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『起きていることは すべて正しい』 / かずよ
『起きていることは すべて正しい』のです。
いま起きていることは、すべて正しいことであり、すべて良いことなのです。すべては良くなるように出来ているのです。すべては予定調和であって、あなたが行ったこともすべて正しいことであり、すべて良いことなのです。悔むことなど何もないのです、すべては良くなるように出来ているのです。すべては予定調和するように出来ているのです。

No.1321 - 2009/01/25(Sun) 08:28:41

Re: 『起きていることは すべて正しい』 / ubik0101

はじめまして。おそらく、予定調和、ということを前提にして、ほかの人や自分や世界を見るなら、 『起きていることは すべて正しい』のです。なのでしょう。そうだとして、

(A)かずよさんは、どのようにして予定調和を、確認されたのでしょうか。そして(B)自分は、たとえば悔やんだりすることはありませんが、「悔やむこと」、は、かずよさんの言う、予定調和の範疇にないのでしょうか。(C)また「すべて」とは、どういう範囲のことでしょう。

No.1322 - 2009/01/25(Sun) 15:41:32
(No Subject) / hato

昼にかけて、寝転がりながら、入れ替わりやってくる
可愛いお客さんたちを見ていました。
この季節は、腹持ちのいい、柿やバナナが人気です。

ちょっと天日干し。布団をパタパタしながら、
あれ、動かないメジロがいるー。
具合がわるいのかしら。
部屋のすぐ前の木の、小道の上の、葉もない細い枝に、
仲間が行ってしまってるのに、1羽残って
こっちを向いてとまったまま動かないのです。
下に人や自転車が通っても、
風がちょっと強く吹いても、場所を変えません。
道に迷ったのかな、
とubik0101さんが言います。
仲間を呼んでみました。
おいでおいでー、。
するとちょっとして、
2羽やってきて上のほうからチーチー言ってるみたいです。
ほら、きたわよー、。

でも、やっぱり動きません。

まあ心配。
どうしましょう。なんでしょう。
ふたりで固まりかけたとき、
チチ、と鳴いて、また別の1羽のメジロがどこからか、
その木に飛び込んできました。

そうしたら、
それは嬉しそうに見えたのだけど、
とまったままのメジロはちゃんと鳴き返して、
ちょっと飛んだりして。
それを見届けながら、こちらは出かけたのですが、
たぶん、2羽してベランダのエサ箱にやってきてたでしょう。

番かな、兄弟かな、親子かな、仲良しさんかな、
まあ、いいけど。

ちょっと素敵な出来事、でした。

No.1316 - 2009/01/12(Mon) 23:05:41

Re: / hato

静かな休日。

昼間の日ざしに、すこし早い春が感じられます。
その夕刻、
空の薄暗い色が寒そうで、冬直中にいます。
窓の外の遠くのほうで、なだらかな上り坂に、
走る車のヘッドランプが光ります。
刻々と木々が黒ずんで、鳥たちの気配を隠してゆきます。

そんな窓をぼんやり、見ていると。

そこに小さな別の世界を見つけました。
窓のなかで、半分開いた襖の向こうに、
暖かい色合いの明かりが灯っているのが見えます。
なんてことない、我が家の、
小さな一部屋の風景が
透明な窓ガラスを通して
窓の外の夕暮れ時の景色に、不思議に調和して美しいのです。
彼が、なにか呟きながら夕餉の支度をしているのが見えます。
そんなひととき。

年度末にむけて、仕事はたて込んでくるようだけれど、
昨日は江ノ島で魚釣りをしました。
ubik0101さんがさらっと簡単に釣るので
お隣さんが口ぽかん、になります。

美しい海の景色です。

No.1317 - 2009/01/18(Sun) 22:21:53

Re: / ubik0101

デザートの苺です。
5粒で210円でした。

No.1320 - 2009/01/18(Sun) 22:46:10
(No Subject) / ルー
自我の問題が解決したら、その後は、社会的な問題に目が向くのかなと思われます。
マザーテレサがしていた活動のような。
そのことについては、どう思われますか?
他の人の自我を助けていくこと、というのも、そのひとつの行動なのでしょうか。
自分にできることとして。
ですが、「自我」というものを「ない」と言いながら、「自我はないのですよ」と言いながら、自我の中で生きているということは、あり得ませんか?

