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縁起の法 / のり
 これって凄いです。素晴らしいです。ありがとうございます。(私がこんな事書くのは変ですが)
アレやコレやからここまで見抜く洞察力が凄いです。
もしもできましたら、お時間のある時にこれを縁起の法に絡めて解説して頂けますとありがたいです。

> なにかを感じるのは、とりあえず「それは自分ではない」ということにして、感じるのかもしれません。たとえば樹や人や車を対象として、その自分ではない、「差」を、感じるのかもしれません。 つまり、知覚は「差」。
>
> たとえば眼は、たとえば樹や人や車、赤と青の「差」を知覚する、というのではないでしょう。 まず「差」を知覚するために、たとえば眼や耳や舌が発生するのではないでしょうか。意識もそうかもしれません。
>
> そして、なにか世界という全体から 「差」を引いた残りを、とりあえず「自分」として仮定するのかもしれません。それは世界の中心であり、主観になるでしょう。
>
> そして、その「自分」と対象との「差」を縮めよう、なくそうとする働きが、欲望として機能することがあるでしょう。なにかを欲しい、つまり密着したい、と。また心理的な欲望も、 なにか理想を空想して 「差」を埋めたい、ということでしょう。
>
> そして、 それは、「差」を広げよう、自分は独立した自分であろう、と意図しても不可能。なのだけど、ことさら、ほかから分離しようとする働きが、とりあえず、自我として機能しているから、なのでしょう。


> そんな、自分勝手な「差」を広げようとしてる自我が、「差」を縮めよう、と意図しても不可能。なのだけど、そうしようとすることが、こうありたい欲望として機能する、 ということかもしれません。
>
> ところで、なぜ意図して、差を縮めようとしても、広げようとしても、不可能なのでしょう。それは、自分と対象。それは完全な分離でもなく、融合でもないのに、それを、どちらかに無理に片寄らせようとすることだからではないでしょうか。
>
> そして、完全に「差」がないなら、つまり完全に一体なら、知覚不能。そして、完全な「差」があるなら、つまり完全な分離なら、知覚不能ではないでしょうか。

No.466 - 2008/03/06(Thu) 18:02:58

Re: 縁起の法 / ubik0101
> もしもできましたら、お時間のある時にこれを縁起の法に絡めて解説して頂けますとありがたいです。

それに気がついた、のりさん、凄っです。依存関係は経(たていと)です。分離と融合は、緯(よこいと)です。それが編まれている印象です。

とりあえずは、それぞれの人が経で、その関係が緯だと思います。まだ見切ってないかもしれませんが、それが世界かもしれません。

No.473 - 2008/03/07(Fri) 16:29:01
ふしぎなたまご。 / のり
> >  知ってる、は比べてる、コトかも知れません。
>
> 知っている、と思うことはとても傲慢でした。
> 執着も、依存も、嫉妬もきっと、
> 傲慢だからできるのかもしれません。


う〜ん、それもあるかもしれませんが、チョッと違うかも。
何かを知る、為には他の何か、それと違うものと比べる必要がある。と何かにありました。それで
>  知ってる、は比べてる、コトかも知れません。
となりました。
雪の卵も実は雪なのですが、違うようにありたいと卵になってエデンの園を抜け出たのかもしれません。自分は卵だ!いつか達磨になろう!とエデンの園を出た瞬間から原罪を背負っている気がします。 早く殻を破って雪ダルマなんだ!と気付くといいと思います。

No.443 - 2008/02/28(Thu) 12:33:28

Re: ふしぎなたまご。 / hato

> 何かを知る、為には他の何か、それと違うものと比べる必要がある。と何かにありました。それで
> >  知ってる、は比べてる、コトかも知れません。

となりました。


はい。
なのできっと、
知らない、ということは、差がない、のかと思ったのだと思います。

でもきっと、のりさんの言われる、知っている、よりも遙かに固まりの位相、そこからみた、知っている、をわたしはきちんと直視する必要があるでしょう。


殻を破ること。
のりさん本当に、
ありがとうございます。







































> 雪の卵も実は雪なのですが、違うようにありたいと卵になってエデンの園を抜け出たのかもしれません。自分は卵だ!いつか達磨になろう!とエデンの園を出た瞬間から原罪を背負っている気がします。 早く殻を破って雪ダルマなんだ!と気付くといいと思います。

No.446 - 2008/02/28(Thu) 21:05:38

Re: ふしぎなたまご。 / hato

きゃーっ !

