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難しいです。 / 大阪
うびさんこんばんは。

美女に出会うと色々と苦しめられるのです。

しかし。

コレは、美女を美女と判断した、自分に執着している、ということなのでしょうか。

美女の正体は空。そう判断した自分も空。

なのに自分の感覚で感じた女を美しいと判断した意識。

それを確かだ、と思ってるから美女が美女でしかなくなるのでしょうか。

そしてそれによって苦しめられることになるのでしょうか。


本当は、そうではなく。

その意識の判断と、それを確実だと思う自分、は、誤り。
(でもその誤りは、どんな誤りも許されてる)

そんな、意識の判断も、それを確実だと思う自分も、正体は、空。

なのに、自分だと思ってしまうから、色々限定されてしまう。


本当は空であるこの意識を、自分と思ってしまうのは、それを成り立たせている前提に気づいていないから。

と、僕なりに、こんな感じになったのですが、違うでしょうか?

No.543 - 2008/03/22(Sat) 20:52:12

Re: 難しいです。 / ubik0101
たとえ意識が自分であろうと、なかろうと、総てが空であろうと、なかろうと、それだけでは問題になりません。そういうことには関係なく「自分」の問題が残ってるのでしょう。もしかして、「空であるこの意識」と、無理に思いたい「自分」が、いる、のかもしれません。

ふつうは人の感覚や感情や意識は、樹や街や、ほかの人など、対象を必要とします。それは完全な分離も、完全な融合もありません。そうでなくては関係が成立しません。そして自分も、ほかの人から対象にされます。それは自然の選択で、とくに問題はありません。意識があることも問題はありません。

けれど相手と、より融合したいなら。すでに自然の選択が行われてるのに、さらに美人、不美人という意図的な選択も重なるのでしょう。ことさら「わたし」中心に、または、「あなた」から「わたし」を見たりすると、選択が限定されてしまうことがあります。「色々限定されてしまう」から 、そこに「自分」が、いる、と強調されて意識されるのではないでしょうか。

ところで苦痛は、「わたし」と「あなた」が、現状より融合したいのに分離、または分離したいのに融合が求められる、関係の葛藤でしょう。悲しみは、望まない分離。解放は、望んだ分離。喜びは、望んだ融合。憎しみは望まない融合。怒りは関係に変化を求めること。安定は平穏。なのですが、なんであれ望むということは欲望です。たぶん、上昇してる閾値(しきいち)の、限界を越える超美人が現れたのでしょう。

まだ大阪さんの投稿を明確に理解してないかもしれないので、指摘してください。

No.544 - 2008/03/23(Sun) 11:15:35

Re: 難しいです。 / 大阪
>たとえ意識が自分であろうと、なかろうと、総てが空であろうと、なかろうと、それだけでは問題になりません。そういうことには関係なく「自分」の問題が残ってるのでしょう。

人付き合いのときに感じる問題とかを、一つ一つ、解消していけば良い、のでしょうか。それともそういうのは、根こそぎなくなるものなのでしょうか。

>もしかして、「空であるこの意識」と、無理に思いたい「自分」が、いる、のかもしれません。

それは正解のような気がします。

そして今日言葉に出来たのは、自分が行動したり何かを感じる時に、「覚者ならこうする/こう感じるだろう」という風に空想の自分と実際の自分を比べてる、ようです。

また、早く覚醒したい、とか思ってるのです。

これらの、自分を成り立たせている前提を一つ一つ、解消していけば良いのでしょうか。

> ふつうは人の感覚や感情や意識は、樹や街や、ほかの人など、対象を必要とします。それは完全な分離も、完全な融合もありません。そうでなくては関係が成立しません。そして自分も、ほかの人から対象にされます。それは自然の選択で、とくに問題はありません。意識があることも問題はありません。

意識があることは問題ではないのですね。でも僕の意識は自己主張とか、自己防衛とか、そんなことばかりしているので、意識があること自体が問題、と思っていたりしたのでしょう。

> けれど相手と、より融合したいなら。すでに自然の選択が行われてるのに、さらに美人、不美人という意図的な選択も重なるのでしょう。

>ことさら「わたし」中心に、または、「あなた」から「わたし」を見たりすると、選択が限定されてしまうことがあります。「色々限定されてしまう」から 、そこに「自分」が、いる、と強調されて意識されるのではないでしょうか。

> ところで苦痛は、「わたし」と「あなた」が、現状より融合したいのに分離、または分離したいのに融合が求められる、関係の葛藤でしょう。悲しみは、望まない分離。解放は、望んだ分離。喜びは、望んだ融合。憎しみは望まない融合。怒りは関係に変化を求めること。安定は平穏。なのですが、なんであれ望むということは欲望です。たぶん、上昇してる閾値(しきいち)の、限界を越える超美人が現れたのでしょう。
>

この辺はちょっと分かりません。難しいのはとても苦手なのです。隠岐で、泊めていただいた部屋にクリシュナムルティの本が沢山ありました。しずかさんが「興味があったら読んでみて下さい」と仰ったので読みやすそうなのを一つ読んでみたのですが、2ページぐらいで諦めました。こんなややこしいこと必要なのか、と思ってしまうのです。

No.545 - 2008/03/23(Sun) 16:18:04

Re: 難しいです。 / ubik0101
>人付き合いのときに感じる問題とかを、一つ一つ、解消していけば良い、のでしょうか。それともそういうのは、根こそぎなくなるものなのでしょうか。

どちらかと言えば、限界はありますが、根こそぎです。というより、問題が問題でなくなるのです。たとえば怒ること悲しむこと楽しいこと考えること、そういうことも世界の不思議な機能です。それがなんであるか、誰も知りません。ありとあらゆることが、そうです。

それが成長の必要な人には、負荷として機能するだけです。 そういう、たとえば反省材料が新たに現れるということは、限界が見えるサインでもあるので、それはよく理解しましょう。けど、なにか軋轢が起きたとして、自分に責任があるとは限りません。

>そして今日言葉に出来たのは、自分が行動したり何かを感じる時に、「覚者ならこうする/こう感じるだろう」という風に空想の自分と実際の自分を比べてる、ようです。

自灯明、だけで充分です。いつも、この自分の、この状態の理解から始めましょう。それは考えようとしないでも必要なだけ、やって来ます。それを正確に見ましょう。そうすることで、こだわらないことにも、こだわらない、とか。悪をせず、善をする、とか。意識に依存しない、とかが了解されていきます。

>また、早く覚醒したい、とか思ってるのです。

それを、大阪さんは、起こそうとして起こしたのでしょうか。

>これらの、自分を成り立たせている前提を一つ一つ、解消していけば良いのでしょうか。

あの愛や自己は自覚できる範疇にないことを見極めれば大丈夫です。そうでないと、自分が空想されます。それが、「空想の自分と実際の自分を比べ」たりします。

>この辺はちょっと分かりません。難しいのはとても苦手なのです。隠岐で、泊めていただいた部屋にクリシュナムルティの本が沢山ありました。しずかさんが「興味があったら読んでみて下さい」と仰ったので読みやすそうなのを一つ読んでみたのですが、2ページぐらいで諦めました。こんなややこしいこと必要なのか、と思ってしまうのです。

クリシュナムルティは、不要でした。

No.546 - 2008/03/23(Sun) 19:49:31

Re: 難しいです。 / peer
>美女に出会うと色々と苦しめられる

って、どんなふうに、苦しめられるのかしら??

