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幻想 / ばん
うびさん、この世界は人を覚醒させるための触媒です。のこの世界とは幻想なのですね、私は幻想の世界から実在の世界へ帰りました。私はうびさんや皆さん地球、宇宙と一体になりました。私は存在しなかった私とはあらゆるもの一部だったのですね
No.236 - 2008/01/26(Sat) 13:45:21

Re: 幻想 / ubik0101
うん。ばんさんの話、とても嬉しいです。

それ自身に原因があるのを実在と呼びます。そこから見ると、この世界は、幻に思えるかもしれません。それ自体に原因がある実在ではなく。たとえば「依存関係によって生起する存在は存在ではない」。と見なされます。

ただ自分は世界と実在、違うとか、同じとか、較べることもない有り様です。ばんさんの体験、もっと詳しく聞きたく思いました。

No.240 - 2008/01/26(Sat) 17:08:31

Re: 幻想 / ばん
悩み、苦しみ、不幸だと思っていた私は存在していなかった
愛、喜び溢れる実体から分離していたのです。
私を本来あるべき姿に導いてくれた言葉です
「あなたが、あなたという存在の生来なる真実を意識的に生きようと選択したその瞬間、意識のレベルは、
完全で完成された「父と一つの存在」というものになる。
このレベルだけが、
真実を所有することができるたった1つのレベルである。
他のものは幻想であり、
完全なる分離の幻影にとどまることを選択した結果、
生まれたものである」 イェシュアの手紙より

No.256 - 2008/01/28(Mon) 16:08:39

Re: 幻想 / ubik0101
> 悩み、苦しみ、不幸だと思っていた私は存在していなかった
> 愛、喜び溢れる実体から分離していたのです。


うん。ところで、「実体」と「世界」の関係、
話してもらえれば、とても役に立つと思います。

No.263 - 2008/01/29(Tue) 18:33:13

Re: 幻想 / ばん
「実体」とは私、地球、宇宙を含む広大なサイクル
「世界」とは「実体」より分離したエゴのフィルターを通して観ている世界
「世界」では名があり家族がいて7,80歳くらいで死ぬ
「実体」では家族、地球、宇宙・・・と一体でいつ生まれたのかしらないしいつ死ぬのかもわからないといった感じです。

No.267 - 2008/01/29(Tue) 21:41:22

Re: 幻想 / ubik0101
なんか分かりにくい質問に返信、ありがとう、です。

あるとき水を飲みました。それで、なぜ、さっき水を飲んだのだろう。と思いました。身体が要求する?でも身体は、そうでなくてもいいのに、身体です。また水は、水でなくていいのに、水です。その味は、そうでなくってもいいのに、その味です。

また喜びも悲しみも怒りも、そうである必要もないのに、喜びや悲しみや怒りです。また思考は、そうである必要もないのに、思考です。どんなことも、そうでなくていいのに、そうです。不思議です。と思った、ことを思い出しましました。

No.278 - 2008/01/30(Wed) 16:29:58

Re: 幻想 / ばん
それって何もない所にある時一つの何かが存在してそれが分裂したり結合したりして原子とか分子とかになってそして細胞ができそして、わたしたちができ喜び、悲しみ、思考して未来を決定してると思っているだけで右を選択しても左を選択しても未来はすべて決まっていてすべては1つの道で決まっているってことにでしょうか。
No.279 - 2008/01/30(Wed) 17:30:26

Re: 幻想 / ばん
ウォーーと叫びたくなりましたうびさんは深いどこまでも深い「絶対不自由」という言葉が頭に焼き付いてしまいました。私の浅はかさはなんでしょう。
No.280 - 2008/01/30(Wed) 17:45:41

Re: 幻想 / ubik0101
それほどの意味はありません。散歩の途中で、川に沿った道を歩くと、嬉しくなるほどの、たくさんのメジロがいます。とても小さい白い実がなってる街路樹の枝に次々に飛びついては、冬の空に飛び去っていきます。手を伸ばして、その実を採って齧ってみましたが、硬くて、それをメジロは食べてるのではないかもしれません。

このように見えてること、聞こえてること。また思考してること、ただ不思議です。そして、それも意識してないのが普通です。実在と世界の区別がないのかもしれません。そのままです。でも不思議です。

そういえば大昔ですが、テレビで仏像を彫る人が「如」の説明をしていました。たとえば樹は、樹のようなもの「如」である。山は、山のようなもの「如」である。人も、人のようなもの「如」である。その原形が実在にあって「如」として現れ来るのです。つまり、みんな如来(仏陀)です。なんて言ってましたが、それは変、思ったことがあります。

ところで、絶対不自由は、そうしてる中心、つまり自我がなければ、あるいは逆に実在を感じれば、機能しなくなるのです。だからといって、自我や実在を対象にして認めてしまえば、それは知らないことを知ってることにすることであり、不自由になるでしょう。それで理解して失うことが望ましいのだと思います。

それはともかく、このまえ少し書きましたが、人は生きてるだけで、世界を変え続けてると思います。世界を変えつつでなくては、どうして、見たり聞いたりできるか、解らないところがあります。でもまだ、空想かもしれません。

No.281 - 2008/01/30(Wed) 19:00:40

Re: 幻想 / ばん
うびさんおはようございます。
昨日は勘違いでテンションあがりすぎてしまったようです。
恥ずかしいです。

散歩の途中で、川に沿った道を歩くと、嬉しくなるほどの、たくさんのメジロがいます。とても小さい白い実がなってる街路樹の枝に次々に飛びついては、冬の空に飛び去っていきます。手を伸ばして、その実を採って齧ってみましたが、硬くて、それをメジロは食べてるのではないかもしれません。
うびさんのこういう自然が目にうかぶような文章がとても好きでなぜだか癒されます。

No.282 - 2008/01/31(Thu) 08:30:12

Re: 幻想 / ubik0101
たぶん愛や実在を空想したら、真実も虚偽になるということかもしれません。これからも学びあいたいと思います。

ところで、たくさんのメジロの動きを見て忘我状態になってたようです。現実にもどって(変な言い方)、うわっと、思いました。

No.283 - 2008/01/31(Thu) 08:59:25

Re: 幻想 / ばん
> 「実体」とは私、地球、宇宙を含む広大なサイクル
> 「世界」とは「実体」より分離したエゴのフィルターを通して観ている世界
> 「世界」では名があり家族がいて7,80歳くらいで死ぬ
> 「実体」では家族、地球、宇宙・・・と一体でいつ生まれたのかしらないしいつ死ぬのかもわからないといった感じです。


これって変ですね笑ってしまいます。
「無我の境地」って頭で考えれば考えるほど変な方にいってしまいます。カルト教団を立ち上げてしまいそうなので考えないようにします。

