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言葉って・・ / potanpotan
ネットはここ1年くらいですが・・
言葉のやりとりって難しいですね。。。

言葉から感じられる世界はありますし・・
でも、言葉と実際本人と会ったときの印象とぴったり同じという人はどのくらいいるんだろう。

言葉ってかっこつけやすいからなー
でも、心を語るのに向いているけれど

やっぱりかっこつけちゃうな
理想の自分であったり・・

言葉と思考は仲良しだから
縦横無尽になめらかに拡散しやすい

それで
実体と離れやすい

毎日さまざまな人と会いますが・・

会うというのはすごいことなんだな。

センサーを総動員ですものね。

「感じること」って不思議ですね。

No.101 - 2008/01/14(Mon) 10:05:04

Re: 言葉って・・ / ubik0101
ほとんど、うろ覚えです。ある禅師に役人が面接に行きました。しかし役人の挨拶を禅師は、無視します。そこで役人が「なんだ、遠くにいて、いい評判だけを聞いていたほうがよかった」。禅師は「よくも耳を信じて眼を信じないことができるものだな」・・・と、いう話を思い出しました。

たしかに言葉は嘘をつくことができます。自分を高く見せたり低く見せたりできるかもしれません。そうであるなら、人は嘘をつくのではなく、嘘に使われているのではないでしょうか。嘘が、その人の人生を支配してるのではないでしょうか。そうであるなら、使ってると思いながら使われてる、自分がいるのではないでしょうか。

ところで言葉は、まったく表現する対象と無関係。それゆえ、対象を正確に表現できるのではないでしょうか。そうであって、こうである自分を、こうであると、そのまま素直に語ることができると思います。嘘をつかないのではないでしょうか。それで、人は、言葉を使う、と言えるのではないでしょうか。

判断。

たとえば。この一週間。自分。そして自分と関わった人の、行動、発言、思考。それを、まったく事実、正確に言葉にしようと試みたなら。そのことに一週間かかったとしても、ほとんど不可能ではないでしょうか。それで人は、ある立場をとって、あれは、こういう意味なのだ、と ある解釈、ある判断をして、纏めているのではないでしょうか。そういう癖がついてるのではないでしょうか。

そして今日は、凄いとも言える青空です。ビルの窓や壁にあたる日光が、陰影をつくり、街路樹がざわめき、道路には木漏れ日が揺らめきます。ゆっくりと鳶が翼を広げて飛び、その無音が見えます。成人式なのか、振りそでの姉ーちゃんと、カメラを首から下げた家族が、アーチ型の石造りの橋の上を歩いています。この現実。不思議という言葉も不要。なんて明るく美しいのでしょう。

> ネットはここ1年くらいですが・・
> 言葉のやりとりって難しいですね。。。


ネット歴は2年めです。これまで4名の投稿者さんと、お会いしました。あっ。5名でした。ほかの掲示板を含めると7名です。

No.105 - 2008/01/14(Mon) 12:33:26

Re: 言葉って・・ / potanpotan
音楽は嘘をつかないもんと思っていましたが

作曲するとき、とくに重要なところを作曲しているとき
かならず逃避行動が起こります。
ちょっとパンをかじってみたり 体操したくなったり・・
寝ちゃったりするのですが・・
けっこう苦しい。

イメージが沸いてざっとスケッチしたものを一音ずつ吟味しながら明確に形にしてゆくことは・・限定してゆくことが
本当に苦しい。
限定してゆくたびに嘘になる気がして・・
たった12個の音の中に割り振ってゆくのがなんともぎこちなくて・・
もっとなめらかに表現したいのに
もっと多様なのに
でも音を納めてゆく。

リアルにしてゆくことが嘘になってゆくことのように思える気がするときもある。
だけど、リアルにしなければやっぱり嘘で・・


楽譜にしてしまうと

演奏する作業で私の「嘘」に「本当」の世界を響かせてくれる演奏者がいて・・

No.107 - 2008/01/15(Tue) 00:44:42

Re: 言葉って・・ / ubik0101
そういえば、
言葉にも同じような機能があるかもしれません。

たとえば、愛、と思ったりしてる時、ほかの総ての言葉を否定しています。歓喜も、空も、魚も、樹も・・・そのようにして、また、世界という言葉に続き、そうしてる時、また、ほかの総ての言葉を否定しています。苦痛も、花も、風も、雨も・・・そのように連続して。たとえば・・・それを感じても感じなくても、愛は世界に溢れています。となります。その現れない言葉に支えられて、言葉が話されるとも言えると思います。

ところで音楽が聞こえるということ
それは、とても不思議です。

No.108 - 2008/01/15(Tue) 09:01:23
愛・自由・幸福 / potanpotan
ホームページでこのテーマを拝見して・・
なんとなくいろんな想いが沸いていました。

私は世界を音楽と連動させてみていますので・・
音楽の表現が多くなって恐縮なのですが

私にとって「自由」は「生かす」の一点に想いを結集させて世界を見ることのように思います。
正確には「生かす」が「自由」ではなくて
「生かす」という思いが「自由」への扉を開けてゆく。

「このように弾くべきだ」
「正確に奏でるべきだ」
「楽しむことだ」
「自由に演奏することだ」

そんな「〜しよう」という思いに目を向けずに
ただ「これらの音が生きるためにはどうするか」

自ずと
「リズム」「楽器」「音程」「フレーズ」「情緒」「ハーモニー」「空間」「心情」「体」「人」「自己」「理論」「時」「音」

必要なときに必要なものを見ていく扉が開いてゆきます。

音は無限
だから、何をどう奏でたってすべて音楽
好きなようにやるのが自由な音楽

こういう自由を求める音楽もあるけれど
確かに何をどう奏でても音楽になる聞き方や曲を作ることは出来るけれど、それも音楽の全体の中のごく一部のあり方に過ぎないし、こういう自由な音楽は「強烈な抑圧の解放」の反作用として誕生しているんだなと感じます。

音は無限
無限は無に等しくて

自由になるというのは無数の限界(世界)を見てゆくこと・・のように感じています。
無数の限界を見るというのは・・・
「生かす」という一点で世界を見ること
その流れの中で
「自分が生きる」があり、
「必要あれば覚醒のようなものがあり・・」

そして、自由になるとは・・
前はこの音をこんなふうに生かせなかったけど、今はこうすればもっと生きてくるなと見えてきたとか・・この音を生かしていないことにさえ気が付いていなかったけど、ぜんぜん生きていないことに気が付いたとか・・
それが自由になってゆくことのように感じています。
だから、突然羽が生えて自由になるというよりは
めちゃくちゃ地味な作業の繰り返しというか・・
で・・いつのまにかたくさんの音の営みの姿が見えてきた
みたいな感じかな

