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職場で合わない人との関係をどうするか / 勘太郎
 人間関係が人の全てなので、希望は人類皆兄弟と感じて、一緒に居て楽しいを維持したい、または構築したいと、無意識に思ってきました。

 職場に一人、同年代の合わない人がいます。さてどうしたものか?と思案してきました。
 最近、より険悪になって困っています。この秋頃から、人間関係の問題が叔父にも起こりました。歳より同士の加齢によるお互いの身勝手が原因か?と推定しています。
 
 昨日はスーパーのレジで、前の人から「押して来て、あんた失礼だ、おれが今会計しているんだから」と言われました。初めての経験でした。私はすみませんと謝りました。確かに犬のエサ大袋が10キロあるので、早くレジ台に乗せたいと、前の人に迫っていました。

 その前の夜には、帰宅途中に車が歩道近くを早い速度で通り過ぎて、車庫に入った。怖かったので、私が「フロントガラスをトントンとたたき、今怖かったですよ」とクレーム。若い人だったので、運転が上手で自信があっての事でしょう。でも私は怖かった。

 結論はでませんけれども、人間関係が全て上手く収まることは無い、と実感した。
 背中の荷物(家のローン・畑の数本の果樹の冬囲い)を早く下したいと思います。
人間関係も背中に載る人は替わっても、死ぬまで担ぎ続けなければならないのだなあ〜と感じています。

No.6711 - 2018/11/14(Wed) 11:42:37

Re: 職場で合わない人との関係をどうするか / ubik0101
すみませんと謝るのも、フロントガラスを叩いて、今怖かったですよ、と言うのも、なにか問題を起こさないように、あるいは今後相手が問題が起こさないように注意する、という言動に思えます。

そこで、ほかにああすればよかった、といろんなことを考えると切りがないので・・・一切考えない、引きずらない・・・自分が起こしたことの責任は全部自分に引き受けて・・・注意から外れない。

いろんなことがありますが、いつだってこの日常は、緊急事態です。たしかに、津波てんでんこ、です。ほかの人のことは、ほかの人に任せて大丈夫です。

もし自分の言動が原因で、誰かに嫌われても、それはその誰かに任せればいいです。人間関係は、心配しなくて大丈夫。それぞれ誰も親兄弟子供や家や車や畑、後も見ずに山の上に向かって走る。

そのように、この世界に生まれたということは悟りの道を歩いてしまっているのです。好きも嫌いも怒りも思考も、みんな。慈悲は、悟り体験をすると、どうしようもなく湧き上がってきます。

誰かのためにしないことが苦痛になるほど、その人を動かします。もし是非そうしたければですが、人と仲良くしたいとか、一緒に楽しく、とかはそれからで充分です。

No.6712 - 2018/11/14(Wed) 22:31:27

Re: 勇気づけraremasu. / 勘太郎
 誰かに嫌われても、それはその誰かに任せればいいです。

 それこそ肩の荷が下ります。

 数十年前に迷惑をかけた事について、今でも大声で謝りたい気持ちに襲われる事があります。当の相手は死んでしまっているのに。

覚醒 この日常を観察 より
『そうであれば人は偏った断片に依存する必要がありません。傲慢でも、偽善でも、意地悪でもありません。そして真摯で、誠実です。それはその反対、つまり不真面目、不誠実を隠し持っていません。この違いは絶対です。これは不可逆です。』

 これを読んで中道の意味が解りました。中道と云う幅を持った道があるのではないのです。
高校の倫理の時間で中道の解説を話し合った事を思い出しました。その時以来の納得です。
 

No.6713 - 2018/11/15(Thu) 19:59:09

Re: 職場で合わない人との関係をどうするか / ubik0101
ここでは、中道と、縁起、おなじ意味です。世界の総活動もおなじです。見える、聞こえる、考える・・・右左、上下、優劣、善悪、好き嫌い、卑下傲慢、美醜、嘘真実、自由不自由、あるない、総てが完全に機能してるのですから、

そのどの極端にも、その中間にも止まることができない・・・中道・・・と呼んでいます。ご飯を食べたり、自転車に乗ったり・・・どんなことでも、それでないことはないです。あるいは緯(よこいと)とも呼びます。

No.6714 - 2018/11/16(Fri) 07:31:58

Re: 職場で合わない人との関係をどうするか / 勘太郎
 ほかの人のことは、ほかの人に任せて大丈夫です。

一人暮らしの叔父・離れて暮らす身体障害の兄・子や孫たち・彼らはおろか、私自身もお任せして大丈夫なのではないでしょうか。そうとは、とっても思えませんけれども。
 しかしながら、私の人生で、何かを厳密に私が選んで行った事は何一つ無い事は解ります。全て何らかの計らいで今に至っています。 
 
これを親鸞上人はここら遍のことをお任せって言ったのでしょうか。

 今日は作業としては今年最後の畑でした。果樹5本のネズミ除や鹿の食害防止の冬囲いでした。
 シイタケが今頃になって生えていました。ほだ木が太いと大きな椎茸がとれるそうです。大きすぎて食欲は湧きませんが、せっかくなので油炒め。みずっぽいです。明日は椎茸大量鍋の予定。

No.6715 - 2018/11/16(Fri) 21:18:28

Re: 職場で合わない人との関係をどうするか / hato

世界は人を鍛えていて、誰であれ、逃れることなく、先も後もなく、そのようだと思います。

一等すきな薔薇が咲いています。昔から庭の片隅に咲いていて、数年前、自分たちで庭の中ほどに植え替えました。うまく育つのか懸念していましたが、すぐに根付き、少しずつ、可憐で柔らかい、香しいピンクの花を、沢山つけるようになりました。

No.6716 - 2018/11/16(Fri) 23:09:12

Re: 職場で合わない人との関係をどうするか / ubik0101
こちらは、それぞれ誰もが、自分で自分の世話をする、面倒を見る、って意味で言いました。けど勘太郎さんの投稿を読んで、これをずーと進めて全体のことを考えると、そんなことも言えるなーと、思いました。

ポン酢で頂くワカメ大量鍋も美味です。

No.6717 - 2018/11/17(Sat) 07:14:48

Re: 職場で合わない人との関係をどうするか / ubik0101
そして、任せる・・・たとえば弥陀の誓願、師、神仏、縁起、教義とかの、どんな対象なくそうであれば、と思いました。
No.6718 - 2018/11/17(Sat) 08:34:25

