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自分 / 大阪
のりさん。
返信してなくてスミマセン。上手く文章が思いつかなくてそのままタイミングを逃してしまいました。また会話しましょう。

うびさん。
とてもうっかりしていました。
ずっと自分なんていない、の意味が分からなかったんです。
自分なんて空想、の意味が分からなかったんです。
で、ここをもう一度よく読み返そうと思って序章を読んだんです。
じゃぁ体験で人は「自己を与えられる」と書いてあって、「ぼく与えられてない」と思ったんですけど、うびさんがよく「自己、愛、実在」とそれらを同義語として書いてることを思い出して、あぁ、あの愛がそうだったのか、とハッとしました。
そうだったそうだった。
それでやっと残響のような自我を残響のような自我と呼ぶ意味が分かりました。今までは、分からなかったんです、残響のような自我こそ自分だったので。どこが残響だ、という感じでした。
色々見直してみます。

No.313 - 2008/02/10(Sun) 17:32:25

Re: 自分 / ubik0101
その愛を、受けるのが、自己です。けど、自分がいなくなると、愛が訪れるとか。自我は空虚で、そこに誰のものでもないエネルギーが流れ始める、とか。結果的には違いはないと思うのですが、そういう体験には個人差があるのも確かです。それで学びあうことが大切と感じます。

そういえば、最近。「なぜ達磨には髭がないのか」という、禅問答をネットで見つけました。ほとんど頓智のような、反則技のような公案と思います。

No.314 - 2008/02/10(Sun) 19:26:58

Re: 自分 / 大阪
>その愛を、受けるのが、自己です。
あの愛を受けているのは、物質、身体、感覚、感情、意識。
つまり物質、身体、感覚、感情、意識が自己。(意識からみたそれらじゃなく)
ということですか?

>そういえば、最近。「なぜ達磨には髭がないのか」という、禅問答をネットで見つけました。ほとんど頓智のような、反則技のような公案と思います。

へー達磨って髭がなかったんだ、と思って。
ネットで達磨の写真を見て、ふきだしてしまいました。

と書いて、色んな答えを考えたけど、この公案には「写真を見て、ふきだしてしまいました」で充分だと思います。

No.315 - 2008/02/10(Sun) 21:22:08

Re: 自分 / ubik0101
> つまり物質、身体、感覚、感情、意識が自己。(意識からみたそれらじゃなく)
> ということですか?


あー。物質、身体、感覚、感情、意識と、自己は違わない・違う、ということも無意味です。端的には、自己は、意識の対象になりません。

この現実、事実、つまり物質、身体、感覚、感情、意識の働きを、また、そうでない何かを自己とするなら、誤ります。

あの体験でしか、自己は、感じられることはないでしょう。愛、それを感じるのは必ず、自己です。それを意識で、自覚できるとしたら、空想です。ということです。

> へー達磨って髭がなかったんだ、と思って。
> ネットで達磨の写真を見て、ふきだしてしまいました。


> と書いて、色んな答えを考えたけど、この公案には「写真を見て、ふきだしてしまいました」で充分だと思います。

中爆笑です。たしかに大阪さんって、お茶目かもしれません。まあ、自分にも髭(自分・自我)はないよ、とか。自分で、ある、と空想してる、とか。もともと達磨は、いない、とかでいいと思います。ただ、この、いない、は、いる、が自覚できない、という意味でもあるかもしれません。

No.316 - 2008/02/10(Sun) 22:13:15

Re: 自分 / 大阪
>あの体験でしか、自己は、感じられることはないでしょう。愛、それを感じるのは必ず、自己です。それを意識で、自覚できるとしたら、空想です。ということです。

とても、嬉しいです。
あのとき「ぼくはこんなに愛されてたのか、こんなに愛が好きだったんだ」と思いました。
良く検証してみます。

> 中爆笑です。たしかに大阪さんって、お茶目かもしれません。まあ、自分にも髭(自分・自我)はないよ、とか。自分で、ある、と空想してる、とか。もともと達磨は、いない、とかでいいと思います。ただ、この、いない、は、いる、が自覚できない、という意味でもあるかもしれません。

ないと思っているところ、こんなもの見せられたら。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%94%E7%A3%A8

あぁ、そうやった答えたら良かったんですね。
少なくとも、話の流れを考えれば、そうやって答えるべきでした。

でも中爆笑、とても嬉しいです。あとは、小爆笑・・です。

No.317 - 2008/02/11(Mon) 20:32:41

Re: 自分 / のり
大阪さん、こんにちは。
> また会話しましょう。
ってやっぱりお茶目ですね。 はい、会話しましょ。
何のお話でしたっけ?確か私はhatoさんの
> ですが、ubik0101さんが、ご自身を理解してくださったお陰で、どれほど多くの恵みを、わたし達に与えてくださっているでしょうか。
に同調してお返事した気がします。
 hatoさん、前回はゴメンナサイ。悪い唯我独尊状態(自己中ともいう)でした。
 “自分”“自我”“自己”なんと名付けようと私にとってはいいのです。ただそれに引きずり回されなければ良し、という段階です。
 “愛”これは各人各様の感覚があると思います。ただ、“愛する”と思ったら、その瞬間“愛”では無くなるような気がするのです。理解するものを一つづつ理解して行きたいと思ってます。“愛について”も理解したいテーマです。

No.320 - 2008/02/12(Tue) 17:23:28

Re: 自分 / 大阪
> ってやっぱりお茶目ですね。 はい、会話しましょ。

いやぁ、僕はお茶目じゃないと思うんですが。
うびさんはお茶目です。

>何のお話でしたっけ?

何の話でも良いです。では、質問させて下さい。

1「自分に引きずりまわされない為には、どうすれば良いのでしょうか?自分を発生させている原因を探って、それを捨てていけば、よいのでしょうか?色々あるのでしょうか?」

2「"愛する"と思った瞬間"愛"で無くなる、は、どうしてでしょうか?」
前にのりさんが人は人を愛せない、愛が伝わるだけ、と書いていましたが、僕もそんな気がします。

No.321 - 2008/02/12(Tue) 18:11:37

賢い女子学生 / 大阪
うびさん、質問です。
本文「この日常を観察」の、賢い女子学生が行方不明になったお話ですが、「知っても知っても、知ってるということが何かを知りません」というのは。
もしかして、行方不明というのは自分の正体や真実が知られないと了解した、という意味ですか?
(あと、「それは見えないけど」の頭にタグが見えてるようです)

No.322 - 2008/02/12(Tue) 18:55:31

Re: 自分 / ubik0101
その賢い女子学生の部分を、再掲載します。

>とても賢い女子学生がいました。素粒子の観測と料理が趣味。けっして他の人の悪口を言わず、友人からも尊敬されていました。やがてスポーツマンでもある青年実業家と婚約。ヨットで世界一周する途中、クリスマス諸島で行方不明になりました。知っても知っても、知ってるということが何かを知りません、というメモが残されていました。この日常を観察するのです。