No.284 - 2008/01/31(Thu) 13:58:55

Re: 幻想 / ubik0101
うーむ、「 カルト教団・無我の境地」って、カルト教団いけるかもしれません。その主催者も信者もいるわきゃない、というわけで。
No.285 - 2008/01/31(Thu) 16:14:56
/ potanpotan
このところ、愛について、思うともなく思っていました。

愛とはなにか。

いろんな言葉に出会います。

でも言葉ではなく ヴィジョンではなく、
イメージではなく。

自分や身近な人のありようを見ていました。

自分の心の動きを見ていました。

「この人はもっと深く物事を見る人かと思ったけど
所詮は自己中心なんだな」
「この人は純粋な人なんだと思ったけど、けっこう自分を造っているんだな。」
「この人は、なんかすごい重たい感じで疲れるな」
「分かり合えると思ったのに、そうじゃなかった」

たくさんたくさん、他人に対して、評価したり、期待したり、求めたり、判断したり、そして、関心を抱いたり、興味がなくなったり、近づいたり、避けたり・・

そういう自分の心をよく見ていました。

私はどれだけ、他人を自分求めで利用・切り取りしているんだろう。

あるときは自分の理想を人に求め、
あるときは幻滅し
あるときは期待し
あるときは失望し
あるときは関心を持ち
あるときは興味を失い

そういうふうに人を見ている自分をよくよく見ていました。

これが、愛か。
これが愛の世界か。
この私が愛の何を語れるのか。

一瞬垣間見た幻想に過ぎない、私の「愛の世界」

人は私のために存在しているのではない
人は私の理想のために存在しているのではない
人は私ごときに審判・判断されるために存在しているのではない

人は、そこにいる。そこで営んでいる。
その人はそこにその人の営みの中にある。

私のために存在しているのでは決して無い。

のに・・

私の「求め」のために人を切り取る瞬間
いくつもいくつもあるな

そんなことを思いながら
自分の感情をみていました。

No.228 - 2008/01/25(Fri) 22:25:40

Re: 愛 / peer
愛・・・渇愛と慈悲。
人の愛は、そのほとんどが自己愛。
と言われます。

No.230 - 2008/01/26(Sat) 09:00:33

Re: 愛 / peer
これだけでは、説明不足と思われますので、追加すると。

人の自己愛をどれだけ自分は受容出来るだろうか。
はい。。他者の自己愛を満足させてあげられるか。
人が人を愛する。というのは、ふつう、、そんな感じで。

それもなかなか難しい〜ですね。
相手の自己愛を満足させてあげるから、こっちも満足させてよ。と・・・なっちゃったりして。

No.232 - 2008/01/26(Sat) 09:25:07

Re: 愛 / potanpotan
怒りを向けられれば怒りが沸き
排除されたら排除したくなる
誰かが喜んでいたら喜んだり・・
自分が満たされていなければ妬ましかったり


人は作用しあいますね。
それ自体良いも悪いでもなく
作用だと思います。
善も悪もなく
押せば凹む 引っ張れば飛ぶ 投げれば落ちる
そういう作用と同じように感じます。

また、怒りが沸いて、怒りをぶつければ、
それに応じた作用が生じ、排除すればそれに応じた
作用が生じる。

私はそういう様々な作用を
低俗だとか、嫌悪だとか、自分から切り離して
見るわけではなく、私も渦中にありながら
その作用の根本の由来をみてゆくと・・

妬みの根底には「成長願望と自信のなさ」があったり
排他の根底には「存在不安と自己否定」があったり・・
でもそれはそのまま「存在の証」であったり・・
「生きる原動力」に変換できる。オセロの裏表の関係性だなと思ったり。

どの人の奥底にも宝石あるいは、景色や手触りがあるな。
その宝石や景色や手触りをまっすぐに見つめたい。

そんなふうに感じながら過ごしてきていますが・・

まだまだぜんぜん

ありのまま人を見ていない

私は私という小さな存在で
人に「求め」をしていて
「切り取り」をいっぱいしているんだな

という、ことを感じています。

「好き」「嫌い」「変」「どうもなじめない」
「やっぱりいい人」「こんなところがあるなんて信じられない」

誰かに対する感情はみるみる次々変化していきますが
変化しているのは相手ではないですね

相手はただ、そこにその人の生を営んでいる。

それを切り取って、自分の求めに応じて勝手に人を判断して動いているのは私ですね。

それは、人を断片化して切り取っているんだという
そのことに自分で気が付かなければ
本当にその人に触れることは出来ないのじゃないかな

そんなふうに思います。

No.233 - 2008/01/26(Sat) 10:13:38

Re: 愛 / ばん
私の中では愛とは何だろうと考えてみると「感謝の心」というのがしっくり当てはまるような気がします。とても感動した言葉です

世界は、異なる見方を持った人々が手をつなぎ生きてゆく場所。

人々は、それぞれの場所・国・人種によって、



異なる文化や出来事や事件を共有し合う。

でも、この星に住む全ての人間に共通しているもの、それは感情やフィーリング。



ある日、一人の人がダルシャンの時にバガヴァンに尋ねました。



「バガヴァン、私はいつも自分のことを貪欲だと感じます。

人のものでも自分のものとして取り上げたくなるのです。どうか助けてください。」



バガヴァンは言いました。



「この世界には2種類の人々がいます。



他人を利用して成り上がろうとする者、これが一つ。

そして人生において、全ての人々、全てのものに



助けられていると感じる者もいます。

彼らは感謝する人々です。



人に助けられて今の自分があると知ることで、

感謝が生まれます」



あなたがあなた自身であるのは、

あなたがそれを選んだからではありません。



出来事・事件・自然・人々・そして全宇宙が、

あなたを今のあなた自身に創り上げたのです。



あなたの両親・兄弟・姉妹・友人・近所の人々・社会・全ての人々が、

あなたの人生の中で役割を演じてきました。



あなたはこの人生の祝祭の日にひとりぼっちではない、

全てのもの・全ての人々と一緒なのです。」



この「感謝の日」に、私たちの人生に参加してくれた全ての
存在に感謝を表しましょう!



あなたは本当に大切にされてきました!



微笑ませてくれた誰かに、どのように感謝を伝えますか・・・



良い時をもたらしてくれた誰かに、どのように感謝を伝えますか・・・



どんな時でも、人生を祝うべきものにしてくれた誰かに、

どのように感謝を伝えますか・・・



転ばないように抱き上げてくれた誰かに、どのように感謝を伝えますか・・・



手の届かない場所に行った時も、見つけ出してくれた誰かに、

どのように感謝を伝えますか・・・



あなたの誤りの全てを受け止めてくれた誰かに、

どのように感謝を伝えますか・・・



誰にも話さなかった夢を叶えてくれた誰かに、どのように感謝を伝えますか・・・



あなたが自分を見失っていた時も、あなたを信頼してきた誰かに、

どのように感謝を伝えますか・・・



あなたが自分自身を愛するよりも、もっとあなたを愛してくれる誰かに、

どのように感謝を伝えますか・・・



あなたのことを心から思ってくれる誰かに、どのように感謝を伝えますか・・・





ここに希望があります。あなたがどれだけ愛され、

いつも温かく見守られてきたかわかるでしょう?



