[ 掲示板に戻る ]

過去ログ閲覧モード

(No Subject) / 大阪
ぼくも、うけました。

>ちょっと今、思ったんですが、笑いってなんでしょう、何で笑うのでしょう、自我のはたらきですかね?

それは、笑ってる時にしか分からない、だと思います。

No.361 - 2008/02/18(Mon) 20:22:49

Re: / ubik0101
こっちに続けます。

ルーさんって、ほんとに面白っ、です。
ところで、笑うって、自我とは無関係と思います。
ですが、自我が機能してる人が笑うなら、
それは自我が笑いによって表れた、
と印象されるかもしれません。

ところで。それを感じないから、それはないというわけではない、という理解が必要と思います。たとえば病気なのに、自覚症状がないから、健康。とは言えません。自覚症状がなくて、健康。との違いは、自覚できるできないに関わらず、事実です。

つまり自分には自我が自覚できないから、自分にはない、ということと、事実なくて、ない、ということとの違いがあります。その違いを理解できないのは、自分の思考は自分の思考が総べてであり、それを知ってる、という思い違いがあるかもしれません。

ほかの人が、どう見えるか、ということもあります。たとえば大きな声で指図したり、なにかに抗議する人は、自我が強い人と見なされることがあります。でも、それは、そう見えるだけということもあります。また逆に、自我なんて自覚してない静かな人が、そんなタイプの自我の人ということもあります。

No.363 - 2008/02/19(Tue) 09:44:21

Re: / 大阪
スミマセン、新規投稿で返事していました。

僕は、自己主張の為にあえて変な所で笑ったことがあります。ここで言われている「笑う」に入らないぐらい愚かな行為でしょうが。

うびさん
>つまり自分には自我が自覚できないから、自分にはない、ということと、事実なくて、ない、ということとの違いがあります。その違いを理解できないのは、自分の思考は自分の思考が総べてであり、それを知ってる、という思い違いがあるかもしれません。

うびさんがそんなに鋭いのは、ホントに自分を徹底的に見たからなんでしょうね。

最高の思考。それは「庭さきの柏の木」である、でない。どういっても誤るようです。

さらに、それがどういっても誤りであると。
うーん、知っています。

多分うびさんは、ココも知ってる知らない、どういっても誤り、なのでしょう?

No.368 - 2008/02/19(Tue) 12:31:09

Re: / ubik0101
それは、知識の問題、なのでしょうか。ならば、知識、が何か、知ってるでしょうか。
No.370 - 2008/02/19(Tue) 14:37:42

Re: / ばん
笑いって、楽しいので無意識に自分自身で受け流せていると思うのです。
でも、恐怖とか悲しいとかって、すんなり受け流せないから、そこでつまってしまって苦しむのだと思う。

あの体験を理解する事でより大きな視点(別の視点)でものごとを見るようになって、今まで悪い事だとか、怖い事だとかで苦しんでいたのが受け流せるようになってる気がする。

No.371 - 2008/02/19(Tue) 15:27:22

Re: / ばん
愛とか喜びも、あたりまえの様に存在して、無意識に受け流しているだけなのかも
No.372 - 2008/02/19(Tue) 17:49:44

Re: / 大阪
ばんさん

> 愛とか喜びも、あたりまえの様に存在して、無意識に受け流しているだけなのかも

僕はそうだと思います。のりさんが、喧騒の中の静けさ、と表現してるのも、ソレと思います。意識が自覚しなくても、自己は常に、そうなんだと思います。

No.380 - 2008/02/20(Wed) 18:52:57

いま / 大阪
びっくりしました。

あの愛を感じたとき、心の奥ではいつも、こうだったんだって思ったんでが、ひっかかってたんです。
心の奥ってどこ?

いま分かった気がします。
心の奥、その正確な場所は、世界です。

No.382 - 2008/02/20(Wed) 20:05:38
(No Subject) / ばん
すべては神の道苦しい時も悲しい時も受け入れて流れるままに生きていこう、神に教わった愛をもって許していこうすべての罪をこの世は必然道はまっすぐ
No.357 - 2008/02/18(Mon) 09:36:12

Re: / ルー
句読点がないと読みにくいです
No.358 - 2008/02/18(Mon) 17:00:17

Re: / ばん
わははは、
そうですね、ほんとに読みにくい。
うけました

No.359 - 2008/02/18(Mon) 17:20:10

Re: / ばん
ちょっと今、思ったんですが、笑いってなんでしょう、何で笑うのでしょう、自我のはたらきですかね?
No.360 - 2008/02/18(Mon) 17:43:30

Re: / ルー
笑ってくれて、ありがとう。
本当は、怖かったんです。

No.366 - 2008/02/19(Tue) 11:51:28
自分 / 大阪
のりさん。
返信してなくてスミマセン。上手く文章が思いつかなくてそのままタイミングを逃してしまいました。また会話しましょう。

うびさん。
とてもうっかりしていました。
ずっと自分なんていない、の意味が分からなかったんです。
自分なんて空想、の意味が分からなかったんです。
で、ここをもう一度よく読み返そうと思って序章を読んだんです。
じゃぁ体験で人は「自己を与えられる」と書いてあって、「ぼく与えられてない」と思ったんですけど、うびさんがよく「自己、愛、実在」とそれらを同義語として書いてることを思い出して、あぁ、あの愛がそうだったのか、とハッとしました。
そうだったそうだった。
それでやっと残響のような自我を残響のような自我と呼ぶ意味が分かりました。今までは、分からなかったんです、残響のような自我こそ自分だったので。どこが残響だ、という感じでした。
色々見直してみます。