と思って考えました。

 この空白はなに?

なんにもないのもいいな。
でも違うな。
無意識の抵抗かもしれません。
意識して抵抗かもしれません。


人生は、贖罪なのでしょうか?
それとも、
それは、方便なのでしょうか?


> > 雪の卵も実は雪なのですが、違うようにありたいと卵になってエデンの園を抜け出たのかもしれません。自分は卵だ!いつか達磨になろう!とエデンの園を出た瞬間から原罪を背負っている気がします。 早く殻を破って雪ダルマなんだ!と気付くといいと思います。


でもまだわたしには、それは過ぎた問いでした。
どっちでも同じだー!
の状況です。

No.447 - 2008/02/28(Thu) 22:13:14

Re: ふしぎなたまご。 / hato


> エデンの園を出た瞬間から原罪を背負っている気がします。


ubik0101さんが言われたように、

逆転した依存関係、
倒錯した状態で物事を見ること、
それを生きてしまうこと、
こそが罪、と思います。

わたしの段階では、
それが適切な捉え方のように感じます。


ubik0101さん。

盗む、ということに気が付きました。
今まで直視できなかったのです。


わたしがそこで学ぶのは、
もう自分の言葉で考えよ、
ということかもしれません。
盗むとは、人の構成要素を自分で消化しないままに拾い上げる、ことでしょうか。

また、盗むなとは、人に知られないようにしてなにかを得ようとしてはいけない、
ということでしょうか。

後ろめたさ、に気付くときもあり、迷いが深いときには、
それに気付かないこともあります。
それは狡いことです。
恥、の意識を守っていたのです。
また、攪乱されることを恐れていたのです。
もう少しいくと、
大事にしている思い込みを、失うことが恐かったのです。

No.450 - 2008/03/01(Sat) 15:32:24

Re: ふしぎなたまご。 / ubik0101
>盗むとは、人の構成要素を自分で消化しないままに拾い上げる、ことでしょうか。

あまり難しく考えなくても大丈夫です。盗むとは、ほかの人の、また誰の所有でない物を、自分の所有にすることです。hatoさんの言う「人の構成要素を自分で消化しないままに拾い上げる」ことが、知識として得たことに、振り回されるということなら、たしかに注意が必要です。

>また、盗むなとは、人に知られないようにしてなにかを得ようとしてはいけない、ということでしょうか。

うーん。盗むということでなら、ほかの人に知られても、知られなくでも。どちらも問題です。そして盗んだとして(なにをしても)ほかの誰が知らなくても、自分は知ってるので、それは全世界の人が知ってることと等価です。一般に悪いことは、(自分の中の)ほかの誰かに知られなければいい・・・という愚かさによって行えるのでしょう。

なんにしても「自灯明、法灯明」です。 仏陀、最後の説法の中にあるそうです。修行者が、「仏陀が亡くなられた後、 なにを拠り所にして生きたらいいのでしょうか」と聞きます。 仏陀は、「自灯明、つまり自らを灯火として生きなさい。法灯明、つまり法を灯火として生きなさい。」と言ったと伝えられています。

No.451 - 2008/03/01(Sat) 17:49:49

Re: ふしぎなたまご。 / hato

> うーん。盗むということでなら、ほかの人に知られても、知られなくでも。どちらも問題です。そして盗んだとして(なにをしても)ほかの誰が知らなくても、自分は知ってるので、それは全世界の人が知ってることと等価です。一般に悪いことは、(自分の中の)ほかの誰かに知られなければいい・・・という愚かさによって行えるのでしょう。


