、一体何をしているのかなと思います。私はそういう人とは、あまり関わりあいたくありません。

No.1490 - 2009/02/26(Thu) 08:05:48

Re: 言葉 / ルー
意味の取り違えや、カン違いや、むしろ正しく意味が通じている時でさえ、その人の有り様がひょっこり顔を出すことがあります。
それは、思わぬ収穫です。
ですが、意味が通じるように説明しようと努力しているものにとっては、意味の取り違えを「面白い」とか「滑稽なほどに」とかいう表現をされると、この人が言う「学び」とか「道」って何だろうかと思います。

たぶん、これも、意味の取り違えの上に成り立っている会話なのでしょう。
私は、そういうものには興味ないです。
「遊び」と思います。

No.1491 - 2009/02/26(Thu) 08:15:33

Re: 言葉 / ルー
> > 「言葉のやりとり、その相互作用が人の状態に違いを生み出すことが起きている」ということですが、言葉のやりとりによって状態に変化が起きるということが起きているわけですか。もうちょっと具体的に言ってもらいたいです。
>
> 具体的には自分が正にそうであるわけですから、お考え下さい。
> ルーさんも、多くの方々やうちのダーリンと膨大な言葉の交流をしているとして、互いに理解していなかったことが理解された、それは正に状態の変化です。


「自我がない」について、これからは、もう詳しく尋ねなくてもよい、というのが私の状態の変化、というようなことを言っているのですか。

> ただここで、何かが起きることの理由など、実際は知り得ないことも事実、でもあります。

言葉のやりとり(交わした情報の内容)以外の何かが影響することもあるだろうということですか。

No.1492 - 2009/02/26(Thu) 09:13:31

Re: 言葉 / ルー
hatoさんとの会話は、かなり疲れます。
何が言いたいのかを、こちらがもの凄く推察せねばならないのです。
相手にそういう努力をさせるのは、幼稚なことではないですか。
それは、しかたのないことですが。

そうではなくて、誰にも伝わらない言葉の世界でひとり遊びしているなら、かなり性格が悪いと思います。

No.1493 - 2009/02/26(Thu) 09:17:51

Re: 言葉 / ルー
掲示板上では、言葉が頼りですから、「言葉そのもの」を大事にしてもらいたいです。
相手の状態なんて、会ったこともない相手のこと、相手の背景も知らないですし、そんな相手の状態を知るわけがありません。
勝手に想像して決め付けてはいけないと思います。

「状態の変化」について、自分で考えてもわからなかったから質問したのです。
何のことを「状態の変化」と言っているのか。
幅が広過ぎて、どういうことが「状態の変化」と呼んでいるのかがわからなかったのです。
ですから、何がどのように変化したことを言っているのかを書いてほしいと書いたのです。
「自分が正にそうである」とは、よく言ったものですね。
自分の世界で起きていることが相手にも起きているとは限りません。ですから、何を指して「状態の変化」と呼んでいるのか、確認せねばならないのです。

話が伝わらない理由を「位相の違い。状態の違い」というふうに先廻りして、伝わらないであろうと判断して説明を怠ってはいけないと思います。

結果として、伝わらなかったなぁ、、、なら、それでしかたないじゃないですか。
「位相の相違、状態の相違」は、あるのが当たり前と思います。その上で話しているのですから。

No.1494 - 2009/02/26(Thu) 17:04:34

Re: 言葉 / hato
> 「言葉のやりとり、その相互作用が人の状態に違いを生み出すことが起きている」ということですが、言葉のやりとりによって状態に変化が起きるということが起きているわけですか。もうちょっと具体的に言ってもらいたいです。
> 「自我がない」について、これからは、もう詳しく尋ねなくてもよい、というのが私の状態の変化、というようなことを言っているのですか。

ルーさんがそのように思うなら、それでよいと思います。
それも変化、といえるのでしょう。

言葉のやり取りによって人の状態の変化がある、ことは、誰だ、彼だ、背景だの違いなく、有り様を言葉で見るならただ、そうです。それは私たちに基本的に用意されている事実です。
自分にとっては、まずポイントを伝えることが重要です。要点には常に多くのことが含まれており、推察が必要であるのはわるいことではありません。

たとえば状態の変化は複雑であり単純です。現象はそうしたものだと思います。ルーさんが言う、幅が広すぎて、どういうことが状態の変化というのかわからない、というのもその通りと思います。状態の変化、というとき、わたしが言いたいのはその内容よりは形式、(という表現はもう少し考えたいところですが、)表現したいことはむしろそちらです。そこから個々の経緯において意味を汲み取られることは、とくに問題がありません。そこでたとえば一例として、誰かと話し合って、なにかを理解していない状態から、理解した状態に変化した、という変化、も含まれており、それで了解できるならよいということです。