あれが美女だと思う。
というのは〜それぞれの嗜好もありまして〜
美女が好きという人もいれば、嫌いという人もいる。
どうでもいいという人もいる。

No.547 - 2008/03/24(Mon) 01:08:39

Re: 難しいです。 / 大阪
> どちらかと言えば、限界はありますが、根こそぎです。というより、問題が問題でなくなるのです。たとえば怒ること悲しむこと楽しいこと考えること、そういうことも世界の不思議な機能です。それがなんであるか、誰も知りません。ありとあらゆることが、そうです。
>

とても暖かい心地良い文章です。
本文に、釣りに行く途中の車内で、提案されて怒った人の話があります。そんな風に、僕も怒ったりするのです。確かに、そんな問題も、問題ではないんでしょう。でも、そんなんで怒ったりしたくないのです。それをやめることは出来るのでしょうか。うびさんは塩を舐めると辛い、と仰いました。そんな風に、しょうもないことに腹を立ててしまったりもするのでしょうか。あの体験をすると、そんなしょうもないことで怒ったり恥ずかしがったりすることはなくなったのでしょうか。それとも否定の道、を進んでいる時に解消していったのでしょうか。

> それが成長の必要な人には、負荷として機能するだけです。 そういう、たとえば反省材料が新たに現れるということは、限界が見えるサインでもあるので、それはよく理解しましょう。

限界、とは何の限界でしょうか。成長の限界?努力の限界?精神の限界?

>けど、なにか軋轢が起きたとして、自分に責任があるとは限りません。

なんでも自分の責任にするのも、傲慢かもしれないですね。

> 自灯明、だけで充分です。いつも、この自分の、この状態の理解から始めましょう。それは考えようとしないでも必要なだけ、やって来ます。それを正確に見ましょう。そうすることで、こだわらないことにも、こだわらない、とか。悪をせず、善をする、とか。意識に依存しない、とかが了解されていきます。

自灯明・法灯明は、苦手分野なのです。よく意味が分からないのです。自分が赤と思ったものは、誰がなんと言おうと、赤だ。世間や親やキリストが黄色といっても赤だ。とか、そういうことですか?もし良ければお時間のあるときに、説明して頂けませんか?色々お聞きしてスミマセン。

> それを、大阪さんは、起こそうとして起こしたのでしょうか。
ここでの「また」は再び、ではなく、アンドとかそして、です。望んで起きたのではなく、向こうから、でした。
これはお聞きしたかったのですが、うびさんは、あの体験をした人を覚醒した人と呼んでいるのでしょうか。あの体験を悟後の修行とかして理解、捨てきった人を呼ぶのでしょうか。

> あの愛や自己は自覚できる範疇にないことを見極めれば大丈夫です。そうでないと、自分が空想されます。それが、「空想の自分と実際の自分を比べ」たりします。

コレが難しいのです。出来た、と思ってもまた実感を求めてたりで。じっくり時間をかけないといけないようです。

> クリシュナムルティは、不要でした。

誰が不要で誰が必要か、気づかなかったのかもしれない。

No.548 - 2008/03/24(Mon) 21:11:31

Re: 難しいです。 / 大阪
peerさん。

うーん、何というか、難しいです。

ど、どうしてそれを聞くのでしょうか?






(ところで、ここでは顔文字は禁止なのでしょうか?)

No.549 - 2008/03/24(Mon) 21:54:03

Re: 難しいです。 / 大阪
うびさん、嘘をつかない、とは、まるで裏技ですか!?

嘘をついた所に、自分の守りたい物がある。
それを一度じっくり眺めてみる。
そして、もう一度じっくり眺めてみる。
そして、他の物を眺めてみる。

うーんむずかし、い、そういうことですか?

No.550 - 2008/03/24(Mon) 22:06:05

Re: 難しいです。 / peer
>ど、どうしてそれを聞くのでしょうか?

どういう意味なのかな〜と純粋に興味が湧いて。
自分は何かに苦しむのに、他の人は苦しまない。
としたら、自分の中の何が反応するのか。
ど、自分の中を見る。。。ですよね。
そして、どうして他の人は無反応でいられるのか。とも。

No.551 - 2008/03/24(Mon) 23:52:10

Re: 難しいです。 / ubik0101
>本文に、釣りに行く途中の車内で、提案されて怒った人の話があります。そんな風に、僕も怒ったりするのです。確かに、そんな問題も、問題ではないんでしょう。でも、そんなんで怒ったりしたくないのです。それをやめることは出来るのでしょうか。うびさんは塩を舐めると辛い、と仰いました。そんな風に、しょうもないことに腹を立ててしまったりもするのでしょうか。あの体験をすると、そんなしょうもないことで怒ったり恥ずかしがったりすることはなくなったのでしょうか。それとも否定の道、を進んでいる時に解消していったのでしょうか。

たとえば社会的なこと・・・食品工場で従業員として働いているとして、毒餃子をつくれ、と社長から命令されたとします。そうしたら、そんな社長と、なにも知りようがない消費者のために怒る。それは当然です。

たとえば個人的なこと・・・ネットの接続が悪く、もう何ヵ月も何回もサービスセンターに電話し、モデムを替えても解決していません。しかも治ってないのに、この部屋に修理に来た人が、退社時刻になったのでしょう、帰ってしまいました。また仕事をしても報酬をくれないとか。そういう状況では怒りません。

これは社会的なこと、これは個人的なこと、と完全に区別はできないかもしれませんが、個人的なことでは、よほど理不尽なことでなければ怒りません。つまり、その閾値(しきいち)がほとんど限界まで上がります。

これは体験の後です。実感できることに依存する必要がない、に関係ありそうです。そうでなくても人生経験を積むと、自然に、そうなっていくこともあると思います。羞恥心は、ほとんど感じません。

もしかして。「誰でも、その状況に置かれたら怒ってしまう」という理由を無意識にでも捏造したりすると、それを隠れ蓑にして、怒りやすくなるかもしれません。なら、それを理解すれば解決します。また理解ではなく、人が無知のため怒らない(知らぬが仏)もあります。

>限界、とは何の限界でしょうか。成長の限界?努力の限界?精神の限界?

