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心は短時間で動くのが解りました。 / 勘太郎
 昨日、介護施設の担当者から、「勘太郎さんの夜勤の時に使った、利用者様の解熱剤が見つからない!何処にあるか知りませんか? 利用者様が興奮しているので困ってるの」って電話が17時半頃ありました。おら慌てて、カバンや服を捜したけれどありません。担当者は「ないなら仕方がないですね、水枕してるんだけどどうしようかなあ・・」と電話を切りました。

 おら薬を利用者様の部屋まで持っていた記憶ははっきりしているけれども、薬箱に戻したという記憶が明確でないのです。
 それから、夕飯も食わずどうしたモノか?と思案と不安の中にいました。「この不安である」おいらの思考を観察し続けました。どうしよう?容態があっかしないといいなあ・担当者は不安だろうな・なんとかできないかなあ?・・・おらなんとお詫びしたらいいかなあ・・

 不安ながらも・・・おらどうせバイトの身分だしこの様な例も無いわけではないだろう。なんとかしてくれるだろう。なんとかなるだろう。だけど明日どんな顔で仕事に行くかなあ?・・・

 1時間もすると、当初の不安から波長の振幅が減少しているのが自覚できました。まるで信号電波のかく乱が終息するオシロスコープの波形を見ているかのようです。 不安ながらも、電話機を傍において風呂に入る余裕もできました。

 ふろから上がってしばらくして19時半頃(最初の電話から2時間後)別の人が「捜したらいつも所に薬ありましたから」って電話がありました。

 その後のおいらの思考は喜ばしくなって、歓喜でした。不安ってこう云う動きをするんだなあ・・。今朝のテレビで郵便局で1億円故意の料金不正で50台の社員が逮捕連行される場面を見ました。彼及び彼の家族の不安もおいらの不安と同じく、外乱に拠る波乱の終息がおきるのだろうなあと思いました、(振幅と長さの度合いは大分ちがいますけれども・・)
 そんな出来事で夕べは楽しい一夜を過ごしました。

No.6418 - 2018/02/16(Fri) 15:13:28

Re: 心は短時間で動くのが解りました。 / ubik0101&hato
ubik0101さんと話していて、もし自分だったら・・・2人とも気が短いので、すぐに会社に駆けつけて、調べてしまうと話していました。実際、エアコンを消し忘れた??、とか、発注した件を誤ったかも・・・なんてことで、ほとんど泣きたい気分で、夜中に駆けつけたことが何度もありました。結局、エアコンは消えているし、仕事も大事ないことを見届けました。勘太郎さんが、無事でよかったです。

hato

なんか昔々、聞いたことがあるような気がするのですが、こんな歌を思い出しました。おいら岬。



きっと勘太郎さんは、いいひとなのでしょう。それはそれで、ありなんでしょうけど、ときにはこちらの投稿に遠慮なく突っ込んでみるといいかもしれません。

ubik0101

No.6419 - 2018/02/16(Fri) 21:08:54
(No Subject) / brahma
巨根とイケメンどちらがもてるか。
No.6413 - 2018/02/08(Thu) 14:28:51

Re: / ubik0101
しかし私には属性がないのです。私は、真摯。私は、勤勉。私は、怠惰。私は、優しい。私は人。私は1人。私は男・・・それら属性と私は、関係も、無関係もなく・・・ひとつも、分離も、今もなく・・・素の私です。なにもない、この生まれて初めて見る世界の風光にいます。
No.6414 - 2018/02/08(Thu) 18:17:52

Re: / brahma
1知識 物質
2自由 感情
3幸福 思考
4責任 直観
5楽しみ 意志
6愛 宇宙意識
7空 絶対無

知識の背後には幸福が、自由の背後には責任が、幸福の背後には楽しみが、責任の背後には愛が、楽しみの背後には、無がある。二つ上の意識がある意識の根底となる。

No.6415 - 2018/02/08(Thu) 20:50:16

Re: 梵我一如と感じられない、おいら / 勘太郎
 「生まれて初めて見る世界の風光の中に居る」

目の前のゴムの木を眺めている今の様子は、それ以外の姿では有り得ず初めて見る景色です。記憶の中には昨日のゴムの木もありますが、それは遠くの微かな痕跡です。

 ゴムの木とおいらの手や肩は一つの世界を構成していて、分かれているとも分かれていないともどちらとも表現・解釈できます。
 しかしながら、眺めている自分はゴムの木と離れているのか?

