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残響のような自我? / 大阪
うびさん、それにみなさん、今年もよろしくお願いします。

うびさん質問させて下さい。

あの体験での自分と日常の自分を較べて、何が違うんだろうって考えてたんですが。

「感じる為に生きてる」(為に、って変ですが)



「知る為に生きてる/知ってると知る為に生きてる」

というような違いがあると思いました。

もしかしてこれが自我でしょうか。

あの体験を理解しきってないから、そんな自我が発生してしまうのでしょうか。

No.70 - 2008/01/11(Fri) 19:13:15

Re: 残響のような自我? / ubik0101
たぶん意識は、なにかを知ることができると思うだけ、と思います。もしかして、かなり変な言い方と思うのですが、意識に、知るという機能は、もともとないのじゃないかと思います。あの体験でなくっても。ふつうの日常でも、感覚だけが機能してる「感じる為に生きてる」と呼べると思います。そうであれば思考も邪魔にならないと思います。

なにか空想したりして、人が心理的に今の現実にいなければ、また何かを比較したりするなら、知るという機能が働くようです。それは「知る為に生きてる/知ってると知る為に生きてる」とも表現できます。それは自我の機能。というより、それを自我の機能として、判断することができる、だと思います。知識や技術、それを使ってる最中は、とくに自我とは呼べません。

あの体験を感じようとして、残響のような自我が発生するのですが、ひとつにはやはり、あの愛や真理や自己を理解しようとするために、そうなるのだと思います。けど。それは意識の対象ではありません。そのことを了解すること。それは、そうしてる残響のような自我の機能を理解する、という意味もあります。また。あまりに当たり前なので、なかなか見るのが困難ですが、中道も正確に理解すべきことと思います。

そういえば散歩してると、中島川に、セキレイが飛んできて。その素早い動きに惹き付けられ、セキレイと「私」と不可分でした。世界もそうであり、「私」と不可分です。それは事実として完全な分離でも、完全な不分離でもありません。つまり完全関係・完全無関係なら、知覚・感覚できないと思います。

それで、その事実としての分離でも分離でもないを、ことさら心理的な働きとして、たとえば他人と仲良くしようとしたり反発しようとしたり、人のために働こうとしたり働かなくあろうと機能させると。つまり分離を分離として強調して意識させられると、おなじことですが解消しようとしたり融合しようとしたりすると、自我になりやすい、と思います。というよりそういう片寄って集中させる機能を、自我と呼ぶのだと思います。それはとくに否定すべきことではありません。

もし分離を排除しようとすると、つまり否定しようとすると、それも心理的な分離と思います。もちろん融合しようと、つまり肯定しようとしても心理的な分離です。 事実は中道であり、否定も肯定も、事実から離れています。それは多分、空想が働かなくては、ほとんど不可能と思います。たとえば今こことか、ありのままとか、そういうことも空想になりえます。

それで、というわけでもありません。とくに、なんもない日常生活をしています。善悪とか、素直とかも生起しない・・・それを素直と呼ぶのですが・・・そのなにもない、それゆえ、学ぼうとしたり、仲良くしようとしたりしても、人のために働こうとしても、それを否定することも肯定することも必要なく、無問題と思います。

No.72 - 2008/01/11(Fri) 21:01:57

Re: 残響のような自我? / 大阪
> たぶん意識は、なにかを知ることができると思うだけ、と思います。

そこの所をきっちり理解しきりたい、ということなのかな、と思ったんです。
未知を知りたいのかな、って思ったのです。

> あの体験を感じようとして、残響のような自我が発生するのですが、ひとつにはやはり、あの愛や真理や自己を理解しようとするために、そうなるのだと思います。けど。それは意識の対象ではありません。そのことを了解すること。

「意識の対象ではありません」難しいです。
意識で捉えられるものではなく、意識もそれらの一部、とか意識が対象とされている、ということでしょうか。

>また。あまりに当たり前なので、なかなか見るのが困難ですが、中道も正確に理解すべきことと思います。

中道、今は全く理解出来そうにない感じがしますが、良く考えてみます。

> そういえば散歩してると、

ここからは中道を理解してないことによっておきる苦痛の説明なのでしょうか。分離、は初めてです。別の考え方で接してはいたかもしれませんが。

> それで、というわけでもありません。とくに、なんもない日常生活をしています。

満たされた毎日なのでしょうか。よく、女の人の思考というか生き方が羨ましく思えます。自分の心を楽しんでいるように見えるからです。かと思えば、とても不幸な生き物に見えることもあって、難しいです。

No.78 - 2008/01/12(Sat) 15:19:37

Re: 残響のような自我? / ubik0101
> > たぶん意識は、なにかを知ることができると思うだけ、と思います。

> そこの所をきっちり理解しきりたい、ということなのかな、と思ったんです。
> 未知を知りたいのかな、って思ったのです。


それはもう、ただの事実です。たとえば無知(無明)による欲望とか自我が機能してることは・・・なんであれ対象や自分を知ってると見なしてることであり・・・そこには過不足があり・・・そうであって欲望や自我は機能するのではないでしょうか。説明としては。ありありと、過不足なく生きてる、それで、知らないです。

> > あの体験を感じようとして、残響のような自我が発生するのですが、ひとつにはやはり、あの愛や真理や自己を理解しようとするために、そうなるのだと思います。けど。それは意識の対象ではありません。そのことを了解すること。

> 「意識の対象ではありません」難しいです。
> 意識で捉えられるものではなく、意識もそれらの一部、とか意識が対象とされている、ということでしょうか。


もっと単純です。あの体験、あの愛や真理や自己を、思い出せない、再現できないと思います。つまり意識の対象にはなりません。それを微かに空想としてでも対象にしようとするから、苦痛であり、残響のような自我が機能せざるを得ないと思います。そこで、まったく意識されないのに、変容した自分。たとえば無明が転換した智恵。貪らないこと。などがあります。

> >また。あまりに当たり前なので、なかなか見るのが困難ですが、中道も正確に理解すべきことと思います。

> 中道、今は全く理解出来そうにない感じがしますが、良く考えてみます。

あの体験の状態、それは中道そのものです。

> > そういえば散歩してると、

> ここからは中道を理解してないことによっておきる苦痛の説明なのでしょうか。分離、は初めてです。別の考え方で接してはいたかもしれませんが。

たとえば自分と他人、自分と環境、自分と思考、それらは互いに分離(独立した個物)である、ない、どう言っても誤りです。なのに分離してると見なすなら、また不分離と見なすなら、それは 片寄りで、中道ではありません。それが自我として機能します。とりあえずはですが。なにかを否定しようとしたり肯定しようとしたりすることは片寄りとして機能しやすいのです。

> > それで、というわけでもありません。とくに、なんもない日常生活をしています。

> 満たされた毎日なのでしょうか。よく、女の人の思考というか生き方が羨ましく思えます。自分の心を楽しんでいるように見えるからです。かと思えば、とても不幸な生き物に見えることもあって、難しいです。

これも満たされてるとか満たされてないとか、どう言っても誤りです。過不足がないということです。知らない、ということです。ごく普通の日常の自分の状態を、そのまま見れば、実感すると思います。

No.79 - 2008/01/12(Sat) 17:56:30

Re: 残響のような自我? / 大阪
>ありありと、過不足なく生きてる、それで、知らないです。

確かにあの体験では、必要な物であり、またあると最高な物が既に手に入っている、と感じて、それまでの人生やこれからも過不足はない、と思いました。
だけど、そう頭では分かってても、何か求めてしまっているのです。
それを終わらせたいと思うのです。

> もっと単純です。あの体験、あの愛や真理や自己を、思い出せない、再現できないと思います。つまり意識の対象にはなりません。それを微かに空想としてでも対象にしようとするから、苦痛であり、残響のような自我が機能せざるを得ないと思います。そこで、まったく意識されないのに、変容した自分。たとえば無明が転換した智恵。貪らないこと。などがあります。
>
> あの体験の状態、それは中道そのものです。


あの体験で最初に起きたことが中道、でしょうか。
あの体験での愛を再現できなくとも、中道は理解することで再現できるのでしょうか。
確かあの時は、善悪を考えることよりも、自分は、自分たちは善だ、という感じだった。善悪を考えることは、どちらかと言うと悪だった。そんなことより善でいることを喜んでいた。気がする。
でも今は、善悪を気にしてるように思える。

> これも満たされてるとか満たされてないとか、どう言っても誤りです。過不足がないということです。知らない、ということです。ごく普通の日常の自分の状態を、そのまま見れば、実感すると思います。