No.1294 - 2009/01/07(Wed) 09:36:22

Re: / ルー
「知らない」「意識の範疇にない」というのが答えでしょうか。
No.1295 - 2009/01/07(Wed) 09:39:14

Re: / ルー
つまり、自我の外のことに対して、無関心ではありませんか?
No.1296 - 2009/01/07(Wed) 09:40:32

Re: / ルー
つまり、愛には行動が伴うということです。
行動するということは、地球を動かすということで、実際的な問題が数々生じてきます。
そこで生じる問題は、自我の問題だけではどうしょうもないこともあるでしょう。
自我の問題は、ひとつ目のステップにすぎないということです。
そこで、悟ったとか悟っていないとか言いながら一生を終えてはダメです。怠慢ですよ。わかってますか・・・

No.1297 - 2009/01/07(Wed) 09:46:48

Re: / ルー
じゃ、仕事に行ってきます。(笑)
No.1298 - 2009/01/07(Wed) 09:48:21

Re: / ルー
朝から、うるさいドラを鳴らしてしまいましたね。
すみま、すみません、すみま〜

No.1299 - 2009/01/07(Wed) 09:49:32

Re: / hato
> 自我の問題が解決したら、その後は、社会的な問題に目が向くのかなと思われます。
> マザーテレサがしていた活動のような。
> そのことについては、どう思われますか?
> 他の人の自我を助けていくこと、というのも、そのひとつの行動なのでしょうか。
> 自分にできることとして。



マザーテレサについてはよく知りませんから控えますが、世界は触媒である、ことへの徹底した了解があるなら、人に関わる物事について、自分が手をつけるべきかそうでないかは自ずとわかります。というより、できることしかできなくなる、のは常にそうなわけですが、それは曖昧なものとしてではなく、了解の上で、そのようにあります。
基本的に人は、自分を解決することを深く納得することが必要だと思います。

> ですが、「自我」というものを「ない」と言いながら、「自我はないのですよ」と言いながら、自我の中で生きているということは、あり得ませんか?

自我がない、ととくに言及する必要がありません。言ったこともないと思います。自我が機能していればそれは、内外の状態を知る為の反応器としてみることができます。それは運動させるものとしてあるともいえます。そこから学べることも多いでしょうし、振り回されなければ、とくに問題となることはないと思います。

>つまり、自我の外のことに対して、無関心ではありませんか?

そこについて言及するときは、そこへの無知が多くの不毛な状態を作り出していることがわかるからです。
それだけのこと、なのだと思います。


>つまり、愛には行動が伴うということです。
>行動するということは、地球を動かすということで、実際>的な問題が数々生じてきます。
>そこで生じる問題は、自我の問題だけではどうしょうもないこともあるでしょう。
>自我の問題は、ひとつ目のステップにすぎないということ>です。


理解していくときに、状態によってはそのように受け取れるのだと思います。
了解されることには、ひとつ目、ふたつ目、がありません。

もし人が 愛、その了解 を理解するなら、人生が導いていることをただ、生きるのでしょう。様々な場所で、その都度調整の必要は起こりますが、そこで、
行動するときもあるでしょうし、ないときもあるでしょう。ただその有り様は、自分を解決していないときよりも、自分自身とその周囲にとって幸いであるといえます。
それは受け手にとって、また自分にとって必ずしも心地よいものとは限りませんが、ただそのようです。


>そこで、悟ったとか悟っていないとか言いながら一生を終>えてはダメです。怠慢ですよ。わかってますか・・・

これはubik0101さんもわたしも、一度も言っていないことです。
でも、ルーさんの励ましを、ありがとう。


>じゃ、仕事に行ってきます。(笑)


はい、お互い頑張りましょうね。

ubik0101さんのお魚料理はとても、美味しいですよ。
そのうち食べに寄ってください。(笑)

