これって凄いです。素晴らしいです。ありがとうございます。(私がこんな事書くのは変ですが) アレやコレやからここまで見抜く洞察力が凄いです。 もしもできましたら、お時間のある時にこれを縁起の法に絡めて解説して頂けますとありがたいです。
> なにかを感じるのは、とりあえず「それは自分ではない」ということにして、感じるのかもしれません。たとえば樹や人や車を対象として、その自分ではない、「差」を、感じるのかもしれません。 つまり、知覚は「差」。 > > たとえば眼は、たとえば樹や人や車、赤と青の「差」を知覚する、というのではないでしょう。 まず「差」を知覚するために、たとえば眼や耳や舌が発生するのではないでしょうか。意識もそうかもしれません。 > > そして、なにか世界という全体から 「差」を引いた残りを、とりあえず「自分」として仮定するのかもしれません。それは世界の中心であり、主観になるでしょう。 > > そして、その「自分」と対象との「差」を縮めよう、なくそうとする働きが、欲望として機能することがあるでしょう。なにかを欲しい、つまり密着したい、と。また心理的な欲望も、 なにか理想を空想して 「差」を埋めたい、ということでしょう。 > > そして、 それは、「差」を広げよう、自分は独立した自分であろう、と意図しても不可能。なのだけど、ことさら、ほかから分離しようとする働きが、とりあえず、自我として機能しているから、なのでしょう。
> そんな、自分勝手な「差」を広げようとしてる自我が、「差」を縮めよう、と意図しても不可能。なのだけど、そうしようとすることが、こうありたい欲望として機能する、 ということかもしれません。 > > ところで、なぜ意図して、差を縮めようとしても、広げようとしても、不可能なのでしょう。それは、自分と対象。それは完全な分離でもなく、融合でもないのに、それを、どちらかに無理に片寄らせようとすることだからではないでしょうか。 > > そして、完全に「差」がないなら、つまり完全に一体なら、知覚不能。そして、完全な「差」があるなら、つまり完全な分離なら、知覚不能ではないでしょうか。
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No.466 - 2008/03/06(Thu) 18:02:58
| ☆ Re: 縁起の法 / ubik0101 | | | > もしもできましたら、お時間のある時にこれを縁起の法に絡めて解説して頂けますとありがたいです。
それに気がついた、のりさん、凄っです。依存関係は経(たていと)です。分離と融合は、緯(よこいと)です。それが編まれている印象です。
とりあえずは、それぞれの人が経で、その関係が緯だと思います。まだ見切ってないかもしれませんが、それが世界かもしれません。
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No.473 - 2008/03/07(Fri) 16:29:01 |
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