本当に愚かです。
了解しました。
頭がわるいのでしょう。
自分がそのようだったのでしょう。


誰のものでもないものを、自分のものにしようとすること。
本当に。


> 仏陀は、「自灯明、つまり自らを灯火として生きなさい。法灯明、つまり法を灯火として生きなさい。」と言ったと伝えられています。


心したいと思います。
泣けてきます。
ありがとう、ございます。

No.452 - 2008/03/01(Sat) 19:21:54

Re: ふしぎなたまご。 / hato


> > 知っている、と思うことはとても傲慢でした。


ちょっとまって。

きっと何か、大きな誤りをしていました。

のりさん、ubik0101さん、ごめんなさい。
こうして自我保存を。
迷いに突っ込んでいくとこでした。
もうそれは充分です。
盗む、
も、なにか違うかもしれません。
ただ、そうでなければよいことを。
言葉は、よく考えて、使わせて頂いていると思います。
なにを言っていたんでしょう。

依存することにも、しないことにも、
執着することにも、しないことにも、
依存、執着しない、ように。

不快だって、いいじゃない。
それもきっと、だいじょうぶ。

偏るから、おかしくなるのでしょう。

平和、幸せなきもち、平静さ、
それもちゃんと、あるのでした。

すみませんでした。

No.453 - 2008/03/02(Sun) 00:46:26

Re: ふしぎなたまご。 / hato


ちょっとまって。


> 平和、幸せなきもち、平静さ、
> それもちゃんと、あるのでした。



見つけられる、
のほうが正確かもしれません。


また、ご指導下さい。
よろしくお願い致します。

No.454 - 2008/03/02(Sun) 07:00:44

Re: ふしぎなたまご。 / hato

ちょっと、ちょっと、まって。

ああ、hatoだらけにしてごめんなさい。

なにか、違います。

外の新鮮な空気を吸って、
春のお日様を浴びてきます。
あたまを冷やしてきます。

No.455 - 2008/03/02(Sun) 10:09:32

Re: ふしぎなたまご。 / hato

ubik0101さんに伺います。


知っている、ことは知覚の機能。
ならば、それは世界・自己の機能。
知ること自体が傲慢であることはない。
といってよいでしょうか。
ある局面においては、殊更知っている、とすることは傲慢だといえると思いました。
知る、ことは誤ることのできる機能なら、どうなのでしょうか。

それよりも、ある、ない、の ある、に片寄っていた為に、
殊更、無い、とか、または単に無、であることをよいとしていたかも知れません。
知る為には何かがある、ということなので、
基本的にそれは分離していて悪いこと、だという気がしたかも知れません。
ここを誤っていると、妙な方向に行くのでしょうか?
世界を疎かにしてしまうなら違う、と気付きました。

わたしはまだ、質問できるでしょうか?

No.456 - 2008/03/02(Sun) 19:48:45

Re: ふしぎなたまご。 / ubik0101
>知っている、ことは知覚の機能。
>ならば、それは世界・自己の機能。
>知ること自体が傲慢であることはない。
>といってよいでしょうか。


>ある局面においては、殊更知っている、とすることは傲慢だといえると思いました。
>知る、ことは誤ることのできる機能なら、どうなのでしょうか。


とりあえず、なにかを「知ってる/知らない」ということが成立するとします。そのことは、大雑把に言えば、なにかの経験や知識が、ある、なら知ってる。その経験や知識が、ない、なら知らないと言ってるのだと思います。

それで、経験や知識が、ある、という意味での、知ってるということ、それは、ただそれだけのことです。けれど知ってることを傲慢と感じるとしたら、まず、傲慢な有り様があって、そのことを知ってる、に重ねて見てる。また、知ってるということに便乗して、傲慢が現れて見える、ということではないでしょうか。このように見ることは、なにかとなにかを重なって見る、ことがおおいいと思います。

