二者択一・・生かすかCENSOREDか 生きるか死ぬか
こういうあり方はすごく人間的だなと思います。 断片に同一するからですが・・
自然のありようを見ていると
両方生かす 全部生かす
生かすためにはどうするか
これが自然の創造性の基本のように思えます
あなたも生きる 私も生きる
自己犠牲でもなく 抑圧でもなく 支配でもなく 克服でもなく
「道を探す」
それが創造のしくみの原点なのだと思います
その全部を生かす「視点」が中道なのではないかなと 勝手に思いましたが・・どうかな。。。
中道にはきりがない
悟りきるということはない
現に自然自体・・
創造の営みをし続けている
生きるということはたぶん無数の対立経験をしてゆくことのように思えます。
自由を得たなら、不自由との葛藤 悟りを得たなら、凡人との葛藤 何もかもなくそうとしたなら、何もかもなくせないという葛藤 空想に生きるなら現実との葛藤・・ まあとにかくどこにどういっても 何をどう得ても、そこには葛藤が存在しているように思えます。
だからこそ、命だし、だからこそ、より生きるのだし、 だからこそ、営みなのだし、だからこそ、視点の上昇もあるのだし・・・
変調は・・葛藤関係の中の視点の上昇 あるいは、偏りのポジション移動 そんなことかもしれないです。
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No.147 - 2008/01/18(Fri) 11:35:27
| ☆ Re: 中道はわからないけれど / potanpotan | | | ふつうに生かしあえていれば・・ 意識にも上らず・・自然ですからね。。
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No.148 - 2008/01/18(Fri) 11:38:17 |
| ☆ Re: 中道はわからないけれど / ubik0101 | | | そうですね。世界はある、と言っても、ない、と言っても、どちらでもあり、どちらでもない、どう言っても間違いです。それでいて総てが活動し不思議に秩序があり自然です。
>変調は・・葛藤関係の中の視点の上昇 >あるいは、偏りのポジション移動 >そんなことかもしれないです。
そういうことを感じるって、凄く敏感だと思います。
>ふつうに生かしあえていれば・・ >意識にも上らず・・自然ですからね。。
たとえば、ありのままでいて、ありのままなんて言うの、奇妙です。そうでないから言える。なら、それは、既知の、ありのままでしょう。自然とか、素直とか、天真爛漫とかも。そうならば、その対概念が見えます。そうならば、ありのままという空想と気づいてない空想です。
そうでないなら、なんであれ言葉にならないことに、自然とか、現実とか、世界とか、素直とか、名前をつけただけです。名前をつけなくても、それです。それで名前をつけても、それです。
なんか中国の禅の六祖、恵能の言葉「善を思わない悪を思わない、まさにそのとき君自身はどうなんだ」。を思い出しました。
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No.152 - 2008/01/18(Fri) 17:23:31 |
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