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(No Subject) / ubik0101
続・思考の機能

>どちらにしても、人が迷ってるのです。思考が迷ってるわけでも、迷わせてるわけでもありません。思考は自ら矛盾にも、自らの範疇にないことにも、気がつくことだってできるのです。 思考は巧妙に人を騙す、というより、人の巧妙な迷いのあり方を理解できる。とも言えます。

と、いう投稿No.1101からの続きです。

たとえば。慈しみと憎しみは、おなじこと。善と悪は。暴力と非暴力は。おなじこと。と、いう思考があります。それは自我の機能としての、思考の運動なので、そのような対になった思考は、その自我の範疇にあることだ。ということです。

そこで、問題は、そういう思考だ、と見なされることがあります。しかし違います。また、思考は過去のものだから、思考は事実、現実、ではないと、見なされることがあります。しかし違います。

それは。なにかの状態、たとえば自我が機能してる人があり、また過去に捕らわれた人があり、そのようであることを、『たまたま』表してるのが、たとえばそのような思考です。

というのも、対になった思考をしてないときでも、過去からの影響を自覚してないときでも、その人は捕らわれてるなら、そういう自我や、過去に捕らわれてる形態なのです。 そう思考をしてても、それに捕らわれてないなら、捕らわれてないのです。

それで、そういうことから自分は解放されてないのに、解放されてると思い込みたいなら・・・たとえば対になった思考に責任を負わせて、それが機能してないから・・・過去のことを思考せず、いまに、現実を生きてるから・・・それに縛られてない。などと、思わざるを得ないでしょう。

ところで今日は、hatoさんと一緒に、多摩センターに行きました。ちいさな植物園があって、ローズマリーを「お持ちください」。だったので、魚の香草焼きにと、貰って。新芽の部分は、赤玉土に、挿し木してみました。根がでたら、タイムなどと、ハーブの寄せ植えにしようと思っています。

続きます。

No.1134 - 2008/10/11(Sat) 20:18:34

Re: / ubik0101
また思考から逃げ続けなくてはならないでしょう。また。自我や欲望があれば、かならず知覚されると思わざるを得ないでしょう。

つまり。たとえば自我を自覚しなければ、自我はない、と思わざるを得ないでしょう。けれど。それは、自分に知覚できることしかない、できないことは、ないと見なす、そんな知覚依存症でもあります。

また、たとえば、慈しみと憎しみとは対になってるとしても。それと、悲しさと、喜びと、ありとあらゆることとの関係は、どうなってるでしょう。そういうことを思考せずに、ただ対として思考されやすい、関係だけを見ているのなら、それは明らかに執着の機能です。

それでは永遠に悩んでいられます。それが、そういう思考として現れているということです。 そのように思考は正確に機能します。

また。対になった思考は、おなじこと。と表明しても、それを対象にしてるのだから、その対象にしてる自分はそれから離れてると思い込むとしても。それに実は捕らわれてる人がいます。そんな思考をしなくても、それから解放される人がいます。

このように思考するということは、思考しないということは、それに捕らわれていても、解放されていても可能です。つまり、その人の状態には、無関係です。ゆえに思考は正確に機能します。

ところで。このアパートの近所には、ススキが生えています。秋の月。虫の声。そういえば子供の頃、しーん、という音を聞いたような思いがあります。多摩センターには、巨大なススキがありました。

No.1135 - 2008/10/11(Sat) 21:53:17

Re: / hato

上の大きなススキは、パンパスグラス、というそうです。
パンパスって、どこか南米だったか、お父さん、との意味があるそうですが、
この秋、散歩で二度見かけましたが、見事な様子に感激しました。

さて今日も、海日和。
休みのたびにちょっくら釣りに、なあんて、
今まで考えてもみませんでしたけど、
なかなか、お陰さまでこれもよい感じです。

その音。
やはり、ここでも。

ルンルンは、
秋を楽しむ、そんな近況です。

No.1136 - 2008/10/12(Sun) 23:57:13

Re: / peer
昔こんな言葉を、聞いたことがあります。

悟りとは、損をすることである。
迷いとは、得をすることである。

この、損と得をするのは、我(エゴ)。なのですね。
自我からみると、こういう世界です。
まぁ。我の住んでいる世界は、アベコベ世界ですから。
こうなるのでしょうね。

No.1137 - 2008/10/13(Mon) 08:11:46

Re: / ubik0101
ま。悟ってしまったら、それを確認する必要がないので、悟りという概念、観念を失う、とも言えそうです。また、そんな自分の自覚も失う、とも言えそうです。達磨は武帝に向かって・・・廓然無聖(かくねんむしょう)・・・とくに聖なることなどない・・・と言ったと伝えられています。

ならば、悟りを得ようとするのは・・・おなじように地位や名誉や知識を得ようとするのは・・・迷いです。ということでしょう。しかーし。これは、迷ってないなら、悟りを得ようとしない、という無意識の空想に繋がります。

それで。悟りを得ようとしてなければ。たとえば自然に生きれば。知覚からの直接行動があれば。迷ってない、と。無意識も妄想します。しかし、そんなわけはありません。

けど。それは見かけは、迷ってない、悟ってる。に、そっくりです。でも、無意識を見たくないから、知覚できる感覚、思考だけに執着する傾向があります。そのようにして自我は、逃げこむ裏道があります。裏道があります(残響)。

ところでpeerさんは、とくに自我からも、悟りからも、見ないから。あべこべとも思う必要もないから。損も、得も無関係。て、いうことでしょうか。そういえば柿の季節です。えいっ。