どんなことでも知ってるとしても、
その知ってる、ということを知らない。
つまり世界も自分も、知らない。という意味だったと思います。

自己は自覚できないということは
自己は、知るとか知らないとかいう意識の対象にならない、
ということです。

たしかに似てるようで、似てない、ような気がします。

>(あと、「それは見えないけど」の頭にタグが見えてるようです)

ありがとう。削除しました。

No.323 - 2008/02/12(Tue) 20:13:02

Re: 自分 / 大阪
> どんなことでも知ってるとしても、
> その知ってる、ということを知らない。
> つまり世界も自分も、知らない。という意味だったと思います。
>
> 自己は自覚できないということは
> 自己は、知るとか知らないとかいう意識の対象にならない、
> ということです。
>
> たしかに似てるようで、似てない、ような気がします。


世界も自分も知らない。
「何かを知れば、幸せ/自由になる」「何かを知らなければ、悪である」「何かが出来れば、言えれば、手に入れば、幸せ/自由である」から解放されている、つまり自由である、ということですか?

No.325 - 2008/02/12(Tue) 20:34:40

Re: 自分 / ubik0101
そうと言えないことはない、です。知らないということは、ただ事実、知らないということです。そのように世界も自分も、できてる、というほど、そうです。

そのことは。知ってることに依存、倒錯してない。知らなければ依存、倒錯不能、ということを示します。自由という認識も不要です。

ただ、知らない、を知識として知ると、その知ってることに依存、倒錯できるかもしれません。

No.326 - 2008/02/12(Tue) 20:54:08

Re: 自分 / ubik0101

> そのことは。知ってることに依存、倒錯してない。知らなければ依存、倒錯不能、ということを示します。自由という認識も不要です。

これ、解りにくい表現でした。

そのことは。知ってることには依存、倒錯できる。知らなければ依存、倒錯不能、ということを示します。自由という認識も不要です。

No.327 - 2008/02/12(Tue) 21:06:56

Re: 自分 / hato


>  hatoさん、前回はゴメンナサイ。悪い唯我独尊状態(自己中ともいう)でした。


こちら、とんでもないです!
大好きのりさんになんでご挨拶申しあげなかったのかと、
後悔しちゃっていました。
お声をかけて下さって嬉しいです。
ありがとう、ございます。


>  “自分”“自我”“自己”なんと名付けようと私にとってはいいのです。ただそれに引きずり回されなければ良し、という段階です。
>  “愛”これは各人各様の感覚があると思います。ただ、“愛する”と思ったら、その瞬間“愛”では無くなるような気がするのです。理解するものを一つづつ理解して行きたいと思ってます。“愛について”も理解したいテーマです。



ああ、もう、本当にわたしは学ぶしかありません。


知らない、

というとき、
同じ言葉を使ってみても、
ubik0101さんのそれとは、深度が違います。

でも、なぜ、皆それがわかるのでしょう?
なぜ、ubik0101さんの言葉の深度は、深い、深い、
と了解されるのでしょう。



わたしが子供の頃、読んでいたブルーナさんの
雪の日のうさこちゃん
のなかのお話をここに贈ります。



みどりの野原に
ゆきのような
まっ白い
たまごがおちていた。


いったい
だれの
たまごでしょう。



だあれも
それを
しりません。

No.328 - 2008/02/13(Wed) 00:14:06

Re: 自分 / のり
> いやぁ、僕はお茶目じゃないと思うんですが。
> うびさんはお茶目です。

ウビさんはお茶目+チョッと意地悪で知的に遊ばれてます。

> 1「自分に引きずりまわされない為には、どうすれば良いのでしょうか?自分を発生させている原因を探って、それを捨てていけば、よいのでしょうか?色々あるのでしょうか?」
うっ、どうしているのでしょう。未だ模索中ですが色々な変遷がありました。

> 2「"愛する"と思った瞬間"愛"で無くなる、は、どうしてでしょうか?」
> 前にのりさんが人は人を愛せない、愛が伝わるだけ、と書いていましたが、僕もそんな気がします。

そうでしょ、そんな気がしますでしょ。例えば“あの愛”で人が人を愛せないと思います。愛そう、何かしよう、というのは愛とちょっと違う気がします。でも自分が“愛”で居れば隣人には伝わるのではないか、本質が“愛”でいれば、そこから表出する行動は“愛”以外にはならないのではないか、と思います。それは相手が誰であろうと自分の状態ですから相手は選びません。
伝わるためには、隣人である必要があると思います。

時間がありませんので、両方もう少し観て見ます。

No.331 - 2008/02/13(Wed) 12:53:42

Re: 自分 / のり
> いったい
> だれの
> たまごでしょう。
> だあれも
> それを
> しりません。

うっ、これも深い深い!その風景にのめり込みそうです。“だあれも知らない”は無限の世界に引きずり込まれそうです。

hatoさん、こんにちは。家にもブルーナさんの絵本、何冊かあります。真っ青とか真っ赤な表紙のチョッと小さな絵本ですね。チビたちはコレを読んで広がっていくのですね。

> ああ、もう、本当にわたしは学ぶしかありません。
一緒に学んで行きましょう。
>
> なぜ、ubik0101さんの言葉の深度は、深い、深い、
> と了解されるのでしょう。

私の場合了解できないので、届かないので、“深い”です。
私の中でウビさんの知らない、は自覚しない確認しない、
に似ています。皆さんはどうなのでしょう。

すみません。忙しく、多分暫くお返事できません。私の場合いつもこうですのでご容赦の程お願い致します。

No.332 - 2008/02/13(Wed) 13:09:47

Re: 自分 / hato



> 私の中でウビさんの知らない、は自覚しない確認しない、
> に似ています。皆さんはどうなのでしょう。




それは、差がない、ということでしょうか。



けれど、
まだまだそもそも日常、苦が苦です。
問題が問題です。
逃れたいのです。
そんなところにいます。
それ以外のところがあるのでしょうか。
まだ、これ以外に言葉がみつかりません。


> すみません。忙しく、多分暫くお返事できません。私の場合いつもこうですのでご容赦の程お願い致します。


こちらこそ、
そんな風に言わせてしまってすみません。
それでもまた、
共に学ばせてください。

No.340 - 2008/02/14(Thu) 23:13:28

Re: 自分 / のり
hatoさん
> > 私の中でウビさんの知らない、は自覚しない確認しない、
> > に似ています。皆さんはどうなのでしょう。
>
> それは、差がない、ということでしょうか。

