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図書館さんのHP / ルー
読みました。
図書館さんは、「自我はない」とは言っておられないので、特に疑問は生じませんでした。

No.1430 - 2009/02/21(Sat) 11:25:08

Re: 図書館さんのHP / ルー
「自我はない」というのは、「自我あっても問題にならない状態」のことだと思うのですが。
「本当に自我のない状態」を「自己」は見ることができる。
ということも、うびさんは言っておられるので、自己とはそういう状態なのであろうと思います。
しかし、「自己と自我は分けられない」というのが出てきて、また、「はて?」となりました。

このへんでやめておこうと思います。

また、そのことに取り組みたくなった時には、質問してもよいでしょうか?

No.1431 - 2009/02/21(Sat) 11:28:29

Re: 図書館さんのHP / ルー
私は、たぶん、うびさんに関わろうとしているのだと思います。よ。
だって、関わらなくても生きていけるのに。

迷惑をかけていたら、ごめんなさい。

No.1432 - 2009/02/21(Sat) 11:30:34

Re: 図書館さんのHP / ルー
というか、うびさんが「自我がない」って言ってなかったら、どうかわかりません。
No.1433 - 2009/02/21(Sat) 11:32:24

Re: 図書館さんのHP / ubik0101
>また、そのことに取り組みたくなった時には、質問してもよいでしょうか?

うん。もちろん、です。

No.1435 - 2009/02/21(Sat) 14:26:31
自我の機能 / ubik0101
このごろヒヨドリが1羽、ベランダの向かいの樹の枝で一日中、見張ってて(画像)、メジロや四十雀が近づくたびに、勢いよく飛びかかっては追い払うようになりました。たぶん、ヒヨドリにとっては、エサ台に置いてあるバナナは美味で、それを守ってるのでしょう。

そういえば、ヒヨドリより大きい2羽のキジバトがベランダの手摺に止まったのですが、それさえ追い払ってしまいました。今朝は雨なのに、もう樹の枝に止まって、見張っています。

ところで。なにかを定義するということは、そう定義している、その人の有り様を顕わにするのではないでしょうか。そうだから、ほかの人が、自分と違う言葉で話してても、ほかの人の有り様が、察せられる。理解できる。のではないでしょうか。

とくに、自我が、ない。虚構だということは、なんと呼ぶにしても、自己でなくては見ることはできません。そんな自我から、さまざま学ぶことができると思います。

続きます。

No.1411 - 2009/02/20(Fri) 08:24:26

Re: 自我の機能 / ルー
そうですね。
以前「ルーさんの空っぽ体験」とおっしゃっていたことも、うびさんが思うそれと私の実際とは、ズレがあると思います。うびさんの「自己」と呼んでおられるものも、私にはどうしてもピッタリと重なるものにはあたらないのでしょう。
そのうえで、いろいろと話しているのだと思います。

何にしても、その人のあり方が顕になるというのは、そうだと思います。

No.1412 - 2009/02/20(Fri) 09:45:02

Re: 自我の機能 / ルー
「自我の中身をともなったもの」を自我というのか、「自分と他を分ける機能」だけを自我と呼ぶのか、という問題もあると思います。
うびさんは、「自分と他を分ける機能」のことを自我と呼んでいるのですか?その機能が働くには、中身があってはじめて分けることができるので、機能だけを取り出すのは難しいですが。

そして、また「自我がない」ということについてですが。
非我というのは、自我でないものという意味ですから、自我というものも自我として別に存在するということはあると思います。
「自我がない」というのは、「すべてが自分」であるということ、または、「すべてが自然」として存在しているということのような、「自分と他を区別していない」という意味ですか?
そこで気になるのは、自分に対する愛着はないのか?ということです。

そして、必要なときには、自分と他を区別する機能を取り出してくることもできる、ということですか?
すなわち、自我がない時と、必要なので自我がある時(自我の機能を使う時)とがあるということですか。

私は、「自我がない」のなら、必要なときにも出してくることはできない、と思っていました。
まず、自我がないなら、自我が必要になる場面もないだろうと思っていました。

あれですか、自我の機能はあるが、普段は気にしていない、ということですか。
それを「自我がない」というには、ちょっと違うように思うので、何か特別な状態なのだと思います。