ところで、なにか経験や知識がない、知らないなら、傲慢ではない、ということはありません。知らない、ということで、傲慢でも、謙虚でもあり得ます。もちろん、何かを知ってると思うことで、知らない誰かと比較して、傲慢にもなり得ると思います。逆に謙虚でもあり得ます。その知るが、誤っても、傲慢でも、謙虚でもあり得ます。

けれど、知らない、ということは、ただ、知らない、です。知ってるということも、知らないということも、それがどういうことか、知らない、です。傲慢や謙虚には関わりません。

それは、たとえば知ってる/知らないこと、またここでは傲慢や謙虚に依存できるとしたら、そういうことが何かを知ってると思う必要があるのではないでしょうか。知らないことには依存できない、という意味でもあります。

>それよりも、ある、ない、の ある、に片寄っていた為に、
>殊更、無い、とか、または単に無、であることをよいとしていたかも知れません。
>知る為には何かがある、ということなので、
>基本的にそれは分離していて悪いこと、だという気がしたかも知れません。


>ここを誤っていると、妙な方向に行くのでしょうか?
>世界を疎かにしてしまうなら違う、と気付きました。


とくに完全な分離でも、完全な融合でもない・・・それも世界の有り様・・・だと思います。それをことさら分離しようとか、接近しようとして、片寄ると、問題が発生すると思います。これはまだ検討中ですが、まとめようとしてる文書がありますので、後で別に投稿します。

>わたしはまだ、質問できるでしょうか?

もちろんです。答えることが出来ないことがあるかもしれませんが、遠慮してるなら、まったく不要です。また、質問の意味を取り違えて返信したり、間違って答えたりしたら、指摘してください。

No.457 - 2008/03/02(Sun) 22:03:07

Re: ふしぎなたまご。 / ubik0101
なにかを感じるのは、とりあえず「それは自分ではない」ということにして、感じるのかもしれません。たとえば樹や人や車を対象として、その自分ではない、「差」を、感じるのかもしれません。 つまり、知覚は「差」。

たとえば眼は、たとえば樹や人や車、赤と青の「差」を知覚する、というのではないでしょう。 まず「差」を知覚するために、たとえば眼や耳や舌が発生するのではないでしょうか。意識もそうかもしれません。

そして、なにか世界という全体から 「差」を引いた残りを、とりあえず「自分」として仮定するのかもしれません。それは世界の中心であり、主観になるでしょう。

そして、その「自分」と対象との「差」を縮めよう、なくそうとする働きが、欲望として機能することがあるでしょう。なにかを欲しい、つまり密着したい、と。また心理的な欲望も、 なにか理想を空想して 「差」を埋めたい、ということでしょう。

そして、 それは、「差」を広げよう、自分は独立した自分であろう、と意図しても不可能。なのだけど、ことさら、ほかから分離しようとする働きが、とりあえず、自我として機能しているから、なのでしょう。

そんな、自分勝手な「差」を広げようとしてる自我が、「差」を縮めよう、と意図しても不可能。なのだけど、そうしようとすることが、こうありたい欲望として機能する、 ということかもしれません。

ところで、なぜ意図して、差を縮めようとしても、広げようとしても、不可能なのでしょう。それは、自分と対象。それは完全な分離でもなく、融合でもないのに、それを、どちらかに無理に片寄らせようとすることだからではないでしょうか。

そして、完全に「差」がないなら、つまり完全に一体なら、知覚不能。そして、完全な「差」があるなら、つまり完全な分離なら、知覚不能ではないでしょうか。

No.458 - 2008/03/02(Sun) 22:10:13

Re: ふしぎなたまご。 / hato

> また、知ってるということに便乗して、傲慢が現れて見える、ということではないでしょうか。このように見ることは、なにかとなにかを重なって見る、ことがおおいいと思います。


