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長くなったので。 / peer
>ただ声をかけたというより、「こういうふうに考えたら楽になりますよ」というふうに聞こえました。

そうですか。
しかし、そういう風に考えても、楽にならない。とルーさんは感じた。
ということなので、、「土足で踏み込まれたような感じ」だったのでしょうか。
あるいは、ただ「私の話に口を挟まれたくない」という感じだったでしょうか。

>peerさんは、「地雷を踏んだ」と感じ、私のことを「傷ついた人」として扱ったのではないですか。

怒ってはいない、傷付いていない、不機嫌でもない。
としたら、そのエネルギーは、どこへ行ったのか?
地雷の爆発、というエネルギーに変換した。
とも、考えられる。かな〜と。

その後のsuhoさんとの会話で「傷つく人」が出て来たのは、ルーさんとの関わりで出てきたことではなく。これは、一般的な話。でした。

自分というのは「自分」という文字が現すように「自然を他と自分とに分けた」もの。と私は考えています。ですから、自分が意識されている時には、すでに自と他を分けています。
その証拠に、私はルーさんを知らない。ルーさんは私を知らない。情報を交わすことによって、すこしづつ、知りはじめる。のではないですか?

No.118 - 2008/01/16(Wed) 11:35:16

Re: 長くなったので。 / ルー
> >ただ声をかけたというより、「こういうふうに考えたら楽になりますよ」というふうに聞こえました。
>
> そうですか。


そういうつもりで声をかけたのではないのですか?

> しかし、そういう風に考えても、楽にならない。とルーさんは感じた。

ならない。ですね。
第一、「問題を抱えている」という感じとは、また違うと思います。

> ということなので、、「土足で踏み込まれたような感じ」だったのでしょうか。
> あるいは、ただ「私の話に口を挟まれたくない」という感じだったでしょうか。


「私の話に口を挟まれたくない」ということではないと思います。書かれた内容によって、そうなったのだと思います。

> >peerさんは、「地雷を踏んだ」と感じ、私のことを「傷ついた人」として扱ったのではないですか。
>
> 怒ってはいない、傷付いていない、不機嫌でもない。
> としたら、そのエネルギーは、どこへ行ったのか?
> 地雷の爆発、というエネルギーに変換した。
> とも、考えられる。かな〜と。


意味がわかりません。
「傷ついた人」として扱ったのではないのですか?

> その後のsuhoさんとの会話で「傷つく人」が出て来たのは、ルーさんとの関わりで出てきたことではなく。これは、一般的な話。でした。

私とのやりとりとは全く関係なく出てきた話ですか?
そして、peerさんの「傷つく人」の考え方も、私とのやりとりに全く関係のないことですか?反映されていないですか?

> 自分というのは「自分」という文字が現すように「自然を他と自分とに分けた」もの。と私は考えています。ですから、自分が意識されている時には、すでに自と他を分けています。
> その証拠に、私はルーさんを知らない。ルーさんは私を知らない。情報を交わすことによって、すこしづつ、知りはじめる。のではないですか?


以前は、peerさんは、peerさんと私を分けていなかったけれど、ここ最近、分けて考えるようになったということですか?

No.119 - 2008/01/16(Wed) 12:48:07

Re: 長くなったので。 / ルー
> 自分というのは「自分」という文字が現すように「自然を他と自分とに分けた」もの。と私は考えています。ですから、自分が意識されている時には、すでに自と他を分けています。

特に、自分を意識するという感覚は、なかったですが。
どの時も。全体で考えていますが。今までも。今も。

情報を交わすことによって、少しづつ知り始めるということですが、私は、何年も前、「カウセリング理論」の掲示板で、私が書いたことにぴあさんが返事をしてくれた時から、情報は交わしているつもりですが。
peerさんの認識では、いつから情報を交わし始めたのですか?

No.120 - 2008/01/16(Wed) 19:24:33

Re: 長くなったので。 / peer
> >>ただ声をかけたというより、「こういうふうに考えたら楽になりますよ」というふうに聞こえました。
>> そうですか。
>そういうつもりで声をかけたのではないのですか?


大変な思いをされていますね。という意味・・・だったような。
そして事実の確認。のようなものです。
私の書いたことが、なにか、別の事を連想させた、のだろうなと思ってました。
地雷は。そういう意味の、、、フラッシュバックのような。
違ったのなら、完全に私の勘違いです。

>私とのやりとりとは全く関係なく出てきた話ですか?

はい。まったく一般的な。

>そして、peerさんの「傷つく人」の考え方も、私とのやりとりに
>全く関係のないことですか?反映されていないですか?


それも、はい。です。
こういう場所では、ありうる状態という例え話です。

>以前は、peerさんは、peerさんと私を分けていなかったけれど、
>ここ最近、分けて考えるようになったということですか?


いや。もともと、私と貴方。というように、別の存在じゃないですか。
もし、同じものなら、貴方がなにを感じ考えているかが、言葉にしなくても、わかるはず。
誰がなにを情報発信したか、すべて覚えているのは、難しいですね。毎日、沢山の人と出会っては別れて・・・。覚えては忘れて。そして、発信した情報をすべて、見ていたワケでもない。
私は、出会った人に、発信した情報をすべて覚えてもらっていると思っていません。私という存在は、それほど重要だとも思いませんし、似たような人は山ほどいるし。すぐに忘れる程度の、軽さでしょ。

No.124 - 2008/01/17(Thu) 00:34:47

Re: 長くなったので。 / peer
>> 自分というのは「自分」という文字が現すように「自然を他と自分とに分けた」もの。と私は考えています。ですから、自分が意識されている時には、すでに自と他を分けています。

