No.303 - 2008/02/09(Sat) 12:11:16
| ☆ Re: 想念 / ubik0101 | | | ネットで検索してみました。想念って、ふつうの言葉による思考のこととか、望みを叶えたい気持ちとか、カルマのようなこととか、一定しないようです。どういうことを言ってるのでしょう。
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No.304 - 2008/02/09(Sat) 12:40:39 |
| ☆ Re: 想念 / ばん | | | たとえばあの娘が好きだと思う想念によってその娘といつか結ばれるという事があるのかなと思ったりしました。 すいません意味不明な質問で それとカルマってどういうことを言うのですか?
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No.305 - 2008/02/09(Sat) 14:01:46 |
| ☆ Re: 想念 / ubik0101 | | | >たとえばあの娘が好きだと思う想念によってその娘といつか結ばれるという事があるのかなと思ったりしました。
まず、なにも思わなければ、結ばれる可能性が、ほとんどないと思います。そして。結ばれたくないと思えば、離れるなどして、結ばれることは、まずないでしょう。それで、あの娘と結ばれたいと思えば、とりあえず接近したり努力したりして、結ばれる可能性ができます。けど、必ず結ばれる、ということはないでしょう。
この世界では、100人が、あの娘と結ばれたいと願っても、100人全員が不可能なのは当然です。でも誰かは結ばれるかもしれません。それで結果的に100人に1人は、思いが実現した、が事実になるだけと思います。100人に1人くらい当ればいい、という考えかもしれません。誰もが実現困難なことを、願うだけで、実現するということなら、無理と思います。それなのに願えば叶うというなら、欲望の機能を助長する考えと思います。
>それとカルマってどういうことを言うのですか?
業とも、言われているようです。たとえば今の世で、なにか良いことがあったのは、なにか前世に人に良いことをしたから。悪いことがあったら、前世で人に悪いことをしたから。
また。今の世で、人に良いこと悪いことをしたら来世に反映される、という考えではないかと思います。因果とか、因縁とも言われるかもしれません。そういうことは考える必要はないと思います。
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No.306 - 2008/02/09(Sat) 15:13:23 |
| ☆ Re: 想念 / ばん | | | そうですね。前にうびさんは主の祈りをする書かれてましたが我らの父とは神様のことですよね、うびさんは宗教に属してますか?
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No.307 - 2008/02/09(Sat) 15:47:52 |
| ☆ Re: 想念 / ばん | | | すいません。自分で読み返して笑ってしましました。仏教ですって答えたえてたらつっこみいれるとこでした。 質問は神様を信じていますかという事です。
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No.308 - 2008/02/09(Sat) 16:02:53 |
| ☆ Re: 想念 / ばん | | | 暇なので書きます。なぜこんな質問かというと避けられない苦しみの受容のしかたを聞きたくてもし神様を信じていれば神のなすままというのが使えますよね信じていないとするとその代わりの何かがあるのかなと思いました。
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No.309 - 2008/02/09(Sat) 16:23:48 |
| ☆ Re: 想念 / ubik0101 | | | 神。そのことを実在と呼んでいます。人が信じても実在は、実在です。信じなくても実在は、実在です。つまり信じることにも、信じないことにも無関係に実在です。それは人が信じるから、ある、のではなく。信じないから、ない、のではありません。
この世界で生じる苦痛は、この世界で解決するしかないと思います。
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No.310 - 2008/02/09(Sat) 16:29:55 |
| ☆ Re: 想念 / ばん | | | > 神。そのことを実在と呼んでいます。人が信じても実在は、実在です。信じなくても実在は、実在です。 私たちが神なのでしょうか? 神が私たちをつくったのでしょうか? 言葉の理解の問題でしょうかうびさんのいうこの世界とは実在とは教えください。
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No.311 - 2008/02/10(Sun) 11:06:43 |
| ☆ Re: 想念 / ubik0101 | | | この世界とは、物質、身体、感覚、感情、意識です。それは人、と同義語です。これは、たとえば世界と人、人と人には、完全な分離も融合もないという前提。また、総ての構成要素は、ある、ない、どう言っても誤り、という前提があります。
仏陀の言葉では、眼や耳などの、感覚器官と、見る聞くなどの感覚と、その対象の、たとえば花や鳥や風や月。そして意識と、その対象の、たとえば感情や思考。それで、一切です。ほかのことは虚偽と言われます。
なんにしても、それらのことは縁起、依存関係によって生じます。そして依存関係は、依存関係という概念も、観念も、存在するものとしては認めません。しかし、依存関係も、ひとつの世界観かもしれない疑いはあります。けれど人が成長するための仕組みとして、充分に機能します。
そして自己、愛、神・実在は、その依存関係の、範疇にありません。また誤ることのできる意識の範疇にありません。それだけのことです。たとえば、私たちが神とも、神が私たちを創ったとも、私たちが神を創ったとも、考えるなら空想です。
たぶん。人が自分で自分を創ったのなら、神です。聖書では、 人をつくった、それが神の定義と思います。それは自分としては好みです。
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No.312 - 2008/02/10(Sun) 12:51:17 |
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