知る、ことになにかの思いを重ねて見る自我、
と了解しました。


> >ここを誤っていると、妙な方向に行くのでしょうか?
> >世界を疎かにしてしまうなら違う、と気付きました。
>
> とくに完全な分離でも、完全な融合でもない・・・それも世界の有り様・・・だと思います。それをことさら分離しようとか、接近しようとして、片寄ると、問題が発生すると思います。



了解できると思います。

自分の表現は解りにくかったと思います。

存在、形あるものは、分離であらざるを得ないなら、無、は優位にある、という思い込みがありました。
分離が悪い、とは必ずしもいえないと思いますが、それは悪、として働きやすいのではないでしょうか。
差を知覚することによって、それが依存関係を倒錯させている者にとっては、殊更分離を加速させやすいのではないでしょうか。そのような状況を提供する「存在性」よりも、「無」を尊ぶ、希求する、ということがあると思います。
その観点からみると、知る、ということ自体、差を知覚するということその機能自体、がもしかして、傲慢、ともいえるだろうか、とふと思ったのです。

なのできっと、ubik0101さんの言われる、こうしたことは全て負荷をつけて訓練することだその為の世界、場なのだ、という理解がないと、世界を疎かにしやすいのではないか、と思ったということでした。

No.459 - 2008/03/03(Mon) 22:39:16

Re: ふしぎなたまご。 / hato


> たとえば眼は、たとえば樹や人や車、赤と青の「差」を知覚する、というのではないでしょう。 まず「差」を知覚するために、たとえば眼や耳や舌が発生するのではないでしょうか。意識もそうかもしれません。


それは、意図が先にある、ということでしょうか。


ubik0101さんの文章を読むとき、ううー、てなります。
脳神経が発生する。感じです。

No.460 - 2008/03/03(Mon) 23:23:25

Re: ふしぎなたまご。 / ubik0101
hatoさんの言葉。たぶん、ubik0101と同じことを見てる、と思いました。繊細な印象があります。 そして、ある、にも、ない、にも片寄らないことを、もう了解してる気配があります。

> それは、意図が先にある、ということでしょうか。

これは、知覚は「差」ということを 、自分中心に見ると、対象を分析したり分類したりしやすいよ、それは迷宮だよ・・・という意味です。

そうでなく、どちらかと言えば。世界が人に語りかけてる、それを人が見てる。それが知覚するということだよ・・・という意味です。

No.461 - 2008/03/04(Tue) 07:47:44

Re: ふしぎなたまご。 / hato

> これは、知覚は「差」ということを 、自分中心に見ると、対象を分析したり分類したりしやすいよ、それは迷宮だよ・・・という意味です。


メイキュウ。
はい。とても、了解しました。
垂直に、垂直に、掘り下げる、ですね。


> そうでなく、どちらかと言えば。世界が人に語りかけてる、それを人が見てる。それが知覚するということだよ・・・という意味です。


はい。
なんて優しいのでしょう。
世界は、なんて、愛しいのでしょう。

No.462 - 2008/03/04(Tue) 23:33:32
/ ばん
自己の感じる愛って大安心、お母さんに抱っこしてもらってるような感じに似てますか?
No.420 - 2008/02/25(Mon) 11:52:33

Re: 愛 / ubik0101
うん、どんな譬えもできないと思うのですが。なぜか。大爆笑です。ばんさんも、そーとーにお茶目だったようです。

そういえば。なんか、自分が、思春期の少女になったような感じがしてました。

No.421 - 2008/02/25(Mon) 13:13:41

Re: 愛 / 大阪
なんとなく、うびさんの言われる「空っぽの自分」と僕の言う「愛されてる自分」って、違う気がする。

うびさんの「空っぽの自分」は「愛されてる自分」とも表現できるでしょう?