No.313 - 2008/02/10(Sun) 17:32:25

Re: 自分 / ubik0101
その愛を、受けるのが、自己です。けど、自分がいなくなると、愛が訪れるとか。自我は空虚で、そこに誰のものでもないエネルギーが流れ始める、とか。結果的には違いはないと思うのですが、そういう体験には個人差があるのも確かです。それで学びあうことが大切と感じます。

そういえば、最近。「なぜ達磨には髭がないのか」という、禅問答をネットで見つけました。ほとんど頓智のような、反則技のような公案と思います。

No.314 - 2008/02/10(Sun) 19:26:58

Re: 自分 / 大阪
>その愛を、受けるのが、自己です。
あの愛を受けているのは、物質、身体、感覚、感情、意識。
つまり物質、身体、感覚、感情、意識が自己。(意識からみたそれらじゃなく)
ということですか?

>そういえば、最近。「なぜ達磨には髭がないのか」という、禅問答をネットで見つけました。ほとんど頓智のような、反則技のような公案と思います。

へー達磨って髭がなかったんだ、と思って。
ネットで達磨の写真を見て、ふきだしてしまいました。

と書いて、色んな答えを考えたけど、この公案には「写真を見て、ふきだしてしまいました」で充分だと思います。

No.315 - 2008/02/10(Sun) 21:22:08

Re: 自分 / ubik0101
> つまり物質、身体、感覚、感情、意識が自己。(意識からみたそれらじゃなく)
> ということですか?


あー。物質、身体、感覚、感情、意識と、自己は違わない・違う、ということも無意味です。端的には、自己は、意識の対象になりません。

この現実、事実、つまり物質、身体、感覚、感情、意識の働きを、また、そうでない何かを自己とするなら、誤ります。

あの体験でしか、自己は、感じられることはないでしょう。愛、それを感じるのは必ず、自己です。それを意識で、自覚できるとしたら、空想です。ということです。

> へー達磨って髭がなかったんだ、と思って。
> ネットで達磨の写真を見て、ふきだしてしまいました。


> と書いて、色んな答えを考えたけど、この公案には「写真を見て、ふきだしてしまいました」で充分だと思います。

中爆笑です。たしかに大阪さんって、お茶目かもしれません。まあ、自分にも髭(自分・自我)はないよ、とか。自分で、ある、と空想してる、とか。もともと達磨は、いない、とかでいいと思います。ただ、この、いない、は、いる、が自覚できない、という意味でもあるかもしれません。

No.316 - 2008/02/10(Sun) 22:13:15

Re: 自分 / 大阪
>あの体験でしか、自己は、感じられることはないでしょう。愛、それを感じるのは必ず、自己です。それを意識で、自覚できるとしたら、空想です。ということです。

とても、嬉しいです。
あのとき「ぼくはこんなに愛されてたのか、こんなに愛が好きだったんだ」と思いました。
良く検証してみます。

> 中爆笑です。たしかに大阪さんって、お茶目かもしれません。まあ、自分にも髭(自分・自我)はないよ、とか。自分で、ある、と空想してる、とか。もともと達磨は、いない、とかでいいと思います。ただ、この、いない、は、いる、が自覚できない、という意味でもあるかもしれません。

ないと思っているところ、こんなもの見せられたら。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%94%E7%A3%A8

あぁ、そうやった答えたら良かったんですね。
少なくとも、話の流れを考えれば、そうやって答えるべきでした。

でも中爆笑、とても嬉しいです。あとは、小爆笑・・です。

No.317 - 2008/02/11(Mon) 20:32:41

Re: 自分 / のり
大阪さん、こんにちは。
> また会話しましょう。
ってやっぱりお茶目ですね。 はい、会話しましょ。
何のお話でしたっけ?確か私はhatoさんの
> ですが、ubik0101さんが、ご自身を理解してくださったお陰で、どれほど多くの恵みを、わたし達に与えてくださっているでしょうか。
に同調してお返事した気がします。
 hatoさん、前回はゴメンナサイ。悪い唯我独尊状態(自己中ともいう)でした。
 “自分”“自我”“自己”なんと名付けようと私にとってはいいのです。ただそれに引きずり回されなければ良し、という段階です。
 “愛”これは各人各様の感覚があると思います。ただ、“愛する”と思ったら、その瞬間“愛”では無くなるような気がするのです。理解するものを一つづつ理解して行きたいと思ってます。“愛について”も理解したいテーマです。

No.320 - 2008/02/12(Tue) 17:23:28

Re: 自分 / 大阪
> ってやっぱりお茶目ですね。 はい、会話しましょ。

いやぁ、僕はお茶目じゃないと思うんですが。
うびさんはお茶目です。

>何のお話でしたっけ?

