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No.17 - 2008/01/01(Tue) 13:01:54
| ☆ Re: それでは / potanpotan | | | ubik0101さんはじめまて書かせていただきます。 ubik0101さんのすごい力強い世界観に圧倒されつつ・・・ ちょっとどきどきしながらなんですが・・・
善と悪についてもう少し見つめられたらな・と思いましたので・・
バランスのことを話されているのかなと思いますが違うのかな・・。
私の中には善と悪という明確な感覚は薄くて・・
作用や現象はあります。 ただ・・一箇所にとどまって見ると悪や善はわかります。 これはある存在のある目的にとって望ましいか望ましくないかだったり、一時的に生かすかCENSOREDかだったり・・
でも、さまざまな関係性の中のさまざまな運動性と作用のなかで見ると、「サイオウガウマ」でしたか?中国のお話ではありませんが、わからない。
バランスがある方向に大きく傾いてうまく機能しないときやあるものが過多に、あるものが過少になってうまく循環できなかったり・・ある場の求めている形と自分の形がうまくかみ合わなかったり、そんな状態を悪といいますか?
エゴ・欲望・やさしくてあたたかなものを破壊したい衝動・ だけどやさしくてあたたかなものを乞う矛盾。
大好きなのだけどいじめてしまう。
とか・・
弓矢が飛ぶのが善で引くのが悪とか・・
世界の働き、心の働き、関係の働き・・いろいろな現象のいろいろな作用がありますが・・
どんなことかな。
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No.41 - 2008/01/06(Sun) 06:25:35 |
| ☆ Re: それでは / ubik0101 | | | > どんなことかな。
potanpotanさん、はじめまして。おそらく善悪って、定義できないでしょう。できるようなら善悪でないかもしれません。なにかの条件によって変わるなら、善悪の判断も変わるでしょう。
善い動機でしたことが、善い結果になる。 善い動機でしたことが、悪い結果になる。 悪い動機でしたことが、悪い結果になる。 悪い動機でしたことが、善い結果になる。
この人の世では、これらの関係が絡み合って、いるのでしょう。これに注目してしまうと、「サイオウガウマ」で、善悪など分かりません。
でも。このことは、好き嫌い、損得が、善悪と呼ばれてることの隠れた前提になってる、かもしれません。つまり欲望が、善悪の皮を被ってるのかもしれません。
それがまず、悪と言えば悪。善と見えても悪。かもしれません。自分を善(正)と見なすから、悪(邪)も行えるのではないでしょうか。なかには自分を悪と見なして悪をする人もいるかもしれません。なんにしても片寄りでしょう。
でも。それで終わりではなさそうです。そういうこととして、定義できない善悪が、人の視界に入るのかもしれません。
一応ですが、公理のような、定義できない善悪。それは条件に関わらないと思います。悪は悪。善は善。 たとえば盗むことは、無条件に悪。嘘を言うことは、無条件に悪。盗まないことが善なら、無条件に善。ほとんど理想論かもしれません。
たった1人でも、この世界に、そうでない(狡い)人がいれば、これは無力なのも確かです。けど。その1人に、自分はなりたくはないのです。誰でもそうなのではないでしょうか。そう自覚してなくても誰もが努力してるのではないでしょうか。
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No.45 - 2008/01/06(Sun) 09:56:33 |
| ☆ Re: それでは / potanpotan | | | ご返答えありがとうございます。 やっぱり先がわからないです。 > 善い動機でしたことが、善い結果になる。 > 善い動機でしたことが、悪い結果になる。 > 悪い動機でしたことが、悪い結果になる。 > 悪い動機でしたことが、善い結果になる。 > > この人の世では、これらの関係が絡み合って、いるのでしょう。
善い動機ってどんなことですか? 悪い動機ってどんなことですか?
また、結果とはどんなことですか?
結果って・・ある営みのある瞬間のある一面的な見方をしたときのある状態を言いますか?
