[ 掲示板に戻る ]

過去ログ閲覧モード

最後から2番目の夢 / hato

ほんとはね。

パパにうんと抱きしめて貰いたいんだよ。
もう、
また、
泣いちゃったんだ。
ママ、大事な恋人をおいて、
いつもどこかに、行っちゃうの。
人のために、忙しいんだ。
でも、
ちょっとピアノを弾いたら、
スッキリした。
前よりも、だいじょうぶ。
みたいな、気がする。
なんでかな。
きっとubik0101さんと皆さんの、
お陰かな。
ありがとう、なのだけど。

ほんとはね、

会いたいんだ。
でもね。
まだ、ちがう。
その愛が、先なんだ。
愛がそうするしか、できないんだ。
そうだよね、ママ。
ごめんねママ。
この身体で会えるの?。わからない。
でも。約束したよ。
嘘つかないこと。
それはね、
絶対。いつも、自己の光てこと。
まだ気付かないでしちゃうこと。ある。
気付いてもしちゃうことも。ある。
ない、かもしれないけど、あーる。
ごめんねママ。
ぼく、けっこう、悪い子。
だからおしおき。
でも。
愛してる。
すると、ママは、そんなの愛じゃないっ
て怒るの。
ちがうよママ。
それも、やっぱり、愛なんだ。
ぼくは。そう思う。
恋愛も、結婚も、
知らない、
でもやっと、そういうこと、考えてみた。
人だもんね。
言葉は、約束。なんだね。

鶯が聖書を呼んできて、
雅歌
が開かれた。

愛がそれを望むまでは、
愛を呼び覚まさないと。

とにかく、時々か或いはいつも、世界は自分。
頑張りましょう、と、思います。

No.614 - 2008/04/06(Sun) 23:23:04

Re: 最後から2番目の夢 / ubik0101
そうですね。「言葉は、約束」。とてもいいと思います。
No.615 - 2008/04/07(Mon) 13:47:00
夢二夜 / ubik0101
こんな夢を見た・・・

いきなり質問です。と、桜吹雪の中から、56億7千万年の美女が現れながら話しかけてきました。もしかして、君は、もう二度と巡って来ない、この今、春の桜を楽しんでいるのではないでしょうか。

まぁ、そーだよ、僕は言った。すると。秘かな笑みを浮かべて、その美女が言いました。ん、まぁ。大変です。この今を、この今、想起できるでしょうか?

うー、僕は言った、できません。すると秘かな秘かな笑みを浮かべて、その美女が言いました。ね。そうでしょ。では、今は、あるのでしょうか?ううー。ない、のかも、しれません。と僕は答えた。それでは、過去は、未来はどうでしょう?うううー、ない、のかもしれません。では時間が、ない、ってことでしょうか。

じゃ、そのまま。この桜の公園を、よーく見てみましょう。どう見えますか?秘かな秘かな秘かな笑みを浮かべて、その美女が言った。んっ、見てる、僕がいませんっ。でーは、この公園は、ある、でしょうか?秘かな秘かな秘かな秘かな笑みを浮かべて、その美女は言った。うううー。見てる、見られてるも、なく・・・この公園が、ある、とか、ない、とかも関わりませんっ。

これは、たしかに大変です。無我の主観絶対なのでしょうか。僕は、 苦し紛れに、あなたの名前を教えてくださいと、言ってしまったのです。

すると秘かな秘かな秘かな秘かな秘かな笑みを浮かべて、なぜ、それを聞くのでしょう。わたしの名前は、ちょと小悪魔な弥勒菩薩。と言いいながら、 56億7千万年の美女は、森羅万象の、桜吹雪のなかに帰っていきました。

No.607 - 2008/04/06(Sun) 08:40:37

Re: 夢二夜 / peer
夢に出て来るものは、大抵は、自分を表現している。のだそうです。たとえば夢に出て来る、誰々さんも、溺れている犬が出て来たらソレでさえも自分。とか。
夢の中心・・・というか、目線は自分で、夢に登場している自分も自分で、対象になるものも自分。
まっ。。上記とは直接の関係はない話ですけど。

