ム−ミンさん
>それで、世界のすべてを理解し終えて、菩薩の修行も悟後の修行も終わったというわけですか。
とくに、そうとも、そうでないとも意識していません。
>そうですか?ある掲示板で「クリシュナムルティ」のハンドルネームで投稿されたり、偽クリシュナムルティと名乗られたりして書き込みをされていましたよね。ほかにも「にせ新しい芽」というハンドルネームでも書いていらっしゃったと、その掲示板には書いてあったと記憶しています。その掲示板で、ある人のことを「馬と鹿」と呼んだり、ある人たちのことを「青鬼、赤鬼」と表現していらっしゃいましたよね。
>その掲示板を読んでいて、ある人のクリシュナムルティ解釈をubik0101さんが解釈して、その解釈を持って別の人のクリシュナムルティ解釈にコメントをつけるということをやっていらっしゃいませんでしたか?何重にもバイアスがかかって、それに基づく誤解が修正されないまま話が進んでいったという印象でした。それで同じことが何度も繰り返されていました。
「クリシュナムルティ」のハンドルネーム は憶えがあります。けど。憶えてないということはないと思いますが「偽クリシュナムルティ」「青鬼、赤鬼」は知りません。「 ある人のクリシュナムルティ解釈 」は、まったく知りません。「ある人」「別の人」って、誰なんでしょう。 「それで同じことが何度も繰り返されていました。」ということも、ム−ミンさんの記憶にある限りでいいので、ここで話しても無問題です。
>それで、「その人の状態について批判」といっても、その人の状態の本当のところはわからないでしょう。表現の上手い、下手もある。掲示板では言葉を頼りにして想像するしかない。空想するしかない。それで言葉の使い方、定義がずれているにもかかわらず、それにこだわれば、繰り返しが続きます。また、前にubik0101さんは、ある人に「指摘したけれども無駄だから、もう止めた」という結論付け、断定をされていましたね。それはどこからくるのでしょう。自分の体験を絶対的だとする確信からですか?
「ある人」って、新しい芽さんのことでしょうか。なら「馬と鹿」です。彼には、できるだけのことはしました。「その無我を、自我が機能してる人が、現実に直面とか、空想して辻褄あわせをして話しては、ならないと思います。これまでいくら、それを指摘しても徒労でした。この頃は、もう読んでいません。」。この通りです。新しい芽さん以外の人、たとえばム−ミンさんと、このことを話しても意味はないと思いますが、するのはかまいません。
>空想、想像ならいくらでも出来ます。たとえば、ある掲示板やこの掲示板の書き込みを読んで、「クリシュナムルティ」と名乗ったり、ある人たちに対して「馬と鹿」とか「赤鬼、青鬼」とかという表現を使用するのは、何かubik0101さんは、クリシュナムルティやその愛読者に対してルサンチマンというか、反感でもあるのではないか、その無意識に気づいていないのではないか、とか。
クリシュナムルティは読んだ限りでは、つまらないと思います。
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No.876 - 2008/06/14(Sat) 17:37:49
| ☆ Re: 続々々々・成長 / ムーミン | | | >>それで、世界のすべてを理解し終えて、菩薩の修行も悟後の修行も終わったというわけですか。
>とくに、そうとも、そうでないとも意識していません。
「自我の完成」とおっしゃっていましたが、「完成」が何かをはっきりとわからないとそうはいえないでしょう。例えばお釈迦様が解脱したときには、はっきりと解脱したとわかる、と仏典に書いてあるように、「完成」がはっきりわかるのだと思っていました。
>「クリシュナムルティ」のハンドルネーム は憶えがあります。けど。憶えてないということはないと思いますが「偽クリシュナムルティ」「青鬼、赤鬼」は知りません。「 ある人のクリシュナムルティ解釈 」は、まったく知りません。「ある人」「別の人」って、誰なんでしょう。 「それで同じことが何度も繰り返されていました。」ということも、ム−ミンさんの記憶にある限りでいいので、ここで話しても無問題です。
そうですか、忘れてしまわれましたか。「ゴトの読書室」のことです。覚えていらっしゃらないのなら、これ以上はなしても、無駄ですね。確か「赤鬼、青鬼」は夢の形式を借りてお話されていたように思います。
>「ある人」って、新しい芽さんのことでしょうか。なら「馬と鹿」です。彼には、できるだけのことはしました。「その無我を、自我が機能してる人が、現実に直面とか、空想して辻褄あわせをして話しては、ならないと思います。これまでいくら、それを指摘しても徒労でした。この頃は、もう読んでいません。」。この通りです。新しい芽さん以外の人、たとえばム−ミンさんと、このことを話しても意味はないと思いますが、するのはかまいません。