うーん。ごく普通の日常をそのまま見れば。過不足がない、と、知ろう、とする自分がいるような気がします。

No.83 - 2008/01/12(Sat) 20:56:06

Re: 残響のような自我? / ubik0101
> だけど、そう頭では分かってても、何か求めてしまっているのです。
> それを終わらせたいと思うのです。


それはなにか苦痛だからでしょうか。なら、いつも言うことですが、あの体験で見たことを、架空の人に対してでもいいので、教えるつもりで、詳しく言葉にすること。書いて忘れるほうが簡単です。あの体験は、あっちから、のことですが、それを理解する修行は、こっちから、することです。両方必要です。

それは自分で理解できると思います。いや。ほかの誰もできません。いつでも、そのようである、そのままの、その自分の状態、思考を正直に言葉にしていけば、理解は自然に進んでいきます。徹底しないと、いつまでたっても苦痛です。

> あの体験で最初に起きたことが中道、でしょうか。
> あの体験での愛を再現できなくとも、中道は理解することで再現できるのでしょうか。


あの愛を感じない、その感じない自分を、そのまま認めれば、それだけですみます。感じても感じなくても、問題ありません。野山に咲く花、それを摘むことは欲望なのかもしれません。

中道は、再現と言うより、日常が中道でしかありません。この不思議な世界のほか求める必要はありません。それをどう理解するかは個人の問題だし、いろいろあるから人に学べるのです。

> 確かあの時は、善悪を考えることよりも、自分は、自分たちは善だ、という感じだった。善悪を考えることは、どちらかと言うと悪だった。そんなことより善でいることを喜んでいた。気がする。でも今は、善悪を気にしてるように思える。

どこにも概念としての善悪などありません。あると見なしてるだけです。そのときどきに、できる範囲で、実際に悪いことをせず、善いことをすればいいだけです。シャカリキになって奉仕活動をする必要もありません。

> うーん。ごく普通の日常をそのまま見れば。過不足がない、と、知ろう、とする自分がいるような気がします。

ほかの人、たとえばubik0101の言うこと、などを空想しなければ、そんな自分なんて最初から、いません。天上天下唯我独尊。こそ無我と言われます。

No.85 - 2008/01/13(Sun) 08:26:26

Re: 残響のような自我? / 大阪
> いつでも、そのようである、そのままの、その自分の状態、思考を正直に言葉にしていけば、理解は自然に進んでいきます。徹底しないと、いつまでたっても苦痛です。
>
> あの愛を感じない、その感じない自分を、そのまま認めれば、それだけですみます。感じても感じなくても、問題ありません。野山に咲く花、それを摘むことは欲望なのかもしれません。
>

こう言って頂いて、なんか、助けられました。
愚かなことに、苦しんでいないといけない、とか、苦しんでいる姿こそ正しい、というような意識があったようです。
自分を、自由を追いかけさせることで不自由にしていた、感じです。

> 中道は、再現と言うより、日常が中道でしかありません。この不思議な世界のほか求める必要はありません。それをどう理解するかは個人の問題だし、いろいろあるから人に学べるのです。
>

中道に関して質問です。

例えば、ある人が世界を眺めて美しい、と感じる。そこへ父親が疲労しきった姿で仕事から帰って来る。彼は、あぁ世界を幾ら眺めても、腹の足しにならないし、両親に恩返し出来ない。そういって世の中の辛さをなげき、自分の仕事に戻る。
コレは破滅の道でしょうか。蟻地獄に自分から飛び込むようなものでしょうか。

そうではなく。ある人が世界を眺めて美しい、と感じる。そこへ父親が疲労しきった姿で仕事から帰って来る。彼は、あぁやはり世界は幾ら眺めても、美しい。父の仕事を奪ってはならない、といってお風呂に湯をはった、または仕事に戻った、また何もしなかった。
コレは中道でしょうか。

> ほかの人、たとえばubik0101の言うこと、などを空想しなければ、そんな自分なんて最初から、いません。天上天下唯我独尊。こそ無我と言われます。

なるほど。

中道を歩む人を天上天下唯我独尊、と表現するのでしょうか。いや。天上天下唯我独尊、という状態でしかいられない自分を確認することが、あの体験を理解して捨てる修行なのでしょうか。

No.112 - 2008/01/15(Tue) 19:03:22

Re: 残響のような自我? / ubik0101
> 中道に関して質問です。

>例えば、ある人が世界を眺めて美しい、と感じる。そこへ父親が疲労しきった姿で仕事から帰って来る。彼は、あぁ世界を幾ら眺めても、腹の足しにならないし、両親に恩返し出来ない。そういって世の中の辛さをなげき、自分の仕事に戻る。

>コレは破滅の道でしょうか。蟻地獄に自分から飛び込むようなものでしょうか。

うーん。なにを質問してるか???なので、こっちから質問してみます。

恩返ししようとして経済問題しか思いつかない、優しい言葉とかを言えない自分が問題だ、という質問なのでしょうか。

たとえば「父親が疲労しきった姿で仕事から帰って来る」ということと「両親に恩返し出来ない」または「そういって世の中の辛さをなげき、自分の仕事に戻る。」ことを強く関係づける、理由づけるということが、欲望なのでは?という質問なのでしょうか。

「なげき」ということが問題?という質問なのでしょうか。

あるいは自分だけ美しい世界を眺めてるのではなく、たとえば疲労しきった「父親」にも、そうであって欲しいということなのでしょうか。

>そうではなく。ある人が世界を眺めて美しい、と感じる。そこへ父親が疲労しきった姿で仕事から帰って来る。彼は、あぁやはり世界は幾ら眺めても、美しい。父の仕事を奪ってはならない、といってお風呂に湯をはった、または仕事に戻った、また何もしなかった。
>コレは中道でしょうか。


これは、余計なことを考えずに、そのとき、その場で、できることをした。それが中道にあるということ?という質問なのでしょうか。

なんにしても、これが中道、これが中道でない、などと考えること、空想すること。そのことが問題のようです。中道という概念を求めることでは不可と思います。中道とは仏陀の言う縁起の理解にほかなりません。それは縁起という概念も認めません。また縁起、それは空の理解にほかなりません。

http://kukan.syudo.com/index2.html

>中道を歩む人を天上天下唯我独尊、と表現するのでしょうか。いや。天上天下唯我独尊、という状態でしかいられない自分を確認することが、あの体験を理解して捨てる修行なのでしょうか。

おなじように。これも空想しないこと。天上天下唯我独尊という言葉の意味も、空想しないこと。それだけではないでしょうか。

No.113 - 2008/01/15(Tue) 20:36:27

Re: 残響のような自我? / 大阪
> あるいは自分だけ美しい世界を眺めてるのではなく、たとえば疲労しきった「父親」にも、そうであって欲しいということなのでしょうか。
>

思いやりのない文章でスミマセン。

自分が幾ら世界を美しいと思ったところで、「父親」はそうじゃありません。苦しい世界しか見えないと思います。

だから、世界が美しく見えることを「腹の足しにならない」と言って、否定して「父親」や世間の苦しみを一緒に背負おうとする。

それで「父親」を何か経済的にでも楽に出来たとしても、そうすることは、僕には破滅の道に思えます。

そうじゃなくって、世界が美しく見えることを「父親」にもわかって貰うために、仕事に戻っても、お湯を張っても、何もしなくてもその「父親」の苦悩を一緒に背負わない。だから本当は「父親」の仕事は苦しいものではなくて、父親の喜び。

こんな風に捉えることが中道なのでは、と思っているのです。

この僕の捉えかたはあっているか、間違っているか、という質問でした。それをずるく、聞いたのです。

とても情けないことに、自分でも何が聞きたいのか不明でした。

> http://kukan.syudo.com/index2.html

むず。じっくり読んでいきます。

> おなじように。これも空想しないこと。天上天下唯我独尊という言葉の意味も、空想しないこと。それだけではないでしょうか。

どんなことも空想するな、ということでしょうか。
そんなこと出来るのでしょうか。

No.121 - 2008/01/16(Wed) 20:06:28
抑圧の件 / ルー
「ゲストブック」からの続きです。

「抑圧しようとして声をかける人」という読み方は、間違っています。
「自分で自分を抑制するのが当たり前になっている人」であり、そういう人の中には、そのやり方が良いと思い、他の人にも「自分で自分を抑制すること」を勧める人もいるのかな?という話です。

それは、疑問であり、「そういう人がいる」という話ではありません。

peerさんの実態については、私は知りません。

No.68 - 2008/01/11(Fri) 12:49:27

Re: 抑圧の件 / peer
はい。私も疑問の確認で、お尋ねしました。

「感情を表出している人を見かけると、黙っていられない」という表現に対して・・・ですが。

「感情を表出している人」が、ルーさんで
「見かけると、黙っていられない」が、私なのかな。と。
なんとなく、掲示板で「ぶつかった」私たちの状態を
ルーさんは、そのように感じている、、、のかな。と。
つまり、ルーさんを抑圧しようと、の行為である、と。