No.1138 - 2008/10/13(Mon) 09:58:16

Re: / hato

ほんとーに。

損得、そんなん、無関係です。

人って。

多種多様です。

No.1139 - 2008/10/13(Mon) 12:58:15

Re: / peer
そういえば、同じこととして。

自分を1パーセントも守ろうとしなければ
完全に守られている。ンですね。
守ろうとすればするほど、守るのが難しい。
そんなことも、感じます。
ホントに、この社会はアベコベです。

No.1142 - 2008/10/14(Tue) 01:00:17

Re: / ubik0101
うーん。守ろうとしなければ、それが損なわれたとしても、無頓着、無関心だと思います。それでも生きてるなら、人生いたるところに青山あり、で、とくに問題ありません。と言っても、いつでも守られてる。というわけでは現実は、ないと思います。病気も、事故も起きるでしょう。それでも無問題なら、もともと守られる必要もないでしょう。

と、いうことは。たとえば。なにかを守ろうとしてる誰かや自分を批判して。なにも守ろうとしなければ・・・ということと、どこか無意識にでも隠れてる、自分は守られたい。ということが結びついて、思考された。つまり、いつでもどこでも守られたい自分の不安や欲望を見つけた。だけ、かもしれません。そのように巧妙に、思考は、その人の有り様を露わにするとも言えます。

また。「守ろうとしなければ、守られている」ということは。心理的な問題には、適応できるけど。身体的とか、物理的なことには適応できないのだ。ということかもしれません。なら、その思考が問題というより、そうする人の有り様を、思考が、巧妙に露わにしてる。そんな事態を思考すると面白い。のでは、ないでしょうか。

それはそれとして。何から、何を、守ってもらえると、想定してるのでしょう。 それで、誰も、何かからも、守られてないよ。でも、ちゃっんと生きてるし、守られてるんだ。なんて思考も出来るかもしれません。かもしれません(残響)。ところで。なんでも100円ショップで買った、なかなか素敵といえる、ソムリエナイフです。

No.1143 - 2008/10/14(Tue) 11:24:08

Re: / peer
「守ろうとしない」
例えていうと。
ウビさんが書いていたように
「自分にも誰にもウソをつかない」
というようなことかな、と思いマス。
インスピレーションのままに・・・みたいなことです。

自分を守ろうとしてウソをつく。
また、人を守ろうとしてウソをつく。
と、たいていは、この後、混乱しますね。

あと・・・そうねぇ。守ろうとしない〜は。
素直でいる。とか、ですねぇ。
それで、じっさい、困ることなんか、ないですし。

No.1148 - 2008/10/15(Wed) 13:59:40

Re: / hato
そうですね。
そんなところも、あるように思います。

そして、
ぴあさんは、ぴあさんのその有り様を
見ているでしょうか。

つねに、どこか煙に巻くような風合いは、
それもまた味わいとして、決してわるいものではないのだけれど。
そのまま、どこでも、どちらつかずのように。

どこかの位置に決定されることは、
たとえ一瞬であれ、
誰しも、躊躇があるかもしれませんが。

そうした人にとっては、勇気が必要だと思います。

散歩の途中で見つけた、石垣から生えている、
山椒の木です。

No.1149 - 2008/10/15(Wed) 22:01:26

Re: / peer
もちろん。私が私の関わっている世界から
湧き出た言葉を書いていますから。
私の有り様ですね。すべては。

>どこか煙に巻くような風合い
>どちらつかずのように。


というふうに、見える。というコトですね。
なんだかね。
たぶん確定していないから、位置がはっきりしない
のかも。
まるで、波になったり、粒になったりする光の要素が
それぞれの人間の中にある。からかもしれません。

って、なにを言われたのかわからないから。
そんなふうに、書いておきます〜

No.1151 - 2008/10/16(Thu) 06:59:25

Re: / hato
まず、自分の中でしっかりと確認、或いは、理解されていることを
明確に語ろうとすること、それがとても大切なことだと思います。
未熟であったとしても、中途半端な表現だとしても、
人が本心から、丁寧に生きた実質から出た言葉には、違和感がありません。
明確に語ろうとする意志と勇気、即ち、現状に即した有り様を語る、ことは、
素直といえるでしょう。嘘がない、といえるでしょう。

また、いわゆるなにか事実、例えば、「波と粒子」、とか、そうした様相を見た、それらが事実、であったとしても、、日常の様々なことを生き、見る、ということ自体に、無関係である、(ここはしかし、気を付けて表現されなければなりませんが、)こと。
ここでは、了解されることとして語られていると思いますが
そのこと、そのものは、正にそこ、でしか明白になりません。
なので、似たようなそうでないもの、が多く氾濫できるのだと思います。

今日は、実家に行ってごはんを食べてテレビを見て帰ってきました。
ubik0101さんは、食べ過ぎて、お腹いっぱい。
でも今は元気になったので、お茶を入れたところです。

それでは今日も、おつかれさまでした。

No.1152 - 2008/10/16(Thu) 23:59:32

Re: / peer
やあやあ。おつかれさまです。

>自分の中でしっかりと確認、或いは、理解されていることを
明確に語ろうとすること、それがとても大切なことだと思います。


つまりは、未熟と言えばいえますが。
「しっかりと確認している」とか「理解されている」ことが
ある人は、いいのですが。
書いてから、自分がなにを感じていたのかが、わかる。
ようなことが、あります。
だから、書くと言うことが大事なのだろうな。と思いマス。

・・・まったく。
いつも思いマス。私ごときは、毛の先ほども、モノゴトを
知らない。理解していない。。と。
まっ、すべてを理解したら、また書きに来ます〜
いつになるやら。ですが。

あっそうそう。
光の波と粒子の例えは。
過去・現在・未来を統合した現実が、波と例え。
粒子は、ただこの一瞬の現実。のこと。
だったと、書いてから気づきました。
では。