面倒なら、返事しなくていいです。

No.1413 - 2009/02/20(Fri) 10:34:47

Re: 自我の機能 / ubik0101
とりあえず、自我とは、自己の代理、執事です。自己がいない間だけ、その主人の代わりを務めます。それは主人である自己に会ったこともなく、それで自分が主人でないなどとも思いもせず、つまり自分が主人だという当然すぎて疑う必要があるとは思いもしない既得権を前提にして、暮らしています。それは仮の自己という意味での、自我です。と定義することもできます。 自分が自我だとも思っても思っていなくても、自我です。

それは、ふつうに努力したり、怠惰だったりしながら働いたり、ほかの人と仲良くしたり争ったりして、日常生活を送っています。しかしその自我は、倒錯しています。たとえば・・・その自分の・・・感覚や感情や思考に依存・執着して、家や車や地位を望んだり、それから離れて自分を探求・哲学・観察することもあるでしょう。

けど。そのなにか行動、発言、思考することによって、そうしている自分があると感じて。それに埋没して、つまり自分の感覚や感情や思考に迷ってるほど愚かで、そのことにも気がつかない傾向にあります。

と、このように自我を見なすと。たとえば自分の感覚や感情や思考に依存・執着から解放された、倒錯してない、愚かさが叡智に転換された、 自己。それは・・・アートマンとか真我とかと呼べるのかもしれません・・・が意識される傾向にあります。ただこれは、人において、自我と自己に分離、分裂がある場合があります。ならば、その人の総てが自己というわけではありません。それは、その人にとって違和感があります。

ちょっと贅沢な。牡蠣の卵焼き、ゴボウの肉巻き、茹で野菜と、ブリの照り焼き、卵黄の味噌漬け弁当です。

続きます。

No.1414 - 2009/02/20(Fri) 10:44:41

Re: 自我の機能 / ubik0101
>「自我の中身をともなったもの」を自我というのか、「自分と他を分ける機能」だけを自我と呼ぶのか、という問題もあると思います。
>うびさんは、「自分と他を分ける機能」のことを自我と呼んでいるのですか?その機能が働くには、中身があってはじめて分けることができるので、機能だけを取り出すのは難しいですが。


>「自我がない」というのは、「すべてが自分」であるということ、または、「すべてが自然」として存在しているということのような、「自分と他を区別していない」という意味ですか?

たとえば。自我の中身は、ない、です。ないのに、ある、として機能する機構・・・たとえば中心が真空の空気の渦巻き、超強力な台風のような・・・それを、自我、と呼びます。と言う場合。 私、僕、俺、という日常の自分は、ある、でも、ない、でも、どちらでもある、どちらでもない、どう言っても誤りです。違うかも知れませんが仏教では、空(くう)と呼ばれてる有り様と思います。

まあ自分は「自分と他を分ける機能」を自我、と呼ぶのではありません。そういうことを自我と呼ぶのならば、自分と他を分けない、多様にして一つの世界、を前提にしてるのでしょう。そんな場合は、たとえば絶対平等と、絶対差別。どっちもあって、どっちにも偏らない。というように自分に納得させる経緯が必要なようです。

そういう空とか、一つの世界。ということは、ただ人の成長の辿る道、経緯と思います。事実、現実がそうなのかは、疑問というか、どうでもいいです。そのようにも、どのようにも意味を汲み取れる・・・あらゆる意味を孕んで、無意味、未意味。この世界。そこに思考、意味が生じる仕組み、に興味があります。

>そこで気になるのは、自分に対する愛着はないのか?ということです。

ふつうに。愛着がある。の否定にも、肯定にも。愛着がない。の否定にも、肯定にも。偏ることはありません。なので。たとえば失われそうになったら、愛着が生じるのです。たとえば失われそうでもないのに愛着が生じる。失われそうなのに愛着が生じない。なら、なにかの病気です。また、愛着が生じても、生じなくても、そのことに愛着はできません。

>そして、必要なときには、自分と他を区別する機能を取り出してくることもできる、ということですか?