>特に、自分を意識するという感覚は、なかったですが。
>どの時も。全体で考えていますが。今までも。今も。


そうですか。私は、全体で考えるのの限界があると諦めて、自他を分けました。自他を分けた原点・・・。
例えば、全体を考える。全体と自分がつながっている、というのは。

いま、この地上の人類すべてを背負うようなコトなんですよ。
どこかの国で飢えで死にそうになっている人たちが居ますね。
同じようにワクチンを買えなくて死んでしまう子供達が、沢山います、ね。
しかし、その人達を私ひとりが背負うのは・・・と、考えますと・・・
「それは、その人の問題」と、切ります。
その人の痛みを背負い切れないから。
そんなふうに、他とつながるのを諦めて来た痛みがある。のです

私がsuhoさんとの会話で出した「傷は癒されないと・・」というのは。
そいう痛み・傷・・・ですね。自他を分けざるを得なかった痛みです。

No.125 - 2008/01/17(Thu) 00:48:25

Re: 長くなったので。 / ルー
> > >>ただ声をかけたというより、「こういうふうに考えたら楽になりますよ」というふうに聞こえました。
> >> そうですか。
> >そういうつもりで声をかけたのではないのですか?
>
> 大変な思いをされていますね。という意味・・・だったような。
> そして事実の確認。のようなものです。


「事実の確認」とは、全く感じませんでした。

> 私の書いたことが、なにか、別の事を連想させた、のだろうなと思ってました。
> 地雷は。そういう意味の、、、フラッシュバックのような。
> 違ったのなら、完全に私の勘違いです。


別の事を連想するということは、全くありませんでした。

No.126 - 2008/01/17(Thu) 08:48:52

Re: 長くなったので。 / ルー
> >以前は、peerさんは、peerさんと私を分けていなかったけれど、
> >ここ最近、分けて考えるようになったということですか?
>
> いや。もともと、私と貴方。というように、別の存在じゃないですか。
> もし、同じものなら、貴方がなにを感じ考えているかが、言葉にしなくても、わかるはず。
> 誰がなにを情報発信したか、すべて覚えているのは、難しいですね。毎日、沢山の人と出会っては別れて・・・。覚えては忘れて。そして、発信した情報をすべて、見ていたワケでもない。
> 私は、出会った人に、発信した情報をすべて覚えてもらっていると思っていません。私という存在は、それほど重要だとも思いませんし、似たような人は山ほどいるし。すぐに忘れる程度の、軽さでしょ。


「すべて覚えているのは難しい」とか「発信した情報をすべて見ていたワケでもない」とか「発信した情報をすべて覚えてもらっているとは思わない」とか、「すべて」という言葉が入るのが、私には不自然に思えます。
peerさんには、完全か無か、どちらかしかないような印象を受けます。現実は、完全でも無でもどちらでもないので、しかたなく曖昧を選んでいるような感じもあります。

それより、質問したことの答えが返ってこないのが致命的です。こちらには、質問したことが、どうなったのかな・・・という感じで、これでは、どんなに情報を交わしたところで、お互いを知ることはできません。
この質問が出たのは、その前の話から来ているとか、そういうことは考慮されず、話したいことだけを話しているように思えます。それで、質問と返事の内容がズレるのかなと思います。
とは言え、どんなことも、情報にはなります。

すぐに忘れるような軽さで話しかけられたのは、私には、やはり、「土足で踏み込まれた」ということになります。

ここで収束を見た感じです。

No.127 - 2008/01/17(Thu) 09:03:04

Re: 長くなったので。 / peer
>「事実の確認」とは、全く感じませんでした。

そうですか。どう感じるかは、その人の感性ですから。。。
しょうがない、ですね。そのまま受け取ります。

> 別の事を連想するということは、全くありませんでした。

それも、そのままです。

>すぐに忘れるような軽さで話しかけられたのは、私には、
>やはり、「土足で踏み込まれた」ということになります。


すぐに忘れる。というのを、相手を軽く見た。
軽く扱われた・・・。
と感じるのも、貴方の感性ですから。
それも、そのまま。受け取ることにします。

No.128 - 2008/01/17(Thu) 13:22:19

Re: 長くなったので。 / ルー
> すぐに忘れる。というのを、相手を軽く見た。
> 軽く扱われた・・・。
> と感じるのも、貴方の感性ですから。
> それも、そのまま。受け取ることにします。


「軽く見られた」「軽く扱われた」とは、感じませんでした。

No.129 - 2008/01/17(Thu) 15:16:49

Re: 長くなったので。 / ルー
そのような軽さで話しかけられたのだということは、さっき知ったばかりなのです。書いてあった内容によって、「土足で踏み込まれたような感じ」を感じたのだと思います。
内容です。
どのような扱いというのは、その奥に潜んでいるものであって、実際の場で感じたことではありません。その時は、知りませんでしたから。

どうして、「相手を軽く見た」とか「軽く扱われた」とかというふうに解釈されるのか不思議です。

「土足で踏み込まれたように感じた」ということが、どうしても受け入れられないということでしょうか。

話していた内容による、というところが、どうしても理解してもらえないのでしょうか。

微妙な話をしているところに、あまり事情を知らない人が入ってきて、トンチンカンなことを言ってしまうということは、たまにあることではないですか?

No.130 - 2008/01/17(Thu) 15:30:52

Re: 長くなったので。 / peer
はい。わかりました。

>「土足で踏み込まれたように感じた」ということが、どうしても
>受け入れられないということでしょうか。


そのまま、受け取りました。

>話していた内容による、というところが、どうしても理解して
>もらえないのでしょうか。


それも、そのまま受け取りました。

>微妙な話をしているところに、あまり事情を知らない人が入ってきて、
>トンチンカンなことを言ってしまうということは、たまにあること
>ではないですか?


そして、それも、そのまま受け取りました。
すべて、そのまま受け取ります。

No.134 - 2008/01/18(Fri) 00:13:56

Re: 長くなったので。 / ルー
私は質問をしているのですけれど、「そのまま受け取ります」と答えるというのは、どういうことなのでしょうか?

