どこかで失楽園という絵を 見たことがあります。 アダムとイブが嘆き悲しみながら 楽園を後にしている暗い絵です。
でも実際は違うと思います。 智恵の実を食べた 2人は善悪を知りました。 眼が開かれました。
それまでは楽園に住んでいたとしても いつ悪を犯すか分からない状態にあったのです。 10分後か、3日後か、百万年後かに 神との約束を破る 可能性が常にあったのです。 それは善ではありませんでした。
そのような善を知る、 知らないという 空想に生きることは できなくなりました。 ですから神は彼らを追い出したのです。
そこが たとえ楽園でも、 命の実を食べて、 その空想に永遠に生きないように。
アダムとイブ、 彼らの眼は輝き、 前を見て荒野を力強く歩き始めます。 自分の糧を自分で得るために出発するのです。
そのように 人が最高の志を持っていること それが問題です。
最高の志が、 たとえばゴミを街に捨てることを 悪とさせるのです。
最高の志が 盗まないことを善とするのです。
それが損をしても 約束を守らせるのです。
それが身持ちを堅くさせるのです。
それが威張らず、 謙ることなくさせるのです。
それが矛盾の真っただ中に 道を見つけさせるのです。
闇の中で退化するためでなく 進化するために努力させるのです。
最高の志とは 人が自分自身であることです。 誤解してはいけません。
人は生まれたままで、自己であるわけではありません。
例えば感情は 生まれたままであるでしょう。
けれどそのままで 愛することができると思っているのは 傲慢です。
人はまだ自己ではありません。 成長し自己になるのです。 そのために世界があります。
この世界は総べて そのために役立つようになっています。
たとえば欲望とは 有無の問題を理解するためにあります。
権力欲とは ものごとを完全になす、ということのためにあります。
偽善とは ほんとうに善い人になるためにあります。
愚かさは不思議のためにあります。
世界一の有名人になることは、世界一の志でしょうか。
世界一強いことは、世界一の志でしょうか。
世界一優しいことは、世界一の志でしょうか。
世界一美しいことは、世界一の志でしょうか。
そのようであれば 世界の始まる前から迷い 終わってからも迷うことになります。
けれど最高の志を持てば どのようなことも 総べて役に立ちます。
苦しいことも 楽しいことも 恥をかくことも 名誉なことも 善いことも 悪いことも 愚かなことも 総てが人の役に立ちます。
思いを込めて。
いつ書いたのか、上記の文章を日記の中から見つけ、すこしだけ改訂しました。たとえば、どうして人が自己を知ろうとして嘘を言えるでしょう。もし人が正直であれば、たとえ誤ってもかまいません。そうであれば、それが誤りと理解できるでしょう。
そうでなければ、その誤りさえ、その理解さえ嘘ではないでしょうか。なにかを理解しても、それが事実かどうか?自分にさえ不明ではないでしょうか。しかし人は嘘をついたら自分で嘘をついたと分かります。そのように。たとえ誰にも自分にも、どこまでも素直でなくてはなりません。
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No.15 - 2008/01/01(Tue) 11:43:08
| ☆ Re: テスト / ubik0101 | | | > どこかで失楽園という絵を > 見たことがあります。 > アダムとイブが嘆き悲しみながら > 楽園を後にしている暗い絵です。
引用ボタンを押してから投稿ボタンを押します。
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No.16 - 2008/01/01(Tue) 11:56:47 |
| ☆ Re: テスト / hato | | | 旧年中は大変に、お世話になりました。
今はやっと、成長について見逃してきたことを、 学んでいるようです。 今までのバランスの偏りを解消するまでは、 辛抱が必要かもしれません。 どうでもよい、となる前に、 どうでもよくないことがある、ことを認めることを、 極端に避けてきたからです。 こう言ってみてもやはり、すぐに明晰でなくなり、 よくわかりません。これは単に、頭脳明晰でないからだと思われます。 人生が、瞬間への適切な対応であるなら、 かなりの時を、不適切にあったと思います。
それでも理解することを続けたいと思います。 これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
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No.18 - 2008/01/01(Tue) 13:18:17 |
| ☆ Re: テスト / ubik0101 | | | こちらこそ、よろしくお願いします。
たしかに自分も自分のことを、 馬と鹿、と思ったことあります。 それはまだ、学ぶこと、知らないことが一杯ある、 その自分の空白というか 可能性に 気がついたことだと思います。
いま窓の外に 雪が降っています。
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No.19 - 2008/01/01(Tue) 13:46:47 |
| ☆ Re: テスト / hato | | | 知らないことが沢山ある、というのは、知らなければならない、ということでしょうか?