No.1300 - 2009/01/07(Wed) 15:26:58

Re: / ルー
つーか、hatoさんに宛てて書いてないし。

うびさんは、もう隠居されたのですね。

そーゆーところの勘は当たるのでしゅよ、私。

自我というのは、自分に意識されなくなっても、一生関わっていくものだと思います。

No.1301 - 2009/01/07(Wed) 18:53:55

Re: / ルー
hatoさんは、もっと勉強してください。
うびさんから、すべてを学んでください。
そうしたら、口をきいてあげます。(笑)

No.1302 - 2009/01/07(Wed) 19:03:02

Re: / ルー
それじゃあ、十年ほど待ってますね〜
No.1303 - 2009/01/07(Wed) 19:04:04

Re: / hato

まあまあ、困りました。

たびたびごめんなさいね、
わたしもかなり嫌なのですが、
頼まれてしまったのです。(爆笑)
(もう、ほんとに困ったものですが、本人元気です)

ubik0101さんからすべてを学ぶ必要がないのです。
自分で了解したことを、自分で理解するだけですよ。

あとは、ルーさん自身にお任せします、
とのことですから・・

No.1304 - 2009/01/07(Wed) 19:27:59

Re: / hato
そうそう、

なので、
ルーさんもサイトなど始められたらどうでしょう、
と、宅の殿と話しております・・(残響)

No.1305 - 2009/01/07(Wed) 20:20:49

Re: / ルー
あれですよ、私がうびさん宛てに書いているものに、hatoさんが返事をするのなら、うびさんが了解していることをすべてhatoさんが了解していないと、返事できないのではないですか?
少なくとも、「自我がない」ということの件については、そうです。
まぁ、私の理論を言ってもしかたがないですね。
うびさんに頼まれて書いているのならね。

まぁ、うびさんも、私に返事を書くのが面倒なのでしょう。

お邪魔しました。

No.1306 - 2009/01/07(Wed) 21:55:18

Re: / ルー
というか、私が今朝書いたものは、私の排泄物です。
No.1307 - 2009/01/07(Wed) 22:01:35

Re: / ルー
そういうのは、自分のブログにでも書くのがいいですね。
No.1308 - 2009/01/07(Wed) 22:04:04

Re: / hato

楽しみにしています。

ちなみに、宅のルンルンは
1日に80回ほど、
排泄いたしております。

No.1309 - 2009/01/07(Wed) 22:39:12

Re: / ルー
hatoさんは、自然と素直になれるため、自然と謙虚になれるために、もっと排泄するべきでしょう。

健闘を祈ります。

No.1310 - 2009/01/08(Thu) 09:08:38

Re: / ルー
自分自身に正直に目を向けることは、痛みがあるのではなくて、喜びです。
No.1311 - 2009/01/08(Thu) 09:10:08

Re: / ルー
ま、私は自分が好きなので、そうなのかも知れません。
人、それぞれですね。

No.1312 - 2009/01/08(Thu) 09:12:24

Re: / ubik0101
>ですが、「自我」というものを「ない」と言いながら、「自我はないのですよ」と言いながら、自我の中で生きているということは、あり得ませんか?

あり得ます。それは、ここでは、無我を張る。と呼んでいます。残響のような自我の機能で、ほかの人に自我を見る傾向があります。それも不要になります。

>「知らない」「意識の範疇にない」というのが答えでしょうか。

て、言うーか。どんなことも、知らない、です。意識だって、自我だって、愛だって、それがなにか知らないんです。

>つまり、自我の外のことに対して、無関心ではありませんか?

んーと。自我の研究は、たぶん趣味です。魚釣りの次、くらいに楽しいかもしれません。今日から、hatoさんは、通勤です。鰆のムニエル、野菜とエビのコンソメ煮弁当です。明日は、金目鯛になると思います。

No.1313 - 2009/01/08(Thu) 15:32:09

Re: / ルー
弁当作りは、魚釣りよりも楽しいのかも知れませんね〜
No.1314 - 2009/01/08(Thu) 17:02:08

Re: / hato

> hatoさんは、自然と素直になれるため、自然と謙虚になれるために、もっと排泄するべきでしょう。
>
> 健闘を祈ります。



ほんとにありがとう、

こうして書けることも幸いです。
それぞれに違った経緯があり、
その差を学び、それが運動となっている、この日常と思います。

生活の内容は、もしかして
どうでもよいことかもしれません、
けれど、どうでもよくない、

それは、どういうこと?