ちょっと飛んで、つかめませんが、
ウビさんの知らない、は私なりには、
知ってても知らない。知ってると依存になる。知識、固定観念、言葉にできる全ての事を手放す、という感じです。

> けれど、
> まだまだそもそも日常、苦が苦です。
> 問題が問題です。
> 逃れたいのです。
> そんなところにいます。
> それ以外のところがあるのでしょうか。
> まだ、これ以外に言葉がみつかりません。


問題とは“在るべき姿”とのGapみたいです。
自分の中に“在るべき姿”“こう在りたい”があると問題が問題です。苦が苦です。のような気がします。
怒りも同じ感じです。前に怒りをじっくり見ましたら、自分の中に“在るべき姿”とそうでない姿とのGapがあり、自分を怒ってました。他の人がやっているのでしょうが、実は同じモノが自分の中に在るようです。そうでなければ、感じるコトができないようです。 でも、それも想像みたいです。 
 キチンとしている人は“在るべき姿”にガンジガラメ
にされ易いので、これを退治していくといい気がします。

あっ会議に遅れる〜、

No.341 - 2008/02/15(Fri) 09:23:11

Re: 自分 / hato


> 問題とは“在るべき姿”とのGapみたいです。
> 自分の中に“在るべき姿”“こう在りたい”があると問題が問題です。苦が苦です。




本当です、本当です、

そこがずっと問題です。
のりさんと図書館閲覧者さんのお話のように、
逃避しよう、とすることが問題です。


これの場合は、静けさ、への依存があるかもしれません。
そこだけは守りたい、があるかもしれません。
静けさ、がなにかを、知っていることにしているかもしれません。
その極端さ、頑固さを、
形を変えて隣人に投影していることがわかります。
この仕組みをどこかでは了解していても、
未熟な位相の意識の固まりが、反応します。


たとえば、
渋谷の喧噪のなかと、どこか美しい場所が、共に「なにか」でないならおかしいだろう、
とずっと思っていました。
大抵の音のなかでも、身体は疲れるけれど、わりと平気かもしれません。
けれど、静かであることはよい、という思考が、個人的な身体反応に便乗して、結局は独善的なあり方をよし、としているのかもしれません。
べつにきっと喧噪だって、いやではないから見えるでしょう。
結局は思い通りにしたい、だけでしょう。


隣のおやじとこいつは、同じです。
ちょっと、おかしいほど、正に隣人です。
世界はわたしがそこを理解するまで、
そうしてくれています。
おやじの愛かもしれません。
そう思いながら、幾度となく、その音と共にいました。
音がわるいわけではありません。
音がわるいわけではありません。

が、まだ、完全ではありません。
そうです、
自分と思う自分を、それは常に身体に依拠していますが、
守ろうとするのです。



> でも、それも想像みたいです。 


きっと皆さんのように在ること、
ほんとうに、素晴らしいと思います。



>  キチンとしている人は“在るべき姿”にガンジガラメ
> にされ易いので、これを退治していくといい気がします。



独善的でちいさいのです。
すぐにパニックになるような未熟さが、まだあります。
ここでそれが、
なくならなくても、振り回されなければよいと学びました。


> あっ会議に遅れる〜、


うう、本当にすみません、
ありがとうございますのりさん、ubik0101さん、皆さん。

No.355 - 2008/02/17(Sun) 12:13:37

Re: 自分 / hato

今日は、たくさん眠りました。
すこし、静かな日でした。


> 隣のおやじとこいつは、同じです。


読み返してみて、これは違いました。
同じ、という字の色がほんの少し違ってみえました。
すみません、ありがとうございます。


わたしが彼に自分を投影しているだけでしょう。
それを忘れたら、いけないでしょう。


それから

あの、ディック・ブルーナさんのお話ですが、

ゆきの日のうさこちゃん、ではなくて

ふしぎなたまご、だったようです。

あのとき、意味をあまり考えないで、書いてしまったのですが、少し不適切だったかもしれません。
すみません。

No.356 - 2008/02/17(Sun) 23:15:17
飲酒について / kok
久しぶりに投稿させていただきます。
新しい掲示板が登場してから、そして年が明けてからは初めての投稿になりますが、さすがに時機を逸してる感がたっぷりですので、新年のご挨拶は遠慮させていただきます(笑)。

今回は、以前ubik0101さん(次からは、うびさんと呼ばせてください。ちょっと照れますが、いい響きですね。)とメールでやりとりさせていただいた際、「そのうち掲示板に投稿します」と書いた題材について書きたいと思います。もうかれこれ2ヶ月以上経ってしまい、あまりのスローペースっぷりで恐縮ですが、、、

そもそもこの題材について書こうと思ったのは、うびさんも普通に酒を飲むことがあるというのを読んで、すごく意外に思ったからでした。覚者も酒を飲むのか!?という感じに(笑)。

食事せずに生きていくことはできないとしても、酒を飲まずに生きていくことは全然できるでしょうから、飲酒は自然なことではない、故に覚者は酒を飲まないはずだ、という観念があったのだと思います。でも考えてみれば、散歩したり音楽聴いたりすることも、生きていくのに必要不可欠なことではないな、そういえば、、、と後で思いました。意思(欲望が強められたものとしての)が無いとしても、それらの必要不可欠ではないことを、自然にすることがあっておかしくはないな、とも思いました。

確かに酒を飲むと、美味しいと感じたり、陽気になったり、眠くなったりします。そして飲みすぎると気分が悪くなったりします。心理的にも肉体的にも、いろんな影響があります。酒は百薬の長とも言われますが、ひょっとしたら、少なくとも体には負担がかかっているだけなのかも知れません。免疫のような仕組みで、ある程度の飲酒なら内臓の機能が高められたりするのかも知れませんが、、、

どんなことも度が過ぎると苦しかったり害になったりしますが、飲酒もそれらと同じなのかなと思いました。習慣になったり依存したりするようだと確かに問題ですが、酒を飲むことそのものは問題ではないのかなと思いました。

最近、自分で問題にしてしまう事自体が問題なのであって、飲酒そのものは全く問題ではないのかな?とも思いました。単に、飲むか飲まないかすればいいだけか、、、と感じた今日この頃です。

(最初は食事についても書こうと思っていたのですが、飲酒について書いたら、特に改めて食事について書くこともないかな、と感じましたので、今回は省略します。)

No.318 - 2008/02/11(Mon) 21:51:32

Re: 飲酒について / ubik0101
ひさしぶりです。このころは蕎麦ばかり茹でています。洗う水が冷たいからです。

そういえば、素麺も大好物です。どんぶりに、ふつうに茹でた素麺と、つゆと、たっぷり大根おろし、小ネギを散らします。 たっぷりキュウリおろし、も絶品です。

ところで、ぺティナイフを、粒度1000番の中仕上げ用の砥石で磨いでみました。シャカ、シャカ。おなじ角度を保つだけのことで、思ったより簡単でした。自分で料理するなら、お薦めです。