> ただここで、何かが起きることの理由など、実際は知り得ないことも事実、でもあります。
> 言葉のやりとり(交わした情報の内容)以外の何かが影響することもあるだろうということですか。

そうとも言えるかも知れません。
そして、この日常のすべてがその様です。なぜこうなのかを知らない、ということは常にそうだからです。

> 話が伝わらない理由を「位相の違い。状態の違い」という> ふうに先廻りして、伝わらないであろうと判断して説明を> 怠ってはいけないと思います。

自分が先回りする、ということはありません。それはルーさんがその前に言ったことに宛てて書いたものです。それで、ルーさんは学ぼうとすることを選ぶなら、それでよいのではないですか?


遊び。名付けるなら、その人にとってそうでしょう。
一字一句は大事です。そうであるべきというよりは、ただそうです。

正にそこ、という状態にいることを言葉で表現するとき、自分の場合、書こうと試みるなら文章は単純化します。
たとえば日常の記述。詩。それは試みでもあります。
一方で、見たこと、その事態をすべて言葉にしていくこともときには必要です。それは自分にとって大切な学びです。
また、対話においては相手によります。時と場合によります。

説明が必要なときは、ただそうするでしょう。

No.1495 - 2009/02/26(Thu) 23:56:26

Re: 言葉 / ルー
> たとえば状態の変化は複雑であり単純です。現象はそうしたものだと思います。ルーさんが言う、幅が広すぎて、どういうことが状態の変化というのかわからない、というのもその通りと思います。状態の変化、というとき、わたしが言いたいのはその内容よりは形式、(という表現はもう少し考えたいところですが、)表現したいことはむしろそちらです。そこから個々の経緯において意味を汲み取られることは、とくに問題がありません。そこでたとえば一例として、誰かと話し合って、なにかを理解していない状態から、理解した状態に変化した、という変化、も含まれており、それで了解できるならよいということです。

元に戻ると、「言葉は、それを発した人のものである」わけで、お互いに意味の取り方が違っているとしても、言葉のやりとりによって「状態の変化が起きる」ということが言いたいことですか。

> > ただここで、何かが起きることの理由など、実際は知り得ないことも事実、でもあります。
> > 言葉のやりとり(交わした情報の内容)以外の何かが影響することもあるだろうということですか。
>
> そうとも言えるかも知れません。
> そして、この日常のすべてがその様です。なぜこうなのかを知らない、ということは常にそうだからです。


「知らない」ということですね。

> > 話が伝わらない理由を「位相の違い。状態の違い」という> ふうに先廻りして、伝わらないであろうと判断して説明を> 怠ってはいけないと思います。
>
> 自分が先回りする、ということはありません。それはルーさんがその前に言ったことに宛てて書いたものです。それで、ルーさんは学ぼうとすることを選ぶなら、それでよいのではないですか?


「伝わらなかった」ということの理由として、位相の違いや状態の違いがあるのではないか、でも実は「知らない」ということでいいですか。

>説明が必要なときは、ただそうするでしょう。

どういう意味ですか?

No.1496 - 2009/02/27(Fri) 10:48:49

Re: 言葉 / ルー
状態の変化が起きるか起きないかの大切なところだからこそ、真剣に対話しているのです。
No.1497 - 2009/02/27(Fri) 11:00:52

Re: 言葉 / ルー
「言葉で説明するのが必要な時と、そうでない時がある」
「対話においては、相手による。時と場合による」
「説明が必要なときは、ただそうするでしょう」
というわけで、
説明するかどうかは、自分で判断する、ということですね。

自分の学びになるかどうかで決めているということですか。
あるいは、相手の学びになるか?
いや、言葉で説明することによって、その後の事態がよくならないと予想されるとか、前に書いてありましたね。

それらは、全部、自分の判断によるものですね。
そして、「それでいい」のですね。

では、大体わかりましたので、これで失礼します。

No.1498 - 2009/02/27(Fri) 11:19:23
やっと / ルー
うびさんが言っていた、思考したりしている「主体はない」と言っていたことを理解するところまできました。
No.1464 - 2009/02/23(Mon) 12:32:24

Re: やっと / ubik0101

そうならば。これまでも、おそらく、ルーさんの深いところ(変な言い方)では、そうだったのでしょうが、「やっと」それを自分の意識に教えることができたのかもしれません。

んーと。今日は、カジキ鮪のムニエル、野菜とエビの黒酢あんかけ弁当です。

No.1467 - 2009/02/23(Mon) 13:28:24

Re: やっと / ルー
実在の存在に対して、人の存在は「主体がない」というあり方であるというのはわかります。

しかし、人間は、生きている間、成長を続けるということをしているのでしょう。成長しないことも含めて。
そのことにおいて、自分は自分の主体でなければならないのではありませんか。

自分は世界の機能を学ぶ主体であるのではありませんか。
それを「自己」と呼んでおられるのですか。
主体はないが、自己はあるというのが、うびさんのあり方ですか?