「受け流す」ということと解釈します。

No.136 - 2008/01/18(Fri) 08:38:54

Re: 長くなったので。 / ルー
質問に対して答えがないことは、事実の確認ができないということです。

全体で考えると、私の質問に答えたくない人がいても当たり前かな〜と思うので、そういうことにしておきます。

No.137 - 2008/01/18(Fri) 09:00:37

Re: 長くなったので。 / ルー
peerさんは、自分を「場」だと思っている・・・そのように思っておきます。
No.138 - 2008/01/18(Fri) 09:02:41

Re: 長くなったので。 / ルー
しかし、疑問。
自分が事実の確認をしようとして、相手に質問した時、相手が「そのまま受け取ります」と返事したら、それをどう感じるのか。

うーん。
「そのまま」って何なのか?
「相手はそれを疑問に思っている。相手はそれを確認したがっている。」という事実か。
その事実を、そのまま受け取るということなのだろうか。

No.139 - 2008/01/18(Fri) 09:21:27

Re: 長くなったので。 / ルー
ま、あまり興味がないということなのでしょう。

おしまい。

No.140 - 2008/01/18(Fri) 09:23:41

Re: 長くなったので。 / ルー
私は、わからないことには「わかりません」と返事するのですが、「そのまま受け取ります」と返事する人もいるのかな。。。って感じ。
No.141 - 2008/01/18(Fri) 09:44:22

Re: 長くなったので。 / ルー
まぁ、それも、返事がないとわからない〜
No.142 - 2008/01/18(Fri) 09:46:40

Re: 長くなったので。 / peer
はぁ〜「質問」なのですか。全部が・・・?
「ルーさんが、こう思っている」と書いたので
私は、ルーさんが「こう思っている」のを
そのまま、受け取ります。と応えたのですが・・・。
少しの疑問も持たず判断することもなく、そのままを。

>ここで収束を見た感じです。
ということなので、収束して良かったなと思ってたんですが。

『追記』
ルーさんが、前に書いていましたよね「心は生きている」って。
過去にあったことは、今によって書き換えられて行くモノで。
話をして行くうちに、元の形はどんどん変わって行く。

あの時は「そこには気付かなかった」とか。
「その奥に潜んでいるものであって、実際の場で感じたことではありません。その時は、知りませんでしたから。」ということもある。

心というのは、なかなか難しいな〜と、いま、感じています。

No.143 - 2008/01/18(Fri) 10:50:06

そうそう / peer
>自分を「場」だと思っている。

その通り・・・のような気がします。
つまり。あまり物事や人に執着しないンですね。
雨が降れば、雨にぬれる。
風が吹けば、風に吹かれたまま。
そこが、理解されていないと、迷路に突入してしまう。

No.145 - 2008/01/18(Fri) 11:02:30

Re: 長くなったので。 / ルー
> ルーさんが、前に書いていましたよね「心は生きている」って。
> 過去にあったことは、今によって書き換えられて行くモノで。
> 話をして行くうちに、元の形はどんどん変わって行く。
>
> あの時は「そこには気付かなかった」とか。
> 「その奥に潜んでいるものであって、実際の場で感じたことではありません。その時は、知りませんでしたから。」ということもある。
>
> 心というのは、なかなか難しいな〜と、いま、感じています。


私が感じた、「心は生きている」というのは、変化していくという意味ではないです。
生きて感じる、柔らかいもの、というか、その瞬間での状態のことを指して、「心は生きている」と書きました。
感じたままを、そのままにしてもいいのだと、わかったのです。

No.150 - 2008/01/18(Fri) 14:31:26

Re: 長くなったので。 / ルー
> >自分を「場」だと思っている。
>
> その通り・・・のような気がします。
> つまり。あまり物事や人に執着しないンですね。
> 雨が降れば、雨にぬれる。
> 風が吹けば、風に吹かれたまま。
> そこが、理解されていないと、迷路に突入してしまう。


ということは、peerさんは、自分は他の人と違って特別だと思っているということでよろしいでしょうか?

これは、質問ですよ。
今までの「でしょうか」は、全部質問でした。
私が勝手にpeerさんのことを憶測していてはしょうがないので、peerさんのことを質問していたのです。
質問だと思われていなかったとは、びっくりです。

No.151 - 2008/01/18(Fri) 15:26:37

Re: 長くなったので。 / ルー
> >ここで収束を見た感じです。
> ということなので、収束して良かったなと思ってたんですが。


「軽くみた」とか「軽く扱われた」という、解釈を勝手に入れられたので、訂正したのです。

> あの時は「そこには気付かなかった」とか。
> 「その奥に潜んでいるものであって、実際の場で感じたことではありません。その時は、知りませんでしたから。」ということもある。
>
> 心というのは、なかなか難しいな〜と、いま、感じています。


実際の場というのは、「土足で踏み込まれたような感じ」を感じた、その時のことです。
その後、会話をするうちにわかった情報によって、「忘れるぐらいの軽さで話しかけているのだから、話す内容も、そのような一般的なものになるのだろう」という理解になり、「土足で踏み込まれたような感じ」も理解されたわけです。
そんなに難しいことでもないと思います。自分も心があるなら。

No.153 - 2008/01/18(Fri) 18:12:57

Re: 長くなったので。 / peer
>peerさんは、自分は他の人と違って特別だと思っているということでよろしいでしょうか?