あなたは本当に大切にされてきたんですよ!



さあ、振り返って今日の私たちを形づくってくれた多くの人たちに感謝しよう。



お父さん、お母さん、そばにいる愛しい人、友達、多くのマスター、静寂の中の自然、

壮大なる宇宙、そしてその全ての奥にある目に見えぬ神の手に



「感謝の日」おめでとう!!!





あなたがこれを読んだ日があなたにとっての感謝の日となるでしょう。

あなたの素直な感謝の気持ちを伝えてみてくださいね。

No.258 - 2008/01/29(Tue) 09:01:29

Re: 愛 / ばん
忘れてました、上の文の「感謝」を「愛」に置き換えると愛と感謝がほぼ同義語だと思います。
それとどうしても感謝できない人、出来事があったら感謝できない自分を許してあげるといいと思います。

No.259 - 2008/01/29(Tue) 09:14:31

Re: 愛 / peer
ばんさん。こんにちわ。

>あなたのことを心から思ってくれる誰かに、どのように感謝を伝えますか・・・

愛だと思えないから感謝もできないんじゃないでしょうか。
こんなふうに。
「心から思ってくれていた」と・・思えるなら。
与えられたものが、すぐに「愛だ」と思える人なら
思える状況と受け止められるなら、
当然、感謝しかないです。

しかし〜これはですね。
何かしてくれたから。御返しに感謝する・愛する、ということにコリ固まりますと、愛をギブアンドテイクなのだな、と考える。

だから、与えられたものを、感謝しろ。
というふうに聴こえて、抵抗が生じる。こともある。

No.260 - 2008/01/29(Tue) 10:20:04

Re: 愛 / ばん
それでは抵抗してしまう自分を愛してあげればよいのではそうすれば愛すことができない自己嫌悪から出て相手(自分も相手も1つのものの1部ですが)に感じるのは慈愛という愛になるのではないでしょうか
No.262 - 2008/01/29(Tue) 11:50:40

Re: 愛 / potanpotan
ばんさん、ごきげんよう^^。

愛という言葉は多種多様な作用と状況を差していますし、
愛という言葉で、見えることも人それぞれなので、
難しい言葉ですね。

ばんさんの言葉は、光と豊かさを象徴した、美しい絵画を見ているような感じがしました。

ばんさんも、peerさんもきっと、
ある人が孤独だったり、自己否定をしていたり、世界の全部から排除されていると感ずる世界にいたり、誰も自分のことなど必要としていないと感じていたり・・そんな誰かのことを「この人が満たされればよいのに」「生き生きとしたらよいのに」

と、いう気持ちをいっぱい感じてきていらっしゃるのだろうな。と感じています。

ばんさんの見る「愛」で
私の存在自体、「愛」そのものなんだ
と感じて、世界に感謝の想いが沸き起こって
潤いに満ちた世界が目の前に広がる経験をする方もおられるでしょう。

でも、どんな言葉も、世界観も、それが私にとってどんなに「リアルな真実・絶対の真理」であっても・・苦しんでいる人に響いてゆかず、届かずに拒絶されるとき、ばんさんはどうされますか。どのように感じられますか。

「抵抗してしまう自分を愛してあげてください」
「どんなあなたでも愛されています。あなたは愛そのものです」というのでしょうね。

それも嫌悪され、拒絶され、否定されるとき、ばんさんはどうされますか。

No.265 - 2008/01/29(Tue) 21:20:00

Re: 愛 / potanpotan
peerさん こんにちわ。

愛はギブアンドテイクではない・・

といっても

愛を注ぎ続ける→愛を求め続ける
理解し続ける→要求し続ける

一方的な関係は持続しないのではないでしょうか。

「してやったんだからしないさいよ」

は、自分の要求ですが・・・
「してほしいからしてやる」ことを「自分の要求」で、「相手は不在」のことに気が付かないで「愛している」
と感じている人は多いですね。

そんな「愛」に出会うときpeerさんはどうされますか?

No.266 - 2008/01/29(Tue) 21:32:32

Re: 愛 / ばん
ざんねんながらどんな言葉かけても他人を変えることは出来ません。その人の幸せを祈ることぐらいです。その人が悩みを打ち明けてくれるなら出来る限り力になります。
No.268 - 2008/01/29(Tue) 22:03:37

Re: 愛 / peer
potanpotanさん、こんばんは。

>「してほしいからしてやる」ことを「自分の要求」で、
>「相手は不在」のことに気が付かないで「愛している」
>と感じている人は多いですね。
>そんな「愛」に出会うときpeerさんはどうされますか?


うーん。私は、どんなものでも相手が愛だと思うなら、愛でイイんじゃないかと思います。
「ホントに〜有り難うございます〜」と、持ち上げて。
それで、相手も気持がイイだろうし。
「いいことをしてあげられて良かったな」と相手は、思う。
もっと、もっと、人の為になることをしよう。と思うでしょう。

No.270 - 2008/01/29(Tue) 23:59:04

Re: 愛 / peer
ばんさん。

>それでは抵抗してしまう自分を愛してあげればよいのでは
>そうすれば愛すことができない自己嫌悪から出て相手
>(自分も相手も1つのものの1部ですが)に感じるのは
>慈愛という愛になるのではないでしょうか


私はどうも、凡夫ですから。
自分が慈愛を持てるとも思えないし・・・。
人が人が慈愛なんてものを注げるものとも、思えません。
どこまで行っても、自己愛の範囲を越えられない。
どうしようもない、情けな〜い自分が、どうやって慈愛を・・・。
ホントにもう。懺悔ばかりの日々を暮らしています。

No.271 - 2008/01/30(Wed) 00:08:19

Re: 愛 / potanpotan
ばんさん 御機嫌よう。

> ざんねんながらどんな言葉かけても他人を変えることは出来ません。その人の幸せを祈ることぐらいです。その人が悩みを打ち明けてくれるなら出来る限り力になります。


私の(ばんさん)感ずる感謝の世界、私自身も多くの人も幸せを知るこの真実の言葉・・・でもそれは、その人には届かない。

「あなたは愛されています」
「愛そのものです」
「あなたはこんなにも祝福され、光に満ちている」

私の(ばんさんの)到達している実感がまったく伝わらないとき、ばんさんは自分の実感の中から出かけることはしませんか?