No.608 - 2008/04/06(Sun) 08:54:26

Re: 夢二夜 / ubik0101
ここには課題があります。この日常でも、総てが自分で・・・あの溺れてる犬も、誰々さんも、自分ではない・・・の断言は不可能です。

そうです。片寄った表現をするとして、自分は、世界です。なので、悪いことをせず、良いことをしましょう。素直でありましょう。学びましょう。それは、この泥の沼で、育ち咲く、見えない蓮の華の、香りです。

そして、物質、身体、感覚、感情、思考は、つまり世界は、泥の沼であり、それは、それだけのことです。西伊豆に行けば温泉があり、海に釣れば魚がかかり、塩を舐めれば塩の味。たとえば。とある感情に行けば、それが怒りの経験。たとえば。とある概念に行けば、それが思考されます。

それは、それだけのことです。そこで。ひとり人は、見えない、つまり無自覚の蓮の華の良い香りを、育てましょう。 素直でありましょう。学びましょう。

No.609 - 2008/04/06(Sun) 12:45:35

Re: 夢二夜 / ルー
今年の桜は、とても美しいです。
微かな微かなピンク色。蕾は、もう少し赤みが強いのです。
桜は、毎年美しく咲いているのかも知れません。
しかし、見る人の心の状態によって、どんなふうにも見えるのかなと思いました。

泥の沼に咲く蓮の華でも、良い香りはするのですか?
それは、とても難しいことのように思えます。

ところで、小悪魔な弥勒菩薩が、うびさんの前に再び現われるといいですねっ
無我の主観絶対って何だろうかと思いました。

No.610 - 2008/04/06(Sun) 14:14:06

Re: 夢二夜 / ubik0101
>泥の沼に咲く蓮の華でも、良い香りはするのですか?

そうです。音楽だって、やっています。
秘かに、秘かに、秘かに、るーるーるーるーと歌っています。

>それは、とても難しいことのように思えます。

そ、その香りも歌も、自覚できない・・・見えない・・・
ということが、秘密といえば、秘密です。

そういえば、うろ憶え、イエス・キリストの言葉「隠れて善行をしなさい、そうすれば隠れたところにいる父が見ています」を、突然に、思い出しました。この隠れて、ということは、見えない、自覚できない、として自覚できる、という意味なのかもしれないと、思いました。

という意味なのかもしれないと、思いました。(残響)。

>ところで、小悪魔な弥勒菩薩が、うびさんの前に再び現われるといいですねっ

うん。るーるーるーるー、です。

>無我の主観絶対って何だろうかと思いました。

えーと。自我の世界解釈、無我の世界解釈、それは違うのだけれど。それは、ただ、それだけのことだと、言いたかったのです。

言いたかったのです。 (残響)。

No.611 - 2008/04/06(Sun) 14:52:06

Re: 夢二夜 / ルー
しかめっ面の弥勒菩薩。
泣き顔の弥勒菩薩。
エプロンを着けて、台所で魚をさばく弥勒菩薩。

ああおもしろい、弥勒菩薩。

No.612 - 2008/04/06(Sun) 14:52:59

Re: 夢二夜 / ubik0101
そーです。おもしろいのです。3日やったら、止められません。

止められません。 (残響)。

No.613 - 2008/04/06(Sun) 15:03:55
自己 / ばん
自己がある、ない 自己は見るだけしか出来ない存在(それが自己か確定できないけど)

我がなければ、自我も機能しないはずなのですが、自我があるように思えてしまいます。
過去の記憶の反応として思考する、思考すると思考する我が発生します(これは自我ですよね)
私が我を捨て切れてないので自我が機能するのですか?
うびさんは、昔の記憶の反応として自我が発生しますか。?

完全に今の瞬間にあればいい、とよくいろんなとこで見ますがうびさんはそういうような生活をしていますか?

自我の機能で自分にも社会的にも善いことってありえますか?