たとえば怒りを感じるための閾値(しきいち)が上がっても、限界があるという意味です。それは学ぶために貴重な体験でもあります。

>自灯明・法灯明は、苦手分野なのです。よく意味が分からないのです。自分が赤と思ったものは、誰がなんと言おうと、赤だ。世間や親やキリストが黄色といっても赤だ。とか、そういうことですか?もし良ければお時間のあるときに、説明して頂けませんか?色々お聞きしてスミマセン。

とりあえず元の意味はともかく。たとえば感覚や感情や意識に依存せず、素直に、この自分の、この有り様を、理解するということです。それが学ぶということです。これは欲望や自我が機能してるとき、それを否定も肯定もせずに観察しよう、と言ってるのではありません。素直であって、自分の状態を見ることが、たとえば人と世界との関係を学ぶことになります。

>これはお聞きしたかったのですが、うびさんは、あの体験をした人を覚醒した人と呼んでいるのでしょうか。あの体験を悟後の修行とかして理解、捨てきった人を呼ぶのでしょうか。

あの体験が、覚醒体験です。それを理解した状態を覚醒と呼びます。でも、それも、どうでもいいというか、そうでない人とか状態とかと、較べることも不要です。みんな、ただの人です。

>> クリシュナムルティは、不要でした。

>誰が不要で誰が必要か、気づかなかったのかもしれない。

たとえば仏陀は、法華経や般若心経を読んで、悟ったのではありません。けど、なにか書が役に立つ人には役に立つでしょう。



>うびさん、嘘をつかない、とは、まるで裏技ですか!?

>嘘をついた所に、自分の守りたい物がある。
>それを一度じっくり眺めてみる。
>そして、もう一度じっくり眺めてみる。
>そして、他の物を眺めてみる。


>うーんむずかし、い、そういうことですか?

そのように嘘をつかないという規範は、嘘をついた人を、理解に導く効果もあります。そして、主観的でなく不公平でなくあろうとする決意、またその実現でもあります。また、ふつうの日常で、自分に守りたいことがなければ、嘘をつかないという自戒も不要で、嘘も不要です。

>(ところで、ここでは顔文字は禁止なのでしょうか?)

ううん。そういう決まりはありません。

No.552 - 2008/03/25(Tue) 08:26:00

Re: 難しいです。 / 大阪
> どういう意味なのかな〜と純粋に興味が湧いて。

甘いものを食べる食べない、と同じです。

仲良くなりたい、恥ずかしい、浮気したくない、とかそういう葛藤、です。

> 自分は何かに苦しむのに、他の人は苦しまない。
> としたら、自分の中の何が反応するのか。
> ど、自分の中を見る。。。ですよね。
> そして、どうして他の人は無反応でいられるのか。とも。


上手く言葉に出来ないのですが。
僕は、例えば卒業式とか、みんなで遊んだ帰りとか、どうしてみんなそんなに寂しくないのだろう。どうしてそんな平然としてられるのだろう、という風なことが良くありました。
みんなが簡単に通っていく所で、ちょっと待って、となってしまうことが、良くあります。

どうしてそうなるのか、理由を考えても良く分かりません。そのことを、無意識に自分は人と違っていて優れているのかも、とか思ってたりするかもしれません。

何にせよ、正体不明です。でもいつか見破ろうと思ってます。
スミマセン、peerさんの言っておられる事と関係ないかもしれません。

No.569 - 2008/03/26(Wed) 20:45:09

Re: 難しいです。 / peer
>仲良くなりたい、恥ずかしい、浮気したくない、とかそういう葛藤、です。

なるほど〜関わりあいになりたい、ということかしら。
はい・・・まっ。。色々なモノと私たちは関わりたい。
と、解釈させていただきます(^^)

>僕は、例えば卒業式とか、みんなで遊んだ帰りとか、どうしてみんな
>そんなに寂しくないのだろう。
>どうしてそんな平然としてられるのだろう、という風なことが
>良くありました。
>みんなが簡単に通っていく所で、ちょっと待って、
>となってしまうことが、良くあります。


その気持は、よく分かります。
祭りのあとの淋しさも、近いものがあるような〜

良いこと楽しいことは「時間よ止まれ」ですが
悪いこと苦しいことは「時間よ早く去れ」のような。
私たちの日常は常に変化していきますね。
もしかしたら、変化に無心でついていく人は
寂しさを感じるヒマもない、のかも。

No.571 - 2008/03/26(Wed) 23:49:16

Re: 難しいです。 / 大阪
> なるほど〜関わりあいになりたい、ということかしら。
> はい・・・まっ。。色々なモノと私たちは関わりたい。
> と、解釈させていただきます(^^)


まぁ、そういうことです(^-^)

> その気持は、よく分かります。
> 祭りのあとの淋しさも、近いものがあるような〜


> 良いこと楽しいことは「時間よ止まれ」ですが
> 悪いこと苦しいことは「時間よ早く去れ」のような。
> 私たちの日常は常に変化していきますね。
> もしかしたら、変化に無心でついていく人は
> 寂しさを感じるヒマもない、のかも。


もしかしたら、僕が気になったのは「無常」かもしれない、って考えてました。

変化に無心でついていく人は寂しさを感じるヒマもない、そうかもしれません。というか、変化していること、ついていってること、も意識してないように見えました。

No.572 - 2008/03/27(Thu) 00:33:32

Re: 難しいです。 / 大阪
> たとえば社会的なこと・・・食品工場で従業員として働いているとして、毒餃子をつくれ、と社長から命令されたとします。そうしたら、そんな社長と、なにも知りようがない消費者のために怒る。それは当然です。

うーん。僕は当然、とはなりません。誰かに怒っても、自分もそうした可能性がある、と思うのです。そんな悪の可能性を摘みきってないと思うのです。まだ殺人者です。

> これは社会的なこと、これは個人的なこと、と完全に区別はできないかもしれませんが、個人的なことでは、よほど理不尽なことでなければ怒りません。つまり、その閾値(しきいち)がほとんど限界まで上がります。
>

でも、この気持ち良く分かります。

> これは体験の後です。実感できることに依存する必要がない、に関係ありそうです。そうでなくても人生経験を積むと、自然に、そうなっていくこともあると思います。羞恥心は、ほとんど感じません。

ココのゲストブックかな、に「怒ることを言われて怒ることに、必然性はありません。だから怒りません。コレが感情の中道です、と言ったらどうでしょう」というようなことが書いてあったと思います。

僕の場合、コレのような気がします。
(勿論、怒ることを言われて怒ることに、必然性はない。けど怒る、でも良いと思いますが。)