No.1468 - 2009/02/23(Mon) 14:18:03

Re: やっと / ルー
私は、かなりのところまで、うびさんのお話を理解できているのではありませんか?
ちょっと褒めてください。

No.1469 - 2009/02/23(Mon) 14:33:32

Re: やっと / ubik0101

>主体はないが、自己はあるというのが、うびさんのあり方ですか?

まあ、自我と自己の区別を失った、そんな日常は。自我もなければ、無我もないのです。それは、自我もあれば、無我もある・・・たとえば「主体はないが、自己はある」、そういことも失った・・・ありとあらゆる意味を孕んで無意味・未意味です。

とても大袈裟に言えば、なにか意味が生起する前の世界を見ています。そんな世界の機能は、中道、と言えると思います。それは、世界と人が、作り替え続けています。そしてルーさんも、ルーさんとして、そうなのです。

>私は、かなりのところまで、うびさんのお話を理解できているのではありませんか?
>ちょっと褒めてください。


まあ、自分の文章は、音楽のようなこと、と思ったことがあります。やはり人は誰も、自分を洲として、自分を島として、歩むのです。それは、それとして、ルーさんも、HP、ブログの期が熟したのではないでしょうか。

No.1470 - 2009/02/23(Mon) 18:25:26

Re: やっと / ルー
褒めてくれたのかなー
わかんなーい

ま、よしとしましょう。

No.1471 - 2009/02/23(Mon) 19:50:24

Re: やっと / ルー
> やはり人は誰も、自分を洲として、自分を島として、歩むのです。

もちろんです。
そのうえで、「自我がない」とか「主体はない」という言葉の意味を知りたかったので聞いたのです。
自分の主体はないのに、自分を州として自分を島として歩む、というのは面白い表現ですね。
見えてくるのは、その人のあり方、それに照らされて見えてくる自分のあり方のようなものですが。
その人のあり方は固定しているわけではないので、主体はない、かも知れません。
私は、うびさんのように、「ない」を体感した人ではないので、「かも知れません」としか言えませんが、魂のようなものかなとも思います。

うびさんの話を理解できたとしても、同化されたり洗脳されたりすることはないです。

No.1472 - 2009/02/24(Tue) 10:58:47

Re: やっと / ubik0101
うん。だからというわけではないのですが。まあ、あれですよ。なんとなく気になることや、思いついたこと、自分の姿勢、意見、世界。それを話して、なにか訪問者さんから返信があれば、対話する。これから暫くは、ルーさんが、この“掲示板”の管理人です。では、この作戦。早速、やってみましょう。やってみましょう(残響)。
No.1473 - 2009/02/24(Tue) 13:43:14

Re: やっと / ルー
今までとどう違うのですか?
No.1474 - 2009/02/24(Tue) 16:06:12

Re: やっと / ルー
今のところ、管理人はhatoさんなのでしょう。

私が「自我がない」について、うびさんに聞きたかったので、管理人がうびさんに戻ってしまったようになってしまったのでしょう。すみませんでした。

No.1475 - 2009/02/24(Tue) 16:09:20

Re: やっと / ルー
私は、書きたいことがあれば書くという、今まで通りの姿勢でいるつもりです。
何か不都合があればおっしゃってください。

No.1476 - 2009/02/24(Tue) 16:12:54

Re: やっと / ubik0101
とくにubik0101が管理人、という気持ちはありませんが、hatoさんが、管理人というわけではありません。ルーさんが、ubik0101とかの関わりでなく、自分の意見、主張を話したら、より学ぶことがあるのでは?という提案です。
No.1477 - 2009/02/24(Tue) 17:12:12

Re: やっと / ルー
自分の意見、主張ですか?
今まで通り、湧いてきた時に書きますね。

No.1478 - 2009/02/24(Tue) 20:14:04

Re: やっと / ルー
あ、うびさんと関わりのないことを書くのですか?
それは、それは、無理だと思います。

No.1479 - 2009/02/24(Tue) 22:08:35

Re: やっと / ルー
たとえば、新しい芽さんの掲示板に書くとして、新しい芽さんと関わりのないことを書く気になりますか?