Re: 職場で合わない人との関係をどうするか / 勘太郎
自分自身で何もしないのに、死ぬ時までなんとか生きて行けるのが不思議です。そして、それぞれ誰もが、自分でしか、自分の世話はできないことは解ります。

 55年前の私の小学生の時の写真が出てきました。妹が母親にだかれています。学生服の兄もいます、あの少年が私とは思えません。別人が写っています。元気はつらつです。しょぼくれ爺さんではありません。

 写真の頃の私が見た、クリーム色のバラの花びらが目に浮かびます。近所の家に咲いていました。肉厚で柔らかく畳まれ広がって露に濡れていました。服装職人ならなんとか、あの肌合いを服で表したいと思うにちがいありません。画家なら絵にしてその姿を永久に保ちたいと願うでしょう。

No.6719 - 2018/11/17(Sat) 22:03:54

Re: 職場で合わない人との関係をどうするか / hato

いつでも空を見上げるとき、そのときの思い、思考、わだかまりがあるなら放り投げます。これはなに!?
そうでなくても、空を見ます。それは自分の、任せている、表示です。

空ってぜんぶ、揃ってる・・そんな圧倒的な、そして圧倒的な彼方、も揃ってる、空です。それは目に映る、触れている、ともないとも言い得ない、まったき空です。


庭にすこし、バラがあるといいと思っていた頃、ubik0101さんが見つけてくれた、ルイの涙、という薔薇があります。

裏庭の小さな園(ただ丸木でまるく囲った、バラの住処です。)に植わって、4,5年でしょうか。

あまり手入れをしないので、一度に少しずつですが、甘い香りがとても優しい、色味もほのかでやさしい、花が咲きます。

No.6720 - 2018/11/20(Tue) 22:32:36

Re: 職場で合わない人との関係をどうするか / 勘太郎
合わない人との関係は自分を磨く砥石として働いてくれると感じます。「すべての事が覚醒に導く道具です」と言う言葉からの連想かもしれません。

 角を突き合わせる関係は、神経を緊張させ、注意力を高めます。仕事の出来栄えも改善します。素晴らしい効果です。

 本論
 「身体と体に接する床・テーブル・布団との境は自覚できない」話題が先日語られました。自分の身体の中に、私と云う塊がある感覚は薄れることなくあります。

理屈から攻めたいので、
 自分の身体が世界と分離しているのか?=宙に浮いて景色をみているのか?
 それとも身体は世界と融合しているから境目を自覚できないのか?=私の塊は世界と融合しているのか?を探ってみます。

 まずはお尻と座布団の堺から探ってみます。これからしばらく、座る度毎に「境目はどこだ?」と注意してみます。

 今朝は青空です。10センチほど雪が積もりました。犬小屋の雪囲いを直さないと雪が吹き込みそうです。うまい方法を思いつきません。
 朝、小屋の外の雪の中に、犬の寝ていた跡の窪みがよくありますから、犬の本心は寒いのが好きなのか?暖かい小屋を望むのか?解りませんけれども。

No.6721 - 2018/11/23(Fri) 10:53:01

こちらの感覚としては、 / ubik0101
まず、身体と椅子、その境目が判らないのではなく・・・その接触してる境目しかわからないです。また、テーブルの上にリンゴがありますが、その表面しか見えないです。リンゴを切ります。するとその切り口しか見えないです。境目しか判らないのです。

ビールを飲みます。その表面、つまり舌とビールの境目しか判らないです。境目にないところのビールは、なにがなんだか判らないです。ときに、飲んでるのは何か判らない、と不気味なこともあります。音は空間を伝わってるその境目の音しか聞こえないです。さまざまに境目しかわからない、そして境目は空間に浮いています。

そしてその空間は、どこにあるかは判りません。境目と境目の相対的な空間が判るだけです。そこで、椅子の中心があるとして、そこから見たこちらの身体、リンゴの中心から見たこちらの視線?は感じられないとして。それで、こちらが向こうを見てる、としか感じられません。そこでこの感じてる中心は世界の中心と感じられるかもしれません。

その見てるということは、その見てる自分という中心・・・見る中心がなければ、どうして見ることができ得る?・・・でなければ理屈として成立しないのです。これが、この理屈の、自明そのこと・・・因果関係の始源・・・が、障壁です。とくに、理屈を撲滅、知覚を優先しようとか、言ってるのではないです。

繰り返します。何かがあって、その境目しか知覚されません。そして知覚がないところは、境目はあるとかないとかもないです。空間のどこに境目はあるか判らないともいえます。世界がどうして見えるのか?聞こえるのか?自分がないと感じるのなら、ない、ってどいうこと?と探るこちらは、このような経緯です。

No.6722 - 2018/11/29(Thu) 20:48:39

Re: 職場で合わない人との関係をどうするか / hato

先日、時間を作って海に行きました。11月の海。パノラマ状の景色に、ほとんど無限の様相の海と空が広がっていました。

空(くう)って、見上げても見上げなくても、空です。それは目に映る、触れている、ともないとも、言い得ない、まったき空です。

空はいつでも、どこでも空で、いつでもどこでも簡単です。

No.6724 - 2018/11/29(Thu) 23:35:39
自称、覚者の板の書き込みです / 勘太郎
国や社会や貨幣が虚構と思えても、個人がそう思えないというのはある意味驚異的なことだね。だって、国家や社会が虚構なら、それを形成している個人も虚構でないとね。個人も肉体も国家のように縁によって一時的に構成されているものだから、実在ではない。要するに、全ての存在は虚構なんだけど、それを正面切って議論すると、完全に禅の世界になってしまうよな。

 
 国、社会、貨幣は人間の思考の中の約束事であって、物や形が無いと云う事は、よく解ります。
 
 でも、自分は在ると感じてしまいます。理屈ではあますが、この貨幣虚構論から考えてみます。

No.6709 - 2018/11/10(Sat) 21:48:27

Re: 自称、覚者の板の書き込みです / 勘太郎
昼間、暇だったので虚構の事を考えました。

 自動車はタイヤ・エンジン・ガラスが集まってできているもので車というモノはない。私の身体も腕・あし・内臓でできていて、私の身体と云うモノはない。原子もクオークとかの内部構造を持ち原子と云うモノは無い。