こういうスタンスの全体を「愛」というのではないかとも思いますが・・
「愛」も多様なあり方がありますね。
「生かそうとすること」を「愛」というならば
「この社会の枠組みの中で頂点を目指して豊かに生かそうとしている愛」や「危険なものからとにかく防衛遠ざけようという愛」や
様々な愛の姿に出会います。

だけど、一辺の愛し方は一辺しか生きないかな。そして
一辺の愛しか見ないから、必要なものに気が付くことなくどんどん枯らしてしまっていることも多いかな。

そしてこういう私の見方も一辺に過ぎない。

幸福は・・「生かされない」ものを抱く人が「生かされる」感覚や予感や「生きている」ものに触れたときに沸く感覚でしょうか。
「生かされない」という「不幸」があるから「幸福」があるのでしょうか。

そんなふうに私は思いました。

そうか・・だから「自分が自分になるために生きる」
ことが志というよりは
「生かす」ことが志なのかな
その流れの中で「自分がなければ」「生かせない」なんだろうな。
それで、結局「生かす」ことは「生きてくる」連動しています。

No.58 - 2008/01/07(Mon) 04:35:58

Re: 愛・自由・幸福 / ubik0101
言葉。

モーツアルトを、
ときどきイントラ反転真空管アンプで聞きます。

ところで。言葉は、
音楽と違って、練習するということも不要なくらい、
自然に話せます。

その言葉で
日常の自分の有り様と、
それを成立させてる前提を、
見ました。

それは、なにか新しい立場とか有り様を、
得ようとするより、どんな見えることも、
理解することで
失おうとする姿勢でした。
そういうことができたのは、
やはり言葉の機能と思います。

宗教の言葉、哲学の言葉、小説の言葉などで、
何かを加えるのは不可能であり、
日常の言葉だけで、
否定の道を歩きました。

そうすれば、
その中心にあるかもしれない自己が
見つかるかもしれないと思っていたのでしょう。
しようとしてしたのでもなく
本能とも言える衝動でした。

きっと、
もう同じことは二度とできないと思います。
まったく世間知らずで、
素直であり傲慢であり支離滅裂、
人間関係も顧みず
ありとあらゆる
見えることを失い、
失ってる自分を失い、
そのためにしか生きていませんでした。

そして見つかったのは
どんなことも人ができ得ることは
人ができうるように世界ができてるから、
という絶対不自由でした。

それが逆転したのだと思います。

No.60 - 2008/01/07(Mon) 09:33:26

Re: 愛・自由・幸福 / potanpotan

「知る」ということを思っていました。
いろんな「知る」があります。


「水」

●そいうものがあるという情報を「知る」。
情報の世界は「あるらしい」のであって「ない」世界
目の前に存在する水たまりに気が付かず「水」を
またいで行っちゃうような・・・

●「水」を目にした。
「見る」世界では「水」は「ある」
光に輝いている。流れている。透明だ。形がみるみる変化している・・「水」の表面を「知る」。

●「水」に触れる。「飲む」「浴びる」・・「水」と交わる。自分を通して「水」の作用を「知る」。

水に手を入れると波紋が広がる、つかめない。冷たい、暖かいときもある。
飲んでみる。体中に染み込んでゆく。
飽きるほど飲んでみる。
干からびるまで飲まないでいてみる。
水を空にまいてみる。水をたたく。
しぶきが目に入る。
視界が波打つ。
水に入ってみる。もぐってみる。呼吸ができない。
静寂。
水から出てみる・・

様々な「水」の多様な姿やその「作用」を自分を通して「知る」。

●水になる。自分を「水」に捧げる。

水鳥の足かきに「私」はゆさぶられる
落ちてきたどんぐりを「私」は押し流す
石にぶつかって「私」は分散する

泥とまじって、「私」は荒くなる
土とまじって「私」は重くなる
樹木に染み込んで「私」は樹木を生きる


水になるとき「水」という存在の全体を「知る」道が出来るのではないかなと思います。
でも、「水」になる視点ではどんぐりからみた「水」の捕らえ方、水鳥からみた「水」の感触、水にぶつかられた「石」の感じ方は「知れない」



イントラハンテンシンクウカン
なんだか7連符ですね。
不規則に規則的で魅力的な響きです。

No.64 - 2008/01/08(Tue) 23:28:49

Re: 愛・自由・幸福 / ubik0101
> :
> :
> 水になるとき「水」という存在の全体を「知る」道が出来るのではないかなと思います。
> でも、「水」になる視点ではどんぐりからみた「水」の捕らえ方、水鳥からみた「水」の感触、水にぶつかられた「石」の感じ方は「知れない」


な、なんか鳥の視線になったり、自分を「水」に捧げ「樹木に染み込んで「私」は樹木を生きる」。バイオリンの稽古をしたら、震動する空気になったり、美になったりするのかもしれません。おもしろい、です。

それはともかく。そうだとして。「水」になれば「私」は「知れない」。「山脈」になれば「私」は「知れない」。「世界」になれば「私」は「知れない」。のでしょうか。

そして、「私」になれば「欲望」を「知れない」。「私」になれば「善悪」を「知れない」。 ついでに「私」になれば「私」は「知れない」。なんにしても、「知れない」。

たとえば連綿と繋ぎめなく続く日常にあっては、なにも判断不可能で「知れない」。この今にあっても、なにも判断不可能で「知れない」。では、なにも「知れない」し、「知れない」も、「知れない」。「私」は、なんでしょう。

また。知覚するということ。それは「差」のことかもしれないと、思いました。「私」は、「私」と違う「あなた」を、「私」のこととして知覚する。のかもしれません。でも、もっとなにかありそうです。

No.66 - 2008/01/09(Wed) 11:24:51

Re: 愛・自由・幸福 / potanpotan
>「私」は、なんでしょう。
>
> また。知覚するということ。それは「差」のことかもしれないと、思いました。「私」は、「私」と違う「あなた」を、「私」のこととして知覚する。のかもしれません。でも、もっとなにかありそうです。


「私」は ものすごーい広さでむちゃくちゃいろいろなんじゃないでしょうか。

すべての人がむちゃくちゃ広くて、めちゃくちゃいろいろなのだと思います。

けれども、そんなに広くていろいろだと、お皿の中に収まりきらないし、肉体の持っているタイムスケジュール上カットせざるを得ないので、人それぞれ適当にカットして、適当なお皿に自分を収めて、肉体のタイムスケジュールをうまくこなそうということなのではないでしょうか。