No.599 - 2008/04/05(Sat) 09:29:44

Re: 自己 / ばん

> 我がなければ、自我も機能しないはずなのですが、自我があるように思えてしまいます。
> 過去の記憶の反応として思考する、思考すると思考する我が発生します(これは自我ですよね)

これってなんかわけわかんないですよね、
何を聞きたいのかわからなくなってしまいます。

人と話しているとき「あーこれ自我が機能しているなー」って思うのですが、それで、どうしたらよいのかを聞きたいですお願いします。

No.600 - 2008/04/05(Sat) 09:39:48

Re: 自己 / ばん
「あーこれ自我が機能してるなー」って思考することが自我が機能しているって事ですか?あー頭が爆発しそう
No.601 - 2008/04/05(Sat) 10:05:56

Re: 自己 / ubik0101
>人と話しているとき「あーこれ自我が機能しているなー」って思うのですが、それで、どうしたらよいのかを聞きたいですお願いします。

あまり複雑に考える必要はありません。とりあえず無我から説明してみます。たとえば、「あーこれ自我が機能しているなー」というのは、無我の観察、とも言えます。というのも、感情や意識は、ただ機能するだけ、そして、それだけしか知覚できない。のではないでしょうか。

そのことを、さらに思考しても、そのことしか、見えないのではないでしょうか。たとえ人と話してて、嫌な感情が生じても、それしか知覚できない。そうしてる主体が設定されてない、のではないでしょうか。それは、そのまま自己が知覚できないことの了解です。無我の働きです。しかし、これも、ある意味、 極端な片寄りです。

そんな無我、無自覚の自己にさえ拘わらなくなると・・・自我もなければ、無我もない。もちろん、無我もなければ、自我もない。です。ただの人です。

そうでないならば。どんな感情や意識も、世界の機能であり、不思議であり、それがなんであるか、誰も知らないということ。また、分離と融合、どちらでもないこと。たとえば無我の実感も、愛の実感も不要なこと。時間空間の解釈・・・そういう、まだ発見されてないことが、発見して欲しくて、ばんさんの、いまの過渡期な状態を招いてるのかもしれません。

No.602 - 2008/04/05(Sat) 10:33:25

Re: 自己 / ばん
> >人と話しているとき「あーこれ自我が機能しているなー」って思うのですが、それで、どうしたらよいのかを聞きたいですお願いします。
>
> あまり複雑に考える必要はありません。とりあえず無我から説明してみます。たとえば、「あーこれ自我が機能しているなー」というのは、無我の観察、とも言えます。というのも、感情や意識は、ただ機能するだけ、そして、それだけしか知覚できない。のではないでしょうか。
>
> そのことを、さらに思考しても、そのことしか、見えないのではないでしょうか。たとえ人と話してて、嫌な感情が生じても、それしか知覚できない。そうしてる主体が設定されてない、のではないでしょうか。それは、そのまま自己が知覚できないことの了解です。無我の働きです。しかし、これも、ある意味、 極端な片寄りです。
>
> そんな無我、無自覚の自己にさえ拘わらなくなると・・・

思考を無視するって事ですか?

自我もなければ、無我もない。もちろん、無我もなければ、自我もない。です。ただの人です。
>
何も考えずただの生き物だと思えばいいですか?

そうでないならば。どんな感情や意識も、世界の機能であり、不思議であり、それがなんであるか、誰も知らないということ。また、分離と融合、どちらでもないこと。たとえば無我の実感も、愛の実感も不要なこと。時間空間の解釈・・・そういう、まだ発見されてないことが、発見して欲しくて、ばんさんの、いまの過渡期な状態を招いてるのかもしれません。

んー何も考えるな世界は知ってるようで、知らない事がほとんどだ、何も知らない、知らないままがいいというような感じに思えてくるのですだ。

No.603 - 2008/04/05(Sat) 11:37:49

Re: 自己 / ubik0101
>思考を無視するって事ですか?