可能性を追いたいという欲求は、とくにないと思います。 これは退化でしょうか。
ですがそれでも、調和してある、ということは本来的な欲求としてありますが、そうなっていないところがあります。 知らないことが沢山あって自分は馬鹿だ、(たしかにその意味ではそうかも知れませんが)と感じたのではないと思います。
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No.20 - 2008/01/01(Tue) 22:37:08 |
| ☆ Re: テスト / ルー | | | > しかし人は嘘をついたら自分で嘘をついたと分かります。そのように。たとえ誰にも自分にも、どこまでも素直でなくてはなりません。
嘘をついたら、自分で嘘をついたと分かりますか。 それなら、よかったです。
今年もどうぞよろしくお願いします。
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No.21 - 2008/01/01(Tue) 23:52:06 |
| ☆ Re: テスト / ubik0101 | | | > 知らないことが沢山ある、というのは、知らなければならない、ということでしょうか?
ディスクで例えれば、なにか書き込まれて、なにかを知っている、この自分ではなく、まだなにも書き込まれてない空白を感じたのだと思います。
そしてその空白を自分で馬鹿と、そう感じたたけど実は違うのではないか、という状態でした。自分で自分を馬鹿と感じることは、そうではない可能性があるからだろう、馬鹿は自分を馬鹿と思うのだろうか、という思いもありました。
それは退化ではなく。むしろ逆の思いの現れでしょう。なにかを知ることだけで解決できることではなかったと思います。
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No.22 - 2008/01/02(Wed) 07:23:25 |
| ☆ Re: テスト / ubik0101 | | | > 嘘をついたら、自分で嘘をついたと分かりますか。 > それなら、よかったです。 > 今年もどうぞよろしくお願いします。
ルーさん。こちらこそ、よろしくお願いします。
ほとんど思いつきませんが、たとえば欲望に支配されて、自分の都合を最優先する日常なら、もしかして、その人の言動は自分では嘘とは思えないかもしれません。正直に怒り、信じ、発言してると。自分を自分で騙しているなら、気がつかない可能性はあります。きっと気がついたら、そうできませんから、自分で自分を愚かにする必要があるのでしょう。
そんな人でも、ほかの人の嘘を嫌うことはあると思います。そうであれば自分の都合の良い嘘は良く、都合の悪い嘘は悪く、都合の良い事実は(ことさら)良く、都合の悪い事実は(ことさら)悪い、となる可能性があるでしょう。そんな日常は、その人に、自分が自分の都合に振り回されてることを示すでしょう。
それでも自分の、言ったことと行動が違う、約束を破る、自分の都合で他人に嘘をつかせる、といったことには気がつきはすると思います。でも、誰でもそうだ、また相手には自分のことは分からない、などと思えば、そういう愚かさが、その嘘も見逃すかもしれません。そういう人には、どうしても自分を見張る自我が働くようになると思います。極端な場合の話です。
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No.23 - 2008/01/02(Wed) 08:27:41 |
| ☆ Re: テスト / suho | | | >たとえ誰にも自分にも、どこまでも素直でなくてはなりません。
ウビさん、昨年はいろいろとありがとうございました。
「どこまで素直になれるか」
ここのところ「正直」「素直」という言葉にひっかかります。これをもっと体験的に洞察したいと思っています。
今年もよろしくお願いします。
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No.24 - 2008/01/02(Wed) 11:32:22 |
| ☆ Re: テスト / ubik0101 | | | suhoさん。こちらこそ、昨年は、いろいろありがとうございます。今年も、よろしくお願いします。
もしかして何であれ完全には理解できないのではないか、そうでなくては、ものごとは起こる必要はないのではないか。たとえば自分を自分で理解できないと言われたりすることは、そういうことが露になったのではないか。まず理解とはどういうことか理解できるだろうか。と、この頃は思います。
また人が、たとえば嘘をつけること、盗むこと、そういうことができなくてもいいのに、できることが、とても不思議に思います。
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No.25 - 2008/01/02(Wed) 14:38:55 |
| ☆ Re: テスト / hato | | | 「ディスクで例えれば、なにか書き込まれて、なにかを知っ ている、この自分ではなく、まだなにも書き込まれてない空白を感じたのだと思います。」