そうであるなら。
私の「勘違い」は、解消しましたから、ルーさんが、私をどう見ているのか、も意味のないことではない・・・
そこからも、いままでのスレチガイの原因を探れる。かもしれないと、考えています。

No.69 - 2008/01/11(Fri) 13:14:39

Re: 抑圧の件 / ルー
あちらの掲示板に書くと、ubikさんがアーカイブに入れるという作業をしなければならないので、私は、書きたいことがあれば、こちらに書きますね。

私は、スレチガイとは感じていないです。
どうして、書かれてあることをそのまま読んでもらえないのだろうかという疑問がありましたが、あちらの掲示板に書かれた最新のものを読んで、何となくわかりました。

人を試す必要は感じられませんし、理解への方向があるだけです。
感じたことを素直に表現しても(されても)、受け取り方がわからないのではないですか。
自分にはどうしようもないというか。
自分を振り返るということが、できないのではないですか。

No.87 - 2008/01/13(Sun) 09:55:52

Re: 抑圧の件 / ルー
書いてみて、何か、またピッタリしないものを感じました。

古い掲示板の方で、ずっと前にpeerさんが書いていたことですが、理不尽な怒りをぶつけられた時の対処方についてのことで、「相手の怒りの原因を知ろうとするのは、自分の時間を浪費することになるので、かなり選択しにくい」と、ありました。
何となく、私は、そのへんのことだと睨んでいます。

相手の事情には関心がないのではないかという疑問です。

自分の気持ちを表現することは、大事なことだと思います。
自分のためにも、相手のためにも。
不機嫌な態度をとったのは、「人を試すため」なのでしょうか?それは、peerさんが勝手にそう思っているだけかも知れませんよ。確かめたわけではないのでしょう?
私も、peerさんとのやりとりで、勝手に「試している」とか思われていたのなら、とても気持ち悪いです。

No.88 - 2008/01/13(Sun) 10:11:04

Re: 抑圧の件 / peer
あれは、思春期の少女の話し・・・です。
ルーさんを対象には、していません。よ。
そこの所、誤解のないように願いますね。

ルーさんは、不機嫌でもなく・怒ってもいない。
ということですから、別の話です。


で「ルーさんを抑圧しようと、の行為である、と。」
の方は、どうなんでしょう。
んんんー。それは「ない」ということで宜しいのでしょうか。

抑圧する。というのは、たしか、力関係がある。
と書いた記憶があります。
私たちの間には、力関係は、ありませんよね。
それこそ。対等な普通の人間と人間で。
力を使って、どちらかが、相手を従わせることなど
ありえないこと・・・ですからねぇ。

No.92 - 2008/01/14(Mon) 00:05:06

Re: 抑圧の件 / peer
こういうことは、して欲しくない。
と言われて「わかりました」と応えて。
それで、本来なら終わったモノでした。

そのうちに、なんだかコントロールの話が入り。
「コントロールしたいのか」
みたいなコトになって・・・。
「どこか、安全な場所で、自分の深い傷について話されたらどうでしょうか。」となり
「「私の中に問題が見えてしまう自分」というものと向き合えばいいと思います。」となって。
理論で防衛している・・・とか言われ。
どこが防衛なのかも、理解できず。

話がどんどんスレチガイになって行った。
と私は、感じているのです。
ルーさんが、スレチガッテイナイ。と言うなら。
徐々に私の勘違いが、膨れて行った。ということ
ですよね。
それで、いいなら、、問題ないです。

No.93 - 2008/01/14(Mon) 00:20:30

Re: 抑圧の件 / ルー
「ルーさんを抑圧しようと、の行為である」これは、全然違います。
peerさんは、peerさん自身を抑圧しようとしているのではないか?ということです。感情をです。
それから、防衛は、「傷つかないように防衛している」という意味です。
私が今まで書いたことは、掲示板に残っているので、その言葉のまま読んでみてください。他の意味はありません。
「どうしてほしい」とか気持ちを込めていたりもしません。
力関係のことは、peerさんがsuhoさんとの会話の中に書いていたことです。「力のある人は抑圧に回ります」とかいうログだったと思います。

No.94 - 2008/01/14(Mon) 00:38:33

Re: 抑圧の件 / ルー
「自分で自分を抑制する」というのが、わかりにくいですか。自分で自分を傷つけるというのはわかるんですのにね。
No.95 - 2008/01/14(Mon) 00:41:04

Re: 抑圧の件 / ルー
peerさんは、私がpeerさんを抑圧しようとしているとは感じませんでしたか?
No.96 - 2008/01/14(Mon) 00:42:35

Re: 抑圧の件 / ルー
> あれは、思春期の少女の話し・・・です。
> ルーさんを対象には、していません。よ。
> そこの所、誤解のないように願いますね。


そのような誤解は、していません。
しかし、私の書き込みについて、女同士の会話のウザったさは感じたわけでしょう?
そこから、この思春期の女の子達の話になったのでしょう。それは、peerさんの妄想が膨らむ原因になっていませんか?「愛を道具としてやりとりしようとしている」というのが、シナリオだと思ったのではありませんか?
それは、疑問です。そう言いたいのではなくて。返事がないとわからないことです。

> 抑圧する。というのは、たしか、力関係がある。
> と書いた記憶があります。
> 私たちの間には、力関係は、ありませんよね。
> それこそ。対等な普通の人間と人間で。
> 力を使って、どちらかが、相手を従わせることなど
> ありえないこと・・・ですからねぇ。


「力のある人は抑圧する方に回ります」と書いていたので、そのように思っていると解釈しました。

No.97 - 2008/01/14(Mon) 09:29:07

Re: 抑圧の件 / ルー
> こういうことは、して欲しくない。
> と言われて「わかりました」と応えて。
> それで、本来なら終わったモノでした。


その後のpeerさんとsuhoさんの会話を読んでいて、peerさんは、私を「傷ついた人」とレッテルを貼って終わらせた、と感じました。
そして、「傷つく人は、自分で傷つくのだ。私には関係がない。」と、そのように受け取りました。

> 「どこか、安全な場所で、自分の深い傷について話されたらどうでしょうか。」となり

それは、peerさんが「潜在意識にまで及ぶ深い傷」とおっしゃり、「その傷が癒されないとどうしようもない」と書いていたからです。それは、peerさんとは関係のない他人の話なのでしょうか。peerさんは、自分は傷つくことはない、ということは、どこか他の「傷つく人」の話ですよね。

> 「「私の中に問題が見えてしまう自分」というものと向き合えばいいと思います。」となって。

私の中に何か問題が見つかるので、声をかけるのではないのですか?

> 話がどんどんスレチガイになって行った。
> と私は、感じているのです。
> ルーさんが、スレチガッテイナイ。と言うなら。
> 徐々に私の勘違いが、膨れて行った。ということ
> ですよね。
> それで、いいなら、、問題ないです。


「それで、いいなら」がわかりません。
現実を確認しているだけです。

No.98 - 2008/01/14(Mon) 09:38:27

Re: 抑圧の件 / ルー
たくさん書いて、すみません。
返事は、いつでもいいです。

前に、peerさんとsuhoさんの会話の中で、「自他は同じであるが、傷ついた時に、自他を分ける」と書いてあったと思います。それは、誰の話なのでしょうか?どこから、それを知ったのでしょうか。自分のことでなくて、どうしてわかるのでしょうか?
しかし、「自分は、傷つくことはない」とおっしゃいます。
「人間は、みな繋がっているので、誰という特定の話はできない。人間というものについて書いている」のなら、自分も含まれる話ですよね。しかし、自分は、傷つくことはない。
ということは、「自分は傷つかないけれど、傷つく人は、このようである」と書いているのでしょうか。

peerさんは、私が、「怒っている、傷ついている」と思っていたでしょう。
そして、suhoさんとの会話で「傷つく人」について書いていたでしょう。
それで、私は、その時点で思うことを書いていました。
それだけです。

No.99 - 2008/01/14(Mon) 10:02:21

Re: 抑圧の件 / peer
人間関係における単純なトラブルの多くは
思い込み・勘違い。でしかないと私は感じています。

「私は貴方をこうだと思っている」
しかし、それを開示する機会がないと、それが
本当なのか勘違いなのか、修正できない。

「相手の怒りの原因を知ろうとするのは、自分の時間を浪費することになるので、かなり選択しにくい」は、ここにつながりますね。
思い込みだろうと、勘違いだろうと、結局は自分の問題ですから、それでイイなら、そのまま通過。それを修正しようとするかしないか、でトラブルが解消されるかどうか。なのですが。

今回の場合は、あの話とこの話が、すべて関連づけられてしまったために、起きて来たコト。ではないかと推察しています。
とりあえず、ひとつの疑問へ。
「自分は、傷つくことはない」というのは、ルーさんの言葉によって傷つくようなことは、ないし、なかったですよ。というような意味です。だから防衛する必要を感じていない。。と、ここに続いています。
んんー。分かりにくい・・・ですか?