それは。思考が生じても生じるままに任せるという
意味での「思考を無視」すればいい?という質問でしょうか。
そうだとして、
その思考してる自分は、いる、のでしょうか。

または。なにか思考が生じます。
その生じた「思考を無視」する、追い払えばいい?という質問でしょうか。
そうだとして、
追い払う自分は、いる、でしょうか。

それで、いる、というのは、自我と呼ばれます。
それで、いない、というのは、無我と呼ばれます。

ところで。無我の体験。
そのときにも意識はあったでしょう。
その有り様は違うけど、思考できたでしょう。

そして、日常に戻り
それからが、学ぶことの始まりです。

ふつの日常では、自我もなければ無我もない、ではありませんか。

>何も考えずただの生き物だと思えばいいですか?

なにも考えないなら、ただの生き物、とも思えないでしょう。

>んー何も考えるな世界は知ってるようで、知らない事がほとんどだ、何も知らない、知らないままがいいというような感じに思えてくるのですだ。

なにを考えても、考えなくても、
そもそも、それが、
なにかも、知りません。
思考がないのが、良いのではありません。

それまでは、たとえば思考に使われてた、かもしれません。
しかし、それからは、思考を使うのです。

No.604 - 2008/04/05(Sat) 13:46:37

Re: 自己 / ばん

>
> それで、いる、というのは、自我と呼ばれます。
> それで、いない、というのは、無我と呼ばれます。

自我と無我の意味がわかりました。ありがとうございます

> ところで。無我の体験。
> そのときにも意識はあったでしょう。
> その有り様は違うけど、思考できたでしょう。
>
> そして、日常に戻り
> それからが、学ぶことの始まりです。
>
> ふつの日常では、自我もなければ無我もない、ではありませんか。
>

日常ってあの体験の起こる前のことなんですね

> >んー何も考えるな世界は知ってるようで、知らない事がほとんどだ、何も知らない、知らないままがいいというような感じに思えてくるのですだ。
>
> なにを考えても、考えなくても、
> そもそも、それが、
> なにかも、知りません。
> 思考がないのが、良いのではありません。
>
> それまでは、たとえば思考に使われてた、かもしれません。
> しかし、それからは、思考を使うのです。


あの体験の後、忘れっぽくなって自分がどう変わったのか思い出せません、でも思考が脳の勝手な働きで考えだす、ということはわかりました、あと、自己が何とも言い表せないものだったというのも、何を学べばよいかわかりりませんが
うびさんの投稿に質問しながらやっていきます、
ありがとうございます

No.605 - 2008/04/05(Sat) 14:19:17

Re: 自己 / ubik0101
>日常ってあの体験の起こる前のことなんですね

その後、そうである、この日常を意識することができると思います。

>あの体験の後、忘れっぽくなって自分がどう変わったのか思い出せません、でも思考が脳の勝手な働きで考えだす、ということはわかりました、あと、自己が何とも言い表せないものだったというのも、何を学べばよいかわかりりませんがうびさんの投稿に質問しながらやっていきます、

その前を、思い出すのは困難と思うことも、たしかにありました。そして自己は、なんとも、これとも、意識では掴めないのだけど。たとえば泥の沼に咲いた蓮の華の、香りです。

No.606 - 2008/04/05(Sat) 14:56:05
知覚。 / ubik0101
ところで時間が、たとえば過去・現在・未来と均質に連綿と流れるとしたら、どうして、総べてと一緒に流れてる時計の、秒針は時を刻めるでしょう。どうして一緒に流れてる人が、その時計を見たり、部屋の外を走る電車の音を聞いたりできるでしょう。

そんな。わけわからない時間を、連綿として持続したものとして、解釈しないと、自我は、成立しないでしょう。つまり時間の、自我による解釈が、過去・現在・未来という線的な時間。たとえば過去の思考や、出来事と、未来の思考や出来事が、連綿としてると思い込まされてなければ、欲望も機能しないでしょう。

たとえば端的に言って。今日の自分と、明日の自分が、連続してないなら、なにかが欲しいとか、欲しくないとかいっても、とくに意味を見出せないのではないでしょうか。これが自我が機能してないなら、執着に巻き込まれないことの、ひとつの説明と思います。