実質的な脳の働きが、背後にある何かを上手く判明させない、という感じがあり、また、考えるだに、一カ所に身を置けないのでよくわからなくなる、というそのことをお話したつもりでしたが、ubik0101さんが言われるので、そうなのだろうか、そうした表現が適切なのかもしれない、と思います。 ここ2日の間に、調和していないことに依拠して、調和することに努力している現状が不毛であることに気付きました。言葉通りです。しかも、なにが調和かもわからないことを勝手に判断していたと思います。
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No.26 - 2008/01/03(Thu) 20:40:30 |
| ☆ Re: テスト / ubik0101 | | | > ここ2日の間に、調和していないことに依拠して、調和することに努力している現状が不毛であることに気付きました。言葉通りです。しかも、なにが調和かもわからないことを勝手に判断していたと思います。
このことに気がつくことは、困難だと思います。 hatoさんは、きっと凄く敏感で、ふつうは意識できないことに注意が向いてるのかもしれません。
たとえば、なにかを知ると人は言います。しかし知ってると思うことができるだけと思うのです。自分は、知ってることが何か知らないし、知らないことが何かも知らないのです。
たとえば、今ここと、言う人がいます。けど、今ここで、今ここと言うのは、違和感があります。そうでないからこそ、そういうことを言うのではないかと思ってしまいます。
また、自分が自分を見るのは矛盾です。それは変。自分は一つなんだから、と言う人がいます。しかし違和感があります。そうでないからこそ、そんなことが知れるのではないかと思ってしまいます。そんなことでは、なぜ一つなのかを説明できないことに気がつかないかもしれません。
それは言葉の機能とか、表現上の問題ではないと思います。今ここなら、今ここと。今ここでないから、今ここと。一つなら、一つと。一つと言うのは、そうでないからと。表現しても、無問題です。しかし、そんなことより基本的な問題がありそうです。
どんなことも知られることがないのではないか?自分が自分を知ることができないとしても、それは知ることができないということが、強調され、知ることができないことが明確になっただけなのではないか?(たとえば林檎とか、自分とかにしても、空想、知識なら、知ってる/知らない関係が、成立するのかもしれません)。という疑問があります。そういうことに注意が向いてるのではないでしょうか。どうでしょう。
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No.27 - 2008/01/03(Thu) 22:57:04 |
| ☆ Re: テスト / hato | | | > どんなことも知られることがないのではないか?自分が自分を知ることができないとしても、それは知ることができないということが、強調され、知ることができないことが明確になっただけなのではないか?(たとえば林檎とか、自分とかにしても、空想、知識なら、知ってる/知らない関係が、成立するのかもしれません)。という疑問があります。そういうことに注意が向いてるのではないでしょうか。どうでしょう。
そうなのでしょうか。 そうなのかもしれません。
ご存じのとおり、まだ、ある局面に於いて自分を義として。ということを解消していないので、 そうしたところを明確に意識化するに至らないのかもしれません。 それでも、ごく日常のなかで、「以前は気になったかもしれないことが、今そうでもない」ということがありました。すこし、こつを得てはいるのでしょうか。 本当に、ありがとうございます。
理解する、というのは、解消することだと思います。 また、悪いことをする、というのは、執拗に分裂させる、ということだと思います。 けれどもこれはやはり、ある局面に於いて、ということなのかもしれないと感じます。
哲学者は、「知るということは、想起、再認である」 と言い、素直にそうだと感じました。 ですが、ubik0101さんの言われることは、その、知る、こと自体が知られることはない、 ということでよかったでしょうか。 だとすれば、それも素直に、そうだと感じました。
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No.34 - 2008/01/05(Sat) 14:03:17 |
| ☆ Re: テスト / ubik0101 | | | それは誰の言葉か、たしかに「知るということは、想起、再認である」でしょう。でも、なぜ、それが、そうなのか知ってるでしょうか。知ってることが何か知りません。知らないことが何か知りません。 hatoさん指摘の通りです。
また、「知るということは、想起、再認である」とは。心理的に人が、この今、この現実にいない、その意識の運動などを、知ることと、思うという意味かもしれません。そして、この今、この現実には、知るということ、は見当たらないという意味にもとれるかもしれません。
ところで。自分を義とする。そんな、自分の有り様を見つくして解消される、その限界まで行ったら、その、そうしてる中心を振り返る。わたしは何?