No.1153 - 2008/10/17(Fri) 00:18:31

Re: / hato

> 書いてから、自分がなにを感じていたのかが、わかる。
> ようなことが、あります。
> だから、書くと言うことが大事なのだろうな。と思いマス。


なんにしても、
常に、真剣さ、は鍵となると思います。
そしてここに関しては、借り物ではならない、のだと思います。
情報や言葉を集めてみても、
そんな気がしてしまうだけなら、悲しいことだと思います。

そして尚、
peerさんがしたいようになさること、
そしてわたしは、いまpeerさんにお話したいと思ったことを、表現しました。

それでよいのだと思います。

それでは、また。

No.1157 - 2008/10/19(Sun) 01:23:05

Re: / peer
>そしてここに関しては、借り物ではならない、のだと思います。
>情報や言葉を集めてみても、
>そんな気がしてしまうだけなら、悲しいことだと思います。


たぶん、私はhatoさんが、伝えたいことが、理解できない。
状態なのだと、思いマス。
なにを言っているのかな。とズット考えてましたが。
やはり、分かりません。

hatoさんの心が、ダイレクトに入って来ないのか、
わたしが受け取ろうとしないのか・・・
これも、また「気がする」だけですが。

こういうのを、ふだん、波長が合わない。というふうに
表現してしまうのですが。そこで、そのまま「まぁ、いいか」
と流して、他の関心事に、心が動いて行く。
そういうクセが、私にはある。ワケで。
その時がくれば、波長があうこともある。
「なるほど、あのことは、このことか」と。
なることも、あるだろうと、思いながら。
長くなりましたが、このへんで失礼。
ほんとうに〜では、また。

No.1158 - 2008/10/19(Sun) 10:06:12
(No Subject) / ばん
うびさんとなんか雰囲気の似た人発見
http://108.houhu.net/
http://blog.goo.ne.jp/hyakuhachi/

なにか伝えた事が同じ事の様な気がするのですが、ちょっと違う、同じ頂上に立っているけど登り方が違ったと言うような、
文章の感じも似ていないですが、なんか同じ匂いがするというか、私はよく理解できないのですが、うびさん、hatoさんなら書いてある意味がわかるんじないかなと思いました。

No.1144 - 2008/10/15(Wed) 08:52:23

Re: / ubik0101
ありがとう。ただ、このPCはOSが、とても古いので、ブログしか表示できませんでした。それは、まだ記事もあまり書かれてないので、これからの楽しみにします。そういえば図書館閲覧者さんに教えてもらった、672夜さんのサイト、

http://www.672ya.com/

は、なんか背景が、神智学関係?らしくて難しいのですが。楽しめるかもしれません。

それはそれとして、どういうわけか、サイト「覚醒」の中国語版が見つかりました。接続できたり、できなかったりします。

http://jp2tc.mojolingo.com.tw/m2m-0000/www.geocities.jp/ubik0101/

No.1145 - 2008/10/15(Wed) 10:50:18

Re: / ばん
うおっ「心身の神癒」先月注文して届きました。
まだ読んでませんが・・・

中国のサイト誰か翻訳してるのでしょうか、不思議ですね、それと図書館閲覧者さんのブログみれなくなってしまってますね

No.1146 - 2008/10/15(Wed) 11:13:08

Re: / ubik0101
とくに興味がないわけじゃなく、この頃672夜さんのサイトは見てなかったのですが。たぶん「心身の神癒」って、672夜さんの著作なのでしょう。

なんか図書館閲覧者さんは心境・・・そんなもんあるとして・・・の変化なのでしょうか。理由を聞くことも野暮な気がしますが。それはそれ。です。

この頃、弁当作りが趣味になってしまいました。昨日はブリの照り焼き弁当です。

No.1147 - 2008/10/15(Wed) 13:14:44

Re: / ばん
「心身の神癒」はM・マグドナルド・ベインさんて方が書いた本です。
説明にはイエス・キリストとの霊交によって書かれたとありますが本文にはキリスト=神我と書かれているので、大まかに言うと「本当の自分に気づいちゃったよ、みんなにおしえるね」と言うような本みたいです。

ちょっと質問
うびさんはお仕事ってされてますか?
スローライフな感じにみえて、憧れます。

それと、今、固定観念と投影について考えています、あと、うびさんが言われていた、自我はないという事がわかったような、思考している架空の自分の事を自我とよんでいるというか、思考しているからそれをしている主体をつくりだしているというか・・・なんかそんな感じですか?

No.1154 - 2008/10/18(Sat) 09:15:24

Re: / ubik0101
うー。仕事、探しているところです。hatoさんに叱咤激励されています。

そうですね。あの体験が始まって、最初に見たのが、自我の仕組みでした。それは、まず自分があって、なにかを感じたり思考したりするのではなく、なにかを感じたり思考したりすることで、そうしてる中心としての自分が設定される。虚構。架空。ということです。

それは、また。自我は、自己・・・ほんとの自分とも表現できそうですが・・・のいない間だけ必要で、倒錯しながら、自己の代理、執事をしてる、とか。

どんなことも世界が人にしてあげてるのに、人が、それを自分でしてると思い違うこと、とか。

まったく自覚の必要もないのに。自分が、自分を自覚したい、実感したいという働きが、自我でもある、とか。いろんな立ち位置から見た自我の、理解ができます。

そういえば、たとえば自他の分離と、分離がない、たとえば「ひとつ」を、提唱する人もいるようです。でも、そうすることで、そうしてる自分を自覚、実感してしまう・・・自我の機能・・・に縛られることもあるようです。