そういえば。たまたま見た禅寺のHPに、酒は禁止です。でも、初めから寺の門の内にある酒は、かまわない。という意味不明なことが書いてありました。たぶん、門も内も外もない、ということかもしれません。

No.319 - 2008/02/12(Tue) 09:02:02

食事について / kok
う、うまそうですねぇ、、、
冷えた蕎麦、そして素麺と、さっぱりとしたつけ汁。水の冷たさが絶妙に効いて、意外な冬の絶品料理って感じです。まさに目から鱗ってやつです。是非、次の休みにチャレンジしてみます。

それにしても、うびさんはお洒落で器用ですね〜!グローバルのぺティナイフ、ちょっとネットで検索してみましたが、デザインが凄くかっこよくて、なによりも切れ味鋭そうで、料理が楽しくなりそうでした。

> そういえば。たまたま見た禅寺のHPに、酒は禁止です。でも、初めから寺の門の内にある酒は、かまわない。という意味不明なことが書いてありました。たぶん、門も内も外もない、ということかもしれません。

↑思わず吹き出してしまいました(笑)。これも公案というやつなんでしょうか?ほんとに面白い表現ですね。

食事について、やっぱりちょっと考えた事を書いておくと、もし石とか土を食べて生きていけるとしたら、それはどうなんだろう?とか、ふと考えた事がありました。動物も植物も、普段食べているものは前提として殺生が伴う気がするけど、石とか土を食べる場合はどうなんだろう?と考えてたら、生き物とは何なのかが分からなくなりました。

No.329 - 2008/02/13(Wed) 00:24:48

Re: 飲酒について / ubik0101
>↑思わず吹き出してしまいました(笑)。これも公案というやつなんでしょうか?ほんとに面白い表現ですね。

きっと知的に遊んでるのでは、と思います。しかも、酒が飲める、酒が飲める、酒が飲めるぞー「日本全国酒飲み音頭」なのでしょう。

やっちゃ駄目ですよ。なんか怪しい雑誌で、泥鍋というのを読んだことがあります。江戸時代、死刑囚に、鍋で泥を煮て、その上澄みだけを飲ませて。どのくらい生きるか実験したことがあるそうです。

それで何ヵ月間は、大丈夫だったという話です。関東ローム層の土なので、栄養があるとか、だったような気がします。事実でないかもしれません。

そういえば、食べ物が、食べ物を、食べてる。kokさんの年齢の頃、思ったことがあります。

No.330 - 2008/02/13(Wed) 08:05:22

Re: 飲酒について / kok
> やっちゃ駄目ですよ。なんか怪しい雑誌で、泥鍋というのを読んだことがあります。江戸時代、死刑囚に、鍋で泥を煮て、その上澄みだけを飲ませて。どのくらい生きるか実験したことがあるそうです。

な、なんと、、、
胃腸が丈夫な方ではないですし、多分試してみる事はないと思います(笑)。

> そういえば、食べ物が、食べ物を、食べてる。kokさんの年齢の頃、思ったことがあります。

なるほど。なんか普通に考えるとオドロオドロしい表現になってしまいますが、全ては「共食い」とも言える、といったところなのでしょうか、、、

「食べ物が、食べ物を、食べてる」この言葉を読んでなぜか、前に「虚無宇宙からの伝言」サイトで読んで、吹きだしてしまいつつも、むぅと唸ってしまった言葉、「川の傍に生えた草を、あなたはその川のものだと思うだろうか?あなたの個性と呼ばれるものは、たまたまあなたという場所に生えた草のようなものだ。」(こんな感じだった気がします)を思い出しました。

No.336 - 2008/02/13(Wed) 22:27:31

Re: 飲酒について / ubik0101
>前に「虚無宇宙からの伝言」サイトで読んで、吹きだしてしまいつつも、むぅと唸ってしまった言葉、「川の傍に生えた草を、あなたはその川のものだと思うだろうか?あなたの個性と呼ばれるものは、たまたまあなたという場所に生えた草のようなものだ。」(こんな感じだった気がします)を思い出しました。

その言葉は。この自分に、たまたまの、この個性。そんなことを誇ったり執着したり、厭ったり蔑んだりしてもしょーがない。という意味にとれます。

しかし、自分が自分と思う自分、でないことを見たことの表明なのでしょう。 サイト「虚無宇宙からの伝言」は、すこしだけ読んだことがあります。

No.337 - 2008/02/14(Thu) 09:24:17

個性は草のようなもの / kok
自分の場合、あくまでこの言葉の意味を思考してしまってるだけなんだとは思いますが、何か凄く痛快で、非常〜に気に入った表現でした(笑)。

いったい誰が覚者なのか?そんな事はどうでもいい事のような気がしますが、個性が草のようなものならば、いわゆる悟りの状態にある存在に個性を感じるとしても、全くおかしくはないな〜と思いました。確か、うびさんがどこかで書かれていたように、失っても無くなるものは何もないのかもしれないな、と考えました。そもそも、誰が何を失うのか、全然分かりません。

No.346 - 2008/02/15(Fri) 21:21:27

Re: 飲酒について / ubik0101
>そもそも、誰が何を失うのか、全然分かりません。

そうですね。 これは、とても気持ちのいい言葉です。

それはともかく。否定の道を歩くとして。たとえば善悪の概念を理解すると、それは機能しなくなり、意識されなくなります。失われます。けど、その人は、悪をしなくなるでしょう。

もし、たとえば善悪の概念が、意識されなくなるだけなら、悪をする可能性があります。つまり理解した善悪の概念は失っても、無自覚だけど活動してる。無くなりません。という意味でもあります。

そうなら人が生まれつきそうだ、というように、理由なく、そうです。嘘をつかず、嫉妬せず、素直です。なにか行動、発言、思考してても、してなくても、そうです。また、そうでないと苦痛だ、理解が無意味になる、とかの理由があっても無問題です。

また。どんな人でも、その自分を知ろうとすることができます。善悪、傲慢、謙譲、怠惰、努力。否定、肯定。なんでもいいのです。どんなことでも、自分を訓練する負荷として機能するだけです。それを人は活用するだけ、という意味でもあります。それら負荷は、意識できますが、自己は意識の対象になりません。

もしかして、その意識できない自己には個性はないのか?と空想すると、却って自分や、ほかの人の個性が、強調されて見えるのかもしれません。嘘をつかず、嫉妬せず、素直なこともまた、個性と言えないことはないと思います。