生まれたてのときは、体が自分ではないのですが・・
(赤ちゃんは自分の手の動きを不思議そうに見ています。)
それがいつのまにか、ごく自然に伸ばしたいところに手を伸ばし、歩きたい速さで歩けるようになり・・体を無意識に使えるようになると、体が自分として活性され、そこが自分としてスイッチが入る・・・

「おまえはグズでノロマな亀」といろんな人に言われて
「グズでノロマな亀」の自分というスイッチが入る・・

「美人」という世間的評価、「ブス」だという世間的評価や世間の価値基準との比較や・・そんなさまざまな経験で「自分」のスイッチが入る。

また、「ブス」であったけれど、お化粧をうまくし、スタイルを磨き、「美人」の領域に来る懸命な努力をして今や「美人」というスイッチの自分も確立した。
しかし、老化には勝てず、また「醜い」自分のスイッチが入るのを恐れる。

めちゃくちゃ広大な「自分」のどこが「活性」しているか
なのではないでしょうか。

ある一部のポイントが活性しているのに強くとらわれて
そこを保守しようと肉体のタイムスケジュールをこなすのか

幅広く活性していくことに肉体のタイムスケジュールをこなすのか・・

人によって違いますね。

でも、魂はいつでも広がる「可能性」の方向を示唆しているように思えます。

でも 別の機能(これがなんなのかがよくわからない)が広がらずに「よくよく限界を知りなさいよ」という方向を示唆しているように思えます。

そして、可能性と限界のバランス点を個々に生きるのだと思います。

No.71 - 2008/01/11(Fri) 20:01:59

Re: 愛・自由・幸福 / potanpotan
すみません。上記はあまりにも・・雑な見方です・・

一部分からでも、全体を予感したとしても。
限界をつきつめても・・・
自分がどこに存在しても
たぶんそれはなんでもよくて・・

どこからでも、どういっても・・
広く活性してゆく道に繋がっているように
見えるのだけど・・
あるいは、肉体のタイムスケジュールと上手くやりくりしながら、不思議と自然に、豊かになってゆくようになっているように感じるのですが・・

でも、それをそうさせないのは
執着や無知というよりは
傲慢さかな。

そんなふうに思います。

傲慢さって何かな。

スイッチの入っている小さな自分が
全てと思いこむことや

全体を予感したにすぎないのに
いろんなスイッチを強制消去してしまうことかな。

No.73 - 2008/01/11(Fri) 21:22:38

Re: 愛・自由・幸福 / ubik0101
なんとなく暖かい雨上がりの空に、今日は、30数羽の鳶が、くるくる舞っていました。そんなにいるのかと思いました。港町だからでしょうか。

ところで、この掲示板の上辺あたりに書かれてる「この世界は人を成長させるための触媒です」。なんですが、滅茶苦茶な、矛盾なんです。人って世界のことです。

でも。「人は世界です」。と言ってしまえば、間違い、というか違和感を持つと思います。矛盾が、なくてはならないのではないでしょうか。ありとあらゆる矛盾が、かろうじて、世界をなりたさせてるのかもしれません。それはともかくとして。

>傲慢さって何かな。

おそらく、ひとつの解釈かもしれませんが。それは。その人が、傲慢な行動、言葉、思考が現れざるを得ない、間違った有り様であることを、その人に教えるために機能するのだと思います。それは無知とか、欲望とか、自我とかが、原因として見つかるかもしれません。

でも。なにが原因でも、いいのだ。なにが見つかっても、いいのだ。と思います。それが人を鍛えれば、なんでもありと思います。また、理解し得ないこと、でなくては触媒は機能しないのだ。 potanpotanさんて、素敵なほど肯定的な生き方をしてるので、ついこんなことを言ってしまいます。

>スイッチの入っている小さな自分が
>全てと思いこむことや




>全体を予感したにすぎないのに
>いろんなスイッチを強制消去してしまうことかな。


このあたりの関係、もっと詳しく聞かせてもらいたいと感じます。

No.74 - 2008/01/11(Fri) 22:40:02

Re: 愛・自由・幸福 / potanpotan
> なんとなく暖かい雨上がりの空に、今日は、30数羽の鳶が、くるくる舞っていました。そんなにいるのかと思いました。港町だからでしょうか。

おお!
ワシタカ好きの人は割りと鳶を馬鹿にします。
だけど、鳶はすごく飛ぶのが上手ですよね。
見とれます。
それに、姿は立派にタカなのに、カラスにいじめられてたり、鳩たちも鳶が来ても緊張もしないところなんかも・・
好きです。
・・・セキレイも不規則な歩き方と尻尾のリズムがなんとも愛らしいですよね。

まだ見たことがないのですが・・
鳥類のリボンの騎士(と勝手に私が呼んでいる)タゲリ
という鳥と、木の上の哲学者(と勝手に呼んでいる)カヤクグリという鳥に憧れています。

ああ・・鳥の話をしてしまった。。。

>矛盾

私は自分も他人も物事の矛盾にも
あまり気がつけないタイプです。
人からこことここが矛盾しているといわれないとわからないことが多いです。
「何かが生かされていない」とか
「何度も同じ繰り返しで消耗する」とか
「こちらを立てればあちらがたたず」とか
「帯に長したすきに短し」
みたいなことの総称なのでしょうか。

> >傲慢

>それが人を鍛えれば、なんでもありと思います。

イメージが沸くのは・・

川の流れの中に砂利や石たちがいて。
みんな海に流されていく。

細かいものはザーーーっとあっという間に流れ去っていく。
大きな岩は・・もう何十年も同じ場所にいる。
だけどある嵐の夜、大木が倒れて岩が1センチ移動した。
1センチ移動した世界のなんて違うことか・・
光のあたりぐあい、風のあたりぐあい、木の見え方・・
そして、また何十年もその場所で過ごす。

岩でも砂利でも、みんな同じ海への流れのなかに生じていて・・みんなそれぞれに運ばれている。

形のよい石は欠けるのを嫌って、流れがゆるいところにいようとする。
角の多い尖った石は他の石とぶつかりながら丸く削られてゆく。
柔らかな石はすぐに砕けて流されてゆく。