何の話でも良いです。では、質問させて下さい。

1「自分に引きずりまわされない為には、どうすれば良いのでしょうか?自分を発生させている原因を探って、それを捨てていけば、よいのでしょうか?色々あるのでしょうか?」

2「"愛する"と思った瞬間"愛"で無くなる、は、どうしてでしょうか?」
前にのりさんが人は人を愛せない、愛が伝わるだけ、と書いていましたが、僕もそんな気がします。

No.321 - 2008/02/12(Tue) 18:11:37

賢い女子学生 / 大阪
うびさん、質問です。
本文「この日常を観察」の、賢い女子学生が行方不明になったお話ですが、「知っても知っても、知ってるということが何かを知りません」というのは。
もしかして、行方不明というのは自分の正体や真実が知られないと了解した、という意味ですか?
(あと、「それは見えないけど」の頭にタグが見えてるようです)

No.322 - 2008/02/12(Tue) 18:55:31

Re: 自分 / ubik0101
その賢い女子学生の部分を、再掲載します。

>とても賢い女子学生がいました。素粒子の観測と料理が趣味。けっして他の人の悪口を言わず、友人からも尊敬されていました。やがてスポーツマンでもある青年実業家と婚約。ヨットで世界一周する途中、クリスマス諸島で行方不明になりました。知っても知っても、知ってるということが何かを知りません、というメモが残されていました。この日常を観察するのです。

どんなことでも知ってるとしても、
その知ってる、ということを知らない。
つまり世界も自分も、知らない。という意味だったと思います。

自己は自覚できないということは
自己は、知るとか知らないとかいう意識の対象にならない、
ということです。

たしかに似てるようで、似てない、ような気がします。

>(あと、「それは見えないけど」の頭にタグが見えてるようです)

ありがとう。削除しました。

No.323 - 2008/02/12(Tue) 20:13:02

Re: 自分 / 大阪
> どんなことでも知ってるとしても、
> その知ってる、ということを知らない。
> つまり世界も自分も、知らない。という意味だったと思います。
>
> 自己は自覚できないということは
> 自己は、知るとか知らないとかいう意識の対象にならない、
> ということです。
>
> たしかに似てるようで、似てない、ような気がします。


世界も自分も知らない。
「何かを知れば、幸せ/自由になる」「何かを知らなければ、悪である」「何かが出来れば、言えれば、手に入れば、幸せ/自由である」から解放されている、つまり自由である、ということですか?

No.325 - 2008/02/12(Tue) 20:34:40

Re: 自分 / ubik0101
そうと言えないことはない、です。知らないということは、ただ事実、知らないということです。そのように世界も自分も、できてる、というほど、そうです。

そのことは。知ってることに依存、倒錯してない。知らなければ依存、倒錯不能、ということを示します。自由という認識も不要です。

ただ、知らない、を知識として知ると、その知ってることに依存、倒錯できるかもしれません。

No.326 - 2008/02/12(Tue) 20:54:08

Re: 自分 / ubik0101

> そのことは。知ってることに依存、倒錯してない。知らなければ依存、倒錯不能、ということを示します。自由という認識も不要です。

これ、解りにくい表現でした。

そのことは。知ってることには依存、倒錯できる。知らなければ依存、倒錯不能、ということを示します。自由という認識も不要です。

No.327 - 2008/02/12(Tue) 21:06:56

Re: 自分 / hato


>  hatoさん、前回はゴメンナサイ。悪い唯我独尊状態(自己中ともいう)でした。


こちら、とんでもないです!
大好きのりさんになんでご挨拶申しあげなかったのかと、
後悔しちゃっていました。
お声をかけて下さって嬉しいです。
ありがとう、ございます。


>  “自分”“自我”“自己”なんと名付けようと私にとってはいいのです。ただそれに引きずり回されなければ良し、という段階です。
>  “愛”これは各人各様の感覚があると思います。ただ、“愛する”と思ったら、その瞬間“愛”では無くなるような気がするのです。理解するものを一つづつ理解して行きたいと思ってます。“愛について”も理解したいテーマです。



ああ、もう、本当にわたしは学ぶしかありません。


知らない、

というとき、
同じ言葉を使ってみても、
ubik0101さんのそれとは、深度が違います。

でも、なぜ、皆それがわかるのでしょう?
なぜ、ubik0101さんの言葉の深度は、深い、深い、
と了解されるのでしょう。



わたしが子供の頃、読んでいたブルーナさんの
雪の日のうさこちゃん
のなかのお話をここに贈ります。



みどりの野原に
ゆきのような
まっ白い
たまごがおちていた。


いったい
だれの
たまごでしょう。



だあれも
それを
しりません。

No.328 - 2008/02/13(Wed) 00:14:06

Re: 自分 / のり
> いやぁ、僕はお茶目じゃないと思うんですが。
> うびさんはお茶目です。

ウビさんはお茶目+チョッと意地悪で知的に遊ばれてます。

> 1「自分に引きずりまわされない為には、どうすれば良いのでしょうか?自分を発生させている原因を探って、それを捨てていけば、よいのでしょうか?色々あるのでしょうか?」
うっ、どうしているのでしょう。未だ模索中ですが色々な変遷がありました。

> 2「"愛する"と思った瞬間"愛"で無くなる、は、どうしてでしょうか?」
> 前にのりさんが人は人を愛せない、愛が伝わるだけ、と書いていましたが、僕もそんな気がします。

そうでしょ、そんな気がしますでしょ。例えば“あの愛”で人が人を愛せないと思います。愛そう、何かしよう、というのは愛とちょっと違う気がします。でも自分が“愛”で居れば隣人には伝わるのではないか、本質が“愛”でいれば、そこから表出する行動は“愛”以外にはならないのではないか、と思います。それは相手が誰であろうと自分の状態ですから相手は選びません。
伝わるためには、隣人である必要があると思います。