そうであれば、今。この瞬間に生起する、思考や出来事。つまり総ての現象は、ここで、この瞬間に消滅してると、表現できます。そして、そんな今。は知覚できません。そうすると過去も未来も知覚できません。それは知覚できないというだけです。だからといって、時間が、ない、ということではありません。

おなじように、空間として。眼や耳の五感と意識の作用しか機能してないと(つまり無意識にも隠し事がなく素直だと)。その五感と意識の作用だけです。そのことを、見る主体も、対象もない。と表現できるだけで、それは、いわゆる無我に片寄った見方と思います。自我にも、無我にも片寄らない、それが日常ではないでしょうか。

No.596 - 2008/04/03(Thu) 13:31:03

Re: 知覚。 / hato


> ところで時間が、たとえば過去・現在・未来と均質に連綿と流れるとしたら、どうして、総べてと一緒に流れてる時計の、秒針は時を刻めるでしょう。どうして一緒に流れてる人が、その時計を見たり、部屋の外を走る電車の音を聞いたりできるでしょう。


時間は、出来事に対して縦方向に流れている、ともいえる、
だから、過剰に自我に囚われている場合、縦に掘り下げる、といえるのでしょうか?

なにかの思考を捉えたときに自我が機能し、それは、無理に持続させなければ、とくに問題がないということでしょうか。仮の自己にとっては必然的に、現在過去未来が生起するといってよいでしょうか?


> そうであれば、今。この瞬間に生起する、思考や出来事。つまり総ての現象は、ここで、この瞬間に消滅してると、表現できます。そして、そんな今。は知覚できません。そうすると過去も未来も知覚できません。それは知覚できないというだけです。だからといって、時間が、ない、ということではありません。

No.597 - 2008/04/04(Fri) 08:26:39

Re: 知覚。 / ubik0101
あるいは自我から見て、あるいは無我から見て、時間空間の解釈が変わる。その解釈の表現を詮索するより、自我が機能してるなら、自我の探究が、大切、ということを投稿しました。

そして、いわゆる無我の時間空間の解釈も、面白くはあるけど、ただの解釈ではないか?そして自我もなければ無我もない、であれば、そういう時間空間の解釈にも捕われない。という指摘をしました。けど。hatoさんの投稿を見て、時間の解釈には結構、実用的な意味も感じました。

>時間は、出来事に対して縦方向に流れている、ともいえる、
>だから、過剰に自我に囚われている場合、縦に掘り下げる、といえるのでしょうか?


どんなことでも、とくに自分の思考の前提の前提・・・と、可能な限り掘り下げることは、訓練するための負荷になる。という意味で、そうです。

>なにかの思考を捉えたときに自我が機能し、それは、無理に持続させなければ、とくに問題がないということでしょうか。仮の自己にとっては必然的に、現在過去未来が生起するといってよいでしょうか?

必然的かは解りません。ただ、自我にとっては、現在過去未来が連続してると解釈することは、非常に都合がいいのだと思います。なにかを自分勝手な思考をするとしても、現在過去未来の連続が前提になってなければ、思考の意味も失われるからです。

たとえば、誰かと嫌な出来事があったとして。だから、恨む・・・だから、気まずい・・・その、だからという思考は。やはり自分勝手な、現在過去未来の連続が、前提にされているのでしょう。それは時間に使われてるのでしょう。

そうでなければ、そんな自分勝手な思考すること自体が、無意味になります。もともと、そんな時間に使われてなければ、最初から、恨むとか、気まずい、とかも生じません。

「なにかの思考を捉えたときに自我が機能し、それは、無理に持続させなければ、とくに問題がないということでしょうか」。 そう意図しなくても、時間に使われなければ、自然に、そうなるという意味で、そうです。

また。自我が機能してても、誰かと約束して、困難があっても、守ろうとするとします。嘘を言わないようにするとします。それは、ある限定された意味かもしれませんが、現在過去未来の連続だとしても、計らずも、時間を使おうという姿勢を学んでるのだと思います。

なんか、うろ覚えですが趙州の言葉「わたしは12時を使いうる」を思い出しました。

No.598 - 2008/04/04(Fri) 10:02:48
ウソをつく / peer
>なにか世界が歪んでしまうという恐いほどの違和感が襲って
>きました。たとえ友達のためにも、嘘をついてはいけない、
>そう思ったのだと思います。