でも・・
肯定的に世界観を私が持っているのだとして・・
世界は反転しているように近頃感じます。

私にとって「まっすぐに向かう」が社会の中では「逃避」。私にとって「尊い」が「低俗」。
私にとって「逃避」に見えるものが「立ち向かうべきもの」

この世界って一体なにかな。
なにを原動力にこうなっているのかな。
私は生きていけるのかな・・。
生き残りをかけて隙間産業を開拓しよう。

そんなことをちらほら感じます。

> >スイッチの入っている小さな自分が
> >全てと思いこむこと


> >全体を予感したにすぎないのに
> >いろんなスイッチを強制消去してしまうことかな。


> このあたりの関係、もっと詳しく聞かせてもらいたいと感じます。

自分の傲慢さを披露すると・・
例えば「私は作曲家だから」
創造力過多で地道さ不足なのは仕方ないし、
演奏が下手でも仕方ない。
私はね音の無限と不思議がみえているの・・。

そしてヴィオラ奏者の友人に
「じゃあ曲だけ作ってろよ。音に失礼だから弾くな。」
「自分で作った音すら大切にできなくて、なにが無限だ」
「弾けてないんだよ。単純に。」

で・・ガラガラガラガラ。
「楽器(肉体・物)がなくて、音は存在しない。楽器で演奏できない音を作曲しても、響かない。」

楽器・体・場所・人・・無限は無に等しい。どれだけ限界を見てゆけるかなんだなーー。
音楽のスタート地点でした。


No.75 - 2008/01/12(Sat) 01:06:17

Re: 愛・自由・幸福 / ubik0101
なんか小鳥のくせに、法ー、法華経、だなんて生意気だねー。えー!
ホトトギスって、自分の名前を呼んでない?そっかなー?
あれが、カラスバトの鳴き声よ・・・
小さな地球と呼ばれてる奇蹟の島で、そんなことがありました。

>私は自分も他人も物事の矛盾にも
>あまり気がつけないタイプです。
>人からこことここが矛盾しているといわれないとわからないことが多いです。
>「何かが生かされていない」とか
>「何度も同じ繰り返しで消耗する」とか
>「こちらを立てればあちらがたたず」とか
>「帯に長したすきに短し」
>みたいなことの総称なのでしょうか。


そうですね。この世界は、ある、と言っても、ない、と言っても、誤りです・・・その有り様を成立させてる、なにか底知れない矛盾を感じるのです。また。人が生まれ、人が死に、柳は緑、花は紅、ざあざあと膨大な矛盾が溢れているように思えます。そうでないことなど、どこにあるんだろう・・・

あるときは彼女を、あるときは音楽を、あるときは善悪を、あるときは食物を・・・思考してるとして。いつだって、ありとあらゆる思考されてないことが、ほとんど無限なのに。(そういう意味では人は誰も、ほとんど無思考状態です)。ぽっと見える、ぽっと見える矛盾だけ指摘しても、なんになるのでしょう。それでも理論的な矛盾に気がつくことは役に立ちます。そうであることも不思議です。

>私にとって「まっすぐに向かう」が社会の中では「逃避」。私にとって「尊い」が「低俗」。
>私にとって「逃避」に見えるものが「立ち向かうべきもの」


たぶん、ですけど。みんな人は、そうなのかもしれません。しかし、その人が空想する、つまり社会・世間様は、常識が逆なのかもしれません。とりあえず、あたりさわりなく話が通じるように思えれば、どんな常識でも機能はするからでしょう。空想の損得、善悪は分かりやすい、それだけのこと。かもしれません。

>無限は無に等しい。

ここで聞いたが百年目。ここんとこ、実は、もっと聞きたいと思っていたのです。

No.76 - 2008/01/12(Sat) 12:23:32

Re: 愛・自由・幸福 / 大阪
potanpotanさん、はじめまして。

potanpotanさんの音楽に対する姿勢、あぁ分かる、と思います。

どれだけ生かせられるか。

僕の場合、音楽を演奏するとき、まず最初に音を出すと同時に神様から楽譜を渡されたような気がして、もっと真摯に、もっと真摯になどと集中することがあります。
簡潔に言えば、鳴っている音を彼のやりたいように僕を通して開放してやろう、でしょうか。

そして、そうすることが音楽における全てのように思っていたことがあります。

でも、コレってとてもしんどい、と思っていました。

だって、出来ないのです。
自由なハズが、息苦しくなるほど狭苦しかった。



それで、自分の知っていることも表現するようにしました。

よく言う、自分を表現する、ということでしょうか。

その方が楽しく良い演奏が出来たからです。

考えてみれば、自分なんて未知なものを表現するんだから、コレも実は無限、に思います。


どんな楽器であれ、音にしてもしないでも、それなら出来るかも、と思います。

まぁ、色々と学ばせて下さい。

No.77 - 2008/01/12(Sat) 12:47:11

Re: 愛・自由・幸福 / potanpotan
> なんか小鳥のくせに、法ー、法華経、だなんて生意気だねー。えー!

ubik0101さん。。するどいなあ。。

私はほとんど本を読まないのですが・・
法華経の本を借りたことがあって
この中の妙音菩薩というお話のあり方はよくわかる感じが
して・・尊敬する音楽家は妙音菩薩です。
と答えていたこともありました^^。

たぶん音楽の性質の本質なのかもしれないですね・・

川は海に注がれる・・だけど
ちっとも海に向かわない。
いったいどこに向かっているんだろう・・
と世界を見たら・・
ダムの中にいた。
そして水道管をめぐって、工場用水となって働いて・・
下水管を通過して・・川に戻ったと思ったら・・
またダムに・・・
いつのまにか海に注がれることを忘れて・・
ダムに貯水されることが行くべき道になってしまっている感じが・・今の世界かな・・
そんなふうに思いました。