時間がありませんので、両方もう少し観て見ます。

No.331 - 2008/02/13(Wed) 12:53:42

Re: 自分 / のり
> いったい
> だれの
> たまごでしょう。
> だあれも
> それを
> しりません。

うっ、これも深い深い!その風景にのめり込みそうです。“だあれも知らない”は無限の世界に引きずり込まれそうです。

hatoさん、こんにちは。家にもブルーナさんの絵本、何冊かあります。真っ青とか真っ赤な表紙のチョッと小さな絵本ですね。チビたちはコレを読んで広がっていくのですね。

> ああ、もう、本当にわたしは学ぶしかありません。
一緒に学んで行きましょう。
>
> なぜ、ubik0101さんの言葉の深度は、深い、深い、
> と了解されるのでしょう。

私の場合了解できないので、届かないので、“深い”です。
私の中でウビさんの知らない、は自覚しない確認しない、
に似ています。皆さんはどうなのでしょう。

すみません。忙しく、多分暫くお返事できません。私の場合いつもこうですのでご容赦の程お願い致します。

No.332 - 2008/02/13(Wed) 13:09:47

Re: 自分 / hato



> 私の中でウビさんの知らない、は自覚しない確認しない、
> に似ています。皆さんはどうなのでしょう。




それは、差がない、ということでしょうか。



けれど、
まだまだそもそも日常、苦が苦です。
問題が問題です。
逃れたいのです。
そんなところにいます。
それ以外のところがあるのでしょうか。
まだ、これ以外に言葉がみつかりません。


> すみません。忙しく、多分暫くお返事できません。私の場合いつもこうですのでご容赦の程お願い致します。


こちらこそ、
そんな風に言わせてしまってすみません。
それでもまた、
共に学ばせてください。

No.340 - 2008/02/14(Thu) 23:13:28

Re: 自分 / のり
hatoさん
> > 私の中でウビさんの知らない、は自覚しない確認しない、
> > に似ています。皆さんはどうなのでしょう。
>
> それは、差がない、ということでしょうか。

ちょっと飛んで、つかめませんが、
ウビさんの知らない、は私なりには、
知ってても知らない。知ってると依存になる。知識、固定観念、言葉にできる全ての事を手放す、という感じです。

> けれど、
> まだまだそもそも日常、苦が苦です。
> 問題が問題です。
> 逃れたいのです。
> そんなところにいます。
> それ以外のところがあるのでしょうか。
> まだ、これ以外に言葉がみつかりません。


問題とは“在るべき姿”とのGapみたいです。
自分の中に“在るべき姿”“こう在りたい”があると問題が問題です。苦が苦です。のような気がします。
怒りも同じ感じです。前に怒りをじっくり見ましたら、自分の中に“在るべき姿”とそうでない姿とのGapがあり、自分を怒ってました。他の人がやっているのでしょうが、実は同じモノが自分の中に在るようです。そうでなければ、感じるコトができないようです。 でも、それも想像みたいです。 
 キチンとしている人は“在るべき姿”にガンジガラメ
にされ易いので、これを退治していくといい気がします。

あっ会議に遅れる〜、

No.341 - 2008/02/15(Fri) 09:23:11

Re: 自分 / hato


> 問題とは“在るべき姿”とのGapみたいです。
> 自分の中に“在るべき姿”“こう在りたい”があると問題が問題です。苦が苦です。




本当です、本当です、

そこがずっと問題です。
のりさんと図書館閲覧者さんのお話のように、
逃避しよう、とすることが問題です。


これの場合は、静けさ、への依存があるかもしれません。
そこだけは守りたい、があるかもしれません。
静けさ、がなにかを、知っていることにしているかもしれません。
その極端さ、頑固さを、
形を変えて隣人に投影していることがわかります。
この仕組みをどこかでは了解していても、
未熟な位相の意識の固まりが、反応します。


たとえば、
渋谷の喧噪のなかと、どこか美しい場所が、共に「なにか」でないならおかしいだろう、
とずっと思っていました。
大抵の音のなかでも、身体は疲れるけれど、わりと平気かもしれません。
けれど、静かであることはよい、という思考が、個人的な身体反応に便乗して、結局は独善的なあり方をよし、としているのかもしれません。
べつにきっと喧噪だって、いやではないから見えるでしょう。
結局は思い通りにしたい、だけでしょう。


隣のおやじとこいつは、同じです。
ちょっと、おかしいほど、正に隣人です。
世界はわたしがそこを理解するまで、
そうしてくれています。
おやじの愛かもしれません。
そう思いながら、幾度となく、その音と共にいました。
音がわるいわけではありません。
音がわるいわけではありません。