 星も地球もパソコンも犬も猫もステーキも何一つそれと云うモノは無い。

虚構=事実でないことを事実らしく作り上げること。また、作り上げられたもの。作りごと。 貨幣が虚構・・意味合いがこの虚構とは合わない様なきがしますけれども。

 私が思った、下部構造を持つから、実体は無いというのは違うような気がします。お金の虚構性は全く納得できるのですけれども。

 自分の身体も無い。だから心もない、私ももちろん無い。????こんがらかってきました。また明日考えてみます。

No.6710 - 2018/11/11(Sun) 21:03:13
 欲望は覚醒の呼び水として働きます。 / 勘太郎
 覚醒4、愛、自由、幸福を読んでいる時に思いました。これは鈴木大拙の言う「解らないと云ことは、解かっていることだ」と同じこと。

 「愛と云う言葉の意味が解らない。考えることもできないと感じる事は、愛を知っているから」と大拙はいうだろうと思います。


 「自分を愛するが如く他人を愛しなさい」が解りました。自分は自分がどんな人であっても愛します、存在を認めます。麻原彰晃も死刑になるまで自分を愛したでしょうし、極悪人でも、死ぬ1分前の苦痛の中でも、どんな弱く情けない自分でも、他人からどんなに嫌われている自分でも、東京電力の社長でも、詐欺師でも、覚せい剤を止められない野球選手でも全員自分を愛しています。
たぶんこれが愛です。

No.6704 - 2018/11/02(Fri) 19:52:05

Re:  欲望は覚醒の呼び水として働きます。 / ubik0101
いつ読んだのか・・・自分自身を愛すように隣人を愛せ・・・ということは、あの体験が起きる前、ずーと考えていました。まず、自分を愛す、ということがわかりませんでした。

たとえば美味しいものを食べる、裕福になる、幸せな家庭をつくる、清貧に生きる、ノーベル賞を貰う・・・どれも自分を愛することではないように思えました。そんな人は自分自身を愛してるとすると、隣人を自分と同じように愛してるはずです。

たとえば野球選手でも、幼稚園児でも、学校の先生でも、犯罪者でも、誰かを非難する人でも、みんな理由なく自分が好き、というのは、欲の範疇かもしれません。

キリスト教とかの解釈?理解?教義?は知りませんが・・・神が私を愛するから、私は私を愛せます。そのように、隣人を愛せよ。ということです。愛の源は神ということです。

No.6705 - 2018/11/02(Fri) 20:27:03

Re:  欲望は覚醒の呼び水として働きます。 / 勘太郎
愛は思考では解らない、なのかもしれません。
人の言う愛は、愛の局所的な側面・・いやいや理屈をこねると、愛から遠ざかりそうです。

 愛がわかるように生るのが楽しみです。成るはやめて生るにしました。

 今日は1日中快晴で暑いくらいでした。1日儲けたような気分です。

No.6706 - 2018/11/03(Sat) 18:54:12

Re:  愛については解らない / 勘太郎
 エマーソン選集全7巻の2巻の中に愛という題で書かれた23ページがあります。読み返してみたのですけれども、思考では解らないです。

 愛の章の前文って云うのでしょうか。

 「私は隠された宝石のようであった。
  燃える光が我が身を明かした」 
           コーラン

とあります。真我は燃える光に例えられます。それも電灯とかランプの灯りではなく、太陽の光の何百万倍の光。
 

No.6707 - 2018/11/08(Thu) 07:59:58

Re:  欲望は覚醒の呼び水として働きます。 / ubik0101
エマーソンも知りませんが、コーランにそんなことが書かれてるとか、思ってもいませんでした。
No.6708 - 2018/11/08(Thu) 17:55:15
そのつど、そのつど、 / ubik0101
私たちは・・・と、いう言い方は・・・ほかの人のことはまったく知らないので変なのですが・・・日常、何かをしたり、しなかったりしています。働いたり働かなかったり、誰かに会ったり会わなかったり、思考したりしなかったりの生活をしてると思われます。そして、

そのつど、そのつど、私は私を創っています。なんでもいいですが、たとえばTVや掲示版を見るとします。そして、面白いな、これは実験してみよう。と、感じるとします。すると、面白いな、これは実験してみよう、という自分を創っているのです。また、

あんなこと言ったりしたりすると地獄に行くぞ、と感じるとします。そこで、あんなこと言ったりしたりすると地獄に行くぞ、という自分を創りました。それはすぐに過去になり、見えなくなりますが・・・畢竟、過去は変えることが困難だということです。もちろん、

たとえば道に落ちてるゴミを拾わなかった、とします。子供が危険なところで遊んでるのを見て、注意しなかったとします。そうすると、そのつど、なんかしなかったことで、そんな、なんかしなかった自分を創ってるのです。なにかを考えた、なにかを言った、行動した、しなかった、

ということで、たぶん私たちは・・・と言うのは変な言い方ですが・・・自分で自分を創ってるのです。この投稿を読んで・・・そうだ。そうかな。そうではない。ふーん。私はその範疇にいないよ、とか・・・さまざま感じるかもしれません。そこで、その自分が創られたのではないでしょうか?なぜ、

こんなことを言うのか、もしかして、どのように誰かのことを見て聞いて考えたとしても、それは総て、空想、かもしれません。問題は、そんな空想ではなく、この自分がどうなのか、ということが大事だということです。もちろん、ここでそういう、そんな自分を創ってるのです。

もしかして続きます。

No.6678 - 2018/10/14(Sun) 07:15:05

Re: そのつど、そのつど、 / 勘太郎
 ubik0101さんのおっしゃる「創っている」は、私は元々無い。無いものから瞬間瞬間に、じぶんという幻想の私を創っている、ということなのでしょうか。
 それとも、理屈抜きに創っている・・・いや、やっぱり、葦を集めて小屋を作る様に、世界の中に私は無いけれども、世界の中から私を創り出してしまうんですね、たぶん。

 世界は、存在していますから、その上に自分をねつ造してしまうんでしょうかね。ここら辺はまるでSFを読んでいるような気分です。

 名前を忘れましたが、有名な哲学者の「過去は捏造されたものである」と書いてある本を繰り返して読んだことがあります。どう考えてもそうは思えないでいます。私の小学校の運動会の写真と私の記憶に違いはありません。

 ただし、心の記憶は(割合は別にして)ねつ造と事実(何が事実か?誰にもわかりませんが)がごちゃまぜになっているとおもいます。
 
 妻と喧嘩した時の、妻の言葉は事実です。「今、あなたがそう言うから、昔から私はあなたの事を嫌いだった」

 他人の経験談を聞く場合にも、私の認識とだいぶ離れていると感じることがあります。どちらの記憶が正しいかは、これまた誰にも判りません。

No.6679 - 2018/10/14(Sun) 20:37:55

Re: そのつど、そのつど、 / ubik0101
ここで勘太郎さんに質問です。

>世界は、存在していますから、

と、なぜ、そう感じるのでしょう?そして、

>妻と喧嘩した時の、妻の言葉は事実です。「今、あなたがそう言うから、昔から私はあなたの事を嫌いだった」

と、いう思考は、どんな状態にあって起きたのでしょう?これを探ります。

たとえば妻のことだとしても、人の真意は解らない、どう探っても空想だ。
しかし妻のその言った言葉は事実だ。

つまり、(a)心?とか気持ちとか思考とかは、あやふやで、不確実、あるいは、その人だけの問題。
その一方、(b)何か言われたとかいうことは確実で、事実、あるいは誰にとっても明らかに起こったこと。
この(a)(b)の思考と事実、誰かと自分、ごちゃまぜの複合二項対立関係が、一種の分別として機能し、

そこにいる自分から眺めると、

>世界は、存在していますから、

と、存在してる世界を出現させたのではないでしょうか?