んんー。他の人も、執着しなければ、そうなるんじゃないでしょうか。
あるがままで、いい。と。

>実際の場というのは、「土足で踏み込まれたような感じ」を感じた、その時のことです。

この文章は、私の能力では理解不能です。

>今までの「でしょうか」は、全部質問でした。

「・・・か」は新しい芽さんが、よく使いますね。
あれは、質問なのか、「こうです」と言いたいのか、よく分からないと思ってました。
「・・・か」で言葉をとめると自分の存在が曖昧になるので、楽なのだろうなとも感じます。

>そんなに難しいことでもないと思います。自分も心があるなら。

どうなんでしょうね。
私は「忘れるぐらいの軽さで話しかけているのだから、話す内容も、そのような一般的なものになるのだろう」という姿勢で居られても、かまいません。物事に執着してませんから。人の心は、様々で、それぞれで。同じでもないですからね。相手が、どんな心でもオッケーです。

No.158 - 2008/01/19(Sat) 01:10:02

そうそう / peer
「でしょうか」と人に聞かなくてもいいんじゃないでしょうか。
「そう思います」とか「こう考えます」とか「こう感じます」とか、ハッキリ・キッパリ言い切っても、いいんじゃないかな。
そう言ったからって、突っ込みません。
「あーそうなんだな」と思うだけですから。

自分の意見をはっきり言う前に、人に聞くのは、どうしてなんでしょう。
人の気持より、自分の気持でしょ。大事なのは。
人がどう思うか・・・なんて、そんなのは、後回し。ですよ。

No.159 - 2008/01/19(Sat) 01:20:23

Re: 長くなったので。 / ルー
> 自分の意見をはっきり言う前に、人に聞くのは、どうしてなんでしょう。
> 人の気持より、自分の気持でしょ。大事なのは。
> 人がどう思うか・・・なんて、そんなのは、後回し。ですよ。


peerさんの状態を知ろうとしているからです。
相手のことを知らずに、勝手に推測や憶測をしてもしょうがないと思うからです。
私はpeerさんのことを知りませんから。
ですから、質問をしているのです。

ですが、自分を「場」であると思うのなら、話してもしかたがないですね。
「場」に話しかけられたと思っておきます。

例えば、夫を亡くした人がいるとして。
そこに、知らない人が、わざわざやってきて、「たいへんですね。でも、何とかかんとか・・・(続く)」と声をかけて去っていったら、どう思うでしょうか。
それでも、慰めになる人もいるのでしょう。
私は、正直なところ、無神経に感じました。
たまになら、それで過ぎていくことなんですが、何度も、これからも同じことがあるのは嫌なので、正直なところを書いてみました。

話が、とても長くなりました。
しかし、その話の中で、わかったことがたくさんあります。
もしかしたら、今度、同じように声をかけられても、「ああ、そういうつもりなのだな」と受け流すこともできるのかも知れません。
それは、その時になってみないとわからないですが。

No.161 - 2008/01/19(Sat) 08:34:28

Re: 長くなったので。 / peer
>例えば、夫を亡くした人がいるとして。
>そこに、知らない人が、わざわざやってきて、
>「たいへんですね。でも、何とかかんとか・・・(続く)」
>と声をかけて去っていったら、どう思うでしょうか。


どう受け取るか。じゃないですか?本人が。
気にして、わざわざ声をかけてくれた。
という状態だけなら、それはその人なりの形なのかも知れない。
知っている人が声をかけるのは、当たり前ですが。
自分の知らない人なのに、自分を気にしてくれる。

あんがい、うまく受け取れる。かもしれない
トンチンカンなことを、言うかもしれないけれど。

そういうのは、たしかに、わずらわしいですけどね。
わざわざ気にしないでいいよ!
ってなコトもあります。

不快感を見せれば「これはマズイ」と感じて、もう二度と
その人の前には、姿をみせないように配慮する。
ということも、あるかもしれませんね。
どうせ知らない人・・・ですものね。ほとんど無関係のようなもので。
姿を見れば、過去の不快感を思い出す。
思い出して、腹が立って、、、が想像できます。でしょ。
人は危険な場所には、近付かなくなる。

No.162 - 2008/01/19(Sat) 09:29:26

Re: 長くなったので。 / ルー
> 不快感を見せれば「これはマズイ」と感じて、もう二度と
> その人の前には、姿をみせないように配慮する。
> ということも、あるかもしれませんね。
> どうせ知らない人・・・ですものね。ほとんど無関係のようなもので。
> 姿を見れば、過去の不快感を思い出す。
> 思い出して、腹が立って、、、が想像できます。でしょ。
> 人は危険な場所には、近付かなくなる。


人に執着しないのなら、大丈夫でしょう。

No.164 - 2008/01/19(Sat) 11:14:38

Re: 長くなったので。 / peer
そう。
自由に生きて、イイんです。
自分を由。とすること。
失敗しても、間違えても、由とする。
由と出来ない時は、何かに執着しているからですから。
執着をみつけて、手放す。それだけね。

No.165 - 2008/01/20(Sun) 08:40:59

Re: 長くなったので。 / ルー
> 執着をみつけて、手放す。それだけね。

何のことだか、わかりません。

No.166 - 2008/01/20(Sun) 09:07:09

Re: 長くなったので。 / ルー
最初から、執着も何もありませんから。

「不快感を見せれば「これはマズイ」と感じて、もう二度と
その人の前には、姿をみせないように配慮する。
ということも、あるかもしれませんね。
どうせ知らない人・・・ですものね。ほとんど無関係のようなもので。
姿を見れば、過去の不快感を思い出す。
思い出して、腹が立って、、、が想像できます。でしょ。
人は危険な場所には、近付かなくなる。」

これは、あなたのことだと思って、読みました。
それで、前に、「自分は物事や人に執着しない」と書いておられたので、「人に執着しないのなら大丈夫でしょう」と返事したのです。
私の中には、最初から執着も何もありませんから。
不愉快に感じたのは、執着のせいではありませんから。

No.167 - 2008/01/20(Sun) 09:15:07
変調 / potanpotan
やっぱり変調している最中中継をしちゃいます。

今、とても言葉を使うことに違和感を感じながらパソコンをしています。
言葉を読むことにも違和感を感じます。
言葉そのものよりも、私の中の言葉の世界が崩れるような感覚です。
内壁が崩れる感覚です。
それでぐるぐると渦巻いている。