たとえばルーさんとubik0101は、話すことができます。ということは、そう考える前に、区別されてるのではないでしょうか。完全な融合と分離。どちらの場合も、話すこともできないのではないでしょうか。

この世界には、完全な融合と分離。どちらもないのではないでしょうか。なのに、それを望むことが、執着・依存と解することもできます。

>すなわち、自我がない時と、必要なので自我がある時(自我の機能を使う時)とがあるということですか。

>私は、「自我がない」のなら、必要なときにも出してくることはできない、と思っていました。
>まず、自我がないなら、自我が必要になる場面もないだろうと思っていました。


>あれですか、自我の機能はあるが、普段は気にしていない、ということですか。

なにかを思考する、探求するなら、自我の機能を使うんです。人としての機能が失われることが成長ではありません。その機能は、世界の機能です。

No.1415 - 2009/02/20(Fri) 12:58:12

Re: 自我の機能 / ルー
愛着があるか、ないか、ということに執着していないということですが、「自我がない」ということには執着しているのですか?
No.1419 - 2009/02/20(Fri) 18:04:21

Re: 自我の機能 / ルー
> >そして、必要なときには、自分と他を区別する機能を取り出してくることもできる、ということですか?
>
> たとえばルーさんとubik0101は、話すことができます。ということは、そう考える前に、区別されてるのではないでしょうか。完全な融合と分離。どちらの場合も、話すこともできないのではないでしょうか。
>
> この世界には、完全な融合と分離。どちらもないのではないでしょうか。なのに、それを望むことが、執着・依存と解することもできます。


私の質問は、「自我はない」「なにかを思考する、探求するなら、自我の機能を使うんです」といううびさんの言葉から導き出した質問です。
完全な融合と分離の話ではありません。
そんなものを望んでいるのではありません。
普通に考えて、そのような質問が出てきただけのことです。
執着とか依存の問題ではありません。
普段から、自他は区別されている、というわけですね。
自我はないが、普段から、自他の区別は、されている、と。

うびさんの答えは、私の質問の的をえていません。
私の説明が悪いのでしょう。
もういいです。
新しい話をしているのですが、うびさんからは今までの話以上には出てきそうにないので。

No.1420 - 2009/02/20(Fri) 18:15:07

Re: 自我の機能 / ルー
> なにかを思考する、探求するなら、自我の機能を使うんです。人としての機能が失われることが成長ではありません。その機能は、世界の機能です。

その時に使う「自我の機能」って何ですか?
自我の中身は「ない」そうですが。

No.1421 - 2009/02/20(Fri) 18:25:00

Re: 自我の機能 / ルー
> まあ自分は「自分と他を分ける機能」を自我、と呼ぶのではありません。そういうことを自我と呼ぶのならば、自分と他を分けない、多様にして一つの世界、を前提にしてるのでしょう。そんな場合は、たとえば絶対平等と、絶対差別。どっちもあって、どっちにも偏らない。というように自分に納得させる経緯が必要なようです。

絶対平等、絶対差別って何ですか?
どっちもあって、どっちにも偏らないというように自分に納得させるのは、どうしてですか?

No.1422 - 2009/02/20(Fri) 18:30:27

Re: 自我の機能 / ルー
総合すると、「自我がない」というのは、「自我は空である」ということですか?

自我は空であるとして、何かを思考する探求する時には自我の機能を使うというのは、どういうことでしょう。

その時の自我の機能って何でしょうか。

No.1423 - 2009/02/20(Fri) 18:38:58

Re: 自我の機能 / ルー
> >そこで気になるのは、自分に対する愛着はないのか?ということです。
>
> ふつうに。愛着がある。の否定にも、肯定にも。愛着がない。の否定にも、肯定にも。偏ることはありません。なので。たとえば失われそうになったら、愛着が生じるのです。たとえば失われそうでもないのに愛着が生じる。失われそうなのに愛着が生じない。なら、なにかの病気です。また、愛着が生じても、生じなくても、そのことに愛着はできません。


「ふつうに。」というのは?
ふつうに、自分に対する愛着はあるということですか?

No.1424 - 2009/02/20(Fri) 18:42:08

Re: 自我の機能 / ubik0101
>愛着があるか、ないか、ということに執着していないということですが、「自我がない」ということには執着しているのですか?

それは、 「自我がない」ことを了解した、自己、を体験した人に起こりえることです。自己と、そうでないこと、たとえば自我の区別に捕らわれた状態です。「自我がない」に支配されてるとも言えます。

もう自分には、自我と自己の区別はできません。けど、なくなることは、なにもありません。「自我がない」を扱うことができます。「自我がない」に扱われる、支配される。つまり執着しているのではありません。

>その時に使う「自我の機能」って何ですか?
>自我の中身は「ない」そうですが。


たとえば、なにかを理解したいとき、それに集中して、ほかのことは度外視して、思考することです。自我の機能に扱われる、振り回される、使われる。のではなく、使う、ということです。

>絶対平等、絶対差別って何ですか?