たとえばコンクールで優勝する。 ある成果を出す。ということを目標を立てたならば それに対する結果が生じます。
優勝しなかった。 それは結果が出なかったともいえるし 目指すことによって技術アップできたから 結果は出たともいえるし
そもそもコンクールという形態は果たして、音楽の全体かと疑問を持ったという成果を得たともいえるし
コンクールを意識したがために自分の演奏の個性をだいなしにしてしまったともいえるし・・
わからないです。
> でも。このことは、好き嫌い、損得が、善悪と呼ばれてることの隠れた前提になってる、かもしれません。つまり欲望が、善悪の皮を被ってるのかもしれません。 >
欲望についてubik1010さんはどのように感じてらっしゃいますか?
> それがまず、悪と言えば悪。善と見えても悪。かもしれません。自分を善(正)と見なすから、悪(邪)も行えるのではないでしょうか。なかには自分を悪と見なして悪をする人もいるかもしれません。なんにしても片寄りでしょう。
善悪という言葉が頭の中でぐるぐるします。
> でも。それで終わりではなさそうです。そういうこととして、定義できない善悪が、人の視界に入るのかもしれません。
サイコロのように善(偶数)と思ってふったら悪(奇数)が出てしまった・・ でも絶対に偶数だけ出すんだ。 ということでもないですよね・・・
> 一応ですが、公理のような、定義できない善悪。それは条件に関わらないと思います。悪は悪。善は善。 たとえば盗むことは、無条件に悪。嘘を言うことは、無条件に悪。盗まないことが善なら、無条件に善。ほとんど理想論かもしれません。 > > たった1人でも、この世界に、そうでない(狡い)人がいれば、これは無力なのも確かです。けど。その1人に、自分はなりたくはないのです。誰でもそうなのではないでしょうか。そう自覚してなくても誰もが努力してるのではないでしょうか。
子供が嘘をつきました。 本当は自分がおもらししたのに 妹のせいにします。
でも子供のうそはすぐに見破られます。
「ズボンがぬれているのはおにいちゃんでしょ。」
親の私は 「妹のせいにしようとするのはいけない、妹がかわいそう。ずるいこと。いけないこと。この子は悪い魂がそうさせている。うそをつくことに怒りが沸きます。」
でもそもそも・・お兄ちゃんは、なぜ、嘘をつくのか。 怒るからだと思います。
おもらしをすることを「悪」とするために 「怒る」正義が生まれ「恐怖」が生じて「嘘」 が生まれるのではないでしょうか。
子供を見ていて思うのは 子供をしかるたびに感じるのは
子供の世界に「悪」がないこと
「悪」を見るのはいつも私だということ
だから、小さな子供は怒られるとき まず「びっくり」するのがわかります。
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No.47 - 2008/01/06(Sun) 11:42:04 |
| ☆ Re: それでは / ubik0101 | | | > 欲望についてubik1010さんはどのように感じてらっしゃいますか?