> >無限は無に等しい。

それを感じたときは・・
また音の話で申し訳ないのですが・・

音って何か
音は振動。
動きによって生じるもの
活動

微生物の呼吸の音
マグマのうねる音
樹木が水を吸い上げる音
雪が結晶を結んでゆく音
霧の広がる音・・
おたまじゃくしの鼓動・・

存在するすべての営みのすべてが音
世界はものすごい音の響きの総和の中にあって・・

その中で人の鼓膜を震わせて聴こえて認識されるのは
ごくごく限られた音量の限られたHzの・・
ごくごく微塵。

また一方で・・
金属と金属をキーンと打ったとき
そこには無限の音が響いていることを見た人がいた。

一つの音は無限の音の響きの総和であることを見た人がいた。

「倍音」

無限より切り取られた、はっきりと共鳴しあう12個の音程の組み合わせ。
ドレミの人間の音楽。音階の世界。

ドとレの間は無限の音が存在している。
そしてドという一つの音の中は無限の音が響いている。

音楽がなんとなく好きだったけど・・
「おしゃれだから?かっこいいから?きもちいいから?」
なんでこんなに音楽にこだわっているのか
よくわからなくて・・

それで・・音を見ていて・・
ああ音は無限だ。
と思って・・・
私がずっと探していたのはこれだったなー
無限を求めていたなと思って・・

自然にモチーフやフレーズがどんどん沸いて
曲を描いて・・

でも・・全部頭の世界。

私が今ここで弾いた音。
今、ここに響いた音。

「げーーーーー。へたくそ」

さらにへたくそに気がつけない救いがたいへたくそ
なんでって、頭で弾いているから。
今が聴こえていないから。

それで

無限は無に等しいんだな
今ここで響いている音

それがすべてなんだな
そこに私がいるんだ

ということで・・
現在進行中です。

No.80 - 2008/01/12(Sat) 18:28:54

Re: 愛・自由・幸福 / potanpotan
> potanpotanさん、はじめまして。

大阪さん、はじめましてこんにちわ。
音を奏でていらっしゃる方なのですねー。
こちらこそです。。いろいろ教えてください。

No.81 - 2008/01/12(Sat) 18:39:47

Re: 愛・自由・幸福 / hato
>ぽっと見える、ぽっと見える矛盾だけ指摘しても、なんになるのでしょう。


む。



あの。
鳩はいないけど、
家には、小さな青い鳥がいます。

potanpotanさんの詩がとても素敵で、
叙情が流れ込んでくるようで、
とても嬉しいです。

読んでいるとどこか、図書館閲覧者さんを思い出しました。
はー。
お世話に、なっております。

皆様どうぞまた、素敵なお話をお聞かせ下さい。


No.84 - 2008/01/13(Sun) 00:31:17

Re: 愛・自由・幸福 / hato
> なんとなく暖かい雨上がりの空に、今日は、30数羽の鳶が、くるくる舞っていました。そんなにいるのかと思いました。港町だからでしょうか。

> それに、姿は立派にタカなのに、カラスにいじめられてたり、鳩たちも鳶が来ても緊張もしないところなんかも・・
好きです。


そういえば、


以前海に行って、楽しみにしていたおにぎりを、
ぱくっと食べようとしたら、
とても上手に
鳶に取られてしまいました。


それでは、
作業に戻ります。

No.89 - 2008/01/13(Sun) 21:09:29

Re: 愛・自由・幸福 / potanpotan
hatoさん

はじめまして。こんにちわ。
余情的とubikさんも同じようなことをゆわれたので
おもわず「余情」ってなにかわからなくて辞書で調べてみてしまいました。

> 以前海に行って、楽しみにしていたおにぎりを、
> ぱくっと食べようとしたら、
> とても上手に
> 鳶に取られてしまいました。


そんなことがあったんですか!
鳶とそんなに密接に関われて・・
うらやましい気がします。

No.91 - 2008/01/13(Sun) 23:38:23

Re: 愛・自由・幸福 / hato
potanpotanさん、こんにちは。

お返事を、ありがとうございます。
お気遣いをさせて、すみません。
どうぞ、ubik0101さんとの対話に専念されてください。


> おもわず「余情」ってなにかわからなくて辞書で調べてみてしまいました。


きっと、余情 が素敵です。



愛 叡智 美 調和

これは、テーマでした。
けれどいますこし、趣がかわりました。
なにかないなら、とくに言及することはなくなりました。
ですが、ときにそこを掘り下げていくことも、
とても勇敢で、大切な気がします。

まだわたしは、あまりお話することができませんが、
流れるように語れる人が、とても素敵に思えます。



> そんなことがあったんですか!
> 鳶とそんなに密接に関われて・・
> うらやましい気がします。



そう思われるなら、
ある意味すでに、
関わりは始まっていると思います。

No.102 - 2008/01/14(Mon) 10:35:05
ちょっと気になった言葉 / ルー
>また人が、たとえば嘘をつけること、盗むこと、そういうことができなくてもいいのに、できることが、とても不思議に思います。

なるほど、と思いました。
面白い表現ですね。
というか、面白い発想だと思います。
新しい感じがします。

No.61 - 2008/01/08(Tue) 09:45:45

Re: ちょっと気になった言葉 / ubik0101
わたしは
散歩を楽しむでしょう。
音楽を聞くでしょう。

しかし
世界が、 わたしが楽しんだり
悲しんだりできるように
できていなければ
なにもできないでしょう。

わたしは絵を描いて
魚釣りをして、
自由だと
考えることができるでしょう。

しかし
世界が、わたしが、自由と考えることができるように
できていなければ
それもできないでしょう。

絶対不自由。

なら、

たとえば
嘘をつくこと、盗むこと、
悪が
絶望が
憎しみができなければ
どんなに素晴らしい世界でしょう。

けど。

善も悪も、
希望も絶望も、
慈しみも憎しみも
できること
それは、人が
完全になり得るからなのでしょうか。

No.62 - 2008/01/08(Tue) 13:00:02

Re: ちょっと気になった言葉 / ルー
> 善も悪も、
> 希望も絶望も、
> 慈しみも憎しみも
> できること
> それは、人が
> 完全になり得るからなのでしょうか。



うん。
成長していきたいと思います。

No.63 - 2008/01/08(Tue) 18:31:00

Re: ちょっと気になった言葉 / ルー
>たとえ誰にも自分にも、どこまでも素直でなくてはなりません。

素直であることは、自分を助けますね。

No.65 - 2008/01/09(Wed) 10:10:17

Re: ちょっと気になった言葉 / ubik0101
> 素直であることは、自分を助けますね。

うん。
いろんな言い方ができるかもしれませんが。
ただ世界が見えてる。それだけ。しかないです。
たとえば善悪という、
知らないという、
素直という、
思いも生じてない、
そこです。

No.67 - 2008/01/09(Wed) 11:27:57
テスト / ubik0101
どこかで失楽園という絵を
見たことがあります。
アダムとイブが嘆き悲しみながら
楽園を後にしている暗い絵です。

でも実際は違うと思います。
智恵の実を食べた
2人は善悪を知りました。
眼が開かれました。

それまでは楽園に住んでいたとしても
いつ悪を犯すか分からない状態にあったのです。
10分後か、3日後か、百万年後かに
神との約束を破る
可能性が常にあったのです。
それは善ではありませんでした。