おいらの胸の中に在る、点なのか、穴なのか、空間、身体に充満するものなのか、特定できない私が体の中に在ります。(何を書いているのか焦点不明になってしまいました)


 今、疑問に思っている事「仏教は因果を重視する思想である」とは、どういうことなのだろう?

 属性の無い私とは関係なく(関係するでもしないにも関係しない)世界は自動的に因果で動いている。つまり、自分は世界と関係することができないということなんだろうな。
これをラマナマハリシは、「列車に乗っているのだから、その中でモノを運ぶ必要はない」といったのでしょう。


 介護の仕事の同僚である女性から素晴らしい言葉を聞きました。
「私は旦那に生命保険を掛けたことないの、だって命とお金を交換するって嫌な感じがする」
「旦那に「「私が死んだらあなた困るから生命保険かけたら」」と言ったら笑っていて、そのまま私にも保険掛かっていないの」

No.6416 - 2018/02/10(Sat) 19:13:02

Re: / ubik0101&hato
>「生まれて初めて見る世界の風光の中に居る」

>目の前のゴムの木を眺めている今の様子は、それ以外の姿では有り得ず初めて見る景色です。記憶の中には昨日のゴムの木もありますが、それは遠くの微かな痕跡です。

> ゴムの木とおいらの手や肩は一つの世界を構成していて、分かれているとも分かれていないともどちらとも表現・解釈できます。
> しかしながら、眺めている自分はゴムの木と離れているのか?


たぶん、いつか勘太郎さんが誰かから貰ったか、買ったかした、ゴムの木なのでしょう。水をやったり、日当りのいい所に置いたり配慮したのでしょう。そのゴムの木と、世界と自分、因果が壊滅してるのです。記憶の問題ではないです。この、いま、因果関係にないのです。それは、説明ですけど、

まったき因果にある、これ、が、これ。ほかのことではない、ということです。であれば、ああでもないこうでもない、ああでもあるこうでもある因果は壊滅しています。ここが、1人あること、世界が空気中に舞う塵のように軽いところです。

また。なんでもいいですが・・・私には妻子がある。私には友達がいない・・・その、妻子とか、友達とか、ほかのどんなこととも切り離された、ということもない・・・関係も無関係もない私、それは、なにものでもない、私。単極の私。これ。

そこで、知覚とは差の認識、です。この自分はこの自分を認識できない、そのゴムの木はそのゴムの木を、その猫はその猫を認識できない。なのに、どれもがそれなりに、それぞれの周囲、世界は認識できる。不思議というか、神秘というか、踊りというか、遊びというか、です。

>おいらの胸の中に在る、点なのか、穴なのか、空間、身体に充満するものなのか、特定できない私が体の中に在ります。(何を書いているのか焦点不明になってしまいました)

それはそれを認識できない、はずです。認識できるというのは、ほかのこととの関係にあってでしょう。たとえば常識とか、社会とか、習慣とか、ほかの人とかとの関係を前提にして背景にして・・・時間、空間という距離があって・・・私を感じるのでは?

それは自分を知らないから、知りたいという欲求かもしれません。この私を私が知らなければ、私は私を認識できないということが分からない・・・これは滅茶苦茶なんですけど、とても整合性があると思います。

また、世界を見てる視点、聞いてる中心が、ここ身体にあるということでしょうか。見える聞こえるという、そのことを再認識して、認識する中心を空想していませんか。事実より、事実の認識は遅れるようです。

> 今、疑問に思っている事「仏教は因果を重視する思想である」とは、どういうことなのだろう?