ぼくの「愛されてる自分」は「空っぽの自分」とは、表現できないのです。

しっくり、こないのです。

そして、まさに、お母さんに抱っこしてもらってるような感じ、です。

もしかして、「愛されてる自分」までじゃ、空を見ていない。

つまり、自己とは呼べない。

思うのですが、「空っぽの自分」っていうのは、「愛されてる自分」じゃない方。

なんというか、「空っぽの自分」「どんな譬えも出来ない自分」がいて、物質感覚器官感覚感情意識である「愛されてる自分」がいる、と思うのです。

そして、「空っぽの自分」こそ「思春期の少女」だと思います。

「空っぽの自分」を感じるから、「愛されてる自分」を感じるんじゃないか、と思われるかもしれませんが。

でも、僕にはそう思えて仕方ありません。

No.425 - 2008/02/25(Mon) 19:43:45

Re: 愛 / ubik0101
>うびさんの「空っぽの自分」は「愛されてる自分」とも表現できるでしょう?

ううん。空っぽとは、自我が空想、つまり、いない、その状態のことです。そして、それを見た、いわば「どんな譬えも出来ない自分」を自己と呼んでいます。そして、その自己が愛されています。

それまでの人の経緯によって、 なにかを強く感じるとか、なにかと何かを重ねて見るとか、見る角度とか、違うだけなのではないかと思うのです。

たとえば愛は、あまり知らないけど禅では、そんなに言わないというか、気がつかないようです。修行しない人が、感じるようです。

>なんというか、「空っぽの自分」「どんな譬えも出来ない自分」がいて、物質感覚器官感覚感情意識である「愛されてる自分」がいる、と思うのです。

たぶん。愛は、身体でも感じるので、そういう表現もありと思います。そして、愛されたのは、世界だと。なんとなく、道元の言葉「あきらかに知りぬ、心とは山河大地なり、日月星晨なり 」。を思い出しました。

No.426 - 2008/02/25(Mon) 21:43:48

Re: 愛 / ばん
私はどちらとも似てます

最近感じるのですが、自己とは執着、依存、その他をしていない残ったもの
その残ったものがあるのかないのかわからないけども

執着、依存、その他していないので愛(母に抱かれているような安心感)は感じるから自己があるのかなとも思ったりします。

No.427 - 2008/02/26(Tue) 09:02:20

Re: 愛 / ばん
もしかして愛って自分から出していて、それが世界に投影されて、自分で出した愛を自分で感じている、

という事は私は愛だ

No.428 - 2008/02/26(Tue) 12:03:41

Re: 愛 / ubik0101
ばんさんの、示唆は重要と思います。 なにかを感じるのは、とりあえず「それは自分ではない」ということにして、感じるのかもしれません。つまり、知覚とは、「差」。たとえば山や樹や魚にしても、欲望や自我、愛にしても、それを自分ではない、こととして自分が感じるのかもしれません。

そして、完全に「差」がないなら、つまり完全に「それは自分である」なら、一体なら、たとえば欲望や自我、愛にしても、それを感じない、のかもしれないと思いました。それを感じるのは困難でしょう。

そして、完全に「それは自分ではない」なら、たとえば欲望や自我、愛にしても、自分が感じない、ということがあると思います。でも感じられないから、「それは自分ではない」、わけではない、と思います。

そして、たとえば欲望や自我、愛にしても、感じられるから、「それは自分である」とも言えないでしょう。そして、そういうことに関係してるであろう中心を、自分、と呼ぶのかもしれません。

No.436 - 2008/02/28(Thu) 01:51:45

Re: 愛 / ばん
そうですね、自分を何かと限定しないで「知らないわからない」そのままでいいのですね。

苦しみって、自我の何かが反応して苦しみそのものを受容できないから苦しむと思います。

最近、思うのですが苦しいと思うその一瞬、

苦しいと感じる事ができる一瞬って
とてもかけがえのない一瞬なんだなと思うと意識が静まり苦しむのも悪くないな、なんて思ったりしてます。

No.437 - 2008/02/28(Thu) 08:37:07

Re: 愛 / ばん

> 苦しいと感じる事ができる一瞬って
> とてもかけがえのない一瞬なんだなと思うと意識が静まり苦しむのも悪くないな、なんて思ったりしてます。


ちょっと続きがありました
「苦しむのも悪くない」って思ったら、自我の執着とか依存とかがはずれて、

何ともいえない、静かな境地にいます。そして、今できることをしようという気になります。

No.438 - 2008/02/28(Thu) 09:02:16

Re: 愛 / ubik0101
そして、今できることをするとか、しないとかに関係なく静かということもあります。 また、 それさえ感じない、とても幸せな状態もありました。