が、まだ、完全ではありません。
そうです、
自分と思う自分を、それは常に身体に依拠していますが、
守ろうとするのです。



> でも、それも想像みたいです。 


きっと皆さんのように在ること、
ほんとうに、素晴らしいと思います。



>  キチンとしている人は“在るべき姿”にガンジガラメ
> にされ易いので、これを退治していくといい気がします。



独善的でちいさいのです。
すぐにパニックになるような未熟さが、まだあります。
ここでそれが、
なくならなくても、振り回されなければよいと学びました。


> あっ会議に遅れる〜、


うう、本当にすみません、
ありがとうございますのりさん、ubik0101さん、皆さん。

No.355 - 2008/02/17(Sun) 12:13:37

Re: 自分 / hato

今日は、たくさん眠りました。
すこし、静かな日でした。


> 隣のおやじとこいつは、同じです。


読み返してみて、これは違いました。
同じ、という字の色がほんの少し違ってみえました。
すみません、ありがとうございます。


わたしが彼に自分を投影しているだけでしょう。
それを忘れたら、いけないでしょう。


それから

あの、ディック・ブルーナさんのお話ですが、

ゆきの日のうさこちゃん、ではなくて

ふしぎなたまご、だったようです。

あのとき、意味をあまり考えないで、書いてしまったのですが、少し不適切だったかもしれません。
すみません。

No.356 - 2008/02/17(Sun) 23:15:17
飲酒について / kok
久しぶりに投稿させていただきます。
新しい掲示板が登場してから、そして年が明けてからは初めての投稿になりますが、さすがに時機を逸してる感がたっぷりですので、新年のご挨拶は遠慮させていただきます(笑)。

今回は、以前ubik0101さん(次からは、うびさんと呼ばせてください。ちょっと照れますが、いい響きですね。)とメールでやりとりさせていただいた際、「そのうち掲示板に投稿します」と書いた題材について書きたいと思います。もうかれこれ2ヶ月以上経ってしまい、あまりのスローペースっぷりで恐縮ですが、、、

そもそもこの題材について書こうと思ったのは、うびさんも普通に酒を飲むことがあるというのを読んで、すごく意外に思ったからでした。覚者も酒を飲むのか!?という感じに(笑)。

食事せずに生きていくことはできないとしても、酒を飲まずに生きていくことは全然できるでしょうから、飲酒は自然なことではない、故に覚者は酒を飲まないはずだ、という観念があったのだと思います。でも考えてみれば、散歩したり音楽聴いたりすることも、生きていくのに必要不可欠なことではないな、そういえば、、、と後で思いました。意思(欲望が強められたものとしての)が無いとしても、それらの必要不可欠ではないことを、自然にすることがあっておかしくはないな、とも思いました。

確かに酒を飲むと、美味しいと感じたり、陽気になったり、眠くなったりします。そして飲みすぎると気分が悪くなったりします。心理的にも肉体的にも、いろんな影響があります。酒は百薬の長とも言われますが、ひょっとしたら、少なくとも体には負担がかかっているだけなのかも知れません。免疫のような仕組みで、ある程度の飲酒なら内臓の機能が高められたりするのかも知れませんが、、、

どんなことも度が過ぎると苦しかったり害になったりしますが、飲酒もそれらと同じなのかなと思いました。習慣になったり依存したりするようだと確かに問題ですが、酒を飲むことそのものは問題ではないのかなと思いました。

最近、自分で問題にしてしまう事自体が問題なのであって、飲酒そのものは全く問題ではないのかな?とも思いました。単に、飲むか飲まないかすればいいだけか、、、と感じた今日この頃です。

(最初は食事についても書こうと思っていたのですが、飲酒について書いたら、特に改めて食事について書くこともないかな、と感じましたので、今回は省略します。)

No.318 - 2008/02/11(Mon) 21:51:32

Re: 飲酒について / ubik0101
ひさしぶりです。このころは蕎麦ばかり茹でています。洗う水が冷たいからです。

そういえば、素麺も大好物です。どんぶりに、ふつうに茹でた素麺と、つゆと、たっぷり大根おろし、小ネギを散らします。 たっぷりキュウリおろし、も絶品です。

ところで、ぺティナイフを、粒度1000番の中仕上げ用の砥石で磨いでみました。シャカ、シャカ。おなじ角度を保つだけのことで、思ったより簡単でした。自分で料理するなら、お薦めです。

そういえば。たまたま見た禅寺のHPに、酒は禁止です。でも、初めから寺の門の内にある酒は、かまわない。という意味不明なことが書いてありました。たぶん、門も内も外もない、ということかもしれません。

No.319 - 2008/02/12(Tue) 09:02:02

食事について / kok
う、うまそうですねぇ、、、
冷えた蕎麦、そして素麺と、さっぱりとしたつけ汁。水の冷たさが絶妙に効いて、意外な冬の絶品料理って感じです。まさに目から鱗ってやつです。是非、次の休みにチャレンジしてみます。

それにしても、うびさんはお洒落で器用ですね〜!グローバルのぺティナイフ、ちょっとネットで検索してみましたが、デザインが凄くかっこよくて、なによりも切れ味鋭そうで、料理が楽しくなりそうでした。

> そういえば。たまたま見た禅寺のHPに、酒は禁止です。でも、初めから寺の門の内にある酒は、かまわない。という意味不明なことが書いてありました。たぶん、門も内も外もない、ということかもしれません。

↑思わず吹き出してしまいました(笑)。これも公案というやつなんでしょうか?ほんとに面白い表現ですね。

食事について、やっぱりちょっと考えた事を書いておくと、もし石とか土を食べて生きていけるとしたら、それはどうなんだろう?とか、ふと考えた事がありました。動物も植物も、普段食べているものは前提として殺生が伴う気がするけど、石とか土を食べる場合はどうなんだろう?と考えてたら、生き物とは何なのかが分からなくなりました。