つまり、勘太郎さんは、すでに自分で、ひとつの解を自分で話しています。なので、それを見つけるために・・・あるいはそこにはまだ明確には書かれてはないことが露になるために・・・自然に理解は進みます・・・勘太郎さん自身の投稿を、100回でも、飽きるまで読むことも有効です。

No.6680 - 2018/10/15(Mon) 07:47:05

Re: そのつど、そのつど、 / hato

海に行こ、と言ってたけれど、そぼ降る雨模様。疲れもとれるよう、今日はほぼ、家時間を過ごしました。

ここ数日、庭はまた季節が移り、なんともいい景色です。

No.6681 - 2018/10/15(Mon) 22:37:23

Re: そのつど、そのつど、 / hato

2人で気に入ってる、小さな草原です。

No.6682 - 2018/10/15(Mon) 22:47:38

Re: そのつど、そのつど、 / 勘太郎
無字の公案で、ムー ムー唸っても何もそれらしいものを掴むことができないで、御師家様の前に出ると、御師家様は何も言わずに、鈴を鳴らされる時もあります。
 解かったと勢い込んで行っても、「そんなもん違う」と言って鈴が鳴ります。
 寝る前の最後の座禅の後に禅堂で短い御師家様の言葉があります。印象に残っている言葉があります。
「皆は解らないだろうが、全員見性のすぐそばに来ている。残りの時間は少ないけれど、しっかりやってください」暖かい言葉です。

 ミズナラの苗木を作ろうと、公園からどんぐりを拾ってきました。水に漬けて虫をCENSOREDから土に埋めます。4・5年植え替えを繰り返して、やっと植えられるおおきさになるそうです。

No.6683 - 2018/10/16(Tue) 07:49:22

Re: そのつど、そのつど、 / ubik0101
こちらもクヌギの実を十数個ほど拾って、皿に置いてたことがあります。しばらくして、総てのクヌギの実の皮に小さな穴があいて、その穴より大きな白い虫が皿の上を這っていました。

>「皆は解らないだろうが、全員見性のすぐそばに来ている。残りの時間は少ないけれど、しっかりやってください」暖かい言葉です。

たしかに迷悟の差、あるとして・・・ふつうには差はないというのが一般的だと思いますが・・・ほんの僅かです。あるとして、自我と無我、反復横跳びほどの差はないです。そのために一生の努力が必要だったりして、これは何なんだろう。

>名前を忘れましたが、有名な哲学者の「過去は捏造されたものである」と書いてある本を繰り返して読んだことがあります。どう考えてもそうは思えないでいます。私の小学校の運動会の写真と私の記憶に違いはありません。

その哲学者が、どいう意味で言ってるのか知りませんが、過去は知覚できないのです。過去は透明です。それを知覚できるかのように思考する、想起する、映像として見る、ということは、そうしてるその人が創った、ということでしょうか。

No.6684 - 2018/10/17(Wed) 08:41:50

Re: そのつど、そのつど、 / 勘太郎
 今日は叔母の1周忌でした。坊さんが長い説教で数人の参加者ですけれども、すこし長すぎて困ってました。ふつうの人にお経を説いても、退屈でしょうに・・・。第一当人が判っているとは思えません。解っている人は普通の人に真我を説かないと思います。

 お経を居眠りしながら聞きました。一休禅師の「どうにかなるから、心配するな」の意味。受け取り手によりいかように受け取れる言葉。 一般的には、文字通り「どうにかこうにかなるようになるから、慌てるな」 もう一方で、「お前さん、何があったって、お前さんだろう」でしょうか。

No.6685 - 2018/10/17(Wed) 15:58:40

Re: そのつど、そのつど、 / ubik0101
お前さん、何があったって、お前さん。とは、なるほど、です。心配してもしなくても、その事態はその事態なのだ、心配するな。も、ありかもしれません。
No.6686 - 2018/10/18(Thu) 07:06:48

Re: そのつど、そのつど、 / hato

朝の庭は、朝露が緑と土を湿らせて、出始めの頃の太陽の光線が、細い草の穂先に、一粒一粒の光の玉になって輝き、えも言われぬ繊細な光景を醸し出していました。

No.6687 - 2018/10/19(Fri) 00:00:00

Re: そのつど、そのつど、 / 勘太郎
雪担御老師の体験談に「無字の公案で5日間、むーむーやって、肉体的にもうだめだって、ごろっと横になった。その瞬間、ガラッと何にも無くなっちまった。なんだこりゃあ、となりました」

 思惑が外れて、真我になってしまったんでしょう。おらの場合、いつも、思惑でいっぱいで、真我の芽が出るすき間がありません。
 あれ、思惑でいっぱいだと気が付いたら、自分の胸に思考を向かわせることを、しています。

 光の玉、写真でも美しいです。踏み跡のない草原がステキです。枕草子で「雪の積もった朝、子供の足跡のない雪が良い」と言っています。穂先の朝露の玉も美しいですし、快晴の秋の山もこれまたすがすがしい気分です。