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No.37 - 2008/01/05(Sat) 20:05:34 |
| ☆ Re: テスト / ルー | | | > ほとんど思いつきませんが、たとえば欲望に支配されて、自分の都合を最優先する日常なら、もしかして、その人の言動は自分では嘘とは思えないかもしれません。正直に怒り、信じ、発言してると。自分を自分で騙しているなら、気がつかない可能性はあります。きっと気がついたら、そうできませんから、自分で自分を愚かにする必要があるのでしょう。
そうですね。 > そんな人でも、ほかの人の嘘を嫌うことはあると思います。そうであれば自分の都合の良い嘘は良く、都合の悪い嘘は悪く、都合の良い事実は(ことさら)良く、都合の悪い事実は(ことさら)悪い、となる可能性があるでしょう。そんな日常は、その人に、自分が自分の都合に振り回されてることを示すでしょう。
そうでしょうね。 > それでも自分の、言ったことと行動が違う、約束を破る、自分の都合で他人に嘘をつかせる、といったことには気がつきはすると思います。でも、誰でもそうだ、また相手には自分のことは分からない、などと思えば、そういう愚かさが、その嘘も見逃すかもしれません。そういう人には、どうしても自分を見張る自我が働くようになると思います。極端な場合の話です。
なるほど。 ubikさんの表現力は、素晴らしいですね。 言葉が、借り物ではないので、説得力があるのでしょうね。 また、勉強していきます。
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No.40 - 2008/01/06(Sun) 01:34:51 |
| ☆ Re: テスト / ubik0101 | | | > また、勉強していきます。
うん。お互いに学びあいましょう。
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No.44 - 2008/01/06(Sun) 08:20:13 |
| ☆ Re: テスト / hato | | | > それは誰の言葉か、たしかに「知るということは、想起、再認である」でしょう。でも、なぜ、それが、そうなのか知ってるでしょうか。知ってることが何か知りません。知らないことが何か知りません。 hatoさん指摘の通りです。 > > また、「知るということは、想起、再認である」とは。心理的に人が、この今、この現実にいない、その意識の運動などを、知ることと、思うという意味かもしれません。そして、この今、この現実には、知るということ、は見当たらないという意味にもとれるかもしれません。 > > ところで。自分を義とする。そんな、自分の有り様を見つくして解消される、その限界まで行ったら、その、そうしてる中心を振り返る。わたしは何?
了解しました。
そして、 それがなにかはわたしには、まったく未知ですが、 ここで学ぶことができる。 そこに導いてくださっている何かに。 ubik0101さんと皆様に。 感謝いたします。
ありがとうございます。
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No.57 - 2008/01/07(Mon) 01:57:38 |
| ☆ Re: テスト / ubik0101 | | | こちらこそ、ありがとう、です。 いつでも話しかけてください。
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No.59 - 2008/01/07(Mon) 08:15:39 |
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