No.329 - 2008/02/13(Wed) 00:24:48

Re: 飲酒について / ubik0101
>↑思わず吹き出してしまいました(笑)。これも公案というやつなんでしょうか?ほんとに面白い表現ですね。

きっと知的に遊んでるのでは、と思います。しかも、酒が飲める、酒が飲める、酒が飲めるぞー「日本全国酒飲み音頭」なのでしょう。

やっちゃ駄目ですよ。なんか怪しい雑誌で、泥鍋というのを読んだことがあります。江戸時代、死刑囚に、鍋で泥を煮て、その上澄みだけを飲ませて。どのくらい生きるか実験したことがあるそうです。

それで何ヵ月間は、大丈夫だったという話です。関東ローム層の土なので、栄養があるとか、だったような気がします。事実でないかもしれません。

そういえば、食べ物が、食べ物を、食べてる。kokさんの年齢の頃、思ったことがあります。

No.330 - 2008/02/13(Wed) 08:05:22

Re: 飲酒について / kok
> やっちゃ駄目ですよ。なんか怪しい雑誌で、泥鍋というのを読んだことがあります。江戸時代、死刑囚に、鍋で泥を煮て、その上澄みだけを飲ませて。どのくらい生きるか実験したことがあるそうです。

な、なんと、、、
胃腸が丈夫な方ではないですし、多分試してみる事はないと思います(笑)。

> そういえば、食べ物が、食べ物を、食べてる。kokさんの年齢の頃、思ったことがあります。

なるほど。なんか普通に考えるとオドロオドロしい表現になってしまいますが、全ては「共食い」とも言える、といったところなのでしょうか、、、

「食べ物が、食べ物を、食べてる」この言葉を読んでなぜか、前に「虚無宇宙からの伝言」サイトで読んで、吹きだしてしまいつつも、むぅと唸ってしまった言葉、「川の傍に生えた草を、あなたはその川のものだと思うだろうか?あなたの個性と呼ばれるものは、たまたまあなたという場所に生えた草のようなものだ。」(こんな感じだった気がします)を思い出しました。

No.336 - 2008/02/13(Wed) 22:27:31

Re: 飲酒について / ubik0101
>前に「虚無宇宙からの伝言」サイトで読んで、吹きだしてしまいつつも、むぅと唸ってしまった言葉、「川の傍に生えた草を、あなたはその川のものだと思うだろうか?あなたの個性と呼ばれるものは、たまたまあなたという場所に生えた草のようなものだ。」(こんな感じだった気がします)を思い出しました。

その言葉は。この自分に、たまたまの、この個性。そんなことを誇ったり執着したり、厭ったり蔑んだりしてもしょーがない。という意味にとれます。

しかし、自分が自分と思う自分、でないことを見たことの表明なのでしょう。 サイト「虚無宇宙からの伝言」は、すこしだけ読んだことがあります。

No.337 - 2008/02/14(Thu) 09:24:17

個性は草のようなもの / kok
自分の場合、あくまでこの言葉の意味を思考してしまってるだけなんだとは思いますが、何か凄く痛快で、非常〜に気に入った表現でした(笑)。

いったい誰が覚者なのか?そんな事はどうでもいい事のような気がしますが、個性が草のようなものならば、いわゆる悟りの状態にある存在に個性を感じるとしても、全くおかしくはないな〜と思いました。確か、うびさんがどこかで書かれていたように、失っても無くなるものは何もないのかもしれないな、と考えました。そもそも、誰が何を失うのか、全然分かりません。

No.346 - 2008/02/15(Fri) 21:21:27

Re: 飲酒について / ubik0101
>そもそも、誰が何を失うのか、全然分かりません。

そうですね。 これは、とても気持ちのいい言葉です。

それはともかく。否定の道を歩くとして。たとえば善悪の概念を理解すると、それは機能しなくなり、意識されなくなります。失われます。けど、その人は、悪をしなくなるでしょう。

もし、たとえば善悪の概念が、意識されなくなるだけなら、悪をする可能性があります。つまり理解した善悪の概念は失っても、無自覚だけど活動してる。無くなりません。という意味でもあります。

そうなら人が生まれつきそうだ、というように、理由なく、そうです。嘘をつかず、嫉妬せず、素直です。なにか行動、発言、思考してても、してなくても、そうです。また、そうでないと苦痛だ、理解が無意味になる、とかの理由があっても無問題です。

また。どんな人でも、その自分を知ろうとすることができます。善悪、傲慢、謙譲、怠惰、努力。否定、肯定。なんでもいいのです。どんなことでも、自分を訓練する負荷として機能するだけです。それを人は活用するだけ、という意味でもあります。それら負荷は、意識できますが、自己は意識の対象になりません。

もしかして、その意識できない自己には個性はないのか?と空想すると、却って自分や、ほかの人の個性が、強調されて見えるのかもしれません。嘘をつかず、嫉妬せず、素直なこともまた、個性と言えないことはないと思います。

No.350 - 2008/02/16(Sat) 11:11:14

Re: 飲酒について / kok
うむむ、、、難しい。

ただ、最近は「否定の道」というよりも、「分からないということの肯定の道」を歩いてしまっていた気がします。特に前回の投稿での「誰が何を失うのか、全然分かりません。」という言葉なんかを見返すと、自分の思考の予定調和的な気配を感じました。