No.350 - 2008/02/16(Sat) 11:11:14

Re: 飲酒について / kok
うむむ、、、難しい。

ただ、最近は「否定の道」というよりも、「分からないということの肯定の道」を歩いてしまっていた気がします。特に前回の投稿での「誰が何を失うのか、全然分かりません。」という言葉なんかを見返すと、自分の思考の予定調和的な気配を感じました。

また最近は、「否定の道」を歩く原動力に対して、「自分」で安全装置をつけてしまっているという意識もありました。うびさんも書かれていたように、「引き返すことのできない過程」という事が、何か物凄く差し迫って感じられることが度々あり、その恐怖が、あたかもお仕着せの「否定の道」を歩かせているような感覚がありました。命綱を、しっかりとどこか「中心」にくくりつけて。

これは無意識の自我の働きってやつなんでしょうか?自我があると思い続けるための。

まずはここらへんをじっくりと解体してみる必要がありそうです。あ、最初の投稿内容からかなりずれてしまったので、次回からは別投稿にしますね。

No.352 - 2008/02/16(Sat) 14:49:10

Re: 飲酒について / ubik0101
?がついてるので、これにも返信します。

>これは無意識の自我の働きってやつなんでしょうか?自我があると思い続けるための。

なんであれ、ちらっとでも、そうかもしれないと思うなら、自分は、そうだとして探査しました。まったくそうでないなら、そんなことは思いもしないと、思ったからです。

No.353 - 2008/02/16(Sat) 18:44:34

Re: 飲酒について / kok
上で書いたことと食い違いますが、今回の一連のやりとりを一旦完結させるため、返信として続けて書かせてもらいます。

うびさん、ありがとうございます。確かにその通りですね。少しでも気になることがあったら、ひたすらそれを考えつくしてみるしかないですね。どうやら、またもや、サボろうとしてしまったようです。

No.354 - 2008/02/16(Sat) 19:28:39
続き / 大阪
うびさん

>そのことは。知ってることには依存、倒錯できる。知らなければ依存、倒錯不能、ということを示します。自由という認識も不要です。

最初の表現のほうが、僕には分かりやすかったです。
何か、世界や自分がなんであるか知りません。
重力が気持ち良いです。
知らないのって、自由。
自由であることも知らない。
じゃぁ、何を知ってるのかって。
そんなこと聞くあなたには、熱い熱い愛のスープをぶっかけてやりたいです。

No.333 - 2008/02/13(Wed) 13:30:28

Re: 続き / 大阪
のりさん

>そうでしょ、そんな気がしますでしょ。例えば“あの愛”で人が人を愛せないと思います。愛そう、何かしよう、というのは愛とちょっと違う気がします。でも自分が“愛”で居れば隣人には伝わるのではないか、本質が“愛”でいれば、そこから表出する行動は“愛”以外にはならないのではないか、と思います。それは相手が誰であろうと自分の状態ですから相手は選びません。伝わるためには、隣人である必要があると思います。

なんてこった。
全く同じことを考えていました。

こないだ色々あって、それを、付き合っている彼女に言ってしまいました。
「人が人を愛すなんか、多分無理。仏教ではそんな愛を執着って呼ぶけど、その通りと思う。愛が愛してくれるしか出来へん。だから、愛してる、とか言われてもホンマかい、って思う。でもそれはむなしいことじゃなくて、有難いことと思う。」
でも次の朝、横で寝ている彼女に、「愛してる」といいました。
欲望でも執着でもなく、きっと心から?でもなく「愛してる」と言えたのです。それが嬉しくてたまりませんでした。

うびさんが「愛してる」の投稿をされる少し前のことなんです。

しかしそれ以来、彼女は僕に「愛してる」と言ってくれなくなりました。

No.334 - 2008/02/13(Wed) 13:49:00

Re: 続き / ubik0101
> 最初の表現のほうが、僕には分かりやすかったです。
> 何か、世界や自分がなんであるか知りません。
> 重力が気持ち良いです。
> 知らないのって、自由。
> 自由であることも知らない。
> じゃぁ、何を知ってるのかって。
> そんなこと聞くあなたには、熱い熱い愛のスープをぶっかけてやりたいです。


うん。大爆笑です。伝わります。

No.335 - 2008/02/13(Wed) 14:04:26

Re: 続き / のり
大阪さん
> なんてこった。
> 全く同じことを考えていました。

やっぱり!そうな感じでした。

で、どうしたら“愛”で居られるのでしょう。
どうしたら“幸せ”で居られるのでしょう。
アレやコレやをするのが“愛”ではなく、“愛”で居ればアレやコレやが“愛”です。
アレやコレやをするのが“幸せ”ではなく、“幸せ”で居ればアレやコレやが“幸せ”です。
そんな気がします。
で、どうしたら“幸せ”で居られるのでしょう。

No.338 - 2008/02/14(Thu) 17:20:36

Re: 続き / ばん
大阪さん、のりさん、こんにちは
> で、どうしたら“愛”で居られるのでしょう。
> どうしたら“幸せ”で居られるのでしょう。
> アレやコレやをするのが“愛”ではなく、“愛”で居ればアレやコレやが“愛”です。
> アレやコレやをするのが“幸せ”ではなく、“幸せ”で居ればアレやコレやが“幸せ”です。
> そんな気がします。
> で、どうしたら“幸せ”で居られるのでしょう。


私も同じ事を知りたいです。
なんかイイとこまで来ていそうな気がするんですがいろんな疑問、残響のような自我に巻き込まれてしまう。

No.339 - 2008/02/14(Thu) 18:27:55

Re: 続き / のり
> いったい
> だれの
> たまごでしょう。
>
> だあれも
> それを
> しりません。

No.342 - 2008/02/15(Fri) 09:27:51

Re: 続き / 大阪
のりさん

のりさんの考えられたことが、どれだけ僕と同じであるか、どれだけ共感しているかを投稿しようとして、やめました。

どれだけ多くの人が、そんな愛を知らず、知ろうともせず生きていることか。
それだけに、それを共感できることが、いかに特異であるか。

でも、そんな素晴らしい共感は、いりません。

そんな愛を、捨ててしまいました。

そんな愛を見て、知ってる自分を捨ててしまいました。

沢山の人が知らない愛を知っている、という自分を捨ててしまいました。

沢山の人が知らない真実を知っている、という自分を捨ててしまいました。

No.343 - 2008/02/15(Fri) 13:41:50

Re: 続き / 大阪
ばんさん

僕の場合。


人の知らないことを知っていると思っていました。

人が探しているものを持っていると思っていました。

勿論どんな優劣もないけど、自分は優れていると思っていました。

あの体験をして真実を知って、愛を見た自分がいると思っていました。

テレビに出て真実をとても上手く紹介したりして、有名人になる自分を空想しました。

とても稼いで大金持ちになって、それでいてそのお金を、みんなに良い使い方をする、愛される人になることを空想しました。

真の音楽を作って、貧しくてもそれで生活する自分を空想しました。

どんな人とも会話でき、相手の心を見抜いていて、とても上手く真実を知らせることのできる自分を空想しました。

社会でみんなが持つ煩わしさなんかと無関係な自分を空想しました。

偉大な覚者に「君は凄い」などと言われることを空想しました。

大きく間違って、誰かに真剣にお詫びすることはないと思っていました。


でも、そんな自分、本当は、いません。
そんなことして守ったり喜ばせる必要のある自分なんて、本当は、いません。
なのにいると思うのは、欲望か無知か何かだと思います。