それは・・・私の因果にないことは度外視、という意味で何か私と因果のある、もの、こと、人とかを大切にするということでしたら変です。仏陀は、因果の成立(順観)と壊滅(逆観)を説いていると思います。

> 属性の無い私とは関係なく(関係するでもしないにも関係しない)世界は自動的に因果で動いている。つまり、自分は世界と関係することができないということなんだろうな。

>これをラマナマハリシは、「列車に乗っているのだから、その中でモノを運ぶ必要はない」といったのでしょう。

その列車の目的地の話をしてるのでしょうか?私は、というか人は、列車の運転手でもあり世界を運転してるのです。車掌でもあり、乗客でもあり、見物人でもあり、そいうことと関係なく、寝転んでる人・・・どこに行くのでしょう。

> 介護の仕事の同僚である女性から素晴らしい言葉を聞きました。
>「私は旦那に生命保険を掛けたことないの、だって命とお金を交換するって嫌な感じがする」
>「旦那に「「私が死んだらあなた困るから生命保険かけたら」」と言ったら笑っていて、そのまま私にも保険掛かっていないの」


ただ貧乏だというだけですが、また脳天気だというだけですが、こちらも保険かかってないです・・・誰かが死んだら生き返られることができるなら、生命保険て呼べるのでしょう。

ubik0101

若くても、年をとっていても、いつ死ぬとも限りません。この身体がどのように終わるか、それはわからない。身体があるときにしか、できないことがある。それはたぶん、いわゆる生活としての、身体的精神的経験でない大事なこと、が確実に、ある。

にも関らず、やっぱり若者は、まったくありもしない特権を得ているかのように、言うこと成すことが遊長なものです。わかものはばかもの、そういうものかも知れません。或は年をとっていても、やっぱり遊長で、世界をできるだけ旅行とか、見聞とか、できるだけ楽しんで残りを過ごそう、とか、そんなこともあるかも知れません。

でもこの時間は無限でないし、人に、見せたり聞かせたりするためのなにかより、大事なこと。が、確かにあるのでしょう。

hato

No.6417 - 2018/02/11(Sun) 07:19:28
(No Subject) / ubik0101
TVがついていたので、ちらと見ると・・・木村なんとかって人、僕ちゃんは僕ちゃん大好き、みんなも僕ちゃん大好きて人で、それが表情にさえ現われてるように見えました。これを恥ずかしくない、悩まない木村なんとかは、凄い・・・もちろんこれは勝手な空想です。

この勝手な空想なんですが、それは確認のしようのないところで、事実と混同されてしまう、というより事実と判断される傾向にあります。これの判別は簡単で、木村なんとかに、こう思うのですが、そうですか?と聞いてみれば、勝手な空想か事実か、決定できるでしょう。

でもなかなか人は、ほんとのことを言わないし、そうである本人でさえそう認識してるわけではない・・・と言って、思考は、その思考を守るために、本人に聞くのを拒否するようです。たとえば噂話とかもそうです。他の人のことを、あれこれ言ってる人に、

じゃ、その本人に聞いてみたら?と言っても、これまで、そうした人は誰もいませんでした。恋愛とか、それが苦しいとかのテーマから外れましたが、なんとなく、こいうことを思いました。おおむね思考は、外し外して成立するところがあります。

テーマだとは意識されてないかもしれませんが、なんか思考してるとして、それから逃げないこと、外れないこと、掘り下げることは、難しいことではないと思うのです。それと断片的でなく日常にあって、その思考全部を眺める。見逃さない。それだけで、思考は探求になると思うのです。

No.6410 - 2018/02/04(Sun) 07:58:09

Re: / ubik0101&hato
大学生のとき初めて、遊びにいった親戚の家があります。従兄弟の1人がいて、子供の頃に蚊に刺され日本脳炎に罹り、ほとんど手足が利きませんでした。たまに歩いてる夢を見ることがある、とても怖い。と言ってたのが印象に残っています。