また最近は、「否定の道」を歩く原動力に対して、「自分」で安全装置をつけてしまっているという意識もありました。うびさんも書かれていたように、「引き返すことのできない過程」という事が、何か物凄く差し迫って感じられることが度々あり、その恐怖が、あたかもお仕着せの「否定の道」を歩かせているような感覚がありました。命綱を、しっかりとどこか「中心」にくくりつけて。

これは無意識の自我の働きってやつなんでしょうか?自我があると思い続けるための。

まずはここらへんをじっくりと解体してみる必要がありそうです。あ、最初の投稿内容からかなりずれてしまったので、次回からは別投稿にしますね。

No.352 - 2008/02/16(Sat) 14:49:10

Re: 飲酒について / ubik0101
?がついてるので、これにも返信します。

>これは無意識の自我の働きってやつなんでしょうか?自我があると思い続けるための。

なんであれ、ちらっとでも、そうかもしれないと思うなら、自分は、そうだとして探査しました。まったくそうでないなら、そんなことは思いもしないと、思ったからです。

No.353 - 2008/02/16(Sat) 18:44:34

Re: 飲酒について / kok
上で書いたことと食い違いますが、今回の一連のやりとりを一旦完結させるため、返信として続けて書かせてもらいます。

うびさん、ありがとうございます。確かにその通りですね。少しでも気になることがあったら、ひたすらそれを考えつくしてみるしかないですね。どうやら、またもや、サボろうとしてしまったようです。

No.354 - 2008/02/16(Sat) 19:28:39
続き / 大阪
うびさん

>そのことは。知ってることには依存、倒錯できる。知らなければ依存、倒錯不能、ということを示します。自由という認識も不要です。

最初の表現のほうが、僕には分かりやすかったです。
何か、世界や自分がなんであるか知りません。
重力が気持ち良いです。
知らないのって、自由。
自由であることも知らない。
じゃぁ、何を知ってるのかって。
そんなこと聞くあなたには、熱い熱い愛のスープをぶっかけてやりたいです。

No.333 - 2008/02/13(Wed) 13:30:28

Re: 続き / 大阪
のりさん

>そうでしょ、そんな気がしますでしょ。例えば“あの愛”で人が人を愛せないと思います。愛そう、何かしよう、というのは愛とちょっと違う気がします。でも自分が“愛”で居れば隣人には伝わるのではないか、本質が“愛”でいれば、そこから表出する行動は“愛”以外にはならないのではないか、と思います。それは相手が誰であろうと自分の状態ですから相手は選びません。伝わるためには、隣人である必要があると思います。

なんてこった。
全く同じことを考えていました。

こないだ色々あって、それを、付き合っている彼女に言ってしまいました。
「人が人を愛すなんか、多分無理。仏教ではそんな愛を執着って呼ぶけど、その通りと思う。愛が愛してくれるしか出来へん。だから、愛してる、とか言われてもホンマかい、って思う。でもそれはむなしいことじゃなくて、有難いことと思う。」
でも次の朝、横で寝ている彼女に、「愛してる」といいました。
欲望でも執着でもなく、きっと心から?でもなく「愛してる」と言えたのです。それが嬉しくてたまりませんでした。

うびさんが「愛してる」の投稿をされる少し前のことなんです。

しかしそれ以来、彼女は僕に「愛してる」と言ってくれなくなりました。

No.334 - 2008/02/13(Wed) 13:49:00

Re: 続き / ubik0101
> 最初の表現のほうが、僕には分かりやすかったです。
> 何か、世界や自分がなんであるか知りません。
> 重力が気持ち良いです。
> 知らないのって、自由。
> 自由であることも知らない。
> じゃぁ、何を知ってるのかって。
> そんなこと聞くあなたには、熱い熱い愛のスープをぶっかけてやりたいです。


うん。大爆笑です。伝わります。

No.335 - 2008/02/13(Wed) 14:04:26

Re: 続き / のり
大阪さん
> なんてこった。
> 全く同じことを考えていました。

やっぱり!そうな感じでした。

で、どうしたら“愛”で居られるのでしょう。
どうしたら“幸せ”で居られるのでしょう。
アレやコレやをするのが“愛”ではなく、“愛”で居ればアレやコレやが“愛”です。
アレやコレやをするのが“幸せ”ではなく、“幸せ”で居ればアレやコレやが“幸せ”です。
そんな気がします。
で、どうしたら“幸せ”で居られるのでしょう。

No.338 - 2008/02/14(Thu) 17:20:36

Re: 続き / ばん
大阪さん、のりさん、こんにちは
> で、どうしたら“愛”で居られるのでしょう。
> どうしたら“幸せ”で居られるのでしょう。
> アレやコレやをするのが“愛”ではなく、“愛”で居ればアレやコレやが“愛”です。
> アレやコレやをするのが“幸せ”ではなく、“幸せ”で居ればアレやコレやが“幸せ”です。
> そんな気がします。
> で、どうしたら“幸せ”で居られるのでしょう。