どうなんでしょうね。
表面的には「友達の為にウソをついた」ように見えますが
自分を守るために、ウソをついてしまった。
のではないでしょうか。
だから、恐怖が現われたのではないか、とも思うのですが。
もし、完全に友達の為だったのであれば・・・
まあ、それほどに。
人は「人の為」という行為が、出来難い。
とも言えそうな気がします。

No.577 - 2008/03/27(Thu) 09:42:04

Re: ウソをつく / ubik0101
その場合。嘘をつくことが、
どうして自分を守ることになるのでしょう。

たぶん、peerさんは。友達が鴨を持って行ったよ、
と言えば。あとで友達から恨まれる、
という空想をしたと指摘しているのでしょうか。
それなら違います。

この自分が、自分でない
(この現実が、この現実でない)と言うのですから、
嘘をつくということ、
そのこと、
それだけで、自分を失うほどの恐怖です。

No.578 - 2008/03/27(Thu) 10:16:11

Re: ウソをつく / peer
そういうことなんですが。

自分で自分を守ろうとしたんですよね。
自分が自分でないことを怖れたんですよね。
自分で自分の認めている世界が壊れてしまうことを怖れた。
んですよね。

つまり、自分を失うことは恐怖。なんですね。

No.579 - 2008/03/27(Thu) 13:40:48

Re: ウソをつく / ubik0101
どうであれ。その頃は、自我は、まだ未発達でしょう。嘘を言うと、現実が、現実でないことになる、つまり自分勝手な現実をつくる(それが自我になるので)それが恐かったのでしょう。

それで。ふつうに嘘を言うことが恐くないということは、自我であることが平気だからなのでしょう。嘘を言って自我であることは(自己でないことは)、恐怖ではないでしょうか。

No.580 - 2008/03/27(Thu) 14:16:39

Re: ウソをつく / peer
うーん。
そのくらいの小さな子供は、あんがい簡単に
ウソをつくものです。
ちょっと怖そうな状況になると
その場しのぎの、すぐにバレるだろう
と思われるようなウソをつく。
先のことを読めないですからね。
ウソを言えるようになったら、自我が
出来始めたと判断できる・・・
などと児童心理学では、言っているようです。

そしてまた、そのくらいの子供には
友達も自分も、さほど区別はないようで。
友達の負は、自分にとっても負だと感じる
こともあるように思います。
相手の痛みを自分の痛みのように感じるとか。
すべての責任を自分で背負ってしまうとか。
だから子供といると、人は癒される〜
のかしらね。

No.581 - 2008/03/28(Fri) 00:39:43

Re: ウソをつく / ubik0101
ところで。 その小川の側の、たんぼの用水路には、フナの稚魚が、無数に泳いでいました。あるとき、その友達と、網で、たくさん捕りました。すると友達は、いつの間にか一緒に使ってたバケツを、自分の家に持って帰ってしまいました。

あとで、家に見に来いと言います。すると水浴び用の、大たらいに一杯、フナの稚魚が泳いでいました。その友達の親は、佃煮にするとか言います。それを見て思いました。これはなにか違うかもしれません。半分は、自分が捕ったのではないだろうか・・・。

まあ自他の区別がないと、誰のものでもない、があるでしょう。みんな自分のもの、と思うこともあるでしょう。みんな君のもの、もあるでしょう。また自他の区別があれば、半分半分、もあるでしょう。また、みんな自分のもの、もあるのでしょう。みんな、君のもの、もあるでしょう。

ところで、たとえばフナの稚魚のような理不尽なことをされる。だから懲りる。もあるでしょう。だからがなく、懲りない。もあるでしょう。また嘘を言われて。だから、自分も嘘を言っても、いい。もあるでしょう。だからがなく、よくない。もあるでしょう。そういうことがありそうです。

No.582 - 2008/03/28(Fri) 08:58:48

Re: ウソをつく / hato


peerさんは、皆が学ぶ為に、
いつもそのように言われるのでしょうか?