「苦しんでいるあなたは何を今見ていて、私を拒絶するあなたはどんな世界にいるの?」

「あなたが私の感じている世界を拒絶するのなら、どんな世界をあなたは必要としているのだろう?」

No.272 - 2008/01/30(Wed) 06:20:38

Re: 愛 / potanpotan
> potanpotanさん、こんばんは。

peerさんおはようございます。

> うーん。私は、どんなものでも相手が愛だと思うなら、愛でイイんじゃないかと思います。
> 「ホントに〜有り難うございます〜」と、持ち上げて。
> それで、相手も気持がイイだろうし。
> 「いいことをしてあげられて良かったな」と相手は、思う。
> もっと、もっと、人の為になることをしよう。と思うでしょう。



そうですねえーー

「人のためになる」といっても、「自分のためが根本」ですから、あんまり、人のためにならないことも多いですね。
相手が見えていませんから、間が悪かったり、かえって迷惑だったり・・

私の場合は・・そのまま勝手にからっぽになっちゃいます。
体動かないし、心も動かない。
なんかただぼーっと見ちゃいます。

No.273 - 2008/01/30(Wed) 06:38:43

Re: 愛 / ばん
peerさんおはようございます。
>
> どうしようもない、情けな〜い自分が、どうやって慈愛を・・・。
> ホントにもう。懺悔ばかりの日々を暮らしています。


情けない自分、懺悔ばかりの自分、その自分が苦しみのもと(その自分=苦しみ)その自分は幻想なのではないでしょうか、(あらゆるものと一体の自分)という自分でみてみるとすべてのものは平等だと思うので、誰かと比較して情けなくなったりすることはないのではと思ったりしました。

No.274 - 2008/01/30(Wed) 09:03:56

Re: 愛 / ばん
potanpotanさんおはようございます
> 私の(ばんさんの)到達している実感がまったく伝わらないとき、ばんさんは自分の実感の中から出かけることはしませんか?

なるべく出ないようにしていますが、いつのまにか出ちゃてたりします。
いろんな人がいますから(エゴむき出しの人とか)そういう人と接する時は相手を憐れんでしまいますそしてそんな自分を許します。

No.275 - 2008/01/30(Wed) 09:57:13
続・残響のような自我、空想 / 大阪
のりさん

>お互いその時はその時、としておきましょうね!

そうしましょう!

>残響の自我の一部が見つかりました。 それは、
> “在りたい、の発展系の<良く、在りたい>”です。
> 自分の中では消滅したと思っていたコレが、子供が理不尽な目に会う事で投影されてました。“良く在って欲しい”に形を変えていました。 う〜ん、コレは手ごわそうです。


あの体験をした人は、あの体験が素晴らしい為に、あの体験をした自分の意識(考え方・信念・生き方,etc)に強く依存するように感じます。

あの体験を特別だと守る為に、自分が特別だ、と思ってしまうように思います。

僕の場合、人に注意されたりすると、「知った口きくな」なんて思ったりします。「正しく、在りたい(良く、在りたいの仲間と思います)」とかがあるんでしょう。

そんな自分を「なんてヤツだ」とか思ったりするから、「自分は良い」「自分は悪い」でモヤモヤしてたりするようです。

これらも、あの体験を理解し捨ててないからなんだろうなぁって思わされます。


で、最近思ったことなんですが、僕はあの体験を理解したい、なんていうのももしかして、欲望じゃないか、と思いました。

>野山に咲く花、それを摘むことは欲望なのかもしれません。

うん、うん、うん、です。

天上天下唯我独尊やうびさんの言葉を空想したりするのも、このサイトへ来たり投稿するのも。

なぁんだ、欲望だったのか、と思いました。

天上天下唯我独尊やうびさんの言葉を捨てないのは、欲望じゃないか。

ということは、最初っから、いらない、になります。

新規投稿にしました。

No.224 - 2008/01/25(Fri) 19:29:25

Re: 続・残響のような自我、空想 / hato
今日、今までとても反応していた音を、すこしだけ静かにみることができました。

わたしのなかには、非常なほどの怒りがあります。
おそらく、まだ見ることは多くあると思われます。
怒り、はとても大きなテーマです。
この力を、転化することができたなら、と切に思っていました。

その怒りが、すこし発動しにくくなっていることを感じました。

ばんさんの大きな気付きによって、
または、ここだけではない皆さまの多くの作業によって、
きっとわたしのなかにも変化が起きているのだ、
と感じます。
これは、図書館閲覧者さんのときにも、感じていました。
これは、わたしだけが感じていることではありません。

こうしたことはとくに明確に気付くだけで、
本来は日常のすべての変化がそうなのかもしれません。
ただ、それが一体何なのかは、まだわかりません。

わたしは、皆さまのような特別な経験はありません。
言及できることはありません。
ですが、ubik0101さんが、ご自身を理解してくださったお陰で、どれほど多くの恵みを、わたし達に与えてくださっているでしょうか。

それでも、
わたしには独自の問題があり、すべてを依存しているわけではありません。
仮にそうしたくても、できません。
それは、皆さまがそうなのだと思います。

No.248 - 2008/01/27(Sun) 18:29:30

Re: 続・残響のような自我、空想 / hato

言葉の訂正です。

わたしのなかに怒りがある、
というのは誤った表現でした。

怒りがあって、それを感じるためにわたしを仮定している、
のかもしれません。
そのエネルギーを扱う、ということを学ぶのかもしれません。

No.250 - 2008/01/27(Sun) 21:00:03

Re: 続・残響のような自我、空想 / のり
 う〜ん、私達は結構良い所まで来ている気がします。チョッと追加させてください。
> 「幸せでない事を忘れる事はできる」
> この言葉は使えますね。
> 映画とかテーマパークを出てすぐ「いやぁ楽しかった、幸せでない事を忘れられたぁ」とかいう使い方すると面白いかもしれないですね。(使いすぎるといけないですが)

 これ、大爆笑ですが、実は殆どの人がこれに一生を使ってしまう気がします。大泥棒やマフィアのボスや特にこの道ウン十年の職人さんや偉大な政治家も“幸せでない事を忘れる”ために一生を使う意味では同じ気がします。良いとか悪いとか無い気がします。

> これらも、あの体験を理解し捨ててないからなんだろうなぁって思わされます。
 金曜日の夜、ふと、もう一段開眼した気がします。やはりあの体験を徹底的に理解する事が必要と感じます。
> で、最近思ったことなんですが、僕はあの体験を理解したい、なんていうのももしかして、欲望じゃないか、と思いました。> 天上天下唯我独尊やうびさんの言葉を空想したりするのも、このサイトへ来たり投稿するのも。
> なぁんだ、欲望だったのか、と思いました。
> 天上天下唯我独尊やうびさんの言葉を捨てないのは、欲望じゃないか。> ということは、最初っから、いらない、になります。

