「人は傷ついたり傷つけたりすることがある。 それは、一生懸命生きていても、ダラダラと生きていても一緒や。人と関わって生きているなら。」
これは、朝の連続ドラマでのセリフ。 ふ〜む。 今まで、一生懸命に生きていてもダラダラ生きていても同じであることがあるなんて許せませんでした。
それが、何か、言ってる意味がわかる自分になっていました。
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No.439 - 2008/02/28(Thu) 09:15:25
| ☆ Re: 「ちりとてちん」に教えられ / ubik0101 | | | たぶん。一生懸命に生きなければ許せない・・・ということが、ルーさんを鍛える負荷になったのかもしれません。それは、もう役目を完成。
それで、生まれつきそうだったように、もう意識する必要もなく、「許すとか許さないとかもないほど許す」、そんな良い特質を得たのでしょう。
それは、ことさら、そうあろうとしなくっても、機能するようになってるのだと思います。
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No.440 - 2008/02/28(Thu) 09:58:47 |
| ☆ Re: 「ちりとてちん」に教えられ / ルー | | | そうですね〜。ありがとうございます。 ただ、そうなる前のことを忘れてしまうと、そうなっていない人と話が合わなくなるのは恐いです。 人生を旅にたとえるのは、よく耳にします。 何となく、「ああ、そういう感じがするなぁ」と思います。 汽車(古っ)に乗っていて、窓の外の景色を眺めていると、その場所を通っている時にしか、その景色は見ることはできないというような・・・
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No.441 - 2008/02/28(Thu) 12:10:16 |
| ☆ Re: 「ちりとてちん」に教えられ / ルー | | | ubikさんは、そうなっていない人と話が合わないということは、ないですね。 それは、中道であるからかな、と思います。
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No.442 - 2008/02/28(Thu) 12:12:29 |
| ☆ Re: 「ちりとてちん」に教えられ / ubik0101 | | | そのときしかできないことは、あると思います。たとえば、そのときの状態でしか、言えないことはあるでしょう。そして人は時代や環境によってさえも自然に変化していくので、避けられないのは変わりないかもしれません。
そんな、その時々の状態や言葉は忘れても、大丈夫です。 イエス・キリストの言葉「あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている」。なにもなくなることはありません。とくに良い特質、無明が転換した智恵は、まったくそうです。
そうなってない人と、話が合わないというより、ルーさんは、そんな人が必要としたら、その人のために働くことができるようになってるのではないかと。思います。
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No.444 - 2008/02/28(Thu) 14:23:04 |
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