> もしかして。「誰でも、その状況に置かれたら怒ってしまう」という理由を無意識にでも捏造したりすると、それを隠れ蓑にして、怒りやすくなるかもしれません。なら、それを理解すれば解決します。また理解ではなく、人が無知のため怒らない(知らぬが仏)もあります。

そうかもしれません。もしかしたら、そんな閾値の上がった自分を拒否してるのかもしれない、とか思ったりもします。

> >限界、とは何の限界でしょうか。成長の限界?努力の限界?精神の限界?
>
> たとえば怒りを感じるための閾値(しきいち)が上がっても、限界があるという意味です。それは学ぶために貴重な体験でもあります。


コレは閾値の言葉の意味を知らないので生まれた質問でした。

> とりあえず元の意味はともかく。たとえば感覚や感情や意識に依存せず、素直に、この自分の、この有り様を、理解するということです。それが学ぶということです。これは欲望や自我が機能してるとき、それを否定も肯定もせずに観察しよう、と言ってるのではありません。素直であって、自分の状態を見ることが、たとえば人と世界との関係を学ぶことになります。
>

また質問です。僕にとって「感覚や感情や意識に依存せず、素直に」なることは出来ない、といっていいぐらい難しいのです。うびさんは、それをあの体験をする前から出来たのでしょうか。体験の後でしょうか。

> そのように嘘をつかないという規範は、嘘をついた人を、理解に導く効果もあります。そして、主観的でなく不公平でなくあろうとする決意、またその実現でもあります。

主観的でなく不公平でなくあろうとする決意。
それがこの世界で美しく出来ていることに喜びを感じたいです。

No.573 - 2008/03/27(Thu) 01:17:43

Re: 難しいです。 / ubik0101
>また質問です。僕にとって「感覚や感情や意識に依存せず、素直に」なることは出来ない、といっていいぐらい難しいのです。うびさんは、それをあの体験をする前から出来たのでしょうか。体験の後でしょうか。

それは体験の後です。でも前にも、その芽がありました。たとえば小学1、2年の頃、友達と歩いていました。すると、たんぼの側の小川で、一羽の鴨が矢に射られて暴れていました(野生の美と力を感じました)。その鴨を、驚いたことに友達が捕まえて家に持って帰りました。

そのあと大人が来て。鴨を見なかったか?と聞きました。 あまり憶えてないけど、知らない、と返事したように思います。すると、なにか世界が歪んでしまうという恐いほどの違和感が襲ってきました。たとえ友達のためにも、嘘をついてはいけない、そう思ったのだと思います。

そして、また。たとえば誰かに嘘をつかれたとして。だからと言って、なにかの機会に自分も嘘をついていいとは、なりませんでした。嘘をつく苦痛より、正直に言って自分を守らないで痛むことのほうが、楽でした。

さらに社会に出て、ほかの人が嘘をつくことも、嫌いでした。許せませんでした。ほんとーに、性格は悪く、性質は良かったのです。そういうことがあって「自らを義としてはならない」ということが課題になったのだと思います。

No.576 - 2008/03/27(Thu) 08:36:08
うびさん / ルー
うびさんは、少女っぽいと思います。
No.567 - 2008/03/26(Wed) 19:06:14

Re: うびさん / ubik0101
どーして、んな、大爆笑なことが、言えるのでしょう。ルーさん、って。とても嬉しくさせてくれます。

ところで、この頃、胸のエネルギーの塊が、ほかほか、ほぐれて。愛とも、幸せとも、言える、感覚が働いています。これを胸の少女と、呼んでいます。伝わったのかもしれません。

No.568 - 2008/03/26(Wed) 19:34:41

Re: うびさん / ルー
そーか。そーか。
そりゃーよかった。

私、やっと、愛を空想する必要がないっていう状態がわかりました。

おかげさまです。

No.570 - 2008/03/26(Wed) 22:46:46

Re: うびさん / ubik0101
うんと祝福しています。
No.574 - 2008/03/27(Thu) 08:12:21
ちょっとこっちに移動 / ばん
(うびさん質問です。
単純な作業をしている時、作業自体に慣れてきて、脳をあまり使わなくなって無意識状態で作業していると、雑念というか勝手に頭が歌を歌っていたり、あれこれ考えていたりするのですが、うびさんもそういうことありますか?

皆さんのコメントを見ると、思考は脳の機能か何かで勝手に出続ける、その思考に意味を考えようとするとつかまるから無視しとけばいいってことになるのかな
満たされない思いも無視すればよいか
それとも、徹底的に探るのがよいか
どっちもやってみます
ありがとうございました。

No.532 - 2008/03/18(Tue) 18:04:16

Re: ちょっとこっちに移動 / 大阪
>大阪さんもお会いしてないけど愛してますよ

それで安心です。
あぁ、良かった。

では僕はこれで失礼します。

No.533 - 2008/03/18(Tue) 18:20:56

Re: ちょっとこっちに移動 / ばん
どっちもやってみました。
なんか、脳の機能の記憶が関係しているような気がします。

何か無意識になった時、フッと脳が勝手に昔の記憶を呼び起こす。

そして、その記憶について脳が勝手に考え出す。

自分がいつの間にか考えている事に気づく。

考えないようにしようとしてもやめられない。

徹底的に考えても答えが出ない。

まとめると考えてる事に気づいた瞬間に「これは、脳が勝手に考えてる事だ、脳の機能で自然と起こることだと考え、丸ごと無視というか、自然に流れさせておく」

どうでしょう?

No.553 - 2008/03/25(Tue) 11:55:33

Re: ちょっとこっちに移動 / ubik0101
ずっと前に投稿したかもしれませんが。ある人が子供のとき、頭の中で勝手に話してる誰かがいることに気がつきました。

それが不思議だったので、友達に聞いたそうです。すると、みんなも、それが不思議だということだった、という話を、ネットで読んだことがあります。

そのように、あっちが勝手に考えてるだけなので、自然にしておく。けど、徹底的に考えても答えがないから考えるとも言えます。

その内容は、その自分の有り様でなければ生じないこと、自分の有り様に、関わっているはずです。それを、こっちから見て、自分主導のつもりで思考を展開できるのでしょう。

そして、あっちと、こっちが同じことを話てるなら、思考を見てる主体は自覚できず、思考だけが知覚されてる。集中が起きています。

こういうことを、あまりに主観的に、見てる観察者が、ない、とか表現しては問題ありと思います。ある、ない、と知覚の関係は、まだ探究の余地が感じられます。

No.554 - 2008/03/25(Tue) 13:17:47

Re: ちょっとこっちに移動 / ばん
あっちというのは過去の記憶の反応で無意識的に考えてる。

こっちは意識的な想像ということですか?