 それでは振り出しに戻る気がします。徹底的に理解して、そして知らないです。私も完全に理解していたと思ってましたが足りませんでした。まだありそうです。ウビさんの言葉を捨てる、というより理解して完成させて消化してしまいたいです。 
 これは欲望とは次元・スケールが違う宿命みたいなものと思います。この意識が認識する矛盾などどうでも良いと思います。この掲示板に出会えたのも何かの縁だと思います。“幸せでない事を忘れる”ために一生を使わないために私は可能の限り続けたいです。
> そして人が、理解すべきことは理解し、隣人を愛すなら隣人を愛して、そうしている自己を知らない
 これが今の私には究極の真実でした。
 どうしてウビさんはダイレクトに言わないのでしょう。ウビさんの言い方はこちら側からでは99%違う捉え方をするような気がします。“知らない”“自己は意識の対象ではない”“自由・幸福・愛”こちら側から見た理解と多分ですが向こう側から見る解釈では全然違う気がします。
やはり、自分で実感し、気付いた時の感動が必要なのでしょう。それを呼び起こすためにウビさんはそう表現されるのでしょう。 本当に感謝しております。ありがとうございます。
 ウビさん、また私は頓珍漢な事を言って皆さんが違う方向に行く影響を与えるようでしたら修正の程、御願い致します。
 閲覧者さん、ブログ始められたのですね。
http://tosyoetu.blog18.fc2.com/blog-entry-15.html

No.251 - 2008/01/28(Mon) 11:05:45

Re: 続・残響のような自我、空想 / ubik0101
>やはり、自分で実感し、気付いた時の感動が必要なのでしょう。それを呼び起こすためにウビさんはそう表現されるのでしょう。 本当に感謝しております。ありがとうございます。

ううん。とくに何も意図はありません。そのままを言ってるだけです。深読みは不要と思います。

No.252 - 2008/01/28(Mon) 12:20:59

Re: 続・残響のような自我、空想 / 大阪
hatoさん、こんにちは。

> わたしのなかには、非常なほどの怒りがあります。
> おそらく、まだ見ることは多くあると思われます。
> 怒り、はとても大きなテーマです。
> この力を、転化することができたなら、と切に思っていました。


大きなテーマ、そうですね。
その非常なほどの怒り、がたまたま発動する機会がなかっただけで、僕たちは殺人者かも知れないですね。
だからその可能性を摘んでしまう努力が必要ですね。
(こんなことからも、誰かの犯した殺人を、僕が裁いていいものか。陪審員が裁いていいものか。なんて考えます)

> ばんさんの大きな気付きによって、
> または、ここだけではない皆さまの多くの作業によって、
> きっとわたしのなかにも変化が起きているのだ、
> と感じます。
> これは、図書館閲覧者さんのときにも、感じていました。
> これは、わたしだけが感じていることではありません。
> こうしたことはとくに明確に気付くだけで、
> 本来は日常のすべての変化がそうなのかもしれません。
> ただ、それが一体何なのかは、まだわかりません。


そんな変化があるのかもしれません。
でもそれが人を根本的に変えてしまうほど、効果を発揮かなぁと思います。
僕たちはもっと確かな変化を求めるのが良い気がします。

> わたしは、皆さまのような特別な経験はありません。
> 言及できることはありません。
> ですが、ubik0101さんが、ご自身を理解してくださったお陰で、どれほど多くの恵みを、わたし達に与えてくださっているでしょうか。


あの体験より、素直、正直でいることの方が大事だと思います。

No.253 - 2008/01/28(Mon) 12:39:52

Re: 続・残響のような自我、空想 / のり
> ううん。とくに何も意図はありません。そのままを言ってるだけです。深読みは不要と思います。
う〜ん、そうですか。それは大変失礼しました。でも、しかし、ありがとうございます、としか言い様がありません。
 あの体験は、たまたまでしたので特別視しようがありません。アレも怒りも苦悩も、全て、ただ片寄りを知らせてくれている手段の一つだと思います。特にアレは片寄りから全体へ、何が片寄りをもたらせているのかをマザマザと見せてくれただけなのではないかと思います。そういう意味で研究材料(変な言い方)の一つです。
もう一歩後から、もう一つ大きく観る、この紙一重が本当に難しいです。

No.254 - 2008/01/28(Mon) 14:44:51

Re: 続・残響のような自我、空想 / 大阪
のりさん

>大泥棒やマフィアのボスや特にこの道ウン十年の職人さんや偉大な政治家も“幸せでない事を忘れる”ために一生を使う意味では同じ気がします。

そうですね。

もしマフィアのボスや偉大な政治家、が幸せ者なら、マフィアのボスや偉大な政治家であっても、マフィアのボスや偉大な政治家ではないだろう。
マフィアのボスや偉大な政治家であることと、自分が幸せ者であることは、関係ない、から。

でもマフィアのボスや偉大な政治家とか、惹かれてしまいます。
なりたい、ということではなくて、それらの人物が気になります。

>良いとか悪いとか無い気がします。

そうなんですけど、何か根本的にとても間違ったことをしていないか、と思ったりするんです。
井の中の蛙です。自分のあり様をゼロから見つめなおすこともすべきなんでしょうね。

>  金曜日の夜、ふと、もう一段開眼した気がします。やはりあの体験を徹底的に理解する事が必要と感じます。

さらにパワーアップですか。凄い。

>  それでは振り出しに戻る気がします。徹底的に理解して、そして知らないです。私も完全に理解していたと思ってましたが足りませんでした。まだありそうです。ウビさんの言葉を捨てる、というより理解して完成させて消化してしまいたいです。 

確かに、まだありそうです。
しかし僕の場合、これ以上、何か求めようとするのは欲望ではないか、そう思ったのです。
何か理解すればパッと変化する、という風な空想をしていたのです。
そんなものを欲望が「ある」とみなしていたんだと思います。
欲望でなければ、この日常の全てが、例えばいまあくびが出ましたが、それさえ「学び」であると思うのです。
何かを理解しなければいけない、と思わなくなったのです。

とはいっても、この欲望に関しては自分でも言葉で上手くまとめられていないのです。
その必要さえない気もするのですが、それでは振り出しに戻っているだけ、向上心がなくなっただけ、という可能性が残る以上、まとめるべきなのでしょう。

>“幸せでない事を忘れる”ために一生を使わないために私は可能の限り続けたいです。

のりさんは、怒りとか恥とか感情に振り回されるより、成長を選んでおられるのが良く分かります。
僕もそうしましょう。

>  閲覧者さん、ブログ始められたのですね。
> http://tosyoetu.blog18.fc2.com/blog-entry-15.html


うわー。知らなかった。びっくり。
ありがとうございます。

No.255 - 2008/01/28(Mon) 16:05:48

Re: 続・残響のような自我、空想 / hato


> あの体験より、素直、正直でいることの方が大事だと思います。



それはとても嬉しく、
ときにとても冒険、挑戦でもあります。


ありがとうございます。

No.257 - 2008/01/28(Mon) 22:41:34

Re: 続・残響のような自我、空想 / のり
大阪さん
> でもマフィアのボスや偉大な政治家とか、惹かれてしまいます。> なりたい、ということではなくて、それらの人物が気になります。
大阪さんはどこかお茶目でいいですね(笑)。