No.6688 - 2018/10/19(Fri) 20:53:52

Re: そのつど、そのつど、 / hato

北海道の秋の山でしょうか。透き通った力強い気、明快な明るさ。陰影と彩り。

あれこれ、日常。

この事態、この、自体。

一体、なんだろう!?。

No.6689 - 2018/10/19(Fri) 23:16:19

Re: そのつど、そのつど、 / 勘太郎
事態、この、自体。
時計の音。やっぱり、音を聴いている自分がいます。

 と言って、自分のあり場所をさがして体の頭や心臓や手の先を探しても、自分の居場所を特定できないのですけれども、自分がいます。

 身体全体が自分と感じるのでしょう。境目は皮膚。
いや、やはり体は自分ではありません。

 時計の音や自分の身体はあります。自分は何処にいるのか?解りませんけれども、ここにいます。

No.6690 - 2018/10/20(Sat) 21:45:32

Re: そのつど、そのつど、 / 勘太郎
[そのつど、そのつど、私は私を創っています]が解りました。
 縁起の逆転。まず縁起の逆転によって迷いが生じ、その縁起の再逆転によって、人は完成します。理解ですから、未完成です。

 ダグラス・ハーディングという人が言っています「あなたは受容能力ではないですか。指差した方向を観ます。景色を見ます、自分の足を見ます、お腹、胸次に、自分の顔を指差します。そこには何もない自分があるのではありませんか。そしてそれは何ものをも受容する者ではありませんか」

 赤ん坊は全てを受容するので正常な縁起で、大人受容ではなく、自分から発信できると勘違いしている。そこには迷いがある。つまり縁起の逆転。

 正常な縁起においては、受容能力の自分に時計の音が届く、可愛い猫がにゃおんと来れば抱き上げて猫を抱く自分になる。バカヤローと言われたら、バカヤローに喚起された怒りになる。素敵だねと言われると嬉しい自分になる。「喜ばしい」だけなのに、なぜか喜ばしい主体である自分を仮定して、仮定の自分が喜んでいると勘違い!

 そのつど、そのつどの自分になる。

 自分という塊が元から在って、それが怒りの状態になったり、音を聞く者なるのではない。
 まっさらの受容能力がバカヤローで怒りの形になる。まっさらだから、昨日は敏子さんに惚れて、今日は陽子ちゃんに惚れることができる。
 まっさらだから、「今、あなたがそう言うから昔からあなたのことを嫌いだった」と感じることが出来る。過去は何の関係がなく今を受容できる。

 今日の縁起の逆転の読後感です。混乱・勘違いもありましょうが。

 
 

No.6691 - 2018/10/21(Sun) 19:49:21

Re: そのつど、そのつど、 / 勘太郎

>  正常な縁起においては、受容能力の自分に時計の音が届く、時計を聞く感覚のみで完了。

 しかしながら、可愛い猫がにゃおんと来れば抱き上げて猫を抱く自分になる。バカヤローと言われたら、バカヤローに喚起された怒った自分に。素敵だねと言われると嬉しい自分になる。「喜ばしい」だけなのに、なぜか喜ばしい主体である自分を仮定して、仮定の自分が喜んでいると勘違い!

No.6692 - 2018/10/21(Sun) 20:01:17

Re: そのつど、そのつど、 / hato

> 事態、この、自体。
> 時計の音。やっぱり、音を聴いている自分がいます。
>  時計の音や自分の身体はあります。自分は何処にいるのか?解りませんけれども、ここにいます。



猫散歩をしてるとき、ベンチに座り、空を見ます。枯れていく木々の枝葉や、新芽を紡ぐ場所を見ます。そのとき、意図して意識に戻り、ここ、と確認すると、窮屈な、いまここ、を確認できます。自分は、そうして確認するとき、常にちょっと妙な・・窮屈です。言葉と意識で目指すと、とても奇妙です。

意識は厳密に、これ、(それ、)ではないです。

生活する上では、時間空間上の交点、その、意識は大事で、その、視点にいると安定する、落ち着く、確かな気がする、・・・焦点を定めたいときの、旗のようです。

自分にとって生活は、訓練で、それは時間と空間内での作業、いまとここでの作業。限定された意識と身体が訓練の場です。なんなんでしょう!、この奇妙な素晴らしさ。それは、意識され得る体験です。

でもその自己は、意識され得ない。

ここが、不可思議なところ・・です。

今日は爽やかな秋晴れ、十五夜あたりだそうです。午後から、海に行きます。

No.6693 - 2018/10/22(Mon) 11:23:49

Re: そのつど、そのつど、 / ubik0101
うろ覚えですが〈師〉一日中見っぱなしで、聞きっぱなしで、思考しっぱなしで、無心なのだ。〈弟子〉その無心だということは、何が判断しますか?〈師〉それも無心が判断するのだ・・・達磨が書いたとされる書(たぶん中央公論 世界の名著 禅語録)にこうあったと思います。

微妙ですが、たとえば虫の声を聞く、というのではなくただ、虫の声、です。つまり、虫の声を聞く、というのは、すでに聞いてる自分ということが虫の声の背景に微かにあります。その自分があるということは、虫の声が対象になってるということで、世界、あるいは自分と人、あるいは自分と自分との分離と説明されることもあるようです。

ただそれは完全な分離ではありません。もちろん完全な融合もありません。完全な分離も融合も、それでは何も知覚できません。分離と融合どちらでもないとか、どちらでもあるとか、ある、ない、ど言ってもしょーがない、わけのわからない世界のわけのわからなさが、そのまま見る聞く話す思考する行動するです。これは人の生まれつきの事態です。

ところで、世界を、人を、自分を見てる自分がいるとします。その見てる自分は、見えるでしょうか?ここで見てる自分を見てる自分を見てる自分を・・・と、合わせ鏡の無限反応が起こるような気がするかもしれません。しかし、実際は、それは起こらないです。見てる自分の背景には、なにもないです。

なんであれ世界の構成要素、それを周りから切り離して、対象にして見る聞く思考する、その自分があっても、そんな自我の機能そのことは、なにも問題はありません。ただ、ちょい無心、無我、には邪魔な迷いです・・・またその迷いがなければ悟りもない・・・そんな経緯もあるということです。

そんな自我の機能も世界の機能です。自我が問題なのは、未完だからです。完成してないからです。それに使われるからです。使うのです。そのつど、そのつど、自分がつくられるとしても、悪い自分を創らず、善い自分を創ろう。ということもあります。ここは仮定の自分の話ではありません。たとえば、ひとつの24色の絵の具の箱で、それぞれの絵を描くということです。

No.6694 - 2018/10/22(Mon) 19:38:37

Re: そのつど、そのつど、 / 勘太郎
おいらが、お二人のお話を理解できているように思います。

 意識(自我)→

注意(意識を見張ることができる。注意は学びで身に着けることが出来る)→
 
きずき(神の恩寵でしか「きずき」の状態に戻ることができない)