道、ということ。
その不思議。

No.1315 - 2009/01/08(Thu) 23:19:40
(No Subject) / ルー
まだ親が必要なぐらいの年齢の時に、事故で両親が死んでしまうとか。
そういうのも、自我の問題ではなく起きる不幸だと思います。
そういう目にあうところに生まれたというのは、運命というしかないのでしょうか。
裕福な家に生まれる人もあれば、貧乏な家に生まれる人もいる。
そういうのは、運命と呼ぶのでしょうか。
運命を背負って生まれてくるのでしょうか。

それがどうであるということではなくて、事実を知りたいだけです。

No.1281 - 2009/01/04(Sun) 14:05:33

Re: / ubik0101

とりあえず短い返信・・・

それは、そのようでない、ほかの人と比較してるのでしょうし、ほかの人と違った人生を運命と呼ぶのなら・・・運命がなにかは知りませんが・・・運命でしょう。でも、ほかの人と比較しなければ、たとえば、ほかの人と比較するという自分の問題を解決するだけです。


そこそこ詳しい返信・・・

そうです。それは前世の因縁です。運命を自分で選んだのです。とか、答えて納得する人がいるなら。その人に、罵詈雑言を浴びせるだけでなく、殴ったり蹴ったりする恐れがあります。それはともかく、そういえば、

そんな「事実を知りたい」と思ったこともありません。また、誰かが、輪廻とか、業だとか、親を選んで生まれてくるとか、親は選べないとか、言ってるのを聞いても、まったく意に介したこともありません。まず、自分で見たことでさえないことを信じるなら、奇妙です。そして自分は、

なぜ子が親から生まれるのかさえ知りません。 もしも運命だとして、運命、それがなぜ、運命なのか、不幸がなぜ、不幸なのか。この世界が、この世界である、それが何かさえ・・・それを問いますが・・・知りません。どうでもいいのでしょうが、そうなってる。だけです。そして、それが、

おそらくですが、なにか事実として運命とか、何かだとして、なぜ、それがそうなってるのか、答えることができる人は皆無だと思います。ならば、それを知っても意味があるのでしょうか。また。それが運命として生まれたと知って、なお、生まれる必要があるのでしょうか。答えのない質問を見つけたのかもしれません。それでもなお、

それを質問するならば。それは、そう質問する人が、自分で答えを見いだす可能性があるかもしれません。ただ、事実として・・・どのようなことでも言えるとしても・・・どのようなことでもない。と、思います。そして、

たとえば運命だとしても、偶然だとしても、輪廻だとしても、なんであっても、それからの解放が可能なのが、この世界の機能です。

No.1282 - 2009/01/04(Sun) 22:01:31

Re: / ルー
それからの解放とかいうより以前に、どうなっているのかを知りたいだけです。
No.1283 - 2009/01/04(Sun) 23:57:50

Re: / ルー
知りたい、知りたくない、という葛藤はありません。
そうなっている。。。と言われるところを、そうなっているというのはどうなっているのかを知りたいだけです。
「知りません」と書いておられますが、「そうなっている」ということは、どうなっているのかは知っているということでしょう。
なぜ、その親から生まれねばならなかったのかは、誰にも答えられないでしょう。
それは、「問い」ではないのです。
その親から生まれねばならなかった、という事実なだけです。その親からしかその子は生まれることができなかったというのは事実だと思います。

No.1284 - 2009/01/05(Mon) 00:02:35

Re: / ルー
何かから解放されたいということはありません。
No.1285 - 2009/01/05(Mon) 00:03:46

Re: / ルー
私は、新しい場所へと進んでいっているのです。
No.1286 - 2009/01/05(Mon) 00:04:51

Re: / ubik0101
>それからの解放とかいうより以前に、どうなっているのかを知りたいだけです。

もしかして、 2,3年前にも言いましたが、ブッダのいう十二縁起(依存関係)を研究するのはいいかもしれません。うろ覚えですが「これありて、これあり。これなくて、これなし」。です。

その意味としては、「無明(無知・愚かさ)ゆえに、行がある。行があるゆえに識がある・・・・・ゆえに老病生死がある・・・という順観。そして。無明をなくすことによって、行がなくなる。行がなくなることで・・・・・老病生死がなくなる・・・という逆観」。の十二の項目の連鎖だったと思います。