それが、その人の経緯だとして、それを成り立たせてる前提、たとえば知覚の機能を理解することで、それから解放され、人は学び、成長するのだと思います。固定観念。投影。について思考することも、そのような一環になると思います。

No.1155 - 2008/10/18(Sat) 11:35:16

Re: / hato

きのうの、ubik弁当です。
いつも山椒が入ってて、一緒に頂くのが、
ちょっと素敵。

今日も、こちらは快晴です。

No.1156 - 2008/10/18(Sat) 12:06:16
執着 / ばん
何故かまた解らなくなってしまいました
覚醒、悟りなどのことを考えれば考えるほど
それから離れていっている様な
覚醒、悟りに執着しすぎているのでしょうか

あの体験で感じた本当の私は何ともいえないものだった
それで終わりにしていた方がよいのかな

私は考えているような自分でなかった、なんとも言えない自分だった、だから、執着、依存して不安や恐怖にとらわれることなく頭に何が浮かんでも出来る事をする

これが一番、自分は楽なのですがどうでしょう。

No.1095 - 2008/09/30(Tue) 08:46:47

Re: 執着 / ubik0101
うん。この日常こそ、真理です。たとえば禅などは、ばんさんの言うような生き方ををめざして修行することもあるようです。けれど反面。まったく悟ってもないのに、そのようにありたいと、それに自分の、なんでもない愚かな日常生活をあてはめて、たとえば始めも終わりもなく生きてると自分を騙し、迷ってることにも気がつけない人も見かけます。

その両者の行動、発言、思考は、紙一重です。とある立ち位置から見ると、まったく同じということもあり得ます。でも、その息づかいというか、その歌というか、その踊りというか、どうしても違います。と、そんなことを気にするのも、迷ってるなら、その迷いを露わにすることになり得ます。悟ってるなら、その悟りを露わにすることになり得ます。

たとえばイエス・キリストの、仏陀の、誰か賢者の言葉を、また自分の状態を、うまく思考したり検討したり演繹したりできることが、悟ってるわけではありません。できないことが悟ってないわけではありません。そういう思考とか検討とか演繹とかと、その人の悟りとは、まったく関係ありません。

つまり違いは行動、発言、思考ではなく、その人そのこと(変な言い方)です。それで、「だから、執着、依存して不安や恐怖にとらわれることなく頭に何が浮かんでも出来る事をする」。でも。「何故かまた解らなくなってしまいました」。でも。悟った人には、悟りの状態であり、その表現です。おなじことが迷ってる人には、迷いの状態であり、その表現です。ところで

どうでしょう。ばんさんは、悟った人でしょうか、迷ってる人でしょうか。ubik0101は、どっちでもなくあります。ばんさんもそうなのかもしれません。悟りと迷い、どちらにもいるとも言えるし。なにか思考に使われるのじゃなく、使うとも言えるし。そんな使われたり使ったりする主体は、いるとも、いないとも言えるし。悟りと迷いの分離、分別、対立がない、あっても、かまわない。そんなことに依存しない。「なんとも言えない自分」、ただの人とも言えます。言わなくても違うわけでもありません。

>覚醒、悟りなどのことを考えれば考えるほど
>それから離れていっている様な
>覚醒、悟りに執着しすぎているのでしょうか


ここのところは。悟ってる人は、まったく悟りだけなので。その悟りを、とあることとして対象化して思考すると、そのことは、たとえば迷いと比較する可能性がでてしまうので。そのことが分離、分別、対立を生じさせるので。そもそも対象化することが分離なので。つまり、その人は悟りだけ、でなくなるのだ、という理解ができます。

そう理解すれば、「覚醒、悟りなどのことを考えれば考えるほど」考えても、その立ち位置に縛られなくなります。

とういうのも実は、分離、分別、対立だって、悟りを離れることはないのですが・・・不完全もない完全など完全ではないので・・・とある立ち位置から見ると、悟りから離れたように見えるので。一応は。そういう理解が必要なこともある。それも無自覚の叡智の確認になる。ということです。

>あの体験で感じた本当の私は何ともいえないものだった
>それで終わりにしていた方がよいのかな


それで。まあ。たとえば終わりにして、あの体験を掴んでしまったり、それを日常で実現しようとしたり。また忘れてしまうという意味で言ってるわけではないと思います。

No.1096 - 2008/09/30(Tue) 12:01:53

Re: 執着 / しむじゃ
掲示板を遡って読んでいると、「あの体験」と出てきました。ここにも「あの体験」っておっしゃってます。「あの体験」とはどういう体験ですか?

「それで終わりにしていた方がよいのかな」で終わることはできるのでしょうか?終わるのと「あの体験」は関係があるんですか?

No.1123 - 2008/10/08(Wed) 17:56:59

Re: 執着 / hato
それは、いわゆる至高体験とか、たぶん光明とか、変性意識とか呼ばれてる体験です。それぞれの人の経緯によって違うのですが、おおくの場合、自分が自分だと思ってた自分・・・自我・・・がないことを実感します。

それを、空っぽとか、無我とか、自分はない、とか表現しています。そのとき自我の仕組みの理解があります。

そして。ほかのどんなことでもない愛を感じます。それに伴い、また自我ではない、自己。そして実在。を実感します。 これも、その人の経緯によって違い、またその表現も違います。それは。ほとんど瞬間的な変化、変容、飛躍、成長だと思います。

>「それで終わりにしていた方がよいのかな」で終わることはできるのでしょうか?終わるのと「あの体験」は関係があるんですか?