No.344 - 2008/02/15(Fri) 19:36:51

Re: 続き / 大阪
>でも、そんな自分、本当は、いません。
>そんなことして守ったり喜ばせる必要のある自分なんて、本当は、いません。
>なのにいると思うのは、欲望か無知か何かだと思います。


スミマセン、コレ、正確じゃないです。
訂正します。

そんな自分、いると知りません。
そんな自分、いないと知りません。
そんなことして守ったり喜ばせる必要のある自分なんて、いるか、いないか知りません。
なのにいると思うのは、欲望か無知か何かだと思います。

No.345 - 2008/02/15(Fri) 21:00:08

Re: 続き / ばん
私もそうです。わたしは肉体的、精神的苦痛のなかでもうだめだ死ぬしかないと毎日思っていた時あの体験が起こりました、もう死しかないどうにでもなれという私という存在の完全明け渡し状態この状態にどうしてもなれないのです。
大阪さんの言われるように人のしないような体験をしたという優越感や自分の生きてきた中での体に染み付いたエゴなどでてきてそれに巻き込まれて自分でないものを自分と思って苦しむでもその自分でないものを忘れきることができない
たぶん、私の場合あの体験を完全理解していない苦しみもあると思います。
でも、気楽に行こうと思ってます子育て真っ最中でもありますし仕事もありますし、では

No.347 - 2008/02/16(Sat) 08:56:03

Re: 続き / ばん
音楽がすきなのですね、おすすめのcdとか教えてください私はいつの間にか家にあったダニエル・コビアルカという人のCDをよく聞きますからだがとけそうな曲です
No.348 - 2008/02/16(Sat) 09:18:44

Re: 続き / ばん
> 音楽がすきなのですね、おすすめのcdとか教えてください私はいつの間にか家にあったダニエル・コビアルカという人のCDをよく聞きますからだがとけそうな曲です

とけそうの表現が変なのでかっっこよく愛の炎で昇華されそうな曲ですに変更します

No.349 - 2008/02/16(Sat) 09:29:49

Re: 続き / 大阪
ばんさん、おはようございます。

> 私もそうです。わたしは肉体的、精神的苦痛のなかでもうだめだ死ぬしかないと毎日思っていた時あの体験が起こりました、もう死しかないどうにでもなれという私という存在の完全明け渡し状態この状態にどうしてもなれないのです。

この状態にどうしてもなれない、というのは、またその状態になろうとしているということですよね。
もう、その私完全明け渡し状態になる必要はないと思いますよ。

> 大阪さんの言われるように人のしないような体験をしたという優越感や自分の生きてきた中での体に染み付いたエゴなどでてきてそれに巻き込まれて自分でないものを自分と思って苦しむでもその自分でないものを忘れきることができない
> たぶん、私の場合あの体験を完全理解していない苦しみもあると思います。


昨日の僕の投稿ですが、何か、変なんです。しっくりこない、嘘をついてるような気がしてしまいます。聞き流しておいてください。すみません。

> でも、気楽に行こうと思ってます子育て真っ最中でもありますし仕事もありますし、では

そうだったんですか。子育て真っ最中でしたか。

ダニエル・コビアルカ知りませんでした。
愛の炎で昇華されそうな曲、とは楽しみです。ありがとうございます。

最近流行っている、アフリカの民族音楽はオススメです。
ピグミー族のCDを持っています。フィールド録音で、森の中とかで録音してるんですが、鳥とか獣と一緒に、人も鳴いています。とても美しいんです。

No.351 - 2008/02/16(Sat) 12:05:14
想念 / ばん
想念ってあると思いますか?
No.303 - 2008/02/09(Sat) 12:11:16

Re: 想念 / ubik0101
ネットで検索してみました。想念って、ふつうの言葉による思考のこととか、望みを叶えたい気持ちとか、カルマのようなこととか、一定しないようです。どういうことを言ってるのでしょう。
No.304 - 2008/02/09(Sat) 12:40:39

Re: 想念 / ばん
たとえばあの娘が好きだと思う想念によってその娘といつか結ばれるという事があるのかなと思ったりしました。
すいません意味不明な質問で
それとカルマってどういうことを言うのですか?

No.305 - 2008/02/09(Sat) 14:01:46

Re: 想念 / ubik0101
>たとえばあの娘が好きだと思う想念によってその娘といつか結ばれるという事があるのかなと思ったりしました。

まず、なにも思わなければ、結ばれる可能性が、ほとんどないと思います。そして。結ばれたくないと思えば、離れるなどして、結ばれることは、まずないでしょう。それで、あの娘と結ばれたいと思えば、とりあえず接近したり努力したりして、結ばれる可能性ができます。けど、必ず結ばれる、ということはないでしょう。

この世界では、100人が、あの娘と結ばれたいと願っても、100人全員が不可能なのは当然です。でも誰かは結ばれるかもしれません。それで結果的に100人に1人は、思いが実現した、が事実になるだけと思います。100人に1人くらい当ればいい、という考えかもしれません。誰もが実現困難なことを、願うだけで、実現するということなら、無理と思います。それなのに願えば叶うというなら、欲望の機能を助長する考えと思います。

>それとカルマってどういうことを言うのですか?