No.103 - 2008/01/14(Mon) 10:45:00

それと・・・ / peer
「peerさんは、peerさん自身を抑圧しようとしているのではないか?」

については、エゴを見る。というのが正確な表現です。
抑圧すると、エゴは巧妙ですから、分からないように出て来ようとします。
エゴは、どんなに消そうとしても、消えないです。
それがあるからニンゲンじゃないの〜みたいな・・・。
ですから、監視しているしか、ない状態です。今の所。

じっさい・・・
これを書いているのが、エゴかも知れません。
そこが判断の難しいトコロ。ホントに難しいです。

No.104 - 2008/01/14(Mon) 10:54:52

Re: 抑圧の件 / peer
“peerさんは、私を「傷ついた人」とレッテルを貼って終わらせた、と感じました。”

「心の中に土足で入って来る」という感覚があったのでしょう。そういう場合「傷ついた」感覚じゃないかと思います。

“「傷つく人は、自分で傷つくのだ。私には関係がない。」”

関係はない、というのは、直接的にはという意味だったのです。もともとの傷があってそれに触れられると痛い。という構図があるのだと考えます。

その傷は、原形がある。生きていることの、痛み・せつなさ、のようなモノです。傷ついた時、痛みの原形の在り処が分かります。ただその場の「傷つき」を見ていては、気付きにくいのですが。

その原形の在り場所から「自他は同じであるが、傷ついた時に、自他を分ける」という、自他を分けた原因が見えて来ます。あのとき、世界から自分を分けた・・・自分を切り取った。のだと。

No.109 - 2008/01/15(Tue) 09:57:05

Re: 抑圧の件 / ルー
> “peerさんは、私を「傷ついた人」とレッテルを貼って終わらせた、と感じました。”

そうではないのですか?

> 「心の中に土足で入って来る」という感覚があったのでしょう。そういう場合「傷ついた」感覚じゃないかと思います。

いいえ、傷つくというほどの関係は、私とpeerさんの間にはないので、ただ「土足で踏み込まれた」という感じです。

> “「傷つく人は、自分で傷つくのだ。私には関係がない。」”
>
> 関係はない、というのは、直接的にはという意味だったのです。もともとの傷があってそれに触れられると痛い。という構図があるのだと考えます。


自分で自分を傷つける場合の話ですね。

No.110 - 2008/01/15(Tue) 14:40:39

Re: 抑圧の件 / peer
> “peerさんは、私を「傷ついた人」とレッテルを貼って終わらせた、と感じました。”
>そうではないのですか?


レッテルを貼ったというより〜適切な言葉としては
「地雷を踏んだ」という感じです。

No.114 - 2008/01/16(Wed) 01:18:48

Re: 抑圧の件 / peer
> 「「私の中に問題が見えてしまう自分」というものと向き合えばいいと思います。」となって。
> 私の中に何か問題が見つかるので、声をかけるのではないのですか?


「私の中に自分の問題が見えてしまう」という意味なら
そういうことは、ありません。
「ルーさんが問題をかかえているようなので声をかけた」
というトコロですが。
声をかけたことが「土足で踏み込まれた」と感じさせてしまったのは、申し訳なく思っています。
で、ルーさんが「こういうことは、しないで欲しい」とのことでしたが、どこまでが土足で踏み込むコトなのか、判断が出来にくい・・・。
そこが無神経と言われるトコロだったワケで〜。
人との心の距離というのは、難しいと、感じています。

No.115 - 2008/01/16(Wed) 01:32:59

Re: 抑圧の件 / ルー
> 「私の中に自分の問題が見えてしまう」という意味なら
> そういうことは、ありません。


そういう意味ではありません。

> 「ルーさんが問題をかかえているようなので声をかけた」
> というトコロですが。


そういうことです。

> 声をかけたことが「土足で踏み込まれた」と感じさせてしまったのは、申し訳なく思っています。

ただ声をかけたというより、「こういうふうに考えたら楽になりますよ」というふうに聞こえました。

> で、ルーさんが「こういうことは、しないで欲しい」とのことでしたが、どこまでが土足で踏み込むコトなのか、判断が出来にくい・・・。

どこまでという深さとか、範囲の問題ではないと思います。
わからなければ声をかけなければいいと思うし、「やめてほしい」と言われれば、その時にわかることだと思います。

> そこが無神経と言われるトコロだったワケで〜。
> 人との心の距離というのは、難しいと、感じています。


知らない相手に声をかけるのは、内容によっては難しいことだと思います。

No.116 - 2008/01/16(Wed) 08:46:46

Re: 抑圧の件 / ルー
> > “peerさんは、私を「傷ついた人」とレッテルを貼って終わらせた、と感じました。”
> >そうではないのですか?
>
> レッテルを貼ったというより〜適切な言葉としては
> 「地雷を踏んだ」という感じです。


peerさんは、「地雷を踏んだ」と感じ、私のことを「傷ついた人」として扱ったのではないですか。
そして、その後のsuhoさんとの会話で「傷つく人」について書かれたのではないですか。
ですが、私は、「土足で踏み込まれたような感じ」を感じた時も、その後のpeerさんとのやりとりでも、「ゴミ箱にされた」と言われた時も、「世界から自分を切り離した」と感じたことは一度もありません。

No.117 - 2008/01/16(Wed) 10:00:03
無限と限界 / potanpotan
無限を広大な自分だとして
限界を今、ここにある自分だとして

悟る障害とされるものがありますが・・
自我や執着や・・思考や・・意図や・・意思や欲望・・

どんなに何を実践し、学び、努力しても
一点、無限を・・あるいは自由という表現でもいいですが

そこに自分は捧げられていることを発掘する・・

それなくしては「無限」は永遠にやってこないのではないでしょうか。

照準が・・

悟っていようが、愛にあふれていようが
どんな自分であろうが
今の自分にあるとき

どんな言葉をどう理解し、実践しても
「無限」はない

のだと感じます。

すべての今が「無限」に捧げられている

「無限」に命がけになるとき

「現実」になるのではないでしょうか。

そのとき、
どんな執着も
欲望も
思考も

身については壊れ
壊れては沸き

広がってゆく営みになるのだと感じています

No.82 - 2008/01/12(Sat) 20:45:16

Re: 無限と限界 / ubik0101
ほんとーに。
potanpotanさんって、実際に、書かれてるままなんだろうなと感じます。
とても叙情的で、新鮮に響きます。
そこで質問です。

> 無限を広大な自分だとして
> 限界を今、ここにある自分だとして


これは、目標?として
まず 広大な自分をイメージ?するということなのでしょうか。
たとえば、

イントラ反転真空管アンプは
自分で組んで、
チューニングは苦労したけど楽しい作業でした。
コンサートには一度も行ったことはありません。
しかし、美しい音か、そうじゃないとかは
聞けば感じるからです。
そういう感じなのでしょうか。
というのも
なにか目標を持って
肯定的に接近することは
パターンに順応するだけと言う人もいますが
否定的に接近して達成したなら、
肯定的な接近を妨げる理由がないと感じるからです。

> すべての今が「無限」に捧げられている
> 「無限」に命がけになるとき
> 「現実」になるのではないでしょうか。
> そのとき、
> どんな執着も
> 欲望も
> 思考も
> 身については壊れ
> 壊れては沸き
> 広がってゆく営みになるのだと感じています。


こうであれば、欲望の仕組み
また。それが発生しなくなる理由は
理解できるのでしょうか。
それとも発生しては
滅するということなのでしょうか。

とても興味があるところです。

No.86 - 2008/01/13(Sun) 08:29:51

Re: 無限と限界 / potanpotan
> 広大な自分をイメージ?するということなのでしょうか。

ubikさん、

広大な自分とか小さな自分とか

私はぜんぜんわかっていないんだな。
イメージをしているだけなんだな。
ということをすごく感じる一日でした。

イメージしているだけで
ぜんぜんリアルじゃない
少しだけリアルの入り口の前に立っている
といえば、これも傲慢かな

でも、いずれにせよ

ぜんぜんわかっていないんです

ただ

心を開いていたいと思います
そして今、心が開いているかな・・と思います

心を開いていたい
今、閉ざしていることを見えているかな

自分を生かすために
「真実」を使用したくない
自分のために「真実」を使用しているのに
気がついているかな

傲慢になりたくない
今、傲慢になっている私に気が付けているかな

傲慢だというサイン
無知だというサイン
エゴだというサイン
バランスが崩れているというサイン
盲目だというサイン
逃避だというサイン
自己防衛だというサイン
独善的だというサイン