まず、「絶対平等」で、グーグル検索すれば、たくさんでてきます。

>どっちもあって、どっちにも偏らないというように自分に納得させるのは、どうしてですか?

たとえば、総ては「ひとつ」という世界を前提にすると。ほかの人と自分が違う、という当たり前のことに整合性がとれません。そのために、絶対平等、絶対差別という両方の世界観を必要にするのだと睨んだり踏んだりしています。

>総合すると、「自我がない」というのは、「自我は空である」ということですか?

いえ。伝統的な考えでは。なにか、ほかのことが原因になって、とあるもの、ことは起こります。たとえば子供は親から生まれる。人が風邪に罹ったのは、ほかの人から移った、ウイルスが原因。つまり、とあるものごとは、どんなことでも、たとえば親、子供、風邪、ウイルスとかは、それ自身が原因で、そのようにあるわけではない。そのことを空と呼びます。

ほかの言い方では、自性がない・・・これも「自性」をグーグル検索すれば、たくさんでてきます・・・ということです。くり返します。そのようなもの、ことは、ある、と言っても。ないと言っても・・・どう言っても総て誤りです。けど。「自我がない」というのは、ただ、ない、という意味です。

>「ふつうに。」というのは?

この、日常のことです。

>ふつうに、自分に対する愛着はあるということですか?

そいうことは、自我と自己と、区別する必要がなくなったら、愛着があるとかないとかに、依存しなくなります。あっても無問題、なくても無問題です。

その前に、そうでない経緯の人もいるでしょうが。自己、自分自身を知る。ことが先決です。でないと、執着があるとかないとかの観念・概念・思考を扱うことになります。もう読んでるでしょうが、図書館閲覧者さんのブログに、適切な引用があります。

http://tosyoetu.blog18.fc2.com/blog-entry-162.html

No.1425 - 2009/02/20(Fri) 23:23:18

Re: 自我の機能 / ルー
> >「ふつうに。」というのは?
>
> この、日常のことです。


ですから、この日常がどうなのかを聞いているのです。
「自我がない」日常が、どんなふうであるのかを聞いているのです。

> >ふつうに、自分に対する愛着はあるということですか?
>
> そいうことは、自我と自己と、区別する必要がなくなったら、愛着があるとかないとかに、依存しなくなります。あっても無問題、なくても無問題です。


無問題かどうかを聞いているのではありません。
「自我がない日常」が、自分に対する愛着は生じていないのかを聞いているのです。

質問は終わります。

No.1427 - 2009/02/21(Sat) 09:15:32

Re: 自我の機能 / ルー
無問題か、無問題でないか、というところに帰着するのでは、その間の微妙なやりとりができません。
質問者には、聞きたいことがあるのです。
それに率直に答えてもらえないと、少しずつの歩みができません。相手の言っていることを理解するために歩みです。
それを、答える側が、「無問題です」というところに結論づけると、その間の会話ができなくなります。
無問題かどうかは、問われていることに答えてから、質問者が理解の糸口を掴んでから、「それは問題なのかどうか」という問いが生じた時に話せばいいことではないですか。

「それは、無問題です」というのが答えでは、横着すぎると思います。

普通ということは、普通に自分に対する愛着を感じたり、そうではない感情を感じたりしているのだなと解釈します。
それを「自我がない」というのは、何だろうかと思いますが、もう問うのはやめます。

ありがとうございました。

No.1428 - 2009/02/21(Sat) 09:23:08
沈丁花 / hato

帰りみち、
雨上がりの、濡れて黒々とした、
ゆるやかな坂を上りきると、この丘から遠くに見える夜景は
もやがかかって、どこか見知らぬ感じが幻想的です。
冬の冷たい空気がすこし穏やかで、仕事帰りにフーと吸い込みます。

そこで微かに沈丁花の香りがしました。

風に乗って、瞬く間にしずかに満ちていた、その香り。
幸福なとき。


ところで、
理解すること、を考えます。
それにはどうしても、まず、そこ、にいなくてはなりません。
そこにいたら、自然に理解されることがあります。
すべてに通じているそれ、は、そこ、にいないと明白にならないのです。
そのことを、了解されること、ということができます。

素直、そして理解。
それは無理強いができません。
了解されたなら、自然にそうなるだけです。
そのとき、
すべてに通じる理解が得られるというよりは、
ただそれを生きることになります。

好雪片々別處に落ちず

ともいえると思います。

No.1426 - 2009/02/21(Sat) 00:19:16
縁起 / 大阪
縁起って全然よくわからないんですが、僕なりにまとめるとこうなりました。

まず美がある。

そして世界(物も人も、人が何か感じたり思うことも)がある。


短すぎますか?