私も同じ事を知りたいです。
なんかイイとこまで来ていそうな気がするんですがいろんな疑問、残響のような自我に巻き込まれてしまう。

No.339 - 2008/02/14(Thu) 18:27:55

Re: 続き / のり
> いったい
> だれの
> たまごでしょう。
>
> だあれも
> それを
> しりません。

No.342 - 2008/02/15(Fri) 09:27:51

Re: 続き / 大阪
のりさん

のりさんの考えられたことが、どれだけ僕と同じであるか、どれだけ共感しているかを投稿しようとして、やめました。

どれだけ多くの人が、そんな愛を知らず、知ろうともせず生きていることか。
それだけに、それを共感できることが、いかに特異であるか。

でも、そんな素晴らしい共感は、いりません。

そんな愛を、捨ててしまいました。

そんな愛を見て、知ってる自分を捨ててしまいました。

沢山の人が知らない愛を知っている、という自分を捨ててしまいました。

沢山の人が知らない真実を知っている、という自分を捨ててしまいました。

No.343 - 2008/02/15(Fri) 13:41:50

Re: 続き / 大阪
ばんさん

僕の場合。


人の知らないことを知っていると思っていました。

人が探しているものを持っていると思っていました。

勿論どんな優劣もないけど、自分は優れていると思っていました。

あの体験をして真実を知って、愛を見た自分がいると思っていました。

テレビに出て真実をとても上手く紹介したりして、有名人になる自分を空想しました。

とても稼いで大金持ちになって、それでいてそのお金を、みんなに良い使い方をする、愛される人になることを空想しました。

真の音楽を作って、貧しくてもそれで生活する自分を空想しました。

どんな人とも会話でき、相手の心を見抜いていて、とても上手く真実を知らせることのできる自分を空想しました。

社会でみんなが持つ煩わしさなんかと無関係な自分を空想しました。

偉大な覚者に「君は凄い」などと言われることを空想しました。

大きく間違って、誰かに真剣にお詫びすることはないと思っていました。


でも、そんな自分、本当は、いません。
そんなことして守ったり喜ばせる必要のある自分なんて、本当は、いません。
なのにいると思うのは、欲望か無知か何かだと思います。

No.344 - 2008/02/15(Fri) 19:36:51

Re: 続き / 大阪
>でも、そんな自分、本当は、いません。
>そんなことして守ったり喜ばせる必要のある自分なんて、本当は、いません。
>なのにいると思うのは、欲望か無知か何かだと思います。


スミマセン、コレ、正確じゃないです。
訂正します。

そんな自分、いると知りません。
そんな自分、いないと知りません。
そんなことして守ったり喜ばせる必要のある自分なんて、いるか、いないか知りません。
なのにいると思うのは、欲望か無知か何かだと思います。

No.345 - 2008/02/15(Fri) 21:00:08

Re: 続き / ばん
私もそうです。わたしは肉体的、精神的苦痛のなかでもうだめだ死ぬしかないと毎日思っていた時あの体験が起こりました、もう死しかないどうにでもなれという私という存在の完全明け渡し状態この状態にどうしてもなれないのです。
大阪さんの言われるように人のしないような体験をしたという優越感や自分の生きてきた中での体に染み付いたエゴなどでてきてそれに巻き込まれて自分でないものを自分と思って苦しむでもその自分でないものを忘れきることができない
たぶん、私の場合あの体験を完全理解していない苦しみもあると思います。
でも、気楽に行こうと思ってます子育て真っ最中でもありますし仕事もありますし、では

No.347 - 2008/02/16(Sat) 08:56:03

Re: 続き / ばん
音楽がすきなのですね、おすすめのcdとか教えてください私はいつの間にか家にあったダニエル・コビアルカという人のCDをよく聞きますからだがとけそうな曲です
No.348 - 2008/02/16(Sat) 09:18:44

Re: 続き / ばん
> 音楽がすきなのですね、おすすめのcdとか教えてください私はいつの間にか家にあったダニエル・コビアルカという人のCDをよく聞きますからだがとけそうな曲です

とけそうの表現が変なのでかっっこよく愛の炎で昇華されそうな曲ですに変更します

No.349 - 2008/02/16(Sat) 09:29:49

Re: 続き / 大阪
ばんさん、おはようございます。

> 私もそうです。わたしは肉体的、精神的苦痛のなかでもうだめだ死ぬしかないと毎日思っていた時あの体験が起こりました、もう死しかないどうにでもなれという私という存在の完全明け渡し状態この状態にどうしてもなれないのです。

この状態にどうしてもなれない、というのは、またその状態になろうとしているということですよね。
もう、その私完全明け渡し状態になる必要はないと思いますよ。

> 大阪さんの言われるように人のしないような体験をしたという優越感や自分の生きてきた中での体に染み付いたエゴなどでてきてそれに巻き込まれて自分でないものを自分と思って苦しむでもその自分でないものを忘れきることができない
> たぶん、私の場合あの体験を完全理解していない苦しみもあると思います。


昨日の僕の投稿ですが、何か、変なんです。しっくりこない、嘘をついてるような気がしてしまいます。聞き流しておいてください。すみません。

> でも、気楽に行こうと思ってます子育て真っ最中でもありますし仕事もありますし、では

そうだったんですか。子育て真っ最中でしたか。

ダニエル・コビアルカ知りませんでした。
愛の炎で昇華されそうな曲、とは楽しみです。ありがとうございます。

最近流行っている、アフリカの民族音楽はオススメです。
ピグミー族のCDを持っています。フィールド録音で、森の中とかで録音してるんですが、鳥とか獣と一緒に、人も鳴いています。とても美しいんです。

No.351 - 2008/02/16(Sat) 12:05:14
全1072件 [ ページ : << 1 ... 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 >> ]