車で15分のお墓ですけれども、今年初めての墓掃除です。公園のような緑の中の墓地で風が爽やかでした。草むしったり・石を拭いたり、落ち葉を拾ったりの1時間。入っているのは母親一人ですけれども、そのうちに親戚一同皆で入居予定です。
なんで死んだ人の世話を今行うのか?の一つの答えが下記の栄宗寺住職様の言葉です。古仏も何でかわかりませんけれども、ご先祖様を敬います。自分の親だけを特別に尊ぶ古仏はいないとおもいますけれども。
「あなたは私たちにとって、
これだけの時間や手間をかけて見送るに値する存在でしたよ
きちんと正装をし、見送るに値する存在でしたよ」
生き物の死を見ると、当然ながら生の事が思いに産まれ「私は誰」という質問が起こります。
「私は誰」の回答は、対象ではないモノ。対象である言葉においては「意識できるモノ・コトすべては私ではない」となることは理解できます。
偏るを別の言葉で言い換えると、全ての可能性の中から一つの出来事・モノ・思考を選んで確定する、ということでしょう。 おいらはあらゆる可能性、時間・場所・形の中の一つを選択しエンターキーを押して顕現したもの。おいらの顕現は因果の結果であるけれども、究極においては何の脈絡も無く表れている。
突然の様に緑の中から純白の花が咲きました。元の住人が池の傍に植えたのでしょう。
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No.5964 - 2017/06/19(Mon) 21:45:06
| ☆ Re: お墓の草むしりに行ってきました。 / ubik0101 | | | そう思います。自分が自分を自覚できない・・・ひとつには、完璧は見えない、ということがあります。たとえば車のフロントガラスは、汚れていたり傷があったりすると見えますが、まったく透明だと、ガラスは見えず対向車、歩行者、風景があるだけです。
PCモニター、空気、水・・・いろいろ喩えはできるでしょう。すると、汚れを、自我を取ればいいんだ、運転に集中してるとガラスが汚れてても見えないとか、なりやすいかもしれませんが、これはガラスは透明という喩え話を、さらに弄った上の、喩え話です。
ガラスが割れて風穴が開いてても、やはりガラスは見えるのです。そいえば心を世界が映ってる鏡に喩えた神秀はそれはそれですが・・・誰が何と言おうと、どうでもいいですが・・・六祖慧能は、その鏡も、台もない、と言いました。たとえば、
スクリーン、基底、意識、心が、ない、そんなことです。もし、もの、ことは、スクリーン、基底、意識、心に展開されてるのなら世界は夢でしょう、仮想でしょう、リアルでしょう、因果でしょうし、自由意思の有無・・・ワンクッションある姿勢を要するかもしれません。
ではなくて、ものことは、見える聞こえる思考・・・知覚はそれが、直接、です。それは人が完璧ということです。花鳥風月を見て実は感じられない自分を感じてるのです。ここはまだ要探査ですが・・・自我はことさらそれを強調したものとも言えます。
そうだ何でも縁起で説明できる。と思ったことがあります。でも、違う・・・ここで言う縁起の壊滅・・・もしかして縁起の逆観、即今とか言われることかもしれませんが・・・すでにそうなのに、またそうでないのに、そうあろうとすると問題とも言えるでしょうし・・・ここで世界は因果ではないです。
たとえば、スクリーン、基底、心が、意識が・・・たとえば自他の区別がないとか、総てはひとつとか、分離があるとか、全体とか・・・そいうのが邪魔なのです。そんなことがない、ふつうの日常ただこれが探求の総てです。
ピオーネ、まばらですが実がついています。
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No.5965 - 2017/06/20(Tue) 07:52:18 |
| ☆ Re: お墓の草むしりに行ってきました。 / ubik0101 | | | キャベツをザク切りにして、ポリ袋に入れて・・・醤油、味醂を等量、刻んだにんにくを加えて・・・よく振って、できあがり・・・これは美味しくバリバリ食べられます。
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No.5966 - 2017/06/20(Tue) 12:24:07 |
| ☆ Re: お墓の草むしりに行ってきました。 / hato | | | 勘太郎さんこんにちは。お久しぶりです。季節は、思えば刻々と過ぎていくように感じられ、興味深いですね。こちらは、日中は雨期独特の蒸し暑さ、でも、朝晩はまだ冷えます。風はいつでも気持ちがいいですが、もう少し、雨がほしいようです。
オオデマリでしょうか。見事ですね。庭ではピオーネが楽しみ。もう初夏の頃の花が咲き始めています。これは、銀梅花です。
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No.5967 - 2017/06/20(Tue) 13:16:49 |
| ☆ Re: お墓の草むしりに行ってきました。 / hato | | | めしべかおしべが長いのが特徴でしょうか、細い白い糸が沢山垂れている趣が美しいです。もう一枚。