> ところで、たとえばフナの稚魚のような理不尽なことをされる。だから懲りる。もあるでしょう。だからがなく、懲りない。もあるでしょう。また嘘を言われて。だから、自分も嘘を言っても、いい。もあるでしょう。だからがなく、よくない。もあるでしょう。そういうことがありそうです。


それは、関係性とは無関係にあること、
といってよかったでしょうか。


改めて、隣人を愛す、ということについて、
敏感さが必要です。
適切か、否か。
これはすべてにいえるのでした。

協調する、とはどういうことか、よく考えてみなさい、

と言われたことがあります。
自分をごまかしながら人に合わせるなら、
それはとても違うのです。
どんなに微妙なことでも、判らないほど、鈍らせてはいけませんでした。

自分と他人にとって何が適切なのか、
日々学ばせて頂いてます。

No.583 - 2008/03/28(Fri) 23:04:45

Re: ウソをつく / hato

Peerさん。
表現が悪かったでしょう、
ごめんなさいね。

なぜ、そう思ったかというと、

「嘘をついたとき、世界が歪むほどの恐怖を感じた」
ということ。
正直、そこまで徹底した自己の感覚を、
まだ眩しく感じるしかないけれども、
もし同じものを了解しているなら、
peerさんの反応を不思議に感じるときがあるからです。

なのでそれは、もしかして、よくわからない不思議な様相?をことさら私たちに喚起させる為に、
常になにかはずされる表現をされるのでしょうか、
とふと思ったということでした。

もし、回収され得るようなものなら、
それこそ、きっと自己では、ありませんもんね?
ありがとう、
この場面できっと、私は表現しなければならなかったのです。
また、お話、して下さい。

今日はねー、
とてもよい春日和。
鶯の素敵な声を聞きながら、朝寝坊、しました。
窓の外の木にとまって、
餌を探しながら、全身を膨らませて、ほんとにいい響きで鳴きました。
春風の祝福。
皆さまもきっと、たくさん、頂いているのでしょうね。

No.585 - 2008/03/29(Sat) 19:33:48

Re: ウソをつく / 大阪
peerさんは、心理学的な所から自分を知ろうとしているのではないでしょうか。

こないだの
>自分は何かに苦しむのに、他の人は苦しまない。
>としたら、自分の中の何が反応するのか。
>ど、自分の中を見る。。。ですよね。
>そして、どうして他の人は無反応でいられるのか。とも。


コレは、自分は心理学的なことが気になるのに、どうして他の人は気にならないのか、ということも含んでいるのではないでしょうか。(ちゃうかもしれませんが)

もしそうなら、自分を知る、というのは心理を探求することばかりではないと思います。

では他に何なのか、と聞かれても、僕は分からないです。良ければうびさん、教えてください。

No.586 - 2008/03/29(Sat) 23:23:48

Re: ウソをつく / ubik0101
>それは、関係性とは無関係にあること、
>といってよかったでしょうか。


そう思います。なにかの出来事を、理不尽として看做して、それを原因として・・・懲りるとか、警戒するとか、怒るとか、我慢しようとか、相手を望ましい時だけ利用しようと思うとか・・・いう結果になる、ということには必然性がありません。

そういう結果になったのは、こういう理不尽な原因があった、と後づけで、思うことができるだけではないでしょうか。それは、その時すでに機能してる自我の判断でしょう。なにかの出来事が、自我があることを露にして見せてくれるとも言えます。

そういう自我を解決してれば、なにかの出来事を、理不尽だ、相手には何かの理由があるのだ、などと様々に判断をしても、しないでも、だから、こうする、どうしない、とかには依存しないでしょう。

No.522のhatoさんの投稿を思いました。

>それでも、出来事、といえるすべては、
>ただそのようであった、としかいえないこと、
>ではないでしょうか。


きっと出来事。そして偽善も、嫉妬も、傲慢も、卑下も、慈しみも、憎しみも、また無関心も・・・あることと、類似なことと、反対なことと、無関係なこと、総てがそうかもしれません。