No.1416 - 2009/02/20(Fri) 13:47:45

Re: 縁起 / ubik0101
うーん。総ては美の表現。ってことでしょうか。と、さっき雲の間から日が差してきた街を歩きながら、そう思って見たら、そう世界が見えます。

この空間も時間も、美の現れた姿かもしれない。なんでもあるゆえに無意味、未意味なところから、意味が生起する。それも美といっていいかもしれません。

>短すぎますか?

うん。

なんか真面目な顔で、ウインドベルの紐を、ちゅーって滑り降りて、消防士やってるルンルンです。この頃、ハンガー渡りの術も身につけました。

No.1418 - 2009/02/20(Fri) 15:48:56
自我 / ルー
自我がないなら、学ぶことも成長することもしないでしょう。
この世界を、正確に理解することもできないでしょう。
ただ、その時を過ぎるだけ。
自我からの行動や言葉であることにも気づかずに。

No.1398 - 2009/02/16(Mon) 17:34:20

Re: 自我 / ubik0101
まあ、自分の場合は、自我があるとき、自我があるなんて、まず思ってもみなかったです。それと、自我も問題なんですが、それよりも、自分自身を知ること、なにか知らないけど、真理を求めること。そっちが重要でした。そうならば、自我があって、それに気がつかない自我なら、成長しないってことはないのです。

また、自分の自我に気がついても、気がついてなくても、学ぶつもりのない人は、学ぶことが困難です。でも、学ぶ気持ちがあれば、学ぶつもりのない、そのことを探ることからも学ぶことができます。

ところで。自己を知るとき、はじめて、自我の仕組みを見ます。それで・・・自我の話が大切なんです・・・自我からも学ぶことができるようになります。そうでないのに自我があると自覚してる自我も、なにか別のこと、たとえば、ほかの人と意見が違って自分の意見を主張することなど、を自我と呼んでたりするのかもしれません。

ところで、ルーさんのいう自我の定義はなんでしょう。それが明確でなくて、思考しても、話が曖昧になりそうです。

No.1399 - 2009/02/16(Mon) 20:55:36

Re: 自我 / ルー
> ところで。自己を知るとき、はじめて、自我の仕組みを見ます。それで・・・自我の話が大切なんです・・・自我からも学ぶことができるようになります。そうでないのに自我があると自覚してる自我も、なにか別のこと、たとえば、ほかの人と意見が違って自分の意見を主張することなど、を自我と呼んでたりするのかもしれません。

いいえ、そんなことはありません。
うびさんが呼んでいる自我というものは、何か問題を起こすようなもの、生活上ひっかかりを作るようなものを自我と呼んでいるのですか?
私は「自分」というようなものを自我と呼んでいます。
「自我の芽生え」といいますのは、赤ちゃんがものごころがついたというか、つく前かも知れませんが、自分のようなものを意識できるようになることを指すと思います。
私が言う「自我」は、その自我です。

No.1400 - 2009/02/16(Mon) 21:02:29

Re: 自我 / ルー
自分で、自分自身に対して「自我はない」と言えるわけがないのです。
自我が言っているのですから。

No.1401 - 2009/02/16(Mon) 21:12:52

Re: 自我 / ルー
本当に自我がないなら、成長しないでしょう。
成長する必要もないでしょう。
自我がないのですから。

No.1402 - 2009/02/16(Mon) 21:16:54

Re: 自我 / ubik0101
ルーさんのいう、自分が自我。そして自我が、ない、ということは、たとえば、その自分が、削除される。存在しない。まったく透明で、なにも意識することもない。という意味なのでしょうか。ならば、 学ぶことだけでなく、学ばないことさえ、不可能でしょう。

けど、自我が、ない、というのは、たとえば自分が削除される。自分が、存在しない。なにも意識することもない。ではありません。逆です。たとえば成長する。自己が、存在する。意識が、十全に機能する。ことです。また。自我が、ない、を見るのは自我ではありません。自己です。