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No.5968 - 2017/06/20(Tue) 13:21:46 |
| ☆ Re: お墓の草むしりに行ってきました。 / hato | | | > 偏るを別の言葉で言い換えると、全ての可能性の中から一つの出来事・モノ・思考を選んで確定する、ということでしょう。
ふと考えますに、自分がいつか話していた「偏る」は、スレッド5853で書いたような意味合いなのですが、勘太郎さんの考える「偏る」も、表現に興味深いところです。
最近、黒い、なんとなく余裕のあるオス猫が、庭やデッキの上までやってきており、ナナのお尻を噛んだのはあれなのか?・・・ナナは近頃、外を警戒して、怖がって、庭に出てもすぐに私たちの部屋に入って過ごしています。
かわいそうに、もう5年にもなるのに、部屋にも怖くて入れない、6割程度野生?のミューも、やはり寝込みを襲われたりしていて、夜間デッキの猫屋で寝られなくなってしまい、用心しているのか、ご飯も食べに来られないときもあります。
猫のことは猫に任せておき!ですが、早朝にミューの小さな、私たちを呼ぶ声を聞くと、4時でも5時でも、急いでご飯をやりに飛び起きます。
そんなこんなで、近頃あまり一緒にいられない2猫です。黒猫のいない、家主もいて安心なとき、こうして、庭で憩います。
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No.5969 - 2017/06/20(Tue) 22:01:18 |
| ☆ Re: オオデマリ、というのですか。 / 勘太郎 | | | 確かに白い手毬の様です。花の色が咲き始めは薄緑だそうで、それで緑の中の緑で気づかなかったんのでしょう。 それにしても博識です! 銀梅花、「木花火」と呼びたくなりました。花は命を一番輝かせる時期なのでしょうか。
〉たとえば、スクリーン、基底、心が、意識が・・・たとえば自他の区別がないとか、総てはひとつとか、分離があるとか、全体とか・・・そいうのが邪魔なのです。そんなことがない、ふつうの日常ただこれが探求の総てです。〈
思考の雑音が停止している時の状態はこれにちかいのでしょうか? 今自分が、どんな思考状態にあるかを見張っていると、見張ってる自分がいます。この見張っている自分には、分離が無いように思います。
自分の思考を見つめることが自己解放とか苦痛からの脱出に効果がある、と受け取れる話を読んだので、蒸し返しになりますが質問致します。 人によっては、それが自我の根源だとも言います。
自分で質問の答えを出せそうな気がしてきました。後日続きを考えます。途中ですが寝ます。
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No.5970 - 2017/06/20(Tue) 22:23:31 |
| ☆ Re: お墓の草むしりに行ってきました。 / hato | | | 待望の雨が降りました。紫陽花が楽しいこの時期は、雨がいいです。
仕事場に行くと、雨の6月、定番のカタツムリ。先日ubik0101さんと見つけて、たぶん、同じのかも知れません。なんてでかい。伸びると、体調15センチ以上の感じです。調べてみたら、タメトモマイマイ??、温暖な地域に育つようです。
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No.5972 - 2017/06/21(Wed) 21:32:37 |
| ☆ Re: お墓の草むしりに行ってきました。 / hato | | | 庭の木々は、少しずつ成長しています。イチジク(手前)と桑。太く逞しい、美しい枝振りです。雨期の緑は、本当にどれも美しい。
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No.5973 - 2017/06/21(Wed) 21:36:57 |
| ☆ Re: お墓の草むしりに行ってきました。 / hato | | | 猫も日々、さまざまですが、鳥は、こちらも毎日賑やかです。
ノンノンのお気に入りは、洗面台の歯ブラシ。逆さまにしたコップが、ちょうどいいようです。
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No.5974 - 2017/06/21(Wed) 21:39:33 |
| ☆ Re: スレッドって云うんですか、5668とか読み返しています。 / 勘太郎 | | | 喉のすぐ奥に答えが突っかかって出てこない、そんな感じです。もう10年以上この感じが続いています。
天気予報通りの50ミリ近い雨が一晩で降ったみたいです。散歩の道の枯れ葉の堆積が作る曲線で、昨夜の水たまりの広さが解かります。
当地は水は十分で昨夜の雨は少し余計です。雨が多いときは余り、日照りの時はひでりが続きます。すべてはお任せで上手くゆくし、行かない場合はそう成る。おいらができることは何も無いと感じます。心底そう思っているのか?思考がそう感じなさいと言っているのか?思考がそうしているのですから、おいらには分かりません。