そう判断、結論付けされますが、本当のところはわからないでしょう。ubik0101さんは新しい芽さんという方をよくご存知なのですか?できるだけのことをしたってなんなのでしょう。差し支えなければお聞かせください。
>クリシュナムルティは読んだ限りでは、つまらないと思います。
はい。 それはそれで構わないと思います。私もつまらないな、と感じることもあります。余計な幻想や希望を与えないほうがいいのじゃないかと、思うこともありました。だけれども、まったく無視できないものもあると、感じました。
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No.877 - 2008/06/14(Sat) 17:53:30 |
| ☆ Re: 続々々々・成長 / ubik0101 | | | >「自我の完成」とおっしゃっていましたが、「完成」が何かをはっきりとわからないとそうはいえないでしょう。例えばお釈迦様が解脱したときには、はっきりと解脱したとわかる、と仏典に書いてあるように、「完成」がはっきりわかるのだと思っていました。
そういう意味なら、完成です。自我の問題は解決です。それでも、悟後の修行が必要だということです。「はじめから叡智があれば、人は、葛藤することができないのに、なぜ葛藤するか? 」こうム−ミンさんに質問しましたが。叡智とは葛藤の理解なので・・・ふつうの日常で・・・もう葛藤は起こらない、です。
>そうですか、忘れてしまわれましたか。「ゴトの読書室」のことです。覚えていらっしゃらないのなら、これ以上はなしても、無駄ですね。確か「赤鬼、青鬼」は夢の形式を借りてお話されていたように思います。
それなら、「赤鬼、青鬼」ではなく、妖精の話です。それは、この“掲示板”にも投稿、本文の『った』にも掲載してますが、誰の批判とか非難とか、受け取れないと思います。
>そう判断、結論付けされますが、本当のところはわからないでしょう。ubik0101さんは新しい芽さんという方をよくご存知なのですか?できるだけのことをしたってなんなのでしょう。差し支えなければお聞かせください。
うーん。読書会から、喫茶店、飲み屋に行き、たぶん6時間ほど会っただけです。なんにしても、ほかの誰かを拒否するという意味で、批判することはありません。そういえば2年ほど前、「雑感」で、自我が解消されたらそれは永続的なことか?など。いくつか新しい芽さんに質問しました。本人が実践してるなら、答えられることです。
まったく返信をせず、ほかの人と話してはどうか、と言われました。ほかの人も、新しい芽さんに、答えられるはずの質問しますが、肝心なものは返事しません。
そして、自分が突っ込まれて、答えなかったことを、違う人に対して、突っ込むことばかり、繰り返しています。また、ほかの人のことは検討しますが、自分のことは検討しません。
そういうことは、自分を正しいと思いたいからでは?と指摘したりしますが。「ubik0101には問題がないようだから、話することはない」。とか、大事な話をしてると「興味がなくなった」と、これは数回も言われました。
はじめから自分を見る自分などいない。と言っても信じません。そして人は、ふたつに分裂してて、ひとつが本物、などと言ったりします。このままでは新しい芽さんにとって問題だろう。ということで話すのですが、いつも同じ結果です。
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No.880 - 2008/06/14(Sat) 19:29:21 |
| ☆ Re: 続々々々・成長 / ムーミン | | | >そういう意味なら、完成です。自我の問題は解決です。それでも、悟後の修行が必要だということです。「はじめから叡智があれば、人は、葛藤することができないのに、なぜ葛藤するか? 」こうム−ミンさんに質問しましたが。叡智とは葛藤の理解なので・・・ふつうの日常で・・・もう葛藤は起こらない、です。
はい。それで、葛藤は起こらないと、どうしてわかるのか、ということで、今までお話をしてきたつもりでした。それが実践、学びで欠かせないことだからです。それで知覚の話もしました。
>それなら、「赤鬼、青鬼」ではなく、妖精の話です。それは、この“掲示板”にも投稿、本文の『った』にも掲載してますが、誰の批判とか非難とか、受け取れないと思います。
『った』を拝見しました。妖精の文章はありましたが、「ゴトの読書室」に投稿されていた「青鬼、赤鬼」の文章は出ていませんでした。この夢の形を借りた文章をわざわざ「ゴトの読書室」に投稿されたのは、ubik0101さんと、ゴトさん、新しい芽さんとの対話が紛糾して途絶えた直後のことでしたので、お二人のことを比喩的に語られているのだろうと思いました。私の解釈の違いであれば申し訳なく思います。