風邪薬を飲んでいるので、少し、感覚がいつもと違っているせいもあるかもしれないです。

いろんなイメージをつい楽しくなって書いてしまいました。
でも、そのイメージはだいぶ過去のもの。

今も、私の中に響いてはいますが・・だいぶ薄い。
イメージを言葉にして認識すると

その言葉を被せて・・今響いているものを消してしまう。
今、鳴っている音が消えてしまう。
そういう怖さをとてもよく学ばされてきたこの10年間のように思います。

思想やイメージや
固定してしまった言葉がはがれてきているかな・・・
ぜんぜん痛みもなくて
無理もなくて
まだ中途半端にしか剥けてないので少し不安定です。

今、見えてきている想いは・・

ただただ 魂の姿を見つめたい。
ただただ 魂の姿を感じたい。

魂との距離を・・無くしたい
距離が出来たなら、ちゃんと距離が出来ていることを
感じる感覚を持ちたい。

私を開いて
己の魂を見つめる

No.157 - 2008/01/19(Sat) 00:36:31

Re: 変調 / ubik0101
たぶん話しかけても大丈夫でしょう。けど、 こちらからは、しばらく返信しないでおきます。もちろん最中中継の続き、大歓迎です。
No.160 - 2008/01/19(Sat) 07:44:47

Re: 変調 / potanpotan
> たぶん話しかけても大丈夫でしょう。けど、 こちらからは、しばらく返信しないでおきます。もちろん最中中継の続き、大歓迎です。

ubikさんありがとうございます。
なんだか、すごく勝手な感じですみません。

私を開いて
己の魂を見つめる

というのは力んでいるなあと・・朝思いながら
目が覚めました。

響きを聞く
水面の波紋を感じる

というほうが自然かもしれません。

今はバランスが不安定なので
水の上を心が踊ってしまって・・
ぐるぐる回ってしまって
水面を自分で掻き乱している感じです。
自分の音も聞こえない
周りの音も聞こえない。

私はざわめいています

でもこうして表現できるのは
ubikさんが静寂にあるから、と思います

静寂があって
音が響く

わたしのリードの振動するのをよく聴く

なんか・・

あたりまえのようなことです。

No.163 - 2008/01/19(Sat) 11:02:35
中道はわからないけれど / potanpotan
二者択一・・生かすかCENSORED
生きるか死ぬか

こういうあり方はすごく人間的だなと思います。
断片に同一するからですが・・

自然のありようを見ていると

両方生かす
全部生かす

生かすためにはどうするか

これが自然の創造性の基本のように思えます

あなたも生きる
私も生きる

自己犠牲でもなく
抑圧でもなく
支配でもなく
克服でもなく

「道を探す」

それが創造のしくみの原点なのだと思います

その全部を生かす「視点」が中道なのではないかなと
勝手に思いましたが・・どうかな。。。

中道にはきりがない

悟りきるということはない

現に自然自体・・

創造の営みをし続けている

生きるということはたぶん無数の対立経験をしてゆくことのように思えます。

自由を得たなら、不自由との葛藤
悟りを得たなら、凡人との葛藤
何もかもなくそうとしたなら、何もかもなくせないという葛藤
空想に生きるなら現実との葛藤・・
まあとにかくどこにどういっても
何をどう得ても、そこには葛藤が存在しているように思えます。

だからこそ、命だし、だからこそ、より生きるのだし、
だからこそ、営みなのだし、だからこそ、視点の上昇もあるのだし・・・

変調は・・葛藤関係の中の視点の上昇
あるいは、偏りのポジション移動
そんなことかもしれないです。

No.147 - 2008/01/18(Fri) 11:35:27

Re: 中道はわからないけれど / potanpotan
ふつうに生かしあえていれば・・
意識にも上らず・・自然ですからね。。

No.148 - 2008/01/18(Fri) 11:38:17

Re: 中道はわからないけれど / ubik0101
そうですね。世界はある、と言っても、ない、と言っても、どちらでもあり、どちらでもない、どう言っても間違いです。それでいて総てが活動し不思議に秩序があり自然です。

>変調は・・葛藤関係の中の視点の上昇
>あるいは、偏りのポジション移動
>そんなことかもしれないです。


そういうことを感じるって、凄く敏感だと思います。

>ふつうに生かしあえていれば・・
>意識にも上らず・・自然ですからね。。


たとえば、ありのままでいて、ありのままなんて言うの、奇妙です。そうでないから言える。なら、それは、既知の、ありのままでしょう。自然とか、素直とか、天真爛漫とかも。そうならば、その対概念が見えます。そうならば、ありのままという空想と気づいてない空想です。

そうでないなら、なんであれ言葉にならないことに、自然とか、現実とか、世界とか、素直とか、名前をつけただけです。名前をつけなくても、それです。それで名前をつけても、それです。

なんか中国の禅の六祖、恵能の言葉「善を思わない悪を思わない、まさにそのとき君自身はどうなんだ」。を思い出しました。

No.152 - 2008/01/18(Fri) 17:23:31
自然との対話 / potanpotan
以前こんなふうに空想したことがありました。

私(自然)を利用するものを私(自然)は利用する
私を愛するものを私は愛する
私を拒むものを私は拒む
私を制圧しようをするものを私は制圧する
私に与えるものに私は与える
私にすべてを捧げるものに私のすべてを捧げる
私を知ろうとするものに私は教える
私を見ようとするものに私は見せる



ubikさん調子はいかがですか
私はこのところ風邪で久しぶりに寝込んでいました。
変調する前、大抵病気をします。

No.133 - 2008/01/17(Thu) 23:31:27

Re: 自然との対話 / ubik0101
potanpotanさんの言葉、
なんか夜に昼の世界が見えるようです。

以前こんなふうに空想したことがありました。

私(君)が憎しむことは私(君)を愛すこと
私が怒ることは私を愛すこと
私が悲しむことは私を愛すこと
私が喜ぶことは私を愛すこと
私が妬むことは私を愛すこと
私が恨むことは私を愛すこと
私が葛藤することは私を愛すこと