> そうなんですけど、何か根本的にとても間違ったことをしていないか、と思ったりするんです。
> 井の中の蛙です。自分のあり様をゼロから見つめなおすこともすべきなんでしょうね。

“井の中の蛙大海を知らず、されど空の高さを知る”
という言葉もあるようです。

> 何か理解すればパッと変化する、という風な空想をしていたのです。
理解すればパッと変容します。のような気がします。この“理解する”か分かりませんが、見えてしまう、気がします。
> そんなものを欲望が「ある」とみなしていたんだと思います。
あるでも無いでもどう言っても誤り、の世界になるみたいです。

> その必要さえない気もするのですが、それでは振り出しに戻っているだけ、向上心がなくなっただけ、という可能性が残る以上、まとめるべきなのでしょう。
その必要も、どんな“べき”も無いような気がします。その時の気分でいいんじゃないでしょうか。私の場合は徹底しなかったので苦しかったのです。また来るかも、です。

> のりさんは、怒りとか恥とか感情に振り回されるより、成長を選んでおられるのが良く分かります。
殆ど内から湧き出る本能に近いモノでした。ウビさんの“それでどうする?”、アレをしてコレをしてソレをして“それで一体どうする?”という言葉がありました。  感謝、です。
では

No.261 - 2008/01/29(Tue) 11:03:10

Re: 続・残響のような自我、空想 / 大阪
hatoさん

そうですね。
素直も正直も、意味を定義することさえ難しいですね。

こちらこそありがとうございます。

しかし、鳩の鳴き声は不思議ですね。
あのメロディーは世界共通なのでしょうか。
日本でも地方で違ったりするのでしょうか。

No.264 - 2008/01/29(Tue) 18:44:59

Re: 続・残響のような自我、空想 / hato


すこし、自分で考えなければならないようです。

大阪さん、
お話して下さって
ほんとうにありがとう、ありがとう。


皆さまに

ありがとう。

No.269 - 2008/01/29(Tue) 23:55:35
中道 / ルー
中道を知って、絶望は癒されたのでしょうか?

中道であるならば、自我は無我だと思います。

中道であるというのは、片寄りが見えるということだと思うのですが。

そのように人間が生きる(片寄りを生きる)のが見えるという地点が中道であると思うのですが。
この世は、片寄りを生きるようにできているのでしょう?

No.242 - 2008/01/27(Sun) 08:40:03

Re: 中道 / ルー
わわわわわ
中道まできたら、自分がどのように生きたいか選ぶことができるのかなー?
どうしても、私は、私が好きなもので・・・

No.243 - 2008/01/27(Sun) 08:42:30

Re: 中道 / ubik0101
>中道を知って、絶望は癒されたのでしょうか?

うん。中道を知って、というより、それになった、経験した、というほうが近い表現と思います。

>そのように人間が生きる(片寄りを生きる)のが見えるという地点が中道であると思うのですが。
>この世は、片寄りを生きるようにできているのでしょう?


うん。片寄りを体験できるように、できてると思います。

>わわわわわ
>中道まできたら、自分がどのように生きたいか選ぶことができるのかなー?
>どうしても、私は、私が好きなもので・・・


ふつうの場合は、中道を経験したら、どうしても日常では片寄ってしまう自分の有り様を嫌って、片寄りを解消しようとして、苦痛が生じ、修行するのです。

そうじゃないところが、ルーさん、凄って、ところです。「偏中正」という言葉を読んだことがあります。片寄っていながら、片寄ってない、という意味なら、ぴったり、かもしれません。

No.244 - 2008/01/27(Sun) 09:09:33

Re: 中道 / ルー
ubikさんが言うところの「実在」というものが、わかった気がします。

神は、人が信じようが信じまいが存在するのである。
しかし、神を信じる人(信じようとする行為でなく、あり方として)が見えるものは、中道を生きる人が見えるものと共通するところがあるように思います。

No.245 - 2008/01/27(Sun) 13:12:14

Re: 中道 / ubik0101
うん。共通するとか、違うとか、も、どうでもいい、くらいです。ルーさんは、初期キリスト教の言葉と思いますが「この道」を歩いています。そういえば。対話のページで、「ルーさんに質問です」と話しかけたのは、そう睨んだ。ことを思い出しました。
No.246 - 2008/01/27(Sun) 13:44:35

Re: 中道 / ルー
ありがとうございます。

Kが言うところの「全体を見る」というのも、共通するものがあるように思います。

懐かしいですね。
「ルーさんは、ルーさんを知っていますか?」という質問のことなど。

私が、絶望するとしたら、子供が交通事故で死んだりした時かな・・・
その時、まだ私が生きていけるとしたら、中道を選ぶのかも知れません。
知らないのに言ってはいけないことかも知れませんが。

神の愛を信じる者には、願う(祈る)があると思います。
ただ祈っているだけではなくて、その願いが叶うように生きることになりますから、修行するということと同じかも知れません。

No.247 - 2008/01/27(Sun) 17:46:30

Re: 中道 / ubik0101
こちらこそ、ありがとう、です。

>Kが言うところの「全体を見る」というのも、共通するものがあるように思います。

クリシュナムルティ・・・「自我の終焉」と、「生の全変容」を飛び飛び読みしたことがあります。

>懐かしいですね。
>「ルーさんは、ルーさんを知っていますか?」という質問のことなど。


うん。たしかに。ルーさんの投稿って、なんか声が聞こえてくるような文章なんです。リアルに感じるんです。

ほかに願うことはなく「主の祈り」、することがあります。

No.249 - 2008/01/27(Sun) 20:37:23
絶対不自由 / ルー
ubikさん。
絶対不自由という言葉は、ubikさんによって初めて知りました。
今まで、「わかりそうもない」感じがしていたのですが、少しだけ、私にもわかるかも知れないという気になりました。
自分の欲求に支配されて、その行動しか選べない状態のことなのでしょうか。

それとも、この世がこのようにできているということに関しているのでしょうか。
この世は、それはできないようにできている、というような。人間は空を飛ぶことができない、というような不自由のことでしょうか。

「私は、あなたからどう思われるということからは自由です」と言うとします。
もし、その言葉を言わずにはおれない、言わないという行動は絶対に選べないとしたら、それは、絶対不自由なのでしょうか。

No.209 - 2008/01/25(Fri) 08:42:34

Re: 絶対不自由 / ubik0101
どんなことでも人ができることは、そう人ができるように、世界ができてるから、できるだけ・・・たとえ自由意志を認めるとしても、そうすることができるように世界ができてるだけ・・・そうでない有り様はない・・・そんな片寄った、極端な有り様です。絶対不自由。かつて、そんな絶望と名前もつけられない絶望の日々を過ごしました。