その、十二の項目についての、それぞれの定義もなされています。たとえば、無明の定義には、無明を滅する事を知らない無知、とかもあったと思います。仏陀の悟りの内容で、世界の仕組み、と思います。「阿含経」に書いてあります。このところhatoさんの実家にいますが、アパートに帰ったら、抜粋、投稿できます。 どこか、ゲストブックにも転載しています。

たとえば龍樹をはじめ、いろんな人が、十二縁起を様々に解釈しています。けど、覚醒体験などをした人、また実際に、無知をなくした人でなくては、理解したつもりで、誤解できるだけです。

また、なにか体験しても、その人の、それまでの経緯に影響を受けます。あとで、それを理解する意識は、なおさらです。そこで、体験も理解も、捨ててしまう必要もでてきたりします。

それでも、また。そういう体験をしなければ、それを聞いても知っても、あまり意味がないと思います。

>私は、新しい場所へと進んでいっているのです。

そういう体験とかも、もう不要なら、ルーさんが自分で感じるまま、見たまま、です。これから夜まで、出かけます。

No.1287 - 2009/01/05(Mon) 11:23:07

Re: / ルー
そうですね、もう、十二縁起も必要ないと思います。
直接、この世界と関わっていきます。

ありがとう。
うびさんの存在が嬉しいです。

No.1288 - 2009/01/05(Mon) 16:02:18

Re: / hato

ほんとうに。

彼はただ、愛です。
そして尚、そして尚、愛さざるを得ません。

喜びが満ちるとき、
私たちは、
それぞれの世界で表現していくことが出来るのだと思います。

No.1289 - 2009/01/05(Mon) 21:23:24

Re: / ルー
うびさんは、ただの人。だしょ?

怒りが満ちる時にも、表現することはできるのでは?

No.1290 - 2009/01/06(Tue) 14:32:51

Re: / ルー
あまり意味がわからなかったので、つっこんでみました。

特に言いたいこともないので、スルーしてください。

hatoさんが何を伝えたいのかを考えてみたのですが、よくわかりませんでした。
hatoさんの文章は、たいてい、そうです。
説明してありません。
たぶん、伝わらなくてもいい、という思いがあるのでは?

ま、お互い、特に話したいこともなさそうなので、気にすることもないと思います。

No.1291 - 2009/01/06(Tue) 14:40:02

Re: / ルー
hatoさんは、うびさんを愛してるって言いたかったのね。。。

じゃ、そういうわけで。

ごちそうさまでした。まる。

No.1292 - 2009/01/06(Tue) 15:06:07

Re: / hato

ルーさん、こんばんは。
ルーさんらしいね、といって、ubik0101さんと爆笑していました。
どうもありがとう。

わたしは、単刀直入なんでしょう。
今のところは、それでよいのかもしれません。

愛、
その了解。
たとえば全身に染み渡る、たとえば胸に熱く湧き起こる、感謝。歓喜。
静かに、ときに鮮烈に、個々に了解されるそれを「喜び」と表現しました。
それは成長のなかで、必ず経なければならないことでしょう。
聖書にも、そこがなければ、ただうるさいシンバル、ドラになってしまう、
と書かれていたように思います。
了解を得て、自分を正確に理解して初めて、私たちは人として歩んでいけるといえます。
そこで、素直、謙虚、などの資質を育てる、より良い土壌が出来るといえます。
そして尚、学び、成長することが嬉しいのだと思います。

まず、人としての理解の為に尽くされるubik0101さんに、
感謝申し上げたいと思います。

というわけで、えーと、
夫婦としては、初心者なのでー。
というより、
二人とも、脳天気にもほどがあるのでどうしましょう。まる。

だしょ?(笑)

No.1293 - 2009/01/07(Wed) 00:13:54
(No Subject) / ルー
私が何かをしてあげたいとか、それについて考えたい、とかいうのではなくて、それを理解したいのです。
未熟な親によって虐待され、1才ぐらいで死んでしまう子供は、何のためにうまれてきたのかということについて。