そういう意味で、無理ですと書いたのですが、もしかして、読書の感想とかを書く気になったら書くかも知れません。

「つみきのへや」という絵本は、いいなぁと思いました。
そしたら、オスカー賞の短編アニメーション部門で受賞したらしいです。

No.1480 - 2009/02/24(Tue) 23:55:48

Re: やっと / ルー
あ、「つみきのいえ」でした。
No.1481 - 2009/02/25(Wed) 00:00:39
自我がない / ルー
うびさんのおっしゃる「自我がない」について、だいたいのところは理解できたと思います。
私は、「自我がある」方がいいなと思いました。
それは、生き方の選択と思います。
それを選択する私は、何となく、神様と相談してそう決めているという感じです。
「あなたはそれでいいよ」と神様が言ってくれている感じ。なので迷いがないです。

それから、うびさんの言う「自我がある、ない」は、自分を突き詰めるかどうか、というところにミソがあると思います。
自我がない、なら、自分を突き詰めるということはないでしょう。
それによって、すべてが存在する、なんでもあり、完全な自由があるわけであり、それは、ただ生きる、ということなのでしょう。

うびさんは、自分を知りたいと思い、自分について徹底的に調べた結果、実在と実在ではないものの存在を知った。
そして、「知らない」ということを知った。
そして、「自我がない」「自己」を知った。
それからは、その世界に生きているのだということはわかりました。

最近、聞いた言葉なのですが、「有限は愛、無限はロマン」です。

No.1460 - 2009/02/23(Mon) 09:56:09

Re: 自我がない / ルー
だんだんわかってきました。
うれしいです。

自我が成長すると、人間的に成長した、とかいうのですが。
自我の役目を果たし終えると、自我はなくなる(消滅する)というのが、うびさんのお話ですね。
それを「自我がない」と言っているのですね。
そして、「自己」という存在になるのですね。

そうすると、自我というのは、人間が成長して「自己」になるための修行のためにあるもの、という感じですか。
修行を終えたら、自我はなくなる、と。

生きていく上で、いろいろと苦難にあい、それを乗り越えていく過程で人間が成長しますが、成長し終わると消滅するのが「自我」。自我の消滅が、成長の終点。
であれば、それ以上には成長しないし、成長する必要がないでしょう。それは違うのですか?
ただ、生きるのみ、でしょう。

また、成長のし終わりは、ないとします。
それなら、「自己」になるのは、どこからですか?
「自己」は、空想の中にあるものですか?

本当に、「自我がない」「自己」という状態であるとするなら、成長は必要ないでしょう。それを否定すると話が合わなくなります。
それか、「自己」を獲得してからは、自我とは違うものによって成長する、ということですか?

No.1461 - 2009/02/23(Mon) 11:18:55

Re: 自我がない / ルー
うびさんは、「自我には中身はない」とおっしゃっていました。
その点で、「自我に対するとらえ方」が違うのかなと思います。

私は、人間の中身も含めて「自我」と呼んでいます。
ですので、自我が完成したのちも、自我は存在し、「成長した自我」として、いろいろな場面にその人らしさを表現します。

No.1462 - 2009/02/23(Mon) 11:22:14

Re: 自我がない / ルー
あえて、書きますが、私はうびさんのあり方について、何か「変えたい」というような欲望をもって書いているのではありません。

こう書いたのは、図書館さんのHPを読んで、何か、私がうびさんのあり方に対して「何かしたい」というような欲求を持っていると思われているのではないか?と思ったからです。

そうではありません。
私は、うびさんに会ってはじめて「自我ない」というあり方について耳にしたのです。
それで、興味を持って、それはどのようなものであるのかを知りたいと思ったのです。
うびさんは、「自分について知りたい」という欲求を強く持った人であるから、私のその「知りたい」という気持ちはわかってもらえるでしょう。

相手に対して何かをしたいというのではなしに、お互いのあり方について話すことは、できるのではないですか。

まぁ、私のあり方に興味がなければ、聞かされても、「何?何か文句あるの?」という聞き方になるでしょうが。
自我がないなら、まぁ、過ぎてゆくだけか。
自我がないなら、「興味がある」というのは、どういうことかな。
いや、「興味がある」という意識はなくて、ただ聞きたいことを聞くっていう感じかな。
興味があるか、ないか、はどう言っても誤りです。ということかしら。

話がそれてしまいました。

私は、あえて言うと、「自我がある世界に生まれてよかった〜!」なのですが、未熟な自我によって我が子が「虐め」にあったりしていると、そうも言ってられないと思います。

No.1463 - 2009/02/23(Mon) 11:39:50

Re: 自我がない / ubik0101
>自我が成長すると、人間的に成長した、とかいうのですが。
>自我の役目を果たし終えると、自我はなくなる(消滅する)というのが、うびさんのお話ですね。
>それを「自我がない」と言っているのですね。
>そして、「自己」という存在になるのですね。


