ubik0101さんは「至高体験による覚醒の、始まりと、中間と、成就が自覚されます。」と書かれています。またどこかに覚醒は一瞬だ、ともありました。「覚醒の、始まりと、中間と、成就」とは一瞬の中にあるということでしょうか?
|
No.1226 - 2008/12/14(Sun) 07:41:37
| ☆ Re: / ubik0101 | | | それは、ほかの人のことを書いたのではなく、ただ自分に起こったことです。どうしようもない衝動によって、なにがなんでも、ほかのあらゆることを差し置いて、
これが自分だと思う自分の有り様を捨てて、自分の中心に向かう過程で。知覚される限りでは、偽善や嫉妬や傲慢や卑下など、なにも問題がない、有り様になりました。 それでも、
さらに自分の無意識に隠れた問題を掘り起こして、その前提、動機を探し出す、つまり、徹底して隠れた自分の中心をさらけ出すこと。その時には起こってはないけど、起こりえる、悪、自尊心などの可能性も見ることによって正当性をなくす・・・理解することは得ることではなく失うことに似てる・・・捨てる。をしていました。たぶん、
それが結果的にですが、意識・無意識を通じての訓練になっていて、意識・無意識に跨る、至高体験の過程を自覚できたのだと思います。その変化の始まりを、そして変化しながら、変化しつつある自分を、その過程を、自覚しました。その過程の始まりと、中間と、成就は、
ふつうに会社からアパートに帰り、玄関を開け、障子を開け、片足が上がり、それが畳に降りつくまでの、ほとんど瞬間でした。そうでなく、
たぶん人の部分的な変化なら、暫定的な経緯もあるかもしれませんが、それでは成就の自覚も困難だと思います。人の変化の、最も簡単な明確な出来事と思います。それで、
この一瞬とか、今、ということに、覚醒が見つかる。という意味ではありません。そのように思ったのであれば、それに正当性を持たせる、その隠れた前提、動機をさらけだし、そう思うことを捨ててた、だろうと思います。まったく、
どんな瞑想、座禅、いかなるメソッドも試したことはありません。そういうことにも無知なくらい、ほとんど書も読まず、社会的なことも個人的なことも捨てたのです。たぶん、ほかの人から見れば、たとえば素直にして傲慢、異常な日常生活だったと思います。自分に何が起こるか、というより、何かが起こることさえ知りませんでした。
|
No.1227 - 2008/12/14(Sun) 13:18:22 |
|