No.587 - 2008/03/30(Sun) 08:24:26

Re: ウソをつく / ubik0101
>もしそうなら、自分を知る、というのは心理を探求することばかりではないと思います。

>では他に何なのか、と聞かれても、僕は分からないです。良ければうびさん、教えてください。

なにがなんでも、自分を知りたい、という衝動がなければ、なにを学んでも無駄と思います。そして、衝動があれば。それだけで充分と思います。そうすると、総てが、そのために機能してくれます。たとえば怠惰なことも、勤勉なことも、善も、悪も。役に立ちます。この日常で充分です。

どうすれば、そんな衝動が持てるのか疑問に思うかもしれません。けど、実際は、自分を知りたくない努力をすることは、ほとんど絶対に不可能です。というのも自分を知りたくない努力・・・それが自我とか欲望として現れる・・・それこそ自分を知るための手段なので。どうであれ、総ての人が、自分を知るために生きてると思います。

たぶん、自分を知りたくない努力をすること、それが苦痛です。そして自分を知る努力をすることは、ずっと楽なことだと思います。迷いがあれば解放は必然です。だからことさらに、人は、悩みを好む面もあるのかもしれません。

No.588 - 2008/03/30(Sun) 08:28:23

Re: ウソをつく / peer
大阪さんの言うところの
「美女に出会うと色々と苦しめられるのです」
というのは、とりあえずの現象を「美女に」と
表現しているだけで、問題は美女ではない。
だろう、と思ってました。

苦しめるのは、美女だけでなく、お金だったり
仕事だったり、家族とか、、人それぞれで。
それが、まあ。
>自分は何かに苦しむのに、他の人は苦しまない。
>としたら、自分の中の何が反応するのか。
>ど、自分の中を見る。。。ですよね。
>そして、どうして他の人は無反応でいられるのか。とも。


何が自分を苦しめるのか・・・。
で、それを確認してみようとしてのヨコレスでした。
余所見させてしまったなら、ごめんなさい。です。

No.589 - 2008/03/31(Mon) 13:38:24

Re: ウソをつく / 大阪
> なにがなんでも、自分を知りたい、という衝動がなければ、なにを学んでも無駄と思います。そして、衝動があれば。それだけで充分と思います。そうすると、総てが、そのために機能してくれます。たとえば怠惰なことも、勤勉なことも、善も、悪も。役に立ちます。この日常で充分です。

本当に勉強になります。そらそうだ、ということを良く気付かさせて頂いています。

>どうであれ、総ての人が、自分を知るために生きてると思います。

> たぶん、自分を知りたくない努力をすること、それが苦痛です。そして自分を知る努力をすることは、ずっと楽なことだと思います。迷いがあれば解放は必然です。だからことさらに、人は、悩みを好む面もあるのかもしれません。

そうですね。自分を知りたくない努力をしているということは、本当は自分を知るために生きている、のでしょう。日常を使って成長すれば良いのですね。だんだんわかってきたように思います。また質問させて下さい。

No.590 - 2008/03/31(Mon) 21:07:24

Re: ウソをつく / 大阪
peerさん。
そうです、美女に苦しめられるということは、他にも色々苦しいのです。

確かに、自分が何に苦しんでいるか、知らないといけないですね。

というか、それを知ることが、自分を知ること、のような気がします。

No.591 - 2008/03/31(Mon) 21:13:11

Re: ウソをつく / ルー
美女に楽しまされるということもあるよね〜
No.592 - 2008/04/01(Tue) 15:19:22

Re: ウソをつく / 大阪
ありますね。
でも美女はあまり人を楽しませようとしないですよね。

No.593 - 2008/04/02(Wed) 11:51:26

Re: ウソをつく / ルー
美しいものを見るのは楽しくないですか〜?
No.594 - 2008/04/02(Wed) 12:03:41

Re: ウソをつく / 大阪
美しいものを見るのは楽しいです。
美しくないものを見るのは困難です。

No.595 - 2008/04/02(Wed) 13:36:05
全1072件 [ ページ : << 1 ... 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 ... 215 >> ]