そういうものを絶対に受け止めたい
私は、受け止めているかな。

>美しい音

美ってなにかな
何を美しいと思うかな

バランスかな
嘘ではないものかな

まっすぐなことかな

命かな

調和かな
破壊かな
再生かな

全部全部美しい

本当かな

醜いものってなにかな

光の当たらないものかな

腐敗していくもの
排泄物
バランスの崩れた欲望

生きていないものかな

> 欲望

私はぜんぜんストイックではないので
欲望を滅することを挑戦したことはないです。

ただ欲望は重要なサインだと思います。
バランスや関係性や体の状態
心理状態・・を見るサイン。
欲望は嘘をつかないので・・
きれいごとをゆわないので・・
ゆがみはゆがみのまんまを映してくれる鏡でしょうか。

私は・・ありのままを言っているかな
言葉だけが流れてしまってないかな

potanpotanの開き(アジの開き)でありたい。

No.90 - 2008/01/13(Sun) 22:09:29

Re: 無限と限界 / ubik0101
>欲望

あるとき飲み屋で、
数人の青年起業家たちが、
目標について話しあっていました。
その1人が、腕を振り回しながら
店中に聞こえるような、大声で言いました。
ただ儲けたい、んじゃない、んだよー。
俺は。
そんなことは、どーでもいいんだよー。
俺は。
ずっと、ずっと、ずっと、
儲けて、儲けて、儲け続けたいいんだよー。
俺は。
それが目標だ。

あっちになにか富にしても車にしても彼女にしても、ある、ということで、それを求め続けようとする働きが必要かもしれません。そして、こっちに、それを知ってる自分が、いる、と感じてなくては、欲望は欲望として、機能しないと思います。 そして、自分が、いる、なら欲望を抑えようとすることも、欲望でしょう。そうなら自分が、いない、を考えるのも欲望でしょう。

これを過去や未来に囚われた意識の運動として見たら、今、を学ぶでしょう。これを所有が増えたり減ったりすることとして見たら、不増不減、を学ぶでしょう。これを自我として見たら、自己、を学ぶでしょう。これを知ってると見たら、知らない、を学ぶでしょう。これを過剰な接触として見たら、依存関係、を学ぶでしょう。これを倒錯として見たら、安息日の主、を学ぶでしょう。これを片寄りとして見たら、中道、を学ぶでしょう。これを無知として見たら、智恵、を学ぶでしょう。

しかし、
ひとつづつの段階はないでしょう。
欲望から、その対極ではない、
無欲に至る直接の道はないでしょう。
それは一瞬に
人の変化として起こらざるをえないでしょう。
そして富を得ても得ないでも、
車を得ても得ないでも、
彼女を得ても得ないでも、
まったく無問題でしょう。

No.100 - 2008/01/14(Mon) 10:02:49

Re: 無限と限界 / potanpotan
> >欲望
> まったく無問題でしょう。


欲望って望ましくないネガティブな意味だけでなくて
「〜したい」という思い全部をいうのですね。

そう考えると私は欲望だらけです。

ものすごいやりたいことが常に飽和状態にあります。
どうしてこんなに私は欲深いのか考えていて・・
それはイメージを持ちやすいからだと思いました。

イメージ・・

願望とか夢とか希望とか・・妄想とかそんなものもですが
もっと深い思想とか植えつけられている固定観念とか・・

イメージはその人の行動の選択の基準になりますし
振る舞いの源になりますし・・好みやいわゆる価値観・・
イメージが明日を作ると思います。

自然なイメージは自然ですよね
勝手に動くし勝手に沸いて

でも多くは「夢を達成」するには
肉体を鍛え、感情をコントロールし、頭のイメージを実現させるべく試練を克服することが美徳ですよね

それが出来てしまう人間て不思議です。

そうしてしまうからするんでなくて
そうしたくなくてもできる人が多い
そしてそうできることがすごいことなんですよね

No.106 - 2008/01/15(Tue) 00:23:18

Re: 無限と限界 / ubik0101
>欲望って望ましくないネガティブな意味だけでなくて
>「〜したい」という思い全部をいうのですね。


すこし散歩しながら、よく思い出そうとしてみました。その昔、自分に欲望が働いてるとしても、欲望が働いてると感じたことは、ほとんどなかったと思います。そして今は、そんなの、あってもなくても、どーでもいい、です。たしかに、世の中には、なにかの感情や意識の運動を欲望と名前つけて、肯定・否定しようという教え、傾向はあると思います。

そうだとして。そんな欲望は、
「〜したい」と思うことである、
とは言えないと思います。
というのは、
「〜したい」と思わなければ欲望してない、
とは言えからです。

欲望は人の状態ではないでしょうか。

その人の「〜したい」「〜したくない」思いに無関係です。

その人が無知で、倒錯し、片寄ってることを
欲望と呼ぶのであり、
そうでなくなって始めて気がつくのかもしれません。

そして人が
無知で、倒錯し、片寄ってなければ
「〜したい」「〜したくない」など、
どーでもいいと思いました。

「夢を達成」しながらも
なにかも知れない自分を探ることが、
大切なのかもしれません。

No.111 - 2008/01/15(Tue) 18:03:28
言葉って・・ / potanpotan
ネットはここ1年くらいですが・・
言葉のやりとりって難しいですね。。。

言葉から感じられる世界はありますし・・
でも、言葉と実際本人と会ったときの印象とぴったり同じという人はどのくらいいるんだろう。

言葉ってかっこつけやすいからなー
でも、心を語るのに向いているけれど

やっぱりかっこつけちゃうな
理想の自分であったり・・

言葉と思考は仲良しだから
縦横無尽になめらかに拡散しやすい

それで
実体と離れやすい

毎日さまざまな人と会いますが・・

会うというのはすごいことなんだな。

センサーを総動員ですものね。

「感じること」って不思議ですね。

No.101 - 2008/01/14(Mon) 10:05:04

Re: 言葉って・・ / ubik0101
ほとんど、うろ覚えです。ある禅師に役人が面接に行きました。しかし役人の挨拶を禅師は、無視します。そこで役人が「なんだ、遠くにいて、いい評判だけを聞いていたほうがよかった」。禅師は「よくも耳を信じて眼を信じないことができるものだな」・・・と、いう話を思い出しました。

たしかに言葉は嘘をつくことができます。自分を高く見せたり低く見せたりできるかもしれません。そうであるなら、人は嘘をつくのではなく、嘘に使われているのではないでしょうか。嘘が、その人の人生を支配してるのではないでしょうか。そうであるなら、使ってると思いながら使われてる、自分がいるのではないでしょうか。

ところで言葉は、まったく表現する対象と無関係。それゆえ、対象を正確に表現できるのではないでしょうか。そうであって、こうである自分を、こうであると、そのまま素直に語ることができると思います。嘘をつかないのではないでしょうか。それで、人は、言葉を使う、と言えるのではないでしょうか。

判断。

たとえば。この一週間。自分。そして自分と関わった人の、行動、発言、思考。それを、まったく事実、正確に言葉にしようと試みたなら。そのことに一週間かかったとしても、ほとんど不可能ではないでしょうか。それで人は、ある立場をとって、あれは、こういう意味なのだ、と ある解釈、ある判断をして、纏めているのではないでしょうか。そういう癖がついてるのではないでしょうか。

そして今日は、凄いとも言える青空です。ビルの窓や壁にあたる日光が、陰影をつくり、街路樹がざわめき、道路には木漏れ日が揺らめきます。ゆっくりと鳶が翼を広げて飛び、その無音が見えます。成人式なのか、振りそでの姉ーちゃんと、カメラを首から下げた家族が、アーチ型の石造りの橋の上を歩いています。この現実。不思議という言葉も不要。なんて明るく美しいのでしょう。

> ネットはここ1年くらいですが・・
> 言葉のやりとりって難しいですね。。。


ネット歴は2年めです。これまで4名の投稿者さんと、お会いしました。あっ。5名でした。ほかの掲示板を含めると7名です。

No.105 - 2008/01/14(Mon) 12:33:26

Re: 言葉って・・ / potanpotan
音楽は嘘をつかないもんと思っていましたが

作曲するとき、とくに重要なところを作曲しているとき
かならず逃避行動が起こります。
ちょっとパンをかじってみたり 体操したくなったり・・
寝ちゃったりするのですが・・
けっこう苦しい。

イメージが沸いてざっとスケッチしたものを一音ずつ吟味しながら明確に形にしてゆくことは・・限定してゆくことが
本当に苦しい。
限定してゆくたびに嘘になる気がして・・
たった12個の音の中に割り振ってゆくのがなんともぎこちなくて・・
もっとなめらかに表現したいのに
もっと多様なのに
でも音を納めてゆく。