業とも、言われているようです。たとえば今の世で、なにか良いことがあったのは、なにか前世に人に良いことをしたから。悪いことがあったら、前世で人に悪いことをしたから。

また。今の世で、人に良いこと悪いことをしたら来世に反映される、という考えではないかと思います。因果とか、因縁とも言われるかもしれません。そういうことは考える必要はないと思います。

No.306 - 2008/02/09(Sat) 15:13:23

Re: 想念 / ばん
そうですね。前にうびさんは主の祈りをする書かれてましたが我らの父とは神様のことですよね、うびさんは宗教に属してますか?
No.307 - 2008/02/09(Sat) 15:47:52

Re: 想念 / ばん
すいません。自分で読み返して笑ってしましました。仏教ですって答えたえてたらつっこみいれるとこでした。
質問は神様を信じていますかという事です。

No.308 - 2008/02/09(Sat) 16:02:53

Re: 想念 / ばん
暇なので書きます。なぜこんな質問かというと避けられない苦しみの受容のしかたを聞きたくてもし神様を信じていれば神のなすままというのが使えますよね信じていないとするとその代わりの何かがあるのかなと思いました。
No.309 - 2008/02/09(Sat) 16:23:48

Re: 想念 / ubik0101
神。そのことを実在と呼んでいます。人が信じても実在は、実在です。信じなくても実在は、実在です。つまり信じることにも、信じないことにも無関係に実在です。それは人が信じるから、ある、のではなく。信じないから、ない、のではありません。

この世界で生じる苦痛は、この世界で解決するしかないと思います。

No.310 - 2008/02/09(Sat) 16:29:55

Re: 想念 / ばん
> 神。そのことを実在と呼んでいます。人が信じても実在は、実在です。信じなくても実在は、実在です。
私たちが神なのでしょうか?
神が私たちをつくったのでしょうか?
言葉の理解の問題でしょうかうびさんのいうこの世界とは実在とは教えください。

No.311 - 2008/02/10(Sun) 11:06:43

Re: 想念 / ubik0101
この世界とは、物質、身体、感覚、感情、意識です。それは人、と同義語です。これは、たとえば世界と人、人と人には、完全な分離も融合もないという前提。また、総ての構成要素は、ある、ない、どう言っても誤り、という前提があります。

仏陀の言葉では、眼や耳などの、感覚器官と、見る聞くなどの感覚と、その対象の、たとえば花や鳥や風や月。そして意識と、その対象の、たとえば感情や思考。それで、一切です。ほかのことは虚偽と言われます。

なんにしても、それらのことは縁起、依存関係によって生じます。そして依存関係は、依存関係という概念も、観念も、存在するものとしては認めません。しかし、依存関係も、ひとつの世界観かもしれない疑いはあります。けれど人が成長するための仕組みとして、充分に機能します。

そして自己、愛、神・実在は、その依存関係の、範疇にありません。また誤ることのできる意識の範疇にありません。それだけのことです。たとえば、私たちが神とも、神が私たちを創ったとも、私たちが神を創ったとも、考えるなら空想です。

たぶん。人が自分で自分を創ったのなら、神です。聖書では、 人をつくった、それが神の定義と思います。それは自分としては好みです。

No.312 - 2008/02/10(Sun) 12:51:17
愛について / peer
続きます。

potanpotanさん

>> 「いいことをしてあげられて良かったな」と相手は、思う。
>> もっと、もっと、人の為になることをしよう。と思うでしょう。


>そうですねえーー
>「人のためになる」といっても、「自分のためが根本」ですから、
>あんまり、人のためにならないことも多いですね。
>相手が見えていませんから、間が悪かったり、かえって迷惑だったり・・


う〜む。こういう話が、私はとても楽しい〜♪

おだてられて、持ち上げられて。もっともっと・・・
相手がそういう気持になっていくと、してあげられる事を探しはじめる
かな、と思います。
そこからじゃないかしら。
「何をしたら、その人のためになるのだろう」って。

そういう人の行為を、見ていて。
沢山〜気付かされることが、あります。

No.276 - 2008/01/30(Wed) 11:37:05

Re: 愛について / peer
ばんさん。

>情けない自分、懺悔ばかりの自分、その自分が苦しみのもと
>(その自分=苦しみ)その自分は幻想なのではないでしょうか、
>(あらゆるものと一体の自分)という自分でみてみると
>すべてのものは平等だと思うので、誰かと比較して情けなく
>なったりすることはないのではと思ったりしました。


何かと比べて、自分は〜とは、思いませんよ。
自分の中を、よくよく見て行くと、「どうしようもない自分」
というものが・・・あるんです。
また、それがあるから「もう、これでいい」というコトも
ないような気がします。
頭では理解している事が「あー、これなのか」「そうなのか」と
何かの拍子に気付く。
自分は、まだまだ〜だなぁー・・・という感じかな。

No.277 - 2008/01/30(Wed) 11:44:38

Re: 愛について / peer
愛・自由・・ナントカ〜というのを読んでいて。

そこに、こんなものがありました。
「あなた自身を愛すように、あなたの隣人を愛しなさい」

まっ、つまり。このように愛せたならば。
特別なものはない。ってことなのでしょうね。
誰かを特別に「愛しています」ということは、あり得ない。
誰かを特別に「愛していない」ということも、ない。

No.286 - 2008/02/04(Mon) 12:03:56

Re: 愛について / ubik0101
たしかに。誰かを「特別に愛しています」。「愛していない」。ということは欲望に、愛と名前をつけて、呼び替えてるだけかもしれません。そうであれば、ここにはないのだけど、どこかにはあると、愛は空想されて現れるのかもしれません。

そんな、ここにない愛は、また相手に対する怒りとして、また憎しみとして、また慈しみとして、優しさとして「こんなに愛してるのに」と表現されるのでしょう。

そんな愛がない、人は、愛の実感を欲しがる、こともあるかもしれません。けど、愛は、どんな感情の一種でも、どんな概念でもありません。意識の対象ではありません。

ここで、愛を空想して肯定的に接近するのは、愛でないことを無理にでも愛と呼ぶのでなければ、雲を掴むような話です。 また否定的な接近も、なんの保証もないことは同じであり、直接の道は困難です。

どちらかだけなら片寄りであり、両方あっても、愛は、到来困難。しかし否定的な接近も、肯定的な接近も、愛は、無関係に、関係するのではないでしょうか。ただ愛が人に訪れるのではないでしょうか。愛は、愛です。

この世界では。なにか困ってる隣人がいれば、たとえば相手を好きとか嫌いとかに関わっても関わらなくても、助けることができます。そのように愛は、実感があるからあるのでもなく、実感がないからないわけではない、と思えます。

愛は、愛であり、ほかのどんなことでもありません。だから、どんなことでも愛と、言えはします。なんであれ愛が訪れたら、人は変質すると思います。

No.287 - 2008/02/04(Mon) 18:54:20

Re: 愛について / peer
う〜む。

頭がバカだからか、なんとなく、わかるようなわからない。
ような。ボンヤリした感じ。

「あなた自身を愛すように、あなたの隣人を愛しなさい」

この言葉の面白いところは。
「愛しなさい」というところ。
「愛したらいいですよ」でもなく。
キッパリすっきりと「・・しなさい」なのですね。

愛がこういうものだ、と分かっている人に向けて
こんなことは、言わないでしょう。言う必要はないでしょう。

隣人を愛そうとしたら、愛がどんなものか、分かりますよ。
と言われているような気がするんです。

No.288 - 2008/02/05(Tue) 00:20:28

Re: 愛について / ubik0101
> 「あなた自身を愛すように、あなたの隣人を愛しなさい」

> この言葉の面白いところは。
> 「愛しなさい」というところ。
> 「愛したらいいですよ」でもなく。
> キッパリすっきりと「・・しなさい」なのですね。


うん。愛の命令です。

> 愛がこういうものだ、と分かっている人に向けて
> こんなことは、言わないでしょう。言う必要はないでしょう。


> 隣人を愛そうとしたら、愛がどんなものか、分かりますよ。
> と言われているような気がするんです。


そうです。鋭いです。人に愛が訪れる方法です。まず、どういうことが自分を愛すことか、を徹底的に探りました。どういうことでもないと気がつきました。それが始まりでした。