そのような善を知る、
知らないという
空想に生きることは
できなくなりました。
ですから神は彼らを追い出したのです。

そこが
たとえ楽園でも、
命の実を食べて、
その空想に永遠に生きないように。

アダムとイブ、
彼らの眼は輝き、
前を見て荒野を力強く歩き始めます。
自分の糧を自分で得るために出発するのです。

そのように
人が最高の志を持っていること
それが問題です。

最高の志が、
たとえばゴミを街に捨てることを
悪とさせるのです。

最高の志が
盗まないことを善とするのです。

それが損をしても
約束を守らせるのです。

それが身持ちを堅くさせるのです。

それが威張らず、
謙ることなくさせるのです。

それが矛盾の真っただ中に
道を見つけさせるのです。

闇の中で退化するためでなく
進化するために努力させるのです。

最高の志とは
人が自分自身であることです。
誤解してはいけません。

人は生まれたままで、自己であるわけではありません。

例えば感情は
生まれたままであるでしょう。

けれどそのままで
愛することができると思っているのは
傲慢です。

人はまだ自己ではありません。
成長し自己になるのです。
そのために世界があります。

この世界は総べて
そのために役立つようになっています。

たとえば欲望とは
有無の問題を理解するためにあります。

権力欲とは
ものごとを完全になす、ということのためにあります。

偽善とは
ほんとうに善い人になるためにあります。

愚かさは不思議のためにあります。

世界一の有名人になることは、世界一の志でしょうか。

世界一強いことは、世界一の志でしょうか。

世界一優しいことは、世界一の志でしょうか。

世界一美しいことは、世界一の志でしょうか。

そのようであれば
世界の始まる前から迷い
終わってからも迷うことになります。

けれど最高の志を持てば
どのようなことも
総べて役に立ちます。

苦しいことも
楽しいことも
恥をかくことも
名誉なことも
善いことも
悪いことも
愚かなことも
総てが人の役に立ちます。

思いを込めて。

いつ書いたのか、上記の文章を日記の中から見つけ、すこしだけ改訂しました。たとえば、どうして人が自己を知ろうとして嘘を言えるでしょう。もし人が正直であれば、たとえ誤ってもかまいません。そうであれば、それが誤りと理解できるでしょう。

そうでなければ、その誤りさえ、その理解さえ嘘ではないでしょうか。なにかを理解しても、それが事実かどうか?自分にさえ不明ではないでしょうか。しかし人は嘘をついたら自分で嘘をついたと分かります。そのように。たとえ誰にも自分にも、どこまでも素直でなくてはなりません。

No.15 - 2008/01/01(Tue) 11:43:08

Re: テスト / ubik0101
> どこかで失楽園という絵を
> 見たことがあります。
> アダムとイブが嘆き悲しみながら
> 楽園を後にしている暗い絵です。


引用ボタンを押してから投稿ボタンを押します。

No.16 - 2008/01/01(Tue) 11:56:47

Re: テスト / hato
旧年中は大変に、お世話になりました。

今はやっと、成長について見逃してきたことを、
学んでいるようです。
今までのバランスの偏りを解消するまでは、
辛抱が必要かもしれません。
どうでもよい、となる前に、
どうでもよくないことがある、ことを認めることを、
極端に避けてきたからです。
こう言ってみてもやはり、すぐに明晰でなくなり、
よくわかりません。これは単に、頭脳明晰でないからだと思われます。
人生が、瞬間への適切な対応であるなら、
かなりの時を、不適切にあったと思います。

それでも理解することを続けたいと思います。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

No.18 - 2008/01/01(Tue) 13:18:17

Re: テスト / ubik0101
こちらこそ、よろしくお願いします。

たしかに自分も自分のことを、
馬と鹿、と思ったことあります。
それはまだ、学ぶこと、知らないことが一杯ある、
その自分の空白というか
可能性に
気がついたことだと思います。

いま窓の外に
雪が降っています。

No.19 - 2008/01/01(Tue) 13:46:47

Re: テスト / hato
知らないことが沢山ある、というのは、知らなければならない、ということでしょうか?

可能性を追いたいという欲求は、とくにないと思います。
これは退化でしょうか。

ですがそれでも、調和してある、ということは本来的な欲求としてありますが、そうなっていないところがあります。
知らないことが沢山あって自分は馬鹿だ、(たしかにその意味ではそうかも知れませんが)と感じたのではないと思います。

No.20 - 2008/01/01(Tue) 22:37:08

Re: テスト / ルー
> しかし人は嘘をついたら自分で嘘をついたと分かります。そのように。たとえ誰にも自分にも、どこまでも素直でなくてはなりません。

嘘をついたら、自分で嘘をついたと分かりますか。
それなら、よかったです。

今年もどうぞよろしくお願いします。

No.21 - 2008/01/01(Tue) 23:52:06

Re: テスト / ubik0101
> 知らないことが沢山ある、というのは、知らなければならない、ということでしょうか?

ディスクで例えれば、なにか書き込まれて、なにかを知っている、この自分ではなく、まだなにも書き込まれてない空白を感じたのだと思います。

そしてその空白を自分で馬鹿と、そう感じたたけど実は違うのではないか、という状態でした。自分で自分を馬鹿と感じることは、そうではない可能性があるからだろう、馬鹿は自分を馬鹿と思うのだろうか、という思いもありました。

それは退化ではなく。むしろ逆の思いの現れでしょう。なにかを知ることだけで解決できることではなかったと思います。

No.22 - 2008/01/02(Wed) 07:23:25

Re: テスト / ubik0101
> 嘘をついたら、自分で嘘をついたと分かりますか。
> それなら、よかったです。


> 今年もどうぞよろしくお願いします。

ルーさん。こちらこそ、よろしくお願いします。

ほとんど思いつきませんが、たとえば欲望に支配されて、自分の都合を最優先する日常なら、もしかして、その人の言動は自分では嘘とは思えないかもしれません。正直に怒り、信じ、発言してると。自分を自分で騙しているなら、気がつかない可能性はあります。きっと気がついたら、そうできませんから、自分で自分を愚かにする必要があるのでしょう。

そんな人でも、ほかの人の嘘を嫌うことはあると思います。そうであれば自分の都合の良い嘘は良く、都合の悪い嘘は悪く、都合の良い事実は(ことさら)良く、都合の悪い事実は(ことさら)悪い、となる可能性があるでしょう。そんな日常は、その人に、自分が自分の都合に振り回されてることを示すでしょう。