今日は昼頃まで雨模様らしいです。ゴムの木の葉を通して見える狭い空を眺めて、何処を眺めたら良いのか?考えてみます。雨の日も良い気分です。
進化論のファーブルのミミズの研究に脳が無いのに実に賢い判断をするとあります。ミミズもおいらもおなじなのかもしれないと思っています。
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No.5975 - 2017/06/22(Thu) 08:54:18 |
| ☆ Re: 偏りは、偏りから外れないと解りません / 勘太郎 | | | でしょうか。
言葉遊びで言えば、偏りに成り切りれば、偏りを脱することができる、でしょうか。
私という感覚は、多くのものを自分として取り込んで肥大する。馬子にも衣装で服を私に取り込み、化粧で顔かたちを、スタイルで若さを、地位で価値を、学歴で能力を取り込む。そう成ったような感覚に成りきる。 着物や化粧で私が変わるなら、着物や化粧品が私。お金で私の価値が上下するなら、お金が私。
出でよ!モノでない私!と叫ぶのはだれなんでしょう。
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No.5976 - 2017/06/23(Fri) 21:49:02 |
| ☆ Re: お墓の草むしりに行ってきました。 / ubik0101 | | | なんでもいいですが、なんか出来事があるとします。たとえば仕事の成功、ニュースで見る事件、物理の学説、月の運行、潮の満ち引き、誰かの発言、笑顔・・・それに対する反応は、人それぞれに様々です。
ところで今日は快晴です。嬉しいと思うとします。でも、ああ雨が降ってくれたら!とかいう反応もあるでしょう。という反応にまた反応。おなじ出来事に、嬉しい、悲しい、苦しい、残念・・・好き、嫌い、無関心・・・さまざまな思考。では、なぜ、
どうして、その人はその特定の反応をする、あるいは、した、のでしょう。どこかの国では、葬式がでると、お祝いするとか・・・ひとつの同じことでも、さまざまな感覚。感情、思考・・・反応・・・受動、能動、が起こりえます。
たとえば日本では格闘技、生け花、喫茶が、コンゴでは伊達男《サプール》お洒落が、道、であったりします。ここで、ひとつの出来事に、ありとあらゆる感情、思考が発現しえるのに、自分は。なぜ、このなんでもいいですが、
たとえば苦しい、という個別の特定の印象を感じたのでしょう。これは理由があるかもしれません。これを探ります。いわゆる固定観念とか、無意識の癖とか、言われてることかもしれません。それが自分を特定の感情、思考に停めてるかもしれません。
それに支配されてはいるように見えて、手を付けないで諦めてるかもしれませんが、違います。その奥を自分で、明るみに出すことができるのです。これが自分の探求でした。たとえば、とある出来事に嬉しい、苦しい、賛否の思考・・・
それはほかの誰でもなく、その人が自分でそうしてるのですから、必ず、自分で解けるのです。ひとつの反応に固着する、させられる必要はないのです。ほんの、ちょっとしたこと・・・素直さだけで、それが解けるのです。ほかの人が替わりにすることはできません。その人のことです。
ここで、なんでもいいですが、なにかの出来事に・・・嬉しい、悲しい、楽しい、好き、嫌い、ありとあらゆる思考が・・・それが一気に同時に発現するとします。であって、そこでなんでもいいですが、たとえば特定の個別の感情は、思考は、成立するでしょうか。
そして世界は、ありとあらゆる出来事、非出来事、老病生死の坩堝《るつぼ》ではないでしょうか。たとえばどこかの地区では晴れです。雨のところも、嵐のところも、昼のところも、夜のところもあるでしょう。
であって、どこに、たとえば苦しさに、好き嫌いに、なにかの思考に、特定の個別の反応に縛られる必要があるでしょう。極端にも中間にも、どこに偏ることができ得るでしょう。もの、こと、知覚、感情、思考・・・世界の構成要素の総てが活動しています。
これを、この実感をここでは、縁起とか中道とか呼んでいます。ここ静かな岡の片田舎・・・今日は、いい天気です。これ、が、それ、です。これを総てはひとつとか、分離とか、
一体とか、部分と全体とか、そんなこと言ってもいいけど、ださっ。です。これだけです。ここでモノでない私とか、自己とか、そんなに問題ではないです。この縁起を解脱したところそこが、自己です。
ほんとにそうです。ここに、これに、そのまま見えたこと聞こえたことがわかる。そのまま思考したそのことがわかる。そのまま行動したそのことがわかる。このほかに秘密はないです。
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No.5977 - 2017/06/24(Sat) 07:20:29 |
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