>自分の欲求に支配されて、その行動しか選べない状態のことなのでしょうか。

だからというわけではないのです。けど。そういうこととして端的に強調されて、人が不自由であることが見える姿になって現れてる、とも言えると思います。

>この世は、それはできないようにできている、というような。人間は空を飛ぶことができない、というような不自由のことでしょうか。

これは、できるようにできてるから、ということを逆から見たのだと思います。できないようにできてるから、できない。これも人が不自由であることが端的に強調されて、見える姿になって現れてる、とも言えると思います。

>「私は、あなたからどう思われるということからは自由です」と言うとします。
>もし、その言葉を言わずにはおれない、言わないという行動は絶対に選べないとしたら、それは、絶対不自由なのでしょうか。


そういう心理的なことだけではありません。その言葉を言っても、その言葉を言えるように世界ができてるから、言える、もともと言えないようにできてなければ、言えない。どう人が選択しても、選択できなくても、そうできてるから、できるだけです。

なら、自由は、空想、妄想、幻想です。たとえば自由という言葉を、簡単に書いたり話してしまうことには疑問があると思います。と言えることも、そう言えるようにできてるから、言えるだけです。

しかし、それゆえ、そこには、たとえば、自我など、あり得ないのです。それさえ世界が、そうできてるから、できるだけです。それで、この意味ばかりではありませんが、自我は無我です。

No.210 - 2008/01/25(Fri) 09:59:35

Re: 絶対不自由 / ルー
何かを質問されて、「はい」と口で言う機能は人間にあるけれど、自分は「はい」と言えない時、それは、言えないように世界はできているのですか?
No.211 - 2008/01/25(Fri) 10:25:34

Re: 絶対不自由 / ubik0101
そのように「はい」と言えない、ということも、できるように、世界ができているということです。
No.212 - 2008/01/25(Fri) 10:35:36

Re: 絶対不自由 / ルー
「できる」「できない」について、まだ腑に落ちません。
たとえば、結婚しているのに、他の人とつきあうということができる人がいるとします。
それは、この世が、そうできるようにできているからですよね。
もし、その人の自我が成長して、そういうことができなくなったとします。
それは、自我が完成に一歩近づいたということなのでしょうか?
この場合、絶対不自由というものは、どの状態のことなのでしょうか?
まだ、「自由」「不自由」「絶望」が理解できていなくて、お手数かけます。

No.217 - 2008/01/25(Fri) 14:54:21

Re: 絶対不自由 / ubik0101
いくらでも話しかけてください。

ところで。なにかが「できる」とか、なにかが「できない」、ということではありません。どんな「できる」も、どんな「できない」も、絶対不自由です。たとえば自分は不自由だと、あるいは自由だと、思えることも、絶対不自由です。それは、どうしようもない人の有り様に気がついた状態です。

>たとえば、結婚しているのに、他の人とつきあうということができる人がいるとします。
>それは、この世が、そうできるようにできているからですよね。
>もし、その人の自我が成長して、そういうことができなくなったとします。
>それは、自我が完成に一歩近づいたということなのでしょうか?


とくに自我が完成してなくても、「結婚しているのに、他の人とつきあうということが」できない、しない、性格の人もいると思います。おおくの人はそうと思います。

もちろん自分は道徳や規範に縛られないから、「結婚しているのに、他の人とつきあうということが」できる。といったことは、自由だとは断じて言えません。

しかし自我が完成すると、道徳とか、軋轢を避けるとか、性格という理由なしに、そういうことはしようとも、したくないとも思わないで、事実しないでしょう。わざわざ、そんな不自由なことは望まないでしょう。

どういう言葉か忘れましたが、たとえば思考のない即時行動?というような。なにかを、しない、する、を問題にしては、理解困難と思います。

イエス・キリストの「人の子は安息日の主です」。これだけの言葉に、明確に表現されているのではないでしょうか。

No.220 - 2008/01/25(Fri) 16:38:19

Re: 絶対不自由 / ルー
現実は、絶対不自由。
自由は、空想。
このような理解で、よろしいのでしょうか?

No.221 - 2008/01/25(Fri) 17:24:59

Re: 絶対不自由 / ubik0101
うん。それこそ
絶望とも知れない絶望です。

No.222 - 2008/01/25(Fri) 17:43:50

Re: 絶対不自由 / ルー
それが、絶望に繋がるのが、よくわからないのです。
自由は、空想の中にしかないからでしょうか?

絶対不自由といっても、できることはたくさんあるでしょう。それではダメなんですか。とてつもない野望を持っているのですか?

現実の世界で、「できること」「できないこと」を自分の好きなように決められたら、自由と言えるということでしょうか。そうでないから、絶望するということでしょうか。

No.223 - 2008/01/25(Fri) 18:44:41

Re: 絶対不自由 / ubik0101
>それが、絶望に繋がるのが、よくわからないのです。
>自由は、空想の中にしかないからでしょうか?


なにか繋がるということではありません。自由は、空想でしかない、というより、空想することも、人が空想できるから、空想することができるだけです。どうやっても不自由でしかない、これは絶望と名前をつけなくても、絶望と思います。

>絶対不自由といっても、できることはたくさんあるでしょう。それではダメなんですか。とてつもない野望を持っているのですか?

うん。自分を知る、という、とてつもない野望を持っていたのです。

>現実の世界で、「できること」「できないこと」を自分の好きなように決められたら、自由と言えるということでしょうか。そうでないから、絶望するということでしょうか。

どんな選択も自由とは思えません。選択できるように世界ができてるから、選択できるだけ、ではないでしょうか。いわゆる希望も、絶望でしかないのではないでしょうか。

ところで。自由がないということではないのです。愛、自由、幸福、これは同義語と思います。

No.225 - 2008/01/25(Fri) 19:45:11

Re: 絶対不自由 / ルー
> ところで。自由がないということではないのです。愛、自由、幸福、これは同義語と思います。

これは、空想ではないのですか?

No.226 - 2008/01/25(Fri) 21:22:35

Re: 絶対不自由 / ubik0101
うん。空想もできないのです。
ただ、どんな説明をしても空想になるかもしれません。

No.227 - 2008/01/25(Fri) 21:46:03

Re: 絶対不自由 / ルー
> うん。空想もできないのです。

空想も、この世がそのように空想できるようにできていなければ空想できない。という意味でしょうか。
絶望のことですが、そのように空想できるのだから、絶望になるとは思えないのですが。
たとえば、こういうふうに空想したいけれどもできないのならば、絶望というものが出てくると思うのです。
つまり、「自分を知りたい」と思うけれど、「自分を知る」というふうには、この世はできていないので絶望するのだと思います。欲望がなければ絶望も感じないと思うのですが、それとは全く違うことなのでしょうか。
それから、ubikさんは、「神を知っている」のでしたよね。
その「知っている」というふうには、「自分を知ることはできない」という意味でしょうか。

> ただ、どんな説明をしても空想になるかもしれません。

愛・自由・平和は、空想以外に、状態として存在できませんか?