それでも自分の、言ったことと行動が違う、約束を破る、自分の都合で他人に嘘をつかせる、といったことには気がつきはすると思います。でも、誰でもそうだ、また相手には自分のことは分からない、などと思えば、そういう愚かさが、その嘘も見逃すかもしれません。そういう人には、どうしても自分を見張る自我が働くようになると思います。極端な場合の話です。

No.23 - 2008/01/02(Wed) 08:27:41

Re: テスト / suho
>たとえ誰にも自分にも、どこまでも素直でなくてはなりません。

ウビさん、昨年はいろいろとありがとうございました。

「どこまで素直になれるか」

ここのところ「正直」「素直」という言葉にひっかかります。これをもっと体験的に洞察したいと思っています。

今年もよろしくお願いします。

No.24 - 2008/01/02(Wed) 11:32:22

Re: テスト / ubik0101
suhoさん。こちらこそ、昨年は、いろいろありがとうございます。今年も、よろしくお願いします。

もしかして何であれ完全には理解できないのではないか、そうでなくては、ものごとは起こる必要はないのではないか。たとえば自分を自分で理解できないと言われたりすることは、そういうことが露になったのではないか。まず理解とはどういうことか理解できるだろうか。と、この頃は思います。

また人が、たとえば嘘をつけること、盗むこと、そういうことができなくてもいいのに、できることが、とても不思議に思います。

No.25 - 2008/01/02(Wed) 14:38:55

Re: テスト / hato
「ディスクで例えれば、なにか書き込まれて、なにかを知っ  ている、この自分ではなく、まだなにも書き込まれてない空白を感じたのだと思います。」

実質的な脳の働きが、背後にある何かを上手く判明させない、という感じがあり、また、考えるだに、一カ所に身を置けないのでよくわからなくなる、というそのことをお話したつもりでしたが、ubik0101さんが言われるので、そうなのだろうか、そうした表現が適切なのかもしれない、と思います。
ここ2日の間に、調和していないことに依拠して、調和することに努力している現状が不毛であることに気付きました。言葉通りです。しかも、なにが調和かもわからないことを勝手に判断していたと思います。

No.26 - 2008/01/03(Thu) 20:40:30

Re: テスト / ubik0101
> ここ2日の間に、調和していないことに依拠して、調和することに努力している現状が不毛であることに気付きました。言葉通りです。しかも、なにが調和かもわからないことを勝手に判断していたと思います。

このことに気がつくことは、困難だと思います。 hatoさんは、きっと凄く敏感で、ふつうは意識できないことに注意が向いてるのかもしれません。

たとえば、なにかを知ると人は言います。しかし知ってると思うことができるだけと思うのです。自分は、知ってることが何か知らないし、知らないことが何かも知らないのです。

たとえば、今ここと、言う人がいます。けど、今ここで、今ここと言うのは、違和感があります。そうでないからこそ、そういうことを言うのではないかと思ってしまいます。

また、自分が自分を見るのは矛盾です。それは変。自分は一つなんだから、と言う人がいます。しかし違和感があります。そうでないからこそ、そんなことが知れるのではないかと思ってしまいます。そんなことでは、なぜ一つなのかを説明できないことに気がつかないかもしれません。

それは言葉の機能とか、表現上の問題ではないと思います。今ここなら、今ここと。今ここでないから、今ここと。一つなら、一つと。一つと言うのは、そうでないからと。表現しても、無問題です。しかし、そんなことより基本的な問題がありそうです。

どんなことも知られることがないのではないか?自分が自分を知ることができないとしても、それは知ることができないということが、強調され、知ることができないことが明確になっただけなのではないか?(たとえば林檎とか、自分とかにしても、空想、知識なら、知ってる/知らない関係が、成立するのかもしれません)。という疑問があります。そういうことに注意が向いてるのではないでしょうか。どうでしょう。

No.27 - 2008/01/03(Thu) 22:57:04

Re: テスト / hato

> どんなことも知られることがないのではないか?自分が自分を知ることができないとしても、それは知ることができないということが、強調され、知ることができないことが明確になっただけなのではないか?(たとえば林檎とか、自分とかにしても、空想、知識なら、知ってる/知らない関係が、成立するのかもしれません)。という疑問があります。そういうことに注意が向いてるのではないでしょうか。どうでしょう。


そうなのでしょうか。
そうなのかもしれません。

ご存じのとおり、まだ、ある局面に於いて自分を義として。ということを解消していないので、
そうしたところを明確に意識化するに至らないのかもしれません。
それでも、ごく日常のなかで、「以前は気になったかもしれないことが、今そうでもない」ということがありました。すこし、こつを得てはいるのでしょうか。
本当に、ありがとうございます。

理解する、というのは、解消することだと思います。
また、悪いことをする、というのは、執拗に分裂させる、ということだと思います。
けれどもこれはやはり、ある局面に於いて、ということなのかもしれないと感じます。

哲学者は、「知るということは、想起、再認である」
と言い、素直にそうだと感じました。
ですが、ubik0101さんの言われることは、その、知る、こと自体が知られることはない、
ということでよかったでしょうか。
だとすれば、それも素直に、そうだと感じました。

No.34 - 2008/01/05(Sat) 14:03:17

Re: テスト / ubik0101
それは誰の言葉か、たしかに「知るということは、想起、再認である」でしょう。でも、なぜ、それが、そうなのか知ってるでしょうか。知ってることが何か知りません。知らないことが何か知りません。 hatoさん指摘の通りです。

また、「知るということは、想起、再認である」とは。心理的に人が、この今、この現実にいない、その意識の運動などを、知ることと、思うという意味かもしれません。そして、この今、この現実には、知るということ、は見当たらないという意味にもとれるかもしれません。

ところで。自分を義とする。そんな、自分の有り様を見つくして解消される、その限界まで行ったら、その、そうしてる中心を振り返る。わたしは何?