リアルにしてゆくことが嘘になってゆくことのように思える気がするときもある。
だけど、リアルにしなければやっぱり嘘で・・


楽譜にしてしまうと

演奏する作業で私の「嘘」に「本当」の世界を響かせてくれる演奏者がいて・・

No.107 - 2008/01/15(Tue) 00:44:42

Re: 言葉って・・ / ubik0101
そういえば、
言葉にも同じような機能があるかもしれません。

たとえば、愛、と思ったりしてる時、ほかの総ての言葉を否定しています。歓喜も、空も、魚も、樹も・・・そのようにして、また、世界という言葉に続き、そうしてる時、また、ほかの総ての言葉を否定しています。苦痛も、花も、風も、雨も・・・そのように連続して。たとえば・・・それを感じても感じなくても、愛は世界に溢れています。となります。その現れない言葉に支えられて、言葉が話されるとも言えると思います。

ところで音楽が聞こえるということ
それは、とても不思議です。

No.108 - 2008/01/15(Tue) 09:01:23
愛・自由・幸福 / potanpotan
ホームページでこのテーマを拝見して・・
なんとなくいろんな想いが沸いていました。

私は世界を音楽と連動させてみていますので・・
音楽の表現が多くなって恐縮なのですが

私にとって「自由」は「生かす」の一点に想いを結集させて世界を見ることのように思います。
正確には「生かす」が「自由」ではなくて
「生かす」という思いが「自由」への扉を開けてゆく。

「このように弾くべきだ」
「正確に奏でるべきだ」
「楽しむことだ」
「自由に演奏することだ」

そんな「〜しよう」という思いに目を向けずに
ただ「これらの音が生きるためにはどうするか」

自ずと
「リズム」「楽器」「音程」「フレーズ」「情緒」「ハーモニー」「空間」「心情」「体」「人」「自己」「理論」「時」「音」

必要なときに必要なものを見ていく扉が開いてゆきます。

音は無限
だから、何をどう奏でたってすべて音楽
好きなようにやるのが自由な音楽

こういう自由を求める音楽もあるけれど
確かに何をどう奏でても音楽になる聞き方や曲を作ることは出来るけれど、それも音楽の全体の中のごく一部のあり方に過ぎないし、こういう自由な音楽は「強烈な抑圧の解放」の反作用として誕生しているんだなと感じます。

音は無限
無限は無に等しくて

自由になるというのは無数の限界(世界)を見てゆくこと・・のように感じています。
無数の限界を見るというのは・・・
「生かす」という一点で世界を見ること
その流れの中で
「自分が生きる」があり、
「必要あれば覚醒のようなものがあり・・」

そして、自由になるとは・・
前はこの音をこんなふうに生かせなかったけど、今はこうすればもっと生きてくるなと見えてきたとか・・この音を生かしていないことにさえ気が付いていなかったけど、ぜんぜん生きていないことに気が付いたとか・・
それが自由になってゆくことのように感じています。
だから、突然羽が生えて自由になるというよりは
めちゃくちゃ地味な作業の繰り返しというか・・
で・・いつのまにかたくさんの音の営みの姿が見えてきた
みたいな感じかな

こういうスタンスの全体を「愛」というのではないかとも思いますが・・
「愛」も多様なあり方がありますね。
「生かそうとすること」を「愛」というならば
「この社会の枠組みの中で頂点を目指して豊かに生かそうとしている愛」や「危険なものからとにかく防衛遠ざけようという愛」や
様々な愛の姿に出会います。

だけど、一辺の愛し方は一辺しか生きないかな。そして
一辺の愛しか見ないから、必要なものに気が付くことなくどんどん枯らしてしまっていることも多いかな。

そしてこういう私の見方も一辺に過ぎない。

幸福は・・「生かされない」ものを抱く人が「生かされる」感覚や予感や「生きている」ものに触れたときに沸く感覚でしょうか。
「生かされない」という「不幸」があるから「幸福」があるのでしょうか。

そんなふうに私は思いました。

そうか・・だから「自分が自分になるために生きる」
ことが志というよりは
「生かす」ことが志なのかな
その流れの中で「自分がなければ」「生かせない」なんだろうな。
それで、結局「生かす」ことは「生きてくる」連動しています。

No.58 - 2008/01/07(Mon) 04:35:58

Re: 愛・自由・幸福 / ubik0101
言葉。

モーツアルトを、
ときどきイントラ反転真空管アンプで聞きます。

ところで。言葉は、
音楽と違って、練習するということも不要なくらい、
自然に話せます。

その言葉で
日常の自分の有り様と、
それを成立させてる前提を、
見ました。

それは、なにか新しい立場とか有り様を、
得ようとするより、どんな見えることも、
理解することで
失おうとする姿勢でした。
そういうことができたのは、
やはり言葉の機能と思います。

宗教の言葉、哲学の言葉、小説の言葉などで、
何かを加えるのは不可能であり、
日常の言葉だけで、
否定の道を歩きました。

そうすれば、
その中心にあるかもしれない自己が
見つかるかもしれないと思っていたのでしょう。
しようとしてしたのでもなく
本能とも言える衝動でした。

きっと、
もう同じことは二度とできないと思います。
まったく世間知らずで、
素直であり傲慢であり支離滅裂、
人間関係も顧みず
ありとあらゆる
見えることを失い、
失ってる自分を失い、
そのためにしか生きていませんでした。

そして見つかったのは
どんなことも人ができ得ることは
人ができうるように世界ができてるから、
という絶対不自由でした。

それが逆転したのだと思います。

No.60 - 2008/01/07(Mon) 09:33:26

Re: 愛・自由・幸福 / potanpotan

「知る」ということを思っていました。
いろんな「知る」があります。


「水」

●そいうものがあるという情報を「知る」。
情報の世界は「あるらしい」のであって「ない」世界
目の前に存在する水たまりに気が付かず「水」を
またいで行っちゃうような・・・

●「水」を目にした。
「見る」世界では「水」は「ある」
光に輝いている。流れている。透明だ。形がみるみる変化している・・「水」の表面を「知る」。

●「水」に触れる。「飲む」「浴びる」・・「水」と交わる。自分を通して「水」の作用を「知る」。

水に手を入れると波紋が広がる、つかめない。冷たい、暖かいときもある。
飲んでみる。体中に染み込んでゆく。
飽きるほど飲んでみる。
干からびるまで飲まないでいてみる。
水を空にまいてみる。水をたたく。
しぶきが目に入る。
視界が波打つ。
水に入ってみる。もぐってみる。呼吸ができない。
静寂。
水から出てみる・・

様々な「水」の多様な姿やその「作用」を自分を通して「知る」。

●水になる。自分を「水」に捧げる。

水鳥の足かきに「私」はゆさぶられる
落ちてきたどんぐりを「私」は押し流す
石にぶつかって「私」は分散する

泥とまじって、「私」は荒くなる
土とまじって「私」は重くなる
樹木に染み込んで「私」は樹木を生きる


水になるとき「水」という存在の全体を「知る」道が出来るのではないかなと思います。
でも、「水」になる視点ではどんぐりからみた「水」の捕らえ方、水鳥からみた「水」の感触、水にぶつかられた「石」の感じ方は「知れない」



イントラハンテンシンクウカン
なんだか7連符ですね。
不規則に規則的で魅力的な響きです。

No.64 - 2008/01/08(Tue) 23:28:49

Re: 愛・自由・幸福 / ubik0101
> :
> :
> 水になるとき「水」という存在の全体を「知る」道が出来るのではないかなと思います。
> でも、「水」になる視点ではどんぐりからみた「水」の捕らえ方、水鳥からみた「水」の感触、水にぶつかられた「石」の感じ方は「知れない」


な、なんか鳥の視線になったり、自分を「水」に捧げ「樹木に染み込んで「私」は樹木を生きる」。バイオリンの稽古をしたら、震動する空気になったり、美になったりするのかもしれません。おもしろい、です。

それはともかく。そうだとして。「水」になれば「私」は「知れない」。「山脈」になれば「私」は「知れない」。「世界」になれば「私」は「知れない」。のでしょうか。

そして、「私」になれば「欲望」を「知れない」。「私」になれば「善悪」を「知れない」。 ついでに「私」になれば「私」は「知れない」。なんにしても、「知れない」。

たとえば連綿と繋ぎめなく続く日常にあっては、なにも判断不可能で「知れない」。この今にあっても、なにも判断不可能で「知れない」。では、なにも「知れない」し、「知れない」も、「知れない」。「私」は、なんでしょう。

また。知覚するということ。それは「差」のことかもしれないと、思いました。「私」は、「私」と違う「あなた」を、「私」のこととして知覚する。のかもしれません。でも、もっとなにかありそうです。