こんな図式らしいです、言い方はいろいろながら。

注意して、虫の鳴き声を聞く。鳴き声が自分の身体の中に、それこそ染み入るのを感じる。自分の意識をなるべく排除して、注意しながら生活しようとおもっています。

 セピア色の自分の写真を見たら、胸が締め付けられる様な哀しみを感じました。
 真我と離れていることが哀しみの元だと聞いたことがあります。まんざらでたらめではないかもしれません。

No.6695 - 2018/10/23(Tue) 07:56:06

Re: そのつど、そのつど、 / 勘太郎
自分の身体と外部の境目は探ってみると判らないと読んだので、自分でもやってみると、境目を見つけることはできないと感じます。鏡に映して、自分を見れば明確に輪郭がわかります。

 テーブルに腕を載せてキーボードを打ってると、天板と身体の堺を確定できません。
 特に目をつぶって猫を抱くと、柔らかく暖かい毛触りを感じますが、自分の腕と猫の区別がつかないで、自分の身体の芯にある塊のようなものが、柔らかく暖かいものを包んでいるような感じです。

 だからと言って、自分が無いとは思えませんけれども。思っている程、自分は明確でないのかもしれません。
 
 一段と秋が深くなって、裸になった木もあります。のんびり暖かい秋の陽の中で、花豆のさや外しをしました。本日の収穫花豆1合。次回は梅の木などの冬囲いが始まります。

No.6696 - 2018/10/26(Fri) 21:18:49

Re: そのつど、そのつど、 / ubik0101
たとえば、〈眼を閉じて〉なにかに触ってるなら、その触ってるところだけが身体です。足とか頭とかあるはずなのですが、感じられないです。そこで〈眼を開けて〉その手を見てみます。それは自分の手なんでしょか?と、感じてるその自分は、どこにいるでしょう?

それは頭のところにいますか?胸にいますか?ほんとうに?それはもしかして感じてる自分を自分で再確認し、その居場所を想定してるってことかもしれません。そうでなく、ただ見てみます。遠くの山とか、部屋の中の時計・・・どうでしょう?

No.6697 - 2018/10/27(Sat) 07:16:58

Re: そのつど、そのつど、 / 勘太郎
注意して、時計を見ると、私は在る(自分がいる)という感覚は薄れて、見ている事・見る(動詞)・・・・に近づきます。

 あれえ〜。書いていて思いました。
動詞には主語(主体)があります。見ている事であれば、自分は必要ありません。見るになってしまったら、無い自分が仮定の主語(主体)として現れる。???

 アムボムレッツ・スマサラーナさんの瞑想法を思い出しました。彼はお腹に手を当てて呼吸を感じなさいと書いています。「お腹が膨らむと言いなさい。膨らますと言ってはならない」と。

 私(自分)は産まれてからの学習で身に着けたものでありましょう、本物か仮定のものかは解りませ。んけれども。
 母親から私の身体は貰いましたが自分はもらってないです。
 
 もし母親から貰うものなら、母親は二つの自分を持っていなければなりません。分け与えてもらったものなら、それは私ではなく母親である私のはずです。

 見る事、なのか、主体を持つ見る者、なのか?区別はつきません。

No.6698 - 2018/10/28(Sun) 19:32:03

Re: そのつど、そのつど、 / ubik0101
その・・・見る亊、見えてる亊・・・には属性がありますか?たとえば年齢、性別、名前、優劣、善悪、自分がある、ない・・・これは、眼は見ようとしなくても見えてる。見ようとしても見える。眼で見てるのでもなく、眼が見えてるのでもなく、受動、能動、その対立融合たぶん総てありなんです。

なので、特定の個別のどれでもないです。どこかで見ましたが・・・聖を求めず俗を嫌わず・・・どのような属性もないのです。また、見えることが見えることである必要もないのに見えます。聞くこと、話すこと、思考すること、行動すること、それがそうでなくていいのに、そうです。で、その自分はどこ?

No.6699 - 2018/10/29(Mon) 07:34:15

Re: そのつど、そのつど、 / 勘太郎
>猫散歩をしてるとき、ベンチに座り、空を見ます。枯れていく木々の枝葉や、新芽を紡ぐ場所を見ます。そのとき、意図して意識に戻り、ここ、と確認すると、窮屈な、いまここ、を確認できます。自分は、そうして確認するとき、常にちょっと妙な・・窮屈です。言葉と意識で目指すと、とても奇妙です<

たぶん、自分を窮屈な自分の身体の中に押し込めたのでしょう、むりやり。

 自分にも、見ている対象も属性はありません。憎たらしい上司も、憎たらしい上司として居て、それ以上の属性はありません。

 黄色い葉が増えたゴムの木を見ている自分はどこにある?どこからみているのだろう。
 しばらく、にらめっこしています。感想は自分側には何もないと感じます。ゴムの木を見ながら、自分の胸や眼の奥・頭、思考実験で頭の天辺から親指の先まで眺めてみたら、床と接触する部分がジンジンするだけです。目も網膜もありません。ここまでが今の感じです。

No.6700 - 2018/10/29(Mon) 13:23:31

Re: そのつど、そのつど、 / hato

先週は、待望の海へ行きました。

No.6701 - 2018/10/29(Mon) 20:48:20

Re: そのつど、そのつど、 / hato

今朝はすこし、冷えました。
庭のオヒシバ、メヒシバたちもすこし、赤みを帯びました。

No.6702 - 2018/10/29(Mon) 20:51:45

Re: そのつど、そのつど、 / hato

数日前、いっとき雨が降りしきるなか、周囲が赤く夕焼けに染まり、幻想的な光景でした。

No.6703 - 2018/10/29(Mon) 20:58:14
停電4日とは・・・・ / 勘太郎
 冷蔵庫の中全滅、通信手段なし、ガソリンも入手できていたのでしょうか?