No.229 - 2008/01/26(Sat) 08:50:18

Re: 絶対不自由 / ルー
> どんなことでも人ができることは、そう人ができるように、世界ができてるから、できるだけ・・・たとえ自由意志を認めるとしても、そうすることができるように世界ができてるだけ・・・そうでない有り様はない・・・そんな片寄った、極端な有り様です。絶対不自由。かつて、そんな絶望と名前もつけられない絶望の日々を過ごしました。

「そうでない有り様はない」「そんな片寄った、極端な有り様」これがわかりません。片寄っている?

> >自分の欲求に支配されて、その行動しか選べない状態のことなのでしょうか。
>
> だからというわけではないのです。けど。そういうこととして端的に強調されて、人が不自由であることが見える姿になって現れてる、とも言えると思います。


たとえば、買い物をしていて、「ああ、疲れた」と思って、喫茶店に入ってコーヒーを飲む、そういうことも「不自由」ということですよね。何をしても、不自由。不自由を感じていなくても不自由。自由を感じていても不自由。という意味ですよね。
私も、よくついていってるなぁと感心します。
そのように感心するのは、空想であり、そのように空想するのも不自由。
あれ?空想は自由だったのに。
空想さえ、不自由の管轄と思います。
「これは空想である」というふうに、捉えなおす時に、矛盾してしまうのかな。

愛・平和・自由は、不自由の管轄ではない?
神がもたらしたもの?
神の国は、あの世ではなくて、そこここに存在すると言いますが。

No.231 - 2008/01/26(Sat) 09:06:56

Re: 絶対不自由 / ルー
> うん。空想もできないのです。
> ただ、どんな説明をしても空想になるかもしれません。


ちょっと、読み間違えていました。
愛・幸福・自由は、空想することもできないのですね。

それは、この世は、愛・幸福・自由は空想できるようにはできていない、のでしょうか。

No.234 - 2008/01/26(Sat) 11:03:56

Re: 絶対不自由 / ubik0101
>絶望のことですが、そのように空想できるのだから、絶望になるとは思えないのですが。
>たとえば、こういうふうに空想したいけれどもできないのならば、絶望というものが出てくると思うのです。


なにかの能力のことではありません。空想も空想できるように世界ができてるから、できるので、不自由です。

>つまり、「自分を知りたい」と思うけれど、「自分を知る」というふうには、この世はできていないので絶望するのだと思います。欲望がなければ絶望も感じないと思うのですが、それとは全く違うことなのでしょうか。

たぶん、「自分を知る」を望まなければ、絶望しないと思います。

>それから、ubikさんは、「神を知っている」のでしたよね。
>その「知っている」というふうには、「自分を知ることはできない」という意味でしょうか。


自分は、知られる、と思います。でももう、知られる必要もなくなりました。

>「これは空想である」というふうに、捉えなおす時に、矛盾してしまうのかな。

たぶん、知らないことには、絶対不自由は適応できないからでしょう。

けど、どうしても自分を知りたい。その限界、極端な有り様でないと、絶対不自由には気がつかないと思います。そうでないなら、なにかできるから自由、できないから不自由で、無問題なのだと思います。でも、そんな有り様は、そうと気がつかないだけで、絶対不自由かもしれません。

>愛・平和・自由は、不自由の管轄ではない?
>神がもたらしたもの?
>神の国は、あの世ではなくて、そこここに存在すると言いますが。


うん。「神の国は、見られるかたちで来るものではない。また『見よ、ここ』『あそこ』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。ほかの訳では、「人の心の中にあるのだ」とか「人と人の間にあるのだ」。だったと思います。

>> うん。空想もできないのです。
>> ただ、どんな説明をしても空想になるかもしれません。


>ちょっと、読み間違えていました。

> 愛・幸福・自由は、空想することもできないのですね。
> それは、この世は、愛・幸福・自由は空想できるようにはできていない、のでしょうか。


ううん。愛、自由、幸福は、空想として世界に現れるのだけど、空想できないほど真実(変な言い方)だという意味です。でももう、ほとんど空想と真実の区別ができなくなりました。

実感!

きっと
愛じゃなくっても
笑いあえるだろう。
きっと
愛じゃなくっても
子供を育てられるだろう。
きっと
愛じゃなくっても
愛してるって囁けるだろう。

そうだ、
笑顔は愛じゃない。
そうだ、
慈しみは、愛じゃない。
そうだ、
怠惰は愛じゃない。
そうだ、
勤勉は愛じゃない。
そうだ、
悲しみは愛じゃない。

どんなことも愛じゃない、
愛は、
この世界に、ない、のだろう。
空想なのだろう。
愛は
どこを探しても見つからないだろう。

だから
憎しみは愛じゃない。
だから
喜びは愛じゃない。
だから
嫉妬は愛じゃない。
だから
愛は愛じゃない?

いま自分が愛されてる実感がないから、愛されてない?いま愛してる実感がないから、自分は愛してない?とは言えない、です。これは愛、これは愛じゃないって、思うことはできても、思うことができるだけでしょう。きっと自由でなくても、きっと幸福でなくっても、愛してるって言えるだろう。

No.235 - 2008/01/26(Sat) 11:43:38

Re: 絶対不自由 / ルー
わかりました。
あと、「片寄っている」だけ教えてください。
何がどう片寄っているのですか?

No.237 - 2008/01/26(Sat) 16:31:43

Re: 絶対不自由 / ルー
「どうしても自分を知りたい」という欲望を持つことが、片寄った有り方ということでしょうか?

それ以外の有り方は考えられないというのは、「自分を知りたい」という欲望を持たぬ有り方がありえない、ということなのでしょうか?

No.238 - 2008/01/26(Sat) 16:35:33

Re: 絶対不自由 / ルー
愛・幸福・自由が指すものは、その片寄りのないものなのでしょうか。

空想できないほど真実なものなのですね。

しかし、空想として現れる。

空想しなくても存在しているんでしょう?

No.239 - 2008/01/26(Sat) 16:45:51

Re: 絶対不自由 / ubik0101
>あと、「片寄っている」だけ教えてください。
>何がどう片寄っているのですか?


それは、人の有り様が片寄ってるのです。
それは外れようもない中道から外れることです。
そのエネルギーを活用するのだと思います。

>それ以外の有り方は考えられないというのは、「自分を知りたい」という欲望を持たぬ有り方がありえない、ということなのでしょうか?

とくに「自分を知りたい」を望まないでも、また自分を知りたくないと頑張ったとしても、遊んで暮らしたいも、学びたいも、儲けたいも、愛したいも、「自分を知りたい」に収束すると思います。「自分を知りたい」なくして、これら総てが無意味ではないでしょうか。

>愛・幸福・自由が指すものは、その片寄りのないものなのでしょうか。
>空想できないほど真実なものなのですね。
>しかし、空想として現れる。
>空想しなくても存在しているんでしょう?


うん。その通りです。

No.241 - 2008/01/26(Sat) 17:44:46
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