No.289 - 2008/02/05(Tue) 07:01:45

Re: 愛について / peer
どういうことが自分を愛することかを探ることが始り・・・。
どういうことでもない、ってどういう事なんでしょ。
探らなくても、普通、みな「自分を愛している」というような気がします。

>この世界では。なにか困ってる隣人がいれば、たとえば相手を好きとか嫌いとかに関わっても関わらなくても、助けることができます。

この「助ける」というのは、愛というワケでも、ないですね。親切かどうか・・・ってだけのことで。

No.294 - 2008/02/06(Wed) 00:00:06

Re: 愛について / ubik0101
>どういうことが自分を愛することかを探ることが始り・・・。
>どういうことでもない、ってどういう事なんでしょ。
>探らなくても、普通、みな「自分を愛している」というような気がします。


なんとなく自分を好きな気持ち、暖かい気持ちを、愛と呼ぶのでしょうか。なら、偽善者、搾取者、権力者、嘘つき、なども、自分を愛しているでしょう。それなりに友人、家族を愛してるかもしれません。そして誰もが成長途中なら、そういう生き方をする可能性があるでしょう。

それが愛だとして、そのように隣人を愛すとして、それは愛でしょうか。そうと自覚してなくっても、たとえば、偽善者の愛は偽善で、搾取者の愛は搾取で、権力者の愛は権力で、嘘つきの愛は嘘、卑下する人の愛は卑下で、意地悪な人の愛は意地悪・・・かもしれません。

そうでなく、優しい人なら、「自分を愛している」からといって、 ほかの人と自分を損得などの価値観で区別しない、自分を優先することはない。のかもしれません。また。みんな人は自分が好きだから、相手も相手を好き、それで相手の気持ちになってすること、また楽しい気持ち、それを愛と呼ぶなら、それに反論することは困難です。でも、それを愛と呼んだら、それまで。のような気がします。

けど。どんな、たとえば偽善者、搾取者・・・にも愛の種はあります。どうでしょう。愛は、人の成長の完成の第一歩、をもたらすのではないでしょうか。あるいは人の自我の完成を告げるために、愛は、訪れるのではないでしょうか。祝福。実在からの承認。それが訪れるのではないでしょうか。それが愛です。

> この「助ける」というのは、愛というワケでも、ないですね。親切かどうか・・・ってだけのことで。

きっと。愛によっても、愛によらないでも、おなじ「助ける」ができるかもしれません。この世界では愛は行動によっては証明不可能かもしれません。なにかをする、しないには、愛は、無関係かもしれません。それだから、かえって親切な気持ちさえ起こさず、かえって怒りながらも、人を助けることもできます。それは愛と呼べないかもしれません。どういうことであっても、「どういうことでもない」ではありませんか。

ところで。愛によって、また偽善、欲望・・・によって人を助けるなら。そのことで助けられた人が偽善、欲望に巻き込まれ・・・愛することができないなら、何の意味があるのでしょう。しかしなんであれ、どんなことにも無関あることも、関係ないこともなく、愛は訪れると思います。

No.296 - 2008/02/06(Wed) 10:27:35

Re: 愛について / peer
>なんとなく自分を好きな気持ち、暖かい気持ちを、愛と呼ぶのでしょうか。

う〜ん。自分を愛するというのは、トコトン愛すること、かなと思います。
自分が、偽善者、搾取者、権力者、嘘つき、でないから、愛する。というのとは、違いますね。
そうであっても、見捨てられない思い。が、自分を愛する。かな〜と。
こんなバカでズルイ自分だが、どうしても可愛い。みたいな。

>それが愛だとして、そのように隣人を愛すとして、それは愛でしょうか。

はい。そうなんですね。
ココでいう隣人とは、もう〜「アクマだー」と思えるような隣人かもしれません。
折角、イラクの悲惨な状態にあって見捨てておけない、と思って入国した善意の人の、クビを切っちゃう人が、隣人かもしれません。しかし、それでも、愛し続けてごらん。・・これが、隣人愛。

状況が変われば、悪魔に豹変するかも知れないのが、人間ですよね。それをトコトン、自分のように愛してごらん。との神の言葉。と私は感じるのですが。
それはまた、まったく報われることなど考えられない愛です。
ただただ、ひたすら、相手をいとおしむ。

No.297 - 2008/02/06(Wed) 12:09:17

Re: 愛について / ubik0101
まず愛があるなら、その話の前提になってる、偽善者、搾取者、権力者、嘘つき、戦争、不可能です。自分が可愛い、欲望、執着を、愛と呼ぶこともありますが、無理がありそうです。

また、クビを斬られる人が、クビを斬る人を。クビを斬る人が、クビを斬られる人を、自分のように可愛く思う・・・事実そういう感情を持っても、愛と呼ぶのは困難です。

> ただただ、ひたすら、相手をいとおしむ。

それは修行になるかもしれません。ところでこの前、peerさんが、大阪さんのような愛を感じたことがあると、投稿したと思いますが、そういう愛なのでしょうか。

No.298 - 2008/02/06(Wed) 16:06:37

Re: 愛について / peer
私の意味する「愛」は、ubikさんの愛とは、別のもの、のような気がします。
私の愛は、母性的な愛。全肯定の愛の話・・・なんです。
その人の全部を肯定して、否定する所はひとつもない。そんな愛です。
そして、欲望でもなく、執着でもない、取り引きのない。

私は神秘体験など〜したこともありませんから・・・私自身、ごく普通の人間ですし。
だから、たぶん大阪さんの言うトコロの愛とも、違うかもしれませんね。

No.301 - 2008/02/06(Wed) 23:19:18

Re: 愛について / peer
そろそろ、この話も、終わりにしましょうか。

そう。大阪さんのような体験はしませんでした。
けれども、ある時、フット気がついたのです。
世界から全肯定されている・・と。人はすべて。
それを感じたら、もう欲望する必要もなく、執着する必要もなく、偽善者になる意味もなく、搾取したがる必要も・・・なにもない。

ですから「ただただ、ひたすら、相手をいとおしむ」も修行でなく、それも、そのままの延長なんです。

No.302 - 2008/02/07(Thu) 01:04:40
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