>うーん。読書会から、喫茶店、飲み屋に行き、たぶん6時間ほど会っただけです。なんにしても、ほかの誰かを拒否するという意味で、批判することはありません。そういえば2年ほど前、「雑感」で、自我が解消されたらそれは永続的なことか?など。いくつか新しい芽さんに質問しました。本人が実践してるなら、答えられることです。
>まったく返信をせず、ほかの人と話してはどうか、と言われました。ほかの人も、新しい芽さんに、答えられるはずの質問しますが、肝心なものは返事しません。
>そして、自分が突っ込まれて、答えなかったことを、違う人に対して、突っ込むことばかり、繰り返しています。また、ほかの人のことは検討しますが、自分のことは検討しません。
>そういうことは、自分を正しいと思いたいからでは?と指摘したりしますが。「ubik0101には問題がないようだから、話することはない」。とか、大事な話をしてると「興味がなくなった」と、これは数回も言われました。
>はじめから自分を見る自分などいない。と言っても信じません。そして人は、ふたつに分裂してて、ひとつが本物、などと言ったりします。このままでは新しい芽さんにとって問題だろう。ということで話すのですが、いつも同じ結果です。
そうですか。私は新しい芽さんのことはわかりません。解釈はいろいろとできるだろうと思います。問題がなくなったというのなら、人が自我が解消したとか、解消していないとか、永続的かどうかなど問題にもならないだろう、それは自分自身の目で確かめればよいだろう、そして、一つの問題もないときには、生き生きとした生を生きているだけではないか、という趣旨のことを書いていらっしゃるのはよく見かけますね。
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No.882 - 2008/06/15(Sun) 14:51:18 |
| ☆ Re: 続々々々・成長 / ubik0101 | | | > 『った』を拝見しました。妖精の文章はありましたが、「ゴトの読書室」に投稿されていた「青鬼、赤鬼」の文章は出ていませんでした。この夢の形を借りた文章をわざわざ「ゴトの読書室」に投稿されたのは、ubik0101さんと、ゴトさん、新しい芽さんとの対話が紛糾して途絶えた直後のことでしたので、お二人のことを比喩的に語られているのだろうと思いました。私の解釈の違いであれば申し訳なく思います。
まったく、「申し訳なく」なんてこともないことです。妖精の話は、楽しんでもらおうとして投稿したことです。でも、「青鬼、赤鬼」そんな投稿したかは?です。ゴトさんは慎重で、なかなか好感を持っています。2、3回、話しただけで、紛糾?ではないと思います。いろんな読み方があっても無問題です。
ところで。もう、ほかの人に自我を見る必要はないのではないでしょうか。たしかに自分は無我です。そして世界も無我です。いわゆる心理的な運動、欲望も葛藤も自我も、機能としては無我です。自我なんて、どこにもありません。
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No.889 - 2008/06/15(Sun) 17:34:05 |
| ☆ Re: 続々々々・成長 / ムーミン | | | >まったく、「申し訳なく」なんてこともないことです。妖精の話は、楽しんでもらおうとして投稿したことです。でも、「青鬼、赤鬼」そんな投稿したかは?です。ゴトさんは慎重で、なかなか好感を持っています。2、3回、話しただけで、紛糾?ではないと思います。いろんな読み方があっても無問題です。
そういっていただければ、幸いです。 「青鬼、赤鬼」の投稿は、私の幻覚だったのでしょうか。今では確かめる術もありませんが。
>ところで。もう、ほかの人に自我を見る必要はないのではないでしょうか。たしかに自分は無我です。そして世界も無我です。いわゆる心理的な運動、欲望も葛藤も自我も、機能としては無我です。自我なんて、どこにもありません。
ええ、ただ、ubik0101さんとか誰がということではありませんが、見逃された微妙な、微細な自我が働いている、葛藤がかもしれない、と自分のことのように心配してしまうということがあるのですね。
そろそろやめようと思いますが、何か質問をし残したとすれば、単なる表現の問題で、言葉の使い方の違いの問題かもしれませんが、自我は実体ではないとおっしゃる一方で、自我の完成を説いておられるのはどうしてなのか?ということがあります。
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No.893 - 2008/06/16(Mon) 10:18:02 |
| ☆ Re: 続々々々・成長 / ubik0101 | | | それは最初の頃に話したと思います。機能として未完だから自我は機能するという意味です。