No.555 - 2008/03/25(Tue) 13:45:04

Re: ちょっとこっちに移動 / ubik0101
あっちは、その人の現状を示すために、ほかの素材もないので、過去の記憶を使って話していると思います。

こっちは、その話を見ながら、それを意図的に展開して思考しようとすることです。それは現在と思います。

No.556 - 2008/03/25(Tue) 14:06:09

Re: ちょっとこっちに移動 / ばん
これって自我を観察にもなりますか?

自我は脳の機能で勝手に出でくる

その自我を観察して

脳の機能だとして自然に起こることとして無視というかとりあわない

No.557 - 2008/03/25(Tue) 15:25:56

Re: ちょっとこっちに移動 / ubik0101
あっちが勝手に話してることを、こっちが展開して探ることは。たとえば、ほかの人の投稿を思い出して意味を探るということは、学んでる、研究してる、眼を凝らして見ている、ことだと思います。

そうでなく自我が機能していて・・・たとえば誰かのことを不公平に判断したいとか、とくに偽善者でない人を偽善者と判断したいとか(そういう不可能を可能にしようと)欲望・・・するなら、それは自我の働く様子の観察になると思います。 相手に自分の有り様を投影してることの観察になったりします。

なんとなく考えてしまうことを「脳の機能だとして自然に起こることとして無視というかとりあわない」のは、 ばんさんは、すでに、そういう自我の機能に巻き込まれない有り様なのでしょう。でも自我そのものの観察ではないと思います。自我は、最初から、いない、です。いない、から見つかりません。

No.558 - 2008/03/25(Tue) 17:06:49

Re: ちょっとこっちに移動 / ばん
私が考えている自我って空想ですか?

自己がないから自我もないてことですか?

No.559 - 2008/03/26(Wed) 08:37:54

Re: ちょっとこっちに移動 / ubik0101
>私が考えている自我って空想ですか?

たとえば、妬んだり、恨んだりする、その働きを、自我と呼ぶのでしょうか。そうでなく、そういうことを行為している、中心、主体、を自我と呼ぶのではないでしょうか。

その中心、主体である自我が、たとえば憎んだり、執着したり、嘲ったり、慈しんだり、すると思われるのではないでしょうか。

これは、そのような妬んだり、卑下したり、威張ったりする、空想を、蜃気楼のように成立させているということは、逆に、そういうことをしている自我という、中心、主体が、想定されざるを得ないだけではないでしょうか。

つまり欲望という結果が機能してるのは、自我という原因があるからと。しかし。そのような自我は、ありません。虚構です。自我とは、無我です。

このように、自我など、いない、と見破れば。妬んだり、憎んだり、威張ったりする、その中心、主体が、いない、のに。どうして 妬んだり、憎んだり、威張ったりできるでしょう。 意識のほかに、なにが機能しているでしょう。これは、自我が、いない、という端的な理解です。ただし、ある意味、極端な片寄りになる可能性を孕んでいます。この世界の機能、中道、に気がつく必要があります。

この続きを、ほかの見方で説明してみます。この世界では、人は、風や花や鳥ではありません。ほかの人ではありません。しかし、そうでない、わけでもありません。完全に分離してるわけでも、完全に融合してるわけでもありません。それが差であり、知覚です。

なにかを見たり感じたり思考したりする、中心、主体は、事実として、いない、わけではないのです。いる、わけでもないのです。この分離でも融合でもないことを、ことさら接近させたり、隔離しようとすることで。自我が、いる、とか、いない、とか感じるとも言えます。それで自我が、いない、ということさえ執着になり得ます。

これを了解して、世界の機能は中道だと見る。そうであれば、たとえば喜怒哀楽が問題だという問題は不要です。

>自己がないから自我もないてことですか?

そして意識は、たとえば樹や街や人など何かを対象にし、樹や街や人など何かから対象にされます。たとえば人の愛、慈しみは、対象と対象にされるという制限があります。無差別の愛ではありません。

自己は、そんな意識の領域にはありません。どちらかといえば実在の領域です。それは自覚できません。その自覚できないことを了解すると、ことさらなにかを実感したいと欲望する、中心、主体という、(残響のような)自我、を空想する必要がなくなります。

No.560 - 2008/03/26(Wed) 10:13:27

Re: ちょっとこっちに移動 / ばん
すみません、わからないことがいっぱいです。
> これは、そのような妬んだり、卑下したり、威張ったりする、空想を、蜃気楼のように成立させているということは、逆に、そういうことをしている自我という、中心、主体が、想定されざるを得ないだけではないでしょうか。
> ある出来事を妬んだり、卑下したりすると、架空の自我

できる。自我が後から出来るって事ですか?

中道
> 中道て、たとえばどんな事ですか?

> この続きを、ほかの見方で説明してみます。この世界では、人は、風や花や鳥ではありません。ほかの人ではありません。しかし、そうでない、わけでもありません。完全に分離してるわけでも、完全に融合してるわけでもありません。それが差であり、知覚です。
> 人のなにが分離、融合してる、してないのですか?

 個体として分離、宇宙として融合てことですか?
>
たとえば人の愛、慈しみは、対象と対象にされるという制限があります。無差別の愛ではありません。
> 何の対象と対象にされるのですか?

No.561 - 2008/03/26(Wed) 11:30:28

Re: ちょっとこっちに移動 / ubik0101
> ある出来事を妬んだり、卑下したりすると、架空の自我
>できる。自我が後から出来るって事ですか?


なにか恨んだり妬んだりする、その中心としての自我が設定されると、それは恨んだり妬んだりすることよりも前に(心理的な時間を遡って)予め、いる、として機能します。

なのですが、それほど難しく考えなくても。妬んだり、卑下したりしない時には、自我は、いない、わけではないでしょう。いる、と設定されてるなら、楽しい時にも、平静な時にも、つまり自覚してなくても、いる、のではないでしょうか。

> 中道て、たとえばどんな事ですか?

それは人の総ての構成要素の完全な活動のことです。たとえば、肯定(ある)と、否定(ない)、が完全に機能します。すると、肯定(ある)、否定(ない)という両極に留まれません。すると、その中間のどこかにも、真ん中にも、自我の拠り所がありません。

また。たとえば善悪の概念です。人は、絶対の悪、絶対の善を、なし得るでしょうか。なしえないのではないでしょうか。その両極端は空想です。ならば、真ん中も空想です。人は、善悪の概念が成立すると誤解しています。成立してないことに依存できません。しかし日常で実際に、良いことをし、悪いことをしない、ことができます。

> 人のなにが分離、融合してる、してないのですか?