私が愛すことは私を愛すこと

と、ところで。その変調のこと、
もっと話したいのじゃないでしょうか。

No.135 - 2008/01/18(Fri) 08:31:26

Re: 自然との対話 / potanpotan
ubikさんの言葉も見える気がします。
全てがそうなっている
どうあってもそうなっている

変調というと大げさでしたか・・
環境や流れや風向きや・・
そんな変化の前には自己調整するかのように
ぐーっと引き下げる自分の中をさら地にするとは言わないけれど・・ゼロにするというか・・
弾き始める前の調弦・・

昨日の夕方くらいがピークで今すこしずつ浮上しているところです。
エネルギーがよわーいpotanpotanです。

No.146 - 2008/01/18(Fri) 11:19:24
残響のような自我? / 大阪
うびさん、それにみなさん、今年もよろしくお願いします。

うびさん質問させて下さい。

あの体験での自分と日常の自分を較べて、何が違うんだろうって考えてたんですが。

「感じる為に生きてる」(為に、って変ですが)



「知る為に生きてる/知ってると知る為に生きてる」

というような違いがあると思いました。

もしかしてこれが自我でしょうか。

あの体験を理解しきってないから、そんな自我が発生してしまうのでしょうか。

No.70 - 2008/01/11(Fri) 19:13:15

Re: 残響のような自我? / ubik0101
たぶん意識は、なにかを知ることができると思うだけ、と思います。もしかして、かなり変な言い方と思うのですが、意識に、知るという機能は、もともとないのじゃないかと思います。あの体験でなくっても。ふつうの日常でも、感覚だけが機能してる「感じる為に生きてる」と呼べると思います。そうであれば思考も邪魔にならないと思います。

なにか空想したりして、人が心理的に今の現実にいなければ、また何かを比較したりするなら、知るという機能が働くようです。それは「知る為に生きてる/知ってると知る為に生きてる」とも表現できます。それは自我の機能。というより、それを自我の機能として、判断することができる、だと思います。知識や技術、それを使ってる最中は、とくに自我とは呼べません。

あの体験を感じようとして、残響のような自我が発生するのですが、ひとつにはやはり、あの愛や真理や自己を理解しようとするために、そうなるのだと思います。けど。それは意識の対象ではありません。そのことを了解すること。それは、そうしてる残響のような自我の機能を理解する、という意味もあります。また。あまりに当たり前なので、なかなか見るのが困難ですが、中道も正確に理解すべきことと思います。

そういえば散歩してると、中島川に、セキレイが飛んできて。その素早い動きに惹き付けられ、セキレイと「私」と不可分でした。世界もそうであり、「私」と不可分です。それは事実として完全な分離でも、完全な不分離でもありません。つまり完全関係・完全無関係なら、知覚・感覚できないと思います。

それで、その事実としての分離でも分離でもないを、ことさら心理的な働きとして、たとえば他人と仲良くしようとしたり反発しようとしたり、人のために働こうとしたり働かなくあろうと機能させると。つまり分離を分離として強調して意識させられると、おなじことですが解消しようとしたり融合しようとしたりすると、自我になりやすい、と思います。というよりそういう片寄って集中させる機能を、自我と呼ぶのだと思います。それはとくに否定すべきことではありません。

もし分離を排除しようとすると、つまり否定しようとすると、それも心理的な分離と思います。もちろん融合しようと、つまり肯定しようとしても心理的な分離です。 事実は中道であり、否定も肯定も、事実から離れています。それは多分、空想が働かなくては、ほとんど不可能と思います。たとえば今こことか、ありのままとか、そういうことも空想になりえます。

それで、というわけでもありません。とくに、なんもない日常生活をしています。善悪とか、素直とかも生起しない・・・それを素直と呼ぶのですが・・・そのなにもない、それゆえ、学ぼうとしたり、仲良くしようとしたりしても、人のために働こうとしても、それを否定することも肯定することも必要なく、無問題と思います。

No.72 - 2008/01/11(Fri) 21:01:57

Re: 残響のような自我? / 大阪
> たぶん意識は、なにかを知ることができると思うだけ、と思います。

そこの所をきっちり理解しきりたい、ということなのかな、と思ったんです。
未知を知りたいのかな、って思ったのです。

> あの体験を感じようとして、残響のような自我が発生するのですが、ひとつにはやはり、あの愛や真理や自己を理解しようとするために、そうなるのだと思います。けど。それは意識の対象ではありません。そのことを了解すること。

「意識の対象ではありません」難しいです。
意識で捉えられるものではなく、意識もそれらの一部、とか意識が対象とされている、ということでしょうか。

>また。あまりに当たり前なので、なかなか見るのが困難ですが、中道も正確に理解すべきことと思います。

中道、今は全く理解出来そうにない感じがしますが、良く考えてみます。

> そういえば散歩してると、

ここからは中道を理解してないことによっておきる苦痛の説明なのでしょうか。分離、は初めてです。別の考え方で接してはいたかもしれませんが。

> それで、というわけでもありません。とくに、なんもない日常生活をしています。

満たされた毎日なのでしょうか。よく、女の人の思考というか生き方が羨ましく思えます。自分の心を楽しんでいるように見えるからです。かと思えば、とても不幸な生き物に見えることもあって、難しいです。

No.78 - 2008/01/12(Sat) 15:19:37

Re: 残響のような自我? / ubik0101
> > たぶん意識は、なにかを知ることができると思うだけ、と思います。

> そこの所をきっちり理解しきりたい、ということなのかな、と思ったんです。
> 未知を知りたいのかな、って思ったのです。


それはもう、ただの事実です。たとえば無知(無明)による欲望とか自我が機能してることは・・・なんであれ対象や自分を知ってると見なしてることであり・・・そこには過不足があり・・・そうであって欲望や自我は機能するのではないでしょうか。説明としては。ありありと、過不足なく生きてる、それで、知らないです。