それで自我の否定(それも自我)でもなく、肯定(それも自我)でもなく、完成が無我です。と言います。もちろん実体としての自我は、はじめからありません。
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No.894 - 2008/06/16(Mon) 11:10:36 |
| ☆ Re: 続々々々・成長 / ムーミン | | | >>そろそろやめようと思いますが、何か質問をし残したとすれば、単なる表現の問題で、言葉の使い方の違いの問題かもしれませんが、自我は実体ではないとおっしゃる一方で、自我の完成を説いておられるのはどうしてなのか?ということがあります。
>>それは最初の頃に話したと思います。機能として未完だから自我は機能するという意味です。
>>それで自我の否定(それも自我)でもなく、肯定(それも自我)でもなく、完成が無我です。と言います。もちろん実体としての自我は、はじめからありません。
わかりました。 仏教では「自我の完成」とは言わないので、「自我」「実体」という意味、言葉の使い方が仏教とは、少し違うわけですね。これがubik0101さんの言う「自分の言葉」なのですね。少し紛らわしくて混同してしまいました。
それでは長きにわたって、ありがとうございました。お疲れ様でした。これから暑くなりますので、お体にはくれぐれもお気をつけください。
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No.895 - 2008/06/16(Mon) 11:23:27 |
| ☆ Re: 続々々々・成長 / ubik0101 | | | とりあえず、この一連の対話の印象として。その人の経緯の違いはともかく。たとえば自我でも、無我でも、叡智でも。
それを自分の、こと。あるいは。ほかの誰かの、こと、と看做すと、それだけで問題になってしまうのかな。と感じました。それでは。いつでも。また。
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No.897 - 2008/06/16(Mon) 14:12:52 |
| ☆ Re: 続々々々・成長 / ルー | | | 「ubikさんの言葉の使い方は、一般のものとは違う」というだけのことではないですか。 人によって、言葉の使い方が違う、ということだと思います。 林檎を梨と呼び、梨を林檎と呼ぶのでは問題があるというか、話が通じにくいという問題がありますが。 どれを林檎と呼び、どれを梨と呼んでいるのかということが説明の中でわかれば、話は通じると思います。ただ、面倒ではありますが。
普通、「ただの人」と言えば、覚醒していなくて、自我が完成していない人のことを指すを思いますが、そうではない人を「ただの人」と呼ぼうが、意味が通じていればよいかな、と思います。その人独特の経緯というものを尊重して、そう思うのかな。
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No.900 - 2008/06/17(Tue) 09:34:01 |
| ☆ Re: 続々々々・成長 / ルー | | | 「悟りにも迷いにもいない人」というのは、私は、「悟りにいる人」と思います。「葛藤することはない」というのなら、なおさら「悟りにいる人」だと思います。 それを「ただの人」と呼ぶのは、自分を「特別」と思うことを許していないからではないかと思います。
「ただの犬」と言う時、その犬は「特別な犬」ではないことを意味します。しかし、そういう観念のようなものを持ち合わせていない場合、「ただの犬」というのは、「まさに犬らしい犬」を指すかも知れません。 そういう意味で、「ただの人」というのが、「まさに、人間らしい人間」を指すこともあるかな。
「恋におちて」という歌の中に、「I just a woman」という歌詞があるのですが、「私は、ただの女」であり「まさに女」である、ということだと思います。 「ただの人」という表現の中には、「just」に匹敵するものがあるように思いました。
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No.901 - 2008/06/17(Tue) 09:49:31 |
| ☆ Re: 続々々々・成長 / ルー | | | 「am」が抜けていました。「I'm just a woman」でした。
ま、空想。。。ですね。 聞き流してください。
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No.902 - 2008/06/17(Tue) 10:01:44 |
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