ある人と、ほかの人。ある人と、樹や山や鳥・・・森羅万象・・・の関係です。それは差があるから知覚できます。それは完全な融合ではありません。この世界が水だけでできてるとして、それで水だけでできている知覚ができるでしょうか。完全な分離でもありません。たとえば世界の外を知覚できるでしょうか。完全な融合も分離もあり得ません。

>個体として分離、宇宙として融合てことですか?

そういう覚醒体験も、人によっては起こるようです。たとえば、それに眼を向けると、犬や、働いてる労働者が自分だった。走ってる電車さえ自分だった。また禅の一系列としてもあります。宇宙いっぱいの自分、とか。ひとつ、とか言われたりします。これをここでは緯(よこいと)と呼んでいます。そこから、やっと学ぶことが始まります。

>>たとえば人の愛、慈しみは、対象と対象にされるという制限があります。無差別の愛ではありません。

> 何の対象と対象にされるのですか?

たとえば、ある人は、ある人を、対象にしています。もちろん、ある人は、ある人から、対象にされています。ありとあらゆる知覚できることを人は対象にし、それから対象にされています。

ここは、その眼は、その眼を見ることはできない。とか。どうして舌が無味でなければ、たとえば林檎の味が知覚できるだろう。とか、言われます。もし自分が、まったく自分なら、どうして自分を知覚できるでしょう。

No.562 - 2008/03/26(Wed) 13:18:21

Re: ちょっとこっちに移動 / ばん
頭がこんがらがって、自分が何を知りたいかわからなくなってしまいました。

よく私は肉体ではないとか死ぬことはないとかって言ってるのを見たりするのですが、どう思いますか?

No.563 - 2008/03/26(Wed) 14:42:50

Re: ちょっとこっちに移動 / ばん
あと、もうひとつ

うびさんは自分のことを何だと思いますか

No.564 - 2008/03/26(Wed) 14:47:37

Re: ちょっとこっちに移動 / ubik0101
>よく私は肉体ではないとか死ぬことはないとかって言ってるのを見たりするのですが、どう思いますか?

みんな空想です。死ぬと、なくなる。死んでも、なくならない。どちらでもある。どちらでもない。総べて空想であり、すべて誤りです。ただ、まったく個人の妄想として言うだけですが・・・青は藍より出でて、藍より青し・・・ です。

それはともかく。

http://members.jcom.home.ne.jp/khiroaki/buddhism/buddha.htm

ここの 8 毒矢の例えが、もっぱらの定説です。

>うびさんは自分のことを何だと思いますか

なにも思ってませんが、あえて言うなら、ただの人です。

No.565 - 2008/03/26(Wed) 16:01:47

Re: ちょっとこっちに移動 / ばん
うびさん、ありがとうございます

私は何か神秘的なものにとても期待していたようです。

なんか期待していた事が崩れたとたん幸せな気分になりました。
自分の内面を変える事で世界が変わるようです

愛溢れる世界、誠実な世界を感じたいので、自分の内面をよーく見て変えて行きたいと思います。

ありがとうございました。

No.566 - 2008/03/26(Wed) 16:57:16
/ hato


愛し合いたい、
それを確認したい、

という思いを掴むから、
身体、性、世界
に縛られるでしょうか。
そこで、ことさら差を空想するでしょうか。

実感が欲しい、
確認したい、
そうでなければ満たされていないのでは、
という思いは、とても強いものだと思います。

それでも、
それだから、
まずはじめに、自己であろう、
ことが大切な気がします。

本当に愛し合う、
そうでなければ、と思うからです。

No.534 - 2008/03/18(Tue) 23:16:22

Re: 愛 / ubik0101
とりあえず愛は空想として現れるようです。その場合は、実感が求められるでしょう。たとえば優しくされることとか、楽しくしてくれることとかを、愛される。ってことにするのかもしれません。

すると優しくすることとか、楽しさをあげるとかが、愛する。ってことになるのかもしれません。すると、これは愛、あれは愛じゃない、それは無関係、という判断も生じるかもしれません。だからと言って問題はないのですが、そういうことに執着してることが問題、と言うこともできます。

それは自分という実感を求めてる自我の機能、とも言えます。もともと、ない、自我が、ある、と振る舞うことが、すでに迷いです。けれど、どんな迷いも単なる負荷でしかなく、人が成長するために機能します。

たとえば優しくされること、すること。楽しくしてくれること、すること。無関係なことと。また性や身体など。実感の愛。それは世界の機能で、まったく無問題なのですが。それに人は使われて、ある意味では宿命的に望んで迷って、それを煩悩とか呼んで、そこで限界まで自分を鍛える、とも言えます。

ところで愛は、実在から自己を承認したという証明とも言えます。 その愛なしに、自己を感じることは困難かもしれません。

なん度も言うけど。「あなた自身を愛すように、あなたの隣人を愛しなさい」。まず、 どういうことが自分を愛すことなのか?これとか、あれとか、決められるでしょうか。これを探究しました。

No.536 - 2008/03/19(Wed) 16:59:28

Re: 愛 / hato

> なん度も言うけど。「あなた自身を愛すように、あなたの隣人を愛しなさい」。まず、 どういうことが自分を愛すことなのか?これとか、あれとか、決められるでしょうか。これを探究しました。



それは、愛の命令だと学びました。

どういうことが自分を愛すことか?

その時々で、適切にある、あろうとする、ことではないのでしょうか。
それしか、思いつきません。
自分を、隣人を、愛していないでしょうか。
そうであるなら、わからないのです。

愛の欠如とは、なんでしょう。
それは、なかったりあったりするものなのでしょうか?

愛というとき、幸せな羽衣のような感覚、とか、楽しいこと、だけを指すことはできまん。母性、とも言い難いのです。

まだ何かから逸脱しているでしょうか。
誤りは、糺そうと思います。

No.537 - 2008/03/19(Wed) 23:54:06

Re: 愛 / ubik0101
>愛の欠如とは、なんでしょう。
>それは、なかったりあったりするものなのでしょうか?