No.37 - 2008/01/05(Sat) 20:05:34

Re: テスト / ルー
> ほとんど思いつきませんが、たとえば欲望に支配されて、自分の都合を最優先する日常なら、もしかして、その人の言動は自分では嘘とは思えないかもしれません。正直に怒り、信じ、発言してると。自分を自分で騙しているなら、気がつかない可能性はあります。きっと気がついたら、そうできませんから、自分で自分を愚かにする必要があるのでしょう。

そうですね。

> そんな人でも、ほかの人の嘘を嫌うことはあると思います。そうであれば自分の都合の良い嘘は良く、都合の悪い嘘は悪く、都合の良い事実は(ことさら)良く、都合の悪い事実は(ことさら)悪い、となる可能性があるでしょう。そんな日常は、その人に、自分が自分の都合に振り回されてることを示すでしょう。

そうでしょうね。

> それでも自分の、言ったことと行動が違う、約束を破る、自分の都合で他人に嘘をつかせる、といったことには気がつきはすると思います。でも、誰でもそうだ、また相手には自分のことは分からない、などと思えば、そういう愚かさが、その嘘も見逃すかもしれません。そういう人には、どうしても自分を見張る自我が働くようになると思います。極端な場合の話です。

なるほど。
ubikさんの表現力は、素晴らしいですね。
言葉が、借り物ではないので、説得力があるのでしょうね。
また、勉強していきます。

No.40 - 2008/01/06(Sun) 01:34:51

Re: テスト / ubik0101
> また、勉強していきます。

うん。お互いに学びあいましょう。

No.44 - 2008/01/06(Sun) 08:20:13

Re: テスト / hato
> それは誰の言葉か、たしかに「知るということは、想起、再認である」でしょう。でも、なぜ、それが、そうなのか知ってるでしょうか。知ってることが何か知りません。知らないことが何か知りません。 hatoさん指摘の通りです。
>
> また、「知るということは、想起、再認である」とは。心理的に人が、この今、この現実にいない、その意識の運動などを、知ることと、思うという意味かもしれません。そして、この今、この現実には、知るということ、は見当たらないという意味にもとれるかもしれません。
>
> ところで。自分を義とする。そんな、自分の有り様を見つくして解消される、その限界まで行ったら、その、そうしてる中心を振り返る。わたしは何?




了解しました。


そして、
それがなにかはわたしには、まったく未知ですが、
ここで学ぶことができる。
そこに導いてくださっている何かに。
ubik0101さんと皆様に。
感謝いたします。

ありがとうございます。

No.57 - 2008/01/07(Mon) 01:57:38

Re: テスト / ubik0101

こちらこそ、ありがとう、です。
いつでも話しかけてください。

No.59 - 2008/01/07(Mon) 08:15:39
最高の志 / potanpotan
最高の志・・心の奥底から放ち続ける力。
それを自分で自分の中に認知して世界を見ることを覚醒といいますか?
意思やイメージが抱く志ではなくて
消しても、壊しても、壊されても、消えることのない
すべて振る舞いやすべての言動の深い由来みたいなもの。

でも、ubik0101さんから受ける感じだと自分の中に発掘するというよりはそこを目指して自然に力強く努力し続ける感じですか?

志すと、響かなくなる感じがします。
でも、志すと周りを響かせる力がある感じがします。

うまく言えないのですが・・
すみません。

No.42 - 2008/01/06(Sun) 06:52:49

Re: 最高の志 / ubik0101
うーん。覚醒って、初めは至高体験のことを呼んでました。それは努力とは無関なく、関係ないこともなく起こります。

それは自分を知ろうとする、自分になろうとする、最高の志なくては無理ではありませんが、困難と思います。

そして、その体験を理解して失う、けど、なにもなくならない。ただの人の日常のことです。

No.46 - 2008/01/06(Sun) 10:25:38

Re: 最高の志 / potanpotan
> それは自分を知ろうとする、自分になろうとする、最高の志なくては無理ではありませんが、困難と思います。

自分を知ろうとする。自分になろうとすることが最高の志なのですね。わかりました。

自分を知ろうとする、自分になろうとするというのは
自分ではないところに自分がいて、違う自分が自分を志すのですか?

余分な服を脱いで裸になること
でも裸だから、いろんな服を着られたり・・


> そして、その体験を理解して失う、けど、なにもなくならない。ただの人の日常のことです。

高みに至る・・

宇宙飛行して、地球を眺めて・・地球に帰還する。
鳥がジェット気流にのって移動しては、地上で生活を営む。
水が蒸発しては、雨となってもどってくる・・

私はわからないなー。

No.48 - 2008/01/06(Sun) 12:02:00

Re: 最高の志 / ubik0101
> 自分ではないところに自分がいて、違う自分が自分を志すのですか?

どういうことを想定しての質問なのか、
明確ではありませんが。たぶん。
「自分ではないところに自分がいて」有り様、
「違う自分が自分を志す」有り様は、
不可能と思います。

>高みに至る・・
>宇宙飛行して、地球を眺めて・・地球に帰還する。
>鳥がジェット気流にのって移動しては、地上で生活を営む。
>水が蒸発しては、雨となってもどってくる・・


>私はわからないなー。

うん。とくに「高みに至る・・」ではないでしょう。

この部屋からは
数羽の鳶が遠くを近くを
舞っているのが見えます。

No.51 - 2008/01/06(Sun) 14:13:43

Re: 最高の志 / potanpotan
> 「自分ではないところに自分がいて」有り様、
> 「違う自分が自分を志す」有り様は、
> 不可能と思います。


自分になるという表現にとらわれたのかな。

自分を発掘する
裸になる
水中にもぐって原石を持ち帰る
調和点を射抜く
ありのままの魂
魂を見る

いろんな表現に出会いますが・・

> >高みに至る・・
> >宇宙飛行して、地球を眺めて・・地球に帰還する。
> >鳥がジェット気流にのって移動しては、地上で生活を営む。
> >水が蒸発しては、雨となってもどってくる・・
>
> >私はわからないなー。
>
> うん。とくに「高みに至る・・」ではないでしょう。


そか。。
至高体験とあったので・・
感じの通り。。高みに至るのか・・と思ってしまいました。

> この部屋からは
> 数羽の鳶が遠くを近くを
> 舞っているのが見えます。


birds eyes prospects

かっこいいなあーー

鳥ってすごいですよね
全眺望を眺めているかと思えば
地面から10センチのところからも眺めて

ある鳥は水のなかにまで潜ったりして・・

ああ。。鳥は・・いけない。
鳥の話はいけないんです。
止まらなくなります。
ええ・・失礼しました。

楽しみにブログ・・これからも拝見させていただきます。
ありがとうございます。

No.54 - 2008/01/06(Sun) 19:03:02

Re: 最高の志 / ubik0101

> 自分を発掘する
> 裸になる
> 水中にもぐって原石を持ち帰る
> 調和点を射抜く
> ありのままの魂
> 魂を見る
>
> いろんな表現に出会いますが・・


そうですね。
ただの人なんです。それも、どうでもいいようです。
これからも、よろしく、です。

No.56 - 2008/01/07(Mon) 01:23:26
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