それは、ばんさんの表現です。たぶん。あの体験を思考したり表現したりすると、却って迷ってしまうので。そういうことを了解して。自分の変化、変容、飛躍、成長を、意識によらず、無自覚に自覚する。という意味ではないかと思います。

No.1126 - 2008/10/08(Wed) 23:36:16

Re: 執着 / しむじゃ
hatoさん、ありがとうございます。
hatoさんはubikさんの奥さまなんですね、掲示板を遡って読んでいたら、2人の結婚しますって書き込みがあって、なんだか2人の人柄で出ていて、こっちもすごく幸せな気分になりました。

どうも僕は
>あの体験を思考したり表現したりすると、却って迷ってしまう
っているようです。『自分が自分だと思ってた自分・・・自我・・・がない』とか『愛』『実在』とか、はっきり自分自身で理解したにもかかわらず、それ以上の理解があるのじゃないか?自分はまだまだじゃないかと納得しない。人の言っているあの体験の話に迷わされてる。

>無自覚に自覚する。
は、納得しないまま納得する、ってことですか?

No.1129 - 2008/10/09(Thu) 00:52:59

Re: 執着 / ubik0101
ううん。あの体験と、あの体験で見たことを、正確に理解することが必要と思います。そうしてないことが、迷いとか苦痛として顕れます。その苦痛が、それを理解させる原動力になります。

とりあえず。まず。どのようなことであれ理解するということは、どう機能するのかを、理解することが望ましいでしょう。それは、なにかを得る。というよりも、失うことに似ているのではないでしょうか。

そして理解されたことは。意識にとっては、見えなくなる。意識にとっては失われてしまいます。けど、なくなるわけではない。のではないでしょうか。

それは、なにかを理解していない、つまり自分が理解してないということにも気がついてない無知な有り様と、意識にとっては見かけは変わりませんが、まったく違います。

たとえば。迷いは無知の現れだとして。あの体験によって。それが意識の範疇にない、意識には依存しない、知恵に転換されています。そういうことを了解する機能が、あの体験で実感した、自己にあります。

続きます。

No.1131 - 2008/10/09(Thu) 12:14:25

Re: 執着 / ubik0101
それは・・・なにか問題が知覚されるなら、そこから始めて、思考しつくして・・・誤ったり、嘘をついたりする機能がある意識によらず・・・意識の領域にないことを、了解するしかありません。なのに本性が愚かな意識が「あの体験を思考したり表現したりすると、却って迷ってしまう」のではないでしょうか。

そのように。あの体験を自分の対象にして知覚、自覚することを望んで、そのことは分離があるので、迷いだ。と思い過ごしてしまうこともあります。また。あまりに完全を求めて、根ほり葉ほり自分の好ましくない有り様を、探してしまうこともあります。

そうならば。しかし自我や、欲望や、葛藤や、思考、過去、苦しみさえ、不思議な、未知な、世界の機能です。とか。不完全もなければ、完全ではない。とか。知覚、実感に依存しては不可です。とか。その無自覚の知恵を確認する意味での思考が必要なことがあります。また。なにかの、とある問題を検討しないでも、解決されてることもあります。

そして、その自己も、まったく意識にとっては無自覚になります。自己は自己を確認、知覚、自覚する必要がなくなります。そうなら。たとえば。その自己を実感したい・・自分で自分を認識したい・・・そういうことも自我の機能だ。ということも学んでいきます。

たしかに 「それ以上の理解があるのじゃないか?」。そうなのですが。それは忘れても忘れたりすることはないので。とりあえずは、いま知覚される問題を理解していくことが先決と思います。

「人の言っているあの体験の話に迷わされてる」。自分が虚偽の申告をしてることにも気がつかない自然外道もいます。それさえあり得る、この不思議な世界。です。

ところでNo.1126の投稿は、名前hatoの設定保存のまま投稿したもので、実際は、ubik0101の投稿です。

No.1132 - 2008/10/09(Thu) 13:31:34

Re: 執着 / hato

しむじゃさん、はじめまして。

優しいお気持ちを、ありがとうございます。
お元気でいられるでしょうか。

おくさまー、て感じじゃないんですけど、、(笑)

人生に導かれている、ことは誰しもそのようです。
不思議ですね、そうしたことすべてが。
なんでしょうね。

苦しいとき、
ここでできることをしてみます、
それしか詰まるところ、ないわけですし、

ubik0101さんがお話されたように、自分自身の有り様を書き尽くす、ことは、大変有効かも知れません。
その中で落ち着くものが落ち着き、新たに騒ぎ出すものもあるかもしれませんが、
ふと、理解されている事態を見い出すことも、あるかもしれません。

この間拾ってきた、銀杏の種です。

No.1140 - 2008/10/13(Mon) 22:33:56

Re: 執着 / hato

そうそう、さっき食事中に、煎った銀杏の実を、
ルンルンがとても気に入って食べてました。

No.1141 - 2008/10/13(Mon) 23:27:44
悩んでます / ばん
新しい取引先が出来たのですが、そこの担当者が下請けの私に威圧的な態度でいろんなことを強要してきます
断るにも断れず
その人のことばかり考えてしまいます。
気が滅入ってしまって、落ち込んでいます。

みなさんだったら、こういうことありますか?
どうしたらよいでしょうか?