その従兄弟と将棋をすることになりました。床に将棋盤を置いて、2人とも下を向いていました。そのとき誰かが部屋に入って来て、そこに・・・わたしは美男子である・・・という思考が充満しました。それでその誰かを見上げると、たしかに岡田真澄にそっくり男でした。

そこで、もう一度、わたしは美男子である。という思考が部屋に充満しました。こちらは、そんなの無視という姿勢で、注意を将棋盤に向けました。むこうも、こっちを無視という姿勢で歩いて部屋から出て行った気配がありました。あとから聞いた話では、その男はその家の主でした。

ま、どでもいいことですが、こちらは非常にもてました。近寄って来る女どもを掃いては捨て、千切っては投げ、という状態でした。たとえば、とあるパーティのとき、椅子に座ってると、初対面の女がいきなり膝に座ろうとしました。拒否すると、きーきー言って去りました。

いろんなことがありましたが、どでもいいです。貧乏が、私を救ってくれました。いろんなことがあるんですが、それをどう判断するか、それぞれの人に任されてあります。たとえば虐められて育った子供は嘘をつくようになるかもしれません。嬉しいとき怒ったりするようになるかもしれません。

でも、どうなるかは、その個人に任されてあります。なんだかの経験、印象、に左右されず、それをどうするか、どう使うか、総てその人に任されてあります。真摯であること、自分を誤摩化さないこと、探求者は、そうならざるを得ないのです。

ubik0101

>近寄って来る女どもを掃いては捨て、千切っては投げ、

ひぇ〜!!!これはどうみてもちょい、あり得ないーっっ! とまあ、どうでもいいですね。(笑)

恋愛。もう、ある意味とうてい無理でしょうね。そのための食指がない感じです。肉体としては、世界存続に貢献するための子孫残しとか、さまざまあるのでしょうが、こちらもとより、子供が欲しいと思ったことがありません。そういう感性も体力も金銭的余裕も、なかったのです。

hato

No.6411 - 2018/02/05(Mon) 19:51:17

Re: 失恋も覚醒するための手段です / 勘太郎
 モテすぎる、或は必要なようにモテる、すべてが覚醒するための紙芝居です。って書いてみました。ウビさんの真似です・・・・・。

 貧乏も身体障害も病気も、たぶん私の対象であるのでしょう。失恋は本当に解りやすい、私の意識の対象であって、私の出来事ではないです。すべては私の体の対象であります。
 強いてい言うと、私の3次的現象です。(2次の現象は体の存在そのもの)
 おらの理解度から云うとこのように感じます。

 私の意識の上の出来事であって、私にはなんの影響も与えませんし、私も恋愛に対してなにも働きかけをしません。 
ニサルガダッタマハラジだったら上記の様に云うような気がします。

No.6412 - 2018/02/05(Mon) 21:41:51
(No Subject) / brahma
https://soundcloud.com/taishi-ohira-745737342/anandamrita-vahinyai

三角関係が苦しい

No.6402 - 2018/01/31(Wed) 19:19:39

Re: / ubik0101
ずっとずっとずっと前ですが、片思いは苦しかった。それで、なんで苦しいのか?その理由を知りたかった。うまく行った場合の嬉しさの逆かな、と見当をつけてみたけど、そんな程度の苦しさではないような、重い苦しさだけがあった。

たぶん三角関係もでしょうが、いろいろ空想するでしょう。それは空想の因果関係かもしれません。その空想の先の現実の相手とか、部分的にしか誰がどうしたこうしたの実際、事実は見えないところで、空想の因果関係の思考が起こっているかもしれません。

そこでは、医師が自分のレントゲン写真などを冷徹に見るように、なんだかの関係のその仕組みをよく見る。また、いわゆる、現実に直面するという決意。空想の因果ではなく、実際の因果を生きる決意。意識できるのは空想の因果関係で、実際の因果は認識不可能のようです。