ほとんど純粋な悲しみも、苦しみも。それを感じないのがいいわけでもないでしょう。また、感じるのがいいわけでもないでしょう。そんなこともありました。

No.445 - 2008/02/28(Thu) 16:28:29

Re: 愛 / ばん
> そして、今できることをするとか、しないとかに関係なく静かということもあります。 また、 それさえ感じない、とても幸せな状態もありました。
>
> ほとんど純粋な悲しみも、苦しみも。それを感じないのがいいわけでもないでしょう。また、感じるのがいいわけでもないでしょう。そんなこともありました。


過去形で話されているので、うびさんはもう、そういうことを感じないのですか?

No.448 - 2008/03/01(Sat) 10:23:10

Re: 愛 / ubik0101
ううん。塩を舐めて、塩味を感じないなら、たぶん病気です。ほとんど関係ないけど、ほかの掲示板に投稿した文章を掲載します。

たとえば。なににも依存しないなら、導師や、規範や、あるべき自分の姿に依存してはならないだろう。怒りや悲しみに依存してはならないだろう。しかし。そのことは、依存しない、ことに依存してる可能性があります。

そうであれば。ことさら、依存しない、ということを提唱せざるを得ないだろう。それは執着だ。それから離れることに不快や、恐怖を持つだろう。

しかし。なににも依存しないことにも依存しないなら、それが、その人の事実であれば。それがなんであれ、そういう状況には、悲しむだろう。(彼女が死んで、名前を呼んで泣き叫びました)。

また。たとえば仏陀の、たとえば聖書の言葉を喜んで、何の問題があるのだろう。たとえば既知と言われる思考さえ、未知なのだ。そうでないことなど、ありはしない。公案は役に立つだろう。

雲門の寺に洞山が参禅に行きました。雲門が「お前はどこにいたのか」と聞きました。洞山は「査渡です」と答ます。雲門が「この夏はどこで修行したか」と問うと、洞山は「湖南省の寺です」と答えます。雲門が「いつそこを発ったのか」と尋ねると洞山は「八月二十五日です」と答えます。雲門は「お前を、めった打ちにするところだが許してやろう」と言った。

その翌日 、洞山は雲門のところへ行き、昨日は、めった打ちを許すと言われたが何が間違っていたのか、と聞きました。雲門は「この飯袋め、お前はそのようにうろつきまわっていたのか」と叱りつけた。そこで洞山は悟った。

いろいろの理解があるでしょう。雲門が「お前はどこにいたのか」と聞きました。これは、君は誰だ?君自身は何だ?という質問とも言えるでしょう。そこで洞山は、よけいな見解を言わず、ありのまま、を示しました。なににも執着していません。依存していません。事実に直面しています。それが、彼岸です、と表明しました。

しかし雲門は、それを、よし、としませんでした。まだ執着しないに、執着していたからでしょう。洞山は、反省する努力を失った、自然外道ではありませんでした。その翌日、雲門に、教えを乞いに行きました。見る眼が、自分を向いたのです。

No.449 - 2008/03/01(Sat) 10:59:00
「ちりとてちん」に教えられ / ルー
「人は傷ついたり傷つけたりすることがある。
それは、一生懸命生きていても、ダラダラと生きていても一緒や。人と関わって生きているなら。」

これは、朝の連続ドラマでのセリフ。
ふ〜む。
今まで、一生懸命に生きていてもダラダラ生きていても同じであることがあるなんて許せませんでした。

それが、何か、言ってる意味がわかる自分になっていました。

No.439 - 2008/02/28(Thu) 09:15:25

Re: 「ちりとてちん」に教えられ / ubik0101
たぶん。一生懸命に生きなければ許せない・・・ということが、ルーさんを鍛える負荷になったのかもしれません。それは、もう役目を完成。