とても仲のいい夫婦が、喧嘩して、離婚したとします。その楽しく暮らしてた、愛しあってる感情として実感があった時にも、不満、憎しみ、怒り、無関心になる可能性が隠れてたのかもしれません。それは愛と呼べるでしょうか。愛は、実感できるからあったり、実感できないから、なかったりするのでしょうか。

そうでない、愛。純粋な愛。どんなことでもない愛。「無差別な愛」。その欠如として、代理として、たとえば憎しみに変わるかもしれない、無関心に変わるかもしれない、感情の一種としての愛が現れるのではないでしょうか。それが愛ではないこと、愛の欠如であることが、人に愛を求めさせるのではないでしょうか。そんな愛を、聖書では「神は愛です」と言っています。

そんな、愛は、地上では、ほとんど不可能に思えます。しかし求めれば可能です。知ってる限りでは、自我がないという体験、そうであれば、愛が現れることもあります。それは、なにかの行動とかいうことには関わりません。それは感じるだけしかできないかもしれません。しかし生まれて初めて感じるとしても、それを誰もが間違いなく、愛、としか呼べないでしょう。それは感じても感じなくても世界に溢れています。

そして、たとえば夫婦が、友人が、隣人が、雨の日も晴の日も、一生に渡って辛い時にも努力したりして暮らしていくこと。そのほうが別れるより、断然いいと、思われるのではないでしょうか。

それは、ほとんど愛と呼べるかもしれない、からではないでしょうか。また愛がなければ、そうできないからではないでしょうか。たしかに「その時々で、適切にある、あろうとする、こと」。それしか出来ないと思います。

ほかの例。たとえば相手のことを思って、と思って、怒ることがあります。それは自分では愛と思ってる、ということもあります。それは、ここに愛がないこと、愛の欠如、愛の代理として、そういう怒りが現れたと見ることができます。

もしかして、優しくすること、仲良くすること、そういうことも愛の欠如かもしれません。そういうことを拒否されたりすると怒りが現れる可能性があるからです。それは愛がないために実感を求められる愛着、執着である可能性があります。

それは愛の欠如であり、それは愛がないからです。その愛の欠如は、実感してるときだけ、あるのではありません。実感しないとき、ないのではありません。愛の欠如は常に愛の欠如です。それが愛を求めさせます。

>愛というとき、幸せな羽衣のような感覚、とか、楽しいこと、だけを指すことはできません。母性、とも言い難いのです。

そうです。hatoさんは誤っていません。愛は(どのようなことにも関わらず、どのようなことにも関わり)ただ愛です。

No.538 - 2008/03/20(Thu) 07:39:48

Re: 愛 / peer
わたしたちは、無から誕生しましたので
生まれた時は形はありません。
まずは、形として存在するために、
誰かを真似ます。
家にいては、家族(親)を真似ます。
仕事については、親方を真似ます。
よい形になりたかったら、よい親を真似ればよい。
で、この世の婚本は、神(宇宙)ですから〜
最終的には、神に倣う・・・が、よいでしょう。
神と人間は、違うんです。と思ったら、真似られません。ね。

No.539 - 2008/03/20(Thu) 10:20:23

Re: 愛 / hato


> ほかの例。たとえば相手のことを思って、と思って、怒ることがあります。それは自分では愛と思ってる、ということもあります。それは、ここに愛がないこと、愛の欠如、愛の代理として、そういう怒りが現れたと見ることができます。


とても、了解しました。
もう少し見て、学びたいと思います。
愛の欠如、了解しました。


> 愛は(どのようなことにも関わらず、どのようなことにも関わり)ただ愛です。


これならば、了解していました。
だから、
どうしても、出来ないことも、あったと思います。
その愛、
全面的でなければ、それでなければ、違う、との了解がある故に、できないことはできなかった、とおもいます。

生活のなかで、学ぶでしょうか、
それを生きよう、と思うことができます。

No.540 - 2008/03/20(Thu) 12:03:21

Re: 愛 / ubik0101
そうですね。
お互い、できることを、
無理なく、
やっていきましょう。

No.541 - 2008/03/20(Thu) 13:16:16

Re: 愛 / hato


> 無理なく、


ubik0101さん、
peerさん、
ありがとうございます。

ひな祭り、終わったばかりでした、

パタパタ、
パタパタ、
やっと、飛ぶ、練習。

今日はubik0101さんのページが始まった日、
ですね。
春は、感謝の気持ちのようです。

No.542 - 2008/03/20(Thu) 16:34:01
無意識 / ばん
うびさん質問です。
単純な作業をしている時、作業自体に慣れてきて、脳をあまり使わなくなって無意識状態で作業していると、雑念というか勝手に頭が歌を歌っていたり、あれこれ考えていたりするのですが、うびさんもそういうことありますか?

No.516 - 2008/03/15(Sat) 16:30:21

Re: 無意識 / ubik0101
それは、自分の意図とは関係なく、考えたりするという意味でしょうか。なにか単純作業をしたことはないと思うので、日常のことを話します。

やはり意図して考えてると思うのですが。この、意図する、ということは、100パーセント自分がそうしようとして、しているとは言えないようです。

どちらかといえば、考えのほうから、考えてくれと言って来て、それを見る感じです。それで、よく見えない場合、考えようとする、と思います。

No.517 - 2008/03/15(Sat) 17:37:26

Re: 無意識 / ばん
そうです、意図して考えてない時って、
何も考えてない状態が続くはずなんですけど、
考えてくれー、歌ってくれー、空想してくれーて感じで雑念がやってきて疲れるんです。どうしたらいいいでしょう。

No.518 - 2008/03/17(Mon) 08:40:28

Re: 無意識 / ubik0101
どうしようとした、こともありません。瞑想などしたことがないので分かりませんが、日常で、思考は途切れ途切れです。

どんな思考があるのも、ないのも、この世界の機能であり、意識が途切れず働いてることは変わりない感じです。ただ意識としては、思考は途切れてないと思ってしまうようです。

どんな思考も歌も空想も、意図しても止まりますが、また始まってしまいます。単純作業とか日常で、意識が勝手に、いずれ何かに集中するために、アイドリングするのかもしれません。

そういうのを観察すると、そう観察する仮の中心が生じ、疲れるかもしれません。でなければ、どっちが楽とか疲れるとか、大差ないように思います。

そうでなく、 ばんさんには、「何も考えてない状態が続くはず」関連のほうから、これがどういう仕組みになってるか見てくれ、考えてくれ、と言って来てるのかもしれません。そうだったら、よく見る機会であり、発見があるかもしれません。

ところで端的には、それは(時間がないというわけではないけど、時間の知覚がないので、時間がないと思えてしまう、今さえない) それ、 には、感覚だけ機能し、思考が成立しないようです。それは、ほとんど実在と違わないような気がしますが・・・検討中です。

No.519 - 2008/03/17(Mon) 11:05:26

Re: 無意識 / ばん
私もルーさんの様に過激派なのでしょうか、
何か刺激を求めているような・・・
思考が次々やってきて、つい刺激を求めて、空想しまう、
その空想は無意味で疲れるから空想したくないと空想している。
何も求めなければいいのかもしれなうけど

No.520 - 2008/03/17(Mon) 15:01:34

Re: 無意識 / ルー
私に「過激派」という名前を与えたのは、ひとりしずかさんでした。
彼女は掲示板では、何にもとらわれていないようなことを書いておられましたが、突然のCENSORED
私は、浮気のひとつもせずに子供を育てて暮らしています。
意識の表面に出てくるものと実際にしていることは、ズレているのかも知れません。