No.66 - 2008/01/09(Wed) 11:24:51

Re: 愛・自由・幸福 / potanpotan
>「私」は、なんでしょう。
>
> また。知覚するということ。それは「差」のことかもしれないと、思いました。「私」は、「私」と違う「あなた」を、「私」のこととして知覚する。のかもしれません。でも、もっとなにかありそうです。


「私」は ものすごーい広さでむちゃくちゃいろいろなんじゃないでしょうか。

すべての人がむちゃくちゃ広くて、めちゃくちゃいろいろなのだと思います。

けれども、そんなに広くていろいろだと、お皿の中に収まりきらないし、肉体の持っているタイムスケジュール上カットせざるを得ないので、人それぞれ適当にカットして、適当なお皿に自分を収めて、肉体のタイムスケジュールをうまくこなそうということなのではないでしょうか。

生まれたてのときは、体が自分ではないのですが・・
(赤ちゃんは自分の手の動きを不思議そうに見ています。)
それがいつのまにか、ごく自然に伸ばしたいところに手を伸ばし、歩きたい速さで歩けるようになり・・体を無意識に使えるようになると、体が自分として活性され、そこが自分としてスイッチが入る・・・

「おまえはグズでノロマな亀」といろんな人に言われて
「グズでノロマな亀」の自分というスイッチが入る・・

「美人」という世間的評価、「ブス」だという世間的評価や世間の価値基準との比較や・・そんなさまざまな経験で「自分」のスイッチが入る。

また、「ブス」であったけれど、お化粧をうまくし、スタイルを磨き、「美人」の領域に来る懸命な努力をして今や「美人」というスイッチの自分も確立した。
しかし、老化には勝てず、また「醜い」自分のスイッチが入るのを恐れる。

めちゃくちゃ広大な「自分」のどこが「活性」しているか
なのではないでしょうか。

ある一部のポイントが活性しているのに強くとらわれて
そこを保守しようと肉体のタイムスケジュールをこなすのか

幅広く活性していくことに肉体のタイムスケジュールをこなすのか・・

人によって違いますね。

でも、魂はいつでも広がる「可能性」の方向を示唆しているように思えます。

でも 別の機能(これがなんなのかがよくわからない)が広がらずに「よくよく限界を知りなさいよ」という方向を示唆しているように思えます。

そして、可能性と限界のバランス点を個々に生きるのだと思います。

No.71 - 2008/01/11(Fri) 20:01:59

Re: 愛・自由・幸福 / potanpotan
すみません。上記はあまりにも・・雑な見方です・・

一部分からでも、全体を予感したとしても。
限界をつきつめても・・・
自分がどこに存在しても
たぶんそれはなんでもよくて・・

どこからでも、どういっても・・
広く活性してゆく道に繋がっているように
見えるのだけど・・
あるいは、肉体のタイムスケジュールと上手くやりくりしながら、不思議と自然に、豊かになってゆくようになっているように感じるのですが・・

でも、それをそうさせないのは
執着や無知というよりは
傲慢さかな。

そんなふうに思います。

傲慢さって何かな。

スイッチの入っている小さな自分が
全てと思いこむことや

全体を予感したにすぎないのに
いろんなスイッチを強制消去してしまうことかな。

No.73 - 2008/01/11(Fri) 21:22:38

Re: 愛・自由・幸福 / ubik0101
なんとなく暖かい雨上がりの空に、今日は、30数羽の鳶が、くるくる舞っていました。そんなにいるのかと思いました。港町だからでしょうか。

ところで、この掲示板の上辺あたりに書かれてる「この世界は人を成長させるための触媒です」。なんですが、滅茶苦茶な、矛盾なんです。人って世界のことです。

でも。「人は世界です」。と言ってしまえば、間違い、というか違和感を持つと思います。矛盾が、なくてはならないのではないでしょうか。ありとあらゆる矛盾が、かろうじて、世界をなりたさせてるのかもしれません。それはともかくとして。

>傲慢さって何かな。

おそらく、ひとつの解釈かもしれませんが。それは。その人が、傲慢な行動、言葉、思考が現れざるを得ない、間違った有り様であることを、その人に教えるために機能するのだと思います。それは無知とか、欲望とか、自我とかが、原因として見つかるかもしれません。

でも。なにが原因でも、いいのだ。なにが見つかっても、いいのだ。と思います。それが人を鍛えれば、なんでもありと思います。また、理解し得ないこと、でなくては触媒は機能しないのだ。 potanpotanさんて、素敵なほど肯定的な生き方をしてるので、ついこんなことを言ってしまいます。

>スイッチの入っている小さな自分が
>全てと思いこむことや




>全体を予感したにすぎないのに
>いろんなスイッチを強制消去してしまうことかな。


このあたりの関係、もっと詳しく聞かせてもらいたいと感じます。

No.74 - 2008/01/11(Fri) 22:40:02

Re: 愛・自由・幸福 / potanpotan
> なんとなく暖かい雨上がりの空に、今日は、30数羽の鳶が、くるくる舞っていました。そんなにいるのかと思いました。港町だからでしょうか。

おお!
ワシタカ好きの人は割りと鳶を馬鹿にします。
だけど、鳶はすごく飛ぶのが上手ですよね。
見とれます。
それに、姿は立派にタカなのに、カラスにいじめられてたり、鳩たちも鳶が来ても緊張もしないところなんかも・・
好きです。
・・・セキレイも不規則な歩き方と尻尾のリズムがなんとも愛らしいですよね。

まだ見たことがないのですが・・
鳥類のリボンの騎士(と勝手に私が呼んでいる)タゲリ
という鳥と、木の上の哲学者(と勝手に呼んでいる)カヤクグリという鳥に憧れています。

ああ・・鳥の話をしてしまった。。。

>矛盾

私は自分も他人も物事の矛盾にも
あまり気がつけないタイプです。
人からこことここが矛盾しているといわれないとわからないことが多いです。
「何かが生かされていない」とか
「何度も同じ繰り返しで消耗する」とか
「こちらを立てればあちらがたたず」とか
「帯に長したすきに短し」
みたいなことの総称なのでしょうか。

> >傲慢

>それが人を鍛えれば、なんでもありと思います。

イメージが沸くのは・・

川の流れの中に砂利や石たちがいて。
みんな海に流されていく。

細かいものはザーーーっとあっという間に流れ去っていく。
大きな岩は・・もう何十年も同じ場所にいる。
だけどある嵐の夜、大木が倒れて岩が1センチ移動した。
1センチ移動した世界のなんて違うことか・・
光のあたりぐあい、風のあたりぐあい、木の見え方・・
そして、また何十年もその場所で過ごす。

岩でも砂利でも、みんな同じ海への流れのなかに生じていて・・みんなそれぞれに運ばれている。

形のよい石は欠けるのを嫌って、流れがゆるいところにいようとする。
角の多い尖った石は他の石とぶつかりながら丸く削られてゆく。
柔らかな石はすぐに砕けて流されてゆく。

でも・・
肯定的に世界観を私が持っているのだとして・・
世界は反転しているように近頃感じます。

私にとって「まっすぐに向かう」が社会の中では「逃避」。私にとって「尊い」が「低俗」。
私にとって「逃避」に見えるものが「立ち向かうべきもの」

この世界って一体なにかな。
なにを原動力にこうなっているのかな。
私は生きていけるのかな・・。
生き残りをかけて隙間産業を開拓しよう。

そんなことをちらほら感じます。

> >スイッチの入っている小さな自分が
> >全てと思いこむこと


> >全体を予感したにすぎないのに
> >いろんなスイッチを強制消去してしまうことかな。


> このあたりの関係、もっと詳しく聞かせてもらいたいと感じます。

自分の傲慢さを披露すると・・
例えば「私は作曲家だから」
創造力過多で地道さ不足なのは仕方ないし、
演奏が下手でも仕方ない。
私はね音の無限と不思議がみえているの・・。

そしてヴィオラ奏者の友人に
「じゃあ曲だけ作ってろよ。音に失礼だから弾くな。」
「自分で作った音すら大切にできなくて、なにが無限だ」
「弾けてないんだよ。単純に。」

で・・ガラガラガラガラ。
「楽器(肉体・物)がなくて、音は存在しない。楽器で演奏できない音を作曲しても、響かない。」

楽器・体・場所・人・・無限は無に等しい。どれだけ限界を見てゆけるかなんだなーー。
音楽のスタート地点でした。


No.75 - 2008/01/12(Sat) 01:06:17

Re: 愛・自由・幸福 / ubik0101
なんか小鳥のくせに、法ー、法華経、だなんて生意気だねー。えー!
ホトトギスって、自分の名前を呼んでない?そっかなー?
あれが、カラスバトの鳴き声よ・・・
小さな地球と呼ばれてる奇蹟の島で、そんなことがありました。