No.1116 - 2008/10/07(Tue) 16:19:00

Re: 悩んでます / ubik0101
もしかして。俺は、お前に、仕事をさせてやってるんだぞー。そんな依頼心の奴隷。という滑稽というか、悲しいというか、哀れというか、そんな担当者に、ぶつかった、のかもしれません。

それは自分の場合は、性格の悪さで対応しました。つまり上司や顧客、もちろん後輩や下請けにも、友人にも、分け隔てなく接するということです。だって、いちいち態度を変えるのって、面倒じゃないですか。

すると、ある人からは、傍若無人。ある人からは、自我の強い人。ある人からは、素直な人。ある人からは、できる人とか。いろいろ思われて、波瀾万丈。ある意味、楽しめます。けど、

イエス・キリストの言うように。たとえば10km歩けと言われたら、その人と一緒に20km歩くのも、いいように思います。その人のために、全力を尽くすんです。実際。「なんとも言えない自分」て、そんなもののようです。

No.1120 - 2008/10/08(Wed) 12:33:03

Re: 悩んでます / peer
取引先に対して
「こうであってほしい」という期待を持っていると
それにそぐわない相手に対して、嫌な感情を持つことがあります。
あの取引先はイイのに、この取引先は、イヤだな。とか。
そう考えると、どんな状況にあっても、問題になるのは
自分の姿勢でもあるかな。と考えます。
こういう場合、きつい状態は、自分を鍛えてくれる。
と思い直したら、頑張れるコトもあるし。

まぁ〜ホントにウザイなら、蹴ってもイイんじゃないでしょうか。
それが、お互いが生長するコトとなる。かも知れないし。
「みなさんだったら」ということなので、発言してみましたが。
余計なヨコヤリだったかも知れません。よろしく。

No.1121 - 2008/10/08(Wed) 13:14:23

Re: 悩んでます / ばん
うびさん、peerさんありがとうございます
心がふっと軽くなりました

なんか、自分に都合つけて物事を受け容れるのが、私はとても下手なのかなと思いました。
怒りを感じるのはよくない事だとか、
こんなにクヨクヨ考える自分は嫌だとか
こんな態度とっちゃ嫌われるかなとか

いろんなことが心の中で渦巻いて嫌になります。
こんな事考えたりしますか?

なんか、私は安心したいという欲求が強いみたいです。
何事にも動じない心になりたいです。

自分がすごい平和な体験をして、あの時みたいな心でいれたらどんなに幸せだろうなと思って、いろいろ調べたりしてそんな気分になったりして、うかれたり、落ち込んだりして、なんか疲れてしまいました。

あーどうしたらいいんでしょう、何から手をつけていいやら

No.1124 - 2008/10/08(Wed) 18:25:55

Re: 悩んでます / peer
どうもーどうも〜
コメ受け取って貰えて、助かりました。

>怒りを感じるのはよくない事だとか、
>こんなにクヨクヨ考える自分は嫌だとか
>こんな態度とっちゃ嫌われるかなとか


んんー。同じようなことは、普通にあることかな
と思いマスよ。
クヨクヨ〜メソメソ〜グチグチで。
「こうであるべきだ」というワクがある。
そのことに気づいていないコトが悲劇を作るだけで。

クヨクヨして落ち込んで、自分はダメだと
結論に至ったら、そこから這い上がればイイ。
修正していくことはできるし、それも学びのひとつ、と。

日々安心して、霞をくって、何事にも動じず。
というのも、ステキかも知れないけど〜
なかなかの大人物に見えるだろうし。
それを想像すると・・・
つまらないな〜面白くないな〜という気もして。
つまって面白い生き方の方へ向かいたいような。

No.1127 - 2008/10/09(Thu) 00:24:55

Re: 悩んでます / ubik0101
>怒りを感じるのはよくない事だとか

まったく怒りを感じても、問題ありません。peerさんも言ってますが、そんな「こうであるべきだ」という意味での「怒りを感じるのはよくない事」は不要です。

たとえ生起しても、すぐに消滅する。その程度のことです。それに、怒りが、なんであるかも、知りません。そして知らないことには、執着が不可能です。

>こんなにクヨクヨ考える自分は嫌だとか

なにかを考えてるってことは、その考えしか知覚できないのではないでしょうか。なにかを考えてる自分は、知覚できるでしょうか。

そして知覚できないから、ない、わけではありませんが。そんな知覚できない。また。なんとも言えない自分、を嫌がることは可能でしょうか。

>こんな態度とっちゃ嫌われるかなとか

そうかどうかは。その相手に確認すればいいのでは、と思います。相手に確認しないことを理由にして、さまざまな空想に巻き込まれるのは、不可と思います。

その場その場で、力を尽くすだけです。それなら、相手に嫌われても、自分に問題があるわけではないことも多々あります。と理解できます。

> あーどうしたらいいんでしょう、何から手をつけていいやら

どれから始めても。あのときと、このときの状態とか形態とか。それは美しく繋がった関係を見せてくれます。それが学ぶことであり、自分を育てることです。始めましょう。自灯明です。

ところで金木犀です。どこかに香りでできた世界があると思わせてくれるような、ほのかな感覚が、街中に漂っています。

その花は、遠目では、ごちゃごちゃな、なんだかわからない固まりに見えます。が、近づいて、よく見ると、なかなか可愛くて素敵です。

No.1133 - 2008/10/10(Fri) 12:52:06
(No Subject) / ubik0101
思考の機能

この前、hatoさんと一緒に、栗を拾いながら林を歩いてて、小さな山椒の木を見つけました。よく見ると、たぶん発芽して成長し3、4年くらいたったところで、整備の人に、根本から切られたようです。それが今年の春、その切り株から新芽がでたのでしょう。さっそく素焼きの植木鉢を買って植え替えました。

ところで。たとえば。ほかの人に迷惑をかけてはいけない。と教育する親もいるそうです。それは。ほかの人に自分が、迷惑をかけてることに気がつかなければ・・・ほかの人に迷惑をかけてもいい。と言ってることと同義かもしれません。