No.1275 - 2009/01/02(Fri) 23:51:38

Re: / 大阪
ルーさん、こんにちは。

今日も、新たにそんな酷いニュースを見ました。

確かに、その未熟な親によって虐待され、1才ぐらいで死んでしまった子供にすれば、自分の自我が問題でそんな不幸な目に遭ったわけではないでしょう。

問題は親の自我でしょう。

自分の子供をそんな風に死なせてしまうなんて、何のためにうまれてきたのでしょう。

誰かの自我の問題は、その人だけでなくて、周囲の人に影響するようです。
自分は思っていもいなかったけど、知らぬ間に人を精神的にも肉体的にも傷つけることもあるようです。

だから自分の自我の問題を解決することは、自分のためだけではないのでしょう。

それで、自分や周囲を不幸にしているのは、他でもなく、自分ではないか、とか気付くのだと思います。というか本当は知っていて、隠しているだけなのだと思います。

それで、自分の成長を望むようになるのだと思います。


もしもそんな親がそれでさらに酷い生き方をするなら、赤ちゃんは泣くでしょう。
もしもそんな親がそれで成長するなら、赤ちゃんは生まれてよかったと喜ぶと思います。

僕の考え方はこうです。

No.1276 - 2009/01/03(Sat) 12:19:44

Re: / ルー
大阪さん、お返事ありがとうございます。
その未熟な親が虐待によって子供をCENSOREDしまうことによって、成長するなら子供は喜ぶ、さらに酷くなるなら悲しむということは、やはり、その子供は、親のために生まれてきたということでしょうか。

未熟な親からも子供は生まれる、ということだと思います。
その子供として生まれてしまうことの理不尽さ。
その世は、そのような理不尽なことが起きるところ、だと思います。

No.1277 - 2009/01/03(Sat) 15:30:44

Re: / 大阪
そんな理不尽なことの起きるこの世を愛して生まれてきたんだと思います。

どんな理不尽も、どんな不幸も許せるぐらい、この世が愛しかったのではないでしょうか。

だから自分のために生まれた、ということでもあると思います。

No.1278 - 2009/01/03(Sat) 18:53:59

Re: / ルー
親が未熟であること、この世は理不尽なことが起きるところであるということを認める、ということかなと思います。
No.1279 - 2009/01/03(Sat) 22:45:18

Re: / ubik0101
>未熟な親によって虐待され、1才ぐらいで死んでしまう子供は、何のためにうまれてきたのかということについて。

それで。未熟でも、そうでないとしても、どんな親の子供として生まれても。100才くらいまで生きて、そこそこ楽しんだり苦しんだりして・・・自分の感覚や、感情や、意識に迷って、愚かなまま日常に埋没し・・・子孫を残して死んだ人は。なんのために生きたのか?

ということも考えてしまいます。そこで、いろんな言い方がありますが、そういう迷いの自我を完全に使って、それに依存する必要がなくなる、成長する、自己になる、ことが望ましい。その人の惹きつけられる問題にこそ、その道があるように思います。それでも、

どう考えても、1才ぐらいで死んでしまう、その子供の不遇は、実際に解決しません。これは世界にとって、それでもいいから、世界にあり得るのだと、思います。その理由として、

ひとつには。それが理不尽であっても、そういう不完全なこともなければ、世界は完全ではないからではないでしょうか。たとえば人が考える欠けるところのない玉のような完全さなら、それは不自由かもしれません。そうでなく、

なんでもありの、不自由もある、不幸もある。不公平もある。不運もある、幸運もある、どうでもないもある。完全さゆえに人は、この世界に惹きつけられるのだと思います。それで、

その、なんでもありの完全さを解釈し人は、それが虐待であれ、そうではなかったけど偶然の事故などであれ、1才くらいで死ぬ子供についても。100才くらいの長寿な人についても。さまざまな意味を汲み取ります。けど。たぶん、

なにか出来事とは、すべての意味を孕んで無意味でもあります。たとえば、とある汲み取られた意味は、どんなものでも、偏りを示すかもしれないと思います。それで人は、どんな意味、思考に、依存できないのかもしれません。また、

ひとつには。どうであれ、死んだらどうなるのか?という問題が避けられないと思います。

No.1280 - 2009/01/04(Sun) 11:05:07
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