国や社会や貨幣が虚構と思えても、個人がそう思えないというのはある意味驚異的なことだね。だって、国家や社会が虚構なら、それを形成している個人も虚構でないとね。個人も肉体も国家のように縁によって一時的に構成されているものだから、実在ではない。要するに、全ての存在は虚構なんだけど、それを正面切って議論すると、完全に禅の世界になってしまうよな。
国、社会、貨幣は人間の思考の中の約束事であって、物や形が無いと云う事は、よく解ります。 でも、自分は在ると感じてしまいます。理屈ではあますが、この貨幣虚構論から考えてみます。
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No.6709 - 2018/11/10(Sat) 21:48:27
| ☆ Re: 自称、覚者の板の書き込みです / 勘太郎 | | | 昼間、暇だったので虚構の事を考えました。
自動車はタイヤ・エンジン・ガラスが集まってできているもので車というモノはない。私の身体も腕・あし・内臓でできていて、私の身体と云うモノはない。原子もクオークとかの内部構造を持ち原子と云うモノは無い。
星も地球もパソコンも犬も猫もステーキも何一つそれと云うモノは無い。
虚構=事実でないことを事実らしく作り上げること。また、作り上げられたもの。作りごと。 貨幣が虚構・・意味合いがこの虚構とは合わない様なきがしますけれども。
私が思った、下部構造を持つから、実体は無いというのは違うような気がします。お金の虚構性は全く納得できるのですけれども。
自分の身体も無い。だから心もない、私ももちろん無い。????こんがらかってきました。また明日考えてみます。
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No.6710 - 2018/11/11(Sun) 21:03:13 |
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