それで、生まれつきそうだったように、もう意識する必要もなく、「許すとか許さないとかもないほど許す」、そんな良い特質を得たのでしょう。

それは、ことさら、そうあろうとしなくっても、機能するようになってるのだと思います。

No.440 - 2008/02/28(Thu) 09:58:47

Re: 「ちりとてちん」に教えられ / ルー
そうですね〜。ありがとうございます。
ただ、そうなる前のことを忘れてしまうと、そうなっていない人と話が合わなくなるのは恐いです。
 
人生を旅にたとえるのは、よく耳にします。
何となく、「ああ、そういう感じがするなぁ」と思います。
汽車(古っ)に乗っていて、窓の外の景色を眺めていると、その場所を通っている時にしか、その景色は見ることはできないというような・・・

No.441 - 2008/02/28(Thu) 12:10:16

Re: 「ちりとてちん」に教えられ / ルー
ubikさんは、そうなっていない人と話が合わないということは、ないですね。
それは、中道であるからかな、と思います。

No.442 - 2008/02/28(Thu) 12:12:29

Re: 「ちりとてちん」に教えられ / ubik0101
そのときしかできないことは、あると思います。たとえば、そのときの状態でしか、言えないことはあるでしょう。そして人は時代や環境によってさえも自然に変化していくので、避けられないのは変わりないかもしれません。

そんな、その時々の状態や言葉は忘れても、大丈夫です。 イエス・キリストの言葉「あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている」。なにもなくなることはありません。とくに良い特質、無明が転換した智恵は、まったくそうです。

そうなってない人と、話が合わないというより、ルーさんは、そんな人が必要としたら、その人のために働くことができるようになってるのではないかと。思います。

No.444 - 2008/02/28(Thu) 14:23:04
世界 / ubik0101
なにを行動しても、
発言しても、呼吸するだけでも、
人は、
この世界を変え続けています。

ちょっと散歩して、
見る、聞く、
それだけで世界が変化します。

ただ空に向けて
一指を示すだけでも
空気の流れが変わります。
鳥の飛ぶ軌跡が変わります。
どこかの誰かが
それを見て・・・
季節の訪れを感じています。

そんな、
その世界は 、
話し相手とか隣人とかは
とくに強く関係づけられ、
肯定しても否定しても
影響しあい
繋がっています。

そして自分とは、
その世界であり、
自分たちで自分たちである世界を
作り変え続けています。

ありとあらゆること
ありとありえないこと
総てが繋がっています。

なにを行動しなくても、
発言しなくも、呼吸を止めても、
人は、
この世界を変え続けています。

関係。それは、完全な分離でも、完全な融合でもなく。渾沌でもなく、統制でもなく。それは歓喜と苦痛と平穏に満ちて美しく。人は、この世界に生きて。悪いことをせず、良いことをすること。たったそれだけです。悪い世界を創らず、善い世界を創りましょう。

つまり善い自分を創りましょう。ただ、素直であること、嘘をつかないこと。盗まないこと。そして人のためにすること。そんなことだけで、いいのです。そんな簡単なことだけです。

No.432 - 2008/02/27(Wed) 10:01:10

Re: 世界 / peer
世界は、とうぜん、そのように
善き場所のはずです。
そのようであって、当然です。

しかし
そのようでない。
としたら
何がそのようにならなくさせているか
何が足りないのか
そこを見て行く。
いや。自分の何が足りないかです
他人事ではなく。


そして
当然あるべき世界へと
自分のできる事をしていく
それしか、ないでしょう。

No.433 - 2008/02/27(Wed) 13:31:42

Re: 世界 / ubik0101
うーむ。これも返信困難。そうです、と言うしかない。です。
No.435 - 2008/02/28(Thu) 01:46:58
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