>私は自分も他人も物事の矛盾にも
>あまり気がつけないタイプです。
>人からこことここが矛盾しているといわれないとわからないことが多いです。
>「何かが生かされていない」とか
>「何度も同じ繰り返しで消耗する」とか
>「こちらを立てればあちらがたたず」とか
>「帯に長したすきに短し」
>みたいなことの総称なのでしょうか。


そうですね。この世界は、ある、と言っても、ない、と言っても、誤りです・・・その有り様を成立させてる、なにか底知れない矛盾を感じるのです。また。人が生まれ、人が死に、柳は緑、花は紅、ざあざあと膨大な矛盾が溢れているように思えます。そうでないことなど、どこにあるんだろう・・・

あるときは彼女を、あるときは音楽を、あるときは善悪を、あるときは食物を・・・思考してるとして。いつだって、ありとあらゆる思考されてないことが、ほとんど無限なのに。(そういう意味では人は誰も、ほとんど無思考状態です)。ぽっと見える、ぽっと見える矛盾だけ指摘しても、なんになるのでしょう。それでも理論的な矛盾に気がつくことは役に立ちます。そうであることも不思議です。

>私にとって「まっすぐに向かう」が社会の中では「逃避」。私にとって「尊い」が「低俗」。
>私にとって「逃避」に見えるものが「立ち向かうべきもの」


たぶん、ですけど。みんな人は、そうなのかもしれません。しかし、その人が空想する、つまり社会・世間様は、常識が逆なのかもしれません。とりあえず、あたりさわりなく話が通じるように思えれば、どんな常識でも機能はするからでしょう。空想の損得、善悪は分かりやすい、それだけのこと。かもしれません。

>無限は無に等しい。

ここで聞いたが百年目。ここんとこ、実は、もっと聞きたいと思っていたのです。

No.76 - 2008/01/12(Sat) 12:23:32

Re: 愛・自由・幸福 / 大阪
potanpotanさん、はじめまして。

potanpotanさんの音楽に対する姿勢、あぁ分かる、と思います。

どれだけ生かせられるか。

僕の場合、音楽を演奏するとき、まず最初に音を出すと同時に神様から楽譜を渡されたような気がして、もっと真摯に、もっと真摯になどと集中することがあります。
簡潔に言えば、鳴っている音を彼のやりたいように僕を通して開放してやろう、でしょうか。

そして、そうすることが音楽における全てのように思っていたことがあります。

でも、コレってとてもしんどい、と思っていました。

だって、出来ないのです。
自由なハズが、息苦しくなるほど狭苦しかった。



それで、自分の知っていることも表現するようにしました。

よく言う、自分を表現する、ということでしょうか。

その方が楽しく良い演奏が出来たからです。

考えてみれば、自分なんて未知なものを表現するんだから、コレも実は無限、に思います。


どんな楽器であれ、音にしてもしないでも、それなら出来るかも、と思います。

まぁ、色々と学ばせて下さい。

No.77 - 2008/01/12(Sat) 12:47:11

Re: 愛・自由・幸福 / potanpotan
> なんか小鳥のくせに、法ー、法華経、だなんて生意気だねー。えー!

ubik0101さん。。するどいなあ。。

私はほとんど本を読まないのですが・・
法華経の本を借りたことがあって
この中の妙音菩薩というお話のあり方はよくわかる感じが
して・・尊敬する音楽家は妙音菩薩です。
と答えていたこともありました^^。

たぶん音楽の性質の本質なのかもしれないですね・・

川は海に注がれる・・だけど
ちっとも海に向かわない。
いったいどこに向かっているんだろう・・
と世界を見たら・・
ダムの中にいた。
そして水道管をめぐって、工場用水となって働いて・・
下水管を通過して・・川に戻ったと思ったら・・
またダムに・・・
いつのまにか海に注がれることを忘れて・・
ダムに貯水されることが行くべき道になってしまっている感じが・・今の世界かな・・
そんなふうに思いました。


> >無限は無に等しい。

それを感じたときは・・
また音の話で申し訳ないのですが・・

音って何か
音は振動。
動きによって生じるもの
活動

微生物の呼吸の音
マグマのうねる音
樹木が水を吸い上げる音
雪が結晶を結んでゆく音
霧の広がる音・・
おたまじゃくしの鼓動・・

存在するすべての営みのすべてが音
世界はものすごい音の響きの総和の中にあって・・

その中で人の鼓膜を震わせて聴こえて認識されるのは
ごくごく限られた音量の限られたHzの・・
ごくごく微塵。

また一方で・・
金属と金属をキーンと打ったとき
そこには無限の音が響いていることを見た人がいた。

一つの音は無限の音の響きの総和であることを見た人がいた。

「倍音」

無限より切り取られた、はっきりと共鳴しあう12個の音程の組み合わせ。
ドレミの人間の音楽。音階の世界。

ドとレの間は無限の音が存在している。
そしてドという一つの音の中は無限の音が響いている。

音楽がなんとなく好きだったけど・・
「おしゃれだから?かっこいいから?きもちいいから?」
なんでこんなに音楽にこだわっているのか
よくわからなくて・・

それで・・音を見ていて・・
ああ音は無限だ。
と思って・・・
私がずっと探していたのはこれだったなー
無限を求めていたなと思って・・

自然にモチーフやフレーズがどんどん沸いて
曲を描いて・・

でも・・全部頭の世界。

私が今ここで弾いた音。
今、ここに響いた音。

「げーーーーー。へたくそ」

さらにへたくそに気がつけない救いがたいへたくそ
なんでって、頭で弾いているから。
今が聴こえていないから。

それで

無限は無に等しいんだな
今ここで響いている音

それがすべてなんだな
そこに私がいるんだ

ということで・・
現在進行中です。

No.80 - 2008/01/12(Sat) 18:28:54

Re: 愛・自由・幸福 / potanpotan
> potanpotanさん、はじめまして。

大阪さん、はじめましてこんにちわ。
音を奏でていらっしゃる方なのですねー。
こちらこそです。。いろいろ教えてください。

No.81 - 2008/01/12(Sat) 18:39:47

Re: 愛・自由・幸福 / hato
>ぽっと見える、ぽっと見える矛盾だけ指摘しても、なんになるのでしょう。


む。



あの。
鳩はいないけど、
家には、小さな青い鳥がいます。

potanpotanさんの詩がとても素敵で、
叙情が流れ込んでくるようで、
とても嬉しいです。

読んでいるとどこか、図書館閲覧者さんを思い出しました。
はー。
お世話に、なっております。

皆様どうぞまた、素敵なお話をお聞かせ下さい。


No.84 - 2008/01/13(Sun) 00:31:17

Re: 愛・自由・幸福 / hato
> なんとなく暖かい雨上がりの空に、今日は、30数羽の鳶が、くるくる舞っていました。そんなにいるのかと思いました。港町だからでしょうか。

> それに、姿は立派にタカなのに、カラスにいじめられてたり、鳩たちも鳶が来ても緊張もしないところなんかも・・
好きです。


そういえば、


以前海に行って、楽しみにしていたおにぎりを、
ぱくっと食べようとしたら、
とても上手に
鳶に取られてしまいました。


それでは、
作業に戻ります。

No.89 - 2008/01/13(Sun) 21:09:29

Re: 愛・自由・幸福 / potanpotan
hatoさん

はじめまして。こんにちわ。
余情的とubikさんも同じようなことをゆわれたので
おもわず「余情」ってなにかわからなくて辞書で調べてみてしまいました。

> 以前海に行って、楽しみにしていたおにぎりを、
> ぱくっと食べようとしたら、
> とても上手に
> 鳶に取られてしまいました。


そんなことがあったんですか!
鳶とそんなに密接に関われて・・
うらやましい気がします。

No.91 - 2008/01/13(Sun) 23:38:23

Re: 愛・自由・幸福 / hato
potanpotanさん、こんにちは。

お返事を、ありがとうございます。
お気遣いをさせて、すみません。
どうぞ、ubik0101さんとの対話に専念されてください。


> おもわず「余情」ってなにかわからなくて辞書で調べてみてしまいました。


きっと、余情 が素敵です。



愛 叡智 美 調和

これは、テーマでした。
けれどいますこし、趣がかわりました。
なにかないなら、とくに言及することはなくなりました。
ですが、ときにそこを掘り下げていくことも、
とても勇敢で、大切な気がします。

まだわたしは、あまりお話することができませんが、
流れるように語れる人が、とても素敵に思えます。



> そんなことがあったんですか!
> 鳶とそんなに密接に関われて・・
> うらやましい気がします。



そう思われるなら、
ある意味すでに、
関わりは始まっていると思います。

No.102 - 2008/01/14(Mon) 10:35:05
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