> > あの体験を感じようとして、残響のような自我が発生するのですが、ひとつにはやはり、あの愛や真理や自己を理解しようとするために、そうなるのだと思います。けど。それは意識の対象ではありません。そのことを了解すること。

> 「意識の対象ではありません」難しいです。
> 意識で捉えられるものではなく、意識もそれらの一部、とか意識が対象とされている、ということでしょうか。


もっと単純です。あの体験、あの愛や真理や自己を、思い出せない、再現できないと思います。つまり意識の対象にはなりません。それを微かに空想としてでも対象にしようとするから、苦痛であり、残響のような自我が機能せざるを得ないと思います。そこで、まったく意識されないのに、変容した自分。たとえば無明が転換した智恵。貪らないこと。などがあります。

> >また。あまりに当たり前なので、なかなか見るのが困難ですが、中道も正確に理解すべきことと思います。

> 中道、今は全く理解出来そうにない感じがしますが、良く考えてみます。

あの体験の状態、それは中道そのものです。

> > そういえば散歩してると、

> ここからは中道を理解してないことによっておきる苦痛の説明なのでしょうか。分離、は初めてです。別の考え方で接してはいたかもしれませんが。

たとえば自分と他人、自分と環境、自分と思考、それらは互いに分離(独立した個物)である、ない、どう言っても誤りです。なのに分離してると見なすなら、また不分離と見なすなら、それは 片寄りで、中道ではありません。それが自我として機能します。とりあえずはですが。なにかを否定しようとしたり肯定しようとしたりすることは片寄りとして機能しやすいのです。

> > それで、というわけでもありません。とくに、なんもない日常生活をしています。

> 満たされた毎日なのでしょうか。よく、女の人の思考というか生き方が羨ましく思えます。自分の心を楽しんでいるように見えるからです。かと思えば、とても不幸な生き物に見えることもあって、難しいです。

これも満たされてるとか満たされてないとか、どう言っても誤りです。過不足がないということです。知らない、ということです。ごく普通の日常の自分の状態を、そのまま見れば、実感すると思います。

No.79 - 2008/01/12(Sat) 17:56:30

Re: 残響のような自我? / 大阪
>ありありと、過不足なく生きてる、それで、知らないです。

確かにあの体験では、必要な物であり、またあると最高な物が既に手に入っている、と感じて、それまでの人生やこれからも過不足はない、と思いました。
だけど、そう頭では分かってても、何か求めてしまっているのです。
それを終わらせたいと思うのです。

> もっと単純です。あの体験、あの愛や真理や自己を、思い出せない、再現できないと思います。つまり意識の対象にはなりません。それを微かに空想としてでも対象にしようとするから、苦痛であり、残響のような自我が機能せざるを得ないと思います。そこで、まったく意識されないのに、変容した自分。たとえば無明が転換した智恵。貪らないこと。などがあります。
>
> あの体験の状態、それは中道そのものです。


あの体験で最初に起きたことが中道、でしょうか。
あの体験での愛を再現できなくとも、中道は理解することで再現できるのでしょうか。
確かあの時は、善悪を考えることよりも、自分は、自分たちは善だ、という感じだった。善悪を考えることは、どちらかと言うと悪だった。そんなことより善でいることを喜んでいた。気がする。
でも今は、善悪を気にしてるように思える。

> これも満たされてるとか満たされてないとか、どう言っても誤りです。過不足がないということです。知らない、ということです。ごく普通の日常の自分の状態を、そのまま見れば、実感すると思います。

うーん。ごく普通の日常をそのまま見れば。過不足がない、と、知ろう、とする自分がいるような気がします。

No.83 - 2008/01/12(Sat) 20:56:06

Re: 残響のような自我? / ubik0101
> だけど、そう頭では分かってても、何か求めてしまっているのです。
> それを終わらせたいと思うのです。


それはなにか苦痛だからでしょうか。なら、いつも言うことですが、あの体験で見たことを、架空の人に対してでもいいので、教えるつもりで、詳しく言葉にすること。書いて忘れるほうが簡単です。あの体験は、あっちから、のことですが、それを理解する修行は、こっちから、することです。両方必要です。

それは自分で理解できると思います。いや。ほかの誰もできません。いつでも、そのようである、そのままの、その自分の状態、思考を正直に言葉にしていけば、理解は自然に進んでいきます。徹底しないと、いつまでたっても苦痛です。

> あの体験で最初に起きたことが中道、でしょうか。
> あの体験での愛を再現できなくとも、中道は理解することで再現できるのでしょうか。


あの愛を感じない、その感じない自分を、そのまま認めれば、それだけですみます。感じても感じなくても、問題ありません。野山に咲く花、それを摘むことは欲望なのかもしれません。

中道は、再現と言うより、日常が中道でしかありません。この不思議な世界のほか求める必要はありません。それをどう理解するかは個人の問題だし、いろいろあるから人に学べるのです。

> 確かあの時は、善悪を考えることよりも、自分は、自分たちは善だ、という感じだった。善悪を考えることは、どちらかと言うと悪だった。そんなことより善でいることを喜んでいた。気がする。でも今は、善悪を気にしてるように思える。

どこにも概念としての善悪などありません。あると見なしてるだけです。そのときどきに、できる範囲で、実際に悪いことをせず、善いことをすればいいだけです。シャカリキになって奉仕活動をする必要もありません。