また。ほかの人のことに気がつかない無神経な人にも、自分は迷惑をかけられたくない。また、そんな無神経な人でありたくなく、人間関係に神経質になる。かもしれません。

続きます。

No.1097 - 2008/10/03(Fri) 18:12:19

Re: / ubik0101
そして迷惑といっても、なにが迷惑か、人によっても、その時によっても、違うでしょう。自分で理由を自覚できないようにしてることもあるでしょう。また理由があれば、それは変化して、違う理由がまた・・・ということもあるでしょう。そういうことは見極めようとしてもできないので、軋轢や苦痛が起きては、また忘れては 消える。ことを繰り返すこともあるでしょう。

それに、そもそも迷惑って、いったい何なのでしょう。なぜ迷惑が迷惑なんでしょう。それがわからないまま・・・そういう、わけのわからない迷惑を成立、持続させるために・・・始まりも終わりも自覚できない思考が必要なこともあるでしょう。

そのように人は考えることに捕らわれたりします。しかし、考えないことにも、おなじように捕らわれてもいるかもしれません。たとえば。ほかの人に迷惑をかけてはいけない。そんなことを考えない、ということを考えるも。ただ考えてない、つまり実際は、ほかの幾千のことを考えてる。もあるでしょう。

続きます。

No.1098 - 2008/10/03(Fri) 18:15:36

Re: / ubik0101
その、考えないことは、たとえば。ほかの人に迷惑をかけてはいけない。ということを解決してるでしょうか。それを思考しないことによって、傍若無人だったりしても、その類似な有り様の人だったりしても、その反対と見なされる静かな人だったりしても、それとは無関係な人だったりしても、それから解放されてるでしょうか。

たとえば、そういう思考は巧妙に人を迷わすから、それが問題だという思考があります。しかし、それでは常に思考から逃げ続けなければならないかもしれません。

すると思考でないことを探して、現実に現実逃避するしかなくなるかもしれません。それで一生、逃げ続けてることにも気がつかず、解決できない恐れがあります。

また、たとえば。ばんさんと話したように。悟りを対象化して思考することは、悟りと分離があるように見えてしまうこともあります。けど。悟りを対象化して思考しなければ、それで人は悟ってる。わけではありません。なのに対象化して思考しないから、そこに問題を見いだせないから、迷いがあると見なさない、こともあるでしょう。

続きます。

No.1099 - 2008/10/03(Fri) 18:20:52

Re: / ubik0101
あれは、どんぐりの落ちる音よ。そうhatoさんが言います。カツッ。と、夜の闇に聞こえます。すぐ近所にある家のトタン屋根の上に落ちてる、そうです。カツッ。それで朝になって、行ってみました。ありました。けっこう大きい実で、それを保護してる殻斗(かくと )も落ちています。クヌギ、カシワかもしれません。

ところで。そういう思考しない。いわゆる規範、観念、思考の拒否は、どうしても・・・そういう自分の状態を確認するために・・・いわゆる規範、観念、思考を、ほかの人にはあるとして対象化して、いわゆる規範、観念、思考が自分にないこととして執着しつづける傾向があるようです。このように思考することも、思考しないことにも、人は縛られ、倒錯する可能性があります。

それは、たとえば、俺が俺が、という。なにか主張する、拡張したい積極的な、攻める姿勢の自我ではなくて。縮こまっていく、なにか主張しない、消極的な、守る姿勢の自我の機能に捕らわれてる人に・・・それは、ほかの人にはあり自分には自我などないと思われるかもしれませんが・・・わりとよく見られる有り様です。なんにしても、自分を自覚したいことが、自我として現れるようです。

どちらにしても、人が迷ってるのです。思考が迷ってるわけでも、迷わせてるわけでもありません。思考は自ら矛盾にも、自らの範疇にないことにも、気がつくことだってできるのです。 思考は巧妙に人を騙す、というより、人の巧妙な迷いのあり方を理解できる。とも言えます。

たぶん、魚釣りの後に、続きます。

No.1101 - 2008/10/04(Sat) 08:35:44

Re: / peer
人に迷惑をかけてはいけない。ついうのは自分のエゴで、人を振り回してはいけない。ってことじゃないでしょうか。
なにがエゴか、エゴじゃないかは、判定しやすいでしょう。
「迷惑といっても、なにが迷惑か、人によっても、その時によっても、違うでしょう。」という思考の判断に迷うことも、なく。

No.1102 - 2008/10/05(Sun) 02:18:17

Re: / ubik0101
まあね。ほかの人を振り回す、攻める騒がしい自我は。それが起動しなければ、自我と認定できないから無問題。ではないでしょう。とか。ほかの人を振り回さない、逃げる静かな自我もあって。とか。そんなこと考えても、考えなくても解決しないけど。どうすればいいだろう。とか。

ほかの人の自我に振り回されたくない、っていう自我にも巻き込まれない日常。とか。なかなか、世界は人を鍛えるために、巧妙にできてる。って感じです。

ところで、hatoさんと一緒に、江ノ島の裏磯に行って来ました。とにかく魚は、なんでも食べてみようという作戦で、3時間くらい釣りをしました。

やはりシマダイは刺身も塩焼きも上品で緻密、メジナの刺身は食感が独特で絶品。ほとんど食べられることのないネンブツダイも、骨は硬いものの、唐揚げで香ばしくいただけました。

No.1103 - 2008/10/05(Sun) 11:22:52

わぉー / peer
大漁〜でしたね。
食べるのが・・・もったいない。ような。

はいな。巧妙ですね。
まぁ。しかし。
エゴっていうのは、生命エネルギーですから。
転換していくことで、、
ものすごい活力になるし〜大事なモンです。

No.1108 - 2008/10/06(Mon) 00:24:13

Re: / hato
そうですね。ただ自我や欲望や無知を、肯定したり、否定したり、無関心だったりすることは、せっかくの転換の可能性を自ら摘んでしまうことになります。