また空想の因果関係とは・・・それは普通の生活でそうと気がつかないで散々やってるのですが・・・因果の順観だとして、必要なのは逆観。因果の壊滅、これは起こすことではなく、気がつく、起きることのようですが・・・たとえば生まれて初めて見る世界の風光。

でも、現実には、事実が見えないときに空想が助長されるといった機能がありますし、思考は現実と空想の区別をする機能が搭載されてない・・・それはそいうもんだという認識もあればいい・・・百年の恋も一瞬で冷めることもある・・・こちらは、こんな感じでした。

No.6406 - 2018/02/01(Thu) 23:07:56

Re: / brahma
男として生まれた最大の苦しみは、女との恋愛。
No.6407 - 2018/02/02(Fri) 00:36:54

Re: / brahma
苦悩で体がきしむ。
No.6408 - 2018/02/02(Fri) 14:03:20

Re: 苦しいなら離れれていれば・・・ / 勘太郎
 苦しいと感じることが、たのしいのではないですか?
本当に苦しいのなら、誰も恋愛しません。

 おらは振られも振られても、楽しかったです。楽しいと云うか、生きがい・張り・生きてる実感そんな感情であって、ただ苦しいのとは違うと感じます。

 ヒーローですかね?おらはこんなに持てねえぞーみたいな、マゾ的な気持ち・・・・それでもめげねえぞー・・・

 そんなのをみなさん名付けて「青春」なんでいうんですかね。爺には遠く過ぎ去ってしまった感情です。はしかみたいなものですかね。

No.6409 - 2018/02/03(Sat) 09:18:33
犬は喜び庭駆け回りの写真です / 勘太郎
手前の丸く雪が融けている場所は、昨晩寝た跡です。
寒くないのですねこの犬は。ほとんど小屋では寝ません。
 奥の犬小屋の彼は、釧路育ちながら、ヒーターを敷いている小屋からほとんど出てきません。犬それぞれ。

 人は他と摩擦を起こして自他を造り、切磋琢磨して世界を進歩させる。子供は喧嘩しながら育つ。
 年寄は他を非難することに依って、消えゆく自分の確認をする。故に頑固となり、他から批難されるが故に自我の確立という目的が果たされる。

 引いて自分を見れば、この有様が理解できます。他と違う特別な自分と思いたがる自分は、自分から見ても滑稽です。ここら辺までは自我のままでも理解できます。
 今のままで良い」という言葉は世界に一つだけの花である自分(自我)の肯定で、一時の慰み。これから脱するには、心(言葉)の沈黙。足を使って天敵より逃げる手段を知らないウサギの様に、沈黙にすべてを任せることが出来たらよいのですが、おいらはなんでもできる可能性があるとの確信から脱出できません。

No.6399 - 2018/01/30(Tue) 09:10:01

Re: 手前の雪の寝床は写ってませんでした。 / 勘太郎
染みは、別の犬のおしっこの跡です。
No.6400 - 2018/01/30(Tue) 09:12:01

Re: 犬は喜び庭駆け回りの写真です / ubik0101
そうですね、ナンバー1も、オンリー1も、しょうもないです。これから脱するには、沈黙が有効かは分かりませんが・・・まず・・・その沈黙は、なんでもできる可能性があるとの確信と、対になってる?あるいは何だかの関係がある?でしょうか。また自分の現状と、それから脱するは、対とか何だかの関係になってるでしょうか。

それが対とか関係だとして、沈黙と、なんでもできるという確信とか、現状と、それから脱するとか、あんまり関係ないことを、勝手に因果関係にあると、結びつけたのかもしれません。そこでは・・・自由不自由、沈黙饒舌、善悪、聖俗、優劣、正誤、幸不幸、愛憎・・・さまざまに対になってることと考えられてることが見えて来るでしょう。

でも、対になってると、関係にあると、考えられることは、ほんとに固定された対になってること、関係あることでしょうか。また、なんでもいいですが自由と不自由の、その自由、と沈黙、自由と善、自由と聖、自由と何かは・・・結び付けられて思考が、さまざま展開できるような気がするかもしれません。