そうです。

>そうすると、自我というのは、人間が成長して「自己」になるための修行のためにあるもの、という感じですか。
>修行を終えたら、自我はなくなる、と。


そうです。自我は主人のいない家を守る執事です。また、若い樹の苗が生長するまでは必要な、添え木です。でも、それが失われたように思えても、なくなることは、なにもないのです。うろ覚えですが、イエス・キリストの言う通り「あなたがたは髪の毛一本まで数えられている」。です。

>生きていく上で、いろいろと苦難にあい、それを乗り越えていく過程で人間が成長しますが、成長し終わると消滅するのが「自我」。自我の消滅が、成長の終点。
>であれば、それ以上には成長しないし、成長する必要がないでしょう。それは違うのですか?
>ただ、生きるのみ、でしょう。


たとえば、なぜ、これが、こう、なのかを問うのです。

>また、成長のし終わりは、ないとします。
>それなら、「自己」になるのは、どこからですか?
>「自己」は、空想の中にあるものですか?


さまざまな人の経緯は違うでしょうけど。自我が、ない、ことを見た。その、ほとんど瞬間が、自己の誕生です。それは明確に、自覚されます。この自己は、初めからそうだった、という説明もあります。与えられた、成長した、という説明もあります。どちらかだけの説明では一長一短です。

その、自己、を空想しようとすること、つまり自分で自分を自覚したい衝動がカラ回りしてる、それも、自我の機能です。この世界には、まったく成長をしたいとか思いもしてなくても人には、たとえば「俺が、俺が」とかいう、そんな機能が働いています。それで、迷いがあれば覚醒は必然です。と言います。

ともかく自己になった、その後は。ふつうは自我と自己の区別があると思います。無我を張ったりします。それは、その人の総てが自己ではありません。その場合も自己は空想になると思います。これは苦痛です。

しかし、素直に真摯に、つまり正確に自分を学ぶことによって、そう意図しなくても、自我と自己の区別は失われていきます。 自己は、自己を、自覚する必要がありません。たとえば、自我の、ない、ことを見ても、自己を自覚しない経緯もあると睨んでいます。

No.1465 - 2009/02/23(Mon) 13:06:49

Re: 自我がない / ubik0101
>本当に、「自我がない」「自己」という状態であるとするなら、成長は必要ないでしょう。それを否定すると話が合わなくなります。
>それか、「自己」を獲得してからは、自我とは違うものによって成長する、ということですか?


どうやら、世界の機能、のようです。

No.1466 - 2009/02/23(Mon) 13:15:49
ジョウビタキ / hato

生。生きること。

それは、ある地点まで、
非意味の意味を生きようとすること、
その道すじ、とも言えるでしょう。
それまでの状態が飽和を迎え、無知は愛、叡智に転換され、そして、生その事態を、生きること、になるのでしょう。


今日の鳥どり見どり。

部屋の前の杉の木に、
居座ってるヒヨドリは、守銭奴みたいだから、

「しゅせんちゃん」

と名付けられました。

どっかの禅僧みたいじゃないの。

なかなか、可愛いんだけど、
ダーリンは頭の毛が逆立ってるのがやなんだって。
とりあえず、好物のバナナがなくてミカンだけだったので
けっこう怒ってたみたい。
夫婦のメジロ、四十雀も何羽かきて、
鳩がクルクル喉を鳴らしていて、
賑やかです。

そこで我が家には、
青い小さな無敵のルンルン。
なんて可愛い、消防士でしょう。

そこに今朝は、
ジョウビタキが訪れました。
声は聞こえていたけど、
お久しぶり、。
ちょっと嬉しいのです。
冬の鳥。

見知らぬどこかで燃えている、
その火。
いつでもどこでも絶やさぬように、
静かに激しく、燃え続けています。

No.1436 - 2009/02/21(Sat) 21:10:08

Re: ジョウビタキ / hato

まーたきてるー、
しょーがないなー、しゅせん ちゃん。

ふたりで苦笑しながら、

とっつかまえて、焼きトリーっ

クスクス笑いが楽しい休日です。

小さな青い天使、ルンルンは。
今日は一緒にお昼寝。
ぽかぽか陽気が嬉しいのです。

消防士ルンルン。
なんて不思議に絶妙な世界。

そして、春はもう間近です。

No.1459 - 2009/02/22(Sun) 13:00:00
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