 「停電で骨休みができた」とは、読みながら笑ってしまいました。
今夜のニュースで中部電力の停電は完全に修復したと聞きました。それしても4日間とは・・。おらビル管理の仕事で、停電対策が第一でしたので、病院や銀行・役場のビル管理の人たちはどうしているのだろう?と想像してしまいます。
 仕事柄の常識では停電は長くて半日を想定して対策していました。4日では燃料確保に苦心惨憺したと思います。北海道のブラックアウトと大騒ぎしても約24時間で回復しましたので、ポリタンクで開いているスタンドから買ってきて、非常用発電機の燃料を補給してなんとかしのぎました。

 また、「骨休みだった」を想い出して、笑っています。
 笑っているのは、さて、だれでしょう?と考えてもわかりませんけれども、愉快です。

No.6669 - 2018/10/06(Sat) 20:16:37

Re: 停電4日とは・・・・ / hato

こんばんは。ご心配をありがとうございます。そう〜・・・我が家は、復旧の最後のほうだったんですよ。さらに1000件程度の静岡県の家は、5日かかったようです。

4日かかった我が家の近隣は、大方は停電翌日などに復旧していたそうですが、ubik0101さんが自治会の会合で聞いてきた話では、どこか山で、樹木が倒れてしまい、電線まで辿り着くのに時間がかかるらしい、のようなことで、うちはそのラインに当たっていた?のかもしれません。まだきちんと地区整備がされていないのでしょう。

大きな企業、工場には自家発電があって問題なかったとか、そうでない会社ではやはり、復旧まで混乱しました〜、とか・・。自分たちは、住まいからすぐ近くの仕事場は停電しなかったので、ご飯を炊いたり、とくに困りませんでした。行きつけのスーパーやガソリンスタンドも停電していなくて幸いでした。

家族が沢山いたり、お子さんがいる家は、洗濯やらご飯と、お母さんは大変だったでしょうね。大したものは入っていませんでしたが、自宅の冷蔵庫の中身が傷んでしまい、クリーニングしつつも匂いが取れない状況に、潔癖なパパが半狂乱ですが、そのくらいでしょうか。

ちょうど二人とも体調を崩していたので、電気機器がない時間も有難いものでした。あるとなんとなく、付けているテレビやネットがない夜は久々で、それしかない虫の声もいいですね。停電に便乗して本当によく眠りました。

それでも、4日目の夜、8時半過ぎに、いきなりあちこちの電気がパッパッと付き始めたときには、皆のために頑張って朝から晩まで修復作業して下さってるであろう電力会社の方に、じわっときました。

今日あたり、台風25号襲来なんですね。
まだこちらはしずかですが、北海道も、どうぞ無難ですように。

No.6670 - 2018/10/07(Sun) 00:15:23

Re: 経験する者」と「経験されるもの」との2つが残っていた / 勘太郎
 時に「私は悟った」と自称される方の中には、悟りの渦中の経験を記憶し語る方がおられますが
それは
未だ時間の経過を経験する視点・支点がそこに残っていた
「経験する者」と「経験されるもの」との2つが残っていた
というご自身の様子を告白しておられる、ということです。

栄宗寺御住職様の 書き込みで 解りました。
 
 なんで覚醒体験を古仏は書いていないのか?と不思議でなりませんでした。よくは解りませんけれども、覚醒体験の詳細を語らないのは、解らないのですね、本人が。なにがなんだかわからないのに、なにもかもわかっちゃたんですねきっと。

 昨日は、少し離れた場所で、森の探索会があり参加してきました。今までコナラとミズナラの違いとか白樺とマカバの違いを知らなかったのですけれども、簡単に見分けられるようになりました。コナラは葉に葉柄があり、ミズナラは無いか有ってもごく短いし葉も大きい。マカバは幹の横筋でしょうか。
 トドマツの林にアカモミタケというキノコがあり試食しましたが美味。
 講習会で習うとどこから区分けして行くかが理解できて図鑑でどんどん調べる力が付きました。

 覚醒も同様に学習できるとよいのですけれども、分析するな!と打たれるのですから、なかなかうまくいきません。

 当地では台風の雨風はほとんどなく済みました。前回の台風で昨日行った山の木が相当数倒れていました。「倒れたら陽が当たるので、植生が変わる」そうです。台風が良いのか悪いのか?全体の事は想像もできません。無常そのものです。

No.6671 - 2018/10/07(Sun) 19:47:27

Re: 停電4日とは・・・・ / ubik0101
それは、そいう体験もあります。自分も世界も消えた。そして突然に蘇る。それからずっと、この何が何だか解らない世界に生きてるわけですが・・・ほんとに、なにが何だか、です。

そして、自覚がある体験もあります。それは・・・未だ時間の経過を経験する視点・支点がそこに残っていた・・・というわけではないですし、残っていたとしても何が問題と思います。

その体験がその体験を自覚した、としか・・・ほかの誰かではないから消去法で自分に起こったんだろうとしか・・・言いようがないです。また、なぜ視点・支点がない、体験の記憶がない・・・が唯一?の悟り、なのでしょうか?

たぶん・・・未だ時間の経過を経験する視点・支点がそこに残っていた・・・と言うのは、そんなことが残ってない体験だったとして・・・その残ってないという認識は、どうして可能だったのでしょうか?

自覚ある体験があっての意見ですが、ずっと前に読んだ以前の禅者の話に、自分に起こったことさえ解らないの?無意識を掘り下げないで、単なる修行すると、そうなるのかな?と思ったこともあります。

また、たとえば風景が自分だった、というのは悟り体験だとも言えるらしいのですが、自分にとっては、それは悟りではありませんでした。単なる出来事でした。

いろんな体験があるし、なにが悟りとなるのか、それをフランクに話し合えば、実際は悟りとは、どいうことなのか?すこしでも明らかになるような気もします。自我がキーパーソンかもしれません。

でも、体験の有無とか、どんな体験だとかは、そんなに問題ではありません。それでどうなのか?ということです。

No.6672 - 2018/10/07(Sun) 22:21:40

Re: 停電4日とは・・・・ / hato

> 「経験する者」と「経験されるもの」との2つが残っていた


そうなんですね。自分はそちら、読まないのでわかりませんが、なに言ってんのだろ、と思いました。人それぞれ、いいのでしょうけれど、なんだか残念です。

じつは先の停電の夜、少ない灯りを灯して、何年振りかで、ubik0101さんの「覚醒」を読みました。ほかになにもない、夜でした。

自分は、まだubik0101さんに会うことになるずっと前から、ネットの文章を総てコピーして、表紙をつけて小冊子を作り、理解したくて、というより大事で。何度も何度も、読みました。先鋭的な内容を、鈍っていた頭脳に理解させるために、横書きの文書を、縦書き用の右開きの冊子で作りました。というより、それはそうなってしまったのですが、その衝撃を理解する訓練の、自分なりの工夫だったのでしょう。


それは、改めて読んでも、その輝きが変わることのない書。永遠の書。聖なる書です。

そこで言われていることに、一滴の反駁を覚えることがありません。その真実に微塵の曇りも、感じることができません。たとえ、人としてのubik0101さんに、強く反論することがあっても。殴り合い、罵声を浴びせあっても、その覚醒を蔑むことはありません。