No.521 - 2008/03/17(Mon) 18:00:37

Re: 無意識 / hato


詰まるところ、なにが出来るかということについては、自分を超えた、仕組み、があるように思います。
それを意図といってよいのかわからないけれど、そう思います。

思考と時間がひとつということ。
それを考えます。
ならば、連綿と流れている思考の波のなかで、縁がある思考、興味を惹かれる思考の仕組みを解くこと、を
ubik0101さんは言われているかもしれません。
それは、ヒントかもしれません。

思考に単にエネルギーを注ぐことは、
火に油を注ぐことかもしれません。
自分を解放させることを意図するとしたなら、
それは無謀なことかもしれません。
けれども、これもまた、ある意味無謀かもしれません。
サイクルの流れに甘んじて乗らない、
ことと思うからです。

感情や思考を流れに任せること、
それに不適切に拘わらない、ことでしょうか。
ときどきしか、上手くいかないこともあります。


それでも、出来事、といえるすべては、
ただそのようであった、としかいえないこと、
ではないでしょうか。

No.522 - 2008/03/17(Mon) 21:59:33

Re: 無意識 / ばん
私は何かを常に求め続けていて満たされない
ここで書いているのも、何かを見つけたい、賛同されたいというような欲だと思う。
本当は、満たされている。でも、気づいてない何かに気づいてない
これって自我の働き?だと思う、どこまでも欲しがる。
私は過激派ではなく寂しがりやなのだと思う。
さみしくって、さみしくって、おかあさんを求めているのだと思う。でも、甘えるのはかっこ悪い、いつまでも甘えてておかあさんを心配させたくない、強い子になろう、でも葛藤があるから苦しい
何か子供の頃あったのかな、あまり覚えてない、思い出せれば満たされるのかな

No.523 - 2008/03/18(Tue) 09:39:15

Re: 無意識 / peer
>何かを常に求め続けていて満たされない

これを称して煩悩ですよね。
人として生まれたモノには、必ず付いて来るものでしょ。
仏教的には「貪」。貪計する性質があるわけですね。
なにか原因があって、満たされない思いがある。のではない。
と思いますよ〜。

No.524 - 2008/03/18(Tue) 10:21:47

Re: 無意識 / ばん
煩悩ってなくす事できますか?
No.525 - 2008/03/18(Tue) 10:37:21

Re: 無意識 / 大阪
ばんさん、こんにちは。

あれから、僕も、お母さんの愛について考えてたんですが。

僕にとっても、お母さんの胸の温もりや、優しく甘えさせてくれる心地良さ、それはそれは良いものでした。

それで、やはり、その変わりになるものを探しているかもしれない、とか考えました。

そこで思いました。

お母さんの胸が温かいのも、優しく甘えさせてくれて心地良いのも、神様がそうさせてくれているからじゃないか。

つまり、お母さんの愛も、神様の愛の一部分に過ぎない。

お母さんの愛を心地良いと感じたなら、それは、神様の愛の一部分が心地良かった、ということ。

お母さんの愛を素晴らしいと感じたなら、それは、そんなお母さんの愛よりも大きな神様の愛があることを表している。

例えば、お母さんの愛を、800ポイント、素晴らしいと思ったら、神様の愛はそれ以上。

更新されて、1300ポイント、素晴らしいと思ったら、神様の愛はそれ以上。

簡単にいうと、お母さんの愛に依存することは、大きな神様の愛のほんの一部分に執着してるだけ、ということ。

こんな風に、考えてみました。

No.526 - 2008/03/18(Tue) 12:29:43

Re: 無意識 / ばん
大阪さんこんにちは
私はお母さんの愛って、神様の愛と同じものだと思います。
お母さんが愛を出している時って、お母さんの中の神様が出てきているんだと思います。
私も自分の子供を愛する時って自分の中の神様が出てきているような感じがします。神様のままでいれたら幸せなんですけどすぐ日常のめまぐるしさにおわれ自我まみれになってしまいます。
山で一人修行して悟った人が日常生活に戻ったらそれがわからなくなったって感じです。

No.527 - 2008/03/18(Tue) 13:47:34

Re: 無意識 / 大阪
では、どうして、ばんさんは、自分の子供を愛せるのでしょうか。
それは、神様の愛がばんさんも、ばんさんの子供も、親が子供を愛する事も、愛してくれているから出来るのではないでしょうか。
だから、お母さんの愛も、神様の愛から出てきたもの、と思うのですが。(同じものと、言えない事もないと思いますが)

>山で一人修行して悟った人が日常生活に戻ったら、それがわからなくなったって感じです。

ということはその人は、悟ったんじゃないと思います。
山で一人の時に適応できて、都会の日常で適応できないのは、おかしいと思います。

No.528 - 2008/03/18(Tue) 14:03:45

Re: 無意識 / ばん
> では、どうして、ばんさんは、自分の子供を愛せるのでしょうか。
> それは、神様の愛がばんさんも、ばんさんの子供も、親が子供を愛する事も、愛してくれているから出来るのではないでしょうか。
> だから、お母さんの愛も、神様の愛から出てきたもの、と思うのですが。(同じものと、言えない事もないと思いますが)

えーっと私の考えなのでどうかわかりませんが
人の中には神様がいて無償の愛、無条件の愛とかの形で出てくるのかも、それは、宇宙に一つだけで、お母さんの中にもあるし、大阪さんの中にもある、それでみんな繋がっている
のかもと思ったりしてます

No.529 - 2008/03/18(Tue) 14:47:38

Re: 無意識 / 大阪
> 人の中には神様がいて無償の愛、無条件の愛とかの形で出てくるのかも、それは、宇宙に一つだけで、お母さんの中にもあるし、大阪さんの中にもある、それでみんな繋がっている

では、少しきつい、質問です。

ばんさんは、子供を愛している時に神様が出てくる、と言っておられましたが、それが無条件の愛なら、どうして自分の子供なのでしょうか。
「自分の子供」という条件があるのではないでしょうか?

No.530 - 2008/03/18(Tue) 16:07:06

Re: 無意識 / ばん
んーと、私が文を書くのがへたなのでうまく伝わらなかったみたいです。
(神様=愛)という意味です。
自分の子供と書いたのは、たとえばという事です。
他の子供も愛してますよ
大阪さんもお会いしてないけど愛してますよ
全てを愛してます
でも、自分も愛してます
だから、ご飯を食べる時、感謝して食べます

No.531 - 2008/03/18(Tue) 17:23:45

Re: 無意識 / peer
>煩悩ってなくす事できますか?

煩悩の仕組みが、頭ではなく、身体と
心で納得できたら、必要なくなります。

No.535 - 2008/03/19(Wed) 08:45:58
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