こいうことを総合的に取り纏めて自我と呼んで、混乱がないなら、とくに問題もないと思います。もしかして。意識が明確になったり訓練されたりすることを、心理学などでは、自我の発達と呼ぶことがあるのでしょうか。それは同じ言葉ですが、違う意味です。

くり返しますが、なにかを探求、研究するなら、こんな言い方は好みませんが、自分と世界を分離させて、問題をクローズアップして、問題に集中する、自我の機能を使うのです。

No.1404 - 2009/02/16(Mon) 23:18:41

Re: 自我 / ルー
辞書で自我を調べてみましたら、哲学的な意味と心理学的な意味の二つが載っていました。

心理学的な意味の方では、自我→超自我と書いてあり、超自我の項目も参考にしなさい、ということになっていました。

それで、超自我のところを調べたら、心というのは、イドというものから発せられる自我と超自我、すなわち、イド・自我・超自我の3っつで構成されているということでした。

哲学的な意味の方では、自我⇔他我・非我となっており、「非我」のところを調べると、我(または自我)でないもの。我の働きに直接属することなく、かえってそれの対象として存立する世界・自然。と書いてありました。
これは、わかりやすいです。

そして、「自己」のところを調べると、われ。おのれ。自分。その人自身。と書いてありました。
私が「自己」について考えていた意味と同じです。

私が言う「自我」とはどういう定義であるのかをハッキリさせなさい、ということですが、私が思っている「自我」は、辞書に書いてある通りです。

「自我」の哲学的な意味は、認識・感情・意志・行為の主体を外界や他人と区別していう語。自我は時間の経過や種々の変化を通じての自己同一性を意識している。身体をも含めていう場合もある。⇔他我・非我 と書いてありました。
心理学的な意味は、?@意識や行動の主体を指す概念。?A精神分析の用語。イドから発する衝動を、外界の現実や良心の統制従わせるような働きをする、パーソナリティーまたは人格の側面。エゴ。→超自我

超自我の意味は、イド・自我と共に心を構成する三要素の一。自我から分化発達し、社会的価値をとりいれ、あるべき行動基準によって自我を監視し、欲動に対して検閲的態度をとるもの。精神分析の用語。と書いてありました。
これも、わかりやすいです。

私が言いたかったことは、前にも書きましたが、うびさんの言われる「自我」「自己」の言葉では、うびさんが意味しているものを伝えるには凡庸すぎて、伝わらないのではないかということです。

そう思ったのですが、深いところでの「自我」の意味、深いところでの「自己」の意味、うびさん特有の意味などを考えると、それでいいのかな、とも思います。
一般に流通される意味とは違う深さを持った意味、として。

一般に流通される意味として考えた時に、自分自身で「自我はない」と発言することの矛盾について書いたのですが、あまり伝わらなかったようですね。
または、伝わっているけれども、言葉の使い方に関しては、意味が伝われば問題ない、ということが返事なのかなと思います。
特に、問題はないのです。
一般に使われる言葉の意味とは違うのではないかと言っているだけなのです。それを、どう受け止められたのかが、よくわからないだけです。
やはり、言葉は問題ではない、ということなのかなと思います。

ま、長いことかかりました。

No.1406 - 2009/02/17(Tue) 08:38:04

Re: 自我 / ルー
うびさんが言われる「自己」は、「非我」の意味が一番近いと思います。
No.1407 - 2009/02/17(Tue) 08:41:32

Re: 自我 / ばん
ルーさんの投稿で今まで私が自我を勘違いしていたのがわかりましたありがとう
自我は価値観や固定観念からできているのかなとも思いました。
ある意味みんな病気なのかもしれないですね。
前から気になっていたのですが、このサイトの方がいっていることが正しい様な・・・掲示板を読むとそうなのかなと
http://www.jinseimondainokaiketsu.com/

No.1408 - 2009/02/19(Thu) 11:50:40

Re: 自我 / ばん
自分の思ったことをズバッと言うルーさんてありのままの自分そのものの様な気がする。
No.1409 - 2009/02/19(Thu) 11:54:57

Re: 自我 / ルー
ばんさんありがとう
No.1410 - 2009/02/19(Thu) 13:18:11

Re: 自我 / ルー
ばんさんは他の人のありのままがわかるのなら自分のありのままがわかるのももうすぐですね
No.1417 - 2009/02/20(Fri) 14:07:00
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