うびさんのおっしゃる「自我がない」について、だいたいのところは理解できたと思います。 私は、「自我がある」方がいいなと思いました。 それは、生き方の選択と思います。 それを選択する私は、何となく、神様と相談してそう決めているという感じです。 「あなたはそれでいいよ」と神様が言ってくれている感じ。なので迷いがないです。
それから、うびさんの言う「自我がある、ない」は、自分を突き詰めるかどうか、というところにミソがあると思います。 自我がない、なら、自分を突き詰めるということはないでしょう。 それによって、すべてが存在する、なんでもあり、完全な自由があるわけであり、それは、ただ生きる、ということなのでしょう。
うびさんは、自分を知りたいと思い、自分について徹底的に調べた結果、実在と実在ではないものの存在を知った。 そして、「知らない」ということを知った。 そして、「自我がない」「自己」を知った。 それからは、その世界に生きているのだということはわかりました。
最近、聞いた言葉なのですが、「有限は愛、無限はロマン」です。
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No.1460 - 2009/02/23(Mon) 09:56:09
| ☆ Re: 自我がない / ルー | | | だんだんわかってきました。 うれしいです。
自我が成長すると、人間的に成長した、とかいうのですが。 自我の役目を果たし終えると、自我はなくなる(消滅する)というのが、うびさんのお話ですね。 それを「自我がない」と言っているのですね。 そして、「自己」という存在になるのですね。
そうすると、自我というのは、人間が成長して「自己」になるための修行のためにあるもの、という感じですか。 修行を終えたら、自我はなくなる、と。
生きていく上で、いろいろと苦難にあい、それを乗り越えていく過程で人間が成長しますが、成長し終わると消滅するのが「自我」。自我の消滅が、成長の終点。 であれば、それ以上には成長しないし、成長する必要がないでしょう。それは違うのですか? ただ、生きるのみ、でしょう。
また、成長のし終わりは、ないとします。 それなら、「自己」になるのは、どこからですか? 「自己」は、空想の中にあるものですか?
本当に、「自我がない」「自己」という状態であるとするなら、成長は必要ないでしょう。それを否定すると話が合わなくなります。 それか、「自己」を獲得してからは、自我とは違うものによって成長する、ということですか?
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No.1461 - 2009/02/23(Mon) 11:18:55 |
| ☆ Re: 自我がない / ルー | | | うびさんは、「自我には中身はない」とおっしゃっていました。 その点で、「自我に対するとらえ方」が違うのかなと思います。
私は、人間の中身も含めて「自我」と呼んでいます。 ですので、自我が完成したのちも、自我は存在し、「成長した自我」として、いろいろな場面にその人らしさを表現します。
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No.1462 - 2009/02/23(Mon) 11:22:14 |
| ☆ Re: 自我がない / ルー | | | あえて、書きますが、私はうびさんのあり方について、何か「変えたい」というような欲望をもって書いているのではありません。
こう書いたのは、図書館さんのHPを読んで、何か、私がうびさんのあり方に対して「何かしたい」というような欲求を持っていると思われているのではないか?と思ったからです。
そうではありません。 私は、うびさんに会ってはじめて「自我ない」というあり方について耳にしたのです。 それで、興味を持って、それはどのようなものであるのかを知りたいと思ったのです。 うびさんは、「自分について知りたい」という欲求を強く持った人であるから、私のその「知りたい」という気持ちはわかってもらえるでしょう。
相手に対して何かをしたいというのではなしに、お互いのあり方について話すことは、できるのではないですか。
まぁ、私のあり方に興味がなければ、聞かされても、「何?何か文句あるの?」という聞き方になるでしょうが。 自我がないなら、まぁ、過ぎてゆくだけか。 自我がないなら、「興味がある」というのは、どういうことかな。 いや、「興味がある」という意識はなくて、ただ聞きたいことを聞くっていう感じかな。 興味があるか、ないか、はどう言っても誤りです。ということかしら。
話がそれてしまいました。
私は、あえて言うと、「自我がある世界に生まれてよかった〜!」なのですが、未熟な自我によって我が子が「虐め」にあったりしていると、そうも言ってられないと思います。
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No.1463 - 2009/02/23(Mon) 11:39:50 |
| ☆ Re: 自我がない / ubik0101 | | | >自我が成長すると、人間的に成長した、とかいうのですが。 >自我の役目を果たし終えると、自我はなくなる(消滅する)というのが、うびさんのお話ですね。 >それを「自我がない」と言っているのですね。 >そして、「自己」という存在になるのですね。
そうです。
>そうすると、自我というのは、人間が成長して「自己」になるための修行のためにあるもの、という感じですか。 >修行を終えたら、自我はなくなる、と。
そうです。自我は主人のいない家を守る執事です。また、若い樹の苗が生長するまでは必要な、添え木です。でも、それが失われたように思えても、なくなることは、なにもないのです。うろ覚えですが、イエス・キリストの言う通り「あなたがたは髪の毛一本まで数えられている」。です。
>生きていく上で、いろいろと苦難にあい、それを乗り越えていく過程で人間が成長しますが、成長し終わると消滅するのが「自我」。自我の消滅が、成長の終点。 >であれば、それ以上には成長しないし、成長する必要がないでしょう。それは違うのですか? >ただ、生きるのみ、でしょう。
たとえば、なぜ、これが、こう、なのかを問うのです。
>また、成長のし終わりは、ないとします。 >それなら、「自己」になるのは、どこからですか? >「自己」は、空想の中にあるものですか?
さまざまな人の経緯は違うでしょうけど。自我が、ない、ことを見た。その、ほとんど瞬間が、自己の誕生です。それは明確に、自覚されます。この自己は、初めからそうだった、という説明もあります。与えられた、成長した、という説明もあります。どちらかだけの説明では一長一短です。
その、自己、を空想しようとすること、つまり自分で自分を自覚したい衝動がカラ回りしてる、それも、自我の機能です。この世界には、まったく成長をしたいとか思いもしてなくても人には、たとえば「俺が、俺が」とかいう、そんな機能が働いています。それで、迷いがあれば覚醒は必然です。と言います。
ともかく自己になった、その後は。ふつうは自我と自己の区別があると思います。無我を張ったりします。それは、その人の総てが自己ではありません。その場合も自己は空想になると思います。これは苦痛です。
しかし、素直に真摯に、つまり正確に自分を学ぶことによって、そう意図しなくても、自我と自己の区別は失われていきます。 自己は、自己を、自覚する必要がありません。たとえば、自我の、ない、ことを見ても、自己を自覚しない経緯もあると睨んでいます。
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No.1465 - 2009/02/23(Mon) 13:06:49 |
| ☆ Re: 自我がない / ubik0101 | | | >本当に、「自我がない」「自己」という状態であるとするなら、成長は必要ないでしょう。それを否定すると話が合わなくなります。 >それか、「自己」を獲得してからは、自我とは違うものによって成長する、ということですか?
どうやら、世界の機能、のようです。
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No.1466 - 2009/02/23(Mon) 13:15:49 |
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