とくに何も。です。
> おもらしをすることを「悪」とするために >「怒る」正義が生まれ「恐怖」が生じて「嘘」 >が生まれるのではないでしょうか。
まず、「悪」っていうより面倒さとか、無駄な出費とかが・・・それが損なので・・・おもらしを「悪」と見なさせるのかもしれません。でなければ、ただ後始末すればいいだけでしょう。
そして子供にとっても、親にとっても、善かれと思って・・・それが得なので・・・つまり動機があって、親が「怒る」。しかし「嘘」という、たぶんですが都合の悪い、結果「ある営みのある瞬間のある一面的な見方をしたときのある状態」が生まれるのかもしれません。
それで子供は、もっと上手に嘘をつけばいいとか、嘘をついてはいけないとか、ほかの家庭と較べるとか、自立したいとか、もちろん親が怒っても、嘘をつかない子供っています。また、いつも嘘をつくわけでもないでしょう。それで、そんな子供が学校に行き・・・コンサートに出場・・・ドラマが展開するのでしょう。
それで。達成とか、技術とか、個性とか、わからない。評価不可能。でもあるし、そのことは損得とか、善悪とか、意味とか、ありとあらゆる評価が可能ということでもあるでしょう。(その当事者ではないので、総べて空想ですけど)。それは、それで、無問題と感じます。
> 子供を見ていて思うのは >子供をしかるたびに感じるのは >子供の世界に「悪」がないこと >「悪」を見るのはいつも私だということ >だから、小さな子供は怒られるとき >まず「びっくり」するのがわかります。
だとしても「悪」としなくてもいいように思います。
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No.50 - 2008/01/06(Sun) 13:37:44 |
| ☆ Re: それでは / potanpotan | | | > > 欲望についてubik1010さんはどのように感じてらっしゃいますか? > > とくに何も。です。 > > > おもらしをすることを「悪」とするために > >「怒る」正義が生まれ「恐怖」が生じて「嘘」 > >が生まれるのではないでしょうか。 > > まず、「悪」っていうより面倒さとか、無駄な出費とかが・・・それが損なので・・・おもらしを「悪」と見なさせるのかもしれません。でなければ、ただ後始末すればいいだけでしょう。 > > そして子供にとっても、親にとっても、善かれと思って・・・それが得なので・・・つまり動機があって、親が「怒る」。しかし「嘘」という、たぶんですが都合の悪い、結果「ある営みのある瞬間のある一面的な見方をしたときのある状態」が生まれるのかもしれません。 > > それで子供は、もっと上手に嘘をつけばいいとか、嘘をついてはいけないとか、ほかの家庭と較べるとか、自立したいとか、もちろん親が怒っても、嘘をつかない子供っています。また、いつも嘘をつくわけでもないでしょう。それで、そんな子供が学校に行き・・・コンサートに出場・・・ドラマが展開するのでしょう。
ほお..すごい発展性ですね。^^
> それで。達成とか、技術とか、個性とか、わからない。評価不可能。でもあるし、そのことは損得とか、善悪とか、意味とか、ありとあらゆる評価が可能ということでもあるでしょう。(その当事者ではないので、総べて空想ですけど)。それは、それで、無問題と感じます。
さっき少しバイオリンをお稽古していて思ったのは・・ バロック音楽を演奏するとき・・ 弦の調弦が狂っているのは悪だとおもいました。 音程がずれても悪だとおもいました。
きちんと調弦されたときの楽器の響きの広がりは宇宙的。 音程を正確に取れないと、音が広がらない。 自分の楽器の中の正確な音程と、他の楽器とのアンサンブル。 調和。
って。。すごい下手なんですけど、一音ちゃんと弾けただけで感動なんです。
まあ・・だけど、たとえば民族音楽なんかを演奏するときはきちんとした音程で弾くことが気持ち悪いときもあります。
本来 音は無限ですが・・ その音を正確に弾くこと・・ それは、絶対音感を持つことがいいとかいうことではなく 音の共鳴性は普遍。無限があります。
ただ、そのハーモニーに対する許容性は音楽の持つ世界の様々によって善と悪が存在しているように見ています。
> > 子供を見ていて思うのは > >子供をしかるたびに感じるのは > >子供の世界に「悪」がないこと > >「悪」を見るのはいつも私だということ > >だから、小さな子供は怒られるとき > >まず「びっくり」するのがわかります。 > > だとしても「悪」としなくてもいいように思います。
悪なんてないといっちゃっている割りに どこかで勝手に子供のいたずらを「悪いこと」って思っている自分がいて(成分分析したら、おっしゃる通りめんどくさいとか、ほかの人が嫌がるだろうとか、これはうちで許されても、世間では許されないだろうとかなんですけど) とりあえず怒る。そして・・ 子供がまあるい目で「●●ちゃん悪い子?」と尋ねさせてしまうんですね。 悪くないよーーー でもいろいろあるんだよーー という感じです。
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No.55 - 2008/01/06(Sun) 19:29:33 |
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