> うーん。ごく普通の日常をそのまま見れば。過不足がない、と、知ろう、とする自分がいるような気がします。

ほかの人、たとえばubik0101の言うこと、などを空想しなければ、そんな自分なんて最初から、いません。天上天下唯我独尊。こそ無我と言われます。

No.85 - 2008/01/13(Sun) 08:26:26

Re: 残響のような自我? / 大阪
> いつでも、そのようである、そのままの、その自分の状態、思考を正直に言葉にしていけば、理解は自然に進んでいきます。徹底しないと、いつまでたっても苦痛です。
>
> あの愛を感じない、その感じない自分を、そのまま認めれば、それだけですみます。感じても感じなくても、問題ありません。野山に咲く花、それを摘むことは欲望なのかもしれません。
>

こう言って頂いて、なんか、助けられました。
愚かなことに、苦しんでいないといけない、とか、苦しんでいる姿こそ正しい、というような意識があったようです。
自分を、自由を追いかけさせることで不自由にしていた、感じです。

> 中道は、再現と言うより、日常が中道でしかありません。この不思議な世界のほか求める必要はありません。それをどう理解するかは個人の問題だし、いろいろあるから人に学べるのです。
>

中道に関して質問です。

例えば、ある人が世界を眺めて美しい、と感じる。そこへ父親が疲労しきった姿で仕事から帰って来る。彼は、あぁ世界を幾ら眺めても、腹の足しにならないし、両親に恩返し出来ない。そういって世の中の辛さをなげき、自分の仕事に戻る。
コレは破滅の道でしょうか。蟻地獄に自分から飛び込むようなものでしょうか。

そうではなく。ある人が世界を眺めて美しい、と感じる。そこへ父親が疲労しきった姿で仕事から帰って来る。彼は、あぁやはり世界は幾ら眺めても、美しい。父の仕事を奪ってはならない、といってお風呂に湯をはった、または仕事に戻った、また何もしなかった。
コレは中道でしょうか。

> ほかの人、たとえばubik0101の言うこと、などを空想しなければ、そんな自分なんて最初から、いません。天上天下唯我独尊。こそ無我と言われます。

なるほど。

中道を歩む人を天上天下唯我独尊、と表現するのでしょうか。いや。天上天下唯我独尊、という状態でしかいられない自分を確認することが、あの体験を理解して捨てる修行なのでしょうか。

No.112 - 2008/01/15(Tue) 19:03:22

Re: 残響のような自我? / ubik0101
> 中道に関して質問です。

>例えば、ある人が世界を眺めて美しい、と感じる。そこへ父親が疲労しきった姿で仕事から帰って来る。彼は、あぁ世界を幾ら眺めても、腹の足しにならないし、両親に恩返し出来ない。そういって世の中の辛さをなげき、自分の仕事に戻る。

>コレは破滅の道でしょうか。蟻地獄に自分から飛び込むようなものでしょうか。

うーん。なにを質問してるか???なので、こっちから質問してみます。

恩返ししようとして経済問題しか思いつかない、優しい言葉とかを言えない自分が問題だ、という質問なのでしょうか。

たとえば「父親が疲労しきった姿で仕事から帰って来る」ということと「両親に恩返し出来ない」または「そういって世の中の辛さをなげき、自分の仕事に戻る。」ことを強く関係づける、理由づけるということが、欲望なのでは?という質問なのでしょうか。

「なげき」ということが問題?という質問なのでしょうか。

あるいは自分だけ美しい世界を眺めてるのではなく、たとえば疲労しきった「父親」にも、そうであって欲しいということなのでしょうか。

>そうではなく。ある人が世界を眺めて美しい、と感じる。そこへ父親が疲労しきった姿で仕事から帰って来る。彼は、あぁやはり世界は幾ら眺めても、美しい。父の仕事を奪ってはならない、といってお風呂に湯をはった、または仕事に戻った、また何もしなかった。
>コレは中道でしょうか。


これは、余計なことを考えずに、そのとき、その場で、できることをした。それが中道にあるということ?という質問なのでしょうか。

なんにしても、これが中道、これが中道でない、などと考えること、空想すること。そのことが問題のようです。中道という概念を求めることでは不可と思います。中道とは仏陀の言う縁起の理解にほかなりません。それは縁起という概念も認めません。また縁起、それは空の理解にほかなりません。

http://kukan.syudo.com/index2.html

>中道を歩む人を天上天下唯我独尊、と表現するのでしょうか。いや。天上天下唯我独尊、という状態でしかいられない自分を確認することが、あの体験を理解して捨てる修行なのでしょうか。

おなじように。これも空想しないこと。天上天下唯我独尊という言葉の意味も、空想しないこと。それだけではないでしょうか。

No.113 - 2008/01/15(Tue) 20:36:27

Re: 残響のような自我? / 大阪
> あるいは自分だけ美しい世界を眺めてるのではなく、たとえば疲労しきった「父親」にも、そうであって欲しいということなのでしょうか。
>

思いやりのない文章でスミマセン。

自分が幾ら世界を美しいと思ったところで、「父親」はそうじゃありません。苦しい世界しか見えないと思います。

だから、世界が美しく見えることを「腹の足しにならない」と言って、否定して「父親」や世間の苦しみを一緒に背負おうとする。

それで「父親」を何か経済的にでも楽に出来たとしても、そうすることは、僕には破滅の道に思えます。

そうじゃなくって、世界が美しく見えることを「父親」にもわかって貰うために、仕事に戻っても、お湯を張っても、何もしなくてもその「父親」の苦悩を一緒に背負わない。だから本当は「父親」の仕事は苦しいものではなくて、父親の喜び。

こんな風に捉えることが中道なのでは、と思っているのです。

この僕の捉えかたはあっているか、間違っているか、という質問でした。それをずるく、聞いたのです。

とても情けないことに、自分でも何が聞きたいのか不明でした。

> http://kukan.syudo.com/index2.html

むず。じっくり読んでいきます。

> おなじように。これも空想しないこと。天上天下唯我独尊という言葉の意味も、空想しないこと。それだけではないでしょうか。

どんなことも空想するな、ということでしょうか。
そんなこと出来るのでしょうか。

No.121 - 2008/01/16(Wed) 20:06:28
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