そこで、沈黙そのこと、自由そのことを定義してみます。善そのもの、愛そのこと、悪そのこと、劣そのこと、憎そのこと・・・それが見えるでしょうか。また善に善が認識できるでしょうか。悪に悪が認識できるでしょうか。これはどいうことなんでしょう。(たとえば善と悪、勤勉と怠惰、真実と嘘とかの中程というのは偽中道です)。

どれも捕まえることが出来得ません。どれに捕まることもできません。もしかして自由とか不自由とか、そのことそのものの意味は知られず、それが対になって、関係づけられて、意味があるかのように振る舞ってるかもしれません。沈黙は対がないので難物かもしれませんが、自由とか不自由とか、善とか悪とかも、対ではないかもしれません。

そこで、たとえば対になったこと、関係づけられたこと、で何だか意味が解るような気がする・・・思考はそこに居心地がいい、そこを棲み家にしてる、穴蔵にいる・・・そのようにして思考は存続する。思考の餌は空想の因果関係。そう気がついて、それから離れても、まったく大丈夫です。対とかがないことを沈黙とか呼ぶのかもしれません。

なにもない、そこ・・・国破れて山河あり・・・ノーガード・・・それで問題なく生きて行けます。忘れる・・・ただ単に、そのような思考が、というより自分は、そのような思考の棲み家にいないということに気がつくだけ・・・実に思考には何の問題がありませんが・・・それだけで静かで、世界が明るく感じられたりしたものです。

No.6401 - 2018/01/30(Tue) 18:26:24

Re: 動いているのは電車か?自分か? / 勘太郎
 人の勘違いを実感する実験を時々行っています。
地下鉄のホームで電車が停まる時に、電車は止まっていて、ホームと自分が動いている様に感じることができます。
 このように感じている時に停車の瞬間、動かないはずのホームで私の体が本当に揺れます。

 この例から憶測すると、世界の中においらが活動しているのではなく、おいらの中で世界が活動しているという話の方が本当なのかもしれません?

 実際経験としては、どちらにも属さない、がほんとうなのでしょう。私と世界が分かれているはずがない。現実に人工衛星から写した地球は、ちっぽけな一つのポンポン球に見えます。
 爪とおいらの指は一つだし、目玉と脳は離れていないし、セーターとおいらの体は一つです。

 さてそろそろ5月の種まきに向けて、種の注文をはじめるかなあ〜。こちらの農作業は5月の連休が終わるころに始まります。雪解けで湿気った畑にはいれないのです。昔のトウモロコシを作ろうかなあ?害獣対策ができるかなあ???

No.6403 - 2018/02/01(Thu) 10:20:19

Re: 犬は喜び庭駆け回りの写真です / hato

日本列島雪ですね。この辺りは、ツボなのかどうか、いつも大体、粉雪が化粧程度です。

猫は炬燵でまるくなり。コタロウは発情し始めたので、そろそろ去勢せねばなりません。夢見がちな表情をし始めました。

世界の七八十不思議??。慣性の法則で、電車のなかで飛び上がってもその場所に落ちる、電車の端っこにぶつからな〜いとか、うまく都合よく出来てるものなのですね。

身体はやっぱり精密機械、扱いを誤ると不具合、難儀なことも多いです。この身体に縁以ているのはこれですが、この身体=これ・・・とは・・・いってもいいし、やはり、言い難いなにかです。

桜の周りの水仙が、とても美しいこの冬です。6,7年前だったか、ubik0101さんが、庭のあちこちから集めて植えた水仙です。

No.6404 - 2018/02/01(Thu) 17:15:41

Re: 犬は喜び庭駆け回りの写真です / ubik0101
>この例から憶測すると、世界の中においらが活動しているのではなく、おいらの中で世界が活動しているという話の方が本当なのかもしれません?

そのように見える、ということは、ほかのことに惑わされず、諸感覚、意識が静まった、ということではないでしょうか。

No.6405 - 2018/02/01(Thu) 19:51:03
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