むかし、結婚した頃だったでしょうか。新宿で、夫婦で愚さんにお会いする機会がありました。

温情ある、人懐こい愚さんに、誰もが親しみを覚えるでしょう。お話しも上手で、気の置けない感じを、すぐに作ってくださるような方でした。当時の奥様もいらっしゃって、ご友人もいて、たしか、うさぎのロゴが入ったお店で、うどんすき、をご馳走して下さいました。

けど、ubik0101さんは、何度勧められても、一口も、手を付けませんでした。鍋を囲んで腹を割って、の折、ふつうだったら、もてなして下さる方にちょっと気の毒で、見ていられない光景です。

語りかけも反応も不調法なubik0101さんに、愚さんも奥様も、不愉快だったかも知れません。奥様は帰り際に、「なぜこの会食にhatoさんがご一緒しているのかわかりました。」とお話しでした。どういう意味だったか・・、人の成長に係る会食だから?、なのか、わたしがいることで場が和むと思った、からか。なんとなく、後者のような気がしました。

ちょっと脱線しましたが、わたしは、道を行くと決めている、頭脳明晰な愚さん、なのに、なぜubik0101さんの「覚醒」がわからないのか・・・と不思議でした。ubik0101さんの覚醒は、完全に個的故の超個的な経験、その文書です。明らかにそのことを、明晰に、文筆された、覚醒自身の言葉です。

それは、聖なる書です。それを生きようとする人なら、絶対に気が付く文書です。

神に会ったら、神を殺せ???。それは、神と思う自分の妄想を殺せ、との意味です。道を得た、正真正銘本物を蔑む、或いは無視する神経というのが、自分には、本当に理解できないのです。

人を認めてしまったら、自分が無力な気がするのでしょうか。あるいは、それが男だ、と、思っているでしょうか。誰にとっても、素直になれない最後の要素、あるのかも知れません。もし本物と気付いているのにそうなら、それほど皆、覚醒自身よりも、その自分を、立てたいのでしょうか。と思うのです。

あるいはただ、互いに縁なき衆生ということでしょうか。


網目のほつれを糺せる、この日常。

小さなことから。

誰かから問われたら、返事をする。

手紙をもらったら、返事をする。

帰ったら、手を洗いましょう。

咳が出るときはマスクをしましょう。

台所はきれいにしましょう。

自分を優先してないか。

という、些細だけれど、大事なこと。

No.6673 - 2018/10/08(Mon) 01:23:47

Re: 自分や仏をCENSORED / 勘太郎
 ロシア伝統人形に「マトリョーシカ」があります。人形の中に又人形があり、際限なく中から人形が現れる(実際は数個でしょう)。また「2枚の鏡の中に自分を映す」という言葉があります。
 ニサルガダッタ「は画家が絵を描いている、そして画家は絵の中に描かれている」と言う言葉を使っています。

 いずれも、自分をCENSORED、自分を表現していると思います。自分をCENSORED事は困難なので、「ムー」と大声で叫び続けて、意識を無字に融け込ませて、自分をCENSOREDのが
無字の公案だと思っています。
 こんな理屈をつけたら無字ではありませんが。

 繰り返しですが、この自分をCENSOREDについての説明がラマナ・マハルシは「私は誰だととい続けなさい」であり、ニサルガダッタの「私は在る」なんでしょう。

 瞬間では「私は在る」が実現しているように感じますが、即「私は在る」を見張っている自分があります。それを又見張る自分と無限に続きます。

 「覚醒」を久しぶりに開きました。理解できる限界が進んでいる様に感じます。けれどもやっぱり底抜けの青空を眺めているようです。
 青空を眺めても雲がぽつりぽつりと見えてる他には何もみえません。

No.6674 - 2018/10/08(Mon) 13:12:38

Re: 停電4日とは・・・・ / ubik0101
そいえば思い出しました。中〜高校の頃なんですが、時々、自分で頸動脈のあたりを触って、自分が生きてることを、確認してました。変なんですが、確認してないと、生きてないような気がしてたのです。

また鏡を見る癖もありました。友人が、君は鏡を見てないと自分があることを確認できないから見るのでは?と言ったことがありました。その頃は、自分が好きだったのでしょう。確認、再確認の必要はないです。

人の可能性というのは、とんでもないです。総ては1つとか、非2元、自他の区別がない・・・これは究極ではないです。また人生て、そのためにあるとは言えません。

何のために生きてる?これは第二の自然の公案と呼んでいますが、これも幸せになるため、有名になるため、苦悩なく生きるため・・・どんな答えを出しても外れます。でも解けるのです。

第一の自然の公案は、この自分て何?です。なぜ自分はこの自分?です。こいうことは降って湧いたように誰にも問題になると思うのです。諦めなければいいだけです。

そいえば10年も前のことでしたか、愚さんと掲示版で話したことがあります。意識と無意識の融合は悟りではない、と言いました。しかし2〜3年くらい前に、どこかの掲示版で,意識と無意識の融合は悟りだ、とか言ってました。

人って変わるものでいいのでしょうが、自分の経緯にないことを、知らないことを、まず始めに否定したというのは、よくないように思います。だからって、どうでもないですが・・・人は素であることから始めれば充分です。

No.6675 - 2018/10/08(Mon) 19:03:07

Re: なんの為に生きてる?が解ける / 勘太郎
 諦めないのがオイラの得意技です。

おらも真似をして、覚醒を4まで印刷してじっくり読みました。毎度の事ながら、「これっておらの為にかいてくれたのかな?」って感じます。

 それと覚者の言葉は万人を元に戻す(興奮や怒りや妄想を冷やす作用)があるのではないですかね。
 宗教が盛んな地域で教会や集会で、聖書とか聖なる言葉は、参加者を洗う作用があるかもしれません。また直ぐに汚れてしまいますけれども。
 よい気分になるのかもしれません。

 よい気分では、なんにもなりませんけれども、怒りのままでいるよりは楽しくなります。

 なんとかして(熱望)なんの為にいきているのか、自分は何?の答えを得たいと願っています。

No.6676 - 2018/10/10(Wed) 21:49:01

Re: 停電4日とは・・・・ / hato

>  諦めないのがオイラの得意技です。

> おらも真似をして、覚醒を4まで印刷してじっくり読みました。毎度の事ながら、「これっておらの為にかいてくれたのかな?」って感じます。


なんと素敵な!

話を大事に聞いて下さって、有難うございます。
ネット上で斜め読みするのと違います。きっと、それを、助けてくれると思います。

No.6677 - 2018/10/11(Thu) 08:48:41
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