そんなことをしても、まあ、また我が儘な生活を実現できる。また自我や欲望や無知を、ほかの人や自分に隠すことができる。などと思い違いするだけで。どうしても、それに満足も、それを撲滅もできないんです。 それほど「大事なモン」です。

そんなことに気がつかないことも、また・・・そういうことを自分で掘り返すなら自分を鍛えるのですが・・・逃げたり埋没してるだけなら、自我や欲望や無知を十分に使ってない、それに使われて気がつかない、そんな有り様とも言えそうです。

ところで今日は、hatoさんに。昨日、スーパーで半額で買った。なめたカレイの甘辛煮付け弁当を作りました。そういうの、けっこう楽しいんです。

No.1109 - 2008/10/06(Mon) 10:02:23

Re: / peer
ほーほー。
おいしそう〜ですね。
思いマスに。私生活をバカにするものは、
私生活の逆襲を受けます♪
こういうコトが、大事だなっと思いマス。

たとえば、ちょっと悟りの境地なんかに遊ぶと
とたんにノボセ上がるというか・・・。
これも逃げるのと同じなんですね。
対極にいるから、気がつかない。ワケで。

No.1110 - 2008/10/06(Mon) 10:52:58

Re: / ubik0101

それは、いろんな経緯があると感じます。たぶん。その悟り体験前に、たとえば自発的な否定の道を歩いて、どうしようもなく、なにもないほど素直になる。そんな経緯がなかったので。そういうことが、体験後に学ぶ必要のあることとして現れてくる場合があります。

たとえば。悟ると人として完成するので、さらに学ぶ必要はない、などと。そういう思いこみとして、傲慢が理解されるために現れたのに。そういうはずはないと思いたくて却って、そのことに縛られたりもすることもありそうです。

また自分の無我を確認するために、根ほり葉ほり、ほかの人にさえ、自我を見つけだそうとして・・・そんなことは空想に依存してるのに・・・それが却って、自我として機能することもありそうです。そうでなく。ほかの人が自分の自我を投影して見てるだけ、ということもあります。

ところで、ドングリを煎ったのを、真露という焼酎に漬けてみました。苦い酒ができるのかもしれません。かもしれません(残響)。

No.1111 - 2008/10/06(Mon) 16:47:13

Re: / hato

我々には苦いのですが、、

ルンルンには、ちょっと、粋なおつまみて感じです。
ルンルン、けっこう、辛苦渋おっけー。

にこにこルンルンのお食事。

お酒はー。
ほどほどに、いきま、しょう。まる。(^^)

No.1112 - 2008/10/06(Mon) 21:20:50

Re: / peer
4つの智が人に顕現して、目覚める。
その時にも、とりあえずの自分はある。
この自分は、使命を生きる人となる。
自分の為に自分を使うコトから離れて。
自己関心が続くのは、悟りからは遠いかな〜と。
そんな気がします。

どんぐりのお酒ですか。
どんな味がするのかなぁ。

No.1113 - 2008/10/07(Tue) 09:50:54

Re: / ubik0101
うーん。あと数ヶ月は放置しておきましょう。なのですが、peerさんに聞かれて、ドングリ漬け焼酎、スプーン一杯だけ嘗めてみました。なんかカンパリのような味です。なかなか、よし、です。

ところで、ますます不思議なpeerさんです。4つの智?、使命?、なんか怪しい空想をしてしまいます。なんのことかなー。今日はhatoさんに、ちょい豪華そうな、からし明太子弁当をつくりました。

No.1114 - 2008/10/07(Tue) 12:15:18

Re: / peer
カンパリのような味・・なのですね。
なかなか、よし。と。
うん、味が創造できました。

ほーー。これも〜なるほど
男の料理という。わかります(^^)

よっつの智が発動したから、たとえば
なにごとも無問題と、分かるワケでしよ。
好きも嫌いも、善いもワルイも、
どうでもいいことになってる。でしょ。

そして〜使命っていうのは、ウルトラマンになる
ことじゃないのです。
妖しい想像は。。大外れ〜♪

No.1119 - 2008/10/08(Wed) 01:37:35

Re: / ubik0101
もしかしてー。
あの秘密の花園の、
迷いの森から
南に7 東に3の、命の泉の、
女神から、なんでも映る
透明な鏡をもらったのでしょうか。

そ、それなら大変です。
それは、ばるたん星人の陰謀です。
この際です。
peerさんも、
さわらの西京焼き弁当を
作らねばなりません。なりません(残響)。
えいっ。

No.1122 - 2008/10/08(Wed) 13:32:38

Re: / hato

うーと、
とてーも、おいしかった、です。
ちょっと見た目お魚がー、生々しー、ですけどー。
柔らかく焼けてました。まる。

No.1125 - 2008/10/08(Wed) 22:45:26

Re: / peer
あっっ。大発見。

オカズのメインはひとつ。だけど。
付き添っているサブは、ふたつづつ。
ニンジンふたつ。ウズラもふたつ♪

女神様から貰った鏡は
どうも、まだ透明ともいえず。
つまりは、、、研いて使え。
ということらしい。

No.1128 - 2008/10/09(Thu) 00:31:55

Re: / ubik0101
そ、そんな鏡など、ないのじゃ。とか。なんとか。禅の神州と慧能の話を思い起こします。ま。ない鏡を研くのも一興かもしれません。しかーし。その埃さえ・・・それを知らない・・・神秘なのじゃ。

ところで山椒は一本あるなら、もっとあるかもしれないと思って探してみました。で、すぐ近くに、山椒としては大きい木が、見つかりました。今日は、それで、鯛の塩焼き弁当にしました。

No.1130 - 2008/10/09(Thu) 09:45:00
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